高得点作品掲載所     来栖 ライカさん 著作  | トップへ戻る | 


トウロウ葬

 『彼女』の繊細な首に触れる時は、細心の注意を払わなくてはならない。
 浩人は静かに息を吐きながら、指先に全神経を集中させた。
 落ち着かせるように優しく、首もとから下へと右手を這わせる。身体で最も柔らかな部分に指先が触れると、薄い皮の下に生暖かな液体が脈打つのが感じられた。何度も何度も愛撫するように繰り返し指を滑らせる。『彼女』は嫌がり、身をよじらせて浩人の指に噛みついた。
「そうそう、思い切り噛みついていいよ……可愛いヤツだな。あっ、でも、あまり暴れるなよ? 首がちぎれるからさ」
 絹のような手触りと、簡単に頸を引きちぎる事が出来る嗜虐的快感。心拍数が上がり、全身が高揚感に満たされていく。
「君は本当に綺麗だね……」
 恍惚の溜息を吐きながら浩人は『彼女』を眺めた。
 透き通るように鮮やかな若草色の身体。逆三角形の小さな頭についたエメラルド色の瞳が、真っ直ぐに浩人を見つめている。悪戯心から長い触覚に息を吹きかけると、イヤイヤをするように鎌形に反った長い前足を動かした。
 一辺が八〇センチほどもある飼育箱に注意深く『彼女』……雌のオオカマキリを戻し入れ、浩人はきっちりと蓋を閉める。
 この雌カマキリは、通常の個体より一・五倍大きい。小学六年生から始めたカマキリの飼育だが、ここまでするのに掛け合わせと特別な餌で三年かかった。
 飼育箱に置いた枝から逆さにぶら下がり、『彼女』は動かない。少し、疲れさせてしまったようだ。時折吹き込む心地よい風が遮光カーテンを揺らすと、筋状の光彩が薄暗い部屋の中に閃いた。そのたび驚いて『彼女』は首を巡らす。
 何時間でも『彼女』を観察したい所だが、まだ今日の餌を与えていない事に気が付き、浩人は飼育箱を乗せてあるローボードから離れた。リビングの冷蔵庫に 入れると家族が嫌がるため、自分用に購入した小型冷蔵庫から鶏のササミと近所で捕まえたアゲハの幼虫を取り出す。小型のすり鉢で丁寧に練り合わせ、小さく 丸めて丸薬ほどの肉団子を作った。虫の羽に見えるようにセロテープを巻いたタコ糸に肉団子を付け、飼育箱の扉の隙間からそっと垂らして『彼女』の前で揺ら す。すると今まで眠っていたように動かなかった『彼女』が、目にも留まらない早さでカマを使い肉団子を捕らえた。
「たくさん食べろよ、明日は生きたショウリョウバッタかコオロギを持ってきてやるからさ。そろそろ良いオスの個体も探さなくちゃ」
 幾つかの肉団子を『彼女』に与え、残った餌を本棚に並べた十二個の飼育箱に少しずつ落とす。百円ショップで買ったアクリル製飼育ケースに保湿用ペーパー を敷き、五匹ずつのオオカマキリを入れてあるのだ。割り箸で少しつついてやると、生きた獲物と錯覚したカマキリが群がり餌を食べ始めた。
「あれっ、このケース一匹足りない。ああ……共食いしちゃったのか、餌は足りてたはずだからストレスかな? 可哀想に」
 箱底に散乱する足や羽を丁寧に取り除きながら、飼育ケースを増やすべきか何匹かを外に放すか思案する。共食いで強い個体を残すやり方を、浩人は好かないからだ。どの個体も同じように可愛いし、同じように愛しい。
 浩人は口元に笑みを浮かべ、愛しいカマキリたちの旺盛な食欲に魅入っていた。触発されて、浩人自身も空腹感をおぼえる。時計に目を向けると、午後8時になろうとしていた。
 冷たくなった風と、『彼女』の心を乱す虫の音を遮るため窓を閉めた。部屋が静かになり、一階のリビングで誰かが動き回る気配に気が付く。母親が仕事から帰って夕飯の支度をしているのだろう。部屋まで届いてくる匂いは好物の唐揚げだ、なおさら空腹感が増す。
 いつもの決まり台詞、「帰ってきて勉強した? カマキリの世話ばかりしてたでしょ!」を覚悟して、浩人はリビングへと降りていった。

 ※

 中学二年生にもなれば、昆虫飼育が趣味とは言いにくい。
 だからといって暮林浩人は、自分をいわゆるオタクと思ってはいなかった。小学校から続いている友人と映画やゲーセンにも行く。幼稚園からスイミング・ク ラブに通っていたので、運動も嫌いではない。成績も苦手な国語と英語以外は平均的な点数だ。三年になって進学塾に通えば、普通レベルの高校に入れるだろ う。全校生徒に義務付けられた部活も一応、理学部に籍を置いてある。
 身長は現在一六七センチと少し物足りないが、まだ伸びる可能性がある。中学校入学前、三年間一枚で通せと母親に申し渡された大きめの制服は、既に袖も裾 も短くなっていた。客商売の両親の影響で身だしなみには気を配るし、挨拶も欠かさないから近所での評判も良い。ただ、母親似の女顔を嫌って目付きがきつく なるため、近寄りがたいと言われることがあった。
 自分は、どこにでもいる平均的な中学生でしかない。だからこそ浩人にとって、昆虫の研究は重要だった。特にオオカマキリがいい。将来、カマキリのエキス パートになって平均的な人間から特別な人間になるのが夢だった。今は好きなことを自由に学べる貴重な時期であり、関心のある分野をどこまでも追求し極める ことが重要だ。大人になって社会に認められ、貢献するための準備期間なのだ。少しくらい変人と思われようと気にしていられない……はずなのだが。
「ちょっとぉ……ヒロってば、まぁた、か弱い芋虫ちゃん達を餌食にするつもりなんだぁ?」
 登校前の一仕事、自宅の裏にある市の契約菜園で餌の捕獲作業中だというのに邪魔が入った。この菜園ではニンジンやパセリの葉に、キアゲハの幼虫がいるのだ。
「食物連鎖だよ、餌食だなんて人聞きの悪いこと言うなよ」
 浩人は立ち上がりしな膝の土を払うと、足下のタッパーを拾い上げ蓋をした。目の前で同級生の彩花が呆れたように肩をすくめ、数匹の幼虫が収められたタッパーに意地悪な目線を送る。
 伊藤彩花は幼稚園から一緒の幼なじみで、お互い言いたいことを言い合う中だ。小学校低学年まで一緒にお風呂に入ったし、異性として意識したことも無い。 つい最近まで一緒にザリガニを釣り、バッタを追いかけ、部屋までカマキリの飼育箱を見に来て餌にするコオロギの足をちぎってくれた。
 ところが中学校に入った途端、彩花は以前の彩花ではなくなった。男の子のように短かった髪は、朝日を受けてきらめく長い髪になった。小麦色に焼けた細い 手足は丸みをおび、白く柔らかそうになった。まったく興味の無かったはずの料理や裁縫をするため、家庭科クラブに入った。そして一緒に虫取りをしなくなっ た代わりに、浩人がいそうな時間帯の菜園に現れては、からかったり嫌味を言ったりするのだ。
 溜息を吐き、浩人はニンジンが植えられた畝からハーブ園に移動した。早朝なら、土に潜り込む前のヨトウガの幼虫が見つかるはずだ。バジルが爽やかな香り を放つ一角に座り込み、葉や茎の間を注意深く覗き込む。朝日と共に根本まで降りてきているかもしれないので、土の上も探してみた。湿った土の上にヨトウガ はいなかったが、細いストローくらいのミミズが健気に土を食んでいた。濡れた土の中で酸素が足りなくなり、地上に出てきたのだろう。だがミミズはダメだ、 土が混じった餌はカマキリ達が好まない。
「あーあー、可哀想に。この芋ちゃん達は、春になっても空に舞うことが出来ないのねぇ。このムシオタクに捕まったばかりに……」
 無視すれば帰ると思っていたのに、まだいたのか。
 そっちがしつこく嫌味を言うつもりなら、こちらも報復する権利がある。平静を装いながら浩人は、後ろ手の格好で立ちあがった。
「彩花、イイモノ見つけたんだけど見る?」
「え? なに? きゃあっ、いやぁあああんっ!」
 彩花の顔から血の気が引いた。浩人が隠し持っていたミミズを、ブラウスの胸元に投げ込んだからだ。
「あっ、いやっ、ああっ……んっ! 取ってよ、気持ちわるいっ!」
 セーラー・カラーの白いブラウスから紺色のリボンを外し、彩花はバタバタ裾を振る。ところが中学二年生にしては豊かな胸の谷間に入り込んだミミズは、なかなか落ちて来なかった。
「取ってよ、ばかっ!」
「えっ、だけど……」
「いいからっ、早くとってえっ!」
 意外な反応に、浩人は狼狽えた。小学生の彩花は、シャクトリ虫を集めて競争させるほど虫が好きだった。たかがミミズ一匹、平気でつまみ上げ投げ返してくると思ったのに、これほど大騒ぎするとは。
「じゃ、じゃあ……ちょっと、じっとしてて」
 手にしたタッパーを地面に置き、浩人は彩花の胸に手を伸ばした。
 握りしめた両手をワナワナと震わせ、彩花は身体を硬直させている。胸元を覗き込み、二つの乳房が窮屈そうに治まった白いスポーツブラジャーの中に蠢くピンク色のミミズを捉えようと、浩人は二本の指を滑り込ませた。しかし危機を察したミミズは、奥へ奥へと潜り込む。
「あっ……はぁ、はぁっ……はっ、はやくっ!」
 彩花が、ぶるっと身体をわななかせた。頭に血が上るのを自覚しながら、浩人はなお深く指を入れ隙間をまさぐった。指を動かすたび彩花の身体は震え、乳房がじわりと汗ばむ。
 こんなところを誰かに見られたら? ちらりと考えて、浩人は素早く辺りを見回した。幸いなことに平日早朝の家庭菜園に人気はなく、少し離れた道路に犬を散歩させる老人の姿が遠く見えるだけだ。
 それでも辺りに気を配り、ようやく引っ張り出したミミズを浩人は土に放した。
「もうっ、サイテー! ヒロのエッチ!」
 びしっ、と、彩花の平手打ちが浩人の左頬に決まった。衝撃でよろめいた体勢を、かろうじて立て直し浩人は彩花に挑みかかる。
「何すんだよっ!」
 頬を紅潮させた彩花は、胸元を押さえ涙目でじっと浩人を見つめた。そして何も言わずに踵を返し、唖然とする浩人を残して走り去った。
「なんだよ、ちぇっ……」
 小学生レベルの悪戯に、迷惑な訪問者は呆れて帰るはずだった。予測不能な事態に狼狽え、つい言われるがまま胸に手を入れてしまったが、相手が彩花だから出来たことかも知れない。他の女子なら絶対に無理だ。それ以前に、ミミズを投げつけるような事はしない。
 憤りが収まると、浩人はしゃがみ込んでタッパーを手に取った。するとタッパーの影に隠れていたミミズが、大急ぎで土の中に潜り込む。コイツも自分も、とんだ災難にあったと苦笑しながら、浩人の頭の中は別のことで一杯になっていた。
 柔らかく暖かな、彩花の胸。愛しいオオカマキリの腹と同じ、絹の手触りと感触。小さな喘ぎ、甘い匂い。
 どくり、と、心臓が鳴った。大量の血液が全身を巡り、過剰供給された酸素で頭がぼうっとする。見つめる土の上に、ミミズの姿はもう無かった。しかし今頃になって熱に浮かされた浩人の意識は、宙にさまよったまま戻らない。
「ここで、何をしているの?」
 誰かが耳元に囁いた。その瞬間、浩人は意識と心肺機能を取り戻す。
「カッ、カマキリの餌、捕まえてましたっ!」
 相手の確認もせずに叫び、慌てて顔を上げた。左隣で浩人と同じように、しゃがみ込んでいた少女が微笑みを返す。裾が汚れないように、膝に巻き込んだグレーのボックスプリーツ。この制服は、近くにある私立女子高校のものだ。
「やっぱり……キミがカマキリオタクの暮林浩人くんね? ようやく会えた」
「あ、はい」
 初対面で、いきなり「カマキリオタク」呼ばわりとは。普通なら不愉快に思うところを、浩人は素直に返事をしてしまった。少女の白すぎる肌と鮮やかな唇、 緑がかったガラスのような瞳に神秘的な存在を感じたせいかもしれない。輸入雑貨を扱う母親の店で見た、ナイロンと陶器で作られたビスクドール。少女の美し さは、血の通った生身の人間と、かけ離れた存在に思えた。
 ようやく会えたと少女は言った。浩人のライフワークを知った上で探していたのだろうか?
「そう、キミを探してた。私もオオカマキリ飼育してるんだけど、今年はいい雌の個体が手に入らなくて困ってるの。キミはどう?」
 考えを読まれた驚きを隠し、浩人は飼育箱に入った『彼女』の姿を思い浮かべた。
「雌ですか、ボクはどちらかと言えば……」
 言いかけた浩人は、続く言葉を猜疑心と警戒心から飲み込んだ。これは何かの罠か、冗談ではないか? オオカマキリを飼育し、都合良く雌の個体を探している女子高生などいるはずがない。
「そうだよね、信用できないよね」
 また、考えを読まれた?
「なら、うちの飼育箱を見に来れば? 今日の放課後、あいてる?」
「はぁ、まあ……」
「それじゃ夕方5時頃、ここに来て」
 断る理由もない。自分以外の人間が飼育するカマキリに興味もあって、浩人は小さく頷いた。
「もし私が遅れても待っててね。ところで時間大丈夫? 学校始まるよ?」
 少女は自分の携帯電話を開き、時間を示した。
「えっ、あっヤバっ、遅刻する!」
 鞄とタッパーを抱え走り出した浩人の背中を、少女の声が追いかけた。
「あたしは瀬名透子、W私立女子高二年生よ。夕方にまたね、暮林くん!」
 振り返らず、浩人は走った。
 走りながら頭の隅で、彩花と一緒の所を見られただろうかと考えていた。

 ※

 殴るつもりはなかった、意志に関係なく手が出ただけだ。
 朝のホームルームを上の空で聞きながら、机で頬杖をついた彩花は大げさに溜息を吐いた。自分でも、もう少し素直になれないかと思う。浩人がいそうな場所と時間帯に足を運んでしまうのは気になるから。そしていつも、迷惑がられてしまうのだ。
 子供の時みたいに、畑や草むらで虫取りが出来れば良かった。しかし中学生にもなった女の子は、そんな真似が出来ない。これでも少しは容姿に自信があるし、複数の男子とも遊んでいる。よりによって、あんなムシオタクが気になるなんて……。
 窓の外には雲一つ無い秋空が広がり、『赤とんぼ』の名で親しまれるアキアカネが二階の窓の外まで飛んできている。ハートの形に繋がっているのは交尾中 だ。毎年、防火用に水を張ったままのプールで産卵する光景が見られるが、無駄な行為だと思った。塩素と苔で汚れた水の中で、ヤゴが生きられるわけがない。 トンボの幼虫は、デリケートなのだ。
「馬鹿な子達よねぇ……何も考えないで、本能だけで生きてるんだから」
 アキアカネを見つめ呟いた彩花は、ふと、以前聞いた浩人の言葉を思い出した。
『昆虫だって、気に入らない相手とは交尾しないんだよ』
 では、あのアキアカネ達は産卵が目的ではなく恋愛で繋がっているのだろうか? 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、ロマンチックな想像にうっとりして彩花は青空に視線を泳がせる。
「遅刻だぞ、暮林」
 今まで担任の言葉を無視していた耳が、突然その名前に反応した。
 担任の目線を追って振り向くと、教室後ろの入り口から浩人が顔を出していた。クラスメートの男子数人が、ニヤニヤしながら早く入れと手招きする。
「研究熱心なのは解るが、遅刻はしないように。いいな?」
 理数系専攻の若い教師は、少し顔をしかめただけで浩人の着席を許した。
「ねぇ、ちょっと、なんで遅刻したの?」
 斜め前の浩人に、彩花は小声で呼びかけた。ビクッと肩を震わせ顔を向けた浩人は、意外な物を見るように丸く見開いた目をすぐに伏せた。
「……関係ないだろ」
 今朝、会ったばかりなのに『関係ない』と言われ彩花はムッとした。だがすぐに、あの出来事を思いだしカッと顔が熱くなる。正面を向いた浩人の耳も、心なしか赤くなっているように思えた。
「あのさ、アレは浩人の方が悪いと思うけど私も殴っちゃったから、チャラにしてあげようか?」
 聞こえているのか、いないのか、浩人の反応はない。
「あ~そうだ、こないだT公園でショウリョウバッタとカマキリたくさん見たんだよね。放課後行ってみる? 捕獲手伝ってもいいし」
「うっさいな、今日は用事あるから。もう話かけるなよ」
 冷たく突き放した言い方に、彩花は言葉を失った。
 今までどれだけ嫌味を言っても、からかっても、こんな反応をされた事はなかった。困った顔や迷惑そうな顔をしても、許してくれていると思った。幼稚園の頃から喧嘩は年中行事だが、いつでも仲直り出来た。
 寂しさと悲しさが、ないまぜになって彩花を襲う。そして次第に、いい知れない焦りと怒りが付加されていった。

 ※

 約束の時間、浩人は自分自身が信じられない気持ちで契約菜園入り口に立っていた。
 夕方5時を過ぎた西の叢雲を残照が彩り、宵闇が迫る東の空は星が輝いている。野菜の収穫後に引き抜かれ、菜園の隅に積み上げられた葉や茎の下からは虫の大合唱が聞こえてきた。
 今朝は成り行きで約束したが、『トウコ』と名乗った少女は本当に来るだろうか? 
 不安を紛らわせるため菜園に入った浩人は、ビニールテープを通した鉄杭で仕切る区画間を歩いた。菜園はテニスコート三面ほどの広さで、隠れる場所など無い。一周して誰も来なければ、帰ろうと思った。
 浩人の足音に驚き、孵化したばかりの小さなコオロギが土の上で跳ね回る。捕獲用の容器を持ってくるべきだったと呟いてから、一緒にショウリョウバッタを捕りに行こうと誘う彩花の言葉を思いだして苦笑した。
 今朝の一件が、何もないかのように声を掛けられ驚いた。しばらくは気まずい状態が続くだろうと覚悟していたからだ。確かに状況は切迫していたし、イヤラシイ事を考える余裕もなかったが。
 一日中、あの感触に頭を支配され気持ちが昂ぶった。話しかけるなと言って彩花を突き放し、帰宅するまで顔を合わせないように避けたのは、理性で抑え込めない衝動に戸惑い罪悪感を感じたからだ。
「あんなヤツ、知ったことか。オレは悪くない、いちいち口出しする彩花が悪いんだ」
 投げやりに呟いた浩人は、菜園の細い通路を遮る黒い帯に気が付いて足を止めた。目を凝らすと、長々と連なる蟻の行列だ。腹いせに踏み散らしてやれと足を上げたが、思い直した。
 小学校二年生の時、遠足で行った隣町の公園で大きな蟻の巣を見つけた。水筒のお茶を流し込もうとしたクラスメイトを止めて喧嘩になり、体格の良い相手に敵わず浩人は泣き出してしまったのだ。すると彩花が、怒って相手に挑み掛かった。
 あの時は彩花の加勢が嬉しくもあり、悔しくもあった。現在はどうだろう? 心のどこかで、彩花より強くありたいと思っているのかもしれない……。
「ゴメン、待たせちゃって。すっかり暗くなったね」
 声のした方に顔を向けると、枯れたサヤエンドウの蔓が絡まる菜園フェンス向こうに一人の少女が立っていた。
「あ、どうも……」
 軽く頭を下げ、浩人はフェンスに近づく。透子は今朝と同じ制服姿だが、学生鞄は持っていなかった。
「一度帰宅して、チビ達にご飯あげてきたんだ。暮林くんは?」
 透子にとって『チビ達』とは、飼育しているカマキリを指す言葉に違いない。
「ボク……俺も餌は与えてきました」
 初対面の相手には大抵『ボク』と言うのだが、少し気負って『俺』と言い直す。
「そう、じゃあ、ゆっくり出来るね」
「え?」
 意味ありげに微笑んだ透子が、くるりと踵を返した。ついてこい、と言うことだろう。浩人は急いでフェンスを廻り、走って透子に追いついた。
 既に日は落ち、民家よりも畑が多いこの付近は暗闇に支配されていた。女性が一人で歩くのを嫌がる場所だが、透子は軽い足取りで楽しそうに歩いていく。時 折立ち止まっては虫の声に耳を傾け、秋の匂いのする冷たい空気を胸一杯吸い込み、空を見上げ、また歩き出した。一定の距離を保ちながら、歩調を合わせるの に苦労している浩人にお構いなしだ。
 道路整備計画から取り残された狭い道は、車が来れば立ち止まって避けなくてはならない。しかし透子は、ひらりと車の横を摺り抜けた。ヘッドライトに白い 顔が浮かび上がり、髪が虹色にきらめく。月明かりの下、その姿は幽玄の美しさがあり消えてしまいそうに儚かった。見失えば永遠に会えない気がして、浩人は 必死に目を凝らす。
 十分ほど歩くと、見覚えある公園が見えてきた。今朝、彩花に誘われたT公園だ。どこかに彩花がいないかと、浩人は足を止めて公園内を見渡す。
「どうかした?」
 公園の入り口で、透子が振り返った。
「T公園は、たまに餌の捕獲で来るから……」
「ああそう、この公園は煩いから嫌い」
 透子は眉根を寄せ、足早に公園を横切った。
 確かにT公園は、夏場になると幼い子ども達が十九時近くまで遊び深夜まで花火をする連中もいる。しかし寂しい外灯に照らし出された十月の公園は人影もなく、深まりゆく秋を静かに受け入れているようだった。
 彩花がいなくて良かったと、浩人は安堵の息を吐く。透子と一緒の所を見られたら詮索されるに違いないからだ。後ろめたいことが何も無くても、説明するのは煩わしい。
 公園を抜けた反対側の通りは、瀟洒な住宅が連なる遊歩道になっていた。その中で一際大きな家の門前に立ち、透子が浩人を待っている。各窓にテラスが付い たヨーロッパ調の洒落た家だ。ガーデニングセンスの高さを伺わせる、真鍮の白い柵に囲まれた広い庭。駐車スペースに停めてあるのは、黒いメルセデスだ。
 浩人が追いつくと透子は門柱のインターホンを押し、応対の声に「あたし」と応えた。すると門の電子ロックがカチリと音をたて、アプローチにそったフットライトが灯る。
 天然石の石畳を数メートル歩いて玄関に辿り着いた途端、ステンドグラスの填め込まれた重そうなドアが開き、浩人の母親と同じ年齢くらいの女性が現れた。家の中から、モニターしていたのだろう。
 透子の母親と思われる女性は長い髪を一つにまとめ、カッターシャツに細身のパンツをはいてシンプルな黒いエプロンをしていた。夕飯の支度中らしく、オリーブオイルで炒めたニンニクの匂いが玄関先まで漂ってくる。あまり長居をしては悪そうだ。
「ママ、この人、暮林くん。チビ達のことで相談があって来てもらったの。部屋にいるから邪魔しないでね」
 母親の顔も見ずにそう言うと、透子は家に上がった。
「そう……じゃあ後でコーヒーでも持って行きましょうね」
「いらない、邪魔しないでって言ったでしょ!」
 戸惑う目線を向けた透子の母親に軽く頭を下げ、促されるまま浩人は靴を脱ぎ玄関右手にある螺旋階段を上った。吹き抜けのリビングを見下ろすギャラリーを渡り、透子が案内したのは廊下の突き当たりにある一番奥の部屋だ。
 部屋のドアを開けた途端、ひんやりとした空気が浩人を包み込んだ。ちりちりと腕の毛が逆立ち、背筋に冷たい物が這い伝う。
 何か異質なものが、浩人の進入を拒んでいた。
 だが透子が電気をつけた途端、すうっと、その不思議な感覚が消え去った。いま感じた違和感は、何だったのだろう? 
 女の子らしい普通の部屋だった。窓際に置いたベッド、裾に白いレース飾りが付いたオレンジ色のカーテン、きれいに整頓された学習机、パステルカラーの本 棚。フローリングの床には花柄のラグが敷かれ、小さなガラステーブルが置いてある。どこを見回しても飼育箱は見あたらなかった。
「そんな不思議そうな顔しないでよ、お目当てはこっち」
 本棚の影にクロゼットらしき扉。透子は悪戯っぽく笑うと扉を開けた。
 四畳半ほどもあるウォークインクロゼット、その中は透子の部屋とは別の空間だった。天井まである作り付けの棚三面のうち一面は、隙間無く飼育箱が並んで いる。中には珍しい外国産のカマキリも飼育されていた。もう一面には餌用のコオロギの缶詰、ミールワームの入った瓶、蛾や蝶の幼虫がうごめく半透明のプラ スチックケースが並ぶ。残る一面は蔵書棚だ。充実した専門書の中には、美しい装丁の洋書も何冊かあった。
 素晴らしいコレクションに、思わず浩人は感嘆の吐息を漏らす。
「すげぇ……このコオロギの缶詰、外国産だよね。どうやって手に入れてるの?」
 缶詰を手に取り、しげしげと眺めた。
「ネットで買ってる。飼育始めた頃はコオロギの生き餌を捕まえてきたけど、暗くすると鳴くでしょう? あれ、煩いから缶詰にしたの。この子達全員の分、補うのは大変だし」
 頷きながら同時に、女の子の部屋に相応しいコレクションではないと思う。浩人以外の人間なら、透子を変人扱いするに違いない。おそらく透子は長い間、自 分の理解者を求めていたのだ。そして、浩人を探し出した。なんと素晴らしい出会いなのだろう! 浩人自身、同胞を得た喜びに身震いする。
 ライフワークと自負しながらも、浩人の中にはいつも孤独感があった。ネットで仲間を見つけ掲示板で話すことはあっても、オフ会に出たことはない。同じ趣 味を持っていても、ネット上の彼等は社会との繋がりを絶った変人に思えたからだ。自分は彼等と違う、引き籠もり自己完結した世界の住人ではない。
 透子は、浩人と同じスタンスを持つ仲間だ。自分の世界を保ちながら、外の世界を受け入れられる人間なのだ。
「あの、透子さん……が一番お気に入りの個体を見せてもらえないかな」
 沸き上がる興奮を、表に出さないようにしながら浩人は頼んだ。浩人の反応に満足した顔で、透子は胸の高さにある段からひときわ大きな飼育箱を引き出す。そして勿体ぶるようにわざと背中を向け、両手で抱えた飼育箱を床に置いた。
「アタシ……少し前からキミのこと知ってたわ。何度か声を掛けようと思ったけど、自信を持ってキミに見せられる個体が無かったの。だけど何百匹も犠牲にして、ようやく強くて大きくて美しい色艶の個体が完成した」
 一瞬、浩人の頭に気になる単語が引っ掛かった。しかし透子自慢の個体を見たいと逸る気持ちが強く、突き詰めて考えることは後にした。
 飼育箱の蓋を開けるため屈んでいた透子が立ち上がり、ゆっくり浩人に向き直る。大事そうに両手で包み込まれているのは、雄のオオカマキリの個体だった。
「すごい、綺麗だ」
 そっと開かれた掌に顔を近づけ、浩人は呟いた。
 青みがかった深い緑色の身体、整った正三角形の顔、黄水晶のような眼。通常のオオカマキリ雄より、一.二倍は大きいだろう。素晴らしく長い触覚をもち、前足のカマがやや幅広い。
「どうやれば、こんなに綺麗な色になるのかな? 多くの個体は、幼令から脱皮する段階で茶色い筋が入るんだよね」
「最初は環境かなと思って、緑色の画用紙貼ったり、毎日新しい植物に入れ替えたり、青虫だけ選んで餌にしてみたり……」
「あ、それ、俺もやってみた」
「でしょ? それでも結果が出なかったから、色の綺麗な個体だけ選んで飼育してみたんだ。その中で産まれたこの子が、何度脱皮しても奇跡的に色が変わらなかったの。方法が正しいかどうか確かめるには、まだ何年もかかると思うけど」
「そっか……なるほどね。俺もそのやり方、試していい? データを提供するよ」
「もちろんよ、データが多い方が正確な判断が出来るわ。素敵、二人だけの研究テーマになるね」
 楽しかった、嬉しかった。透子なら、浩人のことを解ってくれると思った。浩人も透子のことを理解出来ると思った。この美しい雄と『彼女』を掛け合わせたら、どんな個体が産まれてくるだろう? 想像するだけで心地よい陶酔感に包まれた。
 しかし問題は交尾だ。カマキリの交尾は雄が雌に喰われてしまうことで有名なのだ。透子は雌の個体を探していると言ったが、リスクを冒してまで『彼女』と交尾させてくれるだろうか?
「あのさ、雌の個体探してるって言ったよね?」
「そうよ、草むらで捕まえた雌じゃなくて、この子に相応しい雌を探してるの。暮林くん、持っているんでしょ?」
「う……ん。でも『彼女』は、かなり大きいから心配なんだ」
「なにが?」
「だってほら……」
 交尾、の言葉を浩人は言い出しにくかった。目の前にいるのは年上の女性だ、幼なじみの彩花とは違う。
 透子は眼を細めて意地悪そうに口の端をあげると、戸惑う浩人の顔に自分の顔を寄せた。甘い香りの髪が、鼻腔をくすぐる。
「ヤッてる最中に、この子が喰われると思った?」
 カッと、顔が熱くなった。清楚で美しく、神秘的な雰囲気を持つ透子から思わぬ言葉が出たからだ。狼狽えながら、必死に浩人は弁解する。
「『彼女』は力も強くて、飼育箱の蓋に雑誌を乗せてないと脱走するんだ。透子さんの雄は小さいから、きっと……」
「うちの子が小さいって、どういうこと!」
 急に大きな声を出し、透子が立ち上がった。唇を真一文字に結んで、眼に怒りをたぎらせている。
「なにそれ? 自分の個体、自慢してるわけ? 閉鎖的なオタクは、自分が一番だもんね! もういいよ、帰って!」
 何が起きたのか解らなかった。
 鬼女のごとく恐ろしい形相でありながら、透子は凄絶な美しさに彩られていた。浩人は抗えない力に捕らえられ、目を逸らすことが出来ない。皮膚が粟立ち、息が止まった。開放される為には、何か言葉を発しなければ。
「そっ、そういう意味じゃないよ。透子さんの個体は魅力的だから、すごく欲しい。だけど大切にしている個体を、傷つけたりしたらと思うと……」
 意識を引き留めながら、ようやく言葉を絞り出した。すると透子の表情が少し和らぐ。浩人は必死で、弁明を続けた。
「一般的に雄は雌より小さいけど、この雄カマキリは普通よりかなり大きいよ。透子さんが言うように力が強いなら、交尾中に『彼女』の頭をカマで押さえているかもしれない。もし喰われそうになったら、すぐに引き離せばいいし。だから、その……」
「力も強いし、すばしっこいのよ、うちの子は.」
 手の上で、透子は雄カマキリを愛おしそうに撫でた。どうやら機嫌を直してくれたようだ。途端、浩人は呪縛から解放される。
「いいわ、あなたの言いたいことは解ったから自慢の『彼女』を紹介しなさい。きっと『彼女』は、この子を気に入ると思う」
 浩人はゴクリと、生唾を飲み込んだ。だが渇いて貼り付いた喉は、癒されなかった。清楚な女子高生の顔、美しくも妖しく恐ろしい顔。そして今、目の前にあるのは聖女の微笑み。
「いつ見せてくれるの?」
 透子はグロスを塗ったように艶めく唇を少し舐め、美しい緑色のカマキリをアクセサリーのように纏わせた手で浩人の肩に触れた。ビスクドールの、白く透明な肌。長い睫毛に縁取られた、ガラスのような瞳。
 鋼の呪縛が、絹糸の呪縛になった。操られるように浩人は、透子と長く一緒にいられる時間帯を探す。
「土曜日の午後……なら、家にはボク以外誰もいない」
「ご両親は、お仕事?」
「レストランマネージャーの父さんも、輸入雑貨の店を経営してる母さんも、土・日は忙しいんだ。昼近くに出かけて、深夜にならないと帰ってこない。だから誰にも、邪魔されない」
「そう、じゃあ土曜日の昼過ぎに行くね。もちろん、この子を連れて」
 頷きながら浩人は、安易にこの出会いを喜んではならない気がしていた。会話の初めで、頭の隅に引っ掛かった言葉は何だ?
 透子の家を後にしてからも、疑問の答えは見つからなかった。

 ※

 二日後の土曜日が、待ち遠しかった。
 正確には期待感から待ち遠しくもあり、いまだ正体を掴みきれない透子に会うのが不安でもあった。
 雄カマキリは、交尾を続けながら抵抗もせず喰われていく。死と引き替えにしても種を残そうとする本能なのか、それとも栄養を蓄え産卵するために雌カマキ リが暗示を掛けているのか。もしかしたら、喰われても離れたくないほど雄カマキリは一個の雌に執着しているのかもしれない。
 透子に見つめられた浩人は雄カマキリの気分だった。畏怖を抱きながらも惹かれ、離れることが出来ない。繋がり続けるかぎり、甘美な夢に墜ちていられるのだ。
「……浩人、暮林浩人。授業中に、ぼんやりするな。おまえの好きなカマキリは秋の季語だぞ、なにかあるだろう?」
「え、あ、はい。ええと……」
 今は四限目、現国の授業中だった。黒板に学習内容である現代俳句が数本、定年近い国語教師の汚い字で書き出してある。国語教師なら、もう少しマシな字を書いて欲しいところだ。思考を覆った霞を無理やり追い出し、浩人は現実を迎え入れた。
「かりかりと蟷螂(とうろう)蜂の皃(かお)を食む」
「ほう、山口誓子の句だな。山口誓子というのは、新興俳句運動の指導者的立場で―」
 国語教師は浩人の読みあげた句を黒板に書き付け、教科書から脱線した講義を始めた。あと十分ほどで授業時間が終わる。隙間時間を埋めるのに、丁度良い題材を提供したようだ。
 終業のチャイムが鳴ると、教師の終わりの言葉も聞かず数人の生徒が教室から出て行った。この中学校は自校給食なので、配膳担当は大急ぎで取りに行かなくてはならない。
「昨日、T公園にいたでしょう?」
 教科書を片付けようとした浩人は、斜め後ろの声にドキリとして振り返った。声音から想像した通り、彩花の怒った顔がある。
「別に……用があって通っただけだし」
「何の用?」
「関係ないだろ。おまえこそ何だよ、俺のストーカーか?」
「フザケンナ、だーれがヒロなんか!」
 彩花は勢いよく立ち上がり、これ見よがしにそっぽを向いた。
 また、いつもの癇癪だ。幼稚園の頃からの決まり文句、同じ態度。いつも先に喧嘩を仕掛け、一人で怒って、一人で自己完結して、自分から仲直りしに来る。
 無視して机の中に教科書を突っ込み、浩人は小さく溜息を吐いた。
 透子との出会いは新鮮で、興奮するような出来事を期待できた。だがそのために古くからの友人を、ないがしろにすべきではない。近しい女の子から他の女の子に気が移る後ろめたさを正論に置き換え、浩人は自分を納得させた。
 パンにポークビーンズ、サラダと牛乳の成長期男子には物足りない給食を食べ終えた後、浩人は身体を後ろに向けて彩花のトレーから牛乳パックを取り上げた。
「もーらいっ!」
「今日はあげない、イチゴ牛乳だし!」
 彩花の牛乳は大抵、浩人が頂くことになっていた。小学校の給食から変わらない恒例行事だ。
「今日さ、J公園でコオロギ捕まえるから手伝えよ」
 芝生の多いT公園はショウリョウバッタが多いが、低木の多いJ公園にはコオロギが多い。それにT公園は透子の家が近いので、彩花と一緒の時に会いたくなかった。
「えっ、あ~暇があったらね」
 浩人の誘いに彩花は、ぱっと顔を輝かせた。しかし隣の席で意味ありげにニヤニヤする女友達に気が付き、わざとらしく顔をしかめる。
「んじゃ、暇があったらJ公園でな」
「たっ、多分いかないけどねっ!」
 了解の意味で片手をあげ、浩人は彩花の牛乳パックを手に教室を出た。
 理由はわからないが、妙に清々しい気分だった。

 ※

 J公園は住宅街を外れた丘陵地帯にあり、浩人のテリトリーの中で一番遠い公園だった。といっても、自転車で二十分くらいだ。
 手付かずの山林に囲まれた広い運動公園は、休日になるとスポーツを楽しむ親子連れで賑わっている。しかし平日は、飼い犬を放しに来る数人を見かける程度だった。
 公園を取り囲む低木林で落ち葉を蹴り上げると、幼令のコオロギが跳ね回った。目の細かい魚取り網ですくい上げ、広口瓶に入れる。小一時間も藪を突いていただろうか、中腰の姿勢に疲れて空を見上げると、澄んだ青空に鰯雲が帯を掛けていた。
「疲れたー、もうそろそろ辞めようよ。瓶も一杯になったよー!」
 二十メートルほど後ろでコオロギを捕獲していた彩花が、情けない声で浩人に訴えた。
「ああ、わかった。左の遊歩道にベンチあるから座ってて。なんか、買ってくる」
「あたし、ミルクティー。あったかいのがいい」
「は? 冷たいのがいいって?」
「冷たいの買ってきたら、ぶっとばす!」
 笑いながら、浩人は自販機に向かった。
 また殴られては困るので、温かなミルクティーとコーヒーを買い、彩花と並んでベンチに腰掛けた。少し肌寒い風が遊歩道に沿って群生するススキを揺らし、 赤トンボが一斉に飛び立つ。遠くに聞こえる犬の鳴き声と、機影の見えないヘリコプターの音。さわさわと揺れる、ケヤキの枝。
「あぁ、あったかくて美味しい。労働報酬としては安いけど」
 彩花が浩人に笑いかけた。オレンジ色のロンTにジーンズ、髪をポニーテールにまとめてきたのは、低木林で虫取りをするのに動きやすいからだろう。捕獲用の広口瓶に網、落ち葉をつつく枝も用意して万全の体制だ。
「おまえ、変だよな。中二にもなって男子と虫取りしてんだから」
 彩花はミルクティーの缶に口をつけたまま、眼だけを浩人に向ける。そしてググッと残りを飲み干し、大きく息を吐いた。
「しょうがないじゃん、浩人が好きなんだもん」
「え?」
 耳を疑い、浩人は目を丸くした。いま、彩花は何を言ったのだろう? 聞き間違いか?
 一瞬の間を置き、彩花は自分の言葉の意味に気付いた。途端、慌ててベンチから立ち上がり浩人から離れる。
「ちょっ、ちょっと誤解しないでねっ。そういう意味じゃなくて、ヒロが虫好きだからって意味で、だから幼なじみとして協力してあげようと思ってるだけで……」
 赤くなって狼狽える彩花に、浩人もどう言えばいいか解らない。
「お、おう……」
 曖昧に返事をしたものの、気まずい沈黙が二人の間に流れた。間を持て余して缶コーヒーを啜ると、微糖のはずなのに甘さだけが舌に残る。
 友情から一歩進んだ感情が、少しずつ芽生え始めていた。気が付かない振りをしながら、でもどこかで認めていた。カマキリに注ぐ愛情とは違う、生身の感情だ。戸惑いはあった、けれど少し別の視点から幼なじみを意識してもいいかもしれない。
「なんか寒くなってきたね、そろそろ帰ろっか……」
 ちょこんと、彩花が浩人の隣に座り直した。日は西に傾き、鰯雲を緋色と金色に彩っている。赤トンボが一匹、彩花の肩に止まった。
「こいつが休んでるから、もうちょっと動かないでいよう」
 浩人の言葉に、彩花が笑った。
「ホント、虫が好きだねぇ……まあ、いっか」
 赤トンボは長い時間、飛び立とうとはしなかった。

 ※

 J公園からの帰り道、すっかり暗くなったので、浩人は彩花を家まで送ってから自宅に向かった。
 大量に捕獲したコオロギを、カマキリに与えるのが楽しみだった。しかし浮き足立っていた理由は他にもある。はっきりとした感情はまだ伴わないが、彩花との関係が変化して嬉しかったのだ。
 家の近くまで来ると、外玄関に明かりが灯っていた。まだ両親が帰宅する時間ではない。外玄関の明かりは夕方五時から明け方まで、対人センサーで灯るようになっている。たまたま両親のどちらかが早く帰ったのか、それとも誰かが玄関にいるのか?
 少し手前で自転車を降り、様子を覗った。玄関前に誰かが立っている。その人物は何度かチャイムを押し、誰も出てこないと解ると諦めたように踵を返した。どこかで見たことがある、四十歳くらいの女の人だ。
「あの、何か用ですか?」
 後ろ姿に声を掛けると、驚いた顔で女性が振り返った。
「もしかして、透子さんのお母さんですか?」
 確かに透子の家で見た、エプロン姿の母親だ。彼女は浩人に軽く会釈をして玄関前に戻ってきた。不審な面持ちで浩人は自転車を玄関脇に止める。
「お世話になっています、瀬名透子の母です。何度か伺ったのですが、お留守だったみたいで……遅い時間にすみません」
「えっと、ボクに何かご用ですか? 親は九時過ぎまで帰らないんですけど」
 もしや、透子に近付くなと言いに来たのだろうか? 浩人から見て透子は良家の子女だった。初めて会った時に着ていた制服は、浩人でさえ知っている私立名 門女子校の制服だ。大きな輸入住宅に手入れの行き届いた庭。駐車場にはメルセデス。なおかつ一人娘となれば、家に上げる男友達も選ばれるだろう。
 だが、予想は大きく外れた。
「透子と……良い友達になってください。あの子にとって、あなただけが理解者なんです」
 母親が自ら出向き、友達になってくれと頼むなど常識ではあり得ない。いったい何を考えているのだろう? 気味が悪いと思ったが、蒼白い街灯の下に浮かんだ彼女の表情は真剣で苦しげに見える。
「どういう意味ですか? 何もわざわざ頼みに来なくたって……」
「透子は難しい病気を抱えているんです。だから家に引き籠もりがちで、虫の飼育に没頭するようになりました。誰かを家に連れてくるなんて、今までなかったんです。出来るだけでいいですから、あの子と一緒にいてあげてください。お願いします!」
 深々と頭を下げられて、浩人は困惑した。ビスクドールのような肌や瞳は、病気のためなのだろうか? それにしても透子の母親の頼みは、浩人に重すぎた。 出会ったばかりの透子が病魔に冒されていると言われても、どう対応したらいいか解らない。良い友達とは、どんな友達なのだろう? 一緒にいてくれと言われ ても、透子がどう思うか解らないではないか。
「ボクには特別なこと、何も出来ないですけど透子さんとは友達ですよ。大丈夫ですから」
 複雑な心境を押し隠し、浩人は当たり障りのない返事をした。すると透子の母親は必死の顔つきを緩めたが、変わって何かを警戒するような目を周囲に走らせた。
「ありがとうございます、よろしくお願いします。それから……あの、一つだけ心配なことがあるんですけど」
「心配な事って?」
 病名は解らないが、命に関わるような発作があるのかも知れない。症状に関する注意かと思い、浩人は身構えた。
「あの子を、透子を怒らせるようなことは言わないようにお願いします。あの子はとても……危険なのです」
「危険……」
 どういう意味だ? 怒らせることで危険な症状が出るのだろうか。
 透子の母親が慎重に吐き出した言葉は、浩人を当惑させた。問い直そうとすると、拒むように首を横に振る。理由は言いたくないらしい。その時ちらりと、喉元に巻かれた包帯が見えた。
 何度も振り返り、深く頭を下げる姿を見送りながら浩人は、先ほどの浮かれた気分に一転して暗い幕が降りた気分だった。

 ※

 土曜日、浩人は憂鬱な朝を迎えた。といっても、既に昼近くなのだが。
 カマキリ達を日光浴させて一階のリビングに降りると、ダイニングテーブルの上にヤキソバを盛った皿がラップをかけて置いてあった。仕事に出かける前に、母親が用意したのだろう。
 母親の料理センスは、あまり浩人の口に合わない。ヤキソバを作る時はキャベツではなくレタスやキュウリを使い、アジアンテイストだと言ってナンプラーや 香菜を混ぜ目玉焼きをのせるのだ。普通のヤキソバにしてくれと言っても聞かないので最近は諦めて食べているが、毎週土曜日の昼食が同じでは食傷気味だっ た。
 先にシャワーを浴び、冷蔵庫から取り出した炭酸飲料を飲みながらテーブルについて、いつもと違うことに気が付いた。目玉焼きがのっていない。
 ラップを外すと、彩りの良い野菜と肉が入った普通のヤキソバだった。もちろんレタスではなく、キャベツが使ってある。皿の隣には、大型書店の包みが置いてあった。
「父さんが作ったのか、めずらしいなぁ」
 父親の仕事柄から、幼い頃より顔を合わせる時間が少なかった。それでも息子のことは気に掛けている様子で、たまにこうして昼食を用意したり興味がありそ うな本を買ってくれたりするのだ。浩人が昆虫に関心を持つようになったのも、風邪で寝込んだ時に父親から送られた昆虫図鑑が切っ掛けだった。
 ヤキソバを口いっぱいに頬張りながら書店の包みを開けた。中身は以前から欲しいと思っていた専門書だ。数ヶ月前に新聞の紹介記事を見て、父親がいる時に 何気なく話題にしただけなのに覚えていてくれたのだ。世界中の昆虫の生態を美しい写真と詳しい解説で紹介した高価な洋書で、一般書店で手に入れるのは難し いのだが確か透子の部屋に同じ物があった。
 急いで食事を済ませ部屋に戻った浩人は、透子が気付くことを期待して学習机の目立つところに本を置いた。タイミングの良いプレゼントだ、おかげで心配していた話題が確保できた。
 一通り部屋を片付けた後、落ち着かずに部屋を歩き回りながら、どのようなテンションで透子を迎えるべきか頭を悩ませる。父親の心遣いは、朝起きた時に感じた重苦しい気分を軽くしてくれた。しかし、透子の母親の言葉が頭から離れない。
 変に明るく振る舞うのも不自然だ、普段通りにすればいい。しかし長い時間一緒にいたら、病気のことを意識して失言してしまうかもしれない。あれほど透子 と二人だけの時間を楽しみにしていたのに今は傷付けないように振る舞えるか心配でならなかった。他に誰かいてくれたら当たり障りのない距離で話せるのだ が、思い当たる友人もいない。
 ちらりと、彩花のことを考えた。彩花を誘えば、女の子同士で話しが合うかもしれない。それとも透子のことを変に勘ぐり、お互い居心地の悪い思いをするだろうか?
 そういえば彩花は、T公園で浩人を見かけたと言った。なぜあの時間、公園にいたのだろう。怒っていたのは透子と一緒の所を見たからか?
「透子さん、まだかな……」
 彩花のことは後で考えよう。今日は『彼女』にとって大事な日だ。
 モルフォチョウのパネルを使った、浩人お手製の時計が十三時を差した時。
「こんにちは」
 玄関チャイムが鳴り透子の声が聞こえた。途端、浩人の心拍数が上がる。
 階段を駆け下り迎えに出ると、私立高校は土曜日も授業があったのか、制服姿の透子が玄関上がり口に立っていた。両手で抱えた大きなバスケットには、大切なオオカマキリの雄が入っているに違いない。
「じゃ、じゃあ……部屋に上がって」
 ぎこちなくスリッパを勧めてから、先に立ってリビング手前にある狭い階段を上がる。二階は階段を上ってすぐの右手ドアが浩人の部屋、正面のドアが両親の寝室、左手のドアが母親の経営する輸入雑貨店の品物置き場になっていた。
 部屋に招き入れられた透子は、浩人に断りもなくベッドに腰掛けると籐製のバスケットを床に置いた。そして、おもむろに浩人の部屋を見渡す。
「男の子の部屋に初めて入ったけど、意外と普通なんだ」
 ノートPCが置かれた学習机、飼育箱の並んだローボード、パイプベッド。参考書や昆虫辞典が並ぶ、背の高い本棚。クロゼットに収まらない上着が季節感無しに下がったコート掛け。昆虫の写真パネルが数点。
 お姫様を思わせる透子の部屋とは違い、殺風景な部屋である。一応、飲み物くらいは出すつもりで、以前リビングで使っていた低いガラステーブルを押し入れから探し出しておいた。
「普通じゃない部屋って、たとえばどんな部屋?」
 最初に透子とどう接すればいいか迷っていた浩人は、話題を振られて内心ホッとした。
「う~ん、そうだな。もっと雑然としてて、ゲームやマンガが山積みされてて、アイドルの水着写真が貼ってあって……」
「それ、すごい偏見。部屋はなるべく片付けてあるんだ、カマキリ達が逃げ出した時に見つけやすいからね。まあ、ポスターは今日外したんだけど」
「あ、じゃあ、普段は貼ってあるんだ」
「えっと、一枚くらいは」
 お気に入りのゲームキャラ・ポスター数枚は、透子の来る前に丸めてクロゼットに隠しておいた。女の子を部屋にあげるとなれば、露出度の高いポスターは見られたくない。
「そっか、ヒロ君は普通に女の子に興味があるんだ」
 透子は少し顔を伏せて上目がちに浩人を見つめ、うっすらと微笑んだ。知り合って日が浅いはずが、内面を見透かされているようだ。そのうえ親しげに愛称で呼びかけられ、心臓が脈打つ。
 浩人の立ち位置は、ベッドに腰掛けた透子を正面から見下ろす形になる。するとどうしても、ボタン三個を外したブラウスから覗く白い胸が視界に入った。 きっちり着込んだ襟のないライト・グレーのジャケットが際立たせる膨らみは、ゆるく結ばれた茜色のリボンタイに縁取られ、いっそう艶めかしい。意識しない ように努めても、目が逸らせなかった。形も大きさも幼い彩花の胸とは違い、豊かで張りがある。触れてみたい衝動に、駆られた。
 明らかに透子は、雌カマキリの性フェロモンを発していた。このまま惑わされ、言いなりになったら? その先に何が待っているのだろう。
 甘い陶酔感を理性で頭の隅に押しやり、浩人は不機嫌を装った。勘の良い透子に、妄想が悟られるのを恐れたからだ。
「俺のことなんか、どうでもいいよ。『彼女』を見に来たんじゃないのか?」
「そうだった、早くみせて!」
 透子の無機質な瞳が期待に輝き、満面に無邪気な笑みがこぼれた。数分前に大人びた性フェロモンを漂わせていた透子が、まるで別人のように幼く見える。
 呆気にとられながら『彼女』の飼育箱を手にした浩人だが、意外な一面を見て透子を可愛いと思った。と、同時に安心する。生気のないビスクドール、謎めい た年上の女性は、やはり血の通った少女だった。これならば、病気のことも忘れていられる。自意識過剰になっているのは自分だけだ。
 飼育箱をガラステーブルに置くと、透子がベッドから身を乗り出した。交尾の様子を見るには、餌やり用の窓ではなく蓋を外した方が良いだろう。そう判断した浩人はロックに手を掛けた。
「ニャアァァウゥッ!」
 背後で、猫の鳴き声がした。浩人は反射的に飼育箱の蓋を押さえる。
「やばっ透子さん、バスケット気を付けて!」
 慌てて透子はバスケットを抱え直した。
 開け放たれた窓縁から、灰色の猫がくるりと身を翻し飼育ケースの並んだローボードに降り立った。大きな音をたて、アクリルの飼育ケースが床に散乱する。
 猫はローボードから軽やかに降り立ち、ひっくり返った大小の飼育ケースと餌の入ったタッパーを鼻先で転した。そして雄カマキリ数匹が入った二番目に大き な飼育ケースに目をつけ、きっちり閉めてある蓋を開けようと爪で引っ掻く。しかし容器の蓋は容易に開かず、諦めきれない猫は中のカマキリを取り出そうと通 気用のスリットに爪を入れた。
 浩人は急いでコート掛けから上着を掴み取り、大きく振り回した。
「出てけよっ、このバカ猫っ!」
 猫は一瞬動きを止め、浩人を見て鼻をひくつかせながら低く唸り威嚇する。しかし分が悪いと踏んだのか、ローボードから身を躍らせ窓に飛び乗ると、手に入 れることの出来なかったオモチャを一瞥して捨て台詞よろしく一声鳴いた。そして窓近くに植えられている紅葉の木に渡り、柘植の生垣に移り降りて姿を消し た。
「はぁ……今日は被害無いかな、驚かせてゴメン」
 散乱する飼育ケースを並べ直し、足がちぎれていないか羽が破れていないか確かめながら浩人はカマキリ達に話しかけた。透子が立ち上がり、窓を閉めてカーテンを引く。
「あの猫、よく来るの?」
 低く静かな、明らかに怒気を孕んだ声だった。
「前に一度だけ。俺が学校に行ってる時、母さんが部屋を掃除して窓を開けたままにしてたんだ。そしたら入ってきて……」
 一年前の惨状を、説明する気にはなれなかった。
 猫はカマキリを食べない、オモチャにするだけだ。羽をむしり、頭をちぎり、腹を踏みつぶし、咥えた鼻先で暴れる様を楽しむ。頑丈な飼育箱に入った『彼 女』以外、全滅だった。以来、窓を開けたままにした事などないが、あの猫はカマキリ達を餌食にする楽しさから窓の開くチャンスを執拗に狙っていたのだ。今 日は透子を招くことで頭が一杯だったから、つい油断してしまった。失敗が悔やまれる。
「交尾は、止めた方がいいかもね。猫の騒ぎで『彼女』も動揺してると思う」
 深く溜息を吐いたあと、同意を求めて浩人は透子に目を向けた。カーテンの引かれた薄暗い部屋で、ベッドに腰掛け直した透子の瞳が妖しく光った……ように見えた。あるいは、隙間から漏れる日射しが反射しただけかもしれない。
「いいえ、交尾させましょう。少しのアクシデントは、かえって刺激的だし」
「えっ? でも……」
 普段の浩人なら賛成しかねる状況だった。カマキリはデリケートな昆虫で、警戒心も強い。危険を回避したとはいえ、数時間は様子を見るべきだ。そのうえで餌の食べ方や行動が普段と変わらないか確認し、交尾をさせたほうがいい。
 頭で解っているはずなのに、異を唱えるどころか素直に従いたい気持ちが勝った。
「そうだね、このまま交尾させよう」
「さあ早く、ヒロの大事な『彼女』をみせて……」
 透子の甘えたような囁き声が、浩人の耳たぶを愛撫する。交尾を中止すれば、透子は帰ってしまうだろう。言うとおりにすれば、失敗しても逢う口実が出来るではないか。頭の中に浮かぶのは、透子のことだけだった。
 飼育箱を乗せたガラステーブル前に座り、浩人はロックを外して蓋を開けた。お気に入りの枝に逆さでぶら下がった愛しい『彼女』が、警戒して少しカマを持ち上げる。透子は浩人と顔を並べ、飼育箱の中を覗き込んだ。息が掛かるほど近くに透子の唇がある。
「ほんと……大きいね。じゃあ後ろに入れるから、少し気をそらせてくれる?」
「あ、うん」
 透子は『彼女』の注意を餌でそらせ、少し離れた場所に雄カマキリを入れて様子を見るつもりだ。このまま一緒にカマキリを見ていたかったが、透子の目線に促された浩人は仕方なく餌用のコオロギを取りに立ち上がった。
 透子が『彼女』から三〇センチほど離れたところに、そっと雄カマキリを置いた。二匹の様子をしばらく観察したが動きはない。浩人は『彼女』が雄カマキリ の前を横切って歩くように、生け贄として処理されたコオロギをケージの隅に置く。すると間もなく、好物の動きに反応して『彼女』が歩き出した。正面二〇セ ンチほど離れた位置を通り過ぎた時、雄カマキリが、そろりと動いた。
『彼女』が歩けば歩き、止まれば止まる。動きに合わせ少しずつ間合いを詰めた雄カマキリは、『彼女』が前足のカマでコオロギを捕らえた瞬間、後ろから背中に飛び乗った。
「第一段階、成功ね」
 息を詰めカマキリ達を見つめていた透子が、ふっと安堵を洩らし微笑んだ。頭を振りながら餌にかじり付く『彼女』は、雄カマキリには目もくれない。どうやら交尾は、安全に済みそうだ。
「時間、どのくらい掛かるかな」
 浩人が呟くと、透子が意味ありげな視線を向けた。
 カマキリの交尾は時間が長い。雄が雌の背に乗って二十分から三十分で離れることもあるが、大抵は数時間、時には丸一日離れないこともある。他の雄を近づ けないためとか、雌の出すフェロモンに麻痺して動けなくなるなど数々の説があるが、どの説も確証には至っていなかった。だか長い時間離れないことが、雄が 雌の餌になる可能性を高めているらしい。
「そうね……うちの子を『彼女』が食べないように気を付けた方が良いけど、ずっと見張ってる必要は無いかな?」
「じゃあ飲み物と、お菓子持ってくるよ。温かいものならコーヒーか紅茶、冷たいものなら炭酸飲料しかないけど」
「……木曜の夜、ママが来たでしょう?」
 透子の返事を待ちながらドアノブに手を掛けた浩人の身体が、凍り付いたように固まった。
「なん……で?」
「知ってるよ。私の病気のこと、わざわざ教えに来たって」
 覚悟して、浩人は大きく息を吸った。とぼけても無駄だ、変に同情したり憐れんだりせず、普通に接すれば大丈夫だ。
「あまり詳しい話、聞いてないよ……カマキリの飼育のことで、色々相談に乗ってあげてと頼まれただけだし」
 浩人はドアから離れ、ガラステーブルを挟んだ正面に座り直した。
 瞬きもせず、表情のないビスクドールのように真っ直ぐ浩人を見つめる透子から感情は読み取れなかった。怒っているのだろうか? 誰に? 母親に? 浩人に?
 まともに顔を見ることが出来なかった。何を話せばいいのか解らず、気まずい空気と共に時間が流れる。
 ケージの中では『彼女』が食事を終えようとしていた。だが、雄カマキリの離れる気配はない。もう一匹、与えた方が良いと判断して透子に目を向けると、瞳 の動きで了解の意志が読み取れた。場の空気が変わることを期待し、浩人はガラステーブル下にあるコオロギの瓶を手に取り蓋を開けた。
「あっ、しまっ……」
 必要以上の力で蓋を回し、瓶が手からそれてしまった。急いで拾い上げたが既に遅く、数匹のコオロギが部屋に飛び出していた。蓋を閉め瓶の中の個体数を確 認すると、逃げ出したのは三匹。浩人の目の前にいた一匹は、速攻で捕まえた。高く跳ねた二匹目は、テーブルの上に着地する前に空中キャッチ。三匹目 は……。
「これが最後でしょう?」
 透子の右手親指と人差し指が、最後の逃亡者をしっかり捕らえていた。
「あ、ありがとう、慌てちゃったよ。部屋のどこかに逃げ込まれたら一晩中煩く鳴かれて、寝不足になるところだった」
 受け取ろうとして浩人は手を出した。だが透子は、その手を無視してコオロギの羽と後ろ足を左手の指で摘み、ゆっくりと引きちぎった。ガラス玉の瞳は陰を帯び、口元は冷笑を含んでいる。
 一瞬、浩人の背に悪寒が走った。しかしすぐに、餌にするための処理だと思い直す。透子は自分で餌を与えるつもりなのだろう。気を利かせて浩人が、ピンセットを渡そうとした時だった。
「かり……かりっ……しゃりっ」
「えっ……?」
 透子の手の中に、もう、コオロギはない。
 まさか、食べた?
「なぜ、そんな顔をするの? これも病気のせいだと思った? 違うわよ、イナゴと同じようにコオロギだって食べられる。外国では常食する国もあるのよ? 大好きなカマキリ達の餌だもの、ヒロだって味見は必要だと思うでしょう?」
「う……でも……」
 透子は膝で、にじり寄ってきた。丈の短いスカートから露出した淡いピンク色の太腿が、床に置かれた浩人の手に触れる。
「ママが何を言いに来たか、だいたい予想がつくわ。病気で引き籠もりがちの私には、友達がいない。だからカマキリの飼育なんて、気持ちの悪いモノに夢中 だって。ようやく同じ趣味を持つ友人が出来て、ママは喜んでいる? そうね……男の子だから少し心配だと言ったかも? いいえ、男の子でも関係ないから仲 良くして欲しいと言ったわね、きっと」
 浩人は生唾を飲み込んだ。妙な緊張感に支配され、言葉が出ない。
 透子は浩人の手をとり、自らの膝に乗せた。温かく、滑らかな感触。皮膚の下に通う血脈が、生々しく掌に伝わってきた。ぐいっと身体を寄せられ、浩人の手 がスカートの中に滑り込む。途端、跳ね上がった心臓が、口から飛び出しそうになった。荒い息遣いは、透子のリボンタイを揺らす。
「病気が解ったのは、中学三年生の夏だったわ。テニスの部活動で肘を壊し、手術のため精密検査をすることになったの。その時、眼球の光彩が健常者と違うこ とに気付いた医師が脳の検査を勧めて、腫瘍があると解ったのよ。手術で除去するのは、とても難しいらしいわ。長くは生きられない、そう言われて絶望した」
 透子の濡れたように艶めく唇が、白くふくよかな胸が、目の前に迫る。
「時折、酷い頭痛に襲われるけど、通院で経過観察しながら普通の生活をしてきたわ。でも私はもう、生きる希望を失っていた。ある日、両親がカンファレンス ルームで医師の説明を聞いている間に病室を抜け出し、大学病院の屋上ガーデンに出た。階下を眺めたら、七階からでもあまりに近く感じられて、柵を乗り越え ても鳥のように着地できそうな気がしたわ。そして身を乗り出した時、美しい緑色の生き物が私の手に止まったのよ」
 浩人は、ケージの中で繋がっているカマキリ達に目を移した。頭の中に霞が掛かって、何も考えられない。
「その生き物は小さな小さな三角形の顔を少し傾け、不思議そうに私を見つめた。そして前足のカマで、指を引っ掻いたわ。蝶のように媚びた美しさではなく、クールな美しさだと思った。たかがちっぽけな、カマキリのくせに」
 透子の細くしなやかな指が浩人の項を這い、背中に回った。整った眉と長い睫毛、半分ほど伏せられた目蓋、その造形は完成された人形のように美しい。
 産卵期を迎えた雌カマキリの腹のように、透子の胸は絹の手触りだろうか? 今の自分は、雌のフェロモンに五感を奪われた雄カマキリと同じだ。抗うことが出来ない。
「だから私は、思い通りにならない自分の代わりに、美しく完全な個体を創ってみたくなったの。ヒロ、あなたが一緒なら……」
 桜色のつぼみが少し開き、甘い囁きを漏らす。誘う言葉は、しかし透子の思惑と逆の結果を招いた。
「うっ……あっ!」
 唇の向こうに見える、真珠のように白く形の良い歯。その間から、コオロギの前足が覗いていたのだ。瞬時に呪縛が解かれた。
 凄まじい嫌悪感が浩人の全身を総毛立たせ、取り込まれていた世界から我に返る。胃の辺りに湧いた不快感が、口の中に酸を満たした。
 吐き気がする。
 浩人の変化を見逃さず、透子は素早く身を引くと眉をひそめた。その様子に、浩人が思い出したのは透子の母親の言葉だ。
『あの子を怒らせないで』
 何が、起こるというのだろう? 正体のない不安感に襲われ、浩人は小さく身震いした。
「あ、そうだ、飲み物取りに行くところだった。友達が遊びに来ると言ったら、母さんが何かお菓子も用意してくれたみたいだし」
「そうね……わたし紅茶がいいな」
「了解」
 平静を装いながら部屋を出た浩人は、階段を駆け下りトイレに飛び込んだ。
「……カッハッ、ぇええ……っ!」
 間に合った、透子の前で吐くわけにはいかない。
 昼に食べたヤキソバが、消化されない形のまま全て便器にぶち撒かれた。それでも嘔吐きは止まらず、胃液だけが滴り落ちる。ようやく落ち着いたのは、水洗のタンクを三度、カラにした後だった。喉が、ひりひりする。
 かなりの時間をとられた、透子は不審に思っているだろう。昼飯を食べ過ぎてお腹が痛くなったと言おうか? トイレネタはきまり悪いから、紅茶が見つからなかったと言おうか?
 言い訳を考えながら落ち着かない気分でキッチンに入ると、階段を下りてくる軽い足取りが聞こえた。
「ヒロ君、遅いから見に来たよ」
 その声に振り向いた瞬間、全身の血が逆流した。リビングからキッチンに顔だけ出した透子が、にっこりと微笑んでいる。
「紅茶……どこにあるのか、わかんなくって」
 小刻みに震える手を、固く握りしめた。震えは手から背中を伝い、膝に届く。落ち着け、何をビクついてるんだ。と、浩人は自分に言い聞かせた。
 透子に変わった様子はなく、怒ってもいないようだ。とはいえ、何事もなかったように微笑まれるのも気味が悪かった。
「でも、もう帰るから紅茶はいいよ」
「え? だって……」
 透子に言われて、浩人は時計に目を向けた。午後四時四五分……もうこんな時間だと思わなかった。リビングに出て行くと、透子は既に雄カマキリを入れてきたバスケットを抱えている。
「その、もう……終わったの?」
 浩人の態度に腹を立て、交尾を無理に引き離したのだろうか? 一抹の不安が、頭をよぎった。
「うん、大成功。うちの子、賢いから交尾終わった途端さっさと逃げちゃった。食べられないですんだよ」
 悪戯っぽく透子が笑い、浩人もつられて笑った。しかし心中は穏やかではない、一刻も早く『彼女』の無事を確かめたい。
「そっか、でもお茶くらい飲んでいったら?」
「今日は止めとく。また今度ね」
「もっと話したかったんだけど……」
 安堵を隠して不満そうに呟くと、透子が目を細めた。疑いと蔑みが混じる視線、浩人は絶えきれずに視線を逸らす。
「私も、残念だよ」
 抑揚のない、突き放す言い方をして透子は玄関に向かった。このまま帰してはマズイと思ったが、どうしたらいいか解らない。
 透子が玄関を出るまで、とうとう何も言うことが出来なかった。

 ※

 月曜の朝、浩人は日課である契約菜園での餌捕獲作業をせずに登校した。寄り道をしない分、いつもより二十分ほど早い。
 普段ギリギリに教室に入ることが多い浩人は、こんなに早い時間に大多数のクラスメイトが登校しているとは思わなかった。ジャージ姿の連中は、朝練がある運動部だろう。早く登校すると、他にも意外なことに気が付く。
 彩花が自分の席で、なにやら縫い物をしていた。そういえば彩花は手芸部だ、見たところ袋物のようだが。
「ナニ、作ってるんだ?」
「えっ、あ、おはよう」
 袋らしき黒い布を、彩花は慌てて机に突っ込む。
「どうしたの今日は、ずいぶん早いじゃない? 菜園行かなかったの?」
「うん、まあ、餌は足りてるし、それに……」
 菜園に行けば、透子と出会うかもしれない。
 交尾は大成功だったと、透子は言った。しかしあれから一日半経つが、産卵する様子はない。経過を報告し再交尾させるか相談しなくてはならないが、気まずさから連絡も出来ず、偶然出会いそうな場所も避けていたのだ。
「今日は行かなくて正解だよ、しばらく立ち入り禁止だって」
 彩花が顔をしかめ、『一時限目自習』の文字が大きく書かれた黒板を指さした。
「何かあった?」
「あの菜園で日曜の朝、バラバラになった猫の死体が見つかったんだって。犯人が未成年だと大問題だから、緊急職員会議を開いて対策を考えるらしいよ? 酷いことするよね……噂だけど、あの近くに住み着いてたアメショー(アメリカンショートヘア)の雑種だって」
「もしかして灰色の、尻尾が長い雄猫?」
「そうそう、以前、ヒロのお宝を襲った猫じゃない?」
 全身に、冷たい水を浴びた気がした。手と足の指先から感覚が無くなっていく。
 いや、まさか、考えすぎだ……ありえない。
 透子の顔が浮かぶなんて、飛躍しすぎた想像だ。だが、あのビスクドールの白い顔が脳裏から剥がれない。目眩がした。
「どうしたの? 顔、真っ白だよ? あ、いつも行ってる場所だし……さすがに気持ち悪いよね。大丈夫?」
「平気、ちょっと想像力を働かせすぎて、気分悪くなっただけ」
「うわー、それどんな想像?」
 呆れ顔の彩花に苦笑を返し、浩人は胃のムカツキを収めるため教室を出た。
 二時限目の通常授業前には、何とか平静を取り戻せた。すると、自分の考えが馬鹿馬鹿しく思えてきた。本当に、どうかしている。
 何も起こらない、何も心配いらない、普段通りの日常が連続していくだけだ。その中で、彩花との関係や透子との関係が変化したとしても、想定の範囲内から逸脱することなど無いはずだ。
 放課後、浩人は透子の家を訪ねてみようと思った。気まずいまま別れた時間を修復し、交尾の経過報告をしなくてはならない。
 最後の授業、終業チャイムの音と同時に浩人は教室を出た。ところが昇降口に向かって廊下を十数メートルも進まない所で、おなじみの声に呼び止められた。
「ヒロ、ちょっといいかな?」
 振り向けば彩花が、ニコニコしながら立っている。何となく、わざとらしい笑顔だ。
「なんだよ、今日はちょっと急いでるんだ。今じゃなきゃ、ダメなのか?」
「そういうわけじゃ……ないけど」
 途端、彩花は泣きそうな顔になった。微かに罪悪感を覚えて、浩人は場を取り繕う。
「少しくらいなら、いいよ。で、何の用?」
「ここじゃちょっと……家庭科室まで少し付き合ってくれる?」
 家庭科室は浩人たちの教室がある東校舎ではなく、二階の渡り廊下を通って西校舎にある。しかも一番北側で、ちょっとした距離があった。
「面倒くせぇな」
 大儀そうに、両手をズボンのポケットに突っ込んだ。だが、彩花の用事が気になり、心中は穏やかではない。
「一緒に歩くと、その、なんだから、後から来て」
 言うなり彩花は小走りに浩人から離れ、渡り廊下のある方向に曲がった。
「イミわかんねぇ……」
 本当は解っている。お互いに特別な感情がなければ、一緒に歩いても気にならないはずだった。
 彩花が廊下を渡り終わる間を読んで、浩人は西校舎に向かった。胸がドキドキする、新鮮で心地よい高揚感だ。透子と一緒の時に感じる、囚われた陶酔感とは違う。一方的にアプローチされるより、お互いに関心を持つ方が楽しかった。
 彩花の様子からすると、悪い話ではないだろう。告白だろうか? 
 期待を胸に家庭科室のある北側へと、誰もいない廊下を歩いた。美術準備室、木工室を過ぎ、家庭科室のプレートを見つけた時だった。
「きゃあああっ!」
 彩花の、叫び声だ。
 勢いよく扉を開け、浩人は家庭科室に飛び込んだ。
「彩花っ!」
 教室を見渡すと、電動ミシン台が並ぶ窓際で彩花が踞っている。
「大丈夫か? どうしたんだよ、誰かいた?」
 膝をつき顔を覗き込むと、彩花は小さく首を振り床を指さした。
 表も裏も、マスコットの小さなヌイグルミさえズタズタに切り裂かれた紺色のスクールバック。散乱する裁縫セットやノート、作成物にも刃物跡らしき傷をみて浩人は息を呑んだ。
「手芸部のみんな、家庭科準備室にクラブ・バックを置くんだけど……私のバックが、私のバックだけが床に落ちていて、切られていて、それで……」
 先の言葉が継げずに、彩花は涙を流した。
 誰の仕業だ、酷いことをする。浩人は怒りから、息苦しさを覚えた。と同時に、今朝聞いた猫の話を思い出す。
 何も関連性はない、はずだ。
 それでも何かが、浩人に警鐘を鳴らした。
「先生に言おう、一緒に行ってやるよ。クラスでイジメとか心当たりあるなら、それも話した方がいいと思う」
 彩花が落ち着くように、浩人は背中を軽く叩いた。
「イジメは、ないよ」
 消え入りそうな声で、彩花が答えた。確かに浩人のクラスで、イジメの話は聞いたことがない。
「携帯やPCサイトは? プロフとか、掲示板とか?」
「それもない。プロフは作らないし、のぞきにも行かない。PCサイトは、予備校の交流板にたまに書き込むけど、HNだし喧嘩になったこともないし」
「え? おまえ、予備校行ってるの?」
 意外な情報を得た浩人は、しげしげと彩花の顔を見た。彩花は少し顔を赤らめ、拗ねたような目で浩人を見つめ返す。
「誰かさんは勉強しなくても、テストで七十二点以上取れるから関係ないよね」
「ハァ? それ、俺のこと?」
 七十二点以上と言えば聞こえがいいが、良くて七十五点から八十三点までしか取ったことがない。どうでもいいが、彩花はなぜ浩人の点数まで知っているのだろう?
「アタシは頑張らないと、同じ高校に行けそうにないし」
 そういうことか、と納得した途端、浩人の頭に血が上った。ここまで言われて解らないヤツがいたら、バカとしか言いようがない。
「と、とにかく先生の所に行って、鞄のこと話そう。帰り、家まで送ってやるよ」
「ありがと」
 彩花を立たせ、並んで家庭科室を出ようとした浩人は、当初の目的を忘れている事に気が付いた。
「そういえば、俺に用があったんじゃないの?」
「あ!」
 間の抜けた声を発し、彩花はカバンをひっくり返した。傷つけられた道具の他に小さなポーチやケース、巾着などがバラバラと床に散乱する。よくもこれだけ詰め込んでいると、呆れるほどの量だ。最後に出てきたのは、女の子の持ち物にしては地味なビニール袋だった。
「よかった、奥の方に入れてたから無事だったみたい」
 ぽん、と手渡された、グレー地に黒と黄色のチェック模様がある袋。一応、お約束の『自分にくれるの?』ポーズを取ってから袋を開いた。中身は今朝、彩花が縫っていた物だ。
 広げてみれば、ネル地を縫い合わせた黒い筒状のもので、青い糸を使い浩人のイニシャルが小さく刺繍してある。
「まだ早いけど、ネック・ウォーマーなんだ。本当はマフラーとか編みたいんだけど、不器用なアタシじゃ来年の春まで掛かっちゃう。最近寒くなってきたし、浩人はカマキリの餌とりでいつも朝早いから……風邪引かないでね」
「えっと、ありがと……」
「私の方こそ、ありがとう。幼稚園の頃から私が泣いてると、ヒロは背中叩いて慰めてくれたよね」
 涙目で微笑まれ、浩人の心拍数が上がった。抱きしめたくなる衝動にかられたが、切り裂かれたカバンが現実に引き戻す。
「彩花、おまえ何かあったらすぐに俺に言え」
「なにかって?」
「たとえば誰かに付きまとわれたりとか、変な電話があったりとか、今日みたいな事があったりしたらだよ」
 きょとんとした彩花の顔が、真剣な浩人の言葉に真顔になった。
「うん、わかった。何かあったら助けてね」
 浩人は無言で、頷いた。

 ※

 彩花と一緒に職員室へ行き、カバンの件を学年主任に話した。猫が殺された事件もあって定年間近の学年主任は過剰に反応したが、長く引き留められることなく帰宅することが出来た。
 彩花を家に送り届け自宅に戻った浩人は、カマキリ達に餌をやりながら考える。

 何かが違う。
 何かがおかしい。
 何かが、ずれている。

 この違和感はなんだろう? よく考えろ。
『アタシ……少し前からキミのこと知ってたわ。何度か声を掛けようと思ったけど、自信を持ってキミに見せられる個体が無かったの。だけど何百匹も犠牲にして、ようやく強くて大きくて美しい色艶の個体が完成した』
 初めて透子の部屋を訪ねた時に聞いた言葉が、頭に蘇った。そうだ、最初に感じた違和感は、この部分だ。
『何百匹も犠牲にして、ようやく強くて大きくて美しい色艶の個体が完成した』
 浩人はカマキリ達を愛している。共食いで強い個体を残すやり方を嫌っているし、思い通りの色にならなかった個体でも大事に飼育する。手当たり次第に海外 の珍しい品種を集めたりもしなかった。外国のカマキリは、その個体が一番生活しやすい環境で生きるべきだ。捕獲して売りさばくという行為が、好きになれな い。多少、飼育してみたい欲求はあるが、カマキリ達のことを考えれば写真やネットで我慢できた。
 興味の対象が同じでも、一人一人の考え方は違う。そして同胞と理解者は、別物だ。
 浩人に必要なのは、同じ研究者ではなく理解してくれる協力者だった。飼育に協力的な浩人の両親、没頭する物があるのは良いことだと認めてくれる担任教 師、そして浩人の趣味を理解し気遣ってくれる彩花。自分には仲間がいないと、閉塞感に囚われていた。しかし今になって気が付いた、それは間違いだったの だ。
 透子のやり方は、浩人と相容れない部分がある。得る物があろうとも、気持ちの中で区切りをつけなくてはならない。
 透子に、会わなくては。会って意識の違いを確認し、お互いの気持ちを修正しなくてはならない。このまま付き合い続ければ、その先に何か良くない事が起こりそうな気がした。
 翌日、浩人は学校からその足で透子の家に向かった。
 不安だから一緒に帰って欲しいと彩花に頼まれたが、妙な焦燥感に付きまとわれ透子の件を優先した。幸いな事に、担任の教師が途中まで送ってくれる事になり、胸をなで下ろす。
 この件が片付いたら、しばらく彩花と一緒に帰ろう。いや、しばらくと言わず、ずっと一緒でもいい。公園を横切りながら星が瞬きだした空を見上げ、浩人は苦笑した。いつの間に自分は、こんな事を考えるようになったのだろう。
 透子の家の前にくると、玄関前に数台の車が止まっていた。窓は暗く、人の気配はない。少し離れた場所で、近隣の住人らしき数人が立ち話をしていた。様子がおかしい、何かあったのだろうか?
「あの、瀬名透子さんの知り合いなんですけど……家の方は留守ですか?」
 四十代くらいの女性が驚いたように浩人を見ると、一緒にいた同じくらいの女性と顔を見合わせ顔を曇らせた。
「透子ちゃんの? そう……透子ちゃん、学校で急に具合が悪くなって救急車で運ばれたらしいんだけど……」
「えっ、どこの病院ですか?」
「以前、入院してたT大学病院じゃないかしら?」
 T大学病院なら一番近い駅から二つ先だ、行けない距離ではない。
 礼を言ってから浩人は急いで家に戻り、最寄り駅まで自転車をとばした。頭の中は空っぽで、何も考える事が出来なかった。
 T大学病院に着いたのは、 十九時少し前だったと思う。案内所で透子の病室を尋ね、入院棟七階のナースステーションで面会を申し込んだ。すると看護師に呼ばれて透子の母が、一番奥の病室から出てきた。
「暮林くん……ありがとう、来てくれて嬉しいわ。透子に会ってくれる?」
 透子の母親は、寂しげな微笑みを浮かべた。化粧気はなく、まなじりが赤く腫れている。浩人の胸に重く冷たい鉛が沈み、息苦しさを覚えた。深く空気を吸い込んだ時、確信した事実に目の前が暗くなる。
 白いベッドに横たわる透子の綺麗に整えられた髪、まだ薄く桜色の残る唇。長いまつげが落とす陰は、優しい眠りについた少女が、もう二度と目を覚ます事はないと語っていた。
 涙はなかった。ただ呆然と、陶器製の美しい人形を見つめた。背中に腕を差し入れ抱き起こせば、パッチリと目を開けるような気がした。
 透子の両親や、その場にいた何人かと話をした気がするが、覚えていなかった。気が付いた時には帰りの電車の中にいて、下車する駅を乗り過ごす寸前に飛び降りた。
 帰宅してから日課の餌やりを機械的に済ませ、ぼんやりと『彼女』を見つめた。お気に入りの枝に逆さにぶら下がった『彼女』は、眠っているように動かない。生きているのか確かめたくなり枝を揺らすと、煩そうに前足のカマで宙を引っ掻いた。
 大きく息を吸い細く吐き出すと、ようやく意識が現実に引き戻された。期待も、悩みも、不安も、リセットされてしまったのだ。透子に感じていた正体のわからない畏怖も、もう関係のない物になった。
 安心したような、寂しいような感情が先にあった。悲しみや喪失感は、襲ってこない。それどころか、むしろまだ透子は生きていると思えた。ベットに横たわっていたのは、抜け殻だ。カマキリが脱皮するたび美しくなるように、より美しくなった透子がどこかにいる気がした。
 飛躍した想像は、逃避なのかもしれない。認めたくないのだと思う。
 携帯電話を開き、彩花に透子の死を知らせようとして思い留まった。彩花は透子を、まったく知らない。それでも少し、話がしたくてメールを打った。
『ばんわ、一緒に帰れなくてゴメン。今日、カマキリの飼育仲間と会う約束があった。明日は大丈夫』
 すぐに返信が来た。
『しんじられなーい、何かあったら助けてくれるって言ったくせに! ! ! でもいいよ、許す。じつわ、明日、アタシに用事アリでママが迎えに来てくれま~す。ヒ・ミ・ツ・の約束なので話せないよ。明日の次の日に教えてあげるね! でわでわ、お休み~』
「なんだこれ、暗号か?」
 謎の記号と絵文字が混じった文面を解読しながら、浩人は笑っていた。落ち込んでいた気分が和らぎ、様々な感情が払拭されていく。
 しばらくは透子の件で考え込む事があるだろう。だが今夜は、彩花のメールのおかげで少し眠れそうだった。

 ※

 明け方、さらさらと屋根を撫でる雨音を聞いた。
 いや、雨の音ではない、飼育箱のカマキリ達が動き回る音だ。
 心配しなくていいよ、一番大切なのはキミ達なんだから……そう、一番大切なのは……?
 息苦しさで目が覚めた。
 時計を見ると、普段起きる時間より一時間も早かった。まだ太陽は顔を出したばかりだろう、部屋が薄暗い。空気の乾燥を嫌がりカマキリ達が暴れたかと心配になった浩人は、デスクライトを点し飼育箱を観察した。だが、変わった様子はなかった。
 妙に頭が重い、悪寒もする。風邪を引いたのだろうか?
 学校に行っても、授業に集中できず終業時間までぼんやりしていた。彩花や友人達から話しかけられた内容も、よく覚えていない。
 昨日の出来事が、夢のように思われた。
 告別式の時間を知らせるから、連絡先を教えて欲しいと透子の母親に言われた。透子の死は、まだ実感できない。告別式に行けば、受け入れる事が出来るのだろうか? 
 出会いから別れが、あまりにも短かい友人だった。共通の知人もいない。告別式となれば、女子高校の同級生が大勢訪れるだろう。その中、たった一人の男子中学生は疎外感がある。
 やはり、行くのは止めようと思った。
 帰りに彩花の姿を探したが、昨日のメールで用事があると言われたことを思い出した。何の用事か気になるが、母親が迎えに来るなら心配ないだろう。
 浩人はいつものように科学部が使用している理科室を覗き、そのまま帰宅の徒についた。透子の母親から、いつ連絡が来ても良いように校門を出てすぐ電源を入れる。
 自宅前に来た時、携帯が鳴った。未登録の番号だ。
「はい……あ、透子さんのお母さん。すみません、告別式の事なんですけど……えっ?」
 危うく、携帯を取り落としそうになった。
 透子が、姿を消したというのだ。
『今朝、告別式のために自宅に連れ帰って、あの子が好きだった制服を着せてあげたんです。そのあと少し席を離れて戻ってみたら、ベッドにいなくて……。透 子は、死んでいなかったのかもしれない。きっと混乱して、どこかを歩き回っているに違いないわ。早く見つけてあげないと可哀想……でも何処にもいないの よ。看取ってくれた先生は、あり得ないと言うし。私たち、もう、どうしたらいいか……』
 もしかして浩人の所に行くかも知れない、見つけたらすぐに連絡が欲しいと言って透子の母は電話を切った。
 指が白くなるほど、携帯を握りしめていた。その手が、激しく震える。
 生きている? そんな馬鹿な。病室のベッドに横たわっていた透子は、既に命ある姿ではなかった。
「お帰りなさい、ヒロ君。帰り早いのね、部活は?」
 親しげな呼びかけに、心臓が止まるほど驚いた。振り向くと側に、『防犯パトロール』と書かれた蛍光オレンジのジャンパーを着た彩花の母親がいた。やはり同じジャンパーを着た近所の老婦人が一緒だ。
「知ってると思うけど菜園の件で、中学校の育成会がしばらく地区パトロールする事になったのよ。詳しい事はこの回覧板に書いてるから、お母さんにみせてね」
 回覧板を受け取りながら浩人は、ふと思いついた疑問を口にした。
「おばさん、彩花は? これから迎えに行くんですか?」
「彩花? 友達と約束があって、その子と一緒に帰るから迎えはいらないと聞いたけど。私てっきりヒロ君と一緒だと思ってたわ、残念ねぇ」
 冗談めかして笑う彩花の母親の言葉は、頭に入ってこなかった。急激に心拍数が上がり、脇の下に冷たい汗が滲む。
 嘘だ、彩花は浩人に嘘をついた。なぜ、嘘をつかなければならないのか? その可能性は?
 嫌な予感が、した。 
 答えを出すより先に、浩人は走り出していた。

 ※

 西日に照らし出され、校舎の壁は鮮やかな紅に染まっていた。そして紅色は、刻一刻と闇に浸食されていく。
 気味の悪い色だ、と彩花は思った。紅と闇が混じり合う場所には何かが潜み、こちらの世界を伺っているような錯覚を覚える。
 東校舎と西校舎の間にある中庭のベンチに座り、彩花は鞄から編みかけの手袋を取り出した。日中でも人気はなく、空気がそら寒い場所だ。ましてや放課後に訪れる者など居ない。込み入った話をするには好条件だが、居心地の良い場所ではなかった。
 しかし彩花は、どうしても一人で確かめなくてはならないのだ。
 昨日、登校途中にある陸橋を渡ろうとした時、待ち伏せていたように現れた少女の言葉が繰り返し頭に響く。。
『ヒロの事で、あなたに話があるの。明日学校が終わったら、会えるかしら?』
 綺麗な女の子だった。栗色をしたサラサラの長い髪。異国の血を思わせる白い肌と、不思議な色の瞳。それに、誰もが憧れる有名私立女子高校の制服を着ていた。浩人と、どういう関係なのだろう?
 実は三回、彩花は少女を見た事があった。
 一度目は夏休み前、早朝に菜園で浩人を待っていた時。二度目は帰宅途中の通学路で。三度目は……ショウリョウバッタを捕ろうと誘った日、暗くなったT公園で浩人と一緒に歩く姿を。
 直接、浩人に聞くのは躊躇われた。だから最近、少し浩人に積極的になって反応をみようとしたのだ。
「大丈夫、あの人が誰であろうと関係ない。あたしは、子供の時から浩人が好きなんだ」
 一人呟いた彩花は、自分の言葉に赤面する。そして取り繕う相手がいないにもかかわらず、編み物に没頭した。
「本当に来るのかな……」
 そろそろ部活も終わり、下校を促すチャイムが鳴る。あまり遅くなっては母親が心配するだろう。校舎の窓に行き来する人影が減り、心細さが増す。一通りあたりを見回してから編み物を片付け、彩花は意を決し立ち上がった。
 逃げたと思われても癪だが、いつまでも待たせる方も悪いではないか。
「どこへ行くの?」
 いつの間に来たのだろう。目の前に、その少女は立っていた。まるで瞬きをした間に突然現れたようだ。白く美しい、しかし生気のない仮面のような顔。沈み かけの太陽が反射して、金色に透ける髪。モデルのように着こなされた、名門女子校の制服。この少女は浩人と、どういう関係なのだろう?
「いつまでも来ないから、帰るところでした!」
 挑戦的に言い返し、彩花は少女を睨む。すると仮面に填め込まれたガラスの瞳が、ぐるりと動いた。
「そうね、私もまだ少し、混乱していて、でも約束は、覚えていたわ」
 一言一句、区切りながら話す言葉は冷たく機械的だった。本能的な恐怖を感じて彩花が後ずさると、少女はすっと身体を寄せてきた。
「どこへ、行く、の?」
「いっ……いやっ、来ないでよっ!」
 素早い動きで両肩を掴まれ、彩花は少女に引き寄せられた。とても女性とは思えない力だ、抗う事が出来ない。
「ダメよ、わたし、あなたに話があるの」
 逃れようともがく彩花は、少女に纏い付く匂いに気が付いた。薬品の匂い、お香の匂い、その中に混じる饐えた腐臭。この人は絶対、おかしい。逃げなくては危険だ。
「話なら聞くから、とにかく手を離して! あたしの名は伊藤彩花よ、ヒロとは幼稚園から一緒。あなた、いったいなんなの? わたしに何の用よ!」
 少女は、言われた通り手を離した。
「わたしの名は……トウコ、瀬名透子」
「ヒロの事で、話があるんでしょう?」
「そうね……よく思い出せないけど、たぶん、あなたが邪魔だと言いに来たんだわ」
 透子が、彩花の首に手を掛けた。喉元に食い込んだ親指が気道を圧迫し、三本の指は耳下の動脈を締め付ける。
「くっ、やめっ……」
 透子の手を外そうとしたが、手は痺れ言葉が出ない。肺は酸素を求めて痙攣し、霞んだ視界が薄暗くなった。耳の奥に断片的なノイズと、抑揚のない透子の声がが聞こえてくる。
「小学校では書道も絵画も作文も県のコンクールまで推薦された。でも全国には届かなかった。中学一年ではピアノ・コンクールで全国大会まで行った。だけど 結果は最下位だった。幼い頃に始めたテニスは、中学三年の夏が最後の公式戦で県の最終予選までいったのに直前に肘を壊した。高校は海外に留学する予定だっ たのに病気で叶わなかった……。いったい何が悪いの? 私には才能がある、努力もしている。それなのになぜ、手に入らない……。ヒロは手に入れるわ、だっ て彼だけが私を解ってくれるのよ」
 全身が引きつけを起こしたあと、透子の両腕に体重を預け力が抜けた。それでもなお、細く白い指は彩花の首を雑巾のように絞り上げる。もうダメだ、自分は死ぬと悟った瞬間、閉じられた目から涙が流れ頬を伝った。
 助けて、誰か……ヒロ……。
「彩花っ!」
 首に掛けられた手が、突然外れた。肺に空気が満たされ、凍り付いた血流が溶け出す。ぼんやりとした意識で、声の主を認めようと彩花は目を開いた。
「ヒロ……!」
 間違いない、浩人だ。浩人は透子の肩を掴み、強引に彩花から引き離した。
「何やってんだよ、透子さんっ!」
 彩花に手を貸しベンチに座らせると、浩人は透子に詰め寄る。今まで見た事もない浩人の、怒り心頭の形相に彩花は驚いた。彩花の知る浩人は、子供の頃からあまり感情を表に出さなかった。いま怒っているのが、自分の身を案じてなら嬉しい。
「何って……理想の状態を作るには……邪魔なモノを、排除するしか、ないのよ」
 透子の顔は浩人に向けられていたが、視線は宙を泳いでいた。何も見ていない、何も感じていない、何も考えていない。まるで身体の外から、何かに操られているようだ。
「透子さん、お母さんに迎えに来てもらおう。すぐに連絡するからさ」
 浩人が制服のポケットから携帯電話を取り出そうとした瞬間、透子の手が素早く動いた。
「つっ……!」
 コバルト色の携帯電話が足下に跳ね、浩人が左手で二の腕を押さえた。押さえた指の間から血が滲み、甲を伝って乾いたコンクリートに滴り落ちる。黒く広がるシミを見つめ、叫び出しそうになった彩花の腕を浩人が強い力で引き寄せた。
「取りあえず、逃げるぞ!」
 踏み出すと同時に携帯電話を拾い上げ、浩人は走り出した。繋がれた手をしっかりと握り、彩花も走る。走りながら考えた、透子はナイフかカッターを持っていたのだろうか? もしそうなら、彩花の鞄を切り裂いた犯人は……。
 中庭を抜けて西校舎をまわり、平屋造りの運動部・部室と自転車置き場がある北側に出た。こちらにある裏門の方が、校庭を突っ切るより早く表通りに出られ るのだ。夕闇濃い学校裏に人影はなく、塀に止まった数羽のカラスが人の気配に警戒の声を上げ飛び立った。時間で点灯する街灯が、焦れったそうに瞬き光を落 とす。
 浩人は後ろを振り返り、透子が追って来ないことを確かめると門の手前でようやく歩を緩めた。鉄柵の扉は既に施錠してあったが、乗り越えられない高さではない。
「大丈夫か、彩花? 怪我は?」
「あたしは大丈夫だよ、でもヒロが……」
 浩人の右腕は制服が切り裂かれ、血に染まっている。繋いだ彩花の手にも血がついているのを見て、浩人はスラックスのポケットからハンカチを引っ張り出した。
「悪ぃ、血がついた。これで拭けよ」
「こんなの、どうでもいい。それより傷を見せて」
 傷がそれほど深くないことに安堵しながら、彩花は受け取ったハンカチで手早く傷を縛った。手当を受けながら浩人は、携帯電話でどこかに連絡を取ろうとしている。
「ちぇっ、落とした時に壊れたかな……」
 しかし電源を入れ直したりICカードを出し入れしても、正常に作動しないようだ。
「彩花、おまえ携帯持ってるか? 履歴は出せるから番号調べて、透子さんのお母さんと連絡とらないと……」
「ねぇ、どういう事なのか説明してよ? あの人、なんなの? ヒロと、どういう関係? 説明してくれなきゃ、携帯は貸さない!」
「バカ、そんな事言ってる場合じゃないだろ?」
「だって……透子って人、あたしを殺そうとしたんだよ? それにヒロまで怪我をさせられて……」
 正体のわからない不安と恐怖、浩人の怪我を目の前にして涙が出た。今は目の前の脅威から逃れる方が先であり、問い詰めるのは後にするべきだと解っている。それでも彩花は、確かめずにいられなかった。気持ちも頭も混乱して、身体が動かない。
「まあ……パニクるのも無理ないか。大丈夫だからさ、ちょっと落ち着けよ」
「パニクってないっ!」
 彩花の強がりに、ふっ、と浩人が笑った。彩花の強がりや冗談を、優しく受け止めてくれる笑顔。自分はこんなふうに笑う浩人が大好きなんだ。変人でも、ムシオタクでも、誰がなんと言おうと、浩人が好きだ。途端、彩花の背中にのし掛かっていた重い空気が、すうっと消える。
「ヒロ……あたし恐いっ。あの人、人間じゃないみたいだよ。まるで……」
 彩花が言おうとした言葉を察し、浩人の表情が強張った。
「透子さんとは、カマキリの飼育で知り合った。でも俺とは考え方が違う人なんだ、目的のために手段を選ばない。最初は同じ趣味の仲間が出来て嬉しかったけど、俺は……あの人を受け入れられない。それに今度は俺が、彩花を守ってやらないとね」
 確固たる意志を込め、大人びた声で呟いた浩人に彩花はドキリとする。どうやら二人は、心配していた関係ではないようだ。
「あたしの携帯、使って。でも先に学校から出ようよ、なんだか気持ち悪い」
「そうだな……柵を乗り越えるのに俺は平気だけど、おまえは足場が必要だろ? なにか探してくるよ」
 浩人はそう言うと、運動部の部室に向かって歩き出した。確かに小柄な彩花には、少しキツイ高さだ。男の子らしい幼なじみを頼もしく思いながらも、多少、ムッとしながら後ろ姿に溜息を吐いた時。彩花の背に、冷たい気配が貼り付いた。
「捕まえたわ」
 浩人が離れるのを待ち構えていたのか、能面のごとく白い透子の顔が間近にあった。目を細め、紅黒い唇の端を吊り上げた形相は人間のモノではない、化け物だ。彩花の胸に白い腕を絡ませクロスすると、恐ろしい力で心臓を圧迫する。息が、出来ない。
「やめろっ!」
 野球部の部室入り口に立てかけてあったトンボを掴み、浩人が透子に向けて臨戦態勢を取る。すると透子の力が、少し緩んだ。
「なぜ? なぜ私の邪魔をするの? わたしと、あなたは、同じ人間。未知の領域を探求し、理想を完成させる事が出来る。そしてこの女は、不完全な生に疑問を抱くこともない、遺棄されるべき個体。ヒロ、あなたは私と一緒に、完全な個体を創るのでしょう?」
「アンタの理屈、間違ってるよ。理想の形に興味はあるけど、それが絶対だなんて思ったこと無い。人間でも、カマキリでも、あるがままの個体でいいんだ。俺は不完全な個体でも大切にしたい。彩花を離せっ!」
「おかしいわ、ヒロは、そんな事言わない……アナタ……ダレ?」
 するりと、透子は彩花を締め付ける腕をほどき、浩人に歩み寄る。進行を遮ろうと浩人がトンボを振りかぶり真横に払ったが、胸先数㎝をかすめた幅広の金属 板に怯むどころか、透子は片手で掴み取った。木製の柄と金属板を繋ぐ金具が、易々と折れ曲がる。用を為さなくなったトンボを打ち棄て、浩人は透子を睨み付 けた。
「ヒロ……っ!」
 叫びは、かすれて声にならなかった。駆け寄ろうとするが、足がすくんで動かない。その彩花の目の前で、透子が愛おしそうに浩人の頭を胸に抱え込んだ。
「あは……やっぱり、ヒロだわ……もう、おかしなこと、言わないでね……」
 ぶつり、と、何かがちぎれる音がした。
 不自然にねじ曲がった浩人の顔が、彩花の方に向けられる。何かを訴えるように目を大きく見開き、唇が微かに動いた。
『ニ・ゲ・ロ……』
 首のない、浩人の身体がゆっくりと崩れ落ちた。壊れた水道管から水が噴き出すように、鮮血が宙に舞う。真っ赤な霧に包まれた透子が、微笑みながら浩人の頭を抱きしめ、耳を囓った。
「かりっ……かり、こりっ……」
 彩花には、いま目の前で起きた光景が認識できなかった。脳裏に、黒板に白く書かれた句が浮かぶ。浩人が授業で、先生に応えて読んだ句……。
『かりかりと蟷螂(とうろう)蜂の皃(かお)を食む』
「ヒロ……ヒロっ……いやっ、ぅあああぁぁっ!」
 否定と絶望、恐怖。叫んだ途端、身体が動いた。無我夢中で、地面を蹴った。誰か、ダレか、だれか助けて!
 職員室に、明かりが見えた。一番近い学生用昇降口のドアを引いたが、閉ざされている。透子が追いかけて来たのか、恐くて確かめることが出来ないまま職員玄関から外履きのまま校舎に飛び込んだ。
 階段を駆け上り、職員室の中に数人の教師の姿を認めると一気に力が抜けていった。倒れ込むようにドアを開いた途端、意識は闇の深淵へと落ちていった。

 ※

 花曇りとは、今日の天気を言うのだろう。
 桜の蕾がほころび始めたというのに、薄ねず色の空からは弱々しい日が差し、肌寒い風が吹いている。
 彩花は親に付き添われて、五ヶ月ぶりに学校を訪れた。
 春休みの学校は、グラウンドでランニングする野球部の生徒しかいない。職員室で元気な掛け声を遠くに聞きながら、彩花は母親と教師が話す様子をぼんやりと見ていた。進級は出来るようだが、明日から新学期まで補習に出なくてはならないらしい。
 補習を受け、四月から中学三年生となることに現実感がなかった。なぜ自分だけ、変わらず学校に行かなければならないのだろう?
「お母さん、ちょっとだけ二年生の時の教室、見てきていいかな?」
 母親と教師は顔を見合わせたが、「心配ないから」と言い切ると許可してくれた。しかし彩花は職員室を出て階段を下り、内履きのまま一階廊下にある非常口を出ていった。中庭に通じる出入り口だ。
 彩花が職員室に倒れ込んだ日、中庭には、おびただしい血溜まりが出来ていたそうだ。そして裏門方向に何かを引きずった後があり、鉄柵にもべっとり血が付 いていたという。ところが裏門から外には、何かを引きずった形跡も血の跡も残っていなかった。通報を受けて駆けつけた警察は、何者かが学校に侵入し生徒を 殺害。証拠隠滅のため、死体を持ち去ったと結論付けた。唯一の目撃者である彩花は事情聴取を受けたが、事件のショックから真実性のない証言をしていると断 じられたのだった。
 誰も彩花の言葉を信じてはくれない。気の狂いそうな毎日に疲弊し、家に閉じ籠もった。だが彩花は、ある決意を胸に固め立ち直った。
 中庭を見渡すと、すっかり様相が変わっていた。花壇がもうけられ、色とりどりの花で花時計が造られている。そう、まるで誰かを弔うかのように。
 直径一メートルほどの花時計の傍らに、白い百葉箱があった。小さな屋根が付いた箱を、細い四本の柱が支えている。彩花は柱の一つに貼り付いた、銀色に光る塊を見つけた。長さは二十センチほどで幅が七・八センチくらい、踞った胎児のような形だ。
「うそ……まさかこれって?」
 これほど大きな卵囊など、あるわけがない。だが彩花の知る限り、色も形も間違いなくカマキリの卵囊だ。
 浩人が大切に育てていた雌カマキリなら、あるいはこのくらい大きな卵を産むかも知れなかった。しかし、その雌カマキリは、透子の母親がもらいに来たとい う。思い出すとまだ全身の震えが止まらなくなるため自ら確かめたわけではないが、透子の一家は遠くに越したと聞いた。透子が生きているのか、死んでいるの か、解らなかった。
 彩花は花壇を囲う白いプラスティック柵を、一本引き抜いた。そして刀のように振り下ろし、卵囊を引き裂く。何度も、何度も、何度も、粉々になるまで砕き 続けた。中から、一ミリにも満たない白く小さなカマキリの幼生が溢れ出た。彩花は幼生を内履きで踏みつぶし、地面に擦り付ける。
「殺してやる、殺してやる、絶対に許さない!」
 これからカマキリを見つけるたびに、必ず殺してやる。殺し続ければ、いつかあの女に、透子に会えるような気がした。ヒロを奪った透子を絶対に許すものか、今度は負けない。彩花を立ち直らせたのは、怒りの感情だった。
「うっ……ヒロっ……ヒロぉおおっ……!」
 花時計に咲く花を、掻きむしりながら彩花は泣いた。粉々になった卵囊が、きらきらと光る雲母のように風に舞い散っていった。


注意
 掲載されているのは、以下の感想を受けて改稿した作品です。
 感想は改稿前のものになります。


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●感想
いわしさんの意見
 こんにちは。拝読しましたので感想を。
 直球ど真ん中の好みでした。
 たまには、こんな刺激的な作品もいいですね。気持ち悪さと恐怖を感じつつも、物語に引き込まれました。
 良くも悪くも、とにかく印象に残る作品です。よくぞここまで突っ走られたものだと思いました。
 上手いゆえに気持ち悪いので、何回も読み返したい作品ではありませんが(笑)
 
 エログロ描写や思春期の心理描写も上手く、ケチがつけられません。
 それにしても、美少女の口に付いたコオロギの足を想像すると、食欲がなくなりそうですね。……この秋はコオロギダイエットに挑戦(ぇ
 それでは、よい作品をありがとうございました。


玖乃さんの意見
 ヤンデレ!!
 玖乃です。
 「トウロウ葬」
 感想です。

 まず、文章の密度がすごい。
 主役がカマキリということもあって(違う
 主人公が中学生というのは仕方ないと思いますが、
 大人なのか、子供なのか疑問に思えてしまう語り……。
 もちろん褒め言葉ですが。

 カマキリ飼ってる女子高生とかどんな……と一瞬思いましたが、一瞬です。
 その後の書き込みがハンパないので、思いっきり引き込まれてしまいました。
 そうですね、オチの弱さで若干の不満が残る以外は、もう完璧じゃないでしょうか。

 タイトルですが、ゾロアスター教とかチベットあたりの「鳥葬」にかけて
 無数のカマキリに食われて終わるオチをイメージしてましたが、
 そこまでバリバリとバッドエンドとは行かなかったですね。自分乙です。

 前述しましたが、オチがオチているのかよく分からないのと、すこし弱い印象があります。
 枚数制限のためにラストスパートがかけられなかったように思えます。
 
 カマキリ云々とあったのに結局、透子はゾンビじゃないですか?
 卵のうのくだりも、必要ないか、もっと恐怖をあおるようなものにできるのではないでしょうか。
 スピーシーズ的な。

 もし作者さまが思う存分書きあげられたのなら、長編の間に投稿するのもアリかもしれません。
 そう思うくらいにとても面白かったです。
 とりあえず、ヤンデレが好きな人は多少長くても読むと幸せになれると思います。

 では、企画参加お疲れ様でした!


水さんの意見
 こんにちは、水と申す者です。拝読させていただいたので感想を残したいと思います。

 よくまとまった読みやすい文体に破綻のないストーリー、随所に散りばめられた薀蓄など、非常に完成度の高い作品であったと思います。特に対人関係に悩む主人公や幼馴染の心理が丁寧に描かれている辺りが好印象でした。
 ジャンルホラーということでしたが怪談としては……あまり恐ろしさは無かったかな? 終盤のバイオハザードな展開よりも、むしろその前から描かれている透子の異常性に気持ち悪いものを覚え、そちらの方が怪談としての妖しげな雰囲気をよく出していたと思います。

 気になる点は、ストーリーでしょうか。この作品を端的にまとめてしまうと、
・蟷螂大好き少年が同じ趣味の女の子と出会う。
・でもその子はちょっと変。
・異常性に気づいて離れる。
・しかし最後には追い詰められて殺される。

 という非常にシンプルなストーリーで構成されています。突き詰めて言えば、この作品から「カマキリ」という要素を取り除くとごくごくありきたりな怪談となってしまうのですね。
 もちろん、それが悪いというわけではありませんが、これだけのストーリーを運ぶのに99枚もの長さを費やす必要はないかな……と。要するにちょっと冗長に感じてしまったわけです。
  無論、作品のオリジナリティはストーリーの難解さだけで出すものではなく、扱う題材や人物の描き方で十分に滲ませることは可能なのですが、この作品の場合 はストーリー以外の部分でやたら完成度が高いだけに、ストンと意外性もなく一本調子で終わってしまうお話なのはちょっと……いやかなり勿体ないと思いま す。


雨杜 潤さんの意見
 ( ̄^ ̄)ぐーてんもるげん。
 ホラー作品も読もうと思ってやってまいりました。

 文章は良かったです。全体的に薄暗い雰囲気を纏いながら、それを崩すことなく進行するのが非常に上手かったと思います。いい意味で気持ち悪い雰囲気をよく表していました。時折入る赤とんぼなどの描写は美しかったですね。虫にこだわっている辺りがとても良かったです。
 特に引っ掛かりはなかったのですが、残念なのは終盤でしょうか。結末を考えれば当然かもしれませんが、彩花の視点で話が進んだのが少し雰囲気を薄めていたように思います。ヒロが現れた辺りから、彼の視点に移してもいいと思いました。
 以下、読みながら思った突込みなど。

>浩人は細く静かに息を吐きながら、指先に全神経を集中させた。
 ( ̄Д ̄;)エロ!?

>透き通るように鮮やかな若草色の身体。
 |^ ̄)!?

>「あっ、いやっ、ああっ……んっ! 取ってよ、気持ちわるいっ!」
 ちょ、おまw

>アタシ……少し前からキミのこと知ってたわ。
 カマキリの会話じゃなかったら可愛いのにorz
 引っ掛かること。うーん。「少し前」なのに、何百匹も犠牲にしたこと、ですかね? うーん。(読後。そういうことですか。

>「なにそれ? 自分の個体、自慢してるわけ? 閉鎖的なオタクは、自分が一番だもんね! もういいよ、帰って!」
 お互いに自分のことが中心ってことなんですかね(読後。閉鎖的なのは彼女のほうのように思えました。

>「土曜日の午後……なら、家にはボク以外誰もいない」
 カマキリの話じゃなかったらry

>「こいつが休んでるから、もうちょっと動かないでいよう」
 いいですね。このシーン。こういう文句は好きです。

>出来るだけでいいですから、あの子と一緒にいてあげてください。お願いします!
 逆に行きづらくなry

>「そっか、ヒロ君は普通に女の子に興味があるんだ」
 (つへ ̄。)二次元のポスターです(ぁ

>形も大きさも幼い彩花の胸とは違い、豊かで張りがある。触れてみたい衝動に、駆られた。
 げも、ミミズが挟まる程度には大きいんですよね(ぁ

>なぜ、そんな顔をするの? これも病気のせいだと思った? 違うわよ、イナゴと同じようにコオロギだって食べられる。外国では常食する国もあるのよ? 大好きなカマキリ達の餌だもの、ヒロだって味見は必要だと思うでしょう?」
 ( ̄Д ̄;)

>唇の向こうに見える、真珠のように白く形の良い歯。その間から、コオロギの前足が覗いていたのだ。
 (つへ ̄。)

>あの菜園で日曜の朝、バラバラになった猫の死体が見つかったんだって。
 うあ、これは……。

>透子のやり方は、浩人と相容れない部分がある。得る物があろうとも、気持ちの中で区切りをつけなくてはならない。
 そういうことかぁ。

>透子が、姿を消したというのだ。
 ( ̄Д ̄;)何かのフラグ! 覚悟しないと。

>モデルのように着こなされた、名門女子校の制服。
 そういや、抜け出したときはお気に入りの服だったような。制服?(ぁ

>能面のごとく白い透子の顔が間近にあった。
 悪い表現ではないんですが、これまで外国風の表現を使っていたので、透子のイメージには合わない気がします。

>首のない、浩人の身体がゆっくりと崩れ落ちた
 斬首祭りにはわたしを呼べとry

 感想は( ̄Д ̄;)気持ち悪い!(いい意味で です。
 微エロも効いてましたが、やはり虫が気持ち悪いですね。そして、それに没頭する主人公を想像すると、なんと気持ち悪いことか。コオロギの足が口から見えるとか、もう……素晴らしいです←
 気持ち悪いと思うたびにゾクゾクするんですよね。怖さというより、透子の異常性や気持ち悪さを楽しむ作品だと思いました。いい意味で凄く気持ち悪かった。あ、勿論、褒め言葉ですw
 指摘するところが余りないですね。敢えて言うなら、前述した視点の問題ですかね。ヒロ視点で進めて、首が取れた辺りでシーンを切ってもいいかと。そして、彩花に後日談を語らせる。
  あとは他の人も指摘していますが、透子はどちらかと言うとカマキリ的な怖さではなく、ゾンビ的だと思いました。あまり、カマキリが生きていないような。奇 怪な事件をもっと早めに登場させて、カマキリ色を上げた方がいいと思いました。余りにも正体が伏せられすぎていたように思います。いや、それも怖いんです が。

 非常に完成度が高く、とても楽しませて頂きました。しかし、もう一歩足りないといいますか。内容に反して読後に残るものが少なかったようには思います。アッサリ読めちゃったんですよね。いや、いいんですが。
 では、失礼します。
 ( ̄^ ̄)b ごちそうさまでした。勝てそうにありません。


mayaさんの意見
 こんにちは、mayaです。秋企画にご参加いただき、ありがとうございます。

 どの作品を読むのかについては、完全にランダムで選んでいます。運営スタッフで取り決めはしておらず、そのため、ひとつの作品にスタッフの感想が重なることもあるかもしれません。その旨、ご了承くださいorz

  さて、ちょっとばかし不思議だったのですが、本作を通じて、昔、ラ研で読んだ蜘蛛の話を思い出しました。虫という共通点以外にも、描写がわりと似ており、 また「変貌」というモチーフも同じです。そのため、「もしやあの作者さんでは?」と思った次第です(全く関係がなかったらすいません^^;)。

 それでは、以下、リアルタイムで読んでいてツッコミを入れたところから指摘させていただきます――


>『彼女』の細く繊細な首に触れる時は、細心の注意を払わなくてはならない。浩人は細く静かに息を吐きながら、指先に全神経を集中させた。
→ これだけ筆力のある作者さんだから、おそらくわざとなのだと思います。この二文だけで「細」という字が四回も出てきて、悪文のように感じます。もしかした ら、この主人公の繊細さといったものを表したかったのかもしれませんが、一人称ならともかく、三人称の作者視点の文章ですから、成功しているようには見え ません……

>自分は、どこにでもいる平均的な中学生でしかない。
>今は好きなことを自由に学べる貴重な時期であり、関心のある分野をどこまでも追求し極めることが重要だ。

→こんな大人びた考えをもっている中学生が「平均的」だとはとても思えません。中学生男子といったら、そりゃあ、ふつー、中二病真っ盛りか、エロで頭がいっぱいか、そんな感じだと思いますぜw

>「あっ、いやっ、ああっ……んっ!」
→ちょw エロいな、これはw ごちそうさまです。

>「ママ、この人、暮林くん。チビ達のことで相談があって来てもらったの」
→いくら虫好きが共通しているからといっても、初めて声をかけた男子を簡単に部屋に上げる透子さんには、やはり、どことなく違和感があります。

>鬼女のごとく恐ろしい形相でありながら、透子は凄絶な美しさに彩られていた。浩人は抗えない力に捕らえられ、目を逸らすことが出来ない。
→交尾で喰われるという話の後だけに、何となくメタファーの使い方や、ストーリーの結末がすぐに連想できてしまい、ちょっとだけ安易かなとも感じます。

>知り合って日が浅いはずが、内面を見透かされているようだ。
>するとどうしても、ボタン三個を外したブラウスから覗く白い胸が視界に入った。

→本当に引きこもりがちなお嬢さんなんだろうかw どう見ても、ヤル気満々のムラムラッ娘さんにしか思えないw

>「大好きなカマキリ達の餌だもの、ヒロだって味見は必要だと思うでしょう?」
→ここらへんからホラーっぽくなってきました。やっぱり、理解しづらい行動というのは大きなポイントなのかなと思います。

>凄まじい嫌悪感が浩人の全身を総毛立たせ、取り込まれていた世界から我に返る。胃の辺りに湧いた不快感が、口の中に酸を満たした。
→あれだけ、胸とかに欲情していたのにw このシーンは蟷螂との対比で描かれていますが、どうしても、浩人くんの「不快感」といったものがとってつけたように感じられました。

>「まだ早いけど、ネック・ウォーマーなんだ」
→癇癪持ちだったはずなのに、バッグのことなど気にせず、いつの間にか、もうデレモードに入っています。中学生という時期は偉大です。

>白いベッドに横たわる透子の綺麗に整えられた髪、まだ薄く桜色の残る唇。長いまつげが落とす陰は、優しい眠りについた少女が、もう二度と目を覚ます事はないと語っていた。
→この展開には驚きました。これからどんどんミザリー張りの「猟奇的な彼女」展開になると思っていたからです。

>逃れようともがく彩花は、少女に纏い付く匂いに気が付いた。薬品の匂い、お香の匂い、その中に混じる饐えた腐臭。
→え? ちょw 本当に生き返ったのかw ええー……


 次に気になった点について三つだけ述べます――


 ◆前半のバランスが悪いなと感じました

 作者視点の三人称で、キャラクターからずいぶんと距離を取った筆致で描かれています。どことなく硬質な印象を受けます。それはおそらく、作者さんの狙い通りなのでしょう。
 しかし、いきなりエロっぽい描写が入ります。これもハリウッド脚本術に出てくるような「作品にはセクシーさを入れろ!」といったものですから、セオリー通りとも言えますが、やはり、硬質な冒頭の後に来るだけにバランスの悪さをどうしても感じます。
 また、本作は全編を通じて虫がたくさん出てきます。正直なところ、ちょっとばかし食傷気味に感じました。せっかくのモチーフなのですから、ありふれたものにするのではなく、大切なポイントで小出しにしていった方がベターだとも思います。

 ◆作品の展開が予想でき、ストーリーの面白さを削いでいるように思います

 透子さんがいわゆる「猟奇的な彼女」になるであろうこと、それと彼女が浩人くんを食べてしまうだろうことといった展開は、蟷螂の交尾をメタファーとして何度も提示したため、早いうちから予想できるものでした。
  途中、その透子さんが亡くなったのにはとても驚き、彩花さんの携帯を通じて暗号メールが届いたことから、実は彩花さんが猟奇的なのかとか、透子さんの母親 が『黒い家』的なキャラクターなのかとか、そういう二転三転する展開を期待したのですが、結局のところ、透子さんが生き返るという話となり、ちょっとばか しげんなりしました。
 嫌らしい言い方をすると、モンスターといった存在に安易に頼ったラストだと感じた次第です。それに、その生き返りに伏線なり、必然性があるのならともかく、「奇跡的」にそうなったという展開でしたから、どうしても頭の中で「?」マークが先行しました。
 個人的には、ネジのもうひとひねりがあれば、良質なホラーになったと思います。

 ◆主人公とヒロインの思いを無視したバッドエンドは心地よいです

 浩人くんは「関心のある分野をどこまでも追求」するといった学究肌のキャラクターで、その結果として一時的にナルシスティックな「甘美な夢」(=自己愛)に陥っていましたが、透子さんの死をきっかけにして立ち直りかけました。
 また、彩花さんは、浩人くんのことが好きなのだけど、その浩人くんは虫が好きというわけで、ジレンマに陥っていましたが、癇癪持ちの性格を乗り越え、「まあ、いっか」といった精神で(?)、デレ期に突入していました。
 つまり、この幼なじみの二人はやっと繋がる下地ができていたわけです。そこを透子さんが生き返り、まるで蟷螂のように浩人くんを捕食し、それを彩花さんに見せつけたわけですから、これほど読者にとって口当たりの悪いエンディングはないでしょう。
 個人的には大好きなのですが、主人公とヒロインが浮かばれず、モンスターだけが目的を遂げるというラストは、どうしても人を選ぶものだと思います。


 ―――――


  評点は―点となります(感想期間中のため非表示です)。「蟷螂についてわたしはよく知らないので、詳しいことは指摘できませんが、総じて下調べをきちんと してある印象を受けます。筆力も一定してあり、安心して読むことができました。逆に言えば、ホラーとしては安定しすぎていて、驚きに欠けていたと指摘でき ます」といったところです。

 ホラーというのは、見知らぬものに対する防衛的な本能ですから、予想できるものに対しては、あまり感じることはありません。そのため、ホラー小説としては、どうしても片手落ちに見えました。

  また、キャラクターが恐怖に陥らなければ、読者も感情移入ができません。浩人くんが透子さんを同士として受け入れている限り、わたしも安心して読むことが できます。本当に怖さを感じる部分が、透子さんがコオロギを食べるシーンと、ラストの捕食シーンにしか見出せないというのが、本作の大きな弱点でもあると 思います。

 そういう意味では、展開におけるもうひとひねりと、見せ方をわずかに変えるだけで、とても、とても、優れた作品になったと思われるだけに、個人的にはちょっぴり残念でした。

 とにもかくにも、参考になりましたら幸いですorz


みすたンさんの意見
 ども、みすたンです。
 ネタバレを含みます。これから読まれる方は僕の感想を飛ばすことをオススメします。

●まず、キャラクターが生きていましたね。キャラクターではなく「人」を書こう、っていう大前提が、作者さんにとっては既に当然の技術として確立されているようでした。彩花は確かにツンデレと分類されるヒロインだろうけれど、実際にいそうなツンデレでした。
 また浩人もそういったツンデレとよくワンセットで書かれる勘の鈍い主人公じゃないのが、個人的には好みでした。
 透子も、最初の内は確かに一見するに普通の女子高生なんだけど、その内面から滲み出てくる不気味さはなんとも形容しがたく、物語に、先にある恐怖を予感させるに優秀な存在になっていたと思います。

●上記したようにそれぞれのキャラクターがうまく書かれていたわけですが、若干、セリフに脈絡がなかったり、自然さがなかったり、という箇所がありました。
 例 えば「あの、透子さん……が一番お気に入りの個体を見せてくれないかな」というのが、中学生である浩人が、高校生で、しかも異性である透子に対して言うセ リフにしてはちょっと違和感が。「ボク……俺も餌は与えてきました」の辺りまでは一応敬語を使ってるんですよね。確かにカマキリを見たことで打ち解けたの かもしれませんが、それだけでいきなりここまで砕けた口調になってしまったのが、違和感を覚えました。
あとは「しょうがないですねぇ、だって浩人が好きだから」っていうセリフも、なんとなく彩花のキャラに合ってなかった気がします。とくに前半「しょうがないですねぇ」が。「しょうがないじゃん、浩人が好きなんだもん」とか、素っ気無い感じの方がにあっているかなぁ、と。
 それと同じく彩花ですが、「犯人が未成年だと大問題だから」っていうセリフが、なぜそこでそういう前提が生まれてきたのかな、と、ちょっと疑問を抱きまし た。その後に続く「酷いことするよね……噂だけど、あの近くに住み着いてたアメショー(アメリカンショートヘア)の雑種だって」っていうのも、浩人が求め ていたわけでもない情報だったのに、それは彩花にとってわざわざ口にするほど重要な情報だろうか?と思いました。そのセリフの後に「浩人、覚えがない?」 と一言付け加えてあれば、その情報を与えることへの必然性も感じられたかもしれません。
 奇跡的に生き返ったに違いないんです」っていうのも、なぜそうと決め付けているのかが、ちょっと厳しいものがありましたね。どう考えたって「生き返る」という思考にいきなり行き当たるとは思えないんですよ。
 とはいえ、セリフ面ではこの四箇所(五箇所)くらいでしょうか。他は先に挙げた点でも述べましたが、各キャラクターが明確に定まっていてよかったと思います。

●表現もちょっと違和感を覚える箇所がありました。僕が気にしすぎているのかな、というところは省きますが、例えば「暖かなミルクティーとコーヒーを買い」ってところが、「あたたかい方のミルクティー」とかの方が、自販機で買う時の表現としては伝わってきやすいようにも。
 「仮面に填め込まれたガラスの瞳」というのも、前後の脈絡からして違和感を覚えましたね。透子が既に何らかの変異をしているのか、それとも無表情とか死んでいることで濁っている瞳を比ゆ的に表現しているのか、分からなかったことがひっかかりました。
 し かし、結局これらの表現が気になったのって、他の表現が見事なまでに綺麗だったからなんですよね。「赤トンボは長い時間、飛び立とうとはしなかった。」な んか、綺麗な表現でツボにはまって、感動しました。そういう文学的に綺麗な表現ばかりではなく、彩花から来たメールの文章とか、リアリティがあっていい なぁ、と思いました。
 全体として作者さんの力量の高さがにじみ出ていたと思います。

●総評、相当レベルの高い作品であったと、言わざるを得ません。ジャンルとしてもガチンコで恐怖を煽るようなホラーではないにせよ、じわじわとくる恐怖は実際恐ろしかったです。
 ライトノベルか?という個人的な評価点も、明確に枠の中に納まっているかどうかは難しいところではありますが、若干のアウトローでも枠の中に入れることがあることを考えれば、これは一つのライトノベルだ、と僕は思いました。
 オチの暗さが、気持ち悪くなるものがあったとはいえこれも優秀。
 僕もこんな作品が書けるようになりたい、と思える、すばらしい作品でした。

 ごちそうさまでした(と、良作を読んで満足した時はこの言葉でしめくくるのですが、どうもこの作品にこれを書くと色々嫌な気分になりそうですw)。


栗田さんの意見
 こんにちは。読ませて頂きました。

 面白かったです。とくに文章表現ではっとする部分が多く、読んでいて勉強になりました。
 ホラーというジャンルで見てみると、それほど恐ろしい印象はありませんでした。流れが全て明確に説明されてしまっているために、読者に見えてしまっているのが大きいと感じました。
 幽霊の正体見たり枯れ尾花、ではありませんが、逆に枯れ尾花を幽霊と思わせる部分がホラーには必要なのかと感じます。そう言う部分としては、

>真珠のように白く形の良い歯。その間から、コオロギの前足が覗いていたのだ。

 はその前にあったコオロギを食べる部分での変なものを引っ張ってきています。その上で意外性、異常性、また色彩としても歯の白とコオロギの黒の対比などの要素が重なり合って、読者の読み進める時間の流れの中でとても有効かつ効果的な表現となっていました。
 全体のストーリーの流れにもこのような引っ張る部分と意外性による展開、それも何でそうなるのか分からない(見えない)という謎の部分が少し残っている状態で少しずつ積み重ねられていくと恐怖も高まっていくように感じました。


馬やんさんの意見
 こんばんは。馬やんと申します。
 なんとか感想期間内に読み込み間に合いました!
 拝読いたしましたので足跡をぺたりと。

 ネタバレしますので未読の方はご遠慮ください。

  ●●●

 うーん、うーん……お、面白かったです。
 いや本当に気味が悪かった。文章や流れなど、本当にアマチュアなのだろうかと疑いたくなるほどお上手でしたね。そしてエロい。
 心理描写と引っ掛けた風景の描写なども効果的で、おお、とため息が出ました。
 トウコのカマキリの育て方など、彼女の物の考え方をしっかりと示唆していて素晴らしかったですね。

 最初は無駄にエロいwww
 と思っていたりして、幼馴染かー……あー、はいはい、食傷気味だなあと思っていたのですが、トウコの登場により三角関係が気になり、浩人の心境がどう変化していくのかが心配でぐいぐい読んでしまいましたね。
また安易なハッピーエンドでないところがたまらなく好きになりました。

 雌のカマキリが交尾のあと雄を食べてしまう。
 これは後々に物語に絡んでくることを十分匂わせていますね。
 きっと浩人もそうなる運命なのだろう、と容易に想像はできましたが、トウコは実はカマキリ女だったとかそういうオチなのかしらん、とたかをくくっていた自分の頭が残念でなりません。

 トウコの正体不明っぷりが本当に気味が悪いですね。
 なにやら猟奇的な女の子のようだし、どんどんエスカレートしていくんだろうと思っていたら途中で死んだので本当にびっくりでした。いい意味で。
 生き返ったことにはもうひとつびっくりしました。

 しかし少々、腑に落ちない部分もあります。
 これはこれでアリだとは思います。実際に死んだ後息を吹き返したという話は聞きますし、ない話ではない。けれども、なぜか納得いかない。
 「そんな都合よく生き返るかよ……」という気持ちが捨てきれない。

 欲を言えば、これから先の展開が彼女の直接的なものではなく、なにか違った(たとえばカマキリを使ったなんらかの)形で浩人と彩花を追い詰めてくれるとよかったのかもしれません。
(読者はワガママなのです。ごめんなさい)

 なんでしょう……ここまでの展開で、カマキリと引っ掛けた不気味さを存分に発揮しているのに、トウコが生き返ったのを境に、別の種の不気味さにすりかわってしまったような気がして、やや拍子抜けのような。

 それと、浩人はきっとこうなるだろうとわかってはいましたが、ここで死ぬとは思いませんでした。
 残念なのは、浩人が死んでしまう場面が彩花寄りの視点で描かれていること。
 浩人が主人公だと思っていたので、主役が途中ですりかわってしまったようでやや肩透かしな印象でした。

 しかしながら、この不気味さは本当にお見事だと思います。
 そんなところです。上手い作品はあまり書くことが見つかりません(笑)
 手短ですが、このへんで。
 ちなみに私の点数の付け方は文章面に難がなければ0点がデフォルトです。
 あとは面白さや好み、技術的な面で加点しています。
 稀に、読後の気分のみでマイナスをぶち込むこともあります。今回はこのあたりで。

 それでは^^


ガタックさんの意見
 こんにちは、ガタックです。
 「トウロウ葬」拝読いたしましたので、些少ながら感想残させていただきます。


 いやあああああああああああああああああorz
 虫怖いいいいいいいいいいいいいいいいいorz

 なんといいますか、生理的に受け付けない怖さがありました……
 口からコオロギの足とかorz
 怖すぎる(ガクガクブルブル

 正直、指摘する点がないんですよねぇ……
 うん、困った(ぁ
 程よいエロがまたホラーな部分を盛り上げてくれてるし、なんといっても怖かったです。えぐえぐorz

 しいて言えば、ラストがあまり余韻の残らない形だったのが、ワタシ的には少し残念だったかなと。
 これは好みの別れる部分だとは思いますが。

 怖い作品をありがとうございましたw
 十分に楽しませていただきました。

 少しでも参考になれば幸いです。
 これからもがんばってください。


龍咲烈哉さんの意見
 企画参加お疲れ様です。運営の龍咲烈哉と申します。
 作品を拝読しましたので、感想をば。

【タイトル】
 ホラーっぽいタイトル。蟷螂をカタカナにしたのには何か意味があるのでしょうか。
 
【人物】
 この枚数にしてはメインの人物が少ないですが、とても大部分を三人で回しているとは思えないほど見事なストーリー運びでした。以下は適当に取ったメモですのでお構いなく。
 
 暮林浩人:カマキリの飼育が趣味の中学二年生。お年頃な描写多数ですが、最終的に彩花を取ったのはナイス判断。まさかあんな形の結末とは……。 
 
 瀬名透子:妖艶な高校二年生。引き篭もりとありましたが、その割には結構エロス。カマキリと浩人を愛するあまり、素敵に怖い行動に走ってしまいますが、病で身罷ってからもその気持ちは変わらず、とうとう蟷螂よろしく浩人を縊って食べてしまいます。
 
 伊藤彩花:浩人のきょにうな幼馴染み。典型的な巻き込まれ型のヒロインですが、透子と正反対の生の象徴として上手く機能していると思います。「たっ、多分いかないけどねっ!」とか「しょうがないですねぇ、だって以下略」とかちくしょう可愛いなw

【文章】
 上手くて嫉妬のレベル。
 唯一、「かりっ……かり、こりっ……」のような安易ともとれる擬音が気になりました。作者様なら、地の文だけでもおぞましい表現が出てくるはず。

【構成・ストーリー】
  ひょんなことで知り合った謎の美少女が、実は化け物で……というホラーものの王道展開ですが、題材にカマキリを使ったのが新鮮に感じられました。ただのモ チーフではなく、生態も詳細かつ克明に調べられている様子。これがあるとないとでは説得力が雲泥なので、とても良かったと思います。お疲れ様です。
  
  ムシオタク少年がカマキリをきっかけにして、「幼馴染みとの健全恋愛ライフ」と、「謎の美少女が誘う淫靡で危険な香りの火遊び」との狭間で揺れる展開。し かし徐々に美少女がその恐ろしい本性を現してゆき……というお話。陽と陰と惨がバランスよく配置され、シンプルながらも上手なストーリー構成になっていま した。かなり実力のある作者様と思われました。
 透子との対比を意識してか、彩花とのやり取りはテンプレートとも見まがうほどにニヤニヤ一直線。素晴らしい。最初の乳揉みシーン(違)とか、作者様は僕を悶え殺す気ですか。

>透子が玄関を出るまで、とうとう何も言うことが出来なかった。
 この直後に、『彼女』がどうなったのか描写が欲しかったですね。気になります。その後も変化は見られず。この交尾は、どういう結果をもたらしたのでしょうか? とても意味ありげな展開だったので、何も変化無しで終わってしまったのはもったいないなと思いました。
 いくつか枚数調整のために削られたような点が見受けられましたが、上記もそうでしょうか。

  透子が死んでしまうのは病気の件を母親から聞いた時点で規定路線。あまり大きな驚きはなく、さらにサイドバーがまだ中盤を示していたので、これから幽霊に なったりゾンビとして現れるのかなと。その通りだったわけですが、主人公が無残に殺されてしまうという結末にはゾクリとさせられました。まさかあの俳句そ のままとは。やられました。

【総評】
 そういや自分もザリガニ飼ってたなあ、と懐かしさに浸りながら読ませて頂きました。怖いかと尋ねられれば正直そこまででもなかった(展開はおおむね予想できるものでした)のですが、とにかく不気味な作品でした。死体に襲われるのもありがちですが、描写が上手い。
 驚き自体は少なかったのでこの点数ですが、最後に予想外な結末を迎えたのも含め、純粋にホラー小説として楽しめました。


藤原ライラさんの意見
 こんにちは、藤原ライラと申します。企画執筆お疲れ様でした。
 読了いたしましたのでちょっとばかし感想なるものを書かせて頂こうと思います。


 虫は嫌いです!w
 いやぁ、怖かった。本当に文章がお上手ですね。えろい描写もグロイ描写もどちらもすごく引き込まれました。幼馴染との関係の変化はよくある感じですが、良かったと思います。虫を使った喩えも奥深かったと思います。
 とりあえず、コオロギ怖いよ、コオロギ((一д一;))
 強いて言うならラストですかね。前半の方の描写の感じだともっと怖くなりそうなのになぁと思いました。枚数のせいだと思いますがもったいなかったです。


三十路乃 生子さんの意見
 どうも、三十路乃 生子です。

 お、お待たせしてすみません!
 とりあえず・・・・・・o/rz

 さて、私は基本的にダメ感想人です(あえて残すのは嫌がらせじゃないですよw)取捨選択の方をよろしくお願いします。全て捨ててもOKですので。

(以下重大なネタバレを含む)

『雑感』
 ・・・・・・いや、すごい完成度ですね。正直プロと言っても通用するんじゃないかと思いました。脱帽です。
 しかし、どうして、最後は化物の様な展開にorz
 かなり個人的な嗜好ですが、非現実は出してほしくなかったです。それに序盤から中盤までの丁寧かつ隙のない構成とあの昆虫を利用した比喩が素晴らしかっただけに、もう少し人間的に文学的(?)にホラーを出してもらえれば自分は文句なかったんですが。
 とにかく、良かった点を挙げさせて頂くと情報の引っ張り方と出し方、昆虫の比喩や若干の逸脱による不安の煽り方、人物事(場面事)の温度差、本当に隙がありませんでした。今まで読んだ秋祭り作品でもトップクラスの技術だと思います。
 逆にマイナスを挙げると先にも書きましたが、透子・復活!!、片手でトンボ大破、といった非現実的な部分ですね。ただしカニバは好きなので良し(何様だ私w
 確かにこれでも十分面白かったのですが、やはり自分は「人間」のまま終わる「カマキリ女」を見たかったです。

 ちなみにタイトルですが、私はセイロンベンケイ(灯籠草、とうろうそう)をもじったのかと思いましたが違いました。普通にトウロウ=蟷螂でしたね。しかしカタカナよりひらがなの方が似合気がするのですが、意味があったのでしょうか?

『カマキリ』
 このカマキリから派生する、共食い・交尾・捕食・コオロギといった異常な単語が作品全体をより不気味なものにしているのは非常に巧い使い方でした。
 そしてカマキリの交尾中にメスがオスを捕食する可能性。
 これはある種、一番強烈な伏線に感じました。どちらかというと暗示なんですかね?
 特に印象に残っているのは二匹が交尾した後が書かれていないこと。

 以下、そこから考えた読者Aの妄想。

 考えた末路は二つ。
1.交尾後にオスが喰われた
2・交尾に至らずに先に喰われた

 ・・・・・・結局、喰われたorz
 つまり、このとき透子は自分のカマキリを捨て『彼女』に入れ込んだのではないだろうか? 「より強い個体」発言を考えればありえなくもない様に感じました。
 そしてさらに見つけたのがコレ。

・その雌カマキリ(ヒロの『彼女』)は、透子の母親がもらいに来たという。

 い ろいろと考察の余地があった分、恐らくそうではないのだろうと思いつつも、そんな妄想を働かせてしまいました。勝手な推測をさらに続ければ、これで『彼女』がなぜ浩人側にいて、オスのカマキリは透子側にいたのか説明がつきます(本来ならば逆なのかとも思ってたり)。『彼女』=透子。喰われたカマキリ=浩 人。結局のところ浩人は『彼女』に捕食される運命にあったことを表現していたという・・・・・・うん、考え過ぎですねw

『点数及び総評』
 文句なしの30点。
 個人的にこういった作風が好みでもあるのと、比喩を上手く利かせていたこと、そしてこの完成度から30点にさせて頂きました。嫉妬とか超えて尊敬ですw

 感想とか、考察とか、意見とかは以上になります。
 長ったらしく微妙な感想を残してすみませんでしたorz 的外れ必至なのであらためて取捨選択の方をよろしくお願い致します。

 それでは非常に面白い作品を有難うございましたorz
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