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ヴィランについての返信(元記事)
ディズニー映画の悪役も昼ドラの悪女も、キャラ造形自体は大差なくて描写や演出の差でしかないんじゃないかなという気がする。近年のディズニー映画で自分が観てるのはアナ雪、シュガーラッシュ、ズートピアくらいですけど、どれも黒幕キャラはそれなりにえげつないことしてるし。まあ同時に、そういうふうに生きざるを得なかった背景、境遇、因果、めぐり合わせの不運みたいなものもなんとなく想像できて、血の通った人間だなあとちゃんと納得できるところがディズニー映画の練られてるところだなとも思うわけですが。それに比べると昼ドラの悪女は主人公やヒロインを追い詰めるための舞台装置というか、悪役のための悪役になっちゃってる瞬間がどうしてもあるよね。どんだけ恨んでても財布やたわしをステーキにしたりはしないもん。差があるとすればそのへんかなと思う。露悪的な方向で演出過剰になってないか、っていう。あくまで演出の問題なので、本質的なキャラクターのアイデンティティとかメンタリティはあんまり違わない印象。人間の抱く悪心なんて類型化してしまえば結構普遍的なものだし。
あとはまあ、物語のスケールの問題かなとも思う。昼ドラは小市民の小市民的な生活が主軸じゃないですか。かりに王宮やら大奥やら社交界を舞台にしたシナリオでも基本的には密室劇で、私生活がテーマ。そうするとそれにぶつける悪役も、小市民的な悪役にならざるを得ないし、悪事のバリエーションも私生活にダメージが及ぶようなたぐいの嫌がらせに偏りがちになる。ディズニー映画って、そんなにオタクじゃないから例外もあるかもしれないけど、主人公の個人としての成長と、社会的な善の達成が齟齬なく両立していて、わたしにとっての善いことがみんなにとっての善いことでもある。いきおい悪役も、わたしにとっての的であると同時にみんなにとっての悪になる。だからブレない。後味が悪くならない。
別にディズニー映画が単純な勧善懲悪でしかないっていう話ではなくて、映画としての思慮深さっていうか、対立の構図をどのようにとらえるかという演出的な解釈の問題が本質なのではないかなという印象。いずれにしても悪役そのものの造形の差異というのはほとんどないと思う。執筆においては、小市民的な感性とか、私の領域をまもる保身の意識をあまり絶対視しすぎないで、登場人物に外的な目的をきっちり与えておけば、たとえ昼ドラの悪女みたいな言動をしていても、印象として昼ドラの悪女みたいにはならないのではという気がします。
ヴィランについての返信の返信
スレ主 みりん 投稿日時: : 0
>にわとりさん、コメントありがとうございます!
>そうするとそれにぶつける悪役も、小市民的な悪役にならざるを得ないし、悪事のバリエーションも私生活にダメージが及ぶようなたぐいの嫌がらせに偏りがちになる。
私のヴィランが昼ドラ的だなと思ったのは、これが原因かもしれません。
主人公の少女の両親を月の国に幽閉して、財産を横取りし贅沢三昧している悪女という設定でした。
困っているのが両親を事故で失ったと聞かされ財産を奪われた孤独な主人公だけというスケールの小ささが問題だったのかもしれません。
月の国を冒険して最終的には両親を取り戻し、ヴィランを倒してハッピーエンドかなあ、と
大枠を考えていたんですが、ヒーローもうまく絡められないし、贅沢三昧しているだけの悪女を殺すのも
あんまりだし、ドラゴンに変身したらマレフィセントになっちゃうし、
どうしたものかなーと考えていました。
>主人公の個人としての成長と、社会的な善の達成が齟齬なく両立していて、わたしにとっての善いことがみんなにとっての善いことでもある。
このような状態を作れるような、スケールの大きな敵を作ることに注意します。ヴィランの目的を贅沢に暮らしたいだけじゃなくて、もっとわかりやすく悪いことさせるよう考えてみます。
でもそれで言うと「白雪姫」のヴィランの女王は「自分が世界一美しくあるために邪魔な存在を消す」というスケールの小さい私的な願望達成のために動くのに、なんかわからない魅力がありますよね。不思議だと思います。
ご意見とても参考になりました!
ありがとうございます!