プロローグを本編より後の時系列から始めて、最後の行で本編の内容を思い出すというのは大丈夫ですか?の返信
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プロローグを本編より後の時系列から始めて、最後の行で本編の内容を思い出すというのは大丈夫ですか?(元記事)
こんばんは、皆さんのご意見を聞かせてください。
プロローグを事件の真っ只中から始めて、日常からかけ離れた事件の異常さを際立たせた上で、最後の行で主人公に
顔にかかった血を手で拭い、肩で息をつきながら、俺は思い出す。なぜ普通の高校生である俺がこんな大事に巻き込まれる羽目になったのかを。
思い起こせばあれは一か月前のことだ……。
と、過去を内容を思い出す形で、本編がスタートする流れを考えているのですが、
小説では、場面が切り替わる回想を使うはあまり好ましくないとも聞きます。
回想はプロローグ一回だけしか使うつもりはないですし、多様さえしなければ悪手にはならないでしょうか?
プロローグを本編より後の時系列から始めて、最後の行で本編の内容を思い出すというのは大丈夫ですか?の返信
投稿者 手塚満 投稿日時: : 1
よくあるパターンなので、手法自体としては問題ないと思います。が、狙いと注意点ははっきり意識して使わないと、むしろテンションを下げる等の弊害が起こることもあります。
狙いは単純でして、冒頭のツカミを作るということですね。時系列順だとどうやっても最初が目を引かない。地味で平凡なシーンしかない。読者は物語の先に何があるか知りませんから興味は皆無で、目を引くものがないと読むのをやめてしまいかねない。
そういう場合、盛り上がる中盤を先出で冒頭に使い、続くシーンが過去であると明示して続ける。パターン、テンプレ、セオリーの1つといえるくらい、よく使われてるんじゃないかと思います。
注意点は、それが出だしだということですね。出だしでは読者は作品知識皆無です。普通に中盤まで進んだら、読者にも作品知識は溜まっています。派手で変わった特殊スキルとかを主人公が持っているとして、いきなり行使しても読者は理解でき、迷いません。
それをそのまま出だしに持ってきたら、読者分かりません。繰り返しですが作品知識皆無ですから。分からないと思うと興味も失せがちです。中盤のエピソードだけど、何も知らなくても理解できるシーン作りをしないといけないわけです。
そうなるとジレンマが生じます。中盤ならではの盛り上がりなんだけど、中盤ならではの特徴、派手さなどの盛り上がり要素が使えない。無理に中盤を冒頭に持ってくると、ほぼ絶対的な禁じ手といっていい「冒頭の設定語り」になりかねません。
そういう点が心配なのは、お考えの冒頭が「日常からかけ離れた事件の異常さ」だからですね。異様だけど分かりやすくないといけないわけです。異様さの設定説明に堕してはならず、説明抜きで異様と分かり、事件の動き、キャラの動きが一読して理解できないと、興味を搔き立てることはできません。
それと、中盤でもう一度同じシーンが出てしまうと読者的には退屈になるリスクがあるんですが、「回想はプロローグ一回だけしか使うつもりはない」ということなので大丈夫のようですね。
しかし、それでも時系列を乱す必然として「そのシーンまでは主人公らは存命が決定」という点は要注意かもしれません。どんなピンチに陥っても、切り抜けることが確定してしまうわけです。
普通なら中盤で冒頭先出シーンが出てきたら、それ以降は死ぬか生きるかの危機が、きちんと危機になります。が、シーンを繰り返さないやり方だと、そこが分かりにくくなります。冒頭のシーンが終わったことを軽く言及するとか、ちょっとした工夫を入れておいてもいいと思います。
中盤を出だしに持ってきて、いきなり使えるのは主人公の性分、仲間との関係性などでしょうか。リアルからの類推がしやすいですし、どんな物語ででも開始以前からキャラクターが持っているものでもあるからです。
簡潔にまとめ直します。出だしに時系列で中盤のシーンを持ってくるなら、
・目的は目を引くこと。
・作品知識皆無でも分かる中盤シーンを。
・中盤の展開の支障にならないように。
・キャラクター性は打ち出して可。
くらいなところだと思います。
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