『ベン・トー』(2008/2/22刊行)は、半額弁当を巡って閉店間際のスーパーで超人的なバトルが行われるという設定の作品です。
半額弁当をゲットするために、《氷結の魔女》、《死神》、《帝王》といった二つ名を持つ超人的な格闘技術を持った猛者たちや、軍隊のような組織がぶつかり合います。
この格闘漫画のパロディのようなシュールさが、笑いを誘います。本人たちは大まじめなんですが、その大まじめなバトルが『半額弁当を手に入れるため』という庶民じみたものであるため、そのギャップから笑いが生まれるのです。
物語の根幹をなす設定が、笑いを誘う構造になっています。
「魔道士(ウィザード)……」
誰かが口にした。魔道士(ウィザード)と呼ばれた男は、何を考えているのか最前線にいるというのに弁当の棚を背にし、アラシたちの方を向いていた。まるでここから先は行かせない、とでも言うように。
「来い、豚ども。今宵お前たちにエサはない」
彼は、天災とさえ呼ばれるアラシを、豚と呼んだ。
引用『ベン・トー』(2008/2/22刊行)
このシーンは、アラシと呼ばれる屈強なラグビー部員たちを相手に、魔道士の異名を持つ高校生、金城が戦いを挑んだところです。少年ジャンプを刊行する集英社のスーパーダッシュ文庫の作品であるためか、半額弁当を奪い合う庶民的な争いを熱血格闘漫画風に描いています。
格闘漫画のパロディ、弁当を奪い合うというアホな目的の2つが、このシーンを笑える場面に変えています。
秀逸なのは、シリアスなシーンとも読めることです。笑っても良いし、シリアスな場面として感情移入しても良い、一つで2つ美味しい構造になっています。
『僕の妹は漢字が読める』 (2011/6/30刊行)は、世界観が、笑うしかない設定になっています。
なんと「萌え」を題材にした小説が正統派文学として権威付けられ、漢字が使われなくなった2202年の日本を舞台にしているのです。
主人公であるギンたちは、萌えが浸透する前の平成の日本にタイムスリップしてしまいます。正統派文学をこよなく愛するギンは、そこで知り合った美少女、柚子の亡き兄の意志を継ぎ、萌えを広めるために奮闘します。
彼は純文学が好きな文芸部の部長と対決するのですが、未来において、部長が好きな森鴎外の『舞姫』が『まいひめ!』と名前を変えてリニューアルされていると語ります。
「人気イラストレターのヌメジルさんが挿絵をつけました。ヒロインのエリスは銀髪にオッドアイのエロかわいいちみっこです。追加ヒロインもいてハーレム度がアップ。エリスがトヨタロウにヤキモチやきまくり。パンチラも大増量でお腹いっぱいです」
「なんとひどい……。『舞姫』をおとしめたいのですか?」
中略
「部長さん……時代が変われば文化も変わるんです。時代に合った衣を着せることで、古い作品も人気が出る。あなたはその衣だけで別物と判断してしまうんですか!」
引用『僕の妹は漢字が読める』 (2011/6/30刊行)
物語の根幹となる設定が、笑いを誘う構造となっていると、作中で登場人物たちがまじめに行動すればするほど、笑いがこみ上げてくるという状況が生まれます。
ギンは、ここでは真剣に未来世界の正統派文学である萌えの素晴らしさを伝えようとしています。決して、ふざけている訳ではありません。実際に、ドストエフスキーの『罪と罰』を、手塚治虫が漫画化しており、名作に時代に合った衣を着せるという行為は、昔からよく行われて来たものです。
しかし、『舞姫』のリニューアルが徹底されすぎていて、もはや原型を留めていないので、そんなものは舞姫ではないという部長の反論もまた正しいです。
このように二人とも大まじめで正しいことを語っているからこそ、価値観の違いが際立って笑えます。
『僕の妹は漢字が読める』は、主人公が萌えこそ正統派文学だと信じて、まったく恥ずかしげなくその価値観にしたがってトラブルを巻き起こすストーリー展開、価値観の衝突が笑いの味噌になっています。
また、このシーンは『ベン・トー』で引用したシーンと同じく、主人公が萌えの素晴らしさを伝えようと戦うシリアスなシーンでもあります。これまた、一つで2つの味が楽しめる構造になっています。設定を工夫することで、笑いを誘ったり、一つのシーンに2つの意味を持たせることができる訳です。
また、この作品の会話や作風は、既存のライトノベルやオタクコンテンツの風刺やパロディにもなっています。このため、オタクコンテンツに慣れ親しんでいればいるほど笑えます。ターゲット層をかなり意識して作られた作品と言えるでしょう。
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