第4研究室 創作に関するQ&A 291P | トップへ戻る |
わちちさんからの質問
 努力を恐れて作家になれるのか
 
 僕は最近私立高校を中退しました。(高一です)
 家を火事によって失い、経済的に無理になったのがその理由です。
 あ、火事というのも僕の兄による放火です。
 本来ならば兄は成人しており刑務所行きなのですが、
 精神を患っており病院への強制入院ということで許されました。
 
 兄自身、引きこもりの自分をどうにかしようと何年も色んなところを駆け巡っていたようです。
 外に出る努力もしてました。
 で、何年も努力した結果がこれです。
 家を放火し、病院に強制入院です。
 以前その病院にお見舞いとして行ったのですが、手足をベッドに縛り付けられていました。

 それで、何が問題なのかというと努力ができなくなりました。
 僕は表題にもあるように作家になりたいですし、高校を辞めたのに大学に行きたいとも思っています。
 しかしいくら努力しても実らない場合があると分かると、
 自分もそうなるのではないかと怖くて努力することを逃げてしまいます。
 ましてそれを間近で見ましたし、結果が悲惨だったので余計怖いです。
 
 上の二つのことを叶えるには「努力」の一言に尽きるのは分かっています。
 その努力を恐れる人間が、作家になれるのでしょうか。
 もしくは僕が努力できるようになるにはどうすればよいのでしょうか。
 抽象的で答えにくい質問ではありますが、何かアドバイスはありませんでしょうか。

 同じ作家を志す人の意見を聞きたくて書きこませていただきました。


●答え●

jogtyさんからの意見
 焦らずにいられないとき、自棄にならずにいられないとき、どうにも苦しいとき。

 そんなときに冷静になれるのが最良だとは思いますが、それが無理でも、
 誤った選択をしないことは必須です。


 私が愚考するに、あなたはどうも冷静さを欠いているように見えます。
 自分自身では落ち着いていると思っているかもしれませんが、
 人間というのは本当に混乱しているときというのは、
 案外自分自身は冷静であるかのように思うものです。
 実際には頭の回転が実質的に止まっていて、
 頭の奥底で本来の思考が狂っているので、下す判断は冷静なものではありません。

 というわけで、まずは落ち着くことを推奨します。
 そうですね、私自身の経験から言えば、1ヶ月も経てば日々の生活に追われて否応にも落ち着きます。
 その頃になると、なんで俺はあんな質問を書き込んだんだろう? と疑問に思うと思いますから。
 で、その頃になったらこう自問してください。


『俺は本当に作家になりたいのか?』


 もし「はい」と思えるのならば、どん底から這い上がってください。
 むしろどん底のほうが得られるものも多く貴重ですから、むしろ有利かもしれませんよ?

 あなたが本当に作家になりたいと思っているのならば、全ての状況、
 全ての経験はあなた自身の小説を書くための武器となり糧となります。

 質問の答えと外れていますが、努力の重要性を認識しつつ努力を放棄しようとするあなたの思考自体が、
 まずそもそも冷静でないように思えたので。
 俺の求める回答と違う、と思うのならば、
 ネットの海越しの無責任な誰かのたわごとと思って切り捨ててください。



世羅 悠一郎さんからの意見
 どうにもならない事って、ありますよね。
 周りがどんなに理詰めで言ってきても、それがどれだけ正しくても、それでもどうにも出来ない事って。

 まずは、落ち着く事が大事です。
 多分、こちらから推測するわちちさんの状況では、がむしゃらに何とかしようとしているのではと考えます。
 一度、放り出してみましょう。

 私自身の経験則ですが……。
 
 どうしてもやりたいものというのは、どれだけ退けようとしても、頭の中を過ぎるものです。
 結論から言えば、努力の出来ない人に何かを達成する事は出来ません。
 作家になる事だってその一部に過ぎません。
 どれかに一つ限った事ではないんです。

 で、一度放り投げてみて。
 それでも、どうしても頭の中を過ぎるのであれば。
 その時は努力を行う事が出来るようになるのではないでしょうか。

 放り投げている間に充填する事の出来た心の健康が、あなたを動かしてくれるものと考えます。
 心の健康が保たれるようになった時。
 その時に、まだ頭の中を作家になりたいという考えが占めていれば、
 例え無理だと思っても、駄目だと分かっても前進したいと思うようになるのではないでしょうか。

 私自身、一度挫折した身なので、そう思います。
 本当はゲームクリエイターになりたくて専門学校に通ったけれど、
 必須技能であるプログラムがどうしても、致命的な程に組めなくて。
 それで思いつめた結果、鬱病を患って。今でも治療に通院している最中です。
 それで、ゲームクリエイターになるのはもう駄目だと思い、
 致命的に駄目な時期に余裕が無くなって、どうすればいいか分からなくなって。
 それでも、作品を創って、それを世に出す事で感動を与えたいという思いは抜けきらなくて。
 それで、ゲームクリエイターは駄目だけれど、最初に欲しかったものは駄目だったけれど……。
 それでも、まだクリエイターなら作家への道がある事に気付いて。
 それで、現在は作家を目指している途中です。

 現在は、やりたいものがあって、それを何とか形にしようとしている最中に、色々考えて壁に突き当たって。
 その度に「駄目なのかな」とクヨクヨしながら、それでも頭の中から思いを排除する事が出来なくて。
 それで何度も立ち上がっては、躓く事を繰り返しています。
 全ては、どうしても、頭の中からその思いを消す事が出来ないから。

 ですから、まずは精神的な下地をある程度整えましょう。
 その下地を整えるには、色々な手段がありますし、長い時間を要するかも知れませんが……。
 いや、だからこそ……なのかな。
 長い時間を犠牲にしても、それでもやりたいと思うようならば。
 その時こそ本当にやりたいものと見定める事が出来、努力する事も可能になるのではないでしょうか?

 とにかく、何をするにも今は精神的な休息を得る事を第一に考えては如何かと思います。

 挫折した内容の差こそあれ、同じ状況に陥ったものとして私が出来るアドバイスはこんなものです。
 少しでも、私の意見が参考になれば幸いと思います。
 それでは、失礼致します。


サイラスさんからの意見
 お気持ちわかります。僕も小説家になりたいながらも、努力を嫌がる人間の一人です。
 僕の原因は、高1の時、自分の力に限界を感じ「バーンアウト」を起こし、
 結果、高校時代は悲惨なものでした。親に連日叱られる始末です。
 それでも、意地で大学に入学し、今に至ります。
(わちちさんに比べると軽いので、不愉快かもしれませんが……)

 上の二つのことを叶えるには「努力」の一言に尽きるのは分かっています。

> その努力を恐れる人間が、作家になれるのでしょうか。

 自分の経験を言いますが、答えは、NOです。

 というのも、僕は大学には入りましたが、実は、そんな大した理由で入った訳でもなく、
 親に見捨てられないための”逃げ”で入学し、
 課題や生活のために時間を費やし、小説を書いていません。
(二次製作はやりましたが、ほとんど外に見せてません。)

 今、3年生なのですが、なんで努力しなかったのだろう?
 なんで、もっと正直に小説やろうと努力しなかったのだろう?と後悔しています。

(ここサイトに顔を出すようになってからは余計です。)

 僕からいえるのは、”逃げ”に回ると、あとで後悔し、
 そして、自分に失望し、努力を怠り、そして、力がないから逃げるの悪循環になる。

 
 僕は、わちちさんに、僕と同じ後悔は味合わせたくないので、
 本当はこんなこといえない立場のですが、あえて、言います。
 努力を恐れる人は、作家にはなれません。

> もしくは僕が努力できるようになるにはどうすればよいのでしょうか。
> 同じ作家を志す人の意見を聞きたくて書きこませていただきました。


 まずは、お兄さんとわちちさんは兄弟ですが、違う人間というのを意識してください。
 文を読んでいると、わちちさんとお兄さん、どのような関係を構築しながら、
 過ごしてきたかはわかりませんが、わちちさんはお兄さんじゃないので、
 努力が実らなくても、少なくても、お兄さんみたいなことにはなりません。

 何故なら、あなたはお兄さんを見て、努力をする虚しさを知ってしまったと同時に、
 努力が実らなくても、これだけは、やってはいけないと、知っているはずです。
 だから、少なくても間違いは犯さないはずです。
 
 2つめは、少し自分に甘くなって見てください。
 これはお兄さんの話ばかりで申し訳ないのですが、お兄さん、努力はしていましたが、
 実は必要以上に頑張った結果、つぶれた節があります。
 つまり、努力する時は、頑張らなきゃと気張るとつぶれますが、
 そうでないなら、努力がなくても踏ん張れます。これは自分の経験でもあります。
 最後に、わちちさん、あなた自身、生活を大切に……それが、努力できるきっかけになります。


ファルスさんからの意見
 結論から言います。私は「なれる」と思います。

「あなたはなんで作家になりたいの?
 有名になりたいの? お金が欲しいの?
 違うでしょう? 好きだからでしょう?
 書くのが好きだから、挫折しても書いてきたんだよね?」


 私が親友に言われた言葉です。
 このときの私は精神状態が悪く、筆がまさにぴたりと止まったときでした。
 頭の中で、登場人物たちが動かなかったんです。
 一文字も、文章が生み出せなくなっていました。
 そういうとき、焦るんですよね。
 「どうしよう、自分は作家に向いていないんじゃないか」と。
 そのことを親友に話したとき返ってきたのが上の言葉です。

 私は、統合失調症にかかっています。
 リストカットもしました。薬の大量摂取もしました。
 努力ができなくなりました。
 回答させていただいているのも、あなたに少し自分を重ねたからかもしれません。

 とりあえず、落ち着きましょう。

 きっと色々あって心の歯車が噛み合わなくなっているんだと思います。
 私も進学校だった中高一貫校を辞め、不登校受け入れの学校へと通っています。一年ダブっています。
 学校のことは高認という手もありますし、難しいかもしれませんが、
 今は心に余裕をもたすことが第一と考えます。

 とりとめもなく意味の分からない文になってしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。では。

 P.S.火傷など、大きな怪我はしませんでしたか? 心配です。


鈴忌さんからの意見
 こんにちは、鈴忌です。
 最近、ネット接続率が減っていて……復帰しないと(苦笑)。

 さて、本題ですが……

 世の中、努力をしても報われないことは多いです。
 ですけど、努力をしなければ何も報われません。
 だから、みんなダメかもしれないと思いつつ努力をするんでしょうね。

 というのが鈴忌なりの考え方です。

 つまり、「実らない」のが基本的には前提なんですよ。
 その上で、それを承知で努力ができるかどうかがポイントなんだと思います。
 ダメもとなら、やる気が出てきませんか?


> しかしいくら努力しても実らない場合があると分かると、
 自分もそうなるのではないかと怖くて努力することを逃げてしまいます。

 まぁ、気持ちは分かります。
 鈴忌も病弱で長生きできない前提だったので、幼い頃から努力とは無縁の生き方をしてきましたから。
 何かを目指しても、結局達成するまえに死んでしまえば終わりと思っていたんですね。
 結果、26歳になるまでいわゆる学歴社会のレールに乗った人生を送ってきました。
 適当に勉強して、適当によい大学に行って、適当に就職して、適当に時期が来れば死ぬと……
 まぁ、そんな考えです。

 死は物心ついたときから身近な存在だったので、それ自体は怖いと思ってませんでした。
 中学校時代に薬害で肝障害を患って、
(今思えば医療ミスなのですが……笑)
 死にかけた一週間後にはふつうに中間テストを受けていつも通りの成績を出しました。
 まぁ、要するに「ちょっと風邪を引いた」と「死」がほとんど同レベルで認識されていたということでしょうね。

 なのですが……26歳の時に人生で三度目の本当の死の危機を迎えたときに考えが変わりました。
 適当なりに26年も生きてきたから理解できたのか、
 それとも過去二回の死の危機はそれほどじゃなくて三度目が本物の危機だったのか、
 それは分かりません。
 ただ、その死にかけたときに思ったんですね。

 「結局自分は人生で何もしてこなかった」

 たとえば、どうせ死ぬからと放蕩三昧でもかまいませんし、
 逆に死にあらがおうと全力で立ち向かうのでもかまいません。
 そういうことをやってきていれば、あるいは違ったのでしょう。
 でも、当時の鈴忌には何もありませんでした。

 ただ普通に勉強して、普通に大学に行って、普通に就職して。
 今はやりのニートの方がまだしも自分の意志を持っている気がするほど、
 鈴忌には意志がなかったんです。
 ただ、26年間ものあいだずっとあきらめ続けていたわけです。

 そして、後悔しました。何かをしてくればよかったと思いつつも、
 その「何か」すらない自分の人生に後悔したんです。


 もっとも、当時は医師からも覚悟を求められていましたし、
 今更遅いとも思っていたので生きる努力もしませんでしたけどね(苦笑)。
 でも、なぜか結局生き残りました。

 たぶん、鈴忌は運が良いんだと思います。

 病院友達とか、鈴忌の周りには死んだ人がいっぱいいます。
 鈴忌と同じようにあきらめていた人もいれば、死にたくないって最期の最期まで泣いていた人もいます。
 最期まで泣いていた人が死んでしまった反面、鈴忌みたいなのが生き残っていたりもします。
 不思議なものですね。鈴忌は別段生き残るために努力をしたりはしていないんですけどね。

 ただ、そこで生還したときに思ったんです。
 今度死ぬときは、少なくても後悔しないで死ねるようになりたいって。
 そのためにはすべてのものを犠牲にできると。
 なぜなら、死の淵でする後悔ほどつらいものはなかったからですね。
 少なくても、鈴忌の人生の中であれほどつらいことはありませんでしたから。
 だから、次は「何もしてこなかった」と思わないで死ねるように「目指す何か」を探し始めたんです。

 長生きすることでもよかったですし、当時の仕事で成功することでもいいでしょう。
 恋愛とかもありかもしれません。
 でも、色々と考えて(一年ぐらい考えてました)作家を目指すことに決めたんですね。
 まぁ、理由は色々ですが、そのあたりは重要ではないので割愛します(笑)。

 もちろん、作家は目指したから必ずなれる物ではありません。
 特に病弱なら、成功前に死ぬことだってあるでしょう。
 
 ですが、作家になるために全力で努力をしている道半ばにして死ぬことと、
 何もせずに「結局何もない」まま死ぬのは全く別です。

 
 少なくても、夢に向かって努力した自分がいます。
 やるだけやったんだから失敗しても仕方がないと、そう思えることが重要だと鈴忌は考えています。
 「やるだけやった」と思えるなら、仮に死ぬときでも
 「もっとああしておけば……」なんて思ったりはしないでしょうからね。
 今できることを、ただ精一杯に努力して生きれば、
 自ずと死ぬときには納得して死ねるんじゃないかと思ってるわけです。

 さて、長い前置きになりましたが……

 要するに、努力というのは成功のためというよりもむしろ、
 自分が後悔しないためにするものではないかと思うわけです。


 最初に言ったとおり「ダメもと」ですし、
 それでも努力するというのは「努力自体が目的」であれば簡単なはずです。

 こんな考え方はいかがでしょうかね?

 いつか必ず来る死に備えて、そのときに笑って死ねるように、
 後悔しないですむように、今やるべきことを見極めて日々覚悟をもって生きる。
 それが良いのではないかと鈴忌は思います。

 あぁ、ちなみに「未来のために今を犠牲にする」というのとは違いますよ。
 「未来は無いかもしれない」わけですから、今も大事です。
 でも、今と同じぐらい未来もきっと大事なんです。
 だから、今日は努力をしても遊んでもかまいません。
 
 ただ、どちらを選んだとしても「その時点では最善の選択だった」
 と後から思える覚悟を決めることが大事なんです。
 後悔だけは、絶対にしたくありませんからね。


 とまぁ、こんな感じでいかがでしょう?

 ちょっぴり「人生の先輩として〜」的でうざったい文章かもしれませんが、
 何かの足しにでもなってくれれば幸いです。


Rickさんからの意見
 ここの住人の方々よりは少し長めに生きている可能性もあるので一言。

 努力しても報われるとは限りません。
 むしろそれに見合うほど成果があがることのほうが稀。
 けれど努力なしでは決してなにも得られません。
 それだけのことじゃないでしょうか。


 努力を恐れるという表現は適切ではないでしょう。
 あくまでもそれは逃げの表現であり、
 「努力がまったく結果を伴わないことを目の当たりにして、
 努力する気を失った・無駄なのではという不安感が強くなった」ということだと思います。

 キツい言い方をしていますが、俺自身も、通常のコースで生きてきていません。
 努力なんて阿呆らしいと今でも思ったりします。

 よほどの天運に恵まれていると自分で感じでもしない限り、
 努力なくして前進はないですね、ほぼ間違いなく。

 現実的な克服法としては、期限の短い小さな目標を設定し、
 それに向かって小さな努力をして目標をクリアする。
 それができたら、少しスケールをアップさせる。
 この繰り返しで、目標達成の能力が養われるそうです。

 
 精神的に参っているときに、あまりにも理想論をめざしてしまうと、
 たいての場合それを達成できないため、
 無気力状態に陥ることがほとんどですからご注意を。

 まずは努力を恐れているのではなくて、
 努力を嫌いはじめているのだという自覚を持つのが大事でしょうね。
 わちちさまもたいへんな状況とは思いますが、
 もっともっと不運・不幸な境遇を経験してきた人間も多くいますし、
 今回の事例くらいで(という表現、無配慮ぎみですみません)、努力すべてを嫌悪してしまうというのは、
 いささか「逃げ」口実と思われてもしょうがないかもしれません。

 あなたと兄は、まったくの同一能力、同一思考ですか?
 冷静になって、一歩ずつ前進してください。
 影ながら応援いたします。


みつきさんからの意見
 わちちさま、こんにちは。

 努力できない時って、それをすべき時ではないのでは?
 人間という生き物には、将来の夢を追うということの他にも、やることがいっぱいあるものですし、
 遮二無二な努力だけがその人の価値を決めるわけではありません。

 ただ、少し気分が落ち着いてきたら、本を読むことだけはぜひお勧めしたいです。
 今まで読んでみたことがなかったような本でもいいし、
 もう何度も読んだ、好きで楽しめる本でもいいですから。
 努力とか作家になりたいとか考えずに、本当にただただ読んでみることをお勧めします。
 きっと、他の誰にも真似できない何かが、わちちさんにしっかりと身に付くものと思いますよ。

 それではこれにて、失礼させていただきますね。


MIKIO(みきお)さんからの意見
 掲示板にはめったに顔を出さないのですが、返信させていただきました。MIKIO(みきお)と申します。
 ディープな話題なので触れずにおこうかとも考えたのですが、少し思うところがあったので。
 どうでもいいと感じられたのならば、無視してください。

 努力した後の見返りがなかった時の恐怖。似たようなことが私にもあります。
 というより、現在進行中です。
 簡潔に原因を挙げるならば、作品を書いている途中に友人に言われた「
 ライトノベル? そんなのくだらないくない?」という嘲笑混じりの一言です。
 
 瞬間、激昂しかけましたが、その一秒後には思考がどこか冷たくなっていくのを感じました。
 おそらく、友人と同じことを考えている自分が確実に存在したのでしょう。
 それからというもの、思考に埋没することが多くなりました。
『なぜ自分はこんなものを書いているのか』と。 
 堂々めぐりですが、結果的に私はパソコンの前に座って自分の作品を作っています。
 その途中でもやはり考えます。

『自分のやっていることは、妄想を形にし、ただ自己満足を得たいだけなのではないか』と。
 その考えが思考のすべてを満たすと、本気で自分の作品を葬り去ろうとしたくもなります。
(というか一度全部削除しました)

 小説に努力を費やすことの意味がわからなくなるのです。
 たかが自己満足のみを追求しようとする自分が憎くなるのです。


 そして私がファンだった小説の作者が欝病にかかり、療養中であったことを知りました。
 その方は私が『こんな作品を作ってみたい』と感じさせてくれた方だったのですが、
 知ったその瞬間に自分でも驚くほどの衝撃を感じました。
 おそらく生まれて生きてきて、最大のショックだったと思います。
 
 努力が実っても、その実りが潰れてしまうこともあると知りました。

 それでも、私は自分なりに頑張って小説を書いています。
 入賞するか、売れるかどうか、読んだ人を唸らせることができるのか、それはわかりません。
 それでも私は書くことがやめられません。
 もしかしたら中毒になっているのかもしれません。
 妄想し、自己満足を得ることで心の安寧を得、それでなんとか自分を保っているのかもしれません。
 それでも書いています。小説を作ることが好きであると、
 そう感じているのは事実だと、それだけは確かだと思うからです。

 私はわちち様ほどの努力はしていないのかもしれません。類まれな技量もありません。
 人様に話すほどの体験もしていませんし、未来を決めるほどの覚悟もありません。
 どこにでもいる根性皆無、気力零の平和ボケ人間のひとりです。
 それでも『誰かを唸らせたいという欲』と『書くために努力したい』という意思はあるつもりです。
 来月には二十歳の誕生日を迎え、私は成人になります。
 その少し後には就職活動を控え、おそらく私は必死になって企業を周ることでしょう。
 それでも小説を書く活動だけはやめないと断言できます。

 前置きが長くなりました。わちち様、恐れても全く構いません。
 作家に限らず、この努力が無駄ではないかと考えることは誰にでもあるはずです。
 恐怖で手が動かず、何も書けなくなったのならば、一度全部捨ててみてください。
 恐怖が去った後にまた書きたくなったのならば、自分が本当に小説を書きたいのだとわかります。
 その逆だったのならば、諦めてください。

 大層なことを書きましたが、私もそのうち諦めるのかもしれません。
 この文章も自己満足の産物なのかもしれません。
 いつか私の憧れた方と同じ道を辿るのかもしれません。
 上等だと開き直れる自分がいるうちは、まだ頑張るつもりです。

 わちち様も頑張っていただけませんでしょうか。僅かでも共感できる者としてのお願いです。

 失礼します。


クロウドさんからの意見
 まず、此度の出来事、ご愁傷様です。ご自身のお体に傷痕を受けていないか心配でありますが、
 僅かにでも将来を憂いる心があることは、なによりかと存じます。

 さて、既に多くの方が語られておりますので、少し視点を変えて書き込ませていただきます。

 私も真っ当な人生でも真人間でもありません。
 馬鹿な両親のお陰で住家を三度失いましたよ。二十歳までに。
 どこかの芸人が己の不幸をネタにしたり本にしておりますが、
 鼻っ先で笑い飛ばして、便所紙に出来るほどに難儀な事でした。
 親の事で悩んで鬱病もやりましたし、自殺未遂も。

 それでも、生きてます。
 何故?

 私と他人は別人なのだから、思うままにならないのは当然ですから。

 親に愛されなかった私を引き取り守ってくれた曾祖父の想い、曾祖父に続いて教え導いてくれた師匠。
 自身を卑下しきった私と真剣に向き合い愛してくれた許婚。

 彼らの想いと費やした努力を無駄にしたくなかったから、生きています。
 これだけでも本の一冊二冊書けそうとは思いませんか?
 それが、私が創作する理由。十年余りで昨年に一次突破一回ですけれども。
 それは報いられた努力かわかりませんが、
 同じく成果が上がらず気を病んでいる姉にとっては、朗報だったようです。

 自身に報いあるべき努力が、何の見返りがなくとも、誰かに何かを与える事がある。

 姉も、先に逝った先達もそう教えてくれた。そう思います。
 兄と向き合う努力に報いなくとも、そこにあった気持ちや経験に偽りはありません。
 その想いを創作に注ぎ込む、それだけで貴方だけが書ける作品です。
 決して創作者になれないなど有り得ませんよ。

 総じて、友人とのやり取りで締め括りたいと思います。
『なぁ、どーして作家希望なんだ?』
 先の事情を話した上で、
『私の人生の半分はネタで出来ているから』
 と、言ったところ、
『お前の人生の九割はネタで出来ている』
 即座に切り返されました。同時に言ってくれたのは心に残っています。
『まぁ、何かの結果はあるさ。お前の生き方なら』

 ほんの少し肩の力、抜いて、人生に使えるネタがないか探して休憩してみてはいかが?
 長い駄文で失礼しました。なにか参考になればよいのですが……


イトウさんからの意見
 作家になるのに、努力が必要だという考え方って邪魔になるだけの気がします。
 努力とかそんなの関係なしに、小説が好きだから小説を読んで、
 それだけでは物足りないから小説を書いているのでしょう?


 もし小説が好きじゃないなら小説家なんか目指すべきではありませんし、
 小説家という結果が早く出ないのが不安なだけで、それだけのことでしょう。
 それだけのこと、と僕はいいましたが、
 その「それだけのこと」が小説家志望の人にはとても辛いことだとはわかっています。
 しかし、それでも結果ばかりを求めて小説について盲目になるのは、
 いかんせんダメなことだと思うのです。

 要するに、

 ――努力しても小説家になれないのなら、努力なんて意味がない、
 だから俺はそんな意味のないことしたくないから、
 こうしてみなさんに努力はきちんとした形で報われるのか、と聞いているのです。
 でも僕にも努力がなかなか報われないことくらいわかっています、
 だから僕を努力できる人間にしてくれるようアドバイスください。

 わちちさんの質問は、そんな風に聞こえます。
 結局、努力が報われる、ということを、単に他人に肯定してもらい、
 安心を得たいだけなんじゃないでしょうか。しかしそんな直接な内容を書けば嫌われるから、
 「その努力を恐れる人間が、作家になれるのでしょうか。
 もしくは僕が努力できるようになるにはどうすればよいのでしょうか。」
 ということをおっしゃったのではないでしょうか。

 「僕が努力できるようになるにはどうすればよい」
 非常に神頼みな考え方です。
 そんなの神様にだってわかりゃしないし、ましてやライトノベル作法研究所に集まる人たちでも、
 そんなことは答えられない。となると、どうすればよいのでしょうか。

 大事なことは自分で考えなくちゃ。
 こういう風に書くと、「なんらか具体的なアドバイスしていないじゃないか、なんて質の悪い回答者なんだ」
 と非難を浴びそうですが、それでも大事なことは自分で考えなくては意味がありません。
 今は小説家になることより、小説が好きだという気持ちを再確認するために、
 あるいは自分自身の感受性をこのライトノベル作法研究所という場におきなおす作業をおすすめします。
 
 それは鍛錬場に投稿されている作品を読むことであったり、
 掲示板に書かれていることを読んだり、小説について考えたり……。
 小説を書くこととは、案外、小説を書き出すのを待つこと、だったりするんじゃないかな、と思います。
 書き出すときがくるのをじっと我慢する、それは大事なのではないでしょうか。


飛車丸さんからの意見
 努力は人を裏切らない。
 ――だけど、自身とその努力を信じられなくなった時、人は努力を裏切ってしまうんです。


 ま、挫折もまた人生。
 いい機会ですから、自分自身と真剣に向かい合ってみては?
 恐れより強い感情が見つかるかも知れませんよ。


七海さんからの意見
 どうも、七海というものです。まずは、わちち様に降りかかった不幸、お察しします。

 すでに書き込まれている方々の大多数の意見に賛同しつつ、僕なりの意見を述べます。

 僕はなまけもので、努力は嫌いです。というよりは苦手で、むしろ努力している人に憧れます。
 僕は好きだから小説を書いてますが、行き詰まるとすぐ放り出します。
 それでも、一日二日もすれば書きたくてしょうがなくなってきます。
 この通り本当に好きなら努力しなくても小説は書けます。
 まずは気楽に、時間をかけて自由気ままに書いてみてはどうでしょう?

 僕が言いたいのは、わちち様が努力を恐れているのはあくまで現時点であるということと、
 作家なんてなりたくても今すぐなれるわけではないということ。
 焦らず、もう少し長い目で見てみてはいかがでしょうか。時間の経過は人を変えさせてくれますよ。
 とくに作家なんて年齢は関係ないですしね。
 アマの間にせいぜい悩んで悩んで、好きなモノ書いて書きまくって時間を楽しみましょう。
 “遅咲きのヒーロー”なんて、カッコいいじゃないですか。(ネタ分かりますかね……)


カロンさんからの意見
 こんばんは。初めまして。

 不思議だな、と思います。
 努力するのが怖い、できなくなった、とおっしゃっているのに、真意は「努力したい」という意味にとれます。
 したいのならすればいいじゃないですか。

 多分、あなたにとって一番怖いのは、努力=希望を捨てることです。
 二番目に怖いのが、希望を持ち続けてその希望が開花しなかった場合です。

 
 逆ですか? 逆ならば迷う必要はないでしょう。
 努力も希望も捨てればよろしい。楽になれるはずです。
 もしそれで楽になれないときには、あなたは必然的に努力を選んでいるということです。
 
 苦しいのは、努力を選んだからじゃなく、選んだのに努力をしていないから、じゃないでしょうか。

 そもそも、努力の意味がわかりません。
 小説を書くこと、進学を考えることが努力なのですか? 
 それらは無理やりにやらされることなのですか? 
 ご自分がやりたいのでしょう? それをやらなかったら、やる場合に比べてもっと辛いと思いますよ。

 高校、大学は通信制も考えてみてください。
 夜間より時間の融通が利くので働けますし、学校に寄りますが学費が安く済みます。

 よい解答を差し上げられなくてすみません。
 今が最悪だといいですね。後は良くなるしかありませんから。


西原 一さんからの意見
 どうも、最近また昼夜逆転な生活になってしまった西原というモノです。
 みなさん、夜更かしはほどほどに。

 さっそく本題に……、といっても精神論的なことは他の方が十分以上に答えていらっしゃるので、
 自分は少し違う視点から。

 今の状況で大学進学を希望するのなら、避けて通れないのが
 「高等学校卒業程度認定試験(高認)」
 (いわゆる「大検」のことですが、2005年度からこちらに移行しているそうです。)

[wikipedia:高等学校卒業程度認定試験] 
(このページのリンクも参照のこと)

 これは大学や専門学校の他、公務員試験や各種国家資格の受験資格にも使えるようなので、
 これからどんな人生を歩むのであれ取得しておいて損はないかと。

 次に、高認の試験や大学受験への勉強が必要になりますが……
 これはやはり努力が必要になりますね。
 ですが、さいわいまだ時間がありますし、
 今からコツコツやっていけば十分間に合うんじゃないかと思います。
(自分なんか3年になってあわてて勉強し始めたクチでしたが、それでも何とか合格できましたし)

 そもそも、ぶっちゃけてしまうと、大学に入れば浪人生や留年生なんて(自分も含め)ザラにいますんで、
 これから一年かけてジックリ人生設計を立てても(それが有意義なら)問題ないと思いますよ?
 まあ、実際にどうするのかは わちちさん の決断ですが。

 最後に金銭的な問題について。
 最初はアルバイトをする≠ニいう無難な助言をするつもりだったんですが、
 大抵の求人を見ると18才未満が不可になっているんですよね。
 ここは素直に奨学金を利用しましょう。

[wikipedia:奨学金]
 
[独立行政法人日本学生支援機構 ホームページ]
 
 ただし、両親や本人の所得制限があり、場合によっては受けられないケースもあるそうなので、
 ご両親との相談が必要です。


 とまあ、長々と書いてしまいました。

 これは単なる私見ですが、必要なのは建設的で現実的な思考≠ニ
最低限の努力≠フ2つじゃないですかね?
 また、努力を持続するためには十分な余暇や休養≠熾K須です。


 この3つさえ押さえていれば、たとえ失敗したとしても、
 再起不能にはならないんじゃないかと自分は考えています。

 さて、余談ですが、自分にはどうすれば作家に成れるか≠ニいう質問にはお答えできかねます。
 というか、誰か知っているなら教えてください。
 オチがついた(かどうか自信ないですが、そんな)ところで失礼します。では。


がりがりさんからの意見
 多分、わちちさんへの返答は初めてだと思います。がりがりと申します。
 信じられないような体験をなさったようですね。驚きました。

 ちょっとキツイことを言うかもしれませんが・・・

 努力とはそれすなわち「続けること」に他なりません。
 
 早い話が、何週間もかけて原稿用紙300枚以上分の作品を作るというのもまた、これも努力なんです。
 幸いなことに、数多くの返答の中には、「まずは落ち着くこと」「冷静さを取り戻すこと」といった、
 一見分かってるようで以外と忘れがちなことを進言なさってる方が多いではありませんか。


桜木谷さんからの意見
 こんばんわ&はじめまして。心中お察しします、桜木谷です。

 えー努力できなくても作家にはなれると思います。
 遊ぶ時間などを投げ打ってでも文章を書くことこそが、自身の幸せだと思えれば。
 そうすれば努力なんて要りませんから。

 ちなみに、スレの根底を覆すようなこと言ってしまうと
 「努力してもどうにもならないことの方が世の中多いです」

 努力してどうにかなる、というのは所詮自分ひとりに範囲を絞った場合ですから、
 団体や何かの情勢を動かそうとするのは、非常に難しいですし、報われないことなど多々あります。
 あ、話それた。スイマセン。
 
 努力できるようになるには……。
 そうですね、さし当たって努力してください。

 それが出来ないから書き込んでるんじゃないか、と思われるかもしれません。
 ですが、無駄になるのではないか、と思っていたら何も出来ません。
 言っては何ですが、このサイトにいらっしゃっているプロ志望の方々の中で、
 一体何人がプロになれるでしょうか?

 プロになれるのはほんの一握りで、
 その他の人はある程度の年齢になって、別の仕事に就くと思います。
 それは結果努力が実らなかった、ということになりますが、
 本当に意味が無かったか、と言えばそんなことは断じてありません。
 努力などというものは、人にひけらかす物ではなく、
 自分が頑張ってる、という自身の中での指標だと思っています。

 大事なのは、努力できるか否か、というより意志の問題でしょう。
 自分の文章が世に出なくても、わちちさんの文章が世に出なくても失礼な話ですが誰も困りません。
 ですが、そこで敢えてひのき舞台に上ってやる、というのが意志の力だと思います。
 我々は生きるということに関して言えば、非常に非生産的な職業を選ぼうとしているのですから。
 今逃げたいと思うのなら、精一杯逃げてください。問題は遠ざかるだけで無くなりはしません。
 戦術的撤退、という言葉もありますから。

 えー結論としては、
 文章を書く為に生まれてきたような人間でなければ、努力無しで作家にはなれません。
 努力するには、努力してください。
 無駄になるのでは、などという戯言を考える暇が有ったら、新作の設定でも考える(笑)位の調子で。
 最後にきつい事を言うようですが、
 努力の成否を恐れてしり込みしているのでしたら作家に関わらず、何にもなれません。
 しかし、そうした人間が多いからこそ、この世の中が回っているのも事実だと思います。

 以上、全て私見ですのでご気分を害される表現もあったと思いますが、何かのご参考になりましたら。


アフォさんからの意見
 おはようございます。
 私は「努力」「忍耐」「根性」の三拍子が嫌いな人間です。
 石原慎太郎も細木和子もみのもんたも戸塚ヨットスクールも企業の営業職にある精神論や、
 新人研修も大嫌いです。けっ(゜凵K)
 長文なので暇な時に読んでちょ。


 今日、「努力」という言葉はある種の病気を持つようになりました。
 場合によっては人をいたぶる言葉としてもよく使われます。

 
 事情を理解せず頭ごなしに「努力が足りない」と言う人が分かりやすい例だと思います。
 書店でズラリと並ぶ自己啓発の類の書が増えたのも、
 現代という時代がある種の「努力病」にかかっていると考えています。


>作家になれるのでしょうか。

 はい、なれます。
 「なりたかったらなればいいんじゃないか」等の無責任発言ではありません。
 そもそも身内に家を焼かれるという経験はそうそうあるものではありません。
 その体験をモチーフにすれば素晴らしいものができあがりそうです。
 そもそも作家というものは、現実が暗く、絶望的であるが故に想像力を働かせ、希望のある物語を書く、
 ので、嫌味ではありませんが、ある意味では条件は整っていると言えます。


>僕が努力できるようになるにはどうすればよいのでしょうか

 批判を恐れずに書きます。

 自分が本当に求めているものが何なのかを考えて、欲しいものを欲しいと口に出して言うことです。
 口にしなければ、他人は助けられないし、自分自身も何が欲しかったかを見失ってしまいます。


 「自己啓発」とか「ライフハック」とか、やたらめったら「努力」の手段ばかりが氾濫しているけど
 「努力」よりもまず先に、欲しいものを欲しいと口にした方がいいです。
 で、なんで口に出せないのかっていうと「甘ったれるな」「世間様が許さない」等と、
 他人の後ろ指を指されるのが恐いだけなんですね。
 たとえ、その時の自分にとってどれだけ大それた願いや欲望に思えたとしても、ハッキリ口に出そう。
 才能が無いとか、身の程知らずだとか、口に出して失敗すると恥ずかしいとか考えて、
 口をつぐんでも仕方ない。

 自分のプライドにこだわって、「努力している」という状態に逃げるのはやめよう。
 自分自身の努力なんて別に、気持ちを口にしていい条件でもなんでもない。


 努力ってあれですよ、プロットと同じですよ。
 プロットを立てて話が支離滅裂にならないよう、一本筋を通すように、
 努力という筋を通せば物語として成立しやすくなります。
 ほら、よく努力した人ほど「俺はこんなに努力した」と自分語りしたがる人っているじゃないですか、
 
 なんでかって言うと「努力」した方が物語チックで話の筋が通しやすいからなんですね。
 つまり、人様にカッコよく顔見せができるから。

 赤の他人から後ろ指差されるのを恐れて、「努力している」と自分だけ納得して、
 自分自身一人だけで努力していれば1にしかならない。
 
 だけど、口に出してみて誰かの助けが得られれば、1にしかならなかったものが2にも3にもなります。
 努力するならそれからでいい。


 朝飯食ってきます。


ともみさんからの意見
 高校生の方ですか。
 まだお若いのに、強烈な人生経験をされてるんですね。

 とても悲観的になられているようですが、
 実はその経験って作家になるのにとても役に立つ要素なんですよ。

 有名大学で、優秀な成績で文芸学を修めた方が優れた小説を書くとは限りませんね。
 人生経験というのは、作家にとって重要な創作のエキスだと思います。
 誰も真似できない、お金でも買えないものすごい武器を手に入れられたようなものなんですから、
 そんなに気を落とされずにがんばってください。

 あ、努力を恐れているというお話でしたね。

 私の今までの経験からいって、努力がまったくの無駄になるということは、まずありません。
 お兄さんのお話を引き合いに出されていますが、
 お兄さんがどのように何を努力したのか100パーセントは分からないでしょう?
 だから気にしないことです。

 今、努力したことは後でどんな形であれ実を結びます。

 小説家になるために書いて書いて書きまくる努力をしたとします。
 そして「小説家にはなれない」という結果が見えたとします。
 でもその後には、その経験が生かされる仕事があると思いませんか?
 雑誌の編集者とか文章を教える先生とか・・・。

 「大学に行きたい」との希望もお持ちのようなので、今のところはまず勉強を第一に考えられて、
 小説家になるための努力は趣味の範囲にとどめられて良いと思います。


澪音さんからの意見
 まず最初に家を焼かれてしまった不幸へお悔やみを申し上げます。
 努力を恐れて作家になれるかですが、なれないことはないでしょう。
 ただし、チャンスはそれだけ遠のきますよ。

 努力をしている者が成功者とは限らないですが、成功者は誰もが努力しているのです。

 何年か前にノーベル賞を受賞した田中耕一さんだったと思いますが、
 彼は『天才とは99%の努力と1%のひらめき』と仰っていました。
 これは発明家で有名なエジソンも同じことを言っています。
 
 怖くてもいいじゃないですか。失敗を恐れてもいいじゃないですか。
 人間なんですもの。怖いものはたくさんありますよ。
 でもね。それと向き合って克服できる強さがあるのも人間なんですよ。
 わちちさんは壁にぶつかって挫折して、絶望してるのだと思いますよ。
 そうなった時、奈落の底から這い上がるのを諦めてしまうから人間は足を止めてしまうのです。
 要は失敗を恐れてるわけですね。
 それを否定するつもりはありません。

 かく言う私も何年も前に大好きな友達が亡くなってそれを長きに渡って引きずり、
 挙句の果てには鬱状態に陥って毎日死ぬことばかり考えてましたから。
 それでもこうしてあなたにお返事を書いています。
 私は諦めないで悲しみを乗り越えましたからね。
 夜明け前が一番暗いのです。
 出口のないトンネルはないのです。
 止まない雨はないのです。
 夜空は暗闇ばかりではなくて星や月があるのです。
 私からは頑張ってと言いません。
 ただ、勇気を持ってくださいと言います。
 
 踏みとどまらずに一日一歩でもいいから踏み出す勇気を持ってください。
 そうすればいつかは明るい太陽の光が降り注ぐ中を歩くこと。
 すなわち幸せや成功を掴み取ることができるでしょう。
 努力とはそう言うものなのですよ。


澪音さんからの意見
 はじめまして。模倣屋と申します。
 私もライトノベル作家志望で、働きながら執筆し新人賞を狙う、というかたちをとっています。
 わちちさんの境遇は大変だと思います。自分の言葉は無責任なものに聞こえるかもしれません。
 それでも少しでもお役に立てればと、思います。

 模倣屋は学生時代、努力というものを避けてきました。
 
 その努力が実らなかったらと思うと、人生を特定のものごとに費やすことが恐かったのです。

 夢だった作家になるための努力さえも熱心だったとはいえません。
 結局、学生時代は何かに力を入れるということもなく過ぎ去っていきました。
 そして働き始めてから、自分が過ぎ去った学生生活を後悔していることに気付きました。
 なぜあのとき努力していなかったのかと、つい悔やんでしまいます。

 あのとき努力していれば夢はもっと近づいていたかもしれないのにと考えてしまいますが、
 時間は二度と戻ってはきません。

 今の私の考えの一つに『後悔しないために努力をする』というものがあります。

 人生、先のことなんて誰にもわかりません。
 努力の先に後悔が待っていることだってあるでしょう。
 ですが自分の目指したい道があって、
 それで努力を放棄するならおそらく何年か先に後悔するでしょう。
 それはつらいことです。

 わちちさんに夢があり、それが嫌なことではなく、
 己が本当に望んでいる夢なら努力を恐れる必要はないのではないでしょうか。
 わかりにくい文章ですみません。頑張ってください。

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