第4研究室 創作に関するQ&A 316P | トップへ戻る |
1029さんからの質問 2007年
 読者からの酷評について
 
 ちょっと気になることがあったので聞きたいのですが、作者は読者を選んではいけないのでしょうか。
 まあ、こう思う経緯を説明しますと、「空の境界」(2004年刊行)の感想を漁っていたら、
 次のような感想にぶつかりました。、以下抜粋。

>驚くぐらい面白くなかった。これは確かに同人小説だ。
 オナニー文だ。人を楽しませようという意識が微塵も感じられない。

>説明が長すぎるという感想をいくつか読んだが、逆だ。必要な説明がまるでない。
 特に人物を表現する描写が少なすぎる。これでまず初読みの読者は振り落とされるだろう。
 表紙を描いている武内氏のファンやアニメ・ゲーム等に慣れ親しんでいる人間でないと、
 和服の上に皮のジャンパーをはおるユニセックスな美女というものを、
 この文章だけではまず頭の中で構築できない。
 俺の想像力が貧困なのは認めるが、それ以前の問題だ。想像させる材料がない。
 最初から、ファンでないと読めないのだ。


 と酷評されているのですが、これっておかしくないですか?
 
 簡単に言えば、読みが浅いからこういうことしか書けないのかなと。
 どの世界にもアンチという人々が居ますが、これをアンチとは自分は呼びません。
 言うなれば、ただ斜め読みしただけでしょうと。
 字面みて、読んだ気になって勝手に酷評してるだけでしょ、気に食わないから。
 という具合に。まあ書きすぎましたが。
 で、聞きたいのです。
 
 読者を選んではいけないのか、読者を選別していいのかと。

 自分にとって悪い意見を排斥するんではなくて、
 作品をきちんと読まずに寄せられた意見を無視していいかと、そういうことです。
 作者は読者の傀儡ですか? 自分は違うと思います。
 読者が本気で読むということをせず、高尚にも、
 見下したように酷評を投げかけることが我慢できなかったのでこのスレを立てさせてもらいました。


●答え●

みつきさんからの意見
 1029さま、こんにちは。

 私も、「空の境界」を勧められたので借りたのですが、どうにも肌に合わなくて、
 数十ページ読んだだけでサヨナラしてしまった方です……。

 で、とりあえず。
 感想とか批評についてですが、書き手としては、どんなに感情的になっても、

「こんな批評が書かれるのは、読者の読みが浅いからだ。ちゃんと読めてもいないのに批評なんかするな」
 というような言葉だけは絶対に言ってはいけないのだと思います。


 どのような感想・批評にも、そこには真実がちゃんと隠されているものなので、
 表面に現われているだけの言葉は柳や暖簾のように受け流し、
 その奥にある真実だけをちゃんと見つけて受け止める、というのが書き手の仕事の一つなんですよね。

 で、以前、とあるベテラン作家さんが、
「読者というのは基本的に、書かれていることをちゃんと読むようなことはしない。
 そう考えておかないと、書くときに絶対失敗する」
 とおっしゃっているのを、雑誌のインタビュー記事で見ました。

 
 別のベテラン漫画家さんも、「結局、読者は何も見ていないんだなあと思い知りました」
 という言葉に続けて、同じようなことを言っていました。

 全ての書き手にとって読者とは、基本的に
 『作者の書いたことをちゃんと読まない人』でしかないそうです。
 それが当たり前だと。


 見下されたり、的外れと思うような酷評をされたり、そういう目に会うとつい、
「読めていないほうが悪い。書いてあることくらいちゃんと読め!
 できれば、ギリギリのところまで深読みするくらいじゃなきゃダメだろ!」
 とか言いたくなってしまうでしょうが、そんなこと、いくら言っても馬の耳に念仏、無駄なんですよね。
 
 じゃあどうすればいいのか。
 それを考えるのが書き手の一番大事な仕事なんじゃないかなと、私は思います。
 プロになるつもりでしたらなおさら、『読者の生理』というものをよく理解しておいて損はないですよね。


 それではこれにて、失礼させていただきますね。


池袋秋葉さんからの意見
 まずは、こちらの交流掲示板にある「好きな格言」についてのスレで、
 クールミカンさんが紹介されていた言葉を再引用します。

「公表された作品については、みる人全部が自由に批評する権利を持つ。
 どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ」
「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだって怒る権利がある!!
 あいつはけなした! ぼくは怒った! それでこの一件はおしまい!!」

(出典元:エスパー魔美)

 実は私自身、このエピソードは好きな話でして、常に心に刻むべき言葉であると思う次第です。

 作者も人間です。寄せられた感想に対し腹立たしい想いを抱くことはあるでしょう。
 しかし、どんな形であれ公の場に送り出してしまった以上、
 それを目にした全ての人が、批評を言う権利があるのです。

 そして、万人に受け入れられる作品など、世の中には存在し得ません。
 それは小説に限らず、漫画であれ、絵画であれ、音楽であれ、同じです。
 それにいちいち腹を立てていたら、身が持たないと思いませんか?

 ご質問内容に関して言えば、読者を選別する権利は、当たり前として存在すると私は思います。
 読み込まれた上での批評ではないと感じたら、基本的には無視します。


 まあ、オブラートに包んだ厭味の一つも返す程度のことは、したりしますが。
 理解されないことは悲しく感じます。けれど、それも仕方ないでしょう。
 繰り返しになりますが、万人に受け入れられる作品など、何処にもないのですから。

 ただ、読者意識を持つことと、読者に媚びることは別だとも考えます。
 どんなに優れた作品であれ、読者不在では意味がありません。
 いわば「それが他人に読まれるための言葉として書かれているか」を常に配慮することが、
 読者意識を持つことかと。受け入れられる、受け入れられないは、その先の段階の話です。

 文章書きのつもりでおりますが、上手く伝わったかどうか……少々自信がありません。
 他の考えをお持ちの方もいるでしょうが、一つの意見としてお受け止め下さい。
 長文失礼しました。


南志紀さんからの意見
 どうも、南志紀です。

 南も空の境界は好きじゃないですね。
 確かに本気で読んだのかと聞かれれば、答えはノーです。
 しかし、本気で読ませる作品でなかった事も事実です。
 その理由は単に南の好きなタイプと、空の境界が合わなかっただけであって、
 だからといって奈須さんを批判するつもりはありません。

 確かに1029さんの挙げた例は酷評ですが、一読者の感想としては間違っていないと思います。
 作品を面白いと思う人がいると同様に、つまらないと思う人もいます。


 万人に受け入れられる作品はおそらくないでしょう。
 この人達が本当に念入りに読んだのか、南の様に上辺だけしか見ていないのかは判断かねます。

 そして、本題ですが、
 
 読者は作品(作者)を選ぶ権利があります。
 それは同時に作者が読者を選んでいる事と同じなのではないでしょうか?

 
 作者は決して読者に媚を売っているわけではありません。
 むしろ、「私の作品が面白いと思った奴だけが読め」と言っている様なものです。
 私は空の境界を読んでいて、面白さが判りませんでした。
 おそらく、私は奈須さんに弾き落とされたのでしょう。
 
 まるで「この本を楽しめないお前には、興味ない」と、
 作品にそっぽを向かれたような感覚を記憶しています。
 商売でやっている以上、読者傾向を無視できない面もあるでしょうが、
 それを無視してでも自らの作品を作り上げるのが作家の信念というものではないでしょうか?

 最後に。
 深く読まずに批判する人もいれば、評価する人もいます。
 深く読んで評価する人もいれば、批判する人もいます。

 以上、長文すみませんでした。


MAYOさんからの意見
 万人向けのヒット作を書くことは不可能です。
 故に、あらゆるものはターゲットを意識して作られます。


 それらの感想を書いた人は、単に作品が肌に合わなかっただけでしょう。
 肌に合えば食い入るように読みます。
 少しでも鼻に付けば流し読み → 不平・不満という名の文句を批評人気取りでツラツラと。

>どの世界にもアンチという人々が居ますが、これをアンチとは自分は呼びません。

 自分は逆だと思います。
 (多かれ少なかれ)アンチ要素を持っているからこそ、真剣にではなく斜め読みするのだと思います。
 (例の空の境界だと)「所詮同人でしょ」とか、
 「序盤を少し読んで文章の奇抜さについて行けず飛ばし読み」とか……。
 偏見とも言う。

 あと最後に。

 最初から最後まで本気で読書する人間なんて、少数派だと思います。
 小説(や漫画)なんて、所詮は娯楽です。
 肩の力を抜いてペラペラ捲っていくのが普通ではないでしょうか。

 
 ならば作者側は、なるべく読みやすいように、
 そして理解しやすいように執筆するのがセオリーだと思います。たぶん(ぉ
 まぁ、読者側に最初から理解するつもりなんて無いのであれば、本末転倒なんですがw(それがアンチ流)

 ちなみにマヨは「肌を合わせる」タイプだったり。
 どんな作品だろうと、楽しめる部分を探してハマる変人です。


アリオンさんからの意見
> 簡単に言えば、読みが浅いからこういうことしかかけないのかなと。
> 言うなれば、ただ斜め読みしただけでしょうと。
> 字面みて、読んだ気になって勝手に酷評してるだけでしょ、気に食わないから。
> 読者が本気で読むと言うことをせず、高尚にも、
 見下したように酷評を投げかけることが我慢できなかったのでこのスレを立てさせてもらいました。


 とりあえず、これらはあなたの『主観的見解』であって、『客観的事実』であると証明はできません。
 それらをもとに論じる意義を私は持ち合わせません。

> 読者を選んではいけないのか、読者を選別していいのかと。
> 自分にとって悪い意見を排斥するんではなくて、
 読み取れられていない意見を無視していいかと、そういうことです。
> 作者は読者の傀儡ですか? 自分は違うと思います。

 読者を結果として選んでしまうことは避けられないでしょう。
 例えば題材によって、子供が読んで面白いものと大人が読んで面白いものは、必ず存在します。
 それによって「面白かった」「面白くなかった」の意見が分かれるのは必然です。

 例えば大人向けのテーマで書いたものを子供が読み、理解できなかったと言われても、
 その作品の価値はそこにはないのだから、それはある意味「的外れ」と言っていいでしょう。逆もしかり。
 そういった意味で、「読者を選ぶ」のは当たり前と言っていいでしょう。

 ですが、作者としてやってはいけないこと。
 読者を馬鹿にしてはいけない。


 相手との意見に食い違いが起こったとしても、それを「相手が悪い」と断じてはいけません。
 少なくとも、それを客観的事実に求めず自分の思い込みで行ってはなりません。
 例えば、大人向けのテーマの小説を子供が読み、「面白くない」と言った。
 
 それを、「お前が子供だからだ。読解力もないのに読むほうが悪い。
 これは絶対確実に面白いんだから、お前に原因がある」
 などと『言う』ことが正しいですか? その意見の内容の是非ではなく、
 それを子供を相手に言うという行為がです。

 作品が悪い。
 読者が悪い。

 そんなことは決められません。
 論ずるべきことではないと思います。

 ぶっちゃけ気にしすぎだと思いますよ。
 世の中には悪意や無知での感想を声高に叫ぶ人間がいることは否定しません。
 でもそれが正当かどうか、自分で判断して、自分が納得すればいいだけのことです。
 そこに客観的な共通の根拠がない限り、他人の主観による意見など、
 取捨選択するのは当たり前のことです。

 それをいちいち「オレはオマエとは違うんだ!」と主張するのは疲れるだけだと思いますよ。


きらきらぼしさんからの意見
 きらきらぼしです、いつも掌編の間でお世話になっています。

 作者が選ぶ選ばないの話とはちょっと違うと思いますが、もしも読みが浅いと思う読者の意見は、
 そう思っても軽く流せばいいだけの話ではないかと思うのです。


 というのは、批評感想を書くというのは、作者が評価されるのと同時に、
 読者もまた評価されていると思うのです。

 読みが浅い、作者の意図が分かっていないと、もしも他の読者が思うのなら、
 批評すること自体がその人にとってマイナスであり、
 それ以降、真摯には意見を受け取ってもらえないと思います。
 それはつまり、作者側がその読者を選ぶと言うことになるのではないでしょうか?

 酷評をすると言うことは、それなりに覚悟がなければならないなぁと思う今日この頃のきらきらぼしでした。
 1029さんの求めている答えとは違うかもしれませんが、思ったことをとりあえず書いてみました。


グングニルさんからの意見
 読者のニーズに合った作品を作るのは間違い。
 これを迎合という。

 作者が読者の新しいニーズを作るのです。
 これを開拓という。


夜霧さんからの意見
 こんばんは、夜霧です。
 ん〜どうなんでしょうね。
 まぁ「好みは人それぞれ」なのでどんな作品でも賛否両論あるものです。

>読者を選んではいけないのか、読者を選別していいのかと。
 
 正直そんなのは無理です。
 第一どうやって選別するんですか?
 読者は作品を選べますが、作者は読者を選べないのですよ。

 だからこそ書き手はより多くの人に読んでもらえるように、楽しんでもらえるように、日々精進するのです。
 重要なのは『読者に理解を求めるのではなく、理解させる』事ですよ。

 
 しかしどんなに頑張っても、読者に自分の伝えたい事が正しく伝わることなどないんですよね。
 考えてもみてください。
 脳内イメージを日本語の文章に変換し、それを読者が読み解き、イメージするのです。
 こんな間接的な手法で、自分のイメージが相手に正しく伝わるわけなどないのですよ……残念ながら。

 こればっかりは「作者」や「読者」の問題ではなく、
 人間がそれぞれ独立した個体なのでしょうがない事です。情報伝達の齟齬ってやつですね。
 まぁこの「理解の溝」をどこまで埋めれるかが、書き手の実力なんですけど。


 なので、賛否両論があって当たり前なのです。
 読者が十人いればジャンルの好みも、文体の好みも、ストーリーの好みも違います。
 そのため万人受けする作品なんてありません、だからと言って読者を選別するのも考えモノです。
 まぁ新ジャンルを開拓する方法もありますが……茨の道ですね。

 う〜〜ん……なんとも考えがまとまりませんね。
 では最後に一つだけ

>読者が本気で読むと言うことをせず、高尚にも、
 見下したように酷評を投げかけることが我慢できなかったのでこのスレを立てさせてもらいました。

 読者が本気で読まないのは「作品が面白く感じない」ため。
 見下したように酷評を投げかけるのは「作品が面白く感じなかった」ため。

 
 なぜ読者が「作品を面白く感じなかった」のかは
 「読者の好みと合わなかった」事と「作者の筆力不足」が原因だと思いますよ。

 まぁ個人的に、酷評を読者の所為にするのは作者の驕りかなぁと思いますけどね。
 小説なんて読者がいなければただの「妄想」ですよ。
 読者がいて初めて「娯楽」に昇華できると思ってます。


 なんだか、かなりの乱文に……私にもっと筆力があればorz
 では失礼しました。


丸尾和一さんからの意見
 私は「空の境界」は十数ページ読んで文章のひどさに挫折しましたので評価は下すことはできません。
 ですがそれは肌に合わなかったというだけでなく、
 山田悠介氏の文章を読んだときに感じた不快感と同様なものでした。

 さて、作者が読者を選ぶのはいけないかとありますが、もちろん選んでもいいんです。
 より多くの読者に楽しんでもらおうとするのも、
 自分が想定する読者にだけとことん楽しんでもらおうとするのも、どちらも正しいと思います。

 ただし、だからこそその『読者』に対しては誠実であってほしいと思います。

 ですから私は「空の境界」の文章を読んだとき、その文章上の間違いの多さに辟易し、
 『読者』に不誠実だと思い、読むのをあきらめました。
(それは作者だけでなく編集者にも問題がありますが)

 文章なんて表面的なことにこだわりすぎだとお思いかもしれません。
 しかし、小説は文章によってしか成り立っていません。
 「内容」も「キャラクター」も文章の中にしか存在しないのです。
 ですから私は上記の「酷評」も決して間違った意見ではないと思いました。
 なんだかまとまりのない文章ですがこのへんで。


サイラスさんからの意見
 どうも、サイラスです。1029さんは、おそらく、作品作りに真摯に取り組んでいるからこそ、
 こう思うのでしょうね。お気持ちわかります。
 では、ここでは、1029さんの糧になる言葉を(な〜に偉そうなことを言っているのやら……)

 ひとつめは、自分も同じことをやっていないか?考えてみてください。
 
 僕も、ある作品をボロクソ批判してきました。
 しかし、時間が経つと、でも、それもありだよな……とも考えることもあります。
 それができるようになったのは、ここに来てからです。

 ここからわかったことは、作者は、その批判を批判し返す視点(反論)と、
 それを受け入れる(受容)が必要かと思います。
 その二つを持って、好き嫌いを答えられれば、作家だが、それがないと、作家ではないと思います。
 
 ふたつめは、MAYOさんの意見で、読者が本気で読まないと同様、
 作者も本気で伝えない(伝えられない)こともある可能性を頭に入れておいてください。

 
 これは、作品を描くうえでは、かなり重要と考えます。
 作者が本気で書くと、締め切りや規格(何ページ分書いて)質を守れません。
(規格については、手塚治虫の「宝島」は本当は700Pなのだが、
 収まらないので、200Pまで削ったという話を聞いたことがあります)
 
 感情が混じりすぎて、エンターテイメント性が死にます。
 それをライトノベルと言える可能性は恐ろしく低いです。(0ではないですが……)
 乱文でごめんなさい。では。


1029さんからの返信(質問者)
 うーむ。意見と意見をぶつけると議論になるのですが、それを覚悟でスレを立てたので。

>読者が本気で読まないのは「作品が面白く感じない」ため。
>見下したように酷評を投げかけるのは「作品が面白く感じなかった」ため。
>なぜ読者が「作品を面白く感じなかった」のかは「読者の好みと合わなかった」事と
 「作者の筆力不足」が原因だと思いますよ。

 大概のライトノベルと言われるような娯楽を目的として書かれた作品においては、
 それがいえる可能性は少なからずあるでしょうが、考えても見てください。
 出版とは簡単にできることでしょうか。ネットのごとく、ボタン2〜3個でできることでは無いでしょう。

 それに、もしかするとその影響力はハルヒのように昇華します。
 つまり、情報の信頼性が上がるわけです。
 で、自分が言いたいのは、特に理由もなく批判する人たちにもっと考えてから書こうよとそういうこと。

 多大な努力や資金をもって出版されたものを、特に稚拙なところも見えず、
 ある程度完成しているものを軽々しく「面白くない、肌に合わなかった」で済ますのか。
 別に激しく言わなければそれはいいでしょう。
 しかし、自分が抜粋した部分はその範囲を逸脱しているように見受けられる。
 
 納得できない、理解できないというのは仕方ないでしょう。
 しかし、あれほどの酷評をかますのだったらそれだけの内容を書けと。
 それで、それを作者の筆力不足にするのはいかがなものですか?
 
 出版されているわけです。と言うことは、編集者という職業の人の検閲を通ってきているわけですよね。
 編集者とはプロですよね?
 プロの検閲を掻い潜っている作品に関してそういうことを軽々しくいっていいものか。
 
 まあ、時には明らかにおかしいものが混じっていることはあるでしょう。
 そういうものは順序をもって酷評すればよし。
 そうでないときは、ただ単に肌に合わなかったのならただそれだけ書けばいい。
 なぜマイナスへ持っていくのかが理解できない。

>まぁ個人的に、酷評を読者の所為にするのは作者の驕りかなぁと思いますけどね。

 作者にだって人権はある。
 むしろ、前に書いたとおり、自分は作者の立場と読者の立場は同じと考えているので、
 驕りでもなんでもなく、酷評するならそれに対する十分な理由の提示をしろと、そう言いたいだけで。

>小説なんて読者がいなければただの「妄想」ですよ。
>読者がいて初めて「娯楽」に昇華できると思ってます。


 どんな出版物であってもその情報の信頼性はネット以上です。
 出版されていると言うことは公の目があるということと同意義。
 ネットで公開されているものは妄想と言っても仕方の無いものも多々ありますが。


城嶋さんからの意見
 はじめまして。
 気になっていた問題を取り上げていたのでレスさせていただきます。

 まず先に空の境界ですが。
 私も読みました。私はFateなど彼の作品を全く知らない状態で、
 ただ似たような作品を書くつもりだったので参考にしようと手に取りました。
 結論から言えば面白いものでした。

 どこがどう、と批評するのは今この場ですることではないので省かせていただきます。
 ただやはり、1029さんが取り上げたそれらの感想も間違いではないと思います。
 私は一度読みはじめたものはどんな駄作であろうと、一応最後まで読みきる人間です。
 ですが全員が全員私のようではないでしょう。
 正直に言えば空の境界の序盤はちっとも面白いと感じられませんでした。
 あれは読み進めてようやっと面白さが伝わるのでしょう。

 次に1029さんの問題について。
 私は1029さんの態度を好ましく思いません。
 ですので鍛錬投稿室でもあなたに触れようとは思いませんでした。
 率直に、あなたの文章から私個人が感じたものを申し上げます。

 それは傲慢です。
 あなたの作者レスを見ていると批評した方の意見を微塵も取り込もうとしていないように見えます。
 自分の技術を過信してはいませんか?
 一度鍛錬投稿室の入り口にある[作者にどんな態度をされると嫌ですか?」をご覧ください。
 さて、本題の読者を選んではいけないのかについてですが。

 斜め読みされようが本気で読んでくれなかろうが、
 作者はそれに対して文句を言う筋合いはないと私は考えます。


 読者が本当にいい作品だと感じたら本気で読んでくれるでしょう。
 ただ読者全員にそれを求めるのは間違いです。
 
 あなたの作品も拝読しましたが悪くないと思います。
 しかし全員が全員そう思わないのは当たり前のことでしょう。


 先に空の境界の感想の部分で述べたように全員が同じ考えをもつことはありえません。
 ましてやネット上に公開するわけですから、作者が選り好みするのは不可能です。

 まず何のための投稿室かということを考えてください。
 読者を選びたいのなら自分のHPにてロボ検索を無効にして、
 自分の作品を本気で読んでくれる人にだけ公開すればいいと思います。

 最後にお節介かもしれませんが、どうにも自殺してしまった私の知人に似ているので言わせてください。
 ここまでの文章で恐らく不快になっていらっしゃるでしょうから流してもらっても構いません。

 あなたはきっとプライドの高い人でしょう。
 ですが、悪い意味でも見下すわけでもなく身の程を知るといいと思います。
 高いプライドは私の知人のようにいずれ自分を滅ぼすだけですよ。


oukasei さんからの意見
 プロの文筆家を目指しておられるなら、このお考えは通用しません。

 発表(どんなかたちであれ人に見せる行為)をすれば正当な評価、
 意見はもちろんですが、ただの罵詈雑言を浴びせられることもしょっちゅうあると思った方がよいです。


 まず読者はもちろん、プロの出版サイドからけちょんけちょんにけなされます。
 それがあたりまえと思うくらいの覚悟はプロになりたいなら必要かと。

 一番怖いのは「まったく見向きもされない」ことではないでしょうか?

 書き手が読者を選ぶなんて、できるものならやってみれば? と思います。


世羅 悠一郎さんからの意見
 どうも、世羅 悠一郎と申します。
 何となく、気に留まったので書き込ませて頂きますね。

 読者を選んではいけないのか、読者を選別してよいのか。
 この部分に関して言えば、他の方も仰っている通り、選別して良い、
 あるいはどうしても選別してしまうとなります。

 読者にも内容の好き嫌いがあります。
 ですから、作品に方向性を付けた時点で、作者は既に対象を選んでいるとも言えるのです。
 ファンタジー・SF・現代伝奇……こういうジャンルの他にも、ライト・ダーク・シリアス・コメディ。
 そうした方向性をつける事は、選別であると言えます。

 ただ、これ以上の選別方法となると疑問です。
 どうやったら選別できるのか、私には皆目見当が付きません。
 もし方法があるならば安定した供給が出来るでしょうから、私が知りたいくらいです。

 そうした、作者が決めた方向性を読みたい人が読めば、面白いと思えるかも知れませんし、
 やはり文体が合わなくて面白くないと言う事も有り得ます。
 批評の中には、たまに読むものの方向性を変えたくて読んで、
 それで結局合わなくて批評するなんて理不尽な事だってあります。
 そうしたカオス的な要素はどうやっても取り除けません。
 現代物理学の常識と同じように。

 さて、ここまでは、ただの文章に対しての意見です。
 次に言うのは、非常に俗物的な意見です。
 
 ……プロ作品の場合、読者は金を払っています。
 
 当然、金を払った分の価値は取り戻したいと思うでしょう。
 そして、この俗物的な価値は、手持ちの資産にも影響を受けます。
 手持ちの資金に余裕のある方が買ったなら、良い方向であれ、悪い方向であれ、
 評価する気持ちが薄いかも知れません。

 逆に、少ない資金しかない方が手に取った場合、
 必死になって採算を取ろうと思うでしょうから、評価の軸のブレが激しいかも知れません。
 
 ただ、ネットで読めるものなら、読むのに割いた時間に置き換えても良いでしょう。

 さて、方向性をつけても、こうした種々の内容が色々なものを乱していきます。
 ……これじゃ、どれだけやっても方向性以上の選別は出来ないと思いませんか?
 必ず発生するカオスに対処は出来ませんから、ある程度以上は気にしない方が良いと思います。

 で、逆に。
 自分にとって悪い意見の排斥。いいと思いますよ。

 批評をした者に批評の権利があるように、作者にも受け入れる権利と受け入れない権利があります。
 ただ、作者にとって何が良い意見で、何が悪い意見か。
 何が読み取られていて、何が読み取られていないのかは解りませんよね?
 良い意見とは何でしょう? 褒めてくれるだけの意見ですか?
 悪い意見とは何でしょう? 欠点をクローズアップして文句を言うだけの意見ですか?
 読み取っているのは、作者が意図した方向性を見出せた人だけですか?
 意図した方向性とは別の何かを感じた人は、文章を読み取れていないのですか?
 良い意見と悪い意見の話も、読み取れているかいないかの話も、個々人によって回答が違いませんか?
 もし回答が同じなら、一律の答えのみを求めると言う部分が、
 国語のテストのようなものだと思いませんか?

 確かに、書き手としては自分の読みに相手がはまってくれたら、
 予定通りに物事が進んだら、嬉しいですよ。
 ですが、逆に。予定通りが嬉しい反面、予定通りしか答えが返らないのは、恐怖でもあると思うのです。
 どっち付かずみたいに思われるかも知れませんが……それは、ある種の運命決定と同義なのですから。

 じゃあ、どうすれば良いのかと言えば。
 やっぱり、読者が自由な権利を振るったなら、作者も自由な権利を振るって良いのだと思います。
 批評などの評価の選別、上等ですよ。
 
 悪い部分をクローズアップされても、それが自分にとって
 「ああ、確かにそうだな」と思ったら頭の中に留めていいし、
 「なんだこりゃ?」と思ったら放り投げちゃっていいのです。
 どんどんやっちゃいましょう。
 
 権利があり自由である事を認めるのと、それが支持されるかどうかは常に別なのですから。
 お互いがそうであり、同等の存在だというなら、そうすべきだと、私は思います。


 まぁ、偉そうな事を言っても……。
 変に潔癖な所があるんで、自分個人として言えば、
 確かに嫌な事を言っている意見が頭にこびり付いて、
 ストレスになる事も往々にしてあるんですがね……。
 
 だから、1029さんの意見が理解できない訳ではないんです。
 割り切れず、煮え切らないように思われるかも知れませんが、どれも自分の中にある意見です。

 気付けば、随分と長文になってしまいましたが、私としてはこんな感じになります。
 それでは、失礼致しますね。


風月堂さんからの意見
 例えば、何かの純文学を読んでみてつまらなかったと話して、
 「ラノベを好んで読むような奴に本質など分かるわけがない、
 つまらないと思うのは読書の格が低いからだ」と言われたらどうでしょうか。

 誰でも嫌いなものはあります。誰でも嫌いなものには高い評価はし難いものです。
 「好きか嫌いか」ということと「価値を認めるか否か」を分けて評価する―――
 例えば、嫌いでも認めるところは認める、好みでも沢山の欠点を指摘するといったように――
 のは大変に難しいことです。

 しかし、そういった価値観の多様さに無自覚に、評価が低いのはおかしいと断じるのは、
 ものの見方があまりにも一面的です。物書きとしてはそれはどうかと……

>字面みて、読んだ気になって勝手に酷評してるだけでしょ、気に食わないから。

 ということですが、例えばセカチュウやハリポタや携帯小説を全批判して、
 読者のレベルが低いと"数行で"得意気に断じるのも、冒頭の提起と同レベルではないでしょうか。


 ただ、読者を選ぶのは仕方のないことです。
 ミステリーやSFなど、どんなジャンルでもそれはいえます。
 そもそもラノベこそは、非常に読者を選ぶといっても過言ではないでしょう。

 例えば二次元に全く興味がない人にハルヒを読ませてみて、
 作中で萌えに自覚的で「メタ的」だと言っても、たぶん理解されないでしょう。
 それに対していきなり、理解できないのは偏見のせいだと断じることは早計でしょう。
 
 作品を読者が選ぶのはむしろ当然ですし、
 嫌いな人、偏見で断じる人がいても何の不思議もありません。
 偏見だと思うなら気にしなくても良いと思います。
 感性が合わないことまでは非難のしようがありません。
 
 ですので、あまり神経質にならなくて良いと思います。
 適度に参考にするのが、批評との適切な付き合い方ではないでしょうか。

 それでは。


飛車丸さんからの意見
 読みに限らず、浅い、という理由は作者にも通用するんです。
 少なくとも私は、奈須きのこという作家の文章力の低さ――
 むしろ、国語に対する理解度の浅さには辟易です。
 とある人は言いました。

 「既存の物を壊すだけでは斬新と言えない、既存に無い物を創り上げることが斬新なのだ」

 彼の文章は、日本語が崩れているに過ぎません。
 また、様々な言葉に対する理解も低いため、しっかりと読めば読むほど、
 言葉の矛盾が目に付いてしまいます。
 そして言葉が矛盾しているから、内容にも矛盾が生じます。それも致命的な矛盾が、です。

 確かに幻想的な文章です。
 しかしそれは、日本語能力が低いからこそ起こる産物です。
 マイナスにマイナスを掛けてプラスになっているような、そんな現象。
 加算ではなく乗算になっていることが、この作家が売れた理由なんでしょうね。
 雰囲気を楽しむ文章としては、かなりのものですから。
 日本語能力が向上してなお、この雰囲気を壊さずにいられたなら、
 斬新なものとして世に認められるんでしょうね。

 ま、それはともかく。

 作者は読者を選べません。
 読者層を狙えるだけです。



夜霧さんからの意見
 私は無駄な議論が大好きなので、少しだけ言葉遊びでもしますか。

>多大な努力や資金をもって出版されたものを、特に稚拙なところも見えず、
 ある程度完成しているものを軽々しく「面白くない、肌に合わなかった」で済ますのか。


 それって「みんなが頑張って作ったモノを軽々しく否定しないでよ」ってことですか?
 それは作り手の都合であって読み手には関係ないのですよ。


 どんなに時間と金と労力を使っても、読者が駄作だと感じればそれは駄作。
 どんなに手抜きで楽して書いても、読者が傑作だと感じればそれは傑作です。
 正直な話、読者に「作ってる方の苦労を考えて批評しろ」って言っても無駄なんですよ。

 それに読者だって「わざわざ金払ってんだから、面白いのが当たり前だ」って思ってますし。

 だってプロの作品は、編集者という職業の人の検閲を通ってきているわけですから、
 「面白いことが前提」なんですよ。
 それで読者から金とってるんです、だから読者は値段以上の「娯楽的価値」を期待します。
 しかしその作品が自分の好みに合わず、面白くなかったらどうでしょう?
 そりゃ読者だって酷評したくなりますよ。

 読者は作品を読んだ時点で、その作品に自由な評価を下すことができます。
 その評価は読者の好みで千差万別です。
 そして作者は作品を評価をしてもらった時点で、下された評価の取捨選択の自由が生まれます。
 結局は読者がどんな評価を下すのか、作者がどんな意見を聞き入れ、取り入れるのか。
 全部各々の自由です。

 はっきり言って、この手の話には正解も間違いもありません。
 全てが正解であり、同時に間違いでもあります。
 1029さんの意見は間違いではありません、しかし正解でもありません。
 私の意見も間違いではありませんが、正解でもないのです。
 つまりはそーゆー事ですよ。
 では、歪文失礼しました。


KEATHさんからの意見
 こんにちわ。
 早速ですが、少し正しましょうか。

「作者と読者は同等ではありません」

 特にプロ作家ともなれば、読者が金を払って作品を買うことで、飯を食っているわけです。
 よって読者は「お客様」です。
 売る側と客が同等ではないように、作者と読者も同等ではありません。

 もちろん売った品物が非常に良いものならば、客も喜ぶし、作者に感謝することもあるでしょう。
 ですが、それとこれとは別。

 買った品物は読者のものですし、本気で読もうがどうしようが読者の自由です。
 そして客が自分の金を払ったものを評価することも自然なことです。


 「客は神様」とまでは言いませんが、作者と読者が同じ立場に立てないことだけは事実です。

 さて、1029さんはアンチファンの言動について、腹が立っている様子。
 おそらく作品が気に入らなかったにしろ、
 それを公の場で皆に知らしめるように貶すことが許せなかったのでしょう。
 けれどこれに関しては、アンチファンをこの場で貶している貴方も同罪です。

 良い作品というものは、往々にしてくせが強く、賛否両論あるものです。
 どちらからも強烈な感想が生まれることが重要であって、
 楽しめる者は楽しめる者同士で集うのだから、それで良いではないですか。
 
 受け入れられない相手にまで「面白いだろーが!」と叫ぶのは、
 ただの価値観の押しつけでしかありません。
 それは貴方自身が作品を汚すことと同意です。

 俺は月姫、Fate、空の境界と彼の作品には触れてきました。
 月姫とFate/stay nightは非常に楽しめました。
 しかし、空の境界と、Fate/hollow ataraxiaは全然面白くないと感じました。
 下の二つに関しては、正直に申しまして「無駄な時間を使ったな」というのが最初の感想でした。

 俺のように感じる人間は、どうしても結局出てきます。
 それらの意見を受け容れろとは言いません。
 けれど発言を認めるくらいはしてください。
 罵倒のような感想を言う人がいるのなら、その人にとってはその作品の価値はそうなのです。
 所詮、小説の面白さは個人の好き嫌いなんですから。


みつきさんからの意見
 1029さま。
 先のレスで書き忘れたことがあったので、一つ書かせていただきます……。

>作者は読者の傀儡ですか?
 
 についてですが……これはその通り、作者は読者の傀儡だし奴隷だし、
 太鼓持ちで腰巾着なのだと思います。


 作者と読者の関係は、プロである作者の方が上、読者は素人なので下、というわけではなく、
 かといって、同等と言うわけでもありません。
 明らかに読者が上位に立ち、プロである作家や編集がその下に位置しているんですよね。
 
 で、時々、読者のニーズに応える面白い作品を書いた作家だけが、
 読者が面白いと言ってくれている間だけ、彼らに同等に扱ってもらえる。
 そういうものなんです。

 実際、作家と編集という送り手側には、
「素人である君たち読者に、とても高尚で素晴らしい作品を読ませてあげよう。
 ありがたく受け取って、隅から隅まで、ひとつの取りこぼしもなく読むように」
 なんていう、高慢な姿勢でもって物作りをしている人たちなんて一人もいなくて、

「こんな作品を作ってみたんですけど、どうですか? 面白いと思うんですけど……
 お暇なときに、片手間でいいですので、ぱらぱらとでも読んでみてください。
 あなたにとってこれがちょっとでも面白いと思える作品であったなら、私たちはとても嬉しいです」
 という感じで、まるで下っ端みたいにやるのがあたりまえ、それが当然の仕事の仕方なんですよね。
 
 だって、そうやっていないと、読者からまったく見向きもされなくなってしまいますから。
 読者から総スカンを食らったら、その時点でおまんまの食い上げです。

 
 なので、そうならないためにも、
「読んで頂けただけで、とても嬉しいです。
 その上、どんな批判でも酷評でも、ご意見いただけるなんてことがあったら、
 こんなに嬉しいことはありません。
 読者様からのご指導ご鞭撻を、私たちは常にお待ちしているのです」
 と、笑顔で言って憚らないのが、作り手側としての正しい姿勢なわけです。

 ってなわけで、どう考えても、素人の読者よりプロの作家と編集の方が下、
 客にとって作り手というのは、すべからく奴隷みたいなものなんですよね。
 そこんとこをちゃんと弁えてないと、物作りを仕事にするなんてとても出来ないので、
 ぜひともお気を付けいただければ、と思います。
 それでは、これにて。


サイラスさんからの意見
 みつきさん、どうも、サイラスです。僕は少し違うと思います。
 プロの作家、編集者は職人やプランナーとかそういうスタンスが妥当かと思います。というのも、

読者
 「こういう作品が読みたい」
  ↓
作者、編集
 「我々は、皆様の声をこんな作品にしてみました。どうですか?」
  ↓
読者
 「あっ、こんなところ面白いな…」
       OR
 「なんだこれ!つまらない」
  ↓
作者、編集
 「よし、つぎはこうしよう」

 おそらく、こんな具合のフィードバックはやっていると思います。
 そこには、奴隷、主のように一方的な関係はないだろうと考えます。
 ただ、読者が作家や編集よりは上というのは正しい物の見方です。
 しかし、奴隷、主人というほど開いてないと思います。では。


人形使いさんからの意見
 なかなか興味を引かれる議題だったので書き込ませて貰います、人形使いと申します。

>と表面上では酷評されているのですが、これっておかしくないですか? と言うのが一つ。

 普通の感想だと思います。
 その作品を読んでどう思ったのか、どの部分に対してそう思ったのか、
 その根拠はなにかということが明確に理解できるのでそう思います。

>これら二つの文章は、簡単に言えば、読みが浅いからこういうことしかかけないのかなと。
>言うなれば、ただ斜め読みしただけでしょうと。
>読者が本気で読むと言うことをせず


 読者を深く読み込ませることが出来なかった、斜め読みで終わらせてしまった、
 本気で読ませることが出来なかった作品を書いたのは誰ですか?
 つまり、そういうことです。

 まず、読者が常に本気で作品を読むという前提は誤りです。
 読者には作品を必ず一から十まで完全に読み込む義務などありません。
 面白ければ読む、つまらなければ止める、それだけです。


 そうやって読者は(自分にとっての)作品の価値を決めます。
 面白い作品を読者は「本気で読むようになる」んです。
 作品の価値を決めるのは作者ではなく、読者です。
 「「ここからが面白くなるから読んでくれ!」と読者を引きとめたところで、
 読者にはそんな言葉に耳を貸す義務も理由も必要もありませんし、
 「ここから」の部分に来るまで読者の興味を引きつけておけなかった時点で作者の負けです。

 まして「全部読んでから批評しろ!」というのはただの作者のエゴです。
 また、勘違いされやすいことですが、
 作者の作品に対する努力や思い入れは読者の感想とはまったく関係ありません。


 三徹して書いてようが反吐吐きながら書いてようが6年かけて書いてようが、
 そんなことは読者には関係ありません。
 作者の側の作品に対する価値と、読者の側の作品に対する価値付けはまったく違うもので、
 かつ、一般的に作品の価値と認識されるのは後者です。

 プロの段階になるとこのことが明確になります。
 なぜなら作品は(引いては作者も)「商品」として扱われ、
 読者の側の作品の価値付けは「売上」という極めて具体的な形で現れるようになるからです。
 僕はプロ作家ではないので推測でしかありませんが、
 そこには作者の思い入れやらやらなにやらというものは介在する余地はないと考えていいと思います。
 
 「売れなきゃ価値なし」というシンプルなルールがあるだけです。

 ……と、こう書くと、いかにも読者>>>作者のように見えますね。
 では、作者は自分の書きたいことや思い入れを一切作品に投じてはいけないのでしょうか?
 1029さんが書いているように、作者は読者の傀儡なのでしょうか?
 作者は読者の言うことだけを聞いているべきなのでしょうか?
 作者と読者の立場って、どういうものなのでしょうか?

 公に作品を発表した場合、総スカンという最悪の事態を避けることができれば、
 様々ない感想が読者から返ってきます。
 誉め言葉もあれば、酷評もあるでしょう。
 これに対して、作者はどうするか。

 誉め言葉、酷評ひっくるめたこういう感想というものは作者にとって格好のエサです。
 しかし、それら全てが口に入れて安全なものかということ、首は盾には振れません。
 そもそも返ってきた感想を一々全部腹の中に納めてたらすぐにパンクしてしまいます。
 ではどうすれば良いか。
 分析して、選別するんです。

 この意見は、作品のどの部分に対して、どんなことを言っており、その根拠は何なのか。
 これは酷評なのか、それともただの罵詈雑言なのか。
 この誉め言葉はどこをどのように誉めているのか。手放して誉めているだけではないのか。
 等など。
 
 世の中には、作品が悪いから叩くのではなく叩きたいから叩く人、
 酷評する自分がかっこいいと思い込んでいるから酷評する人、
 また逆に自分が誉めてあげているという優越感に浸るために人を誉める人……などがいます。
 自分の元に返ってきた反応からそういった妥当でないものを選別排除し、
 自分に必要なものを選別取得する技能は小説家には必須だと考えます。
 
 また、批判は感情でなく、理性で受け取りましょう。
 でないと自分の作品が受けなかった、こき下ろされたという感情が先に立って、
 それこそ「字面みて、読んだ気になって勝手に酷評してるだけでしょ、気に食わないから」と、
 ろくに批評を読み込まないまま投げ出してしまう事になります。
 不愉快な気分になりますし、得るものもありません。

 そもそも話を作るのが商売の小説家(志望者)が、書いてある文章を読み込めなくてどうします。
 分析できなくてどうします。選別できなくてどうします。
 インパクトのある言い方をするなら、他人のひり出したクソの山から、
 お宝をほじくり出しせる程度の根性がなければ作家としての発展はないうと僕は思っています。


 そして、上記のことが十分に出来た上で初めて作者は読者からの意見と自身の書きたいこと、
 表現したいことをすり合わせ、あるいは忍び込ませ、読者を納得させることができるのだと思います。
 言いたいことを言うだけなら誰にでも出来ます。他者からの批判を受け入れ取りいれつつ、
 自分の責任でそれを選別する。さらに自分の考えをそこに混ぜ込む。
 そうすることで作者は自分の言いたいこと、
 書きたいことを他者にも了解可能な形に翻訳することができるのだと思います。
 やや話が逸れてきたので、戻します。

 作者と読者の立場って、どういうものなのでしょうか?

 僕にとって読者は「読んでくれるひと」「エサの提供者」であると同時に「敵」です。
 ただし、倒すべき敵ではありません。
 あの手この手でなだめてすかして、
 騙してたらしこんで誘惑して惑わせて洗脳して味方に取りこむべき敵です。
 だまくらかしてこっちに引っ張り込めたら(=作品に没入させることができたら)僕の勝ち。、
 できなかったら(=受けなかったら)僕の負け。
 そういう風に考えています。

 ……と、ここまで書いた上で、一番最初の質問に回答します。

>作者は読者を選んではいけないのでしょうか。

 選ぶことはできます。
 自分の作品に肯定的な人だけに見せるという選択肢はもちろんあります。
 安全ですし、楽しいでしょう。
 でも、そうしたところで得るものはありません。

 そういう選択肢に対しては、
 せいぜい安全な物陰でぬるま湯に漬かりながら腐っていって下さい、と言います。
 読者を選ぶとはそういうことです。

 以上、ずいぶん長い書き込みになってしまいました。
 ですが、とても良いスレを建てて下さったと思います。
 僕自身も色々と考える機会が得られて満足です。それでは。


あかいかささんからの意見
 私には1029さんが他人に酷評されるのが嫌(怖い?)なだけなように聞こえます。
 読者が皆あなたと同じ思考で読んでいるわけじゃありません。
 読んでみて本当に理解できない場合や、理解できても賛同(共感)できない場合もあると思います。

 作者はジャンルや対象年齢的な意味合いで読者を選ぶことをしても、
 自分に都合のいい評価をする人だけを選ぶようなことはしてはいけないと私は思います。
 後者に固執するようであれば、ただ書きためて自分で眺めているだけにした方がいいと思います。


ゆーぢさんからの意見

 昨日から掌編のあたりをちょろちょろと動き回っているゆーぢです、こんにちは。
 
 読者を選ぶ選ばないは、書いてるほうの勝手だと思います。
 その勝手を貫いて読者が増えても減っても、自己責任。

 
 鍛錬投稿室には明確なルールがあるんで、作者は読者の指摘、意見に反論・逆切れしちゃいかん、
 謙虚に聞くべし、それができないならここを使わない、それだけですね。
 無視もいけないんだっけ? あ、無視はできますね、そりゃそうですけど。
 まぁ、鍛錬のとこも、掲示板も、結局は人間同士のやり取りなんで、
 無視とかしてもいいことないでしょうけど、結果的に。
 
 読んだ人が何を言おうが、作品の内容そのものが変わるわけじゃありませんので、
 参考にできない意見だと思えば、自分なりに感覚をシャットしちゃうのがいいんじゃないでしょうか。
 もちろん、それが参考になるかならないかは、思い込みの領域ですけどね。


みつきさんからの意見
 サイラスさま、こんにちは。

 奴隷、というのは比喩なので、あんまりそのまんま受け取られても困ってしまうのですが……。
 ですがやっぱり、書き手は奴隷だと思います。
 だって、鞭打たれて無理やり働かせられないと、技術も書き手のとしての意識も、
 サービスのレベルも、プロで通用するところまでまったく向上しませんから。
 読者は冷酷非情な主ですが、同時に、書き手が成長するために必要な主だと思うのです。

 それに……書き手自身の中にすら、主と奴隷がいると思いませんか?
 『これこれこういう物語を書きたい。絶対書きたい』と思う自分が主で、
 それを『えー、勘弁してくださいよ、そんな難しいこと、自分にはまだ無理っすよ』と言いつつも、
 『無理とか言ってないで、キリキリ頭使って書け! 常に学びそれを血肉にして書け!』、
 『分かりました、頑張って書きます……』なんてやってるのが、書き手ってやつなんじゃないでしょうか。
 
 自分の外側にも内側にも、常にスキルの向上を求める冷酷非常な主を持つことが、
 書き手としてのスキルを上げるための一番の条件です。
 だから、プロの世界では、プロとして世間に揉まれなければ絶対上達なんてしない、
 他人からも自分からも甘やかされるアマチュアは、絶対プロがたどり着ける場所まではいけない、
 というのが暗黙の了解になっているんですよね。

 と、なんだか脱線してしまいましたが……こんなところで、失礼させていただきますね。


高円寺さんからの意見
 どうも、高円寺です。

 これはボクなりの意見であって、ただの初心者の妄言です。
 1029さん、もしくは他の人が見てお気に召さないようでしたら、消去するよう願い出てください。
 まず、保険を掛けておきました。
 議題が議題ですので。
 ですが、ここでハッキリと明記しておきます。

 ボクがこの世界(ラノベ業界)に飛び込んだのは、自分が素晴しいラノベを読んで、
 自分でもこういうのを書きたいと思ったからです。
 
 読者を楽しませたいというのは重要ですが、
 最重要事項は、自分が書きたいと思ったから書いているということです。


 これがボクの信念であり、スタイルです。
 強制するつもりも、譲るつもりもありません。

 長い前文すみませんでした。
 ですが、これから言うことをもう言ってしまった気もします。

 ボクは、読者の言うことに必要以上に引っ張られるべきではないと思います。

 もちろん、どんな読者でも大切にしたいですよ。
 技術面での指摘はありがたいし、設定とかが良かったと言われるとすごく嬉しかった。
 ですが、こんな小説には飽きた、と言っている読者には、正直腹立ちます。
 それが、他人の小説への批評でも。
 だったら読むな!
 そう思ってます。(自分のへの批評には、読むな、とは思わないんですけど)
 読者ってのはいろいろいるから、あんまり気にしなくてもいいと思いますよ。無視はしませんけど。

 ではでは。
 

しゃんテンさんからの意見
 しゃんテンと申します。御文を読んでおもうところがありましたので、レスをさせていただきます。

 理解したいという気持ちにさせるのも、小説の力だと思います。

 読者が理解したい気持ちにならなければ、
 「その小説にはその読者を理解したい気持ちにさせる力がなかった」ということはいえるでしょう。

 最初の一行を読んで壁にたたきつけたというのは、私には読者の怠慢に聞こえますが、
 少なくとも最後の一行まで目を通したけれど「理解する気になれなかった」なら、
 読者の怠慢ではないと思います。作品の問題か作品との相性の問題でしょう。

 多くの人にわかってもらいたいなら方向転換すべきでしょうし、
 少数派の方に分かってもらおうという戦略なら少数派の方の心を寄り深く掴む方向で、
 がんばるべきでしょう。
 あるいはその中間もありでしょう。

 「理解できない、理解する気になれない」というコメントから、
 自分の小説が「すべての人を理解したいという気持ちにはさせない」ということは分かる。
 だから、自分の小説の方向を考える材料になるわけですから、参考にならないとはいえない。
 どんなコメントからでも、どのようにしてか自分にとって役に立てれないかを考える姿勢は、
 創作にとって役に立たないともいえないとおもいました。

 以上です。悪文乱文お許しくださいませ。


mayaさんからの意見
 はじめまして、mayaと申します。
 何だか面白いことになっていますね。わたしからも燃料を投……
 じゃなくて、ちょっと真面目に意見を述べさせていただきます。

1)「空の境界」の感想を漁ってたら、表面上では酷評されているのですが、これっておかしくないですか? 

 うーん、多様な意見が出てくることは、おかしいことでしょうか?
 完全無欠の作品はどこにもないのですから、絶賛をされれば、酷評もされるのは道理だと思います。


 ちなみに、わたしは奈須さんの作品はどうにも肌に合いません。
 というか、ファウスト系(と括るのもどうかと思いますが)の作者はどうやら苦手のようです。


2)これら二つの文章は、簡単に言えば、読みが浅いからこういうことしかかけないのかなと。

 うん、たしかに読者の読みが浅いのかもしれません。
 その一方で、あるいはこうも考えられます。
 作品が浅かったために、読者の読みも浅くならざるをえなかったのではないか、と。

 
 ちなみに、わたしも今回のレスを書くに当たって、1029さんの作品を拝見させていただきましたが、
 「二つの文章」を書かれた紀本田さんの仰るとおり、散文詩という印象は拭えませんでした。
 もっとも、その作品を詩と捉えるのなら、小説とは異なる方法で評価する必要がありますから、
 「心に響くかどうか」という点のみで採点されてしまったことに、ちょっとばかし1029さんに同情します。
 
 ただし、中高生の多く集まる本サイトではままあることですし、
 そのことにいちいち「斜め読みをしただけ」と目くじらを立てるのは、
 あまり冷静な態度だとは思いません。


3)読者を選んではいけないのか、読者を選別していいのかと。

 いいんじゃないですか。別に作者が読者を選んじゃいけないということはないですよ。
 もっとも、よほどの力がない限り、作者がそれを宣言することはありませんが……。

 それと、1029さんへのレスの中に
 「書き手は奴隷だと思います」という意見があって、興味を持ったのですが――
 
 わたしは「書き手が奴隷」だとは、考えません。
 たしかに、小説家はサービス業ですから、
 読者のニーズに応えることは大切な責務のひとつだと思います。

 しかし、どんな創作者の心の中にも「世界を一から自分の手で作りたい」、
 あるいは「自分のための世界を造りたい」という創作欲は多かれ少なかれあると思います。
 
 結局のところ、作家は「読者のために書く」ということと、
 「自分のために書く」ということの間を振り子のように行ったり来たりしながら、
 質の高い作品を目指し、商業ベースで活躍していくのだと思います。


 そういった意味では、もし1029さんが「読者が本気で読むと言うことをせず、高尚にも、
 見下したように酷評を投げかけることが我慢できなかった」という考えを今もお持ちなのでしたら、
 投稿サイトに作品を発表せず、ずっと一人きりで創作していれば良いのだとも言えます。
 一人きりになれば、不愉快になることも、傷つくこともありませんから。


 「結局、読者は何も見ていないんだなあと思い知りました」

 ちなみにこれは、みつきさんが例として上げた、ベテランの作家さんたちの意見とのことですが、
 このような考えを本当にプロの作家さんたちが述べていたのだとしたら、
 わたしはその人たちを見下します。
 
 読者とコミュケーションを取ることができない作家にあるのは、ただの絶望です。
 何のために書いているのか、誰のために書いているのか――
 そんな基本的なことすら忘れてしまった創作家に、わたしは価値を見出せません。

 
 少なくともわたしは、誰かに読んでほしいから、多くの人に共感してほしいから、作品を書いています。
 論文などを書いて、知的に説得させるよりも、小説を書いて、読者の感情を揺さぶりたい――
 それがわたしの創作における最も大きなモチベーションの一つです。

 1029さんは何のために、そして誰のために作品を書いていますか? 
 その点がぶれなければ、問題は解決できるのではないかと思います。



幼女さんからの意見
 こんにちは、はじめましてになりますでしょうか。
 1029さんの感想にマジ切れして、もう投稿しねえとのたまった友人の意思を軽く一蹴しつつ、
 幼女が感じたことを書きたいと思います。

 作者が読者を選んではいけない……ですか。
 マルかバツで決めてといわれれば、幼女的にはバツでございます。
 あまり賛同できる意見ではありません。
 
 まず、ご自身が読者を選ぶに相応しい作品を書かれていますでしょうか。
 出来について問うているのではありません、
 自分の作品が読者を選んだとしても読まれる作品を書かれていますでしょうか。
 書かれていると自信を持っているのであれば、
 もう、これからの幼女の指摘は全て無意味になりますので、斜め読みで結構でありますです。
 
>空の境界について
 
 一部できのこ節と聞く那須さんの小説ですね。
 私はあまり肌に合わないので、友人間の情報から勝手に判断しますと。
 
 実力云々は置いておいても、人を惹き付ける何かはあり、それが人によって嫌悪感を抱く事もある。
 その何かを何と判断する事によって、那須さんの評価は変わると言った所でしょうか。

 幼女自身も、那須さんの作品のほんの一部分、一角度としてしか見ていませんから、
 参考にはならないと思います。
 お分かりになりますでしょうか?
 
 酷評も賞賛も、その作品の一部分、あるいは、いくつかの角度によって見られた判断でしかありません。
 人間はそれぞれ違う存在であるが故に、その人の全てを理解して評価するのは無理ですから。
 結局自分自身の人生経験と照らし合わせてしか評価はできないのです。

>1029さんの作品とアンチ云々について

 1029さんが世界の物差しではないですから、アンチ云々について述べてる部分は特に見ません。
 人によって違うのだからの一言で済ませます。
 斜め読みしてるかどうか、気に食わないかどうかはその人間にしかわからない事であり、
 すくなくとも1029さんが判断する事ではありません。
 ただ、1029さんがそう思うのであれば、私は止めませんけどね。

 最後に。
 私自身も作者レスでは多く反論しているように見える(恥ずかしながら無自覚で反省しております)ので、
 説得力が皆無かとは思うのですが。
 作者は読者の傀儡です。読む人間のいない物語などは妄想にしか過ぎません。
 作者は作品を読者に委ねる立場にあるのです。
 
 1029さんの作品は、読者が本気で読むに値する作品作りをなさっていますか? 
 酷評を投げかけられるに値する理由は本当に存在いたしませんか?
 感情的にならず、理性的に作品を判断すれば、きっと答えはすぐに出るかと思います。
 頑張ってください。


ハンカチ王子さんからの意見
 こんにちはハンカチ王子です。イケメンです。

 「自分にとって悪い意見を排斥するんではなくて、読み取れられていない意見を無視していいか」
 という話題なので、自分なりに考えてみたことを述べてみようかと思います。

 まず「自分にとって悪い意見」を全て「読み取られていない意見」とみなすわけにはいかないと思います。
 たとえばの話、鍛錬室に投稿した作品が、
 最初の一行を読んだだけで最後まで読まずに−30点をつけられたとします。

 もちろん、中には読む努力を一切しないで安直に−30をつけるだけの人もいるでしょう。
 その人の意見は「読み取られていない意見」ということです。
 しかし−30をつける側にも理由があるかもしれません。

 一行目から誤字脱字のオンパレードで読む気を失ったとか、
 一行目から興味をひかない世界設定の説明がくどくど続いていてダメだと判断したとか、
 描写ばかりで設定やストーリーや構成が滅茶苦茶だとか。
 そういう場合は、いくら作者が「最後まで読まないなんて腹立つアンチ読者だ!」と言ったところで、
 虚しい言い訳にしかなりません。

 たとえその作品が300枚の長編であったとしても、
 作者がどんなに苦労して書いた作品であったとしても、
 最後まで読む価値が無いと読者に判断されれば、その時点で終わりです。


 つまり、「読者意識の低い文章」ということです。
 同じ−30でも、読み取られていない意見なのか、そうでないのか。
 読者には読解力が求められているのと同様に、
 作者には両者の違いを判断する能力が求められていると思います。

 ここからが本題になるでしょうか。
 読みの浅い意見、あるいは、きちんと読解出来ていない意見について。
 鍛錬室に関していえば、的確な素晴らしい批評もあるのですが、その一方で残念ながら、
 読みの浅い意見、きちんと読解できていない意見、
 流し読みで読んで機械的に感想を書いているだけという感じの意見、は現実に存在します。

 実際にあった具体例を、ちょっとぼかしつつ書いてみます。
 とある作品では、「私は来年の今頃には大学受験を迎える」と書いてあるにもかかわらず、
 「主人公の年齢設定が分かりません」という指摘を受けていました。
 サンタクロースが乗るソリをひいて空を飛んでいるトナカイが言葉を発すると、
 「トナカイがしゃべるのは変です」と突っ込まれていました。
 トナカイが空を飛んでいることに関しての突っ込みは無かったにもかかわらず、です。

 ギャグコメディー作品で、男性が股間に白鳥の首の作り物を付けているシーンがあると、
「性的欲求を促進、または性的刺激を与えることを目的とした表現であり、規約違反です」
 と言われていました。
 
 ラノベではよくある美少女のパンチラで縞パンが見えるシーンの方がよほど性的欲求を促進、
 または性的刺激を与えることを目的とした表現のようにも思えるのですが。

 小説家を目指し小説を書いているキャラが小説を書くのをやめるエピソードでは、
 「断筆理由が説明不足です」という意見が多数出ました。
 「自分の才能に限界を感じたから」という趣旨で十分すぎるくらいに理由は書いてあったし、
 きちんと読解できている読者もいたのですが。
 ……とまあ、こんな感じです。
 だけど……

 このサイトに来るのはラノベ読者の中学生や高校生が大部分ですから、
 読解力が低いのは仕方ないことでしょう。
 ラノベを書く以上、その読解力の低い中高生を相手にした作品を書かなければならないわけですから、
 中高生でも分かるような内容と文章の作品を書きましょう、ということです。

 「私は来年の今頃には大学受験を迎える」では分からないというのですから、
 「私は今、高校二年生の十七歳である」と明記した方がいいのでしょう。
 「十七歳だ」と要所要所で書いても、それでもなお分からないという読者がいたなら、
 その程度の読解力しか無い読者にたまたま当たってしまったのだと諦めればいいと思います。

 ……念のため最初に戻りますが、いくら作中で「十七歳だ」と繰り返したとしても、
 そのキャラが十七歳らしく見えるような描写をしていないと無意味です。

 結論ですが。
 
 読みが浅い読者は存在します。でもしょうがないので諦めましょう。
 ラノベを書くというのは、そういう読者に読んでもらうことを想定して書くということですから。


 読解力の低い読者でさえ思わず引き込まれて深く読んでしまうような作品を書く。
 それがライトノベル作者の使命ではないでしょうか。
 
 読みが浅い深いにかかわりなく、読者は作品に対してどんな感想を抱く権利もあります。
 一方作者には、感想を取捨選択する権利があります。
 読みの浅い質の低い感想だと思えば、取捨選択の捨を選ぶべきでしょう。
 もちろん、感想をいただいたこと自体に対しては感謝するべきでしょうけど。
 
 作者としては的確に取捨選択し、拾うべき意見は取り入れ、
 捨てるべき意見は無視するのがいいと思います。

 そして。
 鍛錬室で作品を発表すると、作者は読者に力量を見られます。
 同時に、感想を投稿すると、作者や第三者に批評人としての力量を見られているのです。
 そして感想のレベルが低いと、作者としてのレベルも低く見られてしまうのは仕方のないことであり、
 当然でもあると思います。

 作者には取捨選択する権利があるとは言いましたが。
 作者にとっては、良い意見は拾って、
 −30のような悪い意見は捨ててしまいたい気持ちはあると思います。
 
 でも本当に貴重なのは、良薬は口に苦いけど「きちんと読み取っている−30」です。
 「誤字脱字が多いから一行目でやめました」と言われたとしても、逆ギレして無視するのではなく、
 謙虚に受け止めてきちんと推敲するようにしましょう。
 −30には−30の理由があるはずですから、それを作者はきちんと読み取りましょう。

 ちなみに「空の境界」が長編の間に投稿されていたら、ボクの採点は−20点くらいです。
 というわけで、顔は良いけど読解力レベルも高いイケメンの意見でした。


MAYOさんからの意見
 始めに言っておきます。
 これは別にみつきさんに対する反論ではなく、
 マヨ個人が思っていることであるため、無視して下さっても全然OKです。

>作者は読者の傀儡だし奴隷だし、太鼓持ちで腰巾着なのだと思います。
 
 作者は読者の奴隷か否か、という言に関することですが。
 自分はこれ、成でも否でもないと思っています。
 なぜなら世のクリエイターは二種類に大別されるからです。

1:「お客様のご要望に合った物を創ります。どうぞよろしくお願いします」

2:「私は私自身が最高だと思った物のみを送り出す。着いてきたい奴だけ着いて来い」


 とりわけ前者は『商売人』、後者は『芸術家』と呼ばれていますね。
 商売人はそこそこ売れるし、生き残れます。が、それで終わりです。
 ブームが到来しても"そこそこ"で消えていくでしょう。そして次のブームを模索する。
 ブーム勃発を狙うことも可能ですが、狙いすぎるとコケます。
(電撃などのメディアミックス戦法は強い方だと思う)

 芸術家は賛否両論の世界です。褒める人は褒め、貶す人は貶します。
 褒め人が上回れば莫大な利益を得、貶し人が上回れば人知れず消えていく運命です。
 下手すれば見向きすらされない恐れもあるバクチ種族です。
 秘めたパワーが未知数ゆえに、ブームを巻き起こす人たちでもあります。
 奈須きのこ先生は、圧倒的に芸術家タイプのライターだと思いますね。
(ゲームを作る時は原画担当の武内先生と毎回揉めてるそうですがw)

 世の作家でどちらが多いのか、それはわかりません。
 どちらがいいのか?という問い対する答えも持っていません。
 
 書きたいものだけを書き続けて売れている人がいれば、
 ニーズや流行を綿密に調査してヒット作を産み出す人もいるでしょう。
 書きたかった物がたまたまニーズにクリティカルしたという幸運な作家もいるでしょう。
 流行を調査した上で、その中から自分の書きたいものに拘り選別するという、
 半々な作家もいるかもしれません(というかコレが一番多そうだ)

 案外、作家と編集も敵同士なのかもしれませんね。

編集「今こういうのに需要があるらしいんだけど、どう?」
 VS
作家「なるほど。でも俺はこういうのが書きたいんですけど……」

 多かれ少なかれ、作家は芸術家魂を抱えているのではないかと、マヨは思っています。
 そんな妄想。


矢神千倖さんからの意見
 ピカソの絵を例として出しましょう。
 矢神や、矢神の友人数名はピカソの絵を見ても
 「何だか変な絵だなぁ。何でこんな絵を描いたんだろ」といった、批判的意見を持ちます。

 しかしピカソの絵は、高く評価されています。
 このことからピカソの絵はギャラリーを選んでいると言えます。
 ここでの矢神は、1029さんの仰る「読みが浅い」といったものなのでしょう。
 しかし、矢神に否があるとは思っていません。
 何故ならその絵に込められたものを感じたり、共感出来たり、そういったことがなかったからです。

 小説でも同じですよ。
 肌の合わない小説を読んでも、その真意、真価を感じることはほぼ不可能です。
 どんなに努力して読み取ろうとしても、かなり難しいでしょう。

 「読みが浅い」のではないのです。「深いところが見えない」のだと思います。
 そしてそれは悪いことではないはずです。

 
 その批判的な意見を通して、作品を判断することも出来るのですから。
 批評する権利は、誰にも存在します。


 作者は読者を選んでも良いのか。
 という質問に対しては、はっきり「選んでも良い」と返答させていただきます。
 そうしなければ、「ラノベではないが……純文学とも全然違う」と、
 評されてしまった矢神はどうすれば良いのでしょうか(苦笑)

 長々と失礼しました。


みつきさんからの意見
 MAYOさま、こんにちは。
 早速本題へ入りますね。

>なぜなら世のクリエイターは二種類に大別されるからです。
>1:「お客様のご要望に合った物を創ります。どうぞよろしくお願いします」
>2:「私は私自身が最高だと思った物のみを送り出す。着いてきたい奴だけ着いて来い」


 私は、クリエイターというものが、そのように二つに分けられるとは考えません。
 『商売人』であれ『芸術家』であれ、ものを創作する、ということに携わる全ての人間には、
 『芸術家としての本質』が元から備わっていなければならないと考えます。

 
 っていうか、そうでなければ、創作なんてできるわけがないよなー、というか。
 クラブ活動で全国大会で優勝するにはまず地区大会に出場しなければいけませんが、
 もっとその前に、クラブに入らなければなりません。
 
 『芸術家としての本質』とは、その、クラブに入る動機の部分に当たります。
 
 つまり、その現われ方が芸術的であろうが商売的であろうが、
 創作をする者にはあって当たり前のもの、なんですよね。
 でも、この辺については、MAYOさんの、

>多かれ少なかれ、作家は芸術家魂を抱えているのではないかと、マヨは思っています。

 という意見と同じ、ということなのではないかな……と思います。
 
 というわけで。
 その上で私は、『真の芸術家こそ、優秀な商売人であるべきだ』と思っているのです。
 先のレスに書いた、

>作者は読者の傀儡だし奴隷だし、太鼓持ちで腰巾着なのだと思います。

 の言葉は、その一面を過激に書き表したもの、と思ってくださると幸いです。
 で。

 昔のように、大きな市場もなく、
 作品を気に入ってくれたパトロンがお金を出してくれて生計を立てるのが当たり前、
 というような時代ではない今、芸術家が作品を発表し、
 生活に必要なお金を稼ぐ場は、市場以外にありません。
 
 そのような現代において、ビジネスとしての視点をまったく持たず、
 あくまで自分の信じる個性だけで勝負し、それで周囲の引き立てを受けて世の中を渡っていこう、
 などと考える『芸術家』など、正直時代遅れ、前時代の産物ではないでしょうか。

 どんな優れた芸術家であったとしても、一発屋で終る人はたくさんいます。
 

 それはなぜかといえば、その芸術家に、
 商業的に見て作家としての自分はどういう立ち位置にいるのか、
 読者のニーズを自分の作品のどのあたりで、どの程度満たしているのか、
 出版社の自分という作家に対する見方はどうなのか、
 出版社が求めるものを自分はどの程度提供できているのか――
 
 といったものを客観的に見る、『商売人の視点』というものが、
 決定的に欠けていたからだと私は考えます。

 
 ビジネスという視点に立って物事を考える、と言うのは、
 たとえば小説家のような、組織に属さない個人経営であるフリーランスにとっては、 
 自分を守ると言う意味で非常に重要なものなのではないでしょうか。

 巷に溢れる多くの作家志望者の意識としては、 
 「読者のニーズなんて、出版社が文庫本の売れ行きとアンケートで出てきた回答を
 分かりやすくまとめて教えてくれるし、作家としての自分の立ち位置というのも、
 きっと出版社の人があれこれ考えて教えてくれるのだろう。
 そもそもビジネスなんて、原稿を依頼してくる出版社の人が考えることでしょう?」
 などと、作家と商売というものの関わりをを軽く考えている人のほうが、
 圧倒的に多いのかもしれませんが……。
 
 もしかしたら、出版社や編集部というのは、作家個人の芸術性に惚れ込んで、
 当たり前のように本を書かせてくれて、当たり前のように原稿料と印税をくれるパトロンのようなもの、
 というふうに勘違いしている人も、中にはいるかもしれませんね。
 
 ですが、そんなことは絶対になくて、どんなに素晴らしい作品を書く芸術家であろうと、
 本の売れ行きがよくなければ出版社から見向きもされなくなって、
 そのうちすっぱりと切られてしまう、というのがビジネスの世界です。
 出版社にとって作家はただのコマですし、悲しいことですが、読者にとってもそれは同じです。

 そういう世界で、自分の書きたいこと、伝えたいことを本にして、
 五年十年というスパンで市場に出し続けるには、
 作家個人に、ビジネスの視点、『商売人』としてのビジョンや戦略がどれだけ必要になることでしょうか。

 けして、
 「ビジネスに関しては、出版社というビジネスのプロが全てにおいて便宜を図ってくれるはず。
 だから、自分はそのお神輿に乗っかって、編集部の意見を少々取り入れつつも、
 自分の芸術家としての個性を全面に打ち出した作品真摯に書いていれば、
 きっとそのうちにコアなファンがたくさんついてくれるようになるだろう。
 そして、そのファンたちが編集部と一緒になって、
 作家としての自分をどんどん引き上げていってくれるはずだよね」

 ――などという、どこぞのボンボンみたいな意識では、
 ベテラン勢が老舗の味わいの作品をペースを守って作り続け、
 他方では新しい感覚を持った新人が次から次へと現われ出てくる出版業界を、
 渡って行くことなど到底出来はしないのです。

 とある漫画家さんが言うには、せめて二年に一度くらいは、
 現在仕事をしている編集部以外の人間に、
 『あ、いいものを書く作家がいるな。うちでも、この人に書いてもらえたらいいな』
 と思ってもらえるような、そういう仕事を意識的にやっていかないと、
 次の仕事へと繋がっていかないそうです。


 そういう仕事の仕方を『意識的に』やっていくには、作家としての自分や、
 読者の読みたがっているもの、業界の動向など、全てを客観的に見て総合的に判断し、
 自分の進む方向性を自分で打ち出していく、『商売人の視点』が欠かせません。

 もう一度書きますが『真の芸術家こそ、優秀な商売人であれ』と言うのが私の持論であり、
 芸術家個人がビジネスと言うものをきちんと意識した上で主体的に、
 読者に楽しみや喜び、癒しや気付きや救いというものをたくさん与える良い本を、
 何年も、何十年も市場に送り出し続けるべき。
 もっと言うと、書店の棚に本を乗せ続けるべきである、と思っていたりするのです。

 ……と、プレビューしてみたらえらく長い書き込みになってしまいました……すみません。
 今日はちょっと時間がないので、誤字脱字があるかもしれませんが、
 その辺はご容赦いただけると幸いです。
 それではこれにて、失礼させていただきますね。


トラさんからの意見
>自分にとって悪い意見を排斥するんではなくて、
 読み取れられていない意見を無視していいかと、そういうことです。


 私は無視をするのが当然だと思います。
 著者が全身全霊をもって、血をもって書いたものをお気楽気分の読者に理解できるはずがありません。
 私は暇つぶしで読書する人を軽蔑します。そういう読者によって文学が腐敗するのです。
 著者が全身全霊で書いたなら、読者も全身全霊で理解するように努めるべきです。
 理解することを怠った読者の批判を、著者が理解するでしょうか。
 
 ニーチェ著『ツァラトゥストラはかく語りき』の読むことと書くことを一部参考にしました。

 私見ですが、著者は読者に対して圧倒的優位にあると思います。著者の権威は絶大です。
 大多数の読者の心を動かすことが出来ます。感動させ、楽しませ、共感させ、啓発する事が出来ます。
 そういう意味で、読者は著者の思想の奴隷に過ぎません(嫌な言い方ですが)。


MAYOさんからの意見
 返信ありがとうございます。
 ただ少し伝わってない部分があったので、そこだけ訂正させて頂きます。

 マヨが言った『商売人』というのは「客(読者)主体とする心構え」であり、
 『芸術家』とは「己(作家)主体とする心構え」ということです。
 読者や編集の奴隷となった作家には芸術家としての魂なんて微塵もありません。

 なぜなら読者が全てなのですから。『自分の嗜好』などスッパリ捨てた人種です。
 ただの原稿製造機です。
 
 そして芸術家は、読者がどんな反応を示そうと知ったことではありません。
 ぶっちゃけ売れなくてもいいのです。完全な自己満足なのですから。
 売れたらラッキー、みたいな奴らです。
 某ピカソみたいに死後に売れ出す奇特な人もいますけど。
 マヨが示した『商売人』と『芸術家』とは、そういうことです。

 ただ、『商売:芸術』――
 というよりは『客:己』の割合が『10:0』、『0:10』の人など、今はいないとも考えています。

 『10:0』だと、好きでもない仕事に全身全霊で取り組むという地獄のような日々ですし、
 『0:10」のような人は、みつきさんが仰るように時代遅れすぎて見向きもされないと思います。
 やってられません。
(あ、「文章書いてるだけで幸せなんです」や
 「他人の言いなりになるのが至高の喜びです」な人はゴメンナサイ……)

 『8:2』のように、仕事の中にも自分の趣味を織り込んで拘る人もいるでしょう。
 『1:9』のように、趣味全開だけど若干流行を考慮して興味を引かせる人もいるでしょう。
 あるいは『5:5』? 割合は人それぞれです。
 
 多かれ少なかれ作家は芸術家魂を持っている。
 半々の作家が一番多いかもしれないと言ったのは、そういうことです。

 みつきさんの仰る通り、これからの時代は読者を意識した物作りをしないと生き残れない、
 というのは重々理解できますし、同時に賛同もします。

 
 しかし奴隷にまで成り下がって自分を捨てるようでは、
 創作なんて(手間のかかるコト)やってられないとマヨは思うのですよ。
 書きたいものを書かせてくれないのなら、堅気の仕事に転職して趣味で書いた方がマシだと思います。
 
 世の作家さんの中に「私は自分の作品に自分の趣味・嗜好など微塵も入れたことはありません!」
 と言う方がいたら、別の意味で尊敬します。
 流行をリサーチしつつ、その中から自分の好きなジャンルを選んで、
 勝負する方が大多数を占めるのではないでしょうか。

 『商売人』としての魂を捨てろとまでは言いません。捨てたら誰も振り向いてくれないので……。
 ですが、奴隷やコマにまで落ちる必要もないと思っています。
 これはマヨの考え方なので、みつきさんが気にする必要はありませんよ? あしからず。


 あーでも、上海アリス幻樂団のZUN氏は100%芸術家かもしれない。
 毎度流行を無視して自分の好きなものだけ創ってるしw
 まぁ同人作家だから、それでいいんですけど。

 あと、「初心を忘れるべからず」とは違いますが……
 誰しもペンを執った最初の動機は「こんな作品が書きたい!」であり、
 「読者を喜ばせるぞ!」から始まった作家は少ないと思うのは、マヨだけでしょうかねぇ。
 そこからどう進歩するかは、個人の自由ですが。
 それにデビューするまでは、書きたいモノを書きまくってていいと思います。ほどほどに。


本名っぽいあだ名さんからの意見
 はじめまして。
 現役中学生の僕の意見を書かせてもらいます。

 人それぞれ意見って違うと思います。というか皆の意見が同じだったら怖いです。
 読み手としては本を読むということは食事をするのと同じだと思います。
 友達に料理が趣味な子がいてよく食事を食べに行きます。
 その子は毎回食べた後に僕達に感想を求めます。
 僕はおいしいと感じても、他の子は「イマイチ。」という感想を持つこともあります。
 その子はどこがよくないかを聞いて
 「そっか。じゃあ次はそうならないようにするね!」というようなことを言います。

 文章を書くのも同じではないでしょうか?
 どこが気に入らないのかを批判している人に聞いて改善できるならしていく。
 それが書き手として必要な心構えじゃないんですか?

 読み手はおもしろさを求めます。あたりまえです。
 そのためにお金を払い本を買います。
 お金を払ったのに面白くなかったらそのお金は無駄になってしまいます。
 そうさせない努力が書き手には必要です。
 だって読み手がいなくなったら本は売れないのですから。

 これが僕の意見です。 文才ないのに長文書いてすいませんでした。


舟太郎さんからの意見
 こんにちは、新参者ですがよろしくお願いします。

 さて、質問の件に関してですが、ほとんど意見が出きっていて、
 私自身特に真新しい意見もないので、今まで触れられていないことに触れておきます。それは、
 
 『批評は内容ではなく量』ということです。

 批評についてよく聞くのは、評価してくれた、酷評された、ということばかりですが、
 その量については特に語られることはありませんね。
 はっきり言ってこれでは、どんな名作を書いても苦しいだけです。
 少し思い出してください。

 過去に出会った名作たちは、どんなものでも『面白い』と『つまらない』の意見が対立していませんか?
 そしてその議論は、ネットだけでなく、学校や社会にも広がっていきませんでしたか?

 名作とは、たくさんの人に『読んでもらえるもの』ではありません。
 たくさんの人が、『意見をもっているもの』なのです。


 つまらない作品は、『つまらない』といわれるものではありません。
 『評価自体がない』ものを言うのです。
 いわゆるアンチは、この中に含めていいのかわかりませんが、
 『アンチが出るほどの作品だ』とは考えられませんか?

 皆つまらないものに時間を割くことはしません。忘れるだけです。
 一定水準以上のものにだけ、自分なりの意見をもつのです。

 一つ一つの意見に一喜一憂する必要はありません。
 その作品の評価が、『良い』が半分を超えていれば、
 あとは、評価の量がその作品の本当の『評価』です。

 まあ、初心者のときは、酷評されたショボーン、ではなく、
 読んでもらえたワーイワーイ、でいきましょうや。


万華鏡さんからの意見
 はじめまして、万華鏡と申します。

 話題に上っている『空の境界』についてですが、自分個人としては好きな部類です。
 『空の境界』の酷評について自分が思うに、

1.難しい表現や言い回しがある
2.改行がほとんどないページがある
3.登場人物の台詞が1ページ以上続くところもある
4.設定の説明が長い

 などではないでしょうか?
 個人的に気になった点ですが…
 自分が挙げた4点は、はっきり言って好みの問題かと思います。


 「作者の筆力不足」と仰る方が何人かいますが、何を基準に筆力不足なのでしょうか?
 小説にはいくつか守るべきルールがあります。
 しかし、それ以外の部分には決まりはありません。

 特に、飛車丸さんが仰る「日本語が崩れている」「日本語能力が低い」とは、
 何を基準にした考えなのか自分には分かりません。
 文章には正解なんてないと思います。
 
 なので、単に「奈須さんの書き方が肌に合わなかった」だけではないかと思います。
 
 それが正解であるかは分かりませんが、少なくとも自分はそう思います。
 それから、夜霧さんが仰る「わざわざ金払ってんだから、面白いのが当たり前だ」。
 これは、読者として一番考えてはいけないことだと思います。

 「面白い」の基準は人それぞれです。
 なので、「金を払う=面白い」は必ずしも成立しません。


 自分が思うに、読者は「作品を選ぶ権利」があります。
 買った作品が面白ければ、それで良し。
 買った作品が面白くなければ、自分に見る目がなかった。
 そういうことなのではないでしょうか?

 もちろん、読んだ作品に対して意見を言うことは否定しません。

萌え・美少女・美形について
その他・創作上の悩み
世界観・リアリティ・設定についての悩み
タイトル・ネーミングについての悩み
やる気・動機・スランプについての悩み
作家デビュー・作家生活・新人賞・出版業界
上達のためのトレーニング・練習法について
読者の心理・傾向について
使うと危険なネタ?
恋愛・ラブコメについての悩み
ライトノベルについて
文章・描写についての悩み
人称・視点についての悩み
推敲・見直しについての悩み
コラム(創作に役立つ資料)
批評・感想についての悩み
ネットでの作品発表の悩み
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プロットについての悩み
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