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追記。左甚五郎の彫り物。

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創作論の投稿(元記事)

間違ってるところあったら直してください。

読者は「現実」に対して一種の先入観を抱いている。ファンタジー小説を読むのは読者の住んでいる世界という「現実」とのギャップがあるからだし、ミステリーが面白いのはまず小説で提示された情報に抜け穴があり、物語の内部という「現実」とのギャップが存在するからだ。

「現実」は読者の偏見や先入観によって構築される。ギャップが物語という媒体で提示されなければならないのは(つまりスーパーのポップにでかでかと貼ってあってはいけないのは)読者のそうした先入観を次々と裏切っていくことで読者の持つ常識に別の視点を加えることが目的だからだ。

読者は本の中で提示された設定と今までに身に着けてきた常識とを組み合わせて物語の中の世界をイメージする。このイメージを推意と呼ぼう。推意は物語を読み進めるにつれて次から次へと更新されていく。読者の抱いていた推意に対する確信が強いほど、そしてまた読者がその推意を覚えているほど、それが裏切られたときのショックは大きく、常識が書き換えられた気がする。

読者が強い推意を抱いていない状態でそれを裏切る設定を公開しても強いショックは与えられないし、またそうした設定に説得力がない場合も同様である。スーパーのポップに何らかのメッセージを貼る行為は、読み手の興味がないこと(=先入観を抱いていないこと)を根拠なく提示している点で、ショックは与えられない。
本の場合はある出来事を事実だと思い込ませたり推意への反論となる根拠を散りばめたりする時間が豊富だからこそそうした行為が可能となる。

物語の最後で主人公が女性だと判明する展開が読者に面白いと思われたのは、それまでの話で読者は主人公を女性だと思う根拠がいくつも与えられ、しかもそれらが女性でも行い得る行為だったからに他ならない。「春が二階から落ちてきた」という文の次に長々と言い訳のような文章が続くのは、読者に複数生じるであろう推意を一つに固定化し、読者の先入観を早々に更新し終えて次の推意を行う準備を済ませるため(つまりチェーホフの銃が発生することによって読みにくくなるのを防ぐため)だ。

ここで二つの小説の冒頭を見てみよう。

1.
”①うだるような暑さで目を覚まして、カーテンを開くと、窓から雪景色を見た。
②青々と茂った庭の草木に、今もちらちらと舞い落ちている綿のような雪は、いずれ世界を一面の白に染めるだろう。路上に人の行き来は絶えている。昨日、川向こうの花火大会を見届けた窓にぺたりと頬をくっつけ、あたしはその冷たさと静寂に、ひとつ震えた。"(伴名練『なめらかな世界と、その敵』 〇段落番号は私)

(ネタバレ注意)第一段落では複数の解釈が発生する。可能性が高いと考えられるのはどちらかが比喩である可能性だ。しかし第二段落で少なくとも比喩ではないだろうこと(つまりこれが超自然的な現象であること)が分かる。すると解釈の取りうる範囲が絞り込まれ、読者は異常気象などの要因を考える筈だ。すると解釈があまり多様でなくこの場で重要でもないと思われるような他の出来事は無視されるようになると考えられる。この文の後、主人公の教室には転校生がやってきて何か問題を抱えているようなしぐさを見せるが、そのとき読者の行っている推意のなかではその問題は日常の一部分にすぎず、現在解明されようとしている謎とは関係がないと思われるがゆえにそれほど印象に残らない。読者はその出来事をこれから謎を解明していくために筆者が立てた道具としか考えない。だからこそ物語をストレスなく読むことができる。

2.
"国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。"(川端康成『雪国』)

この文は一見1.で述べた考えと矛盾している。「国境の長いトンネルを抜ける」の主語が不明であるという点と「夜の底が白くなった。」の意味するところが不明な点とが多様な解釈を生んでいるがその答えは最後まで分からない。
1.の文章との違いは第一に解釈の幅が狭い点であり、第二にそのどれだったとしてもストーリーを理解するのには差し支えないと思われる点だ。
1.では複数の解釈があり、かつそれが少なくとも比喩ではないことが明かされる。つまり物語を理解するための重要な前提条件としてその謎が提示されている。読者の目を向けている対象たる謎が主人公ではなく世界観であるために、その他の出来事はせいぜい謎を解き明かすための道具としか認識されないし、どうでもいいこととして推測される。
2.「国境の長いトンネルを抜ける」の主語は汽車か乗客の主人公であると推測される。これは読者が読み進めるにあたっては問題ない表現だと言えるかもしれない。1.と違って世界の根幹に影響するような大規模な謎を提示しているとは考えにくい。どちらの解釈だったとしても主人公はその場にいると考えた方が自然だ。
「夜の底が白くなった。」も同様である。少なくとも「夜の底」として指示されているものの中に主人公は居ないと考えられる(もっとも関連性の高いものを挙げるとすれば、空とか地面とかの筈だ)し、また主人公は葉子という女性の素性を知りたがっているが、「夜の底が白くなった。」が何を指しているのか(つまり夜中に何かが光って見えたことをそう表現しているのかどうかなど)がそれに影響している確率は低い。さらに言えばこの文のすぐ後に闇の中明かりを下げてやってきた男の存在が、この比喩が単に情景を写したものである可能性を補強し、解釈を絞り込んでいる。読者が常識的に考える範囲では、物語の全体像をこの時点ではある程度推意することが可能だ。

1.と2.をまとめれば、次のようになる。
「謎は、推意される世界観が複数発生してしまう(解釈が多様である)ことにより発生する。」
「謎には序列があり、読者が重要だと思っている出来事に関する謎ほど読者の目に留まりやすく、読者はそれ以外の出来事に対しては無難な解釈をする。」
「謎を解決する過程でまたもう一つの謎が発生し、しかもその真偽によって最初の謎の答えが変わると考えられる場合、読者はストレスを感じる。」

加えて言うならば、テレビアニメの多くが場所のカットから始まるのは場所に対するヒントが十分でなければより序列の低い謎に対する注意が向きにくく、読者にストレスを与えることになるからだ。
また恋愛漫画の登場人物が素直に自分の感情を伝えたほうがいいと言われるのは、解釈をひとつにまとめることで「本当に愛しているのかどうか」という最大の謎を解決するためだ。

裏を返せばそれは、上記のような問題がない限りヒントは少なくて構わないということにもなるだろう。二次創作はしばしば原作にある矛盾を登場人物の恋愛感情等が原因であると解釈して行われたり、登場人物同士にあり得たかもしれない関係を想定することで行われたりするが、これらは推意の多様さを逆手に取り自分自身で視点を変革する行為でもあるだろう。解釈の多様さは生活を豊かにしてくれる。

以上を踏まえれば、下のような条件が考えられる。

"物語はその時点で序列の最も高いものから順番に、読者が求める答えに到達するまで謎を解いていくプロセスである。それがより序列の高い謎の答えに影響しないように見える限り、謎はいくつ置いてもよい。"

以上。
「序列」の高低や「読者が求める答え」がどのように決まるかということと、他に例外はあるのかということがまだよく分かっていなませnが、一応何かを真似るときの指針になるのではないかと思いました。

追記。左甚五郎の彫り物。

投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0

伴名練と川端康成の文章に対する分析そのものは興味深かったので、思ったことを少し書いておきます。
特に1の伴名練作品について。この冒頭は確かに仕掛けが分かりやすく、「うだるような暑さ」なのに「雪景色」という矛盾をまず読者にぶつけているんですね。2行目以降はこれの補強になっていて、雪景色についての描写が追加されながら「花火大会」という夏を連想させるワードがまたしても登場しています。

スレ主様の解釈では、1行目だけだと読者に単なる文飾としての比喩と受け取られかねないので、2行目以降の補強によって、そうではなく主人公の周りで実際に起こっている異常現象の描写であることを読者に伝えようとしている。
平たく言えばそういうことかと思いました。

次に、

>解釈があまり多様でなくこの場で重要でもないと思われるような他の出来事は無視されるようになると考えられる。

うん。
ここが割と重要なんですね。

頭が良くて文章力のある初心者が陥りやすい傾向として、比喩を駆使した流麗な文章を書こうとしすぎるというパターンがよく見られます。しかしそういう文章は美文がノイズになってしまい、そのパートで何を読者に伝えようとしているかという方向性が分かりにくくなってしまいがちです。
なので、書き手が方向性を意識して、それを要所で読者の頭に定着させる配慮は大切です。

ただ。

偉そうに言うのも気が引けるのですが。

上記の伴名作品からの引用は、そういうことへの配慮は感じられるものの、個人的にはまだ弱いと思ってしまいます。
ぶっちゃけ、技巧に走りすぎでしょう。読者の印象に必ずしも強く残る書き方になってはいないように感じます。

以下は、江戸の彫刻家、左甚五郎のエピソードだったと思います。

多少うろ覚えですが、寺社の庇を飾る竜の彫り物の制作を、若い新進気鋭の職人と競うんですね。
若い職人は精緻な技巧の限りをつくして、皆が感嘆するような見事な竜を彫り上げます。しかし甚五郎は、一目見て「それではダメだ」と言います。
甚五郎がそう断じた理由は、実際に若者の彫り物を高い庇に付けてみてはじめて分かります。距離を置いて見上げると、彫り物の細かい造作がよく見えず、印象がぼやけてしまったんです。
甚五郎の掘った竜はやや大袈裟なほど深々と削り込まれていて、近くで見ると荒く見えますが、庇に付けて見上げるとディテールがくっきりとして、まるで生きているようだったそうです。

上記の引用文は、私には若い職人の彫った竜のように感じられます。
エンタメ作品の文章は、要所ではケレンをつけて大袈裟なくらいに目立たせた方が良いというのが、個人的な見解です。

スレ主様の「推意」という考えは、着目点としては秀逸だと思います。そういう感覚を意識しながら作品を作ること自体は大切かと。
ただ、推意のコントロールだけで読者の興味を引きつけることができるかと言えば、疑問を感じます。目立たせるべきポイントはむしろ演出で目立たせるべきで、それがあってこそ(どちらかと言うと)隠し味としての推意操作が生きるのではないでしょうか?

   *   *   *

補足1。
先の書き込みで例に挙げた『まどマギ』は、プロットそのものが推意操作の連続で構成されているような脚本です。ここまでやれば思い切り目立つので、謂わば甚五郎の竜のようなものになっているように思います。

補足2。

>「謎を解決する過程でまたもう一つの謎が発生し、しかもその真偽によって最初の謎の答えが変わると考えられる場合、読者はストレスを感じる。」

>より序列の高い謎の答えに影響しないように見える限り、謎はいくつ置いてもよい。

このあたり、ちょっとピンときませんでした。

序列の高い謎の答えが変化するのは悪手というお考えでしょうか?

私としてはむしろ、読者が序盤や前半で最高序列の謎と推測したファクターがストーリーの進展とともに覆り、後半や終盤に至って真の最高序列の謎が明らかになるといった展開の方が望ましいと考えるのですが。
『まどマギ』は、まさにそういう脚本でした。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 創作論の投稿

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