一人一人掘り下げるってことは、たぶん偶像じゃなく群像劇だと思うのでそう解釈して回答すると、
まず群像劇ってのは主人公が複数いる形、ラノベ
だと成田良悟のバッカーノやデュラララが有名だと思う。あとはFateZeroとか奈須きのこ以外のFateシリーズ。
基本的に群像劇のコツは話の中心になる設定を作る事で、これをめぐる話、あくまでイメージで言うと主人公(人物とは限らない)以外の複数視点で主人公を語る話みたいな感じ。だからFateの聖杯の争奪戦とかあるいは何らかのデスゲームで生存権の争奪とかに良く合う手法。
ハリウッドでパニック映画が流行ってた時期は、アルマゲドンとかディープインパクトとかインデペンデンスデイとかテーマになるパニック要素(話の中心)を多角的に表現するためよく使われていた。
でも、スレ主さんの書かれてる物語は、特定の女主人公が設定されてて他クラスメイト男子と差別化されてるように読めるので、ここでなんか齟齬があるのではないかなと思う。
それだと主人公そっちのけでサブキャラにスポットを当ててるだけで、これが過ぎると「サブキャラはもういいよ」って状態にもなったりする。
なので、いまいちど何がしたいのかを考えてみるといいと思う。群像劇がやりたいのか主人公の物語を書きたいのか。
群像劇がやりたい場合は特定の主人公はいないので女主人公に対するウェイトを少し減らして、物語の核になる設定を据えるべきかな。群像劇における全ての主人公が注目する要素ね。
そうすると読者は「女主人公の話を追う」のではなく「全ての主人公が注目してる要素を追う」ことになるので、”かなりのキャラ”が実際そんなにストレスにならなかったりします。バッカーノも新人賞応募作の段階でキャラ数20人くらいいたような気がする。
プロット
は、群像劇の場合はキャラに応じた数だけの物語を作りましょう。主人公格の視点が5個あるのなら5個の物語をつくる。
そんで、その5個のストーリー
ラインを箇条書きにしてみて、この5個の物語の箇条書きをバラバラにして時系列順に一個にまとめ再構成する。修正・変更ないし伏線なり補足なりのシーンを追加して、多数の視点が交錯するプロットが出来上がる。最初から一個の長編で作るんじゃなく、5個の短編って気持ちで作ったほうが良いと個人的には思う。あくまで個人的な方法ね。
また、群像劇じゃなく主人公は女主人公で固定で視点をサブキャラに動かしたいんだって話であるなら、基本的には主人公の印象が薄れてしまうのでそんなに視点を移動するのはラノベでは推奨されない。
基本的には主人公の話として主人公視点で語るべきだと思う。けど、それはあくまで基本だから、「サブヒロインAから見た主人公像」とかならアリだと思うし、群像劇の説明で語ったけど「追うべき物語の中心」がブレないなら問題ないと思う。あとは例外として「物語の前提」も主人公以外の視点でよくあると思う。
つまり、主人公視点で「サブヒロインAの異変に気が付き問題を明確にした後」とかならサブヒロインA視点で「主人公に知られると巻き込むから避けていたとか、問題の本質はコレで敵本拠地に乗り込むぞ! うわーやられた、ピンチだ」からの主人公視点に戻って「助けにきたぜ。ドン!」って展開は、視点が動くけど問題ないと思う。
序盤の主人公視点で「追うべき話」を明確にしてるから、視点が変わっても「追うべき話」がブレないためですね。
よくあるおちいりがちな失敗例としては、「一方その頃」みたいなノリで視点移動しちゃうヤツですね。
これも話題リセットっていうメリットがあるからダメではないが、物語がぶつ切りになっちゃうので多用するとわけがわからなくなってまとまりがなくなる。
ということはつまり。
>一人一人掘り下げながら仲間を増やしていく、みたいな展開にしたいのですが、どうしても新規キャラが勝手にでしゃばって、気づいたら物語の序盤でかなりのキャラが出てきてしまい
そもそも、一個の物語でスポットを当てるサブキャラは一人だけ、と決めておく。
「追うべき話」は序盤で「主人公の話」から「サブキャラの話」にシフトしてバトンタッチするわけだから、「サブキャラの話」に主人公が介入して解決する内容になる。そしたらそれ以外は入れないほうが良いから、該当の「サブキャラ」一人しか掘り下げられないし、二人も三人もやるなら群像劇にしたほうがいいってなる。
おそらくは後の展開でスポットが当たるサブキャラの伏線的シーンや言動として印象付けたい、この気持ちが勝っちゃってサブキャラが主張しまくってるんじゃないかなーと思う。
その場合、方法論とかじゃなく、そもそも何の話をしていて何が重要で何が余計なのかを理解・把握するしかないと思う。
要するに、はっきり言っちゃえば物語の焦点が定まってない・何の話なのか曖昧というのが根本的な原因かなと。