結論から言うと、『それは別にパクリじゃないと思うよ』ってことになります。でも、モヤモヤが残ると思うんで『パクリなんて気にするほどじゃないさ』と『それでも気になるなら、こういう方法をとってみよう』の二編でお送りします。
①
若干哲学的な話にもなるんですが、質問者さんは『学習』と『パクリ』をどれくらい区別して考えていらっしゃいますか?
昨今、学習型AIなんてのが問題視されていますが、根本的には人間も『学習』した物をベースにしなければ物を作れないのですから、構造上は同じ問題を抱えているとも言えます。
一方、他者の作品を真似る事を『盗用』と評するなら、『小説
という作品形態』を真似る事すら、一種のパクリと言えてしまいます。
モノを作るにあたっては、既存の物を見て学習しないといけないのに、類似点が多ければパクリとそしられることになる。とても面倒だと思いませんか?
そして多分、読者の側も『これパクリじゃね?』と思う事に疲れてると思います。だから、よっぽど徹底的にパクらない限りは問題ないでしょう。
キャラを似せ、現代異能モノに書き換えて、歴史上のキャラを登場させて、ようやく『パクリだろコレ』と言われるレベルだと思いますよ。
『真面目なキャラクター
が、悪い権力者にキレて思わず詰め寄る』というシーンを見るたび、「メロスかな?」と思いますし、もっと言えば『食べ物に釣られるヒロイン』を見るたび「桃太郎で見たな」とも感じます。でもまあ、あんまり気にならないでしょう。これは極端な例ですが。
別の言い方をすれば、『テンプレ』というものです。売れてる作品の真似をしても怒られないのはなぜか。『ちょっと似てるけど、大体違うからいいか』で許されるからです。
ここまで読んだうえで、質問者さんにもう一度考えてほしいんですが。ご自身の作品はそんなに分かりやすく『Fate S/N』のパクリですか?
ぶっちゃけ『憧れがあったからちょっと似てしまった』ですむ話じゃないですか?
でもってついでに言うなら、そもそもの『Fate』自体が、言いだせば既存作品との類似点が多いんですよ。
伝説上の人物をキャラに登用しているのも、『パクリ』と言いうる点ですし、『ヤクザの女教師』と聞いてヤンクミを思い浮かべた人も多いでしょう。聖杯戦争だって根っこはデスゲームのテンプレです。
なんならウィキに『その骨子は原作者である奈須きのこが『魔界転生』を模倣して中学生時代にノートに書き連ねていた「真の中二病作品」であり』とある通り、模倣から始まった創作なんです。
声を大にして言いましょう。どんな名作だって、根本的には『どっかで見たなコレ』の集合体に過ぎないと。仮に既存の小説でなくとも、自然の風景や人間の心情を文字に写し取るのが著作なのですから、似通っていくのは当然とすら言えます。
②
その上でなお、自分の作品を安易なパクリじゃないかと思うのであれば。『似てるな』って思ったうち、簡単に変えれそうな点を変えればいいんです。
上で書いた通り、根本的に我々は『見たもの』を模倣して物を作ります。それは本能なんです。あとは、それを自任して変えればよろしい。
例えば、話の大筋として『姫と主人公が踏ん切りをつける』ための展開として、皇太子による強姦イベントが起こる訳です。
逆に言えば『皇太子の策に嵌められた姫は、後に引けなくなって皇太子と正面衝突する形となり、主人公に協力を求めて覚悟を問う』としたとしても、道理は通ります。だいぶマイルドですけど。
これなら、ヘブンズフィールの流れから外れるでしょう。
あるいは、別視点で言えば『パクった程度であれほどの名作に叶うものか!』と自分を叱咤するのも手でしょう。
めっちゃ性格が悪い事言いますが。質問者さんが描いた作品が、実際に流通に乗って『Fateのパクリだー』なんて騒がれる可能性、どれくらいあると思います?
安易なパクリで太刀打ちできるほど、エンタメ業界の人々は甘くないんです。
そして二段階目を言えば、世にどれだけ『パクリ』呼ばわりされている作品がある事でしょう。美少女バンドのアニメが出るたび『けいおん! フォロワーのアニメだ』と言われる光景、見覚えありません?
でも、そういう作品にもちゃんとファンはいるし、ちゃんと売り上げを出してるんです。だから、安心してパクればいいとも思いますよ。おおまかにパクっててもいい作品になることは証明されてるんですから。
最後にもう一度言いますが。
模倣というのは、根本的に人類の本能です。無意識にしてしまうのも当然です。
というよりも。人類史単位で見た時にですね。模倣技術がないと学習効率がダダ下がりし、文明の発展がほぼ不可能レベルで遅れ、社会規範が保てなくなって群れが崩壊します。
FGOやってます? ラフムっているでしょう。奴らのなにが怖いって、人類文明を模倣する所なんですよ。だから統率の取れた軍隊行動がとれるし、世代交代を経ていない状態でも嗜虐性などの高度な感情を見せる。
だから敵として厄介なんです。
模倣技術ってのは、要は『社会動物としての優秀さ』の指標なんですよ。
無意識の模倣に罪悪感を感じるなんてとんでもない。人類らしいことを誇りなさい。
で、これを自分でやるのが無理だと感じたなら、心の中に言峰神父を飼いましょう。概ね皮肉でしょうが、多分素晴らしいといってくれますよ。
こんにちは。
ご意見を頂きまして、ありがとうございます。拝見致しました。
読んでいて、思わず「確かに……」と声に出してしまいました。
『学習』と『パクリ』の項とか、まさに私が日々戦々恐々としている疑念そのものです。
自分語りになってしまいますが、私はちょっと神経質を通り越して強迫観念っぽい気質があります。
小説
を読んで「この四字熟語カッコいいな! よっしゃ、自作に取り込もう!」と決心した次の瞬間には、「いや待て、これって……盗用?」となって勝手に一人発狂しだす事例は枚挙にいとまがありません。本当に、お笑い種なのですが。
そうですよ。仰る通り、冷静に考えてみて、そもそも私みたいなちんちくりんの私小説が日の目を浴びて、賞賛はおろか袋叩きにされるなんて事態起こりようがありません。
夜分の質問だったにも関わらず、貴重なご意見を頂きありがとうございました。
ひとまず落ち着いて、心に麻婆を飼い、またじっくり自作に向き合ってみようと思います。