元記事:創作してぶつかる悩みの返信
良回答がたくさんありまして、どうしようか迷ったのですが、自分の失敗を繰り返す方は少ないほうがいいと思い、回答を試みてみます。以下で、駄目な事例を書いてたりしますが、ほとんどは自分の実体験と思ってください。
多少長くなりましたので結論から先に申し上げますと、「たくさん読んで、たくさん書くしかない」となります。
1.手段と目的が入れ替わってしまう
読むせんさんが、パズルゲーム実験でお示しのことは、現実でもよくあります。類例として、次のようなものがあります。
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「空き地で子どもが集まって球技をするので、うるさくて仕方ないと思った隣接の住人がいた。そこで子どもたちに「お小遣いを上げる代わりに、あっちの公園で遊んでくれ」と頼んだ。子どもたちはお小遣いがもらえるならと、喜んで応じた。
しかし次の日も子どもたちは空き地にやって来る。住人はまた小遣いをやって去らせた。そういうことが1週間続いた。
さらに次の日、子どもたちが空き地にやって来たが、立札があった。
『今日からお小遣いはありません』
これを読んだ子どもたちは、
「ちぇっ、お小遣いくれないんなら、もういいや」
と言って立ち去り、二度と空き地に近づかなくなった。
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子どもたちは最初、球技がしたいから空き地に来たわけです。しかし代償を得て、喜んでしまった。繰り返されて、子どもたちは目的が「球技がしたい」から「小遣いをもらいたい」にすり替わってしまった。
作品を通信販売してみて、書いたり読んだりする楽しさから、読者評価(結果は販売数に現れる)にすり替わってないでしょうか。おそらくそうだから、「他の方へ妬みすら抱いてしまう」という気持ちも起こるんじゃないかと思います。売れている作家のようになりたい、ですね。作品内容よりも、作者の知名度や、販売実績(やら感想やら、無料作品ならPVやら)に憧れるようになってしまってないでしょうか。
2.模倣は成長の第一歩
「あの人のようになりたい」「この作品のように書きたい」というのは、決して安易でも下卑てもいません。人間の基本的性質で、何かを見て「いいな」と思ったら自分でもやりたくなるのです。そうして個人の資質は上がっていきます(さらに属する集団のレベルも上がっていく)。模倣は向上のための第一歩になるわけです。
3.書きたいから書くのは、なぜ?
「自分が書きたいんだから書く」というのは二次創作ならおありであるわけですね。しかし「なぜ書きたい?」まで突き詰めたでしょうか。オリジナルではモチベが湧きにくく、二次創作なら面白がってやれるのはなぜか。
二次創作で起こりやすいモチベや興奮は、元作品(さらにジャンル)で得られた快の経験が刺激されることが大きく影響します。書いてみた(あるいは読んでみた)作品だけの面白さだけではないわけです。
これは他のことでもよくあることでして、美味いラーメンを食べると、ラーメンを食べ歩くようになるのと似ています。たとえ、美味しさに感動したラーメンに及ばないラーメンでも、最初の感動が蘇る効果があるから、充実度、満足感が得やすい。それが次のラーメンを食べに行くモチベともなります。一度もラーメンの味で感動したことがなければ、そんな好循環は生まれません。
4.作品1つだけで面白がれるわけではない
二次創作であれば、元になったオリジナル作品の面白さや、それに感動したことが、創作のモチベに加わるわけです。自分で作ってみた作品を読み返しても、元作品で得た感動が加わってくれます。共通の好きな作品があるファン同士だと、その作品で駄弁っても盛り上がります。その延長線上に二次創作の感動があるわけです。
オリジナル作品を書くと、そういう効果は得られません。書いてみた作品そのものの感動になるわけです。二次創作では面白がって書けて、オリジナル創作ではモチベが保ちにくいなら、自分の中の快の経験・記憶が刺激されるかどうかが影響している可能性があります。
対策がないわけではありません。二次創作の元作品とて、たいてい何らかのジャンルには属するでしょう。作品レベルではなく、ジャンルレベルで自分が好きなものを選べば、そのジャンルで培った快さが共鳴してくれる可能性が高くなります。
しかしもし、受けることを意識するあまり、自分が好きなジャンルや要素を犠牲にしていたら、難行苦行になりやすいでしょう。それに、興味が薄いことを書いていても、例えばリアリティは出しにくくなります。盛り上げ方もよく分からないはずです。興味が薄い分野は知識も少なくなりがちだからです。よく知らなことは見様見真似すらできない、と申したらいいでしょうか。
5.守破離の段階を確実に踏むべき
しかし、面白がって書いてさえすればいいのか。趣味で書いていても、(無料・有料を問わず)誰かに読んで欲しいから公表するわけですよね。プロでも自分が書きたいように書いて、評価されないと言っている事例がある。評価されるためには評価されるように書かねばならないわけです。これで売れるか、ではなく、これで買いたくなるかで書く。つまり、読者のために書く。
となると、書きたいように書いているだけではダメだけど、好きなことを書くべきという、一見は矛盾になります。これは段階別の話だからで、サタンさんがお示しの守破離だと、以下のように腕を磨いていって、最後に好きなことが書けるようになるからです。
守:1つの流派、1人の師を真似る
→好きな作家の面白さを研究し、追求する。わき目はふらない。
破:他の上級者も真似てみる
→守で得た基礎をもとに、優れていると思う他の作家の技術を盗んでみる(盗むには基礎が要る、守なしにはできない)
離:自分流に到達する
→学んだことが自分の中でこなれて、身に着いたら到達できる。この時点で「きちんと真似するなんて、不可能に近い」と分かったりもする。
6.守の難しさは離に至ってから分かる
例えば、夏目漱石の「坊っちゃん」を読んで、模倣作品を書いたとして、元より面白くするのは至難の業です。
(ただし、書いた本人は元作品より面白いと思うことはしばしばある。イケア効果と呼ばれ「自分の手掛けたことに価値を感じる」から。自分の作品は同等の他人の作品より20倍面白く感じてしまう。)
無意識に名手の技を出せるかって、そんなことは確率的にもあり得ません(←よく引き合いに出される「猿がデタラメにタイプライターを叩いたら、シェークスピア作品になっていた」のレベル)。
劣化コピーになってしまうことはあります。模倣を意識しても、意識しなくてもです。普段、何気なく話している言葉だって、聞き覚えたものです。大なり小なり、真似て覚えたことを喋っているのがほとんどです。だから、他人が聞いて言葉自体に感動されるなんて、ほとんどない。意味内容・知識部分とて、たいていどっかで仕入れたものです。完全オリジナルの考え方なんて、滅多に出てくるものではありません。
では、誰の話も聞かず、書籍等から学ばずで、名言を吐いたり、他人が感心するような考えを編み出せるのか。無理なことはお分かりと思います。せいぜいが「車輪の再発明」でしょうか。もう誰でも分かっていることに行きつくのがせいぜいです。それ以外の圧倒的多数は、間違えただけになります。まずは人並みを目指すべきであるわけです。
7.結論再掲「たくさん読んで、たくさん書く」
ですので、小説を書きたかったら、小説をたくさん読んで、たくさん書くしかありません。小説を書くための基礎的な勉学も必須です。自分らしさを出せるのは、その先の先にあります。まずは、たった1つをそこそこ真似できるレベル(守破離の守)に達しなければなりません。
でないと、自分だけが気持ちよく、他人は読みたがらないものを書き続けてしまうことになりかねません。自分だけがしたい遊びに他人を巻き込むと、高確率で嫌われます。要注意です。
上記の回答(創作してぶつかる悩みの返信の返信)
スレ主 みやき : 0 投稿日時:
回答ありがとうございます。初めて完成させたオリジナルから、達成感を味わってしまい、誰かにも読んでみてほしい。と思ったのが、評価に固執していた原因かもしれません。誰かも知らない人の作品を迷わず買うか、みなさんの意見を聞いた今なら、大半がまず買わないだろうと理解できます。今回のことは、自分にとってすごく勉強になりました。色んな方の本も読んでみようと前向きに考えられるようになり、よかったです。
ありがとうございました。
カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 創作してぶつかる悩み
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