ぶっちゃけ、質問の意味がわからんかな。
だって、異世界(の人々)に無関心で興味持たない主人公なんでしょ? いや、その時点で薄情な主人公像じゃんか。
そういう主人公を書いて読者の感想で「薄情だな」と言われ、作者がそれに疑問を持つって意味がわからん。
「薄情」って「情に薄い」って書くわけだからさ。
マザー・テレサが「愛情の対義語は無関心だ」って言葉を残してるけど、人は興味を持つから愛情が生まれてくわけで、世界に無関心な人は薄情だよ。薄情でなければ多少でも興味を持ってるよ。
なので、再三繰り返しだけど、薄情な主人公を書いておきながら薄情だと読者に言われて何故もなにもない。
スレ主さんの作品の問題は、「主人公が薄情であること」ではなく、「薄情な主人公や物語を面白くできなかった」ってこと。
もしくは読者がそこを読み取れなかったってこと。
読んでないのに何故そう言い切れるのかっていうと、作者が「主人公の薄情さが面白味だ」と認識してないことがお悩みから読み取れるから。
そのテーマの面白味はどう考えても「周囲に興味を持たない主人公が自分にとって大事なことのために動く薄情な展開」だと思うんだけど、その面白味を押し出せていなかったと思われる。
で。
その面白味が活かせてれば、つまり「薄情なとこが面白いよね」という作品であったなら、同じ展開でも読者の感想は「薄情だから良い」となるし、最後に異世界人を見捨てて帰るオチでも「この主人公ならこうだわな」ってなる。
面白味を活かせてなかったから、というのが原因だし問題点。
>漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
こうした既存作と比べる疑問をちょいちょい聞くけど、その部分だけにフォーカスしても意味がなくて、例えば肉親が人間に殺された直後とか「その展開が納得できる状況づくり」を上手くやっていたり、例えば主人公の悪魔の部分を強調したいなど「もともと主人公にそういう部分があるという設定の描写」がちゃんと出来ていたり、そのシーンに至るまでの過程でちゃんと積み上げてきてるから問題ないし、おそらくは作者の意図した通りのイメージを読者に持たせることに成功している。
逆に言えば、
例えば漫画「ベルセルク」で主人公が人を見殺しにせず、正義の心に目覚めて人助けをしはじめたら、それこそ読者からツッコミが入る。
「見殺し」という展開に「許される・許されない」なんて絶対的なラインは無いし、それは作者が物語の中で作り上げるもの。
それで言うと、そもそも「薄情な主人公」としておきながら作者がその魅力を理解していなかった様子なので魅力を押し出せていない作品だろうし、面白味であるはずの部分を読者から「薄情だ」と言われてしまった以上、作者がそのラインを作り上げることが出来なかったというだけ。
なので、
>許される見殺しと許されない見殺しの違い
問題はそこじゃないと思うよ。
>「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」
このテーマの真意は自分にとって大事なこと云々ということではなく単に「見殺しという行為自体まったく悪いことではない。だって漫画版デビルマンはそのことでまったく非難されてないんだから。この作品の主人公を非難しないでくださいね。だって漫画版デビルマンの主人公はまったく非難されてないんだから。」ということです。つまり主人公を特に薄情な人間として描いたつもりがないから薄情呼ばわりされたのが心外だったわけです。
主人公が元の世界に帰りたがる理由を『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです。
私は主人公が薄情呼ばわりされた後も「見殺しは見殺しだ。全部許されるべきだ。漫画版デビルマンの主人公がサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしたのも、ドラクエ8の主人公たちが賢者の子孫を見殺しにしたのも、私の作品の主人公が異世界の人間を見殺しにしたのも全部同じことだ。」と思っていますが、「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」と思ったから質問しました。