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「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするか (No: 1)

スレ主 バッキー 投稿日時:

お久しぶりです。
色々考えている内に、前このラ研にいらした壱番合戦氏のような「私小説じみた性格がかなり強い話」を発案した次第です。

「発達障害当事者としての自分」と向き合う話に好きなモノを色々、有り体に言えば「アルジャーノンに花束を」にバットマンや仮面ライダーを混ぜ込んだような代物として仕上がろうとしている所です。

本題に入りますと、この話の倫理観の置き所について相談したい所でした。
拙作の主人公は(詳細な所はぼちぼち決めようという所で)何からのハンディキャップを持って生を受け、とある要因によって高い知性と身体能力を備えた超人になる訳ですが、私にとってヒーローをやっている現在が「理想の自分像」それ以前が「現実の大嫌いな自分」に当たる訳ではあります。

こういった話では「外的要因で頭を良くしたりする事」を無批判に称誉すべきではないですが、かと言って自分自身「ありのままの自分が良かった」とは口が裂けても言えないでいます。

この辺何処まで肯定すべきでしょうか、その点の倫理について相談したい次第です。

カテゴリー: ストーリー

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「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信 (No: 2)

投稿者 読むせん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

それロボトミー手術(-。-)y-゜゜゜
社会における「あたまが良い」の定義とは、より素晴らしい家畜たり得るか?素晴らしい利用価値のある道具たり得るか?になると思うわ。カイコガみたいな生き物が一番良いんです。

アルジャーノンとかは、あたまが良くなりすぎて不和をおこし苦悩します。バッタ怪人も逸脱に苦悩する

本当に欲しいのは、異常性を受け入れてくれて、十全に個性を伸ばし長所にしてくれて、存在していい言い訳をくれる【場所】だと思う。
ある意味「ナーロッパ糞ハーレム女群」とかも『主人公が自分を愛せなくても、主人公を肯定してくれ賞賛してくれる居場所』としての役割も兼ねてるんでしょねー。

脳改造云々だと、たしか蛇鷲さんが作ろうとしていたキャラが人造★男の娘で、規格に合わない行動とろうとすると電撃みたいなのが走る拷問仕様かドクターが仕込んだ「博士の考える最強に男の娘ムーヴ・プログラム」が人権も尊厳もプライドも無視で起動しちゃうっぽかった。

ゲームとかでも尊厳無視でコントローラーで動かされるキャラとかいたりしますから。AIとかにコントロールしてもらったり、哲学的ゾンビでいいねん。

「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信の返信 (No: 5)

スレ主 バッキー : 0 No: 2の返信

投稿日時:

変身ありがとうございます。

>社会における「あたまが良い」の定義とは、より素晴らしい家畜たり得るか?素晴らしい利用価値のある道具たり得るか?になると思うわ。

外的要因で定型に近い精神構造や思考に寄せ、社会に順応しやすくするという措置は確かに被験体を「都合のいいモノ」に作り変えてしまう側面はあるのかもしれません。
壱番合戦氏がかなり強い拒否感を持っていたのも分からなくはないというか。

>本当に欲しいのは、異常性を受け入れてくれて、十全に個性を伸ばし長所にしてくれて、存在していい言い訳をくれる【場所】だと思う。

理想であると同時に、変にリテラシーを持ってしまったがためにその虫の良さを感じ取ってしまって手放しに喜べない所はあるんですよね。

「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信 (No: 3)

投稿者 サタン : 1 No: 1の返信

投稿日時:

作品の倫理観は内容次第で上下するから何とも言えないと思う。
ただ、質問内容を読んで思ったのは、
>ヒーローをやっている現在が「理想の自分像」それ以前が「現実の大嫌いな自分」に当たる訳ではあります。
「理想の自分」と「大嫌いな自分」で分けて考えてるから、その境にある外的要因に倫理的な問題を見てしまうんじゃないかなと。
それらは両方とも自分であって、「理想の自分」になったところで「大嫌いな自分」は無くならないし同等のものとしてある。「大嫌いな自分」とは遠く離れた「理想の自分」に届いているからそれを忘れているないし別ものだと錯覚しているに過ぎない。
だから、「理想の自分」を得たからこそ「大嫌いな自分」を客観的に考えられるようになるし、「大嫌いな自分」がいたからこそ「理想の自分」は理想に思えるだけの幻想だと気づきもする。
この二つの要素は正反対の要素なので、対比構造が作れるしそうやって自己の在り方あるいは同じような人に対するメッセージを込めたりできる。
そして、それら要素はベクトルが違うだけで同じものだし、第三者が非道な手術に倫理観を問うことはあっても、当事者が倫理観をどうこう言うことは無いんじゃないかと感じる。

私は、どっちかっていうと「東京喰種」って漫画を思い出したかな。
そんな感じでダークな雰囲気なのであれば、むしろ倫理観なんて度外視したほうが面白いと思う。

うーん。
「倫理について、こうすべき!」って回答は持ち合わせてないけど、
>こういった話では「外的要因で頭を良くしたりする事」を無批判に称誉すべきではないですが、かと言って自分自身「ありのままの自分が良かった」とは口が裂けても言えないでいます。
このコメントは実に良いと思う。
というのも、これはそのままキャラクターの衝突としてワンシーンになりうる良いイメージだからです。
つまり、「外的要因で頭をよくする事を良く思わない人物」がいて、一方で主人公は望んで「理想の自分」になったわけではないが、これで良かったのだろうかと悩んでいる。
「良く思わない人物」が主人公を責める。主人公は悩む。そこに「別にいいじゃねえか、今の自分を受け入れろよ」と言ってくれる人が現れる。
そういう作者の中にある異なる意見は、まるっとキャラクターに詰め込んでしまえば悩んでること自体が話のネタになるから、
例えば「理想の自分」と「大嫌いな自分」も、「大嫌いな自分」と友人でいてくれた親友などを作れば、この親友は「大嫌いな自分」だったモノの代弁者となってくれる。
一方で「理想の自分」になってから近寄ってきて仲良くなった恋人は、「新しい自分」の象徴となる。
そうやって、自分の中にあるものを外のキャラクターに出して、彼らに衝突してもらえばよい。

「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信の返信 (No: 4)

スレ主 バッキー : 1 No: 3の返信

投稿日時:

返信ありがとうございます。

>第三者が非道な手術に倫理観を問うことはあっても、当事者が倫理観をどうこう言うことは無いんじゃないかと感じる。
過剰に外的要因での緩和・矯正を否定する事もまたコンサータや今自分が服用しているストラテラを否定する事にも繋がってしまう側面もあるので。
自分自身自己肯定感があまり高くないのを抜きにしても「本当の自分」というのがそこまで称誉されるものか?という疑問もあります。

>「良く思わない人物」が主人公を責める。主人公は悩む。そこに「別にいいじゃねえか、今の自分を受け入れろよ」と言ってくれる人が現れる。
そういう作者の中にある異なる意見は、まるっとキャラクターに詰め込んでしまえば悩んでること自体が話のネタになるから、

最終的な落とし所は「ともあれ肯定できる自分をたしかに作り上げる事は出来た」というところで、そこから逆算して人間関係を作っていきたいというのはありますね。
「ヒーローものを沢山見た末に見出した自分自身が美しいと思える在り方」自体は「頭が良くなる」前後に関わらずあるもので、それに近づけた事は間違いなく肯定できるという考えです。

「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信の返信の返信 (No: 6)

投稿者 サタン : 0 No: 4の返信

投稿日時:

>過剰に外的要因での緩和・矯正を否定する事もまたコンサータや今自分が服用しているストラテラを否定する事にも繋がってしまう側面もあるので。
完全に否定するんじゃなくて「否定する人(キャラ)もいる」「擁護する人(キャラ)もいる」物語の中で相反する考えのキャラクターを衝突させて、作品としてその答えは読者にゆだねる。という感じ。
「そういう考えもある」という「考え」自体を擬人化してキャラクターにしちゃえば、スレ主さんがいま悩んでること自体がテーマになって物語になるよ、ってことです。

>「本当の自分」というのがそこまで称誉されるものか?
「本当の自分」って表現は私もあんま好きじゃないけど、だって「自分」に本当も嘘もないからね。だから別にそれは誉められるようなものではないと思うよ。
ただ、えーと、
なにかに悩んでるとき、人は「答え」を見つけようとして考えてあがくけど、悩んでる以上、悩んで出した回答は100%納得できる答えではないんだよね。迷いながら答えを選んでるから。
でも、フトしたとき「答え」ではなく「問題」のほうに間違いがあると気が付いたら、その後の選択は納得できる可能性が高いと思うんだ。
このとき、私は「本当の悩みが解決した」と表現すべきかはわからない。問題を挿げ替えただけかもしれないし。
だけど悩んでたことを乗り越えられたって事実はあると思う。
だから、「答え」が見つからない納得しきれないって場合は「問題」のほうに目を向けてみるとよいかもしれない。

確かに自分のレスを読み返すと「本当の自分探し」みたいなこと言ってるけど、感覚的にはそういう話をしたわけじゃなくて、
例えば、いま私が異世界に転生してチート能力を手に入れたら勇者もかくやという活躍を見せるかって言ったら、100%ないわけですよ。そういうのに多少の憧れはあるけども、とはいえ私自身はそんなことする人間じゃないので。たぶん、どんなスーパー能力を手に入れたところで今と変わらん生活をしてる。
そんな考えを持ってるから、逆に、
冴えないし勇気も根性もない少年が異世界に転生してチート能力を得て目覚ましい活躍をしている場合、そもそも少年はそういう人間だったと思うわけです。
異世界で突然チート能力を取り上げられても、きっと自分なりに行動できる人間だろう。
チート能力は少年が活躍する切っ掛けでしかない。

だから、スレ主さんの「頭が良くなる手術」も同じように考えてた。
頭が良くなったところで、できなかったことが出来るようになったところで、やるヤツはやるしやらないヤツはやらない。
主人公は、あるとき突然に手術の効果が切れて「理想の自分」から「嫌いな自分」に戻ってしまったとしても、「理想の自分」がやり始めてしまった事は「嫌いな自分」も、最初は 出来ない と思っても最終的には今の自分なりに行動しようとする、と思う。
それが「本当の自分」ってならそうなんだけど、「力がなければ動かない」というのも自分で、それは力を得た後でも変わらんし、力を得たところで何も変わってないと思うんだよね。
なら、そういう自分に気が付いた上で、つまり「答え」ではなく「問題」のほうに原因を見つけたうえで、それじゃいけないと、行動する主人公の変化が物語を面白くすると思う。
チートや手術など後天的な能力の会得による「変化」は主人公が動き出すわかりやすい切っ掛けでしかなくて、手術で「理想の自分になった」という切っ掛けはあったけど、真実「理想の自分」になれたのは主人公自身の力である。ってのが好きかな、と。

えーと、長くなってるけど私も下手だからたぶん伝わってないんだよな。
チートだろうと手術だろうと、突然能力を会得したところで本質的に主人公は何も変わらんと思う。力を得たことで気が大きくなっただけで、酒飲んで酔っ払ってるのと同じ。
その本質ってのは「本当の自分」なんだと思う。何をしたって、これはそう簡単には変わらん。本当も嘘もない自分は自分。そんな素っ裸の自分なんて恥こそあれ褒められるようなものではない。
けど、そんな「自分」を曲げて奮い立つ姿は、私個人としては感動するし尊敬する。

うーん、そもそも私も回答しつつ自分の発言において問題を定義できてなかったかな。
「本当の自分」は、そう。
でも、その「本当の自分」を変えたのは、手術の効果でも何でもなく、自分に気が付く切っ掛けではあったけど、物語の中で経験し成長した主人公本人の意思の力が自分を変えた。
その主人公の意思に倫理観は問題にはならんので、最初は「手術」という外的な倫理観はあっても、最終的に主人公の行いは「主人公の意思」になるので、倫理観の問題はなくなると思う。
「そんな手術は非道だよね」「都合が良すぎるよね」に対して、「最終的には主人公の頑張りです」になるため。

ちょっと回答が 私個人の妄想と想定 に寄っちゃったけど、回答としては「答え」ではなく「問題」のほうを考えてみたらいいってのを「本当の自分」ってワードにからめて具体例にしてみた、って感じね。
結局「倫理観の問題でなくすればいい」って書いちゃってるし。
「本当の自分」はなんも偉くないし褒められるものではない。その「本当の自分」を変える主人公の強さが凄い。
私は異世界に転生してチート能力を手に入れたとしても、今と変わらない生活をしようとする「変われない人」なのですよ。
そこで「変われる事」は、手術とかチートとか倫理観を問われるようなことではないから、切っ掛けにある「手術」がどれほど外道で非道で倫理的に問題だらけな事だとしても、あくまで主人公の変化や成長に関して倫理的な問題ないよね、って感じ。
だから、物語の中では肯定キャラも出すし否定キャラも出すし、前スレでも書いた通り、その倫理観に答えは書かず「作者が答えを出せない悩んでる」状態そのものを物語にしちゃう。
そのまま、「いや主人公は手術とかじゃなく自分で変わったんスよ」って感じにして、手術の倫理観と切り離して結論にしてしまう。
なので、スレタイに回答すると、
>「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするか
「良し」も「悪し」も答えは書かず、問題提起としては両方書く。そのうえで 主人公の意思の力 など「別解」を用意する。
悩んでる事は、「悩んでる事」を書けばいいんですよ。

「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信 (No: 7)

投稿者 ごたんだ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

炸裂弾なんて痴性からの特産物
そのものじゃないか、自分の痴性を自分が愛さずに他人は愛せと言うのは高慢ではないか?

スポーツ選手の整形手術の是非でも思ったが、自分をプロに通用する躰に産んだ育てた両親の感謝があれば、そんな惨めな発想にはならない。

所詮は負け犬の発想。

んな、負け犬が最後に行き着くような手段に頼る前に努力をしろ!

それが八方良くなる手段だろっ!!!

お前みたいなのは犠牲に慣れた挙げ句にギャンブルに手を出して劣化の末に何も残らなくなるのがオチ…

そんなヤツが下から目線で説教臭い小説を書くから嫁と?www

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お久しぶりです。
色々考えている内に、前このラ研にいらした壱番合戦氏のような「私小説じみた性格がかなり強い話」を発案した次第です。

「発達障害当事者としての自分」と向き合う話に好きなモノを色々、有り体に言えば「アルジャーノンに花束を」にバットマンや仮面ライダーを混ぜ込んだような代物として仕上がろうとしている所です。

本題に入りますと、この話の倫理観の置き所について相談したい所でした。
拙作の主人公は(詳細な所はぼちぼち決めようという所で)何からのハンディキャップを持って生を受け、とある要因によって高い知性と身体能力を備えた超人になる訳ですが、私にとってヒーローをやっている現在が「理想の自分像」それ以前が「現実の大嫌いな自分」に当たる訳ではあります。

こういった話では「外的要因で頭を良くしたりする事」を無批判に称誉すべきではないですが、かと言って自分自身「ありのままの自分が良かった」とは口が裂けても言えないでいます。

この辺何処まで肯定すべきでしょうか、その点の倫理について相談したい次第です。

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