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ゆりさんの返信一覧。最新の投稿順1ページ目

元記事:哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信

 19世紀のキリスト教圏で、終末とか神とかもうオワコンだし、生まれ変わりとか来世みたいな次があるって考えると人間性が腐るから、自己を見つめてそれを肯定しながら今を頑張ろうぜ! って主張してたら本が売れなくて発狂しちゃったお茶目さん。
 自分の中のニーチェの認識ってこんな感じなんですよね。哲学者って言うよりも、しなくていい苦労を背負い込んだ苦労人みたいな?

>>ニーチェを論ずる哲学書を参考文献にすることは、哲学者の方が独自解釈した「ニーチェ論」を拝借することに繋がってしまうのでしょうか。

 参考文献に書かれている独自解釈はあくまで参考に留め、ご自身の無神論に対する考えを基にした文章で、主人公の持つ無神論という思想を描写していると断言できるなら、偶発的にそれが誰かの著作の独自解釈に似通った物になったとしても問題は無い、というのが自分の意見です。
 あと、参考文献が明示できる著作物なら、小説執筆の参考文献としてタイトルと著者名ぐらいは書いておいてもいいかもしれないですね。

 なので、哲学書を参考文献として扱うこと自体は、なんの問題も無いと思います。あくまで参考の範囲だったら、ですが。
 世の中に出回っている小説にも、様々な哲学の論文なり書籍なりを参考にしている物が沢山あるでしょうし。

 気にされている拝借する事に繋がるかどうか、なんですが。
 拝借という単語の意味は他人の物を借りてくる事なので、参考文献に書かれている他人の思想解釈を、さも自分の解釈であるかのように作品中に描写する事が、拝借に該当すると思います。

 拝借って表現するとちょっと謙遜している感じで聞こえはいいですが、参考文献に対しての拝借って、要するに剽窃の類ですよね。
 法律上の問題はさておき、自分の考えに基づいた文章を書いてないって奴です。コピペ文章の単語や表現方法を自分好みに書き換えただけで、肝心の中身に作者自身の考察が伴ってないという。

 ニーチェの思想の独自解釈を参考に自分の解釈を構築しているなら、参考文献からの拝借には該当しないと思いますが、上記のとおりに独自解釈の表現上の単語を変えただけ、とか、自分風の文章に書き換えているだけ、などは拝借に該当すると思います。
 まあ、著作権を気にされているようなスレ主様が剽窃を行うとも思えませんけど、一応ね、書いておこうかなってね。

 結局は作者のモラルの問題で、法律上に罰則は無いんですよね。ただ、参考文献を読んだ事のある読者、あるいはその著者が拝借に該当する作品を読んだら大体バレるみたいですね。
 状況によっては社会的な制裁が課せられますよね、剽窃とパクリとは厳密には違いますが、パクリ作者ってレッテル張られて。
 そういえば、数年前の芥川賞の候補作で、剽窃じゃないかと指摘されて騒動になったのがありましたね。詳細を調べてないんで、ここで出す例えとして適切かどうかはわかりませんし、結末がどうなったのかも知りませんが。

 スレ主様が書かれているとおり、思想の解釈の仕方なんて人それぞれですし、さらにその解釈を読んだ人の考察も、人それぞれです。
 偶然同じ解釈に辿り着いた末に、それを作品に反映させたら盗用だ剽窃だなんて言われたら、堪ったもんじゃないですね。

上記の回答(哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信の返信)

スレ主 ゆり : 0 投稿日時:

お返事ありがとうございます。
知識として自分の中に蓄えてはあるが、アウトプットするときは自分の表現にする、と言うことですね。
拝借は謙譲語なので聞こえはよいがやっていることは剽窃と同じ、と言うことですが、私は「拝借することに繋がってしまう」と「拝借」を悪の意味で使っています。お返事の中であのような書かれ方をされますと、「盗みたくないと言う態度を取っているが、それは口だけだ」と受け取れてしまいます。その点だけ気になったので、私は著作権を侵害したくなくこちらで質問させて頂いていること、どうかご承知ください。
主人公が無神論者となった経緯について、もう少し深く掘り下げてみようと思います。ありがとうございました。

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 哲学書は小説の参考文献になりますか?

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元記事:哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信

別にいいとは思います。

好きな作家とか【写楽 閉じた国の幻 】とか書いていますが、論文にするには、あまりにも荒唐無稽で証拠も揃えられなかったし、こういう形にしてみた的なことを後書きに書いていましたし。写楽の方が100年古いけど。

私的にちょいきになった点としましては、無神論者の定義かな?ニーチェのコピペっぽい。
―――――――――――――
屠殺されてスーパでパッキングされて売られている豚バラ切り落とし。そのどこに豚の魂があるのか?
豚の魂に救いはあるのか?
豚の魂すら救わぬ天国とやらに、人間の魂が救われると、なぜ信じるのか?

とか

無精卵には命がないの?命の定義って何になるの?無精卵の細胞は一つかもしれないけれど、質量的にすごい数の生き物の素材を詰め込まないといけないはず・・・・・無精卵を作るために消費された生き物の魂は、無精卵のどこに???

とか、スーパーにだって道端にだって神への問いかけがあるでしょうに、わざわざ敷き写しに行くとか・・・・・思想のコピー感を感じちゃう。

まぁ面白い作品になればどうでもいいけどねー。

上記の回答(哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信の返信)

スレ主 ゆり : 0 投稿日時:

お返事ありがとうございます。
そうですね……。ニーチェの思想を知っている方が読むと、この作者はニーチェの思想を参考にしたなとわかってしまいますね。主人公が無神論者になったエピソードは書くのですが、そのひとらしさが出るように、もっと練ってみます。ありがとうございました。
ゆり

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 哲学書は小説の参考文献になりますか?

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元記事:哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信

補足も拝読しまして、少し整理してみます。

A. ニーチェの思想:アイデアであるので著作権適用外。
B. ニーチェの著作:著作物であるので著作権適用ながら死後50年規定で適用外。
C. ニーチェの翻訳本:翻訳者の著作権が存在する。
D. ニーチェの解説本:解説者の著作権が存在する。

ニーチェの著作を翻訳で読まれたのなら、Cが相当します。文言をそのまま借用すると、翻訳者に対する著作権違反になる可能性があります。ニーチェの思想を研究、解釈した書籍(D)からの借用も同様です。
(もしニーチェの原著を自分で翻訳したのなら問題なしですが、たぶんそうではないのでは?)

ウィキペディアなどではニーチェに限らず、各種媒体の原著、翻訳、解説を引用してますね。あれらは引用の要件(引用が副で本文が主、必要最低限の転載、引用元の明示)を満たしています。

小説ですと、普通はそうはできません。例外があるとすれば「神は死んだ」みたいな短い文言でしょうか。通常の文脈でも発生するようなものまで著作権で守られたりしないわけですね(言論・表現の自由を侵害しかねない等の具体的な問題もある)。

しかし、ニーチェについて語るなら、ニーチェについて知らないといけません。50年規定は置いておくとして、著作物(や講演等々)から知るしかないわけですが、著作権を気にするならニーチェについて語れなくなってしまいます。

しかし、ニーチェの研究・解説本では著者独自の説はもちろん、ニーチェの思想の概略説明などにも引用元の記載はないはずです。ご質問文でスレ主さんは、以下のように仰っています。

> 「神はもとから存在していない。神は人間が作り出した存在である。神がいないと言うことはすなわち、人間は死後、天国に行くことも、地獄に行くこともない。死後は虚無である。」

これはスレ主さんなりにニーチェの思想の一面を簡潔にまとめたものであるわけですよね。学んで理解したことを、自分の言葉で語った。上記一文をキーワードにしてネット検索しても、同じ文はもちろん、ちょっと文言だけ変えたような文章も見つかりません。

そういうものは著作権侵害ではありません。むしろ、上記一文はスレ主さんの思想を表現したものであり、著作物として保護されるべきものです。スレ主さんが学び、思索して得た、独自の見解ですから。

誰かや何かに学んでも、己が頭脳をきちんと介した表現なら、表現した人のものであるわけです。盗用が問題視されるケースをよく見てみると分かると思います。内容ではなく表現自体をそのまま使っているから盗用、著作権侵害と言われるわけです。少し誇張すれば「お前(盗用者)は自分で考えずにコピペしたな! ちょっと単語置き換えたって分かるぞ!」ということです。

簡潔にまとめますと、

・著作物からそのまま書き写すとアウト(単語置き換えくらいでも不可)。
・著作物から学んだ後、何も見ずに自分の言葉で語ればセーフ。

ということです。ニーチェについて語る人はネットだけでも膨大ながら、著作権侵害を言い立てる人が事実上皆無なことからも、お分かりになると思います。

上記の回答(哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信の返信)

スレ主 ゆり : 0 投稿日時:

お返事ありがとうございます。
コピーアンドペーストや文章の一部をちょっと変えただけ、なんてことは勿論しませんが、ニーチェ自身の著作から直接ではなく、誰かニーチェを研究したものからニーチェを知る、それを参考に執筆することは、ニーチェ研究者を侮辱する行為にならないか?と疑問に思いました。
わたしが自分なりに勉強して要約したニーチェの思想を用いた説明がとてもわかりやすかったです。ありがとうございました。
ゆり

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 哲学書は小説の参考文献になりますか?

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元記事:哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信

哲学というとデリケートな分野になるので、個人的な体験としてですが、「哲学書は小説の参考文献にはあまりならない」というのが正直な感覚です。

なぜなら小説は物語であって、論文ではないからです。
物語性という意味では、映画、マンガ、アニメなどのメディアの方が筋書きが分かりやすく、何より小説を読む上で読者が求める、「娯楽」があります。

僕も深く何かに悩んだ際は思想書などを読むことがありますが、その時はそういう気分と割り切り、ジャンルを絞って読みますし、それすら面倒なら車を走らせながら一人カラオケした方がスッキリすることも多いです。(笑

ただ、まったく無意味だとも思いません。
無神論者を扱う物語であるなら、ニーチェの哲学を深く知っていれば武器になりますし、そういうものを求めていらっしゃる方もいて、その辺りに刺されば成功です。
注意すべき点としては、「無神論者とは? 神とは?」の議論に終始し、読者を置き去りにして、作者も迷子になることでしょうか。
そういうものをテーマにしてワケわからないままま終了or消滅という作品はありますし、楽しみにしていた読者としても、それは辛いことだと思いますので。

上記の回答(哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信の返信)

スレ主 ゆり : 0 投稿日時:

お返事ありがとうございます。
そうですね。私は、物語の起伏の激しいエンタメより、劇的な展開の無い物語を好むタイプなのですが(個人的な話でごめんなさい)、そんな私でも「この話はつまらないと途中で投げ出されてしまわないだろうか?」と悩みながら書いています。
人間の生き方や考え方を扱った話だからこそ、誰かの心に刺さり、ずっと忘れられずに残っているような作品にしたいです。まだまだ未熟者でそこまでの技術は無いでしょうが、未熟者なりに今持っているものを出し切って書こうと思います。
ありがとうございました。
ゆり

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 哲学書は小説の参考文献になりますか?

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元記事:哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信

著作権法の大原則として、アイデアは保護の対象にならないという考え方があります。
ご質問のケースでは、そもそも保護期間が切れているということは置くとしても、ニーチェの思想そのものは著作物ではなくアイデアに相当します。
同様にニーチェ論執筆者のニーチェ解釈も、論文の文章をそのままコピペしたりしない限りアイデアの範疇になります。

要するに、

1)ニーチェの思想=アイデア

2)ニーチェの思想に対する独自解釈=アイデア

ということになりますから、著作権法の対象にはならないと思います。

   *   *   *

ちなみに。
ニーチェの思想についてのオリジナリティの高い論文があったとして、そのアイデアをそのまま踏襲した「論文」を発表した場合はどうでしょう。
この場合も法律的には著作権侵害にはあたらない可能性がありますが、主観的なパクリ問題として社会的な非難を浴びてしまうかもしれませんね。

ただ、ご質問のケースでは、論文→小説というまったく別の表現形式に変換するわけですから、そういうリスクもかなり少ないのではないかと思います。

上記の回答(哲学書は小説の参考文献になりますか?の返信の返信)

スレ主 ゆり : 0 投稿日時:

お返事ありがとうございます。
思想を創作的に表現したものには著作権が発生しますが、思想それ自体はアイデアと見なされるのですね。
文中では、「神はいないこと」と「死んだ人間はどこにも行かないこと」を、主人公の言葉で語っているので、ご指摘の点、問題ないと判断しました。
とてもわかりやすく説明して下さってありがとうございました。
ゆり

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 哲学書は小説の参考文献になりますか?

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元記事:男性作家が、女性の書く際に気をつけていること。

男性でライトノベルを書いている方に質問させていただきます。
男性作家は、女性の身体的特徴をなにを参考に書いていらっしゃるのでしょうか?
女性の持つ身体的特徴というのは、男性の持ち合わせていないもので、
あくまで想像のものとなってしまいます。
自分の書いているもののリアリティの低さを感じ、質問させていただきました。
それと同時に、書く際に意識すること、コツなども教えていただければ幸いです。

上記の回答(男性作家が、女性の書く際に気をつけていること。の返信)

投稿者 手塚満 : 0

自分が持ち合わせていない属性で、どう書いていいか悩むものはあることは、あります。例えば天才、あるいは何かの達人。そういう人が何を考えているか、凡人の自分には分かりません。そういう場合は工夫が必要になります。

絵に描いてみて文章に起こせるか、ということなんですが、多少長くなります。以下、ざっくりと説明を試みてみます。

1.女性を見て女性だと判断できるということ

妙なことを伺うようですが、スレ主さんは男女(仮に身体的特徴で性別を二分するとします)の見分けがつかないでしょうか? 男性を見て男だと思うのは、自分が男だから分かるんでしょうか? 女性を見て女だと分からないなんてことがあるんでしょうか?

たいていの人は見分けがついており、スレ主さんもたぶん見分けがついているはずです。でないと、(男性は分かるけど)女性だけについて書き方が分からないという疑問が出てくるはずがないですから。

まずは「男性の持ち合わせていないもので」という考えを、いったん捨てる必要があります。「あくまで想像のもの」というのは、小説の8割以上を占めます。キャラクターからして実在の人物ではないですよね。小説は想像で書くもんなんですし、既に書き上げた経験がおありなら、充分に想像力はあるはずです。

2.自分の表現に疑問を持てる客観性

ただ、リアリティ(迫真性)に不安がおありということですか。もちろん、書いてみた文章からそうお感じなったわけですよね。そう思えたのは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、優れた資質ではないかと思います。

普通、自分の文章には疑問を持てないものなんです。なにせ、何を書いたか分かってますから。女性の描写であれば、女性を思い浮かべ、描写したはずです。女性が思い浮かべられないということは、おそらくないでしょう(万が一困ったら、例えば適当な写真やイラスト参考にしつつ、文章に起こしてみればいいし)。

3.イメージを言語化するということ

それでも女性の描写が難しいとお感じになるということは、イメージを言語化するときの問題である可能性があります。以下のようなことが考えられます。

A. 脳内に実は明瞭なイメージが描けてない
B. 言語化するポイントが抑えられていない(身体ならBWH、頭部なら髪、目鼻等)
C. 文章化技術(語彙、表現パターン等)

4.下手でもいいから絵に描けるか

Aはたぶん「そんなことはない」とお感じではないかと思います。もし本当にそうではないなら、イラスト(鉛筆の線描きで充分)を描いてみると分かります。技術の巧拙は問いません。落書きレベルでもいいので描いてみて、きちんと女性らしくなっていれば、イメージできています。

そうでなく、どうも不格好、さらには女性かどうか判然としないケースもあります。類例では写真等なしで「猫を描いてみよう」「魚を描いてみて」というのがあります。猫や魚は見たことがあるどころでなく、よく見ている題材です。しかし描いてみると、他人も自分も笑ってしまうよな絵になってしまうことが多々です。

これは脳内にしっかりとしたイメージがないことによります。猫を見て猫と思える程度にイメージはあるけど、無から猫を正確にイメージするほどには覚えていない。猫や魚でなく、人間、さらに対象を絞って女性としても同じです。

5.絵に描けないなら文章でも描写できない

絵でなく文章でも同じことが起こります。曖昧なイメージなので、リアリティが出ない。目に見えるように描写できない。脳内イメージが実はぼんやりとしていては、文章描写にも悪影響を及ぼします。BやC以前の問題です。

女性(だけでなく人物)を描くにも段階があります。人物画・イラストではヌードから始めます。ヌードが描けなくては着衣の人物も描けないからです(さらに骨格まで掘り下げたりもする)。衣服は人体の上にあるものなので、人体がしっかりイメージできてないと、着衣の人物画も不自然になるわけです。

我々は小説家を志しているのであって、イラストレーターや画家になりたいわけではありません。しかし、手慰み程度、落書き程度でいいので、それらしく絵に描ける程度には練習したほうがいいようです。結果は必ず文章に出てきます。それ抜きに上記BやCを気にしても、なかなか上達できません。

6.文章の情報量の少なさを扱えているか

とりあえず女性に見える落書きが出来るとします。今度は文章でどう見せるかになります。絵のように一目で全体が見えるようにはできません。顔なら全体の形、髪、眉、目、鼻、耳、口、顎等々のパーツを描写しないといけません。

全部書いたら読者は覚えきれません(さらには、書くほどに印象がぼやける悪影響も生じる)。ですので、何を書いて、何を省くかが大事になります。文章は絵的なものに比べて極めて情報量が少ないため、ポイントを抑えないと発散するか、意味不明になりがちです。おおむね、キャラの際立った特徴を描写し、後は読者の想像に任せることになります。つまり、読者に提示する情報の取捨選択が大事であるわけです。

6.文章技術は既存小説から学べる

それも大丈夫となったら、最後の文章化技術になります。例えば語彙は大事ですね。「うなじ」という単語を思いつけず、「首の後ろの襟の辺り」とか書いたら、雰囲気が台無しになりがちです。衣服では、例えばスカートが膝を基準に表現されることを知っているか否かでだいぶ違います。

それらの語彙をどう組み合わせるかで文ができるわけですが、読者に馴染みやすい表現が必要です。描写される対象はオリジナルで個性的であるとしても、表現まで個性的(この場合は突飛と言うべきかも)では伝わりません。表現パターンも頭に入っていることがだいじです。

その勉強材料にはやはり小説の描写をたくさん読んでおくことでしょう。既出ですがサタンさんが、(男性読者向け)官能小説をあげておいでです。作中の女性で読者をひきつけなければなりませんから、腕によりをかけた描写が随所にあります。

しかも脱衣状態の描写もふんだんにあるわけです。セクシーさを学べるだけでなく、人物の見た目描写の基本中の基本であるヌードがあるわけです。勉強題材にとても好適でしょう。それに準じるのが、ラノベでもよくある、いわゆる「水着回」です。プールや海に遊びにいったときの描写が念入りに描かれてますよね。

7.文章を文章のままに学ぶことが必要

それらをよく読んでみればいいわけですが、注意点があります。文章を文章のままに理解しなければなりません。なんていうと、何のことだかになりますが、文章って読んだらすぐに忘れていくものなんです。例えば「黒い猫」と書いてあったら、黒猫のイメージを思い浮かべたら、文章表現は忘れてしまう傾向が強いです。「黒猫」と書いてあったか、「黒っぽい猫」あるいは「真っ黒な猫」だったか、どうでもいいからです。

しかし、書くために表現パターンを覚えようとするなら、そういう読み方はマズいわけです。文章表現そのものを覚えてないと、自分で使いこなせず、応用も利きません。ですので、文章修行で「これと思った表現は抜き書きしておく」というのがあったりします。はなはだしくは一冊丸ごと模写するというのもあります。

これは書いてデーターベースにするためだけではありません。文字通りに一字一句を正確に読み、覚えておくために大事なんです。イメージ化される前の文章そのものをしっかり見ておくということですね。言い換えれば、文章の描写結果だけでなく、描写過程もしっかり頭に入れれば、自分でも使いこなせ、自作のシーンに応じて改変もできるようになるということです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 男性作家が、女性の書く際に気をつけていること。

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元記事:「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするか

お久しぶりです。
色々考えている内に、前このラ研にいらした壱番合戦氏のような「私小説じみた性格がかなり強い話」を発案した次第です。

「発達障害当事者としての自分」と向き合う話に好きなモノを色々、有り体に言えば「アルジャーノンに花束を」にバットマンや仮面ライダーを混ぜ込んだような代物として仕上がろうとしている所です。

本題に入りますと、この話の倫理観の置き所について相談したい所でした。
拙作の主人公は(詳細な所はぼちぼち決めようという所で)何からのハンディキャップを持って生を受け、とある要因によって高い知性と身体能力を備えた超人になる訳ですが、私にとってヒーローをやっている現在が「理想の自分像」それ以前が「現実の大嫌いな自分」に当たる訳ではあります。

こういった話では「外的要因で頭を良くしたりする事」を無批判に称誉すべきではないですが、かと言って自分自身「ありのままの自分が良かった」とは口が裂けても言えないでいます。

この辺何処まで肯定すべきでしょうか、その点の倫理について相談したい次第です。

上記の回答(「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信)

投稿者 サタン : 1

作品の倫理観は内容次第で上下するから何とも言えないと思う。
ただ、質問内容を読んで思ったのは、
>ヒーローをやっている現在が「理想の自分像」それ以前が「現実の大嫌いな自分」に当たる訳ではあります。
「理想の自分」と「大嫌いな自分」で分けて考えてるから、その境にある外的要因に倫理的な問題を見てしまうんじゃないかなと。
それらは両方とも自分であって、「理想の自分」になったところで「大嫌いな自分」は無くならないし同等のものとしてある。「大嫌いな自分」とは遠く離れた「理想の自分」に届いているからそれを忘れているないし別ものだと錯覚しているに過ぎない。
だから、「理想の自分」を得たからこそ「大嫌いな自分」を客観的に考えられるようになるし、「大嫌いな自分」がいたからこそ「理想の自分」は理想に思えるだけの幻想だと気づきもする。
この二つの要素は正反対の要素なので、対比構造が作れるしそうやって自己の在り方あるいは同じような人に対するメッセージを込めたりできる。
そして、それら要素はベクトルが違うだけで同じものだし、第三者が非道な手術に倫理観を問うことはあっても、当事者が倫理観をどうこう言うことは無いんじゃないかと感じる。

私は、どっちかっていうと「東京喰種」って漫画を思い出したかな。
そんな感じでダークな雰囲気なのであれば、むしろ倫理観なんて度外視したほうが面白いと思う。

うーん。
「倫理について、こうすべき!」って回答は持ち合わせてないけど、
>こういった話では「外的要因で頭を良くしたりする事」を無批判に称誉すべきではないですが、かと言って自分自身「ありのままの自分が良かった」とは口が裂けても言えないでいます。
このコメントは実に良いと思う。
というのも、これはそのままキャラクターの衝突としてワンシーンになりうる良いイメージだからです。
つまり、「外的要因で頭をよくする事を良く思わない人物」がいて、一方で主人公は望んで「理想の自分」になったわけではないが、これで良かったのだろうかと悩んでいる。
「良く思わない人物」が主人公を責める。主人公は悩む。そこに「別にいいじゃねえか、今の自分を受け入れろよ」と言ってくれる人が現れる。
そういう作者の中にある異なる意見は、まるっとキャラクターに詰め込んでしまえば悩んでること自体が話のネタになるから、
例えば「理想の自分」と「大嫌いな自分」も、「大嫌いな自分」と友人でいてくれた親友などを作れば、この親友は「大嫌いな自分」だったモノの代弁者となってくれる。
一方で「理想の自分」になってから近寄ってきて仲良くなった恋人は、「新しい自分」の象徴となる。
そうやって、自分の中にあるものを外のキャラクターに出して、彼らに衝突してもらえばよい。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするか

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投稿日時:

元記事:今現在では考えられない設定

私今、人間の意識がコンピュータに繋がれ、意識がコピーされる。そしてゲームの中で、一生生きていく。地球と火星がネットワークが繋がれ、その中でMMOをやるというシナリオを書いています

これってテンプレですか? ラノベは同じような話を好むと聞いたので、非テンプレじゃないかと心配です

ソードアートオンラインに影響を受けて作ったのですがどうでしょうか?

上記の回答(今現在では考えられない設定の返信)

投稿者 おかか100% : 0

アメリカンブッダを思い出しました。でもテンプレとは思えないのでもっと、ソードアートオンラインに要素を強めに出したらいいと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 今現在では考えられない設定

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