第4研究室 創作に関するQ&A 133P | トップへ戻る |
浜丸さんからの質問
 キャラを死なせまくるのはマズイのでしょうか?
 
 こんばんわです。浜丸です。ちょっと気になる事ができたので質問させて下さい。

 今日とある小説関連の掲示板(ここのサイトじゃないです)をうろついていたら、
 気になるスレがありました。
 いわく、最近の小説は無駄にキャラを多く殺す事で無理矢理カタルシスを昇華させている、
 といったモノです。
 そこで私が現在執筆中のものを見てみると。主要キャラ6人中4人死にます。
 ラストの方では主人公も……ってな具合です。多分変更は無しです。
 削れなくもないのですが、4人死ぬ方がしっくりくるし、
 自分なりにそれぞれの死に関して意味(てか理由)も持たせているからです。
 ですが、やはり人死にを多くするのは逃げのようにも思えてきました。
 でもストーリーは変えたくない自分がいます。

 えーとつまり、私が聞きたいのはキャラを死なせまくるのはマズイのかという事です。
 すいません、タイトルのまんまですね。ボキャブラリーの無さが嫌になります。
 でもぜひ皆様のご意見頂けたらなと思いました。
 ちなみにジャンルは西洋ファンタジーを意識してます。


● 答え ●

魏延さんの意見
 死は難しいですね。
 愚生が頓挫してしまった駄文も主要人物九人中七人が死ぬという群像モノでした。
 その話の発想からそろそろ一年経つのですが、やっぱり死ぬだけの物語になっていた気がします。

 死がなぜ難しいか?
 それは加減です。

 人を死なせ、命の重さを訴える ⇒どうしても物語が重くなる
 人は死なせるけど、重くはしない⇒命を軽視している、死を利用した、などと言われる。


 例えばドラゴンボールはやたらめったら人が死んでいきますが、
 ドラゴンボールによって生き返らせることが出来ます。
 (中盤までは二度目の復活は出来ませんでしたが)
 中には後で復活させるから、
 と時間稼ぎの為に敵キャラに地球の人々を殺してくるよう(渋々)促す場面もありました。
 命のストックがある、という考えはストーリー上必要だったとはいえ、
 それがあまりに一手段という程度の重みで利用されていたわけです。

 でもこれが悪いかというと決してそうでもないわけで。
 命の重さをつけてみたからと言えど、それも吉とでるか凶とでるか分かりません。
 ドラゴンボールは結果的に誰を生き返らせるか、誰が死ぬかの駆け引きに成功していましたから。

 もうほんとに申し訳なく、情けなく、陳腐で、分かりきった答えなんですが、
 作風と相談してくださいm(_ _)m

 本当に殺すことに意義があるのか?
 キャラの死はその物語になくてはならないものなのか?
 「とりあえずこいつらを殺せば感動できるな」なんてことになってないか?


 命の大切さなんて誰でも知ってます。
 だからそれのみを伝えるために殺すのは愚生としてはお勧めできません。
 病死や敗死、捨て身で死ぬ等の手も徐々に手垢がつき始めました。
 ただ殺すことのみで物語を深くしようとするのはやめましょう。


まいちんさんの意見
 こんばんは。浜丸さんはじめまして。
 んと、ちょっと生物学的な視点からの意見です。

 たとえば、その世界の平均死亡率が
・衛生状態が悪いため5歳までに5人に1人が死ぬ
・戦争や怪物に襲われて6歳~結婚までに5人に2人が死ぬ
 とすると、その世界の男女一組当たりの平均出生人数は以下のようになります。

 人間が増えも減りもしない=5人(2人が結婚まで生き残る)
 人間が増えていく=6人以上(3人以上が生き残る)
 人間が減っていく=4人以下(1人以下しか生き残れない)

 まず、これらを参考にして、自分の世界では人間という種族が増えつつあるのか、
 それとも滅ぼされつつあるのかを決めます。
 平均出生人数と結婚するまでの平均死亡率も適宜いじります。
 この時点で「あなたの世界の普通の人は何人中何人死ぬのか」がわかります。

 つぎに、主人公たちの状況の困難さを考えます。
 普通の人と大差ない致死率のミッションに就いているのか、
 それとも著しく致死率の高いミッションに挑んでいるのか。
 致死率の高さと舞台世界の厳しさがきちんと読者に伝わっていれば、
 相応の死者が出ても読者は納得します。
 逆に、世界もわりと平和で致死率がそんなに高くないはずのミッションなのに、
 人がたくさん死んだら「殺しすぎ」と本能的に違和感を感じます。

 以上、つたない意見ですが参考になれば幸いです。頑張ってください。


匿名希望Bさんの意見
 キャラクターを殺すことでしか、読者に衝撃を与えることができないなら、
 作家希望としてはまずいのではないでしょうか?

 私も最近のライトノベル小説を読んでいると、
 「無駄にキャタクターが死んでいる」と思うことは頻繁にあります。
 作者がストーリーを盛りあがるためだけに、キャラクターが死ぬ。
 そんな無駄死にキャラが、最近のライトノベルに大勢存在しているのは事実です。
 キャラクターが無駄死にする作品は、ここ数年でも幾多も発売されました。

 読者からすれば「またかよ」と愚痴をこぼすほど、
 キャラがご都合主義で死ぬ展開が溢れているのです。
 浜丸さんが閲覧したサイトは分かりませんが、そのレスをつけた方々は、
 安易にキャラを殺しすことでしか、読者を驚かすことができない作者が増えていることを
 問題視しているのだと思います。

 「登場人物が死に過ぎるのはだめなのか」という相談内容ですが、浜丸さんが物語を書くうえで、
 どうしてもキャラクターの死が必要なら構わないのではないでしょうか?


 アクション小説やファンタジー小説で、戦闘シーンがあるような内容のものなら、
 キャラクターが何人か死ぬことはあると思います。
 ですが、浜丸さんのキャラクターの死には、重要な役割があるのでしょうか?
 読者を驚かすため、感動させるため、ストーリーも盛りあげるため……などなど。
 そんな理由だけで死ぬのなら、その小説関連のサイトで問題視されている、
 「無理矢理カタルシスを昇華」と揶揄されるような小説と同類になると思います。

 死んでいくキャラクターが、何故死ななければならないのか。それを一度考えてみてください。
 必死に考えて、ただストーリーを進めるためだけに死ぬようなキャラがいるのなら、
 それは無駄死にキャラの可能性があります。
 考え尽くして、それでもキャラクターが死ななければならないなら、
 それは必要な要素だからだと思います。
(浜丸さんの小説を読まないかぎり、ちゃんとしたアドバイスができませんので、
 今回は「キャラクターが死ぬことが必要か考えてみて下さい」としか言えません)

 浜丸さんの西洋ファンタジー小説が完成することを祈りながら、これにて失礼します。


脂さんの意見
 うーん、ちゃんとその死が物語の要素として機能していれば問題ないんじゃないでしょうか。

 早い話おもしろければよし、ということです(おい)
 それだけではなんなのでつらつらと。

 ガンダム小説版を思い出しました。
 あれもガンガン殺しちゃうんですよね、キャラ。
 モブも虐殺しちゃう。凄惨な描写付きで。
 あれはそれまでのロボットアニメ批判として、
 リアルな戦争ってこうなんだよっていう御大のメッセージかなと思っております。
 でも最近はリアル戦争でさえテレビの中に納まってしまってますね。
 今ガンダム小説を同じ条件で出版しても、
 それほど人の死についてのインパクトは機能しないような気がします。

 その背景をもうちょっとだけ掘り下げてみます。
 ラノベというのを主に読み始めて数ヶ月、ラノベの全体的な印象として、
 人物描写が希薄だな、ということがあります。
 それは文字数とかではなく、キャラがアニメ的というか。
 アニメキャラやマンガキャラはリアル人間の各要素を記号化し、
 各個トーン調整したものを再構築した記号の塊だと思っております。
 
 しかし最近のアニメではアニメキャラの各個記号を、
 さらに分解再構築したとでも喩えられるようなキャラも目につきます。
 歌舞伎やバレエなどのような人間味のコード化というか。
 それはそれで一つの表現手法ですし、
 裾野の広いアニメマンガだからこそ機能する技法だと思います。
 ラノベではこれが結構普通に行われているような気がします。
 というかこういうキャラがメインに近いような。

 ラノベというジャンルの背景を考えればそういう傾向はなんとなく理解できます。
 これをラノベの一つの傾向としてここでは捉えておきます。

 「キャラがリアルではなくアニメ寄りの人間像である」と。

 しかし、ラノベではないジャンルでしたらどうでしょう。
 ミステリに西尾維新さんという作家がいます。
 この方のキャラというのは各要素のデフォルメの仕方など非常にアニメ的です。
 それが狙いなのかどうかはわかりませんが。
 で、これがまた売れているんですよね。

※断っておきますが、私はこの傾向をだめだといっているわけではありません。
 多少ではありますがマンガもかじっていましたので、
 人間の各要素の記号をデフォルメやトーンダウンさせて、
 新しい記号の集合体として再構築させたキャラを作ることは大変おもしろく、
 奥が深い作業だと思っています。

 で、ここで「死」という要素を考えてみます。これは、リアル人間としても非常に身近な要素です。
 みなさんも私もいつかは必ず自分のこととして経験することですよね。
 つまり、死という要素は、読者をリアルを作品世界の中に簡単に引き寄せてしまう機能を
 持っている要素だと言えると思います。
 ここでラノベジャンルの傾向を思い出してみます。
 「キャラがリアルではなくアニメ寄りな人間像」、ここと齟齬が生まれている状況ではないでしょうか。
 アニメアニメ展開していた作品に急にリアルを持ってこられても、と思う読者もいると思います。
 また、アニメキャラであるがゆえ「死」という要素自体が薄くなり(トーンダウンし)、
 一つだけではインパクトが足りなくなってしまうので、
 おっしゃるような「キャラを多く殺す事」に繋がっているんじゃないでしょうか。
 ご質問では西洋ファンタジーで、多分ラノベというジャンルの作品でしょうから、
 アニメ的なものと勝手に想像してこのような文章になってしまいました。そうでなければすいません。

 以上は技法的な視点から捉えていましたが、
 これを大きな視点で捉えなおしても符合する点が多々見えます。
 例えばセカイ系の流行。
 これらの作品の共通項としてメインキャラ以外の「他者の希薄さ」があります。
 西尾維新さんの作品も厳密には全てがそうとはいえませんが、
 そうであるものもあると思います。
 メインキャラの条件として、
 世界の運命を左右できうる能力がナンセンス的に付加されたりしていますよね。

 まーこんなこというとセカイ系って、
 んなたいした表現手法じゃねーよと言われそうなのでこの辺にしておきます。
 私はマンガも書いていたので、こういうのを希薄化とは言いたくありません。
 作品世界の中での第三者、世界のナンセンス化と言い換えておきます。

 またリアル世界のナンセンス化もすすんでいますしね。
 オウムやNYテロや北朝鮮などの事件の底の浅さといったら……。
 それらの情報が情報化社会であっさりと大量に手に入ってしまう時代だからかもしれません。
 はやい話「事実が小説より奇になりすぎておもしろくなくなった」といえばよいでしょうか。
 妖怪などの類が科学の発達で駆逐されたように、
 世界の暗部が情報技術の発達で駆逐されようとしているとでも言えばいいのかな。

 またネットが爆発的に普及したことにより、リアル人間同士の接触自体が減っているという
 SF的な要素の影響も多少はあるかもしれませんね。

 以上のことを考えれば、小説にかぎらず物語、フィクション全体の傾向として、
 作品の中の第三者を含む作品世界のナンセンス化、
 またはコード化して再結合されたもの化はすすんでいくのではないでしょうか。
 ナンセンス好きとしては少し気に入らない状況ではありますが(汗)。

 つまり、そこに住む人間のナンセンス化がすすんだ作品世界に、
 リアルであることから逃れられない「死」という要素を持ってくることの難しさは、
 あるということだと思います。
 意識的に使えば非常におもしろい要素の組み合わせになるとは思いますが。

 まあそういうことで、ラノベで「死」というものを取り扱うのには、
 少々注意が必要かな、と私は思っております。

 そんな感じですー。


朝比奈さんの意見
 はじめまして。
 キャラクターを殺すことは自身で一人の人間を殺すことです。
 そう考えると、少しは殺し辛くなってくるかもしれません。

 長編なのか短編なのか、長いストーリーならばどのキャラも、
 死ぬ理由のような、キャラ自身の生き様を見せていけるので、一応は理解できると思います。
 問題なのは短編(量的には掌編クラスの作品)です。
 例えば冒頭から、どんどん人が死んでいって理由も説明されない(世界観の説明がない)まま、
 ストーリーが進むというのは確かに問題があります。
 が、掲示板のご意見を拝見するとどうやら長いストーリーみたいなので、
 上の意見はスルーなさってください。

 戦いにおいて、死はつきものです。同時に利用しやすいものであります。
 復讐、慟哭等ストーリーにからめやすいものです。
 また、人の死というのはインパクトを読者に与えることが出来ます。
 掲示板の意見というのは、拝見していないので分からないですが、
 恐らく、安易に利用されすぎていると言うことではないでしょうか。 

 ただ、個人的な意見を承知で言いますが。
 殺そうと思う人間を生かしてみるのもよい経験になるのではないでしょうか。
 こいつは殺す、というのを決めずに、じゃあ、こいつが生きていたらどうなるだろう、と。
 作品を多くの書き方で書く、物語は自分で書くもので、一つだけのものではないですから。

 では、失礼します。


んぼさんの意見
 まあ手段の一つですよね、んぼです。
 
 でもね、思うんですよ。
 多分一人目二人目くらいならいいんですけどね。
 三人目四人目になったら、読んでる側が慣れてきませんかね。

 人間、結構簡単に死にますが、でも死を可能な限り避けようとするのが普通だと思うんですね。
 その中で、やれ仲間を助けるためだとか言って死んじゃうのは、
 ちょっとどうもやりすぎると良くない気がしますね。

 死に意味を持たせないのは良くないことみたいですが、
 かと言って何でもかんでも理由を付けたらいいのかって考えたら……うーん。
 少なからずその死が話の先に影響してくるのならともかく、
 理由だけ付けて死んで終わり(死んでても失踪していても話の筋に影響が無い)は、
 それこそ無意味だと思います。

 いつにもましてグダグダですが、本編読まないと判断が付きませんよ、これはw



綺堂さんの意見
 どうもこんばんわ、綺堂です。

>えーとつまり、私が聞きたいのはキャラを死なせまくるのはマズイのかという事です。
 
 キャラが死ぬこと自体は別に悪いことではないと思います。
 ただし、無理矢理死なせるのはやめたほうがいいです。


 死ななくてもいいキャラを無理矢理死なせれば、読者は何となくわかってしまうものです。
 「結局このキャラって死ぬ必要あったのか?」ってな具合で。
 
 浜丸さんは大丈夫なようですが、やはり、
 その死についてちゃんとした理由(意味)がないと駄目でしょう。

 
 個人的な意見ですが、「ガンダムSEED」のトール(で合ってるかな?)の件は、
 ちょっといただけませんでしたね。全話を見たわけではありませんので、断言は出来ませんが。
 こんな意見でも参考になれば幸いです。それでは。


ナンガさんの意見
 こんばんは。

 私はキャラの死は、辛く思うのですが、大きなドラマを作るには必要なことでもあると思います。

 必要なのは、散った命を生き残った者がすくいあげて、救われる死を作り、
 そうすることで、キャラが前に進むことが大切だと、私は思います。


九龍さんの意見
 こんばんわ。

 キャラクターの死が必要なストーリーなら問題ないと思います。

 ただ、やはり死というのはストーリーが重くなってしまいますので扱いは難しいかと思いますが。
 自分が書きたいストーリーならそのまま書いた方がいいと思います。


幻奏さんの意見
 こんばんわ、幻奏です。

 読者視点で見ると、主要キャラの死はとてもつらいです。
 好きなキャラでは尚更ですが。

 僕は主要キャラはあまり死なせないようにしてます。
 なんていうか、たまに思うんですよね。何のためにそのキャラが死ぬのか。と。
 そうなると可哀想にもなって心が痛みます。

 「死ぬ」という事は先ほどにも述べたとおり、とてもつらいです。
 無駄な死なんていらない。誰もがそう思うでしょう。
 浜丸様はそれぞれのキャラの死に意味を持たせてるようですが、
 大きな意味を持たない死はないほうがいいです。
 それぞれ大きな意味があるなら申し訳ないです。

 長々と引き伸ばしましたが、キャラを死なせまくるのは作品によります。
 例えば、サバイバルみたいなのであるとやはり死ぬのは多いでしょう。
 その場合、「サバイバル」であるという事から多く死ぬのは当然だろうと思います。
 (僕の観点ですが)

 ただ、死はやはり人間にとってつらいです。悲しいです。
 無闇に死なせまくるのはまずいです。ちゃんと考えて、ですね。
 そもそも、死は自己観点ですが、「暗い」というイメージがつきます。
 ですから、死が多すぎると暗い作品と見られるかもしれないです。僕はそう見てしまいます。

 長々と矛盾な点もありますが、何かの参考になれば。
 では、失礼します。


優奈さんの意見
 初めまして。
 私はあまり人が死ぬような作品は好きじゃないです。
 けど、そういう作品を書きたいのだったら、そういう作品でいいんじゃないでしょうか。
 バトルロワイヤルとか、ルバン三世とか人がよく死んでしまいますし。
 
 その掲示板では「無駄にキャラを多く殺す」と書かれているようなので、
 無駄にじゃなく、それ相応の理由があればいいんじゃないでしょうか。


 それでは。


矢神倖千さんの意見
 こんにちわ、矢神です。

 返答する前に他の方のレスを読んでいて逆にお勉強してしまいましたil||li _| ̄|○ il||li
 現在僕の執筆する作品では最低2人、死ぬ予定になっています。
 うち1人は若いながらも軍人です。
 主人公の盾になって死んでしまいます(ガンダムSEEDのニコルのような感じでしょうか?)
 もう1人は主人公で、こちらは寿命です(汗)
 ちょっと逃げの姿勢なんですが、こうすることで読者に不審感をなるべく抱かれずに、
 エピローグを書ける(はず)だからです。
 まぁ、盛り上げには違いないんですけどもね……

 さて、自分のことばかり話してしまいました。
 真面目に回答させていただきます(解答にあらず)。

 僕としては問題ないです。
 重い作品になろうと、それは構いません。
 何人もの人が死のうと、作者によっては明るいストーリーを書くことは可能ですので、
 要は何故死ななくてはいけないのかです。


> 4人死ぬ方がしっくりくるし

 これは、都合ではないのでしょうか?
 魔法に巻き込まれて4人死亡だとか、そういったものなら1人でも十分ですし、
 いなくても違和感はありません。


> 自分なりにそれぞれの死に関して意味(てか理由)も持たせているからです。

 なら大丈夫ですね。
 必然性があるなら、僕は死んでしまっても構わないと思います。
 ただし、1度死んだキャラクターは二度と登場できないことを肝に銘じておいてください。
 では失敬。


浜丸さんからの返信(質問者)
 ご回答ありがとうございました。
 まだまだ若輩者の私は、1つ1つのご意見を拝聞する度、自分の作品について考えさせられました。

 やはり死が多いことは、話が重くなったり、何らかの形でリスクがあるのですね。

 私としても単なる浅知恵で死人を増やそうとしたわけでは無いのですが、
 本当に余計な死はないのか、ということは少し自信がないです。
 一応それぞれの死に意味もつくっていますし、
 死によるその後の展開への波及効果も考えてはいるのですが。
 かいつまんで言えば、死ぬ予定の4人ともが、
 それぞれ残った人たちへ何かを遺す設定です。
 その中には露骨に悪役で見るからに死にキャラがいるのですが、
 そいつにすら遺すものがある予定です。

 ですが、これからもっとよく考えてその辺のことをどう書いていくか決めることにしました。

 作風に関しては、実は完成したら鍛錬室に投稿しようかと考えていたので、
 親記事ではほとんど触れませんでした。
 でもそのせいで質問が分かりづらかったかもしれません。私のミスですね。

 今回わざわざレスをくださった方々、本当にありがとうございました。
 皆様には足を向けて眠れないです。


ケンタッキーさんからの意見
 どうも。

 この質問に対しては最初に「ひぐらし」が答えてくれるでしょう。

 あの物語は「愛の暴走」を描いています。
 主人公たちは単純に「愛」を追求するがあまり呪いにとらわれ、
 狂気と苦しみの渦に巻き込まれていきます。
 そして最終的にはその目的がなくなり、全てが崩壊したまま最悪の結末に至ります。
 
 そのリアルさ、残酷さを描き出すためには、
 ほとんどの主要キャラクターの死というものが必要不可欠でした。
 見終わって人生に関して真剣に考えさせられたのは、これとエヴァぐらいでしょうか。

 このストーリーの死は、テーマを濃くするための手段でした。そして、素晴らしく成功しています。

 エヴァに関して。例えばマンガの中においては、
 主人公の良き友の一人は主人公のように世界を守る最強兵器「エヴァ」の一つに乗りました。
 しかし、これにより敵の「使徒」の寄生を受けたその友達は、
 最終的に主人公自らの手によって殺されてしまいます。
 この友情が「エヴァ」の存在によって始まった物であっただけあってインパクトの強いシーンです。
(アニメにおいては左足切断で済んでいますが。)

 この事件は主人 公の心に大きく響いてしまい、
 ついには彼は「エヴァには乗らない」という誓いを立ててしまいます。
 その後、最強の敵が現れ世界を脅かすまで、彼はずっとこの状態のままでした。
 そしてこの挫折を乗り越え、敵を倒し、彼は成長し……という風な変化を遂げます。

 しかしエヴァの世界は甘くありませんでした。
 最後の最後には、新たなる親友さえも自らを「最後のシ者」すなわち最後の敵としてあかします。
 そしてその敵は目的を実行しようとしますが、
 嘘に踊らされ失敗した彼はそのまま主人公をそそのかし、無理やり自分を殺させます。
 ここでも主人公は挫折を味わい、人間の価値の高さ、敵味方問わず人を殺すことの虚しさを痛感します。
 そしてそれを経て、新たなる人生を手にするのです。

 しかし、これのようにダークなテーマのものでなければ、このように死なせまくることは禁物です。


けーさんからの意見
 はじめまして。自分も似た疑問を感じた事があるので自分の答えを少し。

 おそらく「死なせまくる」のもマズイでしょうが、「生かしまくる」のもマズイでしょう。

 生存率5%の死地に赴く、などと本文中で煽った場合、
 そこへ向かう主役人物達複数名が超人設定でもない限り、普通何名か死にます。
 死なない場合に理由が必要です。
 北斗の拳のような退廃的世界観では、元気に生きている事自体が宝くじ当選状態です。

 読者に「死ぬのが当たり前」の世界観を意識させてしまえば、
 主要人物の死亡退場も、物語の一部として自然に受け入れられると思います。

 主要人物の死が突発的だと読者は面食らい、
 その「面食らい効果」を狙ったあざといものだと、批判の対象となるのかもしれません。

 なので突発性を薄くする為に、事前に何人か、モブを殺すといいかもしれません。
 北斗の拳でいう所の「汚物は消毒だ〜」であります。
 シチュエーションにもよりますが、積まれた死体、広大で雑な墓地、散在する骨、ネームド人物の死など、
 主要人物が立ち向かう物語のリスクを匂わせると、読者が感じる突発性を低下できると思います。

 読者に対する緩衝の仕掛けを撒いておけば、納得して読み進めてくれると思いますが、
 「人死にカタルシス」に頼らない本筋を要求されるので、ハードルは上がると思います。

 個人的に、批判の中心になってる点だと思うのは
 「死が当たり前」と当然登場人物も相応の覚悟して生きてるハズなのに、
 描写上それが見受けられないからではないか、と思います。


 死に対しての反応の描写が、設定上ありえないほど過剰なのです。そこがあざとく映ります。
 日本は身近で死を感じる機会はありませんが、例えば内戦が続く国などでは、
 おそらくもっと感覚が麻痺してるハズです。
 
 「身近な者の死を数えきれない程体験してるハズ」の人物が、フレッシュな反応で取り乱す描写は、
 読者を「人死にカタルシス」に頼っているのじゃなかろうかという気持ちにさせます。

 なので死なせまくるのがマズイのではないと思います。
 そこで感動させよう、とするのがマズイのではないかと考えます。


 現代に比べれば、ファンタジ−のベースになる「中世」も、死に溢れた時代です。
 ひとつの病が流行っただけで、人が万、死にます。
 ただそれは当たり前なので、うまく描写すれば、そう重い話にもならないと思います。
 そういう時代には、人の命より重いものなど、結構あったハズなので。

 創作は自由なので、禁じ手はないと思います。描写のハードルが上がるだけで。
 ドラマある死に憧れ感動するのは、平和に生きる我々の常かもしれません。普遍性かもしれません。
 
 そんな我々の死生観と、ハードな架空世界に生きる登場人物の死生観の違いを意識して描く事が、
 死の取り扱いにうまくなるコツかなーと思ってます。

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