第4研究室 創作に関するQ&A 421P | トップへ戻る |
食用ウサギさんからの質問
 中二病への処方箋
 
 皆様こんにちは。
 先日「 許される矛盾と許されない矛盾」というスレッドを立てたところ、
 たくさんのご意見を頂き感謝しております。
 ところでその際「中二病」の話がちらっと出ました。
 世に蔓延する中二病の怖ろしさは私も知っています。
 
 おそらく創作活動をする者は誰でもかかる可能性のある病気だと言えましょう。
 しかし中二病とは、発症したが最期、
 その作品と作者は嘲笑の対象にされる程、忌むべき病気なんでしょうか?
 中二病だろうと、厨設定だろうと、名作と評価されている作品はたくさんある。(と思います)
 
 そもそも中二病の代名詞ともいわれる「邪気眼」や「エターナルフォースブリザード」も、
 その元ネタが出てきた時はむしろもてはやされていた筈です。
(余談ですが「邪気眼」の元ネタは「幽々白書」でしたっけ?)

 それが何故、今やると笑われるのか? 
 私なりに考えてみたのですが、ようするにそれは二番煎じだからなのではないでしょうか。
 いや、二番煎じぐらいならまだいいですが、
 十番煎じ二十番番煎じとなるともはやそれは劣化コピー以外の何物でもありません。
 
 つまり中二病とは、劣化コピーの中の定番メニューの事だったのです。
 
 ……とまあ、ここまで中二病に対する仮説を提唱したところで、
 その一方で王道という言葉もある事を付け加えたいと思います。
 
 例えば主人公、ライバル、ヒロイン、の人間関係は多くの漫画やラノベ作品にみられます。
 今この関係で新しい作品をつくった所でべつにそれは劣化コピーでも何でもありません。
 また、主人公→熱血 ライバル→クール だとしても、別におかしくはないでしょう。
 
 しかしここから劣化コピーになるか王道パターンなるかは決定付けるのは、
 このテンプレに独創性というスパイスを入れるか入れないかの違いになると思うのです。
 先に申しました通り、中二病とは十番煎じのアイデア(のパクリ)の事を言います。
 どこかで見た主人公のどこかで見た能力、どこかで見たパターン通りの展開です。
 読者はその類型的なパターンを見ただけで「どうせこんな話だろう」と思い辟易してしまいます。
 しかしそこに独創性、あるいは誰もが思い付かなかった程の奇抜なアイデアがあれば、
 読者の予想を良い意味で裏切ることが出来ると思います。
 
 つまり中二病が悪いのではなく、中二病患者に独創性が欠如した場合、
 最悪の駄作が誕生するのだと考えられます。
 逆に言えば仮にどんな中二病だろうとそこに独創性さえ加えれば、
 主人公が超人だろうと超天才だろうと実は魔族の末裔だろうと、
 名作になる事も夢ではないかと思います。
 
 取り留めの無い文章を長々と書きましたが、中二病の処方箋は、
 2錠の独創性と3錠の意外性、そして1錠のアイデアだと思いますが皆様はどう思われますか?


●答え●

紫陽さんからの意見
>中二病とは、劣化コピーの中の定番メニューの事だったのです。


 この定義付けはちょっと的確ではないですね。
 不正確な定義を前提に論証を勧めているため、あなたの主張自体がすこしズレてしまっています。
 中二病とはそういった細かい技術論の問題ではないです。

 「人格形成が未だ未成熟であるが故の未熟な作品」が中二病と言われるものです。
 
 「劣化コピー」というのも、人格が未成熟であるが故に客観的に見ればただの劣化コピーなのに、
 本人は「自分だけが思いついたオリジナリティー」と思い込んでしまっていることが原因です。
 他人から見れば些細な違いでしかないのに、本人は大きな独自性と思ってしまってるんですね。

 中二病の処方箋は小説技法の問題ではないです。
 独創性がないのにあると思ってしまっている。
 意外性がないのにあると思ってしまっている。
 アイデアがないのにあると思ってしまっている。
 これが中二病です。

 
 処方箋は社会に身を置いて人間的に成長すること以外ありません。


世羅 悠一郎さんからの意見
 世羅 悠一郎です。
 なるほど、中々に考察なされていますね。

 料理に例えて言えば。
 中二病というのは、味付けが濃すぎる、滅茶苦茶って事だと言えるんじゃないかと思います。

 ただ、劣化コピーっていうのもあるんでしょうが。
 多くはその味付け度合いが過激だったり、
 スパイスの混ぜ合わせ方を考えずに投入している事に問題があるのではないでしょうか?

「これとこれを混ぜ合わせると味付けが濃すぎる」
「ここまでやるとクドイ」
「味を付ければ美味しいだろうと、組み合わせの結果がどうなるかも考えない」

 そういった結果、失敗した状態。
 或いは、失敗に気付かないまま満足して悦に入る。そう見なされる状態。
 それが問題なんじゃないかなぁと。

 度合いが酷い事。
 面白くする要素が省みられていない事。或いは省みられていないと思うほどの構成。
 そういった、限度の度合いこそが語られる中心なのではと。

 そこで、最初の方は失敗しても、後々場数を踏んでバランスが取られていけば良し。
 改善されたと思われるようになる。
 逆に、何度やっても改善が見られず、限度などの度合いに変化が無く、
 味付けがダメだと思われる状態。その時こそが嘲笑の対象となるのではないかなぁ、と。

 実は、以外に独創性や意外性といっても、細かく分別していけば、
 そんなものは無い状態のものも、結構あるものです。
 オリジナルというのは難しいし、そう簡単に創れるものではありません(創れないとは言いません)。

 実際には、独創性も意外性も無くても、アイデアが平凡でも、
 そこそこ見られるものとして構成されれば受け入れられるものです

 
 創作関係でよく言われるのが、
 「常にフルコースを作るのではなく、コンスタントに同じ味のする肉じゃがを作れるようになれ」
 というものがあります。


 何時も同じ店に行って同じ料理を頼めば同じ味のするものが出てくるようにする。
 それが大事だと。

 もちろん、独創性や意外性、突出したアイデアが無いに越した事はありません。
 ですが、それを探して選ぶ事に溺れ、自惚れない事が大事なのだと思います。
 一般に中二病呼ばわりされる状況というのは、そうしたものが透けて見える状況が大きいです。
 ちぐはぐだったり、味が濃すぎて飲み込む事ができないものが多いんですよ。

 「どうせこんな話だろう」
 実は、これは場合によっては良い事なのです。
 良いと言われるものは「王道」と呼称される事になります。
 それに、時にそうでない時もありますが、予定通りというのは気持ちの良いものです。
 予定通りで無く気持ち良いというのは、大抵予定よりも高い水準の状況が発生して言われる事であり、
 低い水準の事が起こっても言われる事ではありませんから。

 長文を語りましたが、要点としては「味付けを知れ」です。


風月堂さんからの意見
○中二病・厨設定とは

 私も以前に、中二病とか邪気眼とかについて、ネット上のいくつかの言説を見たことがあります。
 そうした言説を見て個人的に感じたことは、(二番煎じということ自体よりも)
 ラノベ好きな中学生ならいかにも考えそう、発想が子供っぽい、作者の自己陶酔が露骨、
 というあたりに軽蔑が向けられているように思える、ということです。


○処方箋

 いわゆる中二病作品の処方箋……解決策、予防策について、

>2錠の独創性と3錠の意外性、そして1錠のアイデアだと思いますが皆様はどう思われますか?

 ということですが、個人的には、
 
 作者の自己陶酔を抑えて「読者も」楽しめるように書くこと――――

 より具体的には、設定とストーリーのバランス、(設定のみについて言えば)
 設定の社会的なリアリティー、キャラクターの心情面等のリアリティーなど――――が大事かなと思います。
 もっとも、ここに挙げたバランスなどの要素は、あくまで個人の感覚ですし、
 もっと重要な要素があるかもしれません。

 ただ、いずれにしても、私個人的には、
 「独創性」それ自体よりも、むしろ「自己陶酔に終わらせない書き方」
 が重要なのではないかと思います。



○奈須きのこ、王道

 奈須きのこの作品はしばしば厨二病的設定の代表のように言われますが、
 ファンの間では高い評価を受けているようです(私自身は好みではないのですが)。
 設定それ自体は、「独創的」かというとちょっと疑問を感じないでもありません。
 吸血鬼、魔法バトル、裏社会の闘争、陰のある主人公……
 どれも「厨二病的設定の定番」であるように見えます。
 しかし、それであっても読ませるだけの力があるのです。
 このことは、たとえ「独創性の欠ける定番」であっても
 「読ませるだけの何か」があるということの一つの証左ではないでしょうか。
 いわゆる「王道」といわれるような数々の作品についても、それは言えるかと思います。


○まとめ

 繰り返しますが、私の個人的な考え方としては、中二病への処方箋は
 【作者の自己陶酔を抑えて「読者も」楽しめるように書くこと】ではないかと思います。

 それでは失礼しました。


トーデさんからの意見
 忌むべき病気だと思ったことは一度もありません。
 それどころか、私としては厨二要素の無いラノベの何が面白いのかとすら思います。


 そもそも中二設定とは何ぞやと言われると難しい所ですが、
 何十番煎じ=中二病という考え方には正直抵抗を覚えますね。
 
 他の方も例に出していますが、例えば奈須きのこ氏の諸作品。
 月姫にせよFateにせよ、よく中二臭いと叩かれることがあります。
 しかし、絶大な人気を博しているのは分かりきっていることです。

 ことにバトルものと言われるジャンルは、中二設定がてんこ盛りです。
 理由は簡単、それが少年達の好むモノだから。


 要は料理法だと思うのですよ。
 禁書も、戯言も、9Sも、バッカーノも、戦う司書も……
 全てそういう要素を孕んでいながら、一方で人気を博す傑作ばかり。

 そもそも、そういう作品=ラノベを好んで読む主な読者層が
 中学二年生前後だということを忘れてはいけません。
 ライトノベルとして傑作を書きたいと思うなら、彼らの好みそうなモノを取り入れるのは当然のことです。

 自らの中二設定観と読者の求めるそれが合致した時、
 おそらくとんでもない傑作(迷作)が生まれるのでしょうね。


猫柳さんからの意見
 中二病と中二設定は別物で、後者は有名作品でも見られるように
 上手く活かせばば『王道』という強力な武器になりますが、前者は99%作者が悪いです。。
 
 その呼称が気に食わないのであれば、忌むべき病気というよりはむしろ、
 ラノベ、特に戦闘に特殊能力が絡む場合、の作品を手掛ける時に必ず通る
 通過儀礼や登竜門みたいなものとでも受け取ってみてはどうですか?


 作品の良さは読者が決める、
 というより読者が好めばそれは文学的価値はともかくエンターテイメントとしては良い作品です。
 そして中二病、裏を返せばその言葉はつまり『ストーリーは王道』ということをさします。

 だからこそ、その王道設定物語の内容や文章力が物足りない時、王道であるが故に、
 作り込まれていない、もっと言えば杜撰だと読者は失望を通り越して憤りや呆れを感じ、
 中二病という言葉を用いて批判するわけです。


 その言葉は無論蔑称ですが、それなりの意味が込められています。
 創作者として、作品を批評する人間が用いる作者の未熟さを表す言葉に
 文句を言うべきではありませんよ。

 何かを書くなら叩かれて当然ですし、批判は素直に受け止めて下さい。
 それが創作者のあるべき態度です。

 というか、創作とは、鍛錬とは模倣です。
人は自由な思考はできませんから、何かしら他人の考え方を使って物事を考えます。
 だから今までにもあった通り、作品は何かしらのコピーです。

 中二設定が悪いのではなく、設定を活かしきれない作者を中二病と言うのです。

 最初から上手く書ける人間はいませんから中二病患者は常に存在しますが、
 それは当然のことであってぐだぐだ言う問題でもありませんね。
 前述の通り中二設定とは王道設定ですし、
 そもそもどんな内容でも何かしらの換骨奪胎のコピーなんですから、
 読者に中二病と叩かれている内は独創性だ意外性だのとレベルの高い話なんてしてないで、
 まず設定を『詰める』ことと技術や文章力を高めることに専念した方がよろしいかと思います。
 以上です。


イーグル加藤さんからの意見
 正直なところ、中二設定も中二病も2ちゃんねるから発した、
 ある種、人を扱き下ろすことでしか自己確認出来ない人種の方々が言い出した言葉なので、
 気にしてると何にも出来なくなります。

 私的な考えですが、良く中二病とか中ニ設定とか呼ばれる作品は、
 中二設定とか中二病とかの定義と関係なく一様に文章力が欠如している物が多いです。

 物語の生きるか死ぬかは作者の文章力、とはよく言った物です。
 逆に、中二だろうが何だろうが文章力(漫画だと画面構成力かな?)が有ればそれだけで読めてしまう。
 面白い小説とは字面を追っているだけで楽しい物です。

 また、読み手の変化によって、売れる作品が推移している為、
 懐古主義の人には新しい波の作品群の中で自身の好みを見つけられない、
 等と言うこともあるかもしれません。
 まぁ、一種のジェネレーションギャップでしょうかw


 5歳下の弟がスレイヤーズを見て、何が面白いのか判らない、と宣った時、
 ジェネレーションギャップを禁じ得なかったのは私だけではないと信じたい……。
 昔は夢中で読んだのになぁ……。(まんま中学二年の時でしたがw)


黒柴犬さんからの意見
 こんにちは深く考えておられたのは凄いなと思うばかりです。

 一言で言うと、中二病が書いて読む人間も中二病、だと思います。
 読み手のニーズを意識するのであればライトノベルを読むのはだいたい中二ぐらいの少年。
 だいたい中二病と言われる設定を用いた作品でも良いとされている作品は数々ありますし、
 少々の中二はあって当然だと思います。
 まぁやりすぎは行けませんが。


トーデさんからの意見
 中二病の初出は伊集院光氏のラジオだったと思いますが。
 まぁ、その意味を拡大解釈してどんどん広げていったのは2chやネット界なんでしょうけどね。


みつきさんからの意見
 食用ウサギさま、はじめまして。

 二番煎じだから中二病ってことはないと思いますよ。
 以前に使われ尽くしたモチーフやネタやキャラクターであっても、
 調理方法と味付けの仕方で全然違う料理になり、しかも美味しい、
 なんて作品を、私たちはしょっちゅう目にしているはずです。
 と言うわけで。
 
 世間で『中二病的』と言われているものを読んでみると、私が見たところでは、
 まず、作者の半径三メートルほどで世界が完結しているような感じを受けることが多いですね。

 
 六畳一間な世界観、というか。
 けれども、その六畳一間はただの六畳一間ではなく、
 その部屋の中には普通ならちょっとお目に掛かれないような趣味のものが、
 足の踏み場もないほどに詰め込まれていて、鬱蒼、混沌としています。
 
 そして、その狭い世界観の中に登場するキャラクター達は、
 みんなその部屋の中に置いてあるお人形さん。
 背中のところに、『猟奇殺人者』『超能力者』『霊能力者』『不幸な過去を背負う可哀想な女の子』
 『主人公の理解者』等のラベルが貼ってあって、
 そのお人形さんたちは部屋の主である作者(物語の中では主人公になっている)を交えて、
 脳内で会話をし合っており、その様子がそのまま紙に転写されて『作品』になっている。
 中二病的作品からは、なんだかみんなそんな感じを受けます。

 でも、その六畳の部屋に詰め込まれている『趣味』が、ある一部の人たちにとてもキャッチ−で、
 その人たちの要求にかなり幅広く応えられるほどに深く豊穣であった場合、
 そういうのが好みの人にとってはとても居心地がいい場所になると思いますから、
 「この六畳一間の中に詰め込まれている世界観が素晴らしいんだよ」と、
 その作品を心から喜んで読む人がいてもあんまり不思議ではないなあ、と、そう思ったりもするわけで。

 ところが、大抵の中二病的書き手さんは、
 そこまで深く突き詰めた趣味と世界観を持つ六畳一間を持っているわけでもなく、
 どこかで見た安っぽい借り物で簡単に作品作りを済ませようとするので、
 (このあたりが食用うさぎさんのおっしゃる『二番煎じ』なのかも)
 『発症したが最期その作品と作者は嘲笑の対象にされる程、忌むべき病気』
 ということになっちゃうんでしょうね。
 
>中二病の処方箋
 中二病になるのは嫌だ、という場合の、あくまで私の考える処方箋ですが、
 「なるべく外部接続する部分を多くして、そこから客観性とリアリティ(実在感)を手に入れる」、
 というのをお勧めします。

 
 でも、中二病的書き手さんというのは、外部接続をまず拒否するというか……。
 真性中二病の人が心底書きたいものというのは、
 『客観性と実在感に溢れた、外部接続部のたくさんある多層的な物語』ではなく、
 『自分のテリトリーだけで完結する、狭くて深くて(自分にとって)とても心地よい物語』
 だと思うので、そういう書き手にそんな処方箋を出したところで、
 まったくの無意味だよなあと常々思います。

 それではこれにて。


砂時計さんからの意見
 どうも、砂時計と申すものです。
 ええと、いきなりですがまず指摘すべき点を。

> しかし中二病とは、発症したが最期その作品と作者は嘲笑の対象にされる程、
 忌むべき病気なんでしょうか?


 とありますが、そうとも限りませんよ。

 そのような「中二病は忌むべきものだ」という考えには、まず明確な根拠がありません。
 そりゃ中二病は見てるこっちが恥ずかしくなるのは確かですが、
 基本的に人畜無害なものですから。


 そもそも(ネット上における)中二病というのは、
 邪気眼型やら尾崎型やらいくつかの類型があるもののその根底は共通している部分が多いです。
 端的に言うと

・自分の中に自分の為の世界を作って、その世界に浸る。
・あるいは自分に自信が持てない(明確なアイデンティティが欲しい)から、
 漫画やラノベやゲームにあるような“設定”を自分に適用して、表面を取り繕う。
・その結果、自分の世界やハリボテの個性を他者にアピールする。


 というのが中二病の特徴と言えます。

 ……で、そういった中二病に対して明確な根拠のない、
 過剰な嫌悪や忌避というのもある種、その中二病に似た病的な状態にある人間である、
 という考えがネット上で提唱されています。
 広く言えば「他者の世界を否定する事でアイデンティティを保とうとする」。

 いわゆる「高二病」というやつですね。

 つまり何が言いたいかと言うと、中二病的作品や作者が卑下・嘲笑される事があれど、
 中二病は絶対に忌むべきものではない、という事です。



 次に何番煎じや定番メニューというという事についてですが、これも少し違います。
 「中二病が書くと劣化コピーになりやすい」という点は合ってはいるんですが。
 他の方の発言にも踏み込む事になりますが、何番煎じの定番や王道とも少し違いますし、
 深く突き詰めない安っぽい世界というのも少し違います。

 より正確に言うなれば、結果そうなっている事が多いんです。

 補足すると、中二病はそういった「王道」や「定番」をむしろ忌避する傾向にあります。
 「誰かと同じ」というのを嫌います。
 これは先程言った「他者とは違うアイデンティティが欲しい」という原理に起因します。

 そして自分の作品にも「他者とは違うアイデンティティ」を求めて――
 よりストレート言うと“個性”を履き違えたままで“個性”を出そうとして、
 自分の世界という狭い中からこしらえたハリボテの個性で奇をてらおうとするんです。

 つまりハリボテだから中身がなく何ともないようなものになってしまう、といった感じでしょうか。
 他にも「中二病たちがこぞってそれを行おうとして逆転現象が起きている」とも
 「奇をてらおうにも見識が狭いせいで独創性を出せない」とも言えますが。


 というか、はっきり言ってしまうと彼らは上記のプロセスにすら至らない事もあります。
 いや、むしろこのケースは多いかもしれません。

 というのも彼らは設定を考えまくる、いわゆる「設定厨」的な側面を持っている事が多く、
 設定に労力を割くわりに内容は……という事がしばしば見受けられます。
 恐らくその「創作のバランスの悪さ」や「作品の拙さ」を指して
 「中二病はよくない」と言われているんじゃないかと思います。


 ……話が長くなりました。中二病の処方箋でしたね。

 結論を言いますと、中二病の処方箋はまず「客観」を効能が現れるまで、
 自分の中の世界に浸るのを一旦やめて、
 客観性を持って自分自身を見れるようになってきたら「見識」を。
 創作関連を始めた色々な知識をある程度蓄えたら「自分なりの創作論」を。
 そうしてやっと、自分らしい作品が書けるようになってくるんだと思います。


 個性や格好はつけるものではなく、自然とにじみ出てくるものだと思いますから。
 ってあんまり関係ないですね。

 何だか余談ばっかりのような気がして申し訳ないですが、以上です。ではでは。


紫陽さんからの意見
 はじめまして、紫陽です。
 そうですね〜。

 中ニ病については私は忌むべき病気とは思いませんね。
 知り合いもかかりましたが、なんとか抜け出せまして。
 
 今は仲間内に見せるだけですが、その当時の作品はどのジャンルに分けるべきか悩みましたね。
 始まりはバトルもののような雰囲気だったのに終盤までラブコメ、
 結果的にバトルもののような終わり方でしたね。

 食用ウサギ様の言う
> 取り留めの無い文章を長々と書きましたが、中二病の処方箋は、2錠の独創性と3錠の意外性、
 そして1錠のアイデアだと思いますが皆様はどう思われますか?


 ↑とおりですね、何と言われても独創性とアイディアを出し続けるのがいいそうです。
 って、なぜか支離死滅になる、
 少し寝不足かもしれません。すこし休みます、それでは。

萌え・美少女・美形・BLについて
その他・創作上の悩み
世界観・リアリティ・設定についての悩み
タイトル・ネーミングについての悩み
やる気・動機・スランプについての悩み
作家デビュー・作家生活・新人賞・出版業界
上達のためのトレーニング・練習法について
読者の心理・傾向について
使うと危険なネタ?
恋愛・ラブコメについての悩み
ライトノベルについて
文章・描写についての悩み
人称・視点についての悩み
推敲・見直しについての悩み
コラム(創作に役立つ資料)
批評・感想についての悩み
ネットでの作品発表の悩み
ストーリーについての悩み
冒頭・書き出しの悩み
プロットについての悩み
キャラクターについての悩み
主人公についての悩み
セリフについての悩み
オリジナリティ・著作権・感性
テーマについての悩み
二次創作についての悩み

 携帯版サイト・QRコード
  
第4研究室は小説を書く上での質問・悩みをみんなで考え、研究する場です。
質問をされたい方は、創作相談用掲示板よりお願いします。
質問に対する意見も募集します!
投稿されたい方はこちらの意見投稿用メールフォームよりどうぞ。
HOME|  第1| 第2| 第3| 第5| 鍛錬室| 高得点| CG| 一押| 資料| 掲示板|  管理人| 免責| リンク| メール|