第4研究室 創作に関するQ&A 248P | トップへ戻る |
駆け出しな人さんからの質問
 三人称の視点移動について
 
 ここの研究室の要項を読みながらとこつこつと、
 小説を書きはじめてた駆け出しな人です。質問はタイトルの通りなんですけど、

 心情描写は視点となる一人までとあります。
 シーンの登場人物が一人だけならそれでいいのですが、
 複数いる場合は、視点主から見た過去形の推測で書けばいいんですかね?
 そう言う書き方がこそが小説だというニュアンスのスレッドが幾つかあったので多分、
 間違いないのでしょうが…。

 最近読んだライトノベルは、どうも、同一シーンで複数人の心情描写や、
 登場人物全員を遠くから、あるいは見下ろすような――
 いわゆる神の視点で書かれているよう見えるんです。

 章が変わった時には、また主人公視点に戻っているんですけど…。
 視点移動って確か、究極のタブーなんですよね?
 神の視点も、ライトノベルでは使われない手法だと書かれているんですけど、どうなんでしょうか?


● 答え ●

みつきさんからの意見
 駆け出しな人さま、はじめまして。

 書き込みを拝見いたしましたが、駆け出しな人さんの視点に対する理解は充分なものだと思います。
 ただ、『過去形の推測』で書く必要は必ずしもなくって、現在形でもいいと思いますよ。
 『○○は今、頭の中で必死に損か得かを計算しているのだろう。
 眉間に皺を寄せながら、高額な絵画を穴が開くくらいに見つめている』
 っていうような感じで。


 神様視点についてですが、この書き方の一番の問題点は、
 読者が混乱しやすい、感情移入がしにくい、というところです。
 利点としては、複数の人物の心理が一度に書ける、というところでしょうか。


 小説として、物語の中心に据える視点者がきちんと存在していて、
 ある章だけは神様視点で説明的に書いてページ数を節約する、というのはありだと私は思います。
 この章だけは神様視点、他の章はきちんと主人公視点、
 と読者に混乱なく読ませることが出来て、
 神様視点を読者に混乱させることなくちゃんと書ける人がやるのなら、全然問題はないんですよね。


 で。

 タブーな視点移動とは、同じ章内で、主人公視点でずっと書ていたのに、
 読者に何の提示もなくいきなり他者の視点に変わる、というものです。
 これは、神様視点とは全く違います。

 
 普通、視点者を変える時は章を変えたりして、ここからは違う人の視点で話を進めますよ、
 と読者にアピールしたりするものですよね。
 神様視点の場合は、描写を入れる前に必ず、それを行う人の名前を入れ、
 誰が何をしたか・何を思ったのか、を一人ひとりきちんと区別して書くのがお約束です。

 でも、そうではなく、読者に何の断りもなしに数行ごとにころころと視点者が変わり、
 登場人物の中の誰が何を見、何を考えているのかがすっかり混ざり合ってしまっていて、
 書き手には理解できるけど、読み手には何がなんだか全然分からない、
 という書き方をするのが『タブーな視点移動』というものです。


 読者の目から見ると――

 Aを主人公だと思い、ずっとそのつもりで読んでいたのに、
 読み進めていくうちにいつの間にか視点がBのものに移っていて、
 『あれ? どこからBの視点になっていたの?』と思って遡って読んでみても、
 視点の切り替えがどこで行われたのか全然分からない。
 
 しかも、さらに読み進めていくと、Bのことだと思って読んでいたら、
 段々つじつまが合わなくなってきて、なんかおかしいなと思っていたら、
 いつのまにかAが視点者に戻っていたらしい。
 そっか、さっきヘンだと思ったのは、文章がAの考えてることに戻ったからか、
 と無理やり納得して先を読むことにした。
 
 すると、さらにその先では最初のほうでちょっとだけ出てきたCがいつ間にか視点者になっていた。
 あれ、じゃあ、今読んでいた、長い長い独白はAのものだったの? それともCの考えてたことなの?
 ページを遡ってみても、やっぱりどこで視点が切り替わったのか分からない。

 たぶん、あれはAの独白だったんだろう。内容からしても、そのほうがしっくりくる。
 そういうことにしておこう。
 
 そう思ってさらに読み進めていったら、またいつの間にかBの視点で物語が語られていて、
 やっぱりどこから視点が切り替わったのか、全然気付けなかった。
 
 Cが空を見上げていたあたりから、また文章がヘンだなあと思い始めたんだけど、
 あそこで切り替わったのかな? そうかもしれない。たぶんそうだ。
 自分を納得させつつ何とか最後まで読んだけど、さっぱり意味のわからない小説だった。

 ――というのがやっちゃダメな視点移動ってやつです。
 上手く伝わったかどうかは非常に心もとないのですが……。
 
 ……タブーの視点移動の例は、タブーな視点移動がされている小説を読めば何がタブーなのか、
 一発で理解できるのですが、それと出会うのが結構難しいんですよね……
 例文を書こうにも、生理的に難しく……ネットで探してみると案外あるかもしれませんが……。

 それではこれにて、失礼させていただきますね。
 

駆け出しな人さんからの返信(質問者)
 なるほど。おおよそは理解できたと思います、ありがとうございます、みつきさん。
 それとは別にもう一つ疑問ができたので、ついでに質問します。
 三人称の利点は、一人称とは違い、視点者が知らない設定などを書けるとあるんですが、
 これもたまに混乱するような描写があるんです。

 通常、視点者が知らない事を書く場合は、行間を開けたり、
 それと分かるように区切りを入れるものなんですかね?
 それとも、区切りを入れる事無く、視点者の既知の事のように書いていいんでしょうか?


渓谷さんからの意見
 こんにちは。渓谷です。
 僭越ながら、代わりに回答させていただきます。

 罠にかかっていたのはモグラだった。
「またモグラかよ……」
 猪や豚を期待していた彼はため息をついて、哀れなモグラを解放した。
 実はこのモグラは一部を食することができる。つまり罠は徒労ではなかったのだ。
 しかし都会生まれの彼にはそれを知る由もない。

 こういうのが、「視点者が知らない設定を書くこと」です。
 例え主人公追尾型の三人称でも、語り手と視点者はあくまでも別なのです。
 故に行間や区切りは、付けても付けなくても構いません。


みつきさんからの意見
 駆け出しな人さま、こんにちは。

 出掛けた先から帰ってきたら、もうひとつご質問がされていたことに気付きました。
 すみません、私、基本的にお昼過ぎから夕方くらいまでしかネットにいないものですから……。 
 で。
 もう渓谷さんが分かりやすくレスをつけられているので、これは蛇足になります。

 駆け出しな人さんは、三人称主人公視点の『本当の視点』がどこにあるのかということを、
 イマイチ理解できていないのではないでしょうか。
 
 こんなことを書くと、余計に混乱させてしまいそうですが……三人称主人公視点というのは、
 実は、主人公が『本当の視点者』というわけではないんです。
 

 映画やテレビドラマを思い出してみてください。
 あれは、カメラが主人公を中心にして追いかけていき、
 仕草や表情、独白等を主人公メインで撮り続けているので、
 視聴者は「この人が主人公なんだな」と思い、感情移入もするわけですよね。
 
 つまり、この場合の『本当の視点者』とは、主人公に寄り添い続けている『カメラ』のことなんです。
 
 小説で『三人称主人公視点』といった場合は、
 この映画やテレビドラマにおける『カメラ』をイメージすると分かりやすいんですね。
 主人公や、他の登場人物たちから、ほんの少しだけ離れたところに存在する『カメラ』。
 それが、小説では『作者の目線』=『本当の視点者』になるんです。

 一人称では、その『カメラ(作者の目線)』がそのまま主人公の『目』になるので、
 主人公の見たもの、聞いたことしか書けない、というお約束が生まれます。
 
 ですが、三人称主人公視点の場合は、『カメラ(作者の目線)』が、
『時々は幽霊が憑依するように主人公(視点者)の中に入ったりすることもあるけれど、
 基本的には主人公(視点者)をメインにして、ちょっとだけ離れたところから撮り続ける』

 
 という“お約束”になっているだけなので、時にはそこから時間的にも空間的にも
 遠く離れることができたり、必要があればちょっとの間だけ主人公から離れて、
 別の人を追いかけてみたり、また、主人公の知らないことを知っている場合は、
 それを地の文で「主人公はこのことを知りませんよ」、と注意書きしたうえで、
 表したりすることができるんです。
 そうすることで、作品に広がりが出るんですよね。

 映画やテレビドラマをカメラの目線から見ながら、それを小説に起こしてみる。
 そういう風にイメージすると、『三人称主人公視点の本当の視点者』のことが、
 ちょっとは理解しやすいのではないかな、と思って書いて見ました。
 分かりやすく書けていればいいのですが……(^^;。

 それではこれにて、失礼させていただきますね。


松葉杖さんからの意見
 はじめまして、松葉杖です。
 自分も駆け出しのペーペーなのですが、少しでも役に立てばと思い投稿させていただきます。

 さて、ちょっと質問の答えから遠くなるかもしれませんが、
 視点の混乱を避けるために必要な事は常に『読者の視点』を意識することだと思います。


 一人称視点とは主人公と読者がほとんどシンクロする事、
 三人称主人公視点は主人公の背後から読者が見ている状態、
 神の目視点は読者が完全に舞台の外から物語を眺めている、といった感じでしょうか?
 私はそんなイメージです。

 心情描写は一人まで、視点移動はタブー……、これらが何故重要なのかというと
 (あくまでも個人的な意見ですが)
 これらを無視することは読者の視点を無視することになるからだと思います。


 例え話をしましょう。小説を読むという事は、読んでいるその人が一台のカメラを持って、
 その物語を撮影する事に似ています。ちょっと強引ですがそう思ってください。
 基本的に読者は一人、一台のカメラしかないですから一つの視点、
 一つの方向からしか撮ることはできません。
 そんな状態で、やれ、次はあいつの後ろに回れ、今度は離れて全体を写せ、
 と次から次に撮るポイントを変えていったらカメラマンは混乱してしまいます。
 まして事前に聞かされていなかったらなおさらです。

 さらにこのカメラは演者の近くに行けば行くほどその人の考えている事が解るようになります。
 そういう便利なカメラなんです。
 そして、カメラマンがAのすぐ背後から撮影しているときに、
 急に離れているBの考えていることが入ってきたり、
 遠く離れて(つまり神の目視点で)撮影しているのに演者達の考えていることが、
 次々に流れ込んできたりしたらカメラマンはどう思うでしょうか?
 カメラの故障だと思うでしょう。つまりそれが視点が破綻している状態なのです。
 
 駆け出しの人様が言っていた「三人称視点なのに混乱する」と言うのは、
 きっと登場人物の心理が濃く書かれすぎていて、距離感がおかしくなってしまっていたからでしょう。
 
 『神の目視点で書くときは心情描写はしない』と言うのも大事なルール……だった、と思います……。
 ちょっと自信ないですけど、確かそんな感じだったと思います。(アバウト)


 以上の説明で最初の質問も解決できるのではないかと思います。
 視点を変えることも複数の人間の心理描写をする事も、カメラマン(読者)に負担をかける事なく、
 無理なく自然に誘導できるのならそれはタブーでも何でもないのです。

 ただしその方法は物凄く難しいので中途半端な実力でやったらとんでもないことになりますよ、
 と私はそう理解しています。
 それと、ライトノベルで神の目視点が使われにくいのは、
 ただ単に読者を感情移入させにくいといった理由だけで、
 特別タブーと言うわけではなかったと思いますよ。

 ……えー、何か漠然としている上に、だらだらと長ったらしい文章になってしまいましたが、
 少しでも駆け出しの人様のお役に立てれば幸いです。それでは。

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