quia*さんの質問 2013年09月16日
果たして自分はラノベ作家になれるのだろうか。私たちは、日々不安と格闘しています。
俺には才能がないから無理だ。できっこない。でもデビューしたい。どうすればいいんだ。誰か教えてくれ。助けてくれ。
そんな迫り来る重圧を振り払うために、我々は自分に言い聞かせます。大丈夫だ。きっとなれるさ。自分を信じて頑張ろう。藁にも縋る気持ちを込めて。
そして、確たる根拠もなしに自分の将来が希望に満ちているはずだと勝手に妄想しながら、執筆活動を再開します。
ところが、そんな楽観的な将来像に影を落とすかのような記事に遭遇しました。
記事の要旨自体は「創作はネトゲ以上に時間を消費するからやめておけ」というものです。
有名な話題ですが、ネトゲ廃人のプレイ時間は二万四千時間に達するとも推測されており、旧司法試験の勉強時間が二万時間であることと比較すれば、ネトゲ廃人がいかに壮絶なプレイをしているかが理解できるでしょう。
そして、筆者曰く創作はそれ以上の時間を費やすと言われているのですから、ラノベ作家になるのにどれだけの覚悟が必要なことか。考えるとゾッとします。
ですが、本題は別にあります。
時間云々はこのサイトでも既に言及されているので、人によってはそこまで気にならないかもしれません。そんなの知ってるよ、と。
では、何が問題なのか。それは「ライバルの増加」「技術の発達」「低年齢化」です。順番に見ていきましょう。
今やラノベレーベル大乱立時代です。最近ですと講談社ラノベ文庫やオーバーラップ文庫、加えて「小説家になろう」を筆頭としたネット小説界隈もこの競争に参加するようになりました。
これだけだと「作品の送り先が増えていいじゃないか」と嬉しくなるだけで終わりそうですが、受け皿が増えたということはその分「志望者が増えた」ということでもあります。
第二十回電撃小説大賞への応募数が七五○○を超えたのは衝撃的ですが、他のレーベルも徐々に応募数が増加しています。実際、第九回MF文庫Jライトノベル新人賞では一九五六、第五回GA文庫大賞では一二八七もの作品がしのぎを削っているのです。大企業に就職する以上の倍率なのです。
また、インターネットの発達により、ラノベについて議論することもすこぶる容易になりました。
何か質問したいことがあれば2chやこのサイトで手軽に聞くことができます。また、「売れるラノベは何か」「主人公の年齢はどうすればいいのか」「ラノベと一般文芸の違いは何か」といったような議論も頻繁にされているので、創作理論を調べるのには事欠きません。数年前とは違い、今や情報は洪水のように溢れています。「応募者の多くはラノベ執筆の知識を知らなかった」という時代ではないのです。
技術の発達により、ライバルに打ち勝つためには更なる実力を身につける必要に迫られました。
ラストは最も厄介な問題、低年齢化です。
皆さんもうすうす気づいているでしょう。「クリエーターが低年齢化している」ことに。
例えば『青春サイバーアクション漫才ハードボイルドコメディな転校生』のイラストを手がけた当時、とばりさんは現役女子高生でした。
また、女子中学生の間に一大ムーブメントを巻き起こした『カゲロウデイズ』の作曲者(ノベライズも手がけた)で有名なじん(自然の敵P)さんは一九九○年生まれの二十二歳です(公式ブログ参照)。
以上はたった二つのサンプルですが、調べてみればいくらでもこのような例(特にイラストレーターに多いです)は発見できます。最早未成年の内に実績を上げないといけない時代になりつつあります。
このことは、最初に引用したはてなの記事でも言及されています。
梅田望夫がかつて語った「高速道路効果」は今でも健在で、プロは勿論、素人アマと競うことですら、今は前提とされるスキルレベルの平均が上がりすぎています。
pixivで高校生・大学生ユーザーが商業ラノベ絵クラスの絵をホイホイ描いているのがいい例です。
彼らはアマですが、ド素人が彼らのレベルまで追いつこうとするとそれこそ500時間や1000時間では効かないくらいのスキル鍛錬投資を求められます(時間的な意味でも金銭的な意味でも)
初音ミクで楽曲を作ろうにも、2007年頃のニコ動初期とは比較にならないクラスまで初音ミク曲のレベルも上がっており、当然視聴ユーザーの耳も肥えまくってるのでまともに聴いてくれる人を確保しようと思えばこれまた途方もない長い鍛錬の日々の始まりです。
正直なところ、こんな状況でデビューの可能性などあるのでしょうか(現在中高生の人は別として)。
そして、仮に出来たとしてもその先生き残れるのでしょうか。
●答え●
3つ、大きな勘違いをされているようです。
1つ、人間は本質的に怠け者です。才能引き出すために最低限必要だと言われている一万時間の訓練時間を突破できる人が、そもそも少ないのです。
ライバルは勝手にドンドン脱落していきます。なので、焦らず牛のように、ゆっくり歩んでいけば良いのです。夏目漱石もそう言っています。
どうぞえらくなってください。しかし、あせってはいけません。牛のようにずうずうしくすすんでいくことがだいじです。牛になることはどうしても必要です。わたしたちはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなりきれないのです。根気です。世の中は根気の前には頭をさげますが、火花は一瞬で忘れてしまうでしょう。
小説家・夏目漱石
2つ、人生の本質とは「無駄」です。文化の本質とは「遊び」です。
すべての趣味は、それを好きではない人から見たら時間の浪費、アホくさいことにうつります。
私は20歳の頃、自転車旅行が趣味で、仙台から群馬まで真夏に3日かけて自転車で野宿しながら旅行したことがありましたが、職場の上司から、バカじゃねぇの? と言われました。しかし、同じようにサイクリングが好きな人からは、興味を持たれました。そんなもんです。
なので、創作を時間の無駄だと思えるのならやめるべきです。
逆に、楽しくて、例えメジャーになれなくても、創作をし続けることを有意義だと思えるのなら、続けるべきです。
たった、それだけのシンプルなことです。
3つ、プロ作家デビューしても、名声もお金もあんまり手に入りません。それが手に入るのはトップクラスの人だけです。
トップクラスのクリエーターとは、ご存じの通り、化け物ぞろいなので、普通の人は太刀打ちできません。街の喧嘩自慢が、範馬勇次郎に喧嘩を売るようなモノです。
なので、創作の目的を名声やお金にしない方が良いです。
楽しいかどうか? やりたいかどうか? それだけを判断基準にしましょう。
お金を稼ぎたいなら、コンビニでバイトした方が、本を書くよりよっぽど実入りが良いと、知人のプロ作家が語っていました。
私の昔の知り合いに同人ゲームを作っている人がいました。
その人は、ゲームが大好きで、毎日、ゲームをやっていましたが、ゲームをやることが生き甲斐なので、時間の浪費とは感じないと言っていました。
私はゲームは時間の無駄だと考えていたので、この考え方は衝撃的でした。
好きなことを見つけて打ち込む、それは本人にとっては幸せなことです。しかし、それに価値を見出さない人にとっては、馬鹿臭い時間の浪費にしか見えないのです。
こんにちわ、蛇の目です。
ソースの記事を拝見しましたが、つっこみ所満載ですね。このような記事は参考にすべきではない、と私は思います。 要約すると「創作趣味は時間ばかりかかる上に稼げないのでやめたほうがいい。それなら資格を取るなりしたほうがよほど金になる」でしょうか。
私は「金を稼げる趣味ってなんだ。そもそも趣味は金を稼ぐためにあるのか?」と反論します。
映画を見る、読書をする、旅行をする、車でドライブする。みんな大なり小なりカネのかかる趣味ですが、それに収入を当てにする人がいるのでしょうか。
この記事を書いた人は有意義な時間とお金の使い方、人生の豊かさについて学ぶべきでしょう。
次は、競争率の激化ですかね。
確かにネットの普及によって発表の場が増え、競争は激化しました。質を問わなければ小説など吐くほど読むことができます。
ライバルが増え、知識も技術も要求される。ならば、知識を蓄え、切磋琢磨すればいいだけの話ではないでしょうか。
ラノベ黎明期には競争相手が少なく、大した知識も要求されなかった、というのは誤りであると考えます。当時のラノベはレーベルも少なく、「字マンガ」とまで呼ばれる始末で、逆に受け入れ先を見つけることが困難だった。作り手側も試行錯誤の連続だったように見えました。
黎明期はライバルが少ない代わりに、自ら開拓していくだけの実力が必要だったのです。これはどの業界も同じです。
次は低年齢化ですが、ラノベの新人賞に年齢足きりがあったという事例は聞いたことがありません。事実、電撃大賞で30代の人が受賞されていたりするので、関係ないと思います。
私たちのデビューの可能性ですが、少なくともゼロではありません。出せる賞があり、受賞者がいるのですから。その先生き残れるかどうかは本人の才覚次第ですかね。
ここまで質問者様の話を聞いていて、労力ばかりが取り沙汰されるのですが、質問者様は楽がしたいのでしょうか。それならば創作はおやめになったほうがよろしいかと思います。
なれるかどうかが問題じゃないので。
作家になれるかどうかで悩んでいるようならば、作家になったあと続かないと思いますよ。
辛いのならば、いっそ長い休憩をとってみては? それでまた書きたくなったら書いてください。
うーむ。
ちょっときつく言わせてもらいますよ?
一例ごときに何をそんなビクビクするのか…。
世の中はそこまで小さく無いです。可能性も非常に多くありますし。
『売れる可能性が無いなら初めからラノベなんて書かない』
なんて偉い極論ですよ。
努力無しに何を結果、結果と言うのですか?
報われないかも知れないから最初から諦めるのですか?
…やる気がなけりゃ辞めれば良いのです。
やる気の無い人が創作やったって苦痛なだけですし。
理由をつけて諦めたいだけならいつでもご自由に、というところですかね。
仰りたい事は判るのですが、出来ればもう少し短く纏めて出して頂けるとありがたいかと。
私は色々考え過ぎるので、これ以上は難しいかと・・・
日々をどの様に過ごすのかを決めるのは本人次第。
己が決めて、それを自分で実行するだけかと。
どの様に、何を楽しむべきかを決めるのも、それぞれだと考えております。
経験を積み重ね、研鑽を続けるか否か、才能が無いならないなりに失敗を積み重ねるべきではないでしょうか?
失敗した経験から見出した答えを見出し、次への糧へと変えるべきだと考えます。
その中から、余計なモノとして見えるモノ、不足していると思えるモノを足すなり削るなりして、今があるかと思われます。
物事は積み重ねであり、それを積み重ねる事が出来たからこそ、第一線と言われる場に立つ事が出来るのでは?
ホイホイとその場に立てるほど甘くはないかとも思われます。
デビューの可能性に関しては、中高生ならと限られるモノではないと思われます。
伸び代という点では侮れませんが、経験の差であるなら一日の長があります。
読み、積み重ねた読書量、経験値に追い付けるかは、読み続けたとしてもその時でないと読めなかったり、経験できない事が強みでは無いかと考えてみます。
なので、一概に低年齢化と言われたとしても、それは作り易く、発表しやすくなり、それを拡散しやすくなっただけかと。
それがし易いのがある一定の年代に顕著だったと言うだけかな?
大人を舐めたらいけませんよ。それに慣れれば、低年齢化などと言ってもいられなくなるかと。
人口的には未だ大人の方が多い訳ですから、これから試しに作ってみようと言った方が出ないとも限りませんよ?
さて、生き残るかどうかは何とも。
現実に生きて残れるのかもどうなんでしょうね?
最近は若くして亡くなる方も多いので、その先を現実的に断念せざるを得ない作品も増えて来ている様です。
私は気楽に気長に楽しむ事を目指しております。
デビューそのモノは二の次、三の次。
書き続ける事、考え続ける事を趣味として見たいかな?
それによる副産物としては、多様な考え方・捉え方が出来る事かと。
パワハラ・テクハラは、何時それが逆転したとしてもおかしくはない。
下が育てば自分はその下に付く可能性もある。
技術は日々進化し、自分の頃とは違ったモノとなる時も。
ブラック会社は、戦力で無くなった時点で、自身も切り捨てられる存在にもなり得る。
この様な考え方も出来るのではないかと、それでもそれを続けるのであれば、想像出来ない凝り固まった思想でしか無いかな?
育つ可能性を見るのか、即座に使い捨てられる便利なモノと見るのか次第かな?
如何に楽しみ、次への楽しみを見出せるか次第かとも。
何に価値を見出せるか次第では?
私はこの様に考えて見ましたので、そのままにお返しします。
如何に楽しみ続ける事が出来るか次第では?
その事を不毛に思うか、有意義と捉えるか次第かと。
不毛と捉えれば、全ては不毛に帰すでしょう。
有意義と捉えれば、意義のある所を見出せるようになるかと。
失敗からその失敗した原因を探る事も出来るのでは?
失敗を投げ出したなら、それは不毛な失敗でしか無いかと。
失敗を有意義な失敗例に変えてこそ、次へと進める足がかりに出来るのでは?
つい最近の記事で見たのですが、99歳でデビューされた詩人さんがいらっしゃいましたよ。