高得点作品掲載所     北野卵さん 著作  | トップへ戻る | 


汝思う、ゆえに我あり


    ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 それが始まったのは……六、七年くらい前からだと思います。
 ポストに手紙が配達され、電話が毎日鳴るようになりました。……はい。どれも「お 前の親は人殺しだ」、「お前は悪い親の子だ」とか、そんな内容だったと思います。……いえ。その頃はそれほど気にしていなかったと思います。私が幼かった こともあるのでしょうが、怖いとか悲しいとかもなしに、ただクラシックのコンサートでいきなりエレキギターが鳴り響いたような、そんな場違いな気分で手紙 や電話を受けていたようです。それに、どれも私ではなく、父と母に向けられていたものですから。……いえ。両親は好きではなかった、というより、どこか他 人のような気がしていました。でも、一つだけ言えることがあります。私はただの一度も、お父さんやお母さんが悪い親だとは思っていませんでした。
  ……はい。両親とも家にはいませんでした。でも、家政婦さんがいたので、家のことで不自由な思いをしたことはありませんでした。……そうですね。はい。家 政婦さんとはあまり話さなかったと思います。手紙や電話について私が訊ねても、ただ首を振るだけで、私の晩ご飯を作り終えたらすぐに帰ってしまいましたか ら。
 ……寂しさ、ですか。いえ、寂しくはなかったと思います。その頃は学校にも通っていましたし、友達も沢山いたんです。それに、PSにも乗っ ていましたから。あ、PSというのはパワード・スーツのことで、一言でいうとロボットの鎧です。機械の筋肉や骨でできた鎧で、それに乗ることで――鎧だっ たら?着る?というのが正しいのでしょうけど、三メートルや四メートルもあるのもあるし、そうなると?乗る?といったほうがしっくりきますね――小説やテ レビに出てくるロボットみたいに動くことができるというものなんです。もともと体の不自由な人のために作られたそうで、でも、次第に乗り物としても使われ るようになって、PSを使ったスポーツ大会まで開かれるようになっていたんです。そのPSの練習場みたいな所が学校の近くにあって、お金を払えば私のよう な子供でも乗ることができたんです。
 ……はい。PSに乗るのは大好きです。私のような女の子がPSのようなロボットに乗るのは奇妙に思うかもし れませんが、PSに乗るのは体が小さくて体重が軽い人ほど向いているんです。それでも、やっぱり独特の臭いがあるし、練習機なので転ぶと痛いので、嫌いな 女の子は多かったんですけど、私は平気でした。
 運動はあまり得意ではありませんでしたが、PSに乗ると車と同じくらいのスピードで走れるんです。練習場の人たちも褒めてくれました。私には才能がある、天才だって。私はその言葉が嬉しくて、毎日、日が暮れるまでいつまでもPSに乗っていました。
 ……そうですね。その頃の私は、確かに、幸せだったと思います。

    ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「あー。くそ、暇だ」
 蛍光酒家(イングゥァンジゥジャ)の屋上で、そう毒づいて、カーク・バーダーは双眼鏡から眼を放した。
  金髪に碧眼、白い肌。ゲルマン人のステロタイプな特徴をしっかり体現しているが、金髪は黄砂にまみれてくすみ、碧眼は眠そうにたれさがった瞼で半眼になっ ている。高身長なゲルマン人にしては珍しく、身長は170ほどしかない。おまけに、口から出るのはドイツ語ではなく中国語――それもウイグル訛りの中国語 であった。
 ブラウンの作業着に身を包み、黒い軍用ブーツを履いている。
 ひきしまった体のそこかしこには野生動物の匂いが撓められ、つり上がった口元には刃物のような気配が漂っている。それも日本刀のような鋭い、切り裂くようなものではなく、西洋の剣のように、敵の体を骨ごと粉砕する無骨な刃物のような気配が。
 年齢は十八歳。十七だった気もするし、十九だったようでもある。だから間をとって十八ということにしておいた。
  背後には、巨大な鉄の塊が鎮座している。赤紫色にカラーリングされた、巨大な人型の機械鎧――PS(パワードスーツ)である。鎧は腹から胸にかけて大きく 上に開かれていて、コクピット部分が露出している。その状態で、PSは忠誠を誓う騎士のように片膝をつき、全身に血とオイルの匂いをまつわりつかせてい る。
 カークともども、大衆レストランの屋上のインテリアとしては、はなはだ不的確な代物だった。しかし、それを気にする必要がないことを、カークは知っていた。何故なら、今日の相手はカークたちよりよほど場違いな連中なのだから。
 ――もっとも、その連中が現れねェんだけど。
  ぼんやりと風景をみやる。スモッグと黄砂で灰色になった、春の青空。どぶの匂いのする粘つく風。無駄に高いビル群、しかし七割は廃墟。大通りを堂々と往来 する白人黒人黄色人種、そのうち三割は重軽の犯罪経験があり、さらにうち三割は指名手配済み。――どこも変わったことのない、2034年の北京である。
 カークはまたあくびをした。
 待つのは嫌いではない――それが必要なことならば。従って、現状に不満はない。不満はないが、それを退屈と感じないかどうかは、また別の問題だった。
  やっぱ人間、動いてなんぼだよな。こうじっとしてると、血が腐っちまいそうだ。あれ? てことは、寝てる間はヤベェな。何時間も動いてないんだから、血が どんどん腐る。やっぱり、睡眠なんて三日に一時間くらいに抑えんのが健康的だよな。フランクにもそういってやろう。何せ、あいつは一日に三時間も寝やがる からな。だから、あんなに青白いんだ――
 そこまで考えたとき、足許、レストランの玄関に車三台駐まった。メルセデス・ベンツ Cクラス――ただし中国生まれ。2003年にタイムラー・クライス社が中国で生産を発表して以来、30年以上製造されてきた高級車である。第三次世界大戦 の折り、技術者が大量流出。もはや人ではなくロボットが目覚まし時計を組み立てるみたいにベルトコンベアで運びながら作っているような車だが、それでもベ ンツはベンツである。
 中から出てきたのはダークスーツで身を包み、顎髭をたっぷり蓄えた男だった。刻まれた皴に、大きく威力のある眼。張った胸に直立不動の様子から、元軍人だと推定できる。他のベンツから護衛の男たちが次々と現れ、彼を囲む。
 北京市長――王定項。
  三年前に首都機能は重慶へ移行。大戦後、各国の食い詰め者が一斉に流入し、以来、治安は悪化の一途をたどり、今やマフィアの半分以下の資金しかない北京。 高級官僚は重慶に全員逃亡し、市役所に残ったのはわずか十名の職員。そんな市のトップでも、市長は市長である。車ともども、大衆レストランには相応しくな い。
 しかし、カークの興味は彼にはなかった。彼がこれからレストランの中でマフィアの大物と会見し、カークが常々眉をひそめている汚水の臭いを 改善するために、麻薬にまみれた、しかし腐った魚の臭いのしない下水を作る計画について話し合うであろうことには多少の興味はあるが、本命ではない。
 本命――もっとも相応しくない者たちは、ベンツが到着して十秒と経たないうちに現れた。
 東西の角から、それぞれ二台ずつナンバープレートの外されたトラックが出現。猛スピードでこの蛍光酒家に突っ込んでくる。
「――ハン。テロリストのくせにずいぶん張り切ってやがる。ご苦労なこって」
  カークは虎の笑みを浮かべ、すぐ後ろのPSのコクピットに飛び乗った。ヘッドギアを被り、手と足をPSの中に通す。内部がカークの体に合わせて収縮し、開 いていた部分が閉じていく。コクピットが完全に閉じ終わり、画面にカークの脳波および全身の電気信号が検出されたことが示される。数々の処理が終了し、画 面に最後の文字が現れる。
 突撃開始(A charge start)――

 トラックは市長のベンツを囲むように次々と停止し、コンテナが開かれる。
 初めの二台からは武装したテロリストたちが十名。
  次の二台から現れたのは、四機の軍用PS雷蛟(レイジャオ)。細長い顔に赤々と光る眼、4メートル近い黒い体躯、それに合わない柳のように細い手足。エン ジン部分が搭載されている背中は瘤のように盛り上がり、背を曲げながら細い手で一二・七ミリ・ライフルを構える姿は、さながら骸骨兵士のようだった。
 雷蛟がライフルを市長に向けた瞬間、ダンという炸裂音を伴って、空からカークの乗った軍用PS――ベオウルフが降ってきた。
 雷蛟(レイジャオ)を上回る、4メートル20センチの巨躯。平べったい頭に、ハンマーのような太い両前腕。ヘビー級ボクサーのように、分厚く盛り上がった青紫の装甲。体中から白煙を噴出し、構えるは対PS用兵器、二Oミリ・ライフル。
 突然のドイツPSの出現に、雷蛟たちの動きが一時停止する。そこから立ち直ろうとしたときには、ベオウルフのライフルは敵を捉えていた。
 発砲。
 ベオウルフに銃身を向けようとしていた雷蛟に命中、轟音とともに上半身と下半身が真っ二つに別れる。
 足許では護衛の男たちとテロリストが銃撃戦を開始していて、市長は車の中に避難していた。防弾くらいはしているだろうから、テロリストの銃弾はもちろん、雷蛟の一二・七ミリの一発や二発くらいなら防げるはずだった。
 しかし、すぐに駆けつけてくるはずである武装警察の姿がない。これでは、カークと市長の護衛のみでテロリストの相手をしなければならなくなる。
 ――あのバカ共、何やってやがんだ。
 若干の苛立ちを覚えながら、市長の車を庇うように動き、カークはさらにもう一機を撃ち倒し、突進してきた雷蛟の腕をかいくぐり、肩当て(ショルダーアタック)を相手の胸にぶちこんだ。
 二倍近い体重を持つ鉄塊にぶつかられ、吹っ飛ぶ雷蛟。そのまま地面に背中からぶつかり爆発、炎上した。
「これで三つッ!」
 カークは笑みを浮かべ、最後の雷蛟に向き直った。左腕を前に出し、前腕部分が展開、盾となる。
 雷蛟の射撃を盾で受ける。タングステン合金の厚い盾は、一二・七ミリ程度では貫通を許さない。盾を傾けて衝撃を逸らしながら、ベオウルフが発砲。雷蛟の胸が吹っ飛び、その機能を停止した。
 カークはさらに四台のトラックのタイヤを撃ち抜いた。これでテロリストの逃走手段がなくなる。
「ホイ。終了」
「この化け物が!」
 罵声とともに武装犯たちがベオウルフを撃ち続ける。
 ――諦め悪い奴らだ。
 呆れながら、適当に腕を振るってテロリストをはじき飛ばす。
 そのとき、ようやくジープの走る音がして、武装警察がやってきた。
 無線から通信が流れる。
『北京武装警察、第二警衛部隊隊長の李明珍少尉です。ご協力感謝します』
「遅ェんだよ!」
 のんびりとした言葉に、思わずカークは怒鳴っていた。
「なんで嘱託の俺が一人で暴れてんだ! テメエラだって同じ情報もってんだろ!」
『はあ。申し訳ありません』
  やる気のカケラもない返答であった。戦争のせいでベテランは戦死、または重慶に移ってしまったので、後進を育てるものがいない。訓練もろくにしていないの で、下手をするとテロリストたちのほうが組織だった行動をとったりする。それでも隊員たちはまだマシなほうで、上の中には拳銃すら握ったことのない人間が いるという。
 ――戦場に出てたら、真っ先に死んでたな、コイツら。
 ため息をついて、ベオウルフの手をひらひらと振る。
「もういい。とっととケリをつけろ。せっかくカモがネギしょってるんだ。ちゃんと鍋にして食ってやれ」
『……は?』
「日本の諺だ! きちんと逮捕して情報引き出せつってんだよ!」
『ああ、了解しました』
 ジープから軍服の男たちが降りてきて、武装犯たちに発砲を始める。市長の護衛と挟撃した形になった。
 これで完全に終わりだろう――そう判断し、カークはセンサをパッシブからアクティブに切り替えた。
 その瞬間、レーダーが妙な点を捉えた。かなり近い。それは凄まじい速さでこちらに向かってきて、唐突に停止した。
 どうしてもっと早く捕捉できなかったのか――その疑問を感じるより先に、カークは動いていた。
 レーダーが捉えている点に向けて、左腕の盾を掲げる。
 衝撃は強烈だった。
 雷蛟の一二・七ミリとは比較にならない振動がカークを揺さぶる。それがマシンガンによる射撃だと判っても、どうすることもできない。衝撃は三秒あまり続き、唐突に止んだ。
「なんだってんだ――」
 揺れる頭を無視して、カークは敵を探した。
 マシンガンの射線をたどった先、蛍光酒家から500メートルほど離れたビルの上に、そのPS(ソレ)はいた。
  西洋の鎧をそのまま大型化したようなフォルム。雷蛟のようにか細くなく、ベオウルフのような鈍重さも感じさせない中庸の体躯は、その機体が最新技術の結晶 体であることの証明だった。電波吸収体であり反応装甲でもある白銀の電磁装甲、手にするはPS殺しの一六・五ミリ機関銃。
 日本平和維持軍(JPKF)の主力機――閃光。
「オイオイ……お前は南部にしか配備されてないはずだったんじゃなかったか? 迷子だったら足許に警官がゴロゴロいるぜ」
 カークの口から苦笑がもれる。軽口を叩きながらも、背が冷えていくのを感じる。一世代前の機体で、それも人を守りながら戦える相手ではない。
 閃光は複眼を動かし、品定めするようにベオウルフと、その斜かいのベンツをみやった。そこに市長(エモノ)が乗っていることを確認したのか、ゆっくりと機関銃を構える。
「クソッたれ!」
 ベオウルフが右前腕も展開しながら市長の乗るベンツの前に跳躍し、左腕と合わせて亀の甲羅を作った瞬間、閃光の機関銃が狼の牙を剥いた。
 鉄のスコールが、ベオウルフの盾を削り、巨体が弾丸に押し下げられる。盾に弾かれた弾丸が周囲に飛び散る。これだけ跳弾すれば後のベンツも危険だが、構っていられない。
 装甲と衝撃吸収材に守られているとはいえ、全身に弾丸を浴びせられているのである。猛烈な振動と痛みがカークを襲った。
 コクピット内ではしきりに警告音が鳴り響く。それを無視して、カークは弾丸にこじ開けられようとしている両腕を、必死に閉じていた。まともに受ければベオウルフほど重装甲なPSでも十秒ともたず蜂の巣になるような銃撃である。
 ――保ってくれよ!
 銃撃は衰えない。
 腕を動かし、弾丸を最善の角度で逸らす。それでも腕の負荷は増大し続け、肘、肩の油圧モーターが悲鳴をあげる。振動と警告音に囲まれて、カークはじっと耐え続けた。
 射撃から五十秒ほどが経過したとき、ぱたりと銃撃が止んだ。
 両腕の盾の間から見ると、閃光の跳躍している姿があった。どうやら、弾を撃ち尽くしたので、あっさりと引き下がったらしい。
「――ひでェな、こりゃ」
 改めて見ると、前腕の盾はベコベコにへこみ、全身のアクチュエータとモーターに異常が確認され、両腕にいたってはろくに動こうとしなかった。あの後、閃光ご自慢の振動カッターを手に接近戦を挑まれていたら、まず確実にやられていた。
 そうしなかった理由は判らない。接近戦用の武器がないのか、こちらの戦力を過大評価したのか、それとも、トラックで突撃してきた連中ほど市長の命に興味がなかったのか。
 どちらにせよ、形としては見逃されたことになった。
「諦め良すぎるだろ、ッたく」
 苦々しく呟く。カークは先の大戦の経験者である。つまらないプライドを振りかざして死ぬことの愚かしさを十分判っている。しかし、かといってプライドが全く不要だということにならないことも承知していた。
 つまり、面白くなかった。
 雑音がして、李から無線が入った。
『ご無事ですか』
「ご無事だよ。――そっちはどうだ?」
『それが、跳弾で武装警察(こっち)もそうですが、テロリスト(むこう)もほとんど死んでしまって……逮捕できたのは一人だけです』
「PSボコボコにして、成果がたった一人かよ。ああ、くそッ! 割に合わん!」
『それと、もう一つ問題が……』
「ンだよ!」
 不機嫌のあまり、思わず怒鳴る。そのとき、ふと嫌な予感がよぎった。ベオウルフを振り向かせて見ると、そこには見事に横転したベンツがあった。銃弾に押されて機体が下がったとき、踏ん張るために何かを蹴飛ばした気がしたのだが、それがこのベンツだったらしい。
 武装警察が詰め寄り、中から市長を引きずり出している。生きてはいるようだが、右腕と左足が曲がってはいけない方向に曲がっている。
『この場合、俺たちは任務に成功したことになるんでしょうか?』
「……あー」
 カークは言葉につまり、担架に乗せられる市長を眺めながら、
「全治三ヶ月ってとこだな」
 と、どうでもいいことを呟いた。


 石景山区(シージンチャンチュ)――北京市の中央にある市轄区(シーシアチュ)で、大戦が起こる以前は北京最大の工業地帯であった。都市開発化も進められ、厖大な人口を収容するための高級高層ビルが雨後の筍のように建造されていた時期もあった。
 しかし、大戦と重慶への首都機能移転で富裕層が北京から消え、工場は爆撃でほぼ壊滅、せっかくの高級高層ビルも筍ほどにも役に立たない、まさに無用の長物と化した。
 ――唯一の利点は、黙って使ってても、どっからも文句がこねェってことだよな。
 カークはベオウルフを三階建てのビルの前につけた。建物の角に、『楽虎(ラフー)』と書かれた看板がかかっている。元は何かの会社だったらしいが、正面にはPSがやすとやすとくぐり抜けられるシャッターを取り付け、中は二階まで吹き抜けに改造してある。
 シャッターを開け、ベオウルフを中に入れる。奥にあるPS用の固定台にベオウルフを置き、カークはコクピットから這い出た。疲労抑制波(AFW)から離れて、体にずっしりと重みがのしかかってくる。
 打ちっ放しのコンクリートの上には、近くの工場から失敬したPSのパーツや各種の計測装置、ロボットアームが無造作に転がっている。ロボットアームのケーブルの先には人の大きさほどのパソコンが鎮座しているが、その主はいないようだった。
「上か……」
 つぶやくと、体が痺れた。全身にじんと奥に響く痛みがある。
 ――まあ、死にゃしないし、いいか。
 そう思い、カークは壁際の梯子に手をかけ、上り始めた。この垂直の梯子は相棒には甚だ不評だったが、緊急時に滑り降りることができるので、カークは気に入っていた。
 三階の居住空間に顔が出ようとしたとき、ののしり合う声が聞こえた。慶麗とフランクである。
「だから、どうして、あなたは毎回毎回、ここに押しかけてくるんですか!? そのパソコンを取られると、僕の仕事にも支障が出るんですよ!」
 半ば悲鳴のような声をあげるフランク。銀というよりは白に近い髪に、苦悩というノミで削られたような青白い顔に電子眼鏡をかけ、油まみれでもはや白より黒い部分のほうが多い白衣をまとっている。
 本人の弁では今年で二十五歳、ロシア大学出のエリートらしいが、学校にすら行ったことのないカークにはどうでもいい経歴だった。
「うちの役所のじゃすぐフリーズするのよ! どうせカークがどっかから拾って来たんでしょ。ケチケチしないの」
 そういって胸を張る慶麗。ショートに切り込んだ黒髪に、勝ち気な黒眼が光っている。まだ十六らしいが、これでも北京市役所の立派な職員だった。
「それよりホラ、さっさとあのバカけしかけてよ。北京の名誉がかかってるのよ」
「犯罪者の歓楽街に名誉なんてあるもんですかっ! お断りです!」
「報酬を見ていいなさいよ。ホラ、日本円で5000万! 太っ腹でしょ? さ、これにサインして」
 ずいと慶麗は紙束を押し出した。フランクはそれをバラバラとめくって、電子眼鏡に記憶していく。
「そ の報酬が危ないんですよ。5000万の報酬の仕事なんて、致死率100パーセントだって言ってるようなものじゃないですか。……それに、この手取りは報酬 額の一Oパーセントというのはどういうことですか! 着手金や必要経費の有無もそうですが、残りの九Oパーセントはどこに行くんです!?」
 慶麗はニコリと役所職員の鏡のような笑みを浮かべた。
「我らが北京市の、よりよい都市生活形成に使用されます。――ちなみに、それは、あんたたちへの特別会計よ。税金払わないクズは身を削って市に寄付してネ」
「横暴だー!」
 そこまで聞いて、カークは梯子を上りきった。聞いているのが面倒になったのである。
「あ、カーク。市長の護衛、どうだった?」
「全治三ヶ月だな」
「――どういうこと?」
 首を傾げる慶麗を押しのけて、フランクがすっ飛んできた。
「カーク、今の話を聞いてましたか?」
「だいたいはな」
 時限爆弾を解体する隊員のような真剣な顔で、フランクはカークにつめよった。
「絶対、引き受けないでくださいよ!」
「まあ、金に興味はねェがよ」
「絶対ですよ! 僕らはもっと小物をコツコツ狩っていきましょうよ! それで人手を雇ってピザでも配りましょう! そうやって、目立たず、穏やかに暮らしていくんです!」
 フランクの剣幕に、カークは眉をひそめた。
「うるせェんだよ。キンキン声で情けないこと言いやがって。どこのインテリだ、テメエは」
「……ロシア大学のインテリですけど」
 フランクの呟きを聞かなかったことにして、カークはその手から紙束を奪った。
 表紙をめくると、二枚の写真がプリントされていた。二枚とも女である。カークには東洋人の年齢の判別は難しいが、片方は慶麗とさして変わらないようだった。長い黒髪に、切れ長の眼に儚げな瞳がアンバランスに浮かんでいる。
 もう一枚は恐らく三十から四十くらいの女で、髪は短く切りそろえられていて、意志の強そうな眼が光っている。この写真だけ、赤枠の中にある。ということは、こっちが5000万の本命なのか。
 ――だが、この面、どっかで見たことがあるな。
 名前は若い方が八代那美、もう一方は八代翔子となっている。やはり聞き覚えがあった。
「どう、やる気になった? 生死問わず(DEAD OR ALIVE)よ」
「そりゃ楽だが、結局、この親子は何やったんだ?」
 カークは眼を細めた。紙束をめくって読んでみるが、肝心の罪状ともいうべきものが全く見当たらなかった。
「さあ、日本で何かやったんじゃない? 毒ガスとか、コンピュータウイルスばらまいたとか。何かやったのは確かよ」
「何か、ッてなんだよ。ンないい加減な理由で北京市役所(おまえンとこ)は5000万も突っ込んだのか?」
「それ、重慶の資料の断片なんですよ」
 フランクが苦々しげに言った。
「断片だから色々抜けてるんです。以前、僕のパソコン使って何かやってるなと思ったら、重慶にハッキングしていたんて……」
「ただの犯罪者じゃないことは確かよ。今朝、JPKFの特殊部隊が北京に入ったのよ。北京市(うち)に何の連絡もなしに」
「どういうことだよ」
「日本の重罪人が北京にいて、それを重慶の連中が日本に売ったの! 肝心の北京市(こっち)を無視して! どんだけあたしたちを舐めてるのよ、これじゃ、まるで北京が無法地帯みたいじゃない!」
「あってるじゃねェか」「消費するだけで、産み出すのは悪徳だけですからね、ここ」
「――とにかく!」
 口々に同意するカークたちを押さえ込んで、慶麗はいった。
「ここは北京なのよ。そこを重慶と日本に勝手に暴れられたんじゃ、北京の面子が丸潰れじゃない!」
「で、面子を重んじる中国人として、僕たちにJPKFが来る前に何とかしろと」
 慶麗はにっこりと笑った。
「うん。そう」
「――はあ」
 力なく首を振るフランク。その気持ちは、カークにもよく判った。
  要は北京と重慶のパワーゲームだった。北京は大戦中にさっさと逃げて首都を標榜する重慶が憎いし、重慶はろくな行政機能がないくせにかつての首都としての 矜持から独立権を主張する北京が鬱陶しい。慶麗はその都市間の争いに参加しろと言っているのだが、フランクはもちろん、カークもそんなものに興味はなかっ た。
 もっとも、カークの場合は仕事ができればそれでいい。それでいいのだが、今回の場合は少しややこしそうだった。
 ――入り組んでるのは趣味じゃねェし、聞かなかったことにするか。
 そう思ったとき、ふと浮かぶものがあった。
 紙束をめくり、カークは八代翔子の写真を凝視した。
「こいつ、『銀の死神』か!」
「……何ですか、それ?」
「日本のPS乗りのエースだよ。大半は東南アジアや台湾で暴れてたから中国(こっち)には馴染みは薄いが、大戦の最後の一年は中国にも顔を出していたはずだ」
「詳しいですね」
「南部じゃ、日本のPSに散々な目に遭わされたからな。自然と詳しくなったんだよ」
 ふん、とカークは鼻をならした。眼が細まり、体中の血がはやるようだった。
「大戦五年間でのPS撃墜数(キルスコア)は426機で、女ながらJPKF内で第一位の戦績。英雄ってヤツだ」
「はあ……ってカーク、変なこと考えてませんか?」
「――フランク」
「はい?」
 カークは真顔になってフランクの顔を覗き込んだ。
「いい忘れてたが、ベオウルフがボコボコになっている。盾は穴だらけで、人工筋肉は換えが必要だ。油圧系もひどい。直してこい」
「ええぇぇー!」
 悲鳴を上げるフランク。そのまま、「昨日、徹夜で整備したばかりなのにー!」と叫んで下に降りていった。
 カークはそれを晴れやかに見送る。
「よし、慶麗。それ引き受けるぞ」
「有り難いけど、どうしてこんなに罪悪感を覚えるのかしら?」
 冷や汗をかく慶麗。それを無視して、カークは慶麗の持ってきた契約書にサインする。サインした後で、手取りは報酬の一Oパーセント云々の下りを修正させるのを忘れたことに気づいたが、困るのはフランクだと思い直して、放っておくことにした。
「じゃ、俺は行くぜ。フランクに八代翔子について調べるよう言っといてくれ」
「え? もう行くの?」
「別にいつ行ってもいいだろ」
「PSが傷つくほどの戦闘だったんでしょ。休めば? 確か、国際基準では、軍用PSの場合、搭乗後は六時間以上の休息または最低三時間の睡眠が義務づけられていたはずじゃ……」
「アホか。ガキじゃあるまいし、お昼寝するような年じゃねェんだよ」
 言って、カークは梯子を下りていった。
 八代翔子はその長い戦歴で、様々なPSを乗りこなしたという。しかし、彼女の戦果の大半は、そのうちの一機のPSによって築き上げられた。
 『銀の死神』という言葉を口の中で転がす。そして、ついさっき遭遇した白銀のPS。
 何をやったかは知らないが、アレを奪ったのなら、JPKFが乗り出してくるのも納得できる。
 日本の傑作機、閃光――それが八代翔子の愛機だった。
 

 街はどぶの臭いがした。
  あちこちで闇市が開かれ、塩漬けにされた魚、腐った肉の臭い、ちょっと裏道に入れば、そこに血の臭いがまじる。本来あるべき人の汗は、そこかしこで瓦礫を 運んでいるロボットのオイル臭にとって変わられている。そのロボットにしても、爆撃された工場に転がっていた産業用ロボットを無理に改造したもので、いつ 暴れ出すか知れたものではない。
 2026年の世界多発テロの影響で、2027年に新疆で内乱が始まって以降、この国はこれまでのツケを一気に精 算しなければならなくなった――というのは、フランクがいった言葉だったか。同じく内乱で半分裂状態のロシアから追い出されたフランクがいうのだから、あ る種の説得力はあったが、元は日本のテレビニュースのコメンテーターが放った言葉だという。
 だが、ツケた人間も、ツケを押しつけられた人間もあらかた消えてしまったこの国で、いったい誰がその支払いをするというのだろうか。
 ――日本にしても、金以外で何かを支払ったって話は聞かねェしな。
 時間が経てば収まるとこに収まるだろう――そう結論して、カークは人混みの中を泳いでいた。歩いているところは車道だが、この街に交通ルールなど存在しない。信号すらろくに機能していないのだ。
 西五?路を下っていけば、北京射撃館に着く。今は隣の国家?察官学院ともども武装警察の拠点になっていて、捕まえたというテロリストも、そこに収容されているはずだった。
 ふと声が聞こえた。
  顔を向けると、道の端に車が駐まっていて、傍らに男が四人いた。男たちは四人とも東洋系で、よく眼を凝らすと、男たちの向こうにこれまた東洋系の少女がい る。男の一人がその腕をつかんで車の中に引きずりこもうとしているようだった。少女は抵抗しているが、男の腕力に今にも連れ去れようとしている。
 カークは足早に近づくと、一番後ろにいたリーダーらしき男の脇腹に左右のフックを叩き込んだ。
 あっさり崩れる落ちる男。カークはその腹をさらに蹴飛ばした。
 いきなりの蛮行に、男たちはおろか、少女までもぽかんとカークを見ていた。
「テメエ、何のつもりだっ!」
 一人がナイフを抜き、カークにつきつけた。
 カークは車を指差した。
「その車、四人乗りだぜ」
「あ? オマエ、何が言いたい――っぶ!」
 怪訝そうに車を見遣った男の顔面に、カークは拳を突き立てた。
 吹っ飛んだ男に中指を突き立てて見せる。
「各個撃破されねェうちに、さっさとかかって来いつってんだよ、間抜け」
「そんなこと、一言も言ってねえだろうが!」
 少女の腕を掴んでいた男が怒鳴り、カークに殴りかかってきた。カークはそれを右腕ではじき、男をすり抜け、四人目の男の前に躍り出た。すれ違いざま、男の伸びきった右足のアキレス腱をブーツの踵で踏み抜く。
 最後の男は懐に手を入れているところだった。その腹にカークは拳を入れ、垂れ下がった顔に頭突きをくれてやった。
 それで全てが終わっていた。
 カークは最後の男の腕をねじ上げた。少女を指差して、いかにも正義感あふれる声で告げる。
「おい、嫌がってるだろ。止めとけ」
「普通、殴る前に言わないか、ソレ」
 血がだらだら流れている鼻を抑えながら、男がうめいた。
 そうだな、とカークは頷いてやった。
「でもな、つい二時間前に鉛玉の雨に打たれてたんだよ。チベット修行僧も真っ青な勢いで」
「……それが?」
「平気な顔してたけど、すんげェ苛立ってたんだ」
「オマエ、それただの腹いせ――っぶ!」
 カークは男の後頭部を踏んだ。男の顔面が地面に熱烈な接吻をし、そのまま動かなくなる。
「あの――」
 振り向くと、少女が頭を下げていた。
「さっきはありがとうございました。助かりました」
「気にすんな。礼を言う暇があるのなら、男の股間蹴り上げる練習でも――」
 そこまで言ったとき、カークはふと少女を凝視した。
 白い中華服に、白いズボン。小柄な体躯ながら、東洋人にしては長い手足。そして、何より長い黒髪に切れ長の眼、そこに浮かぶ儚い瞳が決定的だった。
「何か?」
 そう言って、八代那美は首を傾げていた。

 助けた礼を寄越せというと、那美はカークを甜心(ティェンシン)と看板のかかっている店に誘った。
 店内は内装などろくになく、座っているソファもテーブルもゴミ棄て場から拾ってきて磨いただけのような代物だったが、照明と音楽、それに客層から女性向けの店だと知れた。
 メニューを見ると、ここが珈琲店(きっさてん)、それも甜品(あまいもの)を中心にした店のようだと判った。那美はともかく、作業用ロボットと一日中廃材を拾ってそうな作業着姿のカークは非常に浮いている。
 ――せめて店ぐらいは自分で選ぶべきだったか。
 そう思いつつ、カークは水を注文した。大戦以前からミネラルウオーター以外の水は飲めないような国だったが、大戦後はさらに水質が悪化し、日本製の優れた精製機で作られた水しか安心して飲むことができない。
 ところが、慶麗の調べでは、生産されたミネラルウオーターのペットボトルの数を、ゴミとして回収されたペットボトルの数が遙かに上回っているという。その数、約二倍。
 つまり、二分の一の確率で汚水を飲まされる。これならコーラでも飲むほうがよほど安全だが、コーラは甘い。選択の余地はなかった。
 那美は黒透水(ヘイトウシュイ)を飲んでいた。カークも一度、慶麗に飲まされたことがあった。黒いくせに妙に透明で、独特の刺すような甘ったるさが体中に広がる飲み物だった。那美はそれを、美味しそうに飲み下している。
 気分が悪くなって、カークは運ばれてきた水を一気飲みした。
「ところで、カークさんはお母さんの知り合いなんですか?」
 黒透水を半分ほど飲み干して、那美が瞳と同じ、儚い声でそう聞いてきた。ウイグル訛りの抜けないカークより、よほど綺麗な中国語だった。まさか仕事上の目標(ターゲット)だとはいえず、知り合いということにしたのである。
「まあな。――翔子は元気にやってるか?」
「はい。私が楽をできるよう、すごく働いてくれて、とても感謝しています」
 青白い満月のような笑顔だった。欠けているところはない。追われていることにも、気づいていない様子だった。仮に演技だとすれば、女優として十分食っていけるだろう。
「翔子のヤツ、どこに住んでるか知ってるか? 久しぶりに会いに行きたいんだが」
「その、判らないんです……」
 那美は眼を伏せた。
「三日前から行方が知れなくて……あ、電話はかかってくるから、無事だってことは判るんですけど」
「以前にもそういうことは?」
「ありました。一週間ぐらいで戻ってくるんですけど、いつもその度にお金を一杯持っていて……。いえ、危ない仕事とかじゃなくて、その、そういうお仕事というか……」
「ンなわけねェだろ。そりゃオマエ、ろくでもないことしてるに決まってんだろうが」
 言ってから、しまったとカークは思った。つい、フランクや慶麗に対するような感じで話してしまった。反射のなせる業である。
 案の定、那美の眼には涙がたまっていた。
「実は、うすうす気づいていたんです。お母さんが悪いことしてるんじゃないか、って。でも、お母さん優しいし、そんなはずはないって――」
「あー、あれだ、仏教には鬼子母神つう、他人の子を食べても自分の子は大事にする女神がいてだな。釈迦っつうヤツに自分の子を隠されて、改心したという――」
「でも、それ、母親は真っ黒じゃないですか」
「……洗えば白くなる」
 汚れたタオル扱いである。
 那美はまた眼を伏せた。
「北京(ここ)に来たときもそうでした。日本で、私ちょっと入院していたんですけど、お母さんがいきなり病院にやって来て、『中国に行こう』って。私が『どうして?』って聞いても、『どうしても』の一点張りで……お母さん、戦争でおかしくなっちゃったんです」
「戦争、か」
 カークは眼を細めた。JPKF(日本)の事情は判らない。ただ、カークのいた戦場では、確かにおかしくなったヤツはいた。少なくとも、そいつらで土嚢を作れるくらいには。
「カークさんはお母さんと戦争で知り合ったんですか?」
「――そうだな。そうなる」
「どんな戦争だったんですか? お母さん、ちっとも話してくれないんです」
「聞いたって面白くねェぞ」
 那美は身を乗り出した。その眼には、さっきにはない力があった。
「知りたいんです。お母さんが何をしていたのか」
 はあ、とカークは息を吐いた。話を聞くはずが、いつの間にか話す側になっている。
「……話してもいいが、俺の場合、気づいたら始まってたって感じだったな」
 カークは頬杖をついた。視線を飛ばし、つい十数年前をさかのぼる。
  カークは新疆省に生まれた。両親はドイツのジャーナリストで、田舎の新疆のさらに田舎村でカークをこさえ、行方不明になったらしい――らしいというのは、 カークがその話を年寄りから聞いただけだからで、カーク自身は全く覚えていない。もっとも、新疆といえば、内乱が起こるまで共産党当局の厳しい監視下に あったウイグル自治区で、そんなところにジャーナリストが子供を作るまで長居して、あること――になってるもの――、ないこと――になってるもの――を見 聞したことを考えれば、まあ、想像はついたが。
 時は流れて2026年。イスラエル、アフガニスタン、イラク、パキスタン、ロシア、韓国、前年度 を合わせればアメリカ、日本と、大規模テロが多発したテロの年。それに伝染したように、中華人民共和国では、翌年にカークの住んでいた新疆で大規模な内乱 が発生した。それは農村を中心に瞬く間に中国全土に広がり、たった一年で中国は大小合わせて二十の国に分裂したのである。
「俺はそのうちの一つで 戦ってたんだよ。経緯はよくわからん。ただ、気づいたら棒きれの代わりに拳銃握ってて、もう少し進んだら鹵獲したPS乗り回してた。人民解放軍相手に暴れ て、アメリカ相手に暴れて、EU相手に暴れて、日本は……追い回されてばっかだったが。――まあ、ほとんどゲリラ戦だな。まともに戦っても爆撃されおっ死 ぬだけだし」
「あの……結局、どこと戦ってたんですか?」
「まあ、どこともか?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……まあ、敵だしな」
「その人たちが憎かったのですか?」
 と那美は言った。真剣な表情だった。
 カークは眼を閉じた。当時の自分を思い出す。硝煙と血にまみれ、ひたすらはいずり回っていたあの頃を。
「……憎くはなかったな。敵ではあったが」
「憎くもないのに、そんなに沢山の相手と戦えるんですか?」
「さあな」
  アメリカにしろ、EUにしろ、レアメタル欲しさに、それぞれの支持する?中国?があった。カークもそういった国の一つに所属していた。ところが、その二十 にも別れた国が頻繁に統合分裂を繰り返した。また、古代より一族郎党を惨殺して見せしめにしなければ止まらない国柄なので、一つの戦いが終わったとして も、ご丁寧に国際条約に則った行動をしていたら、たちまち裏切られることになった。そんなことがある度にアメリカやEUのような支援国は右往左往しなけれ ばならなかった。やがて、終わりの見えない戦いにアメリカやEUが疲れ、レアメタル採掘にばかり力を入れ出すようになると、今度は中国全土に外国人排斥運 動が起こり、カークの銃口も人民解放軍から外国軍に向けられるようになった……フランクあたりなら、そう説明したであろう。
 だが、当時はそんなこと考えもしなかった。
「ただ眼の前にいる敵を撃っていたんだよ。そしたら全部が敵になった。それだけだ」
 それがカークにとっての真実だった。
「戦争って、そういうものなんですか?」
「そういうものだ」
 事実ならいくらでもあった。
  国連は中華人民共和国を正統な中国として認めたが、汚職と権力闘争にまみれた国連に内乱を抑える力はなかったし、何より、内政干渉を嫌う中華人民共和国が 拒否権を乱発していた。また、初めてPSが実戦配備されたこともあって、人的被害は甚大なものになった。中国全土の人口は戦前の五分の一以下になり、揚子 江は死体に埋もれて流れが変わった。そして、戦争が始まって五年後、共産党政府が核を投下、一O億度の炎が五年間ふりつもった諍いを全て消し去った。
「ただ、俺にとっては単純だった。さっきも言ったとおり、いつのまにか始まってて、ひたすら眼の前の敵を撃ち、いつのまにか終わっていた。――俺にとっての戦争ってのは、そういうもんだった」
 それがカークにとっての事実であった。
 那美はじっと黒透水を見つめて、ぽつりと呟いた。
「お母さんもそだったのかな」
「……さあ。日本(そっち)のことは判らんな。まあ、色々あるんじゃねェの?」
「――カークさんは、故郷に帰らないんですか?」
 唐突な質問だった。那美は儚さの消えた、ガラス玉のような瞳でカークを見ていた。
「なんだって?」
「故郷です。だって、帰れるんでしょう?」
「……ないんだよ」
 カークは空になったグラスを覗き込んだ。一瞬だけ、子供の頃に駆けめぐった故郷が浮かぶようだった。
「核が落とされたのは一番内乱の激しかった場所――つまり新疆だ。ゲリラと戦争消滅させたついでに、俺の住んでた村も蒸発したらしいな」
「……そうですか」
 それだけ言って、那美は黒透水に口をつけた。透明な黒い液体が、ゆっくりと那美の口の中に吸い込まれていく。
 飲み干してしばらく、那美の瞳は虚ろになり、視線は宙に飛ばされていた。カークが不審に思ったとき、
「ところで」
 と那美が言った。そのときには全てが元に戻っていた。
「さっきの話にお母さんが出てこなかったような気がするんですけど――」
「……さっき言った、追い回してた日本兵がオマエのオフクロ」
「はあ、よく知り合いになれましたね」
「……ダチ作るのは得意なんだよ」
 そう言って、カークは立ち上がった。
「そろそろ出るか。送って行ってやるよ」
「あ、いいです。もう少しゆっくりしてるから。――それに、私、金老に住んでるんです。少し遠いですよ」
「金老って、クラブじゃなかったか? それも高級の?」
 金老はもともと高級ホテルで、最上階は無駄に大きな結婚式用のホールまであるほどだった。しかし、今ではいわゆる接待飲食店(クラブ)となっている。元ホテルということを利用して従業員を住まわしていると聞いたことはあったが――
「はい。私、そこの従業員なんです。お母さんが頑張って仕事見つけて来てくれたんです」
 オマエがァ? とは辛うじて言わずにすんだ。だが、見てくれはともかく、接待するどころか、逆に接待されそうな性格をしている。もっとも、あの慶麗も出るとこ出れば淑女を演じられるという噂だから、案外、どうにかなっているのかもしれないが。
 何にしろ、これからこの少女の母親を追いかけなくてはならないのは確かなようだった。
 カークは財布を取り出し、3000円ほど抜き出してテーブルの上に置いた。
「円払いでも大丈夫だろ。元しか無理っつうなら、取っとけ」
「でも、私が払うはずじゃ、……それに、多すぎますけど」
「タクシーでも呼んで帰れ。さっきどんな目に遭ったか忘れたか? 男の股間蹴り潰せるようになるまで、一人で外出歩くなよ」
 そう言って、カークは店を出た。


  北京射撃館は北京オリンピックの射撃開催会場として設計されたビルで、オリンピック後はスポーツ施設となっていたらしいが、今では廃墟とそう変わらない。 無駄に広いので掃除がままならず、かといってその広さを有効活用しようにも、面積の大半を射撃館が占めているので改築する以外に手だてはない。そして、そ んな金がどこに存在するわけでもなく、今では武装警察室だけが細々と使われているだけとなっていた。
 その武装警察室に入ると、だだっ広いオフィスに若い男が一人いるだけだった。
「あ、カークさん」
 男はカークに気づいて立ち上がると、軽く頭を下げた。
 カークは首を傾げる。
「誰だっけ、オマエ?」
 率直な物言いに、男は苦笑混じりに答えた。
「李ですよ。李明珍。今日、話しましたよ」
「ああ、オマエか」
 カークは頷いた。あの使えない武警だな、と記憶にとどめておく。
「でも、会ったことあったか? まあ、俺は慶麗に放り込まれただけの嘱託だし、ここらにはあまり顔出さんが」
 李はカラカラと笑った。
「有名ですよ、カークさんは。今日も市長を一人、病院送りにしたじゃないですか」
「……やっぱまずかったか?」
「一応、俺が病院まで運びましたけど、笑ってましたよ。『三ヶ月のただ働きで手を打とう』って。さっすが、こんな都市で半年も市長やる人は違いますね」
「それなら構わん」
 カークは胸をなでおろした。お役ご免にされ、手持ちぶさたになることが何より恐ろしかったのである。もっとも、フランクは半狂乱になるだろうが。
「しかし、オマエらがもっと早く出てきて市長保護してりゃ、面倒にはならんかったんだ。何してやがった?」
 カークが睨むと、李はあっさりと言った。
「物陰に隠れてました」
「……軍隊なら射殺ものだな、オイ」
「俺ら、武装警察であって、軍隊でも警察でもありませんから」
 平然と受け流す李。案外、度胸はあるようだった。
「そ れに、相手は北京重建旅団(ベイジンチョンジェインリュトゥァン)でしょ? ガチガチの武闘派じゃないですか。PS相手に豆鉄砲撃ったってしょうがない し、ここはカークさんにPSを始末してもらい、俺らは担架とか医療品をふんだんに持って市長救出という美味しいところ……もとい、重要な役割を果たそうと したんですよ」
「オマエらだって、PSぐらい持ってんだろ」
「隣の?察官学院にいるお偉いさんが、全部売っ払っちまいましたよ。で、テロリストはPS手に入れて、お偉いさんは麻薬を買う。それをカークさんがぶっ壊して、俺らがその破片を集める。それをお偉いさんが売って……というのが、今の北京のサイクルです」
 カークの眼が据わった。
「今度その、お偉いさんっての引きずり出して来い。俺が誤射してやる」
「じゃ、俺らはお偉いさんのミンチ集めて肉屋に売ります。それをテロリストが食べれば負の連鎖はおしまいですね」
「全くだ。――ところで、捕まえたっていうテロリストは隣か?」
「いえ、射撃館に放り込んでますよ。両手に手錠付けて」
「あァ?」
 カークは眉をひそめた。どうもこの李という男には、とんでもないことを平然と言う癖があるようだった。
「?察官学院(むこう)にゃ立派な牢と取り調べ室があるだろ! なんだって、射撃館なんかに放置してんだ」
「例によってお偉いさんの命令ですよ。手許に置いとくと、テロリストが取り返しに来たとき一緒に吹っ飛ばされると思ってんじゃないかなあ」
「そんなに重要な人物なのか?」
「逃げ遅れて俺に取り押さえられるような間抜けですよ。名前は宋混論――下っ端ですね、アレは。――まあ、以前、襲撃受けましたからね。ナーバスになってるんですよ。ホラ、あの銀のPSもあったことだし」
 銀のPSという言葉を聞いた瞬間、カークの眉が跳ね上がった。
「そっちで何か調べがついてるのか?」
 李は手をひらひらさせた。
「全 然ですね。上じゃあ、出てきたらどう逃げよう、って話ばかりしてますよ。とりあえず、伝手のあるマフィアや公安部の連中に聞いてみましたけど、手がかりゼ ロ。PSなんか、整備やら何やら設備がいろいろと必要だし、ましてあの目立つ色だから、そうそう隠せるものじゃないと思うんですけどね。判ったのはここ一 年、各地でチラホラ見かけられたってだけですね。どうも北京(こっち)に来たのは最近みたいです。もっとも、各地で暴れてたのと、今回のが同一って保証は ありませんけど」
「一応、公安の一種だろ、オマエら。重慶からの情報はねェのかよ」
「公安といっても、重慶(むこう)から見捨てられてま すからね、うちは。金も情報も何も回ってきやしませんよ。まあ、向こうは暢気なのも多いけど、目端の利くヤツも多いですからね、銀のPSのことにしても、 何か掴んでるかもしれませんが――って、こんなこと聞くってことは、次の仕事はコイツ絡みですか?」
「まあな。で、捕まえたテロリストに会いに来たんだよ」
「ヤバイ仕事が好きだなあ」
 李はガシガシと頭をかいた。
「で、上の許可はお持ちで?」
「事後承諾で慶麗(やくしょ)から取ってやる」
「……今日は悪かったし、それでいいか。どうせ形だけだし」
 ぼやいて、李は机の引き出しを開け、カークに手渡した。
「一号館にいますよ。ま、ヤツは何も知りゃしないと思いますけど」
 カークは礼を言って鍵を受け取り、部屋を出た。
 

 一号館といっても、ただの射撃場だった。柵があり、その向こうに射撃用の的がある。普通の射撃場と違うのは、オリンピック用に作られたこともあって、柵の後に青い観客席が並んでいるところだった。
 男は、その観客席に座らされていた。
 男といっても殆ど少年で、年はカークより二つ、三つ下といったところだった。両手に手錠がつけられ、それぞれ左右の椅子に繋がれている。呆れるくらい手抜きの所行だが、抜け出すことはできないだろう。しかも、場所は観客席のど真ん中である。
 カークは李の顔を思い出した。いかにもあの男がやりそうな仕事だった。
 カークが近づくと、少年が顔を上げた。
「宋混論だな?」
 少年は短く刈り上げた頭でゆっくり頷いた。
「いくつか聞きたいことがあるんだが、その前に……オマエ、ホントにテロリストか?」
 カークはじっと宋を睨んだ。
 細い眉に、薄い唇。身なりも悪くない。拳銃握ってドンパチするより、家で筆を持って詩を吟じるほうがよほど似合っていた。
「はい。一応」
 細い声だった。そのくせ、どこか居直りのようなものを感じさせる。
 何となく気にくわないが、他に手はなかった。
「じゃあ、テロリスト共――北京重建旅団だっけか、そいつらのアジトがどこにあるか話せ」
「……その、知らないんです」
「何でだよ」
 カークがさらに眼付きを険しくすると、宋は首を引っ込めた。
「拠点を知っているのは幹部だけなんです。その幹部にもほとんど会ったことはないし。僕のような陸士は旧市街のアパートに住んでいて、作戦を遂行するときに呼び出されて武器を渡されるだけで」
「ああそうかい」
 カークはやる気のない返事をした。
 ――何が陸士だ。つまりは、ただの使い捨てじゃねェか。
 李の睨んだとおりである。山賊紛いが多いとはいえ、テロリストの方もそう不用心ではないということだろう。
 カークは八代翔子の写真を見せた。
「こいつ、知ってるか?」
 いつになくぞんざいな声だった。カークは半ば、宋に見切りをつけていた。
 だからこそ、宋が「翔子姐さんですか」と言ったときは驚いた。
「知ってるのか?」
 宋は頷いた。
「組織の客人です。近くに住んでいたので、僕が世話係を命じられたんです。いい人ですよ。凄い人らしいけど、他の隊長みたいに威張らないし」
 のほほんとした口調だった。間違っても、つい何時間か前、一六・五ミリの弾丸をばらまかれた相手に対する口調ではない。
「娘はいたか? 一人いるはずだが」
「いましたよ。ナミっていったかな、どこかに住み込みで働いてるみたいですけど、すごく可愛がってました。週末には必ず一緒に食事をしていたみたいです」
 ――となれば、やはり八代翔子か。
 PSのことは幹部しか知らないのだろう。考えてみれば、こんな下っ端に話して凶にこそなれ、吉にはなるまい。
 カークは身を乗り出した。
「ソイツがどこにいるか、判るか?」
「住んでいた所なら判りますが、またそこに帰ってきている保証はないですよ」
「いいから教えろ」
 宋の言葉を、カークはメモした。以外にも、カークの根城の近くである。だが、考えてみればカークも余所者である。そのカークが根城に選んだのだから、同じく余所者である八代翔子が同じ場所を選んでも不思議はない。
「八代翔子について、他に知っていることはあるか? 癖とか、そんな些細なことでもいい」
 考え込むように、宋はうつむいた。
「そう言われても……。僕は世話係といっても部屋の中には入ったことは数えるほどしかないし、詳しくは判らないです。そういうの苦手だし。さっきも言ったけど、謙虚ないい人で、娘さんをひどく大事にしていることしか……あ、でも、笑顔が怖かったな」
「怖い? 笑いながら首でも絞めてくるのか?」
「そうじゃなくて、静かに微笑む感じなんだけど、それが静かすぎるというか……」
「何を考えてるか判らないって感じか?」
「はい。ずっと微笑んでいるだけで、なんかどこも見ていないような気がして……正直、気味が悪かったですね。」
「笑顔、ね」
 どうにも想像のつきにくい話だった。
 とりあえず頭の片隅に残しておくとして、もう宋への用はなくなった。帰ろうとすると、宋から声をかけてきた。
「あの、僕はどうなるんですか?」
「はァ?」
 カークは振り向いた。宋はカークを見上げている。生まれたての赤ん坊のような面だった。
「死刑に決まってんだろ。何、ボケたことヌかしてんだ」
「ええぇ!」
 宋の表情が初めて崩れた。色を失い、唇が震える。
「そんな、どうして!」
「どうしてって、オマエ、市長を殺しに行ったんだろ? どうせ裁判らしい裁判なんてしねェだろうが、死刑以外の刑があったら俺が知りてェよ」
「理不尽だ! 僕は、そんな、そんなつもりじゃなかったのに……」
「人に鉛玉飛ばしといて、殺人以外のどんなつもりがあったんだよ」
 半眼になってカークはうめいた。そんなカークに構わず、宋はぶつぶつ呟いた。
「そ うだ、戦争がいけないんだ。戦争が始まるまでは、ちゃんと学校に通っていたんだ。勉強もしていたんだ。それが戦争が始まって、父さんも母さんもいなくなっ て、気づいたら戦争は終わっていた。でも、終わったら何も残っていなかったじゃないか! 街は野蛮な体力馬鹿ばかりになって、学校も会社も全部潰れてさ、 あんなに一生懸命勉強したのに、全部無駄になったじゃないか!」
 カークはようやく宋のような人間をどう言うか思い出した。
 小皇帝(シャオファンディー)――共産党の一人っ子政策が産み出した、過保護の結晶体である。そんな人物は、てっきり、国外に逃げたか、戦争で絶滅したかと思っていたのだが、どうやら生き残りがいたらしい。
 宋はカークを睨んだ。自分の正しさを寸分も疑わない、澄んだ眼で。
「そ んなとき、あの人たちに会ったんだ。北京を取り戻そう、あの人たちはそう言ったんだ。それで、気づいたら仲間になっていた。――だって、その通りじゃない か。北京(ここ)は、僕の生まれた街は、アンタみたいな白んぼや黒んぼのいるようなところじゃないんだ。もっと理知的で、進歩的な街なんだよ! 戦争のせ いでメチャクチャになったんだ! だから僕は――」
「気づいたら銃器抱えて市長に突撃かましてたってか、この時代遅れのイエローモンキー」
 そう吐き捨てた。憎しみはなかった。ただ、興味も持てなかった。
 カークは振り返った。そのまま歩き出す。
「待ってよ! 僕はどうすればいいんだ?」
「安心しろ」
 とカークは言ってやった。
「気づいたときにゃ死んでる」

 武装警察室に戻ると、李が書類を見ながら何やら書き込んでいた。新しい情報でも入ったのかとカークは背後から覗いた。
「何だ、ソレ」
 カークは眼を丸くした。李が覗き込んでいたいたのは、スクーターのカタログだった。それも三輪で、屋根がつき、後部には小型の箱が設置されている。
「覗き見ですか? 意地が悪いなあ」
 李が困ったように笑った。
「で、どうでした、収穫は?」
「そこそこだな。――しかし、何に使うんだ、ンなもん」
「宅配用のスクーターですよ。日本のね。これでピザを配るんです」
「ふむ」
 とカークは相槌を打った。ピザならば、アメリカのPX跡で食べたことがあった。
 ――そういえば、フランクもそんなことを言っていたな。
「流行ってるのか、ソレ」
「ソ レってのはピザの宅配ですか? ――重慶あたりじゃ流行ってるらしいですよ。配るってのがウケたんでしょうかね。本当は小龍包とか中華まんを運びたかった らしいけど、ガタガタ揺れるスクーターじゃ難しいらしくて、テキトーに豆板醤やらを散らして中華風(ヂョンファフォン)ピザって名前で配ってるとか」
「それをオマエがやろうと?」
「友人が持ちかけてきましてね。武警だけじゃ食っていけませんから、副業です」
 そう言って、李は頬をかいた。
 言い方は軽いが、食っていけないというのは本当だろう、とカークは思った。何せ、フランクが協力要請が来るたびに愚痴をこぼすのである。慶麗のような市長直属の役人にしても、ろくなものを食べていない。
「しかし、拳銃ぶらさげたヤツがピザ配りとはね。重慶に行って、向こうでやりゃいいじゃねェか。客も向こうのほうが多いだろ」
「ま、そうなんですけどね。どうも出て行く気がしなくて」
 李はまた頬をかいた。若干、顔が赤い。照れているらしい。
「俺は南京の生まれなんですけど、戦争が始まってからずっと北京(ここ)にいますし。そりゃろくでもない都市だけど、手のかかるガキほどかわいいというか、振り向かない女を追いかけたくなるというか、気づいたらこうして武装警察になってるし……」
「ふうん」
 ふとフランクと慶麗の顔が浮かんだ。ついで、ろくでもないことが次から次へと思い出される。しかし、出て行くとなると、あまりそういう気になれなかった。
「案外、そういうものかもしれねェな」
 カークは李に鍵を渡した。それを受け取りながら、
「そういうものらしいですね」
 と李はまた照れくさそうに笑った。


 宋から教えられた番地には、二十階建てのマンションが建てられていた。白塗りの壁は埃と灰で黒ずみ、窓もところどころ割れてはいるが、それ以外の状態はすこぶるいいようだった。それもそのはずで、このマンションは北京市の所有する市営マンションだった。
 廃墟と化した建築物をならず者たちが好き放題に占有しているのをみかねて、状態のいいマンションなどは慶麗たちが手を回して買い上げ、運営して市の資金の足しにしている。このマンションもその一つだった。
「しかし、そこに堂々とテロリストが住んでるとはね」
 考えてみれば、金さえ払えば治安のいい暮らしができるし、勝手に人が入って来ないので部屋にこもって居さえすれば人に知られることもない。日々、騒動に振り回されている北京市職員がいちいち住人の素性を調べるとも思えないし、潜伏先としては最適なのかもしれない。
 エレヴェーターを使い、十階まで昇る。
 表札はなかった。
 静かなものだった。ドアは覗き穴がついているだけで、中の様子に翔子が居るのか判らない。
 ――居たらふん捕まえりゃいいし、居なかったら家捜しすればいいか。
 そう即断し、カークは扉を蹴破った。
 中は普通の部屋だった。
 フローリングの床に、テーブルがあり、ソファがある。台所もテレビもある。どれも状態がいいものばかりだった。ソファなどは、後から楽虎に持って帰ろうとカークが思ったくらいである。
 だが、人の使っていた気配は薄かった。きれいに掃除されているが、空気がどことなく埃っぽい。かといって、何年も使われていなかったという感じでもない。
 ひと通り探ってみても、出てくるのは女物の衣服や食料、食器といった生活必需品だけだった。
 何も見えてこない。
 カークは自分の雑然としたアジトを思った。
 ――これだけで暮らせんこともないが……。
 ふとカークはベランダに出てみた。すると、ベランダの右の壁が壊され、板で橋を造って隣のベランダに行けるようになっている。
「なるほど」
 部屋一つ分の家賃で二部屋を活用、というわけらしい。
「これはいいな。俺も壁ぶちぬいて、隣のビル使うか」
 しかし、慶麗が真っ赤になって怒るな、こりゃ、と呟きながら、隣のベランダに渡る。
 ベランダから中に入ると、独特の匂いが鼻をついた。部屋はやはりきれいに片付けられていたが、どこか人の匂いがある。
 ――アタリだな。
 まず眼についたのが大きな本棚であった。一つのところに落ち着く生活をしているはずはないのに、そこはびっしりと本で埋め尽くされている。中国語、英語、日本語の本があり、ジャンルも専門書からただの小説まで幅広くあった。
 フランクのような細かい人間なら、ここにある本を見て持ち主の人柄を推定するということをやってのけるかもしれないが、あいにくカークにそんな芸当はない。そもそも本を読まない。
 だが、こうして部屋を二つに別けたという事実は飲み込んでいる。
 一つは公用のもので、宋の話では那美と会うときでさえ、あの部屋を使っていたのだろう。
 もう一つ、つまりここはプライベート用の部屋ということになる。
 ゴミ箱を覗くと、茶色い紙袋があった。中には空になっているが錠剤を包装ずるプラスチックフィルムが入っている。フィルムの端には、小さくBGと書かれていた。
 戦中、さんざん見た薬だった。
 ――しかし、まさかな。
 フィルムをしげしげと見ていると、胸で声がした。
『カーク、聞こえてますか』
 フランクからの無線通信だった。
 カークは胸もとから無線機を取り出した。
「聞こえてる。翔子のことだな?」
『そうですけど、いつも言ってるように、勝手に仕事受けるの止めてくれませんか? スケジュール管理する僕の身にもなってください。仕事をするたびに収入を支出が上回っていくのを見て、僕がつねづねどう思っているかをここらではっきりと――』
「判った、判った。文句があるなら、ベオウルフのコンピュータに吹き込んどいてくれ。今度からそれ聞きながら仕事してやるよ」
『本当ですね?』
 真剣な声だった。どうやら本当にやるらしい。
 ――ただ働きのことは当分、伏せといたほうがよさそうだな。
 厄介な相棒を持ったものだと嘆息する。むろん、自分のことは考えていない。
『とりあえず、八代翔子ですね』
 カークの言葉に気をよくしたのか、フランクが続ける。
『ざっ と経歴を調べてみました。代々、軍人の家系のようですね。彼女自身もJPKF――ああ、当時は自衛隊といいましたか――に入っています。夫も軍人のようで すが、そっちは三年前に戦死しているようです、娘は一人――つまり八代那美ですね。肝心の経歴は1994年生まれで、2012年に防衛大学に入学。どうや らPSの才能が相当にあったらしく、在学中はPS戦略研究会に所属して――』
「そこら辺は省け」
『……ここ、調べるのに一番苦労したんですけど』
 カークはあっさりと言った。
「日本の事情は判らん。戦中の話をしろ」
『判りましたよ。僕もいいかげん慣れてますからね。フフフ』
 恨めしそうなフランクの声。
『……戦中、だいたい2019年から2025年までですね。主に、台湾、東南アジアをずっと海外を飛び回っていたみたいですね。中国にも、終戦直後に来ています。その間、暁光、閃光と、ずっとPSに乗っています』
「判ってはいたが、見事なキャリアだな」
『それだけじゃありませんよ。どうやら、八代翔子の部隊は広報もかねていたようです』
「なるほど。国内の戦意昂揚か」
『それもあるでしょうが、民間のほうが多かったみたいです。バラエティー番組のインタビューとか』
 思わず半眼になる。
「……何で戦場にバラエティー番組のカメラが来るんだよ」
『何でも、日本(むこう)じゃ報道の自由があるとかないとか。?軍人さんに突撃?はまだしも、?芸能人、一日戦場体験?なんて信じられない番組もあったようですね。これはさすがに打ち切られたようですが』
「俺らが蛆と泥にまみれて戦ってたのに、JPKF(あいつら)はテレビカメラに囲まれて戦ってたのか」
 そうカークはうめいた。もしそれを戦中に知っていたら、さしものカークでさえ戦意を失っていただろう。そんな連中に勝てるわけがない。
『まあ、とにかく八代翔子ですよ』
 とフランクが言った。
『最 新鋭の機体に加えて、美人の女性のパイロット。しかも腕が立つ。まあ、テレビが放っておかないのも判りますよ。彼女の部隊の行く先々にはテレビクルーがぞ ろぞろ付いていったらしいですが、八代翔子はつねにその期待に応えていたみたいですからね。性格も真面目そのもので、相次ぐインタビューに全部丁寧に答え て、嫌な顔一つしなかったとか。国内じゃかなりの人気者だったみたいです。』
「英雄(ヒロイン)というより、偶像(アイドル)といった感じか」
『いえ。もっと上ですね。JPKFが世界有数の軍隊とはいえ、海空じゃ米軍にかないませんからね。唯一、突出していたのがPS部隊。そこのエースですから、戦争の象徴(シンボル)と言っても過言ではなかったようです。そういう意味では、戦意昂揚に随分役立ったでしょうね』
「で、その象徴が日本を追いだされた」
『はい。でもここからが少し曖昧なんです』
 フランクの声が低くなった。
『終戦後、八代翔子は日本に戻りました。でも、おかしなことに、その様子が放送されていないんです。どうやら、軍部以外誰も、八代翔子がいつ日本に戻ったのか知らないみたいですね』
「妙だな。民間はもちろん、日本政府にしても、そこは英雄の帰還として、大々的に利用するものじゃねェのか?」
『そうですが、ここからが本番です。――こっそり日本に帰った八代翔子は自分の家で娘と暮らしていたようなのですが、それを嗅ぎつけたのか、ジャーナリストが二人取材に行っています。ところが、八代翔子はその二人を絞殺しているんです』
 カークの眼が鋭くなった。そこが、八代翔子が日本を出なければならなくなった胆なのだろう。
「理由は?」
『不明です。流言飛語の類はいくらでも出てくるのですが、決め手はありません』
「……続けろ」
『殺人現場に娘が居合わせたらしく、娘はショックで入院。八代翔子は指名手配されます。ところが、娘が入院した次の日に、八代翔子は病院に侵入。娘を確保し、逃亡したようなのですが、その際、当直医を一名射殺しています』
「――また殺しか」
『こ れは恐らく、娘を連れているところを目撃されたからでしょうね。――とにかく、この事件で国内の八代翔子の評価は一気に下落。メディアでは?殺人狂?とい う文字が躍ったようです。戦争で殺人の味が忘れられなくなった、って。戦中の持ち上げ方が信じられない記事ばかりで、読んでいて何とも妙な心地になりまし たよ』
 とフランクは息をついた。
『とにかく、調べられたのはここまでです。八代翔子が中国に渡ったことまでは調べられませんでしたが、当時の警察、JPKFの動きからしてまず間違いないと思います。もっとも、中国(こっち)で何しているかまでは知りませんが――』
「どうやら、テロ活動にいそしんでいるらしいぜ」
『本当ですか? 他人事ながら、どうなってんだろうなあ』
「全くだな」
 カークは部屋を見渡した。端に何かが建てかけてある。
 カンバスのようだった。油絵が描かれている。独特の匂いのもとはこれだったのだろう。それが何枚もある。
  描かれているのは、全て娘の那美のようだった。小さな頃から現在の姿まで、さまざまな種類がある。背景から、どうやらモデルを見てではなく、どれも想像力 だけで描き上げられたことが判る。しかし、カークに絵のことは判らないが、その病的なまでに写実的な筆致は、見る者に怨念のような底深さを感じさせる。 
 那美の入院。八代翔子の三つの殺人。那美が描かれた何枚ものカンバス。
 カークは那美の虚ろな瞳を思い出した。
 ……お母さん、戦争でおかしくなっちゃったんです。
『どうかしたんですか?』
「なんでもねェよ」
 吐き捨てるように言った。
「それより、八代翔子の殺人だ。戦中のことで、何か推測できねェのか?」
『特に不審はないですね。戦中の八代翔子の行動については、ほとんどが報道されているし。夫の死にしても、どうやら夫婦仲は冷え込んでいたらしくて、淡々としたものだったそうです。もっと詳しく調べようにも、軍事機密に抵触するようになると、とてもじゃありませんが……』
「じゃあ、記者殺しだ。それが一番怪しい」
『殺 された記者も、柄のよくない連中らしいですからね。確かに揺すりの可能性は十分あるし、そこから追っていけば全部判るかもしれませんけど……難しいなあ。 あの国、昔はハッキング・クラッキング天国だったのに、再三のサイバーテロで懲りたのか、海外からのアクセスでちょっとでも怪しい動きをするとすぐに弾く んですよ。どうでもいい情報でもセキュリティはガチガチだし。やることが極端なんだよなあ』
「それをやるのがオマエの仕事だ」
『いや、でも、僕はそれよりたかが殺人でJPKFが動くことのほうが不思議なんですが』
「それは放っておけ」
 翔子は閃光を奪っている。JPKFが動くのは当たり前だった。
 カークはカンバスを置き、風呂場に入った。
 とりたてて不審なものはなかったが、投げ出されたタオルが眼をひいた。?金老 2010?と刺繍されている。数字はタオルの製造された年だろう。
 金老――那美の勤めているクラブである。
 2010年。つまり戦前。そのとき、金老はまだホテルだったのではないか。
 十六年という年月が経っているにもかかわらず、タオルまだまだ使えそうだった。まるでずっと部屋に放置されていたかのように。
「ところで、ベオウルフはどうだ?」
『思ったよりも悪くないですよ。両腕はまるで使い物にならないですけど、まあ、単純な機構だから交換は楽だし。他も直撃はないですからね。今はロボットアームに任せています』
 カークはタオルを眺めた。
 那美が自分の部屋から持ってきたのか。しかし、それなら隣の部屋にあるほうが自然である。翔子が隣から持ち込んだ可能性もあるが、そうでないとすると――
「なるべく急げ。どう転ぶか判らんが、早いにこしたことはない」
『了解しました。……で、気になっていたんですけど』
 フランクの声が冷たくなった。説教モードである。
『ベオウルフの傷、何があったんですか? ガトリング砲でも浴びたとか思えないんですが』
「そんなところだ」
 とカークは生返事をした。
「状況から、盾にならざるをえなかったんだよ。察しろ」
『察 しろって……あのですね、いくら腕の装甲が厚いからって、ガトリングの盾になる人がいますか? PSは戦闘ロボットじゃないんですよ! パワードスーツ ――あくまで着るものなんです。今回は無事だったからいいものを、もしベオウルフの腕が耐えられなかったら、あなたの腕はそこについてませんよ! 仕事熱 心もけっこうですがね、もっと体を大事に――』
「あー、ハイハイ。そんときゃ、オマエが義手作ってくれ」
『そういう問題じゃ……いや、もういいです。僕も何だか疲れました』
  はあ、とため息をつくフランク。続いて、どうしてこう、毎回毎回、無駄だと判っているのに説教をしてしまうんだろう、ああ、でも、そんなことより洒落抜き で義手の造り方を勉強した方がいいかな、PSの電気信号検出装置と人工筋肉を応用すれば何とか――って、こう甘やかすから無茶するんだ、たまにはビシっ と……しかし、腕がなくなってからでは遅いし、ここは時間を見て試作だけはして――
 もはや独り言である。それがえんえんと続いている。
 さすがのカークも、少しだけ心配になった。カークの経験上、戦場では、こういう男に限って銃弾でではなく、階段を踏み外してあっさり死んだりするのだ。
 ――運動不足だしな。よし。今度、四十キロほど走らせてやろう。
 そう決心し、カークは通信を切った。
 声がなくなると、部屋は急に広くなったようだった。
 カークは部屋の真ん中に立っていた。右脇に本棚、左隅に娘が描かれたカンバス。ただよう絵の具の匂い。
 翔子は二度とここには戻ってこない――どういうわけか、カークはふとそう思った。

    ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

  二年ほど経つと、電話や手紙はより激しくなっていきました。さらに時が経つと家の外にも大勢の人が集まるようになり、次々に罵声が飛んでくるようになりま した。内容はよく覚えていません。ただ、これまでは父と母――主に母が対象だったのに、いつの間にか、それが私になっていました。……そうです。感情にま かせたものも、理知的なものも、全部が全部、私が悪い家の子供――悪い子だと糾弾していました。
 悪い家だ、悪い家だ、悪い子だ、悪い子だ。
 朝も昼も夜も私はただ罵られていました。
  ……はい。悲しかったです。とても悲しかった。学校に行っても友達はみんな離れて行って……それでも通っていると苛められるようになりました。そのうち、 外に出ただけでたくさんの人に囲まれるようになりました。……はい。警察にも相談しました。でも、民事不介入だって言われて。それでも、何度か助けてくれ たんですけど、電話や手紙まで止められないし、人もすぐに集まってきて……。何とかしようとしてくれた人もいるみたいですけど、すぐ罵声にかき消されてし まいました。悪い子だ、悪い子だ、って。
 私が外に出るたびに騒がしくなるので、とうとう学校にも行けなくなりました。学校どころか、近所の人の迷惑になるので、外に出ることすらなくなりました。
  ……いえ。両親には知らせていませんでした。連絡先が判らなかったんです。家政婦さんなら知っていたのでしょうが、家政婦さんは随分前から来なくなってい ました。連絡しても留守番電話ばっかりで。……はい。祖父も祖母も既に亡くなっていました。親戚の人も居たのでしょが、ほとんど会ったこともないし……。 でも、誰も助けに来てくれませんでした。
 そのうち、外の回線が切られたのか、電話もテレビもパソコンも、何もかもが使えなくなりました。掃除機 も使えないし、外にも出られないので部屋はゴミと埃だらけになって、その中で私は一人で暮らしていました。友達もいなくなって、大好きなPSにも乗れませ んでした。昼は本を読んで、夜は暗い中でじっとうずくまっていました。
 ……はい。テレビや雑誌の取材は、けっこうありました。テレビの取材だっ たでしょうか。リポーターの人が私に手紙を渡して読んで欲しいと言いました。その手紙には色々なことが書かれていましたが、結局は私を罵っているように思 えました。リポーターの人がマイクを突きだして、どうですか? と私に迫りました。そのとき、思わず私は叫んでいました。どうして私を苛めるんですか、っ て。どうして私が悪い子なんですか、って。自分で言うのもおかしいですけど、私は大人しい人間で、人前で叫んだことがありませんでした。でも、叫びまし た。叫ばずにはいられませんでした。……リポーターの人は冷静でした。私の叫びを聞いて、大きく頷きました。テレビカメラにも映されました。でも、それだ けでした。何も変わらなかったんです。何も。
 それからは、何を聞かれてもずっと黙っているようになりました。そうすると、取材の人はどんどん 減っていって、最終的には、二人のお兄さんが来るだけになりました。でも、嫌な気分にはなりませんでした。お兄さんたちはとても親切で……え? ……は い。知っていました。でも、私に優しかったのはお兄さんたちだけだったんです。ご飯も着替えも、全部お兄さんたちが持って来てくれました。ときどき仲間の 人も来ましたけど、その人たちも私に優しかった。何より、お兄さんたちは、私が悪い子だなんて一言も言わなかったんです。
 ……どうしてこうなっ たか、ですか。……はい。多分、そうだと思います。でも、そんなのは、きっかけに過ぎなかったんです。あの人たちにとって、もはや、そんなのはどうでもい いことだったんです。だから、私は理解できなかった。だから、私は納得できなかった。だって、あの人たちには…………。
 ……いえ。そのときは、 まだ信じていました。暗い部屋の中で一人、膝を抱えてずっと信じていました。これは何かの間違いだ。きっといつか、みんながやって来て、今までのことは間 違いだった、ゴメンね、許してくれ、って言うだろう。そしたら私も笑顔で許してあげよう。こうして、全てが元通りになるはずだ、って。
 ……はい。あのときまで、私はそう信じていたんです。

    ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 老山西里(ラオシャンシーリー)の雨龍(ユーロン)といえば、その筋の人間なら誰もが知っている名である。表向きは中古トラックを扱っている販売店で、大胆にも店の隣の公園に商品を陳列している。
 しかし、とカークは言った。
「ひとたびトラックのコンテナ開けりゃ中には武器弾薬――それも、PS用のそれがぎっしり詰められてるんだから、大胆にもほどがあるよな」
「軍用PS(ベオウルフ)使って土木作業してたヤツに言われたくないな」
 憮然と答えたのは、雨龍の店主、中村半次郎である。
  広すぎる駐車スペース隣に、雨龍はこんじまりとたたずんでいる。鉛色のトタン板でただ長方形を造っただけのような外見は、建築物というよりはバラックと いったほうがしっくりとくる。中は畳がしかれていて、半次郎はそこにあぐらをかいでいる。奥にはパソコンがあり、モニターにテレビ放送らしきものが映って いる。
 框に腰掛けて、カークは言った。
「隣のトラックだがよ、さっき物欲しそうな眼で見てたヤツがいたぜ。盗られても知ねェぞ」
「感電死したいのなら、好きにするがいいだろう」
 ふん、と半次郎は鼻を鳴らした。赤茶けた四十過ぎの顔は、あくまでも無表情だった。
 れっきとした日本人である。五年ほど前に大戦中の北京にやって来て、誰彼構わず兵器を売りまくって儲けたとは本人の弁だが、どこまで本当なのかは判らない。そもそも、中村半次郎という名前からして偽名ではないかとカークはひそかに思っていた。
「それで、何の用だ。ベオウルフ関連なら、一ヶ月は待ってもらうことになるぞ」
「今日、閃光に襲われたんだよ」
「――ほう」
 半次郎の眼が興味深げに光った。
「よく生きていたな。アレは正真正銘の名機だぞ。貴様のベオウルフのような半端ものではない」
「玄人向けっつうんだよ、アレは」
 カークは半次郎を睨んだ。
「その閃光だが、16・5ミリをしこたまバラまいて行きやがったんでな」
「なるほど。それを売ったのが俺ではないか、というわけか」
 半次郎は腕をくんだ。
「一週間ほど前か。学生風の男が買いに来た。持ってきた金は日本円、それも番号が規則正しく並んでいた。恐らく、どこぞの銀行でも襲って来たんだろうな。所属組織も聞いてみたが、何のことか判らないという顔をしていた。つまり、ただの使い走りだ」
「で、そのいかにも怪しいヤツに、売ったのか?」
「売ったな」
 半次郎はあっさりと頷いた。
「16・5ミリ徹甲弾3000発。しっかりと売った」
 あまりにもサバサバした態度に、カークは叫んだ。
「売るなよ! ンな怪しいヤツにンなもん売りやがって、他の顧客に迷惑がかかるとは思わんかったのか! 現に、テメエがそれ売ったせいで俺は死にかけたんだぞ!」
「貴様が死なずに済んだのも、俺が売った装甲のおかげだ。それに、俺からすれば貴様のほうが怪しい。ウイグル語を喋ってドイツ語を喋れないゲルマン人など漫画の世界にも存在しない」
 あざ笑うように、半次郎は言った。
「しかし、貴様にぶち込むと知っていれば、液体炸薬のタングステン弾でも都合したのだがな。惜しいことをした」
「……このクソ親父が」
 カークは思わず拳を握った。だが、それを振り下ろす前に、自然とため息がもれる。半次郎はそういう男だった。商売をしているくせに顧客情報など一切守らず、売るときも見境なしに売る。そのくせ、妙に理屈っぽい。カークの苦手なタイプだった。
「まあいい。それより、買いに来た男のことだ。何か判らんのか?」
「さあな。さっき言ったこと以上のことは知らん。興味がないのでな」
「俺を襲った閃光に、八代翔子が乗っていたとしてもか」
 半次郎の表情が少し動いた。
「八代翔子、か」
「オマエら日本人にとっちゃ、無視できん名前だろ」
「どうだろうな。もう話題にすらなってないと思うぞ」
「ンなわけ……いや、情報統制でもしてんのか?」
 カークがそう言うと、半次郎は眉根を寄せた。
「情報統制? 何故、そんな単語が出てくる?」
「知らねェのか?」
 考えてみれば、半次郎が日本を出たのは戦中だった。
 とりあえず、カークはフランクから聞いたこと――八代翔子が戦争の象徴として扱われていたこと、それが今や殺人狂になっていることを、半次郎に話した。
「だから、かつて祭り上げた手前、八代翔子の名をむやみに出さないよう情報を統制してんのかと思ったんだが」
「日本(あの国)に限って、そんなことはありえない」
 と半次郎は断言した。
「だが、当たらずとも遠からずではある」
「……どっちなんだよ」
 半次郎は宙を睨んだ。
「日本とはどういう国だと貴様は思っている?」
「ア? ンだって?」
「日本の特徴だ」
「特徴か」
 カークは頭をかいた。そういうのはあまり詳しくない。
「島国、PSの技術が凄い、資源大国ってくらいか?」
 半次郎は頷いた。
「そ のとおりだ。島国はもちろん、PSも元は福祉のために造られたからな。産業用ロボットの技術、高齢社会による福祉事業の需要増大、米軍のボディーアーマー 技術の応用もあって、PSの技術水準は世界最高峰だろう。資源にしても、レアメタルの採掘と精錬技術、高度な淡水化技術による豊富な水、海底のメタンハイ ドレートがある。――だが、もう一つある。巧妙な情報操作だ」
「それ、さっきオマエが言ったことと矛盾しねェか?」
 半次郎はカークの問いを無視した。
「つい二十年ほど前まで、日本は海外に軍を派遣するだけで憲法違反だなんだと騒いでいる国だった、と言ったら信じるか?」
「……言ってる意味が判らんが?」
「そ れだけ平和な国だったということだ。軍が敵に向かって発砲するだけでえらい騒ぎになった。無防備都市宣言なんてのもあったくらいだ。そうだな……反軍隊と いうより、反権力志向といったほうが適切か。それを可能にしていたのが、信用率80パーセントを超える強力なマスメディアだ」
 しかし、と半次郎は言った。
「二十年前、そのマスメディアに危機が訪れた。ネットの台頭と世界的な不況、放送形態のデジタル化による放送媒体の変化――これによって既存のマスメディアの財政は極端に悪化した。それを救ったのが、彼らの敵である権力――日本政府だった」
 つまり補助金漬けにしたのだ、と半次郎は言う。
  国際社会でよく使われる手である。相手国にひたすら金を送り込むことで、その国を自国の援助なしにはまともな経済を維持できないようにする。自然として、 その国は自国の傀儡となる。この場合、政府がマスメディアを半公営にしたのだろう。戦中、カークたちも似たようなことをしたものだった。
「しかし、さっき貴様が言ったように、情報の統制はされていない。日本の憲法上、言論活動に制限を加えることができないからな。ただ、情報のベクトルが操作されるようになった」
「方向(ベクトル)? 情報に向きなんかあったか?」
 そう言って、カークは框に頬杖をついた。
「ッていうか、そろそろ結論を言ってくれ。飽きた」
「情報に向きはない。ないが、情報が個人の中に取り込まれたとき、特定の指向を持つよう与えることはできる。そして、その指向の集合体を世論というのだ。つまり、日本政府は自由に世論を操ることができるようになった、というわけだ」
「……あー、結論は?」
 とカークは言った。瞼が半分ほど閉じられている。戦中をほぼ『ファック』と『コミー』の二単語のみで切り抜けた男である。元来、長話に付き合えるようにできていないのだ。
「けっこう重要なことを話していたつもりなんだがな」
 半次郎は呆れたように言った。
「今、戦争は終わっている。こうなると、戦中の世論はむしろ邪魔になる。当然、日本政府は新たな世論を形成しようとしているだろう。そんな中に、戦中世論の代表である八代翔子が話題になるわけないだろ」
「そんじゃあ、今の日本人はかつての英雄のことなんざ忘れちまってるのか?」
「ネッ トの発達で情報の伝達は高速化された。それに伴い、情報の廃棄も高速化されている。忘れるまでいかなくとも、もう意識していないだろうな。その意識にして も、さっき貴様が言ったことが本当なら、殺人狂としてだろう。誰も戦中の英雄とは思ってはいまい。日本人にとって、情報とは並列されるものではなく、上書 きされるものだからな」
 ふう、とカークは息をはいた。
「英雄から殺人狂に上書きか。何をしたか知らんが、報われんな」
「だが、戦中、八代翔子も似たようなことをしていた」
 と半次郎が言った。苦味のある声だった。
「戦中、反戦派といえる人間もいたのだが、彼らは一様に国賊と言われるようになった。半ば弾圧のようなものだ。その世論を形成した大きな要因は、八代翔子の活躍だ。彼らは八代翔子を激しく恨んでいたが、しょせんは少数派だ。どうなったのやら」
「――とこんだけ長々と喋るってことは、アンタもその少数派だったって口か?」
「まさか。俺は違う」
「ヘエ。俺はてっきり、日本追い出されたからわざわざ北京(こんなとこ)にいるんだと思ってたぜ」
「悪いが、貴様が楽しめるような、明確な理由はないぞ」
 そう言って、半次郎は軽く笑った。それからふと、眼が落ち込んだ。
「強 いて理由を挙げるなら、少しだけ怖くなった。さっきはいかにも全てを理解しているように言ったがな、実際には、つい最近になるまで何にも気づいていなかっ た。全てがごくごく自然なことに思えた。ただ情報を摂取して、ただ戦争を賛美していた。自分が自覚なしにそう思わされていると気づいたときはぞっとしたも のだ」
「いいじゃねェか、気づいたんだから」
「そんなに単純ではない」
 半次郎は静かに息をはいた。
「俺は本当のことが 知りたくなって、反戦派の人間に近づいてみた。だが、そこでも同じだった。みんな見たい物しか見えなくなっている……いや、それだけじゃない。それが伝染 してるんだ。思想、政治的信条も関係なく、無差別にだ。だとすれば、これからの時代、個人なんてものは存在しなくなる。全てが集団という?個?に集約され るときがいずれ訪れるのではないか。――馬鹿みたいな話だがな、本当に怖くなった。自分の思考は本当に自分のものなのか、それが判らなくなった。それで逃 げ出したんだよ。全部バラバラの無秩序なところを目指してな。で、気づいたら北京(ここ)にいたというわけだ」
「……何にしろ、八代翔子個人のせいにゃならんだろ」
 カークは立ち上がった。上半身をひねり、体をほぐす。
「ところで、ずっと気になってたんだが、16・5ミリ3000発をどうやって運んだんだ?」
 半次郎が顔を上げた。
「何だ藪から棒に?」
「いいから答えろよ」
「トラックに積み込んでいたな。そういえば、あのトラック、どこかで見た覚えが……」
「金老のトラックか?」
 ぴしゃり、と半次郎が膝を打った。
「それだ。――しかし、何故判る?」
「知るべきときに、知るべきことを知ってりゃそれでいいのさ。細けェことは放っておいてな」
「……慰めているつもりか」
 腕を伸ばしながら、ニヤリとカークは笑った。
「文句つけてんだよ。話が長ェってな。さっきの八代翔子云々にしても、俺なら?狡兎死(ジャオトゥ スー )、走狗烹(ゾウゴウポン)?って一言で済ますね」
 そう言って、仕上げにぐいっと背筋を伸ばす。
「ンじゃ、俺は行くわ。何か買うもんができたらまた来るぜ。そんときゃ、負けてくれ」
「おい」
 と背中に半次郎の声がかかった。振り向くと、じっとこちらを睨んでいる。
「俺は値引きだけはしない主義だ」
「……何つーか、色々と台無しだな、オイ」


 楽虎に戻ると、腹がなった。
 ――そういや、昼飯食ってなかったな。
 梯子を上り、部屋に入ると、慶麗がいきなり突っかかってきた。
「カーク! あんたどこで何してたのよ! さっき連絡がきたんだけど、JPKFが――」
「慶麗」
 とカークは話を遮った。
「腹が減った。飯作れ」
「いや、それどころじゃ――」
「飯作れ」
「だから――」
「飯」
「……あのね、カーク」
 慶麗はこめかみを押さえた。
「私はアンタの家政婦でも、ましてや恋人でもないわよね?」
「何当たり前のこと言ってんだ。その年でボケたか?」
 慶麗の眉がひきつる。それでも気丈に笑顔を浮かべて、
「じゃあ、私が何を言いたいか判るわよね?」
「判らん。いいから、飯作れ」
「…………台所借りるわよ」
  肩を落としてのそのそ歩く慶麗。ぶつぶつと、そりゃ私もお腹はすいていたからいいけど、あいつら料理できないし、でも、ここんところずっと作らされてるよ うな、そういえば、一昨日は掃除もさせられたし、その前はPSの塗装も……北京のために利用しているつもりだったんだけど、もしかして私がいいように利用 されてるのかしら――
 ――ヤツも運動不足か?
 腕を組むカーク。頭の中では、フランクもまじえた長距離マラソンが構想されている。
 やがて料理が出来上がった。ただの青椒肉絲(チンジャオロース)であるが、油と肉が入っているだけでカークにとっては十分である。食べようと箸を手にしたとき、声がかかった。
「カーク」
 振り向くと、幽鬼のような顔をしたフランクが立っていた。
「ベオウルフの傷ですが、ひょっとして閃光の機関銃が原因なんですか?」
 カークは食べながら頷いた。
「そうだが」
 ダン、とフランクがテーブルを叩いた。
「止めましょう、この仕事! 今すぐ!」
「ヤだね」
 とカーク。
「中国人の契約に、破棄という言葉はないわよ」
 と台所から慶麗。
 ああ、とフランクが崩れ落ちる。
「あと少し、あと少し早く、上海の日本軍基地で閃光が奪われたと知っていれば……」
「そんなにまずいの、その閃光って」
 慶麗が次の皿を運んできた。夫妻肺片(フーチーフェイピィェン)だった。牛の舌、レバー、胃袋を炒めた料理である。さっそくカークががっつく。
「カークの乗ってるやつだって、十分強そうだけど。――それとカーク、私たちの分も残しときなさいよ。後、野菜も食べなさい」
「見かけ倒しなんですよ、アレは。同期に製造された暁光とレックスがいまだ現役なのに、ベオウルフ(あれ)だけ生産中止になってるんですよ。まあ、それでも雷蛟くらいなら歯牙にもかけないんですが……あ、カーク、胃袋(ミノ)ばかり食べないように」
 まさに胃袋(ミノ)に伸びようとしていた箸が止まる。
 カークはフランクと慶麗を睨んだ。
「ちゃんと乗りゃ、いい機体なんだよ、ベオウルフ(あれ)は! ただメチャクチャ乗りにくいだけだ! ――それと、飯の食い方までゴチャゴチャ言うんじゃねェ!」
「いい機体なのは認めるんですけどねえ」
「乗りにくいの? アレ」
 と台所に戻った慶麗が言った。
 フランクが頷く。
「PS というのは、搭乗者の脳波と筋肉の電気信号を基に動きますからね。つまり、自分の体――人体になるべく近い機体のほうが動かしやすいんです。ところが、あ のベオウルフの両腕の盾。あんなの人体についてませんし、何よりとてつもなく重たい。慣れてない人が乗れば、歩くことすらできないんです」
「そういえば、人間というよりゴリラに近いもんね、アレ」
「大戦中は事実、そう言われてたみたいですよ。ごついくせに跳躍能力だけは優秀だったから、ついた渾名がそのまんま?跳ねるゴリラ?」
 慶麗が大声で笑った。
「いいわね、それ。カークにピッタリじゃない」
「人の機体を好き勝手にいいやがって……!」
 カークが歯ぎしりをする。しかし、全て事実なので反論はできない。
 フランクがため息をつく。
「一方の閃光は重量がベオウルフのO・七倍しかないくせに、馬力はほぼ二倍――機体バランス云々以前に、機体性能(マシンポテンシャル)が違い過ぎるんですよ」
 ぱたりと慶麗の笑いがなくなる。
「まずいのそれ?」
「龍に人間が挑むようなものですね」
「…………」
 慶麗がじっとカークを見つめる。しかし、眼にいつもの輝きがなかった。
「龍狩りが趣味なんだよ、俺は」
 ふん、とカークは鼻をならした。
「それより、さっき言ってたJPKFのこと話せよ」
「あ、うん」
 頷きながらも、慶麗はフランクの顔を覗った。フランクは末期癌の患者に出会った医師のように首を振った。
「さっき王市長から連絡があったのよ」
 慶麗は力なく言った。
「北京に入ったJPKFの特殊部隊が動き出したって。どうやら、連中は金老ってクラブに狙いをつけたみたいなんだけど」
「……確かか?」
「報告してきたのは武警と違って市長の子飼いよ。間違いないと思う」
「重慶の連中は?」
 黙りよ、と親の仇を見るような口調で、慶麗は言った。
「どうやら、日本から相応の金が出たらしいのよ。連中、金で誇りを売ったのよ!」
「にしても、大人しいな」
 とカークは首をひねった。何せ、他人に文句をつけるのが生き甲斐のような連中なのである。
 しかし、もっと大きな問題があった。
「だが、よりによって、金老か」
「心当たりがあるの?」
「俺が眼を付けたのと同じなんだよ」
 カークは頭をかいた。
「しかし、早すぎる。連中、今朝、北京に入ったばかりじゃねェのか」
「密告でしょうか?」
 とフランクが言った。
「テロリストが八代翔子を売ったと言うの? テロリストがJPKFの動きにまで気を配っているとは思えないんだけど」
「逆です。八代翔子がテロリストを売ったんです」
「テロリストを囮に使ったということ?」
「はい」
 どうですか、とフランクがカークを見る。
 ――妥当ではあるな。
 そう思いつつも、カークはつい数時間前に暢気に外を出歩いていた八代那美の姿が眼に浮かんで離れなかった。那美は金老で暮らしている。JPKFの特殊部隊が金老に突入し、戦闘が起これば何らかの被害を受ける可能性は十分ある。
 八代翔子が本当に娘を大事に思っているのなら、真っ先に娘を安全な場所に移すのではないか。それとも、カークと別れた後に移したのか。
「もし八代翔子が密告したという場合、その後の行動に予想はつきますか?」
「爆破だ」
 とカークは言った。
「もっとも効率がいいのは、金老を爆破し、倒壊させることだ。これなら、追っ手も、自分のことを知っているテロリストも同時に始末できる」
 だが、気に入らなかった。カークの思い描く八代翔子像に、爆破という行為はどうもそぐわない。
「フランク、八代翔子のことで、何か判ったことはあるか?」
 いえ、とフランクは首を振った。
「何かありそうな気配はするんですが、日本のセキュリティが固くて手が出せていません」
「なら重慶を探ってみろ」
「どうしてですか?」
「何となくだよ」
 言って、腕を組む。
  八代翔子。戦争で426機のPSを葬って英雄となり、日本で三人を殺して殺人狂となった女。誰にも見せないプライベートな部屋を持ち、そこでひたすら娘の 絵を描き続けた女。数多くの取材に全て丁寧に答え、宋のような下っ端相手にも威張らず、娘を溺愛し、その一方で過激なテロ活動にいそしんでいる女。
 考えれば考えるほど、ボタンを掛け違えたような、ちぐはぐな印象が強くなっていく。
 ――だが、うじうじ悩んだってしょうがねェ。考えて駄目なら、行動するだけだ。
「慶麗」
 とカークは言った。
「金老の終業時間は判るか?」
「24時だったと思うけど」
「後、五時間か」
 五時間で客はいなくなる。そうなれば、JPKFの特殊部隊が突入をするだろう。
「よし。武警どもに連絡して北京に検問をさせろ。大ざっぱで構わん。北京から出る車だけチェックすればいい」
「ちょっと待ってよ! そう急に言われても、連中は動かないわよ。それに、どういうつもり――」
「李明珍って少尉がいるから、そいつにやらせろ。文句は言うだろうが、やることはやるはずだ」
 そう言って、フランクに向き直る。
「フランク。五時間以内にベオウルフを動かせるように出来るか?」
「出来ないこともないですけど。……でも、ということは突入するつもりですか」
「そういうことだ」
 フランクは大いに天を仰いだ。
「何を言っても無駄ですか?」
 にべもなく言った。
「無駄だな」
「そうですか」
 フランクは慶麗と眼を合わせた。それから二人して頷くと、慶麗は冷蔵庫を開け、フランクは種類に埋もれている机の上を探り始めた。
 やがて、慶麗が皿を持ってきた。皿には、白い餅のようなものが山盛りにされている。
 訝しげに、カークが呟く。
「何だコレ?」
「餅よ」
「……そうか」
 納得したことにして、カークは一つを手に取り、それを囓った。その瞬間、毒でも飲まされたかのように、顔が青くなった。慌てて飲み下し、皿を慶麗に突き出す。
「何だよ、コレ! メチャクチャ甘いじゃねェか!」
「そりゃそうよ。砂糖餅だもん」
「ンなもん食わすな! 俺はな、糖(タン)と名のつく調味料の存在は認めてねェんだ!」
「あんたが認めようが認めまいが、糖分は疲労回復にいいの。黙って食べなさい」
 言って、慶麗は皿を押し返す。
 カークがさらに文句を言おうとしたとき、ふと肩を叩かれた。
 見ると、フランクが立っていた。右手に何かを持っている。フランクはずいとカークにそれを突きだした。
「何だよ」
「アイマスクです」
「いや、それは見りゃ判るんだが」
 確かに、フランクの持っているものはアイマスクだった。問題は、何故そんなものを持っているのか、ということである。
「まさか、俺に寝ろと?」
「そのまさかです」
 とフランクは頷いた。
「機関銃で散々撃たれるような眼にあって、それでも休まずに歩き回っていましたからね。ベオウルフの補修が終わるまで、寝てください」
「……眠くないんだが」
「そういう問題ではありません」
「……眠るのは嫌いなんだが」
「好き嫌いは聞いていません」
 妙な迫力がある。
 助けを求めるように、カークは慶麗を見た。だが、慶麗は笑顔で砂糖餅の皿を突きだしてくるだけだった。そこから顔をそむけると、今度はアイマスクが眼に入る。
「僕たちの言うことを全部無視するんですから、せめて、今くらいは言うことを聞いてもらいますよ」
 でなければ、ベオウルフに乗せせません、とツンドラよりも冷たい声で、フランクが告げた。
 逃げ場はなかった。
「あー、クソ! 判ったよ! この人でなしどもが!」
 そう叫んで、カークは砂糖餅を頬張った。


 深夜十二時――眼下の金老では、客を送り出す女の子の声がかまびすしく響き、店じまいの慌ただしさに包まれていた。
 カークはそれを、ベオウルフのモニターで見ていた。
 金老の隣の廃ビル、その屋上である。金老より、二階分低い。そのため、カークからは金老を見上げる形となる。
 カークは金老を睨んだ。そこに、八代翔子がいるかどうかは判らない。ただ、閃光はあるはずだった。武装警察もマフィアも公安も知らないとなれば、アジトに隠してあると考えるのが妥当だろう。
 ならば、どこにあるか。地下の駐車場に駐まっているトラックの中かとも思ったが、閃光だけならともかく、テロリストは何機もの雷蛟を保有し、さらにその整備スペースまで必要なのだ。移送はトラックで行うにしても、どこかにPS専用のスペースがあるはずだった。
 だが、最上階――あの大きな結婚式用のホールならどうだろうか。広さも高さも十分であり、移送するときもバラして業務用エレベーターで地下のトラックまで運べる。
 閃光を抑えれば、仕事の半分は終わったようなものである。うまくいけば、八代翔子の居場所の手がかりが見つかる可能性すらある。
 ――まァ、とにかくやってみるさ。
 下では、どうやら最後の客が送り出されたようだった。女の子たちが店の中に入っていく。まだ影すら見えないが、電気が消されるようになったら、いつJPKFの特殊部隊が突入してもおかしくない。
 カークは金老の頂上を睨んだ。金老には屋上がなく、代わりに青いドームが頂上を覆っている。
 右足でコンクリートを蹴り、ベオウルフが跳躍した。五メートルほどの高さを苦もなく飛び上がり、ドームの縁に着地する。
 ドームは石造りのようだった。さほど分厚くない。これなら、腰のライフルで撃ち抜けるだろうが、騒ぎになることは避けられない。
 縁を歩くと、採光用の窓があった。ベオウルフが何とかくぐり抜けられるほどには大きい。機械で開閉するようだったが、試しに引っ張ってみると簡単に開いた。
 窓をくぐり、ホールに着地する。頭部のライトを使い、あたりを照らす。
 思わず笑みがもれた。
「ビンゴだな」
 天井にはシャンデリアが垂れ下がり、ホールにはいかにもそれらしく赤い絨毯がしかれている。だが、その上には料理を載せるテーブルの代わりに、大小のコンピューターが置かれ、壁際にはPS用の固定台が五台並んでいる。
 固定台はいずれも空だった。うち四つはカークが撃破した雷蛟のものとすると、後一つは閃光のものということになるか。
 ――ちと当てが外れたか。
 他に何かないかと、ぐるりと見回すと小さな光を感知した。
 奥の壇上だった。その隅に小さなモニターがあり、誰かがそれを立って見ている。
 ライトを当てる。女だった。
 女はこちらに振り向き、かすかに微笑んだ。
「北京重建旅団の方々なら、二つ下ですよ」
『いや、ここでいいんだよ』
 外部スピーカーから声を飛ばす。カークの口元がつり上がる。写真より髪がのび、頬には皴が増えているが間違いなかった。
『俺の目標(ターゲット)はアンタだ。八代翔子』
 女――八代翔子の笑みが深る。
「3B式SDX――ベオウルフ。さらに自己改造がほどこされている。……とてもJPKFの方とは思えませんが?」
『北京の方だよ。知らねェだろうが、この国にも法律ってもんが存在するんだよ』
「あることは知ってますが、機能しているとは知らなかったですね」
 カークは20ミリ・ライフルを八代翔子に向けた。
『たまに誤作動すんだよ。――しかし、何故、ここにいる?』
「何故、とは?」
『もうすぐJPKFの特殊部隊がここに突入するんだよ。知らねェのか?』
「知ってますが」
 それが何か、と八代翔子は笑った。それは死兵の浮かべるものと酷似していた。
 カークはふと宋の言っていたことを思い出した。だが、怖くはない。怖くはないが、それは、怒り、悲しみ、嘲り――全てを遠くにおしやってしまった、彼岸の笑みだった。
『……まァいい。大人しくしてろよ。娘の働いていた場所を無駄に騒がすもんじゃないぜ』
 ふと、八代翔子の眼が鋭くなった。
「娘のことまで調査済みですか。参りますね」
『どうせ待避させてるだろうが、まだだってんなら、時間をやる』
「乱暴な機体に乗っているわりには親切ですね」
『JPKFのアホどもに無駄足踏ませたいだけだ。アンタに言うのも何だが、戦中、連中にはさんざん煮え湯を飲まされてきたんでな』
「声が若いですが、従軍経験があるのですか?」
『アンタほどじゃねェがな。英雄殿』
「私はそんな大層なものではないですよ」
 八代翔子はモニターを眺めた。
 モニターには、一階のクラブのものであろう様子が映っていた。五人ほどの女の子が集まって、グラスを片手に何かを話しては笑いあっている。
「楽しそうですね」
 と八代は言った。
「お かしいと思われるかもしれませんが、私にとっての戦争も、あんな感じでした。そう、楽しかった。色々言われましたけど、結局のところ、私はただPSに乗る のが好きなだけの女なんです。出撃でPSを乗り回し、帰ってきたら同僚と馬鹿な話で盛り上がる……そんなことを繰り返していただけです」
『だが、アンタは戦争の象徴とまで言われるようになった』
「やるべきことを、他人より少し効率的にやっていただけです。それが人殺しだというのに」
『戦争で人殺すのは当たり前のことだろ』
「だ けど、戦場にいない人にそれは判らない。戦争反対、軍備増強、と彼らは口々に叫びますが、それはモニターに向かって叫んでいるだけです。彼らは戦争を画面 の中(バーチャル)でしか認識できない……そう、たとえ戦時中であっても、彼らの現実(リアル)に、戦争というものは存在しないんですよ」
 だけど、それは私も同じだった、と八代翔子は呟いた。
「私もまた、日本(故郷)を画面の中でしか見ることができなかった。画面に映っているものこそが現実(リアル)だと信じて疑わなかった。……私が英雄になれたのは、やるべきことの半分を、それも一番大事なものを、画面の中に置き忘れてきたからんですよ」
『日本人ってのは、どいつもこいつも話が長ェのか?』
 うんざりとカークが言った。
『話が終わったのなら、ついて来い。閃光のある場所も聞かにゃならんしな。――何にしろ、アンタが今すべきことは長話じゃねェだろ』
「全くです。ですが、私はいつも大事なことをし忘れる。どうやら、そういう性質(たち)らしい」
 でも、贖罪くらいはきちんとしたいんですよ、と八代翔子は微笑んだ。
『何の――』
 ことだ、と言おうとして、カークは絶句した。
 モニターの中、一階のクラブに、暗視ゴーグルを被り、銃器を手にした人間が次々と突入してくる。彼らは女の子たちを見つけると、いっせいに発砲した。マズルフラッシュとともに血しぶきが飛び、女の子たちが倒れていく。
 ――連中、八代翔子と接触した可能性のある人物を全員消すつもりかッ!
『クソ! 逃げるぞ!』
 言って、八代翔子に手を伸ばそうとして、彼女が何かを握っていることに気づいた。
 スイッチ――恐らく無線式の。
 そして、彼岸の笑み。
「そういえば、名前くらいは聞いておくべきでしたね」
 最後まで聞いてはいられなかった。
 即座に全力で侵入した窓に向かって跳躍する。窓から外に出、ホールの縁を踏んでさらに隣のビルに飛んだとき、背中を爆音と衝撃が襲った。
 游ぐ体を抑え、何とか廃ビルの屋上に着地する。
 背後では、金老が炎に包まれていた。
 各階全てが炎を吐き出し、まるで一個の火の柱のように燃えている。辺りが照り輝き、PS越しにも熱気が感じられそうだった。足許には、金老から飛んできたと思われるガラスやコンクリートの破片であふれていた。
 地上では人々が集まって来ている。誰もがただ呆然と炎の塊を見上げている。
 全ての階に大量の爆薬をしかけたのだろうが、すさまじい威力である。もはや、あの中に生きている人間はいないだろう。
「これが贖罪だと?」
 呟くが、轟音にかき消されるだけだった。
 金老がゆっくりと前のめりに崩れていく。野次馬たちが散っていく。やがて、全てが崩れ落ちてしまった。テロリストも、PSの機器も、八代翔子も。
 カークはそれを、ただ見ているしかなかった。

    ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ……はい。全てが終わったのは、そのときです。つい一週間前。
 その日も、お兄さんたちが来てくれていました。……はい。二人だけです。いつもは後、四、五人はいるのですが、そのときはお兄さんたちだけでした。ビデオではなく、カメラの日でしたから。
 昼頃だったと思います。お兄さんたちからもらったパンを食べて、仕事をしていたときでした。
 突然、ガチャリとドアが開いて、人が入ってきました。……はい。お母さんです。でも、そのときは誰だか判りませんでした。何年も会っていなかったし、髪も短くなっていて、日焼けと眼付きが少し鋭くなっていたので、てっきりお兄さんたちの友達かなと思っていました。
 お母さんは私の姿を見るなり、悲鳴をあげました。……そうです。そのとき、私は仕事を――裸でお兄さんたちに写真を撮ってもう仕事をしていました。
 お母さんがお兄さんたちを睨みました。お兄さんたちは慌てて逃げ出そうとしました。お母さんはお兄さんたちを投げ飛ばし、気絶させると、二人とも首を絞めて殺してしましました。
 それは、あっという間の出来事でした。優しかったお兄さんたちが殺されるのを、私はただ呆然と見ているだけでした。
  お兄さんたちが二人とも動かなくなると、お母さんは私のもとに駆け寄ってきました。お母さんは私は抱いて、私の名前を呼びながら「ゴメンね。苦しかった ね。ゴメンね」と泣きました。そのとき、ようやく私はこの人がお母さんだと判りました。そして、お母さんが人を殺したこと――私が人殺しの子になってし まったのだと理解したのです。
 ――そのときでした。私の中の何かが、音を立てて崩れていきました。
 私は乾いた眼でお母さんを見ていま した。この人は何なんだろう、この人の涙は誰のために流されているのだろうと、そんなことばかり考えていました。……判っています。お母さんがどうしてあ んなことをしたのか。ええ、判っていたんです。お兄さんたちが悪い人だと。一人じゃ外にも出られない私につけいって悪いことをしていたのだと。判っていた んです。全部。でも……それでも、お兄さんたちは優しかった。言葉を忘れそうになっていた私の話し相手になってくれたし、ご飯も服もくれた。その代わり に、私はお兄さんたちの望むことをした。それだけのことじゃないですか。それなのに、お母さんは殺してしまった。これで、本当に私は悪い人の子供――悪い 子になってしまったんです。
 ……そう。そうですね。理屈ではそうでしょう。だけど、そんなことが通用しますか? 親が悪人だったからといって、 子が悪人とは限らないなんて当たり前のこと、みんな頭では判っていますよ。でも、誰がそれを現実に言ってくれるんですか? 私が囲まれて、みんなから罵ら れているときに、私を抱きしめて、「あなたは悪い子じゃない」と言ってくれる人が一人でもいましたか?
 ……違います。そうじゃないんです、先生。私は誰かが憎いわけではないんです。
 判っていたんです。私に手紙を送ってくる人も、電話をかけてくる人も、外で集まってくる人も――彼らの心に、私への憎しみは一切なかったんです。あの人たちは、憎くもないのに私を罵っていたんです。
 大の大人が小学生のように、ただ流行の歌を歌うように私を罵っている……そんなこと、どうして納得できるんですか。お母さんだってそうです。お母さんは私が憎いわけではなかった。むしろ、私が好きだった。だけど、お兄さんたちを殺してしまった。
 誰も私を憎んでいない。なのに、どうして私はこんなに苦しいのですか。何なのですか? この押し寄せる悪意は。この憎しみのない、相手の心のすみずみまで見渡せそうな、透明な悪意は。
 そう。透明な悪意――これこそが、私の判らないものでした。私が何年考え、何年苦しんでも知ることができなかったもの。私の原点。
 お母さんに抱かれながら、私はそれに包まれていくのを感じました。そして思いました。今度は私の番だと。私が、透明な悪意になってしまったのだと。
 だけど、悲しくはありませんでした。だって、これで透明な悪意が理解できるかもしれないのですから。私の全てを奪ったもの――それの正体を知ることさえできれば、私は生まれ変わることができるかもしれないのですから。
 ……ありがとう、先生。でも、もう遅いんです。この私は、もう壊れてしまった。
  お母さんがお兄さんたちを殺したあのとき。そのときに、家政婦さんが出て行ったとき、友達がいなくなったとき、外に出るたびに罵声を浴びせられとき、暗い 家の中でじっと膝を抱え込んでいたりしたときにも私を繋ぎとめていた何かが、長年の風雨で腐った柱のように、ぽっきりと折れてしまったのですから。

    ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 全てを読み終えると、カークは紙をくしゃくしゃにしてポケットに突っ込んだ。
 朝陽区(チャオヤンチュ)の住宅街である。そこの雑貨店の屋根に、カークはいた。背後にベオウルフがコクピット部分を開けて鎮座している。
 無線に李から連絡が入る。
『言われたとおり、怪しいトラックが通ったので、そっちに誘導しておきましたよ』
「了解だ。後はこっちでやる」
『いいんですか? 本当にそうなのか、確認してないんですけど』
「ハズレだったら速攻で逃げるから大丈夫だ」
『……はあ』
 と李はため息をついた。
『じゃあ、俺らは撤収します。昨日からずっと張ってるんで眠くて仕方がないんですよ』
「今度、礼にピザでも奢ってやるよ」
 いや、僕は食べるより運ぶほうがいいんですけどね、とあくび混じりの声がして、無線が切れた。
  双眼鏡を取り出し、街並みを見渡す。朝陽区は、北京市で最大の面積をほこる市轄区であり、行政の要所でもあった。その中心は、かつては高層建築で溢れてい たものだが、爆撃で多くがなぎ倒され、廃墟になっている。もっとも、倒れた主な原因は不十分な耐震設計であり、爆撃というよりは、爆発の衝撃で発生した振 動で倒れたのが大半だったらしいが。
 この都市らしい間抜けな話だが、辺りを見渡すのには役立つ。やがて、一台のコンテナトラックがこちらに走り込んでくるのが見えた。しかし、運転席には誰も乗っていない。自動操縦(オートパイロット)である。
 カークはベオウルフに飛び乗り、ライフルを構える。
 コンテナトラックが眼前をとおり過ぎようとした瞬間、そのタイヤを撃ち抜いた。前輪を失ったトラックはバランスを崩し、大きく悲鳴を上げながら蛇行する。やがて、トラックは壁に激突し、そのまま動かなくなった。
 カークは屋根を蹴り、トラックの前に着地した。ベオウルフの胸元が開き、カークの姿が露出する。
「出て来いよッ!」
 とカークは声を張り上げた。
「そこに居んのは判ってんだぜ、那美!」
 その声に呼応するように、コンテナが開いた。中から、片膝をついた白銀のPSの姿が現れる。
 閃光が直立し、胸元が開く。
「とんだ挨拶ね。カーク」
 そう言って、八代那美は彼岸の笑みを浮かべた。
「やっぱりテメエだったか」
「どうして判ったの……と聞くのはお約束かしら?」
 楽しそうな声だった。だが、どこかが違う。姿形はたしかに昨日出会った八代那美であったが、まつわりついている雰囲気から言葉使いまで、全てが氷に包まれているようだった。
「翔子の部屋からBG薬見つけたときから怪しんでたんだけどな」
  頸肩腕障害――BG薬はそれを緩和する薬だった。頸肩腕障害とは長時間におよぶ肉体の酷使が原因で発祥する病気であり、激しい運動を続けるPS乗りの職業 病とも言えた。頸、肩、腕だけでなく、背中や腰、足まで痛みやこりに襲われる場合がある病気で、疲労抑制波(AFW)技術の進歩したベオウルフや閃光と いった第二、第三世代型のPSでは少なくなったが、八代翔子のように昔からPSに乗っている人間は罹患する可能性が十分にある。症状が進めばまともに動け なくなる病気である。薬である程度緩和しているとはいえ、PSを乗り回すことなどできようはずもない。
「もっとも、八代翔子の症状がそこまで進んでたかは、まァ、確証はなかった。状況からの推測……言ってしまえば、カンだ」
「初めて会ったときから思ってたけど、あなたってホント、行き当たりばったりね」
 呆れたように、那美は言った。
「ここで待ち伏せしていたのもそう。私が昨日のうちに北京から出て行ったとは思わなかったの?」
「いや、それは、最後まで見届けていたと思ったぜ。何せ、オマエの知りたがっている、透明な悪意とやらが見られるんだからな」
 那美の眼が細まった。
「どうして、それを?」
「これだよ」
 カークはポケットからしわくちゃにした紙を取り出した。そこには、那美が入院したときに、精神科医と会話した内容が書かれていた。まとまりのないところを見ると、ただ那美が発言したことを書き連ねただけらしい。
「八代那美に関するデブリーフィング……題名つけるなら、そんなとこか。翻訳ソフトにぶちこんでものだが、まァ、内容は間違ってねェだろ」
「趣味が悪いのね、他人の精神を勝手に覗き見るなんて」
 言葉とはうらはらに、顔に嫌悪の表情はなかった。あるいは、もう憎むということができないのかもしれない。
「どうやって手に入れたの?」
「重慶のコンピューターを突っついたら出てきたんだよ。連中、やけに大人しいと思ったら、やっぱり全て知ってやがった」
 そして、情報(データ)さえあれば、現物(ヒト)はどうでもいい。日本政府をゆすり、貰うものを貰うと、後は北京に丸投げをしたというわけだった。
「そう。てっきり、日本政府が隠蔽しちゃったと思ってたんだけど、情報って漏れるものなのね」
「つーことは、やっぱり八代翔子が殺人狂だとか言うのは――」
「イメージ操作っていうのかしら。嘘ではないんだけど」
 でも、お母さん、最後まで利用されるだけだったな、と那美は呟いた。
「戦争が終わって、好戦的な世論に冷や水浴びせるために殺人狂呼ばわり。戦争していたときは、あんなに持ち上げてたのに」
「そのとき、オマエは反戦派の連中の、不満のはけ口にされていた」
「不思議よね。言葉にすると、とても簡単に思えるのに。実際は、とても苦しくて、とても難しい。――だからね、私、自分でやってみることにしたの。自分で透明な悪意をまきちらしてみようって」
 カークは紙を広げた。文章の最後に、担当医の名前が書いてある。
 長谷川有紀。読んでいる限り、彼女は終始、那美に同情的だった。全てを聞いた後、彼女が何をしようとしたのかは判らない。ただ、それは八代翔子が殺したことになっている三人目の人間の名前だった。そういったことも、やはり那美は全て知っているのだろう。
 初めて会ったとき、カークが那美のことを見抜けなかったはずだった。すでに彼女は、嘘をつくつかないの領域にいなかった。
 那美は空を見上げた。スモッグと黄砂で濁った青空を。
「初 めはお母さんだった。指名手配されているのに、入院している私に会いに来てくれたお母さんに、独りで暮らしていたときのことを話したの。泣いて、怒って、 叫んで、お母さんを責めたの。お母さんは悪くないって知ってるのに。……正直、やる前は不安だったわ。こんなことするの、初めてだったもの。でも、やって みると、とても簡単だった。お母さん、涙を流して何度も何度も謝ってくれた。そして、私が『私の人形になって』って言うと、あっさりと頷いてくれた」
 そして、那美は八代翔子の知識と力を使って中国に飛び、閃光を奪った。
「で、次はテロか」
「戦 争みたいなことをしたかったのよ。憎くもない相手を殺す。みんながすごく騒いでいるから、どんなことかと思っていたけど、これも簡単だった。だって、引き 金を引くだけなのよ? たったそれだけ。他人の悪口を言うのとどう違うのかしら? ――ねえ、カーク。教えてくれない? あなた、戦争をしてたんで しょ?」
「同じことだ」
 とカークは言ってやった。
「他人を罵ることも、銃弾で蜂の巣にすることも、同じことさ。俺もファックを連発しながらマシンガンを撃ってたもんだ」
「そう。やっぱり、そうなのね」
「ンで、透明な悪意とやらは何か判ったか? せっかく、疑問に答えてったんだ。教えろよ」
「……判らないわ」
「ヘエ」
「本当に判らないのよ」
 那美の言葉が強くなった。
「JPKF の部隊をまくため、お母さんに囮になって死んでくれと言ったときも、実際に爆発が起こってお母さんが死んでしまったときも、全然判らなかった。お母さんを 責めたときも、人を殺したときも同じだった。判らない。全然判らない。どうしてみんな、こんなことをするの?」
 こんなの、ただ悲しいだけじゃない、と那美は言った。しかし、その眼は涙を流せなかった。ガラス玉のように透きとおった黒い眼は、どこまでも静かだった。
 突然、ファーアという奇声が上がった。
 カークはベオウルフから両手を出すと、思いっきり背伸びをした。
「オマエにオマエの悩みがあることは判った。付き合ってやりたいが、俺にもやるべきことがあってね」
 那美がカークを見据える。
「どういうこと?」
「こういうことだよッ!」
 カークは那美の数年間が書かれた紙を両手で持つと、真っ二つに引き裂いた。そのまま破りまくり、ついには粉々にして風に飛ばしてしまう。
 紙が全て風に流されたときには、カークは虎の笑みを浮かべていた。
「俺がやりたいのは、昨日の礼だけでね。ズタ袋にされかかってから、ずっとむしゃくしゃしてたんだ。利子つけて返してやるぜッ!」
 呆気にとられたように、那美は立ちつくしていた。幽霊にでも見ているかのような顔だった。
 やがて、那美の眼に初めて強い光が灯った。
「ホント、単純な人」
 呟いて、カークを睨む。
「いいわ。殺してあげる」
「あァ、やってみろ。今までやってきたように、俺を簡単に殺してみなッ!」
 叫びとともに、ベオウルフの胸が閉じる。
 ――突撃開始(A charge start)。
 起動した瞬間、ベオウルフは右に飛んでいた。
 飛びながらライフルを構え、発砲。炸裂音が響き、朝の住宅街を戦場に染め上げる。
 閃光は大きく後に飛び、あっさりとそれを避ける。ベオウルフの動きが機械じみているのに対して、閃光はまるでそれが一個の動物であるかのように宙を舞う。
 距離を取りながら、カークは左腕の盾を展開した。直後、弾丸の嵐がベオウルフを襲う。
 ――やるじゃねェか!
 距離三OOにも満たないとはいえ、動いているPSに正確に当ててくる。タイミングが少しでも遅れていたら、左腕を持っていかれるところだった。
 閃光がアパートの屋根に着地した。そこから正確にベオウルフを撃ち続ける。
 相当訓練をしたのか、それとも天性の素質か。
 ――何にしろ、やりがいがあるってことだろッ!
 弾丸を防ぎながらベオウルフは小さく飛び続けた。背後を、閃光が屋根から屋根へと飛び移りながら、素早さはないものの、常に高さを保って圧力をかけてくる。
 やがて、区の中心、廃墟に入った。
 正面を倒壊し、横転したビルが行く手をふさいでいる。崩れたときの衝撃のせいか、ビルには無数のひび割れがあった。カークはライフルで壁をうちぬき続け、ビルを突き抜ける。
 そのまましばらく疾走したところで、カークはベオウルフを反転させ、ライフルを構えた。
 横転したビルの高さは約十五メートル。ベオウルフでは不可能だが、閃光なら飛び越えることができる。常に高さを恃む射撃をしてきた那美の性格を、カークは逆手に取ろうとしたのである。
 果たして、閃光はビルを飛び越えようとした。
 カークの視界に、空中を舞う閃光の姿がくっきりと浮かぶ。いかに俊敏な機体でも、空中でその軌道を変えることはできない。
 距離五OO。外しようがない。
 発砲。
 衝撃音とともに、閃光が後にはじき飛ばされる。しかし、カークは舌打ちをして、追撃をせず、さらに廃墟の奥に下がっていく。
 撃った瞬間、閃光が光る両腕をクロスさせていたのである。
 電磁装甲。爆発反応装甲と同じ理屈で作られたそれは、伝導体に大量のジュール熱を流し込み、熱によって弾丸を溶解、蒸発させる。ベオウルフの盾と同じく、もとは戦車の装甲である。不意を打てばべつだが、正面からたった一発当てた程度ではろくなダメージにならない。
 那美は飛んだ瞬間、カークの罠に気づいたのだろう。
「勘がいいヤツは好きになれんぜ、全く」
 ぼやきながら、ビルの後に回り込む。ところが、閃光は追ってくるどころか、後退していた。やがて、距離八OOを境にレーダーから消えてしまう。出力を上げるが、それでも一OOOを超えると捕捉できない。
 直接、姿を確認しようにも、周囲はビルが林立し、あるいは倒壊していて、見通しが全くきかない。
 ――気づいてやがったか!
 閃光の電磁装甲は電波吸収体(ステルス)としての側面も持っている。高性能なレーダーを積んでいる機体なら別だが、ベオウルフのような動力源に余裕のない機体は電子兵装が貧弱にならざるをえず、たった一OOOメートル離れただけで捕捉できなくなるのである。
 舌打ちした瞬間、レーダーに閃光の姿が映る。いつの間にか、後に回り込まれている。カークは即座に盾を構え、横に飛んだ。
 衝撃。一六・五ミリの弾丸の雨がベオウルフの盾を削る。
 迂回して捕捉した場所を目指そうとすると、すぐに閃光の姿が消える。
 時間稼ぎにしかならないが、カークはさきほど閃光の現れた場所から死角になるよう移動する。受け方がまずかったのか、左腕のアクチュエータに異常が発生していた。損傷は軽微だが、油圧が低下するようになるとまずいことになる。
「あの女、容赦ねェな。喧嘩ふっかけた俺がいうのもなんだが」
 うめいても、状況は変わらない。閃光はこれからもヒット・アンド・アウェイを繰り返すだろう。向こうのレーダーでは、こちらの位置は丸見えなのだ。このままではなぶり殺しにされるだけである。
 だが、カークとてその閃光相手に戦い抜いてきた男である。対策がないわけでもなかった。
 カークはレーダーを切り替えた。
 ベオウルフの背が震え、眼に見えない波が広がっていく。
 超音波深信儀(ソナー)である。電波を用いるミリ波レーダーと比べて精度が落ち、検出速度も遅い。また、戦場のような爆音がひっきりなしに続くような場所ではパッシブ・アクティブともに役に立たないことが多いので、地上ではあまり使われない。
 しかし、こうした一対一の場面では別である。仕事柄、こうした場面が増えると考えたカークは、フランクに幾日もの徹夜をしいてソナーを取り付けさせたのだった。
 音波なら、電波吸収体は関係ない。
 およそであるが、閃光の位置が掴めた。ゆっくりとこちらの背後を取りつつある。
 カークは動かなかった。このまま、こちらがまだ閃光の位置を把握していないと思わせる。
 閃光の動きが止まった。そのまま前に飛び、ベオウルフの背後を襲おうとしたところで、カークは反転した。そのまま、閃光の居る方向に向かって突っ込む。
 弾丸がベオウルフの頭上を擦過していく。軌道を修正される前に、カークは横に飛んだ。そのとき、建物の隙間から閃光の姿が見えた。
 閃光は、高さ三Oメートルはあろうビルの上にいた。それだけの高さを確保されると、建物の影に隠れても弾丸を防げない。
 閃光がビルからビルへと飛ぶ。飛びながら、機関銃を撃ち続ける。弾が切れる様子はない。前回の教訓からか、予備カートリッジを積んでいるのだろう。
 カークはベオウルフの両腕をだらりと前にぶら下げた。重い腕につられ、機体が前のめりになる。その状態で、カークは両腕を左右に振った。
  うねるような軌道を描いて、ベオウルフが右に左にと動く。激しく左右に振れているので、機関銃の的を絞らせない。 高度なジャイロセンサと、優れた機体バ ランスがなせる動きであった。これこそ、カークがベオウルフを傑作機と断じる理由だった。ただ腕が重いだけの機体ではこのような動きはできない。
 ベオウルフが蛇のようにビルの影から影へと動く。脚に多大な負担がかかるため、長時間の使用はできないが、三十分持てばカークにとって十分であった。
 移動しながらも、常に閃光の位置は把握していた。距離が近くなったため、ミリ波レーダーで正確な居場所を割り出せる。こちらが予想外の動きをしているためか、動きが単調になっているようであった。ベオウルフの動きに合わせて、閃光が意図した方向へと導かれる。
 やがて廃墟を抜け、初めに対峙した通りに出た。閃光は右後方につけている。
 ――さァ、仕上げだ!
 ベオウルフの右足が強く地面を噛んだ。右腕を内に入れ、左腕を大きく外に回す。その瞬間、ベオウルフの体が弾かれたように回った。足と腰の動力伝達系が悲鳴を上げ、警告音が響く。だが、この機体がこの無茶な動きに耐えうることをカークは承知していた。
 閃光が通りに出たときには、ベオウルフはすでにこちらを向いていた。野生動物ですらありえないほどの素早い反転である。
 せまりくる弾丸を盾で受けながら、ベオウルフが突っ込む。
 距離が縮まれば、閃光の電磁装甲といえども、二Oミリの威力を防ぎきれない。
 ベオウルフがライフルを構える。
 引き金に指がかかった瞬間、閃光が飛んだ。被弾することを恐れ、後ろに飛ぶ。
 しかし、それはカークの読み通りの行動だった。
  PSは搭乗者の脳波、筋肉の電気信号を読み取って、それを増幅させて再現する。そのため、どれぐらい動きたいかはほとんど感覚で覚えるのだが、自分の動い ている様子を直接見えない分、それが癖になることもある。つまり、同じ方向に動くとき、つい似たような軌道、速度で動いてしまうのだ。
 閃光はカークの読み通り、三十メートル後方へ飛んだ。カークが狙ったのは着地点――その隣にある、那美の乗っていたコンテナトラックだった。
 閃光が地に着いた刹那、トラックの給油タンクが撃ち抜かれ、火花に飛び散った燃料が引火、爆発した。
 不意の横殴りの衝撃に、閃光の体が揺らぐ。
 その隙を逃さず、カークはライフルを撃った。
 轟音がなり、閃光が後ろに弾かれる。弾丸は一六・五ミリ機関銃に当たり、それを破壊する。直撃ではないものの、厄介な武器を潰せたことになる。
 ――これで終わりだッ!
 カークはさらに引き金を引こうとした。いかな電磁装甲といえども万能ではない。何発もぶちこんで電流を流させれば、ジェネレーターの出力が追いつかなくなるはずだった。
 だが、ベオウルフのライフルから弾丸が放たれたとき、閃光はそこにはいなかった。宙にいる。
  後に弾かれたように見えたのは、トラックの爆発で崩された体勢を、弾丸を受けることでむりやり回復させていたためと気づいたときには、閃光は着地し、凄ま じい速度でベオウルフに疾走していた。今までのように、高度を恃むことをせず、その驚異的な身体能力を存分に生かして直進する。
 ――どんだけデタラメな機体なんだ、クソッタレ!
 反応の遅れが致命的だった。加えて、無茶な反転のツケがきたのか、足の動きが少し鈍い。
 気づいたときには、肉薄されていた。閃光の右手には、近接戦の切り札である振動カッターが握られている。
 振り落とされたそれを、カークはライフルを両手で持って受けた。刃渡り五五センチと短いが、超音波振動を与えられた刃はやすやすとライフルを切り裂く。
 さらに胸元を斬りつけようとする閃光に、カークは左肩をぶつけた。
 よろめく閃光を振り切って全力で後退。
 機体の上げる悲鳴を無視して、両腕をぞんぶんに使って移動し、建物の影に隠れる。
「ちと甘く見過ぎていたか」
 レーダーで閃光がゆっくりと近づくのを確認しながら、呟く。
 戦術は完璧だった。だが、那美の腕がカークの予想を上回っていた。細やかな機体のバランス制御はベテランのPS乗りでも軽視し、かつこなせていないことが多いが、那美はそれをあっさりとやってのけた。本能でやったとするなら、間違いなく天才である。
 相手の飛び道具を無効果したが、こちらのライフルも失われた。
 条件は同じ。つまり、こちらの不利は変わっていない。
 カークはベオウルフの左腕を見た。盾に一条の赤い傷が走っている。あれほど機関銃の衝撃に耐え続けたタングステン合金の盾ですら、振動カッターの前では溶かされ、斬られてしまう。これも、カークの予想を超えていた。
 閃光が頭上から襲ってきた。機体を振り、何とか避ける。ベオウルフの背後、分厚いコンクリートの壁がバターのように斬られる。応戦などできるはずもなく、ただ逃げるだけで精一杯だった。
 あれを相手に近接戦をしなければならない。
 ベオウルフにも近接専用のコンバットナイフが備わっている。構えるが、振動カッターの前では紙切れを持つのに等しい。
 背後から閃光が追ってくる。いくら特殊な動きができるとはいえ、相手が近接することのみを考えたら振り切れない。
 カークは自分の左腕を思った。フランクとの会話がフラッシュバックする。
 ――ま、なるようになるか!
 再び通りに出て、振り返る。急ぐ必要はない。眼を閉じ、呼吸を合わせ、相手との距離を測る。
 脳裡に全ての条件が揃ったとき、カークは眼を見開いた。雄叫びを上げながら、迫り来る閃光に突進する。
 後、十歩で肉薄するというときに、カークはコンバットナイフを閃光に投擲した。
 閃光は難なくそれを打ち落とす。
  瞬間、両者がぶつかり会うように肉薄した。 ベオウルフを斬り裂かんと振動カッターが振り下ろされる。それにめがけて、カークは沈めていた左肩を跳ね上げ た。ナイフを打ち落とさせた分、ベオウルフのほうが半歩早く踏み込んでいる。数瞬であるが、ふところに潜りつつ、閃光の右腕を封じた形となった。
 眼前には無防備さらされた閃光の腹がある。
 右腕の手首から、鉄の輪が跳ね上がり、拳を覆う。火花の散るそれを、カークは閃光の腹に思いっきり叩き込んだ。
 雷音が響き、閃光の動きが止まる。
 スタンナックル――一瞬で超高圧電流が流し込まれ、ジェネレーターを直撃、オーバーヒートさせた。
 閃光は白煙を上げ、膝をついた。ロックが強制解除され、閃光の胸が開いて那美の姿が現れる。
 那美は呆然とベオウルフを見つめていた。
 カークも同様に姿を現す。
「どうやら、俺の勝ちらしいな」
 勝ち誇ってやると、那美は呆れたように言った。
「スタンナックルなんて聞いてないわ。ベオウルフにそんなもの、装備されていたかしら」
 まだまだ甘いな、とカークは笑った。
「戦時中、俺らは、装備は現地調達――敵から奪うのが基本だったんだよ。ゲリラがPS用の武器なんて買えるわけねェしな。だから、素手でも戦えるようにしとくのは基本というわけだ」
「敵を殴って武器を集めていたというの? 信じられない」
「信じる信じないは別として、実際そうなんだ。考えすぎなんだよ。オマエは」
 ふん、とカークは鼻を鳴らした。
「判らんところは、判らんまま放置しときゃいいんだよ。そうすりゃ、いずれ判るときが来るし、来なかったら別にどうでもいいことだったというだけじゃねェか」
「慰めてるつもり?」
「いんや。説教だ」
「説教……」
 那美はゆっくりと微笑んだ。
「説教をされるなんて、何年ぶりかしら」
「俺なんか、相棒に顔を合わせるたびにされている」
 その俺が言うんだが、人の説教には耳傾けとくもんだぞ、とフランクが聞けば、感動のあまりむせび泣きそうなことを言った。
 無理よ、と那美は呟いた。
「母も、故郷も、何もかも失ってしまった。私はもう、どこにも行けないし、何もできない」
「ジャイロにでも乗ったらどうだ?」
「……ジャイロって?」
 日本のバイクだ、とカークは言った。
「それに乗ってピザ配るんだと。――それなら、オマエでもできんじゃねェか?」
「でも……」
「ただ運ぶだけだ。人罵るのと、殺すのと同じくらい簡単だと思うぞ」
「言いたい放題に言ってくれるわね」
 苛立ちを隠しもせず、那美はカークを睨みつけた。
「自分のことは棚に上げて、他人のことをベラベラと……あなただって同じじゃない」
「はァ?」
 何言ってんの、オマエ、と首を傾げるカーク。本人はいたって真面目なのだが、どうにも神経を逆撫でする態度だった。
「あなただって、ベオウルフ(それ)に乗ってるじゃない!」
 那美は声を荒げた。ほとんど悲鳴のようだった。
「戦争が終わったというのに、どうして軍用PS(そんなの)に乗ってるの? どうしてジャイロに乗ってないのよ! 故郷がないんでしょ? 家族もいないんでしょ? 繋がっている場所なんてどこにもないんでしょ? ――自分ができもしないことを押しつけないで!」
 しばしの沈黙があった。
 やがて、カークはハーァと息をはいた。頭をガシガシと掻く。
「俺が新疆の出だってことは言ったな?」
 那美は話が急に変わったことに戸惑ったようだが、こくりと頷いた。
「新疆はウイグル族の民族自治区でな。どこ見渡しても、髪が黒くて肌の色が濃いヤツばっかで、金髪碧眼の白人なんて一人もいやしなかった。まァ、客人ということで、長老連中にはそれなりに大事にされたが、それ以外、とくに同じような子供にはよく棒でこづき回された」
「小さい頃、苛められていた、だから私の気持ちが判る、とでも言いたいの?」
「オマエのウジウジした気持ちなぞ、全く判らん」
 きっぱりとカークは言った。
「何故なら、俺は俺に向かってくるヤツ全てを叩きのめしていたからな。ああいう人間は根性ないから、ちょっと殴ってやると犬みたいに大人しくなるんだよ。村の人間を半分ほどのしてやったら、もう誰も突っかかってこなくなった。まァ、具体的にどうやったかというと――」
 それから、カークは自分のしてきたことを、とうとうと喋りだした。この男にしては実に多弁だったが、六歳くらいの子供の話だというのに、何故か、ナイフ、地雷、銃器といった単語が頻出し、盛大に血が飛び散っていた。
 那美はエーリアンにでも出会ったかのように、話し続けているカークをぽかんと見つめていた。
「というわけで、俺に手を出すヤツはいなくなった。ちとやりすぎて、村追放されそうになったが、ま、どうでもいい。で、これが俺の幼年期なんだが――」
 どう思う、とカークは言った。
「すごくあなたらしいと思うわ」
 即答であった。呆然としているくせに、まだ会って二日しか経っていないのに、即答だった。オマケに、何故か、その背後にうんうんと頷いているフランクや慶麗の影まで見える。
「……そうだろ」
 さすがのカークも少したじろいだ。
 パンと手を叩き、気を取り直す。
「要するにだ、俺は昔っからそうなんだよ。オマエの言うような、難しいことは何も考えてねェし、どうでもいいんだよ」
 そう言って、カークはベオウルフの腕をポンと叩いた。
「だから、俺はこれでピザ配ってんだ」
「……軍用PSで?」
 一五O馬力でピザ全力投球だ、とカークは言った。
「バイク配るより早そうだろ?」
 那美はじっとカークを見つめていた。
 やがて、吹き出した。
「何よ、それ」
 そう呟いて、笑う。
「飛ぶゴリラ(それ)がピザ配ってる姿を想像したら、笑うしかないんだけど」
「多少オイル臭くなるかもしれんが、問題はないだろ。ンなことで文句言ってたら、北京(ここ)じゃ何も喰えん」
「何だか、馬鹿らしくなったわ、全部が全部」
 那美はため息をついた。しかし、その顔は無表情ではなかった。
「あなたに出来るんだもの。私が出来ないわけ、ないわよね」
「オイオイ。価格が十倍以上もするPSを使って俺に負けといて、たいそうなセリフだな」
「そうね。もっと頑張らないとね」
 那美が頷くと、閃光が動き出した。閃光のジェネレーターがとっくに復旧していることを、那美もカークも承知していた。
『迷惑をかけたわね』
 スピーカー越しに那美が言った。
『お金なら、ちょっとは渡せるけど、どうする?』
「いらん。持っていけ」
 とカークは言った。
「さっきも言ったが、俺は礼がしたかっただけだ。それ以外のことはどうでもいい」
『そう。それでは、私も見習うわ』
 と那美が言った。それから悪戯っぽく笑って、
『平気な顔してたけどね、あなたに殴られたとき、かなり痛かったの。いずれお礼をしてあげるから、楽しみに待っていてね』
 そう言って、閃光は飛び上がった。まだ本調子ではないだろうが、軽やかに屋根の上をかけていく。やがて、それは小さな点になり、見えなくなった。
「なんか最近、割に合わんな」
 呟いて、ベオウルフの左腕を見る。そこには深い筋が一本走っている。
 カークは自分の左腕を見た。スタンナックルを叩き込むのが少しでも遅れていたら、これはついていなかった。
 これから那美がさらに成長しても、勝つ自信はある。だが、腕の一本や二本は飛ぶだろう。
 ――どうして逃がしたんだろうな。
 いつまでも悩んでいるようなら、さっさとトドメを刺そうと思っていた。それ以外なら生かしてはおこうとも思っていた。だが、逃がそうとは思っていなかった。
 しかし、逃がした。
 理由は判らないが、この二日で出来た塊のようなものが、カークにそうさせたのだった。これもまた、半次郎や八代翔子、那美を追いつめたものと同質のものなのだろうか。
 ――まァ、ンなのはどうでもいいか。
 俺の意志でろうが、そうでなかろうが関係ねェや――そう思ったとき、無線に連絡が入った。
『カークですか』
 フランクだった。地獄の底から鳴り響いてくるような声だった。かすかに、後で私にも寄越しなさいよ、と鬼のような声も聞こえた。隣に慶麗もいるらしい。
『今朝、起きたらベオウルフごとあなたが消えていたんですが、何してたんですか?』
 カークは正直に答えた。
「閃光と戦っていた」
『そうですか……いえ、いくらでも言いたいことはあるのですが、ここは無事を喜びましょうか。ええ、そうしましょう。そうすべきですよね。それが正しいロシア人というものです』
 震える声を抑えて、フランクが言った。カークにというより、自分に言い聞かせているようであった。
 大きく息をはき、気を取りなす。
『では、八代那美を連れて来てください。慶麗に引き渡します』
「あー、それなんだがな――」
『あ、大丈夫ですよ。契約なら、さっきまで壮絶な討論を繰り返して少しは是正させましたから。それでも手にはいるのは1000万程度ですが、何、閃光のパーツを売ればベオウルフの修理代ぐらいは楽に――』
「閃光はいねェぞ」
『……なんで?』
 とフランク。
「ついでに言うと、八代那美もいない」
『……どうして?』
 これは慶麗のようだった。
「ついさっき、逃げてったからな。八代那美が、閃光に乗って」
 反応は絶大だった。閃光の一六・五ミリ機関銃もかくやという勢いで、怒声罵声悲鳴がカークの耳を襲った。
 たまらず無線機を耳から離し、そのまま放置する。だが、五分ほど経っても勢いは収まるどころか広がるばかりなので、カークはしぶしぶとそれを耳につけた。
「おい、フランク」
『何ですかカーク。今度という今度は許しませんよ。ゴルバチョフの顔も、百を超えたらスターリンになります!』
「ベ オウルフだが、昨日よりさらにボコボコだ。左の盾は斬り裂かれたし、足回りは歩くだけで悲鳴上げている。多分、人工筋肉が切れちまってるし、アクチュエー ターと油圧モーターもほぼおしゃかだ。ついでに、コンバットナイフもライフルも失った。――というわけで、さっさと直して装備を補給しろ」
『スターリンも壊滅っ!?』
 フランクの魂の叫びがこだました。それから、『こんなことをしてる場合じゃない! すぐプランを立てないと破産してしまう! ペレストロイカを早く! ああ、でも今日も徹夜だ!』という声がする。続いてバタバタという音がするのは、フランクが走り去って行ったのだろう。
『私はフランクほど甘くはないわよ、カーク』
 今度は慶麗が出た。
『勝手に武警動かして、さんざん好き勝手を許してたけど、もう限界だわ! ここらで力関係をはっきりと――』
「なあ、慶麗」
『何よ、カーク』
「朝 陽区でハデに暴れた。そこらじゅうに弾痕が残りまくっているし、飛び回ったから地面も屋根もベコベコだろう。それと、爆発も起こった。――というわけで、 フォローしといてくれ。詳しい場所は……何か、でかい家が見えるな。白塗りで、木が植わっていて、それと、玄関に虎の置物が二つあるな。片方は吹っ飛んで るけど」
『それ市長の自宅っ!』
 慶麗の全身全霊の咆哮が轟いた。それから『あのバカ、市長の自宅銃撃したっていうの? もう絶対に許さ――あ、これ、私が持ってきた仕事が発祥だった。マズイ、早く何とかしないと。カークより先に私の首が飛んじゃ――』
 今度は最後まで聞いていなかった。無線機を二つにへし折り、投げ捨てる。
 いつの間にか、人が集まっていた。さすがに戦闘中は外に出る勇気はなかったが、片方がいなくなり、ベオウルフがずっと動かないので、野次馬根性が蘇ってきたのだろう。
 見せもんじゃねェぞと威嚇し、追い返す。すると、今度は武装警察がやって来た。先頭の車に、李の姿が見える。その顔はいかにも疲れ切っていて、また一悶着ありそうだった。
 カークは那美を逃がしたことを思った。ふつふつと後悔の念が湧いてくる。しかし、すでにやってしまったことである。
 車がベオウルフの脇に駐まり、李が降りてくる。
 ぐちぐちと続く李の文句を聞き流し、カークは那美の去って行った方向を眺めた。建物を除けば、青くもない青空に、山が見えるだけだった。しかし、それしかないのだからどうしようもない。
 まァ、何とかなるさ、とカークは呟いた。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
雨杜 潤さんの意見
 ハジメマシテ。読ませて頂きましたので感想です( ̄^ ̄)

 文章は概ね読みやすいのですが、誤字と細かい癖が気になりました。特に最初の方は無駄な体言止めが多くて、無意味に短い文章が羅列されていたように思います。個人的に、されど罪人は竜と踊る的な描写法を思い浮かべたのですが、ちょっと劣化版のように思えます。
 しかし、後半は普通に読み易かったので、たぶん、前半部は文章を意識しすぎていたのか、書き慣れていなかったのではないかと思います。
 以下、読みながら思った突込みなどです。

>私のような女の子がPSのようなロボットに乗るのは奇妙に思うかもしれませんが、
 喋り言葉なので気にはなりませんが、「ような」が重複しています。

>ホラ、日本円で5000万!
 北京なのに、わざわざ日本円なのですか。それとも、元より円の方が貨幣価値が高いんですかね。

>元は日本のテレビニュースのコメンテーターが放った言葉だという。
 やっぱり、日本贔屓な気がしてくるデスね。

>西五?路を下っていけば、北京射撃館に着く。今は隣の国家?察官学院ともども
 ( ̄^ ̄)? 文字化けで読めません。

>男たちは四人とも東洋系で、よく眼を凝らすと、男たちの向こうにこれまた東洋系の少女がいる。
 「男たち」が重複しているので、二回目は「彼ら」でもいいのでは。

>「でもな、つい二時間前に鉛玉の雨に打たれてたんだよ。チベット修行僧も真っ青な勢いで」
 こーゆー冗句嫌いな人もいますが、逆にシュールで好きですね(* ̄^ ̄*)特に、こんな雰囲気の作品ですし。雰囲気としてはブラック・ラグーン的な?

>お母さんもそだったのかな
 そうだった、ですね

>十六年という年月が経っているにもかかわらず、タオルまだまだ使えそうだった。
 タオルは、ですね。

>……はい。あのときまで、私はそう信じていたんです。
 むむ( ̄^ ̄)娘が犯人フラグ?

>ウイグル語を喋ってドイツ語を喋れないゲルマン人など漫画の世界にも存在しない
 あ、話せないんですか( ̄^ ̄)てっきり、バイリンガルかと(笑

>「強いて理由を挙げるなら、少しだけ怖くなった。〜
 カークじゃないですが、この人の話クドイですね。飽きてきました(ぁ

>お母さんはお兄さんたちを投げ飛ばし、気絶させると、二人とも首を絞めて殺してしましました。
 あ、なんだ。娘じゃなかった。でも、閃光に乗ってるのは娘っぽいですなぁ。

>閃光がアパートの屋根に着地した。
 ( ̄Д ̄ )重そうなのにアパート壊れないんですか?(ぇ

>三十分持てばカークにとって十分であった。
 三十分って、戦闘自体を長期戦に見積もってませんか?( ̄^ ̄;)ただでさえ、性能に差があるので、最初から短期集中戦に持ち込まなかったらベオウルフでは勝てないような。。。逆に閃光は長期戦対応型とお見受けしましたので、やっぱり、考え方が間違ってると思います。

>何故か、ナイフ、地雷、銃器といった単語が頻出し、盛大に血が飛び散っていた。
 そして、この馬鹿が出来上がったのですね。

>「バイク配るより早そうだろ?」
 バイクで、ですね。一瞬、PSでピザじゃなくてバイクの配達をしていると思いました。

>ゴルバチョフの顔も、百を超えたらスターリンになります!
 それは本気で怖いですね( ̄Д ̄;)

 感想としては、なかなか面白かったです。伏線の張り方や回収も、読者の興味を引き付けつつ進められていたと思います。難を申せば、先が読めてしまったことでしょうか。しかし、バトル物で見せ場はアクションというコンセプトでしょうから、別にいいのかな。
  でも、最初はブラック・ラグーンみたいな印象が強かったので、「ロボット物じゃなくてもいいじゃない」と思ってしまいました。後半の閃光戦になると、「お お、ロボット物最高!」と思えたのですが。もう一戦くらい、派手な戦闘があった方が白熱したかもしれません。最初のも充分良かったのですが、肝心の閃光は ガトリングぶち込むだけぶち込んで帰っちゃいましたから( ̄^ ̄;)
 登場人物については、カークいいですね。フランクも好きですが、何故かやる気のない李少尉が好きというマイナーフェチですみません(ぉぃ

 では、長々と失礼しました。ごちそうさまです(* ̄^ ̄*)


春さんの意見
 『汝思う、ゆえに我あり』読ませていただきましたので感想を残させていただきます。
 ロボットものは苦手だったのですが、途中から引き込まれて最後まで読んでしまいました。
 結構ダークな話だったのにも関わらず、カークの性格でだいぶ救われている部分があるなぁと思いました。

・序盤で那美の独白から始まった時は、正直読むのをやめようかと思ってしまったのですが、続く戦争描写と李少尉の会話で持ち直し、後は最後までという感じでした。

・誤字脱字等は見受けられませんでした。
・武装警察の位置づけが良く分かりませんでした。警察なのに、少尉? という感じでした。まぁ説明がなくても楽しめたのですけども。

 こんな所でした。参考になれば幸いです。
 ではでは執筆がんばってください。


あきさんの意見
 まずはとても読みやすく最後まで一気にいけました。
 北野卵さんが私にくれたお言葉と似てて申し訳ないですw
 でもほんと会話のテンポがよいのと、説明を地の文だけでなく会話もしっかり使っているので、
 読み飛ばすことなくいけました。

 カークの我侭が最後まで突き抜けていて、
 それが作品全体を暴れさせるというか、
 ハードボイルドな世界を体現していて、とてもよかったです。
 勿論振り回される二人もw

 では気になる点を以下に。
 娘さんとはもう少し接触していてより互いの存在を知っていたら、
 もう少し最後の部分も説得力があったと思います。
 ピンチを助けてくれたとはいえ、一回しか会っていない人に説教されても、
 人生の道を変えるとはあまり思えない……かな。

 あと、このテの話が好きだけど知識のない私は、
 こうつらつらと専門用語が飛び交う文章をさらりと書いてしまう技術を尊敬します。
 しかしフルメタルパニックがちらちらと見え隠れしてしまいます。
 あと若干メタルギア(オタコン)が混ざるといった感じで。

 以上です。
 ちなみに勝手にハッピーエンド的な要素はないと思ってましたw
 なのでこの終わり方は好きです。

 お互い次の作品を今よりもっとよい作品にしましょう!
 ではこれにて失礼します!


永遠さんの意見
 拝読しました。
 楽しませていただきました。
 巨大な人型の機械鎧――PS(パワードスーツ)を駆使して戦うカーク。
 彼が戦う理由とは何か――。
 彼を取り巻く仲間や敵の存在。
 さらには、戦いの中で次第に明らかになっていく悲しい過去……。
 世界観が定まっており、かつ、説得力のある話だったと思います。
 正直な話、内容に関して指摘できることはありません。

●細かいところでは、いくつか。

>「ホイ。終了」
 「この化け物が!」
  罵声とともに武装犯たちがベオウルフを撃ち続ける。
  ――諦め悪い奴らだ。


 「諦めの悪い」。
 それと「ホイ、終了」の方が読みやすいかなと。

>カークはそれを右腕ではじき、男をすり抜け、四人目の男の前に躍り出た。
 すれ違いざま、男の伸びきった右足のアキレス腱をブーツの踵で踏み抜く。


 「男の伸びきった右足のアキレス腱をブーツの踵で踏み抜く」。
 この部分のイメージが付きづらいです。

>あること――になってるもの――、ないこと――になってるもの――を見聞したことを考えれば、まあ、想像はついたが。

 ちょっとどういう文章なのか分からなかったです。


亞石さんの意見
 こんにちは。その節はご指導ありがとうございました。
 若輩者ですが、拝読させていただきましたので、感想を残させていただきます。

 普段、私は軍事ものは苦手なんですが、この作品をスムーズに読み終えることができました。
 第三次世界大戦の勃発状況とか、2034年までの技術レベルの推移とか、いろいろと今後が気になるところがあって、続編も読みたいと思えるものでした。

 ストーリーも意外性があり面白かったです。
 特に何も分からない前半部から次第に詳細が判明していく後半部への部分が1つずつ掌握できて楽しかったです。

 読者感想レベルですみませんが、この辺で。

 ……ちなみに北野卵さんは軍事系の小説をよく書かれるんですか?


Ririn★さんの意見
 北野卵さん、初めまして!
 『汝思う、ゆえに我あり』を拝読いたしましたので、管見ではありますが感想・批評を書かせていただきます。


 まず全体的な印象として、面白かったです!
 世界観が重厚に練りこまれていると感じました。作品に求められる説得力という意味でのリアリティーがしっかりと醸し出されていたと思います。おかげで治安が悪く粗暴な街の雰囲気というのがよく伝わっていました。


【文章・表現】
 洗練された文章で、読みやすかったです。誤字や脱字もほとんど見当たりませんでした。また、必要以上に代名詞が使用されていることもなく、会話シーンにおいては会話のテンポを崩さないための配慮も伺えました。何度も推敲されたのだと推察いたします。

 ひとつ脱字と思しき点がありました。
>2003年にタイムラー・クライス社が中国で生産を発表して以来、
 文意を汲みますと、「中国での生産を発表」がよろしいかと思います。

  終盤における閃光との戦闘シーンは、ところどころにカークの心境が差し挟まれているとはいいましても、地の文が長く続いております。戦闘というだけあって 動きは存分に表現されているのですが、地の文のみで読んでまいりますと、動きを“説明されている”というような印象が芽生えてしまいます。あるいは実況的 とでもいいましょうか。従って、戦闘中でもカークと八代との言葉の交わし合いがあるとよいと思います。その際、台詞に緊迫感や高揚感を乗せることで、戦闘 当事者の心理をより効果的に表現できるのではないでしょうか。


【展開】
 特に目立った欠点はありませんでした。登場人物の性格づけや、登場人物同士の差別化がよくなされているおかげで、軽妙な会話やカークの身の振る舞いがとても楽しく読めました。


 ですが、最終的な敵は八代那美の方だった、というどんでん返しには改良の余地があったと思います。“実は敵はこいつだった”系どんでん返しでは、いかに真の敵を敵だと読者に思わせないかが肝要です。二点にわたってこの問題についての見解を述べたいと思います。

 第一に、
  本作がロボット戦闘モノであることを忘れていない読者ならば、八代翔子の死亡シーンの時点で、八代翔子はどんでん返しのためのダミーだと、つまり真の敵は 別にいるのだと気づきかねません。なぜなら、八代翔子の死亡はロボット戦闘モノの結末と考えるには後味の悪いものだからです。翔子は主人公カークの手にか かったわけではなく、ましてや激しい戦闘の結果でもないですからね。
 現状のままでももちろん物語としての筋は通っているのですが、読者の予測を 裏切りきれているかというとそうとも言い切れません。個人的には、八代翔子もPSに乗らせて戦わせた方がよかったのではないかと思います。そうすることに よって、「おっ、ここでいよいよラスボス戦か!」と読者を騙すことができると思います。

 第二に、
 他の方からの同様のご指摘もありますが、八代那美とカークとの接触を増やされてはいかがでしょうか。
  “実は敵はこいつだった”系どんでん返しの場合は、ダミーを真の敵だと思わせる一方で、真の敵(ラスボス)を真の敵と思わせないようにする必要がありま す。ここで述べることは後者です。つまり、“那美を敵というイメージから分離する”ことを徹底するとより良くなるのではないかということです。
 具体的には、カークと那美とがとりとめのない日常会話を繰り広げている場面などをどこかに挿入するとよいと思います(あくまでこれは一つの案ですけれども)。
  カークと那美との交流において、那美を可愛らしく書くなどすれば、那美が真の敵なのではないかという疑いを読者から削ぎ落とすことができそうです(もちろ ん勘繰る人はどこまでも勘繰りますが)。加えて、那美との戦闘後における那美の心情吐露は、一言でいえば“重い”ものです。ですからこの重さを際立たせる ためにも、那美の比較的“軽い”一面を表現した方がよかったと思うのです。また、そうすることで物語に明確に緩急をつけることができますし、那美への読者 の感情移入を誘うこともできるでしょう。


【総評】
 前言いたしましたように、面白かったです(^-^) 明確な矛盾点などは特に見当たりませんでしたし、登場人物の個性も存分に発揮されていました。改稿次第でなお面白くなると思います。

 楽しませていただいてありがとうございました!


竜樹さんの意見
 拝読しました。
 こちらにお邪魔して読むのはこれで二編目です。
 正直・・・びっくりしました。すごい完成度です。
 メカニックな方面も抑えてあるし、しっかり背景の政治的要素もクリア、
 そのうえ人の心理も突き詰めて考えられている。パーフェクトですね。
 こういうモビルスーツものって大好きだけど書けない私としては羨望の的です。
 ほめてばかりだと批評になりませんから、少しだけ気づいたことを。
 主人公はきわだっているのですけど、他のキャラが少し弱いですね。
 李とフランクもなんかかぶってますし、母子も微妙にイメージがいっしょ。
 もう少し個性あふれるキャラにならないでしょうか。
 せっかくシリーズとして今後も広がりそうな作品だけにその二点のみが残念です。
 あ と、小さなつっこみですが。主人公の事務所というか会社はあすこ一軒で従業員(?)は一人ですよね。で、PSは高価なもの。場末の雑居ビルちっくなところ で盗難にあわないのでしょうか。フランクはメカの天才もかねていて防犯装置をしかけまくっているのでしょうか。整備も彼が?
 スナイパーものとかですと武器のメンテとか自分ひとりで可能ですが、PSはどうなのでしょう。

 でも、とにかく緻密な構成で完成度が高かったです。


流離の転校生さんの意見
 北野卵様、こんばんは。流離の転校生です。

 「汝思うゆえ、に我あり」拝読させていただきました。素晴らしいできです! あのフルメタ長編版にも匹敵する完成度です!(フルメタがライトなのに対し、本作はハードボイルド色が強いようですが)

 構成・文章 ほぼ完璧です。冒頭をはじめ、本編の間に那美のモノローグが入るという構成は秀逸です。特に彼女が真のテロリストであること、彼女に優しく接 していた、記者が悪人だったというのが、最後までわからないのが、お見事です。ただ一か所だけ気になった点があります。名詞の前後を?で挟んでおられまし たが、これは少しおかしいのではないでしょうか。

 設定 世界設定、キャラの過去、メカ設定すべて精緻で美しいです。私も設定を作るのは、好きですが脱帽のできです。日本国民に関しては、国民性から言って、リアリティ満載です。

 描写 心情描写、メカ描写ともお見事です。各キャラの人格形成の過程や心情が手に取るようにわかります。メカ描写も素晴らしくラストバトルではカークと那美が、ベイオルフと閃光の機体特性・性能を駆使してせめぎ合うところは、手に汗握りました。

  キャラ 皆「疲れた」人たちですね。状況を考えれば仕方ないのでしょうが。那美は普通こういう趣味(PS乗り)は明朗活発なお転婆で強い心を持ってる人が 多いのですが、彼女はダウナー系で精神的に脆いですね。作品のカラーには合っています。ところで慶麗はなんと読むのですか?


 ストーリー展開でひとつだけ、疑問(不自然)に感じたのは、二日前に逢ったばかりで、たいした関係もないカークの説得を那美があっさり受け入れたことです。中盤で二人がもっと親しくしているところを、描いていればこの展開にも説得力があったと思います。


ガタックさんの意見
 初めまして。ガタックと申します。
 「汝思う、ゆえに我あり」拝読いたしましたので、些少ながら感想残させていただきます。

 ロボットといえばパトレイバーb
 激しく賛同いたします(ぁ

 ですがこのPSというものは少し想像しづらかったですね。
 私の想像力が貧困なだけですがorz
 ロボットにはあまり詳しくないのです……

 この作品の売りはPSの戦闘シーン、とくにクライマックスの部分ですよね。
 でもクライマックスの戦闘シーンは全体の分量に対してちょっと長かったかなぁという気もしました。
 裏を返せば読みごたえがあるということなんですが、特にワタシのような専門的知識のない人間ですと、よくわからない単語のオンパレードで脳が拒否してしまいました(スミマセン

 語彙は豊富な方なんですね。
 戦闘シーン以外の部分はとても読みやすく、情景がありありと浮かぶようでした。
 特にカークの人柄がよく伝わってきて、生き生きとしてましたね。
 フランク、慶麗、李、半次郎……魅力的なキャラが多い中で、八代母子の人間性がイマイチ伝わってこなかったのが残念なところでしょうか。
それも歪んでしまった八代母子の特徴なのかもしれませんがね。

 最後、那美が逃亡しますが、そこがあっさりしすぎて拍子抜けしたまま終わってしまったかなと。

 つらつらと思ったことを書き連ねてきましたが、総じて完成度は高いほうだと思いました。
 もう少し話を膨らませたものを読みたいなと思うところです。


 少しでも参考になれば幸いです。
 これからもがんばってください。


千永ロウさんの意見
 今晩は。
 楽しく(と言ったら失礼かもしれませんが)読ませていただきました。
 キャラクタもセリフも、いい感じにブラックなユーモアが効いていて素敵です。

 ただ残念だった箇所が、二つあります。
 一つ目、綺麗に纏まりすぎていたことです。ロボット(アームスーツ)の設定も、世界観も、キャラクタの方向性やストーリーも、いい具合に纏まっています。しかし、読み手としては奇抜さ、『新しいもの』が欲しかったなとも思います。
 二つめは、物語の冒頭部分。後々の展開と毛並みが違いすぎて『看板』としての役割は果たしていないかと。毛並みを揃えるか、コントラストをつけるために極端 に毛並みを変えてしまうか。そうすれば冒頭で引き込む力は出るんじゃないかと思います。そこで引き込めれば、魅力的なキャラクタとストーリーと世界観が 待っているわけですから。

 応援しています。次の作品も読ませていただきます。なので、執筆がんばってください。
 楽しみにしています。


入谷さんの意見
 はじめまして。
 以前掲示板の方で、掌編への感想の付け方について良いこと言ってる人(=北野卵さん)がいたのを思い出し、拝読させていただいた次第です。

 僕は10枚以上の作品を携帯で読む事はしないのですが、今回ばかりは一気に読み切ってしまいました。
 こんな作品を待ってましたよ。

 パトレイバー2のテーマ(戦争とリアル、そしてその中の情報)を踏まえながらも、それを全く別の視点、切口から見せているといった感じでしょうか。
 文章技術、ことアクションシーンに関しても、フルメタと遜色なく、背景設定もよく作り込まれていて、テーマを存分に生かせてます。
 評価はもちろん点数の通りです。


三十路乃 生子さんの意見
 度々すみません。三十路乃 生子です。

 どうしても府に落ちない点があって改めて読み返しました。
 結果、長所・短所について自身が誤解していた点がありましたので、点数と合わせて直させて頂きました。


 府に落ちなかった点とは、八代那美の独白と事件、その因果関係と時系列についです。

 と言うのも、八代那美が迫害を受ける様になった原因は、作中で翔子が男二人を殺害がした事と書かれています(フランク調査)。
 さらにそれを見た翔子がショックで入院となっています。
 しかし冒頭でカウンセリングを受けている翔子は母が自宅に帰る前から迫害が始まっていたとなっています。

 これはつまり、那美への迫害は翔子の殺人のもっと前、つまり七、八年前から水面下で発生していたという事ですよね。同時に、那美の置かれた状況はフランクには調査できない程に孤立していたと解釈出来ます。

 自分も最初はフランクの情報だけを真に受けてしまった為、一瞬ミスかな?と思ってしまいました。
ですがここで雨龍さんの説明が生きました。日本での那美の状況も雨龍さんの説明のおかげで、確かに説明不足ではありますが納得は出来ます。

 まぁその検討の為に、那美の独白のみを通して読みました。
 さらにフランクでは調査出来なかった程に陰湿、それが七・八年前からずっと続いて孤独に苛まれていた事、この二つが頭に入ったまま読んだところ・・・。

 参りました。

 書き方が分かりにくい問題はありますが(それとも自分の理解力不足ですかね)、こうやってじっくり読むと涙腺が緩みかけました。ヒロインの性格が弱い?どうやら私の目は節穴みたいです。
 すると翔子の行動もしっくり来るんですよね。お互いが立たせ合う因果関係のある組み合わせですので、よく分かりました。

 ただ、構成の為に独白を分割した事、彼女の状態を考えなければ理解に至らない説明不足であった事、この二つが作品の良さを邪魔してしまった感が・・・。
 もし上手く言っていれば、那美から派生するタイトル・戦闘・翔子・エンドの全てが作用し始め、もっと素晴らしい作品になったと思います。そうなれば彼女のハッピーエンドは合掌ものです。悲劇なんて結末にしたら、本当に泣いてしまったかもしれません。

 と、言うわけでもう高得点作品掲載所に入ってはいますが、読み易さの中に潜んだ衝撃に+10点させて頂きました。

 理解力の無い感想を述べてしまい、すみませんでした。
 それでも読み易く考察も出来る、読んでいてとても楽しい作品でした。
 北野様も夏祭り企画も頑張って下さい。楽しみにしていますね。

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