元記事:現在「看護師」 昔「看護婦」 使うとき
大正時代や昭和初期の作品を書く場合でも、現代人が差別用語に認定し変化させた「看護師」を使わなければならないのか、時代考証を考えて「看護婦」でもいいのかが以前から気になっています。
読者が「看護婦は差別用語です」とつっこんできたら、創作上の全体像や雰囲気で不都合が生まれると思った次第です。
例えば「ナイチンゲールは夜の帳が降りる不安のなかにも人々の心に寄り添い続けた看護婦でした」と「ナイチンゲールは過酷な戦場下でも献身的に人々の看病を続けた看護師であった」では雰囲気や伝わり方が違います。付属の言葉選びは名詞の雰囲気に合うものを即興でつけただけですが。
看護師は私の感覚的に堅い感じでより行政的な感じで、極めて現代風な映像しか浮かびません。最新鋭の機器に囲まれた清潔な病院とか。このように人によっては言葉の持つ映像がついてまわるのではないかと思うんです。どちらしにろ名称に関係はなく立派な職業に変わりはないものですが。
あとは「
江戸時代まで来るとさすがに今現在はいないけど、「武将」は(差別用語関係ないし、当てはまる役職でいえば大地主あたりでしょうけど)使ってますよね。
さすがに明治・大正の男性作家作品に多くみられるものですが、「妾(「わたし」と読むらしい)=女性が自身をへりくだって言うもの」は現代ではどう読んだって、ご主人が本妻以外に屋敷に愛人として抱え込んでた「めかけ」につながるから使わないとしても。「わらわ=あるていど高貴な雰囲気もあるような感だが、成人女性が自身をまだ子供のように言うもの」は使えると思いますけど。
上記の回答(現在「看護師」 昔「看護婦」 使うときの返信)
スレ主 アルファ : 0 投稿日時:
手塚満様
返信ありがとうございます。
詳しく名称変化時期を教えてくださりどうもありがとうございます。
使わなくなると誰もが忘れるという話も、確かに言えるものですね。寂しくもありますが、だからこそ文というものがあるのだと思いました。逆に使い続けて意味が変わった言葉もあります。素晴らしいという言葉はもともとはあまり良くない言葉だったそうですね。
なるほどと思ったのは、二つ目のように「鉄道のない時代は、話が脱線したとは言わない」代わりに「話が逸れた」とも置き換えられますが、そういう問題も確かにあるものですね。
そういったことを逆手にとった作品として、以前「世にも奇妙な物語」で江戸時代に何故か携帯電話が落ちていて、それを拾った歴史の人(忠臣蔵で吉良を打ち仇を討った人ですが、名前を失念…)と現代の人(歴史調査団員)が連絡を取り合って、実際に史実に沿った出来事だったのかを確認する、という物語の内容がありましたが、それはちょうど「2」を面白く料理したような内容だったのかもしれません。
やはり指針をブレさせないためにはその時代に合った言葉を使いたいので、「1」で前書きを加えるのがいいかもしれません。
「3」の場合は、ワードを出さない代わりに地の文でいかにそれらしさを出せるか、そこは小説を書く上での腕の見せ所がある人なら、充分に力を発揮できる方法ですね。これは応用すると物語を書く上で、隠したい最後の結末をいかに出さずにいるか、最後を悟らせないか、上手にチラ見せするかにも使えるし、直接的な言葉で書かずに隠喩とか、形容・比喩できるかの能力にも関わりんすね。詩などではよく比喩表現が多く使われているものですが、使い方ひとつで上手か下手かが問われてしまうのも比喩の怖いところですね。
いろいろと試してみようと思います。
カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 現在「看護師」 昔「看護婦」 使うとき
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