最近漫画などでは、性別未分化モノが流行っている様で、どこか性別という概念の息苦しさを表している様にも思えます。甘粕です。
甘粕自身、性別が男女の中間に位置する中性の為(詳しくはwikiを参照の事)
性別を主題とした物語を手がけたいと思ったのですが
ここで二つほど悩みが出てきました。
・漫画では、その性別の曖昧さがイラストによって可視化され、
わかりやすくなっている&大半が恋愛もの、なので読んでくれる人も多かろうと思うのですが、小説ではジャンルは選べても性別の曖昧さを表現する事がどうにも難しい。
(私は数年前漫画を描いていたので、別媒体で展開も出来なくもないのですが……)
・そして性別という概念を社会全体の仕組みから考えた時に
社会が崩壊するレベルで、制度などを考えるのが難しい。
(これを回避する為に性別未分化モノは殆どが恋愛ものなのか? と思ったり)
性別未分化モノを恋愛抜きで小説で展開させる事は難しい事なのでしょうか?
私が何故そのジャンルを手がけたいか、という理由を述べますと
私自身がはっきりしない苦しい思いを昇華させたい、知ってもらいたい、という思いがあるからですね。で、わかりやすい手段として「物語化」させたいという事です。
皆様の知恵をお貸し頂けないでしょうか?
自己自身が経験であり、調べていらっしゃるようですので、私は科学の方面から色々
あなたに問う形で、あなた自身の知恵を引き出そうと思います
なにせ、結局表現とはそういうあなたの心から出てくるからです
田中さんが叙述とおっしゃっていますが、私などはここで「私」を使っていますが、
この単語表現からあなたは私の性別、それからストレートに書きますが、私の性
自認と機能がどういうものか、考え付く、または想像がつくでしょうか?
誤解の無いように先に書いてしまいますが、私は自己認識、外見、性機能と家庭内の
役割ともに、全て「男」です
あなたが経験してきたことや漫画やイラストでこういった物が分かり易いと感じるの
も、恋愛というよりも、ひとえに外見・外性器が描かれるからだろうと推測します
が、成長とともに男女識別に容易く収まっていくかどうかはともかくとして、どの
個体も性徴に関して思う事というのはそれなりにあります
私にも昔はありました
そういう状況での思考、心の中という領域では、それは自己認識のみに依存する
「自己と性認識」であって、この領域では男女とか中性、未分化、半陰陽その他と
いう「外部から個体を性別として記号化する表現」というのは、まだ踏み込んできて
いないのです
性に関する人格非難が厄介なのは、まさにこの領域における問題ですし、ちょっと
一度、難しさや苦しさというものが具体的に何なのかを、一歩引いて考え直してみて
下さい
今あなたは、外部を観察することで外部の目線に立って個体内部の性へと言及した
り、社会システム論の方へと着目しているようですが、そういう中でも「性を抱えた
個人」の内心は、登場人物が存在するならば、あり続けます
というか、現代社会がそうです
一足飛びに社会システムの形成か崩壊かに目が向いているようですが、リミットではなくて虫や魚などでは繁殖期が来ると、環境によっては性が変化する種があることを、ご存知でしょうか?
なんだかんだで、個体が生存して社会を形成していないと形成や崩壊以前に登場人物
の出番がないので、あの辺の柔軟極まりないシステムの、その辺から参考にされるとよいと考えています
あとは、そういう作品がない、またはただ流行る、というのは科学的に厳しい発言に
なりますが、個体として母数の数が少ないから、そういう者の側に立った思考を持つ
ことがないからなのでしょうがありません
息苦しさなのかどうかは、あえて私個人からは「いやいや、それで済まさずにそれを
こそ文章表現すべきでしょう」と更に後押しします
恋愛に結び付けるのも、ストレートに言いますが性差の生物的メリットが異性接合に
あるからその動因の恋愛段階の表現をすると、異性間恋愛と「比べて」分かり易く
中性の様子を記号化して表現出来る、というだけのことです
あとは恋愛は、成就しようと悲恋だろうと感情を動かしやすく、また「愛で社会的な
障壁なんか乗り越えてやるぜ」という話に組み込みやすいからですし、先に挙げた
性徴、性認識が10代から始まるので、若年者にも理解させやすいのです
ですがそうであろうと「あなた」、それから小説内の登場人物はこの側にこそ立つ者なのですから、それを文章表現するというのは、問題なく心の表現として機能します
先だって「私」を挙げましたが、これが僕であれオレであれ、そういう語り口から
語るのは、別に認識の誤魔化しや崩壊を試みる行為とは言い切れません
「むかしむかし」のように、状況の条件指定を適切に読者に受け取らせる言葉の意味
づけを、あなたがすればよい、というだけのことです
平たく言うと外部規範ルールを意識するより、文章表現上のルールに細心の注意を
払って書いた方がよい、です
要するに、制約などは作品の中のみに設けて、作者のあなたはあまり「外部の性観察
者」の目線に立たずに、あなたが思うように書けばいいのですよ
現実でも、ご存知かもしれませんが10数年前にクロスドレッサーと言って、異性の
装いをファッションの中に組み込むモードが、一時期東京辺りで流行りました
その中に何名あなたのような境遇の者がいて、真の意味でこの社会的なムーブに参画
しただろうかと、そういう疑問の提示で〆ようと思います
性認識や異性装関連は、昔から我々もよく取り扱っています