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許される見殺しと許されない見殺しの違い (No: 1)

スレ主 堕天使 投稿日時:

「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」をテーマに「異世界転移した主人公が『だり~めんどくせ~わけわかんね~』とか言いながら異世界に興味を持たずさっさと元の世界に帰りたいとしか考えず、最後は放置しておいたら異世界の人間が何人も死ぬような問題が残っていても全く関心を持たず元の世界に帰っていく」という話を描いたら「この主人公薄情だな」と言われてしまったんですがなぜでしょうか?
漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
心当たりとしては「他の異世界転移ものは主人公が異世界に関心を持ってなんやかんやするって話が多いから、ここまで主人公が異世界に無関心で帰れるようになったらさっさと帰るって話はウケが悪いのかも」と思ってるんですがどうなんでしょうか。
ついでに聞かせてもらうと、ドラクエ8のストーリーを「賢者の子孫見殺しツアー」とか揶揄する人がいるのはなぜでしょうか?
あれだって漫画版デビルマンが許されてることを思えば何もおかしくないと思うんですが。

カテゴリー: ストーリー

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人気回答!許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 2)

投稿者 読むせん : 4 No: 1の返信

投稿日時:

>>「この主人公薄情だな」と言われてしまったんですがなぜでしょうか?
その読者さんなら、きっと助けようと動いたからでしょ。

 女性向け作品だと別に珍しくないよ。そういうの。女性の異世界召喚だと場合によっては遺伝子ほしさにハッピー苗床エンド多々あるし。

男性向けとかで書いて、男性に文句言われたんでしょう?知らんけど

人気回答!許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 5)

投稿者 手塚満 : 3 No: 1の返信

投稿日時:

結論から申せば、異世界ほったらかして元の世界に帰る、なんて当たり前すぎて面白くないからです。以下、少し説明してみます。

1.現実問題として帰りたいのは自然なこと

そもそも論として、この世界に生きている人間が突然異世界に飛ばされました、として喜んでその世界に残りたがるかという問題があります。飛ばされた先が中世欧風だとしておきましょう。現代的なアイテムはありません。スマホない、PCない、ネットない、ゲームない、コミックない、アニメない、ラノベない、カラオケない、あるわけない、なぜなら電気すらない。普段使ったり遊んだりしていたものが一切ない。

何か魔法が使えたりはするかもしれない。しかしそれで元の日常生活とバーターになりはしないでしょう。友達だって元の世界と切り離されて、いちから作り直し。さらに治安悪い、ヤバいモンスターうようよ、変な病気ある、不衛生、トイレ汚い等々。

2.帰るつもりなら行った先のことは気にしなくて当たり前

異世界に飛ばされたら帰りたくて当たり前。御作では実際、元の世界に帰りたい主人公なわけですよね。元の世界に帰るんだから、飛ばされた先の異世界がどうなるかなんて関係ない。例えば現実で考えると、戦乱の外国に突然連れて来られたとして、戦乱を収めてから帰りたくなるわけないです。その場にいても対岸の火事、まずは難を避けたいとしか思わないはずです。

3.当たり前のことをそのまま提示しても感動するわけない

繰り返しですが、異世界に飛ばされたら帰りたくて当たり前、異世界の問題なんて元の世界に帰ってから思い出すかもしれない程度です。異世界に飛ばされて変えるだけの主人公は物凄く自然です。だから受けないんです。当たり前のこと書かれても、当たり前だとしか思わない。分かり切ったことで感動するわけない。

物語を読むのは、やっぱり奇跡が見たいからなんです。奇跡って普通は見かけないものです。見たこともないものを見たいからフィクションの存在意義があります。現実では起きないこと、起きそうもないことを、いかにも起こり得るように見せられるのがフィクションなわけですから。

4.読者は問題の核心は教えてくれない

異世界転移・転生ならば、普通は帰りたくて当たり前のところを、なぜか異世界で踏ん張り、その世界を救いさえする主人公のドラマを見たいのは当然です。異世界ほったらかして、サクっと元の世界に帰る主人公では肩透かしです。しかし読者は不満の核心を正確には教えてくれません。自分(読者)の期待したものとの差を言ったりします。それが「薄情」と表現されることもあるでしょう。

しかし、十中八九、原因は奇跡を見せてもらえなかったからです。異世界転移・転生作品が数多と出て、異世界で踏ん張る主人公が当たり前になっちゃいまして、そのほうが「当たり前」な感じがするのは分かります。が、依然として現実には起こりそうもないことがフィクションでは起きているわけです。

5.異世界から帰れない理由を作る必要性

何も悩まず異世界になじむ主人公は多くなったものの、以前ですと帰還の望みを断つ設定やドラマが入れてあるのが通例でした。元の世界では既に死んでいる、帰還方法が不明(それが作品テーマのことも)、ゲーム世界ならログアウトできない。異世界に引き付ける方法としては、元の世界では無能だが異世界では無敵のスキルが付与された、異世界のヒロインに一目ぼれ、異世界が入れ込んだゲームの延長みたいになってる等々があります。

そういう作品の作者は現実の常識を弁えていたわけです。突然変なところに放り込まれたら、まず抜け出して自分の家に帰りたくなるもんだ、ということですね。しかし、繰り返しですが、それでは当たり前で、主人公に目を引き付けることができない。異世界なんて設定したのは、主人公に四苦八苦して奇跡を達成してもらうため。ですので、「帰れない」「帰りたくない」理由をきちんと作ったわけです。そうすれば主人公が逃げずに奇跡を達成させることができる。

6.元の世界に帰還するなら、それが最大の奇跡であるべき

そうした「異世界転移・転生物語が成り立つ理由や工夫」を度外視して、異世界で頑張る主人公の逆張りをしても受けません。仮に元の世界に帰る大事な理由を設定しても、おそらくは無効でしょう。そんなものなくても帰りたいんですから。元の世界に帰るストーリーが成り立つとしたら、異世界が真剣に好きになったのに、どうしても元の世界に帰らねばならない主人公の苦悩を描いた(※)、とかでしょう。

※ 「異世界のアイテムを持ち帰れば、元の世界で死ぬ運命の妹を救える」、「異世界に主人公が居座ると異世界が滅ぶ」、「異世界ヒロインの悪事の濡れ衣をあえて着て、元の世界へ逃亡」等々。

異世界から元の世界へ帰るなら、その帰還が奇跡となるような物語を描く必要があります。何度も繰り返しますが、よく考えたら当たり前、を物語にして読者に差し出すべきではありません。

人気回答!許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信 (No: 6)

投稿者 サタン : 3 No: 1の返信

投稿日時:

ぶっちゃけ、質問の意味がわからんかな。
だって、異世界(の人々)に無関心で興味持たない主人公なんでしょ? いや、その時点で薄情な主人公像じゃんか。
そういう主人公を書いて読者の感想で「薄情だな」と言われ、作者がそれに疑問を持つって意味がわからん。
「薄情」って「情に薄い」って書くわけだからさ。
マザー・テレサが「愛情の対義語は無関心だ」って言葉を残してるけど、人は興味を持つから愛情が生まれてくわけで、世界に無関心な人は薄情だよ。薄情でなければ多少でも興味を持ってるよ。
なので、再三繰り返しだけど、薄情な主人公を書いておきながら薄情だと読者に言われて何故もなにもない。

スレ主さんの作品の問題は、「主人公が薄情であること」ではなく、「薄情な主人公や物語を面白くできなかった」ってこと。
もしくは読者がそこを読み取れなかったってこと。
読んでないのに何故そう言い切れるのかっていうと、作者が「主人公の薄情さが面白味だ」と認識してないことがお悩みから読み取れるから。
そのテーマの面白味はどう考えても「周囲に興味を持たない主人公が自分にとって大事なことのために動く薄情な展開」だと思うんだけど、その面白味を押し出せていなかったと思われる。

で。
その面白味が活かせてれば、つまり「薄情なとこが面白いよね」という作品であったなら、同じ展開でも読者の感想は「薄情だから良い」となるし、最後に異世界人を見捨てて帰るオチでも「この主人公ならこうだわな」ってなる。
面白味を活かせてなかったから、というのが原因だし問題点。

>漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
こうした既存作と比べる疑問をちょいちょい聞くけど、その部分だけにフォーカスしても意味がなくて、例えば肉親が人間に殺された直後とか「その展開が納得できる状況づくり」を上手くやっていたり、例えば主人公の悪魔の部分を強調したいなど「もともと主人公にそういう部分があるという設定の描写」がちゃんと出来ていたり、そのシーンに至るまでの過程でちゃんと積み上げてきてるから問題ないし、おそらくは作者の意図した通りのイメージを読者に持たせることに成功している。
逆に言えば、
例えば漫画「ベルセルク」で主人公が人を見殺しにせず、正義の心に目覚めて人助けをしはじめたら、それこそ読者からツッコミが入る。

「見殺し」という展開に「許される・許されない」なんて絶対的なラインは無いし、それは作者が物語の中で作り上げるもの。
それで言うと、そもそも「薄情な主人公」としておきながら作者がその魅力を理解していなかった様子なので魅力を押し出せていない作品だろうし、面白味であるはずの部分を読者から「薄情だ」と言われてしまった以上、作者がそのラインを作り上げることが出来なかったというだけ。

なので、
>許される見殺しと許されない見殺しの違い
問題はそこじゃないと思うよ。

人気回答!私もデビルマンのファンです (No: 17)

投稿者 あまくさ : 4 No: 1の返信

投稿日時:

デビルマンは確かに好例ではあるかもしれないので、それに即して考えてみます。

サバトシーンは単行本全5巻の版の場合、第1巻のクライマックスだったと記憶しています。優しく真面目な高校生だった主人公がデビルマンに変身し、まさに悪魔さながらとも見える凶悪な姿で殺戮含みのバトルを始める。衝撃的なシーンでした。

さて。
あのシーンで見殺しにされていた人間達は、すべてモブです。そして、モブなので描写は浅いですが、作者の意図として「低劣で、けして善良とは言えず、殺されても仕方がない者達」と設定されていたことは読めば明らかです。デーモンとの合体が始まるまえには、酒を飲んで無軌道に盛り上がるうちに、飛鳥了に意図的に挑発されたとはいえ笑いながら主人公に暴力を振るったりもしていましたよね?

現実に「殺されても仕方がない人間」がいるかどうかは置くとして。

デビルマンという作品のエンタメ・ストーリーとしての仕掛けは、そういう配慮がなされていました。そこがまず重要です。

永井豪はもともと反モラルの設定や描写のうまい作者ですが、それでも少年マンガ誌に連載されたエンタメストーリーですから、敢えて言えば「偽善的」なエンタメの定石はきちんと押さえてあるのです。

しかしながら。

あのシーンをさらに子細に検討すると、やはり際どい要素はあるんですね。

見殺しにされた人間達は笑いながら主人公に暴力を振るっていましたが、根っからのチンピラ悪役でもありませんでした。
せいぜい少し思考の浅い甘やかされた若者達というくらいで、デビルマンを誕生させるための飛鳥了の企みに踊らされ、異常な状況の中に誘導されて我知らずのうちに暴力的になっていたきらいがあります。日常世界に戻れば、不良とは言えそう悪くもない若者かもしれないと想像させます。

並のエンタメに登場するヒーローなら、そういう者達は一時的に暴力的になっていても見殺しにはしないという「定石」が確かにあります。
永井豪は、そこは大胆に踏み越える作者なので、おそらく堕天使さん自身が読者としてあのシーンに感銘を受けたということなのではないでしょうか?

しかし、あれはなまじっかな書き手に真似のできる力業ではありません。現に永井豪のアシスタントから独立した石川賢が『聖魔伝』という神と悪魔の善悪の関係を逆転させた世界観で長編を描いていますが、『デビルマン』の迫力には及ぶべくもない出来でした。

デビルマンに戻りますが、漫画版第2巻以降も読まれたでしょうか?

主人公はデーモンと合体して以降、風貌も一変してしまい、人間を守ろうという意志も保ちながら、時に体内で悪魔の血が騒ぐと言います。それに悩む様子はあまりなく、バトルとなればまさに悪魔さながらの凄惨な戦いに身を投じることも多いです。

しかし、愛情の対象である牧村家の人々には最後まで優しいですし、最終巻の途中くらいまでは人類を全力で守ろうとする姿勢も捨てていませんでした。

あの主人公のそういう部分にも注目されているでしょうか?

最終巻では、サバトの若者達が見せた「人間の弱さゆえの醜悪さ」がサタンに利用され、人類全体が共食いのような自滅に追い込まれるという展開でした。主人公が愛した牧村家の人々さえ狂った民衆に惨殺されてしまったのを目の当たりにしたとき、主人公は初めて人類を見捨てます。

ヒロイン牧村美樹の父母を悪魔と断じて拷問死させた悪魔狩りの政府関係者達を、主人公が焼き殺すシーンを覚えていらっしゃるでしょうか?
そのシーンで、政府関係者は主人公に命乞いをします。デビルマンである主人公の姿を見てデーモンの襲撃と勘違いし、「ここで殺した奴らは調べたら皆デーモンじゃなかった。ただの人間だった。我々はデーモンは殺していない。お前達が望むように人間を殺しただけだ。だから許してくれ」と言います。
その姿に主人公は怒りを燃やし、「俺は体は悪魔になった。だが人間の心は失わなかった。貴様らは人間の体を持ちながら悪魔になった。これが俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か」と叫びます。

2巻以降のこれらのシーンにも注目した上で、サバトのシーンをもう一度読んでみてください。
最後の最後に主人公が人類を見捨てた醜さの片鱗が、あのサバトシーンですでに描かれていることに気がつかれるでしょうか?

見殺しにされる人間はそうされても仕方がないと読者に感じさせる力。非情に見える一方で、優しさや志の高さを読者にしっかり伝える、描写とストーリー力。

それらがあったからこそ、多くの読者はデビルマンの主人公に共感し、支持したんです。
堕天使さんは、ご自分の今の実力で、それが実現できると思いますか?

いや、堕天使さんが永井豪にも負けない創作者を目指すという意欲をお持ちなら、それは素晴らしいと思います。応援します。
ただし、相応の研鑽は必要であることを覚悟してください。

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