三人称視点における文章の表現の仕方についての返信
元記事を読む
三人称視点における文章の表現の仕方について(元記事)
久方ぶりに投稿させて頂きますニシンです。夜遅くの投稿で恐縮でありますが、どうかよろしくお願いします。
内容はタイトル通り「三人称視点における文章の表現の仕方について」です。三人称一元視点、三人称神視点と呼ばれる視点において曖昧な表現は避けるべきだと言う話を聞いたのです。例えば「彼の目の前にはリンゴがいくつか転がっている」という文章の場合「いくつか」という点がNGであり「彼の目の前にはリンゴが3つ転がっている」という様に個数を明確に記載し「いつの頃からか」と言った文章は時間を正しく明記しなければならない言う物でした。そこで質問なのですが、三人称というカテゴリに含まれる視点の場合、上記のように曖昧な表現は避け、明確に、如実に記載しなければならないのでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。
三人称視点における文章の表現の仕方についての返信
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 2
おはようございます。
以下、一応私見としたうえで。
結論から先に書くと、「彼の目の前にはリンゴがいくつか転がっている」も「いつの頃からか」も別に問題ないと思います。
仰るような見解をどこで聞かれたのか気になりますが、思うに一人称は主観的視点、三人称は客観的視点だからと言いたいのだろうと推察されます。
例えばリンゴの数が数十個だった場合、パッと見て正確な数を把握するのは難しいですよね? なので一人称の場合は「オレの目の前にはリンゴが36個転がっている」と書くとやや不自然です。一人称は曖昧な表現と相性がよいとは言えそうです。
しかし、だからと言って三人称なら正確な数を書かなくてはならないということはないのでは? そもそも「曖昧」イコール「非客観的」ではありません。リンゴの数が特に重要ではない場合、いちいち「3つ」とか「36個」とか書くのは煩雑だから「いくつか」「多数の」ですませている場合もあるからです。
「いつの頃からか」にしても、三人称の小説でそういう表現を使っている例は珍しくないように思います。
一人称は制約が多く三人称は制約が少ないというのが基本的な考え方です。よって、
◎一人称は曖昧な表現と相性が良い場合もあるが、三人称は曖昧な表現も明確な表現もどちらも受け入れてよい。
そういうことかと考えます。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称視点における文章の表現の仕方について