元記事:脚本の面白さを知るには?
小説の書き方というより読み方の話になります。
周囲の友人はソーシャルゲームのストーリーにハマっているのですが、自分はそういったゲームのストーリーにいまいちハマることができません。
絵はパターンで決まっているし、地の文はないし、声は時間を食うしで、どうも自分がそうした(特にシリアスな部類の)ストーリーを「魂から」楽しんでいるような感じがしないのです。
自分はとある書籍(何とは言いませんが)を読み、漫画の読者はジャンルごとに異なる眼鏡を持っていること、訓練によってそれを克服できることを学びました。そしてその訓練によって、今まで苦手としてきた漫画をはじめて「魂から」楽しめた気がしたのです。
ソーシャルゲームのストーリーは、漫画や小説のように個人個人の意識が演出に反映されるということが、ほぼ無いように感じます。
自分が読んだ書籍は漫画をいわばテクストとして扱うものであり、漫画になんらかの演出が施され、視点となる人物が用意されていることをほぼ前提としているため、複雑なカメラワークや地の文での比喩などを使うことのできないソシャゲのストーリーを分析することには向かないように思えます。
そのような「ソシャゲのストーリー」(もしくは「戯曲」とでもいうべきモノ)は、読者が自らそれを脳内で演出する権限が強くなると見ることもできますが、それはどこまでいっても「公認されないごっこ遊び」であって、「自分は今椅子として提示されたもの(もしくは使い方の決まっていないモノ
)を勝手に自分で机として使っているのではないか?」という不安が拭えないのです。
何かこうした(演出のない)「脚本それ自体の面白さ」もっと言えば「脚本それ自体でキャラクターを好きになるということ」を(おそらくは読書の終わった後に熟慮することなく、自然と)体験できるように自分の眼鏡を変えることについて、何かヒントになるようなことは無いでしょうか?
上記の回答(脚本の面白さを知るには?の返信)
スレ主 アダム : 0 投稿日時:
今思いついたのですが、読者の中に「蓄積されたテンプレ的な展開」のようなものがあって、その展開を連想させる/その展開の有無について問題提起するようなものが脚本に盛り込まれているのであれば、それはギャップ萌え的な、いわゆる「読者の本能に基づいた脚本の作り方」であって、努力というより才能の問題だと思うので、もし友人がソシャゲのストーリーを楽しんでいる理由が「それ」だとするなら、この件に関しては考えてもしょうがないという可能性が出てきました。
「それ」では無かったとしてもサタン 様の言うこともあるので、これ以上は考えないことにします。
カテゴリー : その他 スレッド: 脚本の面白さを知るには?
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