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【本人から削除依頼】さんの返信一覧。最新の投稿順11ページ目

元記事:ラッキースケベについて

まず最初にこれは真面目な話であることを理解お願いします。

とりあえず、ちょっと聞きたいのですけど、ラッキースケベって必要なのでしょうか?
なぜそんなことを言うかというと、自分が書く作品の主人公はラッキースケベをするような主人公ではないのです。
もしラッキースケベが起ころうとしたら、それを回避しようとする主人公なのです。
例えると、魔法科高校の劣等生の主人公であるお兄様みたいな感じです。
で、ラッキースケベは必要でしょうか。
というより、ラッキースケベとはどの度合いを言うのでしょうか。
女の子に抱きつかれたりするのはラッキースケベに入るのでしょうか?
もし自分の作品の主人公がラッキースケベをするとしたら、ドアを開けたら女の子が着替えてるところに遭遇するとか、女の子に抱きつかれたりする程度です。
間違っても転んで女の子に突っ込むようなことはしません。
そんなことをする前に主人公の能力とかで回避してしまうからです。

長々となりましたけど、以上の点からラッキースケベは必要なのでしょうか?

上記の回答(ラッキースケベについての返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 2 投稿日時:

 作中のキャラ視点と、作者視点が混同されていないか、ちょっと心配になります。杞憂だとは思いつつも、その線で一応、書いてみようと思います。なお単純化のため、ラッキースケベとなる被害者(?)が女性である場合に限定してみます。

> 自分が書く作品の主人公はラッキースケベをするような主人公ではないのです。
> もしラッキースケベが起ころうとしたら、それを回避しようとする主人公なのです。

 ラッキースケベは、アクシデントです。作中のキャラ視点では不可抗力なものを指すのであって、ラッキースケベをするとか避けるとかいったものではありません。

 作中のキャラ視点で可能なのは、第一にはラッキースケベが起こった後の行動、言動です。直ちにラッキースケベ状況から離れ、かつ恥じ入りさえする描写があれば、ラッキースケベすら忌避する主人公のイメージになります。逆にわざと引き延ばしたり、後で思い返してニヤつくと逆の性格描写ですね。

 第二には、ラッキースケベに遭遇しそうな状況を避けるかどうかがあります。階段で上側にスカートの女性がいるときは階段を避けるか、少なくとも自分の足元しか見ないとか。ただ、ラッキースケベを周到に避ける描写をすると、かえってスケベ性を感じてしまうこともあり(「なんでそんなにラッキースケベ熟知してるのw」みたいな)、匙加減が必要だと思います。

 キャラ視点でまとめますと、ラッキースケベ自体を避けることも起こすことも原則的には不可能で、可能なのは事後の対処だけ。発生確率を避ける行動はかろうじて可能だが要注意、となります。

 一方、ラッキースケベが発生するか否かを決めるのは作者視点です。作中のキャラに制御不能なアクシデントの発生を決めているのは作品世界の神、すなわち作者だからです。作者が物語の進行や読者の興味を掻き立てるのに必要と思えばアクシデントを入れますし、逆に物語的に無意味、さらに邪魔となりそうなら、高確率で起きるはずのことも起こさせなかったりします。(それが不自然にならないように見せるのが作者の腕前)

 ですので、作品にラッキースケベが必要か否かという点ですが、物語の進行やキャラ描写に必要なら入れるべき、不要なら避けるべき、となります。

 ラッキースケベを忌避する主人公をお考えということから、単純に考えると、ラッキースケベは作者が制御して回避すべきでしょう。しかし、ラッキースケベですら避けるキャラだと示すには、ラッキースケベを発生させて、主人公の対応を描写するのが有効だったりします。勇者が勇者と認識されるには肩書だけでは説得力がなく、勇気を試されるイベントのクリアが必要、みたいなことですね。

 何がラッキースケベかという点については、作品での「スケベ」レベルの扱い次第となるように思います。具体的には「どの程度で羞恥心を感じるか」です。これは、同じキャラでも状況で変わったりしますので、同一作品内でも一定しません。

 例えば、現実でもある例としては、ビーチやプールでの水着。かなり大胆なビキニで闊歩してたりしますが、じゃあ街中で同じようにして歩けるかと言えば、恥ずかしくて無理でしょう(本人も周囲も)。

 フィクションでも、夏のラッキースケベの定番の一つ、プール・海水浴でヒロインのビキニの紐がほどけて、というのはトップレスですが、街中でヒロインにトップレスさせたら、以降のストーリーに重大な影響が出かねません(ヒロインが恥じ入り、人前に出られなくなる、とか)。スケベのレベルを決めるのは、ヒロイン個人の状態だけではなく、主人公の反応を含む、周囲の状況との兼ね合いであるわけですね。

 逆のケースもあります。例えば女性下着業界のフィクションを作るとします。下着をつけた女性はもちろん、下着を外した女性との遭遇といったラッキースケベを全く入れずに描写を続けたら、おそらく嘘くさいでしょう。「何回振っても、なぜか1の目だけは絶対に出ないサイコロ」みたいなもんで、イカサマ臭くなります(確率的には0ではない、つまりあり得ないとはいえないんだけど)。
(発生確率の高いラッキースケベだと、目を引く度合い=インパクトが下がるといったことがあるけど割愛。)

 もしかすると、一方通行さんは、「ラノベならラッキースケベは不可欠と言われている」みたいな話をお聞きになって、入れないとラノベではないのかと不安に思われたのでしょうか? もしそうなら、そんなことはないので気にされないほうがいいと思います。読者受けのためだけに入れるのは、物語の進行を妨げ、かえって作品をつまらなくしてしまいます。無理に避けるのも同様です。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: ラッキースケベについて

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元記事:いっこうにストーリーが

つい最近活動を始めた創作ド初心者です。
ラブコメや現実世界線のSF物を書こうとしたものの、キャラが思い付くのまでは良いんですが、全く物語が編めません。
一体どうすればいいのか……。

上記の回答(主人公像は最後に考えてもいいかも)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

 考えてみたものの、サタンさんのご意見の枠組み内になっていますし、ある場合にはこう、みたいな一例にもなってしまっています。応用性に欠けるなどの点を予めお詫びしつつ、個人的な経験での一場面でこうだった、という事例として見て頂けるよう、お願いします。

1.感動した作品による執筆意欲の罠

 好きな作品は、主人公に魅力を感じている場合が多いですね。いいなと思うものは、自分もやってみたいのが人情というものです。特に主人公が特異な能力を持っている場合に顕著です。そのこと自体は、いいことだと思います。

 しかし、主人公の能力に魅力を感じ、同じように特異な能力を持つ主人公までは考えたけど、そこから先が思いつかないってよくあります。剣の達人のフィクションを読んだり観たりして、槍の名手ならどうだろうと思いつく。槍の名手の設定は難しくはありません。物凄く簡潔に言えば「最強無敵の槍使い」ですから。

 じゃあ、その槍使いが活躍するにはどうしたら、どんなイベントがあれば、となってアイデアが出てこない。主人公に対抗できそうな剣使いが出てきて、えーっと、みたいになってしまう。話作りの自由度が大きすぎるんですね。なんでもいいがゆえに、方向性が定まらない。

2.主人公の能力・特性はイベントから引き出される

 一方、「どういう困難があるだろうか?」という発想も、お話作りにはあります。現実でも自分が困難に遭遇することは多々ありますね。高校や大学入試だと、「志望校に入学するには学力が足りない」とか。すると、「教科書や問題集がすらすら分かる頭があればよかったのに」とか「もっと前から準備しておけば」となります。(分かっちゃいるけど、ですけれどもorz)

 困難を先に発想すると、困難を克服できる能力や条件が発想しやすいわけです。どういう困難があるかを先に考え、その困難を解決できるキャラクターを次に考える。そういう発想順序だと、お話作りがやりやすくなってきます。

 自分が魅力を感じられる主人公を先に発想しても構いません。が、イメージした理想の主人公を全く変えずに、主人公が活躍できるイベント(≒物語)を発想しようとすると、発想自体が難しいこと以外に、なんとかアイデアをひねり出してもイベントに無理が出がちです。主人公を引き立てるためだけの演出臭さが出たりするんですね。

 ですので、最初の主人公案は仮のもの(叩き台)として、主人公が活躍できそうなイベント案をひねり出したら、イベントの見せ場、効果を最大になるようイベント主体で考え、イベントに応じて主人公(の能力、特性、弱点等々)も変えてしまうべきです。

3.悪役は能力が先、イベントが後

 一方、物語で事件を起こす悪役は事情が違ってきます。悪役は調和した平和を破る破壊者です。壊した後のことは考えなくていいキャラクターですね。波乱さえ起こせばいいので、能力から先に発想するほうが楽です。

 とてつもない腕力(と倫理観欠如)だけでもいろいろできます。しかし、物語を起動させるには、いろいろできるうちのたった一つを選べばいい。あれもできる、これもできるのに、なんでそれなの、なんてことはどうでもいい。野暮です。悪役は「こうしたいからこうする」のキャラです。

 つまり、こういう能力があれば、例えばこんな悪事ができるな、で物語をスタートさせることができます。悪役で説明しましたが、非常識なまでの無邪気でも似たようなことができます(ラブコメでよくある、例えば主人公に一目ぼれしてまとわりつく超絶美少女ヒロインとか、主人公が一目ぼれしたのが超横暴ヒロインとか、いろいろ)。

4.イベントが発生すれば主人公が必要とされる

 イベントが発生してくれれば、上記2になるわけで、イベントの解決方法(いわゆる「勝利条件」)も考えだすことができます。腕力頼りの悪党を止めるか倒すには、A.単純により強い腕力を持つ B.柔よく剛を制す C.正面からぶつからずに知略を用いる(孔明の罠)、などが容易に思いつけて来ます。そのどれかを、主人公が能力として持てばよい(もしくは、持とうと努力するのもドラマになる)。

5.とりあえずのまとめ

 以上のような次第ですので、物語発想のやりやすい手順の一例としましては、問題行動を起こしそうなキャラ→そのキャラが起こす具体的問題→問題解決策→主人公の能力・特性、という発想の流れがあるように思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: いっこうにストーリーが

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元記事:バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。

超能力や魔術を用いた直接的なバトルを売りにした作品で、ラスボス的存在が地味な能力であるというのはよろしくないでしょうか? やはり、バトル物であればある程度の華やかさをもった能力の方がいいでしょうか? 

上記の回答(バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 3 人気回答! 投稿日時:

 派手さは強さに通じますね。大きさも強さに通じます。しかし、そうでありさえすればいいか、本当に派手さ、大きさで強さが表されているのか、よく考える必要があるように思います。

 結論を先に申し上げてみます。ラストまででラスボスの強さを表現しておくことが不可欠で、それさえできていれば大丈夫です。逆に、ラストバトルの派手さ等の、最後の部分だけでは迫力は表現できません。

 実写映像作品で、もう10年以上前のものですが、「牙狼(1期)というものがあります。当初から、ラスボスはラストで出現する巨大な「メシア」と呼ばれる魔物だとされていました。

 途中までのメインの敵ボスは、暗黒魔戒騎士と呼ばれる、主人公(黄金魔戒騎士)と対極のキャラが暗躍していましたが、終盤で暗黒魔戒騎士は自らが出現させた、巨大なメシアに飲み込まれて、いったん消えます。(まあ、悪役のよくある自滅パターン)

 当然、主人公と巨大なメシアが対決するわけですが、苦戦しつつもなんとか撃破、そこで大団円かと思ったら、暗黒魔戒騎士が復活、主人公との最終対決になります。

 この最終対決が非常に迫力があったのです。そこが受けたせいか、以降の牙狼シリーズでは、ラストの対決は、最終盤で出現する巨大なラスボス戦→序盤からいる等身大ラスボス戦、がフォーマットとなりました。

 しかし、巨大な敵の後、等身大の敵が出て来たって地味です。でも、なぜか最後の等身大ラスボスが巨大ラスボスより強いと感じられます。このことは後述します。

 別の例では、ラノベでアニメ化もされた「とある魔術の禁書目録」がありますね。ラスボスではなく主人公のほうになりますが、能力が「幻想殺し」なる「触れば異能を無効化」であることは有名です。

 これも地味です。他の異能キャラは電撃だ、反射だ、炎だ等々、派手な技使いまくりです。しかし、主人公が出てきて触るとそれらはストップ、地味な対決になります。序盤の異能キャラ中、最強のラスボスという感じの「一方通行」(攻撃全反射)との対決では、主人公は異能技を停止させ、殴り合いで決着でした。でも、手に汗握るし、燃えるし、でした。

 やはりもう古典に属しますが、コミック(とアニメ)のドラゴンボールにおいては、逆説的に「小さい者のほうが強い」というパターンがあります。サイヤ人襲来の部分では、小さいベジータと大男のナッパが地球に到達、ナッパが最初は暴れまわるわけですが、実はフリーザのほうがはるかに強い。ナッパが怯えてました。

 その後、フリーザがラスボスとして登場します。フリーザも小さいですね。しかし、並み居る強豪、強いことが充分描写された部下が、名前を聞いただけで震え上がって怯える描写がありました。

 主人公の強さを証明するのは敵、特にラスボスですね。主人公は作中の最強キャラに勝つことによって、新たな最強の座を獲得します(そこでキャラが立ったりもする)。では、ラスボスの強さはどうやって表現するのか? ラスボスです、強いんですと説明しても、強さは感じられません。

 序盤で主人公を倒してしまえば(主人公はぎりぎり生存させる)、主人公と相対的な強さは表現できます。でも、具体的な力量差が見えてしまいますね。どのくらい主人公が強くなれば勝てるかが分かってしまう。

 フリーザの強さの表し方ですと、主人公たちに容易に勝てる部下を用意していました。その部下がフリーザを非常に恐れる様子が充分描写されたので、フリーザは得体のしれない強さが感じられるものとなっていました(加えて、当時は斬新だった数値による戦闘力表示も強さの描写を助けていた)。

 フリーザやベジータの場合は、強さの表し方がセオリーと逆方向になっていて、しかし充分に強さが感じられるものです。ただし、戦闘は派手ですので、その点はご質問の件では参考にはなりません。

「とある魔術」にしても、序盤ラスボス「一方通行」が、表舞台では最強クラスとされる「御坂美琴」(超電磁砲)に恐れられ、能力的に劣るとはいえ御坂美琴のクローン御坂妹を1万人以上、圧倒的実力差で殺害したと描写されています。

 その一方通行に主人公が勝つわけですね。単に殴り倒して。派手な描写は本当のタイマンに至る前まで。主人公が触ってしまえば全ての異能の効果は消えるわけですから。

 牙狼1期ですと、明示的な描写はないんですが、暗黒魔戒騎士が巨大なラスボス:メシアに飲み込まれたけれど、飲み込み返したような印象がありました(ただし、ウィキペディアや公式サイト等では、そう明言されておらず、むしろ鎧のみ復活した、みたいな説明がある)。ですので、「この等身大ラスボス強いぞ」という感じがありました。

 戦闘は地味とは言えませんでしたが、そこまでの数多くの敵との戦闘と同等くらいの派手さです。少なくとも、巨大なメシアなるラスボスとの戦闘とは比較になりません。等身大ですしね。でも、迫力が感じられた。

 これらは全て、ラスボス敵の強さを充分感じられるよう、長い尺を使って描写したからなのです。決して、ラストバトルだけ取り出して、敵の強さは感じられません。

 長くなりました。以上のような次第ですので、最初に申し上げた結論になります。
「ラスト前までの段取り次第です。」
「ラスボスの強さを、ラスト前までで表現しきることが必要です。」
「逆にラストでだけ派手とか巨大にしても、迫力は出ません。」

カテゴリー : キャラクター スレッド: バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。

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元記事:主人公以外視点の書き方。主人公の目を通して間接的に他のキャラの内面を表現する

 プロ作家がどのようにして、主人公以外のキャラの心情を表現しているか、プロの文章を参考にするのが最も良いと思います。
 実際に、最近の作品から引用してみます。

 ドワーフの王ギュンターは俺の側まで馬を走らせてくると囁いた。
「しかし、厄介なものだな。武人の矜持というやつは。まあ、ワシも人のことはいえないが」
 ギュンターとティンゴッド、種族は違えど似たようなところがあるのだろう。
 会話を交わしたことはないが、その生き方に共感めいたものを覚えているのかも知れない。

以上『魔王軍最強の魔術師は人間だった(4) 』(モンスター文庫) 2017/11/30刊行 著者:羽田 遼亮 より引用

 ここでは主人公がギュンターというキャラの感じていることをその言動から推測して、「その生き方に共感めいたものを覚えているのかも知れない」と感想を述べています。
 主人公の目から見て、このキャラはこのように思っていのだろう、と地の文で書くことで、間接的に他のキャラの内面を表現しているのです。
 
 どんな分野でもプロから学ぶのがもっとも効率が良いですので、いろいろな作品を読んで、その技をマネされると良いと思います。

上記の回答(主人公以外視点の書き方。主人公の目を通して間接的に他のキャラの内面を表現するの返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

(No: 6 うっぴーさんへ返信)

 引用なさったものは「小説家になろう」サイトにもありますね。商業出版ではいろいろ手直しされたと思いますが、ネット投稿時のものでも参考になるかと思いますので、ご紹介だけしておこうと思います。

「魔王軍最強の魔術師は人間だった」(作者:羽田遼亮)
 ・第四章 ドラグーン
http://ncode.syosetu.com/n6247dd/138/

 引用部分のすぐ続きで、やはり心情を推測で述べる手法を使っています。

> 次いでやってきたのはサキュバスのリリスだ。
>  彼女も武人の端くれなのだろうか、強敵に対する賞賛を惜しまない。

 この部分ですと、「だろうか」と推測+疑問の形を取り、より婉曲になっています。また、「武人の端くれ」という立ち位置で性格を伝えている点は、作者と読者の共有知識を用いて、読者側でイメージしてもらう手法だと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 主人公以外視点の書き方

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元記事:主人公以外視点の書き方

小説は主人公が見たものや感じたものを書きますが、主人公以外のキャラの見たものや感じたものを書きたい場合はどのように書けば良いのでしょうか?
それとも、急に主人公以外のキャラの視点で小説を書いていくのは出来ないのでしょうか?
教えていただければ嬉しいです

上記の回答(主人公以外視点の書き方の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1 投稿日時:

> 主人公以外のキャラの見たものや感じたものを書きたい場合はどのように書けば良いのでしょうか?

 書かないで済ます方法をまず考えるべきです(理由は後述)。
 主人公以外の他のキャラの見たもの、感じたことをどうしても記述する必要があれば、ダイレクトには台詞です。何を見たか、考えたか喋らせる。

・主人公:(地の文)
「電車で向かい側の席に座っている男が、目の前に杖を突いて立つ老人に席を譲ろうとしない様子に腹が立った。」
・他のキャラ:(主人公の隣にいるとして)
「なあ、あそこで座ってる奴ってさ、ほら向かいの席、目の前にお年寄りいんのに、平気なのかな。フツー、席譲んじゃないの? 杖突いてるの見えてるわけだし」

 曖昧に表現しても大丈夫な場合ですと、主人公が他のキャラを観察した様子で語ることも可能です。

・主人公:(地の文)
「電車で僕の横に立つ友人がちらっと向かいの席を見て、顔色が変わったのに気が付いた。視線を追うと、杖を突いた老人と、その目の前に座る男。どうも友人は男が席を譲らないのが気に入らないらしい。」

 主人公と他のキャラ一名が会話しているときでも、主人公を確定的に、他のキャラを目に見えるものからの推測で描写すると、自然になります。例:主人公「不思議に思った」→他のキャラ「不思議そうな顔をした」。

> 急に主人公以外のキャラの視点で小説を書いていくのは出来ないのでしょうか?

 視点移動と呼ばれるものですが、絶対にダメ、くらいに考えたほうがいいです。一応、三人称多視点といった手法名はありますが、読者が一読して分かるようにするのは、とてつもなく難しいのです。でも、作者は割と気軽にやってしまう。そして読者から描写が分からないと言われたりします。

 作者は「こっちのキャラから見てみよう」と思って、描写の仕方を変えることができます。書きあがったものは、途中で別の視点(別キャラ、別カメラ位置)に変わりますが、作者にはよく分かります。変えたのが自分だから、当然、よく分かるわけですね。

 読者は作者の内心の意図は読めません。書いてあることしか分からない。読者は単語ごとにイメージしつつ、文章が表す全体状況を再現しようとします。別視点に切り替わったことが分かるように書いてあれば、なんとかなります。しかし、たいていは情報不足になります。

 特に絵的なものですね。例えば、どちらから見たのか。コミックなら問答無用に絵を見せられます。でも文章だと、説明して読者に絵を描いてもらうようなものになります。イメージしてもらいたい物を、どの方向から、どういう距離で見ているのか、文章だといちいち説明せねばなりません。

 しかし、そんな説明をするとだらだらと長い文章になってしまいます。とても読めないものになるでしょう。それを避けて簡潔に説明しようとすると、情報不足になり、何をどう見ているのか不明に陥ります。

 それだけではありません。視点を一人(普通は主人公)に定めて動かさないようにすれば、たとえ三人称でも、読者は一人のキャラの見たもの、考えたものを追えば理解できます。現実でも、内面まで分かるのは自分だけですね。一人分ならいつもやっている通りですから、主人公の見たもの、考えたことを追っていくのは容易です。

 これが視点を切り替えられて、複数人になると大変です。普段やってない、多人数同時進行で思考や感情を追って行かねばなりません。こっちのキャラはこう考えていて、あっちは反対にこう思ってて、みたいに情報整理も必要となります。そういう訓練を積んだ人(例えば、多人数視点のフィクションを作り慣れた人等)なら別ですが、一般向けとしては難しいでしょう。

 小説は楽しんでもらうためのものであって、状況を正確に伝えるレポートやドキュメントではありません。楽しんでもらうためには、正確さを犠牲にしてでも、楽に読めるものである必要があります。

 視点移動は作者の書ける自由度が高いため、楽に、しかも状況を正確に書き表せる手法です。しかし、作者が楽をした分は、読者に苦労させることになります。エンタメにおいては、作者が自由度の低い書き方(視点固定)で苦労してでも、読者に楽をさせるべきです。でないと、読んでもらうことすらできないでしょう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 主人公以外視点の書き方

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元記事:カットの仕方って、どうしていますか?

 気がつくと予定の量の二倍・推敲でさらに倍化するときがあります。

 心がけているのは、『エピソード・シーンなどを減らして、描写を濃くする』です。
 説明不足を避けるためですが、これのせいで文章が増えていると感じます。

 特に起承転結の起が困ります。全体の五パーセントから十パーセントに収めたいのに、三万・四万はオーバーします。予定が二四万字で、最後には倍になると計算すれば、ちょうどいいのでしょうか。
 いちおう、登場人物と身の回りの環境だけを描写した結果が、これですが。(章も一つ、まるごと削りました)

 解決策はプロットの変更です。しかし、設定・登場人物を削った結果、むしろ前より長くなったのではないかという疑惑が立っています。

 それとも、冒頭の問題でしょうか。
 承の事件・出来事が発生する場面を最初に持ってきたり、後から起で起きた出来事を説明したり。
 そういうやり方のほうがいいかもしれません。

 それと、説明を全て描写・エピソードに変換した弊害もあります。登場人物が物語を勝手に進めて、視点が読者側を向かず、置いてけぼりを食らっているのではないかと感じます。

上記の回答(カットの仕方って、どうしていますか?の返信)

投稿者 サタン : 1

「設定を全てエピソードに変換した」というのは、例えば「魔法はMPを消費する」という説明をするために、地の文でそれを説明するのではなく、「魔力が切れてぶっ倒れるというエピソードを書く」ことで設定をエピソードで説明している、という事でいいんでしょうか。
それとも単に説明シーンを消去して別のエピソードを書いてる感じでしょうか。

まあどちらにせよ、自身で「弊害」と認識されてるように、説明を全てエピソードにするとページ数が膨大なことになります。
単純に、地の文の説明とエピソードでの説明では文字量が違うからね。
なので、「説明として地の文であっさり書くべき設定」と「エピソードで描写するべき設定」とで取捨選択をする必要があります。
これは流石に作品によって違うので第三者が横からとやかく言えるものではないので、設定とにらめっこして大事な設定の優先順位をつけていったほうが良いでしょう。

また、「説明不足」を気にされてるようですが、基本的に説明は読まれません。流し読みです。
なので、そもそも「説明不要でも理解できる」ように書く必要があります。
――もっとも、そのための「設定のエピソード化」なので、いよいよ設定の取捨選択が大事になってくるわけですが。

プロットについてですが、どのようなプロットを作っているのでしょうか。
これは人それぞれなので何がどうと口をはさみにくいのですが、物語の筋はちゃんとプロットに書かれているでしょうか。
書いてあるとすれば、その筋を細かく噛み砕いていけば計算通りに書けるようになります。
例えば私の場合は、
「勇者が魔王を倒す」という話を作るとして。
「勇者が村を出る」「仲間と出会う」「魔王軍と衝突する」「魔王を倒す手段を手に入れる」「魔王を倒す」
という感じで「勇者が魔王を倒す」を噛み砕いて細かくします。
更に同じように「勇者が村を出る」を噛み砕いて、
「勇者が平和に暮らしている」「魔王が復活した噂が流れる」「魔王軍に村を滅ぼされる」「流れの傭兵団に助けられる」「村を出る」
という感じで細かくしていきます。
したら、「勇者が平和に暮らしてる」というシーンは、当たり前だけど「勇者が平和に暮らしてる」という様子が書ければ問題ないことがわかりますよね。
このシーンを文章に起こした場合、どれくらいかかるでしょうか。
人によって違うと思いますが、この「一文」に対してどれくらいの文章量になるのか把握していれば、箇条書きにした一文の数で全体のおおよその文字量が算出できます。
私の場合は1000~5000文字ほどなので、この「勇者が魔王を倒す話」は25000文字~125000文字の範囲で書くことができます。まあだいたい9万~12・3万ほどかかると思います。
この時点で多ければ箇条書きにした一文を部分的に削除し、少なければキャラをテーマにしたサブエピソードやサブプロットを追加していきます。

と、このようにプロットの時点で大雑把な全体像と完成図を設計します。
さきほど書いた「箇条書きの一文」は、これほとんど「シーンの概要を書いている」に等しいので、更に噛み砕いてワンシーンになるまで細かくすれば、かなり正確な計算が設計段階からできます。
物語の流れをあらすじ形式で書いてることが多いと思うのですが、箇条書きにしてみるとシーン単位での流れがわかるので設計がしやすいかと思います。
すでに箇条書きでやってる、という場合は更に細かく噛み砕いてみると良いでしょう。

ついでに。
起承転結の起は、説明することが多くて膨らみやすいかと思います。
世界観、設定、物語の目的、キャラクター、キャラ関係、最低限を考えても多いです。
でも、序盤はさっさと物語を始めないと、読者は物語を読みに来てるのにそれが一向に始まらない、という事になってしまうので退屈を助けてしまいます。
「起承転結」と言うくらいなので最大でも全体の1/4程度に抑えなければならず、テンポを考えればその更に半分以下が望ましいと、個人的には思っています。
そこで必要になるのが、やはりというか説明する事の取捨選択です。

さて。
上の「勇者」の例で言うと「勇者が村を出る」のが起承転結の起だと言えます。
してその内容はと言うと、
「勇者が平和に暮らしている」「魔王が復活した噂が流れる」「魔王軍に村を滅ぼされる」「流れの傭兵団に助けられる」「村を出る」
このような要素からなる5つのシーンで構成されてるとわかります。
ええと、わかりますかね。
「これが全て」です。
序盤で説明すべき事の必要な要素は、これが全てです。
これ以上の要素、設定の説明や世界観の描写やキャラ関係なんかの掛け合いなどは、作者が書きたいと思ってるだけで、必要だと思ってるだけで、物語には必要ありません。
だって、上記した5つの要素を読めば序盤の展開はわかるでしょ? ならそれが最低限だよ。この流れが書けてりゃいいんだから。
「助けてくれる傭兵団は後々重要なキャラだから、序盤からキャラ描写が必要で~」というのは、作者がそうしたいだけ。
後々重要なら、後々説明したっていい。物語が始まる前から手を出すような事じゃないです。手を出すなら工夫が必要。

こう考えると、序盤はすごくシンプルにまとめられます。
アリストテレスによると、人間の行動は「はじまり」「なか」「おわり」で説明できると詩学で語っているので、これを参考にすれば3シーンでまとめることもできます。
なのに「序盤が膨れてしまう」というのは、単に「アレも必要コレも必要」と詰め込みすぎてて取捨選択ができていない、という事になるかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: カットの仕方って、どうしていますか?

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投稿日時:

元記事:作品タイトルについて。

以前に同じ様な質問があったと思うのですが、改めて質問します。

私が一次選考を通過した新人賞なのですが、一次以上に残った作品のほとんどが、タイトルに「異世界」、もしくは「異世界転生」が含まれていませんでした。

ところが、電子書籍のなろう系漫画は、相変わらずタイトルがそのまま内容を表すものばかりです。

内容自体は、どちらも異世界に転生してどうのこうというという、これまで通りのものだと思うのですが、今までの主流である、タイトル=内容そのままというものは、ライトノベルではそろそろ通用しにくくなったのでしょうか。

タイトルを内容と全く無関係なものにしてしまうと、いざ読み始めたら、

「なんだ、タイトルに騙されたけど、結局これまでのパターンと同じじゃん」

と、がっかりされる様な気がして、少し怖いです。
しかし、逆に言うと、これまで通りにした場合、タイトルだけ見て、

「またこのパターンか」

と、読む前に飽きられそうな気がして、そちらも心配になります。

どちらも一長一短だと思うのですが、皆さんはどうお考えですか。
ご意見を伺いたく思います。

上記の回答(作品タイトルについて。の返信)

投稿者 サタン : 2

市場の違いです。
Wed小説の読者と、紙媒介のラノベ読者というのは同じ層に見えてかなり違います。
一番大きな違いはお金を払ってるかどうかで、タダで手に入れた作品と入手するのにお金がかかる作品とで、どっちをちゃんと読むかと言ったらほぼほぼお金を払った作品でしょう。
言い換えると、タダの作品を読んでるときはかなり目移りしがちで読者の見る目にあまり力が入ってないってこと。
だから、端的に内容がわかるタイトルでその内容もわかりやすく理解しやすいものが好まれやすい。
一方で紙媒介のライトノベル、ようは商業作品ってのは、お金を払って買っているので、よほど出なければ買えば最後まで読むでしょ。目移りしにくい。
スマホやタブレットはタップ一つで別のことが出来るけど、文庫本は読むことしか出来ないし。
だから、内容が多少小難しかったりしてもその作品の雰囲気を理解できるまで読者は読んでくれやすい。

不明瞭なタイトルであっても、商業である以上は出版による販促がかかるから、タイトルに求められる要素も変わってくる。
Web小説で、ひと目で内容が予想できるものが好ましいのは、そういう販促が無いから、タイトルだけで読者を引き付ける必要があるため。
読まなくてもタイトルだけで内容がわかるのなら、楽しそうだから読んでみよう、となるでしょ。
対して商業の場合は広告でも雑誌での紹介でも、あるいはそもそも受賞作品って時点で箔がつくから、それよりむしろ読者の興味でもなんでも、読者のどこかに引っかかるインパクトなりがあったほうが良い。

読者層としては両方とも同じ枠内にあると思うけど、その性質は全然違って、だからWeb小説向けの作品を新人賞に送ってもまず厳しいわけですね。
タイトルは、まあ商業なら出版が決まってからタイトルの変更とかもあるから、新人賞で一番良いタイトルはって言ったら、それは編集部向けにタイトルつけること、だと思いますよ。
賛否はあろうけど、個人的に狙ってたならすげえなと思うのはかなり前のホビージャパンの新人賞で応募作タイトル「せんせいは何故女子中学生にちんちんをぶちこみ続けるのか?」で、Webで応募作品のタイトルが発表された時点でネット上でちょっと話題になった。やべえのがあるぞ、と。この時点でこのタイトルは勝ちだよね。
その後、この作品は受賞して「インテリぶる推理少女とハメたいせんせい」とタイトルを変更して発売された。
もちろんタイトルだけでなく中身が伴ってこそだけど、話題を戻すと、

>タイトル=内容そのままというものは、ライトノベルではそろそろ通用しにくくなったのでしょうか。
ラノベとWeb小説での違いでは市場が違うから、通用とかじゃなく最初から割と違う。
一時的にラノベのほうがWebの流行りを取り込んでそういうタイトルがあっただけだと思う。
さらに踏み込んで新人賞ではどうかと言えば、これも商業作品とは方向性が若干違うので、その新人賞が何のために開催されてるのかとか、どんな人材を求めてるのかとか、そういうのを考えて差し込める思考があれば一番良いと思う。

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 作品タイトルについて。

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元記事:哲学書は小説の参考文献になりますか?

初めまして。ゆりと申します。
類似権や翻案権、剽窃など、ネットでできる限り調べてはみたのですが、自分ひとりではどうも判断ができず、こちらでみなさまのお力をお借りできたらと思い、質問させて頂く次第です。
私が執筆している小説の主人公は、無神論者です。無神論者のイメージを掴みたく、「神は死んでいる」で有名なニーチェ論の書籍をいくつか読みました。ニーチェについて、私の解釈では、「神はもとから存在していない。神は人間が作り出した存在である。神がいないと言うことはすなわち、人間は死後、天国に行くことも、地獄に行くこともない。死後は虚無である。」と言うことでした。私は、主人公に上記の思想を持たせたいのですが、著作権で保護されるものの中に「思想」があります。ニーチェの哲学思想を持つ主人公を書くことは、ニーチェの思想に対する著作権を侵害してしまうのでしょうか。
また、ニーチェ論の書籍をいくつか読みましたが、それぞれの著者の解釈の仕方により、例え「ニーチェ論」と言う同じテーマを扱っていたとしても、論文の内容に微妙な差異が出るのではないかと思っています。私は特に内容のわかりやすい方の書籍に偏って読んだので、その方の著作を参考に小説を執筆した際、ニーチェ論の中でも特にその著者の論ずる「ニーチェの思想」の著作を侵害しているのではないかと心配でなりません。
ものを書く以上、誰かが懸命に紡いだ言葉を奪う行為は絶対にしたくありません。みなさまのご意見をお聞かせ下さい。宜しくお願い申し上げます。
ゆり

上記の回答(『テーマ』に沿う限り、文学で哲学書です)

投稿者 ごたんだ : 0

ラノベの資料じゃないか?
みたいなストーリーが背景に見えそうな哲学書や資料本とかありますけどね>銀根編

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 哲学書は小説の参考文献になりますか?

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ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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