自分が何となく思ったことなので「見当違いです」と言われてしまえばそれまでなんですが。
基本的に、ラノベでは設定の羅列は避けた方がいいと言われてますよね。
初心者が陥りやすい失敗、みたいな扱いで自分もよく注意を受けた記憶があります。
けれど最近の人気ラノベって、むしろかなり設定の密度が高い気がするんです。
「魔法科高校の劣等生」とか……まあこれは極端な例かもしれませんが。
「SAO」とか「とある魔術の禁書目録」も結構設定重視の作品ですし。
他のに比べると売上は劣るかもしれませんが「境界線上のホライゾン」なんかもそういう系統の作品だと聞いたことがあります。
これはどうしてなんでしょう?
単純に時代の流れなのか、それとも設定の傾向そのものに違いがあるんでしょうか。
> 単純に時代の流れなのか、それとも設定の傾向そのものに違いがあるんでしょうか
近年(2015年1月現在)の各賞を受賞した作品をながめると、ラノベではやはり「重厚で濃密な設定」が評価されにくい傾向があることがわかります。
実際、設定の濃さが売りの応募作は、説明に文量を裂かなければならない関係上、物語としての完成度を上げられず、評価もされずに一次落ちというパターンを踏みがちです。
既存作については語らないのが私の掟なので、あまり言えることもないのですが、例に挙げていただいた作品については「その年代の時代性」が関わっている部分もあるでしょうし、「それだけではない強い魅力があった」こともあるでしょう。
そしてネット小説として書かれた作品は、その時点では商業的制約がなかったということは影響しているかもしれません。
> ①プロットのつくり方について
> 1.閃いたすばらしい(と自分では思う)シーンをとにかく書く
> 2.そのシーンを生かすための世界設定や状況設定を考え、ストーリーラインを敷き、必要数の伏線を植える
> というふうに逆算していきます。
そうですね。ただ、夏祭り(2014年小説投稿企画)の失敗があり、2をしくじった途端、恐ろしくモチベーションが落ちたことがあり、このままでいいのかなと、恐怖がぬぐえない部分があります。
ただ、前回の夏祭りでは、たかセカンドさんの質問の回答ともリンクするのですが、自分があまり知らない分野に、手を出したために痛い目を見たのかなとも反省しています。
> > ②ラノベでのヴィジュアル的な表現について
> 他の方が言われるのと同様、「動き」でしょうね。
> そもそも文章媒体では、人間や物体の動きは読者に経験則で想像してもらうことが前提ですし(たとえば人間は肘関節が10個あったりしない、地球においては投げられた物体はかならず地面に落ちる、などという強固なお約束があるからこそ、あれこれ“はしょって”描写できるわけです)、想像外のことを知らせようとすればいちいち説明をしなければなりません。
> 思考や感情という、内面的なものを描くのは文章媒体の得意とするところですが、行動や動作の過程と読者が経験則で思い描けない結果は苦手ということになるでしょうか。
> だからこそ、読者が思い描いてくれる範疇に収めた、さらっと読める文章表現は大事になりますね。
それについては、やはりにアニメやラノベのメディミックスの発達も関与しているように思えます。個人的な感触としては、今の読者層は、文章媒体よりも、アニメや漫画といった視覚媒体を先に触れる関係上、アニメや漫画が当たり前に表現できることが、他の媒体でも、表現できるような感覚に陥りやすい気がします。
だから、視覚媒体が得意分野とすることが、ラノベ等の文章媒体で表現した途端、壁にぶつかるのかな?と思います。
だた、これは、ガンダムやとあるシリーズ、SAO等色んなメディミックス化されている作品の別媒体(ラノベ原作だけでなく、アニメやコミック)ごとを、見ていれば、分かるのでは?と思ってしまうことがありますが、どうでしょう?
> そうですね。ただ、夏祭りの失敗があり、2をしくじった途端、恐ろしくモチベーションが落ちたことがあり、このままでいいのかなと、恐怖がぬぐえない部分があります。
そのような状況でしたら、「各シーンを、地の文を書かずにセリフだけ並べていく」のも手ですね。
セリフとは山と谷で言えば山の部分で、地の文にくらべて非常に早く書くことができます。なにせつじつまを合わせる必要のない(そういうことは谷である地の文に振ってしまいます)山の部分ですから、楽しいばかりの作業です。
> だた、これは、ガンダムやとあるシリーズ、SAO等色んなメディミックス化されている作品の別媒体(ラノベ原作だけでなく、アニメやコミック)ごとを、見ていれば、分かるのでは?と思ってしまうことがありますが、どうでしょう?
アニメやコミックを先に見ていれば、原作を後で読んだときにその絵が脳内再生できるのではないか? ということでよろしいでしょうか?
実はここからかなり長々と書いた見解があるのですが、それはさすがに私の立場で言っていいことではないと判断し、削除しました。
ただ、質問の意図が私の理解とズレているようでしたら、お手数ですが再質問をしてください。
お訊きしたいことがあります。
最終選考に残った作品や受賞が決まった作品の作者には発表前に事前に電話なりで連絡がいくと思います。
そこで気になったのですが、編集者からの電話というのはそれ以外でもあるのでしょうか?
例えば2次選考通過ぐらいで光ものがあると判断されてなどです。
そういった段階での電話は受賞者にはかならずあるのかも気になります。
ご回答よろしくお願いします。
これは私の職域を超えたご質問ですので、あくまでも私が知る例をお話することしかできませんが……
何次かは賞の規模によって異なりますが、基本的に拾い上げは編集部選考時に行われます。3次選考が編集部選考なら、2次突破作品から行われるということですね。
この応募作は、最終審査には上げられないけれども捨てるには惜しい。と、ある編集者が強く思った際、編集部内でその許可をとって担当に就き、改稿を重ねて出版する……という流れになる感じかと。
また、この応募者には強い光がある。と感じた場合は、アドバイスなどしながら次の賞への応募作を書いてもらう。ということもありますね。このようなお声がけがある応募者は、その賞において何度も編集部選考まで上がっていながら受賞に届かない、いわゆる名物の応募者になるようです。
当然、拾い上げが決まれば連絡がいきます。ただ、決まった瞬間というわけでは(私が知るかぎり)ないようですね。
ご回答ありがとうございます。
疑問が一つ出来ましたのでまた質問させて頂きます。
編集部選考というのは最終選考のことでしょうか?
私は1次が下読みさんで2次から編集者の方が直接作品を見て選考して頂けると思っていましたので……。
これは賞によって違うのでしょうか?
> 編集部選考というのは最終選考のことでしょうか
最終選考ひとつ前の、下読みが関与している選考のひとつ先にある選考です。
最終審査にのぞむ審査員へ渡す最終的な絞り込みをする選考で、編集部内で行われるのが通例です。
> 私は1次が下読みさんで2次から編集者の方が直接作品を見て選考して頂けると思っていましたので……。
> これは賞によって違うのでしょうか?
そうです。
賞によって、何次まで下読みが関わるか異なりますね。
二次以降は複数人(大抵ふたり)でひとつの作品をチェックする体制になることが多いです。
ラノベ新人賞に送られてくる(ラブコメ要素が含まれる)作品の、メインヒロインの数は何人くらいが平均的なのでしょうか? サブヒロインは除いて。約300ページ中で、無理なく扱える数という意味です。
個人的な印象だと、純粋なラブコメは2名。ファンタジー(バトル)は1名。ファンタジーになると説明的な場面が多く、それにページを喰われる印象です。現代モノと異世界モノでも数が違っているような。
むろん、じっくり書き込むか、さらっと書き込むか。技術の有無において数をコントロールする事は可能だと思いますが。
どうなんでしょう?
> ラノベ新人賞に送られてくる(ラブコメ要素が含まれる)作品の、メインヒロインの数は何人くらいが平均的なのでしょうか?
今まで気にしたことがなかったのでデータ関連はお話できませんが、複数ヒロイン制は、個人的にはおすすめし難いですね。
バランスよくふたり以上のヒロインを動かせていた応募作の記憶がありません。どちらかがおざなりになったり、潰し合いになって相死にしてしまったりがほとんどです。
> むろん、じっくり書き込むか、さらっと書き込むか。技術の有無において数をコントロールする事は可能だと思いますが。
もちろん、コントロールできるなら十二分に戦える武器になるかと思います。