高得点作品掲載所      貴さん 著作  | トップへ戻る | 


-Ex-【On the Muzzle】

 <<目覚める前に>>

 ほの暗い闇の底で最初に考えたのは、今の状況なら人が殺せるということだった。

 部屋の隅では弟と妹が毛布に身を包み、膝を抱えて震えている。部屋の温度は殆ど外気温と同じで、冬に入ろうかという時期には少々厳しいものがあった。部屋の隅のバケツからは悪臭が漂っている。何が入っているかなどすでにわかりきった事であった。日に一つ二つの出来合いのパンをかじっているだけでも、生きている以上出るものは出る。
 小さい、幼い嗚咽が聞こえた。
 弟がともに毛布に身を包んだ妹を慰めるように撫でていた。
「だいじょうぶだよ」
「なくなよ」
「もうすぐでられるよ」
 その哀れっぽい声もすぐに嗚咽交じりのものになり、やがては二人そろって泣き始める。
 ザイル=コルブラントは肩を竦めた。無理からぬこととはいえ、すすり泣く声はどうしようもなく神経を逆撫でする。
 父親がいつもの癇癪でザイルたちを部屋に閉じ込めてから十日が経った。最初の三日間にはいつもの如く嫌がらせのような殺人スナッフムービーを見せられたが、いまや一日二度の食事の時間以外は、父親の顔を見る事さえない。母親は随分前に失踪していた。もしかしたら、父親があの映像のようなやり方で殺して処分したのかもしれない。どちらにしてもあまり変わりのない事だった。
 父親の機嫌が悪いほうに傾くとこの部屋に閉じ込められるというのは随分前から承知していることだったが、流石に今回の仕打ちは少々堪える。こういったいわれのない懲罰を何度も受けているうちに、ザイルの身体はそれに耐えるために頑強になり、自分の身体の被害状況を把握する術を身に着けるに至っていた。それは一種の防御反応。生き延びる事を切に望む、彼の身体的な資質だった。
 その身体が、もってあと三日だと告げている。溜息をついて、弟たちに比べると薄っぺらく小さな毛布を身体に巻きつけなおす。
 ザイル=コルブラントは十三歳の少年である。小男だった父親を抜く一七〇センチメートルを越える身長があり、劣悪な環境の中を生き抜くために頑強に育まれた身体を持っている。そして、自分の置かれた境遇を憎むだけの余地を残して、自我を希釈するという芸当を心得ていた。自分に対する苦痛を、外的要因から来る情動を、「ああ、そういう話なのか」と他人事のように受け止め、それ以上の感慨を得ることなく受け流す。そういった特異な適応の仕方をした少年は、それでも今、この状況を作り出した父親を殺そうと半ば決意していた。
 三日目が来る前に扉が開けばいい。このまま行くと死因は栄養失調よりも凍死のほうが早く訪れる。
 外気温の低下は一週間前から見られていた。ここ三日ほどはますます顕著だ。このまま気温が落ちていけば、自分よりも早く弟と妹が死ぬことも判っている。別に口に出しはしない。死ねば死んだで、鬱陶しい声が聞こえなくなるとも思っていた。
 手の中の古ぼけたアイスピックを見つめる。
 この部屋に叩き込まれる前に、咄嗟に自分の机から持ち出したものだった。錆が浮いた針を見つめながら、少年はどこを刺せば上手く死ぬかばかりを考えていた。反撃を許さないうちに即死させなければ危険だ。人間は自分に危害を加えるものに対しては、どこまでも残酷になれる。
 針の長さを見る。心臓を刺すには、この短い針は少し頼りない。そして今の自分に滅多刺しにする体力的な余裕があるとは思えない。それならば、狙うべきなのは、自分に背中を向けたタイミング。後頭部のくぼみから間脳へ突き抜けるやや上傾きのコースで、頭蓋骨を擦り抜けて脳幹を破壊する。ザイルの脳裏には、その映像が克明に浮かび上がる。毎度おなじみ殺人ムービーのワンシーン、拳銃で頸を撃ち抜いたときの映像。狙うべき場所は判っていた。
 知らず息を潜め、彼はそのときを蛇のように待った。心は冷たく尖りきって、躊躇の欠片さえもない。
 恐らくはザイル=コルブラントは、このときからどこかが壊れていたのだろう。彼の倫理観や心は、彼の家庭が決定的に崩壊していたのと同じように、修復不能なほどに歪んでいた。彼自身が理解していた。アイスピックを見つめている間は、唇を笑みに歪めていられたから。

 一日と三時間が経ち、ザイルは一瞬の好機に飛びついた。

 部屋のドアを開き、動かないザイルをまず仮借なく蹴り飛ばした父親は、そのままザイルに背を向けて、奥で震えながら眠る少年と少女を蹴り起こしに向かった。ザイルは目を開け、ゆらりと立ち上がった。十三歳にして身長一七四センチメートル。大の男といって差し支えのない身体。アイスピックの針を一度撫でると、足音を潜めて二歩進み、強く地面を蹴った。
 動かない弟を一度強く蹴り飛ばした父親の頸の僅か上、後頭部のくぼみ。
 順手に握った針を、体重をかけて打ち込むように、間脳に届くコース――目と耳孔の延長線をなす斜めの線をなぞるように突き刺す。
 父親は一度びくんと痙攣して膝を付き、そのまま地面に倒れ込んだ。その身体が弛緩するまで、およそ数十秒。打ち込んだままのアイスピックが、まるで墓標のようだった。
 蹴り飛ばされて呻いていた弟が、上に圧し掛かられて目を覚ました妹が、逡巡するように数秒間固まって、父親の目になにも映っていないことに気付き、始めて悲鳴をあげた。
「うるさいな」
 ザイルは呆れたように呟いた。ほぼ二週間ぶりに使った声帯から出た声は、思ったよりも掠れてボロボロだった。
「おまえらはこのままこの部屋で、これと同じになりたかったのか」
 自分を脅かす外的要因を排除する。彼が考えたのはそれだけであり、それ以上でも以下でもない。殺人に関する感慨、人を殺したという罪悪感、そういったものとは彼は無縁の位置にいた。自己保存が最優先だ。これからの人生が希望に満ちたものだという腐った文句は信じていなかったが、それでもこの豚小屋に劣る環境で、虐げられた小動物のように死ぬのは真っ平だった。
 だが、弟と妹は違ったらしい。
 理解できないことに妹は父親に抱きすがりその名を何度も呼んでいる。弟も程度の差はあるにせよ、大同小異といったところだ。ザイルに向けられた目は揃ったように同じで、畏怖と恐怖、憎悪と不快、未知のものへの猜疑といったものが滲んでいる。
 弟が、舌っ足らずに「ひとごろし」と呟いた。
 妹の肩がびくんと震える。
 まだ暖かい死体から逃れるように体をばたつかせ、聞くに堪えない声を上げ始める妹。誘われるように恐慌状態になり、ザイルから妹をかばうように抱いて部屋の隅に逃れる弟。
 それを見ても、ザイルはやはり何も感じず、傷つかなかった。
 ただ呆れ、それきり父親だった死体、弟、妹という三個体への興味を失った。
「付き合いきれないな」
 内心をそのまま呟くと、身を翻す。体が動きなれていないせいで少しつんのめったが、すぐに感覚を取り戻す。手は震えていないし、思考も正常だ。半開きのドアを蹴り飛ばし、振り向きもせず部屋を出た。フローリングの床さえも、冷え切った足には暖かい。
 屋敷の中を、温かい風が吹いている。頬に触れる優しい風を感じて、ようやく少年は生存を実感した。
 一息つく間もなく、思考を切り替える。まずは何をするべきだろうか。父親の後頭部を貫いた感触が右手によみがえり、ザイルは軽く手をぶらぶらと振った。
 ――そう、武器。
 武器が欲しい。
 完成しきっていない肉体を補うためには非常に重要な要素。
 誰かを殺してその場に長く留まるようなことは、言い尽くせぬほどの愚だ。才能か、天性か、少年はそれを悟りきっていた。今や自分が追われる立場にあることを、明確に知っている。故に彼は外で生きていくために必要な武力を得ようとしていた。アイスピックでは足りない。もっと、迅速に危険を排除できる圧倒的で確実な暴力が必要だった。
 父親の書斎へ行こう。
 あそこには、自分が求めるものが転がっているはずだ。

 そうして、ザイル=コルブラントは、強靭な鉄を手に入れた。
 そのときから、それが彼の唯一のよりどころ。
 他者と会話するときの自己の存在が、他者の存在によって証明されるように、握ったスリムなグリップの感触が、常に少年の生存を保障している……。


<<“殺人狂”>>

「終わったぞィ」
 奇妙な訛りを含んだ言葉が上から降ってくる。
 声を聞き、ザイルは目を開いた。手に握った拳銃の感触は、夢の中と同じだった。手術台から降りて、軽く肩を動かし、体の各部に意識を飛ばす。これといって異常のある部位はない。全力で体を動かせばどこか不具合も見えるのかもしれないが、そうするにはこの闇医者の診療所は手狭すぎた。
「首尾は」
 短く問う。返事の代わりにまずタオルが投げ渡された。受け止めて、身体を拭う。生理食塩水のべたついた感触が体中に残っている。
 体を覆う布がどこにもない。当たり前のことだが。体にはとりあえず違和感はないし、手術に際する傷口も、一つとして残ってはいなかった。腕だけは本物のようだ――と思いながら、手術台の横に立った二人の男に目をやる。
 視線に気付くと、片眼鏡の老医師はキシシシ、と火にあぶられた甲殻虫のような声で笑い、手に持った注射器をかたん、と傍らに置いた。爆発に巻き込まれたような白髪頭と、必要以上にもさもさと生育した顎鬚。マッド・サイエンティストという語を人間の形にしたら、きっとこうなるだろう。
「前金の払いはいい、しかも監視つきときた。妙なことをするメリットがないのう」
 眇められた目線がゆっくりと横にそれる。追うと、この為だけに雇った無言の巨漢がむっつりと押し黙ったまま立っていた。腕利きだと情報屋に紹介された男だ。確かに振る舞いに隙はない。どこかのSP崩れだろうと、ザイルは勝手に当たりをつけていた。
 手に持ったサブマシンガンが、部屋の薄明かりに黒光りする。
「そいつはよかった。疑えるものは全部疑う主義でね、悪いな」
「なに、この街じゃア当たり前のことさな。しかし若いのに慣れたもんだ」
「こうでもしなくちゃ生きていけなかっただけさ。そう知ってる奴は、みんな慣れる。慣れられない奴は死んでいく。……そして俺は生きてる。それだけのことだ」
 タオルを手術台の上に投げ、かごの中に無造作に突っ込まれた衣服を一つ一つ身に着けていく。上も、下も、インナーさえも黒。黒は機能的な色だと思う。何より、血のしみが目立たない。
 すべての服を身体にまとうと、最後に防弾繊維を縫いこんだコートを着込む。いつもよりずっと軽い気がする。
「強化筋肉繊維の挿入、骨組織置換に伝達速度強化。注文どおり全て済ませておいた。しかし開き甲斐のある体じゃの、見事なもんだわい。十六の子供とは思えん。よほどガンマウントを埋め込んでやろうかと思っとったとこじゃ」
「おい、この爺さん余計なことやらかさなかったか?」
 傍の巨漢に尋ねる。むっつりと押し黙ったまま、首を横に振る返事。
 とりあえずそれを見て安心しながら、自分の拳銃が無事かどうかを確かめる。家を飛び出したときから持っている二挺の小口径の拳銃と、もう骨董品と呼ばれて久しい九ミリメートルの拳銃が二挺。全ての動作を軽く改めて、小口径の二挺を腰に、九ミリをコートの上のショルダーホルスターに吊った。
「心配せんでも、そんなボロに出来る細工なんぞ無いわ。わしがいじるのは人間の身体だけだからの」
「ボロ呼ばわりかよ。それなりに気に入ってんだぜ、これは。長く使われるってことは、つまりいいものだって事だ」
 ホルスターの上から拳銃を叩いてみせると、闇医者はまた耳障りな声で笑いを上げた。
「近頃は妙な客が多いのぉ。いまどき滅多に見ないような得物を持った子供ばかり来おる。これも時代かの」
 顎鬚をなでながら、感慨深げに老医師はつぶやいた。
 ザイルは眉を跳ね上げる。
「俺の他に似たような年頃の奴が?」
「おお、それも、みょうちきりんな得物を抱えてな。あれも相当、慣れたガキだったわい。もしかするとお前さんよりも」
 回顧するように呟くと、医師はキャスター付きの椅子を引っ張ってゆっくりと腰を下ろした。僅かに興味を刺激され、ザイルは医師に質問を重ねる。
「俺よりも、ね。どんな奴だった?」
「薄気味悪いガキよ。ニコニコ笑ってるくせに、その実はどこでも笑っとりゃせんのだ。嗤ってはいるのかも知れんがの。薄汚く錆びた鉈を二振り抱えて持ってきた。背格好はお前さんと同じくらい。施術内容もほぼ同じ。わしもしばらくこの稼業で食っとるが、あの手のガキは珍しい。目に何も映ってないタイプじゃよ。他人の命など、路傍の石に過ぎんという考えのな」
 言いながら、医者はパックから取り出した煙草に火をつけた。美味そうに煙を吸い、吐き出す。
 漂ってきた紫煙に目を細めながら、ザイルはポケットに手をつっこみ、クレッド・スティックを取り出す。
「面白そうだな、そいつ。少し会ってみたくなったよ」
「やめておけ、益体もない。どちらが勝っても死体が増えるだけじゃ」
「死ぬのは俺じゃなく、そいつのほうさ」
 自信たっぷりに言い切って、医師に向けてスティックを差し出す。医師もまた、面倒くさそうに自分のスティックを取り出し、ザイルに向けて差し向けた。
 クレッド・スティックというのは電子貨幣をキープするための小型端末で、ボールペンを二本束ねたほどの大きさをしている。手に持った人物の指紋と生体情報を読み取り、個人口座からの電子的な金銭のやり取りを可能とする装置だ。ザイルは慣れた手つきでスティックを操作し、老医師の端末に向けて所定の代金を振り込んだ。
「確かに」
 医師が唇を吊り上げて笑う。皮肉っぽくザイルも笑いを返す。
 続いて、巨漢にクレッドスティックをちらつかせると、彼もまたものも言わずに端末を抜き出した。監視料を支払い、端末をポケットに戻す。
「やれやれ、これでほとんど口座が空っぽだ。また仕事に精を出さないとならないらしいな」
「調子が悪くなったら戻って来いよ、若いの。払いがいい連中は嫌いではない、アフターサービスくらいはつけてやろう」
「そいつはどうも。……世話になったな」
 巨漢と医師に軽い礼をすると、歩き出した巨漢に並び立って、ザイルは診療所を出た。

 診療所の外は入り組んでいて、スラム育ちのものでも迷わずに目的の場所へ行くのは難しいほどだった。それでも巨漢は慣れたもので、入り組んだ路地をまるで自分の庭のように歩きぬけていく。彼は監視人としてでなく、案内人としても優秀であるらしい。
「ここを……真っ直ぐ……大通りに着く」
 途切れて掠れる声は電子的だった。声帯を代替物に変えているのか、固いマシンボイスがざらざらと響く。男が指を指した方向には確かに街の光が見える。時折銃声が響くほかは死んだように静かなスラムとは違い、市街地はすっかり夜の帳が落ちていても消えることのない嬌声とネオンサインに包まれている。
「わかった。道案内、助かった」
 軽くザイルが手を挙げると、巨漢もまた応えるようにロボットじみた仕草で手を挙げる。その巨体が背を向けるのを確認してから、ザイルもまた街へと続く道幅の狭い路地を歩き始めた。
 街の光が少しずつ近づいてくる。
 さて何をして稼ぐかと口元に手を当てて思案した瞬間、――後ろで銃声が巻き起こった。
 咄嗟に判断する。銃種、サブマシンガン。連続した発射サイクルを確認したところ、推定毎分六〇〇から七〇〇発程度の連射性能を持っている。しかも甲高い、独特の銃声は短銃身の中口径弾のものだ。こちらに向けられた銃声ではない。
 思い出すのは、あの巨漢が持っていたマシンガン。
 銃声はすぐに途切れ、静かになった。諍いを起こしたどちらか片一方が死んだということだろう。
 金は払った。もうあの巨漢に義理はない。しかし、それでも、ザイルはゆっくりと踵を返し、二挺の拳銃を抜き放った。巨漢が殺されていたとして、別にその仇をうたうつもりはない。このスラムにおいて銃を持っているというのは、俺はお前を殺せるぞ、と訴える代わりに、殺されても仕方がないぞ、と認めているということでもある。
 では、なぜ気になったのか。
 聞こえた銃声が、マシンガンのものだけだったからだ。
 あの大男が反撃を許さないまま敵を殲滅したというのなら、それはそれで構わない。チンピラ風情が相手なら十分にありえる話だ。もしそうだったなら、手を振って別れればいいだけ。
 だが、そうでない場合、事情が変わってくる。銃声が一種類だったということは、撃ったのはあの巨漢だけだったということになる。マシンガンを撃つあの男を、銃以外の武器で殺したものがいるとするなら――
「……ガラにないな。力を手に入れて有頂天とは」
 試し撃ち、、、、に丁度いいと、そう思っただけのことだった。皮肉るような笑みを浮かべると、ザイルはゆっくりと進み、曲がり角を曲がった。
 視線をゆっくりと巡らせた先に、巨漢が倒れていた。ぱっくりと割れた喉のせいで首が異常な角度を向き、今なお弱弱しく血を噴出しながら死んでいた。失血死か、それともショック死が先だったか、判断するすべはない。
 血に倒れふす一人分の肉塊、その奥で、一人、振り返る。
 裏路地に似つかわしくない端整な顔立ちと、不気味なほど白い肌に飛び散った赤い飛沫。手には、今まさに収納しようとしていた様子の、血で錆びたごつい鉈がある。なるほど、あれなら薪だろうが人の頭だろうが喉だろうが、簡単に割れるに違いない。
 年ごろはザイルと同じほどだった。見れば見るほどに医師が教えてくれた外見情報と一致する。
 だが、それ以前に――目から入ってくる、その少年の外見よりもずっと先に、ザイルはすとんと落ちるように納得していた。匂いとでも言うのだろうか。本質的な同一感。姿形は似ても似つかないのに、鏡を見ているかのような感覚だけが付きまとう。
 血の匂い。顔にまで飛び散った血液が、微笑にヒビを入れている。赤い飛沫が、どうしようもなく毒々しい。

 なるほど。
 ――こいつと俺は、同類だ。

 踵を返しかけていた相手は、ゆっくりと振り返ると、シースに納めるところだった鉈をゆっくりと引きずり出し、両手にだらりと下げた。顔に浮かんだ微笑は微動だにしない。
「こんばんは」
「おう」
 知己に向けるかのような軽い挨拶。これが繁華街でも全く違和感が無かっただろう。足元に死体が無ければ……そして、両者の手に武器が無ければ。 
「見てしまいましたか」
「見ちまったらしいな」
 丁寧な語調の少年に対して、鸚鵡返しに返すザイルの口調はぞんざいなものだ。だが少年はそれに気分を害した様子もなく、微笑んだ表情を崩さないまま、鉈をゆっくりと持ち上げた。
「そうですか。……それでは、」
「――」
 少年が前傾姿勢をとる。ザイルはやや爪先に体重を乗せ、足を軽く前後に開いた。一瞬の間、また少年が口を開く。
「死んでください」
「やなこった」
 飄々と答えた瞬間、ひゅん、と風が吹いた。
 瞬間、ザイルは本能的にスウェーバックした。ぶおん、と音がして一瞬前まで首のあった位置を鉈が通り抜けていく。七メートルあまりの距離が、一瞬で詰まっている。目の前には笑顔。鉈を振りぬいた姿勢で、目を細めて嗤う殺人狂がいた。
 神経を加速していなければ、恐らくは今の一撃で死んでいただろう。しかし、まだ生きている。即座に拳銃を向け、トリガーを引いた。
 衝撃。銃弾が発射される一瞬前に、鉈の切っ先が銃口を跳ね除ける。銃弾があらぬ方向に飛んで火花を散らすよりも早く、もう片方の鉈が左下から、脇腹に食い込ませるようなコースで迫る。
 左手の銃を深く握り、グリップの底面を叩き付けるようにして防いだ。甲高い金属音、衝撃でシアが外れて撃鉄が落ち、銃弾が一発、暴発する。アスファルトの地面が穿たれた瞬間、分厚い鉈の切っ先が突き出された。刃が付いていなくても、打撃だけで十分に脅威になる重量がある。
 首を傾げて避けたが、頬を掠めていく鉈の切っ先。ちりりと、燃えるように熱くなる頬。切られた。だが影響があるレベルではない。突きがそのまま、頭部を横に払う薙ぎ払いになるのを感じ取ってしゃがむ。
 頭上を風切り音が通り過ぎていく。しゃがみ込んだ姿勢から二発発砲するが、虚空に火花が咲いただけで相手の動きは止まらない。振り下ろされる鉈を、後ろに転がり込むように避けた。
 矢継ぎ早に繰り出される連続攻撃。銃口を相手のほうに向ける一瞬の間を見つけるのが、異様なほどに難しい。至近距離から三発の九ミリ弾を撃ち込むと、相手は鉈をクロスさせてそれを受けた。鉈の面積より大きく狙いを散らす間さえ、逆にない。反動を殺さずに後転して、グリップの底で地面を叩いて跳ね起きる。
 立ち上がって拳銃を構え直した瞬間、一瞬視界から外しただけで相手の姿が消え失せている。どこだ、と左右を見回した瞬間、地面に落ちる影に気がついた。上!
 思考と同時に両手の銃を上げるが、トリガーを引く前に防御を強いられた。水泳の飛び込みのような姿勢で上から降ってきた殺人狂が体重を乗せて鉈を振り下ろすのを、クロスさせた銃のスライドを軋ませながら受け止める。いくらこの銃が堅牢な作りだと言っても、こんな無茶を重ねれば早晩破損するだろう。だが、今はまだ壊れずに保っている。少なくともこの戦いの間は信じるしかない。
 スライドと鉈の刀身の間で火花が弾け散る。受け止めたままの態勢から出鱈目にトリガーを引くわけにはいかない。装弾不良ジャムを起こせばこちらの負けだ。
 殺人狂は滑らかな動きで噛み合わさった鉈に力を入れ、勢いを活かしたまま、噛んだ部分を支点にしてザイルを飛び越えるように前方に飛んだ。ハンド・スプリングの応用。背後に降り立つのを待たずザイルは反転し、即座にトリガーを引く。空中で火花。また鉈が火線に割り込み、弾丸を弾く。
 ――強い。
 相手を一言で表すならば、それはまさしく銃使いにとっての悪夢だった。
 至近距離での格闘戦を強いる事により、銃の損耗を図るだけでなく、照準範囲と照準に掛かる時間、装弾不良の発生条件をことごとく弁えた上での戦闘。冷たい汗が服の下を伝うのを、ザイルは明確に自覚する。
 恐怖はない。
 これだけの同類に出会えたという高揚感が、身体を侵す。
 身を翻す殺人狂。あの急激な加速からの接近を許せば、先ほどの二の舞になる。一瞬で判断してバックステップを取った矢先、殺人狂が腕を振り被った。反射と本能だけがザイルの身体を突き動かし、身を僅かに反らせる。
 前髪が風圧と共に千切れ飛んだ。投げ放たれた鉈が掠めたのだと気付いたときには、地面を蹴る音が響く。右足を突っ張り転倒を回避、左手を跳ね上げてトリガーを引こうとした瞬間、バキ、と音がして左手の銃が軽くなった。そらした首を元に戻せば、銃の上半分がない。殺人狂は無理やりに抜き去った銃のスライドを右手に持って、心なしかより深く微笑んだ。
 微笑が近い。鉈が振り被られる。右手の銃を持ち上げる。〇.〇二秒単位の攻防戦。

 ――その一連のやり取りは時間にして、十秒もなかった。
 ザイルは相手の頭に銃を突きつけ、少年はザイルの首筋に鉈を突きつけ、路地裏に響く銃声の残響さえ消えうせ、気味の悪いほどの静寂が訪れる。正しく、二人の少年は静止していた。


<<“殺人姫”>>

 互いが互いをいつでも殺せる位置に己の武器を押し当てたときの膠着。
 首元に赤茶けた鉈の刃が押し当てられている。自分の拳銃の先には殺人狂の頭がある。トリガーを僅かに引いて一発で頭を吹き飛ばせるが、押し当てた銃口を僅かでも動かせば、即座に自分の首と胴が別れるであろう事は、容易に予測できた。
 五秒。十秒。互いが武器を引こうとしない。十七秒目でザイルが、静寂を破って口を開いた。
「やるじゃないか、殺人狂」
 間近で微笑んでいた顔の眉が僅かに上がり、微笑が深くなる。鉈は微動だにせぬまま、目の前の少年はくす、と笑い声を漏らした。
「お互い様です、殺人鬼。……実に興のある戦いでした。続けるなら、最後まで承りますが」
「生憎と自殺願望はない。だから人殺しまでして生きてるんだ。違うか?」
 呟くとザイルは銃口を殺人狂から外すと、スライドを引いて薬室から弾丸を弾き飛ばした。スライド・ストップを押し上げ、スライドを固定した状態で弾倉を抜く。地面に、かつーん、と金属音を立てて、銃弾が入ったままのマガジンが転がった。
「道理ですね」
 鉈が首元から引かれる。一度手先でくるりと回すと、少年は腰の鞘に鉈を納めた。そのまま身を引くと、少し先の壁に突き刺さったもう一本の鉈を取りに、彼はゆっくりと歩みを勧め、やがてその鉈を引き抜き、同じようにしまう。
 互いの間から殺気は霧消していた。一度殺しあえば、お互いの実力は容易に判る。ザイルが口にした通りだった。殺すのに慣れているのは、他者を排除してでも生きたいと願い続けてきたからに他ならない。
 ザイルは同類ゆえのシンパシーを覚えながら、ぶらぶらと自分の銃を揺らした。
「全く、試し撃ちのつもりが酷い目に遭ったぜ。随分と手馴れてるみたいだな、おまえ」
「生業にして長いですからね。そこの彼は、知り合いでしたか?」
「さっきまではな。でも、もう、ただの金属と肉の塊だろ」
「道理です」
 殺人狂はひょいと肩を竦めると、ザイルに向き直った。口元には虫も殺さないような微笑を浮かべている。
 同類に出会うのは初めてだった。根からの殺人鬼や殺人狂など、そうそういるものではない。同類と認めるからこそザイルは銃を引いたし、相手も鉈を納めたのだろう。鏡のようだった。奇妙な親近感を覚える。
 そんなことを考えながらザイルは拳銃の状態を検分した。片方は強引に引き抜かれたためにスライドがなく、テイクダウン・レバーの部分が破損して、スライドを固定できなくなっていた。フレームのゆがみも絶望的。もはや直すより新しいものを手に入れたほうが早い状態である。投げ捨てる。もう片方も、鉈と打ち合ったせいでスライドとフレームのクリアランスが絶望的なことになっていた。妙にガタガタと緩かったかと思えば、少しスライドを引いた瞬間にギシリと軋んで止まる。一発撃つだけならともかく、連射するには心もとない。これも使い物になるまい。落としたマガジンの横に投げ捨てた。
「馬鹿力め。お陰様で二挺使い物にならなくなったぞ、どうしてくれる」
「弁償……という訳にはいきませんが、僕の家に来れば代わりの銃が転がっています。いかがです?」
「一人でやりながら暮らしてるのか?」
 軽く問いかける。ザイルは神経加速の手術をする前まで、他の誰にも与することなく、単独で仕事をこなしてきた。仲間というものはいざという時の足かせになるだけだと思っていたからだ。だから、目の前の殺人狂が軽く頷くものだと思っていた。自分と同じレベルの仕事屋が、ソロでいないわけがないと思ったのだ。
 しかし、殺人狂は首を横に振った。
「いいえ、三人で組んでやっています。来てみれば、あなたにはすぐに理由がわかりますよ」
 ザイルは少なからず驚き、やや目を見開いた。この殺人狂が認めるような仲間とは、一体どんな連中なのだろうか。興味を惹かれる。
「それなら、付き合ってやってもいい」
 ザイルは軽く殺人狂へと歩み寄る。口元に笑いを浮かべ、腰の拳銃を一度叩いた。罠などないと、なぜか素直に思える。ザイルは自分の本能に従って生きてきた。そしてこれまで、ずっと勝ち残ってきたのだ。彼が本能を信じるには、それは十分な時間だった。
「俺はザイル。ザイル=コルブラントだ。おまえの名前はなんて言うんだ、殺人狂?」
 少年は僅かに驚いたような顔をすると、血の飛んだ頬を今更のように拭いながら、優雅に一礼をしてみせた。
「僕はリューグ……リューグ=ムーンフリークと申します。よろしくお願いします、殺人鬼……コルブラント」
「そっちで呼ばれるのは好きじゃない。ファーストネームで頼む」
「ではザイル、と」
 そつのない笑顔を見せると、リューグと名乗った少年は、ザイルを先導するように歩き出した。

 暗い路地裏の道を歩いていく途中で、ザイルはおもむろに口を開く。
「それで、おまえ、どこであんなのを習ったんだ?」
「あんなの、とは?」
「惚けるんじゃねえよ。俺の弾をその錆び錆びの鉈で弾きやがっただろ。人間業じゃないぞ、あんなの」
「そう言われましても」
 頬を掻きながら、リューグは僅かに空を見上げる。
「僕は銃を扱うのが非常に下手でしてね。組んだ仲間からも呆れられるほどなんです。撃てば当たらない整備をすれば壊す調整すれば詰まらせる、そんな具合で。ですから、もっと直接敵を攻撃できるような武器の方が、扱いやすかったんですよ」
 視線を軽く下、両腰についた鉈に向けながら呟く。
「銃を上手く撃とうと躍起になる過程で銃を使う人間を観察するうちに、銃を向ける動き、抜いてから発砲するまでの速度、銃身の角度、銃弾の種類による初速の差異……その類の情報ばかりが蓄積されていきました。それを整理して、白兵戦に応用しただけです。仲間の一人は、これを対弾体術バレット・シールドなどと大げさに呼びますが」
「簡単に言いやがる。口にするのは単純だ、けどやるには撃つ側の十倍の技量が要るぜ……いや、十倍でも、まだ足りないかもな」
 その事実に呆れたようにザイルはぼやいた。銃を抜き、標的に向け、トリガーを引く。銃使いは基本的にそれしかやる事がない。それゆえにその攻撃はシンプルかつ必殺。一般的な拳銃弾でさえ、一発頭に当たれば、良くて戦闘不能、悪くて即死だ。それをこの男は、恐れず、ただ冷静に、何故銃弾が当たるのかを徹底的な客観視によって分析し、そこから得られた解を自らの体術に転用しているという。
 クレイジーとしか言いようがない。
 ザイルも、相手の手元を見て射撃タイミングを予測する程度のことは戦闘中に考えるが、銃身の向き、そこから生み出される銃弾の軌跡、着弾までのゼロコンマゼロゼロ何秒かなど、思考を向けるべくもない。その、目を向けずに捨ててしまうような細かい情報を瞬時に検分し、一瞬後の回避行動に役立てる。ノイマン式コンピュータが裸足で逃げ出す計算速度だ。
 リューグというこの少年は、ザイルが初めて出会った同類にして、どうしようもないほどの天才だった。
「その頭の中身を見てみたいもんだ。俺には絶対に、真似できない」
「銃使いの方は皆驚いた顔をされますね。驚きの声を聞いた事はありませんが」
 それはつまり声すら出させず斬殺しているということだろうか。まったくもって器の底が見えない。ザイルの中でこの少年に対する畏怖と、それとは反対の好奇心が疼く。恐らくは、そのどちらが過ぎようとも、この微妙なバランスは崩れる。そうなれば最後、また鉈と銃が交錯するまで、それこそ数秒も掛かるまい。
 その刃の上に立つような不安定さが、逆に心地好かった。
「そりゃあ、驚くさ。銃弾より速く動いてるわけないのに、撃った弾が当たらないんだから」
「銃弾より速く動く事なんて、考えたことはありませんよ。銃声より早く動くことなら、いつも考えますが――……ああ、見えてきました。あそこですよ」
 打ち棄てられたビルが立ち並ぶ通りの外れにある、倒壊しそうな廃墟。それが、彼らの牙城であるらしかった。

 一階はただの廃墟だが、奥に下る階段がある。山と積もった瓦礫の間に、掻き分けるようにして作られた道。リューグが迷いなくそこを通るのを見て、ザイルは左右を警戒しながらゆっくりと後に続いた。こつこつと階段を下っていくと、奥から明かりが漏れているのが見える。数メートル離れたリューグが笑顔でこちらを見上げて手招きする。そのまま、突き当りから差す明かりの中へ消えていく背中。
 ザイルは追うようにして突き当りを曲がり、
 鋼鉄の腕を見た。
「――!!」
 とっさに飛びのく。鋼の爪で武装された腕が、ガリガリと壁をまるで鉛筆を削るように気軽に裂き、一瞬前までザイルがいた空間を薙いだ。続けて第二撃。反対側の銀の腕が、槍のように突き出される。
 ザイルは鋭い一撃を顎をそらすようにして回避、そのまま後ろに飛んで手を突き、バック転ついでに顎めがけて蹴りを繰り出す。手ごたえはなく、脚が空を切る感触だけが残った。着地して更にバックステップ、十分な距離をとる。薄闇の中に相手が見えた。
 天然色に反旗を翻すようなピンク色の髪、漆黒のボディスーツ。ふらふらとさまよう落ち着きのない視線。女にしては背が高いが、それに見合った肉が付いていない、痩せぎすだった。異質なのはその両腕。銀色にきらめく装甲に覆われ、流線型のデザインをした、不自然な機械腕。軍用装甲機人タクティカル・アーマノイドでもなければ、あんな腕を付けはしない。華奢な肉体と不揃いな両腕、定まらない視点、何もかもちぐはぐな女だった。
在処アリカ
 リューグのいさめるような声が響く。それと同時にふっと、目の前の女の目の焦点が急激に絞られ、ザイルに合った。彼女は目を瞬き、心底不思議そうに口を開く。
「あなた、誰?」
「俺の台詞だ。取るな」
 ザイルはぐったりとした調子ですでに抜き放っていた銃の銃口を上げる。皮肉っぽい声を作り、奥で表情を変えずに笑っている殺人狂に問いを投げかけた。
「おまえの所では、お茶の前にスパーリングをやる慣わしになってるのか」
「不手際でしたね。でもあなたならこの程度は受け流すものと思っていましたし、事実、そうなりました。本格的に戦う前にこうして止めただけで十分でしょう」
 全く悪びれた様子のないリューグに、ザイルは肩を竦めて拳銃を下ろした。あの機械腕持ち相手にはおよそ役に立たなそうな豆鉄砲、.二十二口径スターム・ルガー。骨董品だ。
「俺がその爪でミンチになってたらどうしたつもりだ?」
「煮溶かして下水にでも流しましょうか」
「ジョークなら、もっと気の効いたやつを頼む」
 うんざりして拳銃を収めると、ザイルは人差し指を立てて桃色の髪の女を指差した。指を突きつけられた女、わたし? とばかり首をかしげる。ザイルはかまわず口を開いた。
「この危険物は何か、とりあえずの説明が欲しいね」
「危険物? わたしが?」
「お前だよ」と疲れ果てた口調でザイル。ピンクの髪をさらさら揺らし、アリカと呼ばれた女は特に動揺した様子もなく、ザイルとリューグを見比べる。
「わたし、何かした?」
「在処。イーヴィル・アームの順次殺害機能ターミネートモードを起動しながら休んだでしょう。寝る前にはシキか僕に頼めといつも言っているはずですが」
 物騒な単語が聞こえてくる。ザイルはぐったりした調子で女を見た。彼女は悪びれずに答える。
「だってあなたもシキも、出かけてたから。眠くなったとき目を閉じるなと強制する権利は誰にもないわ」
 頭痛は加速するばかりである。眉間に人差し指を当ててため息をつくと、ザイルは指をそのまま、明かり差す戸口へ向けた。
「納得は一つもしてないが、このままだと我慢の限界のほうが早そうだ。……飲み物を出してくれ。それと俺の新しい銃を」
 アリカが眉を跳ね上げるのをよそに、リューグが心なしか深く笑った。そのまま道化じみた所作で背に右手をつけ、左手で恭しく部屋を示す。
「申し訳ありません。では、今度こそこちらへ」
「リューグ? いいの?」
 訝しげに首をかしげるピンクの髪の女へ、リューグは笑顔のまま動かないポーカー・フェイスを向けると、ゆっくりと頷いた。
「構いません。在処、彼は客人です。失礼のないようにお願いしますよ」
 リューグの言葉にしばらく考え込むようにしていたが、やがて納得したように頷くと、アリカはくるりときびすを返し、ザイルへと一瞥をくれると、軽く部屋の明かりへと顎をしゃくって歩き出した。横柄な態度だったが、作為的なものは感じられない。それが素なのだろう。
 ザイルは嘆息すると、その後ろに続いて打ちっ放しのコンクリート床を歩き、部屋へと足を向けた。
 ――自分は割と普通ではない種類の人間だと思っていたが、この短時間で認識を改めさせられた。
 常識知らずだと自覚している人間は、実のところ常識知らずなどではないのだ。それを思い知らされた気分で、ザイルは重い足を引きずるのであった。


<<地下室で>>

 明かり射す地下室の中に入ると、そこはアンダーグラウンドな雰囲気が漂う退廃的な空間だった。七メートル四方ほどの部屋で、テーブルの上にはいつ食べたとも知れないピザの空き箱が散乱しており、その横に実包の詰まったマガジンと共にオートマチックの拳銃がごろごろと置かれている。それを囲むように二つのソファー。打ちっ放しのコンクリート壁には無理やりにピンが叩きこんであり、そこには入手が難しいはずのライフルやカービン銃などが所狭しと掛けられていた。真新しい薄型のテレビが、セットになったデッキと共に部屋の角に鎮座しており、天井では裸電球が揺れている。空調が常に耳障りな音を立てるのを聞いて、ザイルは肩を竦めた。
「随分としゃれた住処だな」
「お褒めに預かり光栄です。コーヒーでよろしいですか?」
「頼む」
 リューグが肩を竦め、部屋の奥へ消えていく。繋がったあの先にはキッチンがあるのだろう。ソファーにちょこんと腰掛けたピンク色の髪の女の蓮向かいに、ザイルは警戒心を解かないまま座り込んだ。
 機械腕をぶらぶらさせながら、女――アリカは小さなあくびをする。
「随分とのんきなもんだな。俺に対する謝罪の言葉くらいはあってもいい気がするぜ」
「だって覚えていないもの。身に覚えのないことで謝るほど、バカらしいことはないわ」
 こちらの抗議などどこ吹く風、といった調子でアリカはその腕――イーヴィル・アームとかいったか――の調子を確かめるように、握ったり開いたりを繰り返している。指はそれこそ生きているかのよう滑らかに動き、アクチュエータの作動音がしない。恐らく人口筋肉を内蔵して、化学的エネルギーで動かしているのだろう。或いはそれ以外の、想像のつかないような技術か。いずれにせよ、民間に供されているようなものではありえないとザイルは断じていた。
「生憎だがこっちは殺されかけてるんだ、それで納得できると思うか」
「納得してもらうしかないと思うわ。それとも本当に死んでみる?」
「遠慮しておく」
 武器が豆鉄砲だけの今、この女に喧嘩を売っても仕方がない。殺人鬼は人殺しのやり方は知っているが、機械の壊し方は専門外だ。あの女は半分機械でできている。この条件を無視するには、壊し方を知らなくても壊せる火力が必要になる。
 第一、彼女を殺して得られるものがない以上、進んで挑む価値もない。見返りがあるから殺人をするのだ。持っている金品しかり、武器しかり。
 ザイルが口を噤めば、アリカは黒い目をじいっとザイルに注いだ後で、興味なさげに逸らし、指の先に付いた爪のような刃を研ぐようにしゃりしゃりと擦り合わせ始めた。
 耳障りな金属音に耐えること数十秒、やっとコーヒーとシュガーポット、それにクリームポットを乗せたトレイを持ったリューグが戻ってくる。テーブルにトレイを置き、彼は如才ない笑みを浮かべた。
「お待たせしました」
 差し出されるコーヒーカップ。ザイルはそれとは逆の方を要求するように手を突き出した。
「疑われたものです」
 リューグはわずかばかり苦笑めいた表情を浮かべ、要望どおりにカップを差し出した。ついでに潔白を証明するように、ザイルに差し出すはずだったコーヒーをブラックのまま啜る。
「毒を心配しているのなら取り越し苦労ですよ。殺したいだけなら、在処をけし掛ければ事足りますので」
「……ふん」
 鼻を鳴らすと、ザイルはようやくカップを受け取り、シュガーポットに手を伸ばした。中から形の崩れた角砂糖を四つほど取り出し、無造作に放り込んで、その上からかさが増すほどにクリームを注ぐ。ティースプーンでぐるぐるとカップをかき混ぜると、リューグがやや意外そうな顔でザイルを伺っていた。
「てっきり、苦いものの方が好みかと思っていましたが」
「悪かったな、甘い物好きで」
 鼻を鳴らして返事をしてやると、悪いというわけでは、という風にリューグは首を振った。
「個人の嗜好にとやかく言う気はありません。ただ、少し意外だっただけです」
 平素の微笑みを浮かべると、リューグは首をアリカの方に向けた。
「在処? 一応、あなたの分も淹れましたが」
「いらない。リューグが淹れたのは苦いから。シキが淹れて、飲ませてくれないとおいしくない」
 ピンク色の髪をさらさら揺らして首を振る。随分な言い草だ、と思いながらザイルはカップを口元に運んでひと啜りし、「む"」という奇怪な声を上げた。
「どうなさいました?」
 肩を竦めていたリューグが平然とコーヒーを啜るのを見て、ザイルは呪うような声を上げる。
「……おまえはこの泥水をコーヒーだって言い張る気か。なんだこりゃ」
「はて、淹れ方を間違えましたか? いい出来だと自分では思うのですが」
「インスタントだろう、これ」
 コーヒーの良し悪しが分かるほど舌が肥えているわけでもないが、それでも判るほどに苦い。角が立った酸味に無意味に濃い苦味はあれだけ砂糖とクリームを入れても中和できている気がしない。色だけなら普通なのに、とザイルは胸中で怨嗟を吐く。
「確かにインスタントですが。そこまで言われると傷つきますね」
「おまえが傷つくってタマかよ。粉、どのくらい入れた」
「大匙に三杯ほど」
「バカ野郎。死ね、本当死ね、今すぐ死ね」
 ザイルは付き合いきれないとばかりコーヒーカップをテーブルの上に置いて、そのまま手を引っ込めた。こればかりはアリカと同意見だった。確かにこのコーヒーは美味くない。というか、ひどい。
「……参りましたね。そろそろコーヒーの入れ方について教えを請うたほうが良さそうです。いつもべらぼうに評判が悪い」
「これをあっさり飲みやがるのはおまえくらいだよ」
 ザイルは心の底からの溜息をつくと、ぴくり、と眉を潜めた。リューグの表情が僅かに動く。アリカの視線が、不意に上を向いた。三人同時に僅かに動きを止める。
 ザイルは少しだけ耳を澄ました。遠くから鳴り響く地響きのような音。気のせいではなかったようだ。リューグも、アリカも、それに反応して動きを止めたのだろう。やがて音は耳を澄まさずとも聞こえるようになり、明らかな地面の揺れを伴って近づいてきた。ずしん、ずしん、という重い、何か大きなものが歩行している音。それに合わせて、鬨の声のようなものが聞こえてくる。
「この界隈じゃ、恐竜を飼ってるバカがいるのか」
「そうだとしたら世も末ですね」
 ジョークはあっさりと切り返される。足音がピークを迎えたとき、打ちっ放しのコンクリート天井からぱらぱらと埃が降った。
「……わたし、眠いのに」
 アリカが不満げに半眼になり、唇を尖らせる。外のざわめきは、さらに大きくなりつつあった。罵声と気の早い銃声と、重機じみた機械の駆動音が聞こえる。その中のいくつかは、明らかにリューグとアリカの名を叫んでいた。
「おい、来客みたいだぞ」
「そのようですね」
 リューグは落ち着き払ってブラックのコーヒーを飲み下した。日常茶飯事だと言わんばかりに肩を竦めると、カップをソーサーに置く。
「心当たりは?」
「多すぎて困ります」
 あっけらかんと答えると、リューグはようやく立ち上がり、軽く歩くと部屋の隅に立てかけてある、七十センチメートルほどの刃渡りを持つ倭刀を手に取った。ソファーには今だ自分の行動を起こしかねているザイルと、騒ぎなどどこ吹く風といわんばかりに髪を整えようとしているアリカ。必死に櫛を持とうとするのだが、繊細な動きは苦手らしい。五秒と持たず櫛をへし折っていた。泣きそうな顔でリューグを見る。
「在処、櫛なら後で買ってきて差し上げますし、髪を梳いてもあげましょう。まずは上の騒ぎをどうにかするのが先決です」
「買ってくれるんだ? じゃあ後でシキに梳いてもらうね」
 リューグの言葉にアリカはパッと顔を明るくすると、跳ねるようにソファーから立った。複雑そうな顔をするリューグにザイルは思わず笑い声を漏らす。
「振られたな」
「いつものことです」
 ザイルは返事を聞きながら、思い出したようにぬるくなったコーヒーを啜る。二口目も最悪な味だった。溜息をついてカップを置く。
「で、俺はどうすればいいんだ。利益のないドンパチなんざ御免だぜ」
「生憎と、出口は一つしかございません」
 リューグは笑顔で告げると、壁から大口径のカスタム・ハンドガンを外し、続けざまに二挺放り投げた。ザイルはキャッチした瞬間に把握する。口径.五〇、分厚い金属で組まれた堅牢な骨組みフレームと、そのフレームにがっちりと固定された銃身バレル。スライドに刻まれた荒い滑り止めセレーションの横には、大雑把すぎる大きな安全装置。グリップ下からトリガー・ガード前にかけてはスパイクが付いた分厚いナックル・ガードが配されており、グリップとバレルとその金属板で銃全体が三角形に見える。明らかに近距離での格闘戦を想定していた。シングルアクションオンリーの無骨すぎる銃。ご丁寧に、片方のフレームは左手用に、部品の配置が全て逆になっている。
「それで戦闘のお手伝いをしていただきます。デザートイーグルのカスタムメイド品です。古品ですが整備は確かなはずですよ。無事切り抜けられたら、そのまま差し上げます」
「俺がこいつを持ち逃げしたら?」
「不本意ですが、斬る人間が一人増えるだけです」
 リューグの目がすうっと細まる。ザイルは「冗談だよ」と肩を竦めて、動作を軽く改めた。油は薄く引いてあるし、薬室にカーボンがこびりついた痕もなく、よく手入れされていた。しかしそれでも、ナックルガードのせいでホルスターにまともに納まらないためにザイルは不平を零す。
「趣味の悪い銃だな。他のはないのか」
「近々売り払う予定だった銃が、それしかないもので」
「おまえもそこの時期外れな春みたいな女も、銃なんて使わないのにか」
「時期外れな春って、わたし?」
「話の腰を折るな」
 割り込んでくるアリカにザイルが半眼を向けると、リューグが刀を抜いてくすりと笑った。
「言いえて妙な形容です。――三人目が随分と銃に執心しているのですよ」
「シキとかいう奴か? ろくでもない野郎なんだろうな」
「僕らと同じ程度には」
 言葉と共に手渡されるマガジンを、ザイルは銃に叩きこんでスライドを引いた。
 戦いの前兆を告げる音が、地下室に響き渡る。
「やれやれ、貧乏籤の引き通しだ。あの時戻るんじゃなかったよ」
「そうですか? 僕はそうは思いませんけどね」
 くすりと漏らす殺人狂は、心なしかいつもより深い笑みを浮かべていた。


<<悪魔の腕>>

「出てきやがったぞ、間違いねぇ、連中だ!」
「ぶっ殺してやる!」
「ハチの巣だ、鉛弾で体重を増やしてやるぜ」
 地上に出る頃には、響き渡る声もよく聞こえる。殺気立った声はいずれも耳障りで、直接関係のないザイルでさえも多少苛立ちを覚えるほどだった。
 リューグは表情を変えず、笑顔のままザイルの半歩前を歩いている。腰に佩いた太刀が歩くたびわずかに揺れていた。アリカは不快感を隠そうともせず唇を尖らせ、眉をしかめていた。ひっきりなしに爪と爪をこすり合わせ、ざらついた金属音を立てる。
 やがて彼らが曇天の下、ストリートに姿を現す頃、襲撃者たちの興奮は最高潮に達していた。取り巻くように布陣したならず者たちが殺意に満ちた視線を向けてくるのにも構わず、ザイルは敵戦力に目を走らせる。
 見えるだけで、銃ないし格闘用の鈍器を所持した歩兵が二十名あまり。練度は判らないが、このような大規模な攻勢に出る時点で素人だとザイルは踏んでいる。
 そのほかには装甲車が三台。装甲車にはいずれも機銃が積まれており、正面切って戦うには少々不利そうである。
 とどめに、工事現場でよく見かける作業用とは一線を画すフォルムの装甲機人アーマノイドが一台。
「……ソリッドボウルのTT-4036ですね。軍用のはずですが」
 リューグが目を眇め、その人型機械を見やる。ザイルもまたその威容を見つめた。先ほどからの足音は恐らくこれが悪路を走破してきたことによるものだろう。全高四メートルに及ぶ威容、直線的なライン取りで構成された装甲。モノアイが青く光り、ザイルたちを見つめる。
 アーマノイドとは、簡単に言えば強化外骨格パワードスーツである。乗るというよりは着るというイメージの方が正しい。人間の機能をそのまま大型化し、強力にしたものだ。素人が身に纏おうとも高性能なナビとF  C  Sファイアリング・コントロール・システムが戦闘行動をサポートし、それなりの能力を発揮させる。熟練者が使用すれば、尚更だ。
 アーマノイドが手に持った大口径のマシンガンの銃口を、こちらに据える。
「奴らが軍属に見えるか?」
「チンピラにしか見えません」
「だろ。中身が軍人でないことに感謝しておくのが先さ」
 軽く言うと、ザイルは親指でデザートイーグル・カスタムのセーフティを外した。小気味よいクリック音と共に、赤いマーキングが露になり、漆黒の猛禽が目を覚ます。
「……プラス思考ですね。あんなものが出てくればもう少し悲観的な見方をするかと思いましたが」
強化人間フィジカライザーどもに出てこられるよりはいくらかマシだ」
 ザイルは肩を竦めて呟く。目の前に立ちはだかる人型兵器を作っているソリッドボウル社は、軍にも提供しない技術で人間を直接改造し、強化して扱う術を心得ている。体組織の四十%以上を人工物に置き換え、短命の代わりに恐ろしいまでの殺傷力を持ったサイボーグ――彼らは俗にフィジカライザーと呼ばれている。
「それは確かに。楽な戦いにはなりそうにありませんが――」
 リューグが言い終わったか言い終わらないかのうちに、ザッ、と辺りの空気にノイズが走った。直後、耳を覆いたくなるようなハウリングが数秒響く。アリカが苛立たしげにいっそう激しく爪をこすり合わせていたが、それも束の間。収束したハウリングの後を追うように、目の前の人型兵器がスピーカーから音を紡いだ。
『初めまして、リューグ=ムーンフリーク。追い詰められるのはどんな気分だい?』
「いいものでないのは確かですね。ついでに言うなら、名も知らない相手に呼び捨てられるのも不愉快です」
 普段より幾分か声を張って答えるリューグ。その僅か後ろで、ザイルは周囲の敵の殺意の濃度を測るように目を走らせた。すでにトリガーに指がかかっている連中ばかりで、号令があれば今すぐにでも撃ちそうな目をしている。
『これは失礼。私はイディ=ショーテル。キラーハウスのガンナーだ』
「ではミスタ・イディ。殺し屋組合の落ちぶれが、我々に何の御用です?」
『これは手厳しいな。用件に急ぐのは君たちの悪い癖だ。話は順を追って進めるとしよう』
 上っ面だけのやり取りに、ザイルは鼻を鳴らしてアリカの方を伺う。向けられた殺意に敏感に反応しているのはザイルだけではなかったようだ。アリカもまた不快気な眼差しで周囲を睥睨している。だらりと垂らした両腕、やや猫背気味の前傾姿勢。常人の腕よりもずっと長い戦闘義腕イーヴィル・アームの爪が、地面を削るように引っかく。
『イツカノアリカ嬢もいるようで何よりだ。君たちと正面切って対話が出来るチャンスが回ってきたのだからね。……一人、見かけない顔が混じっているようだが』
「彼は助っ人ですよ。心強い、ね」
 リューグはザイルに流し目をくれ、悪戯っぽいウィンクをした。ザイルは面倒くさそうに銃を振って応える。
 心なしか笑みを深くして、リューグは左手で刀の鞘を握った。
「それよりも僕らをひとまとめにして考えるなら、一人勘定から外れていませんか?」
『そのことについては心配ないよ、ムーンフリーク。――おい』
 モノアイが目配せをするように装甲車のほうを向く。それに応じたのか、装甲車の上部が展開され、二人の人間が顔を出した。リューグが驚いたように、目を見開く。
「――シキ」
 リューグが呆然とした声を上げる。その視線の先には、思案げな顔で何かしら訴え、後ろの女に小突かれる少年がいた。
 ザイルの目にもそれはしっかりと映っていた。銃を突きつけられて動きを封ぜられた、鮮やかな緋色の瞳を持つ少年が見える。顔は所々腫れて、青い痣が出来ていた。
『ご覧の通りだ。君たちの大事な仲間――ハセガワシキ君といったかな? 彼の身柄を預からせてもらっている。さて、君たちには選択肢が与えられる。我々としても君たちの力は惜しくてね、出来れば有効活用したいところなのだ。この場で我々に忠誠を示すか、またはこの場で全員――』
 スピーカーからの声がそこまで響いた瞬間、ザイルは全身が総毛立つのを感じた。膨れ上がる怒気、悲壮なほどの殺意。今までに味わったどんなものより無秩序で、全てを呪うような気配。溢れるような負の感情を感じて、反射的に目を向ける。
「……馬鹿だ、あなたは」
 リューグが諦めたように呟いた。
 殺気の出所は斜め右前、ザイルが目を向けた瞬間にはそこには弾け飛んだ地面しかない。影は、もっと先にいる。アリカの銀色の腕が死神の鎌のように振りかざされた。神経加速手術を行っていない人間には、恐らく、彼女が動いたことすら知覚出来まい。
 十五メートル先で、人間が二人、バラバラになって吹き飛んだ。電車に撥ねられた人間の末路を思わせる光景だった。それは斬撃による『切断』でも、重圧による『圧壊』でもない。ただただ純粋な破壊力が生み出す、『粉砕』。人間二人分の残骸をその身に浴び、真っ赤に染まった殺人姫が走る。ここまででコンマ五秒、人間業ではない。
 誰もが言葉を失う。
 銃を向けることすら、すべての者が忘れた。リューグだけが、頭の痛そうな顔をしてため息をつく。
「ミスタ・馬鹿野郎イディオット、あなたは最初から選択肢のない取引をしている。取るのならば僕を人質に取るべきだった。狙いやすいところを狙うのは常道だけれど、それにしてもやり方を間違えすぎた」
 飄々とした声が終わるか終わらないかのうちに、銀色の腕がまた翻った。
「――シキを」
 アリカが吼える。ピンク色の髪を尚も赤い血に染めて、進路上の邪魔なすべてを薙ぎ倒し、突き進む。人間が更に二人、軽車両が一台、それに巻き込まれて吹き飛んだ。旋風と評せば足りず、暴風と称して尚余り、竜巻と称して釣りが来る、その暴虐。シキと呼ばれた少年が気弱そうに笑い、その後ろの女が恐怖に顔を引きつらせた瞬間、すべては終わっていた。
「返せエェェェッ!!」
 殺人姫が絶叫するのと同時に、イーヴィル・アームが唸りを上げた。繰り出された右手の軌跡を目で追えるものはおらず、それは同時に拳銃を持った女の死を意味している。
 銃を持った右手ごと、女の右半身がもぎ取られた、、、、、、。血が吹き出る前に左手が女の細くなった身体、、、、、、、を掴み、無造作に頭上へと持ち上げて握り潰した。骨が砕ける音だけが不気味に響き、熟れたトマトをぶつけた痕のように装甲車と地面が赤く染まる。千切れて二つになった残骸、、が、車体をバウンドしてから地面に落ちていった。残骸の首が落ちた拍子に折れて、惨い音を立てる。
 人殺しに慣れたザイルでさえ呆然となるような光景だった。そのやり方には一切のスマートさも倫理観もこだわりもなく、殺害というよりもただの破壊に過ぎない。圧倒的すぎる力の前に言葉を失っていたザイルが我に返ったのは、リューグが静かに口を開いたときだった。
「交渉は決裂、人質は奪還。あなたは彼女をなめて掛かった。その結果がこれです。蛇足ながらお答えしましょう、あなたの交渉に対するこちらの結論は一つ――」
 殺人狂が刀の鞘を払う。煌く刃を右手に、鞘を左手に持ち、バトンのようにくるくると回して構えた。刀の切っ先をイディが駆るアーマノイドに向けると、常と変わらぬ微笑を浮かべて、静かに言い放つ。
「皆殺し、です」


<<Rush!>>

 リューグの言葉を聞き、辺りが静まり返る。唯一動いているのは、返り血を浴びたアリカとシキだけだ。アリカが何事かシキに囁きかけ、シキが笑って応じている。その内容まではザイルには把握できなかった。
 それ以外は凍ったように動きを止めている。それが嵐の前の静けさであるとわかる程度には、ザイルは我を取り戻していた。不覚にも忘我した自分を戒めるように首を振ると、リューグの傍らに立ち、刃を持つ彼の右腕に添わせるように左手の銃を構えた。
「こいつは保証書付きの殺人狂だぜ。ついでに、俺とその女もな。死にたい奴から銃を上げろ、順番に頭を吹っ飛ばしてやる」
 冷たい声音でそこまで言った瞬間、真っ先にイディ――アーマノイドが巨大なマシンガンの銃口を上げた。
「……交渉決裂だと? この私に馬鹿野郎だと? ふざけるのも大概にしろよ、ガキども。生きて帰れると思うな、皆殺しだ! 野郎ども、殺せ! ぶっ殺せ!!」
 スピーカー越しの威圧的な一喝に、その場にいたイディの配下たちが動き出す。あるものはザイルたちに向かって銃を構え、あるものはボルトハンドルを引き、あるものは早くも銃弾を放っていた。
 リューグが刀を一閃し、銃弾を弾く。澄み切ったその金属音が、戦いの始まりを告げていた。
「では、お手並み拝見と行きましょう、殺人鬼」
「こっちのセリフだ、遅れを取るなよ、殺人狂」
 リューグの言葉にザイルは不敵な笑みを浮かべ、敵の群れへと突っ込もうと爪先に体重を乗せて、次の瞬間、無様なくらいの勢いで右に跳んだ。他の全ての銃声を飲み込むような、大口径のマシンガンの音が響き渡る。
 リューグも同様に身を翻していた。彼らはまったくの同時に左右へ逃げた。一瞬前まで彼らがいた、舗装されたコンクリートの地面が、耕作機で耕したあとのような状態になっている。ザイルは無表情のままリューグを睨み、それから前を注視した。
 イディが駆るアーマノイドのマシンガンの銃口から、薄い煙が立ち上っていた。更に、腰のウェポン・ラックからもう一丁のマシンガンを外し、両腕に銃を構えるのが見える。
「どうした、少年達。皆殺しにするんじゃなかったか?」
 紳士的な仮面を剥ぎ取ったイディが、ねっとりとした口調で言う。ザイルは舌打ちすると同時に、今度は左後方へステップを踏んだ。マシンガンの銃弾が連続で激発し、ザイルが逃げるコースを辿るように地面を吹っ飛ばしていく。それに加えて配下の兵士達も活発に動き出す。適当に兵士たち目掛けて数発の銃弾を叩きこんでやりながら、ザイルは後退に専念した。
 視界の端でアリカがシキを装甲車に押し込むのが見える。あちらは多分、無事だろう。
 町外れは一瞬でガンパレードと化した。遮蔽物を求めてザイルはビルの入口まで後退し、頑丈な支柱の影に滑り込んだ。マガジンを交換しながら横を向き、一つ隣の柱に隠れた先客に憎々しげに声をかける。
「おい、奴に言われてることをもう一回言ってやるぞ。何が皆殺しだ、バカ野郎」
 先客は、常の笑みを浮かべたまま、ザイルの言葉を受け流した。
「おや、ザイル。奇遇ですね。……まあ、大口を叩いたのはそちらも同じ。恥は掻き捨てと行きましょう」
 言葉を止め、リューグはやや首を傾げて試すように目を光らせた。
「面子を重んじてアーマノイドに突っ込んだものかと冷や冷やしていましたが、頭は冷えているようですね」
「メンツだのプライドだの、そんなもんは死んじまえば便所紙以下だ。あいつが徒手空拳なら関節部を狙うくらいはやってやる。だがな、照準サポート付きの大口径マシンガン二挺相手に突っ込めるほど、俺の頭は幸せじゃないんだよ」
「冷静な判断です。大丈夫、手はありますよ」
 リューグは古風なトランシーバーを取り出すと、帯域をセットして耳に押し当てた。その間にも背後には銃撃が集中していて、そろそろ遮蔽物としての価値が怪しくなってきている。横から見れば、ビーバーに齧られた低木のようになっているだろう。
「シキ、行って下さい。在処に頼んでアーマノイドをひきつけて――そう、アレです。理解が早くて助かります。挑発の方法は任せました」
 ふと、銃声が鳴り止まない外で、別の種類の音が鳴った。車のエンジン音だ。タイヤが地面を掻きむしる音が続いて響き、怒号と銃弾の跳ねる音が耳障りに唸る。
「あとの判断は現地で。……はい、よろしくお願いします。ゴミ掃除をしてから、そちらに合流します」
 リューグの語尾に被さるように、巨大な鉄の塊が地面に落ちるような音が響いた。衝撃で、辺りに僅かの微震が残る。断続的に、それに似た音が続き、だんだんと遠ざかっていった。
「挑発に乗りやすい性質で助かりました。イディ氏はシキと在処を追いかけていくでしょう」
「その間に俺たちが残飯処理か。やれやれ、とんだ役回りだ。泣けてくるね」
「現時点で取れる最良の方策です。それに、アーマノイドが出てきたとなれば専用装備のない僕たちでは安全に対処する事が出来ない。……死んでしまえば面子はトイレットロールに劣る、でしたね、ザイル?」
「ああ、言ったさ。……仕方ねえな、やってやる」
 アーマノイドが去ってなお、無数の小口径弾がザイルの背後の柱を削る。ゆらりとザイルは立ち上がり、銃弾の切れるタイミングを待った。リューグもまた刀を携え、軽く膝を縮めていつでも動ける体制を作っている。
 ザイルが最後に発した言葉から三秒後。一瞬だけ銃声が途切れる。そのタイミングを逃さず、二人は柱の陰から飛び出した。
 先陣を切るように駆け出すリューグの後ろをザイルがフォローするように走る。神経線維、筋肉、骨格までも改造している彼らは、人間の足では到底出しえない速度をいとも簡単にはじき出す。
 急激に接近する二人に焦ったように兵士たちが銃弾を放つが、予測射撃を交えない素人じみた銃撃では、彼らを捉えるには不足すぎた。自らの走るコースに介在する銃弾だけを瞬時に検分し、リューグが刀を振りかざす。その度に金属音が弾け、銃弾はあらぬ方向へとコースを変えて飛ぶ。
「前方左二、右一、狙撃」
 リューグが早口で呟くのを聴いた瞬間には、ザイルは大鷲が翼を広げるように左右に腕を広げていた。両手のデザートイーグルがきっかり三発火を噴き、マシンガン並の連射速度で指定された対象を貫く。一人は頭、一人は心臓。もう一人は若干狙いがそれて肩口に。しかし、もはや立ち上がることは出来まい。失血と激痛は、いとも簡単に人間から運動能力を奪い去る。それが大口径弾による傷ならば、なおさらだ。
 どこに当たろうが相手の戦闘能力を奪う事ができる。ザイルは、銃の趣味が悪いのには目を瞑ることにした。強化された肉体ならば、この銃を余裕を持って扱える。
「切り込みます。フォローは任せました」
 リューグが更に前傾姿勢をとり、四足歩行の猛獣を思わせる低姿勢となって疾駆する。速度を上げた殺人狂はその異常な態勢を保ったまま、もっとも手近な迷彩服の男目掛けて突撃した。
 男が銃を向けるよりも早く、リューグは足を前にしてスライディングする。男の股下を潜り抜けるその瞬間、倭刀を無茶な姿勢から上に一閃。ケーキを斬るように容易に、男の身体を左右に両断した。
 血がしぶき、二つに割れた男の体が臓物を撒き散らしながら倒れた。その返り血の欠片すら浴びず、リューグは再び疾駆の態勢に戻った。速度減少を最小限に留め、すぐさま復位する運動能力に、ザイルは内心で舌を巻く。視線の先では、リューグがすでに次の敵へと接近していた。一塊になった三人ほどの一団へ踊り込む。
 左手に持った鞘をすれ違い様に一人目の頭に叩きつける。首の角度がはっきり変わるのが、ザイルからでも見えた。リューグはそのまま右腕を内側に巻くように振り被ると、
「しィィィあァッ!!」
 裂帛の気合一閃、身体を反転させる勢いも交えて残り二人の首を一息に刎ねる。ボールのように首が地面に落ちた。まだ動いている心臓のリズムに合わせるように、兵士たちの首から血が噴き出す。出来損ないの放水機のようになった身体が倒れふすのを見届ける前に、ザイルは少し小高くなった瓦礫の山を足場として踏み切り、跳んだ。打ち上げられたロケットのように飛び、放物線の頂点に至る前に下を見る。
 地上八メートルの俯瞰視点で、ザイルは周囲の敵残数と自分の銃の残弾を計算した。右手に七発、左手に八発。残った敵は、リューグを囲むように遮蔽物の陰に隠れて銃を構えている。しかし、上からならそれも丸見えだ。見える範囲で残りは十三名。各々の座標を頭に叩きこんで、ザイルは口元をゆがめて笑う。二発も余裕がある。
 地上で返り血を浴びていたリューグが周りを見回しながら何事か呟き、天空を指差した瞬間、地上の兵士の注意が上空を飛ぶ脅威に向く。その瞬間にはザイルは右の銃を左斜め下前方に向け、左手を背中に回し、右斜め下後方へ向けて構えた。自らの身体が落下に入ると同時に、トリガーを絞る。
 両手を激烈な反動が突き抜け、ザイルはその衝撃で回転した。しかしトリガーを引くことをやめはしない。独楽のように水平に回転しながら、頭に焼きつけた位置座標を銃弾で貫くことだけを意識する。
 狙えば当たるのは当然である。銃とはそうした兵器だからだ。ザイルはその一段階上のレベルにいる。敵のいる座標を認識し、自分の位置情報を知覚し、どこにどう撃てば当たるのかを瞬間的に記憶して、それを的確に実行する。
 機械のように精密で容赦のない弾丸の雨を降らせ、左右にそれぞれ一発の銃弾を残したまま、ザイルは一度前方に宙返りを交え、リューグを飛び越して着地した。膝で衝撃を殺す。強化チタン製の内骨がしなるのを感じた。
 生き残った敵が呻き声を上げる。しかし、それももうじき聞こえなくなるだろう。ザイルにはそうした自負があった。嘲笑うように黒いコートを翻す。
「……お見事です」
 背後から声が掛かる。ザイルは肩を竦めてゆっくりと立ち上がった。
「おまえの体術とどっこいだ。この銃があってやっと互角さ。気に入ったぜ、これ」
 手の中にあるデザートイーグル・カスタムを軽く振ると、リューグは血のこびりついた顔を笑みにゆがめて、刀から血を振り払い、鞘に収めた。
「お褒めに預かり光栄です。今、味方として戦えることを天に感謝しますよ。……さて、そろそろ向こうも片が付く頃です。追いましょうか」
「片が付くって、あの厄介なアーマノイドを向こうの二人でどうにかできるってのか?」
「……彼女は別格です。あらゆる意味でね。単純な格闘能力だけでも僕の上を行きますが、何より彼女には"あれ"がある。まあ、それはおいおい説明しましょう」
「俺の義務が終わったんなら、そろそろお暇したいんだがね」
「アーマノイドの破壊を確認するまでは付き合ってもらいますよ。契約不履行の代償は覚えておいでですね?」
 眉を上げるザイルを宥めるように語ると、リューグは小走りに駆け出した。死体をまたぎ、舗装された道路に出た瞬間には全力疾走の構えに変わっている。
 ザイルはコートのポケットに銃を突っ込んで頭をガシガシと掻きまわしてから、溜息を一つ落として、殺人狂の背中を追うのだった。


<<“ベイオネット”>>

 シキ=ハセガワはアクセルを思い切り踏み込んだ。シフト操作を右手で忙しなく行いながら、後ろを追ってくる敵手の照準から逃れるように車体を僅かずつ横に振る。
 車は時代遅れの型落ちではあったが、シキは自らの運転技術で今までマシンガンの被弾を避けてきた。バックミラーに映るアーマノイドのスペックをもう一度頭の中で反芻する。TT-4036、ソリッドボウルが開発した最新型アーマノイドだ。時速七十キロメートル近い速度で走って追いかけてくる。角張った装甲が、薄闇の中で街灯を照り返した。
『鬼ごっこをして遊ぶのもいい加減飽きてきたぞ、ガキども。その舐めくさった態度を、今すぐ修正してやる!!』
 呪うような声と共に、マシンの足音が追いかけてくる。恐ろしいまでの反動を伴うはずのマシンガンがまた火を噴く。口径は恐らく二十ミリ、まともに喰らえば五発であの世にいける。シキは火線が車体をなぞる前に左へハンドルを切り、点射を辛うじてかわした。
「荷が重いよ、ホントに……こちとら捕まってボコられてまだ三時間なのにさぁ」
 独り言を呟くと、奪ったインカムから囁くような声が聞こえた。
『シキ、大丈夫? ケガ、痛くない?』
「大丈夫だよ、アリカ。僕の怪我の治りが早いのは知ってるだろ? ……それより、次に見える左の路地に入る。挑発はもう十分だから、車体につかまっていて」
 インカムから発されるアリカの声に目元を緩ませると、シキはハンドルを握りなおした。路地は車幅ギリギリだ。集中しなければバンパーを叩きつけて急停止する羽目になろう。追いつかれたが最後、二人まとめてあの世行きだ。
「行くよ、アリカ。僕は成功させる。君は?」
『もちろん、失敗しない』
「オーケー。晩御飯はとびきり美味しいものを作ろう」
 シキは背筋を這い登る生と死の狭間のスリルに沸き立ちながらも、冷静に角度を計算し、路地の手前十数メートルの位置でギアチェンジを行いながら、急激にハンドルを切った。

 車上のアリカを横殴りのGと突風が襲う。こんな急激なカーブが来れば、言われなくても自分は中指を下ろしただろう、と思った。
 シキの言うことはいつも正しい。確かに挑発は十分だったようだ。アーマノイドはブレーキが間に合わずに通り過ぎたものの、すぐに路地の入り口から顔を出した。装甲車が通れる幅の道ならば、アーマノイドは容易に活動できる。
『バカめ、この道は車で走り抜けられる道ではない! その先はどん詰まりデッド・エンドだ!』
 アーマノイド――イディはスピーカー越しに哄笑を撒き散らしながら、マシンガンの銃口を上げ、発砲した。アリカの神経が研ぎ澄まされ、銃口から弾丸が飛び出す瞬間を感知する。
 ――弾種フルメタル・ジャケット。飛来数は六、うち直撃コースを辿るものが二。推定秒速七百二十メートル秒。予想コースに空気抵抗による減速を加味。照準は自分に合っている。
 刹那にも満たない思考とほぼ同時に、アリカは銀の右腕を横殴りに振るった。火花を散らして二十ミリ弾がアンチモニーのカスになって吹き飛ぶ。
『ひははッ、バケモノが! だがいつまでそうしていられる? もうすぐ逃げ道は途切れる、貴様らはもう終わりだ、死ね、死ね、死ね、逆らった罰だ! 逆らう奴は、皆死ねェぇぇッ!』
 イディがひっくり返った犬を思わせる声で叫んだ。興奮に弛緩しきった筋肉が生む、耳を引っかくような声だった。アリカは半眼になって自分の右腕を前に突き出した。手のひらをイディのアーマノイドに向ける。
 マシンガンの銃弾が更に二発掠めた。一発が浅い角度で装甲車の天井を抉り、もう一発はアリカの髪のひとふさを引きちぎり、右側頭部に殴りつけるような衝撃を残していく。それでも態勢を崩さぬまま、アリカはインカムに向けて呟いた。
「シキ」
『なんだい?』
「……終わったら、抱きしめて」
『お安いご用さ、お姫様』
 シキの言葉が、風渦巻く中でもはっきりと聞こえる。アリカはアーマノイドを睨みつけながら、右腕を固定するように左手で掴んだ。
「事態危険度の認識をAからSへ移行、セイフティ・リリース」
 マシンガンの銃弾が横壁に跳ね、火花を散らした。首をすくめる事すらせずに片膝を装甲車の天井に付くと、アリカは独言を重ねる。右掌が左右に割れ、中から漆黒の筒先が覗いた。
『何をする気か知らんが、歩兵が持てる豆鉄砲でこの私を傷つけられるとでも思っているのか? ナメられたものだな!!』
 イディが嘲笑うように言い、尚もマシンガンを乱射する。装甲車のタイヤがバーストし、『くそっ!』と舌打ち交じりの声がインカムから聞こえた。装甲車が右のビル壁に車体を擦り、火花を散らす。激しい蛇行を交えながら徐々に車のスピードが落ちていく。
 アリカは冷静にアーマノイドを見つめ続けた。
「コード【Blaze-Driver】、リミッターオフ。パワーレベル六十パーセント、精密射撃用意。副次限定火器管制サポート、照準……」
 蛇行運転、度重なる障害物との激突、壁との接触、諸々の衝撃が車体を激しく揺さぶる。しかしアリカが意識するのはただひとつ、目前にある脅威だけ。
 彼女の視界の中で、緑色の円が描かれる。円はゆっくりと視界に揺れるアーマノイドをなぞるようにじわじわと行き来を繰り返す。それも数秒、やがて円は鉄の巨人の中心にぴたりと止まり、赤く輝いた。
「……嗚呼」
 思わず、息が漏れた。
 ――このいろは、血のいろだ。
 彼女はいつもそう思う。
 視界の中に掲げた右腕から、赤色の円環がパイプのように連なって、アーマノイドの中心に向けて真っ直ぐに伸びた。彼女にしか見えない赤い銃身バレル。アリカは息を止め、照準終了を確認した。
「ロックオン完了。推定命中率九十二パーセント。持続時間三秒を加味。……九十九.八二パーセント。シークエンス・コンプリート、イーヴィルアーム、フルドライブ」
『遊びは終わりだ、今、潰してやるぞォォォォォ!!』 
『アリカ、撃って!!』
 イディとシキの声が重なった瞬間、アリカは眦を決し、それ、、の名前を叫んだ。
"銃剣"ベイオネット!!」
 スパークを上げるプラズマが、アリカの右腕から鋭い光の筋となって飛び出した。空気を熱により爆ぜさせ、形容しがたい音を立てる。『銃剣』はそのまま、筒先を装甲車へ再三向けなおしたイディのアーマノイドの中心に突き刺さり、抵抗すらなくその装甲を貫いて、後ろへ付き抜けた。
 スピーカーから電子レンジに放り込まれたネズミのような声が一瞬響いて、イディのアーマノイドはぐらりと傾き、装甲板を傍らの壁に擦りながら倒れこんで、動かなくなる。残骸の姿が、どんどん遠くなっていった。視界の端から追い出すように、俯く。
 反動でアラートを上げ、強制放熱を開始する右腕を左手で押さえ込み、アリカは膝をついていた装甲車の天井にへたり込んだ。
 それを察したように、徐々に装甲車のスピードが落ちる。尚も十数メートルほど走った後で、車はほとんど揺り戻しを感じさせずに止まった。 
 それとほとんど同時に、運転席のドアが開く。しかし、その開き方は道幅のせいで中途半端だった。横壁にぶち当たってドアが跳ね戻り、飛び出してこようとしたらしいシキが、顔面からサイドガラスに突っ込んだ。ううう、と声が上がる。
 駆け寄ってあげたいと思うのに、ベイオネットを放ったあとのこの身体はいつも震えて、立ち上がる事さえできない。アリカは、何故こうなるのかさえ思い出せなかった。彼女はシキと出会う前のことを、何も覚えていない。腕が、性質の悪い熱病のように疼いて、それに誘われるままに身体全体が熱くなる。この瞬間が、ひどく嫌いだった。
「『ああ、いててて……くそ、今日は厄日だ、きっと厄日だ、まったくもう』」
 ぼやきながらシキは慎重にドアと車体の隙間に身を滑らせ、狭い幅を器用に通り抜けると、軽い身のこなしで車上へと登った。インカムがあるおかげで彼の声が二重に聞こえる。シキはアリカの姿を認めるなり、小走りに駆け寄ってきた。
「『お疲れ様、アリカ』」
 シキはアリカの前に屈みこむと、そっとアリカの耳からインカムを外し、自分の耳にあったものとまとめて闇の中に放り投げた。路地裏のすえた匂いのする空気の中で、硬いプラスチック音がした。
「ん……わたし、うまくできた?」
「十分すぎるくらいにね」
 シキは微笑を浮かべたまま、そっとアリカの右腕に手を伸ばした。放熱の真っ最中のイーヴィル・アームに指が触れ、じり、と肉の焼ける音がする。ハッとしたようにアリカは顔を上げ、首を振る。
「だめ、シキ、まだ熱い」
「君が熱い思いをしてるなら、それ、折半で。……助けに来てくれて嬉しかったよ」
 指先が触れ、手が触れ、腕が掠り、シキの左手に火傷の面積が増えていく。痛みにほんの少しだけ目元を歪めながら、シキはアリカを抱き寄せた。
「それに、抱きしめるって約束だったよね。だから、いいんだ。僕もこうしたいから」
 アリカは言葉を聞いて、上げかけた左腕を下ろす。チタン製の爪が付いた腕で、彼の好意を振り払うことは出来なかった。さほど背の高くない彼の胸に、額を当てる。彼女が求めてやまない瞬間が、そこにあった。
「……ありがとう、ごめんね」
「ごめんは要らない。ありがとうだけ、大切に受け取っとくよ」
 右腕の熱を、彼が吸い取ってくれているように、アリカの身体が自由を取り戻していく。
 見上げればシキの笑顔があるだろう。この幸せの締めくくりに、彼に最高の表情で笑い返そうと、アリカは決めた。


<<キラーズ・フォー>>

「……酷えな」
「そうですね」
「他に感想はないのかよ」
「慣れましたので」
 路地の途中、立ち止まって話し込む。
 押しても引いても柳に風、微笑を崩そうとしないリューグに、ザイルは溜息をついた。視線の先では煙を上げるアーマノイドが仰臥している。胴体の中央部に拳大の穴が開いており、そこから下の地面が見えた。中にいた人間は即死だろう。
「これがおまえの言った"あれ"とやらの仕業か」
「それ以外に考えられませんね。単純な肉弾戦でできた傷ではありません。彼女の義肢に内蔵された高出力のプラズマ砲によるものです」
「阿呆か。大気中でプラズマを使うような真似が出来るわけがないだろう」
 通常、プラズマは大気中ではエネルギーを拡散させてしまうために兵器として用いることは出来ない。エネルギーの損失を何かしらの方法で防がなければ、プラズマは敵に届く前に完全に散逸して消滅してしまう。もしプラズマを利用した武器を作り出したとしても、対策を講じなければ、発生させるために必要なエネルギーと見合わない効果しか得られない欠陥兵器が出来上がるはずだ。
「ですが現実に、彼女はこのアーマノイドを貫いた」
 リューグはアーマノイドに歩み寄り、刀の鞘で示すように装甲を叩く。
「彼女はいつも言っています。"あれ"――銃剣ベイオネットを使用するとき、銃身が見えるのだと」
「銃身だと?」
「そう、赤い銃身が見えると聞きました」
 リューグはゆっくりと振り返った。人を殺すときにさえ崩れなかった笑みが、今はない。ザイルは目を細め、「それで?」と声低く促した。
 鞘を、貫通した穴を探るように差し入れ、リューグは続ける。
「イーヴィル・アームは一般に流通しているサイバーウェアではありません。少なくとも、誰が使おうとも同一の性能を発揮するツールでないことは確かです。聞けば重量は両方合わせて八十キログラムを超え、中には最先端アーマノイドのそれを越える技術が詰め込まれているらしいのですよ。そのうちの幾つかはブラックボックスであり、彼女のケアを引き受けているシキにも手がつけられないそうです」
 鞘が地面を打つ音が聞こえる。ザイルは無言のまま、リューグの瞳を見た。
「僕とシキが彼女と行動を共にして一年になります。収集したデータから判明したことは、ブラックボックスが例外なく彼女の脳波と関係を持っているということだけでした」
「脳波?」
「ええ。彼女があれベイオネットを使う際には、極度の集中状態にある事が判っています。……アルファ・ツー波が飛びぬけて高くなるのを確認しました。高いといっても、僕たちが武器を扱うために緊張するレベルとは訳が違います。ブラックボックスのうち、半分がその極度の集中状態を作り出すためのものでした」
「集中して物理法則を捻じ曲げたってのか?」
「陳腐な結論ですがね。残り半分のブラックボックスについては、高められた脳波を受信していることしかわかっていませんが、たった今あなたが言ったことを実現するためのものなのだと思われます」
 そこまで言って、リューグは再び表情を緩めた。刀を持ち上げて腰にく。ザイルは溜息をついて、トリガーガードに指を引っ掛けたまま銃をぶらつかせた。
「胡散臭い話だな」
「ですが他に説明のしようがありません。……在処は、彼女にしか見えない銃身を視認し――いえ、作り出し、、、、、その銃身を通してプラズマを射出している。当たればご覧の通りのこの威力。僕も最初は彼女の出自をよく考えたものですが、味方として動いてくれるのなら余計な詮索は要りません。瑣末と思って、考えるのを止めました」
 リューグは肩を竦めると、軽く息を吐き出して、路地の奥へと目をやった。
 視線を追うように目を向けると、無明の闇の向こうから、二つの足音が聞こえてくる。やがて闇の中に、アリカに肩を貸して歩いてくるシキの姿が見えた。緋色の瞳が異彩を放つが、それ以外はごくごく平凡な普通の少年に見える。
「お疲れ様です、シキ、在処」
「全くだよ。この扱いはひどいんじゃないのかい、解放されていきなり仕事じゃあ気も滅入るってものさ」
「ですが在処がきちんと助けましたし、今こうして全員が五体満足でここにいる。それだけで十分だと思いますが」
「僕は時々、君の友達甲斐のなさに呆れるよ」
「同感。リューグは人使い荒い。シキに無茶させすぎ。今日だってリューグがついていったら、シキも捕まらなかったかもしれないのに」
「それについては謝りますが……情報を盗む程度、シキなら一人で出来ると判断したまでです。労働は尊いですが、無駄は極力省くべきですよ」
 シキは溜息をついてリューグをじっとりと睨む。追従するようにアリカの視線までもが集中するが、柳に風とばかり、リューグの微笑は揺らがない。
「……ありがと、シキ、もうへいきだから」
 シキは何秒か眉間に皺を寄せていたものの、傍らのアリカが若干ふらつきながらも自立するのを見て、表情を和ませた。「無理しないでね」と念を押すように言ってから、ザイルに向き直る。
「で……そっちの人は? リューグの知り合いかい?」
「こんなのがいると知ってたならこのあたりには寄り付かない。寿命が縮む」
「こんなの、とは心外ですね。僕は至極真っ当な人間である自信がありますが」
「冗談なら笑ってやる。本音なら呆れ返ってもまだ足りん」
 ザイルは肩を竦めて、空っぽのマガジンを今更のように落とした。かつん、と音が響く。
「あはは、気が合ってるみたいだね。どうでもいい人には二言目には殺すとか死んでくれとか言うんだよ、リューグは。自分が認めた人じゃないと、隣を歩いたりしないんだ」
「会って早々に言われたよ。それで鉄砲と鉈でストリート・ダンスさ。自前の銃を二挺オシャカにして、無理やりつき合わされてずるずるここまで引っ張ってんだ。死にたくなるぜ」
 うんざりしたような口調のザイルに対して、シキは快活に笑う。リューグの微笑とは違う、八重歯が覗いた、やんちゃ坊主を思わせる笑顔だ。
「そりゃ災難だったね。でも、悪くない感じに見えるよ、君が持ってる銃も、君の表情も。しっくり来てるって言えばいいのかな。リューグが君を認めるのも、わかる気がする」
「本当にそう見えるならいい眼科を紹介してやる。黒目の充血も多分治るぞ」
「残念、これは義眼インプラントなのでした。普通の目より、ずっとよく見えるよ」
 屈託ない笑顔のまま、右手をほとんど突き出すような勢いで差し出してくる。突きつけられた手に、ザイルは思わず一歩退いた。
「何のつもりだ」
「握手」
「なんで」
「感謝の気持ちってところかな?」
 もう一歩。ザイルが後退った分の距離を、シキが踏み出して埋める。もう一歩下がったところで、ザイルは後頭部をビル壁にぶつけた。狭い道だ。銃を振り回したら引っかかりそうなくらいに。
「……手は人に預けないことにしてる」
「またまた、シャイだなぁ」
 リューグとはまるで違う雰囲気の持ち主だった。ザイルは仰け反りがちになりながら助けを求めるようにリューグを見る。リューグはしばらく楽しげにザイルの様子を眺めていたが、視線を厳めしくしてやるとすぐに肩を竦めて口を開いた。
「シキ、彼は臨時の助っ人です。ビジネスは円満に終了するべきですよ。あまり困らせてはいけません」
 ザイルに目を向け、薄い笑みを浮かべたまま任務完了を言い渡すリューグ。シキがリューグを軽く振り返り、苦笑がちに手を引っ込める。それを見て初めて、ザイルは力を抜き、大きく溜息をつく。
「やれやれ、ようやく肩の荷が降りた気分だ。徹底徹尾振り回されっぱなしだったのは久しぶりだな」
「それでもあなたは我を保っていました。僕たちの指示に従いながらも、自分のやるべきことを見失っていなかった。決して自棄にならず、その場その場で自分にとって最良の結果が来るように行動する、強靭なエゴ。尊敬に値しますね」
「褒められた気がしないのはなんでだろうな」
 ザイルは壁にもたれかかって、もったいぶった所作でポケットを探った。かさり、と指に触れる煙草のソフトケースを摘んで引っ張り出し、一本くわえる。続けてライターを探してポケットを漁るが、すぐに触れるはずの硬い感触はない。
 渋面を作って口元の煙草を摘んだとき、金属音が響いた。目の前にゆっくりとジッポライターの火が差し出される。視線をゆっくりと横へ向けると、心なしか名残惜しそうに笑うシキの顔があった。
「悪いな」
 くわえた煙草を近づけ、火で先端を炙る。深く吸い付け、ザイルは煙を宙に浮かべた。アリカが露骨に顔をしかめるのを見て、皮肉っぽく笑ってやる。
「いいさ。けど、残念だなぁ」
「何がだ?」
 浮かぶ紫煙に目を細めると、シキはライターを音高く閉めてポケットにしまい込み、癖っ毛を撫でつけるように頭に手をやった。乱れてくしゃくしゃの髪を弄りながら、続ける。
「君と一緒に仕事を出来ると、楽しそうだと思ったから。……リューグやアリカに会ったときと一緒でさ」
 予想外の言葉に、ザイルは目を丸くした。瞠目して言葉を失った一瞬の間に、シキは穏やかな声を滑り込ませる。
「嫌な人間はたくさんいる。けど、自分がいいって思える人もたくさんいる。苦い思いばっかりしてきたからね、それを避ける直感には自信があるんだ。その僕の直感が、君ならいいって言ってる。……ええと、ザイル、だっけ?」
「……ザイル。ザイル=コルブラント」
 圧されるように自らの名を口にすると、シキは一層顔をほころばせ、歯を見せて笑った。
「ザイル。僕には君のサポートができる。銃の整備、仕事の斡旋、情報の収集と提示。捕まってボコボコになってた僕が信じられないなら、リューグとアリカのことを信じてほしい。見ただろ? 二人の実力は」
 眉一つ動かさず、精緻に敵を殺す殺人狂の技を見た。反応すら許さず人間をねじ伏せ、アーマノイドを破壊する兵器を備えた殺人姫を見た。
 ザイルは首を縦に振るしかなかった。肺に染みる安煙草の煙が、これが夢ではないと教えてくれる。
「強い力を持てば生き残る確率は上がる。リューグとアリカ、そしてザイル。君たちが一緒に仕事をこなせば、生き残る確率はぐっと上がる……そう思わないかい?」
「……群れるのは苦手だ。裏切られたこともある」
「だろうね。けど、きっと今度はそんなことはない。なんでかわかるかな?」
「言ってみろ」
 ザイルは口元から煙草を外し、指で灰を叩き落としながら、促した。
 緋色の瞳が弧を描き、会心の笑みを浮かべる。シキは右手でピストルを作って、ザイルの顔に差し向けた。
「僕は、君に一目惚れしたようなもんだからさ」
「……は?」
 指に挟んだ煙草が地面に落ちた。地面に赤い火の粉が散り、ザイルは呆けたように立ち尽くした。それこそ、横合いで聞こえたイーヴィル・アームの駆動音にも気を払えないほどに。
「リューグどいて。そいつ殺せない」
「落ち着いてください、在処。喩えです、物の喩えですから」
 緊迫したやり取りが起きるのにも頓着せず、シキはザイルの瞳を真っ向から見据え、真面目な表情を作る。
「一言で言うならシンパシーって奴かな。……同じ種類の人間って、わかるだろ? 些細な共感じゃなく、もっと大きなもの。生き方の相似とか、価値観の近似とか、言い方は色々あるけど。……僕はリューグと、そういう風に噛み合った。ザイル、君はどうかな?」
「……」
 初めて殺人狂と相対したとき、同類だと、そう思った。
 ザイルは足元に転がった煙草を踏みにじり、火を消す。ポケットに手を突っ込んで、僅かな沈黙の後で答えた。「遠からず、だ」
「それなら、君と僕もきっと同じさ。すぐにはピンと来ないと思うけど、きっと少し時間があれば、そう思うようになるよ」
 あっけらかんと言ってのける彼の口調には、打算的なものは見られない。先ほど引っ込めた手を、シキは改めて差し出した。今度はややゆっくりと。
「一緒にやろう。……多分、一人よりずっと楽しいから」
 胸を張ってそう言う。
 ザイルはポケットから手を抜くことをためらうように肩を揺らした。
「……ダメかな?」
 やや不安げな声が届く。横ではイーヴィル・アームを振りかざしかけているアリカを、リューグが難儀そうに押し留めていた。ちぐはぐで奇態な三人組だが、長く共にやっているのだと推測できる空気が、そこにはあった。

 ――ひとりでいることは怖くなかった。
 ――けれど、群れている奴らがうらやましくもあった。

 しばしの逡巡の後で――ザイルは、ポケットから右手を抜いた。ぶっきらぼうに手を伸ばし、掴む。
 シキの手は傷一つなく華奢で、死人を思わせるほどに冷たい。けれど、そのとき彼が浮かべた笑みは、人間味のある――つられて笑ってしまいそうになるくらいの笑顔だった。
「……じゃあ、決定だ」
 アリカが諦めたように肩を落とし、リューグが宥めるようにアリカの背を叩き、シキはいわずもがな笑っていた。
 ザイルは、いつものつまらなさそうな無表情を浮かべようとして、失敗している自分に気付いた。
 ――まあ、悪くないか。
 たまにはそうしてみてもいいと、ザイルは天を仰いで、喉を鳴らすように笑った。


 それから十分で、ザイルは自分の選択を悔いた。
「参ったねえ、これは」
「……ただでさえ安普請なのに、いい加減脆くなってるところに機関銃弾ですからね」
 さすがの殺人狂も、笑顔が引きつっている。瓦礫の前に四人揃って立ち尽くす。帰るべき我が家だったはずの場所は、倒壊して筆舌に尽くしがたい状態になっていた。
 出来損ないの喜劇のように、引きつり笑いのままリューグが肩を竦める。
「ま、こんなこともあるさ」
 深刻そうな顔を引っ込めて、シキは手近な瓦礫に腰掛けた。その横にアリカが寄り添う。
「……どうするの、シキ」
「さすがにあそこに四人は手狭だったし、おっかない人たちに目をつけられてるみたいだし……もうちょっといい物件を探そうか、この際」
「そうするにしても下にある貨幣とデータディスク、僕たちが持っている資本の回収くらいはしたいところですが」
「掘るしかないねえ」
「……そうなりますか、やはり」
 リューグとシキが今後の方針を協議するのを聞きながら、ザイルは少しずつ少しずつ三人から距離をとり始めた。土木作業員になる気はさらさらなかった。
 すり足でゆっくり後ろに逃げる。音を立てないように注意深く歩いていると、獣のような反応で振り向いたアリカと目が合った。
「……」
「……」
「……どこ行くの」
「……トイレに」
「行く必要がなくなるようにしてあげてもいいのよ」
「遠回しな殺人予告か」
「ストレートな脅しだと思いますよ」
 ゆっくりと振り返ったリューグが笑顔で口を挟む。まずこれで逃げられないなと、ザイルは頭より先に本能で理解した。
「では仲間として最初のお願いなのですが」
「断る」
 即答するが、リューグは気にした風もない。見る影もなく倒壊したビルを仰々しく手で示し、続ける。
「見ての通りの瓦礫の山ですが、あの下に資金、銃器、データ、その他諸々の全財産が眠っているわけでして」
「勝手に掘り出せ」
「そこをなんとか」
「くどいぞ」
「アリカー」
 押し問答を続けていると、シキがごく普通の調子で声を上げた。
 瞬間、低いハム音が起きた。大型の冷蔵庫が唸るような音と同時に、アリカがゆらりと進み出る。イーヴィル・アームの人差し指が、転がっていた人の頭ほどの瓦礫を、バターにナイフを入れるかのように滑らかに両断した。
 シキの平和そうな笑顔とアリカの陰惨な笑いが目に入る。
 ザイルは即座に梃子になりそうな棒に手をかけた。
「瓦礫をどければいいんだな」
「困難のときこそ助け合うのが仲間だよねえ。感動のシーンだよ」
「……俺は今死ぬほど後悔してる。何でかわかるか?」
「言ってみてよ」
 シキが笑いながら促す。
 ザイルは瓦礫から鉄パイプを引っこ抜き、肩に担いで瓦礫に向かって歩き始めた。
「おまえらといると、面倒事が四倍になる予感がしてるんだよ」
「その分、楽しさも四倍さ。それじゃ、さっさと働こうか!」
 打てば響くような切り返しに、ザイルは再び天を仰いだ。

 新生活のスタートは、汗と埃の味がした。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
Spetsnazさんの意見
 戦闘シーンは秀逸でした。
 批判その一、タイトルは日本語で。
 muzzleという単語が一般的でないので、小学生はもちろん中高生でも意味がわかりにくいと思います。タイトルで存在感を出せないと読んでもらえないので、とっつきやすくしたほうがいいと思います。

 批判その二、一文ずつは短く。
 読点が少なく読みにくい部分がありました。原因は、そもそも句点が少ないことだと思います。

 批判その三、主人公の成長が描かれていない。
 私はこの小説を、『一匹狼が仲間を手に入れる物語』と解釈しました。
 しかし、父親を殺す冷酷な主人公が、そのまま「誰も信用しない一匹狼」につながるのは少々不自然に感じます。どちらかといえば、主人公は最初から「利益になる奴と協力、敵対者は殺害」というスタンスであったように感じました。
 これでは、『「保身に長けた主人公」が「利益になる奴ら」と仲間になった』だけの、主人公にとってなんでもない日常の話になってしまいます。

・改善例1
 『「誰とも協力しない主人公」が「使える奴」を仲間にする物語』にする場合、主人公は冒頭で優しい父親を殺さなくてはいけないと思います。

・改善例2 
 『「利益になる奴しか仲間にしない主人公」が「足手まとい」を仲間にする物語』の場合、「足手まといキャラ」が要ります。主人公はラストで脅されずに協力しなければならないでしょう。また、「足手まとい」が可愛いとか主人公と似た境遇とか、相応の設定が必要です。

 ストーリーとはつまり『変化』だと私は考えます。
 キャラがこれまでと違う新しいことをやり、新しい価値観に従う。それがよくできたストーリーの条件だと思います。
 応援しています。個人的に銃大好きなのでw
 長文失礼。


一言コメント
 ・戦闘シーンと、ラストがとても良かったです。
高得点作品掲載所 作品一覧へ
戻る      次へ