元記事:地の文によるボケやツッコミ。
今書いている小説についての悩みなのですが、タイトルに上げた通り、三人称での地の文によるボケやツッコミを挟もうかと考えています。
作品のコンセプトとしては『転生した先の世界をどこか他人事のように見てしまっていた主人公が、精神的成長に伴って、段々と異世界での己を受け入れ、異世界という現実に向き合っていく』というシリアスな内容を目指しています。
一方で、『他人事すぎる主人公』が『異世界での生活に馴染めない』というコンセプト上、序盤~中盤は内容がややグダりがちで、なおかつ伏線張りの都合もあって薄味になりかねない危惧があります。
その対抗策として『地の文によるボケやツッコミ』を挟むことで、つまり主人公の視点と少し離れつつ、コメディ要素を挟むことで、中~終盤でのシリアスさへのギャップと場持ちを測りたいと思っています。
一方で『主人公の視点を離れ、地の文が喋りすぎる事』には以下のような問題点もあるように思います。
①視点が主人公から逸れるため、感情移入がしづらい
②物語の流れを中断しやすく、読みづらい
③作中の各キャラの感情に関係なくふざける為、純粋に不快
勿論、数や場所を絞れば読者の不快感をおさえつつも進める事は可能でしょうが、一方で『序盤をコメディ調に進めたい』という本来の目的からはやや逸れるような気もします。
こういった手法を用いることについて、皆さんはどう思われるでしょうか。
ご意見を聞かせて頂ければ幸いです。
上記の回答(地の文によるボケやツッコミ。の返信)
投稿者 カイト : 1 投稿日時:
こんにちは。
地の文によるツッコミ。三人称一元視点で主人公の代弁としてのツッコミではなく、あくまで神視点でのツッコミになるのでしょうか。たとえば、『ちびまる子ちゃん』のキートン山田みたいな。あれくらいの頻度ならシュールな笑いとしての効果大ですが、頻発させるなら鬱陶しさを感じるかもしれません。「お前誰だよ」と。
それならいっそ、地の文を最初から「誰かの視点」として描いてみたらいかがでしょうか。たとえば、『主人公を転生させた「神」が語り部として紡ぐ物語』、みたいな感じ。
神はあくまで語り部であるので、主人公も他の登場人物も認識できないし、神自身が彼らに干渉することもない。ただ、自分が転生させた主人公とその周辺のあれこれについて観察し、時に感情を動かされツッコミを入れる。
乙一のデビュー作『夏と花火と私の死体』が、幽霊の「わたし」視点の物語でした。ずいぶん昔に読みましたが、殺されたにも関わらず非常に淡々とかつ客観的に、自らの死体の処理に奔走する犯人たちの姿を観察していて、それがとても空恐ろしかったのをいまでも覚えています。
それと、先日の「方言」の件で蛇足な補足を。
〉てげてげ、は初めて聞いたかもしれない。短縮された後、今度は短すぎるから繰り返しの形式に変化したんだろうか。
とのことですが、「てげ」だけだと「とても、すごく」という意味になるんですよね。
例)
「掃除てげめんどいっちゃ」(掃除とてもめんどくさい)
「てげてげでよかろ」(ほどほどでいいでしょう)
みたいな感じです。
方言、言葉って面白いですよね。
ではでは、脇道に逸れてしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。
執筆活動応援しています。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 地の文によるボケやツッコミ。
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