何があったのかを書くには、説明するのではなく、物語る必要があると思います。
元記事を読む
人物が平坦にしか作れない/自然と印象に残れない(元記事)
初歩的ではありますが、キャラを作品内に落とし込むのが苦手です。どうしても説明調になってしまい、キャラ本来の明るさ等の個性が失せてしまいます。
対応策として、脇役まで強烈な上作画や状況設定が濃い「魁! 男塾」等を読んでみたんですけどいざ自分で書くとなかなかキャラが生きず、頭の中が分散されてしまいます。無くて七癖、と頭では思ってるんですけど、一つ特徴を書くたびに「現実にこんな人間なんていねーや」と思ってしまい、及び腰になってしまいます。また、状況設定においてもその傾向が見られ、なかなか振り切る勇気がありません。というか、作り方がわかりません。
また、主人公以外外見イメージはできていても、中身がなかなか定まらず、書いていても矛盾ばかり起こってしまいます。
大まかなシチュエーションは考えていても、それを繋ぐことが圧倒的にヘタクソなので、それでも筆が進まず、困っています。
この手の才能が無いタイプの自分は、いったいどうすればいいのでしょうか。
何があったのかを書くには、説明するのではなく、物語る必要があると思います。
投稿者 壱番合戦 仁 投稿日時: : 0
どうも、桂香さん。永らくお久しぶりです。
ここ一週間の間、何の連絡もないので非常に心配していました。
こうしてネット上でお会いできたことをまずは運勢とやらに感謝したいと思います。
とにかく、以前回答して下さったお礼をしたくて、回答返しに来ました。
そうですね。サタンさんのおっしゃる通り、起きた出来事を『物語らず』、【説明している】ことが、原因としてあげられるでしょうか。
まず、物語とはそもそも何かというと、端的に言えば、「物事語り」と言えます。
え?当たり前だろうって?
いえいえ、これが解っているつもりでも忘れてしまうことが、誰しも往々にしてあるのです。
ストーリーにしろ、物語にしろ、言い方は様々ですが、要は実際に起きてもいないことを、『【説明するのではなく】観て聴いてきたかのように、物語る』必要があります。
いいですか。分かってらっしゃるかもしれませんが、あえて申し上げれば、説明文を書くことと、ホラ話を書くことは似て非なる物事です。
物語を書くことは、嘘を吐くことと直結しています。宮部みゆきの『英雄の書』を一度読んでみてください。機会があればでいいです。物語の書き手が背負う業について、丁寧に書いています。
とにかく、結論としては、以下があげられます。
①サタンさんの言うように、様々な作品から会話のパターンやキャラクターの行動ルーチンなどを引き出しにしまうだけでなく、それを桂香流の『型』へと昇華すること。(落語の演目とか、歌舞伎の十八番とか、空手の型とか、そういうイメージ)
①については、基本となるパターンを『型』として覚えておくと、それを基礎にして様々な応用が利きます。『道』とつくものをやったことがあれば、なんとなくわかる感覚ではあると思います。
②物語の嘘に罪はない。人を楽しませるほら話を書く。それが僕たちがやっていることです。だからこそ、嘘を妄想に換えて、妄想を夢に換えて、夢を記すのです。
エンタメ作家を目指すなら、優しいか、楽しいか、笑えるか、燃えるか。とにかくどんな形でもいいから、読んでくれたみんなが喜ぶ顔を想像して、みんなが幸せになれるような夢を物語ってください。そうすれば「こんなキャラいねぇーよ……」なんてむなしくならないと思います。
少なくとも、僕はそういった投げやりな気持ちになるたびに、そうしています。
(まあいつもは、その常軌の逸しぶりを笑いながら書くことでやる気をだしていますがw)
この世界は、人々のいくつもの心の世界からその影が投げかけられて、影と影が重なり合って、積み重なり合ってできているのだと。そう、思います。
ウソ
だからあなたが吐くる物語も、決してむなしいものではないのですよ。
この前、御作の話をしたら怒られましたが、それでもめげずに頑張ってほしいと願っております。また時間のある時にでもお話ししましょうね。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 人物が平坦にしか作れない/自然と印象に残れない