第4研究室 創作に関するQ&A 21P | トップへ戻る |
桃さんからの質問  
 小説を書くスピードを上げるには?

 はじめまして。
 以前から疑問に思っていた事があり、それについてご教授頂ければと思い、
 書き込みさせてもらいます。

 早速ですが、私は小説を書き始めて日が浅く、
 文章を表現する力に乏しい事は自分でも理解しています。
 ですが、このサイトの「文章力をつけるためには?」を参考にさせて頂き、
 僅かながら文章力は上がったかと思います。
 しかし、小説を書くスピードは逆に下がり、
 短い短編でもたくさんの時間がかかるようになってしまいました。

 Q&Aコーナーの「アイデアは出るのに小説が書けない」と、
 「書きたいのに書けない状態を打破するには?」にすごく共感できる私でして、
 のろのろと小説を書いていると他のアイデアが浮かんでしまい、
 今書いている方を挫折してしまうんです。
 タイトル通りなのですが、小説を書くスピードを上げるに
 はどうしたらいいでしょうか?
 もしお時間があれば、お答え頂けると幸いです。


●答え●

 私も遅筆でして、なかなか小説を書き上げることができません(汗)。
 なので、「こうすれば早く描けるよ」といった類のアドバイスは、できませんが、
 なぜ遅筆なのか、原因はわかっているのでそのことについてお話しします。
 私の場合は、とにかく必要以上に推敲(見直し)を繰り返してしまうのですね。
 なんとか良い文章に仕上げようと思うあまり、1つのセンテンスをこねくり回してしまうのです。

 推敲は、小説をブラッシュアップするために必要な作業なのですが、
 これにこだわりすぎてしまうと、まったく先に進めなくなります。

 『プロ編集者による文章秘伝スクール』の著者・村松 恒平氏は、その著書の中で、
 推敲は1〜2回程度に押さえて、どんどん書き進めるべきであると述べています。
  文章力は短い期間では上がらないのだから、必要以上に推敲しても、
 一定以上の文章にはならないし、最初にあった文章の勢いが逆に削がれてしまうというのです。

 実際、推敲という作業は、やってみると結構楽しいものでして、
 中毒のように繰り返してしまいます(汗)。
 しかし、これは足踏みしている状態と同じで、小説を創っているとは言えないわけです。
 なので、もし推敲のしすぎで遅筆になっているのなら、これを改善すると良いと思います。
 まあ、自分自身に向けた言葉でもありますが(汗)。
 
 また、私はパソコンで小説を描くようになる前、
 1ヶ月ほどブラインドタッチの練習をしてマスターしました(毎日1時間程度)。
 頭で考えた言葉をパッパッと画面に写していくことができるので、
 文章さえ浮かべば、早く書くことができます。
 本気で取り組めば、ブラインドタッチの収得はそれほど高いハードルではないと思います。
 まず基本として、ブラインドタッチはできるようになっていた方が良いですね。 


国下 夏草さんからの意見 
 国下と申します。
 先日似たような話題で悩んでいた私が答えるのもなんですが、とりあえず。
 まずは、タイピング自体の速度を上げる、というものです。
 ブラインドタッチなんて、よく言いますが冗談でも何でもないです。
 誤字も画面を見ながら打つので減りますし、なんだかんだで執筆速度も上がります………
 ってそんなことじゃないんだよ! と叫びたくなるような一般論を述べるのはここまでで。

 まあ、これも一般論ですが、書く前に大体書くことを頭の中でまとめる……
 という作業をすると、とりあえず書き終えるまでは雑念なく書くことができると思います。
 書き上げる! と思ってとりあえず書いてみるのが重要ですよ。
 スピードに慣れてくると、素早く書いていてもいつの間にか雑念が入り込みますからね。
 下らない意見ですみません。


匿名さんからの意見
 うーん……とりあえず、ブラインドタッチをマスターすること、かな。
 画面見ながらだと誤字も発見しやすいですし。
 後は、キーボードの特性を覚えるとか、不必要な操作を減らすとか。
 タイピングの速さはどうなのでしょうか?

 後はもう、打ちたい事を最初っから決めて打ってしまう、
 もしくは、速く打ってられる時間ですむ長さの短編(てかショート)を書くとか。
 桃さんは、十分間で何文字くらい打たれるのでしょうか?
 私自身速いのか(10分で900文字くらいが平均、考えるともう少し少なく)どうかわからないので。


イトウさんからの意見
 文章力が上がったけど、執筆スピードが落ちた、とのことですか。
 僕もそれは経験しました。
 このサイトはどちらかと言うと、ある程度書いてからもっとうまくなる方法ないの〜
 って感じで来るものですから、
 
 書きはじめたばっかりのときに技術などを頭に詰め込みすぎると、
 筆が進まなくなってしまうものです。


 なので、こういう場合は小学生の作文を書くような感覚で書けばいいのです。
 つまり、あまり作品の質を求めすぎず、どんどん書けばいい話なのです。
 そしたら執筆のペースも速くなりますし、文章もどんどん上手くなっていくと思います。
 百点を求めないで、「まあ完成すれば最高だー! もうラブ! 大好き!」
 と思っていればいいんです(これはさすがに行き過ぎかも)。

>のろのろと小説を書いていると他のアイデアが浮かんでしまい、
 今書いている方を挫折してしまうんです。


 ああ、ありますよね、それ。
 それも浮かんだアイデアを捨てずにその場で書くことをオススメします。
 んでもって今書いていた作品はそのまま残して置いて、
 他に書いている小説が行き詰まったときにそれを書けばいいのです。
 このことは蜂しずくさんもおっしゃっています。

 どうですか、少しは気が楽になりましたか?
 ではでは。


大川迪人さんからの意見
 何の解決にもならないことを申しますが、
 「小説を書くという作業は、基本的に時間がかかること」です。
 そんなことは分かっている、と言われてしまいそうですけど……

 文章の質を上げようとすると、その分一つの文章に費やす思考の労力が増します。
 結果、文章を書くスピードが落ちる。これは当然のことです。


 しかし、だからと言って速くすることが出来ない、というわけではありません。
 今までの自分の文章よりも質の高い文章を生み出そうと意識しながら書き続ければ、
 次第に質の高い文章を生み出す意識が自分にとってのニュートラルになります。
 つまり、以前は文章構成や文法に関して意識しなければいけなかった要素が、
 自分にとって自然のことになるんです。
 そうすると、脳を使用する方向性がそれなりに絞られてきて、効率は増す……筈。
 すいません、私も偉そうなことは言えないのですが、少なくとも自分自身の執筆スピードは、
 五年前と比べると速くなっていると実感していますので。
 
 私の結論としては、ともかく作品を作り続けることで、効率も良くなっていく、ということです。

 あと、一つの作品を執筆中に別の作品のアイディアが浮んでしまい、
 どうしようもなくウズウズしてしまう時のことですが、
 同時並行で行きましょうっ!
 (誤解の無いように言っておきますが、今日はこの作品、明日はあの作品、
 という風な意味ではありません)
 気になった作品があったら、そちらに手をつける。
 しばらくやっている内に、別の作品がどうしようもなく気になってくる。
 そうなったら、そちらに移行する。みたいな感じです。
 作品は、書きたい時が書き時なんです。
 気持ちの乗っている時にこそ、面白い作品を作れる。私はそう思います。
 時には無理をしてでも一本に打ち込まなければいけない場合もあると思います。
 (例えば大賞に出すつもりの時、など)
 そこら辺の匙加減は、人によりけりでしょう。

 長文失礼しました。


峰しずくさんからの意見
 私は印刷会社でタイピングしている人の姿を見たことがあるんですが、
 想像以上に遅かったのが印象的でした。
 プロなのに!

 しかし、よく観察していると、「打つ」ことそのものは、ものすごく速いんです。
 でも、しょっちゅう手が止まっているんです。
 なるほど、と思いました。彼ら彼女らの打つスピードに変換が追いつかないので、
 手を止めて変換を待ち、確実に目的の漢字に変換してから、次のタイピングに移っているのでした。

 これをせずにじゃんじゃん打つと、あとで変換ミスに気がついて戻ることになり
 かえって時間をロスするんだな、と勉強させていただきました。


 もちろん、このためには、正しいタイピングとブラインドタッチをまず習得ですね。


通りすがりeさんからの意見
 さて、どれだけ通りすがれば気がすむのでしょうか。それは私にも分かりません。

 まあ、ブラインドタッチについては皆さんが言っているので良いとして。
 私も文章力が上がったときに、速度が遅くなりました。
 とはいえ、それはたくさん書いているうちに解消されるのです。
 いえ、慣れてくると言ったほうが正しいでしょうか。
 そして、それにやっと慣れたときにまた文章力が上がり速度が遅くなる、と。
 で、また慣れて、また遅くなって……。

 私の実例を挙げてみます。
 最初は推敲自体が苦手でした。
 ですが、何度も重ねていくうちに文章力が上がったのかそれも短くなりました。
 加筆・修正すべき箇所が少なくなった……と言えば良いのでしょうか。
 それで、よくよく考えて見ると書く速度は遅くなっているのです。
 なぜか、書きながら推敲をしていたようです。で、それに慣れてきて速度が上がりました。

 よく分からない例ですが、私が言いたいことはひとつです。
 文章力が上がったはずなのに、速度が下がった――。
 なら、発想を逆転させてみてはいかがでしょうか(某ゲームの影響を受けています)。
 速度が下がったのは、文章力が上がったから――です。

 それが頻繁に起こるようであれば、それはまだ成長途中で、これから伸びるということです。
 私も昔(数ヶ月前)の作品と比べると、だいぶ文章のレベルが上がっています。
 いや、今でもその段階なのですけど……。
 ですが、それがなくなるというのは、どういうことでしょうか。

 簡単です。あまり言いたくないのですが、文章力の限界――ですね。
 ま、それは考えすぎかもしれません。スランプの場合もあるのですから。
 というわけで、その質問に関してはもっと成長してからすべきだと私は考えます。
 まずは、遅くてもいいからひたすら書くこと。
 日が浅いのなら、いくらなんでもスランプはないでしょうし、ね。


DoZunさんからの意見
 はじめまして。
 ペースを上げるには、みなさんが仰っているように、まずはブラインドタッチを習得すること。
 早く、確実に目的の語を打てるように練習しましょう。
 それに関連して(いるのかは微妙ですが)よく使う語で一発変換されないような語は、
 すぐに辞書に登録すること。漢字を一つずつ変換するより、かなり効率がいいです。

 ですが、小説を書く速さ自体は、ブラインドタッチとはあまり関係ないんですね。
 ここで挙がっているのは文字を打つ速さではなく、小説を書く速さなわけですし。

 その小説を書く速さを上げる方法ですが、これは回数を重ねること以外にはありません。

 今まで気にしていた表現方法や文章作法、独特の言い回しなど、
 そういった物は、回数を重ねていく内に、自然な物になっていく物です。
 執筆速度が上がらないというのは、それらを気にしてしまうため、
 自然と手が止まってしまう、あるいは先の文章構成が固まらないためです。
 慣れていけば、手が止まる回数も減りますし、先の文章構成も自然と頭の中で固まっていきます。
 つまり、文章力の上達こそが、執筆速度を上昇させる最大の方法というわけです。
 尤も、文章力の上達が即執筆速度の上昇に繋がるかといえば、答えはノーです。
 何故なら、文章力が上達して間もない頃は、
 上達した分の文章力を処理する(≒文章に反映させる)ために、
 それまでよりも時間が掛かってしまいます。
 しかし、繰り返しになりますが、回数を重ねていくごとに上達した文章力が自然な文章力になり、
 速度は上昇するはずです。

 続いて、他のアイデアが浮かんでしまうことについて。
 浮かんだアイデアは、必ずメモをとりましょう。
 それがどんなに短く、些細なアイデアであってもです。
 ノートであっても、Winのメモ帳であっても構いません。ネタ帳という名の備忘録を作るわけです。
 アイデアさえ残しておけば、そちらは後で書くことが出来ます。
 まずは今書いている方を進めつつ、アイデアが浮かんだらメモる、を習慣にしましょう。
 どうしても後から浮かんだ方を書きたい場合は、同時進行でいきましょう。
 また、先に書いていた方がどうしても行き詰まってしまった場合は、
 後から浮かんだ方を書いてみても良いと思います。
 Aという作品で使おうと思っていたアイデアがBという作品で生きていく場合もあります。
 また、Aを書いている時に行き詰まり、Bを書くことにしてみた時に、
 そこからAのアイデアが浮かぶこともあるでしょう。
 この問題は執筆速度が上昇しようとも、ついて回る問題だと思います。

 途中から少々脱線気味ですが…。
 長文・乱文で失礼しました。少しでもお助けになれば幸いです。



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国下さんからの質問  
 作品は完成させるべき?

 こんにちわ、国下と申します。

 以前から長編を書こうと思い立ち、三割ほど書いては消すといった作業を繰り返しております。
 なんとなく書き苦しくなると、消してしまいたくなって消してしまうのです。
 で、ここからをお聞きしたいのですが。
 もう発表する気がなくなってしまったような作品でも完成させた方が、
 レベルアップに繋がるのでしょうか?
 文章の腕前を上げたいと思う気持ちが逸るのか、書きさしの作品を推敲していると、
 嫌気が指してデータデリート……というのがしょっちゅうなんです。
 いや、書いた方が上達するような気もするのですが……
 苦しくなったら、どうすればいいんでしょうか?
 まとまりのない質問ですみません。


●答え●

 『ロードス島戦記』で有名なライトノベル作家、水野 良さんは、
 アマチュア時代、たくさんの未完結作品を書き散らしていたそうです。
 自分でも、こんなことでいいのかしら? と思っていたようですが、
 その時の未完結作品のアイディアが後に、
 『魔法戦士リウイ』などの作品の発想の元になったと語っています。
 このことから、

 修業時代の作品は必ずしも完結させる必要はないと考えています。
 また、それが後の作品の元になる可能性があるので、
 消去せずに残して置いた方が有意義でしょう。


 さらに言えば、プロの作品でも未完結のまま放置されているものというのが結構あります。
 作者急死のため未完結となった『トリニティブラッド』はしかたないとしても、
 伏線を張ったまま、何年も放置状態のシリーズというのは、探せばごろごろしています。
 どうしても描けないというのであれば、
 いったん筆を置いて別の作品に挑戦してもいいのではないでしょうか。


ヤオヨロズさんからの意見 
 はじめまして。
 ヤオヨロズといいます。以後お見知りおきを。

 私は、完成させなくても構わないとは思いますが、消去するのはやめた方がいいと思います。
 データを消去してしまっては、その作品の中に眠っているセリフの使い方、
 表現技法、ダメだとしてもどこがダメなのか?
 そういった部分まで消してしまうことになると思います。

 その作品がいいものであれ悪いものであれ、
 書いた文章はなるべく残しておくことをオススメします。


凪乃さんからの意見
 こんにちわ。
 私の意見を端的に言わせていただくと、書きたいものを書いてください、です。
 きつい言い方になりますが、「途中で書きたくなくなる」というのは、
 「最初から書く気があまりなかった」のではないでしょうか。
 本当にその物語を愛していて、書きたいという情熱があるのなら、
 執筆気力は最後まで続くはずです。
 文章力を上げるために書いているのか、その物語を愛しているから書いているのか、
 自問自答してみてはいかがでしょう。

 一つの物語を完成させる力というのは絶対に必要ですが、
 書きたくないものを書いて文章力が上がるとは思いません。
 本当に完成させたいものを書くべきと思います。
 
 もう一つ、データを消してしまうというのはおすすめしません。
 とりあえず残しておけば、後で読み返したときに自分の成長ぶりを測ることができますので。


ぱるさんからの意見
 
はじめまして。ぱるというものです。
 長編というのは、なかなか辛くて進まないものですよね。
 途中でダレたりどうしようも無くなったりすることもあると思います。
 私個人的な意見を言わせていただくと、
 書いた小説は出来る限り完結を目指して書かれてはいかがかと思います。
 ただ、次の話を思いついたら書きたくなるのもまた人間。
 そのときはその話は途中で放置して、新しい物を書くといいと思っております。

 とある小説ハウツー本を読んだとき、
 「途中で終わっている小説は、駄作にも満たない」という言葉を見たことがあります。


 実際、完結させないことには作品は評価の値にすらなりません。
 「面白くない」とも言ってもらえないものになります。
 これは私も同じ意見で、(放置プレイな作品も多いですけれども)
 とりあえず完結を目指して駄作を作り続けております。

 また、「無理」と思って途中放置したものも、時がたって見返してみると、続きを思いついたり、
 それをヒントに新たな作品を思いついたりすることもあったりするのですけどね。

 もし、上達をと思われるのであれば、
 私としては出来るだけ「完結」を目指していただきたいと思っております。
 兎に角全てかかれた上で、「何処がダメなのか」という評価をご自分で下すことも出来ますが、
 「続けられない」「なんかダレててだめ」と途中でやめてしまうと、
 ご自身でもそれ以上先に進めないのではないかと私は思います。

 しかし、かといって途中の辛い作品にずっと縛り続けられるのも辛いもの。
 まだまだ私たちはプロではありませんし。
 そこは放置で流しつつも、気持ちの上では
 「いつかは必ず完結させるぞ」っていうお気持ちでいらっしゃったほうがいいのではないか、
 というのが個人的な意見です。

 初めてで勝手言いまして失礼いたしました。


通りすがりeさんからの意見
 通りすがりが到着です。白線の後ろまでお下がり下さい。

 さて、本題。
 発表しなくても、書いたものは書いたものです。
 発表のためだけに書いているわけではないでしょう?
 さて、書き苦しくなったという理由は……何でしょうか。
 設定倒れ、軌道修正が不可能なほどに話がそれてしまった……それならまだいいです。
 というか、私の今書いている作品は、それらの失敗の上に成り立っています。
 何せ、小説の書き方もぜんぜん分からず、手探りで書いただけですから。
 手探りは当たり前ですけどね。
 ですが、書きたくなくなった――つまり、やる気がなくなっただけなら書き上げるべきです。
 また、よほどの失敗作(突発的に書いたせいで、ストーリーもキャラも文体も全てが破綻している)
 ではない限り、残しておいたほうがいいと思います。
 

あやめさんからの意見
 未完の傑作より完結した駄作といいます。
 書かれている作品がどのようなものであれ完成させないことには、
 他の方々から評価してもらうこともできません。
 そういった意味では何が何でも完結させるべきだと言えます。

 しかし私にも経験がありますが、書く気のなくなった作品に執着してばかりいては、
 そもそも文章を書くことすらできなくなってしまいます。


 上達するにはまず書くこととも言いますし、書けないのであれば放置して次に行くべきだと思います。
 書いたことや考えたことはきちんと残しておくべきでしょうね。
 また何かの拍子にふと書く気が蘇るかもしれませんし、
 書いたものがまた別の機会に活かせるなんてこともあるかもしれません。
 大切なのはやる気だと思います。国下さんがしたいように努力して、
 やがては初期に書いた作品を笑い話にできるようになったときひとつレベルアップです。
 お互い頑張りましょう。


峰しずくさんからの意見
 こんにちは。
 まず、書いては消す、というのは、どうかな、と。
 最終的に「完成させる」という前提にたって、書いてる途中に「あれ?」と思ったら、
 全部消してしまうのではなくて、「どこが良くないのか」を検討して、
 こまかく書き直しをしていく、というのがいいのではないかと思います。
 結果として「ほとんど書き直してるやん」ってことになっても、
 全部消して最初から書き直すのにくらべたら、クオリティーの高い作品になってると思うのです。
 8割ほど書き上げたときに同じ事をして、全部消してしまう、
 なんてことでいいのか、ということにもなりますしね。

 発表する気がなくなってしまった、といっても、最初は良いと思えたテーマが陳腐に思えて、とか、
 独創性にとんだ作品のつもりだったのが、
 既存の作品と似たり寄ったりだということに気がついたとか、
 あなたがその作品そのものに、価値を見出せなくなったのなら、放置してもいいと思います。
 けれど、推敲を続けているうちに嫌気がさして、
 と言う理由で放り投げてしまうのは、いかがなものかと思います。
 こんなレベルの作品を最後まで書いても、たいした作品にならない、
 と嫌気がさしてしまうのではなかろうかと思うのですが、
 でしたら、そう感じた以降の部分はより高いクオリティーで書くように心がけ、
 完成してから、手を入れていく、というのもひとつの手だと思うのです。

 それと、書き上げるための方法がいくつかあります。
 ひとつは、途中で「推敲しない」という方法です。
 どんなにヘタクソな表現があったとしても、あるいは、
 国下さんの本当の実力ならもっとレベルが高いものが書けたはずなのに、
 ノリで書いてしまってつまらない表現をしてしまったとかいう場合でも、
 そのままじゃんじゃん最後まで書ききってしまうのです。
 書き上げてから推敲すればいいし、その段階でもし、発表に値しないとおもったら、
 やめちまってもいいじゃないですか。
 もうひとつは、プロットを厳密に作っておいて、パーツごとに書き上げて、
 同一作品であっても、何度も何度も「完成」を繰り返して、
 最終的に長編になってた、っていう方法です。
 キャラが暴走する僕のような書き手には向かない方法ですが、
 それだってプロットが厳密であれば、プロットの方を手直ししてしまうとか、
 エピソードを追加して暴走部分のストーリーを吸収するとか、方法はあろうかと。

 実は僕も、かつては何度も作品を放り出していました。
 年齢がばれちゃいますが、当時は原稿用紙に書いていましたし、
 ワープロなんてのも高値のはない。(パソコンじゃないっすよ)。
 やっと手に入れたワープロは原稿用紙で100枚くらいしかひとつのファイルにしか保管できず、
 「加筆」がすごくしずらかったとか、色々ありました。
 しかも、発表媒体がまるでない。
 新人賞を目指していたわけですが、入選しなくては世に出ません。
 これはあとで気がついたのですが、書き上げたって世に出る確率はきわめて低いんだし、
 とシラけてしまったのだと思います。

 ところが、HPという媒体が出来て、発表できるようになっちゃったんです。
 途中で放棄しまくっていたという過去を持っていますから、
 色んな作品を書きたいのをぐっとこらえて、
 100枚程度の作品を、4回連載の予定で、書きあがった分から掲載しました。
 掲載すれば数は少なくとも読者はいるわけで、途中放棄するのはためらわれますから。
 そして、完結にこぎつけて、「よし、俺はやれる」と思った瞬間から、
 書きたいものは連載中が増えようとも、どんどん新連載開始させていったわけです。

 現在、7作品同時連載中というとんでもないことになっていますが、
 これも実は作品を放棄しないひとつの方法だったりします。
 行き詰ったら、とりあえずおいといて、他の作品の続きを書く。
 7つはやりすぎですが、4つほどあれば、だいたいどれか書けますよ。
 そして、最後に。

 自分の作品が、ヘタクソでイヤになる、のだとしたら、それは腕前が上がっている証拠です。
 
 腕前が上がるほど理想が高くなり、さっき書き終えたばかりの作品がイヤになるものです。
 一方、書き上げた直後は別として、
 いつまでたっても常に「良い出来だ」と自分の作品を評価してしまうようでは、
 その人は文章の高みをしらないわけですから、ちっとも腕前が上がっていない、ということです。
 一般論ではありますが、そう考えると、国下さんの作品は、悪いものではないと思うのですけれど。


mayaさんからの意見
 こんにちは、mayaです。
 時おり、わたしも自信がなくなるときがあります。
 特に、コメディ(わたしの場合はキワモノ小説ですが(笑))の推敲をしているときは、
 書いていたときの勢いを失い、つい自暴自棄になることがたびたびです(ナニ)。

 さて、一つの事例をお届けします。
 トニ・モリソンというアメリカの女流作家はある作品をお蔵入りさせました。
 ところが、数年後、突然その作品を完成させたくなったそうです。
 彼女はそのときの経緯をこう述べています――

「作品を書きはじめたとき、私にはそれを書けるだけの実力がなかった。
 そのことで思い悩み、しばらくは作品そのものを忘れてしまった。
 でも、しばらくして、急に書きたくなった。
 きっと、そのテーマに肉薄できるだけの力がついて、
 私は初めて作品をしっかり掴めたのだと思う」(概要のみ)

 これはノーベル文学賞受賞作である『青い眼が欲しい』(ハヤカワepi文庫)の創作エピソードです。
 詳しいことは、同作の「あとがき」にありますので、参照くださいませ。

 ところで、小説が書けないという理由はいくつもあると思います。
 日常生活の猥雑さ、気分のむら、テーマの未消化、基礎的な筆力不足など、
 挙げれば切りがありませんね。
 わたしは国下さんとリアルなおつきあいをしているわけではないので(汗)、
 適切なアドバイスはできませんが、ご質問へ簡単にお答えいたします――

1)もう発表する気がなくなった作品でも完成させた方がいいのか?
 それが技術的な問題で書けないのなら、書き続けた方がいいでしょう。
 しかし、キャラクターやテーマの未消化が原因なら、いっそお蔵入りしてしまったいいかと思います。
 どちらに当たるのかを判断するのは、国下さん自身ですね。

2)苦しくなったら、どうすればいいんでしょうか?
『魔女の宅急便』の絵描きのウルスラさんも言ってました(笑)――

ウルスラ「書いて書いて書いて書きまくる!」
キキ「それでもダメだったら?」
ウルスラ「そのときは描くのをやめる。景色を眺めたり散歩したり他のことをする。
 そしたら急にまた描きたくなる」
キキ「ならなかったら?」
ウルスラ「なるさ」

――宮崎駿さんから、表現をする人たちへの強烈なエールですね。
 わたしはこの言葉がとても好きです♪
 ガムバって……と無責任でありきたりなことしか言えませんが、
 苦労したあとには必ず得るものがあると思いますよ。

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とんびさんからの質問  
 容姿を表現しない人物描写について

 はじめまして。
 突然ですが、人物(特に主人公)を描くとき、
 服装や容姿は書かずに仕草や口調、
 そして考え方だけでその人物を読者に想像させるのってありでしょうか。
 このサイトで言われているような美少女や美少年をあからさまに書きたくない時に使う手口ですが、
 いまいち自信が持てません。
 最低限これだけ守れば、というのがあるのなら教えていただけないでしょうか。


●答え●

 さまざまなプロの作品を読んできて気づいたのですが、
 主人公やヒロインなど、物語の中核を成すキャラクターには、
 容姿についてそれなりの描写がされています。
 どんな姿をした人物かわからないと、物語のシーンをイメージできないからでしょう。
 どこまで詳しく描写するかは、作家によってまちまちで、
 比喩や語彙を駆使して、ものすごく濃く描写している方もいれば、
 さらりと必要最小限の描写ですませている方もいます。
 
 ただ、一人称小説では、主人公の容姿についてあまり触れてないものが多いです。

 一人称小説は、主人公の視点から世界を見ている形式を取っているので、
 自分は観察対象に入らないからでしょう。
 また一人称小説の地の文は、主人公というフィルターを通した、
 彼(彼女)の主観が入ったものになります。
 そこに、自分の容姿についての描写を入れると、『美しい』『整った』と表現すればナルシスト、
 『醜い』『平凡』とすれば、自己評価の低い人物であると、読者に受け止められる可能性があります。
 そういった理由からも一人称小説では、
 主人公の容姿にあまり触れない傾向があるのだと思います。
 一人称の場合であれば主人公については、
 仕草や口調、考え方といった内面に関するものだけで、
 読者に人物像をイメージしてもらうのもOKだと思います。
 
 最低限これだけを守れば……というのは、ちょっとわかりませんが、
 年齢、性別くらいはわからないと、読み手としては困りますね。


通りすがりe さんからの意見 
 通りすがりの意味を調べました。私の行為は通りすがりではないようです。
 まあ、言ったもん勝ちということで。

 それはさておき、本題です。

>人物(特に主人公)を描くとき、
>服装や容姿は書かずに仕草や口調、
>そして考え方だけでその人物を読者に想像させるのってありでしょうか。


 一言で言えば、ありです。
 そういう手法でも問題ありません。
 しかし、それには相当な技術がいると思います。

 人によってイメージする人物が全く違うことになる可能性もあるからです。

 それを目的としてやっているのなら問題ありませんが、そうでない場合。
 それまで共感できていたのに、ある言動でイメージが崩れる可能性が高いです。
 例えば、口数が少なく動作も最小限な人物(男)を書いたとしましょう。
 私の場合イメージするのは「寡黙な探偵」みたいな人物です。
 ですが、人によっては「弱気な少年」「怠け者」と思う可能性もあります。
 それを考えると、並大抵の技術では難しいでしょう。
 
 また、服装や容姿についてですが。
 服装は必ずしも重要ではないと思います。
 ファッションに興味がない人にとっては理解できませんし、
 センスがないとそれだけで読む気が失せます。
 まあ、どこかの王族だったり、貧乏な少女だったりする場合は、
 服装でそれを表現するのもありですね。
 容姿については……主人公の一人称視点ならあまり詳しくしないようにしましょう。
 三人称なら、詳しすぎなければ問題ありません。


 最低限これだけ守れば……ということですが。
 語彙力と文章力さえ鍛えれば、あからさまに書いても不快な印象は与えません。
 まあ、それが難しいのは承知済みだと思います。
 しかし、あからさまに書くことを一切しないのにも、同じくらいの技量を必要とします。
 いえ、あからさまに書くよりも難しいかもしれませんね。
 となると、最低限守るべきことはおかしな文章にならないように注意する……
 ということになってしまいます。
 これだと、参考にもならないでしょうね。

 そこで提案ですが、容姿は最低限に留めておくというのはいかがでしょうか。
 周囲の反応から、それとなく伝える……
 とりあえず言えることは、
 最低限にするにしても「美しい」「綺麗」「かわいい」だけで終わらせないことですね。
 どこがどう美しいのか。どうして綺麗と思ったのか。なぜ彼女はかわいいのか。その理由です。

 比喩や隠喩を考えることも重要です。上手い比喩ができれば、それだけで想像できますから。

 タブーとしては、まるで「有名人の誰か」のようだ……という表現ですね。
 もしくは、まるで「ゲームのキャラ(美形)」のようだ。


 人それぞれの好みもありますから、あなたが好きでも読者の方は嫌悪感を抱く可能性もあります。
 そして何より、「――って、誰?」と思われるかもしれません。


大川迪人 さんからの意見
 こんにちは。
 まず、私としては、

 三人称の作品で容姿に関して全く言及しないのは「ナシ」だと思っています。


 美少女や美少年をあからさまに描きたくない時、というのは私も分かります。
 ですが、現実において外見で第一印象が決まるのを考えると、
 やはり外見の描写も少しはなくてはならないでしょう。
 特に、主人公は強烈な個性を求められる場合が多いです。

 内面は勿論、外見の個性によって主人公に特徴を与えている作品はよく見かけます。

 それでも、外見の描写の為だけの文章を避けたいという場合は、
 服装や容姿を人物の行動に交えて表現する、というのが有効な手段だと思います。
 例えば、
「肩まで届く黒髪を跳ね上げ〜」
「切れ長な瞳を見開き〜」
「カッターシャツのポケットから煙草を取り出し〜」
 みたいな感じですね。
 ただし、際立って目立つ要素がある場合は、先に描写してしまいます。
 帽子、(物語に関係してくる)アクセサリー、白髪、巨体もしくは小柄、などです。
 これらの要素は先に出しておかないと、あとあと行動に絡めて描写した際などに、
 違和感を読者に与える危険性があります。

 あと、最低限これだけを守れば……という要素は、作品によって変わっていくと思います。

 例えば、日本を舞台にして、日本人ばかりが登場する物語だと、
 黄色人種の特徴をわざわざ改めて書く必要はありません。


 ブリーチしていなければ髪は黒色ですし、瞳も黒色です。
 肌の色も、色白か色黒ということでなければ、描写の必要はないでしょう。
 
 つまり、外見に関しては、最低でも人物の個性だけを描けば十分でないのか、
 というのが私の結論ですね。


 ちなみに、一人称の場合は、無理に外見を描写する必要はないでしょう。
 他の人物達の反応から窺える場合もありますしね。
 以前に私が書いた一人称の作品でも、主人公の外見に関する描写は
 『主人公の女が、窓ガラスに映った化粧の薄い自分の顔を皮肉る』程度でした。

 完全な私見ではありますが、以上です。


峰しずく さんからの意見 
>人物(特に主人公)を描くとき、
>服装や容姿は書かずに仕草や口調、
>そして考え方だけでその人物を読者に想像させるのってありでしょうか。

 アリだと思います。
 むしろ、物語上必要でなければ、服装や容姿は書くべきではないでしょう。
 仕草や口調や考え方で、キャラクターは成立するはずです。

 ただ、たとえばキャラが、必要に応じて(たとえば就職活動とか冠婚葬祭とか)で、
 それに適した服装に着替えるとします。
 「TシャツGパンという普段着から、スーツに着替えて」としたときに、
 「うそ、この人、普段TシャツGパンなの? キャミとミニスカートだと思ってた」
 と読者に感じさせてはいけません。
 なので、キャラつくりの段階で、そういうことを注意しておくのと、
 それが難しそうであれば、最低限の服装の描写をどこかにさりげなく書いておくといいでしょう。

 最低限、というのは難しいですが、小説を書いているときって、
 少なくとも作者は頭の中で絵を思い浮かべていると思います。(私はそうです)

 それを文章にするかどうかは別として、
 頭の中でそれぞれのシーンをしっかりとイメージすることが大切だと思います。


 それから、芸能人や時代が限られた有名人をたとえに使うのはやめておいたほうがいいでしょう。
 僕はそういうのを読まされると、「陳腐だなあ」と思ってしまいます。
 もちろん、そういうことをやってる作者は、
 その芸能人が誰のことだかさっぱりわからないような後世まで残る小説を書いてるわけじゃない、
 ということ理解しているからでしょうけれど。

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