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許される見殺しと許されない見殺しの違い (No: 1)
スレ主 堕天使 投稿日時:
「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」をテーマに「異世界転移した主人公が『だり~めんどくせ~わけわかんね~』とか言いながら異世界に興味を持たずさっさと元の世界に帰りたいとしか考えず、最後は放置しておいたら異世界の人間が何人も死ぬような問題が残っていても全く関心を持たず元の世界に帰っていく」という話を描いたら「この主人公薄情だな」と言われてしまったんですがなぜでしょうか?
漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
心当たりとしては「他の異世界転移ものは主人公が異世界に関心を持ってなんやかんやするって話が多いから、ここまで主人公が異世界に無関心で帰れるようになったらさっさと帰るって話はウケが悪いのかも」と思ってるんですがどうなんでしょうか。
ついでに聞かせてもらうと、ドラクエ8のストーリーを「賢者の子孫見殺しツアー」とか揶揄する人がいるのはなぜでしょうか?
あれだって漫画版デビルマンが許されてることを思えば何もおかしくないと思うんですが。
カテゴリー: ストーリー
この質問に返信する!人気回答!許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 2)
投稿日時:
>>「この主人公薄情だな」と言われてしまったんですがなぜでしょうか?
その読者さんなら、きっと助けようと動いたからでしょ。
女性向け作品だと別に珍しくないよ。そういうの。女性の異世界召喚だと場合によっては遺伝子ほしさにハッピー苗床エンド多々あるし。
男性向けとかで書いて、男性に文句言われたんでしょう?知らんけど
許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 3)
投稿日時:
話それ自体の良し悪しや他作品と比較して云々というのは兎も角そこから分かる事情や展開だけを鑑みた場合「主人公が薄情」という評価を受けてしまったのは自分からはさもありなん、としか。
第一に「個人的な事情でしかないなら幾らでも後回しにしてしまえばいい」というのがあります。
元いた世界に帰ってエロ動画見るなんて魔王か何かを迎え撃ってからでも遅くはないわけで、まして「一定の時間が経つと元いた世界には帰れなくなる」とか「(敵が強すぎるなど)主人公の力量では到底手に負えない問題である」といった切実な事情(後者なら後者でチキン扱いされるでしょうが)も無く「やむなく見捨てた」という言い訳の余地はとても無い以上、そう評されるのも致し方無い気がします。
あと見る限り主人公のキャラクター性に正直好感が持ちにくいために、悪い側面ばかり目についてしまうという線もあります。
特に極度のめんどくさがりで無関心というのは魅力の出しにくいキャラ造形ですからね、ある意味こういうタイプのキャラを極端に難しくしたようなウォッチメンのDr.マンハッタンは有名ですが、同作のキャラの中で人気がある方かというと…と言った感じで、作中でもコメディアンやシルクスペクターにそのスタンスを批判・非難されたりしています。
面白いキャラにできる可能性はなくは無いですが、共感や好感を得るのは諦めた方がいいと言わざるを得ないでしょう。
許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 4)
投稿日時:
なんか「計画、通り…!!」感が花に付いてコメントし易い!
初稿のセンスは悪くない。
『テーマ』には忠実だからだ。
つまりは、ツンデレは帰るチャンスを不意打ちにして、異世界に残る展開を望んでいる訳である。
まあ、普通ライトノベルってそうだよね!
普通に帰ったら意外性も成長もないもの!!!
人気回答!許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 5)
投稿日時:
結論から申せば、異世界ほったらかして元の世界に帰る、なんて当たり前すぎて面白くないからです。以下、少し説明してみます。
1.現実問題として帰りたいのは自然なこと
そもそも論として、この世界に生きている人間が突然異世界に飛ばされました、として喜んでその世界に残りたがるかという問題があります。飛ばされた先が中世欧風だとしておきましょう。現代的なアイテムはありません。スマホない、PCない、ネットない、ゲームない、コミックない、アニメない、ラノベない、カラオケない、あるわけない、なぜなら電気すらない。普段使ったり遊んだりしていたものが一切ない。
何か魔法が使えたりはするかもしれない。しかしそれで元の日常生活とバーターになりはしないでしょう。友達だって元の世界と切り離されて、いちから作り直し。さらに治安悪い、ヤバいモンスターうようよ、変な病気ある、不衛生、トイレ汚い等々。
2.帰るつもりなら行った先のことは気にしなくて当たり前
異世界に飛ばされたら帰りたくて当たり前。御作では実際、元の世界に帰りたい主人公なわけですよね。元の世界に帰るんだから、飛ばされた先の異世界がどうなるかなんて関係ない。例えば現実で考えると、戦乱の外国に突然連れて来られたとして、戦乱を収めてから帰りたくなるわけないです。その場にいても対岸の火事、まずは難を避けたいとしか思わないはずです。
3.当たり前のことをそのまま提示しても感動するわけない
繰り返しですが、異世界に飛ばされたら帰りたくて当たり前、異世界の問題なんて元の世界に帰ってから思い出すかもしれない程度です。異世界に飛ばされて変えるだけの主人公は物凄く自然です。だから受けないんです。当たり前のこと書かれても、当たり前だとしか思わない。分かり切ったことで感動するわけない。
物語を読むのは、やっぱり奇跡が見たいからなんです。奇跡って普通は見かけないものです。見たこともないものを見たいからフィクションの存在意義があります。現実では起きないこと、起きそうもないことを、いかにも起こり得るように見せられるのがフィクションなわけですから。
4.読者は問題の核心は教えてくれない
異世界転移・転生ならば、普通は帰りたくて当たり前のところを、なぜか異世界で踏ん張り、その世界を救いさえする主人公のドラマを見たいのは当然です。異世界ほったらかして、サクっと元の世界に帰る主人公では肩透かしです。しかし読者は不満の核心を正確には教えてくれません。自分(読者)の期待したものとの差を言ったりします。それが「薄情」と表現されることもあるでしょう。
しかし、十中八九、原因は奇跡を見せてもらえなかったからです。異世界転移・転生作品が数多と出て、異世界で踏ん張る主人公が当たり前になっちゃいまして、そのほうが「当たり前」な感じがするのは分かります。が、依然として現実には起こりそうもないことがフィクションでは起きているわけです。
5.異世界から帰れない理由を作る必要性
何も悩まず異世界になじむ主人公は多くなったものの、以前ですと帰還の望みを断つ設定やドラマが入れてあるのが通例でした。元の世界では既に死んでいる、帰還方法が不明(それが作品テーマのことも)、ゲーム世界ならログアウトできない。異世界に引き付ける方法としては、元の世界では無能だが異世界では無敵のスキルが付与された、異世界のヒロインに一目ぼれ、異世界が入れ込んだゲームの延長みたいになってる等々があります。
そういう作品の作者は現実の常識を弁えていたわけです。突然変なところに放り込まれたら、まず抜け出して自分の家に帰りたくなるもんだ、ということですね。しかし、繰り返しですが、それでは当たり前で、主人公に目を引き付けることができない。異世界なんて設定したのは、主人公に四苦八苦して奇跡を達成してもらうため。ですので、「帰れない」「帰りたくない」理由をきちんと作ったわけです。そうすれば主人公が逃げずに奇跡を達成させることができる。
6.元の世界に帰還するなら、それが最大の奇跡であるべき
そうした「異世界転移・転生物語が成り立つ理由や工夫」を度外視して、異世界で頑張る主人公の逆張りをしても受けません。仮に元の世界に帰る大事な理由を設定しても、おそらくは無効でしょう。そんなものなくても帰りたいんですから。元の世界に帰るストーリーが成り立つとしたら、異世界が真剣に好きになったのに、どうしても元の世界に帰らねばならない主人公の苦悩を描いた(※)、とかでしょう。
※ 「異世界のアイテムを持ち帰れば、元の世界で死ぬ運命の妹を救える」、「異世界に主人公が居座ると異世界が滅ぶ」、「異世界ヒロインの悪事の濡れ衣をあえて着て、元の世界へ逃亡」等々。
異世界から元の世界へ帰るなら、その帰還が奇跡となるような物語を描く必要があります。何度も繰り返しますが、よく考えたら当たり前、を物語にして読者に差し出すべきではありません。
人気回答!許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 6)
投稿日時:
ぶっちゃけ、質問の意味がわからんかな。
だって、異世界(の人々)に無関心で興味持たない主人公なんでしょ? いや、その時点で薄情な主人公像じゃんか。
そういう主人公を書いて読者の感想で「薄情だな」と言われ、作者がそれに疑問を持つって意味がわからん。
「薄情」って「情に薄い」って書くわけだからさ。
マザー・テレサが「愛情の対義語は無関心だ」って言葉を残してるけど、人は興味を持つから愛情が生まれてくわけで、世界に無関心な人は薄情だよ。薄情でなければ多少でも興味を持ってるよ。
なので、再三繰り返しだけど、薄情な主人公を書いておきながら薄情だと読者に言われて何故もなにもない。
スレ主さんの作品の問題は、「主人公が薄情であること」ではなく、「薄情な主人公や物語を面白くできなかった」ってこと。
もしくは読者がそこを読み取れなかったってこと。
読んでないのに何故そう言い切れるのかっていうと、作者が「主人公の薄情さが面白味だ」と認識してないことがお悩みから読み取れるから。
そのテーマの面白味はどう考えても「周囲に興味を持たない主人公が自分にとって大事なことのために動く薄情な展開」だと思うんだけど、その面白味を押し出せていなかったと思われる。
で。
その面白味が活かせてれば、つまり「薄情なとこが面白いよね」という作品であったなら、同じ展開でも読者の感想は「薄情だから良い」となるし、最後に異世界人を見捨てて帰るオチでも「この主人公ならこうだわな」ってなる。
面白味を活かせてなかったから、というのが原因だし問題点。
>漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
こうした既存作と比べる疑問をちょいちょい聞くけど、その部分だけにフォーカスしても意味がなくて、例えば肉親が人間に殺された直後とか「その展開が納得できる状況づくり」を上手くやっていたり、例えば主人公の悪魔の部分を強調したいなど「もともと主人公にそういう部分があるという設定の描写」がちゃんと出来ていたり、そのシーンに至るまでの過程でちゃんと積み上げてきてるから問題ないし、おそらくは作者の意図した通りのイメージを読者に持たせることに成功している。
逆に言えば、
例えば漫画「ベルセルク」で主人公が人を見殺しにせず、正義の心に目覚めて人助けをしはじめたら、それこそ読者からツッコミが入る。
「見殺し」という展開に「許される・許されない」なんて絶対的なラインは無いし、それは作者が物語の中で作り上げるもの。
それで言うと、そもそも「薄情な主人公」としておきながら作者がその魅力を理解していなかった様子なので魅力を押し出せていない作品だろうし、面白味であるはずの部分を読者から「薄情だ」と言われてしまった以上、作者がそのラインを作り上げることが出来なかったというだけ。
なので、
>許される見殺しと許されない見殺しの違い
問題はそこじゃないと思うよ。
言葉足らずだったので補足 (No: 7)
投稿日時:
>「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」
このテーマの真意は自分にとって大事なこと云々ということではなく単に「見殺しという行為自体まったく悪いことではない。だって漫画版デビルマンはそのことでまったく非難されてないんだから。この作品の主人公を非難しないでくださいね。だって漫画版デビルマンの主人公はまったく非難されてないんだから。」ということです。つまり主人公を特に薄情な人間として描いたつもりがないから薄情呼ばわりされたのが心外だったわけです。
主人公が元の世界に帰りたがる理由を『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです。
私は主人公が薄情呼ばわりされた後も「見殺しは見殺しだ。全部許されるべきだ。漫画版デビルマンの主人公がサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしたのも、ドラクエ8の主人公たちが賢者の子孫を見殺しにしたのも、私の作品の主人公が異世界の人間を見殺しにしたのも全部同じことだ。」と思っていますが、「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」と思ったから質問しました。
言葉足らずだったので補足の返信 (No: 8)
投稿日時:
繰り返しになるけど、薄情というのは情が薄い、この情とは愛情のことなので、
>『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです
「大層な理由」もなく見殺しにするのは、情が薄いから、対象に対して少しの愛情も持ってない、少なくともオナニーのほうに情が傾いているわけなので、
別に、人命よりもオナニーを優先することが悪いことだとは思わないけど、実際に「オナニーよりも人命のほうが愛情は薄いです」って言ってるんだから、そりゃ薄情でしょ?
繰り返しを繰り返すけど、オナニーよりも愛情のが情が薄い、って自分でずっと言ってるんだから。
で、そこが面白いところだと考えて書いているのに、作者が「主人公は薄情である」と認識していないのだから、その面白味は出せてないよね。という回答でした。
言葉足らずだったので補足の返信 (No: 9)
投稿日時:
サタンさんへの返信だし、サタンさんから的確な回答が出てるんだけれども、どうも気になりまして、少し差し出口をお許しください。
作中で主人公がモブ含む他のキャラ見殺しをするのは薄情ではないとお考えなわけですよね。その証拠として有名、人気既存作で見殺しにする描写が多々あるけれど、読者/視聴者から薄情と悪評価は受けていない。もっとも他作品、特に話題にならない不人気作で見殺しがどう評価されたかは分からないわけですが。
つまり「ある作品で見殺しは薄情とのの悪評価はされないのに、ある自作での見殺しを薄情と酷評されるのはおかしい」。これは論理的には有名な誤謬です。創作的にはよくある間違いです。今の場合、創作面のほうが大事ですね。
見殺しは現実的にはできれば避けたいものとされるのはご存じでしょう。仕方ない、とはされても褒められることは稀です。逆に見殺しにせずに救った(例えば線路に転落した人を救う)、なんてのはニュースで取り上げられ、警察から表彰されたりするのはご存じのはずです。つまりヒーロー扱いですから、フィクションに取り入れて問題ない。
逆に欠点になる、なりやすいポイントを「あの作品でも『許されている』」から取り入れても大丈夫だろうと考えるのはリスキーです。なぜ許されているか、よく分析しないと悪評価されるポイントだけを高確率で取り入れることになります。
主人公が誰かを見殺しにして納得されるとして、見殺しにするシーンだけで納得が生じるわけがありません。必ず前後の支えがあるんです。見殺しシーンの前段では、例えば「この主人公なら困った人を助けない(、そこが魅力だ)」というイメージが既に生じていて、その期待通りに誰かの危機で主人公は見殺しにする。
あるいは見殺しにされるキャラに相当な悪印象を生じさせておいて、危機に陥っても助けてもらえないことが天罰みたいに感じられるようにする。
そうでなく、「ここで主人公がこのキャラを助けるはず」と期待できるのに、見殺しにして、読者に「あれ、なぜだ?」と疑問を生じさせるやり方もあります。その場合は、後段でなぜ主人公が見殺しにしたかを描くことになります。必ずしも見殺しを納得できる運び(例えば主人公の隠れた本性が露わに)ばかりとは限りません。主人公に後悔させるために、見殺しにする運びにあえてしておくこともあります。
いずれも、見殺しにするシーンではないところで、見殺しを支えているということです。見殺しの前段で準備し、後段でフォローする必要があります。見殺し以外でも同じです。例えば「決め台詞」ってあるわけですよね。繰り返しパターンを用いる作品で頻出し、言えばジーンと感動するのが「決め台詞」です。
しかし、その決め台詞を全く関係ないシーンとか、冒頭で叫んでも決め台詞の効果は得られません。その決め台詞が出るべき段取りを整えないと効果は出ない。例えば、これから目の前の敵に立ち向かうときに発する決め台詞を、食事の前の「いただきます」の代わりに言わせても、決して燃えるものは発生しません。やはり敵を目の前にしないと。
ですので、
> 「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」
については、
「見殺しの前後が違っているからだ」
となります。他作品の該当するシーンだけ見倣って、そのシーンだけで考えても無駄なんです。
横槍ですみませんが、さすがにそれはちょっと。 (No: 10)
投稿日時:
横槍失礼。
>このテーマの真意は自分にとって大事なこと云々ということではなく単に「見殺しという行為自体まったく悪いことではない。
それは良いのですが、そのテーマの根拠が、
>だって漫画版デビルマンはそのことでまったく非難されてないんだから。
というのは、まったくもって通用しないと思いますよ。
テーマの根拠はあなた自身が考えてオリジナルなストーリーとして構築すべきことであって、名作と言われていようが何だろうが、
1)他者の作品にそう書いてあった。
もしくは、
2)他者の作品にそう書いてあり、読者はそれを非難していない。
これらは根拠になり得ません。
どちらも判断を永井豪、または永井豪の読者に丸投げしてしまっていて、あなたの考えがまったく入っていないからです。
もし、あなたが書かれた作品中にそのオリジナルの考えや展開が表現されているのだとしたら、申し訳ありません。
しかし、それは現状、質問文中に書かれていないので、我々としてはどうにもお答えのしようがありません。
したがって、なおもご不満ならば、あなた自身のオリジナルのお考えをお聞かせください。
横槍ですみませんが、さすがにそれはちょっと。の返信 (No: 12)
投稿日時:
デビルマンのことを抜きにして本作のテーマを語るなら「人は人を助けないのが当たり前。自分の身は自分で守るのが当たり前。だから主人公がくだらない理由で異世界の人間を見殺しにして元の世界に帰っても、特にクソ野郎というわけではない」といったところですね。
横槍の横槍 (No: 13)
投稿日時:
このテーマなら最後の展開はこうですね。
異世界から帰ってきた主人公、そんな彼を突然通り魔が襲い致命傷を負わされる。
血溜まりに沈んだ主人公を通行人は誰一人助けようとも救急車を呼ぶ事すらせず、一目散に逃げてしまう。
「誰か助けろ、畜生…」
そのまま事切れる主人公、自分が異世界に何もしなかったように、誰も彼を助けなかった。
…ちょっと意地悪だったでしょうか。
まあでも、このテーマで面白くできるとしたら「主人公もまた困った時誰にも助けてもらえなかった」という因果応報オチしかないような気がします。
横槍ですみませんが、さすがにそれはちょっと。の返信の返信 (No: 14)
投稿日時:
なるほど。
>自分の身は自分で守るのが当たり前。
それは当然だと思います。
>人は人を助けないのが当たり前。
助けたくなければ助けなくてもかまいませんが、別に当たり前だとも思いません。助けたければ助けてもいいじゃないですか?
まあ、
1)(自分の身は自分で守ることができるから)自分は誰の助けも受けない。
2)だから、他人を助けることもしない。
この二つがしっかりセットになっているなら、いいんです。立派な覚悟とさえ言えます。
ただ、人間は病気になることもあるし、どんなに強くても例えば一人で大軍を相手にしたら常に勝てるとはかぎらず、重傷で動けなくなることも有り得ると思うんですよ。
病気や怪我で一時的に戦う力を失っているときに、かつて見捨てた者達の手に落ちて、報復のために凄惨な拷問を受けるという事態も有り得ますよね?
貴方の主人公は、抵抗するすべも無く眼をえぐられ、鼻を削がれ、睾丸に針を刺されても、自分は誰も助けず誰の助けも求めない者だとうそぶいて、誇り高くなぶり殺しにされることを選べる人間ですか?
「人は人を助けないのが当たり前。自分の身は自分で守るのが当たり前。」というのは、そういうことですよ。
そして。
>だから主人公がくだらない理由で異世界の人間を見殺しにして元の世界に帰っても、特にクソ野郎というわけではない
覚悟があるならそれでもかまわないのですが、「くだらない理由」は「くだらない理由」ですからね。「クソ野郎」とは言われると思いますよ。
しかし、クソ野郎と言われてもいいじゃないですか。それが、その主人公の信念なんだから。
たとえなぶり殺しにされようと、ふてぶてしく笑って受け入れる覚悟があるのなら人間は何をやってもいいんです。
しかし本当にそういう主人公であるのなら、「クソ野郎」と言われたところでビクともしないと思います。
王国論 (No: 21)
投稿日時:
ある意味悪魔の理辺卿ですが、普通の人間には自分で自分を守るなんて凄く難しいか、コンプライアンスは脅かされ、気付いていない内に蝕まれているのが現状でしょう!
自分の身を自分で守られているというのは、勘違いも多いように見受けられます。
なら、どうするか?
余力を他人に割く、他人を助け、自分の視界の及ばない『害悪』への協力という概念が発生することと思います。
もし巻きマキ家が『WRyyyyyyyyyyyy!!!!!!!!』とか叫びながら悪漢を撃退出来て世紀末覇者のように日本政府に降臨していたら結末は変わっていたし、多くの悪魔がデビルマンレディーに似たり寄ったりの疑問を持ったでしょう。
でも、そんな筋肉ゴリラに惚れますか?
大帝の男は、自衛も侭ならない女性を好みます。
自分はノロティ王国の住人で、よく勘違いされますが、暴力女も三十路ドSM女も好きではありません。
『困った時はお互い様』と嘯き、後輩に無限の愛を注ぐことに躊躇いのない下町人情が好きだからこそ、命を掛けて守りたかったんだと、私は思います…!!
言葉足らずだったので補足の返信 (No: 11)
投稿日時:
新情報の開示を期待したのですが、うーむそれは却って薄情で自己中という評価を揺るぎないモノにせざるを得ないですね。
繰り返す事になりますが見殺しが「仕方ない」と見做されるのはあくまでも「せざるを得なかった」場合であって、助けに行った結果自分も危険に晒されるので無い場合(特に物語の主人公なら晒される場合であろうとも)助けに行くことが期待されます。
スパイダーマンのベンおじさんが言っていた所の「大いなる力には大いなる責任が伴う」ですね。
特殊能力の無い民間人なら壊される街や踏み潰される人々をほっぽり出して怪獣やスーパーヴィランから逃げ出すのは致し方ないですし、今日食べる分で精一杯のホームレスなら募金しないのもやむを得ないでしょう。
しかし「充分助けられた」のにそうしなかったとなると話は別です、上述の募金の例えがホームレスではなく富豪なら「ちょっとは困ってる人に分けてもいいじゃないか」と思いませんかね?
大いなる責任もそうですが、ノブレス・オブリージュもそういう精神です。
もう一つあるとすればその異世界が「救うに値しない」と読者も(これが重要)感じたなら、という場合ですね。
道端は基本汚物塗れで住民が誰も彼も自己中で下品、女性を強姦して性奴隷扱いする事に何の疑問も無くて、食べ物が悉く不味いし王族は自分らが潤う事しか考えてない上気分で平民をダース単位で虐殺…でもここまでやったとして、面白くなるのは見捨てるより敢えて残って救わんとする場合なんですよね。
その(なるべく肯定的に捉えたとしても)小市民マインドの主人公で話を面白くするって相当に難しいし、まして「優しい」とか評価されるのは無理だと思いますね。
人気回答!言葉足らずだったので補足の返信 (No: 15)
投稿日時:
本題のほうに答えてなかった。
>「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」と思ったから質問しました。
まず、前々レスでも触れたけど、「許される見殺し」と「許されない見殺し」は基本的にはそんな区分は無い。
だから、私もスレ主さんと同じで
>「見殺しは見殺しだ。全部許されるべきだ。漫画版デビルマンの主人公がサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしたのも、ドラクエ8の主人公たちが賢者の子孫を見殺しにしたのも、私の作品の主人公が異世界の人間を見殺しにしたのも全部同じことだ。」
私も「見殺しは見殺しである」と考えます。どんな言い訳したところで事実は変わらないからね。
だから、スレ主さんは一種の比喩表現として「オナニー」と「人命」を比べてこれを表現したのだと思うけど、実際問題として、私もエロ本を買ったことがあって、その金をエロ本ではなくアフリカの子供たちのための寄付に使えば数人から十数人の人命が助かっていたわけですから、エロ本を買った時点で私は「人命よりオナニーを優先したことがある」という事実があります。
しかしながら、これを友人や他人に言ったところで、私を「薄情な奴だ」と非難する人はいないでしょう。
むしろこんなことを真面目に語ったら、友人には「おまえそんなんマジで考えてるの? 大丈夫?」と心配されると思う。
ここで、まあ、おそらくスレ主さんも別にこのエロ本とアフリカ募金の比喩はわかると思うんだけど、ここで、スレ主さんの疑問「許される見殺し」と「許されない見殺し」の違いとは何か、となる。
でも、例えばエロ本とアフリカ募金で「おまえは薄情だ」と友人が言ったなら、その友人は「じゃあキミはエロ本を買うほど欲情してるときにその金を募金してるのか?」という話になる。当然のことそんな聖人君子はそもそもエロ本なんぞ求めないので、あるはずがない。
つまり「友人もエロ本を優先するので、私を非難するようなことは有り得ない」わけですね。
これを基本と考える。
すなわち「見殺しにした人物の心理・心情を理解し共感している読者」は、「見殺し」どころか「殺人」だって非難しませんよ。
このあたりは軽く最初のレスに書いたけども、要するに「見殺し」が納得できる展開をちゃんと積み上げてきましたか、というのが「許される」と「許されない」の物語的なラインで、それは作者が自分で作るもの。
今回の事に限らず、例えば古くは「萌えとは」とか王道では「面白さとは」とかニッチなところで「ヒロインが外道でも良いか」とか、詳しく掘り下げれば長くなるけど、簡単に言えば「萌えるように書く」「面白く書く」「外道が魅力になるよう書く」、それらは「作者がするもの」であって、スレ主さんも
>2種類が存在するのが現実なら
と書かれてるけど、そういう何かが「存在する」わけではなくて、作品の中に「作者が作る」ものなんですよ。
だから、「現実」と言うのなら、厳しいことを言うけども、
見殺しが許されるように書けなかった、というのが現実で、その原因として「異世界に興味がない」という主人公の特性を、作者が「薄情」と認識していなかった、というのがあると思う。
確かにデビルマンもドラクエも御作も、見殺しという点については同じですが、つまるところ過程と前提がまるで違うので、事実が同じでも結果は変わってくる。という話ですね。
ただ、スレ主さんが要約された作品の内容はご自身では意識されてなかったようだけど、明らかに「薄情な主人公」なので、それで読者である友人が「薄情だ」と感想を述べたということは、少なくともスレ主さんは表現力はある人なんだろうと思うので、次はプロットを書いた時点でご友人に意見をもらってみると良いのではないかと思う。
その際、よくある失敗として「いやドラクエもデビルマンも見殺ししてるんだからこれはアリだ!」と強弁するのではなく、「これだと読者には薄情に見えるのか」と受け入れる方向で意見をもらいましょう。
意見をもらいたいと言いながら自分の思惑と違う回答が来ると自分の主張を通そうとしてくる人がいますが、まあ、正直スレ主さんもちょっとそんな臭いがしたので。
「相手の意見」や「相手のアイディア」を採用しろって話じゃなく、「相手(読者)にはこう見える」って事実をまず受け止めるのが大事です。
そのうえで、「そう見えるのなら、逆に「薄情」をもっと押し出したほうがいいかな」とか「薄情に見えたら不味いから、どこが薄情に思えたのか意見が欲しい」とか、こうしたほうが建設的。
「こういう前例があるから、俺のも変じゃない」ってのは、作者はそう思ってても作者と読者は違うし、読者は違うと思ったから、作品は作者の思想が入るけど、作品を読んだ読者の感想に作者の思想は関係ないんだよね。
あと、ひょっとしたらって思うことは、「薄情」と「非情」をごっちゃにしてないかって事ですね。
人やモノに興味を持たないで何かあってもスルーしちゃう人を「薄情」と言って、人やモノに興味自体は普通だけど意識的に嫌な思いをさせてくるのが「非情」。
スレ主さんの主人公は薄情だとは思うけど非情ではないと思うよ。
設定では「主人公は異世界に興味がない」と薄情である風を書いているんだから、読者の「薄情」という感想はその通りで、ただ、作者が「薄情」を「非情な人間のこと」と考えているのなら、今のスレ主さんの反応は腑に落ちる。
訂正ヲ、求ム!!! (No: 19)
投稿日時:
ベルゼブブのスタミナや、クッパって助けを求められても見捨てるような薄情な連中だったか…?
人間賛歌は『遊戯』の参加!! (No: 16)
投稿日時:
キメエ
なんかお前らこういうクソだよね? 分かってますよ、とかナメた態度と同時に甘えて来るような不器用過ぎてキモい!
マシンガー並にキモい!!!
兜構図が嬢に薄いワケねぇだろ!!
自分がいくら損しても人助けも悪魔助けも止めないヤツが人を見捨てるのは、ただ単に懦弱で恋人が死んだ悲しみを自分がこれから見捨てようとした人間に求めているからで、死んだら、その悲しみすら理解されないだろ!! 見殺しなんて生温い
!!!!
才能があるかどうかで言えば、才能はあるのだろう…
普通のこと普通に書いたロシア文学じみたバットエンドは意外に難しい。
たが、やる気はないだろ?
やる気がある人間が、異世界に何も興味引かず帰るなど!自分が魅力的な世界を書けないことを認めながら、そのことに何も感じてない証だ!!!
ライトノベル作家への最短ルートがあるなら、ヤルことは決まっている!!
感想を貰うことは、タダではない。
次に満足いくものを作れなかったら感想が錆びるどころか、与えてもくれない。
ファンに応える気がないなら、ネットに上げないことだ。
お前が台所洗剤よりも全てに置いて上だと言うなら、「居合いも、空気も勝負も足らん!」
ゲッター仮面は悪魔で人間の話しだ。
馬鹿は、何時までも弱さになんて拘泥しない。
弱さに拘泥するのは、人間だけだ!
そして、その弱さを“強さ”に変えるのが空気だ!
空気は、全ての強さの上を征く!!!
理屈など、力の後に次いで来る金魚のフンにしか過ぎない!!
力を求めよ!!!!
拳を握れ!!!!!
余分に力が入って、指が開かないなら、それが『圧力』だーー!!!
『圧力』が全身に漲り、破裂しそうで躰から放出された状態ーーこれを『ブレイバー』状態と呼ぶ!
この『ブレイバー』状態こそ、天翔虎ノ煌の要よッッッ!!!
ーー普通のことを普通にしか書けない壁を感じるなら、『叫べ!』
人気回答!私もデビルマンのファンです (No: 17)
投稿日時:
デビルマンは確かに好例ではあるかもしれないので、それに即して考えてみます。
サバトシーンは単行本全5巻の版の場合、第1巻のクライマックスだったと記憶しています。優しく真面目な高校生だった主人公がデビルマンに変身し、まさに悪魔さながらとも見える凶悪な姿で殺戮含みのバトルを始める。衝撃的なシーンでした。
さて。
あのシーンで見殺しにされていた人間達は、すべてモブです。そして、モブなので描写は浅いですが、作者の意図として「低劣で、けして善良とは言えず、殺されても仕方がない者達」と設定されていたことは読めば明らかです。デーモンとの合体が始まるまえには、酒を飲んで無軌道に盛り上がるうちに、飛鳥了に意図的に挑発されたとはいえ笑いながら主人公に暴力を振るったりもしていましたよね?
現実に「殺されても仕方がない人間」がいるかどうかは置くとして。
デビルマンという作品のエンタメ・ストーリーとしての仕掛けは、そういう配慮がなされていました。そこがまず重要です。
永井豪はもともと反モラルの設定や描写のうまい作者ですが、それでも少年マンガ誌に連載されたエンタメストーリーですから、敢えて言えば「偽善的」なエンタメの定石はきちんと押さえてあるのです。
しかしながら。
あのシーンをさらに子細に検討すると、やはり際どい要素はあるんですね。
見殺しにされた人間達は笑いながら主人公に暴力を振るっていましたが、根っからのチンピラ悪役でもありませんでした。
せいぜい少し思考の浅い甘やかされた若者達というくらいで、デビルマンを誕生させるための飛鳥了の企みに踊らされ、異常な状況の中に誘導されて我知らずのうちに暴力的になっていたきらいがあります。日常世界に戻れば、不良とは言えそう悪くもない若者かもしれないと想像させます。
並のエンタメに登場するヒーローなら、そういう者達は一時的に暴力的になっていても見殺しにはしないという「定石」が確かにあります。
永井豪は、そこは大胆に踏み越える作者なので、おそらく堕天使さん自身が読者としてあのシーンに感銘を受けたということなのではないでしょうか?
しかし、あれはなまじっかな書き手に真似のできる力業ではありません。現に永井豪のアシスタントから独立した石川賢が『聖魔伝』という神と悪魔の善悪の関係を逆転させた世界観で長編を描いていますが、『デビルマン』の迫力には及ぶべくもない出来でした。
デビルマンに戻りますが、漫画版第2巻以降も読まれたでしょうか?
主人公はデーモンと合体して以降、風貌も一変してしまい、人間を守ろうという意志も保ちながら、時に体内で悪魔の血が騒ぐと言います。それに悩む様子はあまりなく、バトルとなればまさに悪魔さながらの凄惨な戦いに身を投じることも多いです。
しかし、愛情の対象である牧村家の人々には最後まで優しいですし、最終巻の途中くらいまでは人類を全力で守ろうとする姿勢も捨てていませんでした。
あの主人公のそういう部分にも注目されているでしょうか?
最終巻では、サバトの若者達が見せた「人間の弱さゆえの醜悪さ」がサタンに利用され、人類全体が共食いのような自滅に追い込まれるという展開でした。主人公が愛した牧村家の人々さえ狂った民衆に惨殺されてしまったのを目の当たりにしたとき、主人公は初めて人類を見捨てます。
ヒロイン牧村美樹の父母を悪魔と断じて拷問死させた悪魔狩りの政府関係者達を、主人公が焼き殺すシーンを覚えていらっしゃるでしょうか?
そのシーンで、政府関係者は主人公に命乞いをします。デビルマンである主人公の姿を見てデーモンの襲撃と勘違いし、「ここで殺した奴らは調べたら皆デーモンじゃなかった。ただの人間だった。我々はデーモンは殺していない。お前達が望むように人間を殺しただけだ。だから許してくれ」と言います。
その姿に主人公は怒りを燃やし、「俺は体は悪魔になった。だが人間の心は失わなかった。貴様らは人間の体を持ちながら悪魔になった。これが俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か」と叫びます。
2巻以降のこれらのシーンにも注目した上で、サバトのシーンをもう一度読んでみてください。
最後の最後に主人公が人類を見捨てた醜さの片鱗が、あのサバトシーンですでに描かれていることに気がつかれるでしょうか?
見殺しにされる人間はそうされても仕方がないと読者に感じさせる力。非情に見える一方で、優しさや志の高さを読者にしっかり伝える、描写とストーリー力。
それらがあったからこそ、多くの読者はデビルマンの主人公に共感し、支持したんです。
堕天使さんは、ご自分の今の実力で、それが実現できると思いますか?
いや、堕天使さんが永井豪にも負けない創作者を目指すという意欲をお持ちなら、それは素晴らしいと思います。応援します。
ただし、相応の研鑽は必要であることを覚悟してください。
許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 18)
投稿日時:
あと、みんな突っ込んでいない可能性をつっこんどくけど、
【そもそも、デビルマンもドラクエ8も未履修の人も存在する】からね。
そも引き合いに出すネタが古いねんオッサン超えてジーサンホイホイかよ
許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 20)
投稿日時:
読むせんさん バッキーさん みたらいさん 手塚満さん サタンさん あまくささん
回答ありがとうございます