明けましておめでとうございます。
昨年は、質問にお答えいただきありがとうございました。
お聞きしたいのですが、おもしろいギャグとつまらないギャグの違いとはなんでしょうか?
最近のラノベは、読者を笑わせることを意識した要素を取り入れていることが多いように思えます。ただ、文章で人を笑わせることは非常に難易度が高いと、『プロ編集者による文章上達秘伝スクール』(2002年11月刊行)という本で読みました。
実際に、読者を笑わせようと思って滑ってしまっているケースが、ネット上の小説などには多いように思えます。これはプロの場合も同じで、うまくいっていないケースも散見されます。
『とらドラ!』(2006年3月刊行)、『バカテス』( 2007年1月刊行)といった大ヒットしたコメディ系のラノベでは、この滑っているギャグというのが非常に少ないように思えました。このことから、ギャグを滑らずに行うのになにかコツや法則などあるのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?
よろしくお願いします。
おつかれさまです。
笑いにはいくつもの法則がありますが、そのひとつに「笑わせるためには信頼が必要」というものがあります。
たとえばお笑い芸人が10年間同じネタを繰り返すとします。新人のときはまったくうけなかったのに、テレビに出るようになるとなぜか鉄板ネタに変化したりする……これは見ている人が「あの芸人はテレビによく出ているからおもしろいと思ってもいい人。安心して笑える」と思うからです(もちろん、ネタの完成度うんぬんの問題は大きく関わるのですが、これはあくまでも心理的な法則の話です)。
笑いにはこの「信頼感」、「安心感」というものが非常に重要で、普通は何度も笑いネタを見せることで相手に信頼感を持ってもらえるようにします。
小説の場合も同様で、誰かを笑わせたいと思うなら、この「繰り返し見せる」作業が必要になります。
つまり、一発めで笑わせるのではなく、三発め四発めで笑わせられるように繰り返せということですね。
また、物語という流れのあるものの特性上、俗に云うところの「一発ギャグ」は難しいものです。例に挙げていただいた『とらドラ!』も『バカテス』も、“会話”という流れで魅せる手法をとっていますよね。
以上のことから、「笑わせるなら繰り返せ」、「ギャグはネタで見せずに会話で見せる」を実践するのがひとつの方法論になるかと思います。
追記です。
小説という文字メディアでは、当然のことながら芸人が生でネタを披露する際に使う技術、「視覚に訴えること」、「音で訴えること」ができません。
変顔も音の強弱による話術も使えませんから、総合的に「ネタを魅せること」が不可能なわけです。
私も頼まれてコント台本を何本か書いたことがありますが、それは「私が考え得る最高におもしろい台本」を書く作業ではなく、お客さんの目と耳に、芸人の肉体的表現で届けることを前提にしたおもしろい流れを構築する作業であると痛感しました。
このようなことから、文章におけるギャグ、コメディ表現というものは、
1.始点になるキャラのアクション(ないしセリフ)
2.地の文章によるキャラのアクション、そして心情の説明
3.アクションを受けるキャラが存在する場合は、そのキャラのリアクション
4.オチ(結果)
という流れを踏み、読者に理解と納得をもたらすことが重要かと思います。
たとえばあるキャラが唐突に「ちゅどーん」と言うとします。
これが現実世界の誰かが言ったことなら、その表情やアクションで瞬発的な笑いが発生することがあるでしょう。
それが小説では、なぜそのキャラがそういうことを言ったのかという背景、それが他キャラや読者にどう伝わるべきなのかという設定を踏まえた地の文による説明、そしてその結果として他キャラが取るリアクション、オチまでを書く必要があります。
既存作、応募作でギャグが不発に終わる理由は大まかにふたつ。
ひとつはネタの解説という「禁じ手」となる表現を余儀なくされるため、読者が冷めてしまうから。
もうひとつはネタの数が中途半端で、読者に作風やキャラの個性が浸透しきらないうちに作品が終わってしまうから。
ですので、応募作でギャグやコミカルものを志す場合は何度も何度もそれを繰り返し、読者に作風やキャラの個性を浸透させることで、繰り返すごとに説明を減らし、最小限にしていけるような構成をするのがよいかと。
もともとコメディを書いている人はもちろん、シリアスな物語を書いている方もストーリーの箸休め的なギャグ表現やコメディ要素を取り込んでいるかと思われます。
応募作において、表現も要素もまったくないという作品は、全体の三割弱と感じています。そして、それを取り込んでいる七割の作品群のほとんどが、狙った効果を出せずに終わっているのが実情です。
ギャグやコメディのエピソードを作る際には、「あるキャラが発信するギャグ/コメディを受け取る相方の属性を設定する」のが有効です。
お笑いコンビの構図を考えていただくとわかりやすいかと思いますが、彼らは基本的にボケ担当がネタを振り、ツッコミ担当がそれを説明・否定・スカし・突き返し等を行い、それを繰り返すことでひとつのネタを完成させていきます。
ネタの主導権はそれを発信するキャラが握っているわけですが、そのネタを回転させ、作者の思う効果へ打ち返すのは受け手となるキャラなのです。
受け手がいて初めてネタはネタとして機能し、パワーアップし、加速するわけです。
また、この発信主と受け手の属性を変更することで、多彩なバリエーションを生み出すことも可能となります。
スタンダードな「ボケ発ツッコミ受」、収集のつかないシュールなネタを展開できる「ボケ発ボケ」、笑えないはずのネタを笑いのネタに変える「ツッコミ発ボケ受」と「ツッコミ発ツッコミ受」。
さらには発信主と受け手の“目線”を「俺TUEEE」にするか「読者目線」に置くか、はたまた「天然」なのか「生真面目」なのかなどを考えることで、よりネタは広がっていきますね。
ネタを考えることも重要ですが、そのネタを生かすためにも、ネタを展開するキャラのことを考えてみてください。
始めまして。質問させて頂きます。
私は、インターネットの普及と、ライトノベルの流行により、書き手が増えたのではないか?と推測しています。
そこで、質問です。
1)ライトノベル、あるいは一般においても、以前よりも志望者が過多になっている状況なのでしょうか?
2)そのせいで、全体的にクオリティが下がっていたりするのでしょうか?
3)個人的な考えで結構なのですが、やはりプロのクリエイターになれるのは一握り、と思いますか?
出来るものだけでいいので、返信がありましたら嬉しいです。
サンシャインさんおはようございます。
> 1)ライトノベル、あるいは一般においても、以前よりも志望者が過多になっている状況なのでしょうか?
「以前」が何年前を差すかによって変わってくる可能性はありますが、少なくともラノベにおいては「昔なら潜在的な志望者で終わるはずだった人が、レーベルや発表の場の増加に発奮し、応募・投稿をするようになっている(志望者は増加している)」のは確かかと思います。
一般小説はほぼ横ばいですかね。私の関わっている賞は、ここ10年ほど大体毎年同じ数の応募が来ています。
応募を断念する人の数と新規応募者の数が引き合っているという感じですね。
> 2)そのせいで、全体的にクオリティが下がっていたりするのでしょうか?
むしろ上がっているかと思います。
なぜなら、ライトノベルも他のエンタテイメントも、ある一定の年数作り続けられていることでいわゆる“お手本”が増えているからです。
ゼロから考えるのと、発想のとっかかりがあるのとでは、まったくちがいますから。
> 3)個人的な考えで結構なのですが、やはりプロのクリエイターになれるのは一握り、と思いますか?
「なる」難しさは応募者の方のほうが理解されているかと思いますので割愛しますが、私は個人的に、「なる」ことよりも「ある」ことのほうが難しいと思っています。
プロの文筆業であるためには、高い筆力と発想力に加え、常にインプットを続けられる好奇心、編集者や同業者との人間関係を築けるコミュニケーション能力等々が必要です。
書くだけないし作るだけでは、プロであることができません。かならずなにかしらの問題により、廃業を余儀なくされます。
そういう意味では、プロのクリエイターになれるのはひと握りと言ってしまって差し支えないかと思います。
・「魔王勇者もの」「学園ハーレム」などのよくあるジャンルについて。
下読みさんもそろそろ食傷気味なのかしら?
それとも「テンプレだとしても面白ければいい」なんて人?
・『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』などのハウツー本に関して。
ああいう本はどの程度妥当に感じてるのかしら?
選考に携わる人間直々の意見を聞きたいわね。
おはようございます。
> それとも「テンプレだとしても面白ければいい」なんて人?
これは審査側全員そう思っていると思いますが、「おもしろければなんでもいい」です。
テンプレはすでにテンプレ化しているだけに、読む側の期待値が低いです。他作品が100m走をしているのに、150m走をしなければならないような感じですね。
そのハンデを覆せるほどおもしろいなら、それはかならず売れますから。
> ・『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』などのハウツー本に関して
> ああいう本はどの程度妥当に感じてるのかしら?
すべてのハウツー本には、問いに対する真実の回答が載っているものだと認識しています。
ただ、「真実」だからと言って、それが正しく説明されているかと言えば難しいところですね。
ただでさえ「専門知識・専門技術の説明をその道の素人にするのは、すべてを高いレベルで理解している玄人にとっては非常に難問」という現実がありますので。
これはジャンル問わずの話になりますが、玄人には素人が「どんなことを悩むのか?」がそもそも想像できませんし、それがわかったとしても「なんでそんなことを悩むのか?」が理解できません。
こうした掲示板でのやりとりのように、聞きたいポイントが絞られた質問が最初にあれば、玄人の回答も多少ちがってくるのですが……
残念ながら彼らには回答者が進むべき道を示してくれる質問者がいません。だからこそ彼らは素人の悩みをムリヤリ想像し、ピントのズレたハウツーを生みだし続けることになるのです。
結論としては「質問が設定されていない状態で書かれたハウツーは、悩んでいる人向けなのに悩まない人が書いてるため、その作者とフィーリングが合う人以外には役立たず」となるでしょうか。