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神は祟る

   序章 神憑き


 山が火を噴いた。
 空気を掻き毟るような炸裂音が夜に轟いて、黒い空に幾筋もの紅蓮の炎が飛沫を上げる。
「なんだ」
「なんの音だ」
 寝静まっていた村はたちまち騒然となり、村中の人間がなにごとかと血相変えて次々と家屋を飛び出しては、まず地面に積もった灰の量に驚く。
 ついで断続的に降ってくる軽石の雨に不審そうに腕を掲げ、頭と眼を庇いつつ背後に聳える山を仰ぐ。
 ニ十一世帯が集う村はキ山の山裾にあった。
 起伏が少なく、土壌は肥えて、水脈に恵まれたキ山は文字通り村の生命線であった。四季折々貴重な恵みをもたらす山に、そこに坐す神々に感謝し、収穫物など供え物を欠かさず、大切に祀ってきた。
 だがいま、キ山は噴煙柱をたて、岩を天へ投げつけて、赤い火の玉の雨を撒いていた。そして不気味な地鳴りが足元に響いている。
 あまりにも不吉な予兆に、すぐに動けるものはいなかった。未曽有の出来事の前に、皆、凍りついたように立ち尽くしていた。
  そこへ二度目の噴火が起こった。天空は真紅に輝いた。しかしすぐに濛々たる煙に覆い隠されてしまう。地面が沸騰したかの如く揺れ、たて続いての爆音と火の 津波が奔流となって押し寄せてくるのを見た。そして同時発生した高温のガスと水蒸気、細粒の火山灰などを主として高速で移動する、渦を巻いて殺到する爆風 が地表を這い下がった。それが火の津波の到着前に村を急襲した。
「逃げろ」
 誰かが叫んだ。だが逃げる間などなかった。
 
 村の牛飼いの娘として生まれたハルトオは、物心つく前より既に神の存在を知っていた。
 “姿なき神”と“姿ありき神”。
 前者は巨大無比の神力を有するが、人の世には無関心。これに対して後者は常に人の世に在り、干渉し、神力には差異があるものの、恐ろしき性質で怒りのままに祟る。
 そしてハルトオには“姿ありき神”が一神憑いていた。
 村の男たちの誰よりも背が高く、村の女たちの誰よりも美しく、どんな牛よりも力にみちていた。髪は深い緑味を帯びた漆黒、眼も同じ色で、それはハルトオとも共通していた。一度不思議に思って訊ねると、「そちに合わせた」と答えが返ってきた。
 ハルトオは神の深緑色の長衣の裾を握りつつ、首を傾げた。幼さゆえ、畏れを知らなかった。
「お顔、本当は違うの」
「余の真の姿をそちは見ているぞ」
「お名前は」
「既に名乗った」
「……そうだっけ」
「神は二度名乗らぬ。思いだせ。そちが忘れている限り、余は名もなき神ぞ」
 そうは言われても、ハルトオはさっぱり思いだせなかった。そもそも、この神がいつ自分に憑いたのか、なぜ憑いたのか、慻族も目的もなにもわからなかった。
 ハルトオが九つになったときには、神の声を捉え、言葉を解し、それを代弁する聴き神女(ききしんめ)としての地位に就いていた。
 そして今日、十三歳になった。村を挙げての祝いの席が設けられ、珍しいごちそうがふるまわれた。
一番おいしかったのは、甘い焼き菓子だ。これは、小麦を挽いて粉にして、牛の乳で溶き卵を練りこみ、団子状に丸めたものを平たく伸ばし、香ばしく焼き上げて、糖蜜をたっぷりとまんべんなく塗ったものだった。
  それから嬉しかったことは、来年は大人の仲間入りをするのだと村長に告げられたことだった。今年はその準備期間に充てられるため、心身潔斎をしなければな らない。そのために悪いものを祓うとされる、悪神除けの腕輪を贈られた。村の神木に祈りを捧げて一枝を伐り、特別の意匠を凝らして彫りあげたもので、身に つけると、背筋が伸びるような、既に大人の仲間入りを果たしたような得意な気分になった。
「おめでとう、ハルトオ」
「ありがとう。私、来年までに立派な大人になったって言ってもらえるように頑張るよ」
「そりゃあいい。来年が楽しみだな」
  笑顔がはじける。屈託ない笑い声がこだまする。村人全員に祝われて、ハルトオは少し有頂天になりすぎていた。そのため普段そこかしこに坐(おわ)し、頻繁 に語りかけてくる神々の声がまったく聴こえないことにも気づかなかった。静かすぎる気配が不穏であると、見抜けなかった。

 火口から火の塊が溢れて、山の斜面を一気に雪崩れてきた。圧倒的な破壊力を誇る熱風と、大規模の火砕流が村へとまっしぐらに突進してくる。あっという間の出来事だった。
「お母さん、お父さん」
 眼に見えぬ熱の風に焼かれる寸前、ハルトオは腰をさらわれて、つむじ風の如く低く地上を移動して安全圏に運ばれた。ハルトオに憑く神の手によって。他はすべて、火の海に沈んだ。
 生き残ったのは、神憑きのハルトオひとり。
「お母さん、お父さん……」
 神が横に添う傍でハルトオは泣きじゃくった。喪失感と孤独に胸を苛まれ、激しい自己嫌悪に狂うのはこのすぐあとだったが、同時にこの夜、ハルトオはもうひとつかけがえのないものを失っていた。
 奪われたものはこの世に二つとないもので、なにがなんでも取り戻す必要があった。そう決意したとき、ハルトオは起(た)った。長い旅路のはじまりであった。




   第一章  祟(たた)られしもの


      二人旅

 万年雪を頂くソウ山の麓、ここに、公主の君臨する王都の噂など欠片も届かず、この地方を治める領主の加護もあまりなく、また物資の輸送や人の行商の中継地からも不便なほど遠く、細々と自給自足の暮らしを営む小村があった。
 空は薄蒼く高く、木々の紅葉がはじまり、ススキの穂が揺れる。
 秋の収穫がほとんど済み、休耕田が続いていた。畦(あぜ)道にも人影はなく、何羽かのカラスがこぼれた雑穀をついばんでいるだけだ。
「ひといないね」
「やっぱり直接村を訪ねるしかないね」
「……また石を投げられたりするのかな」
「……面を取らなければ大丈夫だよ。でも怖ければ村の外にいてもいい。無理をしてついて来ることはない。私がひとりで行って道を訊いて来るから、ここで待っておいで」
「だめ。カジャがハルトオを守るの。絶対離れちゃだめ」
 被災して故郷を失い、旅に出てから十年の歳月が経った。
 ハルトオは二十三となり、背も伸びて、娘らしい身体つきになっていた。 深緑を帯びた髪は肩に届かないくらい短く、化粧っけはない。
 服装は寒暖の差が激しくとも大丈夫なように、汗の吸収性が高い綿の下着をつけて、長袖の腰丈まである上着と踝まであるズボンを穿き、防寒具にもなる被りものつきのゆったりした外套を着用していた。
 履物は頑丈さと履きやすさに定評がある大角鹿の皮をなめしたもので、身につけているものの中でも一番高価だった。
 見た目には華奢な印象の青年で、口をきかなければ年頃の娘とはまずわからない。事実口を開いても気づかれなかったこともあるくらいで、むしろこの勘違いをハルトオは迎合していた。
 なにぶん、女の旅は危険が多い。ましてや幼い少女と二人連れとあっては尚更だ。
「ちょっとお腹空いたね」
「村に行く前にお昼にしようか」
「まだ平気。ハルトオの用事が終わってから一緒に食べる」
「じゃあそうしよう」
 手袋を嵌めた小さな手が伸びてハルトオの手をきゅっと握った。人里が近づいてきたので緊張しているのだろう。面に隠れて表情が見えないが、普段よりだいぶ口数が少ないし、悪戯にはしゃぎもしない。
「大丈夫」
「……うん」
「大丈夫だよ、カジャには私がいるじゃないか。もし石を投げられても拾って今夜の薪を囲むのに使えばいい」
 言って、ハルトオは少女カジャに笑いかけた。カジャもハルトオを見上げてぎこちなく笑う。きれいに結い上げた濃い黒髪と濃い黒瞳。ハルトオが草で編み乾燥させて作った顔隠しの面をつけている。顔の上半分を覆う眼の部分をあけた面はいまではすっかりカジャに馴染んでいた。
 カジャとは、半年ほど前に西国ワキツのニタという町の奴隷市で会った。まだ七歳だというのに親に売られたのだ。その理由は一目瞭然で、ハルトオとしてはとても見過ごせなかった。
 雑多な人間が集まり目当ての人間(もの)の値を怒声交じりにかけあう中、行きずりの野次馬連中がカジャの顔の造作について口々にはやしたてる。聞くに堪えず、先のことなど考えぬままハルトオはカジャを引き取った。
 それから二人、年齢の離れた姉と妹というふうを装って旅をしてきた。ハルトオとしては然るべき養い親を見つけることができたらカジャを託すつもりだったのだが、ほどなく異変に気がついた。
 ハルトオは急遽目的地を変更した。そしていま、ようやく西国ワキツの南端までやってきた。あとはこのソウ山連峰を越えれば南国ミササギに入る。なんとか雪が降る前に山越えを果たしたいところだった。
 村の入口門が見えてきた。
 周囲を高さ一メグ(およそ一メートル)のコンクリート壁で囲われている。半端な高さからすると防壁というよりは、家畜が勝手に遠出しないための檻だろうな、とハルトオは思った。
 狭い土地に家々が密集しているのは、親戚筋か、縁の深い者同士が寄り合ってできた村であることが多い。そのため互いの絆は深く固いのだが、異分子である余所者を極端に嫌う。
 門前では、カジャと同じ年頃の子供たちが輪になって遊んでいる。冷遇されることも承知の上で、ハルトオはカジャの手を引き、そちらへと近づいていった。
 ハルトオが声をかけるより前に、子供たちが二人に気がついた。さっと緊張して遊ぶのをやめ、じっと外からの人間を眺める。
「ごめんください」
 門のところで立ち止まったハルトオが口をひらいたのをきっかけに、小さな子供たちがわっと散った。幾分年長の少年二人がその場に居残って、震えながらも威嚇のまなざしを向けてくる。
「少々お訊ねしたいのですが」
「余所者と口をきいちゃいけないって言われている」
「あと、勝手に村に入れちゃいけないって」
「わかりました。入りません。すみませんが、大人の方を呼んで来てはもらえませんか」
「いま呼びに行ったからすぐ来る」
 ハルトオが入らないと言ったので子供たちは安心した。カジャの存在に気づくと、すぐにそわそわしはじめた。
「……その子、なんで面をつけているの」
「顔に醜い傷があってね、よく意地悪されるから隠しているんだよ。見たら、君たちも石や泥を投げたりするかも知れないね」
 それを聞くと、カジャはびくっとしてハルトオの後ろに隠れた。その様子を見た少年二人は顔を顰めて、憮然と言った。
「俺たちは弱い者いじめはしない」
「そうだ。弱い者をいじめるのは卑怯者なんだ。俺たちは卑怯者じゃない」
「よかった。じゃあ、この子にも優しくしてくれるかな。そうだと嬉しいな」
 少年二人はこくっと頷いた。
「わかった」
「優しくしてやる。俺はイチザ。こっちはキズミ。おまえの名前は」
 カジャは黙りこくっていた。先に名乗ったのに無視されて、少年二人が面白くなさそうに苛々するのがわかった。ハルトオは代わりに詫びた。
「ごめんね。前に君たちと同じくらいの男の子に石を投げられてね、それが顔とおなかにあたって怪我をしたことがあるんだ。だからちょっと怖いみたいで……またあとで仲良くしてくれるかな」
 知らせを聞いて、男が二人出てきた。どちらも四十代ぐらいで、作業着姿。浅黒い肌と農作業で鍛えられた太い首と太い腕を持ち、いかにも力持ちに見えた。
「イチザ、キズミ、家の中に入っていなさい」
「あのね、あの子、石を投げられたことがあるんだって。小さい子をいじめる奴は卑怯者なんだよね、俺、そんなことしないよね」
「ああ、おまえはそんなことはしないな」
「聞いたか。俺はおまえをいじめない。だから逃げるなよ。あとで遊んでやる」
「遊ぶのはあとだ。いいから家に戻りなさい」
 くぐもった返事をしてイチザとキズミは踵を返した。二人の子らを見送って、男たちは招かれざる訪問者と向き合った。
「なんの用だね」
 ハルトオは丁寧に頭を下げた。
「お 騒がせして申し訳ありません。少々お訊ねしたいのです。私はハルトオ、この子はカジャと申します。これからソウ山を越えようと思うのですが、山に坐します 神に拝礼してから入山したいのです。どうか神名を教えてはいただけませんでしょうか。それから、ソウ山は禁足の地があるとも聞きました。その場所と守護す る山岳民のことも、できれば情報をいただけるのでしたら、ありがたいのですが」
「これから山越えだって。その小さな子供を連れてかね」
「はい」
 男たちは顔を見合わせた。ハルトオとカジャのさして荷物のない軽装をじろじろと見てどちらともなく「無茶だ」と呟く。
「悪いことは言わない。やめておきなさい」
「そ うだ。せめて春になるのを待ちなさい。こんなに寒くなってからでは野宿は厳しい。山で凍え死ぬのが落ちだ。第一、四文字名からしてあなたの出身は南国だろ う。寒さは苦手のはず。どうして西国にいるのかはわからんが、ソウ山を越えるのは初めてではなかろう。あの山は弱いながらも気難しい神が多く、一年中霧に 覆われていて視界も悪い。子供を連れた女の足ではきついよ」
 女と見抜かれてハルトオは内心ちょっと驚いた。
「南国から西国に入ったときは商人たちが使う輸送山道を登ってきました。今回はそんな遠回りをしてはいられないのです」
「その子は三文字名だ、この西国出身かね」
「はい」
「親子か、と聞くのは失礼かな」
「いえ」
 姉妹で通してきたが、そう見られても不思議ではない。
 ここで下手な嘘をつくことはやめておいたほうがよさそうだ、とハルトオは腹を決めた。
「……ニタの奴隷市でこの子を見かけたのです。顔の醜さを指差され嗤いものにされているのがかわいそうで引き取りました。いい養い親がいればと思い探していたのですが、顔の傷が徐々に悪化しはじめて、おそらく祟(たた)りではないかと思うのです」
 祟り、と聞いて男たちはぎくりとした。
 ハルトオはカジャの頭を撫でた。
「で すがこんなに幼い子が神に祟られるような悪い行いをしたとも思えません。たぶんちょっとした神の悪戯なのでしょう。うつる病でもないですし……とにかく、 早いうちに祟り落としの神泉に連れて行きたいのです。この西国にも神泉はあるのでしょうが、私はどこも知りませんし、教えてもらったところで泉の使用許可 を願えるようなつてもない。さいわい、私は南国に一箇所知っている場所があります。あちらならつてもあるので、いまはそこに向かう途中なのです」
 話を聞き終えて、男たちは目配せした。
「事情はわかった。だが、とりあえず今日はここで休みなさい。もう正午になる、山の日没は早い。いまから私たちの話を聞いて入山するのでは遅すぎる。今夜は早寝して、明日の朝早く発ちなさい」
 ハルトオはかぶりを振った。控えめに辞退を申し出る。
「お気持ちはありがたいのですが、泊めていただくには及びません。私も小村の出なので余所者を厭うことが自衛の手段であることは承知しております。大丈夫です、野宿は慣れていますのでお話だけ伺えれば、それで十分です」
「幼 い子を連れた若い女性が賊とも思えんよ。変な気遣いはいいから来なさい。ちょうど昼時だ、一緒に食事をしよう。それに、うちの息子がその子をかまいたくて しかたないようだ。うちにいろと言ったのに、屋根の上にいる。危ないから屋根には登るなといくら言ってもききやしない。まったく困った奴だ」
 ハルトオはカジャに訊ねた。
「こう言ってくださっているが、どうする。一晩お世話になるかい」
「……ハルトオが行くならカジャも行く」
 ハルトオは頷いて向き直った。
「では、お言葉に甘えて母屋ではなく納屋の隅でもお貸し願えますか。この子、手足にも発疹が出て人前に出るのを嫌がって……あの、わがままばかり言ってすみません」
 話がついた。
 ハルトオは入口門を跨ぐ前に、両手を胸の前で交差して深々と頭を下げ、土地神に拝礼した。トカゲ、スズメ、コオロギ、他……この村は小さき神々の祝福がある。
 そして男たちに連れられてハルトオとカジャは村へと入った。
 家々はコンクリートと木材を上手に併用した造りで、暖かく頑丈そうだった。牛舎や厩舎、山羊・羊小屋、豚小屋、鳥小屋、備蓄庫、倉庫などがあり、井戸や水場、大きい炉もあって、生活は豊かそうだった。
  そのままハルトオとカジャは村の女衆に紹介され、意外にも快く迎え入れられた。村長を務めているというイチザの父、イドリの家に世話になることになった。 家屋は平屋建てで、入ってすぐのたたきと、続く茶の間には囲炉裏端があり、その奥に床の間が二つ、厨房、厠は外だった。
 昼食はイドリの妻ミホトが拵えた。米を水で煮て卵と刻んだ野菜を混ぜた雑炊と、串に刺して火で炙り塩と薬味をふったキノコ焼き、それから熱いお茶だった。カジャは温めた牛乳に蜂蜜を溶いてもらって大喜びだった。
 食事のあと、さっそくイチザとキズミが誘いにきた。カジャは一旦ハルトオの身体の陰に隠れたが、嫌がっている様子でもない。
「一緒に遊んでくれるって。遊んでおいで。私は大人同士色々お話があるから、ここにいてもつまらないよ」
「行こうぜ」
「大丈夫、いじめないって。面とか手袋とかも取らないよ。約束する」
 イチザとキズミはそれぞれ手を差し伸べた。
 カジャは動かずじっと両方の手を見ている。
「カジャ」
「え、なに」
「名前。私、カジャ。あなたはイチザ。あなたはキズミ」
 これを聞いて、イチザとキズミはいっぺんに笑顔をつくった。むんずとカジャの両手首を掴み、ハルトオの背後より引っ張りだした。
「おまえ、細いなあ」
「もっと食わなきゃ。大きくなれないぜ」
「カジャを頼むよ」
「まかせとけって」
 威勢のいい掛け声とともに子供たちは表へと飛び出していった。
「ハルトオっていい響きだねぇ。四文字名はきれいな名前が多くて羨ましいよ。私は南国
は行ったことがないけど、いいところかい」
「格別よくはないです。暖かいだけで」
「あははは、そりゃそうか。やっぱり人間が集まるところなんてどこも一緒だね」

 世界は、中央に神の坐す神国オルハ・トルハがあり、あとは東西南北、大きく四つに分かれていた。
  出身は生国でつけられた名により判明できるようになっていて、東国タキはニ文字名、西国ワキツは三文字名、南国ミササギは四文字名、北国ヒルヒミコは五文 字名。身分がどうあれ、六文字名以上は許されず、また、一文字名は罪を犯した者に与えられる特異な名のため、一般には許可されていない。
 神名は二文字名から五文字名までが小さき力の下位の神をあらわし、六文字名から十文字名までは強き力の上位の神を示す。更に十一文字名、十二文字名は神の園庭の円卓に集う十二神にのみ許されているもので、その名を持つ神々を神王と称した。
 そしてただ一神、十三文字名を掲げて、神王の頂点に在る神を、黄輝(きき)神と崇めていた。
 
 それからしばらくハルトオは女衆とよもやま話をして、食後の後片付けを済ませると、今度は男衆と肝心の話を詰めた。
 炭が赤々と燃える囲炉裏端で、ハルトオは村長イドリと相談役を務めているというキズミの父、キクラの話を聞いた。イドリはソウ山の稜線が記された手描きの地図をひろげた。村人が春と夏に使うという南国へ降りる山道を、目印とする岩の形などを含めてハルトオに説明した。
 炭の火がぱちぱちと爆ぜる。
 手焼きの茶碗のお茶を飲み干して、キクラが引き継ぐ。
「ソ ウ山には鳥の守護神と古き強き蛇神が棲むという言い伝えがある。どちらも名のある神らしいがこの村に神名を知っているものはいない。その神々を祀り、守っ ているのがチャギで、非情で好戦的、山刀を武器にしている戦闘山岳民だ。山に入って奥へいったら木に不気味な木彫りの飾りが吊るされているのが眼につくと 思う。我々はチャギの眼と呼んでいるのだが、そこから先はチャギの支配域だという知らせだ。決して中に入ってはいかん。いや、もっと恐れなければならない のは、神の坐すとされる滝壺だ。ここに足を踏み入れたが最後、生きては山から出られないぞ」
「用心します」
「本当はこの村に聴き神女か聴き神男でもいれば、もっと詳しいことがわかるんだが……すまないね、あまり力になれなくて」
「いいえ、こんなふうに親切にしていただけるだけで十分です。カジャも、久しぶりに同じ年頃の子供たちと遊べて楽しそうだ」
「なにぶん、こんな辺鄙な土地では余所者が珍しくてな。まあ子供は子供同士が一番だ」
 ハルトオは崩していた足を揃えてきちんと正座した。床板に拳をつく。
「ただで世話になるわけにはまいりません。なにか私にできることはないでしょうか」
 お茶のおかわりを注いで運んできたイドリの妻ミホトが笑い声を立てる。
「若いのにしっかりした律儀な娘さんねぇ。どう、うちの村の若衆の嫁に来ない」
「いえ、それは」
「あら、すぐふられちゃった。さては故郷にいいひとがいるのね」
 ハルトオは小さく笑み、そっと眼を伏せた。
 表情が陰り、哀しみを滲ませて否定も肯定もしなかったハルトオの寂しそうな姿に、それ以上ミホトは言及できず、肩に手をのせ、「ゆっくりしていらっしゃい」とだけ告げた。


      山火事


 異様な気配を感じたのは午後も遅く、日没を間近に控えた頃だった。
 静かすぎる、と感づくなりハルトオは歓談の席を中座して外へ出た。
 既に日が陰りはじめ、黄昏の柔らかな光が射している。空に鳥の姿がなく、村から神々の息吹が消えていた。見上げたソウ山はどっしりとそこにあったが、山裾が不自然に明るく、赤い。
「神様いないね」
 見るとカジャが足元にいた。カジャも気がついたのだろう。ハルトオは身を屈めてカジャと視線を交えた。
「カジャ、遊びは終わり。皆を呼んで来て」
「うん、わかった」
 ハルトオはイドリの家に戻って言った。
「山火事です」
「なんだと」
「もうすぐそこまで迫っています」
「そんな」
 イドリとキクラは裸足のまま、先を争うようにたたきをよぎって外へ転がり出た。ひとめ山を見て息を呑む。紛れもなく、裾野の山林に火の手が上がっていた。それも風は山から吹き下りてくるため、こちらは風下にあたる。
「火を消さないと」
「ああ、大変なことになる」
「女子供は川辺まで避難させろ。男たちは頭と口を覆って砂袋を担いでついてこい。急げ」
「待ってください」
 ハルトオは制止の声を張り上げた。
「あの火の勢いでは消火は無理です。全員で逃げましょう」
「村を見捨てろというのかね」
 イドリは非難の眼をハルトオに向けた。
「そんなことはできん。やっと冬越えの準備を終えたばかりだし、収穫物はほとんど貯蔵庫の中だ。家畜もいる。ここは、はじめなにもなかった。荒れ地だったところを皆で耕して、ようやくここまで形にしたんだ。第一、家も食料も持ち物もすべて失ってどうやって生きていける」
 叩きつけるような激しい言葉にも、ハルトオは怯まなかった。
「私の故郷は火の海に沈みました」
 行きかけたイドリの足が止まった。
「山が噴火して流れてきた溶岩の下敷きになったのです。いまもまだ岩と灰に埋もれたまま……生き残ったのは私だけ」
「いつのことだね」
「いまから十年前、私が十三のときです」
「キ山の噴火か」
「そうです」
「あのときはここまで灰の雨が届いた。大規模な噴火だったと聞いたよ」
「犠牲になった村は幾つもあったそうです。私は肉親も家も故郷もいっぺんに失いました」
 ハルトオの静かな眼がイドリの興奮を冷ました。イドリは深く吐息した。
「まず命が大事だな」
「はい」
 イドリは握った拳を震わせながら村全体を見渡した。
 この地に心血注いで築いた、すべてが財産だった。
「逃げよう」
 イドリの指示のもと、全員防寒具を着込み、水と持てるだけの食料を荷袋に入れて担ぐ。身体の自由のきかないものは男衆が背負い、女衆は子供の手をひいて先にいった。
 風上にあたる上流の河岸を目指し、ひと固まりになって逃げた。
 ただならぬ悲鳴が耳をつんざいたのは、村を離れてだいぶ経ってからのことだった。
 ミホトが髪を振り乱してイドリに縋った。
「イチザはどこ」
「なんだと。一緒じゃなかったのか」
「途中で手を放して、あなたのところへ行くって言って、後ろに向かったの。でもいま振り向いたらあなたの傍に見当たらなくて」
「キズミもいないわ」
 騒然として点呼を取りはじめる。ミホトは半狂乱で泣き崩れ、誰かが「まさか村に戻ったのか」と呟いたのを聞くと、唐突にいま来た道を取って返そうとした。慌ててイドリが羽交い絞めにして捕まえる。
「放して」
「落ち着きなさい」
「助けなきゃ――私の子供なのよ」
 ハルトオはミホトの慟哭にかつての自分の姿を重ねた。カジャと繋いでいた手をそっと解き、小さな肩に掌をのせる。
「ちょっとここで待っていてほしいんだ」
「どこに行くの」
「カジャのお友達を捜してくる」
「カジャも行く」
「怖い目に遭うよ。それでも行くかい」
「カジャのお友達だからカジャも捜す」
 ハルトオは首肯した。カジャを抱き上げる。
 ひとをちょっと掻き分け、泣きわめくミホトの近くにいった。
「お子さんを捜して来ます。皆さんは先に避難していてください」
 言い捨ててハルトオは走った。カジャは軽かった。荷の方が重く、預けて来ればよかったと思った。だが長年の習性により、大切なものは肌身離さず、の癖が染みついてしまっている。
 村まで戻った。大きく膨らんだ火は止まることを知らず、手前の原生林を焼き尽くし、コンクリート壁をあっさり越えて二軒の家を半焼させていた。
 村が火に包まれるのは時間の問題だった。
 赤い小さな粒の火の粉が空に乱舞する中、ハルトオとカジャはイチザとキズミの名を叫びながらイドリの家の前に着いた。ハルトオは手拭きをカジャの口に押しあてた。
「カジャ、二人を捜して来てくれるかい」
「うん、行って来る」
「気をつけて」
「大丈夫。カジャ強いもん」
 面の緩みを直して、カジャは早速イドリの家に飛び込んでいく。
 ハルトオは喉を押さえて迫りくる火炎の嵐と対峙した。赤い渦に、悪夢が蘇る。不意に強烈な眩暈に襲われた。吐き気が込み上げ、目の前が暗くなった。
「寝るな」
 はっとした。倒れかけていたのだろう。身体を支えられている。ハルトオは腕の主を仰いだ。
 夜明け前の湖水のような緑がかった黒眼と、やわらかな黒髪。美貌は鮮やかだが印象には残らない類の力が働いている。完全な八頭身は影まで美しい。この神は、出会ったころと寸分変わらぬ姿でいまもハルトオの傍にいた。
「……寝ていません」
「ならばよい」
 腰に添えられた手はまだそのままだった。ハルトオが身動ぎすると、神はやっと放した。
 ハルトオは呼吸を整えた。胸が楽になっている。火は相変わらず猛威をふるっていたが、恐怖は過ぎていた。
 ハルトオは両掌を合わせた。
「待て。そちはまた他な神(もの)を呼ぶつもりか」
「……はい」
 ハルトオはこの十年で聴き神女としての能力を磨いていた。
  聴き神女は、主に三つの能力に分けられる。一つには神の声を聴いて、神のために役立つこと。二つには神の声を聴いて、ひとのために役立つこと。三つには、 神より直接神名を賜った場合のみ、その神を呼ぶことができる力を持つこと。それは多くの場合、神々の要請に応えて神の気に召す仕事を成し遂げた褒美として 与えられるものだが、これは大変な名誉であり、偉業であり、神名を授かるものなどほんの一握りである。
 ハルトオは、そのうちの一人だった。
 神の眼は無表情だったが、はっきりと責めたてられていた。それでもハルトオはやめなかった。
 合わせた掌、次に手の甲を重ね、内側に抉るように縦にくるりと回転させ反動をそのままにまたはじめの形に戻す。そしておもむろに神呼びの声を放った。
「森 羅万象、万物を統べ、守り、導きたる神々に感謝と祈りを捧げます。我が名はハルトオ。我に名を賜いし神よ、我が声に応えたまえ。我が呼ぶのは空(くう)の 神ソウシ・イラツメ並びに水の神カゲツ・タカネ。繰り返し申し上げる。我が呼ぶのは空(くう)の神ソウシ・イラツメ並びに水の神カゲツ・タカネ。我が招請 に降臨を願い上げる。繰り返す。我が招請に降臨を願い上げる」
 次の瞬間、空気にゆらぎが生じた。そうかと思えば、ハルトオの前にほっそりした三毛猫が一匹と立派な体躯の灰色熊が現れていた。
「何用だ」
「願いを申せ」
 三毛猫と灰色熊が同時に口を利く。その声は遠雷の如くかすかだが、はっきりと響いた。
 ハルトオは丁寧に一礼して、言った。
「申し上げます。ソウシ・イラツメ様にはあちらの火の完全なる消火をお願いいたします」
「よかろう」
「申し上げます。カゲツ・タカネ様にはこの近辺一帯に雨を降らせていただきたいのです」
「わかった」
  どちらも身を翻すなり、すうっと変化した。三毛猫であったものは黄金の長髪に白肌、金色のたっぷりとした襞のある衣装を纏った妖艶な青年に、灰色熊であっ たものは紅髪に褐色の肌、半裸で裸足、下半身に黒い布を巻いただけの屈強な男に、それぞれが眼も眩むほどの美形であった。
「見惚れるな。彼奴等はそちの気を惹こうとしているのだ。真の姿ではない」
 ハルトオは惑わされてはいなかった。注意は目の前のニ神の技にのみ注いでいた。
  空(くう)の神ソウシ・イラツメは垂直に上昇し、眼下を一望できる高さに停止した。黄金の髪が風に靡く。右腕が持ち上がり、肘が伸びる。五指が開き、もの を捻るような所作をした。するとジュウッと音をたてて瞬く間に炎が揉み消され、焼け跡からは黒い煙が立ち上るだけとなった。
 次に水の神カゲツ・タカネは腰に手をあて、大地に軽く足踏みした。首を擡げ、口笛を吹く。たちまち上空に鼠色の雨雲がひろがり、大粒の雨がざあっと降って来た。
 黒髪の神が腕を掲げてハルトオを庇う。だがハルトオは気づかず、戻って来たニ神に深く頭を下げて礼を述べた。
「ありがとうございます」
空の神と水の神は揃って笑った。
「なんの、これしき」
「おおよ。ようやくそなたに呼ばれたわ」
「なにか私でお役に立てることがございますか。なんなりとおっしゃってください」
  神を呼ぶのは易しい。だが帰ってもらうのは並大抵ではない。たいてい、かなえてもらった願いを何倍も上回る無茶な要求を突きつけられるはめになる。それゆ え、神呼びは滅多に行うものではなく、たとえその資格を持ち、名を授かっていても、招請はせず、またその事実は伏せておくこと。ハルトオは、先代の師にそ う教えられた。まだ幼き身だったが、神は恐れ敬う存在であり、安易に使役してはならぬもの、と何度も何度も言いきかされた。
 その神呼びをした。
 ハルトオは覚悟をもって呼んだつもりだったが、いまになって震えが来た。いったいなにを要求されるのか、恐ろしかった。
「過分なことを申すな。そちは散々彼奴等のわがままをきいてやっただろう。このくらいのことで礼など言わなくてもよい」
 と言ったのはハルトオの神で、空の神と水は顔を見合わせ、伺いを立てるようにそっと訊ねた。
「……久しぶりに宴でも一緒にどうかと誘うこともいけませぬか」
「ならぬ」
「……せ、せめて少し話をさせていただくわけには」
「ならぬ。帰れ」
 冷たい眼で睨まれて二神は諦めざるを得なかった。ハルトオに向かい、「またいつでも呼ぶように」と告げることが精いっぱいで、現れたときと同じ姿に戻って消えた。
 ハルトオがなにを言うべきか戸惑いしている間に、神も姿をくらました。
 雨が止んだ。村は先に半焼した二軒の家を除けば無事だった。ほっと胸を撫で下ろす。そこで自分が濡れていないことに気づいた。神の無言の優しさが、嬉しかった。
「いまのは神々か」
 振り向くと、唖然とした表情のイドリとキクラが佇んでいた。傍にはイチザとキズミも硬直した様子でくっついていて、カジャだけ軒下の水たまりを覗いている。
「あなたは聴き神女なのか」
「はい」
「村を……村を救ってくれたのか」
 小さき神々の気配が戻っていた。陽が落ちて空は紺碧が半分ほどを占め、夜の到来を告げていた。
 ハルトオは俯いた。
「……本当はひとの世に神々を介入させることはよくないことなのです。でもこのたびは子供が危なかったし、丹精こらして築かれた家屋が焼け落ちるのも忍びなく……余計な手出しとは思いましたが、すみません」
「なにを謝ることがある。我々はあなたに礼を言わねばならん。ありがとう。本当にありがとう。あなたのおかげで皆が助かった。こら、おまえたちもお礼を言いなさい。そもそもおまえたちを助けに来てくれたんだぞ」
 ハルトオはイチザとキズミが大事そうになにかを抱えているのを見て訊いた。
「それを取りに戻ったのかい」
「うん。あの――薬草なんだ。カジャにあげようと思って……どれが傷に効くかわからないから適当にいっぱい詰めたんだけど」
 イチザとキズミはカジャにそれを差し出した。
「やる」
 カジャはすぐに受け取らず、ハルトオを見上げた。
「せっかくだからいただきなさい」
 カジャは口元を綻ばせてそれを受け取った。
「ありがとう」
 イドリとキクラは苦笑して、叱り損ねてしまった息子たちの頭を掻き撫ぜた。
「さあ、皆を呼び戻して今日は酒宴を開こう。村が無事だった祝いだ、派手にやろう」
「じゃあ蜜菓子も焼いてくれるかな」
「ああ。たくさん作ってもらおう」
「やった。よし、皆を呼びに行こうぜ。カジャも来い、誰が一番早いか競争しよう」
「もう暗くなったからカジャはひとりじゃ危ないって。俺が手を繋いでやる」
 そう言ってキズミがカジャの手を握って走り出そうと勢いをつけた拍子に、面の紐が解けた。カジャの顔があらわになる。
「うわっ」
 息子の奇声にキクラの眼がカジャに向けられた。息を呑む気配。イドリと会話していたハルトオは一呼吸遅れて事態に気がついた。
 だが、既に遅かった。
「あああああああ」
「なんだ、どうした」
「あああああああああ」
「おい、しっかりしろ」
 突然絶叫し、腰を抜かしたキクラに慌てて近寄るイドリの横をすり抜けて、ハルトオは面をすくい拾い、カジャの身体を横に抱えた。すぐに入口門へ向かい走り出す。もう一瞬たりともここにはとどまれなかった。
「双面だ。化け物だ。殺せ、殺すんだ。祟られる――祟りが、祟りが、祟りがあるぞお」
 キクラの逼迫した喚き声が鼓膜を掻いた。
 化け物。
 もう何度言われたことか。だが何度言われても胸にこたえるものがある。
 ハルトオは奥歯を噛みしめて、カジャを抱く腕の力を強めながら、とうに夜陰に沈んだソウ山を目指した。細い月が東の空に照り映える、長い夜がはじまった。
 
      逃亡


 山は危険に満ちていた。
 暗く、深く、険しい。灯りをともしては格好の目印となるため、手元にはまったく光源がない。
 ハルトオは真っ暗な山中を夢中で進んだ。
 さきほどの雨のため道はぬかるんだ。既に何度も転び泥だらけだった。時折後ろを振り向き、松明の鈍い光の位置を確認する。追手の足が速い。それもそのはず、相手は自分の庭も同然なのだ。
 カジャが盛り上がった木の根に躓き、転倒する。声を出さない。ハルトオも声をかけず、手拭きで眼と顔を拭いてやる。二人はまた手を繋いだ。
 とにかく奥へ奥へといった。夜眼が利くのが唯一のさいわいだった。
 教えられた山道へは近づけなかった。十中八九、待ち伏せされているだろう。木々が落葉しているため見通しが利くのはいいが、条件は相手も同じである以上、発見されやすいのも確かだった。
 獣の遠吠えに、ぎくっとした。
 その拍子に、深い凹みに嵌った。寸前でカジャの手を離したので、巻き込まずに済んだ。ハルトオは濡れ落ち葉の海を漕いだ。
 そこを這い出ると、またカジャの手を握って足を持ち上げた。自分の身体が重かった。
 ハルトオとカジャは月の位置を目印に方角に注意して登り続けた。松明の数は減っていた。おそらく散解したのだろう。捜索範囲をひろげたのだ。
 体力が限界に近い。既に何ジンも前からカジャを背負っていた。カジャは疲れ切ったのだろう、イチザとキズミにもらった薬袋をぎゅっと手に握りしめたまま、寝入っている。
 どこか、身を隠せる木の洞でもないか。
 そうして眼を凝らして辺りを窺いつつ進むうちに、岩の道に出た。大中小さまざまな形の岩がごろごろしている。
 ハルトオはカジャが落ちないよう縄でお互いの身体を括ってから挑んだ。足場は最悪で、石に密生する苔で滑った。あちこちぶつけながら、石ヶ原を横断してゆく。
 最後の部分で段差があった。ここを越えなければ先へは進めない。ハルトオは覚悟を決め、掌に滲む血を服に擦った。大きな岩に手をかけ、足をかけ、よじ登り、身体を引き上げたときだった。
 思わず叫び、のけ反った。危ういところで体勢を立て直すことができたのは、カジャをおぶっていたためだった。単身であれば間違いなく転落し、大怪我を負っていただろう。
 眼の前に、血を流した男がうつ伏せに倒れていた。
前方に眼を凝らす。斜面はゆるやかなものの、凹凸があり、登りにくそうだった。
 滑落したのか。
 ハルトオは慎重に男に近づいて鼻先に掌をかざした。呼吸がある。生きている。
「カジャ、起きて」
「……カジャ、起きる」
 ハルトオは縄を解き、カジャが眼を覚ますのを待って背からおろした。
「……そのひと、死んでいるの」
「いいや、生きているよ。でもこのまま放っておくと死んでしまうだろうね」
「お薬あるよ」
 カジャは握りしめていた袋をハルトオに突き出した。
 ちょっと躊躇して、ハルトオは頷いた。カジャから薬袋を預かる。荷物から火打石と油紙に包んだ蜜蝋の塊と真鍮の皿を取り出した。蜜蝋は煙が少なく火の形も美しく、しっかりと燃えるので固形燃料として重宝しているものだ。
 皿に蜜蝋を置き、火打石で湿気のない枯葉に火を点け、移す。危険を承知で灯した火は、闇に慣れた眼にはとても眩かった。この小さな明かりを頼りに、ハルトオは薬袋を覗いた。
 貴重な薬草が無造作に詰め込まれている。
「もらってもいいかな」
「うん」
「カジャはこうやって優しく手を擦って温めてあげてくれるかい」
「わかった」
 男の背中には大量の血痕があり、考えた末、ハルトオは男の衣服を短刀で裂いた。傷を見て、硬直する。右肩から腰にかけて、斜めに肉が捲れるほど深く鋭く斬られている。だが真新しい傷ではない。一度縫合され、その傷がひらいたようだ。
 滑落事故の怪我ではない。なにか流血沙汰になるような恐ろしい事件の加害者か、被害者のどちらかだ。
 風が吹いた。炎が揺らめく。男の額にかかった髪がなぶられる。生え際があらわになって、そこに眼にしたものに、ハルトオは更なる衝撃を受けた。
 烙印――得体の知れない形の紫の痣。
 祟りだ。
 この男は、祟り憑きだ。
「このひとの手、冷たいねー」
 蒼褪めるハルトオを余所に、カジャは言われた通り、男の手を擦っていた。真剣で一生懸命な横顔。
 気がつけば、ハルトオは外傷に効く薬草を煉り合わせていた。飲料用にとっておいた水でまず自分の手を、それから男の傷を洗い、薬を塗り、清潔な布をあてる。
 応急処置を終えたときには結構な時間が経っていた。月は中天にさしかかっている。
 その間、男はぴくりとも動かず、カジャはハルトオの傍でくうくうと寝息をたてていた。
「みつけたぞ」
 不意を衝かれて、ハルトオは逃げられなかった。怨嗟のこもった呟きに、はっとして振り返る。ほぼ真後ろから筋張った腕が伸びて、喉笛を絞められ、地面に抑え込まれた。
 あと三人、岩の段差をなんの苦労もなく超えて来た。あっという間に屈強な四人の男衆に囲まれる。手に下げた小さな携帯用の角灯を顔に近づけられた。
「間違いないか」
「ああ。昼間、村に来た女だ」
「子供もいるな」
「おい、そっちの男はなんだ」
「女と子供の二人連れじゃなかったのか」
 男たちは額を集め、相談の結果、まとめて村へ連行することに決めた。
「私たちをどうするつもりです」
 ハルトオは遮二無二立たされ、後ろ手に縛られた。縄の結び目が手首に食い込む。血管が圧迫され、痛いというより苦しい。
「村の祟りを解いてもらう」
「あなたがたの村を祟ってなどいません」
「黙れ。この祟り憑きめ」
 男の手がハルトオの頬を打った。一発では気がすまないらしく、立て続けに三発見舞われた。それだけで気が遠くなりかけたが、カジャの泣き声で意識を呼び戻した。
 カジャは猫の子のように、襟首を鷲掴みにされ、宙吊りにされていた。恐ろしさのあまり泣きじゃくり、ハルトオの名を呼び続けている。
 四人の内でひとり、眼に光のない男がいた。
 そのためか、どことなく不気味で、酷薄な印象を受けた。その男が、無言でカジャに近づき、草編みの面を乱暴に毟り取る。
「これでもまだ祟り憑きじゃないとしらばくれるのか」
 松明に火を点け、近場の仲間に「女がいた」と合図を送っていた男が「やめてくれ」と絶叫し、他の者も「隠せ」、「祟られるぞ」、と泡を食って眼を覆った。
「なんてぇ顔だ。まさに化け物だな」
 ひとり平気な男が冷たく嗤う。啜り泣くカジャを拳で殴り気絶させ、叫んだハルトオの鳩尾に膝蹴りを加える。そのまま髪をぐいと引っ張り、手荒に上向かせた。
「見 ろ、そっくりだ。こいつ、幼児のくせにこの女とまったく同じ顔をしてやがる。双面とはよく言ったものだぜ。なあ、あんた、村を火の手から救うふりをしたん だろう。祟り憑きは祟るもの。神々まで呼んで、この子供と二人でどんな祟りを仕掛けたんだ。言えよ、さあ。とっとと白状しろ。さもないと、そのきれいな眼 をくりぬいてやるぜ」
 男が腰に差した狩猟用の短刀を鞘から抜いて、ハルトオの眼球を抉ろうとしたそのとき、微弱な風が一閃した。
 突如、音もなく、男の首が横にずれて、胴体より転げ落ちる。
 男の後ろに立っていたのは、闇よりも濃い瞳を静かに怒らせた、ハルトオの神だった。
「いいかげんに、余を呼べ」
「カジャを」
 そう呟くのが精一杯だった。ハルトオはとうとう昏倒した。くずおれた身体をそのまま神の腕が受け止め、優しく引き寄せる。
 その場に残った三人の男たちは、信じがたい面持ちで、斬首された仲間の首をみつめた。
「――神だ」
 と、ひとりがぽつりと呟くと同時に失禁した。逃げようにも逃げられず、ぶるぶると震えながら、地面に額を擦りつけて蹲る。
 神の断罪は容赦なく、風を刃として自在に振るい、平伏した三人の男を文字通り細切れに斬り刻んだ。
 血の臭いで眼が醒めた。
 ハルトオは、自分が神の腕の中にいると知ると、すぐに身体を起こした。
「カジャ」
「ここにおる」
 見ると、カジャは神の深緑の外套に包まれてぐったりとのびている。次に行き倒れの男の様子を窺う。呼吸が安定している。容体はどうやら峠を越したようだ。
「……ありがとうございます」
「そちは他な者のためには礼を惜しまぬ」
「そんなつもりは」
 ない、とは言い切れず、黙り込んだところへ、夜明けの曙光がきらめいた。一条の金色の帯が山際を白く染め上げる。待ち侘びた朝だった。
 だが、目の前にひろがった光景にハルトオは慄然とした。血の臭いのもと。大量の出血痕、臓物、ひとの肉塊の断片、頭皮、髪、骨が無造作に散らかっている。おそらく、追手四人分の残骸だった。
「あなたがやったのですか」
「そうだ」
 ハルトオは激しい表情で声を荒げる。
「私のためにひとを殺めないでください」
 神は答えず、うっすらと微笑した。
 真剣な気持ちを茶化されたようで、ついかっとして叫ぶ。
「殺す神は恨まれる。やがて祟りを受けるでしょう。私はそんなあなたを見たくない」
「そちは余を案じておるのか」
「……いけませんか」
「いや」神は微笑みを深める。「悪くない」
 ハルトオは顔を背けた。すべてを見透かされているようで、いたたまれない。
 子供の頃は、口にせずとも心の中(うち)を察してくれる神が好きだった。大人になるにつれ、色々の物事の分別がつくにつれて、関係がぎくしゃくしていった。どう接したものか、迷うようになったのだ。正確には、自分だけが変わった。神はなにも変わらない。なにも。
「貴様ら何者だ」
 ぎくりとした。ハルトオが声の響いた方を振り向くと、重傷を負っていた男が左右両手に短剣を閃かせ、身体の真正面に構えていた。
 若い。年齢はハルトオと幾つも違わないだろう。黒よりはやわらかい、藍色の髪と瞳。意志の強い光が宿る眼は、はっきりと他人の介在を拒んでいる。猛々しい顔つき、肌は浅黒く、骨格は厳つい。鍛えられた裸身は古傷だらけで、その物々しさに思わず閉口した。
「答えろ」
「……ただの通りすがりだよ。あなたが行き倒れていたので、少し余計なおせっかいをしたけどね。ついでだから言うと、まだあまり動かない方がいい。一応止血と化膿止めの手当てはしたけれど、縫合をやり直したわけじゃないから、無理をすればまた出血する」
 男の険のある視線が和らぐ。
「あなたが助けてくれたのか」
「助けたのは私だけど、薬はその子のもので、一晩守ってくれたのはここに坐す神だ」
 男は短刀を鞘に戻し、カジャの顔を一瞥した。眼を瞠る。だがなにも言わず、神に対しても畏れ戦くことなく、深々と頭を下げて謝意を示す。粗雑なようで、どことなく、気品のある振る舞いだった。
「私たちは先を急ぐのでもう行くけれど、なにかしてほしいことがあれば聞くよ」
「水を一口いただきたい」
 ハルトオの差し出した水筒を受け取り、本当に一口だけ水を含む。それから畏まって土に膝をつき、服従の姿勢をとった。
「命の恩義は命を救うことをもって返す。もしくはそれと同等の行いをしなければならない。俺は一族の掟に従い、あなたがたのためになにか役立てるまで同行させてもらう」
「悪いけど、遠慮する。この子、人見知りでね。理由はあなたならわかるだろう」
 ハルトオはカジャを揺すり起こした。ぐずるカジャに、面をつけ直す。
「俺を置いていくならば、斬れ」
 ハルトオは男を険しい形相で睨んだ。
「私は命を粗末にする奴は嫌いだ」
 男はもの言いたげに瞳を尖らせたが、葛藤の末、ふーっと肩の力を抜いて失言を認めた。
「……そうだな。助けてもらっておいて言うことじゃない。悪かった。少し気がたっていて、言葉が過ぎた。自分本意だったな」
 ふと、ハルトオは思った。カジャの眼によく似ている。初対面だというのに、どこか通じるものがある気がするのは、たぶん、祟り憑き独特の孤独感のためだ。
 ちょっと逡巡して、言った。
「私たちは追われる身だ。一緒にいるといいことないよ。それでもついてくるかい」
「俺は国を追われてあてのない身だ。できることは限られているし、案外口ほどにもない男かもしれないが、よろしく頼む」
「私はハルトオ」
「俺はタカマ」
 ハルトオは、荷を探って取り出したものを、黙ってタカマに差し出した。
 タカマは訝しげな面持ちで、丁寧に包みを解く。中身は赤い帯状の上等な正絹だった。細かい刺繍が施され、とても美しい。
「額に締めるといい」
 ハルトオの意図がわかって、タカマはありがたく受け取った。
「あと、できれば早くなにか着てほしいんだ。着替えがなければ私の外套を貸すよ」
二人のやり取りを、神は憮然と眺めていた。だが男が赤い絹を頭に巻きつけたのを見て、ほんの一瞬、瞳孔を光らせた。そののち、なにも言わず姿を消した。


      交戦
 

 赤い額布が風になぶられる。
 タカマはカジャを抱いて急勾配の下りの山道を駆けた。とても怪我人とは思えない脚力で、ハルトオはついていくのにも精一杯だった。
 背後から、猟犬が迫る。狂ったように吠えたてて、どんどん距離を詰めてくる。更にその後方では、大声で罵声が飛び交っている。
「追え、追え」
「岩柱方面へ逃げたぞ」
「あっちはまずい。深追いするな。犬を呼び戻せ、いますぐだ」
「いや、待て――見つけたようだぞ」
 一際甲高い犬の遠吠えが山中にこだまする。
「伏せろ」
 タカマの鋭い叱咤を浴びて、咄嗟にハルトオは地面に身を投げた。その上を標的に食らいつき損ねた猟犬が飛び越える。着地と同時に牙を剥いて襲いかかってきた一頭目を、ハルトオの前に立ち塞がったタカマの短剣が抑え込む。
「いまのうちに行け」
「だめだ、足を挫いた」
「じゃ、下がっていろ」
 タカマは顎をしゃくって倒木裏のカジャを示し、ハルトオは頷いた。足を引きずりながら、どうにかカジャのもとまでたどり着く。
 猟犬は全部で五頭。そのうち一頭は横腹を裂かれた状態で身動きとれずに痙攣している。
 タカマは、血の臭いに昂ってますます獰猛に唸り、土を掻き、飛びかかってくる犬たちを前に一歩も退かなかった。両手に構えた短剣で、残り四頭を相手に互角に戦っている。
 ハルトオは手拭いで左足首を固定した。呼吸を整える。息が乱れていては、なにもできない。ややあって、動悸もおさまった。
「カジャ、ここにじっとしているんだ」
「カジャも行く。ハルトオ守るんだもん」
「うん。だからここで私を見ていて。あと、荷を預けてもいいかな」
 カジャが泣きべそをぐっと堪えて、頷く。
 愛おしい、とハルトオは思った。子供がいたら、こんな感じなのだろうか。
 ハルトオは正しく深呼吸した。姿勢をまっすぐに、天地両極に芯が通るように立つ。両掌を結ぶ。斜めに捻る。一歩を踏み出す。
「我、名を預かりし二文字名の神々にお頼み申し上げる。我が名はハルトオ。我が名の下に幾許かの助力を請う。我、願い上げる。我の声は神の声。我の意志は神の意志。望みはすべてかなうものとする」
 ハルトオの全身が鈍い光の粒子に包まれる。
 風が螺旋を描いてハルトオを取り巻いた。
  タカマはふくらはぎに噛みついたまま離さずにいた二頭目の犬の眼を潰して、眉間に柄の底を叩き込んだ。急所をやられて、ぐったりと倒れる。三頭目と四頭目 は足止め役のようで、ぐるぐるまわりを徘徊しては、体当たりや噛みつきを繰り返す。五頭目は背後からの攻撃を断続的に行いながらも、ひっきりなしに吠えて 居所を主たちに告げている。
 タカマは得物が短剣では分が悪いと思った。間合いが狭すぎる。あの二人が誰になぜ追われているのかわからないが、追いつかれるのは時間の問題だろう。
 三頭目が地を蹴った。喉を狙っている。地面に引きずり倒すつもりなのだろう。タカマは左腕で庇いながら、右腕を横に突き出した。その方向から四頭目が突進してきて、大腿部に牙を剥いたのだ。更に五頭目が腹部に向かい襲い来る気配。
 どこかやられるのを覚悟したそのときだった。犬たちが、まったく急におとなしくなった。どの猟犬も吠えるのも騒ぐのもやめて、ただ一点を見つめていた。
「タカマ、無事か」
 狐につままれたように、タカマもそちらを見やった。ハルトオが足裏を地面から離さぬ、滑るような独特の歩みで、近づいてくる。一本線の通った姿勢、顎を引き、手を胸の前に結び、なにか眼に見えぬものを従えている。 全身が淡く輝き、泥まみれなのに、とてもきれいだった。
 いまや犬たちは完全に寝入っていた。
「あなたは、もしや聴き神女か」
「一応ね」
「だが、神々を召喚せずに力だけ行使する聴き神女など、聞いたことがない」
「それができるんだ。ただ皆、疲れるからやらないだけで」
 神呼びよりは、危険が少ないこの技は、神下しと言って聴き神女の裏の技だ。神名を呼び、神に直接降臨願う神呼びと違い、神名を以てその力の一部を自身で使役することができる。神の要求に応えることはしなくてよい一方、消耗が激しく、文字通り寿命が縮む。
 そのため、ハルトオ憑きの神はハルトオが神下しをすることを極端に嫌がった。
「でも効果はほんの一時だ。逃げよう」
「走れるか」
「そっちこそ」
 ハルトオはニ文字名の神々に厚く礼を述べて解放した。可視の光が不可視の光となり、消えた。押し寄せる疲労。全身が鉛のようだ。
「ハルトオ」
 カジャが跳ねるようにまっすぐに駆け寄ってくる。その姿に勇気づけられ、ハルトオは笑みをつくって足の痛みを忘れることにした。
 三人は山深くに逃げ込んでいった。
「逃げられたか」
「くそっ。あいつらを生かしたままじゃあ、殺された奴らが浮かばれねぇよ」
「それもそうだが、祟りは、村はどうなるんだ」
「逃げられないさ。ここから先は、チャギの領域だ。ばかな奴らだ、俺たちに捕まったほうがまだましだっただろうに。首を斬られて、臓物は薬用に引き摺り出されるのがおちだ」
「祟り憑きには似合いの死に様だろう」
 最後を括ったのはキクラだった。ちがいねぇ、と調子を合わせ嗤いながら、武装した村人たちは“チャギの眼”の向こうに消えた娘たちを冷たく見送った。

    
      戦闘山岳民族チャギ


 ひゅっ、と弓弦の音がして、一本の矢が近くの木の幹に突き刺さった。
 少し休息をとっていたハルトオとタカマは真っ先にカジャを庇い、素早さでタカマが勝った。二人が腰を浮かせてその場を離れた拍子に、次々と矢が射かけられる。一瞬の差で難を逃れたが、それで終わりではなかった。
 タカマはカジャを抱え、ハルトオは腫れあがった足を無理に動かしながら、道なき道をいった。枯れて茶色く変色した笹藪を掻きわけ、凹凸のある山道を下って行く。
 村人から逃げるのに必死だったため、辺りに注意がいってなかったのだが、ようやくハルトオはそれを捉えた。
 不気味な木彫りの印。おそらくあれが“チャギの眼”だ。
「チャギの民だ」
「なに」
「このソウ山の山岳民だよ。彼らの土地に入ってしまったんだ。急いで出ないといけない」
「出口は」
「わからない」
 挫いた足が地表に盛り上がった根を踏む。ハルトオはつんのめった。転倒する。タカマは急停止し、四つん這いになったままのハルトオの手首を鷲掴みにする。奔る。矢の嵐が頭上から降り注ぐ。ひとりの射手の姿も見えないことが、殊更気味悪かった。
 どのくらい経ったのか。もはや体力の限界だった。ハルトオはふらつき、とうとう立てなくなった。息が切れて眩暈と吐き気がした。水が欲しいと心底思った。
 そこへ、突如地面が揺れて、土砂崩れが起きた。
 咄嗟に、タカマはカジャを胸に庇い、ハルトオの腰を引き寄せた。避ける間もなく、三人は泥の波に一気に押し流された。

 冷たい水に喉を潤されて、意識が戻った。
 神の艶やかな美貌が至近距離にある。口移しで水を与えられたのだ、と察してハルトオは動揺した。すぐに飛び退きたかったが、身体がいうことをきかなかった。
「おとなしくしろ」
 抱きあげられ、水際まで運ばれる。
 巨大な滝壺だった。天空から轟音と共に注ぐように落ちる瀑布は壮大で、気圧された。
 水飛沫に白く泡立つ滝壺は円形で、面積も広く、水は緩やかに大きくうねって一本の河となって下流へと続いている。
 神が手で水を汲み、それをハルトオの口元に運ぶ。飲めないでいるうちに、指の隙間からこぼれてしまう。
「なぜ飲まぬ。欲していたではないか」
 二度目は、口をつけた。神はハルトオがもういいと言うまで繰り返した。それから怯むハルトオをひと睨みで抑えつけ、顔と首を洗い、手と足をすすぎ、泥と血を落とした。無数の傷に水は滲みたが、さっぱりした。
「ありがとうございます……」
 気恥ずかしく思いながらも、生き返った心地だった。
ふと、呼ばれた気がした。
 ハルトオは心の一点を澄まし、近辺を探った。なにか、強い視線を感じる。
「――ここは神の気配がします」
「ああ。水底で眠っている」
 ハルトオは神の返答に違和感を覚えたが、このときはそれがなんなのかわからなかった。
「カジャとタカマの行方をご存知ですか」
「連れ去られた」
「誰に」
「後ろにいる者どもに」
 はっとした。周囲にまぎれもない監視の眼がいくつも存在するのがわかった。ごく自然と、殺気も含まれている。
「助けなきゃ」
「どうしてほしい」
 ハルトオは迷った。できるだけ、神の手を煩わせることは避けたい。だが。
「足の痛みを除くか」
「……怪我をするたびあなたに治されていては、痛みに疎い人間になりそうで怖いです。でもこの足では歩けないので……」
「だろうな」
「どうか、私を彼らのもとに連れて行ってくださいませんか」
 神は面白がるように笑むと、ハルトオを軽々と持ち上げ、童子のように左腕の曲げた肘の上にのせた。
「連れてゆけばよいのだな」
 ハルトオは神の肩に掴まった。絶対の安堵感。それから枯れ木立に向かい、呼びかけた。
「チャギの民の方々に申し上げます。私は害意なき者。ただの旅の者です。あなたがたの土地を侵してしまったことはお詫びします。どうか私の連れをお返しください」
 返事がない。代りに、一本の矢が飛来した。ゆるやかな放物線を描いて落ちてきたそれを、神は無造作に空中で掴み取り、ハルトオに差し出した。矢には文が括られている。
「……ここは神域で禁足地だから早く出ろとのことです」
「出るか」
「いいえ。ただ相手の言うなりになるなどいやです。確かに領土侵犯は罪でしょうが、問答無用で矢を射かけるあちらも悪い。考えたら、腹が立ってきた」
 ハルトオは下腹部に力を込めた。眼が敢然と据わる。そして口をひらいた。
「チャギの民に告ぐ。いますぐ私を仲間のもとへ連れて行け。さもないと、この神聖な場で歌って踊るぞ。言っておくが、私は音痴だ。それもとてもひどい音痴だからな。おまけに踊りもへたくそだ」
 それでも反応がなかったので、ハルトオは適当に一曲やりはじめた。調子の外れた歌が大音量で響く。神はおかしそうにくっと笑い、一方、チャギの民は仰天した様子であたふたと次々に現れた。
「よせ」
「神が起きる」
「静かにせんか、ここをどこだと思っとる」
  ハルトオは男たちをつぶさに観察した。赤茶の染料で染めた上下にわかれた着物は、袖口や裾口が絞ってある独特の形で、履物は獣の皮足袋だった。それぞれ幅 広の重たげな山刀を携帯していて、他に矢筒を肩から下げている者もいる。総じて体格がよく、敏捷そうで、陽に焼けていた。
 しばし、険悪に睨み合った。
 男たちは全部で十三人いたが、そのうちのひとりがハルトオの薄い胸に気づいた。
「あんた、まさか女か」
「……だったらなんだ」
 急にどよめきが沸く。男たちの目つきが変わった。目配せが奔り、互いの間で首肯が交わされる。意見がまとまったらしく、髪に白いものが混じった一番年嵩らしき男が進み出た。
「あ んたの仲間は我らの里で預かっている。不法侵入の廉で男は殺してもよかったのだが、祟り憑きだったため、とりあえず捕らえて隔離した。小さい娘の方は、一 族の掟により、嫁とするため連れていった。あんたは禁足地に入ったばかりか、神の坐す水場も穢した。本来、いますぐ首を狩るところだが、あんたが女ならば 話は別だ。あんたも里へ連れて行く。おとなしくついて来い」
 神はそっとハルトオの足の痛みを拭った。
 夕刻、空が鮮やかな茜色に染まる頃、ハルトオは前後をチャギの男衆に挟まれた恰好で、ソウ山のチャギの秘密の隠れ里に入った。


   第二章  非業の地


      囚われの身


 ハルトオはまっすぐに里長のもとへ通された。
 里長の住まいはなぜか里の一番外れにあり、尖端を斜めに削いでやすりをかけた、高さのある竹の二重柵で厳重に囲われていた。
 ここまで案内してくれた若い衆は、ハルトオを神域を侵した冒涜者というよりも、まるで遠来よりの客人という丁寧な態度で扱った。
「ここでお待ちください」
 しばらくハルトオは座敷の下座につき、正座して里長が現れるのを待った。
 室には火鉢が置かれ、温かい。板の間に獣の毛皮が敷かれ、梁は太く、漆喰の壁には手折りの壁掛けが吊るされている。上座の小卓の上には手焼きの壺に一輪の赤い椿が挿され、彩りを添えている。
 簡素だが趣味がいい。とハルトオが思ったそのとき、人の近づく気配がした。
 横に滑る木造りの扉が開く。
「お待たせしました」
 ハルトオは顔を伏せ、武器も戦意もないことを示すために、両掌をひらき、前に突き出す姿勢をとった。
「顔をお上げなさい」
 ハルトオは従った。
「名をなんと申します」
「ハルトオと申します」
「私はこの里を預かる者のひとりで、里長のレンゲです。そなたはなぜこの里に連れてこられたか、わかりますか」
 レンゲは五十代くらいの、眼の美しい、やつれた面持ちの女性だった。頬がこけ、ひとつに結った髪に艶はなく、痩せていて、上背よりも小さく見えた。
 里長と言うには、やや貫録にかけている。
 だが口にはださず、ハルトオは畏まって額を床に擦りつけた。
「禁足地に迷い込み、神域を穢してしまったこと、深くお詫び申し上げます」 
「その結果、どうなったことと思います」
 ハルトオは拳を握りしめた。緊張するあまり、胃がぎゅっと絞られるようだ。
「お聞かせ下さい」
「神がお目覚めになられたと、報告がありました。いまはまだうつらうつらとしておられるようですが、ここ数日のうちに完全に意識を回復されるとのことです。このままでは、この里はおろか近辺の集落まで、いいえ、下手をすれば西国全域にも害が及びかねません」
「それほど強い神なのですか」
「九文字名の荒ぶる神――祟り神です」
 ハルトオはぞくっとした。
 戦慄が身の内を奔る。九文字名。それも、祟り神とは。
「永の歳月眠りにつかれていた分も、神力は蓄積されているはず。覚醒後は、いったいなにが起こるのか、私でもわかりません」
 ハルトオは言葉を失い、俯いた。その沈黙を反省と見たのか、レンゲの口調が少し和らいだ。
「そなたの傍に神らしき御方がいらしたと聞きましたが、もしやそなたは、聴き神女ですか」
「……はい。なりそこないの身ではありますが」
 ハルトオはレンゲにごく簡潔に故郷を火山の噴火で失ったこと、身寄りのない身であること、放浪の旅を続けていることを話した。
「若い身空で苦労をしたのですね」
 声に憐憫が混じる。
「寒いでしょう。こちらへ、もっと火の傍にお寄りなさい」
 言って、レンゲはハルトオを手招きし、傍にいったハルトオの手首をぐっと掴んで引き寄せた。耳元に、口を近づける。
「お逃げなさい。ここに留まってはなりません。私のようになりますよ」
 囁きは真剣で、切羽詰まった感があった。
「逃げるのです、いますぐに。皆の注意は里の守備固めに向いているから、いまならば間に合う。抜け道を教えます」
「お待ちを。ひとりでは行けません。連れがここにいるのです。私より先に怪我をした若い男と小さな娘が連れてこられたはず。ご存じありませんか」
 レンゲははじめ言い澱み、だが認めた。
「報告は受けています。連れの男は死にかけているようです。娘の方は、嫁候補でしたが祟り憑きのため隔離されました。もはや会えませぬ」
「会えないとはどういうことです」
 ハルトオは息を荒げた。
 レンゲは取り乱すハルトオを抑えるように強く肩を掴んだ。
「聞きなさい。ひとのことを心配している場合ではない。そなたが一番危険なのです。さあ、立って。私について来なさい」
 レンゲはすっくと立った。
 ハルトオは立たなかった。カジャを想う。とてもひとりで残していけるわけがない。タカマもそうだ。あの土砂崩れに遭った際、彼は庇ってくれた。そしていま、死にかけているという。置き去りになど、できない。
「私は行けません」
「辛い目に遭いますよ」
 レンゲの眼は悲しげだった。ひどく心配してくれる心に、ハルトオは胸が痛んだ。
「神域を穢した咎は負います。償いは、どうか私にさせてください」
 だがレンゲはかぶりを振って否定した。
「神の相手は里の聴き神女が務めます。そなたの出る幕はない。けれど、ここに留まると言うのなら、この一件とは別に、そなたは過酷な責務を担うことになるでしょう」
「……私でできることでしょうか」
 恐る恐る、ハルトオは訊ねた。
 レンゲの口から返って来た言葉は、思いもがけない、身も凍るものだった。
「この里に女は二人だけ。私と、聴き神女のツバナという者だけです。そなたは、遠からず里の男衆全員の嫁となるのです。子宮が機能しなくなるまで、子供を産み続けなければなりません。ちょうど、私とツバナのように」
 ハルトオは唖然とした。驚愕に怯む一方、だが頭は忙しく働いた。
 滝壺で、チャギの男衆と対峙したときを思い出す。自分を女だと知って、彼らの態度は急変、あきらかに軟化した。
「女を得ることが、重要なのですか」
「女がいなければチャギの血が途絶えます。そうなれば神を祀る者がいなくなる」
「私を嫁にすると」
「言いました」
「では私は私を盾にします」
 言って、ハルトオは左の袖口に仕込んだ細身の小刀を右手に抜き取り、その刃を右の頸動脈にぴたりとあてた。
「そなた、なにを」
 レンゲはうろたえた。
 ハルトオは姿勢を変えず、語気を強めた。
「いますぐカジャとタカマに会わせてください。それがかなわぬならば、この場で自害します」
「ばかなことはおよし。危ないからそれを寄こしなさい」
「二度は言いません。待つのもいやです。私を二人と引き会わせるか、私を失うか、どちらかです」
 ハルトオが気迫のこもった言葉を区切ると同時に、場の空気が変質した。
 突然、板の間の板の僅かな隙間から、黒蟻がどっと湧いて、列をなし、あっという間にレンゲにたかった。
 レンゲは悲鳴を上げた。
 それを聞いて里長宅の番兵を務める者二人が駆けつけ、「失礼します」と言うなり飛び込んできた。
「うわっ」
「レンゲ様」
 二人が見たものは、黒蟻に全身を蝕まれるレンゲの姿だった。それも、蟻はあとからあとから増える一方で、レンゲは懸命に逃れようともがき、のたうちまわっている。
「貴様、レンゲ様になにをした」
 答えたのは、ハルトオではない。
「口を慎めや。ハルトオに手を出すなら我々が黙っちゃいねぇぞぉ」
「そうじゃのぅ、そうじゃのぅ。黙っちゃいられねぇのぅ」
 声は、蟻から発せられた。
 番兵二人はあまりの尋常でない事態に言葉を失い、ほとんど呆けて、それを見た。
 蟻がレンゲを襲うのをやめ、引き潮の如く退いた。そのまま何箇所に集まって、膨れ上がり、巨大蟻の群れと化す。
「ハルトオに死なれたら我らが困るのじゃ」
「我らを困らせてみよ。祟るぞぉ」
「ほっほう。祟る、祟る、祟るぞよ。我ら小さき神の祟りは執拗じゃぞぉ」
 二人の番兵は顔面蒼白となり、腰を抜かした。そのままひとりは泡を吹いて倒れた。ひとりは気丈にも平伏した。
 ハルトオは頑として前を向いたまま動かず、言葉のみ紡いだ。
「二文字名の神々よ、私を気遣ってくださったこと感謝いたします。ですがどうかそれぐらいでお許しを」
「呼ばれもせんのに現れて、迷惑かえ」
「いいえ、このお礼はあとで、必ず」
 巨大蟻はばちんと砕けた。戦(おのの)いて、レンゲが短く叫ぶ。そのまま、蟻はぞろぞろともとのように床板の隙間へと潜って行き、一匹残らず、姿を消した。
 手焼きの壺は蹴り倒され、赤い椿は踏みにじられて花びらを散らしている。
 ハルトオは恐怖に震えて座り込んだままのレンゲを、まっすぐに見据えて言った。
「カジャとタカマに会わせてください」


      里守評議


 タカマは井戸よりも深く掘り下げられた穴倉牢に放り込まれていた。
 牢には網目状の鉄の大蓋が被せてあり、蓋には四隅に四本の縄が括られ、その先端は鉄の杭に結ばれて地面に打たれていた。そうしてしっかりと固定され、たとえ囚人が這い上がってきても、自力では蓋を押し上げられないようになっている。
 その蓋を外し、男衆ニ名に穴底まで下りてもらい、縄をタカマの身体に括って、持ち上げ、地上に待機する四名に引き揚げるように指示をする。
 指揮を執っているのは、里と近辺の領域全体の警備を任されている守長のワセイと言う男で、いかにも不本意そうだった。
 既に陽は落ち、篝(かがり)火(び)を焚いての作業になった。風はひやりと冷たく、空気は澄んで清潔な香りがした。星がちりばめられた真黒な空には月がかかり、白く火照っている。
 ハルトオは、穴倉牢の傍でタカマが引き上げられるのを待っていた。両脇には護衛と称して、二人の見張りがついている。どちらも屈強な身体つきで、腕力では勝ち目がないことは一目瞭然だった。
 カジャのことも心配だったが、レンゲが里長の名にかけて身柄についての保証をしてくれたので、とにかくまず、命の危険があるというタカマの救出を優先した。
 タカマが穴から出された。
 縄を解かれ、仰向けに寝かせられる。
 ハルトオは駆け寄った。タカマは泥まみれのまま失神していた。屈み込み、呼吸を確認する。彼の生死を確かめるのはこれで二度目だ。まだ会って間もないというのに、ひどい関係もあったものだ。
「生きている」
 ほっとした。ハルトオはタカマの顔と唇から泥を拭い、様子を窺って突っ立っているだけのワセイを仰いだ。
「私の室へ運んでください。急いで。あと、たらいにお湯を張って、手拭いも一緒にください。それから手当てに必要な薬と水と着替えもお願いします」
 ワセイは顎をしゃくってタカマを指した。
「そいつは祟り憑きだ」
「知っています」
「傍に置くのは危険だ。あんたは俺たちの嫁になる女だ。なにかあったら困る」
「私はあなたがたの嫁になるつもりなど毛頭ない」ハルトオはきっぱりと断言した。「神域を荒らした償いはします。なにか、他の形で。でもまずはタカマを助けてからです。つべこべ言わず、早く手を貸してください」
 ワセイは「なんて女だ」とぶつくさぼやきながら、ハルトオの要望に従った。
 タカマは担がれ、運ばれた。但しハルトオの室ではなく、まったく別棟の一室を用意された。
「この里に薬剤師と医術師はいないのですか」
「いる。だが、いまは他の患者で手一杯だ」
 ハルトオの疑わしげな視線に、ワセイは鬱陶しいとばかりに手を振った。
「あいにく嘘じゃない」
「……じゃあ仕方ない。私が看ます。どなたか、手伝いを頼めますか」
「祟り憑きの世話などする奴はいない」
「どのみち室の外に見張りを立てるでしょう。暇なのだからひとりくらい手を貸して」
 ハルトオは腕捲りをしてワセイを見た。大柄だが、器用そうな手をしている。
「誰もいないならあなたでいい」
「俺が」
 進み出たのは、猪首で上背のない、肩幅と四肢はがっしりとした壮年の男だった。眼光鋭く、愛想のない口もと。存在感がある分、黙っていても怒っているように見える。
「俺はシュリ。俺でよければ手伝おう」
「助かります」
「よし。誰か、レンゲ様に俺がここにいる旨の事情だけ説明しておいてくれ」
 ワセイをはじめとして、周りの男衆は「祟り憑きと関わるな」とシュリを止めたが、シュリは仲間内をじろりと睨んで一喝した。
「これだけ大の男が揃っていて、若い娘ひとりの頼みも聞いてやらんとは、おまえたち恥ずかしくねぇのか。祟り憑きがなんだ。どのみち俺らは不浄の血族だろう。いまさら祟りのひとつふたつ増えたところで、俺はちっともかまいやしねぇよ」
 シュリは手洗い桶で手をきれいに洗い、拭って、ハルトオの傍に膝をついた。
「さあ、手伝うぞ。なにをしてほしいか言いなさい」
 それから夜を徹して、ハルトオとシュリはタカマの看病にあたった。重症だった。背中の傷の出血と右足首の捻挫と左手首の骨折、それに打ち身、多数の噛み傷、おそらく全治に二十日ほどかかるだろう、というのがシュリのおおよその見立てだった。
 なんのかんのと口実を設けた人の出入りが絶えず、ハルトオは一睡もできないまま、夜が明けた。
 タカマが目覚めたのは、翌日の昼近くになってからだった。
「……カジャはどうした」
 枕元でうとうとしていたハルトオはびくっとした。その拍子に肩から掛けものが滑り落ちる。シュリが気遣ってかけてくれたのだろう、見かけによらず細やかなところがある男だ。と、そう思って見回したが、姿がない。
 ハルトオはタカマに視線をやり、カジャの件には触れず、曖昧に首肯した。
「気分はどうだ。昨夜はだいぶ熱が出て辛そうだった。いまは……ん、熱はひいたみたいだね。顔色も多少ましだし、よかった」
「また、あなたに救われたようだな……」
「いいや。あなたが私たちを庇ってくれたんだ。ありがとう、おかげで助かった」
「それで、ここはどこだ。あれから俺たちはどうなったのだ。状況は」
 ハルトオは落ち着け、という所作をした。
「ここはチャギの里だ。私たちは捕まって、囚われの身となった。いまは、里の代表者による評議がひらかれていて、私たちの処遇について検討中だ。私も呼び出しを受けている。まもなく行かなければならない」
 ハルトオは口を噤んだ。数名の足音が近づいてくる。室の前の床板が軋み、横開き戸ががらりと開けられた。
 陽光がきらっと差し込む。眩さに眼を瞑る。外は秋晴れのよい天気だった。
 シュリが飯櫃を抱えてそこに立っていた。後ろには配膳の支度を整えた二人の男が従っていて、おずおずと食事を差し入れてくれた。
「起きたのか。飯を持ってきた、食えるか」
「いただきます」
 タカマとハルトオの声が揃う。
 二人はいっとき見つめ合い、笑った。
 それからタカマとシュリは簡単に互いの自己紹介をして、「冷めないうちに」と、とりあえず食べることに専念した。
 ふっくらと炊かれた米に、新鮮な卵を溶いて醤油を注し、ひと掻き混ぜたものをかける。それにゆずを薬味に加えた、絶妙なやわらかさのふろふき大根と熱いお茶。
 ハルトオとタカマは黙々と頬張った。タカマは片腕が使えない状態だったが、箸と匙を器用に使い分けていた。
 シュリは二人のたべっぷりに感心しながら、最後に柿を剥いて四つに切れ目をいれたものを勧めた。
「ごちそうさまでした」
 と、手を合わせて浅く礼をするなり、ハルトオは腰を上げた。
 即座にタカマが制する。
「待て。どこへ行く」
「評議だよ」
「ひとりではだめだ。俺も行く」
「その身体でどうやって。いいから、おとなしく寝ていな。あとで報告するよ」
「この状況下で、女のあなたを単独にするわけにいくか。一緒に行く」
 ハルトオの説得に応じず、タカマは頑として譲らなかった。押し問答の末、シュリが肩を貸してついてきてくれることで決着した。
 
 里守評議は、集会所でひらかれた。
 里の中央より北寄りにある集会所は庭に柿の木が植えられ、実が生っていた。木造とコンクリートをうまく合わせて造られていて、三、四十人ほど収容可能な大きな建物だ。
 評議のため、集まったのは六人。里長レンゲ、守長ワセイ、相談役ダダク、最長老シモン、聴き神女ツバナ、聴き神男アケノ、加えて、二人に関わりを持ったことで特別にシュリも同席を許された。
 ハルトオとタカマはそれぞれ名乗ったあと、下座に膝を折り揃えて控え、顔を伏せたまま、里長レンゲより、罪状が読み上げられるのを聞いていた。
「そ なたらは、我らが一族の土地に勝手に入り込んだばかりか、禁足地まで侵し、更に神の坐す神域まで穢しました。これは由々しきことです。よって、掟に従い処 罰を与えます。タカマ殿は我らが一族の一員となるか、死か。ハルトオ殿は一族全員の嫁として迎えます。選択の余地はありません。色々、思うところもあるで しょうが、ここはチャギの土地です。チャギの掟がすべてです。よって、各々従ってもらいます。なにか申し述べることは、ありますか」
 ハルトオは下を向いたまま訊ねた。
「カジャはどこです」
「……諦めなさい。あの娘はもう、ひとではない」
 ハルトオの中で、なにかが音を立てて切れた。
 神妙にして、なんとかあまり波風立てず、穏便にことをおさめたいと望んでいたのだが、それはどうやら無理らしい。
 ハルトオは膝を崩し、すっくと立った。怒りのため、頭に血が昇るのがわかった。だが感情的になるのを抑えて、大きく息を吸い、呼吸を静める。姿勢を直線に保つ。両掌を結ぶ。斜めに捻る。
 神の僕たるツバナとアケノの二人が、逸早くハルトオの意図を察し、阻止しようとしたが、激しい恫喝に射竦められた。
「動くな」
 ハルトは満座を睥睨した。
 既に神呼びの態勢を整えている。
「あ の子がひとでないと言うならば、なんだと言うのです。まだ幼い身で私を気遣い、労わる心がある優しい子です。あのような姿になったことは、あの子のせいで はない。ただ神々の眼にかなってしまっただけ……それだけです。それなのに、あなたがたは情けをかけるわけでもなく、石礫を投げる。いったい、どちらがひ とではないのでしょうか」
「だが、あのように半人半獣の身で、この先どうするつもりだね」
 と、疑問を投げかけたのはダダクだ。
「顔は実年齢と不釣り合い、四肢は鳥の足と同じく三又……あれでどうしてまともに生きられよう」
 ハルトオはきつくダダクを睨んだ。
「ひとと違う姿ではいけませんか。皆同じでなくてはいけないのですか。なぜです。カジャはカジャなのに」
 ワセイが怪訝そうに横から口を出す。
「なぜそうまで庇う必要があるんだね。あの娘はそなたの子でもなんでもないのだろう」
「…… カジャは昔の私です。見てわかりませんか。十年前、私もカジャと同じく美の神に自分の顔を奪われ、以来、この顔です。身体が顔に追いつくまで、七年かかり ました。私は、これからカジャが辿るだろう苦難がわかるのです。嘲笑われ、謗られ、厭われる。どこへ行ってもその繰り返し……だからせめて、傍にいてあげ たい。私だけでも傍にいてやりたいのです。さあ、カジャを返して。タカマに自由を。神域を穢したのは私です。咎は私にあります。罰は私にください」
 静かな気迫のこもった声と、眼には見えぬなにかがこの場に集いつつある不穏な気配に、一同は威圧された。緊張感が高まっていく。
 一触即発の睨み合いが頂点に達したそのときだった。
 集会所の戸という戸のすべてが、突然、全開となった。外から荒れた風がごおっと吹きつけて、皆の髪を掻き乱す。
 いったいなにが起こったのか、誰もわからないまま戸惑いする中――陽が陰った。急速に空を暗雲が蔽い、遠雷が轟く。空気が湿気を帯びる。どこかで鳥が一斉に飛び立ち、逃げるように空を駆けていく。
 稲妻が閃き、遥か上空から一条の雷が落ちた。庭の柿の木が引き裂かれ、真っ二つとなり、赤黒く燃え尽きる。その雷撃が、轟音と共に七度も続いた。
 ただごとではないとどよめいて、里人らは血相変えて集会所に押しかけた。
 そこへ、嫣然(えんぜん)としてハルトオの神が現れた。
 高く宙に静止したまま、下界を見下ろす。余裕のあるまなざしで斜めにハルトオを見つめ、次に、慌てて平伏した七名と群衆を見やり、深く豊かに響く声で、冷たく告げた。
「その者はいずれ余が妃となる娘。そのほうらの嫁にはやらぬ」
 ハルトオはびっくりした。
 皆はもっと驚いた。
 神は焦げた柿の木を指差し、先を継いだ。
「無礼に手を出せば、ありとあらゆる災厄を見舞ってくれる。よく肝に銘じておけ」
 代表して、最長老シモンが額を床板に擦りつけたまま訊ねた。
「しかと承りました」恐る恐る、続ける。「名のある神とお見受けします。よろしければ、神名をお聞かせ願えませんでしょうか」
 神はハルトオに視線を注いだ。
「余の名はその者に預けてある。もっとも、忘れて久しいようだが」
 揶揄する調子がハルトオの癇に障った。
「神名はソウガドオとおっしゃいます」ハルトオははっきりと、凛として応えた。「不肖、私の、私憑きの神であられます」
 ソウガドオのいつも余裕にみちた眼が見開かれる。光を宿す瞳孔が、意表を突かれたように不安定に揺れた。心なしか、呆気にとられているようにも見えた。
「もう一度、呼んでみよ」
「いやです」
 だが突っ張り切れなかった。無言の圧力に屈し、ハルトオは渋々繰り返した。
「……ソウガドオ様」
「そうではあるまい」
 間をおいて、ハルトオは呟く。「ソウガ」
 薄い喜悦を唇の端に滲ませて、ソウガは珍しく独り言を呟いた。「憶えていたか」
 それから垂直に降下して、地に足を着ける。黒髪が、緑の長衣の裾が、ゆるく靡く。そのまま縁側を乗り越え、ハルトオの前に立った。
「今後は余を名で呼ぶがいい」
「でも」
 ハルトオはぐずったまま、口を噤んだ。
 代わって、隣のタカマが問い質す。
「カジャは無事じゃなかったのか。いまどこにいる」
 答えたのは里長レンゲだった。土下座の姿勢は固く崩さない。
「ある場所に。そこで治療を兼ねた祟り落としの禊中です」
「カ ジャの祟りは、美の神と鳥の神より二重に祟られたゆえの姿です。普通のやり方では祟り落としができない。直接、神に落としてもらうよりほかないのです。私 たちは二神を探していました。ずっと行方知れずの鳥の神の所在が掴めたのは幸運でした。だから、神が次の土地へ移動する前に、急いで南国ミササギへ行かな ければならないのです」
「いますぐなぞ無理です」
 聴き神女ツバナが、やはり土下座のまま言った。
「あの娘は両手足骨折、胸を圧迫され、気管もやられて重傷です。とても動かすなぞできません」
「あなたがカジャの面倒をみてくださっているのですか」
「私とアケノ殿が。そこは神聖な場所のため、神の僕たる者しか立ち入れない領域です」
「とりあえず、療養したらどうだ」
 シュリも土下座のまま提案する。
「そ のカジャと言う娘もそうだが、タカマの怪我も相当なものだ。いまは治療に専念して、回復してからどこへでも行けばいいだろう。おまえたちは確かにチャギの 掟を侵したが、神憑きの娘をどうこうできるわけもないし、傷ついている者を放り出すわけにもゆくまい。よくチャギの民は血も涙もないと謗られるが、そうで もないと証明するいい機だ。なあ、ダダク」
「……おまえはでしゃばりすぎだ、シュリ。だが、まあそうだな。里長、シュリの申す通りです。掟にあるとおり、例外者として扱うのがよいでしょう」
「例外者、ですか」
「はい。“神の加護ある者にやたらな振る舞いをせず”。これに該当するにもかかわらず、追い立てまわし、穴牢に放り込み、無礼を働いた我々の罪の償いとして、この者らを客分として迎えてはいかがですか」
「わかりました。それならば掟を順守することに変わりもありません。皆も、異存はないですね」
 沈黙という名の肯定が返ってきた。
 納得がいかないのはハルトオだった。
「しかしそれでは私の罪はどうなります。神を起こしたのは私です。私は聴き神女です。なりそこないの身ではありますが、なにかできないものでしょうか」
「いけません」
 そっと遮ったのは聴き神男アケノだった。
「この里の問題は里の者で解決致します。余所者であるあなたが絡んではなりません。ソウ山の神は、僕とツバナ殿で鎮めます」
 余所者と言われてはそれまでだった。
 ハルトオはぐっと黙って頭を下げた。


      蛇神伝承


 神鎮めの儀式は四日後に決定した。
 聴き神女ツバナと聴き神男アケノは潔斎に入ったと聞かされた。
 チャギの里で客分扱いとなったタカマとハルトオは、久々の外よりの訪問者ということで手厚くもてなされた。
 特にハルトオはどこにいっても、なにをしても注目の的だった。男たちは少しの暇を見つけては、ハルトオのもとに通った。その傾向は若衆に特に顕著で、たとえソウガ神が傍にいても、めげずに会いにきた。
 ハルトオとタカマは里長宅に隣接する、来客用の一軒家を住まいとして供された。
 はじめ、「未婚の年頃の男女が一つ屋根の下に暮らすなどならん」と物議をかもしたが、ソウガ神の存在がものをいった。
「別々だと、看病に困る」と、ハルトオ。
「別々だと、警護に困る」と、タカマ。
 物怖じせず、タカマはソウガ神に跪いた。
「不埒な真似はしません。どうか俺をハルトオの傍においてください」
 ソウガ神の許しがあった、ということが決定打となり、ハルトオとタカマの同居は許された。守長ワセイ自らが守衛に立ち、面倒見役としてシュリが選ばれた。

「女が珍しいんだ」
 シュリが苦笑いをする。胡坐をかき、干した柿に糸を通しているところで、後ろではハルトオが床の間を磨いている。
「チャギには女が生まれない。だから女はとても大事にされる。特におまえのように若い娘が里にいるなんて、滅多にないことだ。だから、ちょっと見せものになるくらいは勘弁してやってくれ」
「なぜ女が生まれないのですか」
「祟りのせいさ」
「詳しく聞かせていただくわけには、いきませんか」
「まあ……そうだな。おまえたちはもう既に関わっちまったことだし、聞きたいなら話してやろう。ちょうど饅頭もあることだし、茶飲み話でもするか」
「ありがとうございます。あの、タカマも誘ってやりたいのですが、声をかけてもいいですか」
「じゃあ向こうの寝間に行こう」
「お先にどうぞ。私は手を洗って、お茶を淹れてきます」
 ハルトオの淹れた濃い茶を片手に、旨そうに栃(とち)の実の餡饅頭を頬張りながら、シュリは訥々(とつとつ)と語りはじめた。
「ずっ と昔、俺の爺さんの爺さん、もっと前の時代、ここは西と南を繋ぐ流通の要所で賑わっていた。いまは廃れているが、当時は人通りも盛んで、山に詳しいチャギ の一族はだいぶ重宝されていたらしい。そのころはまだソウ山に名のある神は坐わさず、小さき神々の加護のもと、平穏に暮らしていたんだ」
 シュリは一旦言葉を区切り、ふーっと息継ぎをした。
「ある日突然、その大蛇神が落ちてきたそうだ」
「空からということか」と、タカマ。
「ああ。たいそうひどい怪我を負っていて、いま神域となっている滝壺に落ちた。力の強い神だと言うことはすぐにわかったらしい。チャギは一族総出で手当てしたそうだ」
「それがどうして祟られる羽目になった」
「ま あ待て。話はここからだ。その神は、マドカ・ツミドカ・クジ神と名乗った。養生ののち、チャギの娘と懇意になった。娘の名は、サイ。東国から嫁入りした女 の子供で、特に器量よしというわけじゃなかったらしいが、明るくて、優しくて、皆に好かれたようだ。だがそのとき既に、サイは里長の息子、クラヒとの祝言 を間近に控えていた。神は許さなかった。クラヒにサイを寄こせと要求し、応じなければ毎日ひとりを殺すと言って脅し、本当にそうした」
「そんなことをすれば、神が祟られる」
「あ あ。本当はクラヒが黙ってサイを神に譲ればよかったのだろうが、クラヒもまたサイを好いていたんだ。チャギの一族もそのことをよく知っていたから、サイを 諦めろとは言えなかった。結論がでないまま、神の殺戮ははじまった。傷ついた神を助けた挙句のこの仕打ちに、チャギは怒り、怒りは祟りとなって神を脅かし た。祟られた神は怒り狂い、祟り神となって、祟り返しをした。その後、当時の聴き神女コトミが、他神――ソウ山の守護神だが――の力を借りてこの神を滝壺 の底深く封じた。チャギは周囲に誰も近づかないよう、魔除けの印を吊るしてひとを遠ざけた。以来、神は鎮まったが、神の祟りは消えたわけではなかった」
「女が生まれなくなった」と、ハルトオ。
「そ うだ。生まれてくる子供は男ばかり。仕方ないので、余所の土地の女を連れて来て子供を産ませた。だが女は生まれない。どんどん人口が減り、チャギは衰退し ていった。だが、ある残暑の厳しい夏の終わりに、行商の途中だという姉妹が道に迷って里を訪れた。そのまま姉妹は里に居つき、里の者と夫婦になり、子供を 産んだ。生まれた子供は、女だった」
「なぜ」
「わからない。だが、そんなことがあって以来、外の女が自らチャギの領域を超えた場合は、例外なく捕らえて嫁にしてきた。公平を期すために、ひとりの男のものとしてではなく、里の男衆全員の嫁としてな。まあ、そんなことが続けばひとは誰も近づかなくなる。
チャギが孤立していくのも当然だ。いまはもう、訪ねてくる者もいない」
 シュリは寂しげに微笑んだ。すっかり冷めきった茶を呷る。
「まあ、ざっとこういうわけだ」
「サイは」
 ハルトオは釈然としない面持ちで言った。「どちらを好きだったのですか。どうしてどちらも選ばなかったのです。それに、その後どうなったのでしょう」
 シュリは首を竦めて、手をひろげた。
「サイについては伝わっていない」
「それもおかしな話だ」
 横になったまま思惑を巡らせるタカマに、シュリは片眉を上げて見せた。
「そうかね。俺はそうは思わんが。ちょいと考えればわかりそうなものだろう。婚約者と神にその身を争われ、祟り、祟られ、一族を不幸に貶めた娘の末路など、決まっている。そんなことを誰が口伝に残すものか」
 タカマはシュリの言わんとすることを察し、納得した。顔が自然と曇る。おそらく、サイは殺された。そして依然、祟りは生きている。
「この口伝だが、どのように残されているのだ。やはり代々家に伝えていくのか」
「そうだ」
「話の内容は同じなのか」
「そのはずだが……いや、俺も確認したわけではないからなんとも言えんな」
 タカマとシュリの会話を鑑みながら、ハルトオは別のことを懸念して訊いた。
「マドカ・ツミドカ・クジ神を封じるのに手助けした神は、なんとおっしゃるのです。このたびも、御力を借りることはできるのでしょうか」
「それはツバナとアケノの仕事だろう。おまえが心配することじゃない。いずれにしろ、明日だ」
「明日未明、神鎮めの儀を行うと聞きました。私はどうすればいいのでしょう」
「寝ていろ。家から出るなよ。なにが起こるかわからないからな。これはアケノの達しだ。祈っておけ、どのみち俺たちができることなぞ、そのくらいだ」
 言って、腰を上げる。シュリは皿に残っていた栃の実の餡饅頭の最後のひとつをハルトオの掌におさめて、帰っていった。
「今更だが」
 と前置きをして、タカマはシュリの見送りから戻ってきたハルトオをつかまえて訊ねた。
「神とは、どういったものなのだ」
「どういったものって……本当に今更だね」
「変なものを見るような眼で見るな。仕方ないだろう、俺は神を語ることを許されない環境で育った。だから、神々については最低限の知識しかない。よければもう少し詳しく教えてくれないか」
「……いや、別に変な眼で見たわけでは。ただあまりに唐突だったから。いいよ、なにが訊きたい。私で答えられることなら答えよう」

 八百万の神は、姿なき神と姿ありき神の二つに大きく分けられる。
 神はひと(・・)に望まれれば力を増し、忘れられてゆけば力を失い、最後には消滅してしまう。力は名に変換され、文字名の多さが神の格を位置づける。
 最高位は十三文字名の神。
 次に十二神王と呼ばれる十文字名以上の神々。
  神々の間では、格上のものにたいして抗う術はなく、また、できなかった。常に膝を折り、服従しなければならない。唯一の例外があるとすればそれは、ひと憑 きの神が、宿主であるひとに命じられ、対立を余儀なくされた場合だ。或いは、ひと憑きの神が宿主と決めたひとの命が危うくなったとき、命令がなくとも、反 撃もしくは救助の選択ができる。
 
 タカマは内容を整理しながら、なんとなく室の中にソウガの姿を探した。
「……では神とはひとから生まれたのか」
「そ う。ひとの念が神々を創り、名と力を与えた。頼り、縋ることで、神たる存在は格を増し、数も膨れ上がっていった。いつしか、ひとはあらゆるものの中に神を 見出し、敬い、大切にすることで、自らの欲を抑えた。神はひとと共にあり、ひとは神と共にあるというのはそういうことなんだよ。共存共栄、神はひとに必要 とされなければ消滅してしまう。ひとは神を必要としなければ己の欲を制御できずに滅びるか、まわりの世界を巻き込んで、破壊活動に及ぶ……」
 ハルトオは栃の実の餡饅頭を半分にして、片方をタカマに差しだした。
「ひとは、ひとだけは、他の生きもののように、ただ生きるためには生きられない。それはなぜなのだろうね……」
 饅頭を千切って口に入れ、咀嚼するハルトオの眼は遠く、どこか近寄りがたかった。
 タカマはもらった饅頭を一口で頬張る。
「では、祟り神とはなんだ」
 ハルトオは思考を引き戻した。危うく、神の園にて散々悩んだ末、結局答えの見いだせなかった問いにはまるところだった。
「祟 り神は、神の性質が変質したもの。本来その身に宿る力が神の意志において曲げられてしまうことだよ。神の力というものはね、ひとがひとの力を使うのと同じ で、自分でもどうこうできるけれど、ひとに請われれば貸すこともできる。それは意志があってできることなんだ。ただ、聴き神女の裏技に神下しというものが あって、これは、神名のもとに力を行使できるけど、自分の寿命を減らしてしまう。この場合、神の意志は無視した行為に及ぶわけだから、代償を自らが払う。 その代償を払うことによって、自我は保たれる。だけど、もし神が自らの意志をもって、力以上のことを望んだときは、意志は破壊され自我が崩壊する。容易に はもとには戻れない。荒ぶる神、祟り神となるんだ。自ら死を選べない神の、ただひとつの自壊でもあるね」
 タカマは息を吐いた。聞くことに夢中になって、ずいぶん緊張していたらしい。いやに喉が渇いている。
「では祟り神とは、命をかけて望みを全うした神の成れ果てなのか」
「望 みがどんな類のものであろうともね……。悪いことに、神の望みはかなうかどうかはわからない。それはまた別の問題なんだよ。かなえるために自我を解放する から制御もできない。結果、望みは祟りとなってひとの上にふりかかる。それは眼に見える形のときもあれば、眼に見えない形のものもある。時間の経過を必要 とする場合もあれば、即死に至らしめる場合もある。祟りが忌み嫌われる理由は、そういうことだよ。ひとは不幸になることに関わり合いなど持ちたくないから ね」
「だが、関わってしまうときもある」
 ぽつりと、額を押さえてタカマは呟いた。赤い額布が巻かれているその下には、祟り憑きの烙印がある。
 ハルトオはなにも言わず、周囲の気を探った。
 ソウガがいない。
 最近、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神がつかず離れずソウガの傍にいるため、ソウガはあまりハルトオの眼に触れることがない。
 いまも、栃の実の餡饅頭を口実に呼んだが姿を現さなかったので、仕方なく縁側に盆ごと残してきた。
「いればいたで落ち着かないのに、いなければいないで気にかかるなんて、勝手がすぎるな、私も」
 ハルトオはぶつくさひとりごとを言って、朝餉の支度をしに厨房へいった。 


      鎮めの儀式

  
 ハルトオは身支度を終えて、室を出ようとそっと戸を開いた。
 ぎくりとした。
 タカマが待っていた。掛けものに包まり、胡坐をかいて柱に寄りかかっている。
「行くのか」
「いつからいた」
「そんなことはどうでもいい。もう一枚余分に着込め。寒いぞ」
 ハルトオは室に戻り、重ね着をした。タカマが立ち上がり、ハルトオの襟巻を正す。
「なぜわかった」
「俺だったら、ただ黙ってなどいられないからな。だが離れて見届けるだけだ。余計なお節介をするつもりはないし、あなたにもさせない。ここは彼らの土地だ、彼らの流儀に従うのが筋だ」
「そうだね。ところで、足はもう大丈夫なのかい。まだ痛むだろう」
「三日も安静にしていれば少しは良くなるさ。ただし、身体はまだ本調子じゃない。あなたが無理をしなければ俺も無理はしないが、あなたが無茶をすれば、必然、俺も無茶をする」
「要はおとなしくしていろ、と」
「そういうことだ。行こう、ぐずぐずしていると間に合わない」
 外は予想以上に冷え込んでいた。
 守衛のワセイがいない。おそらく、儀式の警護についているのだろう。代理の者がいたが、縁側から梯子を使い竹の囲い柵を越え、こっそりと外に出たため、気づかれなかった。
 里は深閑としていた。
 空には下限の月がかかり、煌々と白く照っている。星も瞬き、闇夜を照らす。ハルトオは夜眼が利くのをさいわいに思った。タカマの右手を掴み、先に立って歩く。滝壺までは距離がある。急がなければならない。
 里の入口には見張り番が二人いて、居眠りもせず、務めを果たしていた。ハルトオはちょっと考慮した末、二文字名の神を呼び、彼らの気を逸らすよう頼んだ。
 物陰に潜み、様子を窺っていると、枯れ木立に黄色い火の玉が飛び交った。見張り番二人は仰天し、押し問答の末、怖々と二人でそちらに見に行く。
 ハルトオとタカマはその隙に通り抜けた。
「カジャはどうしているだろう」
 不意にぽつりとハルトオが呟く。
「確かに心配だな」
「あの子、私がいないところでは泣かないんだ。もし離れ離れになっても必ず探し出すから、それまで泣かないで待っているように、って前に約束したことがあって……以来、それを守っている」
「強い子だ」
「うん。でも心細いだろうなと思って。早く顔を見たいな。安心させてやりたい」
 ハルトオはどんどん先をいった。足取りは確かで、道順にためらう気配はまるでない。加えて、普通ならば暗闇や闇に棲むものを恐れるものだが、そんなそぶりも一切ない。
 さすがに不自然だろうと思ってタカマが訊くと、返ってきた答えはひどく単純だった。
「ソウガが傍にいてくれる」
「……あなた憑きの美しい神か」
「姿は見せないことのほうが多いけどね。わかるんだ。いまも、どこからか見ていてくれる。それに、タカマもいるし」
 お世辞とみなして、タカマは素っ気なく、ややひねくれた物言いをした。
「は。四つも年下の俺では頼りになるまい」
「そんなことはないさ。会ってまだ日は浅いが、あなたが勇敢で高潔で優しいことは知っている。落ち着いたら、一度ゆっくりお互いのことを話し合いたいな」
 幽かな月光の下、肩越しに振り返り、微笑したハルトオをきれいだと、タカマは思った。途端に繋いだ手を意識してしまい、気恥ずかしく思ったものの、離さなかった。ハルトオの温もりが、身体の痛みを忘れさせた。
 山道を下ったところで、水音が近くなり、滝壺が見えてきた。
 空がうっすらと白みはじめ、夜明けが間近なことを告げていた。
  ハルトオとタカマは道を脇に逸れ、遠回りをした。猛烈な水音をたてる瀑布の下、巨大な滝壺に溜まった水は荒々しくうねり、一筋の河となって押し出される。 水嵩が高い。山に雨が降ったのだろう。落ちれば、一巻の終わりだ。この注ぎ口地点のごつごつした岩場に、二人は身を潜めた。
 ひとが集まっていた。
 滝の正面、そこに祈祷台が設けられている。
  長い鉄棒の、先端が輪になっている部分に、一本の太い祭事用のしめ縄を通し、結ぶ。これを二十の鉄棒すべてに繰り返し繋ぎ、祈祷台を完全に囲むように地面 に突き立てている。しめ縄には神呼びのため、霊力増幅のための札が下がり、且つ、祟り除けの旗が掲げられた。周囲には何十もの篝火が焚かれ、物々しい。
 聴き神女ツバナと聴き神男アケノを中心に、里長レンゲ、相談役ダダク、守長ワセイ、最長老シモン、他にも数名と、シュリもいた。
 全員、白装束を纏っている。頭に長い白い帯を巻き、刺繍を施した肩帯を掛け、手には白手袋、足は白足袋、白い数珠を下げている。
 ツバナとアケノが東の空を眺めて、頷き合った。二人を先頭に、扇状に皆が位置に就く。
 祝詞がはじまった。
 ツバナとアケノは数珠を握った手を差し上げ、特別に鍛え上げた咽喉を使い、声を合わせて詠唱した。
 曙光が射した。朝靄の中に生まれたばかりの光がひろがっていく。
 世界が明るみを増すと同時に、不穏な気配が高まっていった。
 滝壺の水面が、蠢いた。
 不気味に盛り上がり、沈む。
 いまや近辺は凄まじい神気が漲っていた。それも善くない神気だった。悪しき神気、荒ぶる神のもの――祟り神の息吹だ。
  それまで滞りなく紡がれていたツバナの詠唱の韻が、僅かに外れた。背後を護る皆があっ、と思ったときにはツバナは口から泡を吹き、腹部を抱えて倒れた。ワ セイが素早く駆け寄る。アケノは表情を強張らせたものの、独りでも敢然と立ち向かった。だが、一瞬の気の乱れが呼び水となった。
 たちどころに神気が膨張し、と同時に滝壺の底から黒い影の塊が急浮上してきて、一気に躍り出た。神気が炸裂する。眼に見えない力が渦巻いて、放射状に流出した。
 凄まじい力だった。
 しめ縄を結った鉄棒も根こそぎ吹っ飛ばされ、祈祷台は捲られた。若木はへし折られ、或いは根幹ごともっていかれた。祟り除けの旗などものの役にも立たず宙に舞い上がり、ひとびとは地に叩きつけられた。
 大蛇神の復活だった。
 瞳孔に細い線のいった黄色の眼は無機質にひらき、かっと剥かれた口からは長い舌が覗く。水の滴る巨躯の胴部は怪しく震え、尾の先端は深き水底にとぐろを巻いている。頭部を伸ばし、振る所作をして、ぴた、と止まった。朝日に漆黒の鱗が乱射した。
 黒く穢れた祟り神――マドカ・ツミドカ・クジ神の覚醒だった。
 負の神気の煽りをくって、ハルトオも吹っ飛んだ。背後に立っていたタカマ が咄嗟にその身を抱きかかえる。そのまま二人諸共に立ち木に激突した。
「しっかりしろ、タカマ」
 タカマは地面にずり落ちた。二人分の衝撃は彼に重度の負担を与えた。意識が遠のく最後の間際、タカマの眼はハルトオの心配そうな顔を見出した。血に赤く濡れた唇が痙攣し、かろうじて、動く。
「逃げろ」
「ばか」
 ハルトオは即座に半身を翻した。
 いつのまにか、目の前にソウガが抜き身の白刃の如き危険な瞳で佇んでいた。
「そちはまた他の神(もの)を呼ぶのか」
 ソウガの黒い双眸がハルトオを射抜く。
「余の名を置き去りにするのか」
 きつい目つきと裏腹に、憂いのこもった口調。ハルトオは弁解したかった。だが、いまはとにかく、大蛇神の暴走を止めなければならない。
 ハルトオは合掌し、次に手の甲を重ね、内側に縦に回転させ、はじめの形に戻す。傍でソウガに見つめられながら、心を決め、神呼びの声を放った。
「森 羅万象、万物を統べ、守り、導きたる神々に感謝と祈りを捧げます。我が名はハルトオ。我に名を賜いし神よ、我が声に応えたまえ。我が呼ぶのは智謀の神フ ジ・ヤコウ・ゴウリョウ。繰り返し申し上げる。我が呼ぶのはフジ・ヤコウ・ゴウリョウ。我が招請に降臨を願い上げる。繰り返す。我が招請に降臨を願い上げ る」
 ひら、と翅を上下させ、蝶が舞った。
 ハルトオの目の前で瞬く間にひとの形をとる。色素の薄い茶色の長い髪は束ねて軽く結いあげ、 薄茶の瞳は冷めている。背は高く、腰が細い。極力肌を外気に晒さないよう、袖も丈も長い、琥珀色の着物を合わせもきちんと身に纏い、帯は朽ち葉色のものを 締め、履物は若草色の草履だ。顔つきは繊細ながら険しく、表情に乏しい。両腕を脇に垂らした自然体から発せられる気は凄烈で、向かい合うだけでも、びりび りと痺れた。
「用向きは」
「申し上げます。あれなる大蛇神をいっとき眠らせていただきたいのです」
「我を呼んだからには、ただで済むと思うな」
「……承知の上にございます」
「眠らせるとは、どの程度だ」
「ほんの短い期間で結構です」
 ハルトオは気力を絞って言った。掌に脂汗が滲む。高位の神との対話はひどく精神が消耗する。相手が相手なだけに、尚更だ。
「私の勝手で土地神を、それも祟り神を鎮めたり祓ったりしてよいものかどうか、判断がつきません。その結果、土地にもひとにもどんな悪影響が及ぶか、わかったものじゃないのです。ですから、いまはとにかく、この場を一度収めたいのです」
「その願い、聞き届けた」
 智謀の神フジ・ヤコウ・ゴウリョウは背を返し、滝壺にそそり立つ大蛇神マドカ・ツミドカ・クジ神を仰ぎ見た。
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神の気配に触発されたかのような間合いで、静止していた大蛇神が伸縮を開始した。神気が脈動する。滝壺に張った水が溢れる。崖の一部が崩れる。地が揺れる。
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は左手を持ち上げ、腰の位置に掌を下にかまえた。右手の指を二本揃え、胸の前で左から右へ、右から左へ、空を斬る。すると、マドカ・ツミドカ・クジ神もその動きに倣い、頭を左右に振った。
その様子に合わせ、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神の左手がぐっと抑え込むしぐさをした。マドカ・ツミドカ・クジ神は問答無用で頭を横に抑えつけられ、滝壺に沈められていく。七転八倒暴れまくったが、数ソン(一ソンは一分)後には完全に水没した。
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は徐々に明るさを増す朝の光の中でハルトオを振り返った。
「月の眠りをかけた。次に同じ月が昇るまではおとなしくしていよう。これでよいのか」
 ハルトオは驚嘆した。大蛇神よりひとつ格上の神とはいえ、ひと捻りとは凄い。さすがに二桁名の神の力量たるは、一桁名の神とは別格だ。
 ハルトオは跪き、深々と礼をした。
「ありがとうございます。助かりました」
「では我が願いを申す」
 いったいなにを要求されるのか。
 ハルトオは覚悟した。神は一様に気まぐれで難解、もっぱら不可解だ。安易な神頼みは身を滅ぼすことになる。
 神とはできるだけ関わらないこと。
 そう教えられてきたのに、どうしても関わらずにはいられない。そしてそのたび、事態は深みにはまってしまう。呼び出す神の格がどんどん、どんどん、上がっていく。
「どうぞお申しつけください」
「我はしばらくそなたの近くに逗留する」
「私を見張る、ということでしょうか」
「正確には、そなた憑きの神の傍に侍る、ということだ。我を追っ払うな。よいな」
 ハルトオはわけがわからなかった。
 だが、神呼びをして願いを聞き届けてもらった以上、神の要望を拒むことはできない。
 頭を下げたまま、ハルトオは神妙に答えた。
「しかと承ります」

 
   第三章  神と人間


      時の狭間


 ハルトオは夢を見ていた。
 それが夢だと知れたのは、自分の姿が十三歳のときのままだったためだ。
 あの日――キ山の噴火で村が埋まり、両親を失い、家を失い、美の神の仕業により自分の顔まで失った災厄の夜が明けたあと、待っていたのは過酷な現実だった。
 はじめの絶望は自分の姿に対してだった。明け方に降った雨でできた水溜りに映した自分の顔に絶叫した。大人の顔。とてもきれいだけれど、十三歳の身体には釣り合いのとれないことこの上ない。湧き上がる嫌悪に総毛立ち、肌を掻き毟らずにはいられなかった。
 二度目の絶望は世間に対してだった。顔がすり替えられたと言っても信じてもらえず、交流のあった人たちの誰もまともに話さえ聞いてくれず、多くは、「祟り憑きめ」と石や物を投げられて、追い払われた。散々傷めつけられ、殺されそうになったときもある。
 三度目の絶望は神に対してだった。見習い聴き神女として才を見出された幼少の砌(みぎり)より、神に仕えてきた。敬い、祈り、奉り、守ってきた。真面目に努めてきたのに、この仕打ちとは理不尽極まりない。あまりにも無慈悲で残酷だ。
  そして四度目の絶望は自身に対してだった。いまのこの現状は、そもそもの起因は自分にあった。あの日、あのとき、なぜ気がつかなかったのか。  神々が いっぺんに姿を消したこと、禍の前兆があったこと、少し注意をすれば気づけていたはず、皆、誰も死なずに逃げられたかもしれない。
 独りだった。
 悲しみすぎて既に感覚が麻痺し、心は虚ろ、身体はあらゆる暴力の犠牲に遭い、あちこち砕け、折れ曲がり、血を流していた。
 とうとう動けなくなって、街道の道端にうつ伏せに倒れた。行き交う人々の大半は無視、或いは唾棄し、親切を試みようと近づいた者も中にはいたが、顔を見るなり脱兎の如く逃げだした。
 お母さんに会いたい。
 お父さんに会いたい。
 絶望と孤独の淵でハルトオは願った。大粒の涙が眼に浮かび、つ、と頬を滑った。
 ふっと、顔に影がかかった。半分瞑った眼に見えるのは、なめした皮の靴の先だけ。深い響きのよく通る声が、上から聞こえた。
「いつまで余を呼ばぬ」
 ハルトオは返事をするのも億劫で、そのまま瞼を閉じた。
 だが神はハルトオが眠りにつくのを許さなかった。膝をつき、長い指で顎をしゃくる。
「……どうして私を助けたの」
「余はそちのものでそちは余のものゆえ」
 不意に、涙腺が決壊した。
「お母さんに会いたい」ハルトオは泣きじゃくった。「お父さんに会いたい」
「ならぬ。そちを黄泉になど行かせぬ。誰にもどこにもやらぬ。そちは余の妃となるのだ」
 ハルトオは泣き続けた。
 神は憤った顔で困った。
 どうしても泣きやまないハルトオを、神は抱き寄せた。腕に優しく包み、肩にハルトオの頭をのせる。おずおずと、髪を梳く。
「余がおる」神の声は慈しみにみちていた。「余はそちに憑く神だ。名も預けただろう」
「名前……」
「なにゆえ呼ばぬ。よもや余では役不足と、申すのではなかろうな」
 神は抱きすくめたハルトオの身体をやや離して、瞳を覗き込んだ。
 あとから憶い出してみても、そのときの神の拗ねたような不満そうな顔は印象的だった。ゆらっと瞳に揺れた一片の焦燥とも嫉妬ともつかぬ陰りは、神をひどく人間的に見せた。
「ソウガ」
「なんだ」
「連れて行って」
「どこへ」
「人間がいないところ」
「よかろう」
 かくて、ハルトオは大陸の中央、神々の坐す国、オルハ・トルハへと運ばれた。

 ソウガはハルトオを抱えたまま天高く上昇し、ゆるい軌跡を描いて高速で移動した。
 雲を突っ切って着いた先は、眼下が紫と朱鷺色の輝く靄のようなものに閉ざされてよく見えない。周囲を確認する。巨大な茶と緑の大陸塊を見下ろしている。場所はほぼ真ん中。
 身震いしながらハルトオは訊ねた。
「ここはどこ」
「上空一千メグ。余の国の真上だ。ここから見えるは、東国タキ、西国ワキツ、南国ミササギ、北国ヒルヒミコ。オルハ・トルハはその中央にある」
 オルハ・トルハ――神国――十三文字名の神王黄輝神の神座があり、十文字名以上の十二の神王が統べる国。
 永久に花が枯れることのないという神王のための園庭、数多の神々が憩うという神泉、そして、神の国の門を叩き、扉を通り、訪れた人間との接見の間がある。
「オルハ・トルハに通じる門は四つ。そちはいずれかを選ばねばならない」
 ソウガは淡々と簡潔に説明した。
「東 国タキにあるは第一の門、報復の門。他者に対し復讐を遂げたい者が通る。西国ワキツにあるは第二の門、公正の門。不平等を正したい、真偽を問いたい、正義 を図りたい者が来る。南国ミササギにあるは第三の門、決別の門。縁を断ちたい、距離を置きたい、二度と会いまみえることのないことを願うならばこちらだ。 北国ヒルヒミコにあるは第四の門、誓願の門。己の持つものと引き換えに、願いがかなえられる。いずれの門も、その資格がなければ開かれぬが、そちはどうす る」
「……どれかを、選ばなきゃいけないの」
「ひとの身は、門を通らねば我らの国へ到ることかなわぬ。行くか、止めるか。そちが選べ」
 足元で、風が唸った。前髪が散らされる。
 ハルトオは考えた。だがまとまらなかった。色々なことがありすぎて、既に飽和状態だった。わかっていることは、ひとつだけ。
「……顔を、取り戻さなきゃ」ハルトオは呟いた。「お母さんとお父さんからもらった顔、私の顔……どこにあるの」
「余は答えられる」
 ソウガの顔が苦渋に歪む。
「そちは訊ねればよい」
「どうして訊かなきゃ教えてくれないの」
「余はそち憑きの神ゆえ、そちが望まぬことはできぬ。なれど、余は気まぐれゆえ、まれには例外もある」
「教えて。誰が私の顔とこの顔を取り換えたの」
「美の神ベニオ・タイシ・オウジュ。その顔は彼奴のもの。彼奴は余の不在時を見計らいそちに近づいた。行方は既に知れておる。そちが願えば余はそちの顔を奪還してこよう」
「だめ」
 咄嗟に口を衝いて出た拒絶の言葉に、ソウガだけでなく、ハルトオ自身も驚いた。
「だって……だってそれじゃあ私が取り返したことにならない。別に同じようなことが起きたとしてもソウガに頼ることになる。そんなのいや」
「余を頼るのが、なにゆえいやなのだ」
 むっとしてソウガは美貌を尖らせる。
 ハルトオは亡き村長にもらった腕輪の重みを感じながら言った。
「だって約束したもの。来年までに立派な大人になるって。大人っていうのは、自分のことが自分でできて、自分の行動に責任を持てることだって。だから、顔も自分で取り戻さなきゃ。いますぐは無理でも、ちゃんと自分の力で美の神様を捜して、顔を返してもらう」
「余に用はないということか」
「傍にいて」
 ぎゅっと、ハルトオはしがみついて言った。
「寂しいのはもういや。ひとりはいや。どこにもいかないで。私の傍にずっといて」
「それは既に約束しておる」
 ソウガの言葉にハルトオはふわっと顔を綻ばせた。そして西国ワキツを指差す。
「第二の門、公正の門を通る。神様に直談判して、美の神ベニオ・タイシ・オウジュ神に会う方法を教えてもらう」
「会ったとて素直にそちの言うことをきくとは思えんな。あれは強い」
「だったら対決できるくらい私も強くなる。ソウガ、力を貸して」
「存分に」
 愉快そうにソウガは微笑した。切れ長の美しい緑味を帯びた黒い瞳が甘く輝く。
「だがまず、そちの怪我が問題だ。余に治せと願うがいい。そうでなければ、門まで辿り着こうとも自力で歩けぬぞ」
 半信半疑で、ハルトオは怪我の治癒をソウガに頼んだ。すると、全身の痛みが瞬く間に失せた。驚きいった顔で口を横に結ぶハルトオをおかしそうに眺めて、ソウガは言った。
「では参ろう。少しの間、息を止めておけ」
 今度は急降下だった。
 西国ワキツにある第二の門、公正の門前に着く。名乗りを上げ、目的を告げるとハルトオの前に神国オルハ・トルハへの道は開かれた。それから二十歳になるまでの歳月を、神々と共に過ごすこととなる。

 顔の仕様に身体の成長が追いつくまでに七年を要した。
 その間、ハルトオは主に神泉にて過ごした。
 オルハ・トルハの神泉は想像していたほど大きくも深くもない泉だった。水は地底から湧くのではなく、天空の一点から絶え間なく注がれた。決して溢れることはなく、いつも一定量に保たれるこの泉には、常に多くの神々がたむろしていた。
 二文字名の下位の神から二桁の上位の神まで、寛ぎ、憩い、安穏とひとときを過ごす。
 周囲は樹齢数千年規模の巨木に囲われ、青々とした葉が決して散ることなく輝き、木陰はなんとも居心地がよい。金色の陽が射す淡い陽だまりの中、地面は多年草にやわらかく覆われ、土はあたたかく、風は爽やかに薫り、外気はほどよく温い。
 ハルトオはこの泉のほとりに放置された。
  傍にいると約束したソウガは姿を消した。代りに凄い数の神々に囲われた。姿も能力も系統もてんでまちまちな神々は、はじめ、場違いな存在であるハルトオを いびり倒そうとした。だがハルトオにうつったソウガの気配を嗅ぎ取って気を変え、次は各々いいように使い走りをさせた。
 一年目は神々の雑用に奔走し、あらゆる世話を焼き、面倒をみた。
 二年目は一口に神と言っても様々に異なると言うことを学習した。
 三年目は神々と口喧嘩し、仲直りをするまでの仲になった。
 四年目は神々のこと、付き合い方を学んだ。
 五年目は東西南北すべての言語を徹底的に教え込まれた。
 六年目は人間のこと、世界のことに眼を向けた。
 七年目は人間と神と、両者の結びつきについて考えはじめていた。
 煌めく太陽と白く照る月の下で、風の音色を聴き、土を褥に、ハルトオは成長した。
 そうしてオルハ・トルハに来てちょうど八年目の朝、薄い霧が立ち込める中、ここへ連れてこられて以来別れたきりのソウガが現れた。
 微塵も変わったところがない。八年前と同じ、ひいては出会ったときそのままだ。
 迎えに来たのだと、即座に察した。
 ずいぶん久しぶりの再会で、色々と文句もあった。だが、ソウガの静かな黒い双眸の前に、つまらない罵詈雑言のすべてが霧散した。
 この神は、傍にいた。
 眼に見えないところからずっと見守ってくれていた視線があって、いつも自然と助けられていたことを理解した。
 そして霧の向こう、ソウガの背後には、丸七年の間に知り合った神々の多くが整然と揃っていた。
 胸にこみ上げるものがあった。
 言葉を失い、立ち尽くすハルトオの前に、神々は一神ずつ歩を進め、名を名乗っては次と交代した。最後にソウガがやってきた。
「傷は癒えたか」
「はい」
「行くか」
「いいえ」
 ハルトオは怪訝そうに眉根を寄せたソウガから一歩退いて、後ろを向いた。
「髪を切っていただけませんか」
 ソウガの怯む気配。
「お願いします」
 ソウガは諦めたように息を吐いて、空の刃をもってハルトオの髪を首の付け根からばっさりと切った。黒髪が風に舞いあがる。
 ハルトオはさばさばした表情で振り返り、ソウガを、そして他の神々を見渡した。
「これで神々に頼るだけの私とは決別です」
 と言って正座し、地に額を擦りつけた。
「いつか、ご恩返しをさせてください。私が神々の手によって癒され救われたように、私の手もまた神々のためになにかできればと思います。私はひとの世界に戻ります。やらなければならないことがあるのです。いままで本当にありがとうございました」
 涙が止まらなかった。溢れる涙もそのままに、ハルトオはオルハ・トルハをあとにした。
 そして来たときと同じ道を今度は逆に辿り、公正の門より出る。続く世界は西国ワキツ。
 ここから美の神ベニオ・タイシ・オウジュ神を捜す旅がはじまった。

   
      心の内

  
 眼を覚まして、しばらくぼうっとする。ハルトオは懐かしい夢を見た、と思った。
 神国オルハ・トルハを去って三年、まだ美の神ベニオ・タイシ・オウジュ神は見つけられずにいた。ようやく手がかりを得た矢先にこんなことになってしまい、気は焦る一方だった。その反面、祟り神をこのまま置き去りにすることなどできない、と強く主張する自分もいる。
 ハルトオは床を抜け出した。夜明けはまだだったが、どうやらもう眠れそうにない。
 思い立って厨房に寄り、酒を注いだ徳利と猪口を盆にのせ、縁側から庭に出る。酒を撒きながら、二文字名の神々の名を呼ばわった。
 廊下と縁側を仕切る木戸が、まったく突然勢いよく引かれたので、ハルトオはぎょっとした。
「……びっくりした。なんだ、タカマか」
 ハルトオは着物に外套を羽織って、草履をつっかけ、縁側に座っている。少し肩を丸め、髪を木枯らしに梳かせて、徳利と猪口を手に一杯やっている姿は、不思議と様になった。タカマは安堵の表情を浮かべた。だがすぐに眦を上げ、声を大にして怒鳴った。
「なんだじゃない。黙って床を離れるなと言っただろう」
「黙って床を出たのは、タカマがぐっすり寝ていたから起こさないようにと、私なりに気を遣ったつもりだけどね」
「そ んな気遣いは無用だ。あなたはいま危うい身の上なのだぞ。神聖な儀式を邪魔立てし、失敗させ、参列者全員に怪我を負わせた挙句、祟り神を覚醒させ、怒らせ たと――全部が全部あなたの責任にされているのだ。いつ逆恨みした刺客に狙われても不思議じゃないから気をつけろと、シュリ殿からも散々警告されただろ う。聞いていなかったのか」
「儀式の件については、邪魔はしなかったけど、一枚噛んでしまったことは間違いないから、責めを負うことにはなると思うし、それも仕方ない。そもそも、私が原因だ。皆が怒るのも当然と言えば当然だよ」
 タカマとハルトオは視線をぶつけた。
「どうして緊張感の欠片もないのだ。暗くて裏庭とはいえ、こんな見通しのいい場所で、女の身でひとりきりでいるなんて無防備すぎる。だいだい、いま時分、外で酒盛りなんて正気の沙汰とは思えない。風邪をひくだろう」
 ハルトオはむっとして言い返した。
「この酒は、世話になったニ文字名の神々に振る舞っていたのさ。急にタカマが現れたせいで、驚いて姿を消してしまったけど、本当に坐したのだ。外にいるのは、神々が中に入りたがらなかったためで、私が朝っぱらから飲んでいたわけじゃないぞ」
 ハルトオは弁明を口にしながら、傍にあった漆塗りの盆の上に徳利と猪口を戻す。猪口にはまだ半分ほど酒が残っている。
「私なりに用心はしているよ。刺客に狙われるのはぞっとしないから、こうして人目につかない裏庭でこっそり用を足しているんじゃないか。だいたい、タカマこそ、そんな薄着でなにをしている。絶対安静の身だろう、うろちょろしないでおとなしく寝ていなさい」
「それはこちらの台詞だ。あなたときたら、てんでひとの言うことをきかないひとだな」
「なんだって」
「そうだろうが。あのときだって俺は逃げろと言ったのに、ひとのことをばか呼ばわりして、神まで呼ぶとは正気の沙汰じゃない」
「あの状況下でどうして私だけが逃げられる。全員見捨てればよかったと、そう言うのか」
「あなたのようにか弱い女性ならば、普通は逃げる。逃げても誰にも責められないさ」
「あいにく私はか弱くない」
「神に頼らなければならないのであれば、それはか弱いということだ」
「……でも無力じゃない」
「無力でなくとも、使ってはいけない力というものがあるだろう。あなたは聴き神女としては、おそらくとても優秀なのだろうが、九文字名の祟り神を抑えるために十文字名の神を呼ぶなんて、命知らずというものだ」
 タカマはハルトオの傍に片膝をついて屈み込み、真剣な眼で身を乗り出して言った。
「逃げよう。カジャを連れて、一刻も早くここを出るのだ。さもなければ、なにをされるかわからない。ここに軟禁されて何日になると思う。これ以上は危険だ。俺もようやく動けるようになったことだし、逃げるなら、いましかない」
「……なにをされても逃げられない。神と関わると言うことは、そういうことだ。あの荒ぶる神の御霊には、既に私の痕跡がついてしまった。なかったことになど、ならないよ」
「どういうことだ」
「……中に入ろうか」
 言って、腰を浮かせたハルトオの肩をタカマは押さえた。
「逃げるな。俺は神々についても、聴き神女についても、あまり詳しく知らないが、二桁文字名の神名をみだりに呼ぶことはならず、という常識ぐらいは知っているぞ」
「常識なしで悪かったね」
「いま俺が言っているのはそういうことじゃないだろう」
「わかっているよ。中に入ろう。大丈夫、逃げないから。少し話そう」
納得して、タカマが身を引く。ハルトオは白い溜め息をついて盆を持ち、草履を脱ぎ、縁側から上がった。タカマも立ち、ちょっと脇に退きハルトオを中に通しながら、木戸を静かに閉める。
 二人は炭火の爆ぜる囲炉裏端にいった。
 部屋の中は暖かく、ほっとした。
「昨夜、甘酒をつくったんだ」
 ハルトオは囲炉裏に下げた土鍋の中を覗き、木の杓子で混ぜる。甘いこうじの匂いがぷんと薫る。
「うん……タカマの言う通りだ。自分でも、向こう見ずなことをしたと思って反省している。もう、こんな無茶な真似はそうしないよ。心配かけて悪かったね」
「いや……俺こそ、助けてもらったくせに偉そうなことを言ってばかりで申しわけない」
「朝食前だが、一杯飲まないか。身体が暖まる」
「酒はなんでも飲む」
「座って。神に先に供えるから、少し待ってくれ」
 タカマは囲炉裏の傍に寄った。火に掌を翳す。黒白の木炭に時折膨らむ紅い炎。火の粉がチリチリと舞う。
 ハルトオは一旦厨に引っ込み、大きな盆を抱えて戻ってきた。いやに湯呑みの数が多い。
「全部神々に供える分か」
「そう。ソウガとフジ様、ちょっと前に世話になったソウシ様とカゲツ様、それにいつも世話になっているニ文字名の神々の分」
「待て。神が、本当に酒を飲むのか」
「神 々だって飲むし、食べるよ。まあ飲食しなくても死なないし、飲食を嫌う神もいるし、消化器官はひととは違うし、こだわりがあったり、なかったりと、まあ色 々だけど。中でも私がお世話になる神々は酒好きが多くてね。たまに造り酒があるときは、こうして供えることにしているんだ」
 ハルトオは玉杓子で鍋を底から掻き混ぜて、湯呑に半分ずつくらい、次々と注いでゆく。手を休めず、先を続ける。
「儀 式の件だけど、私の名において召喚したフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神のためにあのようなことになった。マドカ・ツミドカ・クジ神はそう見做すだろう。次に覚 醒したときには、おそらく私も祟られる。どこにいようと関係ない。どこまでも追ってくるだろう。だから、逃げても解決にはならないんだ」
 ハルトオは自嘲気味にそう言いながら甘酒の入った湯呑を盆に並べて、両手にしっかりと持ち、席を外した。
 戻ってきたときには空の盆だけ抱えていた。
「待たせて悪いね」
 タカマは「いや」と軽くかぶりを振り、差し出された湯呑みを受け取った。熱い。啜ると、甘くて旨い。凍えた身体に沁みてゆく。
 タカマは雰囲気の砕けたいまなら訊けるか、と遠慮がちに口をひらいた。
「……ソウガドオ神とはどういった神なのだ」
「どうって、なにが」
「あなたを妃にすると言っていただろう」
 あやうく、噴き出すところだった。
 ハルトオはタカマをじろっと睨んだ。
「いきなりなにを言い出すんだ」
「いつもあなたを守っているし、遠くからでもよく見ている」
 タカマは手の中の湯呑みから眼を上げた。ハルトオは虚を突かれた表情をしていて、瞠る眼が童女のようにあどけない。
「……気づいていなかったわけじゃないだろう。俺の眼から見ても、ちょっとやるせなさそうだ」
「……やるせなさそう、って」
「そんな感じだ。あなたがソウガドオ神に一線を引いて接しているから、そのためじゃないのか」
 ハルトオは言いあてられて動揺したそぶりを見せた。肩を落とし、徐々に意気消沈してゆく。
「そんなにあからさまかな、私は」
「ソウガドオ神が苦手なのか」
タカマは単刀直入に訊いた。
「それとも好きだけど素直になれないから、逆に素っ気ないのか」
「好きとか嫌いじゃない。ソウガは」
 ハルトオはぐっと奥歯を噛みしめた。熱を秘めた眼と必死の形相がタカマに迫る。
「ソウガは……違うんだ。そんな言葉ではとても足りないくらい大切で、私にとってはなくてはならない存在で、だから」
 脳裏に十年前の悲劇が蘇る。どうしようもなく孤独だったとき、救ってくれた。思い返せば、いつも見つめていてくれた、ただひとつのあたたかな光。
 たとえ、神でも。
 たとえ、遥か至高の存在であっても。
「失いたくない」
 ハルトオはぽつりと言った。言ってから我に返り、泣き笑いのような複雑な顔をする。
「……どうしてこんな話になったんだ。私になにを言わせるんだよ、恥ずかしいだろう」
「失いたくないから、つれないのか」
「別につれないわけではないよ。ただ、ソウガの神としての力をあまり頼りたくないだけさ。ソウガはただ傍にいてくれるだけでいい。それ以上を望むと、不純な動機で一緒にいるような気持ちになって、私が居心地悪いんだ。って、だから、言わせるな、こんなこと」
 真っ赤になる四つ年上のハルトオを、タカマはなんてかわいいのだろう、と思うと同時に憎たらしい気持ちになった。
「あなたは鈍感だ」
「なにが」
「俺は、知りたかったのだ。あなたが、あの美しい神をどう思っているのか」
「なぜ」
「なぜって」
 タカマは窮した。
 いまこの場で打ち明けても、先の展開が読めている。あっさりと一刀両断に振られるのが落ちだろう。
「……まあいい」
 タカマは嘆息した。
 ハルトオは眉間に皺をよせ、小首を傾げる。
「なにがいいんだ」
「あとでいい。俺は気が長いからな」
 ハルトオが追及しようとしたそのとき、玄関から声が聞こえた。
「おおい、邪魔するぜ」
「シュリ殿だ」
 ハルトオが立ち上がりかけたところをタカマが止める。
「俺が行く。あなたはもう一枚上になにか羽織ってくれ。どうも眼のやり場に困る」
「え」
「あなたは薄着すぎだ」
 言おう言おうと思って、なかなか言いだせなかったことをやっと告げて、タカマはシュリを出迎えに室を出ていった。


      二者択一


 シュリに呼ばれ、護衛と称した見張りに前後左右を挟まれて、ハルトオとタカマは身支度を整えたあと家を出た。
 外は既に陽が昇っていた。今朝はあいにくの曇りで、空はどんよりと薄暗く、空気も少し湿っている。
 里のあちこちで雌鶏が放し飼いにされ、コッコッコッと鳴きながら雑穀を啄んでいる。
 ハルトオらは里を過ぎった。早朝から薪割りや剪定、補修など、口数少なく動く男衆たちの視線は、すべてハルトオに向けられる。熱く静かに見つめられる。
「この里は活気がない」
「女子供がいないからだよ」
「なんだか寂しいな。閑散としている」
「そうだね……」
 二人はうらびれた里の様子を横目にしつつ、聴き神男アケノの住まいへと案内された。
 通された場所は寝間だった。
 はじめに到着を告げたシュリが入室し、ついでタカマ、ハルトオの順で中に入る。そこには予想通りの顔ぶれが、ほぼ揃っていた。
  ハルトオは黙って下座に正座をしながら、物珍しそうにあちこちを見た。欄間に牡丹細工、掛け軸は紅梅とうぐいす、柱に下げられた一輪挿しには白い椿が活け られている。きちんと整頓された室の中央に蒲団が敷かれ、枕もとに手桶と水差しと茶碗を用意し、聴き神男アケノは床に横になっていた。
 アケノは鎮めの儀式が不首尾に終わった際の波動の煽りを受けて、空中に巻き上げられ、落下した。さいわい骨折と打撲で済み、命に別条はなかったものの、それでも完治まで数カ月はかかると診断された。
「このような見苦しいなりで申しわけありません」
 アケノはひとの善さそうな顔の、ひょろ長い男だった。色白で、華奢、上背はあったが肩幅は狭い。加えて髪や眼の色素が薄い茶で、声もやや高いため、聴き神男という特異な役職についていながら、迫力を欠いていた。
 どことなくツバナに似ている。
 眼が合うと、会釈された。ハルトオも会釈を返す。
「失礼します」
 と断って、引き戸が開いた。山刀を腰帯に差した、目つきの悪い四人の守衛が次々と大股で入って来て、室の四隅に陣を取る。
 他に同席しているのは四人。里長レンゲ、守長ワセイ、聴き神女ツバナ、それにシュリだ。相談役ダダクと最長老シモンの姿が見当たらない。気になってレンゲに問うと、レンゲは厳しい表情で告げた。
「最長老は亡くなられました。ダダクは頭を打って意識不明の昏睡状態。もし眼が覚めたら、それは奇跡でしょうね」
「亡くなられた……」
 苦しげな青白い顔でアケノが頷き、ハルトオをじっと見つめた。
「鎮めの儀式は失敗です」
 すかさずタカマが横から反発する。
「俺たちの責任だと、そう言いたいのか」
「いいえ。失敗の要因はこちらにあります」
「説明していただけるのですか」
 ハルトオの追及にアケノは渋面をつくったものの、頷いた。
「お望みでしたら」
「聞かせてください」
 アケノはもう一度頷いた。
「わかりました。ですがまず、僕の用件を聞いていただかなくては」
「伺います」
 背筋を伸ばし、胸を張り、両腿の上に軽く握った拳をのせて、姿勢を正すハルトオを見るアケノの眼が据わった。凛として、口調までも改まる。
「あなたがたは神と会われましたか」
「はい」
「どんな御姿でしたか」
「黒い大蛇神です」
 ハルトオの澱みない返答に、だがアケノは衝撃を隠せない様子で、絶望的な溜め息をついた。
「……どうやら本当にあなたがたは神の御姿を目撃されたようですね」
 ハルトオのすぐ脇で、タカマが身動ぎした。場の空気が、いまや不穏なものになりつつあった。全員の視線が厳めしく、重く、寒々しいものに変わっている。
「……神を見たからといってどうだと言うのです。神々はどこにでも坐わすでしょう」
 異議を唱えたのは、もうひとりの聴き神女ツバナだった。
 アケノの枕元に置かれた、藤で編んだ低い腰かけに座していたツバナは、断固たる面持ちで言った。
「マドカ・ツミドカ・クジ神は特別です」
 更にワセイが加勢する。
「そうだ。我らの神を見た余所者を生かしておくわけにはいかない」
「なんだと」
「動くな」
 ワセイの合図で、四人の守衛が一斉に間合いを詰めてきた。同時にタカマはハルトオを強引に引き寄せ、壁に押しつけ、背に庇う。そこへ山刀の鞘を払い、荒事に慣れた風の男たちが迫り、白刃を突きつけられた。
 ここで、静観していた里長レンゲが言った。
「掟により、そなたたち二人には罰を負ってもらいます」
「掟の内容は」と、怯まずにタカマ。
「禁足地への立ち入りならず。神を起こすことならず。神を見てはならず。神と接触してはならず。神を語ること許されず。余所者にあっては、どの罪を犯しても里を出ることまかりなりません」
 堰を切ったように床の中でアケノが叫ぶ。
「ですから、この里の問題は里の者で解決すると、余所者であるあなたが絡んではならないと、そう申したでしょう。僕は一度庇いました。シュリに言って、儀式が終わるまでは家から出ないようにと忠告もしました。なぜきいてくださらなかったのです」
 ハルトオはタカマの背を両手で押した。が、動かない。
「ちょっと、タカマ、そこを退いてくれ」
「だめだ。じっとしていろ」
「……あなたも強情だなあ。いいから退け。退かないと蹴る」
 タカマは嫌な顔をして肩越しにハルトオを一瞥した。
「……女が男を蹴るとか言うな。はしたない」
「うるさいな」
 ハルトオはタカマを押しやった。向けられる山刀の刃には眼もくれず、床に拳をついて頭を低く垂れた。
「レンゲ殿にお訊きしたい。罰とはなんです」
「ひとつには、神への供物へとなっていただきます」
「人身御供か」
「もうひとつには、眼を潰し、舌を切断、咽喉を潰した上でならば、退去を許します。但し迷惑料をも払っていただきます」
「二者択一ですか」
「そうです」
「どちらもごめんだ」
 タカマが率直に拒絶を言にする。
「だいたい、あの窮地を救ったのはハルトオだろう。感謝されても、罰せられるいわれはないと思うのだがね」
 そこへワセイが鋭く口を挟む。
「そ れはそれ、これはこれだ。おまえたちが里の掟を破ったことは間違いない。それ即ち、罪人だ。相応の罰を受けるか、或いはいまこの場での死か。我らが神に無 礼をはたらいた罪は、万死に値する。あんたは神憑きで、聴き神女で、きれいな女だが、あんただけ見逃すわけにはいかない。里の掟は絶対だ。ずっと、長い間 そうして来たんだ。例外は作っちゃならねぇ」
 悲痛で切実な眼にはやりきれない思いが満ちていた。おそらく、里の守長として、意にそぐわない処断を下さねばならない機会も多かったのだろう。
 ハルトオにはそれがわかった。ワセイもまた、己の務めに生きる男だ。
「どちらか選ぶ前に、なぜ儀式が失敗したのか、教えていただけませんか」
 訊ねた途端、しん、となる。
 静寂を破ったのは、儀式の途中で倒れたツバナ本人だった。
「それは……」
 言いかけて、急に口元を押さえた。慌ててアケノが枕元にあった手桶を差し出すよう、ワセイに指示する。間に合わなかった。ツバナは吐いた。吐瀉物が床を汚す。
「大丈夫か」と、ワセイ。
「……少し胸がむかつくだけです」
「最近食が細くなっているだろう。どこか悪いのではないのか」
「……身籠っておられるのでは、ないですか」
 直観的なハルトオの一言で、全員の視線が一点集中し、皆のまなざしの先でツバナはごまかしもせず、言い逃れも、いいわけもなく、顔を背けた。
 ハルトオはすっと立った。
「誰か、座椅子と足置き台を用意してください。それから暖かい掛けものをたくさんと火鉢も二つくらい増やすように。早く」
  無造作に踏み込んで、守衛を邪魔だと言わんばかりに追っ払う。ツバナのもとへいって首に巻いていた手拭いを使い、吐瀉物の後始末をする。それからいったん 手を洗うため席を外し、すぐ戻ると、用意された座椅子にゆっくりとツバナを腰掛けさせ、背凭れに寄りかからせた。足置き台に足を伸ばさせ、次に水差しを取 り、茶碗に水を注ぎ、口元に運ぶ。
「口の中が気持ち悪いでしょう。すすいでください」
 ツバナはおとなしく従い、ハルトオは額にびっしりと浮かんだ脂汗を拭いてやった。
「身体は冷やしてはいけません。他になにかしてほしいことはありますか」
「いいえ……ありがとう」
「つわりはいつから」
「最近よ」
「……よく母子ともご無事でしたね。あの儀式のとき、ひどい目に遭いはしなかったのですか」
「ワセイ殿が庇ってくれました」
「それは不幸中の幸いでしたが、でも無茶ですよ。そんな身重の身体で神事など、下手すれば母子共に命に係わる危険です」
「無 茶は承知でした。儀式が失敗したのは私のせいです。神を封じるための祝詞を負とするなら、誕生に向かう新しい命の力は正……抑え込もうとする力と弾けよう とする力、二つの力がぶつかったとき、神が覚醒するのを感じました。そしてあのようなことに……最長老の死は私に非があります。遠からず、この責めを負い ましょう。これで、納得していただけましたか」
「いいえ」
 ハルトオは険しい形相で食い下がった。
「赤ん坊に悪影響が出るともしれないとは、考えなかったのですか。命が危うかったのですよ。もっと他の選択はなかったのですか」
 ツバナは虚ろな笑みを浮かべた。
 返ってきた言葉は、思いもよらないものだった。
「赤ん坊など、欲しくはありません」
 ざわめきがひろがる。
 固唾をのんで二人の会話を静観していた里人らの間に動揺が奔る。
 ツバナは抑揚のない声で更に続けた。
「この子は、おそらく女の子です。わかるのです。だったら尚更産みたくない。私と同じ運命を辿らせるくらいなら、いっそいまのうちに流れてしまったほうがよいのです」
「だめです、そんな言葉を言ってはいけません。あなたの胎の中で赤ん坊が聞いています」
 ツバナは日頃滅多にあらわにしない怒りの感情を迸らせた。
「知っ たような口を聞いて。あなたになにがわかるというのです。この里では、女はただ子供を殖やすだけの存在にすぎません。逃げることも死ぬことも許されず、足 の腱を切られ、軟禁され、監視され、孕ませられ続ける。それがどんなに屈辱で苦痛か、わかりますか。死ぬよりも辛い生となるでしょう。そんなことを娘に強 いたくはない。私はもう二度と、決して、女の子は産みません」
「それは困る」
 水を打ったような静けさの中で、ワセイは唖然呆然のままツバナの手を握り、口走っていた。
「俺は困る」
 ツバナはワセイの手を払い除けた。やつれた横顔は、いまにも事切れそうなほど、白い。
 場は困窮を極めていた。
 余所者を糾弾し、責任を追及、処罰を与えるはずだった会見が、里の暗部の一部を白日の下に曝け出す結果となってしまった。
 誰も余計な口をきけず、とりなすにもきっかけがない中、ハルトオはそっとツバナの傍を離れ、里長レンゲの前にゆっくりと正座した。
「掟破りの罪の罰の件ですが、タカマと同じく、私もどちらもいやです」
「それでは道理が通りません」
「なにもしないと申しているわけではありません」
「なにをするというのです」
「祟り落としを」
 皆が絶句する中、ハルトオは落ち着いた声音で、繰り返し述べた。
「マドカ・ツミドカ・クジ神の祟り落としを行います」


      回想


「そなたは正気ですか」
 里長レンゲは顎をひいて、指先まで揃えた正座の手本の如く姿勢を崩さず、ハルトオをまじまじと見やった。
「はい」
「いいえ、正気であるはずがない。相手は九文字名の祟り神ですよ。ひとの力でどうこうできる相手ではありません。そなたがどれほど優秀な聴き神女であろうとも、神の祟り落としなど、試みるだけ無謀です。祟り返しに遭うのが落ちというものです」
「気をつけます」
「気をつけたところでなにになります」
 レンゲは声を荒げた。
「そ なたも存じておろう。神々は名に負う力がすべて。一文字名の神はニ文字名の神に、二文字名の神は三文字名の神に絶対にかなわぬ。九文字名の神をうち負かす には、十文字名以上の神の力を必要とするのですよ。どこの世界に二桁文字名の神を召喚できる聴き神女がいるというのです。よしんばそなたにその力があった としても、召喚した十文字名の神を帰せるとは思えぬ。下手をすれば、十文字名の神による新たな祟りを招くことになるでしょう。そなたの言っていることは、 無茶の極みです」
「うち負かすわけではなく、祟りを落とすのです。さすがに神殺しの汚名は着たくありませんので、それが私にできる最善の策だと思います」
「……そなたはおかしい。祟り神とは気のふれた、力の制御なき神のこと。言葉も心も意志の通じぬ相手になにをしようと無駄なことです」
「無駄かどうかはやってみなければわかりません」
 ハルトオは退かなかった。深々と頭を下げて折り目正しく願い出る。
「すべては私の責任において成すこと。どうか猶予をください。次の下限の月までで結構です。それまで、私たちに一切の自由をいただきたいのです。そして成功した暁には、私とタカマとカジャの身柄を解放してください」
「無茶です」
「どうかお願いします」
「……面を上げなさい」
 レンゲとハルトオは見つめあった。互いの瞳の中に互いの姿が映っている。
 なんと美しい娘か、とレンゲはひそかに感嘆した。内から滲み出る資質は、かくも自然体で無理がない。気負ったところがなく、磨かれた珠のように丸みを帯びている。
 聞いた話では、苦労の連続で、ひとの情にはあまり縁のない寂しい人生を送ってきたらしいが、それでいて、ひねくれたところがない。心根が荒んでもいないし、他者を労わり、自分のためではなく怒りを覚える心がある。
 神憑きの娘。
 神に見出された、愛でられし者。
 レンゲは鼻に皺を寄せ、眼をぎゅっと一旦細めて渋面をつくった。それから天井を仰ぎ、ふーっと嘆息する。瞼を瞑る。開ける。
「……そなたはマドカ・ツミドカ・クジ神の暴走を止めました。いかなる方法にせよ、その功績を認めるものとします。よいでしょう。次の下限の月までの間、そなたの好きになさい。但し、カジャ殿はいままで通りツバナ殿とアケノ殿の預かりとします」
「私にはカジャが必要です」
「悪いようにはしません」
「そ の言葉、信じます。よろしくお願いします。それから、里の皆様方にもぜひ協力していただきたいのです。私は、この伝承の真実を知りたい。シュリ殿より聞い たところでは、各家に伝えられている口伝があるとのこと。ぜひ、そのすべてを聴いてみたい。どうか、お力添えくださいませんか」
 レンゲは疲れたように肩を落として首肯した。
「わかりました。私の名において取り計らいましょう」
 ハルトオは厚く礼を言って下がった。

 アケノの家を出ると、既に外は暗かった。
「どうりで腹が空くわけだ」
 と帰途の道すがらタカマが空腹を訴える。
「暗くなるのが早くなったね」
「角灯を借りてきてよかったな」
 軽く雑談を交わしながら、ハルトオとタカマは肩を並べて歩いた。
 藍色の闇が天空を覆い、黄色い月が雲間に見え隠れする。呼気が白い。タカマはハルトオを気遣って自分の肩かけを寄こしたが、ハルトオは「大丈夫だ」とこれを断った。だが
「女は身体を冷やすな」と強引に押しつけられる。
「ふふ。タカマは優しいな」
「冷やかすな」
 笑ってハルトオはこれを羽織り、闇路に灯る家々の灯りを眺めた。煙突から立ちのぼる煙。夕餉の匂い。だが、静かだ。談笑らしきものがほとんどない、ひとがいるのに、いないような、もの寂しさが漂っている。
「ひとりで行くなよ」
「なんの話だい」
「口伝に決まっている。聴きに個々の家を訪ねるのだろう。それはわかったが、単独ではだめだ。必ず俺を連れて行けよ」
「どうして」
 ぱちくりすると、タカマは拳でハルトオの額を小突いた。
「だからあなたは危機感が足りないと言うのだ。どうしてもこうしてもあるか。男の家に女がひとりで上がるんじゃない」
「……わかったよ。本当にあなたは心配性だなあ」
「違う。あなたが呑気すぎるのだ」
 喧々囂々とやり合いながら、仮宿としている家の近くまで来たとき、ハルトオは不意に足を止め、斜め後ろを振り返った。
 井戸の傍、楠(くすのき)の下。
 なにも言わず、ハルトオはタカマを置いてそちらに小走りにいった。
「ソウガ」
 名を呟くと闇から輪郭がおぼろに現れる。
 楠に腕を組んだ姿勢で寄りかかり、少し顎をひいている。闇に沈んでいるので、陰影の射さない美貌は表情までは読み取れない。
「なにをしているのです」
 ハルトオが訊ねると、ソウガがクスッと笑う気配がした。
「……なにか可笑しいですか」
「いや。ただ、そちとはじめて会ったときを思い出したのだ」
 ハルトオは悔しげに唇を噛んで俯いた。
「憶えていません」
「いまとまったく同じことを申したぞ」
「あ、あの、よければ話していただけませんか。聴きたいです」
 闇よりも深い瞳の凝視を浴びる。
ハルトオは、てっきり拒まれるものと思っていた。だが予想に反して、ソウガは「よかろう」と言った。
 そしておもむろに話しはじめた。

 十八年前――。
 ハルトオは五つで、元気闊達、よく喋り、よく笑い、よく泣く、好奇心旺盛な童子だった。
 その夜は村の夏祭りの最終日で、総出で近くの小川にて、ホタル狩りを楽しんでいた。せせらぎに先祖の魂を黄泉路へ送り出すための灯篭を流し、手に色とりどりの飾り角灯を下げて、男も女も白い着物と髪飾りを身につける。
 月が円く耀き、星が降り、虫の音が涼を呼び、風は爽やかな夏の宵。
 ハルトオは角灯を片手に、首からは紐で吊った虫かごを下げた。シロツメクサの揺れる川辺を走り回り、つんのめって、ばったり倒れる。その眼の先に、可憐な白い花冠の下に、小さな影を見出した。
「なにしてるの」
 影は答えるつもりはなかった。
 だが影の無視にもめげず、ハルトオの手が無造作に伸びて影をギュッと掴んだ。
「さわれないねぇ」
 掌をひらき、がっかりして、草の上に顎をのせて額を影にくっつける。そしてもう一度繰り返す。
「なにしてるの」
「なにも」
 今度は影も応えた。
「どうしてこんなところに隠れているの。踏まれちゃうよ。踏まれたら痛いよ」
 影はまた黙った。
「寂しそう」
 ハルトオは影を撫でるしぐさをした。
「ハルトオと遊ぼう。あのね、ひとりは寂しいの。寂しいのはだめなの。ハルトオとあっちいこう。ホタルきれいだよ。あのね、カブトムシもとってあげる。あなた、お名前は」 
「そちが余の光となるか」
「いいよ」
 ハルトオは手に持っていた子供用の角灯をずいと差し出した。
「あなたにあげる。中の蝋燭に火がつくと赤くてきれいなんだよ」
 噛み合わない会話だが、不思議に場が和んだ。無邪気さと、優しさ、実直さ、温かさ。どれも影には馴染みなく、縁遠いものだった。
 光。
 闇を、影を、照らすもの。
 このとき、影の口を割らせたものはいったいなんだったのか。
 影はハルトオにしか聞こえぬ声で囁かに名を告げ、ハルトオはにっこりして復唱した。
「そうが」
 呼びかけに応じて影はひとの形をとった。そして幼きハルトオの前に跪いて言った。
「そちに余の名を与えよう。いまより余はそちのものだ」

 話を聞き終え、ハルトオは愕然とした。
「に、握り潰した、のですか、私があなたを」
「余をあのように扱ったのは後にも先にもそちだけだ」
「す、すみません……」
「だが……余をまったく恐れなかったのもそちだけだ」
 言い知れぬ孤独にみちた独白に、ハルトオは柳眉を逆立てて反論した。
「他の神々はともかく、あなたを恐ろしく思ったことなど一度もありません」
「そうか」
「そうです」
 ハルトオはその先を言いかけて、やめた。
 あなたを失うことだけが心底恐ろしい、と言ったら最後、現実のものとなりそうだ。
 ソウガが優雅に身を起こす。
「寒くないか」
「寒くないです。だってあなた、私のまわりだけ空気を暖めているでしょう。道理で私だけ薄着でも平気だと思いました。贔屓はやめてください。私だけズルをしている気分です」
「では代わりに余が暖めよう」
 ソウガの腕がやや強引にハルトオを抱き寄せる。そのまま、しばらく無言で二人は夜風にあたっていた。
「マドカ・ツミドカ・クジと戦うのか」
「戦うわけではありません。祟り落としをするのです」
「南へ急ぐのではなかったのか」
「仕方ありません。このまま放ってはおけないのです」
「なぜ」
「さあ……なぜでしょう。でも、神々の苦しみは見過ごせないんです。私でなにかできるのであれば、なんでもしたいのです。昔、神々が私にしてくださったように……」
 不意に、ソウガの面が陰った。
「また、余は無用か」
「傍にいてください」
 縋るような声になってしまった、といくぶん動揺しながらも、自分を鼓舞して、ハルトオは一番肝心なことを伝えた。
「あなたは不満かも知れませんが、私はそれで十分なのです」
「そうか」
 ハルトオは顔を伏せたまま、ソウガの胸を突いて離れた。甘い花の香りが漂う。気恥ずかしさのあまり動転してしまい、どうでもいいことを口走ってしまう。
「あ、甘酒はいかがでしたか」
「旨かった」
「よかった。ではまた作りますね」
「ハルトオ」
 骨まで痺れるような深い声色に抗えず、顔を持ち上げる。
「ゆめゆめ、油断するな。マドカ・ツミドカ・クジの悲しみは深いぞ」
 警告を唇にのせ、姿を闇に紛らわせる。
 冬の木枯らしがソウガの残り香を孕んで過ぎ去った。


      思惑に沈み


 翌日から、ハルトオは家宅訪問し、先祖代々伝わるという口伝を聴いてまわった。
 里長レンゲの命により、チャギの里全体にハルトオへの協力が呼びかけられた。里には六十世帯、およそ二百人が暮らしていたが、口伝が残されていたのは二分の一にも満たなかった。
 ハルトオはシュリの助力を得た。シュリを仲介役として、タカマを護衛に、一日二軒か三軒訪ねるのがやっとだった。
 一週間かけて二十の口伝を詳しく聞いたが成果は上がらなかった。
  はじめにシュリから聞いた話と比べ、たいして違いのない内容が繰り返された。どの家も最長老シモンの喪に服しているため空気が重く、いたたまれなかった。 中には噂を鵜呑みにし、「神聖な儀式を邪魔して祟り神を怒らせ、最長老を殺したのはおまえらだ」といきなり山刀を振りかざしてくる者もいた。シュリがいな ければ事態はもっと面倒で、危険なものになっていたに違いない。
 更に一週間で残りの口伝を聞き終えたが、やはりこれといった目新しい話は聞けずじまいだった。この間に、重篤だった相談役ダダクが死去し、シモンに続いての葬列が組まれた。更に、いったい誰が流したものか、里には新たな噂がまことしやかに囁かれた。
「祟り神はお怒りだ。ただちに生き餌を捧げなければ皆食い殺される」
 といった内容で、あまりにも悪質なため、レンゲとワセイの命令で噂を取り締まる始末だった。
 約束の期日が迫る。あと七日。残された可能性としては里長レンゲと最長老シモン、それに相談役ダダクの家系に連なる口伝だった。
 本来は里を統べる役職つきのものからはじめるのが筋だったが、諸々のごたごたや葬儀とその後片付け、事後処理などに追われて忙しそうだったため、順番を最後にまわしていた。
 ハルトオは、まず生き残っている里長レンゲを訪ねた。レンゲは憔悴して見えた。だが相変わらず気丈で、ハルトオをねぎらってから話を促した。そこでこれまでの経過報告をすると、レンゲは落胆を隠せぬ様子で重い溜め息をついた。
「そうですか……なにもわかりませんか」
 ハルトオはお辞儀したまま、慰めるように言葉を継いだ。
「で すが、まだ肝心の方々からお話を聞いていませんので、結論づけるのは早いかと思います。私ははじめから、隠された口伝が伝わっているとすれば、それは里を 実質治める家系か、裏より支える家系のどちらかであると思っていました。ただ、このたび最長老シモン殿も相談役ダダク殿も逝去されたため、口伝が残ってい るかどうか疑問なのです。が、とりあえず訊いてみようかと思っています」
「両家ともそなたは歓迎されないことでしょう。噂は無論濡れ衣ではあっても、ひとの心というものはなにかのせい、誰かのせいにしたがるもの。特にそなたは余所者で遠慮の要る間柄にない……辛い目に遭うかも知れませんよ」
「承知の上です。他人の過去をほじくり返そうというのです、よく思われないのは当然のことですよ。仕方ありません」
 ハルトオが肩を竦めると、レンゲは笑んだ。
「そなたは強いのですね」
「そんなことはありません」
「いいえ、私より遥かに強い……私もそなたのように嫌なものにぶつかる勇気があればよかった。そうすれば、いまとは違った形でここにいられたのかもしれない。こんなにも、苦しい気持ちで生きていなくてもよかったのかもしれない……」
 レンゲの老齢を刻んだ顔が苦悶に歪む。だがそれ以上、胸の内を曝け出すことはしなかった。レンゲは表情を改めて、相変わらずまっすぐに姿勢を正して言った。
「結論から申しましょう。口伝について私が言えることはひとつだけ」
 ハルトオは無言で頷き、瞳を据わらせた。
「“長役の口伝は相談役の口伝と対を成す”」
「対、ですか」
「そ うです。私は里長役を引き受けるときに長役伝来の口伝を共に継ぎました。ですが、それは私ひとりでは意味をなしません。もうひとり、相談役に伝わる口伝が 必要なのです。共に詠唱するのでなければ言葉にならない、そのため発音に注意するよう何度も徹底的に憶えさせられました」
「ハルトオ」
 思わず、タカマは口を挟む。気が昂った様子で、頬が紅潮している。ハルトオも「うん」と呼応し、またレンゲを向いた。
「あなたは、その意味をご存知なのですか」
レンゲは眼を伏せ、かぶりを振った。
「ダダク殿と合わせたことはありません。この口伝の詠唱が許されるのは、村が危機に陥ったときのみ、ただ一度だけなのです」
「危機に陥ったとき、ですか」
「不吉でしょう」
 レンゲは口角を持ち上げ、澱んだ笑みを浮かべた。
「いまがそのときではないかしらね。里に若い女は絶え、子供もいない、いるのは男だけ。祟り神は永の眠りから醒め、村の顔役も既に二人亡くなった……」
「すみません」
「なぜそなたが謝るのです」
「神を起こしたのは私のせいでしょう」
「いいえ」
 意表をつかれてハルトオは困惑した。
 横からシュリが呆れたように口を出す。
「滝壺で多少騒いだくらいで神が起きるか。初代聴き神女コトが封じ、永く鎮められていた神だぞ。その楔がそうやすやすと解けるわけがないだろう」
「でも実際に封印は解けて」
「だ から、解くだけの力がはたらいた、ということさ。まあもっとも、おまえがそれをした、というならそりゃ問題だがね。ここだけの話、当初はそれでおまえを 疑った。おまえしかいないと決めてかかってしまったんだ。だが、よくよく考えてみれば、余所者のおまえに神解きができるはずもない。それとも、したのか ね」
 勢いよくハルトオは否定した。
 膝の上で手を組んだ姿勢を崩さぬまま、レンゲがそっと呟いた。
「期日まで今日を含めても、あと七日ですね」
「はい」
「そなたたちがなにを探りあてようと、或いはなにもわからないままでも、私は、いいえチャギの民は、マドカ・ツミドカ・クジ神の審判を仰ぎたいと思います」
 ハルトオはレンゲと視線を通わせた。
 静かな眼だった。決意を秘めた、重みのあるまなざしだった。
「すべてをご存知なのですね」
 レンゲは否定も肯定もしなかった。
 ただ流れるような動作ですっくと立つと、着物の裾を翻し、背を向けた。
「そなたは祟り落としをできない。それは器量の問題ではなく、心の問題です」
「心、ですか」
「真実を知ったあと、そなたはいまと同じ気持ちではいられないはず」
「その真実とやらを、いま打ち明けてもらうわけにはいかないのでしょうか」
 それにはレンゲははっきりと首を振り、怪訝そうな一瞥を向けてきた。
「私には、なぜそなたのような利口者が、わざわざ余所の問題に首を突っ込むのか、わかりません。とても危険なのですよ。そちらの――タカマ、と申しましたね。もしハルトオ殿に傷のひとつもつけたくないのであれば、いまのうちに連れて逃げなさい」
「俺は、カジャさえ返してもらえればそうしたいのですが」
「カジャ殿は私の手の内にはない」
「では俺たちだけ逃げるわけには参りません」
 タカマが即答すると、レンゲは気鬱そうな吐息を漏らして会見を終了させ、退出した。
 すぐあとに、使用人が手をついて傅(かしず)きながら現れて、昼食の用意ができていることを告げた。
「おもてなしするようにとのことです」
「せっかくだ、相伴にあずかろう。なに大丈夫。レンゲ様の出す飯に毒なぞはいっとらん。そうすれば午後からダダク殿の家に乗り込める」
 言ってシュリが胡坐を崩し、立ち上がる。ハルトオとタカマはシュリのあとにおとなしく続いた。
「訪問承諾の返事を頂いていませんが」
「そんなもの寄こすわけがないだろう。おまえはダダク殿の家人にとっては仇だぞ。一生待ったって会って話なぞ聞いてくれるものか」
 昼食は黒豆と梅肉を潰して混ぜた炊き込み飯と、じゃがいもとねぎの汁物、甘味噌をつけて食べる根野菜の焼き物だった。
 手を合わせ、「いただきます」と感謝を捧げてから箸をつける。薄味ながら、だしなどはしっかりときいていて、味付けは申し分ない。
「昼から贅沢だな」
 ハルトオがぽつりとこぼすと、タカマも相槌を打つ。
「贅沢なのは食事だけじゃない。召し物も、調度も相当なものだ。見ろ。この箸一膳だって漆の塗り物だぞ」
 箸だけではない。碗も盆も漆塗りだ。
「なにか、おかしくないか」
「ああ。なにかがおかしい」
 ハルトオとタカマは同時にシュリを見た。
 シュリは黙々と平らげていく。疑問に答える気はないようで、二人の注視を浴びてもどこ吹く風で、平然としている。
 昼食後、三人はレンゲの住まいを後にした。その足で、亡き相談役ダダク宅に向かう。
 午後になって一段と冷えて来た。相変わらずハルトオだけ、凍えるような寒さを味わうまでには至らなかったが、辺りはうっすらと雪化粧が施され、白い。
「滑るから気をつけろ」
 タカマが手を差し伸べる。
 ハルトオは遠慮した。だが、断った傍から滑ってひっくり返りそうになった。タカマの強い腕が伸びてしっかと支える。
「素直にひとの言うことを聞けよ」
「子供じゃないんだ、手を繋いで歩けるか」
「怪我するよりましだろう」
 薄墨色の空の下、ハルトオとタカマが息も白い寒中で押し問答をしていたそのとき――まったく突然、山刀が縦に勢いよく回転しながら吹っ飛んできた。
 二人は左右にさっと退いた。
 山刀はそのまま立ち木に音を立ててめり込む。ぞっと戦慄しながら振り向くと、藁と綿の防寒具に身を包み、それぞれ得物を手にした六名の若い衆が待ち構えていた。
 タカマはハルトオの肩を掴んで身体を引き、問答無用で庇いつつ、短剣ではなく、腰に佩いた剣の柄を握り締めた。
 シュリは両手を差し上げて立ち位置を変え、こちらもさりげなくハルトオの盾となる。
「なんだ、どうした、おまえら。そんな物騒なものを手に持って」
「仇討だ。あんたに用はない。退いてくれ」
「そうはいかない。俺はこれでも客人の世話役と案内役と護衛役も兼ねているんでね」
「そいつらはシモン様とダダク様の仇だぞ」
「そりゃ誤解だ。アケノ殿から聞いていないのか。鎮魂の儀式が失敗したのは――」
「それだけじゃない。里のことも色々と嗅ぎまわっているだろう。目ざわりなんだよ」
「……ハルトオ殿は神憑きだぞ。下手に手を出せばどうなることか」
「五文字名の神なぞなんとでもなる」
「そうだ。こっちには守護神様がついておられるんだ。五文字名の神なぞ屁でもねぇ」
 タカマは剣を一気に引き抜いた。白刃がきらめく。「下がれ」とハルトオに囁きつつ、足を一歩手前にし、身体の中心線を隠す姿勢で腰を僅かに落とす。藍色の髪が突風になぶられる。瞳が冷たく底光りし、血気に逸る一味を射抜く。
「神を侮辱するとは、恐れを知らぬ者どもだ。断っておくが、俺はいまだ手負いの傷が完治してない。手加減はできんからな、死にたい奴だけかかってこい」
 安い挑発だった。だが、かかった。
 男たちは爛々と血走った眼で一声吼えると、一斉に襲いかかってきた。
「タカマ、殺すな」
「ではあなたは神呼びをするな」
「ひとりで戦うつもりか」
「シュリ殿、ハルトオの傍を離れないでくれ」 
 語気も強く言って、タカマは身動きの邪魔になる防寒具を脱いだ。投げ捨てる。これが風を孕み膨らんで、先頭を切って突っ込んできた一人目との視界をほんの一瞬、遮った。
 その隙に、タカマは素早い所作で袖口から小刀を引き抜いた。防寒具が地面にひろがる。男の全体像があらわとなる。小刀を水平に投擲する。男に避ける間はない。白刃が右の大腿部を貫く。男が短く呻いて、膝をつく。
  タカマはすぐさま身を屈めた。続く二人目、三人目の顔に土くれの混じった雪つぶてを命中させる。怯んだところへ踏み込んで、山刀を握る利き腕を斬りつけ た。鮮血と悲鳴。更にタカマの身体がふっと沈み、捻られ、長い足が強烈な回し蹴りを加える。男たちが吹っ飛ぶ。仰向けにどうっと倒れたところへタカマが いって、正確に鳩尾を狙い、踵を落とす。血反吐を吐く。痙攣し、悶絶する。とどめは刺さないまでも、力加減に容赦がない。
 タカマの身のこなしは 滑らかだった。明らかに場慣れしていて、格の違いは一目瞭然だ。四人目の山刀と、タカマの剣の刃が音を立ててかち合う。腕力の拮抗はほぼ五分。タカマは真 剣に力勝負に出た相手に対し、押し負けたとみせかけて、足を払った。「おわっ」と喚いて、男の身体が後ろに傾ぐ。タカマは剣を逆手に持ちかえて、柄を無防 備な胸の中枢に叩き込む。衝撃に四人目が白眼を剥く。
 五人目と六人目は、思わぬタカマの手強さに急襲を途中でやめ、前後に分かれ、慎重に間合いを詰めてきた。タカマは冷めた表情で一旦は迎撃の姿勢をとったが、気を変えた。
 足元に大の字に伸びる四人目の男へ向けて顎をしゃくる。
「シュリ殿、この男の名はなんと言う」
「ヒルメ」
「よし、ではヒルメの命が惜しければ退け」
 タカマは失神する男の首に無造作に右足をのせ、体重をかけた。
「よせ」
「やめろ」
 五人目と六人目の襲撃者が慌てて叫ぶ。
「手を退くか」
 男たちは凶悪の極みに達した顔でタカマと対峙した。
「卑怯だぞ」
「人質なんて汚ねぇな」
 タカマは動じない。
「多勢に無勢で押しかけてきておいてよくそんなことが言えるな。恥ずかしくないのか」
 男たちは歯ぎしりしながら得物を手放した。
「シュリ殿、回収してくれるか」
「おう」
 同じ里の仲間であるシュリのことも、凄い剣幕の眼で睨む。だが、抵抗はない。
 タカマは足を退かした。二歩、下がる。
 男たちはタカマから眼を離さず、頭を大事に扱って、ヒルメを肩に担ぎあげる。
「目的はなんだ。仇討とは、本当か」
「余所者がチャギに関わるな」
「女をおいて男は出て行け」
「おまえたちこそ、そいつら連れてとっとと帰れ。里の客人相手によくもこんな恥さらしな真似をしてくれたな。このことは、里長と守長に報告するぞ。せいぜい懲罰坊入りを覚悟しておけ」
 シュリが一喝すると、六人の若い衆は散々悪態をつきながら去った。
 タカマは手拭いで刃の血の汚れを拭き、剣を鞘に収めた。
 ハルトオはタカマの防寒具を拾い、雪と泥を払ってから手渡した。
「ああ、すまん」
「大丈夫かい」
「この通りね」
「でもさっき、怪我が完治していないって」
「嘘も方便だろ。ああ言ったほうが敵の動きが大雑把になって油断を誘える」
 タカマは受け取った防寒具を着込みながらも、ぶるっと震える。怪我は完治したとはいえ病み上がりの身だ、この寒さはこたえる。
 ハルトオにも寒くないか訊ねようとして目線を上げたところ、そこにあったのは目尻を釣り上げた怒り顔だった。
「……なぜ不機嫌なのだ」
「……心配したのに」
「俺を、心配したのか」
「普通するだろう。私を庇ってひとりで無茶をして――なにをにやにやしているんだ」
 ハルトオの指摘にタカマは手で口元を覆ってそっぽを向いた。気が今頃になって高揚してくる。
「だからどうしてそこで赤くなる」
「……見るな。放っておけ。ちょっと嬉しいだけだから……」
 不審そうに顔を覗き込もうとするハルトオの額を軽く押しやる。ハルトオが文句を言う。
 二人がわあわあと小競り合いをはじめたところで、呆れたようにシュリが割って入る。
「じゃれている場合か。どうする、ダダク殿の宅へはこのまま行くのか。ケチがついたからやめるのか」
 ハルトオは躊躇した。眼が自然にシュリの足元に放置された山刀に吸い寄せられる。
「里人があんな調子では、ダダク殿のお宅を訪ねたところで、穏便に済みそうにないな。罵られるぐらいはどうってことないが、怪我人が出るのはいやだし……どうしようか。困ったね」
 白い雪に赤い血の痕。死人が出なかったのはさいわいだが、次があれば、わからない。
 欲しいのは、確かな情報。それを早急に得るためには……。
「そうか」ハルトオは思わず柏手を打った。「困ったときの、フジ神様だ」
「待て。神は呼ぶなと言っただろう」
「呼ばないよ。ソウガのもとに坐すからちょっと助言をいただくだけさ」
 タカマは思わずハルトオの手首を掴んだ。
「やめておけ。神の助言は高くつく」
「大丈夫」
「……あなたは本当に言っても聞かない性質のひとだな。おとなしくて慎ましいかと思えば、時々無鉄砲で、大胆で、見ているこちらがはらはらする」
「そうかな」
「そうだ」
「手を放してくれないか」
「ひとりで無謀をしない、先走らないと約束するなら放してやる」
「わかったよ。あなたもたいがい心配性だ」
 タカマと行動を共にするようになって、晩秋から初冬へと少し季節が進んだ。さほど長い時を一緒に過ごしたわけではないが、色々あって、お互い信頼を寄せるようになっていた。はじめの頃の遠慮もあまりなくなり、しょっちゅう些細な問題を引き合いに、角を突き合わせている。
 昨夜、ハルトオは生い立ちと、なき故郷での生活をかいつまんで語った。 タカマの口は固かったが、無理に訊くことはやめておいた。
 いつか、自分から話してくれるのを、待つつもりだった。
「さがって、跪いて静かに」
 シュリは神と同席することを拒み、さきほどの襲撃の一件をワセイ殿とレンゲ様に報告してくると言って、さっさとこの場を離脱した。
 ハルトオは胸に手を置き、呼気を整えた。不思議と緊張がない。心が凪いでいる。
「智謀の神フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神よ。お訊ねしたいことがございます。私の声が聴こえるならば、どうかお応えください。繰り返します」
「繰り返さずともよい。聴こえておる」
 一陣の強い風が吹いた。地吹雪となり、雪煙がほんの束の間、視界を覆う。それがおさまったあとに凛然と佇んでいたのは、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神。十文字名の神だった。
 薄茶の糸のように細い長い髪を根元で結い、薄茶の覇気を秘めた瞳、表情は皆無、着物は藍染、帯は朱金。この空気も凍てつく寒さの中でも、すこぶる軽やかな出で立ちだな、とハルトオはひそかに感心した。
「我に何用だ」
 敢えて、挨拶もせずに用件を述べる。
「この里の昔の様子を――実情を――知りたいのですが、それを知るためのよい手段はありますか」
「大楠(おおくす)に訊け」
「大楠、ですか」
「あの道をいったところに、樹齢二千年の古木がある。そなたの求める答えの役に立とう」
「さっそく行ってみます。ありがとうございました」
 そのまま一礼して立ち去りかけたハルトオの背に、「待て」と声がかかる。
「我の助言をただで済ますのか」
「だって、あなたは私の学問の師で、私はあなたの弟子です。困ったことがあれば頼れと、おっしゃったではないですか。昔――私がオルハ・トルハを離れるときに」
 無言のまま、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神の表情が微妙に変化する。物々しい感じが失せ、厳格な印象はそのままに、近しいものを見る眼となる。
 ハルトオはフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神の足元に膝をついた。
「不肖の弟子で申しわけありません」
「なにを謝る」
「諸国を旅して時間が経つと、オルハ・トルハで過ごした日々が夢のように思えて……どの神々とのご縁も遠くなったように思えたのです」
「名を預けただろう」
「はい。でも、私、怖かったんです」
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神の眼が鋭く細められた。
「……あの一件のためだな」
 ハルトオは無意識のうちに腹を押さえた。
「それもあります」
「だが、そなたは彼奴を罰することを望んでいないと言って我らを止めた。気が変わったのか。そうであれば、我らは動くぞ」
「いいえ。それはだめです。その件とは関わりなく、私が怖かったのは……」
 心の内側を覗き込む。
 神国オルハ・トルハは遠く、ひとの世はあまりにも欺瞞に満ちていて、危険はすぐ隣にあり、安らぎの地はどこにもなかった。
「…… 私が怖かったのは、神々につれなくされることです。呼んで、応えてもらえなかったら悲しい。忘れられていたら、寂しいではないですか。私は……ただの、な んの取り柄もない人間なので……私が思うほどには、神々は私のことなど考えていないに違いないと、そう思うようになってしまったんです」
 言いながら、自身で納得した。
 神々は恐ろしきもの。
 恐れ敬う存在であり、安易に使役してはならぬ。
 幼き頃の教えを反復しては言いきかせ、いつしか他の聴き神女同様、神々との間に一線を引いていた。
「でも……この間、オルハ・トルハで過ごした日々の夢を見たんです。あなたも、出てきました」
「ほう」
「それで、ふっと思ったんです。もしかしたら、疎遠になったように思うのを寂しいと感じるのは、私だけじゃないのかな、って」
「なぜそう思う」
ハルトオは腹部に掌をあてたまま、笑んだ。
「ソウシ・イラツメ様もカゲツ・タカネ様もあなたも、呼べば来てくださった。二文字名の神々は私が呼ばなくてもしょっちゅう顔をみせてくださいますし、守ってくださいます。そしてどなたも、私に非道な要求はなさらない……」
「神が皆、そなたの味方と思うな」
「はい」
「だが、そなたを慕わしく思う神も少なくない」
「あなたも、ですか」
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は腕を組んだ。
「我の教えを憶えているか」
 ハルトオは緊張した顔で首肯した。
「知 力は最大の武器となり、盾となる。どんな知識も無駄なものはひとつもなく、ただし、知識は蓄えるだけでは得たことにならない。必要なときに必要な力が使え てはじめて、意味を為す。そのためには精神と肉体も鍛えることを疎かにしてはならず、つまるところ、智・心・体はひとつであることを学び、精進することが 大切だ、と教えをいただきました。なかなか、万事が万事そううまくいかないことも多いですが、精進はしております」
「そうか」
 どことなく弾んだ声。
 あまり滅多に見られない柔和な微笑がその口元に浮かんでいる。
 ハルトオは小さくなって詫びた。
「あんなによくしていただいたのに、恩義も忘れ、勝手に恐れ、素気ない態度をしてしまい、すみません……」
「よい」
「あの」
「なんだ」
「……ソウガを、よろしくお願いします」
「わかっている」
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神はハルトオに手を差し伸べ、ゆっくりと立たせた。
「口ではうるさいだの、鬱陶しいだのと言っても、あれで結構寂しがり屋なので、知己の方が傍にいるのは嬉しいと思うのです」
「……あの御方には困ったものだ。そなたにかまけると、己のことはほとんどかまわなくなるゆえ、我が世話を焼くしかあるまい。たとえ迷惑だと睨まれ、邪険にされてもな」
 呼びだしてこのかた、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神はソウガの傍を離れない。
 ソウガが「あれは喧しい」と苦言をこぼしたのをきっかけに知ったのだが、「侍る」と言う宣言通り、あれこれと細かな面倒を見ているようだ。
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は真顔に戻って口調を改め、言った。
「心せよ。大楠には、姿なき神が宿っている」
 更に続ける。
「そなたが暴く真実は、決して気持ちのよいものではない。覚悟することだ」


   第四章 愛するということ 


      大楠(おおくす)

 その大楠は、里の神木として祀られていた。
 樹齢二千年、周囲二十四メグ、高さ三十メグの巨大な楠で、幹は雄々しくうねり、猛々しい枝ぶりは圧巻だった。
 チャギの里のほぼ中央にあり、東西南北に赤い鳥居が建っている。鳥居から鳥居へ太いしめ縄が張り巡らされ、均等に魔除けの木札が吊り下がっている。
「結界だね」
 ハルトオは袖から清めの塩を取り出し、自分とタカマに振りかけて、まじないを切った。
「いいよ、入って」
「いまのはなんだ」
「結界超えのまじない」
 ハルトオは手を合わせ、丁寧に一礼して、慎重にしめ縄を持ち上げ、潜った。ここから先は神の領域だ。
「それで、これからどうする」
 タカマはハルトオの背に立って言った。
「ちょっと、この木の気脈に潜って来る。タカマはここで待っていてくれ」
 防寒具の頭巾を外してタカマに押しつけながら、とっとと行きかけたハルトオの襟首を、タカマの指がひょいと摘む。
「待て。ちょっと、どこへなにしになにをするって言った。わかるように説明しろ」
「猫の子のように扱うな」
「猫の子より始末が悪い」
「なぜ」
「危険を避けて通らない」
 ハルトオはもぐもぐ口を動かした。
「別に……危険なんてないよ」
「では俺も連れて行け」
「いや、それは……」
「ひとりでは行かせない」
 どすの利いた声と顔で凄まれる。
 ハルトオは渋々、降参、と両手を上げた。
「あなたは本当に年下か。年長者に対する態度じゃないね、偉そうで」
「あなたは本当に年上か。頼りなくて危なっかしくて、手間がかかる」
「……おまけに口も悪い」
「ぶつぶつ言うな。聞こえているぞ。さあもう一度、今度はきちんと説明してくれ」
 ハルトオは蒼穹を突くように聳え立つ、どっしりとした楠の大樹を見上げた。見れば見るほど壮観だ。おそらく、長い歳月、ひとびとの手によって大切に保護されてきたのだろう。
「わかりやすく言うと、この木と波長を合わせてね、記憶を覗きに行くんだよ。この世のすべての生きものには魂が宿り、それぞれ気脈が流れている。気脈と言うのは、人間でいうと、血液にあたるかな」
「血に、記憶が残されているのか」
「血液は例え。なんて言えばいいかな、命を巡る力、命を命とする力……口ではうまく説明できないけど。霊格が高い生きものはそのまま神になったり、神が宿ったりする。この大楠は、後者みたいだ。眼には見えないけど、神の気配を感じる……」
「姿なき神が、坐すのか」
 ハルトオは眼で頷く。
「その気脈に記憶を覗きに行く方法は」
「神を否定せず、呼気を合わせる」
「俺にできるか」
「できなければ、おいていく」
 ハルトオの返事は明瞭で無情だった。
 タカマは顔を顰め、やけくそ気味に腕捲りをした。
「はじめようぜ」
「……慣れていないと、だいぶ苦しいと思う。それでも行くかい」
「ああ」
 ハルトオは諦めたように大仰に溜め息をついて、左手でタカマの右手を握った。
「絶対にこの手を離さないで。それから眼も開けないように。迷子になるよ」
「眼を開けないでどうやってものを見る」
「心の眼で」
 無理だ、とは言わず、
「……やってみよう」
「じゃ、おいで」
 ハルトオはタカマを誘い、大楠のすぐ傍へといった。空いているほうの手を添え、幹に額をくっつける。
「タカマも真似てくれ。呼吸と鼓動を私に重ねるように落ち着かせるんだ」
 はじめ、タカマの動悸が激しくなかなか合わなかったが、次第におさまって、しばらく経つと二人の息がぴったりと重なった。
 その瞬間をハルトオは逃さなかった。
「姿なき神に申し上げます。我が名はハルトオ。マドカ・ツミドカ・クジ神とチャギの娘サイ、及び当時の里長の息子クラヒについて詳しく知りたいのです。もしなにかご存じであれば、どうか教えていただけませんでしょうか」
 名乗りを上げ、用向きを伝え、息を細めてじっと待つ。
 だが反応はなにもなく、失敗か、と思われたそのとき――突然、もっていかれた。
 身体から精神体がずるっと引き摺り出され、足の爪先から糸の如く細い、光る尾を引いたまま、大楠の内側をなぞるように昇ってゆく。
 白濁とした道なき道、時折、強い光が弾ける空間を、ゆるやかにひたすらに上昇していくと、やがて、周囲に画が投影されはじめた。
 それは万華鏡のように、くるくると、映像を切り替えていく。視点は定まっているものの、時間の経過が順不同のようで、色々の場面が展開されていく様を懸命に追っても、正しく理解に及ぶのは至難の技だった。
 わかったことと言えば、在りし日のサイとクラヒの容姿、そしてマドカ・ツミドカ・クジ神が祟り神となる前の、ひとの形を模した姿だ。
 サイは小柄で、長い黒髪を頭のてっぺんで結った、眼の大きい、頬のふくよかな、愛嬌のある優しい顔だった。
 クラヒは上背があり、腕力と脚力の自信にみちた身体つきの、それでいて顔は細面、繊細そうな糸目の男だった。
 マドカ・ツミドカ・クジ神は、中肉中背、黄髪に碧眼、白い肌、とおよそ目立つ外見に無愛想で不器用、口下手なようだった。
 そしてシュリに聞かされた口伝に反して、三人とも仲が良かった。里人とも関係は良好のようで、切れ切れに映る交流の様子に、不穏な影などは見当たらなかった。
 一変したのは、嵐の夜だった。
 闇の中、黒い空に白い雷光が幾重にも閃く。
  当時より既に神木であった大楠の根元、無数の矢を浴びてうつ伏せに斃れたサイと、腹部に山刀がめり込んだまま仰向けに死んでいるクラヒ。泣き叫ぶ小さな 娘。そして、憤怒と憎悪と嘆きに歪んだ形相で叫ぶ、片腕のないマドカ・ツミドカ・クジ神。対峙する、狂気に憑かれた眼の多勢に無勢の武装した里人衆。少し 離れたところから見つめる、神事のための白装束を纏った若い女。
 最後に見た場面は、付け根より切断されたマドカ・ツミドカ・クジ神の腕を胸に抱きかかえて、転がるように逃げ去る、壮年の男の気のふれた嗤い顔だった。
 直後、引き込まれたときと同様、急に一気に戻される。
  その反動は強烈で、ハルトオはどうにか持ちこたえたが、タカマはその場に意識不明で失神した。息がない。ハルトオはすぐさま気道を確保して人工呼吸をし た。五度目に、ようやく息を吹き返す。だが、次に痙攣を引き起こし、びくびくと腰が跳ねた。心臓は破裂寸前まで膨張し、大きく速く脈打つ。顔色も青紫から 白く冷め、また青紫に変化する。
 ハルトオは決死の呼びかけを続けた。タカマの呼吸が徐々に細くなり、死相が深まっていく。
「だめだ、戻ってこい、タカマ」
 手を掴む。渾身の力を込めて握りしめる。
「生きろ、お願いだ、死なないでくれ」
 祈りも空しく、容体が悪化の一途を急速に辿っていく。抜けた精神体が肉体とうまく結合していないのだ。
 このままでは――。
 ハルトオは泣きながらタカマの名を叫び続けた。
 いつのまにか現れたソウガの手が、ハルトオの肩に優しくおかれた。
「タカマが死んでしまう」
「助けたいのか」
「助けたい」
「命を操作できる術はない。だが、そちの思いを届ける手伝いくらいはできよう」
 ソウガはハルトオの手に手を重ね、優しく包んで、そのままタカマの胸の真ん中にそっと押しあてた。
「声の言葉でなく、心の言葉で呼ぶがよい」
 ハルトオは頷いて、乱れた呼吸を整える。手から伝わるソウガの温かさが支えになった。
 タカマ。
 ハルトオは瞼を閉じ、一切の雑音を排除して集中した。

 タカマ、戻れ。
 死ぬな。
 生きてほしい。
 生きてほしいんだ。
 私のもとに、戻れ、タカマ。

 全身全霊をもって解き放ったハルトオの叫びが、黄泉路を覗きこんでいたタカマを貫いた。その刹那、ほんの僅かに身体より浮いていたタカマの精神体が、有無を言わせぬ勢いで、押し込められる。
 ややあって、タカマの頬に赤味が差し、心音も平常となり、痙攣もおさまった。ハルトオが真剣に息をひそめて見守る中、薄く眼が開き、瞼がゆっくりと持ち上がった。
「よかった」
 思わず、ハルトオはタカマの胸に突っ伏した。
「どうした」
 億劫そうに声を絞り出し、ハルトオの頭をためらいがちな手つきで撫ぜる。
「泣くな」
「泣くか、ばか」
「さがれ……危ない」
 警告に、はっとなる。
 瀕死のタカマにばかり気を取られていたが、いま感じるこれは、まぎれもない殺気だ。
 振り向いた先に、守長ワセイ以下、チャギの守衛が包囲を完了していた。弓に矢をつがえ、狙いをこちらに定めている。
 咄嗟に、ハルトオはタカマの前に身を投げ出し、手をひろげた。
「……阿呆、退け。逆だろう、俺が庇われてどうする」
 ハルトオは退かなかった。
 暗雲が立ち込める。
 陽が陰り、凍った風が吹き荒ぶ。気温がぐっと下がる。そして雪がちらつきはじめた。
 音もなく、ソウガとフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神がハルトオの前に並び立つ。
 ソウガは容姿に相応しく、黒い着物に黒帯、黒の履物、黒い宝石を身につけていた。華やかで寡黙な美貌は、いつにも増して厳しい。
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は気がつけばソウガの傍に控えていた。こちらの恰好はさきほどと同じく、ただ顔つきだけが異なり、冷淡で高圧的だった。
 神の威嚇に、さしものワセイもやや怯む。
 神が相手ではあまりにも分が悪い、と逡巡し、どうするかと判断をつけかねていたところへ、思わぬ者から待ったがかかる。
「なにもしないでください」
 ハルトオだった。
「こちらからは、なにもしないで」
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神が無言で不満げな一瞥を流す。ハルトオはかぶりを振った。
「向こうにはカジャがいるんです。こちらからなにかして、とりかえしのつかないことになったら困ります」
「賢明ですね」
 チャギの守衛の列が整然と横に分かれる。ゆっくりと姿を現したのは、白の祈祷装束を纏った聴き神男アケノだった。
そして、
「ハルトオ――」
 舌足らずの喚声と共に、前方に腕を伸ばした恰好で、カジャが全速力で駆けてくる。
 赤い絹の面をつけ、金の刺繍をあしらった赤い着物に赤い帯、赤い手袋とわらじの草履は特注だろう。髪はきちんと二つに結われ、赤い椿の飾りが可愛らしい。
「カジャ」
「ハルトオ、ハルトオ、ハルトオ」
 抱きあげると、首にしがみついて泣きじゃくった。ハルトオもきつく抱きしめた。
 また一段と軽くなった。
「怪我は治ったんだね」
「うん、カジャ、元気」
「よかった」ハルトオは布越しにカジャに頬ずりした。「よかった……」
 アケノが微笑む。
「お約束通り、カジャ殿の怪我がよくなりましたので、お返しします」
「ありがとうございます」
「はい」
「ですが、これはどういうことですか」
「どう、とは」
「なぜ私たちが命を狙われなければならないのです」
「だって、見たのでしょう」
 アケノの微笑が深まる。だが、その眼は笑っていない。光のない瞳孔、闇の深淵を覗いたかのような双眸は、まともではなかった。
「あなたがたは知りすぎた」
 丁寧で落ち着いた口調とは裏腹に、目の前の男は変質していった。地味で目立たず、華奢でひとの善い男から、チャギの黒幕足りうる、歴史の暗黒面を担う恐ろしい存在の男へと。
「この里のことに首を突っ込みすぎたのですよ。神木の内でなにを見たにせよ、口外はしてほしくない」
「私たちをどうするつもりです」
「親切に教えて差し上げる気はありません」
 アケノは片手を持ち上げた。
 一斉に弓が引かれ、再び臨戦態勢となる。
「おとなしくなど、捕まりませんよ」
「それはどうでしょうね」
 機先を制される。
「カジャ、来なさい」
「え」
 呼ばれて、カジャはハルトオの腕を振り切って、アケノのもとへと取って返した。
「カジャ」
 カジャはアケノの足にしがみついて、ハルトオに呼ばれても振り返らなかった。
「カジャ――どうして」
「ね」
 アケノが朗らかに、勝ち誇ったように、せせら笑う。
「おとなしく捕まる気になりましたか」
 ハルトオはカジャに無視された衝撃のあまり、呆然とした。言葉もなにも出てこない。再会の喜びを味わったのは、ほんのついさっきのことではないか。
 降参の旗を振ったのは、タカマだった。
「わかった、好きにしろ」
 アケノの眼が狡猾に閃く。赤い袖が口元にあてられる。にこやかに、愛想よく、アケノは言った。
「では、神々は一旦お引き取りください。なに、ご心配なく。僕も名のある神々を敵に回し、不興を被り、祟りを受けたくはないので、ハルトオ殿にひどいことは致しません。一時的に身柄をお預かりするだけですよ。ことが済むまで、ね」
 かくて、ハルトオ、タカマの二人は囚われの身となった。
 マドカ・ツミドカ・クジ神が月の眠りより解放されるまで、残るは六日である。

      地下の牢獄

 ハルトオは地下の土牢にただひとり、幽閉されていた。
 タカマは別に連行され、カジャはいまにも泣き出しそうな顔をしながら、アケノに手を引かれていった。
 蜜蝋に灯る小さな火が隙間風にゆらめく。
「タカマの言うとおり、厚着していて正解だったな」
 毛織の襦袢に藍色の着物と濃紺の帯、黒の外套の上に防寒具を着込み、かんじきのついた履物を履いていた。それでもまだ寒い。
 土牢には真新しいむしろが敷かれ、寝具一式と火鉢が用意され、水差しと食事が差し入れられていた。捕虜の待遇としては悪くない扱いだ。
  だが、穢れていた。神々は地上、地中、地下、どこにでも坐すものだが、忌み嫌い、近寄らぬ場所もある。それは神の血が流された土地で、不浄の地とされ、神 呼びも神下しも効果が見込めない。聴き神女を力ごと封じる手段としては最適の場といえよう。加えて、穢れた存在の祟り憑きを監禁・拘束するにも相応しい。
 じっと火影をみつめ、ハルトオは色々のことを考えていた。首から下げて、服の下に隠している木の腕輪を取り出す。昔、十三歳の誕生日に贈られた悪神避けの腕輪だ。いまは小さくなって嵌められなくなったので、革紐を通し、首から下げて肌身離さず身につけている。
 あのとき、誓った。いつかひとの役に立つ聴き神女になると。神々の声を聴き、神々のために、ひいては親しいひとびとのために、立派な聴き神女になるのだと……。
 ハルトオは自嘲気味に笑った。定住しない聴き神女は身元の不確かさからなりそこないと呼ばれ、世間では冷遇の対象となる。特別の力を持ちながら、還元することを怠っているとみなされるのだ。それゆえ、ハルトオはよほどの場合を除き、聴き神女を名乗らぬまま旅をしてきた。
 神国オルハ・トルハで多くの高位の神々の恩寵を受けながらの、この体たらく。
「……情けないなあ」
 呟きは闇に吸い込まれる。
 いつか神々に恩返しをしたいと思い、細々と神の小言を聞いたり、雑事や願いをかなえ続けて幾歳月……あまり役に立っていないのが現状だ。
 腕輪をしまう。
 役立たずの力不足の聴き神女。
「……それでも神の嘆きを聞いてしまった以上、見過ごせない。私如きがなにをできるかわからないけど、放っておくわけにはいかないんだ」
「……なんのことだ」
「いや、こっちの話」
「待ったか」
「それほどは」
「怪我は」
「ないよ。あなたこそ無事か」
「おかげさまで、この通りだ」
 暗闇からタカマが現れる。
 別れたときのままの恰好で、手には鍵束がある。錠の前に屈み込み、一本ずつできるだけ音をたてぬよう、鍵を試していく。
「よく抜け出せたね。どうやったんだい」
「仮病を装ったのさ。牢番を中まで引き込んで、殴り倒した。猿轡をして手足を縛り、服を取り替えて、頭から寝具を被せてきた。それで、拘束する布が手持ち分で足りなかったから、あなたからもらった赤い額布を使ってしまった。すまない」
「別にいいよ」
 そこでタカマは一瞬口ごもった。
「本当は、あの布は大切なものだったのだろう。俺などに寄こすべきものじゃない。だいぶあとで刺繍を見て気づいたのだが、あれは結婚を前提とした男女が、婚約の証に交換する飾り布だろう」
「……まあ、そうなんだけどね。でもいいんだ。渡したい相手には渡せない代物だし、縫ってはみたけど、ずっと長い間持っていただけだから」
「……恋人からもらったものではないのか」
「違うよ。私が拵えたものさ。第一、恋人なんていないよ……」
 タカマは自身でも驚くくらいの真剣さで食いついた。
「しかし、ソウガ神はどうなのだ。あなたのことを妃がどうとか、言っていただろう」
「ソウガは恋人じゃない。私がソウガの妃になるなんてありえないよ」
「そ、そうか」
「だけど――特別だ」
 ハルトオの口元がやわらかく綻ぶ。瞳は優しく澄み、清らかで美しい。
 鍵穴に八本目の鍵を挿し、回す。
 かすかな嫉妬を覚えながら、タカマは平生のふりをして、訊く。
「特別、って……どのくらい」
 手応えがあった。
「あまりにも特別だ。あ、鍵、開いたんじゃないか。よし、行こう。まずはカジャを探さなきゃ。たぶんこの近くにいるはずだ。ここは祟り憑きや聴き神女の力を抑制するにはもってこいの条件が揃っている。私が先頭を歩くから、タカマは後ろを頼む」
「灯りは」
「必要ない。私は夜眼が利くから」
「この暗闇の中で、見えるのか」
「そういう訓練を積んだことがあってね」
「……あなたも謎の多いひとだな」
「あなたほどじゃないよ。私はあなたのこと、ほとんどなにも知らないじゃないか」
 身体に無数の傷痕を負う男。武人並みに戦い慣れしているものの、血腥くなく、どこか悠然としている。意外に博識で品格もあり、気性はといえば、心配性で口喧しく、お節介なのに、余計な詮索はしない。
 掴めそうで、掴めない。読めそうで、読めない。不可解この上ない。
「だいたい、神に物怖じしないなんて、どういう育ちかたをしたらそうなるのかね」
 詰るわけでもなく、さらっと言って、ハルトオは屈伸をして、伸びをした。長いこと同じ姿勢でいたせいで、身体が強張っていた。
「あのな」
 不意にタカマに腕を掴まれ、そのまま軽く引き寄せられる。間近に仰いだタカマの眼は、傷を負い、苦しむ者特有の悲壮さがあって、いつになく気弱だ。
「俺のことが、聞きたいか」
「別に無理にじゃなくていい」
「……無理じゃない。話すよ。全部は無理かもしれないが、少しずつ。知って欲しいんだ、あなたには……」
 ハルトオは頷いた。慰めたい気持ちになって、タカマの首に腕をまわし、抱き寄せ、とんとん、と背を叩く。暗がりに花のような笑顔が咲く。
「楽しみにしている」
 身体を離す。
「まずはカジャを助けよう。カジャがあんな態度を取るには理由があるはずだ」
「……確かに心配だな。あの子は幼いながらもあなたを守る気持ちが強いから、なにか、あなたを盾に脅迫されたのかもしれない」
「私もそう思う」
「急ごう」
 土牢はずっと奥まで続いていた。奥へ進むほど、ゆるやかに傾斜している。いまは水源が枯れたものの、その昔は地下貯水路だったと推測された。
思ったよりも規模が大きく、深かったが、通気孔があるのだろう、呼吸は苦しくない。独房の数も相当数に上った。ひとの気配はなく、長いこと使用されていないらしい。湿気とカビと土の臭い。血の気配が濃密に漂うのは、ここで多くの犠牲者が出たことを物語るものだった。
 ハルトオは房をひとつひとつ覗いていった。
 タカマは追手を懸念しながらぴったりとついていった。
  だいぶ経った頃、前方がかすかに明るみを増した。慎重に道を辿り、広い空間に突きあたる。ハルトオは腕を真横に伸ばし、立ち止まった。眼を凝らす。ここが 当時の貯水池だったに違いない。奥行きも穴の深さも申し分ない。天井はなく、相当な高みでぽっかりと口をあけている。頭上に星が輝く。外は雪も止み、晴れ ているようだ。山の地下水を引き込むと同時に雨水を溜めていたのだろう。深さがあるのは氷結対策かもしれない。
 丸太を使った人工階段を見つけ た。タカマに目配せし、こっちだと促す。真新しい土の足跡がある。ごく最近、ひとの往き来があったのだ。滑落に注意しながら、降りていく。地上との距離 は、眼測りで三十四メグ、地下七階だ。最下段の先は、岩盤をくりぬいた通路だった。狭い。だがここも、換気はされている。よほど緻密な設計のもとに通気孔 が配置されているに違いない。しばらく行くと、円盤状の石の扉があった。
「タカマ、動かせるか」
「さがってくれ」 
 タカマは大きく深呼吸して、気を溜め、右から左へ、一気に押した。渾身の力を出し切って、ようやくひとがひとり通れるくらいの隙間ができる。
「やるじゃないか」
「どういたしまして」
 しかしこんな扉があっては、一旦閉じ込められたが最後、女子供は逃げられない。
「この先だ」
 ハルトオは直感した。気が急く。だが、後ろからたしなめられる。
「焦るな」
 どこかから、微かに瀑布の音が聞こえてくる。するとここは、神域の滝壺の近くなのか。
 ぎくりとして、立ち止まる。
 なにか、いる。
 禍々しい気配。戦慄に見舞われる。この先の、尋常じゃない空気の重みに足が竦み、動けない。
 ハルトオの異変に気づき、タカマは強引に前後を入れ替わった。
「どうした」
「なにかいる」
「なにがいる」
「わからない……だけど、恐ろしく穢れたものだ」
 タカマは二本の短刀を鞘から抜いた。自分の武器は没収されたので、牢番から拝借したものだ。山刀も手に入ったのだが、慣れていなければ使い勝手が悪そうで、そちらは断念した。両手にそれぞれ構える。
「見て来る。あなたはここにいろ」
「ひとりでは危ない。一緒に行く」
「……たまにはひとの言うことをおとなしくきいたらどうなのだ。いいから、待っていろ」
 苛ただしげに凄まれて、ハルトオは渋々頷いた。
 タカマは両肘をゆるく折り曲げ、独特の構えで短刀を翳しながら、若干前のめりの姿勢で歩を進めていく。足取りは強靭で、その背に隙はなく、戦風が取り巻いているようだ。
「……本当に何者なんだ、あのひとは」
 思わずぼやいてしまった口を掌で覆う。
 少しずつ話すと言ってくれた。いまは待てばいい。
 ハルトオは前方を見据えた。闇。だが闇は問題ではない。そこに巣食うものが問題だ。
 常人の眼には見えない、感じ取れないもの。赤黒い汚泥。血と腐敗。死と怨念と狂気。それらが混沌として渦巻いている。なによりも、低い音量ではあるが、獣じみた叫びや喚声が地を這うように響いてくる。
「ハルトオ」
 気がつけば、タカマが近くまで戻っていた。
「なにがあった」
「来てくれ。たぶん、ひと、だと思うのだが呼んでも返事がない」
 だがハルトオは自力でその境界を越えられなかった。脂汗が首筋を伝う。先にいったタカマがまた引き返して来た。
「どうした」
「……すまない、空気が悪くて……わあ」
 タカマはひょいとハルトオの足をすくい軽く抱き上げ、難なく一線を越えた。
「あそこだ」
 遠目にはわからなかったが、右手に横穴が二つ、左手は大きめの土牢が連なっていた。気味の悪い悲鳴は横穴から聞こえてきて、タカマが指差すのは逆の土牢のひとつだった。
 タカマが角灯を掲げる。小さな灯りに照らされた鉄格子の向こう、蹲っているのは若い娘のようだ。背を伸ばしたまま、正座をしている。
 膝に置かれた手が、闇の中でも白い。
「おろしてくれ」
 タカマは残念そうにハルトオを放した。
「四カ国語で話しかけたが、通じないのだ」
「……四カ国語、って。つまりあなたは、全大陸言語を操れるのか」
 一般教養の範疇を遥かに超えている。
 ハルトオが信じられないものを見る眼でタカマをしげしげと眺めると、タカマは手を振って憮然と応じた。
「そんなことはどうでもいい。とにかく、意志の疎通がならない。どうする。助けるか、放っておくか」
「待て、いま呼び戻す」
「……なにを、どこから」
「その身体には御霊がない」
「神呼びはできないのでは」
「神は関係ない。いいから、黙れ。私に触れるなよ」
 ハルトオは眼を瞑り、合掌し、呼気を整え、その場で跳ねた。
 一度、二度、三度。
 三度目に肉体を離れ、水脈のような光る糸をひいて、件の身体に近づき、そこから伸びる光を目指して追っていった。
 光は割合すぐ近くに留まっていた。水底に沈む黒い大蛇神のすぐ傍に寄り添うように。ハルトオがまとわりつくと、驚いたように弾けて、消えた。
 
      真実

 ハルトオが眼を開けるのと、土牢の中の娘が口をきくのにほとんど時差はなかった。
「誰だ」
 威厳の据わった声だった。
「私はハルトオと申します」
 娘は眼を閉じたまま、指摘した。
「腹の中身はどうした。そなたも神の肉を求めてやって来た輩か」
「いいえ。私はひとを探しているのです」
「チャギの地にひとはいない。それを知らぬとあれば、そなた余所者だな」
「ひとはおります。少ないですが」
「チャギの民はひとではない。地上にいるは、ひとの形をした異形だ。そして地下には、ひとの形を失った異形のみ。この妾(わらわ)のように」
 娘が上体を動かすと、腰から下がくねってあらわになった。かつては足であったものが変形し、蛇の尾のような鱗状のものになっている。
 さっと血相を変えて、タカマがハルトオを引っ張る。
 娘は暗く嗤って言った。
「ひとはおらぬ。疾(と)く帰るがよい」
「あなたはどなたです。チャギのことに詳しいようですが、もしマドカ・ツミドカ・クジ神についてなにか御存じであれば、お伺いしたいことがあるのですが」
「聞いてどうする」
「お助けしたいのです」
「手遅れだ。マドカ・ツミドカ・クジ神は祟り神と化した。あれほど黒くなってはもうどうしようもない」
「黒くなっても、生きて坐します」
「そなたは何者ぞ」
「なりそこないの聴き神女です」
「妾はコト。チャギの初代聴き神女である」
 ハルトオとタカマは顔を見合わせた。
 タカマが真面目な調子で言った。
「……初代、というと、ずいぶん長生きだな」
「この身は既にひとに非ず」
 ハルトオは膝をついて、手をついた。
「あなたがマドカ・ツミドカ・クジ神を他神の力をもって封じたチャギの初代聴き神女コト殿ならば、すべての事情をご存じのはず。どうか教えてください。昔、マドカ・ツミドカ・クジ神とサイ及びクラヒ、更にはチャギの里に、いったいなにが起こったのですか」
「知ってどうする」
「マドカ・ツミドカ・クジ神の祟り落としをしたいのです」
「なんと。それは並大抵の気力ではできぬ。この妾とて、できなかった。歴代の聴き神女・聴き神男、いずれも挫けた。アケノさえ力及ばず――なのに、うら若きそなたにできるというのか」
「やってみなければわかりませんが」
 ハルトオは無意識のまま、腹を撫でて言った。
「私は神々に大恩ある身です。お役に立てるならば、労は厭いません。ただ、祟り神となった神をもとに戻すことは本当に容易ではない。私は、マドカ・ツミドカ・クジ神が祟り神となられた経緯も理由もよく知りません。それがわからなければ、落とせるものも落とせないでしょう」
「知れば、後戻りできぬ。それでもよいのか」
「はい」
「そのほうは、どうする。関わり合いになりなくなければ、去ね」
 タカマの答えは簡潔だった。
「聴く」
 コトは呆れたように嘆息した。
「たわけ者ばかりだな」
 タカマは「まったくだ」、とひとり呟いた。
「そなたらはどこまで知っておる」
 ハルトオはシュリから聞いた話の概要を復唱し、大楠で見た映像の一部始終を説明した。
 聞き終えて、コトは一呼吸おいてから話しはじめた。
「口伝は誤っておる。肝心な部分が省かれておるし、マドカ・ツミドカ・クジ神は殺戮などしておらぬ。それに、そなたらが大楠で見た場面には続きがあるのだ」
 コトの表情が憂いのこもったものとなる。
「まずサイだが、サイは選ばなかったのだ。クラヒとマドカ・ツミドカ・クジ神の両方を愛することに決めた。他ならぬ神が、待つと申し出てくれたのでな」
「待つ、ですか」
「そ う。クラヒのもとに嫁にいってもよい。ただ、いつまでも待つから自分のもとにも来てほしいとな。サイとクラヒは祝言を上げた。五年が経った頃、娘を授かっ た。更に五年が過ぎた。クラヒは妻と娘を伴い、マドカ・ツミドカ・クジ神のもとを訪ねた。かの神が落ちた、あの滝壺だ。その日はちょうど一年の収穫を祝う 豊穣祭の前夜で、里中が活気づいていた。当時世間を席巻していた流行り病も、チャギの里ではひとりの患者も出てなかった。里では神々への感謝のため、盛大 な祝いの宴を用意して翌日に備えていた。そんな中、クラヒは妾が儀式の事前の支度中にやってきた」
 コトは息継ぎをして、続けた。
「あな たのおかげで皆が幸福だ。娘が十四になり、成人した暁には、サイをあなたのもとに送り出そう、とクラヒは言った。神はひとの姿になって、こう応えた。では 我はいましばし時を待とう。その娘の成長を見守りながら、と。そのときだった。当時の里長ヤシカが十余名の武装した手勢を連れて、おしかけたのは」
 タカマが押し殺した声で訊いた。
「……なにが起きた」
「こ れは、あとになってわかったことだが、この日の午後も遅く、ヤシカの妻が産気づいた。ヤシカにとってははじめての子だった。が、死産だった。難産の挙句死 産だったため、妻も気落ちし、危篤に陥った。ヤシカは妻も子も諦めきれなかった。そのヤシカの耳に、ちょうど行商で里を訪れていた者がある入れ知恵をし た。神の肉は死人を蘇らせ、血はどんな病にも効く、と。ヤシカは跪いてマドカ・ツミドカ・クジ神に懇願した。神は首を振った。死んだ者は返らぬ。ひとが私 の血肉を食めば、ひとでなき者と化そう、と」
 先を読んで、タカマが首を竦めた。
「だが、ヤシカは諦めなかった」
「そう。ヤシカ は食い下がった挙句、サイとクラヒの娘を人質に取り、二人に神を説得するよう脅した。二人は聞き入れず、ヤシカを宥めようとした。ヤシカは神に矢を向け た。このとき既に気がふれていたのかもしれぬ。矢は放たれ、命中した。神を庇った、サイの胸に。攻撃の手は止まなかった。神に山刀が振るわれた。クラヒが 庇い犠牲になった……」
 痛ましそうな声が萎んでいく。ハルトオは大楠で目撃した場面を思い出した。
「神は怒ったでしょうね。守り、慈しんできた民に裏切られたのですから」
「…… 嵐になった。激しい雨が降り、雷鳴が轟いた。神の心中を具現化したかのように。だが、神はまだ抑えていた。二人の娘が囚われたままだった。そこで神は腕を 斬り落とし、娘の身柄と交換を申し出た。ヤシカは腕を拾って逃げた。娘は身の危険を感じた他の者が連れ去った。残されたのは、サイとクラヒの亡骸と、傷つ いた神だけ」
 あえて感情を抑え、タカマは先を促した。
「結局、ヤシカの子と妻はどうなったのだ」
「どちらも亡くなった」
「では神の腕は」
「行商が買っていった」
「買った、だと」
 語尾が荒く跳ね上がる。
 コトの声がより低く落ちた。
「悲劇はこれで終わらなかった。間をおかず、サイとクラヒの娘が流行り病に罹った。経緯は不明だが、マドカ・ツミドカ・クジ神の血を舐めて治った。噂は蔓延し、チャギの里には大陸の方々からひとびとが押し寄せた。神は拒まなかった」
「ぞっとするな」
「異 形が出たのは、しばらく経ってからだった。はじめ気がふれて、ある日を境に身体が崩れる。生まれてくる子は奇形ばかり。とうとう西の公主の討伐に遭った。 チャギの民は不浄の者としてこの山から出ることを禁じられ、チャギの民であることの証にやきごてを捺しつけられた。当時は頬に、いまも足裏に」
「娘はどうなったのです」と、ハルトオ。
「なぜ誰も止めなかった」と、タカマ。
 コトは疲れたように長い息を吐いて、首を回した。
「娘 は死んだ。神の血は強すぎる。いっときは身体が活性化されても、長くはもたない。浸食されて、死ぬか、狂うか、異形の身に成り果てる。完全に適合する者な んて、ほんの僅かであろう。この地下はそのために造られた。おかしくなった者は皆ここに収容された。不幸にも血が合えば、恐ろしく延命される。聴こえるだ ろう、あの声がそうだ。地底の奥底で、いまもまだ這いつくばって生きながらえている。かく言う、妾もその一部だな」
 ハルトオは腑に落ちなかった。
「聴き神女のあなたが、神の血を自ら口にするとは思えません」
「一部始終を目撃した妾は、幽閉され、無理矢理、神の血を喉に流し込まれた。いっとき霊格が上がり、その力でこのソウ山の守護神ハマリ・マダリ・ユダリを呼ぶことができた。妾はマドカ・ツミドカ・クジ神を封じるよう神頼みした。神封じは成された。だが、祟られた」
 コトは鱗状の下半身をくねらせた。
「神を裏切り、害し、食み、売り、拘束した。その罪に加担させた。ハマリ・マダリ・ユダリ神はチャギの一族を祟った。妾は神の声を聴いた。あの天地が割れんばかりの恐ろしい声……」
 ハルトオの身体がぐらりと傾ぐ。タカマは身を屈め、腕を伸ばした。ハルトオは無意識のまま、タカマにしがみつく。
「神は……なんと言われたのですか」
「それほど我らの血肉を欲するならば、死ぬまで食らうがよい、と。絶やしたが最後、狂い死ね、と」
 ハルトオの指と爪がタカマの腕に食い込む。顔を見ると、形相が変わっていた。気が動転し、蒼褪めて、いまにも倒れそうだ。
「や がて、奇形でも、女の子が生まれなくなった。余所から連れて来た娘でも、神の血肉を食まなくても、男の子しか生まなかった。チャギの里は廃れていった。長 いときが過ぎて、外から里に迷い込んだ二人の娘が、女の子を産んだ。チャギの里は喜びに沸き返った。祟りは落ちたのだと、誰もがそう信じた」
「いいえ。祟りは落とさぬ限り、落ちない。どこまでも断てないものです」
「妾 もそう言った。だが既にそのときはこのような異形の身。誰も耳を貸さなかった。チャギは生き延びた。なれど、妾には苦しみが長引いたとしか思えぬ。それか ら後も、いよいよ女が絶えようかというときに、どこかから娘が迷い込み、女の子を産む。生まれた女の子は穢れた血の里の男の子を孕み、チャギは滅びること なく、罪を重ねていく」
 タカマはぴしゃりと言った。
「罪とは、神の肉の売買を続けていることか」
 ハルトオがびくっとする。
 タカマはハルトオをぎゅっと抱きしめながら、コトに疑念をぶつけた。
「なにかがおかしいと思っていた。こんな山中の辺鄙な里にはすぎた贅沢品に裕福な暮らしぶり。耕作地はないし、希少鉱物でも掘削しているのかと思ったが……くそっ。のうのうと飯を食っていた自分が嫌になる」
 コトは項垂れた。
 タカマは更に問い詰めた。
「闇の売買は終わらない。金ヅルがある限り。誰が元締めだ。里の奴らは、承知の上なのか」
「……そうでなければ、こんな山奥でなにもせずに、豪勢に暮らせるわけがない」
「罪だ」
「大罪だ。露見すれば、チャギは再び断罪されよう。それゆえアケノは、もう随分前から隠蔽工作を図っていた」
「アケノ殿が、なにを企んでいる」
 コトは顔を伏せたまま、告げた。
「神殺し」
「……なんだと」
「すべてを闇に葬るために。アケノはいま一度、このソウ山の守護神ハマリ・マダリ・ユダリを神呼びし、マドカ・ツミドカ・クジ神を殺すように、神頼みするはず」
「殺してどうする。祟りは」
「マドカ・ツミドカ・クジ神は覚醒した。どのみちもう肉は奪えない。だが死ねば奪える」
「神の死肉がなんになる」
「神をも殺す毒に。世間は毒に弱い。より致死力のある毒を欲する者のなんと多いことか。アケノはマドカ・ツミドカ・クジ神の死肉を売って、その大金を持って一族の移住を考えている。新しい土地で、すべて一からやり直すのだと」
「祟りは断てない。どこまでもついてくる。それがわからぬアケノ殿ではないでしょうに」
 ハルトオが顔を上げる。さきほどより、やや落ち着きを取り戻している。
「教えてください。チャギを祟ったのがハマリ・マダリ・ユダリ神ならば、マドカ・ツミドカ・クジ神の負う祟りとは、なんです。私が落とそうと思っている祟りとは、いったいなんなのです」
 コトはそれまでと打って変わった厳かな口調で言った。
「マドカ・ツミドカ・クジ神の祟りは、己が身に向けられている」
 ここにいたって、はじめてコトは瞼を開けた。
 眼球がない。眼窩は空で、ただぽっかりと穴があいている。
「サイを、神でありながらひとを愛した我が身を祟ったのだ。そのことがすべての禍(わざわい)をもたらしたのだと、そう嘆いているのだよ」


      覚醒


 ハルトオはしばらく蹲ったままだった。
 里長レンゲの言葉が脳裏に反芻される。
 ――祟り落としをできない、それは器量の問題ではなく心の問題だと。真実を知ったあとで、同じ気持ちではいられないだろう、と。
 事実、その通りだった。
 神(かみ)食(は)みの一族、チャギ。
「……許せない……」
 眼の前が怒りで真っ赤になる。嗚咽が込み上げる。激情に、はらわたが煮えくりかえる。こめかみが引き攣る。眼の奥が熱くなる。悔し涙が、こぼれる。
 ハルトオは拳を地面に叩きつけた。
 マドカ・ツミドカ・クジ神の慟哭はいかばかりだったろう。
「な ぜ、神の愛をないがしろにできるんだ。裏切られ傷つけられても、神はひとを赦す。だからこそ、ひともまた誠実に応えるべきなのに。ひとは神に甘え、頼りす ぎる。奔放に振る舞い、限度を知らない。そんな身勝手のために、なぜ神が身を貶めなければならない。なぜ神が、祟り神などにならなければならないんだ」
「……ハルトオ、と言ったか。そなたは、神々と親しいのだね」
 ハルトオは微かに首肯して、涙を手の甲で拭った。
 コトは眼のない窪みをハルトオへ向けながら、諌めるように言った。
「だが、神々にあまり深入りしてはいけない。いずれ戻ってこられなくなるよ。そうでなくとも、神々に愛でられし者は破壊の対象になりやすいのだから」
「……眼がなくても、わかるのですか」
「気配でね、わかることもある。特に神の御技は痕が残るゆえ。顔はきれいに馴染んでいるが、その腹……神に抉られたね」
「神に近づきすぎた、私の過ちです」
「気をつけることだ。そなたは、神に好まれる性質のようだ」
 コトは再び瞼を閉じた。
「これからどうする」
「放ってはおけません」
 すっくと立つ。
 身の内を、彷彿と血が滾る。
 ハルトオは、かつてないほど激昂していた。
「祟 り神となった経緯がどうあれ、祟りが他を侵すものでなくとも、いまこのとき、命を狙われているのでしょう。神殺しなど見過ごせませんし、許せません。ハマ リ・マダリ・ユダリ神にも、同族殺しなんて汚名を着せたくない。アケノ殿がどれほど一族のためを思っていようと、余所者の私には関係ありません。私は私の 勝手でマドカ・ツミドカ・クジ神を助けたい。ハマリ・マダリ・ユダリ神を止めたい。神をひとの好きにさせてなるものか」
「このまままっすぐ進めば、滝の裏手に出る。
アケノはそこにおる」
「はい」
「サイとクラヒの娘の名は、カドマ」
「逆名ですね。私と同じだ」
 言って、ハルトオは疾風さながら身を翻し、脇目もふらず、下り坂を走りはじめた。
 タカマは慌てて鉄格子に飛びついた。
「妾のことは放っておけ」
「こんな場所にひとり残しておけまい」
「よい。妾より、アケノを頼む。あの男は善くもないが、悪い者でもない。神罰を受ける覚悟で神殺しを企んだ、愚か者なだけよ。あれは、本当は優しい男なのだ。こんな異形に堕ちた妾にも、気を遣うほどに」
「女に優しいのはあたりまえだ」
 けんもほろろに言い捨てて、タカマは持っていた角灯と鍵束は格子の内側に置いた。
「俺はなにも約束できない。一応、気には留めておくが、情けは期待しないでくれ」
「そなたもまた、優しい男だ。いけ。あの娘を死なせてはならぬ」
 タカマはハルトオを追って走った。暗闇が纏いつく。視界が利かない中を前に進むということは、こんなにも恐ろしいものなのか、と光のありがたみを思い知りながら、それでも足を止めなかった。
 前方に、光が見えた。
 激しい水音。かすかな振動。湿気を含んだ新鮮な空気の流れ。タカマが転げるように坂を下りきって飛び込んだ場所は、半円を描く広い洞穴だった。
ちょうど滝の真後ろで、瀑布を背面から眺める位置である。足元には滝壺のほぼ半分が口を開け、ゆらゆらと水面がゆらめいている。明るさの加減からして、午後の半ば、というところだろう。
 ハルトオは短い黒髪を乱したまま、対峙していた。手は自然体で両脇におろし、胸をすっと張って顎を僅かに引いている。足をぴたりと岩床につけた芯の通った姿勢は、毅然として勇ましい。
 無事な姿に安堵して、タカマは無言のまますぐ背後についた。ハルトオの視線を辿る。その先に、カジャがいた。
「カジャ」
 タカマは思わず叫んだ。
 カジャはアケノの傍にいた。なぜか、白い祈祷用の衣装を纏っている。白布の面をつけ、頭に長い白い帯を巻き、刺繍を施した肩帯を掛け、手には白手袋、足は白足袋、白い数珠を下げている。
 アケノも同じく白装束で、洞穴の中央、滝壺に面した位置に設けられた祈祷台に立っていた。
 祈祷台は、前回の鎮めの儀式と同様、先端が輪になり、そこにしめ縄を通して互いに繋いだ長い鉄棒ニ十本に取り囲まれていた。しめ縄には、神呼びのための霊力増幅の札が下がっている。魔除けの篝火が左右合わせて八つ焚かれているものの、どこにも祟り除けの旗がない。
 ハルトオとアケノは視線を絡めたまま、動かない。
 痺れを切らして、タカマは怒鳴った。
「そこから降りろ。カジャを返せ」
「……ひと聞きの悪いことを言わないでください。僕はカジャを捕らえてなどいませんよ。ほら」
 アケノは白手袋を嵌めた両手を差し上げた。白い数珠が、珠ずれの音をたてる。
「カジャ、来い。ずっと心配していたんだぞ」
「行きなさい」
 カジャは不安そうな眼で何度もアケノとタカマを交互に見やった。そのたびに、面隠しの白布がふわふわする。
「さあ」
 アケノに肩を抱かれ優しく促されて、カジャは頷いた。ぴょん、と祈祷台を飛び降りるなり、全力で二人のもとに飛び込んできた。
「ハルトオ、ハルトオ、ハルトオ」
「俺は無視か」
「タカマ、タカマ、タカマ」
 カジャはハルトオに飛びつき、タカマはハルトオごとカジャを抱きしめた。
「よかった、間に合って」
「いえ、間に合っていませんよ」
 タカマはハルトオとカジャを背に匿いながら、祈祷台に佇むアケノを睨んだ。
 吹き込んでくる風に、アケノの白い衣装がはためく。篝火の朱色の火が揺さぶられる。薄茶の髪が幾筋か舞う。
 アケノは微動だにしない。
 物静かな様子がかえって不安を掻きたてた。
 取りあえず、力ずくでもタカマがアケノの身柄を押さえようとしたときだった。
 ハルトオの眼が大きく見開かれた。
「まさか、もう」
 呟きは、直後に起こった大震動のため掻き消された。
「伏せろ」
 タカマはハルトオとカジャを抱きかかえた。
 地面はなにかとてつもなく粘着力の強いものが剥がれるような感覚で揺れ、頭上から岩の破片と土砂が降る。
「退け、タカマ」
「だめだ、じっとしていろ」
「これは地震じゃない」ハルトオは急いて言った。「神が目覚められたんだ」
 ハルトオが起き上がったときには、アケノの姿はどこにもなかった。祈祷台は天井の岩が大きく剥がれて落下したため、半壊状態だ。周囲の鉄棒も揺れの衝撃で倒れたり、斜めになったり、篝火も半分が消えている。
 ハルトオは「カジャを頼む」とタカマに言いおいて、素早く彼の腕から逃れると、滝の正面側に続く小道に向かい駆けていった。
「おい、ハルトオ」
 舌打ちし、罵りながら、タカマはカジャをひょいと持ち上げた。幼い顔が驚きと恐怖のため変に歪んでいる。
「びっくりしたな、大丈夫か」
 後頭部の泥を払ってやりながら、小さな肩をあやすように叩く。
 細い咽喉が上下する。
「カジャ、平気」
「よし、強いぞ」
「カジャ、強いもん」
「いい子だ。なあ、訊いてもいいか」
「うん」
「あそこでなにをしたか、憶えているか」
 カジャは半壊した祈祷台を見て、身を竦ませた。だが泣きもせず、懸命に言葉を紡いだ。
「アケノのお手伝いをしたの。カジャ、助けてもらったから。アケノはいいよって言ってくれたけど、困っていたから。ハルトオ、困っている人は助けてあげてねって言っていたから、だから」
「お手伝いって、なにをしたんだ」
「神様を呼んだの。このお山を守っている神様。鳥の神様だって言っていたよ」
 ハマリ・マダリ・ユダリ神だ。
 タカマは先にいったハルトオが心配になった。無茶をしていなければいいが。
「他になにか言ってなかったか」
 カジャは小首を傾げて黙り込み、すぐにぱっと表情を明るくした。
「鳥の神様が黒い蛇の神様をやっつけるって。神様の喧嘩がはじまったら危ないから、早く逃げなさいって。あと、ハルトオとタカマのこと褒めていたよ。強くて優しいって。正しいひとを見たのは久しぶりだって、にこにこしていた」
 カジャはタカマの肩によじ登った。
「でも喧嘩はだめなんだよね」
「そうだな」
「みんな仲良くしなきゃだめなんだよ」
「ああ、そうだな。その通りだ」
 タカマは微笑み、カジャを肩車したままゆっくりと立ち上がった。
「じゃ、神様の喧嘩を止めに行くか」
 タカマとカジャが滝壺の外に出たとき、ちょうどハルトオはアケノと取っ組み合いの最中だった。
「おいおいおい」
「あー、喧嘩だー」
 どうどうと流れ落ちる瀑布には虹がかかっていた。
 初冬の午後は日暮れが早い。空は淡く紫がかり、降り注ぐ光も透明よりは色合いが濃く、金褐色に辺りを照りつけている。
 地下の暗がりから一見穏やかな風景の中に出て、ほっとしたのも一瞬で、タカマは顔を顰めた。
 滝の手前、薄く雪の積もった正面の空き地にて、ハルトオがアケノを殴り倒し、上背のある身体に跨る恰好で襟首を締めている。
 どうも優勢だったので、手出しは必要なさそうだった。小道に沿って滝を迂回する。
 傍までいって、タカマはカジャを肩から下ろし揶揄した。
「喧嘩はだめなんじゃなかったのか」
「時と場合による」
「女が殴り合いなんてするなよ」
「うるさいな。いいから、そいつに猿轡をして木にでも縛っておいてくれ。放っておくと、なにをしでかすかわかりゃしない。私は忙しいんだ」
 タカマはカジャの額から白い帯をほどいて、抵抗するアケノを近くの木立ちまで引き摺っていった。
 アケノは吐き捨てるように言った。
「ハマリ・マダリ・ユダリ神は覚醒された。ほどなくここへ来るでしょう。マドカ・ツミドカ・クジ神は力敵わず死す。いまからなにをしようとも無駄なことです」
「ハルトオはそうは思ってないみたいだぜ」
「あなたがたに関わり合いになったのが間違いでした。さっさと叩きだせばよかった」
「いや、一応助かったぜ。カジャも俺も。まあ、なにがなにやらおかしな具合になったが、世話になった分は働くさ。ここで黙って見ていろよ」
 布を咥えさせる。ところが、木に縛ろうにも縄がない。仕方ないので、鳩尾にきつい一発を見舞い、更に両足の膝関節を外した。アケノの表情が苦痛に歪む。
「じゃあな」
 戻ると、ハルトオはカジャと押し問答をしていた。
「いまから恐い神様がここに来る。危ないから隠れていなさい」
「いやあ。カジャ、恐くないもん。カジャ、ハルトオと一緒にいるんだもん」
「カジャ、お願いだから――」
 突然、上空に影が射した。
 強烈な神気が漲って、空気が張りつめた。
 ハルトオは息を詰めて頭を擡げた。
 太陽を遮って、大きく翼をひろげる黒い巨鳥。力強い肢体にほっそりとした頭部が優美で、黄昏の光を浴びて眩しそうに眼を細めている。
 ハマリ・マダリ・ユダリ神の降臨だった。
 悠然と旋回し、滝壺に焦点を定めると、空中で翼を休め、次の瞬間一際強く羽搏いた。頸が伸びる。眼が猛る。頭部からまっしぐらに滝壺めがけて直進して来る。
 ハルトオは怯まなかった。それどころか、面と向かって腕をひろげ、呼ばわった。
「お鎮まりを、ハマリ・マダリ・ユダリ神よ」
 だが無情にも訴えは届かず、黒い巨鳥の神はそのまま矢の勢いで水に潜った。
 ハルトオは激しい水飛沫を頭から被り、びしょ濡れになった。構わず馳せ寄って、滝壺を目深に覗き込む。水面が不安定に凸凹する。
 水底で、ハマリ・マダリ・ユダリ神がマドカ・ツミドカ・クジ神を襲っている様子がぼんやりと見てとれた。
 悪態をつきながら、ハルトオは腕で顔を拭い、声を大にした。
「フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神にお頼み申す」
「叫ばなくともよい。ここにおる」
 束ねた薄茶の長い髪を肩より垂らし、臙脂(えんじ)の着物に濃い紫色の帯を合わせ、履物は着物と揃いの草履という出で立ちで、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は現れた。
「ひとつ訊く」
「はい」
「聴き神女として我を呼ぶのか」
 はい、と即答しようとして睨まれていることに気後れする。機嫌が斜めなことが一目瞭然で、ハルトオはちょっと考えてから、おずおずと言った。
「……あの、もし、ただの私のわがままだったらどうなのでしょう」
「わがままか」
 なぜか嬉しそうである。
「仕方のない奴だ」
「……よいのですか」
「弟子のわがままをきくことも、師の務めのひとつだろうな」
 そうだろうか、と疑問に思う。
 だがハルトオは神の配慮を甘受することにした。
「さあ、わがままを申せ」
「マドカ・ツミドカ・クジ神の月の眠りを解いてください。そしてこの近辺一帯に結界を張って欲しいのです」
「承知した」
 十文字名の神は右手を持ち上げ、腰の位置に掌を下にかまえた。左手の指を二本揃え、胸の前で右から左へ、左から右へ、空を斬る。
 右手が抑え込みを解放する所作をした。続けて、左右両腕を胸の前で交差し、まっすぐに伸ばした。
「これでよいか」
 物足りないといった風情で吐息したフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神にハルトオが礼を言いかけたとき、俄かに騒動が持ち上がった。神域で禁足地であるはずのここへ、チャギの里人がどっと押し寄せたのだ。先導しているのは守長ワセイで、中には身重の聴き神女ツバナもいる。
「なんでいま来るんだ」
 ハルトオのぼやきが聞こえたかのような間合いで、滝壺の水面に黒い影が浮上した。神気が膨張し、炸裂する。マドカ・ツミドカ・クジ神とハマリ・マダリ・ユダリ神が絡み合い、互いに喰らいつきながら一気に躍り出た。
 咆哮。
 鼓膜が破れかねない凄まじく甲高い威嚇が二つ、大気を揺るがした。
 黒い大蛇神と黒い巨鳥神は空中で激しくぶつかりあった。どちらも我を失い、黒い血を滴らせながら死闘を繰りひろげる。
 地上では悲鳴と喚声をあげながらチャギの民が右往左往していて、恐怖の中にありながらも神々の戦いから眼を離せずにいた。
「タカマ」
 ハルトオは濡れた防寒具と外套を脱ぎ捨てて、藍色の着物一枚になった。
「里の皆を頼む。私に近づけないでくれ」
「わかった」
「カジャ」
 ハルトオは言い澱んだ。
「隠れていなさいって言っても、きかないか」
「恐くないよ」
「私は恐いよ。でも神様たちをあのまま喧嘩させておくわけにはいかない。止めようと思うんだ。力を貸してくれるかい」
 カジャは嬉しそうに万歳した。
「カジャ、お手伝いする」
 タカマは自分の黒い外套を問答無用でハルトオに羽織らせた。
「気をつけろ」
「あなたも」
 タカマは了解、と片手を上げて背を返し、ちょうどこちらへやって来るワセイに真っ向から向かっていった。
 ハルトオは視線を感じて振り返った。
 闇そのもののような黒い装束に身を固めたソウガが立っていた。
 美しく深い黒の双眸に光が閃く。流れるような動作で差し伸べられた神の手に手を重ね、しばし見つめ合う。
「申せ」
「連れていっていただけますか」
「何処なりとも」
 ハルトオは上空を仰いで言った。
「空へ――神々のもとへ」
 置き去りを察知したカジャは慌ててハルトオの足にしがみついた。その小さな身体をソウガの腕がすくい、肩にのせる。
「行くぞ」

 
      裁きの日


 ソウガはカジャを肩にのせ、ハルトオを胸に抱いて、緩やかな軌道を描いて舞い上がった。地上のどんな鳥よりも速く、ほとんど時を必要とせず、相争う黒い大蛇神と巨鳥神の間近に迫る。
 マドカ・ツミドカ・クジ神のかっと剥かれた瞼のない黄色い眼は狂気を宿していた。縦横無尽に円形の頭部を動かし、尖った牙でハマリ・マダリ・ユダリ神の羽根に覆われた身体を喰い千切った。
 またハマリ・マダリ・ユダリ神も怒りに我を失った様子で、鋭い爪を剥き、飛び跳ねながらマドカ・ツミドカ・クジ神のうねる巨躯を引き裂いて血まみれにしていく。
「もっと近くに」
 ソウガは戦闘のど真ん中に割っていった。
 猛々しい咆哮と悪臭の洗礼を浴びる。
 ハルトオは叫んだ。
「神々よ、お鎮まりを」
 マドカ・ツミドカ・クジ神もハマリ・マダリ・ユダリ神も止まらなかった。
 マドカ・ツミドカ・クジ神は縦に口をひらいた。先端がわかれた赤い舌が覗く。
 ソウガはふっと急上昇し、後方に離れた。
 火炎が爆裂する。巨大な火の塊が吐き出され、ハマリ・マダリ・ユダリ神を襲った。
 黒い翼が大きく上下する。旋風が巻き起こる。炎は散じ、鋭い風が刃となってマドカ・ツミドカ・クジ神を斬りかかる。
 ハルトオは、フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神に結界を張るよう頼んでおいてよかったと、心底思った。そしてこの大乱闘が空中戦で助かった、と。もしもこの熾烈を極める攻防が地上で展開されたら、ひとの営む世界など、瞬く間に滅亡してしまう。
 ハルトオはカジャを見た。手で鼻と口を押さえてすっぱい顔をしているものの、しっかりしていて、眼が合うと頷いた。
 ハルトオは微笑んだ。
 いつも、驚かされる。子供は日に日に強くなる。はじめて奴隷市で会ったときの、心もとなさそうに自分を見上げていたあの子はどこだろう。
「カジャ」
「なあに」
「大好き」
「カジャもハルトオ、大好きー」
 ハルトオはカジャと心の芽を結んだ。幼い柔らかい心に、不釣り合いな強大な力。金剛石のような鮮烈な輝き。聴き神女としての潜在能力は、まさに天賦の才だ。
 この力が、神々を引き寄せた。美の神ベニオ・タイシ・オウジュの眼に留まり、鳥の神に見込まれ、祟られた。この先もまだ同じことが起こるだろう。生き抜くには、神を知ることが必要だ。
 ハルトオは呼気を整えた。
「一緒に神様を呼ぶよ」
「うん」
 カジャの制御の利かない力が奔流となってハルトオに流れ込む。ハルトオは全神経を集中した。二神の心を探る。探りながらも、神呼びを放つ。撥ねられる。もう一度。だがやはり撥ねられる。
 ハルトオは一旦神呼びの態勢を解いた。息が切れる。拒絶された反動で、消耗が激しい。
 再度試みても、通じない。
「だめだ、異常に興奮していて声が届かない。鎮まってもらわないと」
「申せ」
 ソウガがじれったそうに言った。
 ハルトオは意地を張るのをやめた。
「できますか」
「愚問だ」
「お願いします――神々を鎮めてください」
 かつてなく、ソウガは笑みらしい笑みを浮かべた。
 ソウガは空いている左手で自身の影から一片をすくった。影はたちまち膨張し、掌から泡のように大量に溢れた。黒い影の泡はソウガの足元に平らにひろがり、人智を超える物質として固まって、長方形の巨大な天蓋と化した。
 ソウガはその中央にふわりと着地し、ハルトオとカジャを降ろした。
「……なにをするんです」
 ハルトオは不安極まりなかったが、カジャは無邪気に面白がっている。
 問いには答えず、ソウガは着物の袖に手を通し、両腕を軽く組んだ。悪戯を秘めた一瞥をハルトオにちらりと流すと、とん、とひとつ足踏みした。
 天蓋は、落ちた。
 真下にいたマドカ・ツミドカ・クジ神とハマリ・マダリ・ユダリ神は吸い寄せられるようにこれに付着する。ハルトオとカジャもまた、重力の反動を受けながらもくっついたまま、一気下降した。
 髪が逆立ち、着物の裾が捲れる。ハルトオはこれを押さえるのに必死で恐怖も吹っ飛び、カジャは「きゃー」と歓声を上げながら大喜びだった。
 黒の大蛇神と黒の巨鳥神をひっつけて下敷きにしたまま、天蓋は大音声を轟かせて、地上に墜落した。
 
 この出来事の少し前、タカマは守長ワセイを相手に一戦交えていた。
 ワセイは山刀を振りまわし、タカマは両手に短剣を構え、じりじりと立ち位置を変えながら、互いの隙を窺っている。
 タカマが仏頂面で言った。
「おとなしく引っ込んでいてくれないか。いま取り込み中なんだ」
 ワセイが鼻を鳴らして答える。
「なにも知らんくせに、余所者が出しゃばるな」
「なにも知らないわけではないが」
「なお悪い」
「まあ、そうだな」
「退け。神がお怒りだ。鎮めなくちゃならん」
「……あんたは強いが、俺の敵じゃない」
 言って、タカマは攻勢をたたみかけた。手首を返し、拳をワセイの顎先に叩き込む。ワセイがのけ反る。足にきたところへ、すかさず蹴り倒し、まだ立てないうちに山刀を奪った。河の濁流に放り込む。
 それでカタがついたように、タカマは短剣を鞘に戻した。
 ワセイは雪上に大の字になった。
「……俺を負かして、勝ったつもりか」
「勝ち負けじゃない。ハルトオの邪魔にならなければいいんだ」
 ワセイはちょっと首を動かし、タカマの顔を見た。私欲のない眼を前に、逆らう気持ちが失せていく。
「……なぜ、マドカ・ツミドカ・クジ神を起こした」
「俺たちが起こしたわけじゃないと、レンゲ殿やシュリ殿は言っていたが、違うのか」
「なんだって」
「マドカ・ツミドカ・クジ神を起こしたのは私です」
 背後から近づいて、そっと言ったのは聴き神女ツバナだった。ワセイの傍に膝をつき、身体を起こすのを手伝いながら、諦観したような面持ちで淡々と喋り続ける。
「なにもかもが嫌になったのです。すべてを滅ぼしたかった。終わりにしたかったのです」
「俺たちの子供まで巻き添えになってもか」
「そのつもりでした。でも、まさかハマリ・マダリ・ユダリ神まで覚醒して、マドカ・ツミドカ・クジ神と争うなんて思わなかった」
 ツバナは涙を流した。
 ワセイがぎょっとして、あたふたする。
「……神々が争う姿は悲しい。なぜでしょう、とても悲しいのです」
 着物の袖を涙で濡らして泣き崩れるツバナは、身籠った女性特有の神秘的な美しさに包まれていた。
 タカマは眼を逸らした。胸苦しさを感じた。ツバナに地下道で見たハルトオの泣き顔が重なって、落ちつかない気分になった。ワセイが動揺するのも無理はない。どうして男は女の涙に弱いのだろう。
 黄昏の空の中、黒い点が二つ、飛び交っている。時折赤い光が弾けているのは、炎だろうか。
 タカマは思ったままを口にした。
「間違っているから、じゃないか」
「……俺たちは間違っているか」
「たぶんね」
「理由は」
 タカマはワセイを正面から見据えた。
「誰も幸せそうじゃない」
 真面目な顔でまともに言われて、ワセイは胸を衝かれた。しばらく押し黙った末、寒さに凍えたツバナの手を握る。優しい温もり。
「……なぜだ。チャギは、豊かだろう。俺たちはどこで間違ったんだ」
 ツバナはかぶりを振った。
「誰 もが餓えず財があれば豊か、ということではないのです。チャギの過ちは、過ちを認めず罰を受けなかったこと……レンゲ様は既に覚悟を決めておられます。私 が、マドカ・ツミドカ・クジ神を神解きした旨をご報告したときも、驚きもせず、審判を仰ぎましょうとだけおっしゃいました」
「アケノ様はそんなことはなにもおっしゃってなかったぞ」
「アケノ殿は、また違うお考えだったのでしょう。私にはその胸中を推し量ることなどできませんが……あの方はあの方でチャギのことを考えた末のこのたびの神呼びなのです」
 ツバナの眼は空に向けられ、いっそうもの寂しげだった。妻であるひとのそんな顔を見て、ワセイは己の無力を痛感した。
 激しい混乱と失意と悲哀に頭を抱えながら、ワセイは苦悶の問いを放った。
「間違いは、正せるのか」
「そのためにハルトオはいった」
 また無茶をしていなければいいが、と気を揉みながらタカマが目線を空に戻したとき、視界に、なにか異様なものを捉えた。
 黒く巨大な怪しいものが、暴れ狂うマドカ・ツミドカ・クジ神をとハマリ・マダリ・ユダリ神を鷲掴みにし、抑えつけるようにして、真上から直下してくる。
「逃げろ」
 タカマは必死に叫んだ。ツバナを抱きかかえる。走る。雪で滑り、何度も転びかけたが、そのたびに踏ん張った。すこし遅れて、ワセイが転げるように全速力で、ただしあまり速くはない、追ってくる。
 次の瞬間、大陸全土に轟くような音をたててそれは墜落した。

 大地に凹みができて、亀裂が奔る。雪煙と土煙が濛々と立ち込める。神々の悲鳴か、鼓膜をつんざくような甲高い不協和音が近くの木々を薙ぎ倒す。風圧でひとびとは吹っ飛ばされる。なにもかもぶっ飛ばされる。
 無傷だったのは、黒い天蓋の上部にいた者のみ。
 不気味に静まり返った沈黙の中、ソウガは袖から手を抜いて、ハルトオに差し伸べた。
 ハルトオはというと、腰を半分抜かした状態でへたり込んでいた。
「どうした」
「……どうもこうもないでしょう」
「立てぬか」
「……立てます」
「では立て。最後の仕上げだ」
「最後の、って、あっ」
 すっ転んだカジャを持ち上げながら、ハルトオはここがどこだか把握してびっくりした。
 神域と呼ばれる場所、滝壺の手前の空き地だった。皆、ここに集っていたはず。
「タカマ」
 不吉な想像に胸が悪くなる。ハルトオは天蓋を飛び降りて下を覗き込んだ。潰れていたらどうしよう。
「……その恰好ははしたないからよせ。眼のやり場に困るだろう」
 勢い振り返り、そこに知った顔を見出してハルトオは二度目のへたり込みをした。
「……ああよかった。なんだ、無事か」
「なんだとはなんだ。潰されるところだったぞ。こちらの神が助けてくれなかったら、皆死ぬか、よくて大怪我だ」
 救い手であるフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は、ソウガの傍にいって一礼し、ソウガが天蓋から降りるのを注意深く見守っている。
 タカマはハルトオを立たせて、雪を払った。
 ハルトオはフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神を呆けた顔で見つめていた。
「なんですか」
 ハルトオの視線に気づき、気のない顔でフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は言った。
「気が向いただけです。別に、頼まれたわけでもないですが、そなたがそう望むのではないかと――わあ」
 思わず、ハルトオはフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神に飛びついていた。
「ありがとうございます」心底嬉しく思い、ハルトオは神を抱きしめながら繰り返した。
「ありがとう……」
 フジ・ヤコウ・ゴウリョウ神は腕を上げたまま、ほとんど硬直していた。 ハルトオの喜ぶ顔には満足だったが、同時に恐ろしい気配が背後から漂ってきて、動けない。
 とうとう、我慢ならないといった調子でソウガが言った。
「離れろ」
 ハルトオは素直に従った。まだ気持ちが高揚していた。皆が助かったことはもちろんだが、神の自分に向けられた心そのものが、尊いものだとよくよく噛みしめていた。
 怖いもの見たさ、という心理が働くと、ひとは身の危険も顧みぬ行為に及んでしまう。
 このときのチャギの民はまさしくそうで、神々と共に墜落した得体の知れないものに興味津々だった。恐る恐る、近づいてくる。あっちへいけ、というワセイの身ぶりも見て見ぬふりだ。
 少し離れたところから、タカマはカジャを足の間に挟んで、事態を見守っていた。斜め横では、ハルトオも同じく静観している。
 前方では、びくともしない天蓋の下に大蛇神マドカ・ツミドカ・クジと巨鳥神ハマリ・マダリ・ユダリが挟まれている。
 激しい息づかいと、時折洩れる威嚇の唸りが神の存在を示していて、予断許さぬ事態なのだろうが、不思議と危機感がない。この場はもっと別の、もっと上位のゆるぎないなにかが支配している。
 タカマは落ち着きはらうハルトオにそっと声をかけた。
「訊いてもいいか」
「なんだ」
「あなたの神の名は、なんと言うのだ」
「ソウガドオ」
 眼を輝かせ、ハルトオは誇らしげに告げた。
「ソウガドオ・ヒガラシ・エミシ――十二神王の内でももっとも位の高い、影(えい)闇(あん)の神だ」
 一陣の風が吹いた。額にかかる髪が掻きあげられる。
 ハルトオはなにも見逃すまいといった顔で、ソウガの一挙一動を見守った。
 ソウガは無造作にひとつ足踏みした。瞬く間に黒い天蓋は形を失い、ふわっとした気泡になった。腰の位置で左手の指をひらき、右手で覆う。すると気泡はきれいな真円に整い、神々を呑み込んだまま、小さく、小さくなっていった。
 皆が驚き呆気にとられる中で、ソウガは掌大になったマドカ・ツミドカ・クジ神とハマリ・マダリ・ユダリ神の両方を摘み、ハルトオの手中に落とした。
「見せて、見せて」
 カジャがねだり、わあ、とあどけなく笑う。
「かわいいねぇ」
 そう言う問題ではなかったが、確かに神々は鎮まっていた。うろたえているようでもある。
 ソウガは格上の神の強みで無言の恫喝を込めた威圧をかけ、二神を黙らせ、言った。
「それでよかろう」
「はい」と、ハルトオは頷いていた。「祟り落としをします」
「カジャも、お手伝いする」
「じゃあ優しく持って」
 ハルトオは二神をカジャの華奢な温かい手に移した。
「落としてはいけないよ」
「大丈夫」
「はじめようか」
 不思議な余裕と確信があった。失敗すれば祟り返しをくらい、命の保証どころか魂の保証すらないというのに、気持ちが落ち着いている。
 ハルトオは宙に寛いで腰かけるソウガを励みとした。この神の無為の存在が、どんなときも後押ししてくれる。
  衆目の中、ハルトオは膝をつき、カジャと額を集めて、小さな手に手を重ねた。その上からタカマの手が覆い、ツバナの手も添えられた。ワセイは少しためら い、やめた。皆の鼓動がひとつになるのを待った。神の鼓動、ひとの鼓動。どちらもぴたりと一致したとき、ハルトオはカジャの力に送り出されるように神の内 にいった。
 
 喪失と孤独と慟哭、そして虚無の世界にマドカ・ツミドカ・クジ神とハマリ・マダリ・ユダリ神は背合わせとなっていた。どちらの心も真っ黒で、黒い瘴気が重くはびこっている。
 ハルトオはそこへ一塊の光を運んだ。
 二つに千切って分け、ひとつずつ、神々の胸に埋める。
 祟り落としに必要とされるは、二心なき心と仁愛、そして相互理解。
ハルトオは腕をひろげた。心をさらした。魂すら解放した。なにも隠さず、祟り神と相対した。
「マドカ・ツミドカ・クジ神とハマリ・マダリ・ユダリ神よ、あなたがたを赦します」
 心の声をもってハルトオは伝えた。
「マ ドカ・ツミドカ・クジ神よ、サイとクラヒとカドマの名において、あなたの愛を赦します。我が名はハルトオ。あなたが罪とする愛が偽りならばこの身は滅び、 真実であるならばこの身が傷つくことはない。並びに、ハドリ・マダリ・ユダリ神よ、御名においてあなたを赦します。我が名はハルトオ。あなたの神たる矜持 と誇りが偽りならばこの身は滅び、真実全きものであるならばこの身が傷つくことはない」
 ハルトオはひろげた腕を胸の前で交差した。
 神々の鼓動が高く脈打つ音を聴いた。
 心の眼を閉じる。そして唱えた。
「我が身は我が名のもとに、ここに祟りを落とします」
 審判の瞬間、浄化の閃光が迸り、暗黒を引き裂いた。数瞬後、幻の如く消えた。
 再び眼をひらいたとき、世界は明るく、安息の気配に満ちていた。
 自分の名を呼ぶ親しいひとたちの優しい声が聴こえる。
 常に寄り添っていてくれる、ソウガドオ・ヒガラシ・エミシ神王の導きを感じる。
 ハルトオは歓喜の笑みで応えた。
 祟りは落ちた。
 神々に自由が戻ったのだ。


      終章 旅は道連れ


 チャギの里を発つ間際のことだ。
 レンゲは里長役の引退を決め、シュリは里の再興を計画すると言った。ツバナは子供を産むと約束し、ワセイは里の外で働き口をみつけるつもりだと話した。アケノはすべての後始末をつけると一族の説得を買って出て、コトは息を引き取っているのを発見された。

 そして今日、チャギの里を後にする。
 
 タカマはハルトオの正気を疑って訊いた。
「本気か」
「もちろん。一緒に来る気なら、早く乗ってくれ。深夜には雪が降りそうだから、いますぐ出立したいんだ」
 ハルトオはマドカ・ツミドカ・クジ神の頭上から大声で叫んだ。
 どうしても南国ミササギに急ぎの用で行かなければならないのだと、ハルトオはレンゲに協力を要請した。
 だが山はすっかり雪景色で、樹氷がきらめき、山の積雪は既に七メグを超えていた。ひとの足で冬山を越えるのは困難だった。
 困っていたところへ、マドカ・ツミドカ・クジ神が空中飛行の申し出をしてくれたので、ハルトオは即決し、現在に至る。
 祟りの落ちたマドカ・ツミドカ・クジ神は翼のある白大蛇で、稀に見る希少種だと判明した。カジャを特に気に入って、ハルトオに神名を預け、今後の助力も約束したほどだ。
 旅装と荷物などの身支度を整えたハルトオとカジャが、マドカ・ツミドカ・クジ神の頭部に大縄を轡のように嵌め、それに掴まった恰好で待機していた。
 タカマは常識を放棄した。意外になめらかな鱗状の胴部をよじ登り、独特の臭気に耐えて、ハルトオとカジャのもとまで這っていく。そのときにはソウガドオ・ヒガラシ・エミシ神とフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神も現れて、飛行のための安全を図ってくれていた。
 眼下でチャギのひとびとが見送りの手を振っている。
 マドカ・ツミドカ・クジ神の巨躯が意外な軽やかさで宙に浮く。翼はほとんど使用せず、推進力は抜群で、上昇はゆるやかだった。
 雲の高みまで昇り、水平移動に移行する。うねりは少なく、揺れもおとなしい。空にかかる細い月に白く照らされて、雪がちらつく銀の星海の下を進む。
「それはそうと」
 しばらく夢心地で夜空の旅を愉しんだあと、ハルトオがタカマを見た。
「なんだ」
「私たちは用があってミササギに行く。そのあとはたぶん、また各地を放浪することになると思う」
「そうか」
「うまく件の鳥の神と会えても美の神も捜さなくてはいけないし、旅が当分続くわけで、せっかく知り合えたのだし、まだタカマの話もよく聞いてないし――」
「落ち着け。つまり、なんだ」
「タカマさえよければ、もう少し一緒に旅をどうかな」
 タカマは怪訝そうにハルトオを見返した。
「……私たちは、って、俺は数に入っていないのか。共に行くつもりでいたんだが」
「え、そうなのか」
「迷惑か」
「違うよ。なんだ、そうか。もっと早くに訊けばよかった。いてくれるならよかった」
「どうして」
「旅の道連れは多いほうが楽しいじゃないか。な、カジャ」
「うん」
「……旅の道連れ、ね。まだその程度か」
「タカマは、どうしてだ」
「なにが」
「だから、どうして私たちと一緒に来てくれるんだ」
「あなたのことが好きだからだ」
 タカマはそんなこともわからないのか、という眼でハルトオをじろりと見た。
 意表をつかれた面持ちで、ハルトオはきょとんとしている。
 だが外野のほうがうるさくなった。
 特にソウガドオ・ヒガラシ・エミシ神とフジ・ヤコウ・ゴウリョウ神の怒気と嫉妬と説教ときたら、空に瞬く星さえも落とす剣幕だ。

 この夜、西の空を流星雨が埋めた。
 その無数のきらめきの中を、翼の生えた白い大蛇がよぎっていく姿が各地で目撃された。 
 吉兆だ、凶兆だと一時巷で騒がれたが、その頭上で子供が歌っていたという信憑性のなさゆえ、噂は間もなく立ち消えた。
 だが、噂には尾ひれがついていた。
 白い大蛇のすぐあとを、巨大な鳥が追っていく。
 なぜかその様子を見た者は、愛に恵まれるのだと、そんな他愛のない逸話。

  


                 完


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●感想
(´∀`)さんの意見
 電撃ではまず無理だね。重いし深いし。
 なんか久々に文章力のある人が出てきた気がする。
 おじさんガシャが好きさー。


プサさんの意見
 なにやら投稿室の仕様が変わって緊張してます。
 はじめまして、プサと申します。読ませていただきました。

 はじめに思ったことは、世界観がすごくよく練られているなということです。感動しました。
 よく作られた世界観と言うのは、それだけで心躍ります。
 名前とかいったいどうやって考えているのでしょう(笑)。
 私もファンタジーに挑戦したいと思っていたので、非常に参考になりました。
 現実にない世界をこれだけしっかり構築できるのは、安芸さんの強みだと思います。

 あと、文章もうまいと思います。綿密な描写がなされていて、想像がしやすかったです。
 きっと、作者さまの脳内には映画のようにシーンが浮かんでいるのでしょうね。
 ただ、少しくどすぎる部分もあるので、この辺をうまく調節するようにしたらよりよいのではないでしょうか。

 では、ダラダラと内容について触れていきます。うぜぇと思う部分はスルーでお願いします(汗)。

> あまりにも不吉な予兆に、すぐに動けるものはいなかった。未曽有の出来事の前に、皆、凍りついたように立ち尽くしていた。

 同じような内容なので、どちらか削るか一文に統合したほうがよいかもしれません。

>慻族も目的もなにもわからなかった。

 慻族→えー、なんと読むのでしょうか(汗)。

>一番おいしかったのは小麦を挽いて粉にして、牛の乳で溶き卵を練りこみ、団子状に丸めたものを平たく伸ばし、香ばしく焼き上げて、糖蜜をたっぷりとまんべんなく塗ったものだった。

 長いけど読みやすいですね! 
 おいしそうで食べてみたくなりました。
ここだけではなく、やたら食べ物にこだわっている感じがしました(笑)。
 
 衣装やその他建物などの描写がちょっと詳しく描きすぎな気がします。もう少し省いてもよいのではないでしょうか。

> カジャとは、半年ほど前に西国ワキツのニタという町の奴隷市で会った。

 「の」の連続で少々読みにくいので、「西国ワキツの」を「西国ワキツにある」などに変えたほうが。

>周囲を高さ一メグ(およそ一メートル)のコンクリート壁で囲われている。半端な高さからすると防壁というよりは、家畜が勝手に遠出しないための檻だろうな、とハルトオは思った。

 コココ、コンクリート!? めっちゃビビリました。
 最後まで読んだ後も、コンクリートに対する違和感はなくなりませんでした。世界観から著しく浮いている気がします。
 こだわりがないのであれば、違う素材にかえるか、適当にぼかすかしたほうが無難かもしれません。

>「おまえ、細いなあ」
「もっと食わなきゃ。大きくなれないぜ」
「カジャを頼むよ」
「まかせとけって」

 「もっと食わなきゃ。大きくなれないぜ」と「カジャを頼むよ」は会話がつながっていないので、間に一拍置いたほうがよいのでは。

>なにか流血沙汰になるような恐ろしい事件の当事者か、被害者のどちらかだ。

 被害者も当事者なのでは。

 村の人たちの豹変が、あまりにも非人間的に感じられました。実際問題、ここまで心底に人の気持ちが覆るものでしょうか。
 この世界での祟りがものすごく恐れられていることはわかったのですが、それを踏まえても、「信じられない、いい人だと思ったのに」のような台詞がちらとでもほしかったと思いました。

>ハルトオはびっくりした。
 皆はもっと驚いた。

 ここ、いいですね(笑)。

 タカマがハルトオにソウガのことについて聞くあたりは読んでいて、こっ恥ずかしくなりました(笑)。
 女性向けってあんまり読んだことがなかったので(女性向けでよいんですよね?)。

 タカマの怪我が全治二十日で、アケノの怪我が全治数ヶ月って、タカマ丈夫すぎないかとちょっと思いました。
 しかもこの後、アケノはけっこう動き回っていましたよね。元気じゃないか!

> 黒い大蛇神と黒い巨鳥神は空中で激しくぶつかりあった。どちらも我を失い、黒い血を滴らせながら死闘を繰りひろげる。

 変なたとえですが、怪獣映画みたいで興奮しました。いいですね、こういうの。

 その他。

 カジャの顔、最初に「双面」と書かれていたので、長らく顔面に顔が二つあるのだと思っていました(汗)。怖すぎる。
 何かもう少しわかりやすい描き方がされていますとありがたかったです。

 何と言うのでしょう。全編とおして淡々としている感じで、あまり臨場感は伝わってきませんでした。
 しかし、この作品においてはそれでよいのかもしれませんね。神話みたいな感じですから。

 視点が変わるときは、できれば改行をして欲しかったです。

 女性であるレンゲがなぜ里長をしているのか、よくわかりませんでした。

 全体的に神頼みで、全部神様に解決してもらっているような感じがしました。最後には十二神まで出てきて、これはちょっと反則なのでは……(苦笑)。その後はかなりあっけなかったですし。
 神様の話なのだということはわかっているのですが、読んでいる側からすると、やはりもうちょっと主人公に頑張って欲しかったです。
 十二神が味方にいる時点で勝ちが確定しているので、読み返すときの楽しみがないような気もします。
まあ、他にどうするのだと言われたら、答えることができませんが(汗)。

 キャラクターについて。
 ハルトオは芯のしっかりした女性で、好感が持てました。好きです。
 タカマはちょっと鼻につく部分があったのが気になりましたが、個人的な好みなので気にしなくてよいと思います。

 次は点数が10点と低い理由です。

 タカマのことについて、意味深なことが描かれているわりに結局最後までわからなかったことに物足りなさを感じました。
 消化不良です……二言三言でよいので触れて欲しかったです。

 あと、カジャやハルトオのことが解決の兆しを見せないまま終わってしまったのもちょっと気になりました。
 これ一本で完結というより、長いお話の序章と言う感じでしたね。

 まあ、上の二つはそこまで大きな問題ではありません(じゃ書くな)。

 一番、納得がいかなかったのは、

>「“長役の口伝は相談役の口伝と対を成す”」

 と、意味深なことを言っておきながら、このことが問題解決に一切関わってこなかったことです。
 どういう内容なのか勝手に期待を膨らましていました。
 結局、これは何だったのでしょうか? 猛烈に気になります。
 せっかくこんなおいしい設定があるのですから、物語に生かして欲しかったです。

 私からは以上です。
 かなり主観によった内容ですので、取捨選択してやってください。
 では失礼致します。


彩さんの意見
 安芸さん、はじめまして~。彩という者です。読ませていただいたので、感想をおいて行きます。

 あぁ~、私こういう雰囲気大好きです!ビックリマーク付けちゃうくらい好き(笑)。
 一気に読んでしまいました。
 スリリングな話も好きですが、
 この作品みたいな淡々とした(最後は動きがあったけれども)感じはもっと好きです。
 私が物語を作ろうとすると、どうも展開の早いものになってしまうので。憧れます。

 ですが、だからこそ、伏線の回収が行われていないのがとてもガッカリしました……。
 五分の四くらい読んだ辺りで、「まさかしっかり終わらないのでは……」と思いましたが。
 タカマの正体とか、ハルトオとカジャの本当の顔とか、ちゃんと読みたかったなあ。

 独特の世界観と、それを読者に伝えられる文章力は素晴らしいと思います。

 ハルトオはしっかりとした女性で、素敵ですね。行動力もありますし。ただ神様パワーを借りすぎかな、とは思いました。代わりに神の願いを叶えなければ~みたいな事がありましたが、あれだけ色んな神様にパワー借といて、対価をあまり払っていなかったような。
 ……携帯からのせいか、感想が全部入りきらない!(汗)
 タイトルもう少し捻った方がいいと思います、以上!


S-Yさんの意見
 おはこんばんちわ(古)、安芸様 「神は祟る」を読ませていただきました。
 なによりしっかり設定が寝られている作品で、世界観に矛盾点など感じませんでした。誤変換も目立たないので、幾度となく推敲されたのでしょう。
 登場人物も異色ですし、ライトノベルというよりは、重いストーリーはハヤカワ文庫に近いですね。
 細かい描写やカミの名など、いろいろと勉強にさせていただきました。
 次回作もがんばってください。


リラックスさんの意見
 読ませて頂いたので、感想を書かせて頂きます。

 率直な感想は…、面白かった、です。
 作者コメントにも書かれているように、かなり硬い文体だと思うのですが、表現の仕方が上手く、また文章自体が綺麗だなーと思うものでした。
 全体の雰囲気としては、海外ファンタジーのような感覚で読ませて頂きました。
 国内だと、ジャンルとしては、女性向けファンタジー作品の、かなり硬い方のジャンルなんじゃないかと思いました。

 人物に関しては、主役のお姉ちゃんが良かったです。
 口調とかも、割と男っぽい感じだけれども、女性らしい魅力がありました。
 割と力ずくで物事を解決しようとする風にも見えたんですけど(笑)、男前だなーと惚れ惚れする感じで、嫌な感じはしませんでした。

 設定に関しては、よく作りこんでるなー、と思いました。
 わたしは、設定とか全然思い付かない人間なんですけど、この名前の文字数が位を表す神様の設定は面白かったです。
 いきなり、どんなものからでも「神様です!」と神が出てくるんじゃなくて、二文字の神様は割と気さくに俗っぽく出てきて、名前の長い神様は、呼び出すのを躊躇させる程の怖さをもった存在、というのは面白いなーと思いました。
>「ハルトオに死なれたら我らが困るのじゃ」
>「我らを困らせてみよ。祟るぞぉ」
>「ほっほう。祟る、祟る、祟るぞよ。我ら小さき神の祟りは執拗じゃぞぉ」

 ここいら辺の登場のさせ方は、上手いなーと感心しました。

 その上で気になった点を言いますと…、
 登場人物が、誰が誰だかちょっと解り辛い感じがしました。
 メインのキャラはすぐ解るんですが、村に入ってからは、これって誰だっけ?、と思う事が結構ありました。
 登場人物を印象付ける、エピソードみたいなものが少ないせいなのか、登場人物の関係が相関図的になってしまっていて、読む方がかなり気合を入れないといけない印象がありました。
 まぁ、私が、ちゃんと作品を読み込まない読者の代表例なのが大きいのですが…。(笑)

 あと、神様に関して、あまり和風という感じはしませんでした。
 八百万の神、というより、ギリシャ神話のオリュンポスの神々のような印象がありました。
 神話とか全然詳しくないので、印象で語ってしまっていますが、日本の神様の場合、イザナギ、イザナミ以前の神様までが絶対神で、それ以後はかなり人間寄りな、遥か遠い祖先の、爺ちゃん、婆ちゃんの若い頃の話っていうイメージがあります。
 でも、この作品の場合は、登場する全ての神様が、人間の運命に影響を与え続ける、ギリシャ神話の神様のようなイメージがありました。(泉のシーンとかも)
 主人公のお姉ちゃんに憑いている神様とか、キモい神様だなー、と思って読んでいたんですが(笑)、こいつとかは、まさに人間世界にちょっかいを出し続けるゼウスみたいな奴だなー、と思ってしまいました。
 でも、それが悪いと言うのではなくて、和風には感じなかったという事です。

 あと、設定に関して、神様と関わる際に何らかのロジックがあるのか無いのか、はっきりしませんでした。
 作中に、「口伝」などのキーワードが出てくるのですが、特にロジック的なものが発生しているように感じませんでした。
 呼べば出てくるものなのか、何か手続き的縛りがあるのかで、話がかなり変わってしまうとは思いますが、私は、縛りがあった方が、バトルシーン(?)は面白くなるような気がしました。

 あと、途中で加わるお兄ちゃんが、あんまり個性を感じませんでした。
 クール系のキャラだと思うのですが、行動に対して何を考えて動いているのかが解らない為、ただ仲間のお姉ちゃんやちびっ子を助ける為に動いている感じがしました。
 その為、お姉ちゃんに恋心を抱いても、あんまりニヤニヤしないなー、というのが正直な所でした。

 最後に、タイトルが地味なような気が…。
 作者様は、かなり自信があるようなのですが、読者としては地味な印象が…。
 何と言うか、そのまんまじゃない?、思ってしまいました。(スミマセン…)

 あと、完全に独り言です。
 神様の定義が「人が望めば存在して人が忘れれば消えていく」というのは、実際は神様は存在しないと言う事なのかなーと思いました。
 人が必要だと存在する神様というのは、神と人との距離が近いのではなくて、かなり遠いものなのではないかと思いました。


 以上、いろいろ言わせて頂きましたが、間違いなく面白かったです。
 私は、ファンタジーも、コメディ要素のない恋愛ものも、全然読まない人間なのですが、それでも面白かったです。
 それと、別のサイトで連載しているのに、よく別の作品を執筆出来るなー、とその執筆力に感心します。
 これだけのボリュームなのに…!

 ところで、この作品は公募に応募した作品なのでしょうか?
 話はまだ続くみたいなのですが、とりあえず区切りは付いているので、まだ応募していないのなら出した方がいいと思います。
 っていうか、別サイトの作品も、区切りが付けそうな部分まで書いたら、ガンガン公募に出した方がいいと思います。
 それぐらい、完成度が高い作品を書いているんじゃないかと思います。
 キャラ、ストーリー、設定、読んでいて不満な点が無い事はないのですが、それは、公募の評価シートとかで指摘される部分のような気がします。
 それに、出し続けていれば確率的に結構いけるんじゃないかと思いました。
(国内では、結構狭いジャンルでの挑戦にはなると思いますが…)

 最後に、点数は、サッカーの採点で7.0的な意味で+30です。
 基本的に、自分が付ける点数の最高点です。
(それ以上は、別次元の評価になると思いますので…)


みやべさんの意見
 安芸様

 はじめまして、みやべと申します。
 今回、拝読させて頂きましたので、以下、感想を残させて頂きました。

 まず、非常に濃厚な物語だなあというのが第一印象でした。
 ライトノベルというよりは文芸よりだと思いました。

>家々はコンクリートと木材を上手に併用した造りで、暖かく頑丈そうだった。
 随所にコンクリート、の文字が入っておりますね。プサさまが仰られている通り、この雰囲気にコンクリートの文字がしっくり馴染んでいる感じがしないように思います。
 作者さまのこだわりもあるかもしれませんが、一読者としてご参考までに。

>ここにいたって、はじめてコトは瞼を押し上げた。
 ええと、少し違和感を覚えたので辞書を引いてみました。
 押す:手前から向こうへ力を加える
 上げる:高くする
 ……引いてみてもよく分からなかったのですが、自分の力で目を開けたのであれば、「瞼を開いた」と描写されても良いのかなと……

 また、もしライトノベルとして投稿されるのでしたら、十代の読者向けに、もう少しだけ描写を軽めにしたらいかがでしょうか?

 未熟者なくせに意見を申してしまいましたが、丁寧に作りこまれたキャラクターと世界観はとても美しかったです。
 これだけでは完結なさらないとのこと。物語の完結まで頑張ってください。草陰から楽しみにしております。


冬雪さんの意見
 読まさせていただきました。冬雪です。

 私はこういったファンタジー物が大好きで、独自の神(名前の長さが強さ)など新鮮な設定があってよかったです。

 どちらかというと、うたわれるもの、に近いかな? あっちもオリジナルの神様がいるし…

 まあそんなことは置いておいて、本題です。
 気になった点がいくつかありました。

>村を挙げての祝いの席が設けられ、珍しいごちそうがふるまわれた。一番おいしかったのは小麦を挽いて粉にして、牛の乳で溶き卵を練りこみ、団子状に丸めたものを平たく伸ばし、香ばしく焼き上げて、糖蜜をたっぷりとまんべんなく塗ったものだった。

 ちょっと長いと感じました。この後に料理の解説は二行程度しかないのに、最初の方だけ長いことに違和感を覚えました。もう少し短くして、削った方がいいな、と思います。

>そう決意したとき、ハルトオは起った。長い旅路のはじまりであった。

 これは気になったというか、「ハルトオは起こった」が変というか…なんて読めばいいのかわからなかったです。

 ハルトオの描写ですが、下着まで書かなくてもいいのではないのでしょうか?
 それと、料理のところであげたように、長いと感じました。というか、読み飛ばしてしまいます。


 他には、最後に、蛇の神と鳥の神の戦いのシーン。途中でタカマのシーンに入れ替わりますが、非常にわかりづらかったです。

 それとガシャが「ハルトオ、ハルトオ、ハルトオ」抱きつくシーン(一度目)でその後離れていった理由がわかりません。もしかしたら私が読み飛ばしてしまったのかもしれませんので。

 以上が気になった点です。

 それと文章ですが、流暢でうまいと感じました。だからか、投稿したときのミスか、もともとそうなっていたのかわかりませんが、改行してあるのに一マス空いていなかったところや、改行されずに、無駄なスペースが空いていたところがありました。

 私が言えるのはそのぐらいですね。

 最後に、世界観の設定がすばらしく、主要なキャラクターの魅力。意外なオチ(ここで明記するとネタバレになるので書きませんが)
 すべてがすばらしく。あっという間に読むことが出来ました。 

 次回も、よい作品を期待しております。


カルバノさんの意見
 初めましてこんばんは。カルバノと申します。
 御作を拝読させて頂きましたので、感想などを書かせて頂きます。
 投稿直後に評価点ミスったので修正。


 読了しました。読み始めたらはまってしまってMr BRAIN最終回見逃しました。

 さて、これはまた綿密に世界観を練ってますね。固有名詞がちらほら出るのに、それが全く気になりません。世界観説明も話の流れに上手く組み込んでありますし、投げたくなる場所がありませんでした。

 褒めが短いですが、突っ込み関係もおおよそ出てますし、またそれが皆さんなg……
 コホン。他の方の感想を流し読み程度では被り必至なので、自分と指摘になったところで一つ。

  これはおそらく私と安芸様のタイプの違いによるのだと思いますが、地の分と会話文をくっきり分けている印象を受けました。区別するという意味ではなく、会 話が始まると一気に会話文が並び、そのあと地の文に戻るという、アップダウンとも取れる文章構成をなさる方だなと思いました。
 この作品にはそれ が不思議とあっているかなとは思うのですが、いかんせん会話文が五行とか続くと、今キャラクターどんな表情で仕草してるんだろうと考えてしまい、勝手に妄 想→会話文後の地の文で違う描写→戻って妄想変換な行為をしてしまい、ちょっとテンポが崩れてしまいました。
 それと、句読点のつけ方もちょっとばかり気になりました。間に一個欲しいと思ってしまう文が多かったです。これも完全に好みなんですけど。


一言キャラ感想

 ソウガがただの五文字なわけはないだろうなぁと思ってたらやはりすごい格上。
 ハルトオさん神様に好かれすぎですね。これぞ逆ハーレムでしょうか。
 カジャ可愛いよカジャ。
 タカマさん、第三の目を開いたが如き活躍。でも美味しいとこはほとんどソウガさん。
 他の神様。なんという俗人的な神様。

 まあ言いたいことはですね。全員魅力的でした。


 ストーリーとか設定的なこと

 ぶっちゃけ、私には突っ込む余地が無いです。強いてあげるとするなら、山火事から守った村の人々ですが、どこぞの特殊部隊よろしく機敏な動きをしすぎな気がしました。もしかしたら設定部分忘れて呼んでしまっているだけなのかもしれませんが。

 重いと言わしめる理由は、どこでしょうかね。最初の村での掌返しか、チャギ族関係か。まさかグロ描写ってことはないでしょうし、自分はどこが重いのかさっぱりです。ライトなのにもっと重いグロいエロイ作品があった気がするんですが……
 あとは、少女レーベルに詳しくないのでよく分からないんですが、これはどっかに出せばいけるような気がするのですけどね。
 今この場で読むことと、本屋で買って読むことは全く異なりますが、買って損した金返せとはいわないと思います。あくまで私は。

  他の方が日本というよりギリシャ系の神様っぽいとおっしゃっていましたが、ちょっと頷けました。でも、私としては信仰=神の存在証明で、信仰がなくなれば 神もまた消えるというのは、非常に日本の八百万的な思想に基づいていると思いました。道端の石にも神様を見出す民族ですしね。その神様はいなくなってし まっているでしょうけど。

 最後に、やはりタイトルが地味な気がします。祟り神の話がメインですが、何かこう、もっと……ごめんなさい言葉にも擬音にも出来ませんでした。


 えっとかなり乱雑な文章ですみません。興奮冷めやらぬ状態で書きたかったので、ご容赦を。
 たいしたことを言っていませんが、これにて。


MIDOさんの意見
 こんにちは、安芸さん。MIDOです。お久しぶりですね。前作は私の萌えツボにクリーンヒット、というかホームランな作品でしたが、今作はどうかな……とわくわくしながら読み始めました。
 結果、スリーベースまで突っ走れるヒットでした。ホームへ戻ってこられなかったのは、あんまりラブラブじゃなかったからかな(なんという偏見) とはいえ非常におもしろかったです。

 感想・批評です。

【文章・文法】
 相変わらずお上手ですね。今作もサイトのほうで公開している連載作品なのでしょうか? 前回の『サイレント・ムーン』ではその弊害とも思える繰り返しの説明文が多かったのですが、今回は読者の理解を助ける程度のものが多く、読みやすくてとてもよかったです。
 作品全体の雰囲気がちょっと硬質な感じなので、会話文も節度が一貫して保たれていてよかったです。これだけの長編をよく同じテンションで書けるなぁと尊敬を抱きました。わたしもこんなふうに書ければなぁ……。

【設定】
 神 様の設定がなかなかおもしろかったです。名前の文字数で力が違うというのは考えてあるなぁと。パッと見でわかりやすいですし覚えやすい設定だったと思いま す。神様たちの容姿については、人外らしく髪の色が異常だったりと色々ありますが、格好はあんまり和風じゃなかったような……と思いました。単に私が西洋 の神話的な神様を思い浮かべてしまったのが悪いのでしょうが(笑) なんだか皆さん和服というよりは東洋風の柄のローブを着ているような印象でした。
 祟 りについてはよく考えてあるなぁと。同じくらい聴き神女などや呪文(?)なんかもきちんと法則づけられていて、設定が細かく練ってあることがうかがえま す。個人的に設定はきっちり練るタイプなので、こういう作品を見ると勝手に親近感を覚えます(迷惑だったら申し訳ないです)
 世界観についてもおもしろかったです。中央が神様の住むところで、あとは四方に分かれていて。人間においては出身により名前の字数が違う、と。これもわかりやすい構図ですよね。
 いずれにおいてもきちっと要所要所で的確な説明が為されているので、読み進めるのも理解するのも苦ではなかったです。見習いたいところですね。

【内容】
 全体としてみると、大きな物語の序章、あるいは前半、と言えるような作品でしたね。これひとつで一作品として成り立っているので、公募に出しても大丈夫な気もします。
 た だそれ故に解決されていない伏線も多くあるわけで。カジャの容姿なんかは結局最後まではっきり書かれていないように思えましたし、その能力についてもまだ まだ未知数、という感じで。タカマにおいてはすべてが謎ですね。出身・身分・大怪我して倒れていた経緯とかまったく明かされないままになってしまいまし た。ハルトオに関してもまだまだなにかありそうな臭いがするのですが、取りあえずこれでいったん閉じましょう、という印象が強かったです。
 とは言え、祟り神から祟りを落とすという目的に関して、これらはあまり重要なパーツではないので、放っておかれても作品自体に支障はないようですね。目的自体はしっかりやり遂げられていたのでよかったと思います。
 そ の内容ですが、シリアスと言うかシビアというか。ちょっと重い内容でしたね。神様が絡む作品ってこういう傾向が強いように思うのですがいかがでしょう。こ う、欲深な人間が神様を懊悩させ、悪い神様にしてしまう~、あげく祟りを喰らうのだ~、みたいな? でも今作ではそこが上手く書けていたのでよかったと思 います。次々に明らかにされる過去の真実、みたいな感じで、謎解き好きなひとも楽しめるのではないかと思いました。
 恋愛に関しては作者コメントで 告知したとおり、ほんわかと匂ってくる感じでよかったですね。萌えツボを刺激する暑苦しいのも個人的に大好きですが、こういうほのぼのした感じも好きで す。なんか思わず口元がにやけてしまう(怖い) ソウガがむっとすればするほどわたしはにやにやしていましたよ。

【キャラクター】
・ハルトオ
 さっ ぱりしたヒロインですよね。礼儀正しく控えめで、でも無鉄砲で大胆という、タカマが言ったそのままの性格をしていると思います。そしてこういう子は恋愛ご とに関してはすこぶる鈍いというお約束。しっかり護ってくれていて嬉しいですね。作中、逆名ということが出てきましたが、言葉通り逆から読むと「オトル ハ」となりますよね?(今オトルハって打ったら「劣る派」って変換しやがったこのPC) 「オトハル」だったら名前っぽいけど……とちょっと思ったのです が、逆名とはそういう意味の言葉じゃないのかな? とちょっと不思議でした。あとお腹がえぐれていると言うことですが……それって、表面が? それとも臓 器の一部が? という感じでちょっと疑問でした。どっちにしろ「ひー」という気分になりましたが(笑)

・カジャ
 途中から引き離さ れてほとんど出番がなかったのですが、意外に未知数な力を持っているんだなぁと感心しました。なんだか彼女はキャラクターと言うよりはマスコットのような 位置取りだったかも、という気もします。そのせいで神様に好かれてしまうというのもまた気の毒な運命背負っていますね。今後はハルトオのもとで神様を尻に 敷くくらいにたくましくなればいいなぁと思いました。

・タカマ
 なんだか色々謎に包まれたままのひと。でも紳士な感じだったので、 どっかの国の豪族の息子とかで、領主争いに負けて落ち延びたんだろうな、とか勝手に妄想してしました。実際にそうだったら失礼ながら笑える。彼の恋は果た して叶うのか否か。個人的にはソウガを踏み倒すくらいの気概を見せてほしいものです。

・ソウガ
 タカマを頑張れと応援しつつ、最終 的に勝つのはこっちだろうな、と冷めた目で考えてしまう私っていったい。……いやいや、言っても仕方ないですけど。十文字の名前を持つ神様が出た時点でま だ偉そうにしていたので、「あ、絶対こいつ一番偉い神様だよ。神様の世界にいるのが飽きて人間界に来て、ハルトオの無邪気なところにころっと惚れてそのま ま守護神ぶってんだな? この暇人が」とかすっごい勝手なことを妄想してしました。実際にそうだったらちょっとあきれる。でも個人的に彼が一番好きなキャ ラです。なんていうか『ヴァンパイア騎士』(樋野まつり/白泉社)の枢様みたいな印象があります。

 あとのキャラは割愛です。なんでもいいですが結構キャラいましたよね。シュリとかもう準レギュラーな感じだし、神様たちもてんやわんやで……正直、カタカナの名前に途中誰が誰だかわからなくなりました(没)

【総評】
 良 作でした。非常におもしろかったです。大長編の一部という感じで、伏線が回収できないところが目立ちますが、物語自体に支障はなく、公募に出してもいい結 果が残せるんじゃないかな、と思いました。ラノベにしては硬質な雰囲気ですが、それが逆に設定の神聖さを高め、伝説や呪文めいたものを厳かに見せていると 感じられました。

 ということで、コメントは以上です。今後も応援しておりますので頑張ってください。それでは失礼いたします。


きりのさんの意見
 こんばんは、安芸様。きりのです。先日はお世話になりまして、近々~とか言っておきながらようやくやってまいりました。

 まずはストレートに一言。面白かったです。設定や序盤からすると意外と乙女なハルトオに、ちょっとめんどくさい系(褒めてます)のソウガ様(笑)こういったつかず離れず的な関係はツボです。

 個人的にグッドだったのは、終盤になるに連れて作者様のなかでも固まって来たのか、ハルトオとタカマの会話にキレが増したところですね。短い繰り返しなどが効果的に使われていて、あぁ、うまいなぁと思いました。

 あまり関係ないのですが、私はジブリ作品ではもののけ姫が一番好きというマイノリティー派なので、もうこの人間臭い神様いっぱいの世界観自体にどっぷりひたっておりました(笑)

 さて。安芸様はこの公募に出されたということで、ここからは独断と偏見にまみれた意見的なものを。

  まず、やはり気になるのはハルトオの力でしょうか。結果的にですが、ある意味最強キャラになってしまっており、もう少し制限が欲しいところです。文章では 凄いことが(悪い意味で)起きる、と書かれているのですが実際には神様方が優しいのであまり機能していません。他の方も述べられているいますが、どれほど 追い込まれても盛り上がりに欠けてしまう要素になってしまうかもしれません。

 途中で人も神を祟る、という流れがあったので、その関係を強調すればより一方的な強さにはならないかもしれません。ちなみにこの人→神の関係は秀逸だと思いました。神様の一部売ったりするのとかとってもお上手な『転』だと感じました。
 
  ちょっと脱線しました……えっと、つまり何が言いたいかというと、話が簡単におさまりすぎる所でしょうか。祟り落としの儀の後のレンゲの対応など、わりと 簡単に要求を呑んでしまう。もっとすごいピンチになって、ついにソウガ様(なぜか様づけに笑)登場! というのが理想的な展開で、最後の神同士の戦いなど でも安芸様がその辺りを狙っているのではーとは思うのですが、やはり沈みこみが足りないというか……すみません、抽象的で(汗)

 昔の掟というのは人権とか希薄なので、現代から見ると理不尽、それだけで私たちは感情移入できます。頑張れ! と。その辺りでもう少しハルトオの強さというのも見たかったかもです。
 ここからさらに思いつきチックなので、すっごい個人的な意見だと思ってお聞きください。
  ハルトオと神様は切っても切れぬ関係で、神様関係のことは神様に任せるという立ち位置です。これは全然問題なくて、むしろ作品全体に活かされていると思い ます。しかし、人同士の喧嘩でも頻繁に神様が出てきてしまうと、話は変わってきます。ましてタカマがいる以上ハルトオはそういったいざこざからは遠い位置 に行ってしまうような。人間ドラマからちょっと外れてしまう、というか……なんか良く分かんなくなってきました(笑)
 たぶん、私はカジャのためにがんばるハルトオが好きだったのでこのような感想が出てくるのかもしれません。決して彼女がさぼってるとかではないのですが、いかんせん神様たちが自由すぎるので(笑)というか彼らすっごい楽しそうだ(笑)

 えーっと……うわ、けっこう意味分からない発言が多いですね……すみません、でも今回はこんなところで。

 最後に。
 和風の独特な世界観をこれだけ想像させる描写や人物造形などどれをとっても良作を一歩超える出来だったと思います。
 またお会いする機会があれば幸いです。それでは、失礼します♪


ツミキさんの意見
 安芸さん、先日はお世話になりました。ツミキです。

 拝読致しましたので、感想を。
 いや、面白かったです。まずはこの一言に尽きますね。

 重厚にして隙のない文章、そしてかなり完成されている印象を受けました。僅かにも流すことなく噛み締める様に読み進めました。おかげでえらく時間が掛ってしまいましたよ……w
 247枚よりもずっと沢山読んだ気分です。それぐらいに厚み、深みのある文章でした。
 御作を読み終えて自作の薄っぺらさに震えました。……あれ、目から汗が。

 設定や世界観の作り込みもかなりのもので、破綻無く描かれているのには何度も唸りました。

 物語は大小の波を巧く配してあって、飽きさせず先を読ませてくれました。こういった部分をぜひ見習わせて頂きたいです。

 作品全体に対しての印象は以上のような感じです。ベタ褒めですよ。ヘッヘッヘ。

 それでは以下、気になった点を。

 まずは、あらゆる場面で文章が平坦であるというところ。
  ほとんどの場面で概ね雰囲気に合っていたとは思うのですが、冒頭の両親の死や、後半の大楠でタカマが死にかけるところなどでも客観的事実だけをさらりと説 明してしまっていて、緊張感や臨場感に欠けてしまう場面も見られたのが残念でありました。こういった場面ではもう少し描き込んでやってもいいのかな、と。

 いくつかの説明が初出から非常に遅れて為される。

  具体的には双面などがそうですね。さらりと出てきて、それに対して具体的説明がないままずんずんと進んでいってしまいます。その上ハルトオと同じ容姿であ るという話まで。正直「なんぞ!?」という思いをひきずって読み進めるのがつらかったですw こういう部分のフォローがもう少し欲しかったですね。

 あとは、外見描写のある人物とそうでない人物がいたのも気になりました。せめて年の頃だけでも……という人もちらりほらり。(見落としただけという可能性もありですがw

 もっと細かい部分だと雰囲気に合わない言葉の登場でしょうか。
 他の方も仰っていたコンクリートというのはわたしも違和感を覚えましたし、ガスというのも少々首を捻りました。実際にコンクリを使う世界観」というのはわかります。ただ、それをこういった古い時代に合わせた言葉に変換してやる作業を行うべきかな、と。
 たとえば「○ ○ と●●を混合して作った□ □ 」みたいに、読めば、ああ、いわゆるコンクリートか、と読者側で置換できるような言い回しもあるかなと。

 わたし個人が気になったのはこんなところでしょうか。

 ともかく良い作品だったと思います。まだまだ世界に広がりを感じるつくりで、できれば全容を見てみたい。そんな気分になりました。
 うーん。まだまだ口にしたいことはあるのですが、うまく文章にまとめられないので、このあたりで筆を置きたいと思います。

 それでは素晴らしい作品をありがとうございました。
 また、機会があればよろしくお願いします。

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