第4研究室 創作に関するQ&A 518P | トップへ戻る |
ぐらたんさんからの質問 2009年9月
 命の重さ・キャラクターが死ぬ意味について
 
 「安易にキャラクターが死んだりするのは命を軽視しているような感じがして不快だ。」
 というコメントが掲示板にありました。
 他の質問でも度々こういうコメントをみかけます。そこで疑問に思うのですが、
 じゃあ、安易じゃない死とはどういうものなんでしょうか?
 命を軽視していない死って何ですか?

 掘り返してみれば、事故にしろ、病気にしろ、誰か殺されるにしろ、
 何か重たい意味のある死なんて、ほとんどないんじゃないかな? って私は思ってしまいました。
 皆さんはどうですか? 


●答え●

アンデッドさんからの意見

 「フィクションですから」という言葉で片付くとも思いますが、
 軽い命・軽い死というのも表現の内の一つですからね。
 選択肢の一つに過ぎないと思います。
 書かれている様に、現実ではそうではないという訳でも無いですから(同時にそういう作品も沢山有り)、
 そういった事が創作で表現されてもおかしくは無いです。

 該当コメントは見てないですが、不快と感じるかは、好みの問題だと思います。
 
 現実では不快な事も沢山ありますから、例えばそれを写実的に表現したとするなら。
 好みの問題であって、それをして良い悪いと言う話なら大局的に見れば的外れなコメントとも取れますね。
 選択肢を狭めるだけで、創作の多様性の上で余り良い事は無いとも思います。
 
 例えば命や死の軽さを表現する事で、
 命の重さや命とは何かという事を逆説的に表現してる作品群もありますからね。

 
 戦争映画なんかも解り易いです。
 結果的に作品の質も問われている訳で、良い・面白い・素晴らしい作品であれば、
 そういう要素も含めて許容さていきます。
 逆にそういう手法を使ったら作品の出来や質が落ちる、と実証する事も出来ません。
(反面素晴らしい作品も沢山あります。ありすぎるぐらいに)
 結論を言うと、僕は問題にするまでも無いと思います。


マクベスさんからの意見

 「死」そのものは、ただの事象です。原因が何だろうと、「死」は「死」以外の何かではない。
 だから、「死因」を区別して、それに価値を求めるのは論点が違います。

>事故にしろ、病気にしろ、誰か殺されるにしろ、何か重たい意味のある死なんて、
 ほとんどないんじゃないかな? って私は思ってしまいました。


 これらは「死因」であって、これに価値の違いを求めるのは論点が違います。


 「死」に価値(あるいは意味)を与える(あるいは求める)のは、

・死に逝く者が、何を思ってその死に臨んだか。
・「死」によって、周囲にいったい何が成されたか。

 当人と周囲、複数の観点(「周囲」は一つの観点とは限らない。また、作中の人間のみならず、
 作中から離れた読者の観点も含む)からのものです。
 事象は一つでも、「価値」はいくつも発生します。


 結局のところ、「死」はそれを見つめる人間(本人も他人も両方)が、
 その「心」の内でどう受け入れるか次第でどんな価値も持ちえます。


 抽象的な物言いではありますが、こういうのはグダグダと言葉を重ねると、
 かえって伝わらないと思いますので、私からはここまでとしておきます。


 ちなみに――

> 「安易にキャラクターが死んだりするのは命を軽視しているような感じがして不快だ。」というコメント

 ここで問題になるのは「小説としての安易さ」の結果としての読者の印象、ですね。
 「安易」という言葉は「死」という事象それ自体ではなく、「小説」という表現方法にこそかかっている。
 極端なことを言えば、例えば恋愛モノを書いていて、途中に全く伏線もなく話に全く絡むこともなく、
 物語とは全く関係のないところで、最後に一行「人類は隕石の落下によって滅亡しました」
 と言われるようなものです。
(最初から、人類滅亡直前の最後の恋物語、として展開するのではなく、全くの突然に、ということです)

 作者がどれだけの価値をその「死」に込めようと、
 「そこまでに培ってきた小説の内容を裏切って」
 読者に提示すれば、読者の心証が悪くなるのは当然です。

 「結果としての作者の実力不足」で、読者に「死」の価値を伝えられなければ、
 そこに「読者にとっての価値」はありません。
 勿論、読者は唯一ではありませんから、
 それに価値を見出す読者とそうではない読者が別々に現れることも、ありえることではあります。


飛車丸さんからの意見

 作者の都合で殺されているかどうか、ですね。
 作中でどれほど命が軽く扱われていようと、それはまた別の話です。



ひなげしさんからの意見

 こんにちは、では早速。

 あくまで私見ですが。
 命の軽重は、人間が決めるものです。死そのものに、あるいは生そのものには意味はありません。
 誰が死のうが社会は動き、地球は回り続けます。
 しかし、人間が決めるということは、人間である私たちにとっては意味があるということです。

 たとえば、お国のために命を懸けることが正しいこととされた時代、
 多くの人が国のために命をおとしましたが、残された人々はそれには意味があるのだと信じました。
 死んでいった人も、そこには意味があるのだと信じていたはずです。

 本当に意味があるかどうかは関係ありません。
 意味があると信じるその心が大切なのではないでしょうか。
 そしてそこに、軽重が生まれるのだと思います。
 ですので、安易ではない死、命を軽視していない死とは、そういった、人の想いこそが重要なのです。

 もちろん、安易な死、軽い死をわざと書くというのも物語としてはありですけどね。

 ではでは。


獄兎ロクさんからの意見

 なんだかんだでクライマックス全てに死がはいるのが安易なのではないのでしょうか。
 
 つまり“キャラを殺さないと盛り上がりや感動を演出できない”
 ということが問題なのではないのでしょうか。
 確かに誰か死ぬと(不謹慎ですが)盛り上がります。が、
 それしかできないのは馬鹿の一つ覚えです。


 準ヒロインもかっこいい敵幹部もライバルも誰も彼も殺すなんて“
 死”のバーゲンセールでしかないと思います。
 そんな作品で最後に主人公が死のうが何しようが重みが無いです。

 というのが私の考えです。


龍閃さんからの意見

 こんばんは、ぐらたんさん。

 ぐらたんさんの文章を見ていると、「重い死と軽い死」の意味が少し違っていると思います。
 件の回答者も、他殺自殺事故などの死の原因には、重い軽いをつけていないのではないでしょうか。
 原因ではなく、過程もしくは結果に意味があるかどうかが、重い軽いの基準になっていると思います。
 これは、他の方の答えと同じ事を言っていると思います。

 特に、物語に限って重い軽いを言えば、その死によってどれだけ感動を与えられるか、
 それに尽きると思います。


 他の方がもう大分仰っていますから、見当違いを覚悟で別な言います。
 「誰か(何か)が死ぬ」というアイデアは、人類の誕生と同じか、
 あるいはそれより古いアイデアと言えるでしょう。
 世の中の神話・伝説を見れば、死から始まる物語も多いのでは?

 今も、ドラマ、映画、マンガ、アニメなど、メディアを問わずに「死」なんてたくさん描かれているわけです。
 不適切かもしれませんが、あえて言えば「ありきたり」で「見飽きたネタ」なわけです。
 「死亡フラグ」という言葉は、まさにその象徴と言えるのではないでしょうか。
 そんな「死」ネタを使うのですから、過去の作品の「死」と比べられるのは当然で、
 多少面白い程度では感動して貰えないわけです。

 一方で、「死」というのは誰もが少なからず不安を覚える現実なわけで、
 それを突きつけられて愉快だという人は少ないでしょう。
 このプラスとマイナスの計算結果として、
 「この程度の面白さしか表現できないなら、死を使わなくても良いんじゃない?」
 という意見が出てくるのではないでしょうか。
 もちろん、全く違った方向からの発言という事も考えられます。
(世の中には、創作物の架空人物にも人権を、という潔癖症の思想がありますから。)

 私の考えは以上です。

 結果として、私は娯楽作品の書き手ですから、面白ければ勝ちだと思っています。
 その中で使われた死が面白さになれば、軽いと言われても重いと言われても狙い通りと言うと思います。


バルカンぴじょんさんからの意見

 命は概念であるため質量を計測する事は不可の……ああ、独り言です。

>掘り返してみれば、事故にしろ、病気にしろ、誰か殺されるにしろ、何か重たい意味のある死なんて、
 ほとんどないんじゃないかな? って私は思ってしまいました。


 その通りです。死んでもいいことなんて何一つありません。
 だから人間は生きるべきです。
 生きると言うのはたんに、ぼさっと突っ立っている事ではなく、活動する事です。
 そして、危険を察知すれば、可能な限り回避する。

 つまり人が死ぬと言うのは……
・何らかの理由で危険を察知できなかった(落石など)
・何らかの理由で危険を回避しそこなった(自動車事故など)
・そもそも回避不能な種類の危険だった(病気、老衰)
・何らかの理由で危険を回避する気がなくなった(自殺とか)

 このどれかに当てはまるのです。
(ちなみに最後の一つが諸事情により読者から歓迎されない事は同意して頂けますね?)

 もし登場人物が、危険を察知できて、回避するだけの余裕もあり、
 絶対回避不能な危険ではなかったと言うのに回避しなかったなら、
 作者の作為が感じられることになり、それが読者から顰蹙を買う訳です。



TOMさんからの意見
 どうも、TOMと申します。

 確かに死因に重たさを求めるのは変です。
 人間の死を重たいだの軽い、などと言う資格は誰にも無いでしょう。
 しかし、「安易にキャラクターが死んだりするのは命を軽視しているような感じがして不快だ」との事です。
 小説の中には命の重さはあるのではないでしょうか。
 少なくとも命を重く表現する事も、軽く表現する事も出来るのです。

 確かに死は、人生の中で大きな出来事です。自分然り、家族友人と、死の影響力は強いです。
 当然小説の中でも、最大級の演出イベントだと思います。

 所詮キャラクターは、作者の考えで動くのですから、結局は作者の都合で死ぬのです。
 しかし、それを読者が感じることが問題なのではないでしょうか。


 自分の個人的な感じ方なのですが、自分は必然性の無い死に方に軽さを感じます。

 人間の死に必然性なんて無いでしょうが、キャラクターの死には必然性が欲しいです。
 そうでないと単なる演出道具のままで終わってしまう気がします。
 他には作風に合っていない死はしっくり来ませんね。
 戦争なのに誰も死なないって言うのにはご都合主義は、死んではいませんが、命の軽さを感じます。

 少しでも参考になれば幸いです。


剣さんからの意見
 クライマックスで主要キャラを1人死なせました。剣です。

 小説において安易な死というのは展開上不自然に登場人物を死なせることじゃないでしょうか?
 描写がうまくいってなかったりした場合もそうです。


 そもそも死に命を軽視するも何もありません。死とはそういうものです。
 他の人も仰ってますが、あくまでも人のとらえ方でしょう。
 例えば戦争で爆弾が落ちてきて多くの人が死んだとしましょう。
 軍の幹部とか大きく見れば人一人の命は何てことはありません。
 ですが、その死んだ人の身の回りの人からすれば大きいものなのです。
 とらえ方が違うとこんなにも違うのです。

 重たい意味のある死なんてほとんどないんじゃないかな?
 とのことですが、重たい意味を見いだすのも人それぞれです。
 これ自体は議論しても根本的に深い部分に直結しているので正しい答えはないでしょう。
 他の物事もそうですが、死に関する認識も人それぞれなので一概にそうだとは言えないのです。
 解答になってませんがこれで失礼します。


ひすいさんからの意見
 どうも、ひすいと申します。

 現実世界において、人間ひとりが死ぬことではたして周囲はどうなるでしょうか?
 家族が悲しむ、友人が悲しむ。
 死んだ人が会社に勤めていればもしかするとその死によって様々な不都合が起こるかも知れませんし、
 ある一定の地位にまでなればそのひとの地位で会社が左右されることだってあり得ます。
 有名人ならば大きな葬儀が行われてもおかしくはありませんし、
 残念ながらそのひとが犯罪者であったりすれば、
 その人が死ぬことで安心したりするひとがでてくることだってあるかもしれません。

 しかし、いくらそのひとが犯罪者であったとしても、死んで悲しく思う人は当然いるわけです。
 だから死刑廃止の考え方だって存在しているわけですし、
 そのための結論が今になっても出きっていないわけです。
 
 これって、如何なる世界でも言えることなんじゃないかと思うんですよ。
 生前どんなことをしていたひとであれ、そのひとの「死」というのは、
 そのひとの周囲になにかしらの影響を残すわけです。
 ファンタジーにしろ、ミステリーにしろ、ホラーにしろ、恋愛ものにしろ。

 安易な死というのは、そんな「周囲の影響」などには目を向けず、
 ただ「ストーリーに必要だったから殺す」みたいな感じで、
 死んでおしまいにしてしまっていることなんじゃないかなぁ、と私は勝手に解釈しています。
 その人物が死んだあとに、残された世界のひとびとはどんな影響を受けるのか。
 多少なりともそういったことまで考えられているものが
 「安易な死」ではないものなんじゃないかと思います。

 では。


mi-coさんからの意見
 mi-coです。

 以下は、小説という枠組みの中での『死』に限定してのお話です。

 個人的には、『安易な死』って、
 作品の登場人物が死んだ場面で読み手に生まれる、一つの感情なのではないかな、と思います。
 『安易な死』というのは、殺されるやら自殺するとか、
 そういう死に方を意味する言葉ではないのでは、と思います。
 
 極端な話、読んだ人が『安易な死』だなぁ、と思ったら、その人にとって、その死は『安易な死』です。
 逆もまたしかりです。一つの目安はあるのかもしれませんが、読み手の感情が全てです。
 その人物の死に対して、『安易な死』だと思う読者が多いか少ないか、それだけの話だと思います。

 なので、『安易じゃない死』ってどういうものなのか、を聞くのではなく、
 なぜ、その人は『安易な死』だと感じたのか――を考えたほうがいいかもしれません。


 主観的ではなく、客観的に物事を捉えてみる、ということですよね。
 誰かの気持ちになって、ある一つの事柄に対して考察してみるということは、
 小説だけではなく、むしろ色々な分野においても、勉強になるのではないかな、と思うんですよね。
 いや〜、偉そうですね。ごめんなさい><

 以上です
 ではでは、失礼しますね〜。


サイラスさんからの意見
 どうも、サイラスです。

 ライトノベルでは、そのキャラが、死ななきゃならない説明や筋道立てがきちんとあるかどうかで、
 その死が安易でないかがわかります。
(ただ、理不尽な死を表現したいときは、敢えて、その説明や道筋をぼやかすことがあります)

 例えば、死ななくてもよい状況なのに、死に急ぐようにキャラが特攻したり、
 盛り上げるために主要人物が次々と死ぬのが、今考えられる、安易な死といえます。

 
> 掘り返してみれば、事故にしろ、病気にしろ、誰か殺されるにしろ、何か重たい意味のある死なんて、ほ
 とんどないんじゃないかな? って私は思ってしまいました。

 この発言(表現のほうが正しいかな?)は少々、問題な気がします。
 ぐらたんさんは、ご家族や親しい人が亡くなって、葬式に参列したことがありますか?
 もし、そうなら、じゃあ、あなたは、自分の親しい人が亡くなっても何も感じないのですか?
 と言われるような印象を受けます。人の死は、残された人に大きな意味を残します。
 
 人は、ある日、突然亡くなる時もあるし、
 戦争とか自殺とかでイデオロギーや思想や宗教的な発想で自ら命を断つ人もいます。
 幸い、僕らの時代は、医療の進歩等で、人が死ぬという機会を(ある程度)先延ばしにできるし、
 自殺するという選択もしやすい(本当はいかんのですが……)状況にでもあります。
 
 だけど、同時に、人は死なない、死=リセットという錯覚を与え、
 命をゲームキャラみたいに気に入らないなら消すという賢しい知恵によって、
 狂ったサルを生み出している状況でもあります。
 人は死んだら、よほど、その人の全記録を復元できる技術ができない限り、元に戻りません。
 命を軽視しないというのは、結局、そういうことをちゃんと理解して、
 発言できるや表現ができることだと、私は、結論付けます。

 つい、熱く言ってしまいました、ごめんなさい。
 以上が、乱文ながら、私の答えです。では。


風月堂さんからの意見
 人間の死とは自然現象であるとともに社会現象でもあると思います。

 死の意味は、生理的な「死」それ自体ではなく、
 死を「いかに語るか」にかかっているのではないかと思います。


 たとえば、既に例示のあるような戦争なら、
 戦死について、戦史や将官の視点から「犠牲者数の一カウント」として見るのと、
 一戦死者としてその「個人の生き様を語る」のでは、戦死者1名でも重みが異なりますし、
 また敵・味方の視点によっても変わります。

 加えて、悲壮感なり無常感といったように一定のイメージを強調したり、
 あるいは"名誉の犠牲"とか"誤った国家政策の犠牲"
 といったような何がしかのメッセージを込めて語ることによっても、
 死のイメージ・重み付けの度合いが異なってくると思います。

 従って、死の意味というものは、自明のものとして存在するのでなく、
 意味を与えること、そのように描くことの問題であって、
 語り方や視点・観点、メッセージ性などによって、意味が生じる(無意味さを説く)事になるのです。


 むろん、一個人としてみれば、あるいは遺族としてみれば死は悲しみを感じることではありますが、
 しかしだからこそ、死は社会現象でもあるということに気が付きにくいのではないでしょうか。


 創作について言えば、"死が軽く見える"というのは、ご都合主義といいますか、
 死を描く(題材として用いる)ことが安直に"見える"ことが問題なのだと思います。

 登場人物や作品にとっての必然性を感じられない、
 話の流れにそぐわず唐突さや違和感を感じさせる、
 あるいは"凡庸でつまらない"という印象を持った場合には、
 死がよくある題材だけに「死を安直に題材にしている」という印象を抱きやすいのではないかと思います。

 そういう意味では、創作における「安直に死を扱っている」という印象は、
 他の方が仰るように、「読者が感動するか否か」によるのではないかと思います。


 現実では死の語り方、創作では読者の心を動かすか否かによって、
 「死の重み」は変わってくるのではないかと思います。

 それでは。


ひろっさんさんからの意見 2012/12/28
>「安易にキャラクターが死んだりするのは命を軽視しているような感じがして不快だ。」

 こういったコメントは、その創作物を読者が隅々まで読んでいるわけではないってことの証です。

 たまに、斜め読みした小説やページを飛ばして読んだ漫画について、したり顔でこんなことを言う人もいるんですよ。
 その一言でその作品のすべてを否定した気になって、悦に浸る性質の悪い読者もいます。

 キャラクターが死ぬ意味についてですが、安易っていうのは、大した理由もなく死ぬってことだと思います。

 登場人物がバタバタ死んでいく名作だってあるんですよ。
 そういう作品では、結構死ぬキャラクターについてどんな想いでその場に立っているのかなど、回想で描写されることが多いように思います。

 そうやってキャラクターの死を重くする手法も、結構使い古されてきてはいるんですけどね。
 私が知っているのはこんなところです。

 ああ、現実で人が死ぬことに意味なんて、ありませんよ。
 そういうのは生きてる人間が勝手に考えてるだけです。
 私は人の死に意味を持たせたがるのは、人間の傲慢さの表れだと思っていますから。

 それでは、この辺で。
 何かの参考になりましたら幸いです。


あまくささんからの意見 2012/12/31
 私は子供の頃から家族との死別を何度か経験しています。
 物語の中で人の死が「安易に」扱われていると感じた時には、不快に思うことが無いとは言えません。

 一つだけ勘違いしてほしくないことがあります。
 作品の中で死を扱うことが安易なのではないのです。
 死の扱い方が安易であれば、不快に思う人もいるということです。

>じゃあ、安易じゃない死とはどういうものなんでしょうか?
>命を軽視していない死って何ですか?

 人間の死をはじめ、小説の中で悲惨なできごとが扱われることはあります。それは別にかまいません。
 しかし、そのような悲しい経験をしたことのある人間が現実にも存在することだけはお忘れなく。
 確かにすべての人間は一度は死ぬのだし、死なんて大したことではないのかもしれません。しかし、人の死によって悲しむのは故人ではなく残された人間です。
 そういう人たちがその小説を読んでどう思うか。そのことを一度は考えてほしいのです。

 誤解してほしくないのは、だから死を扱った小説を書いたらダメだって言ってるんじゃないんですよ。

 同じような経験をした人が現実にいるかもしれないことを書き手がよく考えた上で、その作品を書くべきかどうか? 書くとしたらどのように書くか? そのことを考えた上で書かれた小説であれば、死を扱っているとしても「安易ではない」「命を軽視していない」作品になるだろうと思います。

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