追記。そもそも恐怖と感情移入の方向性をどう捉えているのかわからないの返信
元記事を読む
追記。そもそも恐怖と感情移入の方向性をどう捉えているのかわからない(元記事)
ホラーということなのですが、何をどう怖がらせたいのか整理した方がよいかもしれませんよ。
だんだんストーカーになっていく主人公の姿や心情が恐怖の対象ということでよいでしょうか?
しかし読者にすれば恐怖を感じるものに感情移入はしにくいだろうと思われるので、そもそもそこに矛盾があります。一人称か三人称かという問題ではありません。
また、サタンさんも仰っているようにストーカーになっていく主人公に感情移入させること自体は可能だと思います。ですが、感情移入させてしまったらもはやその主人公は恐怖の対象ではあり得ません。
つまり、ストーカーを一人称で描くと読者が感情移入できなくなるということではなく、ホラーとして成立しなくなりかねないのが問題です。
あるいは。
読者が主人公に感情移入させた上で、そういう主人公が壊れていく恐怖――つまり、自分の心が壊れていく恐怖を描くといった方向性ならあるかもしれませんが。
うん、そういうホラーもあるかもしれませんね。実例としては、エドガー・アラン・ポーの『黒猫』は近い感じかもしれません。
そういう方向なら当然一人称で書くべきですし、『黒猫』は一級品のホラーになっています。ただ、ポーの作品は、読者にふと「自分の心にも、こういう闇がひそんでいるかもしれない」と思わせることはありますが、それは感情移入とは別物でしょう。
普通の意味での感情移入とストーカーの恐怖を両立させたいのならば、素直に普通のキャラクターである主人公がストーカーに苦しめられる話にするのが自然です。
また、読者を惹きつける要素は主人公への感情移入だけではありません。恐怖そのもによっても惹き込むことは可能だし、ホラーというのは本来そういうものです。なので、ホラーに感情移入は必ずしも重要ではないとも言えます。
追記。そもそも恐怖と感情移入の方向性をどう捉えているのかわからないの返信
スレ主 パンナコッタ 投稿日時: : 0
あまくさ様
アドバイス、ありがとうございます。
ご指摘頂いた“読者にすれば恐怖を感じるものに感情移入はしにくいだろうと思われる”
その通りで自身が見落としていた視点でした。
サタン様にも返信させて頂いた様に、主人公の心情、行動の変化が恐怖の対象として書いてみたいと思いました。
ご教示頂いたアラン・ポーの黒猫との作品は、率直に自身の表現してみたかった事そのものでした。一度読んで、落とし込んでみたいと思います。
ありがとうございます。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 1人称か3人称で書くかで悩んでいます