「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信
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「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするか(元記事)
お久しぶりです。
色々考えている内に、前このラ研にいらした壱番合戦氏のような「私小説じみた性格がかなり強い話」を発案した次第です。
「発達障害当事者としての自分」と向き合う話に好きなモノを色々、有り体に言えば「アルジャーノンに花束を」にバットマンや仮面ライダーを混ぜ込んだような代物として仕上がろうとしている所です。
本題に入りますと、この話の倫理観の置き所について相談したい所でした。
拙作の主人公は(詳細な所はぼちぼち決めようという所で)何からのハンディキャップを持って生を受け、とある要因によって高い知性と身体能力を備えた超人になる訳ですが、私にとってヒーローをやっている現在が「理想の自分像」それ以前が「現実の大嫌いな自分」に当たる訳ではあります。
こういった話では「外的要因で頭を良くしたりする事」を無批判に称誉すべきではないですが、かと言って自分自身「ありのままの自分が良かった」とは口が裂けても言えないでいます。
この辺何処まで肯定すべきでしょうか、その点の倫理について相談したい次第です。
「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするかの返信
投稿者 ごたんだ 投稿日時: : 0
炸裂弾なんて痴性からの特産物
そのものじゃないか、自分の痴性を自分が愛さずに他人は愛せと言うのは高慢ではないか?
スポーツ選手の整形手術の是非でも思ったが、自分をプロに通用する躰に産んだ育てた両親の感謝があれば、そんな惨めな発想にはならない。
所詮は負け犬の発想。
んな、負け犬が最後に行き着くような手段に頼る前に努力をしろ!
それが八方良くなる手段だろっ!!!
お前みたいなのは犠牲に慣れた挙げ句にギャンブルに手を出して劣化の末に何も残らなくなるのがオチ…
そんなヤツが下から目線で説教臭い小説を書くから嫁と?www
カテゴリー : ストーリー スレッド: 「頭が良くなる手術」をどこまで良しとするか