元記事:恋愛
『コメディ、ギャグ』
主人公の女生徒が恋愛した方が良いか、友達の恋愛を見て、笑いを取る書き方が良いのか悩んでます。主人公が恋愛しちゃうと書きにくくなりまして。アドバイスお願いします。
上記の回答(恋愛の返信)
スレ主 ポコポコ : 0 投稿日時:
お返事ありがとうございます。
主人公は、恋愛なしにします、友達の恋愛を使うことにします。
『コメディ、ギャグ』
主人公の女生徒が恋愛した方が良いか、友達の恋愛を見て、笑いを取る書き方が良いのか悩んでます。主人公が恋愛しちゃうと書きにくくなりまして。アドバイスお願いします。
スレ主 ポコポコ : 0 投稿日時:
お返事ありがとうございます。
主人公は、恋愛なしにします、友達の恋愛を使うことにします。
初の返信です。
内面の成長を大雑把に言い換えれば「今まで出来なかったことが出来るようになった」でしょうか。
主人公の未熟な点が試合中の肝心な勝負所で響いてしまった、ということならば主人公はそれを克服するために努力するでしょう。
「幼少期のトラウマで、相手を剣で切ることに躊躇いを覚える」という例で話を進めましょう。その弱点を克服するために主人公は努力します。
努力といっても、ただひたすらに修行するシーンを書いたって読者は面白くありません。(というか、その描写は小説に不向きです)。
そこで内面の葛藤を書き出します。
主人公は弱点を克服するために何回か敵と対峙しますが、そのどれもが失敗。どうして剣を振れないのだろうと悩んでいるところで事件が発生します。
主人公の大切な人が敵に攫われてしまいました。助けることが出来るのは自分一人。しかし、助けるためにはどうしても剣を振る必要があります。
「剣を振るのが怖い、でも助け出さなければいけない。いや、大切な〇〇の為なら、こんなことで悩んでいる場合じゃない。くそっ、もうどうにでもなりやがれ!」:イメージ
主人公は自分を叱責して敵陣に突っ込みます。無我夢中の主人公は剣を振ることに恐れを覚えず、怒涛の連撃で敵を倒し、見事に大切な人を助け出します。
この事件以降に剣を振れるようになり、剣の腕は上達、「自分の剣は大切な人を"守る"ためにある」という自我なんかが芽生えちゃったりします。
紛れもなく成長していますね。
ここまでダラダラと解説してきましたが、要は「抑圧→解放」です。
まとめが下手なので、ここら辺にしておきます。お目汚し失礼しました。
スレ主 ポコポコ : 0 投稿日時:
スポーツ物ですが、分かりやすく教えていただきありがとうございました。
部員の中での真剣勝負のときに上手く使って書いてみます。
精神面での成長の場合、「何かに気づく」「考え方が変わる」ということになると思います。
その結果として、「今でできなかったことができるようになる」のです。
気づきというのは、例えば「周りの仲間が弱いので、一人で何でも解決しようとする一匹狼キャラ」の場合は、「背中を預けられる仲間がいる」というのが気づきです。
欠点克服に至るまでに、以下の四つのイベントがあれば大体形になるのではと思います。
・欠点を明確にするイベント
・それが欠点だと気づくのに必要なイベント
・欠点を補うあるいは失くすためのイベント
・欠点を乗り越えたので、前はできなかったことができるイベント
最低この四つさえあれば、大体形になると思います。
先ほどの一匹狼に当てはめると、
・欠点を明確にするイベント
単身敵に挑み続け、それを指摘・避難される。
・それが欠点だと気づくのに必要なイベント
一人では勝てない敵が現れる。
・欠点を補うあるいは失くすためのイベント
一人で勝つために強くなろうとする、あるいは一人で敵に挑み続けるも敗北。
『そんな中、仲間に助けられたり、仲間が以前は倒せなかった強敵を倒せるようになったりしており、仲間がもう弱くないことに気づく。同時に信頼関係も結んでいく。』
頼れる仲間がおり、皆と一緒なら勝てるかもしれないことに気づく。
『』部分は、上記の強敵が現れる前にある程度進めてしまってもいいかと思います。
・欠点を乗り越えたので、前はできなかったことができるイベント
「欠点を補うあるいは失くすためのイベント」の強敵に対し、全員で協力して勝利する。
とまぁ、ざっとこんな形になるのでしょうか。
「欠点」と「それを克服した結果どうなるか、克服するために必要な材料は何か」が見えてくれば、自ずと道筋は見えてくるんじゃないかなぁと思います。
ちなみに余談ですが、戦隊や子供向けヒーロー番組はこの辺結構わかりやすくて、
「問題提示→その問題に沿った怪人→怪人を倒せない→なんやかんやで冒頭の問題解決→怪人倒す」
という流れを30分でやります。(個人的に戦隊で一番すごいと思った部分)
全編を通して成長させる場合もあり、その場合は一年もあるので非常にわかりやすく成長しています。
対象年齢が低いせいか、結構この辺の成長は顕著なイメージがあります。
また、子供向けでなくても、ヒーローものは結構成長が分かりやすい印象があります。参考になるかもしれません。
また、青春ものやアイドルもの等も、「精神面の欠点」を明確化して変化させることが多い印象があります。
スレ主 ポコポコ : 0 投稿日時:
詳しく書いて頂きありがとうございます。
凄く勉強になりました!
成長、絆など全く無くだらだらと掻いていて、読み返してるうちに気付きました。
でも、成長などを表現するにはどうしたら良いのか解らない状態でした。
とても参考になりました。
また、行き詰まったとき宜しくお願いします。
>内面の強さが成長したことを文字で表すのが難しくて
つまり、「何を書けば成長なのか」を明確にしておけば良いという事です。
すなわち「成長の定義」を考えておくとやりやすいかと思います。
例えば「内面」なので王道で言うと「勇気」でしょうか。
成長を「勇気を持つ事」と定義すれば、勇気を持って立ち向かう姿があれば成長したと言えます。
すると、序盤中盤では「勇気がない姿」を書く必要があります。
「勇気のない少年が勇気を持って立ち向かう」という話になるので、その過程「勇気を持つに至った物語」がそのまま「成長」を書いていると言えるわけです。
また別の方法では、何かしらの象徴を用意するのもやりやすいです。
例えばライバルとありますが、ライバルというのはだいたいが主人公の映し身であることが多いです。
主人公が敵側の存在だったらこんな感じとか、主人公の理想像はこんな感じとか。
要するに、「ライバルを打倒する」ことで「それを乗り越える」という描写になってるわけですね。
打倒せずとも、ライバルに「主人公の理想像」という象徴を用意することで、ライバルとぶつかり合う展開そのものが「それを乗り越えようとする」という成長の描写になるわけです。
つまり、こう言っちゃなんだけど、何の考えもなしにライバルを出しても、その激突で何を書いてるのか自覚してないから成長が書けてないわけです。
これは「成長」だけでなく「内面」に関わる事なら何にでも応用できます。
例えば「葛藤」は、ライバルを「戦いの象徴」として主人公を「戦いを止める象徴」として書けば、二人がぶつかり戦うことは「戦うか、戦わないかの葛藤を表現している」と言えるわけです。まあ二人は戦ってるけども。
つまり。
>試合での勝ち負け、ライバルの出現、後輩ができる
成長はその内容で描写していくもので、そのためにはそれぞれ「試合」が何を意味しているのか、ライバルは何なのか、後輩はどういう意味なのか、そういうのを考えなきゃいけない。
で、考えれば、今度は、例えば「試合」は「主人公の力量」を示しているのなら、誰に勝って誰に負けるのかすぐに判断できますよね。
例えば「ライバル」が「主人公の理想像」であるなら、ライバルに勝利してしまったら理想を乗り越えたってことになるから、そうそう勝っちゃマズイですよね。
こういう、象徴や定義の扱い方がそのまま「成長をどう書くか」という事になります。
>文字で表すのが難しくて
文字ではなくて、物語で表現してみましょう。
スレ主 ポコポコ : 0 投稿日時:
ライバルに勝つ、負けるで、何が成長するか決めてから書くことにします。
皆さんのアドバイスを見ていて、あしたのジョーが、浮かんできました。
力石に負けて、ライバルが死にと色々湧いてきました。
また、行き詰まったら宜しくお願いします。
二人称は対話形式なので、たぶん間違えてると思う。
おそらくライバルに視点を合わせた口語体の一人称なのでは。
理想で言えば、あまり視点は動かさないほうが良いでしょう。
デスノートのライトとエルで例えれば、「相手が何を考えてるのかわからない」から面白いので、相手の意図を書くために視点を移したりしたいだろうけど、可能な限り主人公の視点でそれらを書いたほうが良いです。
というのも。
デスノートの主人公は、「エルはこう考えているだろう」とか「バカだなデューク、それこそエルの思うつぼだろ(と解説を始める)」とか、あくまで「ライトの推測」という形で相手の思惑を語っています。
漫画なのでエル視点にもなるけど、この場合も同じ。「キラはおそらくこういう思想を持っている」とか、推測を語っていることが多い。
「こういう意図があるから、これからこういう行動を取るぞ」と計画など行動について「思ってること」を直接書くことはほとんどなかったと思う。
これは、こう書くことで「相手の思惑を看破する頭のいいキャラクター」という描写ができるので、視点を移さず主人公の視点から「予想・予測」を書くことでライバルの思惑を伝えてくほうが良いためですね。
しかし、「止めたほうがいいか」という話になると、別に良いのではないかなと思います。
書いたことと矛盾してるようだけど、「相手の予想を書けばいいだけ」と、言うのは簡単だけど、実際物語に落とし込むのは難しいと感じるだろうし、作者の感性で創意工夫して、その結果視点移動させようってことになったなら、それはそれで良いと思う。
スレ主 ポコポコ : 0 投稿日時:
凄く分かりやすく教えていただきありがとうございます。
主人公視線で書いていきます。
カテゴリー : キャラクター スレッド: ライバルとの戦いで
この書き込みに返信する >>現在までに合計63件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全13ページ中の2ページ目。
どうもこんにちは。壱番合戦 仁です。
前々から世間で疑問視され続けていた重大なテーマについてお聞きしたいと思います。
ズバリ!
『障碍者を使って泣ける話を作って、自慰行為するなッ!!』
はい、これまんまの話です。障害を持った人が主人公のドラマとか、映画って、見ていてなんか違和感ありませんか?でも、僕からしてみれば、よくよく見るとどう考えても、『疲れた健常者のために作られている』としか思えません。当事者にこれっぽっちも優しくないんです。
すこし福祉の心得がある人ならすぐわかると思うのですが、当事者からしてみれば『いつも通り生きているだけなのに一挙手一投足に感動すんなよ。ウゼェな』というのが本音なのです。
特に挙動や振る舞いが健常者にかなり近い(流暢に会話する、空気はそこそこ読める、的外れだけど気を使うくらいはできる、集団行動は訓練したから後天的にできる、身だしなみも気を付けている、常識も気にしている)僕の様な「アスペルガー型」からすると、偏見以外の何物でもありません。
ああいったものばかりが世に出回っているおかげで、僕たちの認知が一向に進まないのです。実に腹立たしい。
実際、僕はそういったお涙頂戴物のドラマなど見ません。カナー型自閉症の男の子の恋が【健常者の女性に対して】実ったみたいな話は、制作者の意図が透けて見えて、反吐が出ます。
また、アニメや漫画での障害の扱いは非常に軽いと思います。例えば、「アルプスの少女ハイジ」。
クララが立てるようになるシーンは名作と言われていますが、そもそもクララはシリーズの途中で足が完治します。あとは本人が立てるようになるだけなのに、心療内科的な症状で立つことができません。そこを友人であるハイジらが励まし、彼女は障害を乗り越える。これだけならいいのです。この作品はきちんと障害に向き合った上で乗り越える様子を丁寧に描写していたはずです。
ですがしかし、【本当にそれは、障害という設定を使ってまでやっていいことだったのでしょうか?】
古来、物語において、キャラクターの『足や腕、または心の機能を取り戻す』というのは、自らの忌むべき過去との対決を意味しました。ですが、現実の多くの障碍者にとって、後天性なら自らの障害にまつわる忌むべき過去はあるかもしれませんが、もう今となってはどうしようもないことなのです。【現代医学では治せない】【ほぼ一生治らない】から障害なのです。「障害を乗り越えるべきものととらえるなど、烏滸がましいにもほどがあるのでは?」と少なからず疑問を覚えてしまうのです。
僕は『障害を抱えたまま、成長していくこと』については大賛成です。それが本来の障碍者の讃えられるべき生き様だと思うからです。だから僕は、僕の異世界冒険記、改め、「イドラとユクサー」を書いています。
(ちなみに以前の質問で『私はただ夢が見たいだけ』とおっしゃっていた方もいらっしゃいましたので、あくまでその人も、僕も、一意見にすぎませんが)皆さんは障碍者を物語の中心に据える場合、どんな書き方をしますか?また、この命題に皆さまはどんな考えをお持ちでしょうか?
倫理的な問題につながっているので、参考にしたいです。
回答を心よりお待ちしております
投稿者 あざらし : 2
所感を綴ります。
>障碍者を使って泣ける話を作って、自慰行為するなッ!!
桂香さんも書いていらっしゃいますが、いわゆる感動ポルノですね。
この問題の難しいところは発信者側だけの話しではなく、受け取り側のとらえ方でも変化するという点でしょう。
同じ物語でも、
Aさんは「感動した、素晴らしい作品」
Bさんは「感動ポルノで唾棄すべき作品」
当たり前の出来事です。
本質的には、ですが、作品に対する評価ですから、それは作品を味わった人それぞれが判断することです。
障害を扱うということに特異性を持ちやすいだけで、本質的には、あくまで根っこの部分としてはどの作品も変わりはありません。
もちろん例外『中身以前に大前提として首を傾げる』というのは存在します。
感動ポルノという言葉を日本で広めるきっかけになった番組でもありますが【24時間テレビ】ですね。
本当に募金を募ることが目的のひとつにするならば、
『TV局はCMによって得た収益を寄付』
『お金の流れ、システム的に必要となる広告代理店も収益の一部を寄付』
『出演者はボランティアでまかなう』
これを満たすべきですが、そうはなっていません。ゴールデン30秒のCM料金がおおよそ1000万ですから、募金金額が2億やそこらでは、収益が目的の商売だと思われても仕方ない。
内容も、個人的に品位があるとは到底感じられない作り、はっきり言えば下品ですが、個人的な拒否感と社会的意義は別枠で考えるべきだと思うのです。
『番組の存在により募金したであろう人の存在』
『番組がきっかけとなり、障害者の存在を意識したであろう人の存在』
この存在がゼロで無い限り、社会的意義もゼロではない。
「1000を1200にする」ということより、「ゼロを1にする」ということは遙かに困難ですから、人の行動のきっかけになる限り、手法を完全否定することも私は出来ません。
いかな手法、自己矛盾を孕んでいてすら、受け取り側である視聴者によって肯定されれば、その結果が単純に社会通念上でも『善いこと』になっていくのではないでしょうか。
感動ポルノ、これそのものが現象を指す言葉であって、特定の作品を示すべきではないと私は思うのです。
>また、アニメや漫画での障害の扱いは非常に軽いと思います。例えば、「アルプスの少女ハイジ」。
そもそもアニメのハイジは子供向け番組として作られています。
物語の内容が全て理解できなくとも、幼稚園にあがる頃には十分に楽しめますし、元々はそういった幼児でもみることができ、小学生になれば話しの隅々まで見ることができるように作られています。
アニメは1970年半ばの作品です。
今日でもそうですが、小学生にせよ幼児にせよ、日常生活で「歩けない人」に接する機会がどれぐらいあるでしょう?
もちろん祖父母が車いすを使っているならば、それなりに機会があるでしょうが、そうでなければ街中で見かけるだけで『ほとんど存在を認識していない(実感できない)』という場合もあるでしょう。
視聴者からすればクララという『同年代であったり、お姉さんの年齢で歩けない人がいる』ということをアニメを通して実感する、これは大変に意味のあることだと私は思います。
ハイジはクララと初めて合ったとき「歩けないの?」と聞きます。大人だったら聞きません。
でも、子供であるハイジは聞くのです。
残酷であると受け止めることもできますが、真実の意味でフラットな反応と受け止めることもできますし、見ようによっては確かに軽いと見ることも出来ますね。
いずれにせよハイジにとってはクララを特別視するためではなく、今後の『日常』としてスタートだと思います。
>本当にそれは、障害という設定を使ってまでやっていいことだったのでしょうか?
私は子供に見せるアニメとして、障害者の存在を隠すより、よほどよいと思います。
クララが歩けないのは原作の通りです。
原作で歩けないクララが、アニメでは歩けることになっている。
こうなってしまうなら大問題でしょう。
>「障害を乗り越えるべきものととらえるなど、烏滸がましいにもほどがあるのでは?」と少なからず疑問を覚えてしまうのです。
ハイジの場合を先に書きますが(作中で明示されていませんが)転換性障害、機能性神経症状症、ひょっとすると脳の機能障害(もしくは併発)かも知れませんし、お嬢様でかごの鳥状態ですから日光の不足、ビタミンD欠乏による”くる病”かも知れません。
原作が書かれた19世紀だと、ひっくるめてヒステリーと呼称されてもおかしくありません。(日本語での語感、感情をコントロールできなくなっている状態、の意味とは異なります)
ぶっちゃけ当時も快癒する可能性がありますから、周囲と本人が治って欲しいと思い、それに伴った行動をするのは至極真っ当だと私は思います。
治る可能性が感じられる限り、そりゃ周囲も乗り越えるように手助けするでしょう。
ハイジもそうしていたと思いますよ。(ペーター、だったかな? 車いすを壊してしまうという行動も心理としてよいメタファーになっていたと思います)
さて。
個人的に、健常者は障害を持っている人を特別視するのではなく、そういった個性であると認識するべきだと思っています。
そう特別なことだと思わない方が良いと思うのです。
当たり前ですが、嫁さんは私より力がありません。
『男性に比べて女性は重労働には向かない』という産まれ持った性差による個性です。
ですので買い物に行ったら荷物は私が持ちますし、階段でベビーカーを苦労して持ち上げている女性がいたら『持ちましょうか?』と声をかけます。
目の不自由な方は『視覚情報に頼ることができない』という個性です。
ですので『私が代わりに見ることで助けにならないか?』を訪ねます。
同じことなんです。
昨今、アメリカでは障害者のことを先天・後天性に関わらずChallengedと呼称する文化が根付いてきています。
これは単純なポリティカルコレクトネスとは明確に異なります。
今日的には差別用語より若干マシ『(少なくとも公的な場では)つかうべきではない言葉』になっていますが、それ以前は障害者を意味するDisabledpersonやHandicappedです。
日本でなら外来語としてのハンディキャップですね。
スポーツ等でも使いますが『不利な条件』を示します。
つまり『健常者を平均としてのハンディキャップ』であり、人間に使うにはあまりにもネガティブです。
Challengedというのは、無理矢理日本語にすると『(神により特別に)挑戦する資格を与えられた人』です。(言葉の背景にキリスト教の価値観が関わります。あの国は、あの科学技術をもってして、人口の半分が進化論を拒否するぐらい生活の基盤で神の存在が普通のことです)
この言葉の重要なところは、
健常者にむいては『ネガティブに特別視するな。かわいそう、それが差別が無くならない理由』
障碍者にむいては『(神に特別に選ばれた)チャレンジドであることに誇りを持って生きよう』
こういった意味を内包しています。
健常者が乗り越えろと考えているのではなく、障碍者自身の望みでもあると私は解釈しています。
不慣れな土地で道に迷っている人と一緒。
自分で解決できそうな人に案内を買って出るのは不躾ですが、困っているならば助けるべきでしょう。
『自分で解決すべき』とは思いませんし、かといって『過干渉すべき』とも思いません。
道に迷っている本人の意思、本人の自由で判断することを、案内人は尊重するべきだと思います。
チャレンジドの方にも同じスタンスで行動すべきだと私は思います。
>皆さんは障碍者を物語の中心に据える場合、どんな書き方をしますか?また、この命題に皆さまはどんな考えをお持ちでしょうか?
私は執筆しない単なる読者ですので、その視点で書きます。
障碍に限らず、万人に画一的な答えを当てはめられない問題は世に五万とあります。
例えば、死刑制度。
賛成派・反対派が存在する以上、扱いが難しいですよね。
いずれの発言にも納得できる部分はあります。
もちろんケースバイケースによって異なりますし、問われたタイミングで答えが変化することもあります。
こういった万人が画一的な答えを持っていない題材を扱う場合、
『ストーリーは登場人物を利用して可能な限りフラットに。物語を通して読者の心に発生した感情を作品のこたえにする』これがベストだろうと思います。
著者が発表した時点で、それは著者の手から離れ、個々読者にとっての作品に変わります。結論部分は読者にゆだねてよいのではないでしょうか。
品がないと感じるのは『制作者により予め用意された解釈による結論の押しつけ』
この結論を『感動』にすれば、安っすい邦画によくあるパターンです(笑)
こういうのは、鼻で笑い飛ばすぐらいしか反応できません。
こんなの態々時間を使って読ませるな、という話しです。
一本だけおすすめ映画を。
先日も放送していましたが【この世界の片隅に】
原作の同タイトル作品【こうの史代著】をかなり忠実にやってますので、漫画で読んでもよいと思いますが、アニメもよく出来ています。
安っすい著者や監督がやると、『鼻で笑い飛ばすしかない』題材を、流石の手腕でお見事に調理しています。
カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 作中の障碍者の扱いについて。
この書き込みに返信する >>投稿日時:
こんにちは。大野です。
先に書いて置くと、このスレは駄弁りスレです。
燃え尽き症候群&リアルでのストレスが積み重なって、絶賛文章が書けない状態にあるスレ主が、『ああ、そういうの良いよねー』って話をしたいがために立てたスレなので、かなり気を抜いて書いてもらって大丈夫です。
ちなみに、俺は基本『書けないときは書けないし、気分転換したり人の話聞いたりしてたらそのうち書けるでしょ』っていうかなりお気楽なバカなので、そこら辺の事については気を使わないでもらって結構です。(え、既にメンドクサイくらい絡んでるじゃん、って? ゴメンナサイ)
さて本題。ラブコメにも、ギャグやらファンタジーやら、百合やら薔薇やら、メンヘラやらツンデレやら、両方思いやら鈍感難聴やら、ハーレムやら純愛やら、まあ色々ある訳ですが。
どういうラブコメが好きですか?
或いはシチュでも良いですけど。
ちなみに、気負わないでと最初に書いて置いてなんですが。スレ主は次はラブコメを書こうと思っており、そのための需要チェックもなくはないので、『一般から離れすぎている』自覚がある方は念の為言ってもらえると幸いです。
投稿者 ふ じ た に : 2
相手が主人公を一途に好きすぎて色々とやらかす、ちょっと病んでいる系が好きですね(微ヤンデレ)。
でも、主人公はちょっと天然系なので、相手の行動を別に解釈しちゃうんですよ。
ある意味お約束な組み合わせですが、こういうの好きですねー(*ノωノ)
一般から離れている自覚はないんですけど、違ったらごめんなさいね。
ラブコメ、楽しみにしてますー。
カテゴリー : ストーリー スレッド: ラブコメで好きな展開を教えて下さい。
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異世界で中世イギリスみたいなスチームパンクみたいな世界観を作ってるんですが
機械文明の中に魔法を落とし込むってSFになるんですか?
SFの知識身につけた方が良いですか?
投稿者 サタン : 1
その設定だと、程度によるというか内容によるんじゃないかな。
SFというのはサイエンスフィクションだから、例えば蒸気機関が生まれたことで魔法が衰退していったみたいな内容なら主役は蒸気機関つまり科学のほうだからSFないしSFファンタジーだと思う。この場合 魔法 ってのは一種の前時代の象徴でしかないから。
あるいは、魔法と蒸気機関が共存してるような世界観でエンジニアの主人公が悪い魔術師の思惑を阻止するみたいな内容だったら、多少SF要素はあるけどファンタジーかな。問題解決の道具が蒸気機関ってだけなので。
繰り返しSFってのはサイエンスフィクションだから、物語の主旨になる中心部分に科学があるかないかってのが判断の分かれ目。
だから、例えば AIによる管理社会での恋愛 みたいな内容で、決められた相手との恋愛がどうなるのかとか、別れることも決められてるけど逆らうのかとか、そういう科学知識ほとんど出てこない作品でも、AIによる管理社会っていうサイエンスで起こるフィクションを描いてるので、これはSFになる。
SFだからって必ず科学的な知識が必要ってわけじゃないし、スレ主さんが提示された設定だけでSF知識が必要かどうかってのは、わからない。
SF知識よりもスチームパンク作品を読んで「スチームパンクっぽさ」が出てる部分を吸収したほうがいいと思う。
カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異世界スチームパンク
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ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン
プロ作家、編集者にアドバイスしてもらえる!勉強会で腕を高めあえる!小説で飯を食べていきたい人のための創作コミュニティ。学生には交通費1000円を支給。