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元記事:新プロットにつての感想

まず。
ここまで提示されたプロットそのものは、大筋では悪くないと感じます。
しかし何度も言いますが、理論に当てはめようとしているところに少し疑問手が生じてしてしまっている気がしました。

>セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
(中略)
>母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる

ここは悪くないというより、かなりいい感触です。そう思う理由は何度も書いたので省略。

気になるのは次の幕間。ここに複数の疑問を感じました。以下、それを説明します。

1)いきなりネタバレになっている。
 母が失踪した理由の一端。摩耶がヴィランであること。この二つを早々と開示してしまっています。私的にはこれらの謎が読者の興味につながると考えているので、もう少し引っ張った方がいいように思えます。(ヴィランの目的の提示)(杏里の目的の提示)と書かれていますが、セットアップとして必要な情報の提示というよりも、悪い意味でのネタバレになっている気がしました。
 同時に月の神殿や蘇生の禁書などのキーワードも示されますが、それらについてはここで読者にチラ見させておくのは効果的かもしれません。

2)読者と主人公の知識のギャップ。
 主人公が知り得ないことを読者に示しています。そういうテクニックもあるにはあるでしょうが、計算の上でしょうか? これは冒頭でやると主人公への感情移入の妨げになるので考えものだと思うのですが。

3)主人公にとってのセントラル・クエスチョンになっていない。
 「夜白は母を救えるか?」は、この時点では主人公にとってのセントラル・クエスチョンになっていません。
 2に関連しますが、これは読者だけに知らされた情報から生じるクエスチョンなんですね。なので、プロットの都合で作者がセントラル・クエスチョンを読者に教えただけという状態になっていないでしょうか? セントラル・クエスチョンはその後のストーリーを牽引する重要な要素のはずなので、それを読者と主人公が共有できなくても大丈夫なのかな? という疑問です。

以上の問題があるため、「夜白は母を救えるか?」という課題がまだ「夜白の課題」になっていないんですね。だから夜白が動き出すきっかけにならず、少し遅れて、

>主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 通学中、霊に憑りつかれた男に命を狙われる。空からバイクに乗った少年が現れて、助けてくれる。

というイベントを入れることが必要になっています。
大まかな流れとしてはこれでいいと思うのですが、ここまでのパートに欠けていると思うのは夜白の主体性です。手探りでもいいから彼女自身が一歩一歩前に進み、テーマを目指すように描いた方がいいのではないかと。その方が読者は共感しやすいのではないでしょうか?

……ちょっと押しつけがましい書き方になっていたら、すみません。別に私の考えを強要するつもりはないのですが、どこに懸念を感じたかを伝えるために踏み込んだ説明をしてみました。
幕間パートはみりんさんが必要と判断してのことならいいのですが、「序盤に分かりやすいセントラル・クエスチョンを提示しなければならない」ということに拘って無理にねじ込んでいるように見えます。それがストーリーの狙いを少しおかしくしているように感じました。

上記の回答(新プロットにつての感想の返信)

スレ主 みりん : 0 投稿日時:

あまくささん、コメントありがとうございます!

(No: 37)に、第4稿のプロットをあげました。
できれば、これでいきたいと考えています。
とりあえず、あまくささんのご指摘のあった3つの疑問については解消されている
セントラル・クエスチョンになっているはずです。
これ以上のセントラル・クエスチョンを思いつかないので……。

>「大切な人が死んでしまった世界で生きていく意味はあるのか?」
をセントラル・クエスチョンにすると、途中母杏里が登場した時点で、「大切な人が死んでしまった世界で」
という条件があいまいになってしまう懸念はあるのですが、父陽斗が死んでいることに変わりはないし、
母杏里にとってはこの問いが解消されていない、ヴィラン摩耶にとってもこの問いは解消されていない、
という訳で、クライマックスまで引っ張れる問題定義だと思います。
それに、夜白には、「母の催眠を解く」という偽りの目的を持たせられているので、どういう話かわからない、
という状態にもならないように気をつけるつもりです。

これ以上の案を思いつけないし、筋が通っていると思うので、これでいきたいです。
ご意見とても参考になりました。ありがとうございます!

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信

 あまり三幕構成に詳しくないので、議論をかきまわすかもしれませんが、自分の認識が間違ってないか確認したいのもあって、力不足ながらコメントさせていただきます。
 
 セントラルクエスチョンとは、おそらく初期に提示され、全体において主人公を引っ張る「根本的な動機」の提示だと思うのです。そしてその動機は始めは大雑把で、話が進むごとに具体的な達成の方法や困難が提示され、それに苦悩しつつ、手段を変えつつ、揺らいでも、気持ちは変わらず主人公を引っ張っていくのだと思います。
 多分セントラルクエスチョンは「母と再び家族として暮らす(ただしあまり言葉にこだわらないで)」あたりでいいのではないでしょうか。およそ主人公の心理的な欲求と目的獲得が一致しているので「母親を取り戻す」でもいいかもしれない。それを提示するインサイティング・インシデントですが、これは摩耶の登場そのものではなく、表現は直接的か、一見前向きかは別として、「摩耶に冷たくされ、孤独を感じて、母に会いたいと感じる」「(その時点の認識で)亡き母に対する思いが生じる」になるのではないですか。ここまでは目的というほどでもなく、思いとして。摩耶をインサイティング・インシデントとして、母親と言う目的と結びつけるならば。
 そしてそのあと婚約者が登場、その巻き込まれ型の出来事のなかで母親が見つかるという、主人公の辛い感情(問題)が解決される具体的方法が提示され、具体的な目的を持った物語が開始されるのではないかと。
 セントラルクエスチョンは主人公の動機を通して読者に提示されるストーリーの大まかな骨組みのようなものではないかと思います。これによって以後の行為が、目的に近づくか遠のくかで善い悪いを判断されつつ、それが最終的にどのような形になるのか、読者が想像しながら読む、そのための道筋となるものというような。
 作者様の仰るテーマである「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というところの「大切な人が死んでも」は、母親が主人公から離れる最も大きな原因であり、かつ最終的に解決されなければならないものであり、「一緒に生きてほしい」は主人公の欲求のことだと思われます。これはセントラルクエスチョンの最終形態(どのように目的を達成するか)であって、テーマでも初期に提示するセントラルクエスチョンでもないのではないかと思います。当初の質問でセントラルクエスチョンとして掲げられた「ヴィランを倒す」も「最後の戦闘パート」「最大の障壁」であって物語に一貫するセントラルクエスチョンではないように思えます。これがセントラルクエスチョンになるには、このこと自体が主人公の最終目的として意図されなくてはならないはずですから、「倒し」自体が心理的な目標になり、その方法を探す物語になるのではないでしょうか。
 テーマは、完全に私見ですが(三幕構成で定義されているならごめんなさい)、この親子の物語を通して「読者」にどのような価値観を届けたいかと言うことだと思います。それは、作者様の思うものと同じではないかもしれませんが、このタイプの物語が取りうるものとしては「死者をないがしろにするのでもなく、しかし囚われるのでもなく生きるにはどのように思い、そして行為すべきか」というようなことではないかと思います。ただ、物語としてどう伝えるかはよくわかりません。
 分かりやすいものでは、自分の好きな事柄を悪を倒すものとして描けば、その好きなものは「善なるもの」であるというメッセージやテーマを(首尾よく描写出来れば)発せられるとは思いますが、ちょっとこの物語には当てはまりそうにない。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信)

スレ主 みりん : 1 投稿日時:

大ボーイさん、コメントありがとうございます!

>およそ主人公の心理的な欲求と目的獲得が一致しているので「母親を取り戻す」でもいいかもしれない。
「取り戻す」だけでは、母の気持ち「夫が死んだ世界で生きているのは辛い」が解消されないので、足りないんです。物理的に戻ってきても、心の救済がなければこの話ではハッピーエンドにできないんです。ただ、救済できているかというと、そうでもないんですよね。人の死によってうけた心の傷をいやすことは出来てなくて。でもそれでも生きることを選択してもらう、そのために主人公が頑張る物語です。

>作者様の仰るテーマである「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というところの「大切な人が死んでも」は、母親が主人公から離れる最も大きな原因であり、かつ最終的に解決されなければならないものであり、「一緒に生きてほしい」は主人公の欲求のことだと思われます。これはセントラルクエスチョンの最終形態(どのように目的を達成するか)であって、テーマでも初期に提示するセントラルクエスチョンでもないのではないかと思います。
仰る通り、「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というのは、テーマというよりはメッセージに近いかもしれませんでした。「一緒に生きてほしい」というのは、主人公の欲求であり、普遍的なメッセージでもあるんです。「残された人は、それでも生きなければならない」というような感じでしょうか。ただ作者の主張というか、そういうものがテーマなのかと思っていたので、今回はこうなりました。
本当は、もっと「死と生」とか、「死んだ人が星になるという祖霊信仰」とか、そういうのをテーマと呼ぶのかもしれません。正直、テーマってよくわかりません。ただ、どのような価値観を届けたいかでいうと、「大切な人が死んでも一緒に生きてほしい」というのが私の価値観です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信)

投稿者 雨オカマ : 0 投稿日時:

 混乱もあって読みにくい文章になってしまいましたが、ご返事ありがとうございます。
 最終的には「母を救う」というところになるかもしれませんが、その目的を持つのは母の事情がわかったあとで、どうもあとのほうになるのかな思います。wikiによればセントラルクエスチョンは最初のほうに提示されるものなので、その内容が果たして一幕段階で「救う」まで含むのかというのがすこし疑問でした。最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
 もしかしたらハリウッド式では序盤で目的とその解決法を全て出して一切そこは揺るがないのかもしれません。でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。母の意図を知り、彼女を思うなら、主人公の思いは捨て去られなくてはいけないかもしれない、というように。話を聞く限り、目的の姿が変わっていくときの衝撃が大事なので、用語として第一幕に出さねばならないらしいセントラルクエスチョンを、全体のテーマとか終盤の目的そのものとして捉えると良くないかな、と。それらは序盤に出してはいけないものですが、セントラルクエスチョンは序盤に出してしまうらしいので。
 ・・・という感じで、わりとどうでもいい、用語問題が個人的に引っかかってしまって、そのうちセントラルクエスチョンにクエスチョンって感じ(?)になって、独りよがりになってしまい、失礼。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

絶賛三幕構成を勉強しなおし中のみりんです。

質問は、セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

でも今私の作品にいざあてはめようとするとうまくいきませんでした。
具体的には以下のような感じでして……

第一幕:セットアップ5W2H誰がどこでどのような状況で何をする話か:父が死に、悲しむ母を主人公天沢夜白はなぐさめる
テーマの提示:大切な人が死んでも、一緒に生きてほしい(「パパはお星様になってママと私を見守ってくれているよ」となぐさめることで提示)
インサイティング・インシデント (つかみ・FTのきっかけとなる出来事・引き込み要素):母が失踪し、母の友人と名乗る女・摩耶(ヴィラン)が家にやってくる
セントラル・クエスチョン:主人公の解決しなければならない問題:(ヴィランを倒せるか?)
主人公はどのような人物像か(主人公の日常):夜白はまじめで前向きな性格で、摩耶と仲良く暮らしていきたいと家事を率先して行うが摩耶は冷たい。
主人公をめぐる問題が具体的に何か明確化: 婚約者を名乗る月兎族の賢人が現れ、 悪霊化する幽霊の霊魂を夜空に上げる月の神になれるのは夜白しかいないと言われる。
ファースト・ターニングポイント(アクション・選択):母が生きていると知り、取り戻すと決意する

インサイティング・インシデントに連動したセントラル・クエスチョンとなると、ヴィランを倒せるでしょうか? という問いになるかと思ったんですけど、次のシーンで主人公の夜白は母の友人を名乗り、家の管理をしてくれるヴィランと仲良くしようとするような真面目な性格です。倒そうとしてないし……。(仲良くしようとする動機は、父が死に、ヴィランに母も死んだと言われ天涯孤独だと思っているため寂しいので前向きに仲良くしようとしています)つまり、セントラル・クエスチョンがすごくわかりづらい設計です。
さらに、ヴィランである摩耶がヴィランだと判明するのも、第二幕の中盤くらい。

このように、セントラル・クエスチョンが暗示的でも面白い作品になると思いますか?

というか、セントラル・クエスチョンとテーマの違いって何でしょうか?

ややこしい質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

上記の回答(プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかも。)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

プロット第四稿、拝見しました。グッジョブかもしれません。
この件について返信させていただくのは、これが最後になると思います。みりんさんにかえって負担をかけるのは本意ではないので、レスはお気遣いなく。この掲示板で意見交換するのは私にとってもよい訓練になっています。

いろいろと分かっていらっしゃる方とお見受けしますので、これ以上私がどうこう言う必要はないのかもしれませんが、以下は一応の参考ということで。

構想されている物語は、「大切な人の死と、残された者の想い」というモチーフが繰り返し示されています。試みに整理してみると、

1)主人公天沢夜白の父の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→父)

2)夜白の父の死に対する、母杏里の想い。(杏里→夫)

3)摩耶の息子の死と、それに対する摩耶の想い。(摩耶→息子)

4)最期に自死を選んだ摩耶の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→一抹の共感をおぼえた敵)

5)(摩耶の偽りとしての)杏里の死と、それに対する夜白の想い。(夜白→母)

6)自死を望む杏里と、それに対する夜白の想い。(夜白→母)

この中から( )の左側が主人公夜白になっているのは、1・4・5・6です。言い換えると、テーマに対する主語が主人公になっている項目、ということです。
このポイントは強く意識してほしいです。

エンタメ・ストーリーは主人公が何をするかが大切。
2・3は重要な要素ですが、これの比重を大きくしすぎると、主人公ではなく他人の物語になってしまうんですね。ですから2・3はあくまでもサイド・ストーリー。主人公にとっての反面教師だったり、行動をうながすきっかけだったり、終幕をめざすヒントだったり。そういう位置づけに止めたいです。

次に、残された者の想い。

これにまつわり、「魂を空にあげて星にすることによって、浄化する。これでどうよ?」という問いかけが浮上するわけです。
それによって死者も残された者も救われるんじゃないの? と。
これは月兎族から主人公夜白への提案。物語から読者への問いかけ。そして、おそらく中盤の「間違った解決への誘惑」なのでしょうね。

しかし後半、魂を星に変えるのは実は残酷なことなのではないかという考えが主人公に兆し、「じゃあ、どうしたらいいのよ? 結局、絶望しかないわけ?」的な最悪の悩みに陥る、と。

ここで注意したいのは、すでに死んだ者と、まだ生きている者がいるというポイントです。
すでに死んでいる者は、主人公の父と摩耶の息子。これは取り返しがつきません。
しかし、まだ生きているのに死のうとしている者もいます。摩耶と、母杏里ですよね。
父の死が取り返しがつかないのは夜白にとっても同じなのですが、夜白にとっては、まだ生きているのに死のうとしている「もう一人の大切な人」がいます。母杏里です。

ここが、この物語の中で夜白だけが「成長できる」最重要ポイントなのかなと。

同時に、盛大に絶望にとらわれて大破綻する摩耶の姿。絶望に染まりかけている母の姿も目の当たりにします。
ですから。
結局、諸悪の根源は絶望なんじゃないの?
そこに気づかせればいいわけです。

(今これを書きながら発作的に思いついたのですが、魂の悪霊化も実は絶望が原因だったということにすると話が分かりやすくなるかもしれません)

ということで。
すでに死んだ者は、星にして浄化。 → 絶望からの解放。
まだ生きている者は、希望を失わずに生きていく方がいい。

こんな感じのところに着地させればいいのかな?
なんて、思ったりしました。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信

 混乱もあって読みにくい文章になってしまいましたが、ご返事ありがとうございます。
 最終的には「母を救う」というところになるかもしれませんが、その目的を持つのは母の事情がわかったあとで、どうもあとのほうになるのかな思います。wikiによればセントラルクエスチョンは最初のほうに提示されるものなので、その内容が果たして一幕段階で「救う」まで含むのかというのがすこし疑問でした。最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
 もしかしたらハリウッド式では序盤で目的とその解決法を全て出して一切そこは揺るがないのかもしれません。でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。母の意図を知り、彼女を思うなら、主人公の思いは捨て去られなくてはいけないかもしれない、というように。話を聞く限り、目的の姿が変わっていくときの衝撃が大事なので、用語として第一幕に出さねばならないらしいセントラルクエスチョンを、全体のテーマとか終盤の目的そのものとして捉えると良くないかな、と。それらは序盤に出してはいけないものですが、セントラルクエスチョンは序盤に出してしまうらしいので。
 ・・・という感じで、わりとどうでもいい、用語問題が個人的に引っかかってしまって、そのうちセントラルクエスチョンにクエスチョンって感じ(?)になって、独りよがりになってしまい、失礼。

上記の回答(三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?の返信の返信)

スレ主 みりん : 0 投稿日時:

>大ボーイさん、再訪ありがとうございます!

セントラル・クエスチョンについて。
ウィキペディアには、

「主人公の解決しなければならない問題である。これはセットアップの最後に観客への問いかけとして示され、その答えはクライマックスに Yes/No で与えられる。セントラル・クエスチョンは、主人公の行動する「きっかけ」という目線から立てられる (例: 「X はダイヤモンドを取り返せるか?」「Y は彼女をゲットするか?」「Z は殺人犯を逮捕できるか?」など)。すなわち「主人公は目的を成しとげられるでしょうか」ということがクエスチョンとなる (主人公の心理的な変化が目的となる場合もある)。セントラル・クエスチョンは、ストーリー上の全ての出来事に関係する。セントラル・クエスチョンの設定によってセットアップは終了し、本当のストーリーを始める準備ができる[142]。

セントラル・クエスチョンは、インサイティング・インシデントと対になっており、インサイティング・インシデントの事件によって示される」
と書かれていました。

それで私も大ボーイさんと同じように混乱して、セントラル・クエスチョンを用意できなくてご相談した次第です。

>最初に提示されるべきはもう少し単純なもので、だんだん目的の意味が深くなっていく、そういのが今まで見た物語のなかでは一般的な気がしたのです。
セントラル・クエスチョンが変遷していくという形は、ふつうにみられるというご意見は他の方にも頂いたので、テンプレートなんだと思います。ただ、ハッリウッド式では、最初の段階では主人公にとって意味がわからなくても良いので、クライマックスでイエス、ノーで答えられる問いになっている模様。今回は、様式に従って設計してみたかったので、こだわってみました。

>でも、この物語ではだんだんと相手のことを知っていくことが主人公の目的達成に必要であると同時に、そのことを突き詰めると、主人公の目的達成を危険に晒すという構造であり、それがスリリングな魅力を持ってる気がします。
お褒めにあずかり、光栄です!
自分では良いと思ってるんですけど、良いと思ってるのは私だけかもしれないと危惧してましたので、
少しでも褒めていただけるとこれから本文起こしたりするときのモチベーションになります!
自分では言語化できてなかった魅力なので、ちゃんとそう見えるように頑張ります。

参考になりました。
ありがとうございました!

カテゴリー : ストーリー スレッド: 三幕構成のセントラル・クエスチョンとは暗示的でもいい?

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元記事:伏線の回収率について

先日、あるリアルの友人に作品を読んでもらったときに『回収しきれていない伏線がある』という風に言われました。
事実として俺の作品の伏線回収が悪く、微妙に不時着したみたいな作品になってしまったのですが……。
それはそれとして、『伏線って全部回収する必要があるのかな?』と思ったのです。
僕個人としては、2000年代初頭の西洋ファンタジーなんかが好きで、そういった作品の中にある黒幕の正体とか、魔法の使い方、視点ではない人物の感情の在り方とかの部分に暗喩とか一切なく読者が考える余地がドーン! ってくる作品が好きなのですが、流石にそれは日本じゃ受けないと理解してます。
実際問題、三日四日『なんじゃこりゃ!?』って悩みますし。そこが楽しいと思うのですが。
脱線しました。ともあれ、『読者の考える余地』の範囲について皆さんに問いたいと思います。よろしくお願いします。

上記の回答(伏線の回収率についての返信)

投稿者 サタン : 2

伏線は全て回収すべきですが、これはおそらくその「回収のしかた」の問題ではないかなと思います。
例えば、何らかの事件の黒幕があったとします。
「黒幕はAだ!」と明示するのが一番わかりやすい回収のしかた。
一方、「あのときAはこういう発言をしていた」「Aの仄暗い過去が垣間見える資料が見つかる」「黒幕と思われる人物と同じ身体的特徴があった」と、Aが黒幕であることを示唆するのみで明示しない、というのが読者に投げかける回収のしかた。
後者の場合はもちろん程度があって、「黒幕と思われる人物と同じ身体的特徴があった」なんてのは考えるまでもなくAと黒幕を繋げる要素なので、ミスリードにも使われるけど難易度は低い方。つまり読者としても頭をあまり使わなくて済む。

まあ、要するに伏線に対し「答え」を書くか「ヒント」を書くかの違いで、後者の「ヒント」の場合は「わかりやすいヒント」というヒントの程度もあるし、一個で答えが出るわけではないので多くのヒントを書くことになる。その数の多さ少なさも関係してくる。

で、基本的に伏線は全て回収すべきものなので……
……えーっと、それについても少し書くと、回収しない伏線はそもそも出す必要がないので、例えば序盤で「銃」について印象づけてるのに殺人現場には銃がなくて結局犯行に使われた凶器も銃ではない、となると、じゃあ最初の銃エピソード必要あった? ってことになる。
これはキャラの性格描写や過去エピソードの紹介なんかも同じで、そもそも回収しないなら出す必要がない、すなわち回収しないなら出した事それ自体が作者のミスってことだと思う。
だから、基本的に全て回収する必要がある。

でも回収してない作品もけっこうあるじゃん、って事は前述した通り、それは「ヒント」という仕方で回収してて「答え」という形で明示してないだけ。
だから「考える余地がある」わけで、これは伏線回収してないわけではないし、意図的に回収放棄して読者の思考にお任せしますってわけでもない。

裁判や刑事ドラマで「直接証拠」と「状況証拠」って言葉聞いたこと無いでしょうか。
直接証拠は「Aが被害者を殺害した映像」とか直接的な証拠。
状況証拠は「Aが被害者を殺害する可能性がある証拠」例えば「現場に指紋がある」とか「犯人と同じパーカーを所持している」とか「Aは被害者を憎んでいた」とか。そういう状況証拠が積み重なると、直接的な証拠がなくとも「Aが犯人である」と断定できる。
この裁判の事例を創作に当てはめると、つまりは「状況証拠の積み重ね」が「読者の考える余地」に繋がる。
「Aが犯人である」と断定できるほどのヒントが作中で書かれていないのに作品が終わってしまえばモヤモヤしか残らない。
断定できる(仮説を立てられる)だけのヒントがあって、はじめて読者は考えることができる。

なので、私としてはソレが『読者の考える余地』の範囲と答えるけど、これってまあ結構作者それぞれの感性によって違いますし、それとは別に、作品が持ってる事情が関係してきたりもしますからね。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 伏線の回収率について

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投稿日時:

元記事:合コン

合コンで3対3の設定で、6人均等に話させなければなりませんか?話さない人も居てもおかしくないですか?

上記の回答(合コンの返信)

投稿者 よしはむ : 1

パコさん、こんにちは。

>6人均等に話させなければなりませんか?話さない人も居てもおかしくないですか?

6人が均等に話す必要はありません。実際の合コンの場合でも、話に加われない人、無口な人、そもそも早く帰りたい人がいても不思議ではありません。

また、小説は不必要な情報を削ぎ落として作るものです。ストーリーに関わりのない雑談、おもしろくない会話などはカットしてしまった方が良いです。
主人公とメインのキャラクター以外は、ほとんど話に加わってこなくても、問題ありません。メインキャラクター以外は風景だと思って大丈夫です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 合コン

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投稿日時:

元記事:主人公がやったら絶対ダメなこと

早春の候失礼します。
 当方作品の方向上だいぶ倫理的にまずいのではないかと思われることを主人公に喜々としてさせたいと思っているのですが、以下にあげるもののうちで絶対にやったらダメというものはあるでしょうか?
1)悪の秘密結社もの
・殺人、強盗、窃盗など各種犯罪
・差別色々
・大量殺人(目標は8ケタ以上)
・弱者を食い物にした挙句切り捨てる
・薬物、銃器のばらまき
・ABC兵器の開発、製造、一般人への使用
2)架空戦記
・ナチス礼賛
・精神系薬物の使用
・ホロコースト、ユダヤ排斥
・毒ガスの実戦投入
・捕虜、一般人への虐待
(・連合軍の痛いところをネタにする)

 このほか題材から連想されるまずいものがありましたらお教え願います。やることに追加するかもしれないので。

上記の回答(主人公がやったら絶対ダメなことの返信)

投稿者 サタン : 2

例えば、少年誌にもエロはあるけど、直接的な性描写はNGでしょ。
でも、少し年齢層が上がると間接描写はあるし、でなくともこれ絶対やってるよねって場面はないこともないわけで。
つまり設定としてそれら非道徳的なことや避けるべきものがあったとしても、直接描写を避ければ問題ないことも多くあり、例えば薬物使用も使用してるところをねっとり書いたら駄目だろうと思うけど、薬物使用してる主人公を出すこと自体は問題ないと思う。

ようは「主人公はこういうことしちゃ駄目」じゃなくて、その表現の仕方の問題かなと。
読者層や媒介の色を考えて、また時代も関係してくるだろうし、その時々で表現のラインも変化していくので、「この場所でこういうテーマで狙いはこうで」とかなり限定して回答しないと正解にはたどり着かないと思う。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公がやったら絶対ダメなこと

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