自分の文章がいつも痛々しく見えてしまう。自己陶酔におちいらないようにするにはどうすればよいか。の返信
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自分の文章がいつも痛々しく見えてしまう。自己陶酔におちいらないようにするにはどうすればよいか。(元記事)
初めまして。最近二次創作の小説を書き始めた者です。
ここ以外の数々の批評サイトから、まずは兎に角ネタを集めること、そしてそれをプロットに起こしてから書くべきだと学び、それを実践しています。
遅筆のため今は三作目に取り掛かっている最中です。
現状説明はこのくらいにして、本題に入らせていただきます。
単に私の経験不足や慣れていないことが原因なのかもしれませんが、昨日書いた文章を読み返すと、ものすごく気持ち悪く思えるのです。初心者ながら小説を書き始めたものとしてこのような言葉遣いははばかられますが、文字通りに「うわなんだこれ、キモい」という感想しか出てきません。
何か決定的な、小説の敵といったものが私の文章にはあるのだと思います。
今日はこの文章を気持ち悪いと思ったので、念の為こちらに掲載しておきます。短文ですがわかることがありますでしょうか。(設定は、兄弟どうしの恋愛です。AとBが恋人関係にあります。BはAの二個上の兄です。)
恋人らしいふれあいを、もう一週間もしていない。
Aがそれに気が付いたのは家族で食卓を囲んでいたときだった。隣で二個上の兄は生姜焼きをおかずに白米をかきこんでいた。Bはきっちり三十回噛んでから飲み込んだ。居間の冷房は26度だったが、食事中のせいかBの鼻筋には小さな汗の粒が浮き始めていた。
Aは無意識にBの食事における繰り返しを食い入るように見つめていた。Bはまず、幾分深めの小皿に盛られたレタスを数枚重ねて箸で束ねた。
自分の文章がいつも痛々しく見えてしまう。自己陶酔におちいらないようにするにはどうすればよいか。の返信
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 4
キモいとは思いませんが、特徴がいくつかあります。
まず、
>きっちり三十回噛んでから
>居間の冷房は26度だったが、
>レタスを数枚重ねて箸で束ねた。
妙に几帳面に数字に言及しているのが、ちょっと独特です。
それと、視点が揺れ動いています。
>Aがそれに気が付いたのは家族で食卓を囲んでいたときだった。
>隣で二個上の兄は生姜焼きをおかずに白米をかきこんでいた。
ここは文体は三人称の客観描写なのですが、「Aがそれに気が付いた」とあり、隣で食事している兄を観察していますから、カメラアングルとしてはA視点なんですね。
ところが、
>Aは無意識にBの食事における繰り返しを食い入るように見つめていた。
この文章では、「Bを観察するA」が観察の対象になっています。
また、無造作に「無意識」のような言葉を使うのは、けっこうクセモノです。無意識ということは当然、Aには自覚がないことになりますが、かと言って他人の目から見て無意識かどうかなんて分からないはずなので、ここは所謂「神視点」になっています。
わずか数行の文章の中で、視点がAに寄り添ったり、急に引いたり、神視点がまざったりしています。こういう書き方は気持ち悪いか痛々しいかは分かりませんが、読者が作品に入り込みにくくはなります。
書かれている内容にしても、咀嚼の回数とか、冷房の温度とか、レタスの束ね方とか、読者がまず興味を持ちそうもないことに終始しているんですね。
まあ、そんなことばかり子細に観察しているAの心境が、「恋人らしいふれあい」からかなり離れてしまっていることは表現されていると言えなくもないですが。
他の方への返信に、
>好きな作家は三島由紀夫と川上未映子です。海外ならドストエフスキーです。
とありました。
なるほど。エンタメならまず通用しない文章ですが、純文学なら無くもない気もします。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 自分の文章がいつも痛々しく見えてしまう。自己陶酔におちいらないようにするにはどうすればよいか。