追伸
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導入部分と本編で人称を変えても良いのか。の返信(元記事)
>小説の書き方としてはアリなのでしょうか?
「書き方として」は問題ありません。
それどころかよく使われるもので、もっと強調したい場合は本来小説には不向きな二人称で冒頭部分を書くこともあります。
しかし一方で、人称が変わるということに違和感を覚える読者がいるのも事実です。
これは正確には「人称が変わるのが嫌だ」ではなく、「人称が変わるとわかりにくい」のが原因で違和感を覚えるので、言ってしまえば「視点移動でわかりにくい」という話題と根本は同じです。
この場合は「わかりやすいように努力しましょう」という以外にない、単純な技術不足なので、人称が変わることに違和感を覚える人もいるけど、それを考慮しても「書き方」としては何も問題はありません。
……なので、まあ、実際に読んでわかりにくいと感じれば、感想で「人称を統一したほうがいい」と答えることもあると思います。というか、そういう場合はたいてい「冒頭の一人称いらないよね?」という感想になりますが。
これは要するに、本来問題ない書き方だけどキミはそれを扱うだけの技術がないから今は統一したほうがいいね。という事ですね。
素人作品を読んでると、そういうことは割りとあります。
ただの例えなので、ニシンさんを指して技術不足だと言ってるわけではありません。
うっぴーさんも書かれていますが、冒頭に掌編を置くというのはよくある手法なので、あくまで冒頭だけ(あるいはプロローグとエピローグだけ)ならこれだけで「わかりにくい」と指摘されることもないだろうと思います。
追伸
投稿者 サタン 投稿日時: : 4
書き漏らしがあったので、追伸。
>やはり、人称を変えると最初のイメージを壊してしまう可能性がある為
むしろ人称を変えることで新しい話題に「切り替えることができる」と前向きに考えたほうが良いでしょう。
ぶっちゃけ、逆に「導入部分」だけで壊れてしまうほどのイメージを積み重ねることは難しいですから。
一人称好きな読者が、導入部分が終わって三人称一視点になったんで興味を削がれる、という状況くらいしか、この考えには当てはまらないと思います。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 導入部分と本編で人称を変えても良いのか。