ライトノベル作法研究所
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  4. 盗作騒動の原因公開日:2011/12/20

引き出しが多ければ盗作とは見なされない

 作家の日昌晶さんは、書籍『ライトノベル新人賞攻略』の中で、

 パクリ疑惑を持たれるか否かの違いは、作者の引き出しの多さに関わっていると述べています。

 多種多様なジャンルの知識が頭にインプットされている場合、それらを組み合わせて、
 自分独自の色を持った作品を作り上げることが可能になるのです。

 逆に作者の引き出しが少ない場合、例えば、最近、読んだ小説がすごくおもしろくて、よし、自分もいっちょ小説を書いてみよう!と思い立って書き出したとしましょう。
 この場合、感銘を受けた小説の影響を多分に受けることになります。
 実際に、ハリーポッターが話題になった次の年には、似たようなファンタジー作品が新人賞に山のように送られて来た、という話を聞いたことがあります。
 これでは何を参考にして書いたのか、丸わかりです。

 日本では、どの地域に生まれても、教育環境や娯楽環境に大差がありません。
 珍しい文化の中で育ったり、海外作品、古典、歴史書などに目を通している人は少ないです。
 わざわざ苦労して、読みにくい海外小説や過去の文学作品を読むより、最初から口当たり良く作られた、漫画やラノベ、アニメなどで楽しむことを選びます。

 このため発想の原点を、感動した人気サブカル作品に求めてしまいがちになるのです。

 実際に、デビュー作において盗作が発覚して消える新人作家は、まだ経験が浅いであろう20歳そこそこの若い人が多いです。
 電撃小説大賞「俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長」の哀川 譲(21歳)氏、
 モバゲー小説大賞『メビウスの輪』の咲かない花(23歳)氏など。
 この両者に共通するのは、ラノベ界とギャルゲー業界で屈指の人気を誇る有名作品をパクったことです。

 ファン層が共通している業界の有名作品をパクれば、すぐに発覚して問題に発展することなど、わかりそうなものですが、彼らはそのような危機感を持っていなかったようなのです。

 出版社は、若い才能を持てはやしますが、彼らは、まだプロ作家としての修行が足りず、商業出版を取り巻く暗黙のルールにも無知でありすぎたのだと言えます。

 本当に実力がある作家は、盗作騒動に巻き込まれることは、まずありません。
 盗作疑惑を向けられる作家は、一作品だけでなく、何作品もの自著に疑惑を向けられています。
 偶然、ストーリーや設定が被るというのなら、せいぜい一作品だけが疑惑の対象となるでしょうが、そうではないのです。

 盗作疑惑を向けられ続けるというのは、作者の知識、経験の総量が足らないか、それらを自分の血肉に昇華する能力がないかのどちらからです。
 どちらにしても、実力不足と言えます。

 これを証明する資料として、2006(平成18年)年4月30日日曜日の読売新聞の記事で、
 芥川賞受賞作家にして東京都知事の石原慎太郎氏が語っていたことを引用します。
(ナザレ記狸子さんからの情報提供)

 作家の想像力といっても無限のものでありはしないから、他の作家の作品からヒントを得て新しい作品をものにするということはす往々にしてある得る。
 他人の作品をそのまま写したら剽窃作品となってしまうが、限度の問題にしても、歌の世界では「本歌取り」ということは許されているし、事例も多い。
 しかしそれが換骨奪胎となれば作者がそう告げぬ限り気づかぬ読者も多い。
 
 例えば三島由紀夫の『潮騒』は、三島由紀夫があれは『ダフニスとクロエ』を下敷きにしたのだ、とわざわざ言わなければそれに気づく者は滅多にいなかったろう。
(中略)
 もっとも『ダフニスとクロエ』は若くて性愛にも無知な二人の恋愛の育みという主題の原型で、イギリス映画の『青い珊瑚礁』とか形を変えいくつかの映画にも仕立てられている。
(中略)
 例えば娯楽作品としてはヒットした『俺は待ってるぜ』の最初の男と女の主人公の出会いは、 ジョンマルクの『凱旋門』のラビックとジョーンのそれを下敷きにしたし、弟のデビュー作となった『狂った果実』の、性格が極端に違い最後には無垢な弟が自分の恋人をたぶらかして奪った兄貴を殺してしまうシチュエーションは、恐れ多くもドストエフスキーの『白痴』のムイシュキン公爵とラゴージンの取り合わせからヒントを得たものだ。

 ということで、小説好きな人間にとって気に入った作品の下敷きを探すというのも興味の一つかも知れない。
 もっとも相手もさるもので容易にわかる下敷きの利用なんぞ作者がそう明かさぬ限り滅多にわかるまい。
 そんな詮索よりも、自分で下敷きの工夫をして作品を書いてみた方がよほど面白いかも知れないが。
引用:『読売新聞』2006(平成18年)年4月30日日曜日

 このように石原氏の言葉からわかるのは、実力のある作家は、既存作品からヒントを得たとしても、それを自分の中で完全に消化して、独自の物に変換し、容易に読者に元ネタを見破らせない能力を持っているということです。
 簡単に下敷きとなった作品を見破られる、盗作疑惑を持たれるということは、作者の能力が低いということに他なりません。

 また、商業出版に対しての認識の甘さも、盗作問題を引き起こしていると言えます。

 現代では、ネット環境、パソコンの進化、発展により、誰もが簡単に小説を書いて、世の中に発表できるようになりました。小説は芸術などと言う肩肘張ったものではなく、気軽に参加できて読者とのコミュニケーションが楽しめる趣味の一つになったのです。

 そして、アマチュアが作品を発表する最大の場であるネットは、二次創作や、コピペで使い回されるアスキーアート、ニコニコ動画のような既存の作品を切り貼りして楽しむコンテンツの多い、著作権管理のゆるーい場所です。

 無料でネット上に作品を公開するのであれば、既存作品に似た作品を作ってしまったところで、著作権侵害で問題になることはまずありません。
 ところが、これが自分が書いた作品を売ってお金を得る商業出版となれば、まったく事情が異なります。

 もし既存作品と限度を超えた類似点が見つかった場合、ネット上で徹底的に追求されるのです。
 これを自覚せず、ネットで作品を発表するような趣味感覚で、ものは試しの軽い気持ちで有名作品を盗用した小説を作って新人賞に送り、まかり間違って受賞などということになった際に、手痛い目に遭わされることになります。

 ユーザーとして楽しむ分にはゆるい著作権も、いざ作り手に回れば、恐ろしい怪物として牙を剥いてくるということを、プロを目指す人は自覚すべきでしょう。

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