地の文が説明的になりやすいの返信
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地の文が説明的になりやすい(元記事)
どうもこんにちは。
ちょっと最近スレッドを立てる頻度が増加していますが、今回はいつも以上に急務な相談なので許してください。
題名通り私の作品は地の文が説明的になりやすい傾向にあるようで、鍛錬室の感想でよくそのような苦言を頂いています。
ちなみに初めにそれを受けたのは一年前なのですが、どうやら最近になってもまだ改善していないようです。
むしろ最近は締め切りを急いで執筆した短編小説が増えているので、急ぎすぎるクセがついてしまい前より悪化したのではないか、と自分でも思っています(汗)
例文として、最近最後まで書きあげた長編の第1話から引用するのですが、三人称で書くとこんな感じになります。
――そんな日常が紡がれる中、彼らの平和を壊す者が現れた。
「ヒャッハー!」
存分に踏み込み拳を放つ男。応戦した戦士を捉え、一撃で吹き飛ばす。
起き上がらない戦士。間違いなく即死だった。
「ヒッヒエエー!? 父ちゃん、しっかりしてよぉ!!」
悲しいことにもその声は父に届かない。今ので戦士は全滅。もう彼らに戦うすべは残されていなかった。
「ウワッ!?」
父に寄りそう男の子を乱暴につかみ上げ、振りかざす侵略者。彼は外海から来た冒険者である。目的は不明だがたった一人でゴブリンの村を強襲。十人以上の戦士が一人残らず惨殺された。
「オラオラッ! このガキを助けたければ水と食料を全て俺様に差し出せぇ!!」
声を張り上げ嘲笑する男。その様はか弱きゴブリン達よりもよっぽど恐ろしい魔物そのものだ。
「やめるんじゃ! お前さんの気が済むのならわしが代わりになる! だから、だからその子を放しておくれぇ! 未来のある幼子なのじゃぁ!!」
村長の必死の懇願。しかし男は耳を貸さなかった。
「うるせえ! そういう指図は俺様の欲しいものをよこしてからにしやがれ! 見てろ!!」
宣言した途端、男は子供を地面に投げつける。顔と胴に凄まじい衝撃を浴びせられ、骨の砕ける音と共に血の飛沫と砂煙が舞う。
「ああ!? なんということを!?」
「これは俺様に指図した見せしめだ! 死ね!!」
さらに背中への踏みつけ。地面が軽く割れる程凄まじい蹴りにより、子供は胴と腰を分断され死んでしまう。その亡骸は父以上に無惨なものであった。
「キャアァー!?」
逃げ惑う女性達。皆がそれぞれの我が子を連れて。村を放棄してでも逃げるしかない。それだけが生き残るための唯一の方法であった。
一方村長は一人、その場を動かずにいた。老い先の短い己が囮になって、少しでも子供達が逃げるための時間を作るために。
「ヒャッハハハー! 臆病すぎだテメーら!!」
下品に笑う男。彼にとってこれはまさしく最高に愉快な光景なのだろう。
――引用終わり
この作品は約三年ぶりに三人称だけで書いた長編なので、かなりブランクが出ていることを自覚しています。
説明的な文章にならないよう意識的に執筆できる方法を教えてほしいです。
地の文が説明的になりやすいの返信
投稿者 手塚満 投稿日時: : 3
仮にその文章に「説明的」という感想が寄せられたんだとします。おそらく婉曲的に言ってるんでしょう。「読み取ってシーンを思い浮かべるのに苦労します」みたいな不満を、ですね。
これが冒頭からだとすると、一読しても分からないんですよ。のっけから「――そんな日常が紡がれる中」とある。まるでレポートの書き出しが「上で述べたように」になってるが如くです(「上って、どこ?」みたいになる)。
よく分からない状況に「平和を壊す者」が出て、いきなり戦士が出て、その子供が出てくる。しかも、まず誰かが侵入者に応戦したのかと思ったら、もう戦士が全員やられたことになってる。
飛ばしすぎなんですけど、突然だらける。設定説明入っちゃってるんですね。
> 彼は外海から来た冒険者である。目的は不明だがたった一人でゴブリンの村を強襲。十人以上の戦士が一人残らず惨殺された。
どうでもいいことでしょう、劇的らしいアクションの最中としては。そこを省くとこうなるわけです。
> 「ウワッ!?」
> 父に寄りそう男の子を乱暴につかみ上げ、振りかざす侵略者。
> 「オラオラッ! このガキを助けたければ水と食料を全て俺様に差し出せぇ!!」
> 声を張り上げ嘲笑する男。その様はゴブリン達よりもよっぽど恐ろしい魔物そのものだ。
(「か弱き」は、ここでは省いたほうがいい。)
そして、また新キャラ出てきて村長ですね。戦士全滅するまで、村長は何してたんですか? 子供もそうですね。戦士全滅するような戦闘中(その最後ですが)に、なぜ子供がその場にいたりするのか。不意の侵入者とかだったら分かるんだけど。そういう疑問が生じて、状況が非常に想像しにくい。
その子供が殺されると、なぜかようやく女性たちが悲鳴をあげて逃げまどい始めてます。なんでしょうか、この状況は。村人みんな、この事態(シーン)に至るまで、何してたんですか? 観客気分で眺めてた、なんてあり得ないですよね。読者としてはつじつま合わせに考え込まざるを得ず、苦労します。
なぜそうなってるか。作者が進めたいストーリー/シーンに合わせて、各キャラが待機していたと言うしかありません。そういうのは「操り人形」と呼ばれるものの一種です。ある特定の、きちんと描写されたキャラなら、まだそういうやり方もできる。
ですが、不特定多数は駄目です。さらに申せば、このシーンで直接は描かれていないが、いるはずのキャラはもっと駄目です(例えば、この後出てくる女性たち)。不特定多数がどう動くかは、作者が選ぶことはできません。
不特定多数がどうするか、その中からどれくらいの割合で、どうする人が出てくるか。これは「いかにも、そうなりそう」が優先で、「こうするためには、こうしておきたい」は控えねばなりません。特に描かれていないキャラはそうです。読者が想像するんだから、作者の制御外なのは当然です。
作者の描写があれこれ恣意的で、読者は「作者が何を見せたいのか」を考えないと分からない。そういうのはしばしば「説明的」と言われます。説明って、理解しようとしないと分からないのが通例ですからね。小説の文章が、すらすら読めてぱっぱと分かるべき、言い換えれば、考えずとも情景が浮かんで引き込まるのと対照的です。簡潔に申せば、説明を読むには能動的、小説を読むのは受動的、ということです。
もう一つの要因は、主観と客観ですね。作者がキャラを外から見たままを書いてあるように見えます。登場するキャラの感情とかは臨場感がない(これも操り人形の印象になる要因の1つでもある)。作者がキャラの内面を想像していないかのようです。
ある意味、脚本的であるとも言えます。脚本に沿ってどう演じるかは、演出家に任されるわけですが、読者が演出家にさせられるのはマズい。どう感動するか、読者が考えろってことになってしまいますから。
こういう書きようは簡潔にしようとした結果でしょうか。しかし上述のように不要なものが入っちゃったりしてるわけですよね。他にもありますよ。細かい部分になりますが、例えば以下。
> 「やめるんじゃ! お前さんの気が済むのならわしが代わりになる! だから、だからその子を放しておくれぇ! 未来のある幼子なのじゃぁ!!」
> 村長の必死の懇願。しかし男は耳を貸さなかった。
> 「うるせえ! そういう指図は俺様の欲しいものをよこしてからにしやがれ! 見てろ!!」
> 宣言した途端、男は子供を地面に投げつける。
台詞自体の無駄は置いといて、台詞間の地の文。「村長の必死の懇願」は台詞からもう分かってます。「しかし男は耳を貸さなかった」も続く台詞で分かることです。「宣言した途端」も、男がすぐアクションに移っているので要りません。
そういうものは無駄に読まされる文書であるわけです。単に省いてみましょう。
> 「やめるんじゃ! お前さんの気が済むのならわしが代わりになる! だから、だからその子を放しておくれぇ! 未来のある幼子なのじゃぁ!!」
> 「うるせえ! そういう指図は俺様の欲しいものをよこしてからにしやがれ! 見てろ!!」
> 男は子供を地面に投げつける。
少し台詞も端折ってみましょう。
> 「やめるんじゃ! わしが代わりになる! だから、だから――」
> 「うるせえ!」
> 男は子供を地面に投げつける。
まとめますと、過不足がいろいろはなはだしく、示される物事の順序もどうもおかしい。そういう難点がお示しの文章全体にあります。思ったことをそのまま書いたりすると、そういう感じになりやすいです。
シーンの状況は自然になってるか。読者に伝えるべき情報は何か。どういう順序で伝えたらいいか。そういう基本中の基本を押さえるべきだと思います。説明的でないように、とかいきなり考えても、まず間違いなくどうにもなりません。
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