日常と非日常の配分についての返信
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日常と非日常の配分について(元記事)
お初にお目にかかります。私おでぶは約半年前になろうを書き始めたのですが、ラノベのラの字くらいしか理解せずなろう描き始めた為、約5万字の黒い線で構成された駄作中の駄作しか作り上げられませんでした。漸く無知の無知を脱却しプロットやら設定やら色々考えて先日筆を持ったのですが、またもや約5万字の時点で私の前に壁が現れました。所謂日常パートと呼ばれる話が2話のみという、硬っ苦しく緊張の続いている文ばかり。手元にあるラノベを開いてみればどちらかというと日常パートの文量が多く、戦闘描写などのシーンはここぞと言う時のみ。
ここで質問したいのが、日常と非日常の割合、また1話の中で日常パートと非日常パートを混合させるのか?等の、執筆中に考えていることをお教え頂きたいです。
日常と非日常の配分についての返信
投稿者 あまくさ 投稿日時: : 0
物語にはなぜ「非日常」が求められるのか、考えてみたことがありますか?
答えは、読者には、
◎日常を忘れて物語を楽しみたい。
という欲求があるからです。読者は実はアニメや小説に「日常」なんて求めてないんですよ。たぶんスレ主様が読者になったときも、「工夫もなくダラダラ続く日常パート」なんて退屈なんじゃないですか?
で、ですね。こう書くと、「いや、日常パートが魅力的で人気の作品もあるし、日常系と言われる名作もいっぱいあるじゃないか?」という疑問がわくかもしれません。
答え。
そういうのは、物語として演出された「日常イベント」であって、現実の読者の日常ではないんです。
戦闘シーンや主人公が危機に陥るような事件が起こらなくても、普通の高校生が美少女と出会って同居生活をはじめたり、なぜか次々に女の子に好かれてハーレムになったりって、読者が現実に体験できる可能性はまずないでしょう?
すなわち、あれは「日常シーン」という名の非日常に他なりません。
いわゆる「日常パート」は、バトルものならプロットの一部として、伏線、緩急をつけるなどの目的で挿入することになります。
一方、「日常パート」そのものをウリとして作品全体を構成するタイプの話もあるわけで、そういう作品の場合は日常イベントだけでストーリーを盛り上げるテクニックが使われているはずです。そして、そういうことの上手い作者ならバトルものに挿入する場合もテクニックを応用できるので、結果的に戦闘シーンと日常シーンの両方に魅力がある作品も生み出されている、ということだと思います。
なので、いわゆる「日常パート」が魅力的な作品を読んで参考にするならば、量や配分だけでなく、そのシーンを魅力的にするためのどんなテクニックが使われているかにも注意して読んでみることをお勧めします。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 日常と非日常の配分について