ライトノベル作法研究所
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  5. 清掃係C班公開日:2012/09/01

清掃係C班

赤い杯さん著作

   一

 川が流れている。それほど川幅の広くない川である。体が濡れることが気にならないのなら、向こう岸まで渡ることは、造作もないことだろう。
 川面(かわも)から立ちのぼる、さわやかな水の音は、なんとも耳に心地よい。
 しかし、そんな晴れやかな気分にさせてくれる水の音とは対照的に、流れ行く水の色は、不健康そのものであった。丁度、墨を数滴こぼしたような、極々うすい黒色。わずかではあるが、油のようなものも浮いている。
 作業用の淡い水色のツナギを着た男は、そんな川面を丹念に見ている。
「……いけないな。いけない、いけない。掃除しなくちゃ」
 まだ、どこかあどけない顔をした男――少年は、ひとりそう呟いた。
 少年の年のころは、十四、五といったところか。透きとおるように白い顔の、どこか大人びて見える少年である。
 少年は、澄んだ眼を細くして川上を眺める。そして、どこか思いつめた表情を見せ、川の上流へと歩き始めた。

   二

 また、ダメだった。尚子(なおこ)は心底落胆した。もう嫌だ。自分はそんなに価値のない人間なのだろうか。そういう風に考えてはいけない、前向きに考えなくてはと思っていても、こう物事が思い通りにいかないと、さすがにうんざりする。
 若い娘がひとりで住むには、あまりにも花がない安普請(やすぶしん)のアパートの居間で、尚子はふさぎ込んでいた。裸電球の灯りが煌々と、尚子と四角い机の上に置いてある電話機を照らしている。
 もしかしたら、自分が聞き間違えたのではないかと、留守番電話の再生ボタンにおずおずと手を伸ばす。もう三回も同じメッセージを聴いているのだが、何度聴いてもこれが現実だと思えない。いや、思いたくない。もう一度、もう一度だけ。尚子は緑色の再生ボタンを押した。
 単調なビープ音に続いて、聴きなれた感情のない電話の音声が響く。
『……メッセージは全部で一件です。……こんばんは、A株式会社、田中です。先日は我が社の採用面接にご足労いただき、ありがとうございました。早速選考の結果でございますが、そのお、今回はご縁がなかったということで、採用を見送らさせていただきたく、ご連絡いたしました。履歴書等は、郵送にてご返却いたします。ご希望に添えず申し訳ございません。……ピー、メッセージは以上です。……』
 やはり何度聴いても、内容は変らない。これで、一〇社、全部不採用。
 尚子は、このなんとも情けない自分の有様に思わず笑みをこぼした。クスクスと、小さな肩を小刻みに震わせて、尚子は薄ら笑いを浮かべる。
 そうしている内に、目頭が熱くなってきた。いつしか薄ら笑いは、すすり泣きに変っていた。若いはずなのに生気のない頬に、涙が幾筋も伝う。
「お母さん……」
 第一志望だった大学に通うため、上京して早七年。この国の最高学府に受かったことは、彼女にとって何よりの誇りとなった。これまでの努力が実った。当時、高校生だった尚子は、この合格通知を小躍りしてよろこんだ。
 胸高鳴らせ上京し、尚子はこのめまぐるしい都会にまず驚いた。何とたくさんの人が、せわしなく、働きアリのように動き回っていることか! テレビやネットで都会がどんなとこかシミュレーションしていたとはいえ、やはりそこは自分の知っているのどかな町とはちがった。
 尚子は決して裕福な家庭の生まれではない。であるから、この安普請のアパートを借り、暮らしを立てるのにアルバイトをして生活費と学費を捻出した。朝、昼は大学。夜はバイト。夜中は、大学の講義の復習に当てた。そんな暮らしが、二年ほど続いた。
 二年生の冬の頃。彼女は大学を退学した。大学の勉強についていけなかったのだ。
 やはり、最高学府はなまじ半端なところではなかった。県内一位の成績を誇った尚子でも、ここでは下から数える方が早かった。
 きつい勉強、勉強、勉強。復習しなきゃ、ついていけない。予習をしても、間に合わない。時間がない。もはや、バイトをしている時間が惜しい。しかし、バイトをしなくては食べてはいけない。尚子は肉体的にも、精神的にも限界だったのだ。
 もう、田舎に帰ろうか。そうとも考えたが、実家では尚子のことを誇らしく思い、身を立てるのを待っている母がいる。そのことを考えると、彼女はとても帰ることができず。逡巡した挙句、比較的自分のペースで学習することができる通信制の大学に通うことにした。
 そして、やっと大学を卒業する見込みが見えてきたにも関わらず、尚子はいまだ就職先が決まらずにいた。

   三

 少年の履く黒い長靴は、いたいけな彼の足には少々大きい。少年が一歩前へ行く度に、ボコッボコッと空気の抜けるような音がする。
「……いけないな。いけない、いけない。色が濃くなっている」
 少年は単調な歩調を崩さず、上流に向って歩きながら、墨色の川を眺めていた。
 少年の言うとおり、川の水の色は黒みを増してきている。何か不純物が混じっているのか、川面も脂ぎりドロドロとうねりを上げている。
「ここまで、汚れているなんて……」
 川から漂う強烈な腐臭に、少年は顔をしかめた。
 それはずっと日向に放置しておいた腐った肉のような、とにかく気分のよい香りではない。
「……いけないな。いけない、いけない。掃除しなくちゃ」
 ボコッボコッボコッ……少年が一歩前へ行く度に、空気の抜けるような音がする。

   四

「なあ、頼むよ。尚子、この通りだからさ」
 金髪にドクロを模したペンダント、黒シャツ、所々破れたり、ほつれたりしているジーパン。遊び人の見本のような男は、その熊のように大きな体躯をできるだけ小さくして、尚子を拝み倒していた。
「……でも、困るよユウくん。お店には来ないでと言っておいたじゃない」
 尚子は眉をひそめて、ユウくん――勇一(ゆういち)を非難していた。
 駅前の路地裏で話をしている二人を怪しんでか、警官がちらっと尚子たちを見た。が、特に声をかけるでもなく、ネオン街へ消えていく。
「バイト先まで来たのは、悪かったよ。でもさ、俺も困ってんだよ。なあ、少しだけでいいから、な? 頼むよ」
「この前だって、二万円貸したばっかりじゃない」
「あれは、ちょっと、その、貸しがあったもんだからよ」
 勇一は、口を曲げて、言いにくそうに告げる。
「いくらあればいいの?」
「一万」
「無理よ! お願い、今日はもう帰って。仕事中なんだよ」
「そこを押して、頼むよ。明日返すから」
 そう言って、貸した金が返ってきたことは一度もない。それでも、自分を頼ってくる年上の、情けない彼を尚子は見捨てることができない。性格も粗暴、女癖も悪い。それでも、最終的には自分の元へ戻ってくる勇一は、尚子にはかわいい存在だったのだろう。
 勇一はおもちゃをねだる子供のように上目づかいで、尚子の挙動をうかがっている。尚子の心が揺らぐ。
「……わかったよ。でも、いまはこれだけしかないの。これで我慢して」
 そう言って、尚子は色あせた黄色い財布から、五千円を取り出し、勇一の前へ差し出す。それを乱暴にひったくる勇一。
「いいよ。ないよりは、助かる。恩に着んぜ」
 感情のこもっていないおなざりの言葉。
 自分の生活だってままならないのに、金を貸すなんてどうかしている。尚子はいまさらだが後悔した。
「じゃあ、帰るわ」
「ねえ、今度はいつ会える? 私、明後日は休みなんだけど……」
「悪い、明後日はちょっと予定があってよー」
「そっか……」
 尚子はさみしそうに肩をすくめた。勇一はそんな様子の尚子に特に言葉もかけず、背を向け、去っていこうとする。現金なものだ。
 尚子も勇一の後についていく。勇一は路地を抜け、駅前の広場に出た。
 ――と、千鳥足の酔っ払いが突然、居酒屋から躍り出て、勢いよく勇一に体当たりを決めた。
 もはや頭の毛がさみしくなっている酔っ払いは、自分の動きを自分で制御できないのだろう。
「てめえ、何ぶつかってんだよ!」
 勇一はこの哀れな酔っ払いを突き飛ばす。造作もなく店のコンクリートの壁に体を叩きつけた酔っ払い親父。
「痛てて……、お前こそ何すんだ!」
 人間理性が吹っ飛ぶと怖いものがなくなるのか、明らかに気の弱そうな酔っ払いは、あろうことか勇一に挑む。
「ユウくん、やめて!」
 叫ぶ尚子。集る野次馬。駆けつける警察。
 駅前の活気は悪い方へ盛り上がっていった。

   五

 いつしか川の周りを、灰色の高いコンクリート壁が囲っていた。五、六メートルほどはあるだろうか。この高い壁のせいで、川の様子がどうなっているのか、見ることはかなわない。
 その川の上に橋が架かっている。川をまたぐように架かっている橋は、まるで歩道橋のようだ。
 少年は橋の上から川の様子を眺めるため、階段を上っている。
「さっきよりも、腐臭が強くなっている」
 階段を上りきり、橋の上から川の様子を見下ろすと、少年はそのひどい有様に眉をひそめた。
 墨をそのままこぼしたような黒い水。ドロドロと脂ぎり、人ひとり入れるかどうかの川幅で勢いよく流れる水は、蛇がうごめくようで気味が悪い。
 少年は何かを探すように、身を乗り出して、コンクリート壁をきょろきょろと見回す。流れる水の轟音が、耳を弄する。
 あった。少年は目ざとく目当てのものを見つけた。左手の壁に、なにやら黒いものがべったりと貼りついている。それはカビのようにも見えるし、なにか得体の知れない動物のようにも思える。
 でも、たしかにそのカビのようなものから黒い液体が漏れ出し、川を墨色の染め上げていた。あれが川を汚している原因だ。
「……いけないな。いけない、いけない。掃除しなくちゃ」
 少年はツナギのポケットから黒ずんだロープを取り出す。大分、年季の入った代物だ。片方に金属製のフックがついている。
 少年はそのフックを橋の柵に引っ掛け、もう一方――ただのロープの部分を自分の腰にきつく巻きつけた。そして、ためらうことなく、腐臭漂う、ギトギトの濁流にざぶんと飛び込んだ。黒い水しぶきが上がる。
 川面から顔を出した少年は、水の押し流そうとする勢いに負けないように必死に水を掻く。腐臭漂う、黒い水は彼を飲み込もうと執拗に襲い掛かる。
 少年はそれに逆らい、少しずつ少しずつ、コンクリートにべっとりと張り付いたカビのようなものに近づいていくのであった。
 川の清水を汚す、元凶に近づくには、いましばらくかかるだろう。

   六

「佐藤君、ちょっと」
 翌日、バイト先のお店の厨房で、開店前の準備を手伝っていた尚子は、店長に呼び出された。店長は事務室に来いと手招きをしている。
 尚子は自分のやり掛けの仕事を他のスタッフに任せると、素直に事務室に向った。
 事務室の中は、手入れが行き届いておらず、書類やダンボールなどが散乱していた。店長は尚子が入ってくると、会議用のパイプイスに座るようにすすめる。
 尚子は訝しげにイスに腰掛けた。何の用だろう。
「昨日、うちの店のそばでケンカがあったけど、あれに君の知り合いが関わっているそうだね」
 尚子の体が硬くこわばる。
「は、はい」
「困るなあ、それこの前の男でしょ? もう来ないように釘を刺しておいてくれって言っておいたじゃないか。一度や二度じゃないんだよ? 彼がいざこざを起すのは」
「すいません。彼、勝手で……」
「まあ、君が悪いわけじゃないんだけど」
 尚子は手のかかる子供を持った親のように、深々と頭を下げる。
「すいません、もう絶対に来させませんので」
「いや、もうそれには及ばないよ」
「それって、どういう……」
「悪いけど、彼が来てからうちの地区だけ売上が落ちているんだよ。営業マネージャーもうるさいしね。君が男を来させるのを止められないなら、君がやめてもらうしかないな」
 店長は淡々と冷ややかに言い放つ。
「ま、待ってください! 私、困ります! 今月の生活が……」
 尚子はさっと顔を上げて、懇願する。しかし、店長はひらひらと手を振って、
「困ってるのはこっちのほうだよ? とにかく、もうやめてくれ、後生だ」
 それだけ告げると、店長は大股で事務室を後にした。

 にっちもさっちも行かないとは、まさにこのようなことを言うのだろう。
 店長の慈悲のない通知を受けたあと、尚子はバイトを探し求めて町を放浪した。しかし、彼女の質素な生活を維持できるほどのバイト先が見つからない。このアパートの家賃だって、どうすればいい? 
 今月の給料をあてにして、勇一に金を貸したのだ。
 尚子は自宅の裸電球の下、脱力し壁にもたれかかっていた。
 どうして、自分ばっかりこんな目に? どうして、こんなことに? 一体どこで選択を間違えた?
 頭をよぎるのは、先の見えない将来、明日からの生活の不安、故郷で待つ母のこと。
 せめてもの救いは、スズメの涙ほどではあるが、今月働いた分だけのバイト代を店長が支払ってくれたことだ。
 尚子はぼんやりその給料袋を眺める。
 そうだ。まだだ、まだ、これで何とか凌いで、新しいバイト先を見つけられれば。
 その時、玄関の扉をドンドンと叩く音がする。こんな時刻に誰だろうか。
 尚子は玄関までよろよろと行くと、立て付けの悪い扉を開けた。そこに立っていたのは、勇一だった。昨日のケンカの勲章だろう。左目は派手に腫れ上がり、右腕は包帯でグルグル巻きになっていた。
「よう、いなかったらどうしようかと思ったぜ」
「何? こんな時間に」
 嫌な予感がよぎる。
「金、貸してくれよ」
「お金? だって、昨日貸したじゃない。あれは……」
「はあ? 何言ってんの? お前の店のそばに行ったせいで、この様だ。あんなはした金、治療代に消えたに決まってんだろうが!」
 尚子の鼻孔をかすかに突くアルコールの匂い。勇一は酔っていた。
「ねえ、ユウちゃん、まだあ?」
 勇一の背後から、嫌に厚化粧の品の感じられない女が尚子をジロリと見る。
「ああ、ちょっと待ってろ。和美(かずみ)」
「ユウくん……その人は?」
 和美はこれ見よがしに、勇一にすがり付き、勇一の代わりに答える。
「あたしは、ユウちゃんの彼女よ」
 勇一はギロリと気味悪い視線を尚子に向ける。
「ったくよ、昨日、お前なんかに会ったせいで、危うく留置所行きだ。こんなケガまで負わされて、お前と会ってからろくなことがないんだよ! 俺のまわりをちょこまかしやがって。最後に慰謝料もらわなきゃ、割りに合わねえな」
「そ、そんな……」
 その言葉で世界が暗転したようだった。たしかに、性格も、女癖も、お世辞にもよいと言える男ではない。が、いつだって、どんなときだって、最終的には自分の元へ戻ってきてくれるものだと、自分に依存してくれていると思っていたのに。結局は、自分は金づるでしかないのか。
「オラ! さっさと金よこせ!」
 勇一は、ずかずかと土足で上がりこむ。そして、真っ直ぐ居間まで来ると、不敵に笑った。
「あるじゃないか」
 それは、例のバイト代である。
「やめて、それだけは」
 勇一はその金を鷲づかみにすると、血の跡が目立つジーパンのポケットに押し込む。尚子は勇一にしがみ付いて、制止しようとするが、女の尚子が勇一に敵うはずもなく、「うるせえ!」と一蹴されるや否や、突き飛ばされた。
 華奢な尚子の体は、面白いくらい簡単に吹っ飛び、台所のガス台にぶつかった。
 思わず、強く打った額を押える。右手が鮮血に染まっていた。どうやら、ぶつけた衝撃で額を切ったようだ。
 勇一は最後に尚子に悪態をつくと、和美を連れて闇夜に消えていった。

   七

 腐臭はもはや耐えられないほど醜悪な物になっていた。しかし、少年はそんなものに気を取られている暇はない。なぜなら、ちょっとでも油断をすれば、この獰猛な激流に足をすくわれ、またも振り出しに戻されかねないからだ。
 少年はようやく例の川の水を汚す、黒いカビに手が届く位置に来ていた。対峙してみれば、うねうねと一箇所にむらがる虫のようにうごめく物体。この川の血栓とでも言うべき、諸悪の根源。
 少年はツナギの胸ポケットに手を突っ込み、何やら探し始める。一瞬、流れに足がすくわれそうになり、バランスを崩しかけた。すっかり黒く汚れた左手をコンクリートの壁に押し当てて、必死に踏ん張る。
 少年の手に冷たい物が触れる。あった。少年はそれをつかみ、取り出す。
 銀色に輝くナイフ。少年はそれを逆手に持ち替えると、例のカビにグサリとつき立てる。何度も、何度も、つき立てたり、表面を削ったりしてみる。
 効果は絶大で、カビは身をよじるように、激しくうごめく。反撃はしないが、執拗に壁から剥がされるのを拒む。粘着性が増してきているのだ。
 時折、激流が少年の口や鼻をふさぎ、呼吸ができないことがある。しかし、少年は溺れてでも何でも、そのカビをどけようと、ひるむことなく削り続ける。
 カビの大きさは次第に小さくなっていく。

   八

 真に悲しいことがあると、涙が出ないというが本当だと尚子は思った。惨劇のあとの居間にひとりへたり込む尚子は、ただ茫然と裸電球にたかる蛾を眺めている。
 机の上には、もう何もない。最後の生きる糧だったのに。
「……何か、どうでもよくなっちゃったな」
 尚子はひとり呟く。
 尚子はもはや立ち上がる気力もないのか、四つんばいで、部屋の襖ににじり寄る。襖を開け、彼女のプラスチック製の衣裳ケースを運び出すと、中から無作為に服を取り出す。
 服同士の袖を結びつけ、一本のロープに仕立て上げた。そのロープを居間と台所の間の縁(へり)に結びつける。
 自分は、もうダメだ。
 尚子は眼を閉じ、自分の首をロープに投げ出した。
 布は尚子の首にまとわりつき、その喉を締め上げる。想像以上の苦しみが、尚子をさいなむ。布はどんどん首に食い込んでいく。血流が悪くなっていき、変色していく。
 ――が、突然、臀部に激痛が走った。と、同時にむせてしまい、せきが止まらない。
 尚子が涙眼で見上げると、服で作ったロープはほどけてしまっていた。どうやら、服同士の結びが甘かったらしい。
 自分は死ぬことさえ、ままならないのか。尚子はうつむいた。
 ――と、けたたましいメロディが居間の静寂を破った。電話が鳴っている。しかし、尚子はそれを取る気にはなれない。
 電話は設定どおりのコール音を終えると、自動的に留守番応答メッセージを流し始めた。どうやら、電話の相手はメッセージを残そうとしているらしい。
『もしもし、私、B商社、山本です。先週は、弊社の求人にご応募いただきありがとうございます。早速ですが、慎重に選考を重ねた結果、佐藤様を採用することが内定いたしましたので、ご連絡を差し上げました。必要書類を○ 月× 日までに……』
 尚子は茫然と電話を凝視している。涙で濡れた瞳でジッと電話を見ている。
 そして、一筋の涙が頬を伝った。

   九

 ぐっしょり濡れた少年は、満身創痍、やっと階段を下りきった。
「……今回のはきつかったな」
 少年が振り返ると、コンクリートの壁は元のきれいな灰色に戻っていた。もう、黒いカビもなければ、川の水から腐臭も立ちのぼっていない。それは、それは、見事な清水であった。
 少年はツナギの胸ポケットから、携帯電話を取り出す。アドレス帳を開き、ひとつしかない、連絡先を選択した。
「こちら、時間管理所清掃係C班。佐藤尚子さんの『時間の流れ』清掃が、終了したことを報告します。はい、はい、ええ。これで、悪い時(日々)は終わりでしょう。今回は、間一髪でした。思ったより、悪いものを背負い込んでいましたよ。ええ、はい。わかりました。次の現場へ急行します」
 早く、急行しなくては。人は我々と違い、不運が続くと押しつぶされる。時間の川のゴミを掃除しないと、悪い時は掃わなければ。

作者コメント

掌編の間ではお世話になっております。今回、初めて短編の間に投稿させていただきます。

短編習作です。この習作で注力したのは、掌編以上の分量のストーリーを書ききることです。

お時間がございましたら、批評よろしくお願いいたします。

2012.8.25 一部誤字修正
2012.8.29 一部表現のミスを訂正

2012年08月25日(土)06時01分 公開

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感想

ニッキさんの意見 +20点2012年08月25日

 はじめまして、ニッキと申します。なかなかに面白かったので、少しですが感想を置いていきます。

 いきなりですがオチについて。なにせ一番の見どころですからね(笑)
 私はてっきり尚子さんの遺体を、秘密裏に処理する少年の話かと思って読み進めていました。ところが最後で内定が取ることができ、どういうこっちゃと読んでいくと少年の正体がわかるという流れが凄く良かったです。
 「多分こういうオチだろう」と思い込まされる、それまでの流れとオチの意外性は見事としか言いようがありません。恐らく文章というものを書き慣れてらっしゃるんですね。凄いです。

 あとは気になった点がいくつか。まず最初の男は少年だったというくだりですが、すぐに少年と明かすわけですし、男という言葉はいらんのではないかなーと思いました。
 最後のオチについては、なんというかこれは完全に私の趣味なのですが、少しインパクトに欠けた印象でした。内定の連絡辺りから盛り上がってきて、少年の正体がわかってからが、少しあっさりし過ぎる感じと言いますか。少年の普段の様子や正確、清掃係での立ち位置なんかが垣間見えるとか、余韻みたいなものがあったら更に良かったかなと思います。
 あと悪い時(日々)は、時か日々のどちからで良かったかと。私が気になったのはそれくらいですね。

 とはいえ先に書いた通り完成度の高い内容でしたし、読みやすくとても面白かったです。赤い杯さんの次回作に期待して、この辺りで失礼させていただきます。良い作品をありがとうございました!

兵藤晴佳さんの意見 +20点2012年08月25日

 拝読いたしました。兵藤です。

 たいへんすっきりとまとまった好短編です。
 淡々と進む清掃作業と、職を求める若い女性に、これでもかこれでもかと襲い来る不運。
 全く関係ないように見える二つの出来事が、最後の最後でひとつのドラマとしてまとめられています。
 この流さでまとめようと思ったら、ファンタジーで落とすより他はないでしょう。
 (藤子不二夫のSF短編にも、似たものはあったかと思いますが)

 楽しませていただきました。ありがとうございます。

あわいそさんの意見 +30点2012年08月25日

こんばんは。あわいそでございます。
感想のお返しに参りました。

意外性のあるラストでした。尚子に襲いかかる不幸と少年の掃除する川の様子が上手い具合に重ね合わされていて、でもラストまでは正体が分からない、お見事と思いました。「時間の流れ」清掃というのがまた面白いですね、単純に運命と呼ばないところがしゃれてると思いました。

特に指摘できるような箇所も見付けられず、済みません。読んだということだけでもお伝えできれば、と思い書きました。

ありがとうございました。これからも執筆頑張って下さい。

須賀透さんの意見 +30点2012年08月26日

ご作品を拝読しました。
先に感想を書かれているニッキ様と同じく、死体処理班の話だろうと推測しながら私は読んでいました。
死体処理(したいしょり)とC(しー)で、頭の「し」をかけているのかと……。
しかし、物語の終盤で、その推測は裏切られました。
どことなく不気味な冒頭ではじまっているのが、ハッピーエンドを効果的にみせていますね。
面白かったです。

・気になった点
ストーリーと関係ありませんが、彼女に採用を伝える、B商社からの電話が気になりました。
まるで、不採用通知のような言い回しです。
(「慎重に選考を重ねた結果」あたりは特に)
「不採用通知の内容を部分的に書き換えたのかな」と感じてしまいました。

楽しんで物語に没頭できました。
ありがとうございました。

kikiさんの意見 +20点2012年08月26日

感想返しにきました。

見事に予想外れました。
私も少年が有一で、殺した尚子さんの死体を処理をしているのかなと思い、読み進んでいくと、最後になるほど。となりました。
面白かったです。

ただ一点だけ違和感が。
十社不採用ていど(と言ったら失礼ですが)で泣くなと思いました。むしろ十社など少ないほうです。
もちろん一社目で運よく内定もらう人もいますけど。

夜霧さんの意見 +20点2012年08月26日

どうもこんばんは、夜霧です。
読んだので少し感想でも。

短編御馳走様でした、美味しかったです。
良くも悪くも色んな意味で期待通りな感じでしたね。
ストーリー・アイディア・キャラの人数配分・文章力、全てにおいて比較高めの水準だったと思います、お見事です。
尚子嬢の不幸加減はわりと絶妙だった気がします、感情移入しやすいレベルの不幸でしたね。不幸な女性は幸せにしたくなります。

清掃係の少年のパート、あれはもっと明確にミスリードを狙った方が意外性が出せたかもしれません。
他の方が仰るよな「死体を片付けている」様にミスリードを誘い「最悪の結果」を連想させ、実は「最悪の結果を回避するための行動」という真逆かつ希望を思わせる終わり方にする。
その緩急をつけれれば、なお良かったかもしれません。

全体的によく纏まっていますですが、小奇麗でキッチリ纏まり過ぎていると感じました。掌編をそのままスケールアップした感じです、雰囲気や余韻と言った「情緒」が足りないかな?と感じますね。
もう少し情景や風景を用いた心理描写を使うと雰囲気が出るかと思いますよ。
少し意外性やストーリーの緩急が足りないかもしれません、割と淡々と進んでますからね。

個人的に掌編はネタと勢いが大事ですが、短編はストーリー性とキャラで勝負するものだと思っています。
赤い杯さんは確かに上手いですが、今回の短編はまだ「掌編の書き方」で書いてる様な違和感がある気がしますね。

まぁ偉そうに色々と書きましたが「上から目線だけど、夜霧って物書きとしてどのくらいのレベルなの?」ってのは禁句ですので!どうかご容赦ください……
何だかんだと言ってますが、今回も良い出来だったと思います。安定してますね、流石です。
では、駄文乱文失礼しました。次回も頑張って下さいね。

ともまささんの意見 +30点2012年08月27日

初めまして、ともまさと申します。
未熟ですが、感想を書かせていただきます。
文章がもの凄く上手いと感じました。
キャラも個性がはっきり出ていて、心情も伝わります。
個人的には勇一が良かったと思います。
悪役を悪役らしく、腹が立つくらい嫌な人物に書き上げるのは、私自身かなり苦手なので、しっかり立てている作者様は、小説をかなり書いているように思えます。
(小説を書き始めて10ヵ月の私には、そう見えます。違ったらごめんなさい)
落ちは意外性はあったものの、なぜかしっくりきませんでした。
この小説自体が序章で、少年(主人公)の活躍が始まるのがこれから(本編は別にある)なのかな、などと勝手に読後思ったせいでしょうか。
なんにせよ、すらすらと読みやすい文章で、まとまったお話だと思いました。
執筆お疲れ様です。次回作はさらに期待します。

文矢さんの意見 +20点2012年08月27日

初めまして、文矢と申します。
拝読させていただいたので感想をば

まず、全体的にまとまりの良い短編だな、と。
掌編で鍛えていらっしゃったのでしょうか。
カットバック形式で、この二つの話どうつながるんだろうなあと読み進めていたら、思わずにやりとしてしまうオチがつく、という、キレイな作品だなという印象を第一に受けました。
(他の方もおっしゃってますが、オチを聞いて私も藤子Fの某短編を思い出しました。文庫の「ミノタウロスの皿」に入っています。他の作品もどれも傑作ばかりなんでよろしければどうぞ)

で、他の人の感想を読んでいると皆さん奇数章の方を尚子の死体処理の話と思って読んでらっしゃったようでびっくり。
ううん、私は全くもってそんな感じには読めませんでした。
全くもって別のファンタジー世界の話かなと思い、これがどうつながってくるのかなーとぼんやり読み進めていました。
作者さんもそんなミスリード狙っていなかったみたいですし。

しかし、そこをしっかりミスリードしていたら面白いかもなとなんとなく思います。
少年である、ということを隠して「彼は掃除作業を進めていた」みたいな暗いタッチの文章でやっていったら、完全に引っ掛けられたかもしれません。

ラストのオチが行き止まりの洞窟に穴をあけるような清々しさを感じさせてくれるもので、私としては読んでいてかなり満足でした。
次作も頑張ってください。
それでは

もぐらさんの意見 +40点2012年08月28日

 もぐらです、掌編での前作に引き続き、読ませていただきました。尚子さん良かったな・・・・・・ほんと、良かったよ。

 短編でこの分量ながら二つの場面を交互に入れるのは珍しいなと思ったのですが、とても良くまとまっていて素晴らしかったです。ただただ尊敬するばかり、描写も相変わらずお上手で、なんというか安心して読むことができました。

 オチは、他の方と同じように尚子さんの死体ではないのかと思っていたので見事に裏切られてしまった感じです。でも悲しい終わりにならず、個人的にはとても嬉しかったです。採用が決まったところでも、いや、ここから事故とかにあって死んでしまうのではないか、勇一が戻ってきてまたなにか起こるのではないかとハラハラしていました(笑)

 とても読みやすかったです、次作も期待させていただきます。

nonさんの意見 +30点2012年08月28日

はじめまして、nonと言います。

文章は読みやすく、イメージもし易かったです。
物語もホラーでダークな話かと思いきや、実にお見事な展開でした。
面白かったです!
拙い感想ですが、これからも応援しています。頑張ってください!

伊東大豆さんの意見 +40点2012年08月28日

赤い杯 さま

 作品を拝読致しました。

 伊東大豆と申します。
 時折、諸先輩に交じって末席ながら鍛錬投稿室で感想など書いております。
 よろしくお願いたします。

さて、良い作品の条件は多々あると思います。
個人的には、読了後もキャラクターのその後を想像してしまうとか、
次の作品を読みたい欲求が生まれるものは良作といえるでしょう。

この作品もまさにそれで、

清掃係の少年の由来や背景組織は一体どのような形を取っているのか?
少年は天使か異世界人か、観察者の世界観はどんなものなのか?
仲間はいるのだろうか。女性の清掃係はいるのだろうか。
男性の清掃係が女性担当なら、女性の担当は男子なのか?
少年には敵対存在はいるのか?
少年の人間への干渉能力はどれくらいか?
尚子さんが採用されてその後の生活はどのようになるのか?
そげ落とされた黴野郎こと、雄一は改心の余地のない真正クズだったのか?
黴をとるなら、どこかに貼り付けることもできるのか?

”読み終わってから”このように読者の想像が膨らみます。
このことが作品を非常に魅力あるものにしています。


 それと最後まで少年と尚子さんの世界が交差することなく独立しているのが良いです。尚子の夢の中に少年が出てきたり、よくある異世界物のように現実世界に少年が天使のごとく現れる、と言った展開だと大失敗していたと思います。ここは相当推敲されたのではないかと思います。

 他のかたが、藤子不二雄先生の作品との類似性を指摘されておりましたが、私は全然別物だと思います。
赤い杯さんの”尚子イジメ”は漫画では読者の感情移入は難しいでしょう。


ただ、いくつか惜しいと思ったことがあります。
(あくまで一読者の視点ですので、お気になさらないように)

・少年の危険な状況ついてもうすこしインパクトを強めれば、読後はもっと清涼感があったように思います。尚子さんの現実的な危機にたいして、汚れ仕事だけの少年の立ち位置がやや希薄に感じました。

・尚子さんも現状を打開する努力がちょっと足りないかも。

・後半、それぞれのパートの連係がすこしずれたように思います。
 少年がナイフで黴を削り始めたところと、クズ野郎がケンカに巻き込まれて怪我をするところが一致していれば、あとになって、読者もそうだったのかと膝を打つことになったでしょう。
(鋭い読者なら解ってしまうかもしれず、バランスは難しいですね)

・それぞれのパートがしっかり書き切れているので、順番的には尚子パートが先でも良かったのでは?
 (ここは推敲の課程で試行錯誤されたのでは?)

ネタが解っていると書きづらいですが、続編を希望したいところです。
もちろん清掃係の少年が主人公で彼の困難な闘いメインで読んでみたい。



赤い杯さま。
この続編でなくとも、次回作を期待しています。
読んでいる間は楽しいひとときを過ごすことができました。
ありがとうございます。

カニスパゲティさんの意見 +20点2012年08月29日

赤い杯さん、さっそく読み終えましたので感想を書かせていただきます。
掌編の慟哭の女王と随分毛色の違う作品ですね。あちらはコメディの習作という事でしたが、こちらの少し硬質な作品の方がなんだか赤い杯さんの真髄を感じましたね。

読み始めからこなれた感じを受けました。洗練されて文が引き締まっているというか……読んでて筆力が高いのがよくわかります。
冒頭のイメージが結構ホラーぽくて私も死体処理班なのかと思いました。というのも少年が「いけないいけない掃除しなきゃ……」とずっと呟いているんですから、そりゃ怪しくも思いますよ。
見事に騙されたわけですが、実は不思議系なのにあえてホラーの皮を被せるというのは目から鱗でしたね。
勇一の惚れ惚れするようなクズ野郎っぷりも素晴らしいです。典型的な悪者ですが、地に足がついていてわざとらしく感じませんでした。

現実的な描写が大半なので、ファンタジーまではいかず不思議な読後感がありました。文体は冷静で着実な手堅い印象を受けました。
特に悪いと思った箇所もなく、批評と言うよりただの感想になってしまいましたがどうかご容赦下さい。


次作も楽しみにしております。
乱文失礼いたしました。執筆お疲れ様です!

若木士さんの意見 +30点2012年08月30日

赤い杯さん、読了しましたので感想を書かせていただきます

まず、全体を通して暗めな雰囲気が続きますが、その割りにオチがあっさりしすぎているような気がします。直前までの陰鬱な雰囲気を吹き飛ばしてしまうくらいのものが良かったと思いますが、今回はそのあたりが少し弱かったではないでしょうか
そのせいか、読み終えた後もなんだかすっきりしませんでした。

ただ、物語全体の雰囲気はよく書けていたと思いますし、情景描写や状況描写は呼んでいてよく伝わってきました。

以上、私の趣味趣向好みが多分に反映された感想ですが、参考になれば幸いです

ひながたはずみさんの意見 0点2012年08月30日

 初めまして。ひながたはずみと申します。短くて面白そうな話を求めてやってきました。拝読させていただきましたので感想など残させてください。なお、迷いましたが習作とはっきり書かれていましたので厳しめで行きます。

『文章』
 奇数の少年パートの方はファンタジックに上手く書かれていたように感じました。
 対して偶数の尚子パートの方は違和感を感じました。特に地の文。これでは、三人称である意味がないです。
 一人称は主観的に心情を伝える物語に、三人称は客観的に分析や批評をする物語に向いている、ととある方にこのサイトで教えていただきました。
 少年パートの方はファンタジックで、なぜ川が汚れているのか、どういう世界なのか、という謎があるので三人称の方が向いていたと思います。
 しかし尚子パートの方は、彼女の心情がメインです。地の文でもちょいちょい普通に入ってきています。であれば、最初から一人称で書いた方が、より読者に尚子の苦悩をダイレクトに伝えることができたのではないかと感じました。

『設定』
 今作最大の弱点がここです。リアリティがなさすぎます。

・大学
  私は大学に通ったことはありません。ですので、ここからこの項目で書くことは見当違いの可能性があります。その場合は無視を決め込んでください。それでも、一読者として破綻していると感じ、リアリティがない思ったことはお伝えさせてください。

  なぜ二年の冬? あと少し頑張れば、二年目頑張った分の単位が取れます。あまりにももったいない。
  成績が芳しくないので奨学金制度を利用できないとしても、某大学は国立です。家庭事情が普通であるなら、よほど通信制の大学の方が授業料高い気がします。
  それと通信制大学の入学金はどこから? 入学金くらいの額を持っているのなら、まだまだ学べた気がします。

・バイト
  やめさせるのが一方的すぎやしませんか? あまりにも一方的すぎたのが気になりました。この国の首都の物価事情や給料体系なんかは知りませんが、生活を維持するためにある程度の日数働いていたと考えると社会保険制度に加入が義務付けられているはずです。会社側も手続きを踏まなければならないため、ある程度用意が必要で、場所によってはそれゆえにやめさせなかったりします。失業保険はこのケースの場合それほど時をおくことなくもらえるはずです。
 それと、
>尚子は決して裕福な家庭の生まれではない。であるから、この安普請のアパートを借り、暮らしを立てるのにアルバイトをして生活費と学費を捻出した。朝、昼は大学。夜はバイト。夜中は、大学の講義の復習に当てた。そんな暮らしが、二年ほど続いた。
>店長の慈悲のない通知を受けたあと、尚子はバイトを探し求めて町を放浪した。しかし、彼女の質素な生活を維持できるほどのバイト先が見つからない。このアパートの家賃だって、どうすればいい?
 夜にバイトしていたのならバイトの後新しいバイト先を探すのは困難では? バイトを某大学に通っていた時から変えているのなら、説明が不足していると思います。少なくとも私はずっと同じバイトを続けていると思いました。彼女の性格的に。
 と同時に、行くならハローワークだろ、ともツッコミました。
 いまどき給料手渡しかよ、ともツッコミました。

 ここまでがリアルな方で欠けてると感じた点。

 次がファンタジー的な方で説明が足りていないと感じた点。

>少年は何かを探すように、身を乗り出して、コンクリート壁をきょろきょろと見回す。流れる水の轟音が、耳を弄する。
 あった。少年は目ざとく目当てのものを見つけた。左手の壁に、なにやら黒いものがべったりと貼りついている。それはカビのようにも見えるし、なにか得体の知れない動物のようにも思える。

 とありますが、コンクリートの壁って、水圧に耐えられるものと考えると10センチくらい厚みがありますよね? 歩けると思うんですけど……んでもってカビの真上まで歩いて行って、コンクリートにフック引っ掛けてロープで降りる方が安全な気が……橋の描写がされていないので、「柵」という言葉から勝手に吊り橋的なものだと想定していますが、水流に負けてしまうのではないかと思った次第です。

 それから、カビの上流にも水は流れているはずですよね? そこを境に色が変わっているということをはっきりと書くべきだったと思います。加えて、原因を取り除いたとしても、既に流れてしまったものは結果として残ります。すぐに彼女の状況が変化したのも気になりました。

『構成』
 これにも難ありだと思います。
 二人の場面が交互に描かれているのは効果的に作用していたと思います。
 しかし最後のネタバラシからすると、不自然だとも感じました。
 今作はだんだんとひどいことが尚子に降りかかっていく構成になっています。その様子が川の水の黒さで描かれています。
 しかし少年は、川を、時の流れをさかのぼっています。つまり、過去に向かって原因を取り除きに行くという仕事なのではないでしょうか? なのに構成はいわば近しい未来が川の水と対比させられている。構成と設定のアンチマッチングだと感じました。
 
『キャラ』
 尚子 いろいろと書いてきましたが、彼女は等身大の人間として描かれていました。とても好感のもてる女性でした。
 勇一 クズ野郎でした。ややテンプレではありますが、それゆえにリアリティがあったと思います。
 少年 彼の上司とか、同僚とか、いろいろと見てみたい気がします。仕事風景とか、容姿とか、想像が膨らみます。

 ある程度の分量を書いていくと、掌編では必要なかった細部を煮詰めていくことが求められてきます。それはキャラクターが見る風景であったり、キャラクターが生きる世界であったり、外見だったり、様々です。
 小説を書くというのは世界を創ることです。細部まで詰めたうえで朧に描くのはありだと思いますが、なんとなく、では短編以上は通用しないと思います。
 読ませていただいた限り、文章やキャラクター作り、お話作りなど高い水準だと感じましたので、あとは世界観と、物語にあった文体を選ぶことが作者様にとっての次のステップかな、と感じました。

 なんだか酷評になってしまい申し訳ありません。必要な部分だけ留め置いていただいて、あとは、ていっ、とティッシュにくるんでゴミ箱にシュートしてください。

執筆お疲れ様でした。

栞さんの意見 +30点2012年08月30日

 赤い杯様、初めまして。
 印象的なタイトルに興味をひかれたので拝読させていただきました。

 文章はとても読みやすかったです。ドブさらいの少年と尚子のパートが、最後にどんな形で結びつくのだろうと、色々と推測しながら読ませていただきました。
 もしかしてあの少年は、世俗という泥河を清掃する使命があるのな……とか考えたりもしましたが、人生という川の濁りを掃除する子だったのですね。
 予想をいい意味で裏切られて面白かったです。

 ただ引っかかったのが2点ありまして……もし失礼でなければ参考までに。
 ひとつは他の評者の方が仰っていたように、少年は最初から少年として登場したほうが違和感がないかなぁ、と感じました。
色白の美少年(を想像してしまいました)がツナギ姿なんてそのギャップでドキドキしちゃいますね。
 もうひとつはどうして少年が尚子を助けたか、その動機が触れられていれば良かったかなあ……と思います。
 世の中には報われないまま不運に潰されてしまう方もたくさんいらっしゃいますし、救済対象になる基準がちょっと気になりました。

 でも全体的に淡々とした少年パートと、有川浩先生が書くような等身大の尚子パートの対比が作品にコントラストを与えていて、わたしはすごく気に入りました。

 長文になってしまいましたが、次回作も期待しています。
 失礼いたします。

緋虎桜さんの意見 +40点2012年08月30日

どうも、ヒコサクというものです。
読了しました故、感想を置いていきます。

いやぁ、なんと言ったらいいか。一言で表すと

すげぇ!

ですね。

なにがすごいってきかれても、言葉足らずな私は言えないのですが、発想がすごいと思いました。
はじめ、少年は死体遺棄をしているのかなぁ、と思って読んでいたのですが、まさかラストで人生の汚れ、悪いこと(ですかね?)をきれいにしているとは。

尚子さんが、等身大で現実的で、とてもよかったです。
勇一はまさにやな奴で、読みながら「なんだべ、こいつ!」と思ってました。

幼稚な感想しか残せなくてすみません。
面白かったです。

イヤホンさんの意見 -10点2013年11月11日

文章は推敲されていて読みやすいかった。文章力があると思う。
この文章のメッセージは「努力は報われる」なのだろうか。テンプレすぎないか。
2つ目の少年のパートで尚子の心の形而上の表現だと予想がつき、話に波がないまま淡々と暗いストーリーにダメ人間が出てくるのでおもしろくないです。
オチはあっさりしすぎているように思いました。
尚子に必要なのは努力ではなく考えることだったと思う。
努力は良い物ですがそれだけに頼れば失敗するのではないでしょうか。
そういった誤解を与えるのではないでしょうか。
尚子に必要なものは冷静な思考と勇気です。
何がこの話の面白みなのかが私にはさっぱりわからなかった。
必要なのは魚ではなく釣り方ではないか。