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Chapter1§ヲレン=ラーザック§
一日目09:45□冷蔵庫にある「お酢」と「超高純度アルコール」のラベルを貼り替える□ 二日目15:46□中庭に生えているキノコを冷蔵庫に入れておく□ 三日目12:55□窓の外を一時間見続ける□ 四日目18:09□プレイルームで拾った箱を封筒に入れて玄関ホールの花瓶に入れる□ 五日目16:25■暖炉の中に飛び込む■ 六日目14:00□ポケットに手を入れて裏口から保管庫に入る□ 七日目15:02□中庭の木陰で一時間昼寝をする□ 八日目16:58□書庫で一番奥の本棚にある左から五番目の本を読む□ 九日目08:58□冷蔵庫にある調味料を一種類、自室に持ち込む□ 十日目10:30□地下のワインセラーで、ワインの一本に香水をふりかける□ 「それでは皆様。内容をご確認いただけましたでしょうか」 アーニー=メレンシュタインと名乗ったメイド服姿の女性は、コチラを見ながら透き通った声で確認した。 「皆様にお配りしたのは明日からの『死の予定表』で御座います。これから行うゲームには、皆様の命を賭けていただきます。もし生き残る事が出来た場合、招待状にも明記いたしましたように命に見合うだけの金額を送らせていただきます」 心中を見透かすような蒼い瞳を洋風の大広間に集められた五人に向け、アーニーは抑揚のない口調で淡々と説明する。 (『ゲーム』、か……) ヲレンは不愉快そうに顔を歪め、アーニーを見た。 天井の豪勢なシャンデリアから降り注ぐ光を受けた彼女の肌は、白磁を通り越して病的なまでに白い。肩口で切り揃えられたストレートの黒髪を全く動かす事なく、無表情のまま言葉を紡ぐアーニーは、さながら精巧に造られた人形のようだ。 「皆様にはその予定表の表紙に血を一滴垂らしていただき、ある種の契約を交わしていただきます。その契約が成立した瞬間から、予定表に書かれている事には絶対服従となり、皆様の意思とは関係なく内容通りの事を実行してしまうようになります。また、この洋館からも出る事が出来なくなります。よろしいでしょうか」 ヲレンを含む五人は、皆何も言わない。 ここまでは招待状に書かれていた通りの内容だ。ソレを承諾したからこそココに集まった。今更念を押して確認されるまでもない。 「この予定表に抗う事なく当洋館で過ごされれば、皆様は間違いなく十日以内に死にます。ですがそれではゲームになりません。最初にお配りしたペンと石をご確認下さい」 言われてヲレンは、一枚の羊皮紙に纏められた『死の予定表』をテーブルに置き、隣りに添えられている黒いシンプルなデザインのペンと、淡い燐光を放つ石を手に取った。 「石で予定表の内容を消す事が出来ます。ペンで予定表に別の内容を書く事が出来ます。ですがその二つは一度使うと効力が無くなってしまう作りになっています。つまり、一度だけ予定を変更する事が出来ます」 パチパチと薪をはぜさせて燃える暖炉を背に、アーニーは口のみを動かして、台本に書かれているセリフを棒読みするように喋る。 「その変更により死を回避する事が出来れば皆様の勝ちです。欲を出さなければ、この先一生働かなくてもいいだけの大金を差し上げます。しかし回避できなかった場合は、皆様の負けです。これは勿論、死を意味いたします。よろしいでしょうか」 静まりかえった大広間では、木製の大きな振り子時計が無機質に時を刻んでいる。水銀を流し込んだかのような、重く粘着質な空気が肌にまとわり付いているかのようだった。 「また、予定表はお互いに見せ合ってはなりません。内容を話し合ってもいけません。これらの事が発覚した時点で、皆様の負けが確定いたします。この場合も、死を意味いたします」 静かに言いきり、アーニーは少し間を空ける。 そして二呼吸ほどの静寂が続いた後、アーニーは再び口を開いた。 「コチラからのゲームの説明は以上です。何かご質問は御座いますでしょうか」 「つまり、や。こっから出るには死体になるか大金持ちになるかの二つに一つしかないっちゅーこっちゃな」 ヲレンの正面に座った男性が、異国的な訛りのある口調で言う。 「その通りで御座います。ベルグ=シード様」 アーニーは目だけを彼の方に向け、微かに頷いた。 目の下に掛かるくらいまで長く伸ばした藍色の髪をキザっぽく掻き上げ、ベルグは鼻の頭に乗せた丸レンズ眼鏡の位置を直す。 体にピッタリとフィットした白いシャツの上に、黒のジャケットと同色のシーンズをラフに着こなした性格の軽そうな男だ。見る者に数多くの女性遍歴を否応なく想像させる。 「ホンマ、エライ酔狂な遊びすんなー。ココの主人殿も。まぁ自分で稼いだ金どー使おーと本人の自由やから別にええけど。ほんで? 肝心の主人殿は挨拶に出てけぇへんのか?」 自分の招待状を指で挟み、軽く振って見せながらベルグは明るく言った。 (確かに、な……) ベルグの言葉にヲレンも胸中で頷く。 すでにルールの説明を終えたというのに、この招待状の送り主である洋館の当主はまだ顔を見せていない。 「アクディ様は非常にご多忙で御座いますので、主な進行はすべで私が仰せつかっております」 「そーかー。せっかく世紀の天才錬生術師に会える思ーて来たんやけどなぁ。残念やわ」 ベルグは真横に細く伸びた猫目を更に細くして、どこか揶揄するような口調で言う。 錬生術――それは特殊な技法を用いて魂を練り上げ、無から生を産み出す術。 この洋館の主であり、元天才医術師でもあったアクディ=エレ=ドートが開発し、彼にしか使う事が出来ないとされている秘術だ。 だが人工的な創生を快く思わない人達も多く、世間からの風当たりは強い。それ故にアクディは医術界から追放され、この洋館に追い込まれたとされている。 「ほんで一つだけ確認したいんやけどな。この予定表に書かれてる事以外は何してもええんか?」 「結構です。常識の範囲で皆様にお任せいたします」 「ほんならメンドさんのスリーサイズとか聞いてもええんか?」 「基本的にゲームに関係の無い質問には答えないよう仰せつかっております」 ベルグの問い掛けに、アーニーは全く表情を崩す事なく冷静に答える。 ベルグは大袈裟に肩をすくめて溜息をつくと、縦長のテーブルの上に片肘を付き、目の前に置かれた銀の燭台を指先でもてあそんだ。 「そんな暗い顔して、暗い声で喋ってたらモテへんでー。せっかく美人やのに」 「ここでの仕事に支障はありません」 「そう言いきれんのは、メイドさんがアクディの創った『ソウル・パペット』やからか?」 猫目を薄く開き、ベルグは声のトーンを少し低くして言った。 錬生術で生を受けた者は『ソウル・パペット』と呼ばれる。文字通り『魂の人形』という意味だ。その完成度が上がれば上がるほど人間に近くなるという。 しかし錬生術は扱いが非常に難しく、完全に成功したという話は未だに聞かない。そして不完全な形で産み出されたソウル・パペットは、外見は人間に似ているが内面は大きくかけ離れている場合が多い。 例えば、言動が人形を連想させるアーニーのように。 「その質問には答えられません」 「やろな」 最初から答えは分かっていた、といった様子でベルグは口の端を歪めて微笑する。 「俺からの質問はしまいや。ルールも単純で分かり易いから、別に聞く事無いわ。他の奴らは何か聞かんでええんか? 命賭けたゲームやで」 他の四人を順番に見ながら、ベルグはおどけたような口調で言った。 「それじゃあアタシからも二つだけ、いいかしら?」 「どうぞ。ローアネット=シルフィード様」 深いスリットの入った紫色のイブニングドレスから覗く長い足を組み替え、ローアネットと呼ばれた女性は厚い唇の上に艶笑を浮かべる。 「まず一つ目。もし生き残る事が出来た場合、お金はどういう形で渡されるの?」 「即金でお渡しします。その準備はすでに整っています。重すぎて持ちきれない場合は、コチラで人を雇ってローアネットの様のご自宅に運ばせる事も可能です」 「そぅ」 アーニーの答えにローアネットは腰まである長い髪を梳き、満足げに頷いた。ウェイブ掛かった薄紅色の髪の毛から、芳醇なフレグランスの香りが立つ。 「二つ目。さっきそちらの方が言った事の細かい確認なんだけど、予定が起こりうる場所については前もって調べていてもいいの?」 「結構です。問題ありません」 「分かったわ」 恐らく水商売系の仕事をしているのだろう。均整の取れた妖艶な肢体と、彫りが深く整った顔立ち。少し下がり目のアイラインの下には泣きぼくろがある。細長い指先にある爪は丁寧に手入れされ、複雑なネイルアートが施されていた。 「他に、質問は御座いますか?」 「はーいはいはい! 小生も聞きたい事があるでござるよ!」 ヲレンの斜め前から子供の声が上がった。グレイの子供用スーツに身を包み、首に蝶ネクタイを巻いた少年が元気一杯手を上げている。 「どうぞ。ユレフ=ユアン様」 「アクディ様は元気でござるか!?」 椅子の上に立ち、ユレフは足をバタつかせながら甲高い声で訊ねた。その言葉に皆の視線が集中する。 アクディの名前に敬称を付ける者は数少ない。それはアクディの錬生術が忌み嫌われた物だからだ。ましてや堂々と『様』を付ける者など極々一握り。この洋館で働くアーニーを除けば、世界中で十人居るかどうかだろう。 そして彼らはアクディを敬う者として、世間からは冷たい目で見られる。それ程までにアクディの研究は異端視されていた。 「ご多忙ではありますが、健康状態に問題ありません」 「良かったでこざる! ソレを聞いて安心したでござる!」 ユレフは無邪気に笑いながら言うと、ブロンドの柔らかそうな髪の毛をフワフワと浮かせて座り直した。他の人からの目など全く気にした様子はない。 (相変わらずだな、ユレフ……) ヲレンは目を細め、鼻歌を歌ってるユレフを忌々しげに睨み付けた。 「おいガキ。自分、ホンマにゲームの意味分かっとんのか? アクディ信者で会いたいんか何か知らんけど、負けたら死ぬんやぞ。まさかとは思うけど、死ぬっちゅー意味も分かってへんのとちゃうか?」 ユレフの隣りに座っているベルグが、少し心配そうな目を向けて言う。 「小生は賢いでござるよ。少なくともお前よりはな」 「お、『お前』て……。ガキのクセに生意気なやっちゃな。けったいな喋り方やし」 「貴様に言われたくないでござるよ」 「なんやとー!」 「ベー!」 怒声と共に掴みかかろうとするベルグを、ユレフは軽い身のこなしで椅子から飛び退いてかわした。 「他に、質問は御座いませんか?」 大広間の中で追い掛けゴッコを始めたユレフとベルグを無視して、アーニーは残った三人に顔を向ける。 「……タバコ」 「はい。何で御座いましょう、ノア=リースリーフ様」 ベルグの居なくなった椅子に両足を乗せ、ノアと呼ばれた女性は気怠そうに頭を掻いた。 「……ココでタバコは吸っても、大丈夫なのか?」 女性にしては低い声だった。ユレフの甲高い声の後だから余計にそう聞こえるのかも知れない。 背中の中程まである少しくすんだ緑色の髪をいじりながら、ノアは白いカッターシャツの胸ポケットからタバコの箱を取り出した。 上着はそのシャツは一枚だけで地肌に直接着ているせいか、体のラインがハッキリ見える。しかしローアネットのように艶麗な雰囲気は微塵もなく、むしろ退廃的で無気力な印象を受けた。 「問題ありません。ですが火の不始末にはくれぐれもお気をつけ下さい」 「……死ぬなら一人で死ね、という事だな」 どこか自虐的な笑みを浮かべながら、ノアはタバコを一本くわえた。そして左腕に巻いたリストバンドからライターを取り出して火を付ける。 「……聞きたかったのはそれだけだ」 まだ二十を少し過ぎたくらいだろうが、達観しきった表情のノアは、五人の中では一番落ち着いて見えた。 半分だけ開かれた碧眼は曇り、光を灯していない。化粧など全くしておらず、アーニー程ではないが肌の色も不健康そうに青白かった。サイズの合っていない男物のジーンズは方々が破け、やせ細った華奢な足を晒している。機械的に紫煙を吐き出すその様子は、完全に荒みきっていた。 「他に質問は御座いますか? ヲレン=ラーザック様はよろしいしょうか」 「ああ」 ヲレンは短く答えると、腕を組んで俯いた。 質問も何も自分はこの洋館の関係者だ。このゲームの主旨は熟知している。気を配るのはユレフのみ。あとの人間はどうでもいい。 「それでは契約を交わしていただきます。皆様、目の前に御座います細い針で指を軽く刺し、血を一滴予定表の上に垂らして下さい」 ヲレンはアーニーの指示通り、針を取り上げて指を刺す。痛みはなかった。 針を抜き、程なくしてぷくっと膨れあがってきた紅い玉を羊皮紙に押しつける。 体の内側に手を這わされたような悪寒。一瞬目の前が暗くなり、奇妙な睡魔に襲われた。しかしそれもすぐに払拭される。恐らく、コレが契約の成立した証なのだろう。 「契約を済ませられた方からお部屋にご案内いたします。今日はもう遅いので明日からの十日間に備えて、ごゆっくりお休み下さい」 アーニーは両手を前で合わせて深々と頭を下げる。 死のゲームの開始だった。 †一日目 【自室 08:55】† アーニーに案内された自室のベッドで横になり、ヲレンは天井を見つめて思索に耽っていた。クリスタルに包み込まれた魔術光が、美しい明かりを室内に広げている。 ゆうに二人分の広さを持つ室内にはレッドカーペットが敷かれ、窓際にダブルサイズのベッドが置かれていた。ちょっとしたキッチンや冷蔵庫、シャワーも完備され、部屋の隅にあるソファーの近くには疲れを癒すヒーリングライトが備え付けられている。 ヲレンが今考えている事は昨日から同じだった。 (アクディの狙いが分からん……) このゲームの主旨は熟知している。だからそれだけに不気味だった。アクディが何を考えているのかさっぱり分からない。彼は人の命を弄ぶような人間ではなかったはずだ。 (単なる脅し、か……?) ゲームを真剣なものにし、より盛り上げるための。そうとさえ思えてくる。 死のゲームへの招待状が届いたのは一週間ほど前の事だった。 アクディの呼び出しはいつも突然だ。だからその事に関しては別に驚かなかった。 しかし招待されたのが自分とユレフだけではなく、他に三人も居たのは予想外だった。 (しかもユレフは本名のまま……) ヲレンに送られてきた招待状には、自分の正体を伏せて来るようにとの指示があった。最初どういう意味があるのか分からなかったが、他にも招待客が居るという事を知って納得した。確かに部外者に自分の正体がバレるのはマズい。 だから『ヲレン』という名前も偽名だ。他の四人の招待状にどう書かれているのかは知らないが、もしかしたら皆偽名を使っているのかも知れない。特にノアという女性は怪しい。彼女にも偽名を使わなければならない必要性はある。 だが少なくともユレフは本名だ。ソレは間違いない。 (指示を無視した……?) 可能性は色々考えられる。 自分へプレッシャーなのか、アクディの趣向なのか、単に指示が行っていないだけなのか。それとも―― (余裕、か?) 本名を明かしても正体がバレないという自信がある? 確かに『ユレフ』という名前が世の中に出回っている訳ではない。だからすぐにはバレる事はない。 (アイツが、ソウル・パペットだという事は……) ユレフは完全なソウル・パペットだ。アクディの生み出した最高傑作。ありとあらゆる能力に秀でている。だからこそ、偽名を使ったり姿を変えたりして正体を隠す必要がある。 ソウル・パペットは世間的に忌み嫌われている錬生術で生み出された存在だ。確固たる肉体を持たないため、身体機能の停止――すなわち『死』を向かえたとしても、蘇る事が出来る。錬生術を施す事で。 しかしその行為は魂の輪廻に重きを置く教会の考えに、真っ正面から反発する。 教会は世界で唯一にして最大の宗教機関だ。簡単な病気なら無償で治療してくれたり、貧しい者には金銭的な援助もしてくれるため、信者は多くいる。 もしユレフがソウル・パペットだとバレれば、世界中の人間を敵に回しかねない。いくらユレフでも彼らから逃げ続けるのは不可能だ。 この洋館に部外者を招いた事はかつて一度もない。彼らからアクディの研究データが漏れ、ユレフの正体がバレる可能性がある。 それに勘の良い男もいた。 (ベルグ=シード、か……) アーニーの事をソウル・パペットではないかと指摘した男だ。金に飢えた遊び人かと思っていたが、なかなか鋭い。 しかし完全に当たっているわけではない。アーニーはソウル・パペットではない。だがこの調子では、いつユレフもソウル・パペットではないかと疑われてもおかしくない。 アクディに確認しなければならない。どうしてユレフは偽名を使っていないのか。そしてどうしていつもとは違い、こんなゲームをする必要があるのか。 アーニーの話ではアクディは忙しくして顔を出せないと言っていた。洋館の中には居るだろうが、どの部屋に居るかまでは分からない。ここにはヲレンも知らない隠し部屋が沢山ある。アクディの世話役であるアーニーにも教えていない部屋もあるだろう。 「ん……」 どうやってアクディに会うかを思案していると、ヲレンの体が勝手に動き出した。 部屋に置かれている、水晶球に埋め込まれた時計の針に目をやる。 九時四十五分。 最初の予定の時間だった。ヲレンはこれから一階のキッチンにある冷蔵庫に行き、『お酢』と『超高純度アルコール』のラベルを貼り替えなければならない。 この行為にどういう意味があるのかは分からない。 五日目の予定に書かれた露骨に死を匂わせる『暖炉の中に飛び込む』という行為。 もしかしたらソレを目隠しするための、全く意味のない行為かも知れない。 (まぁ、ソレもアクディに聞けばわかる、か……) 十日もあれば何とか見つかるだろう。例え見つからなかったとしても、最終日には顔を出すはずだ。その時に聞けばいい。 ヲレンは自分の意志とは関係なく部屋の出入り口まで歩き、金色のドアノブに手を掛ける。ドアのすぐ横には、ヲレンの方を向いた大きな姿鏡。 そこに映っていたのは、ユレフと同じ位の少年だった。 キッチンに行くと紫色のイブニングドレスを着た女性が、冷蔵庫から星形の果物を取り出していた。 確か名前はローアネットといったはずだ。 「あ、あら、ヲレンさん。変なトコ見られちゃったわね」 高さ四メートルはある巨大な冷蔵庫から離れ、ローアネットは気まずそうに髪を掻き上げた。つまみ食いをしているところを目撃されてたせいか、顔が少し紅い。 「貴方も朝ごはん食べ足りなかったのかしら?」 「まぁ、そんなところですよ」 予定表の内容を他人に喋ってはならない。ソレはルールの一つだ。 ヲレンの体はローアネットを押しのけるようにして冷蔵庫の前まで行き、右手を扉に当てる。扉は音もなく消えて無くなり、中にある豊富な食材をさらけ出した。ヲレンはローアネットからは中が見えないよう大きな体で壁を作ると、肉と果物に挟まれたお酢の瓶を迷う事なく探し当てる。シールで出来たそのラベルに手を掛けると、ゲル状になってアッサリと剥がれ落ちた。 「ねぇ、ヲレンさん」 冷蔵庫の奥にしまい込れていた超高純度アルコールの瓶に手を掛けたところで、ローアネットに話し掛けられた。 「貴方はどうしてココに来たの?」 「どういう、意味ですか?」 言われた内容がすぐに理解できず、ヲレンはさっきと同じ要領で超高純度アルコールのラベルを剥がしながら聞き返した。 「貴方がココに来た理由。命を張ってまでお金が欲しいの?」 ああ、そう言う事か。 ゲル状になったお酢のラベルを超高純度アルコールの瓶に貼り付けると、再びシールになって固定化される。 「教会からの命令なんですよ。生を冒涜する狂医術師、アクディ=エレ=ドートを捕まえて大司教様の前に引きずり出さないといけないんです」 二つの瓶のラベルを交換し終えると、ヲレンは体の自由を取り戻した。 「貴方、教会の人? なんかイメージと違うわ。もっとヒョロっとした人達ばっかりだと思ってた」 身長二メートル近くある巨漢のヲレンを見上げながら、ローアネットは意外そうに呟く。 「それは偏見というものですよ」 「じゃあエライ人の命令で死ぬかも知れないゲームに参加させられてるの? 『生を冒涜する』とか言っといて自分は高みの見物って訳?」 「まぁ大司教様にはお世話になっていますからね。せめてもの恩返しですよ」 ヲレンが冷蔵庫の前から離れると、消失したはずの扉が自然に復元された。 ローアネットは納得のいかない表情で、銀色の無機質な直方体をしたクッキングスペースに体を預ける。そして星形の果物に小さくかぶりつきながら、高いヒールで床を鳴らした。 「お役所仕事も大変ねぇ。アタシだったらそんな命令されたら絶対に辞めてるわ」 「それじゃあ貴女はどうしてココに来たんですか?」 「アタシ?」 自分の理由を聞き返され、ローアネットは何か考えるように視線を上に向ける。 「……アタシは、お金が欲しいのよ。どうしてもね」 瞳の奥に強い決意の光を灯し、ローアネットはどこか思い詰めたような顔で言った。 「そう、ですか」 ヲレンは気圧されたように、言葉を少し詰まらせる。 彼女の表情は真剣そのものだ。何があったのかは知らないが、少なくとも遊び金欲しさでココに来ているわけではなさそうだ。 「ま、お互い頑張りましょ。あの予定表見た感じじゃこのゲームに勝つのって結構簡単っぽいからね」 急に明るい声になって、ローアネットは陽気に笑いながら手をヒラヒラと振った。そのままキッチンから出て行く。 (簡単、か……) ヲレンが予定表を見た時に抱いた印象と同じだ。 ならばローアネットの予定表もヲレンの物と同じく、露骨に分かる死の予定が書き込まれているのだろうか。 その点も腑に落ちなかった。 アーニーの話ではペンと石を使って、一度だけ予定を書き換えられる。つまりヲレンの場合であれば、五日目の『暖炉に飛び込む』という予定を書き換えてしまえば、死を回避出来る。残りの予定には、死に繋がるような物は一つもない。 (とにかく、ソレもアクディを見つけて聞かないとな……) アクディを探すため、ヲレンはキッチンを後にした。 洋館は五階建ての構造になっている。 玄関ホール部分は一階から三階まで吹き抜けになっているため、二階と三階の敷地面積は狭いが、それでも部屋数は二十を越える。一階は大広間やキッチン、大浴場があるために部屋数は十程度しかないが、四階と五階には四十近い部屋が用意されていた。 この巨大な洋館に居るのは招待された五人とメイドのアーニー、そしてどこかに居るであろうアクディの七人だけだ。さらに招待された五人の部屋は全ての階に分かれているため、洋館を歩き回らない限り他の誰かに会う事は希だった。 (この階には居ない、か……?) 自分の部屋がある三階の隠し部屋を全て探し終え、ヲレンは軽い落胆と共に長い廊下を歩いていた。 天井の近くを光輝蝶が羽を光らせて舞い、柔らかい光と星のように輝く鱗粉を落としていた。自浄機能の備わったクリアガラス製の窓の外は、すでに暗くなっている。三階を探すだけで半日も費やしてしまった。 「ヲレン=ラーザック様」 突然、後ろから自分の名前を呼ばれる。 振り向くとアーニーが背筋を伸ばして立っていた。いや、立ちつくしていた、という表現の方がしっくりくるかも知れない。それ程までに生気を感じさせなかった。 「夕食の準備が整いました。大広間にいらして下さい」 朝食、昼食の時と同じく、いきなり呼びに現れたアーニーは、無機的な気配を纏わせながら言う。 (聞いて、みるか……) ヲレンは少し考えた後、アクディの事を訊ねるためにアーニーに近づいた。 招待状には正体を隠してココに来るように書かれていた。誰にも自分の事をさとられようにと。恐らく、そこにはアーニーやユレフも含まれているのだろう。今からアーニーとしようとしている会話を、他の人間に聞かれれば自分とアクディの繋がりがバレる。それはユレフが相手でも同じ事だ。 だが少々の危険を冒してでも聞き出さなければならない。 この狂行の意味を知るために。 「アーニー。アクディはどこに居る」 ヲレンはアーニーの前に立ち、なるべく小さな声で聞いた。 「アクディ様はご多忙のため、自室に籠もっていらっしゃいます」 「その部屋はどこにある」 「その質問にはお答えできません」 やはりな。 この返答は予想していた。 ヲレンは一度目を瞑って軽く深呼吸し、少し違った語調で聞き直した。 「アーニー。僕はアクディ様の事が心配なんだ。アクディ様は生まれつき体が弱い。寿命も常人より遙かに短い。ひょっとして、病に倒れているんじゃないのか?」 アクディは医術師として、そして錬生術師として天才的な能力を誇っていたが、体は脆弱だった。もう五年も前から浮遊車椅子での生活を余儀なくされている。 その事はユレフとアーニー、そしてヲレンしか知らない。 先程の言葉でアーニーはヲレンの正体に気付いたはず。ならば教えてくれるかも知れない。アクディの居場所を。 「その質問にはお答えできません」 しかし、返答は変わらなかった。 アーニーは基本的にアクディに言われた事しか実行しない。例えヲレンの正体が分かったとしてもイレギュラーな事はしないし、その事を皆に吹聴したりもしないだろう。 「そうか……」 彼女が答えられないと言った以上、絶対にアクディの居場所を喋る事はない。これ以上詰問しても結果は変わらない。やはり、自分で探すしかない。 「夕食は後で食べる。私の部屋まで運んで置いてくれ」 「かしこまりました」 アーニーは慇懃に礼をすると、無表情のままヲレンの前から姿を消した。 †二日目 【中庭 15:50】† 昨日の夜から今日の午前中に掛けて、二階部分の部屋を見て回った。しかし、ヲレンが知っているどの隠し部屋にもアクディの姿はなかった。 (どうするか、な……) ヲレンは予定表の内容に従い、中庭でキノコを採りながら難しい顔をしていた。そこは洋館の敷地内にある、色鮮やかな緑が生い茂る空間。 夜になると発光する千枚葉を持った高い樹が、外壁に沿って等間隔に植え込まれ、大量に飼育されている光輝蝶の巣となっている。真ん中には時間によって色を変える彩虹噴水が備え付けられ、その周りには風で揺れるたびに涼やかな音色を奏でるサウンド・フラワーが美しい花を咲かせていた。 そしてヲレンが採っているキノコは、彩虹噴水の水で適度な湿り気を帯びた土の上に生えていた。 (このままじゃマズい、か……) 直感ではあるが、このまましらみ潰しに探し続けていてもアクディは見つからないような気がする。それに急がなければならない理由が一つ浮上した。 今ヲレンが集めている、指先程の大きさしかない小さなキノコ。 コレは確か鬼茸という毒キノコだったはずだ。 どういう症状を引き起こすのかまでは知らないが、ほんの僅かで致死量に至る強力な毒素を持っていたはず。 予定表に従うならば、今からこのキノコを冷蔵庫に入れなければならない。食べれば死んでしまう、この毒キノコを。 しかしこの鬼茸は赤地に黒の歪な斑点が散りばめられており、かなりグロテスクな外見をしている。 例え名前や効果を知らなくても、コレを食べようという気にはならないだろう。 だが、もし予定表に食べるように書かれていたとすれば……? 「こーんな所にいたでござるか、ヲレン殿」 甲高い子供の声を背中に掛けられ、ヲレンは思考を中断せざるを得なかった。 「いやー、探したでござるよ。ヲレン殿は食事を部屋で摂っているから、話をする機会がなかなか無かったでござる」 鬼茸をロングコートのポケットに入れ、ヲレンは立ち上がった。そしてキッチンに向かって歩き始める。 「ああー、待つでござるー」 ユレフはヲレンを追い掛けながら、少し悲しげな声を発した。 「ユレフさん、でしたね……。それは申し訳ない事をしました。私、人と話すのがあまり得意ではないもので……」 「いやいや、気にする事はないでござる。人間誰でも得手不得手があるものでござる」 ユレフは小さな胸の前で腕組みして歩きながら、コクコクと可愛らしく首を縦に振る。 「それで、私にどのようなご用ですか?」 出来れば長話はしたくない。コイツの顔を見ていると気分が悪くなってくる。 「ヲレン殿はこのゲームをどう考えているでござるか?」 「どう、とは……?」 「アクディ様がどのような意図を持って小生達に命のやり取りをさせているのか、と言う事でござる」 ほんの僅かだがユレフの語調が変わった。 先程までの無邪気で子供っぽい雰囲気はなりを潜め、コチラを試すような狡猾な視線を投げかけてくる。 「……私には決して許せる行為ではありません。教会の代表者として必ず生き残り、アクディを粛清しなければならないと思っています」 「質問の答えになっていないでござるよ」 建前上の意見を述べたヲレンに、ユレフは間髪入れずに鋭く言い放った。 「小生が聞きたいのは、アクディ様がどうしてゲームの中に死を取り入れたのか、という事でござる」 ユレフが自分に何を聞きたいのかよく分からず、ヲレンは眉を顰めながら答える。 「……それは、ゲームに緊張感を持たせるためでは」 「なるほど。ソレもあるかも知れないでござるな。でも小生の考えは違うでござるよ」 そこまで言って、ユレフは口の端を不敵につり上げた。 「誰がいつどこで死んでもおかしくない状況を作り出してくれた。小生はそう考えているでござるよ」 ユレフはすっ、と目を細めて得意げに続ける。 「もっと言えば、アクディ様が小生に『殺しても良い』という許可を与えてくれたのだと解釈しているでござる」 すでにユレフには外見から想像できる幼さは微塵もない。 あるのは狂気的な瞳の輝き、誰かの死への渇望、底知れない殺意。 「小生はある人物を探しているでござる。ソイツは必ず招待客の中にいるはず。小生の目的はソイツを見つけだし、この手で殺す事でござるよ」 アッサリと言ってのけるユレフに、ヲレンは背中に氷柱を差し込まれたかのような怖気を覚えた。 「小生以外の者を全員殺してしまえばソレが一番てっとり早いのでござるが、それはさすがにアクディ様に怒られるでござる。せっかくアクディ様が趣向を凝らしてくれたゲームを台無しにしてしまうでござる。アクディ様も楽しんでいただかないと意味がないでござる。きっとアクディ様は、いかに小生がソイツを探し出し、どれだけ早く殺せるかを見ているでござるよ。きっとコレがアクディ様の意図しているところでござる。間違いないでござる」 ここに来て、ヲレンもようやくアクディの意図が理解できた。 アクディが自分に正体を隠すように仕向けた理由。それは他の三人に自分の事がバレるのを恐れたからではなく、『ユレフ』にバレる事を恐れたからだ。 アクディがユレフに正体を隠させなかった理由。それはヲレンにだけユレフの事を認知させるため。そしてユレフを警戒させるため。 ユレフは自分の正体を知れば殺すつもりだ。 恐らく、今と似たような事を他の三人にも言って探りを入れているのだろう。ユレフが探し出そうとしている人物らしい反応を示すかどうかを見るために。 「ず、随分と極端な思考をお持ちなんですね。ですが人を殺めるという行為は大罪です。アクディのしようとしている事と同じく、決して許される行為ではありません。貴方がどうしてココに招かれたのか、どのような過去を背負っておられるのかは存じ上げませんが、まだ幼い身。先の長い人生をまっとうに歩むためにも、どうかお考えをお改め下さい」 震えそうになる声を強引に押さえ込み、ヲレンはなるべく教会からの使者として自然な言葉を選んで口にした。 「アクディ様を理解していない者の言葉は聞かない事にしているでござる」 「し、しかし……自ら手を下すというのはルールに沿わないのでは?」 「やってはいけないとは言われなかったでござる」 悪びれた様子もなく、ユレフは揺らぎのない自信に満ちた言葉で言い切る。 ユレフは一度『やる』と言った以上、必ず実行する。それは今まで何度もこの身で味わって来た。 完全なソウル・パペットとしての実力を。 「そんな暗い顔する事ないでござるよ。多分、ヲレン殿は白ではないかと考えているでござる」 ユレフは柔らかそうなブロンドをいじりながら、子供っぽい顔に戻ってにこやかに言う。 その言葉にヲレンは僅かな安堵を覚えるが、同時に別の恐怖を感じた。 「それでは、すでに……?」 「怪しいヤツが居るでござる。もう少しソイツと話をしてみるでござるよ」 やはり。すでにユレフが疑っている者が居る。 「それれじゃあ時間を取らせてしまって悪かったでござる。どうも有り難うでござる」 「あ……!」 ユレフは一方的に言うと、小走りに中庭から去って行った。 (誰の、事なんだ……) 又一つ、問題事が増えた。 昨日と同じように自室で夕食を取り終え、シャワーを浴びた後、ヲレンはヒーリングライトを浴びながらソファーに深く腰掛けていた。 (まいった、な……) 溜息を付き、ヲレンは目を閉じる。 結局、アクディの居る部屋は見つからなかった。鬼茸という死を匂わせる要素も浮上した。しかも冷蔵庫から取り出す事も出来ない。出しても体が勝手に中に戻してしまうのだ。どうやら予定表に『入れる』と書かれていると、その状態を維持するようになっているらしい。 さらにユレフの恐ろしい目的を知ってしまった。 そして――自分と間違えられた誰かが殺されようとしている。 頭を悩ませる問題が次々に降りかかってくる。 ますますもってアクディの狙いが分からなくなって来た。ユレフの言うとおり、本当に自分を殺す事を許可したのではないかとさえ思えてくる。 自分はユレフを憎んでいる。それは向こうも同じ事だ。 アクディの開催するゲームは、何もコレが初めてではなかった。不定期的にではあるが、これまでこの洋館で何度も行っている。 ゲームの内容は種々様々だ。 隠れんぼや宝探しといった幼稚な物から、一階から五階までの最も効率的な歩き方、この洋館に生えている植物の暗記や、陽の光が最も強い場所と時間の特定といった知的な物、そして剣技や格闘術といった肉体的な物まで。 色んな事について競い合った。 ユレフと二人だけで。 そしてそれら全てに置いて、ユレフは勝利をおさめてきた。ヲレンが勝った事は一度もない。そして絶対的な劣等感を刷り込まれた。何をやってもユレフには――ソウル・パペットには勝てないという暗示に掛かってしまった。 自信を失い、招待状が届くたびに憂鬱な気持ちにさせられた。 だからヲレンはアクディを憎んだ。 どうしてこれ程までに自分を貶めるのか理解できなかった。何度理由を聞いても、アクディからは曖昧な答えしか返ってこなかった。 ――お前達のため。そして私のため。 納得のいかないまま、敗北感だけがどんどん積もって行った。 ゲームに勝利したユレフはいつもアクディに褒められ、多大な寵愛を受けていた。 ヲレンにとってはソレが最も許せなかった。 自分に掛けてくれるのは上辺だけの慰めの言葉と、次は頑張れという無責任なねぎらい。 自分はユレフの成長のために利用されているだけなんだ。 いつしか根拠も無くそう思い込むようになっていた。 アクディを憎み、ユレフを疎み、洋館からは出来るだけ遠ざかって生きていこうと思っていた。 しかし、今回の招待状が届いた。 そこには正体を隠して来る事と、今回のゲームが最後であり、死を取り入れた真剣勝負であるという事が明記されていた。 『最後』。 ヲレンの目には『死』というフレーズよりも、そちらの方が大きく目に付いた。そしてすぐにアクディの身に何かあったのだと思った。彼の体が弱い事は十分すぎる程に知っていたから。 そう思うとすぐにでも洋館に行きたいという気持ちで一杯になった。 アクディの事は憎んでいた。しかしどこかで慕わしい想いもあった。自分もユレフと同じように褒められたいと思っていた。 新しい命を与えてくれたアクディに。 指定の日、指定の時間に洋館に来た時、そこにいたのはユレフだけではなかった。部外者が三人もいた。しかし一人は完全な部外者ではないと察知できた。 ノア=リースリーフ。 彼女からはユレフと同じ雰囲気を感じた。 新しいソウル・パペット? 自分の知らないところで、アクディが創り出していた? その考えはヲレンに果てしない悲壮感をもたらした。 今日の昼間、ユレフが言った事はもしかすると当を得ているのかも知れない。 (廃棄処分、か……) 要らなくなった物は捨てられる。より優良で、より完全で、より新しい種を残す。 そのためにアクディは、間接的にユレフに自分を殺すように指示した。 それがこの『死のゲーム』が『最後』だという意味? (僕は、ここで死ぬ……?) 自分はソウル・パペットではないが、例え肉体的に死んだとしても、恐らく生き返る事は出来るだろう。 アクディにその意思があるならば。 だが、もしアクディが自分を必要としていないのであれば―― (潮時、か……) 自嘲めいた笑みを浮かべ、ヲレンは窓に映った少年の姿の自分を見つめていた。 †三日目 【書庫 16:45】† 洋館の四階にある膨大な蔵書量を誇る書庫。 ここには医術書を初め、黒魔術、白魔術といった魔法書や、物理、化学、生物などの自然書、果てには惑星学、光闇学が纏められた天地書まで揃えられている。 だが、ヲレンが用があるのはそんな書物ではない。 天井にまで届きそうなほどの高さを持つ、黒鋼石で作られた本棚が、さながら訓練を受けた軍隊のように整然と立ち並ぶ書庫内。左から十二列目と十三列目の本棚の間を抜け、ヲレンは書庫の一番奥まで足を踏み入れた。 そして白く塗られた無機質な壁に手を当てる。口の中で小さく何かを呟くと、壁だった場所は黒く抜け落ち、人一人がようやく通れるくらいの穴を開けた。 その中に入り、ヲレンは暗い隠し通路を躊躇う事なく進んで行く。 そして数分後。丸く象られた燐光がヲレンの視界に入った。淡い光に照らされ、浮かび上がるようにして存在しているのは、複雑に入り組んだガラスの管、縦長の太いリアクター、呼吸するかのように明滅を繰り返す操作パネル。 ここはアクディの研究部屋の一つ。 数多くのソウル・パペットの試作品を生み出してきた場所。 部屋の中央には頑丈な合板で作られた薄汚れた机が、主の帰りを待って鎮座していた。 ヲレンはその机の上に置いてある、分厚い背表紙の黒いノートを手に取る。そして中を確認した。 几帳面な文字でびっしりと書き込まれた研究成果。所々に図や表が挟まれ、中には暗号のように意味を為さない文字の羅列も含まれていた。 ヲレンはその研究日誌を持って、来た通路を引き返した。あまり長く居ると出入り口が閉まり、閉じ込められてしまう。 自分の力では、あの出入り口を外から開く事は出来ても、中から開く事は出来ない。ソレが出来るのはマスターキーワードを知るアクディだけだ。 ヲレンは書庫の隅にある読書用の机に腰掛け、持って来た研究日誌に改めて目を通した。 錬生術の事、コレまで生み出してきたソウル・パペットの事、そしてアクディ自身の体の事も書き記されていた。 ――人形ではなく、人間を創りたい。 それはアクディがいつも口癖のように言っていた言葉。 アクディは魂の冒涜という、教会からの大反感を買う研究を行っている。一部の人間には、不老不死の体を得るために死者の肉体を弄んでいるとの曲解までされている。ソウル・パペットという仮初めの人工生命体を使って、人体実験を繰り返していると。 だがそうではない。 アクディは生の重さ、死の深さをよく分かっている。ヲレンはその事を、アクディとの触れ合い学んだ。 だから理解できない。このゲームを行う意味が。 先程、予定表に従って窓の外を一時間眺めていた。 中庭でベルグとローアネットが二人、自分達の事について話をしていた。 ベルグは生きるという事にはあまり興味がなさそうだった。自分の命を冷め切った気持ちで見つめていた。 しかしローアネットは違った。 一日目、彼女と会話した時に感じたように、何としても生き延びたいという強い意志を持っていた。 そんな人間をお金で釣り、アクディはこの死のゲームに参加させた。正直、信じられなかった。 (『最後』のゲーム、か……) ヲレンはその意味をもう一度考える。 ユレフと自分のバカげた競い合いに終止符を打つという意味なのか、研究に見切りが付いたという意味なのか、それとも……すでにアクディの命が尽き掛けているという意味なのか。 (目新しい情報はない、か……) 軽く息を吐きながら、ヲレンは分厚いノートを閉じた。 この研究日誌は以前に読んだ時のまま変わっていない。何か最近のアクディの事について書かれていればと思っていたのだが、どうやら期待はずれだったようだ。 ヲレンが研究日誌を持って立ち上がり、元の場所に戻そうとした時―― 「――!」 書庫の出入り口。その隣りにある申し訳程度の大きさの窓ガラス。 「アクディ様!」 ヲレンはそこに映っていた人物の顔を見て、思わず叫んでいた。 見つけた。ついに見つけた。 この洋館の中に居た。まだちゃんと生きていた! ヲレンは慌てて席を立ち上がり、アクディを追って書庫の出入り口に向かって走る。そして荒っぽく扉を開けた。 「……ッ!」 だが、外には誰も居なかった。 (そんなバカな!) 首を大きく左右に振って辺りを見回す。 長い廊下の曲がり角。その影に見慣れた黒いローブの裾が吸い込まれて行くのが見えた。 「待って下さい!」 ヲレンは叫びながら廊下を走り、アクディの消えた曲がり角に飛び出す。 しかし、左右の壁に開いた三階と五階に続く階段と、その真ん中を通る長い通路があるだけで、アクディの姿はどこにも見あたらなかった。 「くそ!」 どこかの部屋に入ったのか。それとも別の階に行ったのか。 その後、夕食も取らずに、夜遅くまでアクディを探したが、再び彼の姿を見る事はなかった。 †四日目 【書庫 10:31】† (無い……) ヲレンは書庫の奥まった場所にある、読書用の机の前で一人呆然と立ちつくしていた。 昨日、遅くまでアクディを探していたヲレンは、九時を少し回った頃にようやく目を覚ました。誰も居ない大広間で一人、遅めの朝食を取った後、昨日出したままにしていたアクディの研究日誌の事を思い出した。 慌てて書庫に行ったが、確かに置いていたはずの研究日誌はどこにも無かった。 アーニーが気を利かせて直してくれたのかと思い、アクディの研究部屋も見てみたがどこにも無かった。 (誰かに、読まれた……) そう考えて間違いないだろう。 あの日誌には自分の事、アーニーの事、そしてユレフの事も書かれている。 とんでもない失態だ。あれだけ気を付けなければならないと自分に言い聞かせておきながら、アクディの姿を見て忘我し、取り返しの付かない事をしてしまった。 (どうする、か……) 招待客一人一人に聞いて回るか? だが逆に、どうして自分がその本の事を知っているのか聞かれたらどうする。勘の良い者なら、すぐにアクディとの繋がりを看破するかも知れない。 持って行った者がユレフ以外なら、自分も偶然興味深い本を見つけて読んでいたとでも言えば言い逃れ出来るだろう。 しかし、もしもユレフだったら。 ユレフはすぐにヲレンの正体に気付くだろう。そうなればユレフは間違いなく自分を殺す。 あまりにもリスクが大きすぎる。 まだ死にたくない。アクディに貰った命をこんな所で失いたくない。 それならばこのまま黙って知らない顔をしていた方がまだましかも知れない。あそこには『ユレフ』の名前は明記してあっても『ヲレン』という名前は書かれていない。 ユレフに自分の正体がバレない限り、他の人間にもバレる事はない。 (最低だ、な……) 結局、どれだけもっともらしくソウル・パペットを擁護する言葉を並べ立てたところで、自分が可愛いだけだ。自分の生活と命を最優先に考え、後のどうにもならない事は目を瞑って放棄する。自分でまいた種なのに、自分で刈り取る事すらしない。 ユレフの事を残酷で冷酷だと思っていたが、やっている事は自分も変わらない。 違いと言えば直接的か、間接的か。それだけだ。 (『最後』のゲーム、か……) 本当に最後だ。こんな最低な事は最初で最後にしなければならない。 ようやく湧いてきた『最後』という言葉に対する実感を、喉の奥に溜まった生暖かい唾液と共に嚥下し、ヲレンは書庫を後にした。 午後六時十分。 部屋から持ち出したどこにでもある封筒を手に、ヲレンは五階にあるプレイルームに向かっていた。 予定表に書かれた事に従い、体が勝って動いていく。 これからプレイルームにあるはずの箱をこの封筒に入れて、玄関ホールにある花瓶に入れなければならない。 (それにしても……) すでに四日が過ぎたが、この予定表に書かれている事の意味不明な内容が理解できない。 初めて昼食を皆と一緒に取ったが、まだ誰も死んではいなかった。特にベルグとユレフは緊張感のない様子で、互いの肉の取り合いをしていた。 すでに死を回避してしまったのか。それともまだ訪れていないのか。彼らの予定表を見ない限りは何とも言えない。 だが少なくとも自分の死は明日に迫っている。 大広間にあった暖炉。 明日の午後四時二十五分に、ヲレンはあの中に飛び込む事になっている。あそこの暖炉は特殊な耐火シールドで覆われ、火が外に出る事はない。だから半永久的に火種を供給し続ける炎烈宝玉を入れて、夜でも燃え続けている。 そんなところに飛び込めば間違いなく焼死だ。 だからすでに予定表を修正するペンを使って手は打ってある。これで間違いなく死は回避できる。 (死にたくない、な……) 四階から五階に続く階段を一段一段確かめるようにして上って行きながら、ヲレンは胸中でその言葉を呟いた。 何としても生き残らなければならない。 そうしなければ元の生活に戻る事も、アクディに会う事も、ユレフに謝る事も出来ない。 それに最後まで生き残る事が出来れば、少なくともユレフとの勝負は引き分けという事になる。勝ったわけではないが、初めて負けなかった事になる。 もしかしたらアクディも褒めてくれるかも知れない。 ユレフも少しは自分の事を認めてくれるかも知れない。 生き残る事が出来れば―― 「……ん」 階段を上りきって五階の長い廊下に出た時、誰かの声が聞こえた。それ程大きいわけではないが、耳の奥まで届く。独特の波長を持った透き通るような声だった。 ヲレンが予定表に従って歩を進めると、声はだんだんと大きくなっていった。 誰かがプレイルームの中で歌っている。女性の声だ。 アーニー? 違う。彼女はそんな事をするようには命令にされていないはずだ。 ではローアネットか? 外見からはあまり想像できないが、商売上そういう特技を身に付けていたとしても不思議ではない。 ヲレンは扉の前に立ち、緩やかに湾曲した白い軟体金属の扉に触れた。そして扉の中央に開いたかと思った小さな穴は、波紋が広がるように大きくなり、ヲレンが通れるくらいになったところで固定化される。 「あ……」 ヲレンの姿を歌声の主が見つけたのか、心を優しく包み込むような柔らかく温かい声はピタリと止んでしまった。 ちょっとしたダンスホールほどの広さを誇るプレイルームには、部屋の一番奥にグランドピアノが置かれているだけで、他には何もない。フローリングの広大な床が、有り余るスペースを持てあましている。 グランドピアノのすぐ隣り。 忌々しそうにコチラを睨み付けているのは、ヲレンの予想をどちらも裏切った女性、ノア=リースリーフだった。 今の彼女には、最初に見た時に感じた退廃的で大人びた印象は微塵もない。 年相応の若い女性に見える。 「……何の用だ」 ヲレンに聞こえるくらいにハッキリと舌打ちし、ノアは低い声で言った。 「スイマセン。お邪魔でしたね。ちょっとした用事がありまして。すぐに退散しますよ」 ヲレンはノアの方に近付きながら、愛想笑いを浮かべる。どうやら目的の箱は、グランドピアノの中にあるらしい。 「……ふん。お前の予定って訳か」 肩に掛かったくすんだ緑色の髪の毛を鬱陶しそうに手で振り払い、ノアは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。 ヲレンは何も答えないまま無言で歩く。予定表の内容は他人に喋ってはならない。それはこのゲームのルールだ。 (彼女もソウル・パペット、か……?) ノアを横目に見ながら、ヲレンはグランドピアノの真横まで来る。 やはり、どこかユレフと同じ雰囲気を感じる。口では上手く説明できないが、内面から発せられる何かが似ている。 「……お前、死にたくないって顔してるな」 ノアは胸ポケットから取り出したタバコを一本口にくわえ、左腕のリストバンドからライターを取り出して火を付けた。そして紫煙を吐き出しながら、挑発的な笑みを浮かべる。 「そりゃあ誰だって死にたくはありませんよ。いくら神に仕える身とは言え、私だって命は惜しい」 「そうじゃない。お前、誰かに追い掛けられてるだろ。ソイツに殺されたくなくて逃げ出したい、助かりたいって顔してるぞ」 何だ、この女。まるでコチラの心を見透かしたように。 ヲレンは表情を変えないように気を付けながら、グランドピアノの中を覗き見る。そして弦の間に挟まっている、拳大の小さな紙箱を取り出した。 「そんな物が挟まっていたのか。どうりで……」 ノアはピアノの上に置いた灰皿でタバコの灰を落としながら、安堵の表情を見せて呟く。 「それでは私はこれで。どうも失礼しました」 「お前といいユレフってガキといい分かり易いな。似たもの同士か?」 紙箱を封筒の中に入れ、帰ろうとしたヲレンの背中にノアの声が突き刺さった。ユレフの名前を出されて、自分でも分かるくらい顔の筋肉が引きつる。ノアに背中を向けていなければ、無様なくらい動揺の色を見せていただろう。 「……仰ってる意味が分かりませんが」 後ろを向いたまま、ヲレンは小さい声で言う。 「どっちも臆病者って事だよ」 嘲るような声が聞こえた。 臆病者? 自分はともかくユレフが? どういう事だ? 気になりはしたが、ヲレンはそれ以上何も言わずにプレイルームから出る。彼女と話していると、自分の恥部を無理矢理露呈させられているような嫌な気分に陥る。 昔、ユレフにも自分の考えている事をかなり言い当てられていたが、ノアはそれ以上だ。まだ会ってろくに話をした事もない相手に、ここまで的確に内面を読まれるのは初めてだ。 これもソウル・パペットとしての能力なのだろうか。 たださえ暗い気分が、更に暗くなった。 †五日目 【大広間 16:20】† あと五分。 あと五分でヲレンは今、目の前で激しく燃えさかっている暖炉に飛び込まなければならない。 今、自分の周りに人は誰も居ない。他の人の助けは期待できない。 しかし大丈夫だ。すでに対処してある。 昨日の夜は殆ど眠れなかった。朝から何も喉を通らない。 最初あれだけ気になっていたアクディやユレフの事は頭の隅に追いやられ、予定表に書かれた事以外考えられなくなった。 『五日目16:25■暖炉の中に飛び込む■』 わざわざ目立つように黒い四角で両側を挟んで書かれている。明らかに他の予定とは異質な雰囲気だ。 あと二分。 体の中からは心臓の鼓動がうるさいくらいに響いている。自分の荒い息づかいがやけに鮮明に聞こえ、口の中は乾ききっているのに何度も唾を飲み込もうとする。 指先の震えが止まらなくなってきた。目の焦点が朧気になり、足下がおぼつかなくなってくる。 あと一分。 もう自分が今どこで何をしているのかすら曖昧になって来た。現実と虚構の区別が無くなり始め、耳の奥で不愉快な金属音が鳴り響いている。吐き気がピークに近くなって来た。 あと十秒。九、八、七……。 何度も心の中で大丈夫だと繰り返す。 四、三、二……。 駄目だ。もう何も考えられない。 一……。 体が動き始めた。 自分の意志とは関係なく、激しく燃えさかる暖炉の前まで歩き、ヲレンは身を屈める。そして躊躇う事なく炎の中に身を投げ出した。 「――!」 悲鳴すら声にならない。 肌にまとわりつく暖気。それはすぐに灼熱の如き業火へと変貌し……。 「……は」 いや違う。『暖かい』事は確かだが『熱く』はない。 自分の周りを見ると、いつの間にか消えないはずの暖炉の炎は見事に消えていた。 「……は、はは……はははっ」 極限まで高まった緊張感が一気に弛緩し、ヲレンは暖炉の中で乾いた笑みを浮かべた。 「ははははは!」 回避した。無事死を回避できた。 予定表に書かれている訳ではないのに、笑いが止まらない。あまりの喜びに心が壊れてしまったかのようだ。 「……自分、ンなトコで何しとんのや? ヤバいクスリでもヤッとるんか?」 暖炉の外から呆れた声を掛けられた。 異国的な訛りのある口調。 「い、いや。これは、ベルグさん……」 鼻の頭に乗せた丸いレンズの眼鏡を少しずらし、ベルグは見てはいけない物を見てしまったかのような表情をコチラに向けていた。 「ちょ、ちょっと暖炉の中に大事な指輪を落としてしまいまして。それを、探していたんですよ、はい。ははは……」 「ふーん。指輪、ねぇ……」 不審気な視線を向けてくるベルグに、作り笑いを浮かべながら即席の言い訳をして、ヲレンは急いで暖炉から出る。 予定表の内容を喋ってはいけないというルールが有ろうと無かろうと、詳しい事は言いたくない。 「まぁ、趣味は人それぞれやし。自分のやりたい事やったらええ思うけど……。ココ集まった奴ら、けったいなんばっかしやなー、ホンマ。まだローアが一番まともに見えるで」 猫目を平和そうに細めながら、ベルグは呆れたような口調で言った。 「そ、それでは、私はコレで」 ヲレンは暖炉の中で体にこびり付いたススや埃を払い落としながら、足早に大広間の出入り口に駆け寄る。 「ちょい待ちーな。この暖炉の火ぃどーすんねん。自分、この何ちゃらって宝玉の点火方法知らんの?」 逃げるようにして去ろうとするヲレンの背中に、ベルグは不満そうな声をぶつけてきた。 「い、いや。多分、アーニーさんに聞けば分かるんじゃないでしょうか」 「無責任なやっちゃなー。ソレできたら苦労せんわ。あのメイドちゃん、メシ呼びに来る時以外殆ど見ぃひんねん。メンド業舐めとるで、絶対」 「ま、まぁ忙しいんじゃないですか? アクディの手伝いをしているのかも知れませんし」 自分の言葉でヲレンはようやく冷静になり始める。 必要がない限り部屋から出歩かないせいもあるだろうが、確かにアーニーに会う回数は少ない。ベルグの言うとおり、ヲレン自身も食事に呼びに来る時以外見ていない。 (アクディの側に居ると考えるのが自然、か……) 誤魔化し笑いを浮かべる顔の裏で、二人の事を考える。 死を無事回避できて、心に余裕が戻り始めていた。 ヲレンはまだ何か言いたそうなベルグを振り切り、大広間から出た。そしてポケットから『死の予定表』を取り出す。 『五日目16:25■火の消えた暖炉の中に飛び込む■』 予定表にはそう書かれていた。 ヲレンが使ったのはペンだけだ。ペンだけで『火の消えた』という一文を書き加えた。だからまだ、文章を消すための石は残っている。 コレで恐らく、他の四人よりは半歩ほど優位に立てたはずだ。 (よし……) もう一度気合いを入れ直し、ヲレンはアクディの居る部屋を探して洋館内を歩き回り始めた。 †六日目 【玄関ホール前 13:50】† 二階から上はすべて探し終えた。 あとは一階部分だけだ。だがもし、ここにもアクディが居ないとすれば……。 (いや、居る……) この洋館に居る事は間違いない。三日目に書庫の窓の外で見た懐かしい姿。実に一年ぶりの再開。 不定期的にこの洋館に招集される時以外は、ヲレンもユレフもこの洋館に入る事を許されていない。外界に出て、世の中を勉強してこいというのがアクディの意向だ。 だからアクディの世話役として、常に彼の側にいる事の出来るアーニーを、たまに羨ましく思う。しかしそれは言ってもしょうがない事だ。 アクディの命令はヲレンにとってほぼ絶対。 逆らって嫌われるくらいなら、多少の不満があっても素直に従う。 憎悪と愛情は相反する物のように見えて、表裏一体。 ユレフと比べられ、自分に惨めな思いをさせるアクディを嫌いつつも、彼に捨てられたくないという想いは強く根付いている。 「……ん」 また体が勝手に動き出した。 予定の時間だ。 『六日目14:00□ポケットに手を入れて裏口から保管庫に入る□』 相変わらず訳の分からない指示。 本当に意味がある事なのかどうかすらも分からない。だが逆らう事は出来ない。それはこのゲームのルール。 (どうせすぐに終わる、さ……) これが終わったらゆっくり一階を調べよう。 今はもう、このゲームをやる意味を聞くためではなく、ただ純粋にアクディに会いたい。会って話をしたい。そして出来れば聞きたい。 僕は貴方に必要とされていますか、と。 ヲレンはコートのポケットに手を入れ、玄関ドアから続くレッドカーペットの上を歩く。そして二階に導こうとする幅広の階段の横を通り抜け、壁に付き当たったところで左に折れた。 そのまま壁に沿い、頭上にせり出した中二階部に位置する屋内テラスの下を歩いて、ドンドン細くなっていく通路を進んで行く。 めったに使わない保管庫。その裏口に繋がる通路なだけあって、ここを通る者は殆ど居ない。床には何も敷かれて居らず、無機質な硬質タイルを剥き出しにしていた。 数分後、硬いブーツの底を鳴らしながら、ヲレンは裏口にたどり着く。飾り気のない材質不明の扉は、ヲレンを自動感知して音もなく真横にスライドした。 中には乱雑に詰め込まれた様々な日用品や長期保存用の食材。床には埃が積もり、何かの衝撃で落ちてしまったのか、割れた瓶が方々に散乱していた。 (このゲームが終わったら掃除でもする、か……) ふと、そんな事を思いながら、ヲレンは保管庫内に入ろうと更に一歩を踏み出す。 「――!」 直後、突然視界が急下降した。 足が浮き、体が大きく前のめりになって地面に吸い込まれていく。 何かに足を取られ、激しく滑ったのだと思った時には手遅れだった。 ヲレンの体が落下していく先。そこには狙いすましたかのように、割れた瓶の鋭利な断面が牙を剥いている。 だがポケットに手を入れているため、それを回避する手段は持ち合わせていない。 「な……」 掠れた声。喉に感じる熱い塊。 一瞬、何が起こったのか理解できない。 視界に映るのは、ついさっきまで遙か下にあった汚い床、瓶の破片、そして少しずつ広がっていく真紅の液体。 (何だ、これ……) 全身から力が吸い取られるように抜けていく。 睡魔にも似た脱力感。絶望を伴う虚無感。だんだん瞼が重くなり、視界が茫漠とした物になっていく。 薄い空気を求めるように口を何度か開閉した後、ヲレンは声を発する事すら出来ずに、意識を暗転させた。 † † † 薄暗い空間。 窓もない狭い室内に、数匹の光輝蝶だけが舞っている。その中央にある浮遊車椅子に、体をスッポリと包み込む大きめのローブを着た男性が座っていた。 髪の毛は完全に白くなり、顔には深い皺が刻まれている。頬は痩け、唇は油を失って萎縮し、腫れぼったい目は閉ざされていた。 「アクディ様」 その男に後ろから女性の声が掛かる。 「アーニー……」 男はその呼び掛けに、しゃがれた声で答えた。 「ヲレン=ラーザック様が死亡いたしました」 機械のように淡々と報告するアーニー。 しかし男は何も返さない。重苦しい沈黙が室内に訪れる。 「アクディ様」 アーニーはもう一度男の名前を呼んだ。 「後は……お前に任せる……」 彼は疲れた声で言い終えると、口を閉ざす。 「承知いたしました」 アーニーは深く頭を下げ、闇に溶け込むようにして部屋を後にした。 □■□■□■□ Chapter2§ローアネット=シルフィード§ 一日目12:05□玄関ホールの花瓶にいけられている花をしばらく観賞する□ 二日目11:21□冷蔵庫のお酢をカプセルに詰め、治療箱に入れる□ 三日目10:05□冷蔵庫に入っていたキノコを粉末化して戻す□ 四日目16:54□書庫にて、窓際の真ん中の席に座って一時間本を読み続ける□ 五日目19:05□保管庫で食事を摂る□ 六日目11:03■胸にナイフを突き刺す■ 七日目12:28□黒い扉の部屋に入る□ 八日目10:22□プレイルームで片手でピアノを弾く□ 九日目18:55□大浴場に服を着たまま入る□ 十日目09:45□四階で五分間自由に歩いた後、最も近い部屋に入る□ †一日目 【キッチン 09:26】† 始まってしまった。自分の命を賭けた『死のゲーム』が。 すでに覚悟は出来ていたはずだった。だが実際に始まってみると、あっけなく揺らぎ始めた。我ながら滑稽に思えてくる。 決意が鈍り、気を抜くと死の恐怖に押しつぶされそうになる。まだ午前中だというのに、お酒でも飲んでいないと不安でふさぎ込んでしまいそうだ。 「あらあら、結構色々揃ってるのねー」 少しでも気を紛らせるために、わざと明るい声で独り言を言いながら、ローアネットは冷蔵庫の中身を物色する。 思わず見上げてしまう程の高さもある冷蔵庫内には、凝った意匠の瓶が雑多に押し込められていた。ローアネットはその中から、底が扁平で上に螺旋状の管が取り付けられている瓶を取り出す。そして直接口を付けて一口胃に流し込んだ。度数の高いアルコールが熱を伴って体内に入り込み、すぐに心地よい酩酊をもたらしてくれる。 (頑張らないと……アタシが頑張らないと……) 部屋に置いてきた『死の予定表』の内容を思い返しながら、ローアネットは自分に言い聞かせるように何度も胸中で呟いた。 目を背けてはいけないと分かっていながらも、アレを肌身離さず持ち歩く気にはなれない。持っているだけで死と接している気がする。 六日目の予定に書かれていた『胸にナイフを突き刺す』という内容。 恐らくアレを書き換えれば取りあえずの死は免れるのだろう。だが、死のキッカケがこの予定表だけとは限らない。 実はこの『死の予定表』はダミーで、全く関係のないところから死が迫ってくるかも知れないのだ。 (例えば……) 今飲んでいるお酒が毒入りであるとか。 「――!」 そこまで考えて、ローアネットは酒瓶から口を離した。急に気分が悪くなり、銀製のシンクに手を付いて飲んだ物を全て吐き出してしまう。 「く……」 荒くなった呼吸を整えながら、ローアネットは大きく深呼吸をした。 それはない。そんなはずはない。 単純に招待客を殺したいだけならもっとストレートな方法があるはずだ。 アクディは楽しんでいる。だからこの狂行を『ゲーム』と称した。きっとどこかで自分達が苦しみ悩んでいる姿を見て、ほくそ笑んでいるんだ。 ソウル・パペットという人造人間を創りだし、怪しい研究に没頭しているような奴だ。そのくらいの事はしても何の不思議もない。 だから簡単には殺さない。回りくどい方法でじわじわと嬲りながら殺す。 (けど、そんな奴が生み出した治療法に頼らないといけないなんてね) 自分がこの洋館に来た理由を思い返し、ローアネットは皮肉っぽい笑みを浮かべた。 ローアネットにどうしても大金が必要だった。 『コールド・エッジ』と呼ばれる致死性の病に冒された、たった一人肉親である弟を救うために。 治療法はあるにはある。だが成功確率は非常に低い。しかもその治療法は現代魔術医療に沿った物ではなく、オカルト的な要素を多分に孕んでいる。 言ってみれば、今アクディが行っているソウル・パペットの研究の前身とも言える内容だ。そして治療に必要な多額の費用と相まって、世間での浸透率は非常に低い。 だが、それでもローアネットはそれにすがるしかなかった。 「ふん」 小さく鼻を鳴らし、ローアネットは再びアルコールを喉に流し込む。 もうさっきまでのような不愉快なモノはない。少し酔いが回ってきたせいか、大分腹が据わった。 (生き残ってやる……! 絶対に!) もう一度固く誓い、ローアネットが冷蔵庫の中から星形の果物を取り出した時、後ろに誰かの気配が生まれる。 ローアネットはお酒の瓶を背中に隠し、慌てて振り返ると、二メートル近い大男がコチラを見下ろしていた。 形の良い頭は綺麗なスキンヘッドで、着ているベージュのロングコートは、下から盛り上がった分厚い筋肉のせいで一段と大きく見える。しかしその厳つい体躯とは裏腹に、まるで小動物を思わせる優しい瞳と、子供のような柔らかい笑みを浮かべていた。 「あ、あら、ヲレンさん。変なトコ見られちゃったわね」 ローアネットは髪を掻き上げながら、誤魔化し笑いをしてヲレン=ラーザックを見上げた。まさかこんな不細工なところを見られるとは思っていなかった。お酒のせいで少し顔が紅くなっているかも知れない。 「貴方も朝ごはん食べ足りなかったのかしら?」 ローアネットは自分の事を言及される前に、ヲレンに話を振る。 「まぁ、そんなところですよ」 ヲレンは少し眉を上げ、曖昧な答えを返しながら自分の前を通り過ぎた。そしてさっき自分がしたように冷蔵庫に手を当てて扉を消し、中を見始める。どうやら探し物をしているようだが、大きな背中が壁のように立ちふさがっているため、何をやっているかまでは見えない。 「ねぇ、ヲレンさん……。貴方はどうしてココに来たの?」 どうしても聞いてみたい衝動に駆られ、ローアネットはヲレンがこの死のゲームに参加した理由を尋ねた。 「どういう、意味ですか?」 「貴方がココに来た理由。命を張ってまでお金が欲しいの?」 最初の言い方では伝わらなかったらしいが、言い直したローアネットの言葉に、ヲレンは得心したような顔になってコチラに体を向けた。 「教会からの命令なんですよ。生を冒涜する狂医術師、アクディ=エレ=ドートを捕まえて大司教様の前に引きずり出さないといけないんです」 「貴方、教会の人? なんかイメージと違うわ。もっとヒョロっとした人達ばっかりだと思ってた」 ローアネットは少し間の抜けたような声を上げて目を丸くした。 教会は世界で唯一にして最大の宗教機関だ。生の美徳、死の安寧、魂の輪廻を説き、国家規模での支援を受けているところもある。そういう地域では政治への干渉力も強く、信者の数も多い。 アクディの行っているソウル・パペットの研究は、まさに教会の教えに反する物。関係者が動き出したとしても不思議ではない。 「それは偏見というものですよ」 ヲレンは肩をすくめて苦笑しながら言った。 「じゃあエライ人の命令で死ぬかも知れないゲームに参加させられてるの? 『生を冒涜する』とか言っといて自分は高みの見物って訳?」 「まぁ大司教様にはお世話になっていますからね。せめてもの恩返しですよ」 事も無げに言うヲレンにローアネットは眉を顰めて、冷たい銀色の直方体をしたクッキングスペースに体を預ける。 (いくら恩返しだからって……) ヲレンにとっての大司教という人物は、自分にとっての弟のように大切な存在なのだろうか。 ローアネットは片手に持った星形の果物を、歯先で小さく噛み切って口に入れながら、踵を床に打ち付けた。 「お役所仕事も大変ねぇ。アタシだったらそんな命令されたら絶対に辞めてるわ」 弟の事を考えながら、ローアネットは溜息混じりに細く息を吐く。 「それじゃあ貴女はどうしてココに来たんですか?」 「アタシ?」 急に自分の方に話をふられ、ローアネットは天井に目を向ける。そこには宝石で外側を覆われた照明が吊されていてた。 昨日から色々と見て回っているが、この洋館にある物は全てが高級品だ。 アクディがまだ天才医術師として名を馳せていた頃に築き上げた、莫大な資産に物を言わせているのだろう。 アーニーの説明では、このゲームの勝者には大金が送られると言っていた。それも即金で。この洋館の内装を見れば、その言葉に偽りがない事がよく分かる。 だからどうしても生き残らなければならない。弟のために。 「……アタシは、お金が欲しいのよ。どうしてもね」 「そう、ですか」 無意識に低くなってしまった声のトーンに、ヲレンは少し驚いたように目を大きくした。 「ま、お互い頑張りましょ。あの予定表見た感じじゃこのゲームに勝つのって結構簡単っぽいからね」 今度は意識して明るい声を出し、ローアネットは脳天気に笑いながら手を振る。 (簡単……そう、簡単な事よ。たった十日でしょ? 今まで生きてきた三十年に比べたら一瞬よ、一瞬。すぐに終わるわ。その間だけ、いつもよりちょっと気を付けてればいいのよ) ローアネットは自分にそう言い聞かせながら、キッチンを後にした。 十二時になる少し前、アーニーが昼食の準備が出来たと言って部屋に来てくれた。 だが今は要らないと断った。 全く食欲がなかったからだ。 部屋に持ち帰ったお酒を飲み過ぎたというのもある。だがそれ以上に、これから起こるであろう怪奇現象の事を考えると、何か別の事をしようという気にはなれなかった。 (き、た……) 十二時五分。 ベッドの上で膝を抱きかかえていたはずの腕が、自分の意思とは無関係に解かれる。左足が床に下ろされ、続いて右足も。そして体は自然な動きで扉の前まで歩いていく。 右手が勝手に持ち上がり、ドアノブに手を掛けて扉を開けた。そのまま廊下に出て、ローアネットはレッドカーペットの上を進んでいく。 (気持ち、悪い……) まるで全身麻酔を打たれた後、見えない誰かに手足を動かされているような不快感に、ローアネットは頭痛と吐き気を覚えた。 『その契約が成立した瞬間から、予定表に書かれている事には絶対服従となり、皆様の意思とは関係なく内容通りの事を実行してしまうようになります』 昨日アーニーから言われた事を思い出す。 正直、半信半疑だった。 誰かを操る類の黒魔術で『マリオネット』というのがある。しかしそれを行使するには術者がかなり近くにいなければならない。それも対象が眠っているか気絶しているか、あるいは死んでいるか。どちらにしろ抵抗意識のない者に限定される。 だが、今ローアネットは抵抗していないわけでも、誰かが側に居るわけでもない。 にもかかわらず、体は完全に自分の支配から離れて動いている。だが他人から見れば普通に歩いているとしか思わないだろう。それほどこの『契約』がもたらす束縛は、普段のローアネットの動きを忠実に再現していた。 階段を下りて一階へ。そして玄関ホールのほぼ中央に置かれている、巨大な花瓶の前で足を止める。 予定表通りの事を実行するのであれば、ローアネットはこの花瓶にいけられている花をしばらく観賞する事になる。少し前にこの場所を調べてみたが、死に結びつきそうな物は特に無かった。 金の装飾が為された木製の台。その上に置かれているのは、円錐を逆さにしたフォルムのクリスタル製の花瓶。微小な一点で胴体を支えているにもかかわらず、傾く事も揺れる事もなく、八分くらいまで満たされた蒼色の水をたたえている。 その花瓶には茎に直接花弁のついた花が何本もいけられており、時間と共に花の透明度を変えていた。 「おおー、ようやく二人目発見でござる!」 花をじっと見ているローアネットの横手から、子供特有の高い声が飛んでくる。 「ココは無駄に広いからなかなか見つからないでござるよ。まったく」 視界の隅に声の主を映し出すと、子供用のスーツに蝶ネクタイをしたブロンドの少年が立っていた。 確かユレフという名前だったか。この『死のゲーム』への参加者の中で、間違いなく最年少の男の子だ。 「この花、そんなに珍しいでござるか?」 ユレフは花とローアネットの顔を見比べながら、可愛らしく小首を傾げた。 「まぁ、ね……」 花から目を離す事なく、ローアネットは曖昧に返す。 (声は出るみたいね……) 自分の声を聞いて少し安堵しながら、ローアネットはゲームのルールを思い出した。 予定表の内容を誰かに喋ってはならない。もし発覚した場合は失格となり、死がもたらされる。 (犬死にだけはごめんだわ……) 体の動きが止まった事で、少しだけ精神的余裕が出始めた。それに『花を鑑賞する』という行為は止められないが、手足を動かす事は出来るようだ。 「この花は『ルナティック・ムーン』という亜熱帯地方に咲く花で、酸度の高い水を栄養源にするでござるよ。花びらの透明度は茎から抜き取った時点で固定化されて、透明であればあるほど価値が高いでござる。魔術の触媒や、薬草の材料、部屋のインテリアにも使われるでござるよ。花言葉は『人間らしい人間』。コレをプレゼントとして渡す時は、『仲直りがしたい』という意味が込められているでござる」 淀みなく喋るユレフに、ローアネットは感心したように眉を上げて見せた。 「良く知ってるわね、ボーヤ。どこで習ったの?」 「本で読んだでござる」 言いながらユレフは、小さな胸を自慢げに張る。 天才少年、というやつなのだろうか。 まぁこんな狂ったゲームに参加するくらいだ。常人ではないのだろう。それでも普段なら説得して、こんなゲーム止めさせているところだが、残念ながらそこまでの余裕はない。今は自分の事だけで精一杯だ。 それに彼自身も覚悟が出来たからこそ、このゲームに参加しているのだろう。 「ところでローアネット殿。貴女に聞きたい事があるでござるよ」 「何かしら」 「アクディ様をどう思うでござるか?」 あまりに唐突な質問に、ローアネットは眉間に皺を寄せた。 「この洋館の主、よね……。まだ出て来ないみたいだけど。彼がどうかしたの?」 「質問しているのは小生の方でござる」 ローアネットの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ユレフは早口で言い放つ。 表情は全く変わっていない。花の説明をしていた時と同じように、無邪気な笑みを浮かべている。 しかし――明らかに雰囲気が違っていた。 反論を許さない圧迫感。猛獣に睨まれたかのような重圧感。 嘘を言ってもすぐに見破られる。なぜかローアネットにはそう思えた。 「アクディ、ね……。そうね……あまり良い印象はないわ。招待して貰ってるのに何だけど」 幸か不幸か、自分は今この『ルナティック・ムーン』という花から目を離す事が出来ない。だからユレフと目を合わせる事も出来ない。 もし目を見て話しをしていたら、もっと別の事を口走っていたかも知れない。 「どうしてでござるか」 「世間一般で思われてるのと同じ事を思ってる、って言ったら分かるかしら?」 「分かるでござる」 短く言ってユレフは言葉を区切った。 「ローアネット殿はこのゲームに勝ちたいでござるか?」 「そりゃあ、ね……。まだやり残した事が沢山あるわ」 「小生も勝ちたいでござる」 そしてまた、ユレフは言葉を切る。 しばらく沈黙が続いた後、ユレフはローアネットの前に回りこんで口を開いた。 「もし小生がここでローアネット殿を殺せば、競争相手が一人減るでござる」 冷たい光を双眸に宿し、ユレフは酷薄に言う。 「それ、本気で言ってるの……?」 「勿論でござる」 まるで絶対的な後ろ盾に護られているかのような、自信に満ち満ちた口調。 本気だ。根拠は無いが間違いないと言い切れる。 子供のような外見をしてるが中身は悪魔だ。アクディの信者なだけあって、この少年も狂っている。 「もしそんな事したら、アタシは絶対にボーヤを道連れにしてやるわ。どんな事をしてもね」 しかしローアネットは臆する事なく、強く言いきった。 自分はこんな所で死ぬわけにはいかない。弟の病気を治すという使命がある。そのためには何としても生き残り、治療費を手に入れて戻らなければならない。 ――絶対に。 「冗談でござるよ。いくら何でもそんな不細工な事はしないでござる」 ユレフはローアネットの横手に回ると、声に笑いを混ぜながら言った。 「ではではー。また会おうでござるー」 そして軽い足音を立てながら、玄関ホールから姿を消す。 「……っく」 上に向けていた首を下ろし、ローアネットは苦しそうに息を吐いた。 予定表の拘束力はすでに無くなっていた。だが、下を向く事は出来なかった。ユレフと目を合わせる事は出来なかった。 彼の目を見た瞬間、弱い自分をさらけ出してしまいそうで。 一気に弛緩した空気の中、ローアネットは深く息を吸い込んで呼吸を整える。まるで限界を遙かに超えて水の中に潜っていた気分だ。冷たい汗が思い出したかのように噴き出してくる。 (アタシの方は、もう二度と会いたくないわね……) 胸中で苦々しく呟きながら、ローアネットは花瓶の前を離れた。 †二日目 【キッチン 11:25】† 昨日はあれから何事もなく終わった。 夕食まで自室に閉じこもり、誰にも会わずにヒーリングライトを浴びていた。しかし、ユレフから植え付けられた得体の知れない恐怖が癒える事はなかった。 体力を落とさないために夕食はちゃんと摂った。それも大広間で。あのまま引き籠もっていたら気が触れてしまいそうだったから。 そこで再会したユレフは驚くほど子供っぽかった。食事の邪魔をされていちいちリアクションするベルグをからかいながら、楽しそうに笑っていた。数時間前に見せたあの冷たい雰囲気は微塵も感じなかった。 ノアとヲレンは来ていなかった。二人とも自室での食事を希望したと、アーニーに言われた。 一夜明け、目覚めと共に自室で熱いシャワーを浴び、少し読書をした後ローアネットは予定表に従ってキッチンに来ていた。勝手に動いてしまう体も、さすがに二回目となると少しは違和感も和らいだ。下見をしてある事もあって、少しは心に余裕が持てる。 (あと九日……) これほど一日が長かったのは久しぶりだ。 お金を稼ぐため、今の仕事に就いた最初の日に匹敵する長さだった。 (あと九日で……) 胸中で同じ言葉を繰り返しながら、ローアネットは予定表の内容に従って、冷蔵庫から『お酢』と書かれた瓶を取り出す。そして真後ろにある、五段に重ねられた白銀製の引き出しの一番下を開けた。 中にはいくつものアンプルに包帯、注射器などが揃えられていた。そして奥の方に片手で持てるくらいの小箱が置かれている。箱に触れると真ん中から二つに分かれ、中から無数の小棚が立体的にせり出してきた。 (何も起こりませんように……) 下見と言っても完全に出来るわけではない。予定表にはカプセルの場所は具体的に書かれていなかった。だから、こんな場所にあるなど知りもしなかった。 もしかしたらココに死の瞬間が潜んでいるかも知れない。 ローアネットは気を緩めれば呑み込まれそうになる恐怖と戦いながら、小棚の一つから無色透明のカプセルを取り出した。ソレを二つに割って中の粉末を捨て、さっき冷蔵庫から持って来た『お酢』を代わりに注ぐ。カプセルは液体に触れても溶ける事なく、まるで吸い付くようにして元の形へと再生した。 ソレを治療箱に戻し、引き出しの奥にしまい終えたところでローアネットは体の自由を取り戻した。 「っはぁ……」 安堵とも落胆ともつかない溜息をローアネットは漏らす。 何も起こらなかった。無事、予定をこなす事が出来た。 今やった事にどんな意味があるのかは分からない。しかしそんな事はどうでもいい。単なるゲームの一環に過ぎないと笑い飛ばして、気にしなければそれでいい。 気にしなければ……。 ――だが、なかなか簡単に割り切れる物ではない。 気にしないでおこうと思えば思うほど、この予定への意味を求める気持ちは強くなる。アクディへの猜疑心と共に。 (戻ろう……) 部屋に戻ってヒーリングライトでも浴びながら本を読もう。別の事をしていれば少しは気が紛れる。 そう思って立ち上がり、ローアネットはキッチンから大広間に続く扉をくぐった。 「お、なんや。先客がおったんかい」 俯きながら歩いていたローアネットに、異国訛りのある特徴的な声が掛けられる。 「ベルグ、さん……」 顔を上げると、縦長のテーブルに腰掛けてくつろぐ猫目の男、ベルグ=シードがコチラを見ていた。 「なんや。自分も昼飯待ちきれんよーになったんか?」 ケラケラと陽気に笑いながら、ベルグはリラックスしきった表情で言ってくる。 壁に掛けられた木製の大きな振り子時計を見ると、もうすぐ十二時になろうかというところだった。 「ここのメシは美味いからなー。あーもー、思い出しただけでよだれ出てくるわ。そない思わへんか?」 座っている椅子を前後逆にし、背もたれに体重を預けてベルグは人なつっこい笑みを浮かべる。 「ま、まぁ、確かにね。美味しいわ」 正直、味など全く覚えていなかったが、ローアネットは平静を取り繕い、崩れかけている内面を晒さないように気丈に返した。 「はよけーへんかなー、あのメイドちゃん。さっきから腹の虫が『メシくれメシくれ』てうるさいんやけど」 鼻の頭に乗せた眼鏡の位置を直しながら、ベルグは足を落ちつきなく揺すってアーニーが来るのを待ち遠しそうにしている。 (変な人ね) ローアネットは小さく笑いながら、ベルグの隣りに腰掛けた。 いつの間にか肩に入っていた力が抜けている。全身にのし掛かっていた不愉快な重圧感も消えていた。 「おー、間近で見るとやっぱ色っぽいなー、ネーチャン。メイドちゃんみたいな影のある女もええけど、自分みたいにお色気ムンムンの女の方が俺の好みやわ」 「ローアネットよ。ローアネット=シルフィード」 ウェイブ掛かった薄紅色の髪の毛を妖艶な仕草で梳きながら、ローアネットは微笑する。 今までローアネットが相手にしてきた男が言えば下品で愚劣な言葉も、ベルグが言うとなぜか爽やかに聞こえる。この洋館自体が放つ重苦しい空気も、ベルグの周りだけには漂っていないように見えた。 「名前も色っぽいなー。ローアって呼んでええか? 俺の事もベルグでええから」 「いいわ、ベルグ」 「おおー、そーやって名前呼んで貰うと、ズキューン! ってくんなー。ええ感じや」 不思議だった。 ベルグの明るい声を聞いていると、本当に体が軽くなった気かする。なんだかさっきまで真剣に悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。 そして本当に不思議だった。どうしてこんな人がココにいるのか。 「ベルグ、貴方はどうしてココに来たの? お金?」 ベルグはヲレンのように誰かからの命令を聞くようにも、ユレフのように狂っているようにも、ノアのように暗い過去を持っているようにも見えない。 ならばどうしてこの『死のゲーム』に参加したのだろう。まさか遊び金を手っ取り早く稼ぐため、とでも言うつもりなのだろうか。 「俺か? 俺はな、もういつ死んでもおかしないねん。せやから最後におもろい事しよかー思ーてココ来たんや。どや、カッコエエやろ」 目に掛かった藍色の髪の毛をキザっぽく掻き上げながら、ベルグは自慢げに言った。 「いつ死んでも……? どういう事?」 意味が分からずにローアネットは聞き返す。 暗殺者に狙われていて、ココに隠れ家を求めて来たとでも言うつもりだろうか。 「コールド・エッジって病気あるやろ。なんか魂抜けて行くとか言う、訳の分からん病気や。俺な、それやねん。三年前くらいに背中に痣あんの見つけてな、一応医者行ったんやけど、治すのにどえらい金額ふっかけられるわ、胡散臭い治療法説明されるわで、何かメンドなってな。別に死んでもええわ思ーてほっといたんやけど、なかなか死なんからココ来たんや。どや、いさぎええやろ」 底抜けに明るく話し終えて、ベルグはケラケラと笑った。 (コールド・エッジ……) その言葉でローアネットの胸が、焼けた杭を打ち込まれたような灼熱を伴う苦痛に押しつぶされる。 コールド・エッジ――それは無痛性の死の病。潜伏期間は不明であるが、約二年と言われている。この病気に掛かると背中に青白いひし形の痣生まれ、発症すると例外なく死亡。痛みを感じる事なく、全身が麻痺するようにして死んでいく。 この病気が発見されてから二十年以上も経っているというのに、現代魔術医療ではその原因は未だ特定できておらず、一部のオカルト集団で仮説が唱えられているのみ。 その仮説とは、体から魂が抜けていくというもの。 そしてコールド・エッジを治療する方法はただ一つ。 アクディの開発した『人工ソウル』と呼ばれる物を、発症する前に体に埋め込み、魂の抜け穴である青白いひし形の痣に蓋をしてしまうという方法。 だが方法自体が非医学的で、その手法を適応するのに掛かる費用は法外な額となる。 だからコールド・エッジに掛かってしまった患者は、ベルグのように最初から諦めてしまう者も少なくない。 しかし―― 「それしては……やけに明るいのね」 ベルグほど明るい患者も珍しい。 アクディのオカルト的な解釈を適応するなら、コールド・エッジに掛かった者は発症前であっても少しずつ魂が抜けていく。だから、だんだんと無気力になっていく。 (アタシの弟みたいに……) ローアネットの弟は、コールド・エッジに掛かってもうすぐ二年だ。病気の進行度合いとしては殆ど末期。だからコチラが何を話しかけても上の空で、目の焦点もあっていない。最近では実の姉であるローアネットの存在自体、認識していないのではないかと思える時もある。 しかしベルグはすでに三年経っていると言っていた。 なのにどうして……。 「ま、俺にも色々事情っちゅーもんがあるからな。こんなモンは気の持ちようや」 「……羨ましいわ」 自然と、その言葉が口をついて出た。 弟もベルグのように明るく暮らす事が出来れば。開き直って日常を過ごす事が出来れば。そして自分もベルグのようにこの洋館で笑う事が出来れば、どれだけ気が楽だろう。 (アタシには無理、かな……) 笑う事は出来る。だがソレは本当の笑顔ではない。 強がる事は出来る。だがソレは本当の強さではない。 ただ今の状況に押しつぶされないように、ひたすら自分を偽って、なけなしの勇気を絞っているだけ。 この洋館での生活については勿論の事、弟の病気の治療費を稼ぐ為に躰を売る商売をしなければならない事についても。 「なんやなんや、そんな暗い顔しなや。せっかくの美人が台無――」 「ベルグ=シード様、ローアネット=シルフィード様。昼食の準備が整いました」 いつの間に来ていたのか、アーニーがベルグの言葉を遮って後ろから声を掛けた。 振り返り見ると湯気の立つ沢山の料理が、銀の台車に乗せられて運ばれて来ている。 エッセルキノコの塩菜炒め。海若葉のロートスガーリック・ソテー。鮫喰い鳥の丸焼き。チェルソーフラワーのオニオンミックス・スープ。 どれも高級食材をふんだんに使った料理ばかりだ。香ばしい匂いが湯気に乗って鼻腔をくすぐる。 「おおー! 待ってましたメイドちゃーん! 俺もう腹ぺこやー!」 ベルグは文字通り椅子から飛び上がると、目の色を変えてアーニーに飛びついた。 「どうぞ先に召し上がってらして下さい。私は他の方をお呼びして参りますので」 アーニーはベルグの突進を軽くかわすと、料理の皿を淡々と並べながらローアネットに言う。 「……あ、ありがとう」 床に敷かれたレッドカーペットと熱烈なキスを交わすベルグに視線を落としながら、ローアネットは溜息混じりにナイフとフォークを手に取った。 †三日目 【一階廊下 10:30】† 予定表の内容に従って冷蔵庫に入っていたキノコを粉末化した後、ローアネットはベルグを探して洋館内を歩き回っていた。 キノコは乾燥しきって固くなっており、手で押し潰すだけで簡単に粉になった。アーニーが料理にでも使うために仕入れて来たのだろうか。赤地に黒い斑点という、かなり気持ち悪い色をしていた。 しかしあれ程目立つ物があればすぐに気付く。確か昨日までは無かったはずだが。 (ま、出されたとしても、あんまり食べたくないわね……) もっとも、自分が粉末にしてしまったため、料理の中に混ぜられていたとしても分からないのだが。 「あ……」 中庭に目を向けた時、ベルグが木陰で休んでいるのが見えた。何をするでもなくただ視線を宙に投げだし、眠そうにあくびをしている。 ローアネットは一階廊下の突き当たりまで歩き、裏口を開けて中庭に出た。そして横手からベルグに近寄り話し掛ける。 「探したわ、ベルグ。ちょっとお話、いいかしら?」 「へ?」 ローアネットの声に、ベルグは首だけを動かしてコチラを向いた。 「昨日のお昼にした話しの続き、してもいい?」 「昨日の昼っちゅーたら……ぁあ、コールド・エッジの事か?」 「そうよ」 ローアネットはベルグの隣りに腰を下ろし、太い木の幹に背中を預ける。 昨日の昼食時、ベルグと二人だけならその時に聞こうと思っていた。しかしすぐにユレフが大広間にやって来た。子供の前でする話ではないし、なにより彼には聞かれたくない。 ユレフがあまり好きではないという事もあるが、ベルグと二人きりの時にゆっくり話したかった。 昼食後もベルグはすぐにどこかへ行ってしまい、夕食にも姿を見せなかった。だから今日の今まで彼を捕まえる事が出来なかった。 「言いたくなかったら遠慮なくそう言って。ひょっとしたら貴方を傷付ける事になるかも知れないから。別に無理に聞き出そうなんて思ってないわ」 「なんやなんや、エライもったいぶった言い方やな。別に何でも話したるでー。どーせもーすぐ死ぬしな」 明るく笑いながらベルグは言う。とても死を間近に控えた人間の言葉とは思えない。 「それはコールド・エッジで? それともこのゲームで?」 「どっちでもええ。ま、出来たら痛ない方がええけどな」 相変わらずベルグに悲壮感は見えない。『死ぬ』という事を、まるで買い物にでも行く事のように日常的な物として受け入れている。 「……ねぇ、どうしてそんなに笑っていられるの?」 ローアネットにはそこが理解出来なかった。 死ぬ事が分かっているから今を精一杯楽しんで明るく生きたい。それは辛うじて理解できる。しかしベルグはコールド・エッジに冒されている。魂が抜けていけば、生きる気力も失われていく。自分の弟のように。 にもかかわらず、どうしてこんなにも笑っていられるのか。そこが理解できない。 「笑ってな失礼やからな」 零れるように口から出たベルグの言葉。 「失、礼……?」 意味が分からずローアネットは聞き返した。 「俺なー、昔ごっつ美人の婚約者がおったんや。キザったらしい言葉でゆーたら、『野に咲く可憐な一輪の花』って感じやった。ホンマ……俺なんかには勿体ない、ええ女やった」 猫目を薄く開き、ベルグは左手の人差し指にはめた指輪を見せながら続ける。恐らく婚約指輪なのだろう。 「けどな、死んでもーたんや。俺と同じコールド・エッジでな。それが四年くらい前や。潜伏期間は二年言われとったけど、アイツの場合はたった一ヶ月やった。治療費何とかする暇もなかったわ」 心地よい風に乗って耳に届く、サウンド・フラワーからの小さな音色。普段なら涼やかで綺麗な歌声も、今はどこか悲しげに聞こえる。 「けどな、アイツは絶対に悲しそうな顔はせーへんかった。周りに心配かけんよーに、いっつもニコニコしとったんや。多分、辛かった思うで。相当無理しとるんが見え見えやった」 分かる。胸が痛い程に。 自分の弟もコールド・エッジに掛かったとたん、どんどん元気が無くなって行った。ベルグの婚約者はその辛さに耐えるだけではなく、さらに明るく振る舞っていた。精神的な負担は計り知れない。 「アイツが死んで殆どすぐやなー。俺もコールド・エッジに掛かったんは。正直嬉しかったなー、あん時は」 「嬉、しい?」 信じられない言葉に、ローアネットは声を高くした。 「そうや。これでアイツのトコ行ける思ーたら嬉しかったわ。しかも同じ病気でな。ま、周りに言われて医者には行ったけど、別に治そーとも思わんかった。アイツが受けとった苦しみ、俺もたっぷり味ってあの世に行けるんや。これ程めでたい事はないやろ。せやから俺は暗い顔なんかせーへんねん。絶対にな。俺だけ苦しい時に苦しい顔してたらアイツに失礼やろ? あんなに頑張っとったアイツに」 ローアネットはすぐに掛けるべき言葉が見つからなかった。 まさか脳天気な顔の裏側で、そんな深い事を考えていたなんて思いもしなかった。 ベルグは強い。自分などとは比べ物にならないくらいに。 婚約者と同じ苦しみを味わうために笑い続ける。日に日に無気力になっていく自分を奮い立たせ、明るい顔のまま死を迎えようとしている。 「けどま、すぐ逝ける思ーとったけど、これがなかなか上手い事行かんもんでなー。三年経ってんのにまだ死なん。さすがの俺も最近ちょっとしんどなって来てなー。せめて笑ってるウチに死にたいからココ来たんや。最後の最後におもろい事体験して、みやげ話作っとこか思ーてな」 言い終えてベルグはまたケラケラと陽気に笑った。こうしている間も、ベルグは自分と戦い続けているのだろう。コールド・エッジに呑み込まれないように。 「話はこれでしまいや。どや、満足したか?」 「……ええ。どうも有り難う」 今のローアネットには消え去りそうなほどの掠れた声で、そう言うしかなかった。 「そら良かった。ほんならコッチこそ出来ればーでええんやけどな。ローアがなんでココ来たんか教えてもろーてええか? 昨日、エライ思い詰めた顔しとったから、ちょっと気になっとったんや」 「アタシ、は……」 話さなくてはならないだろう。相手の事だけ聞いて自分は何も喋らないというのは、さすがに気が引ける。 「弟が居てね……。貴方と同じ病気なの」 ローアネットは呟くような口調で喋り始めた。 幼い頃に両親を亡くし、唯一の肉親となってしまった弟がコールド・エッジに掛かっている事。すでに二年が経っている事。そしてその治療費を稼ぐため、自分の躰を売る商売をしている事。 「だからね……アタシは絶対にこのゲームで生き残って、弟を治せるだけのお金が欲しいの」 ローアネットが全てを話し終えた直後、ベルグは突然体をコチラに向け、額を地面にこすりつけて頭を下げた。 「スマン! 我ながら無神経な事聞いてしもーた! 悪気があったわけやないねん! 俺アホやから細かいトコまで気ぃ回らんねん! 勘弁してくれ!」 そして土下座の体勢のまま、ベルグは一方的に謝罪の言葉を述べる。 「ちょ、ちょっと待ってよ。別にそんな……。元はと言えばアタシの方から聞いたんだし、貴方が謝る事なんてないわ」 突然の事にローアネットは戸惑いながら、ベルグに顔を上げるように言った。 「いいや! 俺が悪かった! こういう事はキッチリケジメ付けとかなあかん! 逃げも隠れも開き直りもせえへんから、煮るなり焼くなり揚げるなり好きなようにしてくれ!」 しかしベルグは頭を下げたままソレに応じない。 (まったく……ホントに変な人ね) 微笑混じりの溜息をつきながら、ローアネットはベルグの頭に手を乗せる。 「はいはい。それじゃもう気にしてないからこの頭を上げて。そうしたら許してあげる」 「へ? そんな事でええんか? 例えば予定表書き換えるペンと石よこせとかでもええんやで? どーせ俺はいらんし」 間の抜けた声で言いながら、ベルグはようやく顔を上げた。 「いいわよ、そんなの。ソレはちゃんと貴方が使いなさい。それでこのゲームに勝って長生きして、もっと沢山みやげ話を作りなさいよ」 「けど、なぁ……」 言い淀むベルグに、ローアネットは少し怒った顔になる。 「簡単に死ぬなんて言わないの。貴方が辛いのは、分かってるけど……」 生きて欲しい。きっとベルグの婚約者も、彼が死ぬ事など望んではいないはずだ。最後まで生き残ってお金を貰って、弟と一緒にコールド・エッジの治療を受けて欲しい。 「まぁ、気が向いたらな」 「アタシが向かせてあげるわ」 彼のように素敵な人には、死んで欲しくない。 「貴方が三年経っても生きていられるのは、貴方の婚約者さんが命を分け与えてくれてるからかも知れないわね。自分の分まで強く生きてっていうメッセージなんじゃない?」 「……かもな」 ベルグは少し戸惑ったような顔つきで、照れくさそうに後ろ頭を掻いた。 †四日目 【書庫 09:25】† ベルグと楽しくお喋りをしながら朝食を食べたかったが、彼は今日も出てこなかった。朝に弱いのだろうか。そう言えば朝食時には一度も姿を見ていない。 ローアネットと静かに食事を済ませたユレフも、ベルグが居ないと張り合いがないのか、少し元気が無いようにも見えた。 朝食の後、ローアネットは書庫に向かった。予定表に『書庫にて、窓際の真ん中の席に座って一時間本を読み続ける』と書かれていたからだ。 本の種類は特に指定されていなかったが、ローアネットは迷う事なく医術書を選んだ。そして病名の頭文字で五十音順に大別された中から、『こ』で始まる病気について纏められた本を取り出す。 勿論、コールド・エッジについて調べるためだ。 二年前、弟がこの病気の掛かってからというもの、何度も王都図書館に足を運んで調べ上げた。そして暗記してしまうくらいに症状と治療法を読み返した。色々な本に様々な言葉で書かれていたが、本質的な部分は何も変わらない。 だが、ココにある本ならばあるいは……。 ローアネットは本を持ち、丸いクリアガラス製の窓の側にある読書机に座った。そして僅かな期待を込めて本を開く。 『コールド・エッジ。 発病から約二年の潜伏期間を経て発症する先天性の病気。無痛ではあるが精神的な鬱状態となり、発症すると確実に死に至る。発病理由不明。発病により背中に青白いひし形の痣が確認される。粘膜感染、母子感染、空気感染でうつる事は無い。 本病気のメカニズムは未だに不明であるが、精神の急激な老化によるショック死であるとの見方が強い。 BN五〇四年にアクディ=エレ=ドートが治療法を確立。『人工ソウル』と呼ばれる霊的物質を用いて、本病気の治療に成功。しかし成功率は約五%と非常に低い。また治療法も現代魔術医療では解釈できず、オカルト的な要素を多分に孕んでいるため、医学界では問題視されている』 「…………」 ローアネットは落胆と共に本を閉じた。 内容は今まで見てきた物と変わらなかった。 コールド・エッジの治療法を生み出したアクディ。彼の洋館にある膨大な蔵書量を誇る書庫。そこにある医術書ならば、もかして世間で言われているのとは全く違う治療法が書き記されているのではないかと思っていたのだが……。 コールド・エッジの治療法は確かに、一般に普及している現代魔術医療とは大きくかけ離れている。 現代魔術医療は新陳代謝を激的に高めたり、ウィルスを物理的に排除したり、麻酔無しでも痛みのない手術をしたりする事を可能とする。それらは全て科学的な解釈が成立し、おとぎ話の中の魔法のように、死者を蘇らせたり、無から有を生み出したりする事は出来ない。 だからアクディの開発した治療法は世間的に異端視されている。 しかしいくらオカルト的だと言われていようと、ローアネットにはそれにすがるしか道がない。治療を受けた後、周りから冷たい目を向けられようと構わない。たった一人の肉親を失うくらいならば。 (あら……) あと五十分程どうやって時間を潰そうかと頭を上げた時、向かいにある読書机に分厚い背表紙の本が置かれているのが目に入った。綺麗に製本されている他の物とは違い、角がボロボロになっている。 タイトルなどは書かれておらず、無地の黒い表面が不気味に晒されていた。 ローアネットは席を立ち、その本を取り上げた。そして一ページ目を捲ってみる。 『錬生術とはコールド・エッジの症状を逆転させた、魂からの創生である』 一瞬、体が感電したような痺れを覚えた。 ローアネットは震える手でページを捲っていく。そこには錬生術について、事細かに記されていた。 (これってアクディの……) 間違いない。研究日誌だ。 錬生術の仕組みや、ソレを使った実験の研究データが几帳面な字で書き連ねられている。 『コールド・エッジは発病すると背中にソウルの抜け道が出来る。形状の小さい精神系のソウルはそこから徐々に漏れて行き、心的疾患をもたらす。そして発症と共にソウルの抜け道は全開となり、形状の大きい身体系のソウルが大量に漏出する事によって肉体は死に至る』 (ソウル……ソウルって?) ローアネットは椅子に座る事も忘れ、『ソウル』という言葉の説明が書かれているページを探した。 『ソウルとは神経、感覚など肉体という表面上の機能を維持するために必要な霊的物質である。例えば喜びの感情を司るソウルが抜けると悲観的になり、味覚を司るソウルが抜けると味を感じなくなる。運動を司るソウルがなくなると動けなくなり、内臓の筋肉の動きも止まってしまうため死亡する。これがコールド・エッジが発症した時の症状である。 ソウルは大きく精神系と身体系に分けられ、前者は小さく後者は大きい。おそらく肉体の機能を維持するための重要度合いで大きさが決まっているのだと思われる』 (内臓を動かすためのソウルが無くなるから死ぬ……? これがコールド・エッジが発症した時の症状?) 予定表に書かれている訳でもないのに、ローアネットの指は勝手に動いて研究日誌を捲り続ける。 『今日もコールド・エッジの治療ため、二人の患者が来た。だが私にはどうする事も出来ない。カウセリングをして、心の病を和らげてやる事くらいしか。根本的な治療法が見つからない。医術師に就いてから、これ程の無力感を味わった事は無い』 本の後ろ半分はアクディの日記になっているようだった。医術師としてコールド・エッジの治療にあたっている時の苦悩が書きつづられている。 『コールド・エッジに掛かった患者が目の前で死んだ。これで十人目だ。なのに症状が全く分からない。体はどこも悪くないのに突然死んでいく。まるで魂でも抜けて行くかのように』 『私は考えを変える事にした。コールド・エッジは現代魔術医療に則った常識的な考えでは解決できない。物の見方を四次元的にし、直感を信じるしかない』 『非常識であるが、私は何の根拠もない一つの仮説を立てた。人の肉体は目に見える物だけで支えられているのではない。その更に奥に別の要素が絡んでいる。私はそれを『ソウル』と仮称した。コールド・エッジはこのソウルが抜けていく病である物として、治療法を模索していく』 『オカルトの分野でよく用いられいる、悪魔召喚のための道具。召喚された悪魔を捕縛するという筒状のリアクターを使って、私はソウルのトラップを試みた。コールド・エッジに掛かった患者の体に、あらゆる角度からリアクターをかざしてみた。患者からは奇異の視線を投げかけられた。トラップは成功しなかった』 『オカルトに関する知識をかなり身に付けた。どうやら道具だけでは駄目のようだ。魔法陣や呪文も必要になる。周りから、私の事をおかしくなったと言う連中が出始めた』 『ついにソウルのトラップに成功した。私の仮説は間違っていなかった。リアクターの中には霧のような物が溜まっていた。後はコレを元の体に戻す事が出来れば……』 (ホント、天才と何とやらは紙一重ってヤツね……) 医術師とは思えないあまりに異常な行動の数々に、ローアネットは眉間に皺を寄せてページを捲る。 それからソウルを体に定着させる研究が進む。一応の成功は見せるが、コールド・エッジの症状を緩和できても完治する事までは出来なかった。どうやらすでに出て行ってしまったソウルを、何らかの形で補完する必要があるらしい。 そしてアクディは人工ソウルの研究に没頭し、医術に更なるオカルトを取り入れていく。 三年の歳月を掛け、アクディはソウルを構成している要素の特定に成功。それらを含む物質を集めた。 不死鳥の角、双頭龍の鱗、牙ヤシの果肉、黄金虫の羽、アエレウス・ピラニーの目玉。 どれも一つで家が一軒建てられる程、高価な物ばかりだ。 これまで天才医術師として名を馳せてきたアクディ。知らず知らず築き上げて来た莫大な財産に物を言わせて、彼は『人工ソウル』を生み出す事に成功した。 そして―― 『ついにコールド・エッジを完治する事が出来た! 『人工ソウル』を使って失われたソウルを補完すると共に、ソウルの抜け道を塞ぐ事が出来た! これで彼女はもう普通の生活を送る事が出来る! 記念すべきと言っては不謹慎だが、最初の患者はまだ年端もいかない少女だった。名前はノア=リースリーフ。彼女の名前は一生忘れないだろう』 (ノア……) 知っている名前だ。自分と同じく、この『死のゲーム』への参加者。退廃的な雰囲気を纏う若い女性。 (同姓同名?) 分からない。それ程珍しい名前というわけではない。単なる偶然かも知れない。 いつか本人に聞いてみなければ。コールド・エッジに関する情報は多いに越した事はない。 『コールド・エッジの治療法を確立したというのに、世間からの風当たりは強い。どうやら私が研究に没頭している間に、狂医術師としてのレッテルを貼られてしまったらしい。自分達がコレまで考えの拠り所にしていた現代魔術医療の理論で解釈出来ない物は全て拒絶する。今の医学界は頭の固い愚かな連中ばかりだ。私に賛同してくれる者は、ほんの一握りだけだった』 それから、アクディの嘆きが続く。 治療の成功率がどうしても上げられない事。『人工ソウル』を生み出すための材料費が非常に高く、治療費が思うように下げられない事。そして、アクディの体に死期が近づきつつある事。 『私は医術師だ。自分の体の事は誰よりも熟知している。後十年、持つか持たないと言ったところだろう。だから私は残したい。自分が存在した事の証を。たった十年足らずでやり遂げられるかどうか分からないが、何としても完成させたい。錬生術を』 アクディは生まれつき体が弱く、生殖機能に異常があった。 彼は子供を作る事が出来ない体だった。しかし自分の子孫を残したい。養子や人工授精などではなく、“自分の手で”子供を創りたい。 生きて来た軌跡を残すために。 そこでアクディはソウルに目を付けた。 体からソウルが抜ける事で死に至るのならば、逆にソウルを集める事で生を為す事も出来るはず。 そう考え、錬生術の研究を立ち上げた。 アクディは医学界を去り、自分の為の研究に集中するために人里離れた場所に洋館を建てた。そしてソウル・パペットと呼ばれる人工生命体を生み出していった。 『私の理論は間違っていなかった。『人工ソウル』を用いてソウル・パペットを生み出す事に成功した。素晴らしい事に、ソウルという霊的物質をある程度安定させれば、ソレを受け入れる肉体は自然に構成されるようだ。やはり生命の根元はソウルだ。肉体などソレに付随する入れ物に過ぎない。最初のソウル・パペットを仮に“タイプA”と命名。後でちゃんとした名前を考えよう。しかし一応人の形は為したが、まだまだ人間性には乏しい。更なる研究が必要だ』 『今日、タイプAが階段から落ちて首の骨を折った。一瞬、自分の愛娘が死んだような悲しみに襲われた。しかしソウル・パペットは、ソウルのみから生み出された生命体だ。例え肉体が破損していてもソウルさえ無事な形で残っていれば、再度錬生術で安定化させる事で生き返らせられるらしい。本当に良かった』 それからしばらく、錬生術は失敗続きのまま一年が過ぎた。 絶好の滑り出しかと思われた研究に、早くも陰りが差してきた。そして―― 『私は取り返しの付かない事をしてしまった。死者の冒涜。元自分の患者に何と言う事をを……。絶対にしてはならないと思っていた事に手を出してしまった。最初に生み出したソウル・パペット以降、人の形にすらならずに苛立っていたせいかもしれない。私自身が子を成せない体だと知った時から、生の重さ、死の深さは常に考え続けて来た。だから医術者を目指した。しかし、自分の手で生み出した子を持ちたいという欲求に、どうしても逆らえなかった。私はもうおかしくなってしまっているのかも知れない。果てしない罪悪感を感じつつも、すこぶる出来の良いソウル・パペットに胸の高鳴りを押さえられない。最初のソウル・パペットから数えて彼はタイプGに当たる。“ギーナ”と命名しよう』 『ギーナは非常に人間的だ。表情も豊かで、喜怒哀楽を表に出してくれる。ただ言語機能に多少の障害がある。また情緒も若干不安定な傾向にある。しかし些細な事だ。外界に触れて他の人間と接すれば、きっとより人間に近付くに違いない。私の子供が王都で歩いて、会話をして、食事をしている。考えただけで昂奮を禁じえない』 (狂ってるわ……) 気分が悪くなり、ノアは研究日誌を閉じた。 コレを読んでいるとアクディが堕ちていく様子がよく分かる。天才と呼ばれる人間は、何かちょっとしたキッカケで、これ程までに変わってしまうものなのだろうか。 そして自分は今、この狂った元天才医術師が生み出した治療法に救いを求めている。ならば自分も一歩、狂気へと足を踏み入れている事になるのだろうか。 (それならそれで、しかたないわ……) 目を瞑り、軽く頭を振りながらローアネットは自嘲めいた笑みを浮かべた。 この本に書かれている情報は貴重だ。この洋館を出てしまっては決して手に入らない。一気に読む事は出来ないが少しずつなら。心の整理をしながら、ゆっくり読んでいこう。そしてアクディを受け入れていこう。 彼の狂気に当てられて、気がふれてしまわないように。 †五日目 【五階廊下 13:51】† アクディの研究日誌を自室に持ち帰りはしたが、昨日はあれから続きを読む気にはなれなかった。 『死の予定表』と『狂気の日誌』。 二つの災厄をなんとか現実の物として受け入れ、気持ちを落ち着けるので精一杯だった。 食事をしている時、ベルグが掛けてくれた心配そうな声で少し落ち着いた。ユレフがベルグの肉を狙ってはしゃいでいるのを見て少し和んだ。初めて皆と一緒に夕食を食べたヲレンが見せた完璧なナイフさばきや、ノアが食事をしながらタバコを吸っている姿に、少なからず安堵を覚えた。日常を感じる事が出来た。 そして一晩寝て、ようやく平静を取り戻せた気がした。 今日、ベルグと談笑しながら昼食を摂った後、ローアネットは洋館の中を散策していた。気分転換した後、アクディの研究日誌を読むつもりだった。 「ん」 五階の高い位置から中庭を見下ろしながら、長い廊下を歩いていると、他とは明らかに異質な雰囲気を放つ扉が目に留まった。 黒塗りの金属製の扉に、細い針金のような物が縦横無尽に走っている。針金の中には光が通り、幻想的な幾何学模様を浮かび上がらせていた。自分達の部屋にある綺麗な木目調の扉とは似ても似つかない。 (何かしら……) 妙に興味を引かれて、ローアネットはその扉のドアノブに手を掛ける。しかし扉は押しても引いても開く事はなく、時間と共に消失するわけでも、真上にスライドするわけでもなかった。 少しの間色々試してみて、ローアネットは自分の予定表に書かれていた事に思い当たる。 『七日目12:28□黒い扉の部屋に入る□』 (これじゃ入れないじゃない……) それともココ以外に黒い扉の部屋があるのだろうか。 「う、うぉ! なんでンな事まで分かるんや!」 突然響いた叫びに、ローアネットは無意識に声の方へと顔を向けた。 声の主はすぐに分かった。異国訛りのある特徴的な喋り。間違いなくベルグだ。誰かと話をしているのだろうか。 (お昼食べた後すぐに居なくなったと思ったら……) ローアネットは少し不満顔で、声が聞こえた方に歩を進める。 自分より優先して話をしたい人が居るという事なのだろうか。 少し歩き、ローアネットはプレイルームの前で足を止めた。緩やかに湾曲した白い軟体金属の扉が彼女を迎える。その扉に手を触れると真ん中に小さな穴が開き、無数の同心円を生み出しながら広がっていった。 そして自分の体が通るくらいの大きさになったのを確認して、ローアネットはプレイルームへと足を踏み入れる。 「あら……」 意外な組み合わせにローアネットは思わず声を上げた。 中に居たのはベルグ、そしてノアだった。部屋の一番奥にあるグランドピアノの隣でベルグは硬直して、ノアは面倒臭そうにタバコをふかしながら、コチラに視線を向けている。 「ロ、ローア! どないしたんや、自分!」 ローアネットの姿を見て、何故か上擦った声を上げるベルグ。あからさまに何かやましい事をしていましたと自己主張していた。 (やっぱり、若い子には勝てないのかしらね……) 薄紅色のロングヘアーを梳きながら、ローアネットは優美な足取りで二人に近づく。 「お邪魔、だったかしら?」 そして悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ベルグの隣りに立った。 「い、いやぁ! ンな事あらへん! お話は大勢でした方が楽しいに決まっとる! なぁ、ノアちゃん!」 「……さぁな」 ノアは半眼になって気怠そうにそっぽを向く。まるで自分が邪魔者だと言わんばかりの仕草だ。 『せっかく二人きりだったのに』 そんなノアの心の声が聞こえてきそうだった。 「あ、そ、そーや! ローア! ノアちゃん、ごっつ歌上手いんやで! こぅ、なんちゅーか心が洗われるみたいな感じや! なぁノアちゃん! も一回歌ってくれへんか?」 「……断る」 『私が歌うのはベルグにだけだ』 ローアネットにはそう聞こえた。 「はいはい、どーもアタシはお呼びじゃないみたいね。二人の邪魔して悪かったわ。どうぞごゆっくり」 ローアネットは大袈裟に肩をすくめて見せ、立ち去ろうとする。 「ちょ、ちょー待てやローア! 自分、何か変な勘違いしとるやろ! 俺は予定表に書かれとったから仕方なく……!」 しかしベルグの言葉にすぐにハッとなり、慌てて振り向いた。 ――予定表の内容を他の人に喋ってはならない。 このルールを破った者はゲームに負けたと見なされ、死が訪れる。 「ベルグ!」 「う……!」 ベルグは苦しそうに胸を押さえて、その場にうずくまった。 「馬鹿! 何て事するのよ!」 ローアネットはベルグの顔を胸に抱き入れながら、悲痛な叫び声を上げる。 死んでしまう。ベルグが死んでしまう。こんな、こんな些細な事で! 「芝居だ。下らん」 頭上から冷め切ったノアの声が聞こえてきた。 「え……?」 「ノアちゃーん、ネタバレすんの早いでー。もーちょっと、このふくよかな胸の中で……」 ベルグは幸せそうな顔でローアネットの胸に頬をすり寄せている。 「ベルグ!」 平手で思いきり頬を叩き、ローアネットは乱暴にベルグの頭を放り出した。 「本気で心配したじゃないの! この馬鹿!」 「っつー……。いやいやスマンスマン、悪気は無かったんや。俺自身、ホンマにアカンか思ーたからな」 「悪気が無かったら何しても良いって訳じゃないでしょ!」 痛そうに頬をさするベルグに、ローアネットは柳眉を逆立てて激昂する。 「……バレなければルール違反でも問題ない、という事か」 二人のやり取りを見ながら、ノアは冷静な口調で言った。 「そーみたいやな。ま、時間差で来るかもしれんし、ルール違反の度合いによるんかもしれんけど、取りあえず今は平気みたいや」 ベルグも少し真剣な表情になり、猫目を薄く開いて思慮深げな光を見せる。 「アクディはただ単純に俺らを殺したいわけやない。このゲームには何か意味があるんや」 単純に殺したいわけではない。それはローアネットも考えていた事だ。 「意味っ、て……?」 どこか遠慮がちな声でローアネットは聞き返した。 さっきまで軽かった空気が、一瞬のうちに圧迫感のある物へと変貌している。息苦しさを覚えるほどに。 「例えば、や。俺らに届いた招待状。あれかてちょっと考えたらおかしいで。あんな物騒な内容の手紙、テキトーにバラまいとったら大混乱や。それこそ教会の連中の目に止まってみー、こんな洋館イチコロやで」 確かに。 招待状にはこの『死のゲーム』の内容が、それなりに詳しく書かれていた。 アクディの洋館で行う事。何もしなければ十日以内に死ぬ事。生き残る事が出来れば大金を受け取れる事。ルール違反をしたり、洋館を出たりすれば自動的に死が訪れる事。 受け取った人が酔狂な遊びだと流してくれればそれで良いが、中には正義感の強い者も居るだろう。国や教会に知らされでもすれば、大挙してこの洋館に押し寄せて来てもおかしくない。 狂医術師、アクディ=エレ=ドートを処罰するための絶好の機会になるだろうから。 「でも待って。確かヲレンさんは教会の関係者だって言ってたわ。このゲームに生き残ってアクディを大司教の前に連れ出すんだって」 「教会の関係者ぁ? ホンマかぁ?」 ベルグは首筋を掻きながら、胡散臭気な視線を向けて来る。 「まぁ……本人から聞いただけだけど」 「もしそーやとしたら教会もエライ回りくどいマネすんなー。立派な物的証拠もあるーゆーのに。ソイツ偽モンちゃうんか」 「どーして嘘なんか付く必要があるのよ」 まるで自分が責められているようで、ローアネットは少しにムキになって返した。 「……つまり、お前は私達五人に何か共通点でもあると言いたいのか? ヲレンとか言う奴はソレを隠している、とでも?」 「そー! まさしくその通りやノアちゃん! さすが鋭いなー!」 ノアの呟きにベルグが歓声を上げる。 「悪かったわね。鈍感で」 ソレが何だか気に入らなくて、ローアネットはふてくされたような顔になった。 「さっきから何スネとんねん。ま、ちょっと怒った顔も色っぽいけどな」 「う、うるさいわねっ」 顔を紅く染めて、ローアネットはベルグから視線を逸らす。 「……で、その共通点って言うのは?」 「いやまぁ、単なる憶測なんやけどな。もしかしたら、コールド・エッジ絡みなんちゃうかなーって。アクディゆーたら、錬生術かコールド・エッジやろ? 例えば、俺ら全員コールド・エッジに関わってるとしたら、アクディとの繋がりも無いこた無いなぁ思ーて。少なくとも俺は自分が掛かっとるし」 「……コールド・エッジ、ねぇ」 ノアは新しいタバコに火を付けながら、どこか馬鹿にしたような視線を向けた。 「なぁノアちゃん。自分、ひょっとして親戚とかにコールド・エッジになった人とかおるんちゃうん」 「……さぁな」 しかしノアはベルグの問い掛けに答える事なく、曖昧な返事を返す。 (そういう、事か……) 『コールド・エッジ』 その単語に触発されて、ローアネットの中に確証に近いモノが生まれた。 恐らく、アクディはコールド・エッジに掛かった事がある者に招待状を送りつけている。 ベルグは自分自身がコールド・エッジ。 ノアは直接聞いたわけではないが、アクディの研究日誌に書かれていた人物と同一ならば、過去に掛かっていた事になる。 そして自分は……。 (ダメよ……) 何か言おうとしてローアネットは口を閉ざした。 コレを言ってはいけない。自分にはこのゲームに参加する資格がない事がバレてしまう。 アクディの研究日誌の事は伏せておこう。変な事を口走ってボロが出てしまっては元も子もない。 自分は書庫で研究日誌など読まなかったし、そこにノアの名前が書かれていた事など当然知らない。 「話の途中で悪いんだけど、アタシはちょっと席を外すわ」 残念そうな声を出して、ローアネットはプレイルームの出入り口に歩き始める。 「どないしたんや、腹でも痛いんか?」 「まぁ、ちょっと、ね……」 歯切れ悪そうに言うローアネットに、ベルグはすぐに「ああ」と何かを察してくれた。 こういうポーズを見せれば、勘の良い彼ならすぐに予定表の事を思い浮かべるだろう。そして詳しい事を言えない理由も分かってくれる。 今はとにかく一人になりたい。 一人で落ち着いて考えて、何を喋っても良いのか、何が自分に不都合をもたらすのか、ソレを頭の中で整理しなければ。 昼間はココのルールを上手く使って、危ない場面を切り抜ける事が出来た。だからあの時は少なからず感謝した。しかし今は……。 (サイテー……) 薄暗く、埃っぽい保管庫。 殆ど使われた形跡はなく、もう何年も前に押し込められたまま放置されているだろう雑品が、山のように積まれていた。綿の抜けたヌイグルミや、弦の切れたバイオリン、針のない置き時計など、すでにゴミと化している物も沢山ある。 下見に来た時からある程度は覚悟していたが、いざその時となるとまた少し違う。 そして保管庫の隅の方には、一人用の古い木製のテーブルが置かれていた。側には保管庫の裏口らしき扉も見える。テーブルの端には危なっかしく、ワインの瓶が何本も並べられていた。ほんの少しの衝撃でも落ちてしまいそうだ。 すぐにでも出て行きたくなる陰湿な空間。 だがローアネットは予定表に従い、ココで夕食を摂らなければならない。 (ホントに、何の意味があるって言うのよ……) もはや単なる嫌がらせにしか見えない。 ワインの瓶が置かれたテーブルには、すでにアーニーが豪勢な食事を運んで来てくれている。いつもならば美味しそうな食事も、ココで見ると動物の餌に見えてしまうから不思議だ。 「まったく……」 ブツブツと文句を言いながら、ローアネットはテーブルに腰掛けた。 「いただきまーす」 そして白々しく手を合わせてから、ナイフとフォークを両手に持つ。 皿に盛られた野菜をナイフでフォークに乗せ、口に運ぼうとした時―― 「ひぃぁ!」 何か小さい物が目の前を走って行ったのを見て、ローアネットは悲鳴を上げた。口に入るはずの野菜はフォークから抜け落ち、埃の積もった床へとこぼれ落ちる。 一瞬だがハッキリ見えた。アレは、自分の嫌いな……。 小さなソレは甲高い泣き声を響かせながら、床に落ちた野菜に飛びついた。 「ネズミー!」 ソレの正体を口に出して叫び、ローアネットは慌ててイスから立ち上がる。その拍子に足が激しくテーブルにぶつかった。 「あ」 短く声を上げるが、時すでに遅し。 ローアネットの見ている前で、机の隅に置かれたワインの瓶はバランスを崩し、床へと吸い込まれていく。そしてけたたましい破砕音を響かせて、床の上に散乱した。 「あーあ……」 疲れた声を出すローアネットの視界に、割れた瓶の破片が床から生えた牙の如く映る。 まったく踏んだり蹴ったりとはこの事だ。 片付けるにしても掃除道具の場所をアーニーに聞かなければならない。下手に自分で拾って、指でも切ったらさらに憂鬱になる。 体の自由はすでに戻っていた。最後までではなくとも、『食事を摂る』という行為をすればそれで良いらしい。 ローアネットはネズミの居る保管庫から一刻でも早く外に出るため、早足で出入り口へと向かった。そして自動スライド式の扉を抜けて外に出た時、視界の隅に見知らぬ人影が映った。 やせ細った体。痩けた頬。腫れぼったい両目。曲がった背中。全身をスッポリと覆う、大きめの黒いローブ。 「貴方、ひょっとして……」 直接見た事はないが、本で何度も目にした事がある。その時の写真とは随分人相が違っているが間違いない。 「アクディ……」 ローアネットの呟きを合図にしたかのように、老人は背中を向けて歩き始めた。そしてすぐに二階への階段を上がり、姿を消してしまう。 「あ、ちょっと……!」 思いも寄らないの人物との突然の邂逅に、ローアネットは動揺の色を隠せないままアクディを追った。 †六日目 【自室 14:45】† (なんだったのかしら……) 結局、昨日はあれからアクディには会う事が出来なかった。いや、ローアネット自身、本気で探そうとしていなかっただけかも知れない。 アクディを見て反射的に追い掛けてしまったが、今会ってもまともな会話など出来そうもない。まだあの研究日誌を読む前なら、コールド・エッジについてもっと詳しい事を聞き出そうとしていたかも知れない。 しかし、自分はすでに彼の狂気の一端に触れてしまった。 コールド・エッジの症状を逆転させた錬生術。ソレによって生み出されたソウル・パペット。不死の人工生命体。彼らに注ぐ親としての愛情。 ローアネットには理解できない部分が多すぎる。 それに自分が今最も優先させるべき事は、アクディとの会話でも彼の思考の理解でもない。 このゲームに最後まで生き残る事だ。弟をコールド・エッジを治すために。 (ま、取りあえず第一段階は突破、ってところかしらね) ベッドに横になり、書き換えた自分の予定表を満足げに見ながら、ローアネットは嬉しそうに笑った。 今日の十一時三分。ローアネットは自分の胸にナイフを突き刺す予定だった。しかし、その時間はとっくに過ぎている。無事、死の予定は回避した。 (あと四日。あと四日何も起こらなければ、アタシの勝ち……。そうすればコールド・エッジの治療費だって手に入るし、ベルグも……) 考えただけで頬が緩んでくる。 死を無事回避してからというもの、今日はずっとこの調子だ。気持ち悪いほど気分が浮かれている。最初に構えすぎたのかも知れない。 何もしなければ死ぬ、などと言われたものだから過剰な反応を示してしまった。まさかこんなにあっけなく回避できるとは思っていなかった。 もしかしたらアクディも、簡単にお金を渡すと有り難みがないから、こんな凝った演出をしているのかも知れない。 「ローア、おるか?」 そんな楽天的な事を考えていると、部屋のドアがノックされた。すぐにベルグだと分かり、慌てて予定表をサイドテーブルの引き出しの中に隠す。 「え、ええ、居るわ。どうかしたの?」 ローアネットは上擦りそうになる声を何とか抑えながら、ドアの近くまで行き、ロックを外した。そして部屋の内側へと扉を開ける。 外には予想通りベルグが立っていた。 だが、心なしか表情が暗い。 「ローア、落ち着いて聞いてくれ」 そして沈んだ声で、ベルグは絞り出すように続けた。 「ヲレンが死んだ」 「……え?」 一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。 死んだ? ヲレンが? 何故? ナゼナゼナゼ? 「保管庫でな、倒れとったんをアーニーが見つけたそうや」 「保、管庫……?」 その言葉に全身の温度が一気に下がる。下顎が震えだし、歯の根が噛み合わなくなった。口の中の水分が一気に乾ききり、喉の奥が痛い程に張り付くのが分かる。 「ひょっとして……死んだのって……ガラス、が……?」 「あ、あぁ。けど何で知って……」 ベルグの言葉が終わらないうちにローアネットは部屋を飛び出し、彼の体を押しのけて廊下を駆けた。 後ろからベルグが呼ぶ声が聞こえるが、足は止まらない。まるで予定表の内容に従うかのように勝手に走り続ける。 (嘘でしょ! 嘘よ! そんなの嘘よ!) 何度も何度も心の中で叫びながら、ローアネットは保管庫に向かった。 ローアネットが着いた時、丁度アーニーが保管庫の床に白いシーツを掛けているところだった。しかしシーツは平坦になる事はなく、大きな人の形に盛り上がっている。 ローアネットはその隣りに力無く座り込み、恐る恐るシーツを持ち上げた。 「ひ……」 最初に目に飛び込んできたのはヲレンの瞳だった。丸い瞳を更に大きく見開いて、何か信じられない物でも見たような視線を宙に投げ出している。 そして彼の顔の下には、まだ出来て間もない血溜まり。床に降り積もった綿埃を紅く染め上げ、少しずつ広がってきている。 鮮血が流れ出している源。その場所に刺さっている物を見て、ローアネットは全身からありとあらゆる力が抜けて行くのを感じた。 「は……あはは……あははははは……」 乾いた笑い声が無意識に口の端から漏れる。 ヲレンの喉に刺さっていたのは、ワインの瓶が割れた破片。 昨日、ローアネットがココで食事をしていた時、誤って割ってしまったワインの。 (殺した……アタシが、殺したんだ……) あの時、ちゃんと片付けていれば。アクディになど気を取られず、もう遅いからと言って次の日に持ち越したりせず、自分の死の回避で頭を一杯にせず、もっと気を回していればこんな事にはならなかった。 「……喉元を一撃、か。苦しむ暇もなかったな」 後ろからノアの声が聞こえた。彼女の声は驚くほど落ち着いていて、どこか冷淡だ。 「ついに一人目の脱落者が出たでござるか」 続いてユレフの声も聞こえる。彼も別に動揺した様子はない。 この二人はおかしい。狂ってる。人が一人死んだというのに、どうしてこんなにも普通にしていられるんだ。 「ヲレン=ラーザック様の処理は私が行っておきます。皆様はゲームを続けて下さい」 淡々として口調でアーニーが言った。そしてヲレンの体にシーツを巻き付け、隣りに持ってきていた浮遊台車に体を乗せていく。 おかしい。みんなおかしい。 こんな物なのか? 人の命とはこんなにも軽い物だったのか? 死というのはこんなにも浅い物だったのか? 焦燥に似た疑念が胸中で渦巻き、ローアネットは吐き気を伴う震えに耐えるかのように体を抱きしめた。 いや、一番おかしいのは自分だ。あんな下らない事で、誰かの命を奪ってしまった自分が一番おかしい。 アクディの事を狂っているなどと罵っておきながら、自分はそれ以上に狂っている。一般人の皮をかぶった異常者だ。 許されない。許されるはずがない。人の命を奪っておいて、自分だけのうのうと生きているなど……! 「ローア!」 自分を呼ぶ声と共に、背中に温もりを感じた。そして逞しい腕が体の前に回される。 ああ、誰だろう。こんな薄汚れた自分を抱きしめてくれるのは。何だか、少しだけ気持ちが楽になった気がする。 「落ち着け、ローア。何があったんか知らんけど、お前は何も悪ない。せやから自殺なんかアホな事すんなや」 自殺? 何の事だ? 自分は自殺など……。 彼の手が自分の右手に添えられる。そして無機質な音を響かせて、右手から何かガラスのような物が落ちた。 「アイツは運が悪かった。ただそれだけや。予定表の内容通り行動して、死んだ。その事はアイツかて承知しとったはずや。覚悟は出来とったはずや。死の回避に失敗したんはアイツの責任や。お前は何も悪い事ない」 彼は必死になって自分を励まし続けてくれる。 「どうして……」 口から掠れた言葉が出た。 「どうして、アタシはこんな事を……」 何故自分はココにいる? 何故自分はこんな所で人殺しをしている? 分からない。思い出せない。どうしてこんな事をしているのか。 「弟助けるためやろ! 金貰って、弟のコールド・エッジ治すんちゃうんかい! しっかりせーや!」 ああ……。そうか。そうだ……。 そのために私はココに来た。最後まで生き残って、お金を貰って、そしてベルグも一緒に……。 私がしっかりしないと。私がちゃんとやらないと……。 「ベルグ……」 後ろから抱きしめてくれている彼の名前を呼ぶ。 「ちょっとだけ、我が儘言ってもいい……?」 「おぉ! 何でも来いや!」 ベルグの頼もしい言葉を聞いて、ローアネットは力無く笑った。 ローアネットは自分の部屋で、ベルグと一緒のベッドに入っていた。 窓の外はもう暗い。あれから二人で時間を忘れて愛し合った。 ローアネットはベルグの温もりを確かめるように肌を寄せ、彼の逞しい胸板に顔を埋める。生の証である心臓の鼓動音がハッキリと聞こえてきた。 「……ごめんなさいね。変なお願いしちゃって……」 少し悲しげな声で言いながら、ローアネットはベルグの顔を見る。 「貴方の婚約者さんに悪いって思ったんだけど、こうでもしないと、おかしくなっちゃいそうで……」 ずるい女だと思われただろうか。計算高い女だと思われただろうか。 だがそれも仕方がない。自分はそう思われて当然の事をしてしまった。 「今更謝んなや。元々俺が自分から買って出た事や。これでローアが元気になってくれるんやったら安いもんやで。何やったらもう一回しよか?」 「ばか……」 彼の明るい言葉に胸の中が暖かくなる。 ベルグには何度も助けて貰った。何度も励まして貰った。そのたびに自分が強くなっていく事を実感できた。 弟のコールド・エッジを治すため、自分の躰を売る事を決意した時、弱い物は全て捨て去ったつもりだった。感情を押し殺し、理性だけで自我を保ち、妖艶な娼婦になりきった。 ――アタシは男日照りの色情狂。 自分にそう言い聞かせる事で、気が狂ってしまう事から何とか逃れる事が出来た。好きでもない男に抱かれている自分を冷静に客観視する事で、辛うじて精神を繋ぎ止める事が出来た。 だが、今はもう駄目だ。 こうしてベルグに寄り添っていないと、あっけなく壊れてしまう。 自分は人殺しなのだという罪の意識に押しつぶされてしまう。 自己暗示で誤魔化しただけの脆弱な外殻を、『強さ』と勘違いしていた自分には、これ以上気丈に振る舞う事は出来ない。 「ねぇ、ベルグ……」 ローアネットは少し甘えたような声でベルグに話し掛けた。 もぅ、彼には全てをさらけ出してしまいたい。 「アタシね、ホントはココに招待されたわけじゃないの」 そして楽になりたい。彼に自分を委ねてしまいたい。 「アレはね、弟に来た招待状。代理人は不可って書かれてなかったから、ダメ元で来てみたの……」 「そうか……」 ベルグは別に驚くでもなく、ローアネットの長い髪の毛を優しく撫でてやりながら聞いている。 「それでアタシね、書庫で面白い本見つけたのよ。アクディの研究日誌」 「アクディの……?」 ベルグは少し目を大きくして聞き返した。 「そぅ。錬生術についても色々書かれてたわ。途中で気分が悪くなって読むの止めちゃったけど。それでね、そこにノア=リースリーフって女の子が昔、コールド・エッジの治療を受けた事があるって書いてあったのよ」 「ノアって……あのノアか?」 「多分……」 ローアネットの言葉に、ベルグは面白そうな顔になって頷いた。 「つまり、少なくとも俺ら三人には強い接点があるゆーこっちゃな」 「そうよ」 コールド・エッジの患者としての接点が。 アクディは恐らく、コールド・エッジの患者のカルテから今回の招待客を選んだ。それにどんな意味があるのかは分からないが、可能性としては高いだろう。 「ほんならヲレンっちゅー大男も、ユレフってガキもコールド・エッジの患者なんか」 「多分、ね……」 確証はない。二人とも、コールド・エッジに掛かっているにしては元気すぎる。アクディの理論で解釈するならば、精神系のソウルが徐々に抜けていっているはずなのだから、鬱状態になっていてもおかしくないはずだ。 だが、自分のすぐ隣りに例外が居る。 ヲレンは教会で特殊な訓練を受けていたのかも知れない、ユレフは明らかに普通の子供とは違う。 「ま、今日はもー難しい事考えんのやめにしよ。明日に備えてグッスリ寝た方がええ」 「ん……」 確かにベルグの言うとおりだ。 招待客の共通点が分かったところで、この死のゲームに生き残れるわけではない。どんな不測の事態にも対処できるように、体力を温存して置いた方がよほど建設的だ。 「今夜は、ずっと一緒に居てくれる?」 「遠慮せんでも俺は別に毎晩でもええでー。ローアネットお嬢様のご指名とあらば」 「ふふ……よきにはからえ」 こうして、夜は更けていった。 †七日目 【五階廊下 12:31】† 昨日の夜は体力の温存どころか、かなり激しく消耗してしまった。 しかし心の方は満ち満ちている。 (きっと愛の力ね) そんな事を考えながら、ローアネットは上機嫌で五階の廊下を歩いていた。 お昼近くまで寝ていたローアネットが目を覚ますと、ベルグはすでにベッドの中に居なかった。何か用事があったのかも知れない。恐らく予定表に何か書かれていたのだろう。 それに関してはローアネットも同じだった。 これから自分は黒い扉の部屋に入らなければならない。だが、あれから時間を見つけて他の場所も探してみたが、黒い扉はどこにもなかった。五階のココだけだ。 一昨日確認した時には鍵が掛かっていた。中には入れないはずだ。それとも夕食を保管庫で摂った時のように、『入る』というモーションをすれば予定をこなした事になるのだろうか。 まぁどちらにせよこんな簡単な事で今日の予定は終わる。 これであと三日だ。三日耐え抜けば、大金を得てこの洋館から出られる。 (きっと、ベルグと一緒に) ローアネットは根拠もなくそう考えながら、廊下を進んだ。 視界の中で黒塗りの扉が少しずつ大きくなっていく。レッドカーペットの敷かれた床を確かめるように一歩ずつ歩を進め、ローアネットは黒い扉の部屋の前に立つた。そしてドアノブに手を掛ける。 「あら……」 思わず間の抜けた声が漏れた。 一昨日、あれだけ色々やってもビクともしなかったドアノブはあっけなく下り、黒塗りの扉は室内に呑み込まれるようにしてローアネットを招き入れた。 「え……」 部屋の中に一歩を踏み出したローアネットの口から、乾いた声が漏れる。 そこには本来あるべきはずの物が無かった。 (床、が……) 抵抗する暇もなく、ローアネットは足下に空虚な口を開けた室内へと吸い込まれる。 直後、全身を包み込む無重力感。 内臓が持ち上がり、意識が裏返りそうになる。 ――そして、足下に重い衝撃が走った。 † † † 「アクディ様」 アーニーは薄暗い部屋で、浮遊車椅子に身を沈ませている男に声を掛けた。 「ローアネット=シルフィード様が死亡いたしました」 そして人間味を感じさせない淡々とした喋りで、事務的に報告する。 「アーニー……」 男は彼女の声に、空気の抜けたような声で返した。 「後は……お前に任せる……」 男はそれ以上何も言わず、沈黙を守り続けた。 「承知いたしました」 これ以上命令が無い事が分かると、アーニーは深く頭を下げ、闇と同化するようにして部屋から出て行った。 □■□■□■□ Chapter3§ベルグ=シード§ 一日目09:05□大浴場でゆっくりする□ 二日目13:15□自室で仮眠を取る□ 三日目21:09□保管庫の裏口の前で油をこぼす□ 四日目10:05□五階廊下で今考えている事を大声で言う□ 五日目13:20□治療箱の液体カプセルを精神安定剤の袋に入れ、プレイルームに持って行く□ 六日目13:42□玄関ホールの花瓶にある鍵を使って扉を開け、自室に戻る□ 七日目14:54■五階の窓から飛び降りる■ 八日目09:05□最初の五分間だけ朝食を食べて席を立つ□ 九日目15:36□キッチンでつまみ食いをする□ 十日目23:09□深夜に一人で大浴場に行く□ †一日目 【大浴場 09:10】† 辛くない、と言えば勿論嘘になる。 コールド・エッジに冒されてすでに三年。精神的にはかなり参って来ている。 早く発症して死んでしまいたい。楽になりたい。 もう、二年ほど前から毎日のように考え続けてきた。 だが許されない。一般的に言われている潜伏期間から一年以上もオーバーしているのに、まだ死神は自分の前に姿を現さない。 この世で最も大切な婚約者を助けてやれなかった罰を受けているのかも知れない。まだまだ苦しみ足りないと神がのたまっているのかも知れない。 (ま、別にええけど……) 洋館の一階にある大浴場。その脱衣場で服を脱ぎながら、ベルグは壁一面の鏡に映った自分に冷めた視線を向けた。 長く伸びた藍色の前髪。その奥で薄く開かれた双眸。決して筋肉質ではないが、均整の取れた体つき。そして左手の人差し指にはめられた、シンプルなデザインの婚約指輪。 銀色に光り輝くソレを見るたびに、彼女の事を鮮明に思い出す。 婚約者は熱心な教会のシスターだった。しかし教会の教えでは、指輪などの貴金属の類は悪魔との交渉に使われる物として非常に気嫌いされている。そしてシスターとして神に身を捧げている以上、結婚も出来ない。 だから彼女は脱会した。 教会よりも信仰心よりも、ベルグと一緒に居る事を選んだ。 この指輪は彼女が最初にプレゼントしてくれた物だ。教会を抜けた証として、これからはベルグに身を捧げる誓いの印として。そして将来の幸せな生活への祝福として。 (年取ると昔の事よー思い出すわ……) やれやれ、と軽く嘆息して、ベルグは脱衣場と大浴場の間に張られている暖気遮断シールドを抜けた。マジックミラーとなっているシールドを抜けると、天然石を敷き詰めて作られた和風の大浴場が迎えてくれた。 ヒーリングハーブを浮かべた浴槽、立方体をとったガラス張りの空間に精神安定作用のある霧を吹き込んだ箱浴槽、水中呼吸の出来る魔術が施された全身浴槽、バンダナタイプの脳感応装置を付けて水との一体感を楽しむ娯楽浴槽など、種々様々な湯浴が用意されている。 「っほー、さっすが大金持ちやなー。スケールデカイわ」 感嘆の声を上げながら、ベルグは取り合えず一番オーソドックスな普通の浴槽に向かった。体を包み込む暖かい空気と、足下から伝わる冷たい石の感触が心地よい。 「そぼ品ぼない声ばベルグべごさるば」 突然、浴槽が話しかけて来た。 「おぉ、お喋りするモンもあるんかい。こら珍しい」 「お前は馬鹿でごさるか。小生でござるよ」 湯船の中央が持ち上がり、中からブロンドの少年が姿を現す。 確か初日にケンカを売ってきた、ユレフとかいう生意気な子供だ。潜水からご挨拶とは、なかなかに凝った趣向を取る。 「知っとるわい。ボケただけや。もっと気の利いたツッコミ入れんかい、このダァホ」 言いながらベルグは高く飛び上がって、派手に浴槽へとダイブした。大きく舞い上がったお湯が、ユレフの小さな頭をあっけなく呑み込んで行く。 「っだー! 何するでござるか! この無礼者!」 「やかましいわ。どーせ濡れてんねんからおんなじやろ。細かい事ゴチャゴチャぬかすな」 「貴様の教養を疑うでござる」 不満そうに唇を尖らせて、ユレフはブツブツと口の中で文句を言った。 「ほんで、何でお前がこんなトコおんねん。ガキのクセに朝風呂か」 「年齢は関係ないでござる。大体見かけで人を判断するのは愚か者のやる事でござる」 可愛いクマが刺繍されているピンク色のタオルで顔を拭きながら、ユレフは憮然とした表情で返す。 「おいガキ。自分がどんだけ偉いんか知らんけどな、なんでこんなイカれたゲームに参加しとるんや。親は何も言わんかったんかい」 「その親に言われてココに来たでござるよ」 「はぁ?」 予想外すぎる答えに、ベルグは素っ頓狂な声を上げた。 「親にって……。お前嘘つくんやったらもっとマシな嘘つかんかい。ありえへんぞ」 「本当でござる。だから小生は何としてでもこのゲームに勝たなければならないでござるよ」 ベルグはユレフの目をじっと見る。 子供特有の丸く大きな瞳が、髪の毛と同じ金色の輝きを放っていた。 「……ホンマか」 「ホンマでござる」 瞳には揺れも鈍りも無い。この目を見る限り嘘を言っているようには見えない。 だとすればユレフは捨てられたのだろうか。食いぶちを減らすために。そして運が良ければ大金を手に入れるために。 ユレフの家庭の事情は知らないが有り得ない話ではない。しかし身に付けていた物からして貧乏なようには見えない。他に何か深い理由があるのだろうか。 (……ま、ええわ。こーゆーのはあんま触れん方がお互いのためやな) 「おぃガキ」 「ユレフでござる」 「ほんならユレフ。絶対に死ぬなよ」 ベルグは真剣な顔になって低い声で言った。 見たところこの少年は、十歳に届くかどうかといった年齢だ。大切な人や物との出会いがこれから先沢山待っている。ソレをこんな下らないところで放棄してしまうなんて哀れすぎる。 「それはあり得ないでござるよ。小生は絶対に死なない自信があるでござるよ」 「っほー、エライ大きー出たな。その自信はどっから来るんや?」 「小生が天才だからでござる」 小さい胸を張って言い切るユレフの顔に、ベルグは両手を器用に使ってお湯を細く飛ばした。 「っだー! だから何するでござるか!」 「水鉄砲」 「そんな事聞いてないでござる!」 「おお、スマンスマン。湯鉄砲やったな」 「殺すでござるー!」 叫びながらユレフは、ピンクのタオルを横薙ぎに振るう。水を吸ったタオルは、痛快な音を立ててベルグの頬にヒットした。 「……の、ガキぃ! 人がおだてたったら調子乗りクサリおってー!」 「いつおだてたでござるかー!」 そして、大浴場での格闘戦が始まった。 二時間後。 お互いに疲れ果て、二人とも石の床の上で大の字になって寝そべっていた。 「……な、なかなかヤルやんけ。ガキ……」 「ゅ、ユレフで……ござる……。貴様も、思った以上に出来るでござるな……」 「ベルグや……。そのチンケな脳味噌にしっかり叩きこんどけや、ユレフ……」 「了解でござる……。ベルグ……」 荒い呼吸を繰り返しながら、二人は相手の健闘をたたえ合った。ベルグもユレフも憔悴しきっているが、どこか満足げな表情を浮かべている。 「と、ところで、ベルグ……。お前、ギーナって名前に心当たりあるでござるか?」 「銀杏? 俺、アレ臭いから嫌いやねん……」 「……もぅいいでござる。最初からお前は違うと思っていたでござる」 何の事かよく分からないがユレフは一人で納得したような声を出すと、よろよろと立ち上がった。そして笑う膝を押さえつけながら、弱々しい足取りで脱衣場へと向かう。 「おぃ……ユレフ。もーちょっと休んでいった方がええんとちゃうか」 「しょ、小生には色々とやる事があるでござるよ。まったく……まだ一人目なのに大きく体力を消耗してしまったでござる……」 「一人目? さっきから何のこっちゃ……」 「お前はもぅ気にしなくていいでござるよ。容疑者からは外れたでござる」 言っている事がサッパリ理解できないが、いつの間に掛けられていたかも知らない疑いは晴れたらしい。 (俺も……のぼせる前に出んとなー……) そんな事を考えながら、ベルグは心地よい気怠さに身を任せて目を閉じた。 †三日目 【一階廊下 21:13】† 生活のリズムが狂ってしまっている。 一日目は大浴場で一人、夕食の前まで眠ってしまっていたし、二日目は昼食の直後に『自室で仮眠を取る』などという予定が入っていたものだから、九時くらいまで起きられなかった。だから夕食も逃してしまった。 (まぁ、その分は今日でガッツリ取り返したけどなー) 膨れたお腹を満足げにさすりながら、ベルグは予定表の内容に従って保管庫の裏口に向かっていた。 手にはキッチンから持って来た調理用の油。これからこの油を、裏口の前でこぼさなければならない。 まさしく意味不明の行動だが、そんな事はどうでもいい。別にこのゲームに生き残って洋館を出ようなどとは考えていない。婚約者の居るあの世に行った時に、面白いみやげ話が出来ればソレで良い。 少なくとも、今日ローアネットと話をするまではそう考えていた。 コールド・エッジのもたらす影響は深刻だ。日に日に無気力になっていく自分に必死に抗おうとするが、最近抵抗しきれなくなってきた。例えばいったん眠りに落ちるとなかなか目が覚めない。だから朝は苦手だ。 精神的に鬱状態なのは勿論の事、肉体的にも疲労の蓄積が早い。あと一年もすれば、間違いなく寝たきりになっているだろう。大多数のコールド・エッジ患者がそうであるように。 せめてそうなる前には死にたい。そんな死体同然で生きていても楽しいわけがない。 そう、考えていた。しかし―― 『貴方が三年たっても生きていられるのは、貴方の婚約者さんが命を分け与えてくれてるからかも知れないわね。自分の分まで強く生きてっていうメッセージなんじゃない?』 昼間、中庭でローアネットに言われた言葉。 今までそんな考え方をした事など一度もなかった。 じわじわと黒く塗りつぶされていく精神からの苦痛。ソレを受け入れる事で、婚約者のために何もしてやれなかった自分への罰になればと思っていた。 全てを否定的に考え、心は負の感情で浸食されていった。 『簡単に死ぬなんて言わないの。貴方が辛いのは、分かってるけど……』 ローアネットの弟も自分と同じくコールド・エッジらしい。だから痛いほどに分かるのだろう。 病魔に精神を犯され、生きる事を諦めてしまう事の悲しさを。 (ホンマ……どないしょーかなー……) ここに来て迷いが生じてしまった。自分に生きて欲しいと思ってくれる人と出会ってしまった。 コールド・エッジが発病して以来、ベルグは周囲から冷たい目で見られ続けてきた。 タイミングがあまりにも悪すぎたのだ。 婚約者がコールド・エッジで死んだ直後に、ベルグもコールド・エッジに掛かった。だから周りの人間は疑念を抱いてしまった。 コールド・エッジで死んだ者の体から、その病原菌が他の人へ感染するのではないか、と。 今までにそのような事例は報告されていない。コールド・エッジは先天性の病気だ。生まれた時に、その要素が有るか無いかが決められている。 しかし例外も十分に考えられる。 コールド・エッジが見つかってから二十年以上も立つというのに、確立している治療法と言えば、成功率の非常に低いオカルト的な物だけ。つまりそれだけ謎が多い病気という事だ。だから今新しい事例が報告されたとしても、何の不思議もない。 ――死ぬならどこか遠くで死んでくれ。 皆、口に出して明言はしないが、目がハッキリとそう言っていた。婚約者を亡くしたベルグに掛けられる慰めの言葉が嘘か本当かなど、目を見ればすぐに分かる。 人に疎まれ、邪険にされ、上辺だけの下らない付き合いに嫌気が差してベルグは死を選んだ。 だからいつどこで、どのような形で死のうと後悔などしない。 そう、心に決めていたつもりだった。 (ローアネット、か……) 出会ってたった三日しか経っていないのに、無性に気になる。彼女の事が頭の中から離れない。こんな気持ちになるのは三年ぶりだ。 (まさか、な……) 力無く笑いながら、ベルグは保管庫の裏口の前で足を止めた。そして油のボトルの蓋を外し、無造作に傾ける。 粘性を帯びた無色透明の液体が床に降り積もるようにして落下し、緩慢な動きで広がっていった。 (今日はもー寝よ。俺ちょー、おかしなって来てるわ……) 空になってしまったボトルを指先で弄びながら、ベルグは自室に引き返した。 †四日目 【五階廊下 10:10】† (しかしまー、なんやなー……) まだ寝癖が付いたままの髪の毛をダルそうに掻きながら、ベルグは五階の廊下を歩いていた。 今日も起きたのはついさっき。やはり朝は苦手だ。おまけに今からやろうとしてる事を考えると、頭が痛くなってくる。 『五階廊下で今考えている事を大声で言う』 「そんなテンション上がらんっちゅーねん……」 ブツブツと文句を言うベルグを余所に足は勝手に動き、白く丸いフォルムの扉の前で立ち止まった。 自分の意思とは関係なく肺に空気が送り込まれ、ベルグは拡声するために両手を口元へと持って行く。そして―― 「いっぺんでええから牛丼特盛り腹一杯食ってみたいー!」 万感の思いを込めて、胸の内をさらけ出した。長い廊下に自分の声がエコー掛かって響き渡る。大声を出したせいか目もしっかりと醒め、鬱憤も少し晴れたような気がした。 「よっしゃ。コレでええやろ」 自由を取り戻した体で大きく伸びをし、関節を小気味よく鳴らす。 これで今日の予定は終了。 (腹、減った……) 束縛から解放されると同時に胃が活動を始めたらしい。 ここでの朝食はバイキングだ。まだ残っているかも知れないと、ベルグが踵を返して階下に向かおうとした時、 「朝から汚い声をバラまくな!」 ベルグの横手にある部屋の中から、女性の怒鳴り声が聞こえてきた。 「な、なんや……」 あまりに鋭い声に気後れしながらも、ベルグは声の主を確かめるため、緩やかに湾曲した白い扉を抜けて部屋の中に入る。 「自分……」 そこに居た人物を見て、ベルグは訝しげに眉を顰めた。 「今の声、自分のか……?」 部屋の奥に置かれているグランドピアノにもたれながら、苛立たしげにタバコを吹かしている女性――ノア=リースリーフを指さしながら、ベルグは間の抜けた声を発する。 「……それはこちらのセリフだ」 女性にしては低い声で言いながら、ノアはピアノの上に置かれている灰皿でタバコをもみ消した。肩に掛かった淡い緑色の髪の毛を邪魔くさそうに払いのけながら、ノアは鋭角的な目線でベルグを睨み付ける。 「なんや自分、デカイ声出せるんやんけ」 先程の大声を思い出しながら、ベルグはどこか面白そうな顔つきでノアの方に近づいた。 意外だった。 初日に感じた物静かで落ち着いた雰囲気も悪くないが、今のように感情を剥き出しにしている方が人間味溢れていて何故かホッとする。 「俺はベルグ=シードや。まぁ短い付き合いやろーけど、ヨロシクな」 「……聞いてない」 軽薄そうに話し掛けて来たベルグから目を逸らし、ノアは新しいタバコに火を付けた。 「なんやキッツイねーちゃんやなー。生きとるウチは楽しーしてた方がお得やでー」 「……一人でやってろ」 「あん? その首どないしたんや? 怪我でもしたんか?」 「……お前に関係ない」 言いながらノアは紅い痣のような物が出来た首筋を隠し、出て行けとばかりに手を振ってベルグを拒絶する。 「あのな……俺は犬コロやないで」 「心配するな。お前に家畜程の価値があるとは思っていない」 「お! 『家畜』と『価値』掛けたんやな! なかなかやるやんけ! ほんなら俺は『今までヘーキやったのに、こんな僻地まで来たせいで風邪ひいてもーたで、ヘッキチ!』って感じでどや!?」 「…………」 ノアはまるで汚物を見るかのような視線をコチラに向けて来た。 「渾身のネタやってんけどなぁ……」 「……帰れ」 大袈裟に肩を落として見せるベルグに、ノアは冷徹に言い放つ。 「へいへい、邪魔者はとっとと退散するわ。ところで自分、こんなトコで何しとんのや? 昼寝か?」 「……お前には関係ない」 今、ベルグとノアが居るプレイルームにはグランドピアノ以外何もない。ただ無意味と思えるほどに広大な空間があるだけだ。 こんな場所で出来る事と言えば、一人芝居でもしているか、何もしないで放心しているか、それとも―― 「まーほんなら風邪ひかんよーにな」 ベルグはおどけたように肩をすくめ、ノアに背中を向ける。 「あーそうそう」 そして立ち去り際、何か思い出したような声をわざとらしく上げた。 「さっきの自分の怒鳴り声、結構綺麗やったで。なんでこんなゲームに参加したんか知らんけど、もっと自分大切にした方がええんちゃうか?」 「……帰れ」 一層低くなったノアの声。しかしそこからは、僅かに動揺の色が垣間見えた。 夕食に出された料理の奪い合いでユレフと互角の勝負を演じた後、ベルグは腹ごなしに洋館内を散策していた。ローアネットに元気が無かったのが気になったが、一人にして欲しいと言われたので、それ以上は声を掛けなかった。きっと彼女も弟の病気について色々と考える事があるのだろう。 (『他の誰かのために』、か……) それは熱心な教会のシスターであった婚約者が、口癖のように言っていた言葉。彼女はコールド・エッジに冒されながらも、周りに心配を掛けないために明るく振る舞い続けた。自分の事よりまず、他の人の事を優先して考えていた。 (いっしょやな……) 窓の外で青白い光を放ち、朧に浮かぶ双子月の片割れ。ソレを見上げながら、ベルグはローアネットがしている事を思い返した。 弟のコールド・エッジを治すために人生を犠牲にし、躰を売り、そして今は命を掛けてこのゲームに臨んでいる。 彼女は強い女性だ。自分などよりも遙かに。 もし婚約者がもっと長く生きていたとして、果たしてそこまでしてやれただろうか。 こんな生きる事を早々に諦めてしまうような自分勝手な人間に、他の誰かのために身を捧げる事など出来ただろうか。 ローアネットは自分とはあまりに対照的だ。 死ぬ事で全てに片を付けようとしている自分とは。 (アイツがくれた命、ね……) コールド・エッジに掛かっている事が分かった後、たった一ヶ月で逝ってしまった婚約者の事を思い浮かべる。 ローアネットは言っていた。自分が三年以上の潜伏期間を経てなお生きていられるのは、婚約者が命を分け与えてくれているせいかもしれないと。彼女の潜伏期間がたった一ヶ月だった分、自分の方は延長されているのではないかと。 そうかも知れない。そう解釈する事も出来る。 しかし―― (ん……?) どこからか聞こえてくる歌声に、ベルグは思考を中断した。 きつく張られた金属紙を爪弾いたかのように高く澄みわたり、そして力強さを感じさせる声。聞く者を魅了し、慈母のような包容力を伴って心に染み込んでくる。 (ノア、やな……) すぐに分かった。 思った通りだ。彼女はあのプレイルームで歌を歌おうとしていたのだ。 怒鳴り声の中に微かに混じっていたソプラノボイス。感情的な言葉にさえそんな物を混じらせられる者と言えば、特殊なトレーニングを受けた者くらいだ。 ベルグはノアの声に誘われるように階段を上った。そして五階廊下に出た時、プレイルームの前に大きな人影を見かける。 (ヲレン……) 先程、初めて夕食に姿を見せたかと思ったら、華麗なナイフさばきを見せた大男だ。外見に似合わず繊細な技能を身に付けているらしい。 ヲレンは躊躇う事なくプレイルームの扉を開けると、部屋の中に足を踏み入れた。ひょっとして彼もノアの歌声に惹かれてここまで来たのだろうか。素性は知れないが、それなりに教養の身に付いた人物のようだ。 「……ふん。お前の予定って訳か」 中から聞こえてくるノアの声。盗み聞きするつもりなどなかったのだが、自然と言葉が耳に入ってくる。 「……お前、死にたくないって顔してるな」 ノアが嘲るような口調で言った。 「そうじゃない。お前、誰かに追い掛けられてるだろ。ソイツに殺されたくなくて逃げ出したい、助かりたいって顔してるぞ」 少し間を置いてノアの声が続く。 ノアと違いヲレンの声はくぐもっていて小さく、聞き取り辛いせいか会話の流れがサッパリ掴めない。 (死にたくない顔、か……) ノアが口にした言葉を、ベルグは無意識に胸中で反芻した。 彼女は例え初対面であっても発言に遠慮はない。言われた方が不快に感じようと関係ない。それは朝方の会話でよく分かった。思った事、言いたい事は包み隠さずそのまま喋る。それが鬱陶しいと感じている相手であればなおの事。 ヲレンは少なくとも自分よりは物腰が穏やかだ。恐らく、ノアに失礼な事は言っていないだろう。にもかかわらずノアは彼に辛辣な言葉を浴びせた。 『死にたくない』『殺されたくない』『逃げ出したい』 もしノアがベルグの顔を見て同じ事を感じたのなら、迷う事なく非難の言葉として使っているはずだ。 しかし、それをしなかったという事は―― (俺は死にたそうな顔、してたんやろな……) 思いながらベルグは自嘲めいた笑みを浮かべた。 「お前といいユレフってガキといい分かり易いな。似た者同士か?」 突然、あの生意気な子供の名前が上がる。 「どっちも臆病者って事だよ」 臆病者。 死にたくないから臆病者? 殺されたくないから臆病者? 逃げ出したいから臆病者? 確かにそうかも知れない。だが、それは本来当たり前の事ではないか? 生きたい。楽しみたい。幸せになりたい。 そう思うのは人として当然の事だ ヲレンだって、ノアだって、そして婚約者だって。 しかし、自分は違う。死を願っている。死にたいと思っている。 今の自分には人として当然の事が欠けている。 壊れてしまっている。精神的に。 『簡単に死ぬなんて言わないの』 また、ローアネットの言葉を思い出した。 (本格的に末期、やな……) やる気なさそうに後ろ頭を掻きながら、ベルグはプレイルームの前を離れた。 †五日目 【五階廊下 13:30】† 昼食を済ませて少し休んだ後、ベルグはまたプレイルームへと向かっていた。本当はゆっくりローアネットとお喋りでもしていたかったのだが、予定表の内容がソレを許さなかった。 (メンド……) 右手の上で『精神安定剤』と書かれた紙袋をもてあそびながら、ベルグはあくびを噛み殺す。 キッチンの治療箱の中にあった液体カプセル。この袋の中にはソレが入っている。だが恐らくあのカプセルは精神安定剤などではないだろう。それどころか毒薬の可能性だってあり得る。 誰かを殺すために。 (まー俺には……) 関係ない。 そう思いかけてベルグは顔をしかめた。 少なくともローアネットだけには飲んで欲しくない。彼女は無事、この洋館から出て欲しい。そして弟のコールド・エッジを治して幸せに暮らして欲しい。 だから自分の心配などせず、生き残る事だけに専念して欲しい。 (俺かて出来る範囲で手伝いさせて貰わんとなー) 予定表にはこの紙袋をプレイルームに持って行くとだけ書かれていた。どこに置くかまでは指定されていない。ならばもの凄く怪しい場所に置いておけば、そんな所の薬など飲もうとは思わないだろう。 ――勿論、予定表で指定されていれば話は別だが。 取り合えずどこが最も怪しいか考えなら廊下を歩いていると、ノアの歌声が耳に入ってきた。また一人、プレイルームで歌っているらしい。 出来れば隠れてコッソリと聞いていたかったが、予定表に書かれている以上そうも行かない。 (しゃーない。不可抗力っちゅーやっちゃ) 自分に言い訳しながら、ベルグは白い前衛的なデザインの扉を開けた。そしてプレイルームへと足を踏み入れた瞬間、先程まで聞こえていた高音質のフルートのような声がぴたりと止む。 「……またお前か。何の用だ」 ノアは半眼になり、露骨に不機嫌そうな視線をベルグに向けてきた。 「いやー、ちょっとした野暮用でなー。けどまーコレも何かの縁や。せっかくやから色々お喋りせーへんかー?」 「断る。出て行け」 軽い口調で言いながら近寄るベルグを、ノアはにべ無くはねつける。 「つれへんなー。歌っとる時は、あーんな綺麗な声で、罪の無さそーな顔してんのに」 眉を少し上げ、ベルグは紙袋を持っていない方の手を広げながら、おどけたように言った。その言葉にノアは眉を顰めて不愉快そうな顔になる。 「……お前には関係ない」 「まーまー、そー言わんと。出来たらもっかい歌ってくれへんかー?」 「断る」 「老い先短い俺に冥土のみやげ話持たすー思ーて」 「そんな気の利いた事をしてやる義理はない」 ノアはタバコに火を付けながら、グランドピアノを挟んで反対側に立ったベルグを睨み付けた。 「ホンマつれへんなー。まーこれは単なる俺の直感なんやけどな。ひょっとしてノアちゃんがココ来たのって、その歌と何か関係あるんちゃうか?」 ノアの気を逸らすため何気なく口にした言葉に、彼女の顔色が変わる。 コチラを嘲るような固い表情が僅かに緩み、瞳の奥にほんの少しだけ好奇の色が浮かんだように見えた。 (アタリ、か……?) 思いがけずノアの別な顔を見られた事に若干の戸惑いを覚えながらも、ベルグは彼女の目を盗んで、グランドピアノの弦が張ってある部分に紙袋を入れた。 斜めに立てられた大きな蓋が邪魔になり、ノアからは死角になっているはずだ。一連の動きを彼女から視線を逸らさないまま行えば、怪しまれるような事はないはず。 「……ふん。勘のいい男だな」 口の端をつり上げ、ノアは面白そうな顔つきでタバコを吹かした。 「なら私からも一つ言い当ててやろう。お前、迷いが出始めてるな」 吸い込まれそうな輝きを放つ碧眼を細めながら、ノアはベルグを値踏みするような粘着質な目線を向けてくる。 「昨日見た時はもっといい顔をしていた。今のお前は臆病者だ。まぁ私の価値観で言えば、の話しだが」 背筋に得体の知れない悪寒が走った。見る者を震撼させ、聞く者に恭順を植え付ける威圧的な雰囲気。胸中で澱のように鎮座する、ある種の感情。コレは畏怖の念だ。 まるで何百年も生きてきたかのような老練な風格をノアは放っていた。心の中を丸裸にされたような錯覚さえ覚える。 「ひょっとしてお前、ココに来た事を少し後悔し始めてるんじゃないのか?」 「う、うぉ! なんでンな事まで分かるんや!」 ベルグは彼女の纏う冷たい空気に呑まれまいと、わざと大きな声を出して自分を鼓舞すした。 「さぁな……」 ノアはタバコを灰皿でもみ消し、いったんベルグから視線を外す。 金縛りが解けた後のような嫌な倦怠感が体にのし掛かった。 「実はなー、ちょっと気になる女がおってなー。なんかホンマ、どないしょーかなーって、正直迷っとるんや」 彼女のペースで喋らせないため、ベルグは芝居がかったような仕草で肩を落として素っ頓狂な声を出す。 「ココ来るまでは別にどこでのたれ死んでもええ思ーとってんけどなー。なんか、今はちょっと、なー……」 喋りながら、すぐにローアネットの事で頭が一杯になった。そして彼女が自分に掛けてくれた言葉を思い出す。 ――生きて欲しい。 ローアネットはベルグにそう言っていた。 周りからも、そして自分からも見放された、このコールド・エッジに冒されている体を心配してくれた。だから、もう少しだけ生きてみようかという気持ちになってしまった。 (『他の誰かのために』……) 自分のためではなく、ローアネットのために。 そうする事で、今のローアネットの気持ちが多少なりとも分かるかも知れない。彼女の強さの一端に触れられるかも知れない。 「なぁノアちゃん。どないしたらええ思う?」 「知るか。一人で悩め。私には関係ない」 元気のない喋りで言うベルグに、ノアは容赦なく厳しい言葉をぶつける。 「ココまで言わしといて、そら殺生やでー」 「お前が勝手に喋っただけだ」 「そんなー」 情けない声を出すベルグ。 と、不意にノアの視線が出入り口の方に向けられた。 「今日は客が多いな」 つられてベルグもそちらに振り向くと、今まさに頭の中を占有していた女性が立っていた。 「ロ、ローア! どないしたんや、自分!」 自分でも驚くくらい無様な声が出る。これでは怪しんで下さいと言っているようなものだ。 「お邪魔、だったかしら?」 そんなベルグに呆れたような視線を向けながら、ローアネットは優しい笑みを浮かべて近づく。しかし目が全く笑っていないように見えるのは気のせいだろうか。 「い、いやぁ! ンな事あらへん! お話は大勢でした方が楽しいに決まっとる! なぁ、ノアちゃん!」 「……さぁな」 一応ノアにフォローを求めてみるが、予想通り冷たくあしらわれた。ノアはローアネットから顔を背け、面倒臭そうに溜息をつく。 元々一人で居る事を好む彼女だ。部屋に二人も入ってこられると、機嫌を損ねるのは自然な反応と言える。そして―― (あ、アカン……。最初に変な声出してもーたからか……) ローアネットが変に勘ぐるような視線を向けてくるのも自然な反応と言えた。 ここは何とかして場の雰囲気を和ませなければならない。 「あ、そ、そーや! ローア! ノアちゃん、ごっつ歌上手いんやで! こぅ、なんちゅーか心が洗われるみたいな感じや! なぁノアちゃん! も一回歌ってくれへんか?」 「……断る」 一層重苦しい空気が立ちこめた。 「はいはい、どーもアタシはお呼びじゃないみたいね。二人の邪魔して悪かったわ。どうぞごゆっくり」 ローアネットは大袈裟に肩をすくめて見せると、ベルグに背中を向ける。 「ちょ、ちょー待てやローア! 自分、何か変な勘違いしとるやろ! 俺は予定表に書かれとったから仕方なく……!」 「ベルグ!」 しかしベルグの言葉は、ローアネットが振り向くと同時に発した叫び声でかき消された。そしてすぐに自分の失態に気付く。 ――予定表の内容を他の人に喋ってはならない。 (しま……!) ――ルールを破った者には死が訪れる。 (あれ……?) だが意識が遠のく事も、体に激痛が走る事もない。いたって普通だ。 一瞬の安堵感。そしてこの状況を受けたベルグの頭は、全く別の方向へと思考を働かせた。 「う……!」 ベルグは苦しそうな顔になり、胸を押さえてその場にうずくまる。 「馬鹿! 何て事するのよ!」 すぐにローアネットがベルグのそばにしゃがみ込み、顔を胸の中へと抱き入れる。 (ウホッ) 頬に当たる柔らかい感触。ベルグは緩みそうになる顔の筋肉を必死になって引き締め、苦悶の表情を浮かべ続けた。 「芝居だ。下らん」 「え……?」 しかしノアの冷めた言葉に、ベルグを抱き寄せるローアネットの力が弱まる。 「ノアちゃーん、ネタバレすんの早いでー。もーちょっと、このふくよかな胸の中で……」 幸せな感触を少しでも長く楽しもうと、ベルグは自らローアネットの胸に顔をすり寄せた。 「ベルグ!」 怒声と共に、頬で感じていた男の悦びは消え失せ、代わりに鋭い痛みが走る。ソレはすぐに熱へと転化し、疼痛だけがわだかまった。 「本気で心配したじゃないの! この馬鹿!」 目に涙すら浮かべ、ローアネットは体を強ばらせて叫ぶ。 「っつー……。いやいやスマンスマン、悪気は無かったんや。俺自身、ホンマにアカンか思ーたからな」 「悪気が無かったら何しても良いって訳じゃないでしょ!」 心にまで響く彼女の叫声。 本当に心配してくれているからこそ出せる声。 (アンタには、かなわんなぁ……) また少し、生きたいと思う気持ちが強くなった。これ程自分の事を想ってくれる女性を失望させたくないという気持ちが増してきた。 (他の誰かのために、か……) いつの間にかベルグは、ローアネットと婚約者を重ね合わせていた。 (アイツからも無神経やーゆーて、よー怒られたなー) その事を鬱陶しく思った時もある。意見が噛み合わず、何日も喧嘩した時もある。だが、それは全てベルグのためを思って言ってくれていた事。 彼女を失った時、それがよく分かった。もう二度と怒って貰えない、自分の間違いを正して貰えない。ソレを知って初めて彼女の献身に気が付いた。コールド・エッジに掛かって以来、彼女程ベルグの事を想ってくれた人は居なかった。 しかしローアネットは―― 「……バレなければルール違反でも問題ない、という事か」 ノアの冷静な意見に、ベルグは思考を現実に戻した。 「そーみたいやな。ま、時間差で来るかもしれんし、ルール違反の度合いによるんかもしれんけど、取りあえず今は平気みたいや。アクディはただ単純に俺らを殺したいわけやない。このゲームには何か意味があるんや」 そう。必ず何か意味がある。今はまだそれに気付いていないだけ。 だから真剣に考えなければならない。大切な物を失ってからでは手遅れなのだから。 「意味っ、て……?」 どこか遠慮がちにローアネットは聞いて来た。 どうやらもう怒ってはいないようだ。その事にベルグは心底ホッとする。 「例えば、や。俺らに届いた招待状。あれかてちょっと考えたらおかしいで。あんな物騒な内容の手紙、テキトーにバラまいとったら大混乱や。それこそ教会の連中の目に止まってみー、こんな洋館イチコロやで」 だからそうならないためにも、アクディは何らかの基準に基づいて招待客を絞り込んでいるはずなのだ。 「でも待って。確かヲレンさんは教会の関係者だって言ってたわ。このゲームに生き残ってアクディを大司教の前に連れ出すんだって」 「教会の関係者ぁ? ホンマかぁ?」 いきなり自分の推測を揺るがせる情報に、ベルグは思わず不審気な視線をローアネットに向けた。 「まぁ……本人から聞いただけだけど」 「もしそーやとしたら教会もエライ回りくどいマネすんなー。立派な物的証拠もあるーゆーのに。ソイツ偽モンちゃうんか」 「どーして嘘なんか付く必要があるのよ」 ローアネットの声に不満げなモノが混じり始める。 彼女を救うために真剣に考えるのは良いが、その彼女を怒らせるのはあまり得策ではない。 (もーちょっと言葉選ばんとなー) せっかく婚約者が『無神経だ』と指摘してくれたのに、全く活かせていない。 「……つまり、お前は私達五人に何か共通点でもあると言いたいのか? ヲレンとか言う奴はソレを隠している、とでも?」 「そー! まさしくその通りやノアちゃん! さすが鋭いなー!」 「悪かったわね。鈍感で」 まだまだ反省すべき点は多いようだ。 「さっきから何スネとんねん。ま、ちょっと怒った顔も色っぽいけどな」 「う、うるさいわねっ」 自分なりのフォローに、ローアネットは顔を紅くしてそっぽを向く。その子供っぽい仕草に、ベルグは一瞬婚約者の面影を垣間見た。 「……で、その共通点って言うのは?」 横手から入り込んできたノアの声に、ベルグは腕組みして難しそうな表情を浮かべる。 「いやまぁ、単なる憶測なんやけどな。もしかしたら、コールド・エッジ絡みなんちゃうかなーって。アクディゆーたら、錬生術かコールド・エッジやろ? 例えば、俺ら全員コールド・エッジに関わってるとしたら、アクディとの繋がりも無いこた無いなぁ思ーて。少なくとも俺は自分が掛かっとるし」 「……コールド・エッジ、ねぇ」 ノアは新しいタバコに火を付けながら、どこか馬鹿にしたような視線を向けた。まるでコールド・エッジに掛かった者を嘲るような顔つき。 その反応を見てベルグは確信する。やはりノアも何らかの形で関わっている、と。 「なぁノアちゃん。自分、ひょっとして親戚とかにコールド・エッジになった人とかおるんちゃうん」 「……さぁな」 しかしノアはベルグの問い掛けに答える事なく、曖昧な返事をするだけだった。 (まぁ、そう来るやろな……) 彼女の性格からして、すんなり行くとは思っていない。かといって問い詰めたところで彼女が素直に話すはずもない。 どうしようかと考えていると、ローアネットが一歩後ろに下がった。心なしか顔が青ざめているように見える。 「話の途中で悪いんだけど、アタシはちょっと席を外すわ」 か細い声で言い残すと、ローアネットはプレイルームの出入り口に歩き始めた。 「どないしたんや、腹でも痛いんか?」 「まぁ、ちょっと、ね……」 途切れ途切れに言いながら、ローアネットは少し気まずそうな顔を肩越しに向けてくる。 その表情を見てベルグはすぐに察した。 (予定、か……) ローアネットの予定表の中に、これから行わなければならない何かが書かれているのだろう。そうであれば止める事は出来ないし、詳しい事情を聞くわけにもいかない。 「フラれた、な……」 くっくと喉を震わせて低く笑いながら、ノアは紫煙をくゆらせた。 「うるへー。ほんで、自分の周りにコールド・エッジに掛かった奴おらんのかい」 「居るじゃないか。目の前にアホ面下げたフラれ男が」 「……アホでえらいスンマヘンなー」 面白そうにからかうノアに、ベルグはげんなりとした表情で返す。 「……で、ホンマのとこどうなんや? 出来たら話して欲しいんやけど」 「お前がどうしてピアノの中に怪しげな袋を入れたのか、それを言ったら私も喋ってやるよ」 本当に色々と見透かしている女だと思った。 結局、ノアの口からはっきりした事は聞き出せなかった。 しかしほぼ間違いない。コールド・エッジという言葉を出した時、彼女が見せたあの表情。まったくの無関係ならば、あんな顔はしない。過去に何かあったからこそ嘲笑を浮かべた。 これで五人のうち少なくとも三人はコールド・エッジに関わっていた事になる。 (あとはヲレンとユレフか……) キッチンに向かって伸びているレッドカーぺットの上を歩きながら、ベルグは鼻の頭に乗せた眼鏡の位置を直した。 ユレフは夕食時に大広間で会えるだろう。わざわざこの広い洋館内を探し回る事はない。しかしヲレンは別だ。食事も昨日の夕方初めて来ただけで、他の日はいっさい顔を見ていない。 さっきヲレンの部屋に行ってみたが誰も居なかった。彼もまた、予定か何かで出歩いているのだろうか。 一日でも早く知らなければならない。この死のゲームの意味を。そしてローアネットに教えなければならい。死を回避する手段を。 (まぁ、それはそうなんやけど) 先程からしきりに空腹を訴えてくる腹を押さえながら、ベルグは歩くスピードを上げた。 珍しく頭を使ったせいかエネルギーの消耗が激しい。夕食まで持ちそうになかった。 (『小腹が減っては、い草も編めん』やったかな……。まー、何かあるやろ) 自分の国の格言を思い浮かべながら、ベルグは大広間の扉に手を掛ける。 「……は、はは……はははっ」 (あん?) 部屋の中から突然聞こえてきた誰かの声に、ベルグは不審気に眉を顰めた。 「ははははは!」 (な、何や何や何や!) まるで弾けたように室内から轟く笑い声に、ベルグは思わず後ずさる。 『さわれぬ髪に“た、足りん”なし』 確か髪の毛が無くなっても嘆くな、という意味合いだったと思う。 (違ったかな……?) 出来れば部屋の中の人物とは関わり合いになりたくなかったが、この声には聞き覚えがある。 ヲレン=ラーザック。今まさにベルグが探している人物だ。 (自分のスキンヘッドが気に入らんでおかしなったんかな?) とにかく幸か不幸か向こうから自分の前に現れてくれた。ここで会わない手はない。 ベルグはなるべく音を立てないように扉を開け、中を盗み見るように視線を忍ばせた。 思った通り、ヲレンが一人で高笑いを上げていた。 ――暖炉の中で。 「……自分、ンなトコで何しとんのや? ヤバいクスリでもヤッとるんか?」 ずり落ちそうになる眼鏡を直す事も忘れて、ベルグは掠れた声で言う。 「い、いや。これは、ベルグさん……」 ベルグの声にヲレンは体を大きく震わせた後、気まずそうな顔をコチラに向けた。 「ちょ、ちょっと暖炉の中に大事な指輪を落としてしまいまして。それを、探していたんですよ、はい。ははは……」 「ふーん。指輪、ねぇ……」 嘘だ。 ヲレンの言葉を聞いて、すぐにソレが偽りである事が分かった。 ローアネットの言う通り彼が教会の関係者であるならば、指輪を身に付ける事は禁止されているはずだ。なぜなら指輪などの貴金属の類は、悪魔との交渉に使われる物とされているのだから。 とすれば指輪を落としたというのが嘘なのか、あるいは―― (コイツが教会のモンやないかや) 恐らくは後者だ。ベルグの推測では、招待状が教会に出回っているはずがないのだ。 (まぁ、そんなんはどっちでもええわ) 重要なのはヲレンがとっさに嘘を付いたという事実。当然、何か隠したい事があるはず。 (聞くか、コールド・エッジの事……) 暖炉の中から慌てて出てくるヲレンの広い背中に、ベルグは薄く開けた猫目を向けた。 ただ単に何気なく聞けば良いだけの事だ。 『あなたの周りにコールド・エッジに掛かった人は居ますか?』と。 しかし、今はタイミングが悪い。 ヲレンが暖炉の中に入って大声で笑っていたという状況。どれだけ大目に見ても異常な事には変わりない。それにこの暖炉。名前は忘れたが、特殊な宝玉によって半永久的に燃え続ける代物のはずだ。それが今は消えている。となれば―― (予定表が何かかんでるんやろな) そう考えるが自然だ。というより、それ以外に理由が思い浮かばない。 だとすれば予定表に書かれた行動を見られたヲレンは、ベルグの事を警戒している。予定表の内容を喋ってはいけないという思いを強く抱いている。 コールド・エッジの話は予定表には全く関係無いだろうが、話題としては唐突だ。もしかすると、何か探りを入れられていると思い込むかも知れない。失言を誘い出す罠だと。 そう取られてしまえば致命的だ。予定表の内容だけではなく、『コールド・エッジ』という単語そのものまで警戒されてしまう。 もしそんな事になってしまえば、今後例え自然な会話の流れでヲレンにコールド・エッジの事を聞いたとしても、答えてくれなくなるだろう。 「まぁ、趣味は人それぞれやし。自分のやりたい事やったらええ思うけど……。ココ集まった奴ら、けったいなんばっかしやなー、ホンマ。まだローアが一番まともに見えるで」 (まぁええわ。焦る事ない。また別の時に見つけて聞いたらええんや) ベルグは自分の中でそう結論付けると、普段通りのどこか惚けたような口調で言った。 「そ、それでは、私はコレで」 「ちょい待ちーな。この暖炉の火ぃどーすんねん。自分、この何ちゃらって宝玉の点火方法知らんの?」 ヲレンはベルグの呼び止めにも足を止める事なく、落ち着かない動きで大広間の出入り口へと駆け寄る。 「い、いや。多分、アーニーさんに聞けば分かるんじゃないでしょうか」 やはり、ヲレンは自分で暖炉の火を消したのではない。 「無責任なやっちゃなー。ソレできたら苦労せんわ。あのメイドちゃん、メシ呼びに来る時以外殆ど見ぃひんねん。メンド業舐めとるで、絶対」 「ま、まぁ忙しいんじゃないですか? アクディの手伝いをしているのかも知れませんし」 ヲレンは一方的に言い終えると、大広間から出て行ってしまった。 (ホンマ、気の小さそうなやっちゃ) ノアが彼の事を『臆病者』と称していた事を思い出す。そして今日、自分もそう呼ばれた。 (ひょっとしたら、俺も端から見たらあんなんなんか?) 皮肉めいた笑みを浮かべながら、ベルグはヲレンの出て行った扉をしばらく見つめる。そして空腹だった事を思い出してキッチンに行こうとした時、 「ぉわ!」 急に煌々と燃え始めた暖炉に驚き、二、三歩後ずさった。 「ベルグ=シード様」 「ぉおぅ!」 更に後ろから聞こえてきた言葉に、ベルグは派手なリアクションで飛び上がる。 「な、なんや、メイドちゃんかい。ビックリさせんといてーな」 「それは大変失礼いたしました。ベルグ=シード様が私の業務に関して不満をお持ちのようでしたので、謝罪しようかと思いまして」 アーニーは無表情のまま言った後、ベルグに深々と頭を下げた。 「あー、その、なんや……。アレはまぁ言葉の弾みっちゅーやつでな。別に悪気があったわけやないんや」 「悪気、ですか」 「ぁう……」 痛い部分を繰り返されて、ベルグは情けない声を上げる。 『悪気が無かったら何しても良いって訳じゃないでしょ!』 昼間、ローアネットに言われた言葉。 (ホンマ、俺っちゅーやつは無神経やなー……) 胸中で深く反省しながら、ベルグもアーニーに頭を下げたのだった。 †六日目 【五階廊下 13:55】† (またココかい……) ベルグはヒリヒリとする手をさすりながら、五階廊下に敷かれたレッドカーペットの上を歩いていた。 昨日の夕食時、結局ヲレンは姿を見せなかった。さらにはローアネットまで。まさか昼間の事で本当に怒ってしまったのだろうか。 小さな体全部を使って食べるユレフにもコールド・エッジの事を聞いてみたが、『小生の周りにはそんな軟弱者は居ないでござる』と言われただけで、有益な情報は得られなかった。 (……ま、すぐにはハッキリせんか) 疲れた顔になり、ベルグは先程玄関ホールの花瓶の中から手に入れた鍵に目を落とす。 いや、ソレは『鍵』と呼べるような代物ではなかった。単なる棒だ。 非常に屈折率の高い透明な素材で作られた棒は、窓から差し込む陽光を無数に乱反射させている。予定表に書かれていなければ、コレを鍵などとは思ったりしない。 (しっかしこんなモン、あん中にあったかなー) これだけ光を四方八方に散乱させる棒なら、クリスタル製の花瓶に入っていればすぐに気付くだろう。事実、かなり目立ってくれていたおかげで、ベルグは酸度の高い花瓶の水に長く手を入れずに済んだ。しかし今日、予定表の内容に従って取りに行くまでは全く目に入らなかった。 今日の朝、誰かが入れたのか。それとも、この日のこの時間になって初めて姿を現すような仕掛けがしてあったのか。 それは分からない。 さらに言うなら、自分が今どこに向かっているのかさえ分からない。 予定表にはこの鍵を使って扉を開けるとしか書いていなかった。足が勝手に動いてくれているので、その扉の場所に向かっているのだとは思うが……。 (ノアちゃん今日はお休みか……) プレイルームの前を通り過ぎ、ベルグはノアの歌声が聞こえてこない事に、少なからず物足りなさを覚えた。 「お……」 溜息をつきながらしばらく歩いていると、黒い金属製の扉の前で足が止まる。 扉の表面には光る針金で、複雑な幾何学模様が描かれていた。 (鍵閉まってるトコやんけ……) 洋館内をブラブラしていた時に見かけた怪しげな部屋だ。しかし常に解放されている他の部屋とは違い、鍵が掛かっていて中には入れなかった。 鍵を持っているベルグの右腕が勝手に動き出したかと思うと、丁度扉の中央まで持ち上がって固定される。そしてどういう仕掛けになっているのか、鍵は自ら黒い扉に吸い付き、中へと呑み込まれて行った。 (開いた、んか……?) ソレを確かめるためにドアノブに手を掛けようとするが、体はベルグの意志に反して来た道を引き返して行く。これから自室に戻るのだろう。そこまでやり終えて、ようやく予定が終了する。 (ま、後でもっぺん来たらええか……) 自分の部屋がある一階から五階までの道のりは遠いが、あの部屋に何があるのか非常に興味がある。少々の労力を払ってでも来る価値はあるだろう。それにその時にはノアの歌声も聞けるかも知れない。 「へ……」 廊下の角を曲がろうとした時、その影から意外な人物が姿を現した。 「ベルグ=シード様」 突然現れたアーニーは、いつも通りの淡々とした喋りでベルグに話しかける。 「ヲレン=ラーザック様が一階保管庫にて死亡いたしました」 「は……?」 湿気を含んだカビ臭い埃と、それに混じる鉄錆の匂い。 ベルグの眼下で二メートル近い巨漢を誇る大男が、体を小刻みに痙攣させながら倒れ込んでいた。 ガラス玉のように虚ろな瞳には何も映し出されていない。喉元から溢れ出る鮮血に身を沈め、ヲレンは絶命していた。 (死んどる、な……) ヲレンの死体を見下ろしながら、ベルグは自分でも驚くほど冷静に今の状況を受け入れていた。 死体を見たのは初めてではない。 ベルグが初めて人の死を目の当たりにしたのは、婚約者がコールド・エッジを発症させた時。まるで眠っているようで……呼べばすぐにでも目を覚まして、不機嫌そうに目を擦りながら文句を言ってきそうだった。 彼女の死は綺麗だった。 言われなければ――いや、言われても死んでいるなどとは思えなかった。生きていた時と同じく、染み一つない透き通るような白い肌。 そんな綺麗な体だったからこそ、ベルグは彼女の死を受け入れられなかった。 しかし、ヲレンは違う。 一目で死んでいると分かる。誰が見ても、死因は喉に突き刺さったガラスの破片。 彼は死んでいる。間違いない。疑う余地など無い。 ならば、受け入れられる。 (運が悪かったんか……) ベルグは観察でもするかのように、冷めた視線をヲレンに落とした。 運悪く転んだところに、たまたまガラスの破片があった……。 (ちゃうな……) いや、そうではない。それでは説明の付かない事がある。 どうしてヲレンは手を付いてガラスから逃れようとしなかった? それに一体何につまづいたというのだ? (俺、か……) ヲレンのブーツの底に付いている粘性を持った液体を見て、ベルグは大きく目を見開いた。 ここに来て三日目の夜。予定表に従い、ベルグはこの場所に油をこぼした。ヲレンはそれに足を取られて転んでしまった。そしてその先にガラスがあった。 (偶然……やないやろな、多分……) 間接的にとは言え、自分も彼の死に荷担してしまった。 一見無意味に思えたあの行動。アレはヲレンを死に至らしめるための伏線だった。 しかし、それはヲレンがわざわざ裏口から保管庫に入り、なおかつガラスの破片が散乱しているという前提の元にのみ成り立つ事。 あまりに不確定の要素が多すぎる。 アクディはこんな偶然性に頼った方法で自分達を殺そうというのか? (あん?) ヲレンの体を見ていたベルグの視界に、彼の着ているコートのポケットから一枚の羊皮紙が顔を覗かせているのが映った。 見覚えがある。 ソックリだ。自分の持っている予定表に。 (まさか……) ヲレンの予定表? 伸ばし掛けた手を一瞬引っ込める。 ルールでは予定表をお互いに見せ合ったり、内容を口に出したりしてはいけない事になっている。 しかし、誰かの予定表をコチラが『一方的に』見た場合はどうなる? 『見せ合う』わけでも、『口に出す』わけでもない。 屁理屈だと言われればそれまでだが、ぎりぎりルール違反ではないかも知れない。 それに違反だとしても、バレなければ問題ないという事は身を持って確認済みだ。 ベルグは周りに誰も居ないのを確認すると、ヲレンの予定表に手を伸ばしてゆっくりと取り上げる。そして二つに折られていた羊皮紙を広げ、内容に目を通した。 (……そう言う、事かい) なるほど。納得がいった。 彼の予定表の六日目にかかれている予定。 『ポケットに手を入れて裏口から保管庫に入る』 ポケットに手を入れさせる事で両手を封じ、普段誰も使わない保管庫に裏口から入らせる事で彼のみに死をもたらす。 自分がヲレンの足を取る油を用意したのならば、ガラスの破片も他の誰かが用意したのだろう。予定表に従って。 「ベルグ=シード様」 急に後ろから声を掛けられ、ベルグは跳ね上がりそうになる心臓を何とか押さえつけて振り向いた。そして立ち上がりながら、ジーンズの尻ポケットにヲレンの予定表を押し込む。 「な、なんや、メイドちゃん。他の奴らは?」 突然現れたアーニーに、ベルグは少し声をどもらせて言った。普段なら致命的な反応だが、今は死体を前にしている。少々の動揺を見せたところで不自然には映らないだろう。 アーニーは先程、他の三人にも知らせると言ってベルグと別れた。しかしまだ誰も姿を見せていない。 「ノア=リースリーフ様とユレフ=ユアン様にはすでに声をおかけしました」 「ほ、ほんなら、ローアは?」 「ローアネット=シルフィード様には、ベルグ=シード様からお知らせ下さい。自室にいらっしゃると思います」 「は……? な、なんでや」 意外な提案に、ベルグの声が更に高くなる。 「そちらの方が、良いと思いましたので」 相変わらず淡々と喋るアーニーからは、全く内面が読みとれない。何を考えているのかは分からないが、確かにローアネットが受けるショックの事を考えると、今のような非人間的な口調で報告されるよりも、自分の口から言った方が幾分ましかも知れない。気休め程度にしかならないだろうが。 「わ、わーった。ほんならちょっと行ってくるわ」 それに、ヲレンの予定表を彼の部屋に戻しておく時間も出来る。ルール違反を示す事になるかも知れない証拠を、いつまでも持ち歩きたくはない。 ヲレンの死を知ったローアネットの反応は悲惨だった。 自分を責め、自暴自棄になり、放っておけば確実に自殺していた。 彼女がガラスの破片を用意したのは間違いないだろう。だがまさかこんな事になるとは思わなかったはずだ。それは自分も同じ気持ちだったからよく分かる。 しかし、自分は彼女ほど崩れなかった。 仕方のない事としてすんなり受け入れた。 客観的に見れば、どう考えてもローアネットの反応の方が自然だ。 もうすでにおかしくなってしまっている? 自分の命さえ見捨ててしまうような人間だ。他人がどうなろうと知った事ではないのかも知れない。その場限りの思考や言葉で適当にやり過ごしているだけかも知れない。 ローアネットを生き残らせるために招待客の共通点を推測し、このゲームの意味を考えようとしていたのも単なるポーズに過ぎないのではないか? 昨日の夕方、ヲレンにコールド・エッジの事を聞かなかったのも、面倒臭かっただけではないか? 夕食時、ユレフに『自分の周りには居ない』と言われてすぐに引き下がってのも、本当はどうでもいいと考えていたからではないのか? ――他の誰かのために。 ベルグはローアネットに触れる事で、婚約者が残してくれた言葉の意味を深く理解する事が出来た。出来たつもりだった。 しかし、所詮は上辺だけの自己満足だったのかも知れない。 (俺ぁ、無神経やからなぁ……) 自分の隣で安らかな寝息を立てているローアネットの髪の毛を、ベルグは優しく撫でた。 ヲレンの死の重さに耐えきれず、彼女の方から自分を求めてきた。彼女を慰めるため、少しでも力になるためにベルグはソレを受け入れた。 彼女のため。他の誰かのために。 だがソレは本心からなのか? 男の下劣な欲望に従順になっただけではないのか? (なんかもー、何もかもがよー分からんわ) 自分は元々、ココに死に場所を求めてやって来た。その時は思い悩んだりする事はなかった。全てを悟りきり、いつどこで死んでも悔いなどないと思っていた。 しかし今は、ソレとは真逆の事を考えて始めている。 (まーええ……) 溜息をつきながら、ベルグは自分の腕を枕代わりにしているローアネットの顔を横目に見た。 自分の考え方の変化については一時保留だ。今はまだ漠然とし過ぎている。それよりもハッキリしている事を先に片付けよう。 (ローアは絶対に生きたままこっから出したる) 彼女は自分とは違い、生きたいという思いに迷いはない。生きる事に価値を見出している。もし自分の命などで彼女を救う事が出来るならば、コールド・エッジに苦しみ続けたこの三年間もそれ程悪くなかったと思える。自分の命にも価値を見出せる。 (よし……) 強い決意と共に、ベルグはローアネットを起こさないように細心の注意を払いながらベッドを出た。 彼女を救う方法。それは招待客の共通点を暴く事でも、このゲームの意味を知る事でもない。 もっと単純で、効果的な方法。 (予定表、全部書き換えたったらええんや……) ローアネットの予定表がどこにあるのか彼女自身に聞く事なく、ベルグが『一方的に』見つけてしまえばぎりぎりルール違反にはならないはずだ。 そしてベルグはまだペンも石も使っていない。ヲレンがしたのと同じ手法を使えば、これで二日分は書き換えられる。そしてヲレンはまだ石を使っていないはず。ソレを見つけ出せば三日分。 残り四日のうち、少なくとも三日を安全に出来る。もしローアネットがまだ書き換えていないのならば、間違いなく生き残る事が出来る。 (まずはヲレンの部屋から、やな……) 石がある可能性が高いのはヲレンの部屋か、それとも彼の死体か。まずは探しやすい方からだ。それに彼の予定表も別の紙に書き写してゆっくり見てみたい。もしかしたら、ソコからローアネットの死の予定が予測できるかも知れないのだから。 ベルグは服を着ながら、ローアネットの寝顔をもう一度見る。 (弟さんと、幸せにな……) そして足音を立てないように注意しながら部屋を出た。 急がなければならない。時間はあまり無い。少なくとも自分は、間違いなく明日死んでしまうのだから。 †七日目 【ヲレン自室 12:25】† (あった……) 昼を少し過ぎた時間になってようやく、ベルグはヲレンの持っていた石を見つけた。 バスルームのすぐ隣りにあるクローゼットの中。沢山の衣類に遮られ、奥まった場所に置かれた小物入れ。その中に予定表の内容を消すための石がしまわれていた。 小物入れに鍵が掛かっていたために、壊すのに時間が掛かってしまった。 しかしコレで苦労も報われる。 今からローアネットの予定表を見つけ出す事が出来ればベストだが、ソレが出来なかったとしても彼女の部屋にコレを置いておくだけでもいい。勿論、自分が持っているペンと石を合わせて。 自分が生きている時に渡しても、ローアネットは使おうとしないだろう。ベルグを殺してまで生きたいとは思わないと言うはず。彼女はそういう人間だ。 しかし、すでに使い道が無くなってしまったとなれば話しは別だ。きっとローアネットはベルグの遺志を汲んでくれる。 (ま、やれるとこまでやってみよか) ベルグはローアネットの部屋に向かうため、ヲレンの部屋を出る。そして廊下を突き当たりまで歩き、階段を下りようとした時、 「ベルグ=シード様」 階下から声を掛けられた。 声の方に視線をやると、青白い肌をした無表情のメイドが立っている。 「な、なんや、メイドちゃん」 出来るだけ動揺を表に出さないように気を付けながら、ベルグは返した。 五人の招待客の部屋は、綺麗に各階に分けられている。つまり、それぞれの階には一人しか居ない。今居る三階はヲレンの階だ。彼が死んでしまった以上、ココにベルグが居るのは不自然だ。 「お、おー、そーか! 昼飯か! そろそろそんな時間やったな! 散歩しとったから丁度腹減ってきたとこや!」 睡眠不足なせいか、我ながら無様な言い訳しか思い浮かばない。 「ベルグ=シード様」 アーニーは顔色を全く変える事なく、もう一度ベルグの名前を呼んだ。 「ローアネット=シルフィード様が中庭で死亡いたしました」 彼女の言葉が何故か遠くの方から聞こえてくる。 「……は?」 今、アーニーは何と言った? 睡眠不足というのは聴覚にも重大な悪影響を及ぼすモノなのか? 「すでにノア=リースリーフ様にはお知らせしてあります。私はユレフ=ユアン様を探して参りますので」 「ちょっと待たんかい!」 感情を表に出さない口調で言い終え、去ろうとするアーニーにベルグは怒声を浴びせる。 「ワレコラァ! あんまふざけた事言ってんちゃうぞ! ゆーてええ冗談と悪い冗談の区別もつかんのかい!」 ベルグはアーニーに掴みかかり、彼女の両肩を強く握りしめると目を鋭く見開いて睨み付けた。 「冗談を言うようには命令されておりません」 しかしアーニーは臆する事なく、いつも通りの淡々とした喋りで返す。 「ほんなら嘘付くようにでも言われてんのか!」 「そのような命令も受けておりません」 ベルグの凄絶な形相にも、顔色一つ変える事なくアーニーは対応する。 「もぉええ! 話しにならんわボケェ!」 ベルグは彼女を乱暴に放り出すと、転げ落ちるような勢いで階段を下りた。 出来の悪いマネキン人形。 それが中庭で見た物に対して、最初に抱いた印象だった。 長く美しかった薄紅色の髪の毛は、頭や口、鼻から出た血で顔に張り付き、海岸にうち捨てられた藻のようにほつれて地面に根を下ろしている。細くしなやかな肢体には方々に紫色の痣ができ、両足は歪な方向へとねじ曲げられて、そして――少しだけ短くなっていた。 「……どこかの窓から飛び降りたのか?」 視界の隅で、ノアが洋館を見上げながら言う。 ――うるさい。 「……ソレにしては妙だな。この位置に落下するとなると、かなり横に飛ばなければならない」 ――黙れ。 「……予定表に書かれている事は、肉体的な制限も関係なくするのか?」 「やかましいんじゃワレェ!」 聞こえが良しに解説するノアに、ベルグは激昂して大声を上げた。 「そんなにおもろいんかい! ローアが死んだんがそんなに嬉しいんかい!」 ベルグの怒声にノアは少し驚いたような表情をしたが、すぐに冷めた顔つきになると、胸ポケットからタバコを取り出して火を付けた。 「……お前には、そう聞こえたのか?」 そして紫煙を吐き出しながら、薄く開いた眼をコチラに向ける。 「いくら私でも死者を蔑むような事は言わんさ。少しは頭を冷やせ」 「これが落ち着いてられるかい! ローアが! ローアが……! 何で……!」 ベルグは変わり果てたローアネットの前に跪き、悔しそうに拳を地面に叩き付けた。 目の奥に熱いモノが生まれる。それは三年も前に枯れ果てていたと思っていた物。もう二度と流さないと誓った物。 「……随分と変わったな、お前。最初に見た時とはまるで別人だ。お前は、私と同類だと思っていたんだがな」 頭上からノアの静かな声が振ってくる。 「お前もそこらの一般人と同じだ。こんな所に居るべきじゃない」 ――こんな所に居るべきじゃない。 それはベルグがローアネットに対して思っていた事。 彼女は自分と違って生きようとしていた。だから何としてもこの洋館から無事に出してやりたかった。この命と引き替えにしてでも。 しかし、結果は―― 「その女は運が悪かったんだよ。予定表の内容通り行動して死んだ。死の回避に失敗したのはその女の責任だ。お前が気にする事はない」 「何やとぉ!」 「お前がその女に言った言葉だかな」 顔を灼怒に染めてノアを睨むベルグに、彼女は間髪入れずに返す。 (俺、が……) 確かに、ヲレンが死んだ時ベルグはローアネットにそう言った。そう言葉を掛けて慰めた。慰めたつもりだった。 だが、逆の立場になってみるとよく分かる。いかに無神経な発言かという事が。 ローアネットはこんな気持ちだったのか? 予定表の内容で仕方なくとは言え、ヲレンが死ぬ原因を作ってしまった。その罪悪感に苛まれ、自分を責め続け、自殺までしようとした。 まるで今の自分と同じだ。 心底思う。どうして自分が先に死ななかったのかと。そうすれば、ローアネットは三回も予定を書き換えられる事が出来たのに。 (今の俺と同じ……) 自分で思った言葉に、ベルグは体温が一気に低下するような錯覚を覚えた。 (まさ、か……) ベルグは焦点の定まらない目で、ローアネットの躰の真上を見上げる。そこには小部屋が出窓のようにせり出していた。 その小部屋の位置。洋館の五階部分から不自然に出っ張っている部分。 あそこは、確か―― 「クソ!」 考えが終わるより早く、ベルグは洋館の中に飛び込んだ。 悪い予感ほど的中する。 思った通りだった。 「ウソ、やろ……」 五階にあった黒い扉の部屋。昨日、自分が鍵を開けた部屋。 その部屋には、床がなかった。眼下ではアーニーがローアネットの遺体を浮遊台車の上に乗せているのが見える。 下から見た時には確かに床があった。しかし、上からは何も見えない。手で触れてみてね何の感触も返ってこない。恐らく、特殊なシールドか何かが施されているのだろう。 (俺が、殺したんや……) 自分がこの部屋の鍵を開けてしまったから。だからローアネットは死んだ。 ヲレンの死因をローアネットが偶然作ってしまったように。今度はローアネットの死因をベルグが作ってしまった。 (なんや、コレ……) ベルグは放心したまま廊下を歩く。 彼女を救う救うと言っておきながら、自分がこの手で殺した。 言っている事とやっている事が正反対だ。滑稽だ。所詮、自分もアクディのゲームの中で踊らされているに過ぎない。 (もぅ、終わりにしよか……) 放っておけば自分も五階の窓から飛び降りて死ぬ。予定表に書かれている内容の通り。 ローアネットと同じ死に方だ。それでいい、それで何とか罪を償えるかも知れない。彼女と同じ死に方をする事で―― (いっしょや……) 同じだ。三年前と。 全く変わっていない。 婚約者がコールド・エッジで死んで、すぐに自分もコールド・エッジに掛かって、そして同じ苦しみを味わって死ぬ。 あの時の考え方と全く変わっていない。 『……随分と変わったな、お前。最初に見た時とはまるで別人だ』 ついさっき、ノアに言われた言葉。 (俺は変わった……) 自分でもそう思う。ローアネットと触れ合う事で、これまでとは考え方が変わった。 『簡単に死ぬなんて言わないの。貴方が辛いのは、分かってるけど……』 (ローア……) もう自分には、死という選択を安易に取る事は出来ない。絶対に――しない。 (そんなんは……『臆病者』のする事や) 生きる。何としてでも生きる。 自分のためだけではなく、ローアネットのためにも。 『他の誰かのために』 笑顔のまま死んでいった婚約者のためにも。 (絶対に生き残って、アクディのドアホに引導突きつけたる!) 生き残るためにまずしなければならない事。それは自分の予定表の書き換え。 ベルグはジーンズのポケットに乱暴に入れていた予定表と、そこに文字を書き加えるペンを取り出す。 そして予定表に書かれている『七日目14:54■五階の窓から飛び降りる■』という一文の最後に『フリをする』と書き足した。これで本当に飛び降りなくても良い。 ヲレンも同じような事をして死を回避していた。この加筆は有効なはずだ。 取り合えずこれで、『露骨な死』は免れた。 (次は……) ローアネットの予定表を探す。そして自分の推測を確かめなければならない。 (あった……) 夕方。 ローアネットの部屋でベルグは彼女を予定表を見つけた。 ベッドの横にあるサイドテーブルの中。彼女はヲレンのように持ち歩いていたわけではなかった。 ローアネットはすでにアーニーによって手厚く葬られた。血を拭き、髪の毛を整え、手足を伸ばして永冷シェルターに収められた。コレで彼女はシェルターのエネルギーが切れない限り、今の姿のまま永久に冷凍保存される。 シェルターをどこに保管するのかまでは教えてくれなかったが、無事ゲームに生き残れば会わせると約束してくれた。恐らく、ヲレンも同じ場所にいるのだろう。 (ローア……) 頭に彼女の笑顔を思い浮かべながら、ベルグは四つ折りにされた予定表を取り出して広げた。そして一日目から順番に目を通して行き……。 「――!」 六日目に書かれた予定に目が縫い止められる。そこには明らかにペンと石で修正したと分かる一文が書かれていた。 『ベルグか生きたいと思うようになる』 丁寧な文字で、そう書かれていた。 (アホ、か……アイツ……) たった一度だけの貴重な機会を、こんな下らない事に。 いや、無理もないかも知れない。 この気の緩みを誘う事。それがアクディの狙いなのだから。そして死を恐れれば恐れるほど、彼の術中に嵌る。 ヲレンは『暖炉に飛び込む』という『露骨な死』を回避した後に死んだ。そしてローアネットがこの部分書き換えたと言う事は、間違いなくこの場所にも『露骨な死』が書かれていたのだ。彼女もまた、その後に死んだ。 つまり、一見してすぐに分かる『露骨な死』は書き換える機会を浪費させるダミーであると共に、その後に訪れる『本当の死』へのカモフラージュなのだ。 『露骨な死』を恐れれば恐れるほど、ソレを回避した時の安堵感は大きくなる。だからその後の『本当の死』に対しては無防備になる。もうこれで終わったという暗示に掛かってしまう。 死を回避する手段を与える事で、あたかも予定に逆らっているかのように思わせておいて、実はソレすらも予定の範疇。最初から選択の余地など無かったのだ。 ヲレンとローアネットは、アクディの巧妙な策略にまんまと嵌ってしまった。 (もっと、早よ気付いとったら……) ヲレンの予定表を見た時点でもっと真剣に考えていれば、ローアネットは助かったかも知れない。七日目の予定に書かれた『黒い扉の部屋に入る』という『本当の死』を回避させられたかも知れない。 だが今は後悔をしている時ではない。とにかく生き残らなければならない。 自分のため、婚約者のため、そしてローアネットのために。 今、ベルグの手元には三枚の予定表、そして二つの石がある。 残りはあと三日。 二つの石で二日分の予定は消す事が出来る。問題はどれを残すか。 『八日目09:05□最初の五分間だけ朝食を食べて席を立つ□』 『九日目15:36□キッチンでつまみ食いをする□』 『十日目23:09□深夜に一人で大浴場に行く□』 こうして見ると、どの予定も怪しく思えてくる。 二人の予定表を見る限り、『露骨な死』の直後に『本当の死』が来ていた。ならばまず消すべきは明日の予定か。そして二人の行動を見る限り冷蔵庫に関連する物が多い。二人の行動のどれかが、自分の死の伏線となっているとすれば、キッチンにはあまり近寄らない方がいい。 残ったのは十日目の大浴場。 だが普通に考えて、深夜に一人という状況は危険すぎる。罠を仕掛ける方も周りの目を気にしなくて良い分、行動が極めて楽になる。しかもゲーム終了まで一時間足らず。無意識の気の緩みを誘っているのかも知れない。しかし、そう考えている事自体、すでにアクディの策に嵌っているかも……。 考えれば考えるほど分からなくなる。 (ノアちゃんとユレフの予定表を見れれば……) 出来ればノアとユレフの予定表も盗み見たい。五枚の予定表が揃えば、かなり高い確率で『本当の死』が予測できる。だが、今やっている事でもルール違反ギリギリのはずだ。もし下手を踏んでルール違反が発覚し、それで死亡となったら目も当てられない。 (選ぶしか、ないな……) ベルグは意を決して、二つの石を取り上げた。 †八日目 【大広間 09:00】† 朝の大広間。 昨日までは隣にいてくれたはずのローアネットの姿はもう無い。 ベルグがこの洋館に来て初めて摂る朝食。いつもはコールド・エッジから来る脱力感で、朝早く起きる事が出来なかった。 しかし、今朝は八時前に目が覚めた。予定表に書かれていたからではなく、自分の意思で起きる事が出来た。 生きる事を決意したから。コールド・エッジに抗う事を心に決めたから。 (ちゃんと、お前の予定表通りになったで) ローアネットが予定表にペンで書いた内容を思い出す。一日遅れだったが効果はあった。死の予定表は、あんな突拍子もない事も実現してしまうのだろうか。 ――単なる偶然。 そう考えるのは簡単だ。だがそんな風には思いたくない。ローアネットのおかげで自分は心変わり出来た。それは紛れもない事実。 たった一度だけの貴重な機会を費やして、彼女が込めた願い。もっと大切にしたい。もっと重く受け止めたい。肉体にも精神にも染みついて、この先一生離れないくらいに。 「……少しは元気が出たみたいだな」 自分の向かいの席に座ったノアが、紫煙をくゆらせながら話しかけてくる。 「正直言って昨日は見てられなかったぞ」 そして口の端をつり上げ、皮肉っぽい笑みを浮かべた。 「ぁあ、ノアちゃんにも八つ当たりしてスマンかったな。けどま、もう大丈夫や」 「心の整理はついたでごさるか?」 ノアの隣で、ユレフが少し元気のなさそうな表情で言う。 「まーな。一晩色々考えて大分落ち着いたわ」 「それは良かったでござる」 もう、昨日までの自分とは違う。生まれ変わった気分だ。 『なんとしてでも生きる』という強い意思を持つ事が出来た。 絶対にこの狂ったゲームに生き残らなければならない。ローアネットの死を無駄にしないためにも。 「ご朝食をお持ちいたしました」 (来た、な……) アーニーが銀の台車に乗せて運んできた料理を、ベルグは鋭い眼差しで見つめる。 結局、ベルグが消した予定は九日目と十日目だった。 その二つの予定はあまりに曖昧すぎて対策を立てづらかったからだ。ヲレンとローアネットは『露骨な死』を回避して安心し、それ以降の予定を軽視しすぎだ。 しかし自分は違う。これから起こる『本当の死』に対して、過剰なまでに警戒心を持っている。 八日目の予定は五分間だけ朝食を食べる事。 出来る事ならこの洋館で出される飲食物は一切口にしたくない。しかし予定表に書かれている以上、逆らう事は出来ない。 だが、前もって対策を講じておく事は出来る。 例えば、食器やナイフ、フォークに毒が付いていないかの確認だ。ヲレンとローアネットの予定にあった『キノコ』は鬼茸という毒キノコだった。それはすでに昨日のうちに中庭で実際に見て調べてある。だから念のため、十分ほど前に目に付く物は全て洗って置いた。 粉末化してあるので料理に直接入っているかも知れないが、もしそうならノアとユレフも死んでしまう事になる。前例が二つしかないので確実な事は言えないが、死ぬのは一人ずつだった。しかも一人で居る時だ。恐らく、他の人間が一緒に居ると助けてしまうかも知れないからだろう。 そういう事も考えて八日目の予定を残した。この予定だけは他の二つと違って、皆が周りに居る時に起こる。 (後は、五分間だけコイツらとおんなじモン食べとったらええ……) 予定表には何を食べるかまでは指定されていなかった。詳しく書かれていない部分は、自分で好きに出来るという事はプレイルームですでに確認済みだ。 つまり、毒を回避するためには自分だけ特別な物を食べなければいい。幸いな事に、ここでの朝食はバイキング。確実とは言えないが、ノアやユレフが口にした物ならば恐らく大丈夫だ。アクディは三人一緒に殺すような事はしない。一度に沢山殺したいのなら、五人一斉に死んだ方が派手だからだ。 それにアクディは、誰か一人を殺すための死の伏線を、わざわざ他の人間に用意させたりするような奴だ。そんな手の込んだ事をする人間が、終幕を雑に下ろしたりはしない。 アクディは心から楽しんでいる。このゲームを。一人一人殺して、残った者が苦悩する様をどこかで見てほくそ笑んでいる。ローアネットのように、自分で自分を責める様子を見て狂笑を浮かべている。 ソレが、このゲームの意味だ。 (狂人めが……) ベルグは鼻に皺を寄せて舌打ちした。 「……アクディが憎いか」 テーブルの中央に置かれた大きなボウルから、ドレッシングの掛かったサラダを小皿に取り、ノアは低い声で言う。 「当たり前や」 彼女がサラダを口に運ぶのを確認して、ベルグも自分の小皿に盛りつけた。 「アクディ様は、偉大でござる。これは……間違いないでござるよ」 ユレフはポットに入ってる香草スープを皿に移しながら、少し自信なさ気な口調で反論する。 「間違いないんやったらボソボソ喋ってんと、もっとハッキリ言わんかい」 ベルグも同じポットから香草スープを取り、ユレフが口に含んだのを見てスプーンですくった。 (あと三分や……) 壁に掛けられた木製の大きな振り子時計を見ながら、ベルグはゆっくりとしたペースで朝食を進めていく。 「……まぁ、コイツにも色々と思うところがあるんだろ」 ノアは意味ありげに言いながら、ユレフに視線を向けた。 二人の間で何かあったのだろうか。 だが今はそんな事はどうでも良い。自分が考えるべきは生き残る事だけ。その事だけに集中しなければならない。 (あと二分……) ノアが分厚いローストハムを薄く切って、そのまま口に入れる。ユレフは火喰い鳥のゆで卵にかぶりついた。 (あと一分……) ノアは香草スープを音も立てずにスプーンですくい、口に運ぶ。ユレフが赤宝樹の木の実をフォークで突き刺して噛まずに呑み込んだ。 二人が食べた物と全く同じ物を選んで口に運びながら、ベルグは視線で射殺す程に振り子時計を睨み付ける。 そして―― 「……どうかしたのか?」 急に立ち上がったベルグを見て、ノアが怪訝そうな視線を向けて来た。 「ぁあ、悪い。俺、もう腹一杯やわ」 「……そうか」 ノアはそれ以上何も言ってこなかった。 ローアネットの事で食欲が無いとでも思ってくれたのだろう。 (勝った……) 自分はまだ生きている。『本当の死』はこの予定ではなかった。そしてこの後の予定は二つとも消し去った。アクディがあそこに何を用意していようと関係ない。もう予定表には束縛されない。 「本当にもういいでござるか。今日のデザートはきっと美味しいでござるよ」 「お前にやるわ。俺の分まで食って早よデカなれよ」 それだけ言い残すと、ベルグは大広間を出た。 報告に行こう。ローアネットに。 ちゃんと、生き残ったと。 ローアネットの部屋。 そこにはまだ、微かに彼女の匂いが残っている。ベッドの上には、僅かに彼女の温もりが感じられる。 (俺、生き残ったで。お前のおかげや……) ベッドの上に腰を下ろし、ベルグは細く息を吐いた。 一昨日はこの場所で愛し合った。三年ぶりに触れた女性の肌は、柔らかくて、温かくて、心地よくて……。 (ホンマ、どっちが慰められてたんか分からんわ……) まるで、婚約者と一緒に居るようだった。 (あと二日や。二日したら、会えるで……) 永冷シェルターで眠っているローアネットに。 ベルグはジーンズのポケットから三枚の予定表を取り出した。そしてもう一度自分の予定表を見る。九日目と十日目には確かに何も書かれていなかった。 (大丈夫やで……ローア。俺はもう大丈夫や) もう一度見たい。彼女の顔を。そして網膜に焼き付けたい。鮮明に。 もう二度と、死にたいなどという馬鹿な考えをしないために。 「あーあ……」 ベルグは大きく体を伸ばし、大の字になってベッドに横になった。 「ん?」 背中に当たる僅かな異物感。丁度背中の真ん中当たりに、ベッドの柔らかい感触以外の物を感じる。一昨日は、ローアネットが寝ていた場所だったので気付かなかった。 ベルグは体を起こし、ベッドに敷かれたスプリングシーツの下に手を入れる。そして指先に当たった固い物を取り出した。 それは黒い表紙の本だった。タイトルは何も書かれていない。 最初のページを捲り、書かれている内容を見てベルグは思い当たった。 (アクディの研究日誌か……) 確かローアネットが書庫で見つけた本だ。気分が悪くなって途中で読むのを止めてしまったと言っていたが。 ベルグは流し読みで、大雑把に目を通していく。 (確かに、な……) 書かれている内容を見て、ローアネットの気持ちが良く分かった。 ここには医術師から錬生術師になったアクディの、自己満足とも言える研究成果が書き記されている。 (けどココに書かれとる『ギーナ』って名前、どっかで……) 記憶を掘り起こし、ベルグはこのゲームが始まった初日にユレフが言っていた事を思いだした。 『お前、ギーナって名前に心当たりあるでござるか?』 (確かにゆーとった。けどなんでアイツが……) ユレフは熱狂的なアクディの信者だ。研究成果を教えて貰っていたとも考えられるが……。 何か腑に落ちない物を感じながら、ベルグは先を読み進めていく。 『ギーナ以降、また人間としての形すら為さない失敗作が続く。あんな事をしてしまった罰なのだろうか。一番最初、思いも掛けずにあっさり形になったのは、ビギナーズラックだったのだろうか。ギーナは少しずつだが成長している。しかし彼女に関しては諦めた。やはり、人工ソウルだけから生み出したソウル・パペットは人間らしさを持てないのだろうか』 『タイプTまで全てが失敗に終わってしまった。だが、ギーナのように“型”を使うわけにはいかない。彼と失敗作との違いは何だ。本当に型だけなのか? もし他にあるとすれば……』 『成功した! 思った通りだ! 人工ソウルだけでは無理だったが、人間の体から取り出したソウルを混ぜる事で安定化に成功した! 彼女のソウルを保管しておいて正解だった! 素晴らしい! このタイプUは完璧なソウル・パペットだ! ギーナと違い最初からある程度人間味が備わっている! コイツは“ユレフ”と名付けよう! アルア言語で“始まり”と言う意味だ! きっと素晴らしい人間に成長するに違いない!』 「な……」 その文章を見て、ベルグは思わず声を上げた。 「ユ、ユレフ……」 さっきまで一緒に朝食を食べていた子供。彼がソウル・パペット? 偶然か、それとも……。 「が……!」 突然、喉の奥に熱いモノを感じでベルグは堪らず吐き出した。 口から出た物が本に掛かり、紅く染め上げていく。 (なん、でや……) 全身から力が抜けていく。足下で重い音を聞いて初めて、持っていた本を落としたのだと気付いた。 平衡感覚を失い、ベルグはベッドの上から転げ落ちる。立ち上がろうとして口から大量の血が舞い、重力に引かれて床に叩き付けられた。 「残念だったわね」 部屋の出入り口の方から声が聞こえる。 その主を見て、ベルグは驚愕に目を見開いた。 「ロ、ローア……」 湿っぽいモノが混じった声で、ベルグはそこに立っていた人物の名前を呼ぶ。 「毒を警戒したのは正解だったわ。でも、ちょっと詰めが甘かったわね」 「なんで、や……。何でお前が……」 ローアネットはベルグの顔の側に座り込み、優しく微笑みかけてきた。 「貴方が死ぬ前に、会わせてあげようと思って」 そして細長い指先でベルグの頬を撫でる。 「この姿で来たでござるよ」 「ユ……」 ベルグの目の前でローアネットの姿がボヤけたかと思うと、良く知った少年の姿へと変化していった。 「ユレ、フ……」 「ベルグが飲んだ香草スープ。あそこに鬼茸の粉が混ぜられていたでござるよ」 こちらの混乱をよそにユレフは淀みなく喋る。 「確かに小生もノア殿も同じ物を飲んだでござる。でもこうしてピンピンしているでござる。ベルグは朝食を途中で止めたから死ぬでござるよ」 (そういう、事かい……) 口の中に広がる鉄錆の味を忌々しげに噛み締めながら、ベルグは激しく咳き込んだ。 「ベルグ」 ユレフの体がぼやけ、ローアネットの姿になる。 「死ぬのは恐い?」 そして彼女と全く同じ声で聞いてきた。 「そ、やな……。お前との約束、破ってまうんは、恐いわ……。あの世で……何言われる、か……分からん……」 断続的に口から飛び出す血で言葉を途切れさせながらも、ベルグは張り付いた笑みを浮かべながら言う。 「死ぬって他にどんな気持ち? どの本を見ても書いてなかったわ」 「あたり、前や……」 一度死んだ後、生き返った人間にでも聞かない限りは。 「ベルグでも、分からないでござるか……」 再びユレフの姿へと戻り、彼は気落ちした表情で呟いた。 「変な、ヤツやな……」 薄ら笑いと共にそれだけ言ってベルグは目を閉じる。 もう何も考えられない。 体がダルい。 眠い。 (ローア、すまん……) そしてベルグは静かに体を横たえた。 † † † 「アクディ様。ベルグ=シード様が死亡いたしました」 アーニーは薄暗い部屋で、相変わらず微動だにしない男に声を掛けた。光輝蝶が彼の肩に止まって羽を休めている。 「アーニー……」 男は彼女に背を向けたまま、いつもと変わらない声を発した。 「後は……お前に任せる……」 そして同じ言葉を口にする。 闇の胎動が聞こえてきそうな程の静寂。 「アクディ様」 しばらく立ちつくしていたアーニーは、もう一度彼に声を掛けた。 「私はこのままで、本当に良いのでしょうか」 手を胸に当て、彼女は僅かに躊躇うような仕草で言葉を紡ぐ。 「アーニー……」 しばらく間をおいて、彼は最初と同じ声で彼女の名前を呼んだ。 「後は……お前に任せる……」 言葉が終わると同時に訪れる、空気が凍てつくような静謐。 それに身を晒しながら、アーニーは黙って彼を見つめた。 「承知いたしました」 そして内面を消したような無表情に戻り、アーニーは慇懃に礼をして部屋を後にした。 □■□■□■□ Chapter4§ノア=リースリーフ§ 一日目13:20□ワインのビンを保管庫のテーブルの端に並べる□ 二日目16:28□自室のサイドテーブルにある透明の棒を包み紙でくるみ、書庫の本の間に挟む□ 三日目14:25□キッチンで沢山の調味料を使って料理をする□ 四日目15:30□五階のテラスで外を眺める□ 五日目22:56□メイドから渡された入浴剤を使ってお風呂に入る□ 六日目19:11□自室で読書をする□ 七日目20:05□冷蔵庫にある赤黒い粉末を、香草の入っている瓶に混ぜる□ 八日目15:42■自室で首をつる■ 九日目20:15□大浴場で入浴する□ 十日目13:09□大広間の時計の振り子が三十往復するのを見る□ †一日目 【大広間 14:13】† 人が生きるのに理由など要らない。ただ生きたいから生きる。 だから死ぬのにも理由など要らない。死にたいから死ぬ。 今、ノアの頭の中にあるのはそれだけ。 死にたいと思うキッカケは確かにあった。自分が生きる意味を取り上げられ、目に映る物、耳に入る物全てに絶望し、完全に壊れてしまう前に死を望んだ。 しかし、もうそんな物はどうでもいい。愚にも付かない下らない言い訳だ。結局、自分には湧かなかった。 生への執着が。 自殺未遂などそれこそ数え切れない。薬物、リストカット、入水、飛び降り、ガス中毒。種類も豊富だ。 しかし、いずれも成功しなかった。結局、自分には足りなかった。 死への渇望が。 だから途中で勇気が無くなって止めてしまう。しかし死にたい。でも死ねない。ソレの繰り返し。 生きる事も死ぬ事もせず、ただ漫然と無意味な日々を送っていた。 そんな時だった。アクディからの招待状が届いたのは。 「三人目発見でござーる」 材質の良いクッションのソファーに身を沈め、中空に視線を投げ出しながら紫煙をくゆらせていた時、大広間の出入り口から子供特有の甲高い声が響いた。 ノアは少しだけそちらに目をやり、すぐに興味なさそうな顔つきになって視線を外す。 「こんな所で何をやっているでござるか」 ユレフの問い掛けにノアは何も返す事なく、クリスタル製の灰皿でタバコをもみ消した。そして機械的に新しい一本に火を付ける。 「何とか言うでござる」 「……消えろ」 小走りに寄って来て自分の隣りに腰掛けたユレフに、ノアは不機嫌そうに言った。 「分かったでござる。小生の質問に答えてくれたらすぐにでも居なくなるでござるよ」 (鬱陶しい……) 溜息をついて脚を組み、ノアはユレフから顔を背けるようにして窓の外を見る。 「アクディ様の開発した錬生術についてどう思うでござるか?」 「……どうでもいい」 ノアは間髪入れず、思った事をそのまま口にした。 「興味ないでござるか?」 「……無い」 気怠そうに言いながらくすんだ緑色の髪を掻き上げ、ノアは大広間を出ようと立ち上がる。何を聞きたいのかは知らないが、子供の暇つぶしにいちいち付き合ってやる義理はない。 死の予定表だかなんだか知らないが、早く自分を殺して欲しい。 さっきもソレを期待して保管庫に行ったのに、地下のワインセラーからワインを何本か持って来て、小さなテーブルの上に並べるだけで終わってしまった。期待外れもいいところだ。 「では質問を変えるでござる。ノア殿はどうしてココに来たでござるか?」 ユレフは自分の後ろを付いてまわりながら、しつこく聞いてくる。一瞬、力ずくでそのうるさい口を塞いでやろうかとも考えたが、すぐに面倒臭くなって止めた。 「……死ぬためだよ」 適度な暖気を室内にもたらしてくれる暖炉の前で立ち止まり、ノアはその中に吸いかけのタバコを放り捨てながら答える。 「最初からこのゲームに負けるつもりでござるか」 「……だったら?」 そして初めてユレフの方に体を向け、自嘲めいた笑みを浮かべながら言った。 ゲームだとか大金だとか、そんな物には最初から興味はない。ノアが欲しいのは確実な死。抗いようのない、絶対的な。 「小生には理解できないでござる」 ユレフは金色の瞳を困惑に染めながら、眉間に皺を寄せて口を尖らせた。 「……ガキは難しい事考えなくていいんだよ」 「でも一つだけ言える事があるでござる」 ノアの言葉に重ねるようにして、ユレフはどこか不敵な口調で喋る。 「最初から諦めてるようなクズに存在価値は無いでござるよ」 包み隠す事のないストレートな物言いに、ノアは僅かに目を細めた。 「例えば、アクディ様の生み出したソウル・パペットの中にも優秀な奴とそうでない奴が居るでござる。優良種だけを残すために、出来の悪いクズは淘汰されるべきでござる。廃棄処分が似合ってるでござるよ」 「……く」 自然と、口の端から小さな笑いが漏れる。 「……クククッ、あはは」 乾いた笑みを口の中に含ませるノアに、ユレフは怪訝そうな目を向けた。 「何がそんなに可笑しいでござるか。普通、ココはムキになって怒るところでござるよ」 「そうだな。その通りだと思う。いや、全くもってお前の言うとおりだ。クズは所詮クズ。並以下の才能しか持たない奴に生きる価値なんか無い。死んで当然だ」 目を瞑り、頭を軽く振りながら同意するノアに、ユレフは驚いたように目を丸くする。 「へぇ。気が合うでござるな」 「だが私はお前みたいな奴が一番嫌いだ」 彼の言葉が終わらないうちに、ノアは低い声で言い放った。 ソレに表情を固まらせたユレフは、追いつかない思考で必死に何かを理解しようとしているのか、焦点の合わない瞳を白黒させている。 「……質問には答えた。もう付いて来るなよ」 吐き捨てるように言うと、ノアは小さく鼻を鳴らして大広間を後にした。 †二日目 【自室 16:35】† 今日の予定にも死は含まれていなかった。 ただ得体の知れない透明の棒を紙で包んで書庫に持って行き、適当な本に挟んだだけだ。 本当にそれだけ。全く意味のない行動。 まるで、自分の人生のように。 (早くしてくれ……) ノアは自室のベッドに寝そべり、タバコを吹かしながら予定表に目を這わした。 八日目に書かれた『自室で首をつる』という予定。恐らくコレはダミーだ。 もし自分が罠を仕掛ける立場なら、こんな誰が見てもすぐに分かるような死に効果を期待したりはしない。 何気ない日常。死を連想させるにはほど遠い予定。 そこに罠を仕掛ける。 だからこそいつ死んでもおかしくない。予想だにしない突然死。理不尽なまでの終幕。 出来る限り早く訪れて欲しい。 自分の決意が鈍らないうちに。やはり死にたくないなどと、無様な醜態を晒す前に。 「ノア殿。居るでござるか」 ただでさえ不愉快な気分を、さらに加速させようとする人物が訊ねて来た。 「もし居るなら、そのまま黙っているでござるよ」 そしてドアの向こうで訳の分からない事を言う。 「返事が無いので入るでござるー」 頭痛と一緒に吐き気がしてきた。 無遠慮に入って来たユレフを露骨に不愉快そうな表情で睨み付け、ノアはベッドの上に体を起こす。 「……今度は何だ」 「また聞きたい事が出来たでござるよ」 ノアはユレフに聞こえるように大きな音で舌打ちをした。 「ノア殿は死ぬのが恐くないでござるか?」 コチラが全力でユレフの事を拒絶しているのに、彼は全く意に介した様子もなく、平然と聞いてくる。コレが子供にのみ与えられた、図太い神経というヤツなのだろうか。 「頭が悪いようだからもう一度言ってやる。私はお前が嫌いだ」 「知ってるでござる。ソレは昨日聞いたでござる。小生は頭が良いから一度聞けば十分でござるよ」 本気で子供を殴りたいと思ったのはコレが初めてかも知れない。 「けど天才で優秀な小生でも理解できない事をノア殿が言うから、やむなく聞きに来ているでござるよ」 わざとなのか? コイツはわざと自分を挑発しているのか? リアクションに乏しい自分から何か目的の事を聞き出す為に、わざと感情的になるように仕向けているのか? 「ノア殿は死ぬのが恐くないでござるか? どうして死にたいでござるか? どうしてわざわざ負けためにゲームに参加するでござるか?」 ああ鬱陶しい。これほど耳障りな声は久しぶりかも知れない。 「……自分で考えろ」 ベッドの上に直接置いた灰皿でタバコをもみ消しながら、ノアは苛立たしげに言う。 「小生は今、お前が一番怪しいと思っているでござるよ」 ノアを下から見上げながら、ユレフは語調を変えて静かに言う。 さっきまでのように、どこか浮ついた雰囲気はもう無い。ただ純粋な思いを双眸に宿し、獲物を品定めするかのような視線を向けて来た。 ――金色の両目に、鮮烈な殺意を込めて。 「……何の事だ」 新しいタバコに火を付けながら、ノアはユレフの目を真っ正面から見据えて言う。 絶対に揺れる事のない決意。 彼の目からは強靱な意志を感じる。しかし、ソレと同時に繊細で儚い部分も垣間見えた。まるで脆い足場の上に立っている振り子のようだ。天才的なバランス感覚と資質を持ち、外乱さえ混じらなければ永続的に強さを保ち続けられるが、ほんの僅かな衝撃で足下が崩れて行く。 ソレはどこか、かつての自分を彷彿とさせた。 「他の三人とも話をして来たでござるよ。ベルグは良い奴でござる。本気で小生の事を心配してくれていた。ローアネットは強い女性でござる。自分の弱い部分を熟知して、いざとなればそれを克服できる勇気を持っている。ヲレンは生に飢えているでござる。絶対に死にたくないという思いを感じた。どれもこれも、小生がかつてギーナにした事のない評価でござる。ギーナはただ小生の事を恐れ、無様に怯えて、心の底から嫌っていたでござるよ」 ユレフは途中で息継ぎする事さえなく一気に言い切る。そして挑発的な視線でコチラを射抜き、楽しそうに口を開いた。 「お前だけが小生の事を『嫌いだ』とハッキリ言ったでござる」 「……ああ。確かに言ったな。『大嫌いだ』と」 「つまり、お前がギーナでござるよ」 勝ち誇ったように宣言するユレフに、ノアは瞑目して溜息混じりに肩を落とす。 「……で? 言いたい事は沢山あるが、仮に私がそのギーナとか言う奴だったらお前はどうするんだ?」 「こうするでござる!」 叫ぶと同時に、ユレフは床を蹴ってノアに飛びかかった。そして自重で沈み込むベッドの上を流れるような足運びで移動し、一瞬のうちにノアの背後を取る。 「命乞いをするがいいでござるよ」 喉元に当たる冷たい感触。 目だけを動かして下を見ると、リッパー・ナイフが視界に映った。 ユレフのような子供でも、簡単に扱えるくらい軽い素材で出来たナイフだ。通常、刃はグリップにしまい込まれ、外圧によって飛び出す仕組みになっている。だからポケットに忍ばせ、出すと同時にグリップを強く握りしめる事でナイフにするのが普通の使い方だ。今、ユレフが実演して見せたように。 刃の厚みは薄いが強度は充分あり、それ程力を入れなくても人の肉くらい簡単に引き裂く事が出来る。 ノア自身、何度も自殺に使っていたからこのナイフの事は良く知っている。 「……どうした。いくら切れ味の良いナイフでも引かなければナマクラと変わらないぞ?」 いつまでたっても手を動かそうとしないユレフに、ノアは馬鹿にしたような口調で話しかけた。 「なぜ抵抗しないでござるか。どうして助けてくれと叫ばないでござるか」 後ろからのユレフの声に、ノアは溜息をついて紫煙を細く吐き出す。 「……やはり、お前は頭が悪い。昨日言われた事も覚えていないなんてな」 「あんな物はハッタリでござる! 小生を混乱させるためのデマカセでござる! 心の中では惨めったらしく怯えてるでござる!」 「……なら早く確かめればいい。この手をもう少し自分の方に引き寄せて、軽く横にずらすだけで答えが出る」 ノアはリッパー・ナイフを持ったユレフの手を無造作に掴むと、刃をより深く喉に食い込ませた。しかし、そこで手が止まる。横に引く事は出来ない。やはり、自分で最後を締めくくる勇気はない。 「……後は任せる」 それだけ言ってノアは手を下ろした。 リッパー・ナイフが小刻みに震えだす。その微弱な振動だけでも、刃は確実にノアの喉に食い込んでいった。 「何をそんなに怯えているんだ」 ノアの煽るような問い掛けにも、ユレフはすぐ返事をしない。そのまま二呼吸ほどの間があき―― 「……ちょっと、分からなくなったでござる」 力無いユレフの言葉と同時に、ナイフはゆっくりと下ろされた。 「絶対に、お前がギーナだと思っていたでござる。小生の経験からして、確信を揺るがされたのは初めてでござる」 「……そうか」 ノアはつまらなそうに言いながらタバコを灰皿でもみ消す。 また死に損なった。後に残るのはいつもと同じ。中途半端な傷跡と、死ぬ事すら満足に出来ない自分への憐憫。 さっきまでナイフの触れていた部分に手を添え、そっと離す。手の平に付いた細く紅い線から想像される傷口は、致命傷にはほど遠かった。 「また、来るでござるよ」 「……その時はもう迷うなよ」 肩を落として部屋から出ていくユレフの背中は、一段と小さく見えた。 †四日目 【プレイルーム 10:02】† 昨日の予定にも死は含まれていなかった。 沢山の調味料を使うと書いてあったから、その中に毒でも仕込まれているのかと期待していたのだが、当てが外れた。 出来た料理は単に『死ぬほど不味い』だけだった。 自分に料理の才能がない事を、ハッキリと告げられてしまった。どうやら天は二物を賜うる程あまくはないらしい。 (ま、今となっては二物どころか一つも無くなってしまったが……) やる気無さそうに薄く目を開けながら、ノアはプレイルームの一番奥にあるグランドピアノにもたれかかった。 (まぁいいさ……) 黒い鍵盤を適当に押して、でたらめな音を出す。フラット掛かった半音低い音の羅列は、暗い音階を組み上げていった。 (今日か、明日か、明後日か……。死ねばどうでも良くなる) 昨日、ユレフは部屋に来なかった。彼の存在こそが自分の死の予定なのかと思っていたのに、残念でしょうがない。 彼はあの時、明らかに崩れていた。今まで築き上げてきた物が完璧であればあるほど、それが崩壊した時のショックは大きい。恐らくユレフはこれまでの経験則に当てはまらない事に直面して、何か下らない事で悩んでいるのだろう。 (失敗したな……) あの時、無様に泣き叫べば良かった。 そんな事を考えながら、ノアは胸ポケットからタバコを取り出した。そして火を付け、浅く煙を吸い込んだ時、 「いっぺんでええから牛丼特盛り腹一杯食ってみたいー!」 鼓膜を揺るがす大音声が響き渡った。 纏まりも磨きも何もない、ただ濁音を並べ立てただけの極めて無節操な声。 虫酸が走る。怖気を覚える。生理的に受け付けない。この世に存在する『音』として認めたくない。 「朝から汚い声をバラまくな!」 気が付けば、ノアは自分でも驚くくらいの声で叫んでいた。 直後、喉に鋭い痛みが走る。まるで同じ傷口を何度も抉られるような激痛。肉体的にだけではなく、精神的にも。 (くそ……) 喉を押さえながら舌打ちした時、プレイルームの出入り口が音もなく開いた。そして先程の悪声の主らしき人物が入ってくる。 「自分……。今の声、自分のか……?」 異国訛りのある特徴的な喋り。 ノアは紫煙を吐き出しながら、彼を横目に見た。確かベルグとかいう名前だったか。どういう理由かは知らないが、ユレフが『良い奴』と評価していた人物だ。 「……それはこちらのセリフだ」 痛む喉に気を遣いながら低い声で言い、ノアはピアノの上に置いた灰皿でタバコをもみ消した。そして面倒臭そうにベルグを睨み付ける。 「なんや自分、デカイ声出せるんやんけ。俺はベルグ=シードや。まぁ短い付き合いやろーけど、ヨロシクな」 ベルグは軽い調子で言いながらノアに近づいた。 「……聞いてない」 新しいタバコに火を付け、ノアは彼から視線を外す。 別に彼になど興味は無い。短かろうが長かろうが、こういう軽薄な輩と親しくするつもりはない。もっとも、ユレフのように自分を殺してくれるというなら話は別だが。 「なんやキッツイねーちゃんやなー。生きとるウチは楽しーしてた方がお得やでー」 「……一人でやってろ」 もう、楽しく生きる事など出来ない。二年前にその手段を取り上げられてしまった。後はいかにして死ぬか。ただそれだけ。 「あん? その首どないしたんや? 怪我でもしたんか?」 一昨日、ユレフにリッパー・ナイフで付けられた傷跡を覗き込みながら、ベルグは聞いてくる。出血はすでに止まっていたが、まだ完治したわけではなかった。 「……お前に関係ない」 首筋を隠しながら、ノアはベルグの方にかざした手を振って『消えろ』と意思表示する。 「あのな……俺は犬コロやないで」 「心配するな。お前に家畜程の価値があるとは思っていない」 自分もそうだが。 「お! 『家畜』と『価値』掛けたんやな! なかなかやるやんけ! ほんなら俺は『今までヘーキやったのに、こんな僻地まで来たせいで風邪引いてもーたで、ヘッキチ!』って感じでどや!?」 「…………」 こういうノリには付いていけない。無意味にテンションの高い奴と話をしていると本当に疲れる。 「渾身のネタやってんけどなぁ……」 「……帰れ」 「へいへい、邪魔者はとっとと退散するわ。ところで自分、こんなトコで何しとんのや? 昼寝か?」 ベルグの言葉の中に何か異質な物が混じった。ほんの僅かな変化だが、はっきりと分かる。 探りを入れているわけではない。コレは確認だ。 ベルグは自分がココで何をしようとしていたか、分かっていて聞いている。 「……お前には関係ない」 低い声で言い、ノアはベルグから目を逸らしてタバコを吹かした。 (コイツも、私と同じか……) ある程度研ぎ澄まされた感性を持っている。確たる根拠など無くても、直感だけで物事を見分け、判断出来る能力がある。 ならば、ココに来た理由も……? (死にたがり、か……) 命を賭けたゲームに参加しているにもかかわらず、明るい顔が出来るのはそれなりの理由があるからなのだろう。 ユレフのように極端な思考を持っているからなのか、それとも自分のように最初から生き残るつもりが無いからなのか。 恐らく後者だ。ベルグは言動と同じく、自分の命も軽く見ている。だから死が張り付いていても笑っていられる。そういう目をしている。 「まーほんなら風邪ひかんよーにな」 ようやく自分が拒絶されていると感じてくれたのか、ベルグは諦めたように肩をすくめてノアに背中を向けた。そして出入り口へと歩を進める。 (やれやれ……) やっとうるさいのが居なくなる。 そう思いながらグランドピアノに目を落とした時、 「あーそうそう」 ベルグは立ち止まって、再びコチラに顔を向けた。 「さっきの自分の怒鳴り声、結構綺麗やったで。なんでこんなゲームに参加したんか知らんけど、もっと自分大切にした方がええんちゃうか?」 (コイツ……) どこまで読んでいる。どこまで自分の内側に入り込んだ。 ノアは彼の胸中を探るかのように、鋭い視線でベルグを射抜いた。 「……帰れ」 絞り出すようにしてノアはもう一度拒絶の言葉を発する。そこに混じる僅かな動揺。常人なら気付かないだろうが、ベルグならあるいは……。 (まぁいいさ……) 彼がどこまで自分を知ろうと関係ない。どうせあと数日でお別れする体だ。どうなろうと知った事ではない。 ノアはベルグがプレイルームから出て行ったのを確認して、グランドピアノの椅子に腰掛けた。白く細長い指を鍵盤に乗せ、僅かに力を込めて下に押し込む。 重い手応えと共に、澄み切った高い音と厚みのある重低音が、絶妙なバランスで室内に響き渡った。そして流れるような指運びで、深さのある音律を次々と紡いで行く。 慣れた手つきで透明感のある曲を奏でながら、ノアはゆっくりと口を開いた。 ピアノの音色に美しいソプラノボイスが混ざり合う。 それは声と言うよりも、一つの音楽だった。ピアノが発する音階の中に、ノアの生み出した音楽が自然な形で溶け込み、単体では到底成し得ない超高域まで音楽の完成度を高めていく。 体が音律と一体化していくような錯覚。頭の中に次々と湧いてくるイメージを音で表現しているうちに、ノアの気持ちは徐々に昂ぶって行った。 しかし―― 「……っ」 突然、音楽に綻びが生じる。 自分の思い描いたモノとはあまりにかけ離れた譜面をピアノが読み上げた。そして喉の奥に生じる冷たい塊。鈍い痛み。 (やはり、ダメか……!) 苦々しい顔つきになってノアは両手を鍵盤に叩き付けた。 耳をつんざくバラバラの雑音。室内を一気に支配したソレが、空気に溶け込むようにして尻窄みに消えていく。 「……く」 自嘲めいた笑みが口の端から漏れた。 「クククッ……」 何を今更。何度も確認して来たではないか。 もう自分は歌えない。長く歌声を出す事が出来ない。大声で怒鳴りつける事も、感情的になる事も許されない。 (私は、自分で自分を潰したんだ……) このピアノも言っていた。 もう歌うな、と。 そんな事は分かっている。自分はもう二度と、満足のいく歌を歌う事は出来ない。 分かっている。十分すぎるほどに理解している。数え切れないくらいこの身に刷り込まれた。だから死を選んだ。 なのに―― (未練たらしいぞ。ノア=リースリーフ) 呆れたような顔つきになってノアは立ち上がった。そしてタバコを取り出して火を付け、深く吸い込む。 自分の喉を完全に潰すために二年前から吸い始め、日に日に量を多くしていったタバコ。フィルターなど当然ない。 しかし声が出なくなる事はなかった。まるで自分の努力を嘲笑うかのように、歌声は僅かに出続けた。そして儚い希望を残し続けた。 もしかしたら喉が治るかも知れない、と―― (馬鹿馬鹿しい……) そんな事起こるはず無い。叶わない願いを抱き続けるほど辛いモノはない。 だからココに来た。確実に死を迎えるために。死を持って歌と決別するために。 (あと数日、だな……) カッターシャツの胸ポケットに詰め込んだ死の予定表を取り出して、暗い視線を這わす。 そしてタバコを灰皿でもみ消し、ノアは再び口を開いた。 予定表に従い五階のテラスで外を眺めた後、ノアは再びプレイルームに戻って歌を歌っていた。喉の痛みを覚えて歌うのを止め、しばらく休んでまた歌う。 それの繰り返し。 どうせあと数日で死んでしまうのだ。最後に好きなだけ歌うのも悪くない。歌で完全に喉を潰してしまうというのも一興だ。 午後六時過ぎ。今歌っている曲で自分のレパートリーを終えようかという時、プレイルームの扉が開いた。 性懲りもなくベルグが来たのかと思ったが、入って来たのは二メートル近い大男だった。 ヲレン=ラーザック。ベルグとは対照的に物静かな雰囲気を持つ男だ。 「……何の用だ」 だが邪魔者である事には変わりない。 ノアはヲレンに聞こえるように大きく舌打ちし、低い声で言った。 「スイマセン。お邪魔でしたね。ちょっとした用事がありまして。すぐに退散しますよ」 ヲレンはわざとらしい愛想笑いを浮かべながら、コチラに近づいてくる。しかし自分に用事がある訳ではないようだ。だとすれば―― 「……ふん。お前の予定って訳か」 ノアは緑色の髪の毛を荒っぽく梳きながら、鼻を鳴らして言った。 彼の動き方におかしいところはない。しかし、自分の意思で行動している顔ではない。決して望んでいないが仕方なくやっている。そんな表情をしている。 ヲレンは言葉を返す事なく、無言のままグランドピアノの横に来た。 黙っているところを見ると図星だったようだ。 別に彼の予定が気になったわけではない。ただ歌を中断させられ、不愉快な思いをもたらした報いは当然受けて貰わなければならない。 「……お前、死にたくないって顔してるな」 ノアは新しいタバコを一本口にくわえて火を付ける。そしてヲレンの表情から内面を読み取っていった。 彼の場合、ベルグと違って実に分かり易い。考えている事が全て顔に出ている。 (まぁ、人間的と言えば人間的か……) 紫煙をくゆらせながら、ノアは目を細くした。 「そりゃあ誰だって死にたくはありませんよ。いくら神に仕える身とは言え、私だって命は惜しい」 不自然な作り笑い。 聞かれたくない事にこれ以上踏み込まれまいと、何とかして話を逸らそうとしている。 「そうじゃない。お前、誰かに追い掛けられてるだろ。ソイツに殺されたくなくて逃げ出したい、助かりたいって顔してるぞ」 彼の顔には常に怯えの色が混じっている。そして焦燥と切迫。 ユレフがヲレンを『生に飢えている』と評した理由がよく分かった。彼は何かから逃れようとしている。 ヲレンは固い表情のまま、グランドピアノの中を覗き込んだ。そして弦の張られているところに手を差し入れる。その手を引き上げた時、彼が持っていたのは小さな紙箱だった。 「そんな物が挟まっていたのか。どうりで……」 どうりでピアノの音がおかしかったはずだ。 あの音は自分に、もう歌うなと言ったわけではなかった。異物が入り込んでいたから、出るべくして出た音だったのだ。 その事に、ノアは少なからず安堵を覚える。 「それでは私はこれで。どうも失礼しました」 用事を終え、足早に去ろうとするヲレン。大きいはずの彼の背中が、猛獣に追われている手負いの小動物のように小さく見えた。 「お前といいユレフってガキといい分かり易いな。似たもの同士か?」 ノアの言葉にヲレンは少し体を震わせて足を止める。 「……仰ってる意味が分かりませんが」 そして背中を向けたまま小声で言った。 「どっちも臆病者って事だよ」 それはヲレンとユレフだけではなく、自分にも向けられた言葉。 ヲレンはノアに何も返す事なく、部屋から出て行った。 (私は、臆病者だ……) 歌も諦められない、自分の命を絶つ勇気すら出ない。醜態を晒したまま愚鈍に生き続けている。 人任せで、周りに流されるだけのどうしようもない臆病者。 人生の絶頂期から一気に堕落し、精神の弱さを痛烈に感じて、過去の自分から来る言葉に怯えながら毎日を送るだけの存在。 (それが……私だ) もう居なくなったヲレンと自分を重ね合わせながら、ノアはグランドピアノの椅子に腰掛けた。 そしてお気に入りのメロディーを奏でる。 午前中に弾いた時のような雑音は、もう出なかった。 †五日目 【プレイルーム 19:51】† 昼間、ベルグとローアネットがココに来た。 ローアネットの方は分からないが、少なくともベルグは予定表に従って来たようだった。弦の間に下らない物を挟むというのが、最近の流行なのだろうか? 『精神安定剤』と書かれた怪しげな袋は、適当に放って置いた。 (それにしても……) ユレフの評価はなかなかに当を得ている。 ローアネットは確かに強い女性だった。内面から発せられる輝きが自分などとは比べ物にならない。 ベルグはあれで良い奴なのかもしれない。ユレフが仕掛けてくる悪戯に、文句を言いながらもいちいち構ってあげている。昼間の自分の推測を確かめるために、ユレフにコールド・エッジの事も聞いていた。恐らく、ローアネットのために。 (コールド・エッジ、ね……) その話しを出された時は思わず笑ってしまった。あんな物の治療など受けなければ良かった。あれだけの大金を支払って治したのに、今の自分の精神はコールド・エッジの患者そのものだ。生きる希望も気力もなくし、ただ死を望んでいる。ベルグもコールド・エッジに掛かっているらしいが、とてもそうは見えない。 (アイツも変わったな……) 最初に見た時のような諦観した表情はなりを潜め、代わりにローアネットへの想いが伝わって来た。彼女を護ってやりたいという強い意思が。 あの二人はお似合いだ。一緒になれば間違いなく上手く行く。勿論根拠など無いが、確信できる。 (フラれるなよ……) 昼間の二人の寸劇を思い出しながら、ノアは微笑した。 先程の夕食時、ローアネットの姿が見えなかったが、まさかもう愛想を尽かされたわけではあるまい。 ベルグは言葉選びは下手だが悪意があるわけではない。そしてその事はローアネットも分かっているはずだ。ただお互いに少しだけ素直ではないだけ。 (まぁ、頑張れ……) タバコを灰皿でもみ消し、ノアは鍵盤に手を置いた。そして自分の演奏に合わせて歌を歌う。 あと何日、こうしていられるか分からない。歌い納めだ。時間と喉の許す限り歌っていこう。 そう思いながら一曲目を歌い終えようとした時、プレイルームの扉が開かれた。 (今度は誰だ……) ノアは演奏と歌を止め、本日三人目の来客に目を細める。 「約束通り来たでござる」 入ってきたのは柔らかそうなブロンドの少年だった。 「どうしたでござるか。歌わないでござるか?」 ユレフは不思議そうに言いながらノアに駆け寄る。そして真横に立って大きな目で見上げてきた。 「私は誰かに聞かせるために歌ってるんじゃない」 機嫌悪そうに息を吐き、ノアはシャツの胸ポケットからタバコを取り出す。 「タバコは喉に悪いでござるよ。せっかくの綺麗な歌声が出なくなるでござる」 「知っている」 そんな事は。だから吸っている。自分の喉を潰すために。 (ま、その必要もなくなったが……) 彼がここに来たという事は考えが纏まったのだろう。そして迷いを断ち切ってきたはずだ。 「で、ちゃんと決心してきたんだろうな」 タバコをくわえたまま、ノアはユレフを見下ろして言う。 「何がでござるか?」 「私を殺しに来たんだろ」 「ああー」 言われて初めて気付いたように、ユレフはポンと手の平を打って目を大きくした。 「あれは一時保留でござる。ノア殿よりも怪しい人物が見つかったでござるよ」 ユレフの答えにノアは面倒臭そうな表情になり、肩に掛かった緑色の髪の毛を払う。 本当に嫌な子供だ。自分を不快にする能力に長けている。おあずけでも食らった気分だ。 「じゃあ何しに来たんだ」 「用がなければ来てはいけないでござるか?」 「当たり前だ」 基本的に自分は一人で居たい。なのに、どうしてこんな生意気な子供と同じ空間に居なければならない? 「小生はノア殿の事を知りたいでござるよ。もっと色々お喋りするでござる」 「私はお前なんかに興味は無い」 突き放すような口調で言うと、ノアはユレフから視線を外して立ち上がった。 ユレフは口で言っても簡単には出て行かないだろう。なら自分がどこかへ行った方が早い。 「アクディ様やソウル・パペットの事、詳しく知りたくないでごさるか」 「どうでもいい」 自分の後ろを付いて歩きながら、ユレフは甲高い声で聞いてくる。 「ホンマつれへんなー。せっかくの美人が台無しやで」 突然後ろから聞こえた異国訛りの声に、ノアは顔を驚愕に染めて振り向いた。さっきまでユレフの居た場所にベルグが肩をすくめて立っている。 (馬鹿な……) そんなはずはない。この部屋には自分とユレフしか居なかった。なのにどうして。 「驚いたでござるか? ソウル・パペットには変身能力があるでござるよ」 ベルグの姿が一瞬ブレたかと思うと、ノアの見ている前でユレフに戻った。 「な……な……」 「ソウル・パペットはソウルを安定化させて創り上げた人工生命体でござる。最初から肉体を持っていないから外見を変える事も出来るでござるよ」 ノアの反応が楽しいのか、ユレフは満面の笑みを浮かべながら説明する。 「小生が探しているギーナも同じくソウル・パペットでござる。けどアイツは小生と違って完全なソウル・パペットではござらん。特殊加工を施した人間がベースになっているでごさる。言ってみればソウル・パペットもどきでござる。だから変身は小生よりずっと下手クソでござるよ。時間は掛かるし、変身できる相手も少ないでござる」 得意げな顔で喋るユレフ。 しかしあまりに常軌を逸した事態に、さすがのノアも思考が付いていかない。 「小生とギーナはアクディ様の気まぐれでココに呼び出されて、何回も勝負してるでござるよ。アクディ様は勝負の理由を教えてくれないでござるが、きっとどっちが優秀なソウル・パペットか見極めようとしているでござる。今のところ小生が全勝しているでござるよ。だから今回も絶対に勝つでござる。そのためにはギーナが四人のうち誰に化けているかを見極めて殺してしまうのが一番手っ取り早いでござる。ギーナが居なくなればアクディ様も悩む事なくなるでござるよ。今まではそんな事すると怒られそうだったからしなかったでござるが、今回のゲームはこれまでとは違うでござる。死ぬ事が前提でござるよ。だから殺してもいいでござる。問題無いでござる」 「ちょ、ちょっと待て……」 全く言葉を詰まらせる事なく喋り続けるユレフに、ノアは手をかざして待ったを掛けた。 一度に訳の分からない事を言われても混乱するだけだ。まったく思考が追いついていない。 それでも辛うじて理解できた事と言えば―― 「じゃあ何か? お前はソウル・パペットなのか? アクディの生み出した?」 「だからさっきからそう言ってるでござる」 嘘――ではない。今のユレフの目は嘘を言っている目ではない。 それにノア自身、彼が変身するところを見たのだ。その事を受け入れるには、取り合えずユレフの喋った内容を正しいとせざるを得ない。 (コイツがソウル・パペット? 変身能力? ギーナとゲーム?) 無意識に髪の毛を梳きながら、ノアはユレフの言葉を咀嚼し直して頭の中で整理していく。 「ちょっとは興味が出て来たでござるか?」 考え込むノアを見て、ユレフは嬉しそうに言った。 その言葉でノアは我に返る。 いつの間にかユレフのペースに巻き込まれている。しかし、悔しいが少しだけ聞きたい事が出てしまった。 ソウル・パペットやアクディについてではない。もっと根本的な事だ。 「お前、そんな事喋っても良いのか?」 ソウル・パペットの存在は教会の教えに反する物として、世界中で忌み嫌われている。もしユレフがソウル・パペットだという事が公になった場合、住む場所も食べる場所もなくなり、世界中が敵に回る。 だからアクディは、まだソウル・パペットが未完成だという事にしているのだろう。なのにユレフは今、自分がソウル・パペットだとはっきり言った。 こちらの精神を揺さぶるのが目的か? そとれも自分が最初からそんな話し信じないと決めつけているのだろうか? 「ノア殿にしか言ってないでござる。だから他の人には内緒にしておいて欲しいでござるよ」 訝しむノアに、ユレフは立てた人差し指を口の前に添えながら言ってくる。 「ぷ……」 その仕草があまりに可愛らしくて、ノアは思わず吹き出してしまった。 「あー、分かった分かった。誰にも言わない。約束してやるよ」 すっかり毒気を抜かれてしまい、ノアは半笑いになりながらタバコに火を付ける。 「で? ソレを私に喋って何がしたかったんだ? そのギーナって奴を見つける手伝いでもして欲しいのか?」 「ノア殿の気を惹きたかったでござるよ。色々と聞きたい事があるでござる」 ユレフの子供っぽい答えに、ノアは背中に何かこそばゆいモノを覚えた。 「何だ?」 まぁ、答えられる範囲なら答えてやっても良いかも知れない。 今は何となくそんな気分だ。 「ノア殿は死をどう考えているでござるか」 「随分と高尚な質問じゃないか。教会の連中に聞いた方が良いんじゃないのか?」 「違うでござる。小生はノア殿の価値観を知りたいでござるよ。ノア殿は小生が殺そうとしても抵抗しなかったでござる。死ぬためにこのゲームに参加してるって言ったでござる。小生が生まれて七年間、色んな人に会ってきたでござるがそんな考え方の人は居なかったでござるよ」 ユレフは昂奮したように顔を紅くして、一気にまくし立てた。 「そりゃあそうさ。私みたいな考えの奴は、そもそも誰かと喋ろうなんて思わない。一人で暗い部屋に閉じこもって、心がカビて行くのをじっと待ってるだけだ」 「どうしてそう考えるようになったでござるか」 「どして、か……。ま、聞けば下らない事なんだがな……」 ユレフは自分の事を喋った。だったら少しくらいコチラも話しても良いかも知れない。 この世間知らずでアカ抜けていない、極端な思考を持った自称天才おぼっちゃまに。 「私はな、歌が好きだったんだ……」 小さな頃からノアは音楽に囲まれて育った。 父親が音楽を、母親が美術を職業としていたから、家はいつも音と色に溢れかえっていた。幼い時から質の高い芸術に触れ、ノアの感性はみるみる磨き上げられていった。 絵から音楽が聞こえてきた事もあったし、音色を色彩で表現する事もあった。自分の感情は殆ど歌で表す事が出来たし、ちょっとした表情の変化や声色の違いからその人が何を考えているかも何となく分かった。 ノアは感受性豊かな少女に育ち、どんな音楽でも一度聴けば譜面に起こす事が出来た。小鳥のさえずりや葉の擦れ合う音、風が通り抜ける音や雨が降り落ちる音。あらゆる自然の音さえも音楽に聞こえた。そしてソレにすぐ歌を付けた。 絵画や音楽鑑賞も好きだったが、自分で歌を歌う事が一番好きだった。 歌っている時は、どんな嫌な事があっても全部忘れられた。 歌で慰められ、励まされ、歌で、やる気を出して、新しい自分を見つけていった。 ノアの成長は常に歌と共にあった。 しかし、ノアが六歳の時。重病に冒されている事が発覚した。 コールド・エッジ。 原因不明の死の病。放っておけば約二年後に死ぬ事を医者から宣告された。治療するには莫大な費用がかかる。しかも確実ではない。 しかし、ノアの両親は財産を殆ど全てなげうってノアにコールド・エッジの治療を受けさせた。 治療は成功。 僅か五パーセントと言われている低い確率をノアは物にした。 そしてコールド・エッジの治療をキッカケに、ノアの感受性に更に磨きが掛かる。 絶対音感が身に付き、毎日のように新しい譜面が頭に浮かんだ。口と喉で別々の音域を出す事が出来るようになり、歌に厚みが増した。視覚、聴覚からだけではなく、味覚、触覚、嗅覚、五感全てが音楽に繋がった。 そして人の内面を読み取る事に関しては、より微細な表情の変化から察せるようになり、例え全く変化が無くとも眼の光の動きだけで大体の事が分かった。 ノアは現状に満足する事なく、自分の歌をより高めるために様々な場所で歌い続けた。 ライブハウスだけではなく、ボランティアで学校や養護施設に通ったりもした。とにかく歌う事が楽しくてしょうがなかった。 そしてノアが十八の時、プロからの誘いを受けた。 ソレは昔から思い描いていた夢。好きな歌を大勢の人に聴かせる事が出来て、尚かつそれで食べていけるのならこれ程嬉しい事はない。 しかし、両親はノアのプロデビューに好意的ではなかった。 口では好きな事をやるのが一番良いと言ってくれていたが、目が反対していた。 歌手は流行り廃りの激しい業界だ。もっと安定した普通の職業に就いて、普通の幸せを掴んで欲しい。そんな両親の心の声が、ノアにはハッキリ聞こえた。 ノアのコールド・エッジを治療したために、家の蓄えは無きに等しい。もしノアが失敗したとしても金銭的なフォローはしてやれない。だが成功すれば―― 迷った末、ノアはプロ歌手になる事を決めた。 やはり歌を歌っていたい。この先ずっと。売れない間は苦しいかも知れないが、好きな事が出来るなら頑張れる。そして一花咲かせる事が出来れば両親を楽にしてやれる。 絶対に歌手としての成功を収める。 堅く心に誓って、ノアはプロとしての一歩を踏み出した。 しかし、歌手の業界はノアが思っていた程あまい物ではなかった。 自分の好きな歌を思いのまま歌えると思っていた。だが、プロデューサー達は『売れる』歌を作らなければならない。どれだけ歌手としての完成度が高く、歌唱力があったとしても、実際に歌う歌が流行から外れていれば『売れない』。 『売れる』ためにノアは様々な矯正を強いられた。自分の自然な歌い方を否定され続けた。 ノアが受けたボイストレーニングは緻密で理論的で計算高くて、これまでノアが行ってきた感性のまま歌う手法とは真逆の物だった。 だが、『売れる』ためにはしょうがない。ある程度の妥協と方向修正は必要だ。そうする事で、大勢の人を喜ばせられるのであれば。 ノアは、昔のように『楽しく』歌う事は出来なくなった。 自分を否定され、喉に無理をして、ノアは『売れる』歌を歌い続けた。常に何か違うという疑念を抱きながらも、自分の歌がどんどん駄目になっていくのを痛切に感じながらも、ノアは歌い続けた。 日々積み重なっていくストレス。喉への過剰な負担。 プロデビューから一年が経ったある日の朝。ノアは自分の声が出なくなっている事を知った。どうやっても、しゃがれて掠れた声しか出ない。かつての透き通った声は影もなかった。 喉が度重なる無理に耐えきれなくなり、ついに潰れてしまったのだ。 そして、ノアに商品価値は無くなった。 『売れない』歌手には、用意するステージも掛けるお金も無い。 プロデューサーはノアに解雇処分を言い渡した。 それはまさに死刑を宣告されたに等しかった。 幼い頃からの夢だった歌手としてのプロデビュー。それによって自分の歌を否定され、喉を潰し、路頭に迷う事になった。 家に戻る事など出来ない。これ以上両親を迷惑を掛ける訳には行かない。 それに覚悟は出来ていた。 他の誰でもない、自分でした決断だ。責任は自分で取るのが筋。 もう歌えなくなった喉と、精神を覆い尽くす暗い失意を抱えて、ノアは当てもなく街を彷徨った。生活するお金を得るために、道徳から外れた事も沢山した。 喉は少しずつ良くなっていったが前のような声は出ず、耳障りだとさえ感じた時もあった。長い時間は歌えなかった。歌いたいという気持ちも弱くなっていった。昔のように心から楽しいと思えなくなった。 『ねぇ! パパ、ママ! ノアね、今日も沢山お歌うたったよ!』 時々、小さい頃の自分の声が聞こえるようになった。記憶の中の自分の歌声は澄んでいて、力強くて、楽しそうで。 『みんな聞いて聞いて! ノア、また新しいお歌思い付いたんだ!』 純粋で、輝いていて、今の自分とはあまりにかけ離れていて。 『歌を歌ってるとねー、なんこう……ほわほわした気分になれるの。幸せってこういう事なのかな』 恐くなった。歌っているだけで幸せだったあの頃の自分が、哀れみの視線を向けているようで。 逃げたくなった。日に日に荒んでいく自分から。果てしなく堕ちていく自分から。 そんな状態で二年が経った時には、すでに生きる事に意味を見出せなくなっていた。 『それじゃあ死んじゃえば?』 分かってる。出来る事ならそうしたい。しかし、最後まで自分の命を絶ちきる勇気もなかった。 『それはきっとまだ歌えるからだよ。だから未練が残ってるんだよ』 喉を完全に潰そうと思った。生まれて初めて吸ったタバコは死の味がした。一日に何十本も吸った。それでも喉は完全には壊れなかった。まるで、まだ歌いたいと言っているかのように……。 『臆病者』 そう。私は臆病者だ。 愚かしい言い訳をして、ゴミほどの価値もない自分の命を繋ぎ止めようとしている。 しかし、それももうお終いだ。 薄汚れたアパートに届いた一通の招待状。死のゲームへの参加チケット。 これが全てを終わらせてくれる。どんな言い訳も勇気の無さも関係なく、確実な死をもたらしてくれる。 「……ま、そう言うわけさ。要するに疲れたんだよ。何もかもに。だから死にたい。ただそれだけ。どうだ? 面白くも何ともない自分勝手で腹の立つ暗い話だっただろ?」 口の端に自分を皮肉るような笑みを浮かべながら、ノアは短くなったタバコを携帯灰皿でもみ消した。 「そんな事ないでござる。大変興味深い話だったでござるよ。そんな事はどの専門書にも書いてなかったでござる」 ユレフは金色の目でノアをじっと見つめながら、昂奮したような熱っぽい声で言う。 「そりゃどーも……」 ノアは照れくさそうに頭を掻きながら、新しいタバコに火を付けた。 「でも、やっぱり分からないでござるよ。死ぬのは恐い物だって聞いたでござる。それにノア殿もそう言ったでござる。でも死にたいんでござろう? 矛盾しているでござるよ」 「確かに、な……」 ユレフは意見はもっともだ。論理的に考えるならば確かに矛盾している。 しかし人間は理屈だけで動くものではない。感情も多分に混じる。ソウル・パペットであるユレフには、そこが理解できないのだろう。 「ま、お前もそのうち分かるようになるさ」 「そのうちでは困るでござる。こんなモヤモヤした気持ちで居たくないでござるよ。今すぐにでも解決したいでござる。どうすればいいでござるか」 真剣な顔で聞いてくるユレフに、ノアは肩を軽くすくめて見せた。 「じゃあ、軽はずみに『殺す』なんて言わない事だな」 人の命の重さを理解できないうちは、分かるはずもない。 「でもノア殿は小生に殺して欲しいって言ったでござる。また矛盾してるでござる」 「そうだな。矛盾してるな……」 それは恐らく、自分にもまだ生きる事の大切さが理解できていないからだろう。 「分からないでござる」 頭を抱えるユレフを見下ろしながら、ノアは苦笑した。 †六日目 【自室 19:35】† ヲレンが死んだ。 ガラスの破片で喉を一突き。殆ど苦しむ事もなく、即死だっただろう。 彼は死ぬ瞬間に何を考えていたのだろうか。何を感じていたのだろうか。結局、自分を追い掛けて来ていた死の手から逃げ延びる事が出来ず、絶望だけに埋め尽くされて逝ってしまったのだろうか。 ローアネットが彼の死を見てかなり動揺していた。普通の反応ではなかった。まるで自分が殺してしまったかのような顔つき。ベルグが居なければ、彼女は間違いなく自殺していた。 (いや……) 案外アレが普通の反応なのかも知れない。自分やユレフ、そしてベルグもどこかおかしい。ヲレンとローアネット。この二人が招待客の中では一番まともだ。そして、一番似つかわしくない。ココに居るべきではない。 このゲームに参加するには壊れていなければならない。 例えば、ヲレンの死を見ても恐怖するどころか、羨ましいとさえ思ってしまう自分のように。 (私がアイツの代わりになれていれば……) 心の底からそう思う。 喉を潰されて死ぬ。まさに理想的ではないか。下らない未練や、歌への執着を全て断ち切ってあの世に逝ける。楽になれる。 (早く来い) 自分の死の予定よ。勇気の無い臆病な自分には、それにすがるしかない。 左腕に巻いたリストバンドを外して、ソコに刻まれた無数の切り傷を見る。 それは今まで何度も試みてきた自殺の証。そして決して成し遂げられなかった自分の薄弱な意思の印。 予定表に従って読んでいた本を置き、ノアはソファーから立ち上がった。もう束縛は解けていた。 部屋の窓を開け、窓枠に腕を乗せて体を預け、ノアはゆっくりと口を開く。 冷たい夜風と混じり合い、か細く儚げな歌声が闇に溶け出した。 ヲレンの死体を見た時、自然と頭に浮かんだメロディー。これは彼への鎮魂歌。人の死を見た時ですら、まず最初に頭に浮かぶのは無数の音階。 もう取り憑かれてしまっていると言っても良い。この歌の束縛から解放されるには、死しか残されていない。 と、不意に背後で気配を感じてノアは歌うのを止めた。 「一人目が死んだでござる」 振り返り見たノアの視界に映ったのはユレフだった。心なしか元気が無いようにも見える。 「……そうだな」 それがどうかしたか? と言わんばかりの口調でノアは言った。 「ノア殿はこんな時、どう感じるでござるか?」 「……別に何も。ただ、私の番ではなかった。それだけだ」 「それは安心でござるか? それとも――」 「落胆だよ」 ユレフの言葉が終わる前に、ノアは冷たい視線を向けながら言う。 「そうで、ござるか……」 「お前の方はどうなんだ? 目新しい発見はあったか?」 「……分からないでござる。いつもみたいな達成感がないでござるよ」 「達成感、ね……」 ライバルが一人減った事への達成感。自分が生き残り、一人出し抜いた事への達成感。 ヲレンの死を見ても、ユレフはゲームの事が全く頭から離れていない。自分の歌と同じように。 似たもの同士。 自分とユレフは色々と似ている。精神的に壊れてしまっているのは元より、臆病なところや、『死』の本質を理解していない事に関しても。 「ノア殿はどうして死にたいでござるか?」 昨日と同じ質問に、ノアは疲れたような表情を向ける。 「お前、天才なんだろ? 二度同じ事を言わせるな」 「そうでござるな……。すまなかったでござる」 何か考えるように視線を上に向けながら、ユレフは元気の無い声で言った。そして足音も立てずに部屋の出入り口に向かい、扉の前で立ち止まってコチラに振り向く。 「次は誰の番でござろうな」 ユレフは顔に笑顔を浮かべて聞いてきた。 「私である事を願ってるよ」 ノアもそれに微笑して返す。 やはり、自分達は壊れている。 †七日目 【中庭 13:12】† 次の犠牲者はローアネットだった。 死因は転落死。こちらもヲレンと同じく即死だ。 そして、ヲレンの時と同じく何の感慨も湧かない。悲壮も恐怖も、愉悦も快楽も。 ただ、死んでいる。 それしか感想が思い浮かんでこない。 彼女は死ぬ間際、いったいどんな事を思い浮かべたのだろうか。やはり、ベルグの事なのだろうか。 綺麗な人だった。外見だけではなく、内面も輝いていた。生きる事に一生懸命で、あらゆる事に前向きで。かつての自分も、歌う事が楽しくてしょうがなかった頃の自分も、彼女のように輝いていたのだろうか。 今となってはもう、確かめる事は出来ないが。 「ノア=リースリーフ様」 ローアネットの死体を浮遊台車に乗せながら、アーニーが話しかけてきた。 「ベルグ様はどうして、あれ程お怒りになられていたのでしょうか」 珍しい事もある物だ。機械のように無表情で無感動だった彼女が、そんな言葉を口にするなど。 「その女の事を好きだったからだろ」 「好きだと怒るのですか?」 アーニーは作業の手を休める事なく、ノアに再び聞いてくる。 「大切な物を失ったら、ああいう風になってもおかしくない」 自分が声を奪われた時も、似たような精神状態になった。訳もなく苛立って、目に映る物全てに腹が立った。 あの時はまだ壊れる前だった。腹が立ち、全てを壊したいと思い、自分まで壊してしまう前だった。ならばそれは普通の、一般人の反応なのだろう。 ベルグは変わってしまった。最初に見た時は自分やユレフと同じく、病んだ精神を持った男だった。しかしどういう事情かは知らないが、今は普通になってしまった。 ならば自分も変われるのだろうか。元に戻れるのだろうか。何かキッカケさえあれば。ただ歌っているだけで満足できていた頃の自分に、歌っているだけで幸せになれた頃の自分に。 「よく分かりません」 「そうか……」 もう自分にも、それ以上掛ける言葉が見つからない。 今の自分にはベルグの気持ちがよく分からない。彼とは住む世界が違ってしまった。 ただ一つだけ言える事は―― 「お前も変わったな」 「……よく、分かりません」 夜、八時過ぎ。 ノアは予定表に従ってキッチンに来ていた。そして冷蔵庫を開ける。 自分の意思とは関係なく手が動き、赤黒い粉末が乗せられているトレイを取り出した。さらにもう片方の手で、奥まった場所にある小さな円柱形の瓶を掴む。瓶には赤茶けた葉っぱが、二センチ角程の小さな切片状に切り刻まれて入れられていた。 予定表の内容によるとコレが香草なのだろう。 ノアは瓶の口にねじ込まれたコルク栓を片手で器用に外し、中に赤黒い粉末を注いでいく。そして全て入れ終えたところで、束縛から解放された。 (コレが毒だと良いな……) 一瞬、食べてみようかと思った。もし本当に毒ならばココで死ぬ事が出来る。 (……止めた) 服毒自殺も過去に何度か試みた事がある。しかし当然ながら一度も成功していない。最初から毒だと意識して食べると、どうしても胃が拒絶して吐き出してしまうのだ。毒で死ぬならソレと分からぬよう、そっと食事の中にでも混ぜておいて欲しい。 それに何も焦る事はない。 明日の午後三時四十二分。 自分は自室で首をつる事になっている。疑いようもない確実な死が待っている。 (今夜が、歌い納めだ……) 自嘲気味に笑いながら、ノアは瓶とトレイを冷蔵庫に戻して扉を閉じた。 「こんな所で会うなんて奇遇でござる」 そしてキッチンを出ようとした時、後ろから声を掛けられた。 「……お前とは何か不思議な縁でもあるのかもな」 乾いた笑みを浮かべて言いながら、ノアはタバコを取り出して火を付ける。 「今までどこに行ってたんだ?」 ユレフはローアネットが死んだ時にも姿を見せなかったし、夕食にも顔を出さなかった。 「色々と見たり調べたり考えたりしていたでござるよ」 「それで、何か面白い物は見つかったのか?」 どこかからかうような口調で言って、ノアは紫煙をくゆらせる。 「見つかったり、見つからなかったりでござるよ。小生なりに大分考えたでござるが、やっぱり死ぬってどういう事なのか分からないでござる。医術書には生命機能の停止としか書かれていないでござる。宗教書は内容が抽象的すぎてピンとこないでござるよ。死んだらどんな気分になるだとか、どう考えるから死ぬだとか、小生が知りたい事はどこにも書いてないでござる」 「……くっ」 ユレフの答えに、ノアは思わず小さく笑いを零した。 「なるほど。実にお前らしい。頭でっかちの天才少年が考えそうな事だ」 「小生らしい?」 ユレフはきょとんとした顔つきで、ノアの言った言葉を繰り返す。 「小生らしいってどういう事でござるか? そんなのアクディ様にも言われた事ないからよく分からないでござるよ」 「まぁ、つまり、だ……」 ノアは頭の中で適切な単語を探すかのように視線を上げ、緑色の髪の毛を軽く梳いた。 「ガキっぽいって事だよ」 「ガキっぽい……」 そしてユレフはまたノアの言葉を繰り返す。 「それも、初めて言われたでござるよ。小生をそんな風に見下したのはノア殿が初めてでござる」 「バーカ。これは褒め言葉だよ褒め言葉。ガキはガキらしくしてるのが一番って事だ。何でも分かったようなフリして生意気な事言うよりは、今のお前の方がずっと良い」 ずっと、自然に見える。 自然に……。 (そうか……) コイツも変わりつつある。普通の一般人に近づきつつある。 自分だけだ。何も変わらないのは。何も成長しないのは。ただ自暴自棄になって、死ぬ事だけ考えている。つらい事から目を背けて、生きる努力を放棄している。 駄目だ。それでは。何も考えようとしていない分、自分はこんな子供もよりも劣る。偉そうに講釈する権利などない。 本来なら、自分もユレフのようにもっと頭を使ってよく考えるべきなのだ。生の重さを。死の深さを。 (……もうちょっと早く、お前みたいな変な奴に会えてたら、な) だが――もう遅い。明日で終わり。明日が最終地点。 「ノア殿は、どうして死にたいでござるか?」 ユレフはコチラを見上げながら、また同じ質問をして来た。 「だから……!」 「今のノア殿は死にたそうには見えないでござるよ」 「……っ!」 死にたくない? 自分が? 全てを諦め、全てを捨て去ってきたはずの自分が死にたくない? この期に及んで? 冗談ではない。今更そんな、今更……。 「小生はノア殿のように人生経験が豊富ではないからよく分からんでござるが……ノア殿の歌声はとっても綺麗だったでござる。死にたくないんなら生きて、また聞かせて欲しいでござるよ」 綺麗? 私の歌声が? 楽しく歌っていた頃の声には遠く及ばない、今の薄汚れたこの声が? 綺麗? 「……また、そのうちな」 「楽しみにしてるでござる」 嬉しそうに言ってユレフは屈託無く笑う。かつての自分が、恐らくそうしていたように。 すっかり短くなってしまったタバコをシンクに投げ捨て、ノアはキッチンを後にした。 †八日目 【大広間 09:05】† 朝食に姿を見せたベルグは、大分落ち着いたように見えた。少なくとも昨日感じていた、何をするか分からないような危うさはもう無い。 まだ疲れは残っているようだが、少しは心の整理が出来たようだ。自分の口からもそう言っていた。 今のベルグにもう迷いはない。 瞳に力強い光を宿し、懸命に生きようとしている。自分のため、ローアネットのため、そして―― 「……アクディが憎いか」 アクディに会うため。 「当たり前や」 ベルグは自分やユレフの方を見ながら、少しずつ料理を口にしていく。食欲は無いだろうが、体力を付けなければと思っているのだろう。生き残るために。 「アクディ様は、偉大でござる。これは……間違いないでござるよ」 ユレフはポットに入ってる赤茶色のスープを皿に移しながら、小さな声で言った。 (あれは……) 恐らく、昨日自分が得体の知れない粉末を入れた香草のスープだ。葉の大きさといい、色といい昨日目にした物とソックリだ。ユレフはソレを音を立てて飲み干している。 (毒ではなかったのか) 軽い落胆を覚えながら、ノアはサラダを黙々と口に運んだ。 「間違いないんやったらボソボソ喋ってんと、もっとハッキリ言わんかい」 ベルグも香草スープをスプーンですくって飲みながら、気の立った様子で言う。 彼が苛立つ気持ちもよく分かる。ローアネットを失ってまだ一日しか経っていない。いくら心の整理が出来たとは言え、完全ではないだろう。 そしてユレフの気持ちもよく分かった。 彼は今揺れ動いている。自分の生みの親として絶対的な存在であったアクディに疑問を感じ始めている。二人の人間の死を目の当たりにした事で。 「……まぁ、コイツにも色々と思うところがあるんだろ」 フォローのつもりで言ったノアの言葉が、ベルグには気に入らなかったらしい。 彼がかつて見せた事のないような、鋭く冷徹な視線で部屋の一点を見据えている。 (時計……?) 横目に彼の視線の先を追うと、そこには壁に掛けられた大きな振り子時計があった。あそこに何かあるのだろうか。 ノアはローストハムを薄く切って口に入れた後、香草スープを静かに飲みながらベルグを見た。彼は手を動かして少しずつ食べてはいるものの、意識は全く食事に向いていない。 何故そんなに時間を気にしているのか聞こうと思った時、突然ベルグが立ち上がった。 「……どうかしたのか?」 「ぁあ、悪い。俺、もう腹一杯やわ」 はにかむように笑う彼からは、さっきまでの厳つい雰囲気は消え失せ、まるで何か大きな事を成し遂げた後のように満足げな表情をしていた。 「……そうか」 彼は今、精神が不安定になっている。ローアネットの死を受け入れるには、まだまだ時間が掛かる。そっとしておくのが得策という物だろう。彼にとっても、自分にとっても。 「本当にもういいでござるか。今日のデザートはきっと美味しいでござるよ」 ユレフがトーストを頬張りながら言った。 だが妙な言葉遣いだ。どうしてまだ出てきてもいないデザートの事が分かる? 「お前にやるわ。俺の分まで食って早よデカなれよ」 ノアが覚えた違和感をベルグは全く感じないのか、足早に大広間から出て行ってしまった。 「……馬鹿な奴でござる」 そう言うユレフの顔はどこか寂しげで、困惑の色が濃く出ていた。 「ノア殿は絶対に食べた方が良いでござるよ」 「……あ、ああ。そうだな」 妙な感じはするが取り合えず頷いておく。そのデザートに毒が盛られていたとしても別に構わない。死ぬのがちょっと早くなるだけだ。 ユレフの言った通り、今日のデザートのヨーグルトは仄かな甘味とハーブの香りがよくきいていて、確かに美味しかった。 そのデザートを食べ終えて、三十分程たってからだった。 アーニーから、ベルグが死んだと知らされたのは。 ベルグはローアネットの部屋で死んでいた。 口からは大量の血が迸っている。見たところ外傷はない。だとすれば……。 「毒死でござる」 ベルグのそばに座り込んでいたユレフがゆっくりと立ち上がり、独り言のように呟いた。「毒死……?」 「そうでござる。今朝、小生達が飲んだ香草スープ。あそこには毒キノコの一種である鬼茸を粉末にした物が入れられていたでござるよ。鬼茸の毒素の主成分はラーカルジーンというウィルス性の毒でござる。胃の粘膜から血管に入り込み、赤血球と結合して過剰なエネルギー産生を促すでござる。その時に生じた膨大な熱量で血管を灼き、体を内側から破壊するでござるよ。ただし遅効性で全身に回るまで大体三十分くらい掛かるでござる」 淀みない喋りでユレフは毒の説明をする。 その毒のせいでベルグは今死んだ? しかしおかしいではないか。あの香草スープは自分やユレフも飲んだはず。なのにどうしてベルグだけが……。 「そうか……」 ようやく、あの時ユレフから感じた違和感の正体が分かった。 「お前、知っていたんだな。今日のデザートにその毒の解毒剤が混じっている事を」 「さすがノア殿。勘が良いでござる」 ユレフは目を細めて、静かにコチラを見る。 「今日のデザートには小生が予め解毒剤を仕込んでおいたでござるよ。だからソレを食べた小生とノア殿は死なずにすんだでござる」 もしあの時、ベルグも最後まで食事をしていれば死なずにすんだ。 いや、それ以前に朝食を食べたりしなければ……。 「毒は昨日、私が香草に混ぜた物だな。どうしてあの時に止めなかった?」 「あれはノア殿の予定でござるよ。いくら小生でも止めさせる事は出来ないでござる」 「また随分と色々知ってるんだな、この天才少年は……」 くっく、と喉を低く鳴らして笑いながらノアはタバコに火を付けた。 この際、どうしてユレフが自分の予定表の内容を知っているのかなどどうでもいい。コイツがソウル・パペットである時点でアクディの身内だ。そのアクディが用意したゲームの裏を知っていたとしても何の不思議もない。 今はそんな事よりも―― 「どうして私に解毒剤を食べさせた」 もし食べなければ、自分はベルグと一緒に死んでいた。そうすればユレフはこのゲームの最後の生き残りだ。勝利が確定していたはず。ギーナとかいう奴にも勝って、アクディに褒められるのではないのか。 「ノア殿には……死んで欲しくなかったからでござるよ」 ユレフは戸惑いと僅かな悲壮を浮かべながら、小さな声で言った。 「まだ色々と教えて欲しい事があるでござるよ」 「ならベルグは死んでもよかったのか?」 「食事を途中で止めたのもベルグの予定でござる」 ユレフはまるで許しでも請うように弱々しく言いながら、ベルグの躰のまわりに散乱している紙を拾い上げてノアに手渡す。 それはベルグの予定表だった。八日目の予定に『□最初の五分間だけ朝食を食べて席を立つ□』と書かれている。 「それに、ベルグはベルグで聞きたい事があったでござるよ。結局、答えて貰えなかったでござるが……」 死について。 恐らく、ユレフは死にかけているベルグに聞きたかった。死とは一体どういう物なのか。どんな気持ちになるのか。何を思って死んで行くのか。 この少年の心の破綻も相当の物だ。簡単に治るものではない。 しかし、兆しはある。 ユレフはちゃんと警告した。ベルグにデザートを食べなくて良いのか聞いた。ベルグの予定表には『席を立つ』とまでしか書かれていない。その後は自由だ。ユレフの言う通り、デザートを食べる事だって出来た。 食べなかったのはベルグの意思。言ってみれば、彼はアクディの思惑通り死んだ。そして、直接死の原因を与えたのは自分自身だ。 (私の方がずっと酷い事をしているじゃないか) 自嘲めいた笑みを浮かべながら、ノアは他にも落ちている二枚の紙を拾い上げる。それはヲレンとローアネットの予定表だった。 ユレフが持って来てわざわざばらまいた? いや違う。ベルグの予定表は八日目に加筆された跡があり、九日目と十日目が消されている。ならばベルグは石を二つ持っていた事になる。他の二人の予定表を見ると、ヲレンがまだ石を使っていない。ベルグはヲレンの石で自分の予定を一つ消した。ベルグはヲレンがまだ石を使っていない事を知っていた。そうでなければどこに隠してあるかも分からない小さな石を探そうという気にはなれない。 つまり、ベルグはヲレンの予定表を前もって見ていた事になる。そしてローアネットの予定表も合わせて見たからこそ、この『死の予定表』の一つ目の法則に気が付いた。 (なるほど、ね……) 文字を読んだだけですぐに分かる『露骨な死』。しかしソレは自分の推測通り単なる目くらましで『本当の死』はその後にある。ベルグはソレを知ったからこそ、こうして『露骨な死』の後の予定を重点的に書き換えた。 そして二つ目の法則は各人が一回ずつ、誰かの死の伏線を作り出しているという事。死への繋がりに遠い近いはあるものの、全員が何らかの形でかかわっている。 さらに三つ目。恐らくベルグも薄々気付いていただろうが、確認は出来なかった。自分やユレフの予定表を見ない限りは。 ヲレンの直接の死因はローアネットが、ローアネットの直接の死因はベルグが、そしてベルグの直接の死因は自分が作り出している。 つまり、この流れで行くと自分の直接の死因を作り出すのは―― 「ユレフ」 「はいでござる」 ノアはシャツの胸ポケットから自分の予定表を取り出し、ユレフに声を掛けた。 「お前、『死』がどういう物なのか知りたいんだよな」 「そうでござる」 そしてペンを使って、今日の予定に一つだけ小さな文字を加筆する。 『八日目15:42■自室で手首をつる■』 これでまず死ぬ事はない。 「だったら、お前が私を殺すんだ。私の死を見届けろ。その時に思いつく限りの感想を言ってやる」 「え……」 「予定の順番からして今度はお前が私を殺す番だ。そんな事はとっくに知っていただろ?」 言われてユレフは、息苦しそうな表情になって俯いた。 「私は一人で死にたかったんだが気が変わった。お前に殺されたくなった。私を殺せば、多分お前は自分に欠けている物が分かる」 そして普通の一般人になれる。 自分はもう手遅れだが、ユレフはまだ十分に方向修正がきく。 「ノア殿は……どうしてそんなに死にたいでござるか?」 また同じ質問。 「さぁな」 しかし、ノアは曖昧な言葉を返す。 もぅ自分でもよく分からなくなってきた。ただ―― (お前の糧になって死ぬんなら、ソレも悪くないと思っただけだ) 力無い笑みを浮かべて、ノアはユレフに背中を向ける。 「ま、待つでごさるよ! ノア殿!」 ユレフは走ってノアの前に回りこむと、切羽詰まった表情で見上げてきた。 「どうした。ベルグには出来て私には出来ないのか? 死を理解したいんだろ?」 「そ、それは……そうでござるが……」 ユレフは下唇をぎゅっと噛み締めて眉間に皺を寄せる。そしてまた走って自分の前から消えたかと思うと、何かを持ってすぐに戻って来た。 ユレフの脇には黒い表紙の本が抱えられている。ソレを両手でもって自分の方に差し出してきた。 「コレは?」 「アクディ様の研究日誌でござる。小生やギーナ、アーニーの事が書かれているでござるよ」 「アーニー? あのメイドか。やっぱりアイツもソウル・パペットだったんだな」 ユレフは固い表情のまま首を縦に振る。 どうりで人間離れしていると思った。 「それにしても、どうしてコレを私に? 読んでも良い物なのか? アクディの研究は極秘なんだろ?」 「小生にも、よく分からないでござる……」 「は?」 ユレフの言葉にノアは甲高い声で返す。 「小生にも自分がどうしてこんな事をするか分からないでござる。アクディ様の研究は誰にも知られてはいけないでござる。小生がソウル・パペットである事も絶対に喋ってはいけないときつく言われていたでござる。でも……」 ユレフはそこでいったん言葉を句切り、泣き出しそうな顔になって続けた。 「ノア殿には小生の事を……小生がどうして生まれて、どんな人生を歩んできたのか、知って欲しいって思ったでござる……」 それだけ言い終えると、ユレフは本を突き出したまま頭を深く下ろし、完全にノアからは視線を外す。自分が今、どんな顔をしているのか見られたくないのだろう。 「そっか……お前もなかなか可愛いとこあるじゃないか」 言いながらノアは、ユレフの柔らかいブロンドをほぐすように優しく頭を撫でた。 「それじゃあゆっくり読ませて貰うよ」 そしてユレフの手から本を受け取り、出入り口に向かう。 「お前が来るのを楽しみにしてる」 ノアはそれだけ言い残し、部屋を後にした。 □■□■□■□ Chapter5§ユレフ=ユアン§ 一日目 二日目14:55□メイドから渡された物を保管庫に放つ□ 三日目15:46□書庫の本に挟まれている包み紙を紙箱に入れてプレイルームに持って行く□ 四日目 五日目 六日目22:06□キッチンのヨーグルトに玄関ホールの花瓶にいけられた花のエキスを混ぜる□ 七日目 八日目19:42□プレイルームで『精神安定剤』を手に入れる□ 九日目 十日目10:00■メイドの案内に従う■ † † † よく分からない。どうしてこんな気持ちになるのか。 自分は敬愛するアクディ=エレ=ドートによって生み出された完全なソウル・パペット。人工ソウルだけから創られたアーニーや、コールド・エッジで死んだ人間をベースとしたギーナのように不完全な存在ではない。アクディからソウル・パペットとさえ呼んで貰えなくなった彼らとは違う。 知識として身につけられる物は全て身につけた、薬草学、美術学、天文学、地学、化学、物理学、惑星学、光闇学。そして――殺人学も。 優良種を選別するため、ギーナと自分が競い合うように仕向けられた時も、すべて勝ち抜いてきた。アクディも褒めてくれた。これで良いのだと確信していた。 そして今回のゲームにも勝って、またアクディに頭を撫でて貰おうと思っていた。 勝つ自信はあった。今までのゲーム以上に。 なぜなら自分は最初から特別扱いだったのだから。 ゲームが始まる前夜。自分の部屋にアーニーが訊ねて来た。そして教えてくれた。 ――招待客全員分の予定表の内容を。そして予定表の内容を教えたり喋ったりしてはいけないというルールが嘘である事を。 ソレを聞いた瞬間全てが理解できた。このゲームの意味とアクディの考えを。 自分はついにアクディに選ばれたのだ。このゲームで確実にギーナを殺して、アクディからの寵愛を独り占めする事が許されたのだ。 そう信じて疑わなかった。コレまでと同じように。気持ちが揺れる事など全くなかった。 なのに……。なのに今はどうして……。 いつからだ。いつから自分はこんなにも脆弱な精神の持ち主になってしまったのだ。 一日目。全く問題なかった。 ベルグの予定表の内容から大浴場に先回りし、彼を待ち伏せた。そしてギーナの事を聞いた。怪しい反応は全く無かった。 彼は初めて話をした時から違うと思っていた。いくら外見を変えたといっても、本質の部分まで変わるわけではない。ギーナは彼のように気さくな性格ではなかったし、ライバルである自分を思いやるような事をする奴ではなかった。 玄関ホールでルナティック・ムーンを見ていたローアネットとも話をした。 アクディの事について聞くと嫌いだと言った。カンに障ったので少し脅してやったら、意外にも気丈な反応が返ってきた。確定ではないが、恐らく彼女もギーナではない。ギーナはもっと卑屈で意志の弱い性格だった。 大広間ではノアと話した。この女が一番怪しいと思っていた。 陰湿そうな性格もそうだが、彼女からは何か漠然と自分と似たようなモノを感じた。もし彼女がソウル・パペットならば、そういう雰囲気を持っていても不思議ではない。 だから最初から疑ってかかった。そしてハッキリ『お前が嫌いだ』と言われた。 ほぼ確信した。 ギーナはノアに変身していると。 ギーナは自分との勝負に一度も勝てず、殆どアクディに褒めて貰えなかった。だからいつも自分の事を恨めしそうに見ていた。しかし、誤って殺してしまってはアクディに怒られる可能性もある。 だからとりあえず招待客全員と話し終わるまで保留しておいた。 二日目。この日も問題なかった。 アーニーから渡されたネズミを数匹保管庫に放った。ローアネットの嫌いな物らしい。多分、一日掛けて調べていたのだろう。これでヲレンの死の伏線がまた一つ張られた。 昨日、彼を探し回ったが結局会えなかった。だから予定表の内容から行動を読んで、中庭で話をした。 正直言って完全な白とは言い切れなかった。しかしやたら生に執着した顔つきは、かつてのギーナには感じられなかった。それにヲレンなどより遙かに怪しい人物が居る。 もう間違いない。実行しても大丈夫だ。 そう思ってノアに会いに行った。 リッパー・ナイフを喉に当てて脅し、無様に泣き叫ぶのを見ながら殺してやろうと思っていた。 しかし―― そうだ。あの時からだ。自分の中で妙な戸惑いが生まれ始めたのは。 ――殺してくれ。 ノアは自分にそう言った。死を望む人間など初めて見た。 この洋館に居る時以外は、自分とギーナは王都で暮らす事が義務づけられている。外界に触れる事で生きた知識と経験を手に入れ、より能力を高めるために。 そこで沢山の人達と話をしてきたが、ノアのような考え方をする人間は一人も居なかった。皆、頭の悪い低脳な人間ばかりだった。体だけが大きくて中身の伴わない、愚鈍な輩だけだった。 しかし、ノアは違った。 確か『死』とは誰もが拒絶したい恐怖の対象だったはずだ。なのにノアはソレを望んでいた。 分からなくなった。 これまで身に付けてきた知識や知見だけでは理解できない。あれだけ多くの書物を読みあさり、色んな人々と触れ合ってきたのに、ノアの思考を説明できる単語が思い浮かばない。 分からなくなった。 自分の考えている事が絶対に正しいのか。 分からなくなった。 本当にノアがギーナなのか。 確かめる必要があった。もっと確実な方法で。 招待状には『変身能力を使わない事』と書かれてあったが、当のアクディはまだ一度も姿を見せていない。この洋館のどこに隠れているのかは分からないが、きっと少しくらい使ってもバレないはずだ。 だから姿を変えた。アクディに。 そしてまだ僅かに疑いの余地があるヲレンとローアネットの前に現れて、二人の反応を見た。 今度こそ間違いないと思った。 ギーナはヲレンだ。 アクディに『様』をつけて呼ぶ者はそうは居ない。それにあの切羽詰まった態度。普通の信者では有り得ない。間違いない。確定。そう、確定だ……。 なのに、どうして確信できない? いつものように、絶対に自分の考えは間違っていないという強い自信を抱く事が出来ない。どうしても疑念が残ってしまう。 理由は、分かっている。 ノアだ。 彼女に触れて少しおかしくなってしまった。このままではいけない。何とかして彼女の考え方を自分の中で咀嚼し、身に付けなければならない。どんな事にも例外を許してはならない。例外があればそれが隙になって考え方に揺れが生じる。 今回のように。 それに新しい事を理解して吸収すれば、自分は更なる高見に行き着く事が出来る。 自分は天才だ。完全なソウル・パペットだ。どんな事でも出来るはず。他の誰も出来なくても自分だけは出来るはずなんだ。 だからもう一度ノアと話をした。 相変わらず彼女は自分に『殺してくれ』と言ってきた。それ以外は興味が無いようだった。 疑問を解決するどころか、会話する事さえさせてくれない。 何とかして気を惹かなければならない。自分と話をするように仕向けなければならない。何とかして、何とかして―― 『分かっているとは思うが、お前達の変身能力は絶対に人前では使ってはならない。絶対にソウル・パペットだと疑われるような事はしてはならない。絶対にだ』 それはアクディから何度も聞かされていた言葉。自分達がソウル・パペットだとバレれば王都どころか世界中に居場所が無くなる。そんな事は言われるまでもなく理解していた。自分より遙かに能力の劣るギーナにだけ言って欲しいと思っていた。 なのに……。 ノアの気を惹くために見せてしまった。変身能力を。そして自分がソウル・パペットである事まで喋ってしまった。 どうしてここまでする必要があるのか、自分でも理解できなかった。また分からない事が一つ増えた。ただどうしても、彼女ともっと会話したかった。 ノアは聞かせてくれた。彼女の過去を。どうして死にたいと思ったのかを。 しかし、やはり理解できなかった。 彼女が歌を大切に思っている事は分かった。十分すぎる程に理解できた。 だがいくら大切な物であっても、ソレを失ったから死にたいという感情は理解できなかった。死ぬのは恐いはずだ。生命機能を遮断するためには、肉体的にも精神的にも相当の苦痛を強いられる。ノア自身、その事はよく分かっているようだった。なのに彼女は殺して欲しいと言っている。 分からない。矛盾点が多すぎる。 話をすれば少しは理解できるかと思っていたが逆だ。余計に訳が分からなくなった。 『じゃあ、軽はずみに『殺す』なんて言わない事だな』 理解の近道としてノアが言った言葉。 さっきまでは殺してくれと言っていたのに……。 彼女の言う事はあまり難解だ。これまで読んできたどの学術書よりも。 死ぬとはいったいどういう事なのだ? どういう気持ちになるものなのだ? 単なる恐怖の対象ではなく、まだ他に何か複雑な物が絡み合っているのか? 分からない……。さっぱり分からない……。 次の日、ヲレンが死んだ。死ぬべくして。 自分が保管庫に放ったネズミで驚いたローアネットが、ノアの用意したワインの瓶を倒し、それによって出来たガラスの破片に喉を突き刺された。ベルグが床に巻いた油に足を取られて。 ギーナはほぼ間違いなくヲレンだ。彼が死んだという事は、自分はギーナとの勝負に勝った事になる。またアクディに褒めて貰える。なのに……なのにどうして達成感が湧かない? いつものように勝利の喜びに浸れない? 胸にあるのは、ただただ空虚な思いだけ。自分の知っている言葉では説明できない、もどかしく歯がゆい気持ちだけ。 やはり彼はギーナではなかったのか? ローアネットの方だったのか? ノアはヲレンの死を見て落胆したと言っていた。自分が死ぬ番ではなく残念だったと。 まだ理解できない。彼女の考え方が。 ローアネットの死には立ち会わなかった。見てもまた混乱するだけだ。 彼女は『開かずの間』に入って死んだ。その鍵はノアが包み紙に、自分が紙箱に入れ、ヲレンがさらに封筒に入れて玄関ホールの花瓶の中に放り込んであった。酸度の高い水によって紙はじわじわと溶け、二日後にベルグが取り出して『開かずの間』を開ける事になっていた。 これだけ手の込んだ事をさせるのは、紙を分厚くする事によって溶ける時間を稼ぐという意味合いもあるのだろう。だがそれ以上に、全員に死の伏線を張らせるという事の方が大きい。 その事にどんな意味があるのかまでは分からないが、予定表の内容を見る限り全員が何かしらの形で誰かの死に関わっている。 これはアクディからのメッセージなのか? 招待状には、これが『最後の』ゲームだと書かれていた。だから今までのように単純な内容ではないのだと捉えていた。死を取り入れた真剣勝負なのだと。 しかし、そうではないとしたら……? そもそも自分やギーナはソウル・パペットだ。例え肉体的な損傷により生命機能が停止したとしても、錬生術でソウルの安定化を行えば再び復活できる。それに完全なソウル・パペットである自分を選ぶだけなら、他の招待客を呼ぶ必要はない。いつも通りギーナと二人だけでいい。 だんだんアクディが何を考えているのか分からなくなってきた。 他の人間の死を見せる事で、自分の優位性を再確認させているのか? 生き残っている事が能力的に秀でている事の証明だとでも? 分からない。時間が経てば経つほど、理解できない事はどんどん増えて行く。 これまではアクディの考えや行動は自分にとって絶対的で、疑念の余地など微塵も無かった。しかし、今は―― 分からない事は本人に聞くのが一番早い。アクディはノアとは違って、理解しやすい形で答えてくれるはずだ。 だが、洋館のどこにもアクディは居なかった。 代わりに地下の研究室で、永冷シェルターに収められたヲレンとローアネットを見つけた。二人とも死んでいるとは思えないくらい、安らかで綺麗な顔をしていた。 しばらく二人を見ながら、死について考えた。 彼らは死ぬ時、どんな事を考えていたのだろうか。恐怖で埋め尽くされていたのだろうか。やり残した事を思って、このゲームに参加した事を後悔していたのだろうか。それとも、もっと別の何かを……。 それを知るにはどうすればいい。ノアの言う事は曖昧で理解できない。 キッチンでベルグの死の伏線を用意していたノアにまた同じ事を聞いてみた。死とは何なのか。返ってきたのはさらに頭を悩ませる言葉。 自分の事を誰よりも良く知っているはずのアクディにさえ言われた事のない『お前らしい』という言葉。そして一般的にけなし言葉として使用されるはずの『ガキっぽい』という言葉を褒め言葉だと言っていた。 彼女の言っている事は、論理的な思考で理解できる範疇から遙かにかけ離れている。歌声はあんなに綺麗で澄んでいるのに、言葉はよどんでいて見通しがきかない。 もっと分かり易い言葉が欲しい。例えば、今まさに死のうとしている人が口にする言葉のように……。 ベルグ=シード。 コールド・エッジに冒されてなお強固な自我を保ち、自分の事を本当に気遣ってくれた人間。 彼は頭が良い。勘も優れている。なにより行動が分かり易い。ノアと違い、ベルグが考えている事は顔を見ただけで大体分かる。 彼はローアネットを愛していた。だから彼女のために何としてでも生きようとしていた。そしてアクディの事を心底憎んでいた。しかしソレが分かっても、不思議と怒りはわかなかった。 ベルグは八日目の朝食の中に、毒が仕込まれていると踏んだ。 正解だ。朝食の中には鬼茸という毒キノコが入っている。鬼茸はまずヲレンが中庭から採取し、ソレをローアネットが粉末化した。そして昨日、ノアが香草の中に混ぜた。 これで香草スープを食べた者は三十分もすれば、毒が全身に回って死ぬ。しかし、デザートであるヨーグルトに、自分が前もって入れておいたルナティック・ムーンのエキス。これを摂れば死ぬ事はない。 部屋のインテリアや魔術の触媒以外に、薬草としても使用されるルナティック・ムーン。そこには鬼茸の毒素を中和する成分が含まれている。 つまり、朝食を『食べれば死ぬ』のではなく『食べなければ死ぬ』事になる。 そう、デザートを食べなければベルグは死ぬ。間違いなく三十分後に死ぬ。 正直、彼には死んで欲しくない。ベルグは良い奴だ。彼の価値観には興味がある。もっと沢山会話をしたいと思う。彼しか知らない事を色々教えて欲しいと思う。 しかし――いや、だからこそ聞いてみたい。 死ぬとはどういう事なのか。どういう気持ちになるものなのか。 ベルグならソレを知っているかも知れない。 聞こう。ベルグに。死ぬ間際のベルグに。死について。だがせめて、鎮魂と謝罪の意味も込めてローアネットの姿で……。 『そ、やな……。お前との約束、破ってまうんは、恐いわ……。あの世で……何言われる、か……分からん……』 ローアネットに姿を変えた自分に対して、ベルグが途切れ途切れに呟いた言葉。 恐い。彼はそう言った。 しかしこれまで自分が考えてきた意味とは違う。死ぬのが恐いのではない。大切な人との約束を破るのが恐い。ローアネットの願いを遂げられないのが恐い。 彼は結局、それ以上は何も言い残さずに息絶えた。 今、この部屋に居るのは自分とノアの二人だけ。 そして彼女は自分に『死』について知りたいかと確認した後、また理解できない事を言った。 「だったら、お前が私を殺すんだ。私の死を見届けろ。その時に思いつく限りの感想を言ってやる」 「え……」 一瞬、何の事かさっぱり分からなかった。 「予定の順番からして今度はお前が私を殺す番だ。そんな事はとっくに知っていただろ?」 知っている。最初から。 自分はすでに、ノアを死に至らしめる物を手に入れている。コレを明日、タイミング良くノアに渡せば彼女を殺す事が出来る。 恐らくアクディにとって、ノアのような人間に招待状が渡るのは誤算だったのだろう。普通の人間なら三人もの死を見れば頭がおかしくなりそうになる。だからこの『精神安定剤』を見せれば欲しくなるはずだ。 しかし中身は超高純度のアルコール。このカプセルに収められているだけの少量であっても、泥酔状態になる。そんな体で湯船に入れば脳の血流が悪くなり、脳貧血を起こして意識を失う。そして後に待っているのは溺死だ。 「私は一人で死にたかったんだが気が変わった。お前に殺されたくなった。私を殺せば、多分お前は自分に欠けている物が分かる」 だが、ノアは『精神安定剤』のカプセルが超高純度アルコールである事を知っている。三人の予定表を見たのだから。例え受け取ったとしても飲むはずがない。死ぬと分かっている道をわざわざ歩むような事はしない。 普通ならば―― 「ノア殿は……どうしてそんなに死にたいでござるか?」 ノアは飲む。 間違いないと言い切れる。そういう人間だ。自分に殺される事を甘んじて受け入れる。 昨日の夜、一瞬だけ垣間見えた『死にたくない』という思いは、今は全く感じられない。 「さぁな」 ノアは曖昧な返事をして、部屋の出入り口に向かった。 「ま、待つでごさるよ! ノア殿!」 このまま彼女を部屋から出してはいけない。 ユレフは直感的にそう思うと、慌ててノアの前に回りこんだ。 「どうした。ベルグには出来て私には出来ないのか? 死を理解したいんだろ?」 「そ、それは……そうでござるが……」 死は理解したい。そのためにベルグの死を見届けた。同じ事をノアにもすれば、もしかしたら理解できるかも知れない。彼女自身、その事を勧めている。 しかし、何故だろう。心のどこかでソレを激しく拒絶している。 上手く言えないがノアは特別なのだ。最初に見た時から明らかに他の三人とは違う雰囲気を持っていた。自分に近い存在だった。 自分に―― 気が付くと、ユレフは黒い表紙の本をノアに差し出していた。ソレはアクディの研究日誌。決して外に漏れてはならない情報の記されたこの本を、どういう訳かベルグが持っていた。だからノアが来た時に、ユレフは咄嗟にベッドの下に隠した。 なのに、どうしてわざわざ……。 「コレは?」 「アクディ様の研究日誌でござる。小生やギーナ、アーニーの事が書かれているでござるよ」 分からない。自分は何を言っている? 「アーニー? あのメイドか。やっぱりアイツもソウル・パペットだったんだな。それにしても、どうしてコレを私に? 読んでも良い物なのか? アクディの研究は極秘なんだろ?」 「小生にも、よく分からないでござる……」 いったい、何をやっているんだ。 「は?」 「小生にも自分がどうしてこんな事をするか分からないでござる。アクディ様の研究は誰にも知られてはいけないでござる。小生がソウル・パペットである事も絶対に喋ってはいけないときつく言われていたでござる。でも……」 分からない。分からない分からない分からない。 「ノア殿には小生の事を……小生がどうして生まれて、どんな人生を歩んできたのか、知って欲しいって思ったでござる……」 頭がグルグルして、目の前がグラグラして、喉がカラカラになって、心臓がバクバク言って―― 「そっか……お前もなかなか可愛いとこあるじゃないか」 可愛い? ソレはどういう意味? 褒め言葉? けなし言葉? 額面通り受け取ればいい? それとも裏に複雑な思想が隠されている? 「それじゃあゆっくり読ませて貰うよ」 読んで欲しい。読んではいけない。自分を知って欲しい。自分を晒してはいけない。誰かにすがりたい。誰も頼ってはいけない。そう、誰も……。 自分は完全なソウル・パペットだから。完璧なまでに優秀で、唯一無二の存在だから。 迷わない。疑わない。戸惑わない。躊躇わない。 それが当たり前。なぜなら自分は天才だから。アクディの生み出した最高傑作だから。 アクディに認められるには自分の能力の高さを証明し続けなければならない。勝ち続けなければならない。全てのゲームに。当然このゲームにも。 どうすればいい。自分一人になればいい。自分は一人で何でも出来る。最初からそう言われて、その通りにしてきた。自分だけが生き残ればいい。他の奴ら全員死んで。 死? 死ぬとどうなる? 喋らなくなる、息をしなくなる、体を動かさなくなる、笑わなくなる、怒らなくなる、悲しまなくなる―― 「お前が来るのを楽しみにしてる」 楽しまなくなる……。 二度と……歌わなくなる。 考えた。一晩考え抜いた。 今まで生きてきた中で一番頭を使った。この七年間で得た、ありとあらゆる情報を総動員して問題の解決に当たった。 そして、一部だけではあるがついに分かった。 ノアの気持ちが。 「こんな所に居たでござるか、ノア殿」 大広間のソファーで黒い本をめくっていたノアに、ユレフは話し掛けた。あれはアクディの研究日誌だ。どこまで読んでくれただろうか。どこまで自分の事を知ってくれただろうか。 「随分と遅かったな、ユレフ。もう十時だ。待ちくたびれたぞ」 暗くなった窓の外と、壁の振り子時計に一度ずつ目をやりながらノアは言う。 「読んで貰えたでござるか」 「あぁ、読んだ。私の名前が出て来た時はさすがに驚いたな」 「小生の事はどのくらい知って貰えたでござるか」 どこか力のない笑みを浮かべながら、ユレフはノアに聞いた。 「そうだな……」 彼女はもう一度本に目を落とした後、何か面白い物でも見るかのような視線を向けて続ける。 「アクディは自分の生きた証を残すために、お前達ソウル・パペットを生み出した事。お前が三人の中では一番完成度の高いソウル・パペットだって事。けど、あまりに『完全』すぎて、むしろ『不完全』なギーナって奴の方が可愛がられているな。何となくだが、この文面を見る限りそんな印象を受けた」 ノアの答えにユレフは満足げに頷いた。 そう。その通りだ。彼女の直感は正しい。自分と同じ考えだ。 アクディの研究日誌には、ユレフの事についてよりもギーナについての方が遙かに多く書き込まれている。 ギーナの欠点、些細な癖、滑舌の悪い言葉遣い、ゲームでユレフに勝つにはどうすればいいか、王都でちゃんとした生活を送るにはどうすればいいか、失意からの立ち直り方、頑張り続けるための気持ちの持ち方、不安定な精神の落ち着かせ方、恐怖の克服の仕方など。 アクディは明らかにギーナの方を強く意識していた。過剰に思いを込めていた。 ユレフは能力的には全く申し分なかった。だからギーナが心配されていたような事は、言われるまでもなく出来た。 自分にとってはソレが唯一の誇りであり、アクディの興味を惹くための材料でもあった。 だからギーナとの勝負には何としてでも勝ち続けた。アクディに褒めて貰うために。アクディにかまって貰うために。 しかし、勝っても勝っても報われない。恐らくギーナは、アクディに頭を撫でて貰っている自分を妬ましく思っていただろう。自分の事ももっと見て欲しいと。 だが真相は全く逆だ。ゲームに勝てば勝つほど、アクディは自分から離れて行った。どんどんギーナを気に掛けるようになった。それでもユレフは勝ち続けた。 これ以外、自分を顕示する方法を知らなかったから。ギーナの真似が出来るほど器用ではなかったから。勝ち続けて、アクディを独り占めしたいと思った。ギーナを殺してでも。そして最後のゲームでソレが許されたと思った。迷いはなかった。間違いないと思った。 なのに、分からなくなった。ノアと出会ってどうしようもないくらい混乱した。 だが、一つだけハッキリした事がある。 アクディは自分の事を分かってくれなかった。上辺だけの賛辞を向けられている事に、自分が気付いてないと思っていた。 しかし、ノアは分かってくれた。 それで十分だ。 最後のゲーム。その幕切れに相応しい。 「ノア殿。色々とお世話になったでござる。でもこれで、サヨナラでござるよ」 薄ら笑いを浮かべながら、ユレフは独り言のように呟く。 「決心が付いたんだな」 「付いたでござる」 言いながらユレフは、ポケットの中から黒光りする金属製の筒を取り出した。指先と同じくらいの大きさの小さな筒だ。 「随分とクラシックな銃だな。それで私を殺すのか」 真ん中が空洞になり、片方の出口がふさがれた筒の中には、特殊な材質の棒がねじ込まれている。僅かな温度変化によって、激的に伸長する性質を持つヨクア合金だ。 ユレフは筒を握りしめ、ソレをノアの方に向ける。 あと十秒もすれば筒からヨクア合金製の棒にユレフの体温が伝わり、伸長の際に生じた反動で棒は勢いよく飛び出す。 さながら弾丸のように。 「出来れば急所は外して欲しいな。即死ではお前に何も言い残せない」 足を組み直し、ノアはアクディの研究日誌を閉じて静かに言う。 「それは、出来ないでござる……」 「そうか。まぁお前が良いなら別に何も言わないが」 「サヨウナラ、ノア殿……」 そしてユレフは筒を自分の額に押し当て、 「バ……!」 大きく目を見開いたノアが立ち上がり、 (もうすぐ分かるでござる……) 彼女の姿が視界の中で大きくなり、 (『死』がどういう物なのか……) 甲高い声で自分を呼ぶのが聞こえ、 (もうすぐ……) 頭に、熱い何かが走り抜けた。 額を伝い、頬を這い、少し粘性のある温かい物が、顎先で雫となって床に落ちる。 「なに馬鹿な事やってんだ!」 耳の側で怒鳴り声が聞こえた。 「筒を向ける方向が違うだろう!」 「違って、ないで、ござるよ……」 筒を持っていた自分の手を捻り上げながら叫ぶノアに、ユレフは途切れ途切れに返す。 残念ながら弾は額を掠めて、後ろの壁にめり込んでしまったようだ。失敗してしまった。せっかく身を持って『死』を理解しようとしたのに。 「小生も、ノア殿と同じ気持ちになったから……」 理解できない事があまりにも多く蓄積され過ぎて、全てから目を逸らしたくなった。逃げ出したくなった。 どうせこの先生きていてもアクディに構って貰えないのなら、生命機能停止の決断は早いに越した事はない。これ以上、辛い思いを重ねたくない。 「私と……同じ気持ちだと? ふざけるな! お前みたいなガキに分かってたまるか! お前みたいな……! ガキ、に……!」 苦しそうな顔つきになりながら、ノアは強い想いを双眸に宿して声を張り上げる。 「そんなに叫ぶと……喉が駄目になるでござるよ。せっかく綺麗な歌声なのに……」 「うるっ、さ、い……! だ、まれ……ぇ!」 顔を歪め、痛む喉を押さえながらノアは大声を出し続けた。 「私、……の! マネ、なん……か、するな! こん、な……クズ同然、の!」 そこまで叫んでノアは激しく咳き込む。飛散する唾液の中に紅い物が混じっていた。 「確かに、そうでござるな……。もぅ、ノア殿のマネは出来ないでござるよ。今のノア殿は、死にたくないって顔しているでござる……」 「――ッ!」 ノアは何か言おうとユレフを睨み付けるが声が出ない。 「ノア殿……貴女こそ生きるべきでござる。いつまでも拗ねて泣いていては、いけないでござるよ」 言いながらユレフはノアの頭を優しく撫でた。 アクディが自分にしてくれたようにではなく、ノアが自分にしてくれたように。 お前らしいと言って、ガキっぽいと言って、可愛いと言って、初めて自分の事を肯定的に見てくれたノアが、頭を撫でてくれたように。 彼女は自分自身の事を否定しすぎる。これではいけないと思っているのに、そこから抜け出す手段が見つからない。だから自分を否定して、自嘲して、諦めて、それで満足してしまっている。 誰かがもっとノアを分かってあげなければならない。自分はもうノアに理解して貰えた。救われた。アクディからは与えられなかった物を与えてくれた。 なら今度は、自分がノアに何かをしてやる番だ。 「ノア殿は、本当は死にたくなんかないでござる。けどもう周りに対しても、自分に対しても後に引けなくなったから、死にたいフリをして無理矢理納得していたでござるよ。その方が楽だから」 「だま、れ……」 「本当に死にたいなら方法はいくらでもあったはずでござる。小生がさっきやったように、頭を銃で撃ち抜けばそれで済む話でござるよ。けどノア殿には出来ないでござる。本心からそう思っていないから」 「黙、れ……」 「ノア殿は小生が死のうとするのを見て言ったでござる。何を馬鹿な事をって。その通りでござるよ。ノア殿も自分で言って思ったはずでござる。死なせない。死にたくないって。小生も今は、死ななくて良かったと思っているでござる。ノア殿の言っていた事が、少しずつ理解できてきたから……」 「黙れぇ!」 ユレフの胸ぐらを掴み上げ、ノアは声を振り絞るようにして叫声を上げた。 「もぅ無理をする事ないでござるよ。似たもの同士、傷を舐め合うのも悪くないでござる」 優しい口調で言いながら、ユレフはノアの目元に生まれた雫を指先ですくう。 「……くっ」 ノアはユレフの小さな胸に顔を埋め、小さく肩を揺らして嗚咽した。 「今日はゆっくり休むといいでござる。明日はきっと会えるでござるよ」 アクディに。 きっとアーニーが案内してくれるはずだ。その時に、分からなかった事を色々聞こう。分かった事を色々ぶつけてみよう。 そう、これで終わったのだ。 命を賭けた、死のゲームが―― 朝食に起きて来たノアの顔は酷かった。 目は真っ赤に充血して分厚い隈が出来、緑色の髪の毛はあらぬ方向へと跳びはねていた。 「よく眠れたでござるか?」 ナプキンをお行儀よく胸の前に巻きながら、ユレフは意地悪く聞く。 「……ああ、おかげさまでな」 皮肉っぽく言って、ノアはユレフの正面の席に腰掛けた。そしてタバコを取り出して火を付けるが、一口だけ吸ってすぐに銀の燭台でもみ消す。 「……酷い悪夢だったよ。この私がお前みたいなガキに泣き顔見せるなんて」 「夢じゃないでござる。本当の事でござるよ」 悪戯っぽい笑みを浮かべて返しながら、ユレフはアーニーが運んできてくれたコーンスープに直接口を付けた。そして下品な音を立てて飲み干していく。 「……昨日、アイツらが私の夢に出てきたんだ」 深く溜息をつき、ノアは疲れた顔でフォークを手に持った。 「よくも殺してくれたなって……。死にたくなかったのにって……。ずーっと、耳元で叫んでるんだ……」 「ソレは正常な反応でござる」 即答して、ユレフは香辛料のよくきいたパスタを頬張る。 ノアは手にしたフォークでサラダを弄びながら、いつもと変わらぬ調子で食事を進める自分の方をじっと見つめた。 「……お前はどうなんだよ」 そして低い声で聞いてくる。 「小生はよく眠れたでござるよ」 「……頭の怪我は大分深かったみたいだな」 揶揄するような口調で言いながら、ノアはタバコに火を付ける。しかし一口も吸う事なく、銀の燭台に押しつけた。 「やってしまった事はもうしょうがないでござる。だからこれから何とかして償うでござるよ。取り合えずローアネット殿の弟君のコールド・エッジを治すところから始めようと思っているでござる。ココにはお金が腐るほどあるでござるからな。小生はもう、アクディ様の事がよく分からなくなってしまったでござるよ。けど親は親でござる。小生の大切な人でござる。その不始末は子供が何とかするでござるよ」 「……お前、強いな……」 怠そうに頬杖を付きながら、ノアは少し感心したような声で言った。 「小生は天才でござる。迷いさえなければこんなモンでごさるよ」 「悩みのない奴は気楽でいいな……」 少し肩の力が抜けたような柔らかい表情になって、ノアは微笑する。 「ノア殿のおかげでござる」 ユレフの答えにノアは片眉を上げて返し、フォークで突き刺したサラダを口に運んだ。 また一晩考えて落ち着いた。 今度は一部ではなく、ノアの気持ちの大半を理解する事が出来た。 死ぬ事の愚かさが分かった。殺す事の卑劣さが分かった。 『じゃあ、軽はずみに『殺す』なんて言わない事だな』 ようやく、この言葉の意味が理解できた。 生きる事の大切さが分かっていなければ、死を理解する事など出来ない。 アクディから教えて貰った事や、本から手に入れた知識だけでは理解できなかった事を自分の中で納得させる事が出来た。 全てノアのおかげだ。 「ところでノア殿。今日の予定はどうしたでござるか?」 赤カビから作られたチーズをパンに乗せて食べながらユレフは聞いた。 「……もぅ消したよ。まだ石が残ってたんでな」 「それは良かったでござる。途中退場は面倒臭いでござるからな」 言いながら時計を見る。 九時五十八分。 もうすぐ最後の予定の時間だ。 「何の事だ?」 ノアは目を細めて怪訝そうな顔つきで言ってくる。 「ノア殿にアクディ様を紹介するでござる。この洋館のどこかに居る事だけは間違いないでござるよ」 「アクディ、か……。まぁ、アイツが何を思ってこんな手の込んだ殺人劇をやらかしたのか、聞くのもいいかも知れないな」 ノアはポケットからタバコを取り出し、火を付けようとするが途中で止めて足下にあるダストボックスに箱ごと放り込んだ。 「タバコはもう止めるでござるか」 「……あぁ、死んだ奴らに取り合えず歌を捧げようと思ってね。それが私に出来る、最初の償いだ」 「とっても良い事だと思うでござる。小生も聞きたいでござるよ」 髪を掻き上げながら言うノアに、ユレフはにこやかな顔で返す。 ノアも考え方を変えてくれた。生きたいと思うようになってくれた。またあの綺麗な歌声を聞けるようになった。 「ユレフ=ユアン様」 胸の中に何か温かいモノを感じたユレフに、いつの間にか隣りに立っていたアーニーが声を掛けた。どうやら時間のようだ。 「さぁノア殿。小生達に付いて来るでござるよ」 ノアは無言で頷くと、重そうに腰を上げた。 連れてこられた部屋は、今まで来た事のない場所だった。 暗い通路を抜けて来たのでよく分からないが、高さ的には二階と三階の間くらいだろうか。 窓は一つもなく、明かりと言えば舞っている数匹の光輝蝶くらいのものだ。二人も入れば窮屈さを覚える程の狭い部屋には、家具らしき物は何一つとして無い。ただ無機質な黒い壁が、薄暗い空間を四角く切り取っている。 その中央。地面から僅かに離れて静止している浮遊車椅子。そこに老人が一人、コチラに背を向けて座っていた。ココからでは体を包み込む大きめの黒いローブと、白く染まり上がった髪の毛しか見えない。 「アクディ様! 小生が来たでござるよ!」 元気良くユレフが声を掛けるが、老人は何も答えない。 「アグディさ……!」 「アーニー……」 再び声を掛けようとした時、しゃがれた声が聞こえた。 「後は……お前に任せる……」 そして消えてしまいそうな程の小さい声が続く。 「アクディ様?」 老人はそれ以上何も言わない。浮遊車椅子に身を沈め、背中を丸くしている。 「アクディ様こっちを向くでござるよ! 色々聞きたい事があるでござる!」 「アーニー……」 しかし老人はさっきと同じ調子で口を開き、 「後は……お前に任せる……」 全く同じ言葉を零した。 「アーニーは関係ないでござる! 小生はアクディ様に……!」 「待て、ユレフ。様子が変だ」 怒ったような顔で食い下がるユレフを、ノアが静かに制した。そして足音も立てずに浮遊車椅子に近付き、老人の顔を覗き見る。彼女はその首に手を沿え、何かを確認し終えると首を横に振った。 「駄目だ。死んでる」 「え……」 ノアの言葉に、ユレフは掠れた声を漏らす。 死んでいる? どうして? なぜ? だってちゃんと喋っていたではないか。 「どういう仕掛けかは知らないが、同じ言葉を機械的に繰り返すようになっているみたいだな」 ノアが言い終えた直後に、再び老人の口から『アーニー……』『後は……お前に任せる……』と紡がれた。 「嘘で、ござるよ……」 そんなはず無い。アクディが自分を置いて死んでしまうなど。確かにアクディは体が弱かった。致死性の病にかかったと言っていた。だがソレは治したのではなかったのか? 自分が最も得意とする技術で。もう心配ないと言っていたはずなのに……! 「ユレフ=ユアン様。アクディ様よりお預かりしていた物がごさいます」 感情の籠もらない口調で言いながら、アーニーは手の平に乗るくらいの小さな水晶球を差し出した。 「メモリー……スフィア……」 声や映像を一時的に記録しておく事が出来る特殊な球体だ。特定のキーワードを言う事で、記録された内容を再生できる。 アーニーはメモリー・スフィアを胸の高さくらいまで上げると、短くキーワードを言った。 「『最後の言葉』」 「……っ」 最後。最後のゲーム。最後の言葉。 いつの間にか全てが終わりに向かってしまっている。自分の知らないところで。自分を置いて。 『ユレフ。そこに居るのはユレフだけか? もしお前の側に誰か一人でも居てくれれば、この最後のゲームに込めた私の思いは果たされた事になる。お前は理解できたはずだ、生の重さと死の深さを』 約一年ぶりに聞くアクディの声。先程の潰れた声とは似ても似つかない。それは懐かしくて、嬉しくて――寂しくて。 『もしお前が一人だけなら、私は最後までお前をソウル・パペットから“人間”にしてやる事が出来なかった。お前に唯一欠けていた物を与えてやる事が出来なかった。本当にすまない』 どういう、事だ。このゲームが自分を“人間”にするために行われた? 『お前は完全なソウル・パペットではあったが、ギーナのように人間になる事は出来なかった。誰かを思いやる気持ちを、他人の痛みを知る事は出来なかった。ソレを教えてやれなかったのは私の責任だ。お前という完璧な研究成果に浮かれすぎて、一番最初に教えなければならない大切な事を忘れていた。気付いた時には手遅れだった。言葉の説明だけでは受け入れられないくらい、お前の精神はすでに完成していた。揺らぎ無いモノになってしまっていた。だからギーナと競い合わせた。そうする事で、もっとギーナに歩み寄って欲しかった。アイツの不完全さと弱さを体で知って欲しかった』 不完全さと弱さ。それはかつてのユレフにとって、最も不必要だった物。勝負に勝つためには邪魔な物。ギーナの中に見出した嫌悪するべき部分。ソレが全く無い自分は選ばれた存在なのだと信じて疑わなかった。どんな事にも揺れない完全な強さこそが、自分の優秀性の証であると。 しかし、ノアと接してそうではない事が分かった。 彼女からは色んな事を学んだ。そして昔の自分より強くなった気がした。自分に足りなかった部分を自覚出来たから。新しい事を沢山学べたから。 『そして出来れば、ギーナを大切な存在として見て欲しかった』 今の自分にとって大切な存在――それは生みの親であるアクディ、そしてノア。 『大切な物が出来れば、ソレを失った時の恐さも同時に覚える。生の重さと死の深さを感じ取れる。しかし、私は最後までお前に大切な物を与えてやる事が出来なかった。本当にすまない』 やはりアクディは自分の事を何も分かっていなかった。自分がどれだけアクディの事を大切に思っていたか、全く理解してくれていなかった。 そして、それは自分も同じだった。 自分もアクディの事を何も分かっていなかった。ギーナばかり気に掛けていると思っていた。自分の事など殆ど見てくれていないと思っていた。勝負に勝てば勝つほど、アクディは自分から離れて行くと思っていた。 だがソレは違った。ちゃんと自分の事を気に掛けてくれていた。見てくれていた。想ってくれていた。 他の人の内面は敏感に読みとれていたのに、大切な人からは表面的な事しか感じ取れていなかった。 愚鈍すぎる。無能すぎる。 かつての自分が見下していた輩と、今の自分は同じだ。 『だからこの最後のゲームに全てを掛けた。ユレフ、お前はこのゲームの仕掛けをアーニーから最初に教えられたはずだ。全員分の予定表の内容を知る事によって』 教えられた。 『露骨な死』の後に『本当の死』が待っている事。そして『本当の死』には、必ず全員が何らかの形で関わっている事。 『誰かの死のために用意された予定は、他の全員が予定表通り行動しないと成立しない。つまり、誰か一人でも予定に逆らって行動すれば生き残る事が出来る。最初からこのゲームの仕掛けを知っていたお前なら、予定表に行動を束縛されないお前なら、ソレが可能だったはずだ』 確かに、ユレフは予定表からの拘束を受けない。元々半分が空白な上に、予定の時間になっても体が勝手に動き出すような事はなかった。 『あの予定表は契約によってソウルを束縛できるようになっている。そして身体系のソウルを操る事によって、予定表の内容通りに行動させている。お前の予定表はどこにでもある普通の羊皮紙。他の四人のように契約が交わされる事はない。だから自由に行動できたはずだ。誰かの死の予定を狂わせる事が出来たはずだ』 例えば、保管庫にネズミを放ったりしなければヲレンは死なずに済んだ。包み紙にくるまれた鍵を紙箱に入れてプレイルームに持っていかなければ、ローアネットは死なずに済んだ。ルナティック・ムーンのエキスをデザートだけではなく香草スープにも混ぜておけば、ベルグは死なずに済んだ。 そして超高純度アルコールの入ったカプセルをノアに渡さなかったから、彼女はこうして生きている。 『お前にそれだけ特別な権限を与えたのは、自分が誰かの生死を握っている事を恐れて貰うためだ。そして出来れば他の招待客にも同じ事を感じて貰いたかった。生の重さを知る事で生きる希望を持って欲しかった。だから招待客の二人にコールド・エッジの患者を選んだ』 二人? いまアクディは二人と言ったのか? 自分と、ギーナ――ヲレン――はソウル・パペット。そしてベルグとローアネットの弟がコールド・エッジ。なら、ノアはどうして選ばれたのだ? コールド・エッジの患者のカルテからランダムで抽出したのではないのか? 『そしてノア=リースリーフ。彼女はお前が人間らしくなる手助けをするのに最適だと思ったから選んだ』 何の前触れもなく名指しされたノアは、怪訝そうに眉を顰めた。 『彼女と会った時、お前は自分と似た何かを感じたはずだ』 感じた。しかしそれはノアがギーナと思っていたから。同じソウル・パペット同士、知覚出来るのかと思っていた。しかしギーナはヲレンだ。例え違ったとしても、少なくともノアではない。 『ユレフ、お前を完全なソウル・パペットとして生み出せたのは、人工ソウルに彼女のソウルを混ぜ合わせたからだ。お前の中にはノアのソウルの一部が入っている』 「ノア殿の……」 意識せずに呟いていた。そしてノアの方を見る。彼女も自分の方を見ながら、何かを感じ取るかのように胸に手を当てていた。 『彼女ほど感受性に満ちた人間らしい人間を私は知らない。そしてコールド・エッジの治療の際に埋め込んだ人工ソウルによって、ノアの感受性はさらに助長された。お前とノアはソウルの性状が非常に似ている。だから同調し合える。お前が彼女から何かを感じ取ってくれれば、お前もノアと同じくらい人間らしい人間に近づく事が出来るはず。だから、彼女の死に直接関わるお前の予定は曖昧にしておいた。最後の砦として』 ――精神安定剤を手に入れる。 予定表にはそこまでしか書かれていなかった。食事に混ぜるわけでも、寝ている間に飲ませるわけでもない。ただ手に入れるとしか。 それは自分に悩ませるため? ノアの事を強く感じ、彼女を大切に思い、生きて欲しいと願わせるため? 人間らしい思考をさせるため? 『ユレフ。お前は今、どんな気持ちで私の声を聞いている? 私の死をどう受け止めている? 皆の死をどう感じている? 生き返って欲しいと思ってくれているか? 自分のした事をやり直したいと思ってくれているか?』 「思ってるで、ござるよ……」 やり直したい。生き返って欲しい。みんなにも、そしてアクディにも。そしてまた頭を撫でて欲しい。ギーナの事を見ていてもいいから、また褒めて欲しい。『よく頑張ったな、ユレフ』と声を掛けて欲しい。 大切な物を失った時の悲しみはもう充分感じたから。ノアの気持ちも完全に理解できたから。戻って来て欲しい。 『今回の事で死んだ者は全員、問題なく生き返る』 「え……!?」 あまりに予想外の事に、ノアとユレフは同時に声を上げた。 生き返る? 一度死んだ者が生き返る? ギーナだけではなく全員? 『予定表はソウルを拘束する道具だ。例え肉体が死んだとしても、ソウルの一部は無傷で予定表に拘束されたまま残る。肉体はソウルの入れ物に過ぎない。ソウルさえ無事ならソレを戻す事で生き返らせられる。足りない部分は人工ソウルで補完すればいい。その作業をユレフ、お前がやるんだ。お前の手で皆を生き返らせろ。例え生の重さを感じていなくても、お前の手でやってくれ。私からの最後のお願いだ』 最後。またこの言葉が出て来た。ユレフの嫌いな。 アクディはまだ自分を置いて行こうとしている。なぜ。他の者が生き返るのなら、同じ方法でアクディも生き返るはず。これだけの知識を持っていて、自分のソウルを保管していないなどという事はないはずだ。 『その作業を行えば、生き返ると同時にコールド・エッジも治る。自分のソウルと人工ソウルを混ぜ合わせて体に戻す。それがコールド・エッジを確実に治す方法だ』 確実に。五パーセントという非常に低い確率だとされていたコールド・エッジの治療が確実に出来る。 『人工ソウルだけで患者から失われたソウルを補完しようとした場合、着床が不安定になる。恐らく体の拒絶反応の一種なのだろう。だが、元々体にあるソウルと融合させればその心配はなくなる。間違いなく体の中で安定化する。それでコールド・エッジは完治する』 「なるほど、そういう事か」 ノアはどこか馬鹿にしたように鼻を鳴らして、アクディの声が発せられるメモリー・スフィアに鋭い視線を向けた。 「ユレフを人間らしくするためだけに他の奴らを殺したっていうんなら鼻で笑い飛ばしていたところだがな。予定表の事を喋ってはいけないとかいうデタラメなルールを作ったのも、より確実に殺してコールド・エッジを治すっていうのが目的なら辛うじて納得がいく」 予定表の内容を他の者に喋ったり見せ合ったりしてはいけない。それはノアの言うとおり嘘のルールだ。ユレフ以外の予定を確実に進めるための。もし早い段階で見せ合えば、ベルグやノアなどの勘の良い者ならすぐに予定表の仕掛けに気付き、ユレフの行動と関係なく『本当の死』を回避できてしまうかも知れない。 それでは意味がない。ユレフを人間らしくする事も、コールド・エッジの患者に生きる事について考え直させる事も出来ない。アクディはそう考えた。 『この事は私が言っても誰も信じてくれないだろう。しかし、実際に体験した彼らならば。ユレフ、ギーナ、アーニー。この洋館にある財産は全てお前達に引き渡す。その金で一人でも多くのコールド・エッジ患者を救ってくれ。そして、お前達の人間らしい生活に役立ててくれ。お前達は私の全てだ。特にアーニー、お前には私のソウルを埋め込んである。このゲームで彼らと接する事で、お前も人間になっている事を切に願う』 「な……」 アクディの言葉にユレフは驚愕に目を見開いてアーニーを見つめた。 アーニーの中にアクディのソウルが? 自分の中にノアのソウルがあるのと同じように? それでは、アクディのソウルはもう……。 『長年研究してきた錬生術。私は人形ではなく人間を創りたかった。自分の生きた証を残すために子孫を生み出したかった。ギーナは勘違いをしていたようだからお前から伝えて欲しい。私がアイツの事をソウル・パペットと呼ばなくなったのは、立派な人間になったからだ。言語障害もちゃんと克服した。少しくらい精神が不安定なのは人間なら当然の事だ』 ギーナは独り言を言ったり、考えている事を口に出したりしてしまった時は、たどたどしい喋り方をするが、誰かと会話する分にはまったく問題の無いレベルまで上達した。そして自分とは違い、全く精神が揺れないという事は有り得なかった。 だが、少しずつでも成長していくところや情緒不安定なところが、アクディに言わせれば『人間らしい』という事なのだろう。今ならユレフにもそれが分かる。 『アーニーは私が初めて生み出した存在。愛娘といってもいい。そしてお前がコレを聞いている時には、彼女は私のソウルの大半を持っている。私の分身そのものだ。だからソウル・パペットなどではない。そしてギーナと同じく人間らしくなりつつある。ソウル・パペットを確実に生み出し、ソレに感情を持たせる方法にもっと早く確信していれば……。ユレフ、お前にも私のソウルを与えられたのに……。だが、その時にはもう遅かった。お前を捜し出して呼び戻す時間は無かった』 アーニーはアクディが創りだした最初のソウル・パペット。しかしアクディは彼女に感情を持たせる事を半ば諦めていた。だから自分達のように外界で生活させる事で人間性を刺激するという手法に不安を感じ、常に身の回りに置いた。そして彼女への想い入れは一層深まっていった。 さらに今のアーニーにはアクディのソウルが宿り、人間らしくなりつつある。アクディにとってアーニーは特別な存在なのだ。 だが、自分は―― 『ソウル・パペットを確実に生み出す方法。それは人工ソウルと人間由来のソウルを融合させた物を安定化させる事だ』 コールド・エッジの完全な治療法と同じ。 錬生術とコールド・エッジは真逆の現象。だがソウルが深く関与しているという、根本の部分は同じ。だから成功のための根幹も同じ。 『魂の相乗作用、とでもいうのか。人工ソウルだけでは魂としては未完成なのだ。人間由来のソウルと混じり合う事で初めて完全な魂となる。ギーナを生み出した時には、コールド・エッジで死んだ患者に人工ソウルを埋め込んだ。あの時に成功した理由は、人間という“型”の中に埋め込んだからだと思っていた。しかしソレは違った。死体の中でまだ残っていたソウル。それと人工ソウルが融合する事で完全な魂となり、ソウル・パペットとして蘇ったのだ。子孫を残したいという、私の身勝手な欲望で』 意図しないところで、ギーナは最初から人間由来のソウルを持っていた。だからソウル・パペットとして安定した。そしてすぐに人間らしい感情に開花した? ならば自分は? ノアのソウルを持っているのではなかったのか? 『ギーナが人間らしい感情をすぐに持てたのは、人間由来のソウルの質や量も関係しているのだろう。お前を生み出すために使ったノアのソウルは確かに少なかった。しかし、それ以上にギーナの不完全さが私の接し方を決めた。ユレフ、お前はギーナと違ってソウルのみで構成されている完全なソウル・パペットだ。その完全さが私の目を眩ませた。そして、それがお前とギーナとの決定的な差になった』 自分は生まれた時から完璧だった。言葉もちゃんと喋れたし、揺れない精神を持っていた。ギーナほどではないがある種人間的な一面も持ち合わせていた。だからアクディは放任しても大丈夫だと思った。構わなくとも、一人で自然と人間らしく成長してくれると思い込んでしまった。ソレが大きな間違いだとも気付かずに……。 『すまない、ユレフ。全て私の責任だ』 「もう……いいでござるよ……」 ユレフは放心しながら、力無く呟く。 もういい。そんな事を何度も謝らなくとも。もう十分に分かった。アクディが自分の事を、ちゃんと気に掛けてくれていたという事が。 ただ、気付くのが少し遅かっただけだ。お互いに。 どちらも悪いし、どちらも悪くない。ソレはある意味しょうがない事。だからそんな事はもういい。もういいから、返って来て欲しい。アクディを生き返せる方法を教えて欲しい。死んだなどいう悪い冗談はすぐに取り消して、また頭を撫でて欲しい。 『私は、お前の事を心から褒めてやる事が出来なかった。ギーナに向ける冷たい視線を見て、いつもこのままでは駄目だと思っていた。あの非情さを私が受け入れてしまっては、お前は生の重さも死の深さも知らぬまま成長してしまうと思ったから』 だからアクディはノアのように『お前らしい』とは言ってくれなかった。肯定的に見てはくれなかった。それは正しい。言わなくて正解だ。 アクディは正しい。一瞬でも疑ってしまった自分が愚かだった。その罰がアクディの死だというのなら、悪いのは自分なのか……? 自分がアクディを殺した事になるのか……? 心配を掛けたまま、心残りを作ったまま。 『ユレフ、お前が立派に人間として成長した姿を見たかった。だがもう駄目だ。私のコールド・エッジを治療するため、埋め込んだ人工ソウルの効果がもうすぐなくなる』 「コールド・エッジ? アクディが?」 メモリー・スフィアからのアクディの声に、ノアが低い声で聞き返す。 そう、アクディはコールド・エッジを患っていた。発病したのは自分が生まれる前だった。しかし、アクディには治療できる技術も材料もあった。だから自分で自分のコールド・エッジを治した。人工ソウルを埋め込む事で。そして完治したと言っていた。 『人工ソウルを埋め込んでも、ソレが着床しなければ意味がない。自分の体の事だ。自分が一番良く知っている。分かるんだ。日に日にソウルの抜け穴を塞いだはずの人工ソウルが、緩くなって行くのが。今思えば、アーニー以来ソウル・パペットの錬生に成功しなくなったのも、私がコールド・エッジを治療してしまったからだった。コールド・エッジが発病するとソウルが徐々に漏れ始める。アーニーは、その時に漏れた私のソウルと人工ソウルが融合する事で生まれたのだろう。しかし量が少なすぎて感情を持つには至らなかった。決してビギナーズラックなどではなかった。ちゃんと理由があったのだ。私がソレを見逃していただけだ』 アーニーは人工ソウルだけから生まれた存在ではなかった。最初からある程度、アクディのソウルが混ざっていた。コールド・エッジのもたらしたソウルの漏出によって。だからその漏出を治療してしまってからは、ソウル・パペットを生み出せなくなった。 しかし、アクディのコールド・エッジの治療は不完全だった。人工ソウルの効果が無くなり、再発した。だからアクディは死んだ? そんな馬鹿な。アクディは完全にコールド・エッジを治す方法を見つけたと言っていたではないか。どうしてソレを自分に適応しない! どして死に急ぐ! 自分に生の重さを! 死の深さを教えたかったのではないのか!? 『ユレフ……お前が私の死をどう捕らえてくれているか。今の私には分からない。だが、コールド・エッジが発症しなくとも私の命は長くはなかった。これだけ生きられただけでも奇跡に近い。事故ではなく寿命で死んだ者は、いくら人工ソウルを適用しても生き返らない。元々保有していた生命維持に必要なソウルが完全に枯渇してしまうから。だからそうなる前に、アーニーに全てを託した。彼女がソレによって人間としての感情を持ってくれるなら、これほど嬉しい事はない。我が愛娘が自慢の息子達と一緒に笑ったり怒ったりしてくれるなら、ソレは私への最高の手向けだ』 アクディは自分の体を存続させる事よりも、アーニーを人間らしくする事を優先させた。 彼女はアクディが命と引き換えに残した子供。彼女の体にはアクディのソウルが宿っている。アクディの遺志が込められている。 『今、お前が見ている私の体はただ同じ事を繰り返すだけの死体だ。僅かに残した声を司るソウルを機械的に作動させているに過ぎない。アーニーは私の死を理解するにはもう少し時間が掛かる。だからお前達が来るまでは生きているフリをしていた。しかし、このメモリー・スフィアの内容を聞いているという事はその必要が無くなったと言う事。皆を生き返らせる時、一緒に私の体からソウルを抜いて楽にして欲しい』 「嫌で、ござる……」 ユレフは顔を俯かせたまま、絞り出すように声を発した。 『ああ、久しぶりに長く喋ったから少し疲れたよ。今、アーニーにお前達の居場所を探して貰っている。彼女には明日にでも私のソウルを注ぐつもりだ。ソレが私の最後の仕事になる』 最後。また、この言葉が出てきた。 この言葉が、自分から大切な物を奪って行く。 『ユレフ、最後にもう一度だけ言わせて欲しい。本当にすまなかった。お前には親らしい事を何一つしてやれなかった。だから許してくれとは言わない。私を憎んでもいい。それが人として当然の反応だ』 「許すで、ござるよ……。憎まないで、ござるよ……。だから……」 両手を固く握りしめ、ユレフは肩を震わせる。 「『最後』なんて、言わないで……欲しいでござる……」 胸が痛い。目の奥がチリチリする。心が壊れてしまいそうだ。 こんな事は初めてだ。初めて感じる。 これが、大切な物を失った時に感じるモノなのか。 これが、『死』というモノなのか。 『ユレフ、ギーナやアーニーと仲良くやってくれ。兄さんや姉さんの言う事を、ちゃんと聞くんだぞ。お前達は私の宝だ。三人とも愛している。人間らしく生きて、それぞれの幸せを掴んでくれ。ユレフ、ギーナ、アーニー』 アクディはそこで少し言葉を句切り、 『さよならだ』 迷いのない声で言いきった。 そしてその言葉を最後に、メモリー・スフィアから声は聞こえなくなった。 「アクディ様……?」 顔を上げ、ユレフは小さく呟く。 「嫌でござるよ……小生はこんなの認めないでござる! 黙って死ぬなんて卑怯でござるよ! 死ぬのは愚か者のする事でござる! また……また頭を撫でて欲しいでござるよ!」 ユレフはかつて無いくらい声を張り上げて、メモリー・スフィアに向かって叫んだ。 狭い室内に甲高いユレフの声だけが響き渡る。アクディの名前を何度も呼びながら、ユレフは声が割れんばかりに泣き叫んだ。何度も、何度も……。 「ユレフ……」 大粒の涙を流してしゃくり上げるユレフの背中を、温かい感触が包み込む。 「正直、こんな時お前に何て言えばいいかよく分からないけど……」 ノアは両腕を自分の前に回し、胸を背中に密着させてユレフを後ろから抱きかかえていた。そして優しく、綺麗な声で慰めの言葉を掛けてくれる。 「私じゃ役不足かも知れないが、頭を撫でるくらい何回でもしてやる。お前が泣きやむまでずっとそばに居てやる。だから元気を出せ。な」 細長い指先をユレフのブロンドに滑り込ませ、ノアは柔らかい髪の毛をほぐすように撫でてくれた。 胸の痛みが少しだけやわらぐ。 それはアクディがしてくれたのとは違っていたが、ユレフの心に僅かな落ち着きをもたらしてくれた。 「お前は自分で言ったはずだ。もう済んでしまった事はしょうがないって。大切なのはこれからだって」 諭すような口調で言いながら、ノアはユレフを抱く手に力を込める。 「お前は天才なんだろ? しっかりしろ。私が付いててやるから」 「ノア殿……」 泣くのを止め、ユレフは鼻を啜りながらノアを見上げた。 「一つだけ、お願いがあるでござる……」 「何だ?」 「歌を、歌って欲しいでござる」 ユレフの願いにノアは微笑する。そしてすぐに頷いて、ゆっくりと口を開いた。 頭の上で紡がれる、透明感のある美しい音色。ソレはまるで子守歌のようにユレフの耳に届き、瞼を重くして行った。 「アクディ様……」 目を瞑り、ユレフは消え入りそうな声で呟く。 「さよならで、ござる……」 そして心地よい睡魔に身を任せ、ユレフはノアに体を預けた。 ユレフが目を覚ましたのは正午を少し過ぎた頃だった。 場所は大広間のソファー。そこでノアが膝枕をしてくれていた。自分が眠っている間中、ずっと側に居てくれたようだった。 「ヲレン=ラーザック様の体からはガラスの破片を全て抜いて、傷口は治癒術でふさいでおきました」 ユレフとノアはアーニーに付いて、死んでしまった三人の遺体が安置されてる地下室に向かっていた。アクディの遺言通り、自分の手で三人を生き返らせるために。 「暖炉で死ななくて良かったでござるよ」 ギーナは自分と違い人間をベースにしている。いくらソウルが無事でも、ソレを受け入れる肉体が無くなっていたら、元通りには生き返らせられなかったかも知れない。 「焼身は大変辛いと聞いております。差し出がましいとは思ったのですが、私が炎烈宝玉を一時的に止めました。あの予定で死ぬのはアクディ様のご意向に逆らう事になりますし、ヲレン=ラーザック様がどういった事を予定表に書き込まれたのかは想像できましたから」 光輝蝶の放つ光を幻想的に反射させるクリスタル製の階段を下りながら、アーニーは事務的な口調で言う。 自分が知っているアーニーでは考えられなかった行動だ。恐らく、あの時すでにアーニーは人間としての感情に目覚めつつあったのだろう。 「ローアネット=シルフィード様は骨折した箇所を元通り修復して、お召し物も変えさせていただきました」 「あの化粧はアーニーがしたでござるか?」 アクディの考えている事が分からなくなり、本人に会って再確認しようと探していた時、ヲレンとローアネットの眠っている永冷シェルターを見つけた。そこに居たローアネットの顔には、うっすらとではあったが化粧が施されていた。 「はい。余計な事とは思ったのですが」 「全然余計な事じゃないでござるよ。凄く綺麗になってたでござる」 「お褒めにあずかり光栄です」 相変わらずアーニーの喋り方は淡々としている。だがどこか違う。以前のアーニーではない。以前のアーニーなら命令されていないような事をしたりはしなかった。ただ人形のように、言われた事を言われた通りに実行するだけだった。 「ベルグ=シード様は体内の毒素を中和して、破壊された血管は人工血管で補っておきました。あと一週間もすれば体に馴染んで、すべて元通りになると思います」 「ベルグは良い奴でござる。アイツを一番最初に生き返らせるでござるよ」 「そうですね。私もそれが良いと思います。ベルグ=シード様は非常に男らしい方でございました」 無表情でベルグの事を褒めながら、アーニーは全く同じ歩幅で階段を下りていく。 「ノア殿」 ユレフは後ろを振り返り見ながらノアに声を掛けた。彼女はどこか気恥ずかしそうな顔つきで、自分達とは少し間を開けて付いて来ている。 「ちゃんと三人の予定表は持っているでござるか?」 「ん? あぁ、大丈夫だ。それより前見てろ。転ぶぞ」 そして照れたように顔を紅くして、ユレフから視線を逸らした。 膝枕をして貰ってからというもの、彼女はずっとあの調子だ。多分、自分らしくない事をしてしまったと思っているのだろう。 (ノア殿もまだまだ子供でござる) そんな事を考えていると、足下が階段から急に平坦な床へと変わった。突然の事に危うく転びそうになる。 「ほら見ろ」 微笑しながら、ノアはユレフの体を後ろから支えてくれた。 「どうぞ」 ノアの手を借りて体を起こし、前を向くと、アーニーが黒い壁の前で立ち止まって招き入れるかのように手を奥に差し出していた。 「何もないぞ」 困惑するノアに、ユレフは得意げになって壁に駆け寄る。そして躊躇う事なくソコに体を沈めた。 「隠し部屋でござる。ここにはこういうのが沢山あるでござるよ」 「……なるほどね」 ノアは半眼になり、納得したように浅く頷いて見せる。そしてユレフに続いて部屋の中へと足を踏み入れた。 「これは……凄いな……」 部屋に入ってすぐに、ノアは感嘆の声を漏らす。 思わず見上げてしまうほどに高い天井には、血管のように入り組んだ無数のチューブが張り巡らされていた。その真下には楕円球が浮かび、光沢のある固い鱗のような物で覆われている。ソコから針のように突き出た受信部には天井からのチューブが根を下ろし、得体の知れない気体を行き来させていた。 「ここは亜次元空間になっているでござる。だから空間の概念が外とはちょっと違うでござるよ」 言いながらユレフは、呼吸するかのように明滅を繰り返す楕円球に近寄る。そしてその隣で安置されている、巨大なカプセル状の永冷シェルターの前に立った。 シェルターの数は三つ。左から順にヲレン、ローアネット、ベルグが入っている。 「ノア殿、予定表を渡すでござる」 「あ、あぁ……」 ノアは戸惑いながらも恐る恐るユレフの方に足を進ませ、持っていた三人の予定表をコチラに手渡した。その中からベルグの物を取り出し、楕円球の表面に張り付かせる。予定表はまるで楕円球と一体化するようにして吸い込まれていくと、チューブの一本を小刻みに震わせた。 どういう作業をすれば良いのかは分かっている。アクディの後ろで何度も見ていた。ソウルを抽出する方法、人工ソウルの合成法、ソウルの安定のさせ方、ソウルの注入方法。 人間由来のソウルと人工ソウルの融合はやった事はないが、同じリアクター内に入れてやれば自然と融合するだろう。ソウルはとはそういう性状の物だ。この作業が煩雑な物なのであれば、アクディは自分に託したりはしない。 ユレフの見ている前でベルグのソウルの一部がリアクターに注がれる。楕円球のコントロールパネルを操作して、そこに予め合成されていた人工ソウルを加えた。霧状となった二種のソウルが互いに絡み合ったのを確認して、ユレフはその先から伸びるチューブをベルグの永冷シェルターに繋ぎ変える。そして弁を解放した。 すぐにベルグの体が霧に包まれ、ソレはやがて空気に溶け込むようにして薄くなっていった。 「これで、良いはずでござる……」 作業は滞り無く終了した。アクディの言った事が正しいのならば、これでベルグは生き返るはず。 広大な室内に訪れる静寂。楕円球の発する光が透明な音を放っているようにも聞こえた。 「あ……」 後ろに見ていたノアの声が漏れる。 今、ベルグの瞼が動いた。続いて唇が、頬が、鼻が。 「やったでござる!」 ユレフは歓声を上げて、ベルグの永冷シェルターを開放する。中の冷気と外気が急速に交換され、見る見るベルグの顔に赤みが差して行った。 「ぁん……?」 そして、ベルグの声が聞こえる。 「ベルグ! 分かるでござるか! 小生でござるよ! ユレフでござる!」 「っぁー……なんや、自分も死んでもーたんかい……」 ベルグは怠そうに後ろ頭を掻きながら、よろよろと前に進み出た。 「まーほんならしゃーないのー。あの世で一緒に面白可笑しく……」 「いつまで寝ぼけているでござるか! お前の国の『くいだおれ人形』に核弾頭ぶち込むでござるよ!」 「なにー! 国の象徴にケンカ売る気かぃ! エエ根性しとるやないか!」 力強く開眼して、ベルグはユレフの胸ぐらを掴み上げる。 「よかっで、ござる……本当に、生き返ったでござる……」 小さな声で途切れ途切れに呟くユレフに、ベルグは当惑した顔つきになって眉間に皺を寄せた。 「な、なんや自分……なに笑いながら泣いとんねん。キモイで……」 そしてユレフの体を解放し、キョロキョロと周りを見回す。 「お、ノアちゃんやんか。メイドちゃんも……みんな揃ってどないしたんや」 「詳しい事は後でゆっくり話してやる。今はユレフのする事を黙って見てろ」 声に笑いを含ませながら、ノアは楽しそうに答えた。 「次はローアネット殿を生き返らせるでござるっ」 「は? 生き返らせる?」 素っ頓狂なベルグの声を背中で聞きながら、ユレフは先程と同じ作業をしてローアネットの体にソウルを注ぐ。そして彼女の顔に反応があったのを確認して、永冷シェルターを開放した。 「おお!? 何やコレ!? 何がどないなっとんのや!?」 「いいから静かにしてろ」 歓喜の声を上げるベルグをノアが冷静にたしなめる。 「ローア! おっほー! ホンマにローアや! この柔らかい感触、間違いないでー!」 しかしベルグは文字通りローアネットに飛びかかると、彼女の体を力一杯抱きしめた。 「え……ちょ、ベルグ……?」 自分の体とベルグを交互に見ながら、ローアネットは戸惑いも露わに早い間隔でまばたきする。 「あーもー何か細かい事どーでもええわ! 夢なんやったら死ぬまで覚めんといてくれ!」 全身を喜色に染め上げ、ベルグはローアネットの豊満な胸元に顔を埋めた。 「ベ、ベルグ! 何するのよ!」 顔を真っ赤にしたローアネットは、少し体を反らして手を振り上げる。直後、小気味良い乾いた音が広い室内に響き渡った。 「痛い……」 「当たり前でしょっ!」 「おおぉ! 痛い! 痛いでローア! 夢なんかやない! もっとぶってくれ!」 「ちょ……!」 怯むどころか更に体をすり寄せるベルグを、ローアネットは全力で引き剥がす。 「アブナイ悦びに目覚めた、か……」 くっく、と喉を震わせて低く笑いながら、ノアは二人のやり取りに興味深そうな視線を向けた。 「次は、ヲレンでござる……」 意を決したような表情になって、ユレフはヲレンの――ギーナの予定表を取り出した。そして楕円球に貼り付ける。 彼には色々と言いたい事がある。謝りたい事がある。聞きたい事も、一緒に考えて欲しい事もある。 今まではゆっくり話す機会など無かった。話そうとも思わなかった。ユレフにとってギーナは敵以外の何者でもなかった。 しかし、今は違う。自分とアーニー、そしてギーナはアクディの生み出したソウル・パペット。世界中、どこを探しても代わりなど居ない、唯一無二の大切な存在だ。 いや―― (小生達は“人間”でござる……) 自分達は兄弟だ。ギーナが兄で、アーニーが姉。その事を、深く深く認識しなければならない。 ギーナの永冷シェルターにソウルが注がれる。そして彼の目が動いたのを確認して、ユレフはシェルターを解放した。 冷気を纏い、ギーナはゆっくりと前に歩み出る。 「ギーナ……久しぶりで、ござる」 ユレフの声を聞いて、ギーナは諦めたような顔つきになって小さく頷いた。 「そう、か。僕は負けたんだ、な」 滑舌の悪い口調で言い終えたギーナの体格が少しずつ変わっていく。二メートルもの長身は徐々に背を低くし、頭にはストレートの黒髪が生えそろっていった。大きなコートは収縮して動きやすそうなニットシャツとなり、底の厚いブーツは子供用のスポーツシューズになった。 数分後、ようやく体が安定したギーナは、ユレフと同じくらいの少年だった。 「アクディ様は? 生き返らせてくれたお礼をしたい」 「……アクディ様は、死んだでござるよ……」 呟くように言うユレフに、ギーナは一瞬驚愕の眼差しを向けるが、すぐに悲しげな表情になって溜息をついた。 「……そう、か。ついにその時が、来たの、か」 「お前は悲しくないでござるか?」 意外にもあっさりとアクディの死を受け入れたギーナに、ユレフは思わず聞き返す。 「アクディ様の体が弱っている事は、前々から知っていた。だから覚悟は出来ていた。勿論、悲しくない訳ではないが、な」 ギーナはすでに死という物に関して、自分より遙かに深く理解していた。その事に僅かな劣等感と、ギーナに対する尊敬の念が生まれる。どちらも初めて抱く感情だ。 「今、アクディ様はどこに居る?」 「二階の三階の間の隠し部屋に居るでござるよ。アーニーが知っているでござる」 「そう、か」 短く言ってギーナは足早にユレフの前を去ろうとする。 「ま、待つでござる!」 叫び声を上げて、ユレフはギーナの腕を掴んだ。 まだ何も言っていない。ギーナが自分の事を嫌っているのは当然だ。自分は今までギーナに酷い事ばかりしてきた。見下して、馬鹿にして、嘲笑って。 それをいきなり許してくれとは言わない。でもせめて、一言謝りたい。謝りたいのに……。 「何、だ」 言葉が出ない。 ついさっきまであれだけ言いたい事が沢山あったのに、いざギーナを前にすると何一つとして出てこない。 「その、小生は……」 ギーナの腕を掴んでいない方の手を握りしめ、ユレフは握り拳をポケットに突っ込んだ。 出てこない。口から何も。だったら―― 「これ……」 ギーナから目を逸らし、ユレフはポケットの中に用意していた物を取り出して渡した。 「……『ルナティック・ムーン』?」 それはルナティック・ムーンの花弁だった。ソコには曇りなど一点もなく、光の反射が無ければ存在自体分からない程の透明感を誇っていた。 「お前に、やるでござる……」 ルナティック・ムーンをプレゼントとして渡した時、そこに込められたメッセージは『仲直りがしたい』。ココに来る前、ユレフが玄関ホールで二時間張り付いてようやく手に入れた真に透明な花弁。 情けない事に、今はコレでしか自分の気持ちを表す事が出来ない。 「お前……」 ユレフの手から花弁を受け取り、ギーナは少し声を高くして言う。 「意外だ、な。お前がこんなマネをするなんて……」 ギーナの中での自分は、いまだに性格の悪い頭でっかちの子供だ。ソレは分かっている。だからすぐに仲直り出来るなんて考えていない。でも少しずつ、少しずつでも歩み寄れれば……。 「悪いが、要らない」 駄目、か……。 「コイツの花言葉は、今のお前が一番似合ってる、な」 そして一方的に言って花弁をユレフに押しつけると、ギーナはアーニーを連れて部屋を出て行った。 (コレの、花言葉……) 『人間らしい人間』 「ちょっとは……認めて貰えたでござるか……」 ははは、と力無く笑いながら、ユレフはその場に座り込んだ。 「お、おぃ! ユレフ! 大丈夫かい! 今の奴なんや!? 自分のイトコか!?」 「まぁ、そんなモンでござるよ……」 「ねぇ、お願いだからいい加減ちゃんと説明して欲しいわ」 「はは……分かってるでござる……」 二人仲良く詰め寄ってくるベルグとローアネットに曖昧な笑みで返しながら、ユレフは助けを求めるようにノアに視線を向ける。 「ユレフ、次はアクディの弔いだな」 その言葉に、ユレフは顔を引き締めて頷いた。 もう迷いはない。アクディの遺志はしっかりと受け継いだ。きっと自分達は大丈夫だ。上手くやっていける。 「なぁ、ユレフ。私から一つ、お願いがあるんだがな……」 外は雲一つない見事なまでの蒼穹だった。 そしてソコにいる者達も皆、開放感に包まれた顔をしている。 王都からは何百キロも離れた場所にある広大な森林地帯。その一角を切り開いて作られた敷地に、アクディの洋館は建てられていた。 「っくー! なーんか何十年も穴ぐらん中におったみたいやわー」 ベルグが大きく伸びをしながら、空を見上げる。 彼の体はもうコールド・エッジには蝕まれていない。抜け落ちてしまったソウルは人工ソウルで補完してある。元々明るい性格だったが、今はそれに輪を掛けて快活に見えた。 「ほんならな、ユレフ。なんかややこしい事色々あったけど、終わりよければ全てよしや。楽しかったで、ココでの十日間」 「小生も楽しかったでござる。ベルグとは良いケンカ友達になれそうでござる」 「あーほ。お前みたいなガキが俺にケンカ売るなんざ百億光年早い……と、言いたいところやけどな。今のお前とやったら、ええ漫才コンビになれる思うで」 鼻の頭に乗せた眼鏡の位置を直しながら、ベルグは大口を開けて豪快に笑った。 彼が最初ココに来た時は生きる事を諦めていた。死ぬためにゲームに参加した。しかし、今の彼の体からは溢れんばかりの生命の胎動を感じる。全身にエネルギーが漲っている。見ているだけで元気が出てきそうだ。 アクディの事はちゃんと理解して貰えた。もう憎んではいないと明言してくれた。それどころか感謝していると。 それは、ユレフにとって最高の返事だ。 「そうね。最初に見た時は随分と偉そうなボーヤだなんて思ってたけど、今は結構良い男になったじゃない。後もう十年、早く生まれてたらねー」 艶笑を浮かべて言うローアネットの手には、大きめのスチールボックスが握られていた。一抱えほどもあるボックスの中には、目一杯の金貨が詰め込まれている。重力遮断装置を内蔵していなければ、大の男二人掛かりで持ち上がるかどうかと言ったところだろう。 弟のコールド・エッジを治療しても、なお有り余る金額だ。 「小生には変身能力があるでござるよ。ローアネット殿に合わせるのも訳無いでござる」 「おーい、ローア! あんまりお子様からかったらあかんでー。コイツすぐ本気にするからなー」 「あら、アタシは本気よ? 彼ならどこかの誰かさんみたいに欲望剥き出しで襲いかかったりしないでしょうから」 半眼になって意地悪そうな笑みを浮かべ、ローアネットは横目にベルグを見た。 「あほー、エエ女見てムラムラって来るんは男として当然の反応やないかー。三大欲求には逆らえんでー」 「どうかしらねー」 情けない声を出してすがりついてくるベルグに、ローアネットは楽しそうに笑いながら曖昧な答えを返す。 この二人は本当にお似合いだ。一週間ほどの短い時間で、もう相手の事を殆ど知り尽くしているように見える。 ローアネットは強い女性だった。弟のコールド・エッジを治すために自分の命を賭けていた。自分のためではなく、他の人のためにあそこまで一生懸命になれる人間はかつて見た事がない。皆、自分の事で精一杯だ。しかしソレは当然の事。自分の事も満足に出来ていないのに、他の人の事にまで気を回す余裕など無い。ローアネットも本当はもっと自分に気を回したかったはずだ。あれだけの事を自分の身に強いておいて、辛くないわけがないのだから。 しかし、それでも彼女は他の人を優先させた。 これが慈愛という物なのだろうか。きっとベルグもそこに惹かれたはずだ。だから生きようという気になった。そしてローアネットがどうしようもないくらい崩れてしまった時、彼女を支えたのはベルグだった。 互いに相手を補い、支え合い、励まし合う。 これ程相性のいい男女はそう居ない。この先ずっと、幸せに暮らしていけるだろう。 「……なぁ、ユレフ。本当にこんな大金、いいのか?」 緑色の髪の毛を梳きながら、少し困ったような仕草でノアが話し掛けてきた。 「勿論でござるよ。ノア殿はこのゲームに生き残ったんでござる。当然受け取る権利があるでござるよ。遠慮せずに歌手としての活動に役立てて欲しいでござる」 「けど、もぅ十分すぎる報酬を受け取ったんだがなぁ……」 言いながらノアは喉を触って、軽く歌声を発して見せる。 それは今まで聞いてきたどの歌声よりも澄み渡り、聞く者に安らぎをもたらした。ここに演奏が加われば、どれほど素晴らしい音楽になるのか。正直、あまりに高域の事で想像も出来ない。 ノアがユレフに願い出た事。それはアクディの体に残った声を司るソウルを自分に移植して欲しいというものだった。 もしかするとまた元の声が出るようになるかもしれない。 そう思っての試みだった。 (上手く行って本当に良かったでござる) 今の彼女の体にはアクディのソウルが宿っている。そして自分の体にはノアのソウルが宿っている。彼女を感じる事が出来れば、ソレは同時にアクディを感じた事にもなる。 ユレフにとって、これ程嬉しい事はない。 アクディは生き続ける。ノアの中で。そして自分の心の中で。 「ノア殿はこれからどうするでござるか。またプロを目指すでござるか?」 「いや、それはないな」 苦笑しながらノアは返す。 「取り合えず家に戻るよ。相当親不孝な事してきたからな。それで落ち着いたら、また気ままに歌を歌おうと思う。自分が楽しいと思える歌をな」 「それがいいでござるよ」 ノアもベルグと同じく、死ぬためにこの洋館を訪れた。しかし彼と決定的に違うところは、絶対に笑わない事。ありとあらゆる事を負の方向に考え、自分で自分を追いつめて行く。人並み外れて高い感受性があったからこそ、彼女は傷付き、疲弊していった。 だが、それ故にユレフの心の中に入り込んだ。 常人とはかけ離れた思考の持ち主だったからこそ、ユレフの内面を大きく揺さぶった。そしてソレをキッカケに自分は変わる事が出来た。 もし彼女に出会わなければ、自分は今頃どうなっていただろうか。ギーナを殺し、アーニーを殺し、アクディの死体に寄り添って狂った自己満足に陥っていたかも知れない。 本当に、彼女にはいくら感謝してもし足りない。 「また、どこかのライブハウスで歌う事があったら、必ずお前に特等席のチケット送るよ」 「楽しみにしてるでござる。絶対に聞きに行くでござる」 ユレフの言葉に、ノアは少女のように晴れやかな笑顔で返した。 落ち着いて大人びていた彼女が、初めて年相応に見えた。 死にたがっていた頃の面影は全くない。本当は死にたくないのに、死ぬべきなんだと自分に無理矢理言い聞かせていた頃の雰囲気は微塵もない。 彼女も生まれ変わったのだ。自分と同じように。 「ユレフ、お前はコレからどうするんだ?」 「まずは、コールド・エッジの患者の数を正確に把握するでござる。そしてアクディ様の遺言通り、一人でも多くの人を治すでござるよ」 「おー! ええ事ゆーた!」 突然後ろからベルグの大声がしたかと思うと、首筋に腕が絡みついてきた。そして息の根を止めんばかりの勢いで、締め上げていく。 「俺はまさにその生き証人やからな! いちゃモンつけてグダグダゆー奴おったらすぐ呼べや! 俺が直々に気合い入れに行ったるわ!」 耳元で下品に笑うベルグの声がだんだん遠ざかって行く。 「ちょっと! ベルグ! やりすぎ! やりすぎ!」 「ん……? おお! スマン! ユレフ! 大丈夫か!?」 ベルグの腕から解放されて、白み始めていた意識が戻り始めた。 「っとにもー、ホントに貴方は無神経なんだから」 「ちゃうんねん。悪気があったわけやないねん」 「その言葉で済めば教会は要らないのよ!」 「すんまへーん……」 ローアネットの怒声に、ベルグは肩を狭くして小さくなる。これからどちらが主導権を握るかは、今ので決まったような物だった。 「じゃあな、ユレフ。いつまでもこうしていると、ずっとココから離れられそうにないから私はそろそろ行くよ」 お金の入ったナップサックを肩に掛け、ノアは少し寂しそうに笑いながら言った。 「そーやな。ヲレ……ギーナとアーニーちゃんにもよろしくな」 ベルグもユレフに隣りに立って別れの言葉を口にする。 「三人仲良くね」 ユレフの頭を優しく撫でた後、ローアネットはベルグと腕を組んだ。 「みんな、元気でやるでござるっ」 一瞬、目の奥に熱いモノが生まれそうになるが、ソレを何とか堪えてユレフは自分に出来うる最高の笑顔を浮かべた。 ノアが背を向け、ベルグとローアネットも―― 「あー! せや! 忘れとったわ!」 何かを思い出したのか、ベルグはローアネットから腕を放してコチラに駆け寄ってくる。そして顔を付き寄せて聞いてきた。 「ユレフ。お前自分の予定表、まだ持ってるか?」 「予定表? まぁ、あるでござるが……」 何をするつもりなのかは分からないが、取り合えずポケットから取り出してベルグに渡す。 「あとペンや。出来たらこの予定表専用の例のペンがええな」 言われて、胸ポケットから取り出したペンも渡した。 この期に及んで何を書き加えるつもりなのだろうか。しかし自分の予定表は他の人達のとは違い、行動を束縛する力はない。 「……っと。よっしゃ。これでええやろ。この予定はなー、絶対に叶うで。俺かてローアに同じ事してもらったんたや。間違いない。効果バツグンや」 ソコに下手くそな字で書かれた文章を見て、ユレフは思わず笑いを零す。 「ほんならな! 今度こそサイナラや! おねしょすんなよ!」 「ベルグこそローアネット殿のお尻に押しつぶされないようにするでござるー!」 ノアとローアネットの所に駆けていくベルグに向かって、ユレフは大声で叫んだ。そしてローアネットの鉄拳がベルグに突き刺さるのを見て、ユレフは皆とは反対の方向に歩を進めた。 「もぅ、いいの、か?」 洋館の大きな扉の前で、ギーナとアーニーが自分を迎えてくれた。 「いいでござる。思い残す事は何も無いでござるよ」 「そうか……」 ギーナは少し長く伸びた黒い前髪をいじりながら、躊躇いがちな視線をコチラに向けてくる。 「お前、変わった、な。以前はそんな風に笑ったりはしなかった。全くの別人、だ」 「変わったでござる」 変わった。生まれ変わった。 みんなのおかげで、アクディのおかげで。 「もう、今までのユレフは死んだでござる。今日この時から新しいユレフの『始まり』でござるよ」 自分の名前の持つ意味の通りに。 ここからが始まり。まだやっとスタート地点に立っただけに過ぎない。 ――人間として。 「皆様、大変晴れ晴れとしたお顔をしてらっしゃいました」 肩口に掛かった黒髪を風になびかせながら、アーニーは感情を表に出さないまま呟くように言う。 「そうでござるな」 「いつかアクディ様も、あんなお顔をして下さるのでしょうか。最近はずっとお部屋に閉じ籠もってらして。お外に出れば気分転換になりますでしょうか」 「……っ」 アーニーの言葉にギーナは苦々しく顔を歪めた。 やはり、アーニーはまだアクディが死んだという事を理解していない。 「アーニー」 ユレフは彼女の正面に立ち、真剣な表情になって声を掛ける。 「アクディ様は、死んだでござるよ」 「死んだ……? 『死んだ』とはどういう意味ですか?」 彼女は少し不思議そうな顔つきになりながら、聞き返した。 「もう、この世には居ないという事でござる」 「『この世』とは何ですか? ソレが不具合なのだとしたら、どうすれば解消されますか?」 彼女の青白い顔からは全くと言っていいほど内面が読み取れない。 だが、それでもいい。今はまだ。 「これから小生が時間を掛けてゆっくり教えてあげるでござるよ」 アーニーの中にはアクディのソウルが宿っている。いつか理解できる日が来る。 彼の死を。 だから自分はその時まで、出来る限りの手助けをしてやらなければならない。ノアが自分にしてくれたように。いつまでもこのまま、アクディが話し掛けてくれるのを待っているのは悲しすぎる。 「ユレフ=ユアン様……」 「何でござるか?」 「少し、お優しくなられましたね」 微かだが。 本当によく見ていなければ気付かないほどの微細な変化だったが。 今確かにアーニーの口元が笑みの形に曲がった気がした。 「みんなのおかげでござるよ」 みんなのおかけで自分は変われた。みんながココに来てくれたから今のような気持ちになれた。ならば、アーニーも同じ事が出来るはずだ。 「また、あの方達とお会い出来ますでしょうか」 心なしか、アーニーの口調に感情が混ざり始めた気がした。 「勿論でござるよ。間違いないでござる」 「随分と言い切るんだ、な。お得意の根拠の無い自信、というやつか?」 微笑を浮かべながらギーナは聞いてくる。 「違うでござるよ」 根拠ならある。 今、自分のポケットの中に。 ベルグが自分の予定表に書いてくれた。 『またいつかどこかで、六人揃って会える日が来る』 この予定は必ず実現する。 彼らと、心が繋がっている限り。 「さー、明日から忙しくなるでござる! 頑張って前向きに生きるでござるよ!」 「なんだ、それは」 「私もお手伝いさせていただきます」 三人の声が風に溶け込んで消える。 それに混じって、どこからかアクディの声が聞こえたような気がした。 ―終幕― |
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●感想
もえいさんの意見 随分前の作品のようですが、評価が高かったので読ませて頂きました。 今更、という感じですがせっかくなので思ったことを書かせて頂きます。 非常におもしろかったです。 よくある異能バトルものなんかとこの作品のどちらを買うかといわれれば私はこちらを買うでしょう。 ちゃんと編集をとおして推敲されれば、のはなしですが。 どうしても自分を含めアマの作品は読者の視点と著者の視点が乖離していて、途中でついていけなくなって読むのをやめられてしまうことが多いと思うのですが、先が気になって長編であってもぐいぐいひきこんで先を読ませていく本作品は、作者さんの確かな筆力を感じさせます。 ただ、わたしにとっては種明かしされていない中盤はとにかく楽しかったのですが、終盤のネタばらしによって著しく評価が下がってしまいました。 以下、その理由を書きます。 (i) まず第一にアクディという人間にかなりの違和感をおぼえることが大きいです。 もともとアクディは難しいキャラクターだと思います。 医者としての道を究めようとするあまり、歪んだ方向へ足を突っ込んでいって最後には自分の手で命までつくりだしてしまう。 周囲から見ればアクディのやったことは狂ったこととうつったけれども、彼は医者として人を助けたいという欲求と、人として自分の子を残したいという願望に素直に従っただけの普通の人間だった。 ユレフはアクディがギーナ、アーニー、ユレフをそれぞれ自分の子としてちゃんと愛していたことを知り、アクディのことを認める。ユレフが『人間らしく』なるのがキモですが、しかし私にはそのくだりが納得できませんでした。 そもそもアクディはユレフを認めてなどいない。 >『もしお前が一人だけなら、私は最後までお前をソウル・パペットから“人間”にしてやる事が出来なかった。お前に唯一欠けていた物を与えてやる事が出来なかった。本当にすまない』 この言葉が、言葉は悪いですがアクディの傲慢さを端的に表しています。 アクディはユレフにわびる。彼も言っているとおり”人間”に”してやる”ことができなかったから。 けれどもなぜわびる必要があるのか? ユレフを人間にしたかったのは、ユレフ自身ではない、アクディ自身だったのに。自分の『人間の』子どもがほしいと願ったアクディ自身の欲望でしょう。 ユレフはその是非はおいておくとして、天才である自分の現状に満足していた。それを人間らしく教化したかったのはアクディ自身です。 ここからアクディ自身『ユレフが人間らしくなるべきだ』ということには何の疑いももっていなかったことがわかります。その後もたびたび『人間らしく』というフレーズが何度もでてくることからも。 アクディの傲慢さをわかりやすく言えば、全く別の価値観をしている人に、『おまえを俺たちと一緒の価値観にしてやれなくてごめんな』って言っているのと同じです。言われた方は『は?』でしょう。アクディは自分自身の欲望をユレフに転嫁している。 だからアクディが愛していたのはユレフそのものではなく『人間になるべくユレフ』だったんだと思える。ユレフは怒っていい。自分の手でアクディ殺せばいいんじゃない? しゃべる、動く、自分の頭でものを考える。という意味で考えればユレフはもともと十分に人間していた。 要するにアクディはユレフを『普通の常識人』に教化したかったんだなあ。それが親というものかもしれないけれども、命を自分の手でつくりだすまでいった人が全くそういうことに逡巡がないのは戦慄すらおぼえる。それとも逡巡がないからこんなことできたのだろうか。たぶんそうなんでしょう。 (ii) (i)の延長上にあるけれども、そもそもアクディが死のゲームを開催した理由が弱いと感じられました。 つまり要約すればアクディの目的は『コールド・エッジの患者に生きることを考えてもらって、そして前向きになってから病気をなおして人生やりなおしてほしい。確実にそうするためには一回患者を殺さなきゃいけないから、そこにユレフやギーナ、アーニーを立ち会わせればあの子たちの成長にもつながって一石二鳥じゃね?』 ということ。 でもこれにはちょっと無理があると思います。 >ローアネットの弟は、コールド・エッジに掛かってもうすぐ二年だ。病気の進行度合いとしては殆ど末期。だからコチラが何を話しかけても上の空で、目の焦点もあっていない。最近では実の姉であるローアネットの存在自体、認識していないのではないかと思える時もある。 この描写からもわかるとおり、そもそもベルグみたいな人間が特異で、普通の人間は病状が進行すれば鬱、無気力状態になる。 鬱状態の人間が、果たして招待状を受け取って、のこのことやってくるでしょうか。 現に、ローアネットの弟は問いかけても返事がない状態にまでなっているから、かわりにローアネットがやってきた。 どういう基準でアクディが招待状を送ったのかはわからないけれど、招待状をうけとってもどうにもできない状態まで進行しているローアネットの弟に送ってしまうあたり、結構テキトーだったのではないかと思えます。 そしてもう一人についてもローアネットのように代理人が来る可能性も十分考えられたわけで、そういう意味でアクディのもくろみであるコールド・エッジの患者に生きることを考えてもらって、そして前向きになって病気をなおして人生をやりなおしてもらう、という目的は達成されない可能性もかなり高いのは明らかです。 そういう意味で、なぜアクディが代理人を禁止にしなかったのかかなり謎です。 代理人がきたところで、コールド・エッジの患者に生きることを考えてもらって、そして前向きになってから(一度死ぬことによって確実に) 病気をなおして人生やりなおしてもらうというアクディの望みは達成されない。 結果的にローアネットは生き返って金も手に入ったからよかったけれども、全く死ぬ意味なかったよね? 本人じゃなくても、まあ殺す必要ないけど万が一殺しちゃっても生き返らせるからいいよねーということなのだろうか。 とにかく、なんかアクディの行動の一つ一つが、真剣に人の命について考えている人間の行動とは思えないのです。別に真剣に人の命について考えろといいたいわけではないけれども、アクディは命や人間の尊さを謳いながら、彼自らそれを蹂躙する発言と行動をしているという矛盾を感じる。 この辺を多少好意的にとらえれば、コールド・エッジの患者を救済するのは二の次で、一番の目的は死のゲームに立ち会わせてユレフを成長させたいということなのだろうけど、そうならばまさにノアが指摘したように >「ユレフを人間らしくするためだけに他の奴らを殺したっていうんなら鼻で笑い飛ばしていたところだがな。 なわけで。 でもアクディのなんだかんだで独善的なところを見るに、そうだったのかもしれないとも思える。 そう、アクディは患者のため、ユレフのためといいながら結局自分のことしか考えていない。 ユレフもまたそんな人間へと感化されてしまった。 これはそういうお話だったんでしょうか。 (iii) (ii)に関連して。プロットの不自然な点。 なぜ、ユレフはネズミを放ったのか? >ローアネットの嫌いな物らしい。 と本文中にも記されていますが、 >だから招待客の二人にコールド・エッジの患者を選んだ。 とアクディが言っているとおり、おそらくアクディはローアネットが代理人としてくることを予想していなかった。 なのになぜ、『ローアネットの嫌いな』ネズミをはなったのだろうか。ローアネットの弟も、ネズミが嫌いだったのだろうか。でもなんか鬱に陥っている患者をネズミで驚かすっていう発想もおかしいような気がするし。 とにかく、ユレフはなぜネズミが『ローアネットの嫌いな物らしい。』と知っていたのだろうという疑問は生じる。 あと、それ以前になぜこのネズミからはじまるやつだけこんな微妙な仕掛けになったのだろう。 ほかは契約通りに動いていたら必ず達成される内容ですが、ネズミからはじまる一連の事件についてだけは、ユレフがネズミを放っただけではだめで、ローアネットが驚いてさらにノアがおいたワイン瓶を倒さなくてはならない(ローアネットや第三者がノアがおいたワイン瓶を動かしておくことだってできる)。そしてさらにそこでヲレンが滑って転んでそのワイン瓶の破片で喉をぐっさりやらなければいけない。 ヲレンの死は、あからさまな死の予定のあとに本当の死が待っているにしても、かなり偶然に支えられている。 アクディにとってはヲレン(ギーナ)はコールド・エッジの患者ではないから、絶対死ななければならないわけではなかった、と解釈するのが一番よいのでしょうか。実際、なぜヲレン(ギーナ)が一度死ぬ必要があったのか謎ではあります。 さて。大きく気になったのは以上のことです。 そんなわけで、印象としてはローアネットという本来くるべきでない代理人が登場したことにより、ベルグとの絡みにおいては利点があったけれども、どうしてもプロット的にいろいろ無理が生じているような印象をうけました。好きなんですけどね、ローアネット。 あとはやはりアクディをどのように読者に伝えたかったか、ということでしょうか。 たぶん善悪だけで割り切れない『人間』である、ということを伝えたかったのだろうとは思いますが、それにしてもやはり彼は色々と『不自然である』という印象を受けました。 結果的に厳しい意見ばかりになってしまったかもしれませんが、総じて良い作品でした。 長々と失礼いたしました。 三崎 航さんの意見 サイト初利用、初コメントなのですが、気になる部分が多々あったので率直な意見を言わせてもらいます。 まず読んだ感想ですが、いきなりゲーム開始からの始まりで、話についていけませんでした。 正直この時点で読むきは失せてしまいましたが、それでも読み進めていくと徐々に、徐々にと、作品に引き込まれていきました。 予定表の行動はどんな意味があるのか、登場人物達はどのような考えをもって参加しているのか、考察しながら読むのが楽しく、いつのまにか自然と読み進められるようになっていました。 そのまま最後まで読み終えると、文章の多さもあってか心地良い、晴々とした気分になりました。 全体的にストーリーは無駄が無く、上手にまとめられていて、一作品として非常に完成度が高く、生や死といったテーマも良く表現出来てると思います。 ただストーリーが良かった分、設定や一部文章のつなぎ方が非常に、非常に、非常に残念に思いました。 特に残念な設定の悪い所を上げていくと、 1、世界観に統一感が無く、ジャンルもあやふや過ぎる。 2、>お前の国の『くいだおれ人形』に核弾頭ぶち込むでござるよ このセリフで魔術やらなんやら言ってたファンタジーの世界観は完璧に破綻。くいだおれ人形や牛丼で近代日本を思わせ、核弾頭で昔の現実世界を語っている。王都とかの単語もまた、違和感が。 3、>現代魔術医療は(中略)それらは全て科学的な解釈が成立し 魔術と呼ばれる物が科学で解明されてるなら、それは最早魔術なんて存在せず科学現象として証明できる事となり、ここでもファンタジー否定。人工血管とか言ってる時点で機械技術が発達してるとも見れるし。そうなるとこの作品のオカルトの定義もまた、あやふや。 4、不死鳥、双頭龍などのモンスターがいる世界なら十日もゲームに興じてる暇はないと思う。というか魔物がいるならソウル・パペットに対する見方も180度違うはず。あと、不死鳥に角は無いと思います。 上記に上げたものが特に気になりました。 私的にはぶっちゃけ、ファンタジー要素入れるにしても「ソウルの存在、ソウル・パペット、コールド・エッジ」だけで十分に書けたのではないかと思いました。 ヒーリング○○○、浮遊車椅子、光輝蝶、その他諸々等も要らない気がします。 後は、誤字脱字が多かったり、アルファベットではなく五十音が出たりした以外は完璧、に近い出来でした。 個人的には「面白い」というよりも「楽しめる」作品だと感じました。 最後に、大変恐縮ながらもあえて点数を付けさせていただくと100点中、67点という感じでした。 素人意見の癖に長々と失礼しました。 一言コメント ・一言 「すごいです!」 ・物語の伏線の絡みが秀逸。 ・他とはレベルが違う。 ・一つの話として綺麗に完結していて素晴しかった。 ・色々、考えられる作品だと思います。 ・すごく面白かったです。 ・すばらしい完成度です! ・それぞれの物語の複雑な絡み合いが凄かったです。五十音順が出てきたのには違和感がありましたが、最後には気にならなくなるほど完成されていました。 ・非常に完成された作品だと思いました。ぶっちゃけた話、店頭で並んでたら買ってるかもしれないですね。整合性や設定、内面の描写などどれも秀逸だったと思います。 ・話が上手く絡んでいて、作り方にセンスを感じました。……ただ、ちょっと誤字が多い気がしました。 ・気づいたら引き込まれていて、最後まで読んでしまいました。伏線の複雑な絡み合いが秀一だと思います。そして読後感も非常によく、純粋に面白かったです! ・下手な商業小説より面白かったです。最高でした。 ・久しぶりに小説読んで泣きました……。ラストに少々不安があったのですが、しっかり纏っており、とても良かったです。 ・緻密なパズルのような整合性が面白い。興味深く読めた。 ・同じ発想の小説は何度か見たが、伏線の張り方、物語の収束の仕方が素晴らしい。 ・よく練られたストーリーでした。ただ、一部のキャラクターの想いをもう少し深く書いてあるとさらに飲み込まれるものであると思います。 ・『人』『生』『死』……。それらが巧みに取り入れられ、とても感動しました。いい作品に出会えたと思います。貴方の作品は文庫化したら絶対にうれると思いますよ。 ・最後まで読んでやっとタイトルの意味が分かった。泣きそう。良い小説が読めました。 ・よく練られていてすごい面白かった…けど、これは文字よりも映像(絵)で見た方が今以上に面白いと思う。誤字さえ無ければプロ級だと思います! ・少し読んだら止まらなくて…感動と興奮をごちそうさまでした! ・よく練られている。 ・誤字を修正してください。それ以外は何も言うことなどありませぬ。 ・終わりのない答えを探してた昔を思い出した。 ・ファンタジーなのに入り込みやすくてよかったです! ・構成や設定に整合性があって一つのテーマに向かって行って心に響きました。 ・ストーリーと言い構成と言い、文句無し。 ・膨大な謎の提示による物語への引き込みと、無理のない解決。特に読者にいろいろ推測させるような構成の点が秀逸すぎる。ヤバイ、はっきり言って市販のものより面白い。 ・ソウルという設定が凝っててすっごく楽しめました。とても面白かったです。 ・割と面白かった。 ・複雑でただ付いていくことしかできませんでしたが、とても楽しめました。 ・設定に穴がある気はしたが、面白かったから問題ないと思う。でもユレフの口調がすこし気になった。 ・ラストの終わり方がすごく素敵でした。 ・参りました……。 ・読み出したら止まらなくなりました。受験勉強の時間を返せ!w パズリックなゲームパートの構成が秀逸。心理描写・テーマも完成度が高いか。 ・普通に市販小説以上。 ・未完の魂、死の予定表>最初から最後までずっとpcとにらめっこしていたから目が疲れてしまいましたwwそれはさて置き。この物語は登場人物全員の行動一つ一つが物語を描いていき、最後に繋げる。と、いう背景の設定がしっかりと組み立てられているのが伝わってきました。 ・素晴しい。こんなに惹きこまれたのは初めてかもしれません。 ・展開が良い。 ・今まで読んだ中で、ここまで精巧に組み上げられ完成された物語はありません。 ・素晴らしいです。 ・読んでいて鳥肌が立ちました。文章構成のすばらしさに感動しました。 ・完成度の高さに驚かされた。 ・そこらのプロより数倍凄い。物語が綿密に練られたものだとわかった。アマチュア作家の書いたもので感動できたのははじめて。 ・文で勝てる気がしない。やってくれたな、プロの道へ歩け、走れ、掴め! ・最初から最後までとても楽しめました。 ・なぜこの作者はプロじゃないんだ! 久しぶりに文章で涙出た。 ・プロ並み、というか。そこら辺のプロ以上でしょう。マジ感動した。 ・これは傑作でしょう。 ・ストーリー性が高く、とても読みごたえがある話だった。ついつい「早く先が読みたい」と気持ちがはやってしまうほど面白かったです。素晴らしい作品です。 ・「良作」表記に惹かれて読みましたが、正に良作! 良いどころか秀でていると思います。 ・予想を遥かに超える良作。 ・ストーリーが書き方によって、さらに際だっていました。 久しぶりにここで鳥肌が立ちました。 ・すごくストーリーが秀逸で、特に落ちがよかったです。 |
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