ライトノベル作法研究所
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  4. ハッピーエンドとバッドエンド公開日:2012/01/09

ハッピーエンドとバッドエンド

 ライトノベルは、読み手に快感(カタルシス)を与えることを目的にした娯楽であるため、物語の結末は大団円、すなわちハッピーエンドで終わらせるのが基本です。

 敵対勢力に抑圧されてきた主人公の目的完遂の意志が遂げられ、すべてが丸くおさまった状態がハッピーエンドになります。
 しかし、世の中に名作として残っている伝承・童話・昔話には、意外とバッドエンドで終わっている物が数多くあります。

 実はバッドエンドで終わると「この作品の意味は?」と、深くテーマを考えさせられ、「もし、ここで主人公たちが勝っていたら?」と、Ifの想像力を掻き立てられるため、長く印象に残る傾向があるのです。

 例えば、アンデルセン童話の『マッチ売りの少女』などが、これに該当しますね。
 この物語は、『寒空の下、餓えた少女が、暖を取るためにやむえず売り物のマッチに火をつけ、温かいストーブや御馳走、優しかったおばあさんの幻影を見ながら、冷たくなって死んでいく』というまさに悲劇です。
 快感なんてまったくありませんが、作品の意味を深く考えさせられます。

 また、ヨーロッパの伝説の中でも最高峰と言われる『アーサー王伝説』は、聖剣を引き抜いてブリテンの王となったアーサーと、彼に従う12人の円卓の騎士たちの英雄譚です。
 名君としてブリテンの地を救ったアーサーでしたが、最終的には、右腕だった騎士ランスロットに裏切られ、カムランの戦いで討ち死にしてしまい、ブリテン国は滅びてしまいます。
 ただ、伝説上ではアーサー王は死んだのではなく、聖剣エクスカリバーを湖の妖精に返した後、小舟で異界にあるアヴァロン島に傷を癒しに行ったのだ、とされています。
 史実では、戦死とされていますが、それではあんまりなので、その後の伝説では、このようなIf物語が作られているのですね。

 悲劇の英雄は、人々の想像力を掻き立てるのです。

 アーサー王に限らず、才能を持ち人望が厚かったにも関わらず、運命のいたずらで勝利者になれなかった不遇の英雄というのは、神格化されやすいのですね。
 西洋なら他にジャンヌ・ダルク、三国志なら劉備玄徳、日本史なら織田信長、源義経が該当します。
 最後は、負けてしまうのに、いや、負けてしまうからこそ、彼らは大人気!
 その証拠に、火刑にされたジャンヌ・ダルクが実は生きていただの、三国志で劉備が天下を統一する、織田信長が本能寺で死なずに野望を完遂する、源義経がモンゴルに渡ってチンギス・ハーンになるといったIf物語や異説が数多く作られています。
 もし、彼らの伝説がハッピーエンドで終わっていたら、こうはならなかったでしょう。

 もう一つ、名作と名高い『フランダースの犬』を例にあげてみましょう。
 終盤、主人公の少年ネロは、たった一人の身内のおじいさんに死なれてしまいます。
 さらに、風車小屋が燃えた火事の放火犯との濡れ衣を着せられたことにより、村を追い出され、絶望のどん底に突き落とされます。
 最後は、空腹と寒さが原因で、愛犬のパトラッシュとともに雪の積もる大聖堂で死んでしまう、という救いの無い終わり方をします。

 あーん、パトラッシュ!

 この物語が悲劇的なのは、ネロの画家としての才能が死ぬ間際に認められ、放火犯の疑いが晴れたにもにも関わらず、彼がついぞそれを知ることがなかったこと。
 ネロがどうしても見たかった、ルーベンスの名画を大聖堂で目にして、そこで満足して力尽きてしまったことです。 

 人間は「才能がありながら、悲劇で終わった人物の物語を好む」傾向があるのです。

 ただし、無意味に主人公を死なせたり、最後まで盛り上げておいて、敵が勝利したりする物語は、お勧めできません。
 なんだよ、そりゃ! ふざけているのか!? と読者から大ブーイングを受ける危険性大です。
 バッドエンドというのは、非常に難しいのです。 

  1. 意味のあるバッドエンド
  2. 意味のあるハッピーエンド
  3. 意味のないハッピーエンド
  4. 意味のないバッドエンド

 人が「良い作品」として印象に残るのはこの順番だと言われています。

 つまり、悲劇が人に強い印象を残すからと、たいした理由もなくバッドエンドにしてしまうと、最低の駄作になってしまうという地雷を踏む訳です。
 よほどの自信がなければ、バッドエンドには挑戦しない方が良いでしょう。
 三国志やジャンヌ・ダルクの物語がバットエンドでも受け入れられるのは、史実を元にしていて説得力があるからだと考えられます。

 また、完全なバッドエンドではなく、読む人の主観によってハッピーエンドかバッドエンドか意見が分かれる結末や、なんらかの救いがあるバッドエンドというのもあります。

 日本昔話の『竹取物語』などはこの代表格。
 主人公のかぐや姫は、育ての親であるおじいさんやおばあさん、帝に全力で引きとめられながらも、最終的には月に帰ってしまいます。
 かぐや姫が地上で関わった人たちは、彼女がいなくなったせいで、たいそうな悲しみに耽るわけですが……
 かぐや姫本人は、当初の予定通り月に帰った訳ですし、地上で大勢の人に愛され、惜しまれたので、ある意味、有意義な終わり方だったと言えると思います。
 おじいさんとおばあさんも最初は二人だけの貧乏暮らしだったのに、かぐや姫を拾ったおかげで、子宝に恵まれた上に、莫大な財産を手に入れ、帝や有力貴族とも繋がりが持てるほどの有力者になりました。
 とすると、主人公は目的を果たし、周囲の状況もプラスに転じていると言えます。

 でも、なぜかしっくりこない、これで本当に幸せだったのか?
 と、読者に考えさせてしまうところが、竹取物語のミソですね。

 もし、かぐや姫が月からの迎えの使者に飛びひざ蹴りを喰らわせて、帰りたくないと全力で駄々をこねていたら……
 もし、彼女が月に帰らなかったら、どうなっていたのだろう?
 というIfの発想がそこに生まれ、かくして竹取物語は深く印象に残る物語となっていくわけです。

●バッドエンドの名作・その他
 『ロミオとジュリエット』 『人魚姫』 『浦島太郎』 『漂流教室』 『機動戦士Zガンダム』 

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