東雲(しののめ)さん著作
今日、俺の生徒達がこの学校を巣立っていく。
その中の一人、3年A組高遠葉月。俺が古文を受け持つクラスの生徒で、正義感が強く気も強い、真っ直ぐな目をした女子生徒だった。
彼女はただの生徒じゃない。俺こと、椎葉隆弘にとっては大切な恋人だ。
卒業式が終わった教室で、俺と彼女は二人で向かい合って座っていた。
窓際の一番後ろの席は、高遠の席だ。俺はその前の机に腰を落として彼女を見つめている。
「先生……」
「なに、高遠?」
高遠は答えなかった。
俺は少し不満げに眉を寄せて言った。
「折角、今日で教師と生徒の関係も終わりなんだ。名前で呼んでくれていいんだぞ」
「……先生」
「強情だな、全く」
嘆息する俺を余所に、彼女は制服のポケットから一枚のメモ用紙を取り出した。
それは昨日、俺が彼女に渡したメモだった。
卒業式の前日に彼女から告白され、その答えとして和歌を贈ったのだ。
和歌の意味は卒業式の後に教えるからと言って、すぐには教えなかった。
くしゃくしゃになっているメモを一瞥して、俺は小さく笑う。
「結局、意味は調べなかったのか?」
「これが、先生の答えだって言うから……怖くて辞書も引けなかったんだよ?」
「そっか。案外、繊細なんだな、お前は」
少しからかうような口調で話をすると、高遠はメモを見て微かに笑んだ。
「なんてな、本当は知ってたよ。お前のそういう繊細で臆病な部分。何度も告白してくれても、俺から答えを聞く度に震えてた事も知ってた」
最初に告白されたのは、高遠が高校一年のバレンタインだった。それから俺が断り続けても、高遠は何度も好きだと、口にした。いつも真剣に、真っ直ぐ俺を見つめてきた。
「けど俺はそんなお前に、何度も残酷なことを言った。お前に興味がないとか、年の差がありすぎる、とかな。それでも、お前は絶対諦めなかった。傷付いてるはずなのに、真っ直ぐ俺に向かってきてくれた」
高遠は溜息混じりに、上着のポケットから携帯を取り出した。しかし表面を指先で弄ったりするだけで、それを開こうとはしない。
俺はそんな仕草を見つめながら、尚も続けた。
「だからいつの間にか、お前ばっかり見るようになってた」
「……先生に、いい加減にしてくれって、言われたこともあったよね?」
懐かしげに語る俺の言葉を遮って、彼女はぽつりと呟く。
俯いた高遠は、携帯をじっと見つめていた。
「ああ、そうだったな……。ごめんな、高遠」
続いていた告白が突然なくなったのは、半年前だ。原因は恐らく俺が言った一言だろう。
俺は、最初の告白から何度も気持ちをぶつけてくる高遠を気に掛けていた。
そうして気付くと、高遠の姿を目で追っている自分が居た。授業中も休日も、彼女のことが気になっていた。それが恋だと気付いた時、俺はまず理性を保とうとした。
教師である以上、生徒と一線は超えられないという思いが、頭を支配していたからだ。
理性やプライドが前面に押し出されている俺とは正反対に、高遠は純粋な気持ちをぶつけてくる。それが嬉しくもあり、羨ましかった。
そんな風に煮詰まっていた俺が言った一言で、高遠の告白はぴたりと止んだ。
「諦めたのかと、思ったんだ。けど……お前は昨日、また好きだと言ってくれて」
半年前と何ら変わらない、真っ直ぐな目で俺を見つめてくれて。俺は本当に嬉しかったんだ。
俺も好きだ、と直ぐに言わなかった事には二つの理由があった。
一つは卒業式が次の日だったこと。
二つ目は――
「卒業式が終わったらな、俺からもう一度告白しようと思ってたんだよ」
高遠の手の平で強く握られ、しわくちゃになってしまったメモへ目を落とす。
「その和歌を渡して、俺の想いを伝えたかったんだ。そういうの好きだろ?今まで焦らした分、ロマンチックなシチュエーションってのを演出したかったんだけど――って聞いてるか?高遠」
俺がそう尋ねると、高遠は携帯を徐に開いた。Web画面に接続して、検索サイトを閲覧し始める。
「何をやってるんだ?」
首を傾げて高遠の携帯画面を覗き込む。すると、カチカチと携帯のボタンを押す指が止まった。
「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな――これかな?」
「ん?そうそう、それ。結局、今になって意味を調べてるのか。ちょっと待ってくれよ、本人を目の前にして……恥ずかし過ぎるだろ」
照れ臭くて、頬に熱が集中しているのが自分でもわかった。
高遠はじっと携帯の画面を凝視したまま、俯いていた。しかし、暫くして形の綺麗な唇が弧を描くのを見た。
画面には和歌の意味が記されていた。俺はそれを復唱する。
「君が僕の事を想ってくれるなら、この命だって惜しくないと思っていました。でも、いざ君が想ってくれると、少しでも永く、この幸せの中で生きたいと想うようになったのです」
「ほんっと、恥ずかしいね、先生」
「はっきり言わないでくれよ。メモを渡した後で俺もちょっとそう思ったんだから。……けど、今はそれで正解だったと思ってる」
「本当、今更だよね?それなら、なんでもっと早く――っ」
ぽた、と透明の雫が携帯の画面に滴る。
「ごめん、高遠」
「もっと早く言ってくれなかったの! 私はまだ何も……先生の口から何も聞いてないんだよ?」
今まで必死に塞き止めていた何かが溢れ出したように、彼女は手の平を机に叩きつけた。
「うん。だから……好きだよ、高遠」
嗚咽を漏らしている高遠の頭を撫でようと、右手を伸ばした。
「なんで……なんで、死んじゃったの? 先生っ!」
彼女の悲痛な叫びを聞いた俺は、伸ばしかけた右手を引っ込めた。高遠は俺の存在に気付くこともなく、目の前で泣き崩れる。
「ごめんな、高遠」
俺は震えている高遠を静かに見下ろしていた。見下ろす事しか、出来なかった。
再び頭を撫でてみようとしても、実体の無い右手が虚しく空を切るだけだ。
「本当に、ごめんな」
聞こえるはずも無いが、それでも俺は謝らずにはいられなかった。
和歌の意味を知った時、彼女がどんな反応をするのか。とても楽しみにしていた。
きっと照れながらも嬉しそうに笑ってくれた筈だ。
決してこんな風に泣かせたかった訳じゃない。
もう二度と触れることも出来なければ、俺の声が聞こえる事もない。
それでも、机に突っ伏している高遠の頭部に唇を寄せる。艶のある長い黒髪に口付けを落として、俺は切実な願いを込めて言った。
「飛鳥川 ふちは瀬になる 世なりとも 思ひそめてん 人は忘れじ。――俺が最後に、お前に教えてやれるのはこれだけだ。忘れるなよ?」
***
ふいに、高遠は顔を上げた。
泣き疲れて眠っていたらしく、辺りはすっかり夕暮れに染まっていた。
涙で濡れた表情を隠すことも忘れて、誰も居ない教室を見渡す。
「……先生?」
高遠は夢の中で、確かに椎葉の声を聞いた気がした。
「えっと、あすかがわ、ふちはせに……」
今も耳に残る和歌の意味を調べようと、慌てて携帯で検索を試みた。
「あ、あった……」
和歌の意味を理解し途端、画面が滲んで霞む。
――何があっても、好きになった貴女のことは忘れません。
それは椎葉が最期に伝えたかった想いだ。その事を思うと、涙が止めどなく溢れてくる。
けれど、涙を拭いながら高遠は笑う。
その笑みは椎葉が見たかった、嬉しげに綻ぶ表情だった。
「先生。私、ちゃんと覚えておくからね?……絶対に、忘れないから」
小さく囁いた声は、暖かな西日が差し込む教室に溶けていった。
二作目です。
こちらも酷評をお願い致します。
こんにちは、東雲さま。春玲と申します。
読ませていただいたので感想をば。
先生、死んでたんですねぇ。
会話が成り立っているかのように見えたのですが実は、って感じですね。
面白かったですよ。とっても。
感想書くつもりは無かったんですがなんか書きたくなったので。
またこんな作品を書いてください。良かったです、すごく。
では。
始めまして、りりんと申します。
酷評と言われても困りました。見事な叙述トリックです。
和歌の選択もこの内容にあっていて良いと思いました。
>暫くして形の綺麗な唇が弧を描くのを見た。
ここの表現も素敵です。
気になったのは、「?」の後は一マス開けましょう。
私では、他に指摘できる内容も見つけられません。
次の作品期待してます。
良い出来と思います。
文章も読みやすく良かったです。
先生が死んでいるのが分かった時は内心「おっ」と思ってしまいました。
ただ欲を言えばネタばらしが少し早いかなという気がします。
つまりクライマックスが作品の中ごろに有るために最後にはテンションが下がり気味で終わってしまうという感じです。
それはそれで読後感としては悪くはないのですが作品としては少し弱いかなと思います。
出来ればネタばらしは最後に持っていったほうが、それまでの盛り上げに対して感動を呼ぶのではと思います。
そのままで終わったほうが読後感も最高潮で読み手が満足できるのでは。
何にしても今後に期待が持てる良い作品と思います。
これからも頑張ってください。
孤独に疲れた女です。
酷評をしてくれ、ということなので覗いてみたら、驚くほどちゃんとしてました。
見事な叙述トリック、読みやすい文章。
死んでいた、と知った時にはおお、と思いました。
それから後に続く文章が何とも良い余韻を残してくれたようにも。
私も見習おうと思います。
では。
こんにちは、水平です。
ぐっときました。非常に面白かったです。
先生と生徒という衝撃の設定から始まり、高遠と先生との3年間をを2人で回想していく場面は非常にロマンチックであったと、恥ずかしながら言ってみます。
それで、オチでさらに衝撃を受けました。オチが早い、という意見もあったようですが、僕はこの終わり方が非常に好きです。事実を知ってからの、高遠が先生に思いをはせる場面は、作品に非常に良い効果をもたらしていると思います。
ですが、ひとつだけ文句を。
感想なのか批評なのかは曖昧ですが、切ない話なのに、作品のタイトルが
挑戦的過ぎる(?)かなあ、と思いました。もう少し話にマッチした切ないイメージのタイトルだと、読んでくれる人も増えるんじゃないかなと思いました。主観的かもしれませんが、僕が唯一出来るアドバイスです。
内容に関して批評するところは、僕には思い当たらないですね。感想ばっかりになってしまいました。僕もこんなに上手くかけるようになりたい!と思わせてくれる作品でした。
最後に、個人的な話です。僕がそういうのが苦手というのが原因なのですが、和歌の使い方も結構ベタで、和歌が伝える想いって言うのも結構ベタだなあ、と思いました。和歌を披露するシーンを話のつなぎとしては見ることが出来ても、それで感動ってことは僕にはできなかったですねえ…批評というより完全に好みですが。
2人の抱いている切ない思いもひしひしと伝わってきて、素直に感動できました。嘘偽りなくじーんときました。
ですが、少々僕の好みも反映して、+40点とさせて頂きます。
はじめまして、りほといいます。
感想返しにまいりました。
うまくまとまっている文章だなと感じました。
読みやすかったです。
先生が死んでいたというのはおおっとなりました。
読み返したら、高遠一人の独白でも十分ですね。
ただ、先生が死んでいた、という事実を最後の方に持ってきても良かったのではと思います。
こういう切ない話、私は大好きです。
これからも頑張ってください。
では失礼します。
私の実力では酷評は無理だと感じました。とても良いと思います。
とりあえず点数だけ置いていきます。
ではまた。
初めまして、読ませて頂きました。
とても素敵な掌編で、読んでいてじんときました。
先生が亡くなっているという事実を伝えるまでの文章の組み立て方が上手いと思いました。二人の会話がうまく成り立っていたり、和歌の課題という過去と現在の繋がりによって先生が生きているような錯覚を起こす一方で、時々ちぐはぐな会話を入れることで、事実を伝える伏線になっていたと思います。
告白に和歌を返す先生は粋ですね。作中に和歌を入れることが、作品を印象付けていると思います。
しかし、気になったことが二つ。
この小説の雰囲気に、携帯のWebサイトを登場させるのは少々陳腐に感じました。古典の和歌なので、電子辞書、もしくは(先生の持っていた)本の方が雰囲気出たかな、と思います。
もう一つは、先生がなぜ亡くなってしまったのかがうやむやになっていることです。一文でもいいので、説明を加えた方がいいと思います。
個人的な意見なので、参考までに。
全体として文章も読みやすく、読んだ後にしんみりとした気持ちになりました。面白かったです。
それでは乱文失礼しました。今後のご活躍も、期待しております。
初めまして、こんにちわ、ヘパチカと申します。
作品、御拝読させていただきました。
古い&たくさんの方が感想を書いてるので私も簡単に書きます。
文章もよみやすく、面白かったです。叙述トリックもとてもうまいなと思いました。
以下疑問点
先生→和歌を渡して告白するつもりだった。
高遠→和歌をもらってそれが答えだと知りつつ、告白されていない。
この二つを組み合わせると、先生が高遠を呼び出して、和歌をわたして少ししゃべった後、突然死んだことに……
最後に、あの二人シンクロ率ぱねーっす! もし生きてたら良いカップルになったんじゃないかなー
初めまして、アイジョウカスミと申します。
先生が死んでいることのネタばらしがなかったら、
全然気付かない叙述トリックには驚きました。
内容もとても面白かったです。
酷評っと…いってもあまり指摘できる程能力もないんですが
強いて言えるなら、先生が死んでいるっていう事実を
もうちょっと最後の方に持っていったら、
もっと面白くなるんじゃないかと思いました。
それくらいでしょうか…では、失礼致します。
途中まで会話かとおもっていたのに、びっくりです!
上手に先生と話してるようにしてるのがすごいと思いました。
とてもスッキリとした読みやすい文章でした。
ただ、終わり方が少しスッキリしすぎか…? という気も。
しかし全体的にまとまっていた、綺麗な作品だと思いました。
初めまして貴方の作品読みました。
もし好きな教師が死んでしまったら、涙がとまらないなと思いました。
心が温まりました。
こんにちは、ある。と申します。
酷評との事ですので、東雲様のレベルの高さを前提とした上での批評をさせて頂きます。
完成度は高く、和歌を用いたり、一方が実は死んでいたというギミックは面白いものですが、欲を言えば「それだけ」のように思えました。
この場合の叙述トリックは、いったい何のためにあったのでしょうか。どうもその辺りの意図が不明瞭に感じられました。
叙述トリックとは、その作品における前提を覆すために用いられる技法です。
例えば、ロミオという登場人物がジュリエットという女性に告白されて悩んでいる。「どうしても付き合えない」「周囲が許さない」などの描写を記述し、最後にロミオが女だったと記述する。すると、それまでの苦悩や葛藤が互いの身分の違いではなく、単に性別の違いであるものとなってとても滑稽な作品となる……
という具合です。要は、それまでの読者の感想やイメージをまったく覆すために叙述トリックは用いられるのです。しかしながらこの作品は、先生が死んだと分かった後でも、それまでの物語に抱いていた印象や結末に変化はないように感じられました。
単に叙述トリックを使うのではなく、どのよな意図で用いたのかをあらかじめ著者様の中で明確化されていれば、もっと面白い作品になったのではと思います。
感想は以上になります。それでは失礼します。
泣いちまいやすよ。
僕じゃ酷評なんてできないです。
はじめまして、蒼華です。
オチがとても良かったです。
初めは卒業式での先生と生徒の恋物語と思っていたのですが、
先生がもう亡くなっていたということに驚かざるをえませんでした。
二人の会話が噛み合っているところもとてもよかったです。
先生が幽霊と分かってからもう一度はじめから読みなおしたのですが、
先生が幽霊と知っていても、会話に違和感はほとんどありませんでした。
この作品、私は大好きです。
またお願いします。