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バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。 (No: 1)

スレ主 ニシン 投稿日時:

超能力や魔術を用いた直接的なバトルを売りにした作品で、ラスボス的存在が地味な能力であるというのはよろしくないでしょうか? やはり、バトル物であればある程度の華やかさをもった能力の方がいいでしょうか? 

カテゴリー: キャラクター

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 派手さは強さに通じますね。大きさも強さに通じます。しかし、そうでありさえすればいいか、本当に派手さ、大きさで強さが表されているのか、よく考える必要があるように思います。

 結論を先に申し上げてみます。ラストまででラスボスの強さを表現しておくことが不可欠で、それさえできていれば大丈夫です。逆に、ラストバトルの派手さ等の、最後の部分だけでは迫力は表現できません。

 実写映像作品で、もう10年以上前のものですが、「牙狼(1期)というものがあります。当初から、ラスボスはラストで出現する巨大な「メシア」と呼ばれる魔物だとされていました。

 途中までのメインの敵ボスは、暗黒魔戒騎士と呼ばれる、主人公(黄金魔戒騎士)と対極のキャラが暗躍していましたが、終盤で暗黒魔戒騎士は自らが出現させた、巨大なメシアに飲み込まれて、いったん消えます。(まあ、悪役のよくある自滅パターン)

 当然、主人公と巨大なメシアが対決するわけですが、苦戦しつつもなんとか撃破、そこで大団円かと思ったら、暗黒魔戒騎士が復活、主人公との最終対決になります。

 この最終対決が非常に迫力があったのです。そこが受けたせいか、以降の牙狼シリーズでは、ラストの対決は、最終盤で出現する巨大なラスボス戦→序盤からいる等身大ラスボス戦、がフォーマットとなりました。

 しかし、巨大な敵の後、等身大の敵が出て来たって地味です。でも、なぜか最後の等身大ラスボスが巨大ラスボスより強いと感じられます。このことは後述します。

 別の例では、ラノベでアニメ化もされた「とある魔術の禁書目録」がありますね。ラスボスではなく主人公のほうになりますが、能力が「幻想殺し」なる「触れば異能を無効化」であることは有名です。

 これも地味です。他の異能キャラは電撃だ、反射だ、炎だ等々、派手な技使いまくりです。しかし、主人公が出てきて触るとそれらはストップ、地味な対決になります。序盤の異能キャラ中、最強のラスボスという感じの「一方通行」(攻撃全反射)との対決では、主人公は異能技を停止させ、殴り合いで決着でした。でも、手に汗握るし、燃えるし、でした。

 やはりもう古典に属しますが、コミック(とアニメ)のドラゴンボールにおいては、逆説的に「小さい者のほうが強い」というパターンがあります。サイヤ人襲来の部分では、小さいベジータと大男のナッパが地球に到達、ナッパが最初は暴れまわるわけですが、実はフリーザのほうがはるかに強い。ナッパが怯えてました。

 その後、フリーザがラスボスとして登場します。フリーザも小さいですね。しかし、並み居る強豪、強いことが充分描写された部下が、名前を聞いただけで震え上がって怯える描写がありました。

 主人公の強さを証明するのは敵、特にラスボスですね。主人公は作中の最強キャラに勝つことによって、新たな最強の座を獲得します(そこでキャラが立ったりもする)。では、ラスボスの強さはどうやって表現するのか? ラスボスです、強いんですと説明しても、強さは感じられません。

 序盤で主人公を倒してしまえば(主人公はぎりぎり生存させる)、主人公と相対的な強さは表現できます。でも、具体的な力量差が見えてしまいますね。どのくらい主人公が強くなれば勝てるかが分かってしまう。

 フリーザの強さの表し方ですと、主人公たちに容易に勝てる部下を用意していました。その部下がフリーザを非常に恐れる様子が充分描写されたので、フリーザは得体のしれない強さが感じられるものとなっていました(加えて、当時は斬新だった数値による戦闘力表示も強さの描写を助けていた)。

 フリーザやベジータの場合は、強さの表し方がセオリーと逆方向になっていて、しかし充分に強さが感じられるものです。ただし、戦闘は派手ですので、その点はご質問の件では参考にはなりません。

「とある魔術」にしても、序盤ラスボス「一方通行」が、表舞台では最強クラスとされる「御坂美琴」(超電磁砲)に恐れられ、能力的に劣るとはいえ御坂美琴のクローン御坂妹を1万人以上、圧倒的実力差で殺害したと描写されています。

 その一方通行に主人公が勝つわけですね。単に殴り倒して。派手な描写は本当のタイマンに至る前まで。主人公が触ってしまえば全ての異能の効果は消えるわけですから。

 牙狼1期ですと、明示的な描写はないんですが、暗黒魔戒騎士が巨大なラスボス:メシアに飲み込まれたけれど、飲み込み返したような印象がありました(ただし、ウィキペディアや公式サイト等では、そう明言されておらず、むしろ鎧のみ復活した、みたいな説明がある)。ですので、「この等身大ラスボス強いぞ」という感じがありました。

 戦闘は地味とは言えませんでしたが、そこまでの数多くの敵との戦闘と同等くらいの派手さです。少なくとも、巨大なメシアなるラスボスとの戦闘とは比較になりません。等身大ですしね。でも、迫力が感じられた。

 これらは全て、ラスボス敵の強さを充分感じられるよう、長い尺を使って描写したからなのです。決して、ラストバトルだけ取り出して、敵の強さは感じられません。

 長くなりました。以上のような次第ですので、最初に申し上げた結論になります。
「ラスト前までの段取り次第です。」
「ラスボスの強さを、ラスト前までで表現しきることが必要です。」
「逆にラストでだけ派手とか巨大にしても、迫力は出ません。」

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タイトル:バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。 投稿者: ニシン

超能力や魔術を用いた直接的なバトルを売りにした作品で、ラスボス的存在が地味な能力であるというのはよろしくないでしょうか? やはり、バトル物であればある程度の華やかさをもった能力の方がいいでしょうか? 

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