第4研究室 創作に関するQ&A 170P | トップへ戻る |
蜂次朗さんからの質問
 いまいち自分の文体が掴めません
 
 みなさんこんにちは、そしておそらくは初めまして。
 つい最近、このサイトに足繁く(え…)通わせてもらっています。蜂次朗というものです。
 私は小説(ラノベ・その他色々)を半年ほど前から書き始め、
 人に見せては意見をもらうということを繰り返しているのですが、
 最近になって、「あれ?」と思うことが多くなってきたので、
 皆さんの意見を聞かせていただければと思い、書き込みをいたしました。

 お聞きしたいのはタイトルの通り、「文体」についてなんです。
 一週間ほど前から、どうも自分の文体を持てていない、
 過度の模倣をしてしまっているなと感じるようになりました。
 「〜だ」「〜である」もそうなんですが、それだけでなく「調子」とでもいうのでしょうか。
 うまい説明ができなくて申し訳ないのですが、「きれいじゃない」と言いますか……。
 皆さんは、自分の「文体」というものをどうやって作っていったのでしょうか? 
 また、作品によって変えたりしていますか? その場合はどういう点に気をつけているんでしょうか?
 かなり漠然とした質問でわかりにくいと思いますが、助けていただけたら、うれしいです。
 よろしくお願いします。


● 答え ●

花菱 庵さんの意見
 初めまして、花菱と申します。

 思うに模倣は大事です。
 模倣(not剽窃)なくして文化は成り立ちませんと、私の好きな有名な方が仰ってました。


 というのは、言うまでもなく何ごともお手本は大事ですし、
 文体についてもお手本があっても別に自然だと思うのです。
 自分の好きな作家さんの文体をひたすら真似ます。
 真似まくっている内に、自分の文体らしきものが見えてくることもあるでしょう。
 真似ている内に他の作家さんの文体が好きになってその辺りが折衷されてくることもあるでしょう。
 
 何より、実地で活躍されているプロの文章をお手本にすることは、
 多くを得られるかけがえのないものです。


 かく言う私もまだまだ自分の文体が出来たと言うにはほど遠く、
 お手本にしている文筆家さんはどっさり数え切れない程います。

 絵で見ると分かり易いでしょうが、ある漫画家さんのアシスタントさんが漫画家デビューした際、
 絵柄が何処となく似ている場合があります。
 アシスタントしてた漫画家さんがお手本なのでしょうから、これは当然ですし、
 それが悪いことだと考えてる人はきっと皆無でしょう。

 繰り返しますが、いずれ自分の文体を作る意志があれば、
 模倣は悪いことではないと、私は考えます。


> また、作品によって変えたりしていますか?
 基本は変わりませんが、使用する単語の語彙や漢字は変えています。

> その場合はどういう点に気をつけているんでしょうか?
 作品の雰囲気を重視して読み辛い文を書いてしまったら本末転倒ですから、
 何よりも伝わり易さが第一です。

 何かの参考になれば幸いです。
 ではー。


みつきさんの意見
 蜂次朗さま、はじめまして。
 文体については、私自身は数人の方からミステリ作家の宮部みゆきさんみたいに感じる、
 と言われたことがあります。
 ただ単に、難しい言い回しを使用しない、主語を必ず先に置く、
 中学一年生くらいの子が読め理解できる熟語を使う、擬態語・擬音語は描写に使う、
 体言止めは極力使わない、係り結びをきちんとする、
 といったような『文章の基本』を忠実に守るようにして書いているだけなのですが……
 でも確かにそれは、井上ひさしさんが書評で『文章が平明で、しかも面白い』
 と言っていた宮部さんの文体と、ちょっとだけ似ているのかもしれません。
 (後半部分は当てはまりませんが・笑)。

 文体を作品によって変えるということはありませんが、
 一人称小説で視点者が違えば、やはり用いる語句が変わってきたりはします。
 でも、どう変えてみても、読みやすく、起こっていることが理解しやすく、
 情景がイメージしやすい文章を書くのが優先であることには変わりがないんですよね。
 
 それではこれにて、失礼させていただきます。


Notoさんの意見
 どうも初めまして蜂次朗さん。アマチュア軽小説家Notoと申します。
 さて、文体が掴めないというのは小説家にとっては必ずと言っていいほどぶち当たる壁です。
 僕は書き始めてまだ一年程度ですが、大体半年あたりでしょうか。
 似たような時期に似たような悩みを持ちました。

 じゃあどうやって僕が自分の「文体」を作っていったのかと言いますと……
 はっきり言えば作っていません。
 なぜなら作るものでもないからです。
 悩むだけ無駄です。だってまだ半年なんですから(笑)
 それでも何か方法が欲しいのならば、僕の体験談でも話しましょう。
 大したことでもないんですけどね。

 誰しも尊敬する作家や、こんな作品を書きたい、こんな文章を書きたいというのがあるでしょう。
 半年前の僕は、そんな思いに駆られて、好きな作家の文体を意識して書いたりしていました。
 でもですよ。余計に読みにくくなるんですよね。
 そんなときに僕の文章を読んで兄がこう言ったことがあります。
「これさぁ、お前の文章じゃないじゃん」
 当たり前です。意識して書いてるんですから(笑)
 でも、それではっとしたんですよね。
 僕には僕の文章があるじゃん……みたいな。
 それからはほとんど自由気ままに自然体で書いています。
 いやはや、これがきっと「文体」を作っていく過程なんでしょうねぇ、
 なんて思ったり思わなかったりして。

 まぁ、ともかく結論を言うと、「そんな急ぐな」ってことです。
 野球でもサッカーでも、始めたばかりでそうそう自分のプレーが見つかるわけでもないです。
 言っちゃえば「年季」の問題ですよ。
 その間に様々な小説を読んだり知識欲を出して本を読んだり……。
 それがいずれ自分の「文体」に繋がっていきます。
 僕が言えるのはこれぐらいですね。

 あー、ちなみに作品によって変える、とか。気をつけてる点、とか。
 そういうのは聞かないようにしたほうがいいですよ。
 明確な答えなんてないんですから。むしろそういうので悩むのも小説を書く楽しみでしょう。
 まぁ、それでも答えてくれる親切な人はいますが、少なくとも僕はお答えしません。
 申し訳ないですけどご了承ください。
 あと、その明確な答えを答えてくれる人の言葉を鵜呑みにしないように。
 あくまでそれはその人ならこうするというものですからね。
 おそらくプロでも似たようなことを言うでしょう。

 それでは。あつかましい返答ですみません。また機会があればお会いしましょう。


どてかぼちゃさんの意見
 こんばんは。どてかぼちゃです。

 模倣でもいいと思います。
 どんどん書いて行くうちに、自分のスタイルが自然に出来ていきます。
 読んでいる本にも大きく影響されますよね。

> 「調子」とでもいうのでしょうか。うまい説明ができなくて申し訳ないのですが、
 「きれいじゃない」と言いますか……。

 こう思われているということは、その文体が自分と馴染まないことに気がついたということです。
 ならば、自分なりのアレンジを加えて「きれい」にすればいいんです。
 漢字の使い方、言葉の言い換え、句読点の場所など、
 細かいところを変えるだけでも、印象は変わると思います。

 わたしはもう十数年書いていますが、
 初めに書いた作品とは、ずいぶん文体が変わってきています。
 今も少しずつ変わっています。
 書き手の成長とともに変わるものですから気にしないで、思いっきり書くのが一番です。
 がんばってください。


Cさんの意見
 ども、Cです。参考になるか分かりませんが、一つ思い出話などを(笑)

 私は大学時代、文芸サークルみたいな好き者集団に所属しておりました。
 そーすると当然、作者たる先輩後輩同級生のことも知ってるわけですね。
 そういう状態で作品を読みますと、
「あ〜コレほんとに○○さんの文章って感じだわな」
 てなことがよくありました。その人の語り口というかしゃべり方というか、
 「個性」としか呼びようのないものが、作品の文中にもにじみ出ちゃってるんですよ(笑) 
 それはいわゆる純文学系の人だけでなく、ラノベっぽいファンタジーを書く人なんかでもそうでした。
 ……たぶん、私も人のことは言えないんだろうなぁ。
 
 人間、たいていは自分を基準に生きてますから自覚しにくいですが、
 (少なくとも私は他人様の文を読むまで気付かなかったわけですがw)
 自分が書く文章には「自分」がもろに出るものだと私は思います。
 ある意味で怖いくらいにだだ漏れですよ(笑)

 長すぎる前置きはさておき文体の作り方。私がやった(今もやってる)方法も書いてみますか。
 まず用意するのは悪文です。
 というと語弊がありますが、要するに自分が読んでいて引っかかりを覚えた文章のこと。
 プロアマ問いませんが、アマの場合レベルにばらつきがあるので、
 プロ作品のほうがおすすめです。電撃文庫にあるゲームのノベライズものとか……。
 何か危険な方向に行きそうなので、この辺で止しますが(汗) 
 えーと、まぁ個人の好みもありますから。自分で選んでみてください。
 
 で、その文をカスタマイズします。どこに違和感があるのか考え、
 「自分ならこう書くかな〜」と言い換えをしたり熟語を平易な言葉にしてみたり、
 句読点の打ち方を変えたりします。


 最終的にもととかけ離れたものになるかもですが、それでいいんです。
 自分が読んでいて気持ちのいい文章を書けば。

 ……また回答が長々しくなったCでした(笑)


ぺーさんの意見
 文体にはあまり凝らない方がいいと思いますよ。
 悩まない方が良い。あまり悩むと変な方向に行ってしまいます。

 綺麗であることを重視しすぎると、分かる人には分かるという、
 万人受けしない文章となってしまいます。
 特に自分自身で過度の模倣をしていると思っているのに、調子が良くない、綺麗じゃない、
 と感じるのは危険な状態じゃないでしょうか。かなりこねくり回している可能性があります。
 もちろん卓越した筆力とセンスがあるのなら、それだけでうならさせることが出来るのでしょうが、
 それだけが綺麗さではありません。

 万人にとっていい文体とは、分かり易い、読み易いということ。
 綺麗にならないというなら、飾り付けるよりも、逆に割り切ってしまって、
 一度思いっきりシンプルにしてみて下さい。無個性でもいいです。
 違う意味での綺麗さを感じるはず。「シンプルイズザベスト」ってやつです。

 あちこち飾り立てるより、ここぞというところだけ、
 さりげなく飾ってやる方がいいんじゃないでしょうか。
 そう割り切っちゃいます。後は話のおもしろさで読ます。

 一冊につき、一文の「綺麗」があれば上々。
 心に残っている一文というのは案外そう言うものだと思いますよ。


でんでん虫さんの意見
 久しぶりの書き込みになります。でんでん虫です。
 私は自分の文体と言うのは、誰にでもあるものだと思います。
 というのも誰でも文字が書けるでしょうし、その文で自分の考えをあらわす事が出来るからです。
 (もっともこれができないと人間としてもどうかと思いますけど)
 そしてそれは人生の途中での模倣から成り立っているわけですが。
 問題は人に読ませる文をを書くときに、これを意識して変える必要があるかどうかだと思います。

 意識しすぎると過剰に模倣した状態になって、
 「あ、これ、あれと同じ書き方じゃないか」みたいな事になると思います。
 そもそもこれだけの創作物があるのにどれとも被らないというのも無理な話ですし、
 自分が書いた文が超有名作と非常に酷似している文体とかでなければ、
 意識する必要は無いと思います。

 結論としては、人の文体とはこれまで生きてきた人生により構成され、
 その人がどん生き方をしてきたかによって大きく変わる。
 何も考えずに文を書いた時間が多ければ、
 あまり上手いとは言えない文体になり、その逆もしかりである。
 よって自分の文体を持ちたければ『考えながら書く』この方法を続けるしか無いと思います。
 もちろん天才と呼ばれる方々は最初から自分の文体があるらしいですが。
 その人たちだって、きっと少しは考えたでしょうし、ねぇ? とまぁそんな感じです。

(ここから↓は微妙に余談)

 正直な話。私は文体なんて物の追求には意味が無いと思います。
 と言うのも設定や起こるイベント、登場キャラの性格、何人称で進むのか、
 その後の展開、などで書く内容は全く変わるからです。
 実際、適当に立ちよみして売れていないライトノベルを見ると、
 パッとしねぇなーと思うようなどいつこもいこいつも似たような文体です。
 けれど違って見えるのは、違う話だからです。
 例えば涼宮ハルヒの憂鬱の作者である谷川流氏が、三人称で灼眼のシャナとか書いたら、
 そりゃもう、パクリみたいな話が出来ますよ。おもしろい話なのは間違いないと思いますが。
 と言う風に物語の『似ている』感じを作ってしまうのは主に設定です。
 これには例外は無いと思っています。
 例え一人称を使って「主人公の喋り方がアイツそっくりだー」と思ったら、
 それはソイツそくっりの主人公を設定してしまったところにミスが発生しています。
 もちろん人によってある程度の差は生まれますが、それはその人のセンスの差であって。
 『似ている』と言う当初の問題の解決にはなっていないと思います。
 (勿論この差が文体の差なのです)

 で、語尾の話に移りますが、そう言った「〜だ」、や「〜である」などを被らせないは、
 正直無理なのでは? と思います。それは文体どうのこうのの前に日本語に限りがありますから。
 ……さっき考えた荒業で主人公を獣人とかにして語尾に無理矢理キャラ語をつけて、
 「〜だにゃん」とか「〜であるわん」とかにしたら変える事はできます、一応……。
 すいません、半分冗談です。

 なんか的外れだなー と思ったので、余談として話しました。
 長文になってしまいましたが、このあたりで。助けになれば幸いです。では。


脂さんの意見
 うーん。これは非常におもしろいトピックスじゃないでしょうか。
 且つ重要、しかし技術論としてはあまり気にしない方がよいような問題。って感じがします。

 えーとまず。
 「〜だ」「〜である」や、「調子」「韻」「テンポ」と呼ばれるところ。
 こういったところは表面上の技術論ですね。
 これは私気にしたことないのでお答えしにくいのですが、どなたかも仰ってますが、
 やはり最初は模倣、手習いでよいと思いますよ。
 私は中学生のころ書いてた小説とかは、
 火浦功さんと夢枕獏さんの影響まるわかりでしたでしょうねえ。
 意識して模倣するのもよし、ものすごく好きな作家さんがいるなら意識しなくても、
 模倣になっていると思いますし、いけないことだとは思いません。

 さて、その次。
 どなたかも仰ってますが、文体から人間が読み取れるような、
 技術論的なところではなく、個性としての文体といいましょうか。
 こちらは無理して作るものではないと思います。

 というか、無理して作った個性など個性とはいわないと思います。

 演劇でいつも喩えてしまうのですが、少しだけ聞いて下さい。
 役者は、他人、自分と違う創作上の人物を演じますね。
 しかし、その演技に用いられる体は自分の体です。
 男が女を演じようとも男の体で演じなければなりません。
 では、それはリアリティを損なうことか、と言ったらそうではないのです。
 自分の肉体で、他人を演技する。
 他人とはいえ、台本上は抽象化された人物ですよね。
 その抽象化された人間を自分の肉体を用いて具象化する、という作業になります。
 小説でいうと、作家(具象→抽象)より、読者(抽象→具象)の方の感覚に近いかもしれません。
 意識的には。
(もちろんその過程には様々な技術、演技メソッドがありますが、ここでは省きますね)

 しかし、「文体」にこと限れば、上の役者の考え方がすっぽりはまるのではないかと思いました。
 技術論的なところはいろいろ議論の余地はあるでしょうが、模倣でも最初は構わないでしょう。
 そして、自分の個性とか、追い求める文体という「抽象」的なものを、
 自分というものを通して「具象」化する、というのが、図式的に符号するなあ、と思いました。


 私は戯曲書きだったせいか、文体など気にしたことありませんねえ。
 くだらない論文なども書いてましたし。
 もちろん、読者に伝えるという大前提の意識は持っていましたが。
 うーん。
 小説以外の文章もいろいろ書いてみるというのもいいかもしれません。
 また、あるときは一切書かないとか。
 私は数年文章らしい文章書いたことがないという時期ありましたよ。
 そういう熟成期間もありなんじゃないでしょうか?

 そんな感じでしょうか。
 何かのお役に立てれば。

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