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自分らしい文体 (No: 1)
スレ主 文吉 投稿日時:
質問です。
趣味で小説を書いている者です。
漫画やイラストには「絵柄」というものがあり、作者によって千差万別ですが、小説にも、文体というか文章表現というものは存在しますか?
「この文章表現・文体は、この作者にしか書けないわー」みたいな。
そういうのって、皆さんの中にも持ち得ているものですか?
また、どうやって身に着けられますか?
名作をたくさん読んだりすれば蓄積されていきますか? それとも、筋トレみたいにがむしゃらに作品を書きまくっていれば、レゴブロックみたいに自然と形成されていくものでしょうか?
というのも、自分らしさを見失う出来事に遭いまして。
少し前に話題になった「魔法少女ノ魔女裁判」というゲームをプレイする機会がありまして。ゲームとしての完成度の高さや、ストーリー
の面白さもさることながら、小説作品として読んでも、「いや~凄いなぁ」と感心する程の出来でした。特に地の文や情景、キャラクター
描写とか。(おすすめです)
それと同時に、上記の作品と今取り組んでいる自分の作品を比較してしまい、「うわ、こんな文章表現があったのか」、「確かに、この一言なら簡潔で分かりやすいわ」、「ああ、何でこんな綺麗な言葉を思い付かないんだろう」と、自信喪失し、何だったら途中で投げ出してしまおうかなと思ったくらいです。
思えば毎回そうでした。何かしらの作品に目を通す時に、自分の表現方法の拙さ、乏しさを痛感してしまい、そうして上手いと思う言葉や文章を自分の中にインプットしようとすると、「これってただのパクリじゃない? 自分らしさって何?」という疑問にぶち当たるという。
ですので、「そうやって後ろめたい気持ちになるぐらいなら、逆に、何も読まないで書いてみよう!」と意気込んで、異能力バトル小説を書き上げてネットに投稿してみた結果、殆どの読者から「心理描写が凄い」との評価をいただきました。
これに関しては、自分ではただ普通に「この時、このキャラクターはこう思うよね」というのを文字に変換しただけであって、何か特別な工夫したわけではないんですけどね。
これもある意味「自分らしさ」でしょうか?
長文失礼しました。
よろしくお願いします。
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!自分らしい文体の返信 (No: 2)
投稿日時:
>小説にも「絵柄」のような「文体」は存在しますか?
漫画やイラストにおける「絵柄」が、その作家さん独自の世界観や個性を一目で伝えるように、小説における「文体」もまた、作家の個性そのものです。
例えば、
・簡潔でリズミカルな文体: 一文が短く、テンポよく物語が進むスタイル。
・重厚で緻密な文体: 難しい言葉や長い修飾語を使い、じっくりと情景や心理を描き出すスタイル。
・独特な比喩表現を多用する文体: 「まるで〜のようだ」といった表現に作家の個性が光るスタイル。
・会話文中心で展開する文体: 生き生きとしたキャラクターの掛け合いで物語を動かしていくスタイル。
など、作家によって千差万別です。「この文章は、あの作家さんならではだ」と感じさせる力、それが文体です。
>「自分らしい文体」はどうやって身につけられるのか?
これは「多読」か「多作」か、という二者択一の問題ではなく、両方とも不可欠です。 料理に例えるなら、以下のようになります。
・多読(インプット): 様々な一流レストランの料理を味わい、レシピを学ぶことです。 どのような食材(語彙)があり、どのような調理法(表現方法)があるのかを知らなければ、自分の料理を作ることはできません。たくさんの名作に触れることで、あなたの内側には表現の引き出しがどんどん蓄積されていきます。
・多作(アウトプット): 学んだレシピを元に、実際に自分で何度もキッチンに立って料理を作ってみることです。 最初は好きな作家の真似(模倣)から入っても全く問題ありません。 むしろ、多くの作家が模倣からスタートしています。大切なのは、インプットしたものを自分なりにアウトプットする作業を繰り返すことです。その過程で、無意識のうちに「自分にとってしっくりくる言葉選び」や「心地よいリズム」が定着し、それがやがて「自分らしい文体」として磨かれていきます。
筋トレのようにがむしゃらに書くことも、レゴブロックのように自然と組み上がっていく感覚も、どちらも正しいのです。インプットとアウトプットのサイクルを回し続けることで、あなただけの文体は少しずつ形作られていきます。
>「これってただのパクリじゃない?」という悩みについて
「魔法少女ノ魔女裁判」のような作品に触れて、その表現の巧みさに感銘を受け、同時に自信をなくしてしまうお気持ち、お察しします。そして、良いと思った表現を取り入れようとすると「パクリではないか」と悩んでしまうのも、非常に誠実な証拠です。
しかし、心配しすぎる必要はありません。一つの作品の文章を丸ごと写すのでなければ、それは「パクリ」ではなく「影響」や「学び」の範疇です。 様々な作家から受けた影響が、あなたというフィルターを通して混ざり合い、再構築されることで、あなただけのオリジナリティが生まれます。
後ろめたい気持ちになる必要は全くありません。むしろ、たくさんの良い文章に感動し、それを自分のものにしようと努力することは、成長のために不可欠なプロセスです。
>「心理描写が凄い」という評価は「自分らしさ」か?
それは、間違いなくあなただけの「自分らしさ」であり、素晴らしい強みです。
ご自身では「ただ普通に書いただけ」で、「特別な工夫をしたわけではない」と感じていらっしゃる点こそが、非常に重要です。なぜなら、それはあなたが無意識に、そして自然にできてしまうことだからです。他人が努力してもなかなかできないことを、あなたは息をするようにやってのけている。それこそが、あなたの才能であり、最も輝く個性なのです。
多くの読者から同じ評価を得たという事実は、その個性が客観的に見ても魅力的であることの証明です。
自信を失う必要は全くありません。むしろ、あなたは今回の経験を通して、「自分の強み」を発見できたのです。これからは、その「心理描写の巧みさ」を自覚し、大切に育てていってください。それがあなたの作品の核となり、他のどんな作家にも真似できない魅力となるはずです。
自分らしい文体の返信 (No: 3)
投稿日時:
そりゃもちろん文体に個性はあるよ。
いろいろ吸収して、それを自分の中で昇華させて「自分らしい文体」などと気にならないようになったら、もう知らずに身についてるものだと思うよ。
私の場合はむちゃくちゃ書いてた頃にハマってたのが浅田次郎と宮部みゆきで、かなり影響されてて文体に現れてる。けどそれも多分自分でそう思ってるだけで今はもう影も形もないんじゃないかな。
>これもある意味「自分らしさ」でしょうか?
それはたぶん「作風」で、文体の個性とは違うような気も。自分らしさという枠で言えばそうだと思うけど。
うーん。インプットよりアウトプットのほうが大事だけど、インプットがあったほうがアウトプットしやすいから、問題はその仕方ではないかな?
たびたび例に出す事なんだけど、宮部みゆきの「ドルネシアへようこそ」っていう短編で、その冒頭に「都営地下鉄日比谷線の六本木駅は、頭上に広がる街の鬼子である。」っていう一文があるのね。
これは「六本木にこの駅は似つかわしくない」って意味で作品全体から味が出てくる冒頭なんだけど、惚れ込んだので何度も利用させてもらった。
「〇〇王国の凱旋門は、その奥に広がる城下町の鬼子である」とか「煌びやかな装飾は、その本性を隠す張子の虎である」とか。
別にベースはパクってもいいのよ。それを自分の中でどう昇華するか、その工夫や自分なりにどう「自分のものにしたのか」が自分のセンスになるし自分のオリジナリティになるし、自分の文体になる。
いじくりまくりゃ元の面影は完全になくなる。そうなりゃベースはあくまで発想の起点にしたに過ぎない。
ようは、自分らしさって、出力した絵や文章それ自体にあるものじゃなくて、絵や文章を通してにじみ出てくる自分のセンスから来るものだから、そもそも「俺らしい文体ってなんだろう?」と気にしてるうちはまだまだ修行段階だと思うんで、どんどんパクって自分の中で昇華させていこう。
まあ、私の場合はこういうプロの惚れた文体を解体し分解しいじりまくるのが面白かったし好きだったのでこういう考えになったってだけで、これが正解って話じゃないけどね。
自分らしい文体の返信 (No: 4)
投稿日時:
私見ですが、文体は
①読みやすさテンポ重視
②詳細な説明の地の文
に分かれる気がします。特に①がなろうで有効であまり状況などをくどくど書きません。テンポを重視していて「無職転生」や「蜘蛛ですが、何か?」「ティアムーン帝国物語」はこれの代表例です。
②は一般小説を含めたものですが、なろうでこれをやって出だしから詳細な世界観説明をやるといやがられてしまいます。
なのでweb小説で出だしから読者を掴み世界に入らせるには簡潔にテンポ重視がベストです。やや細部説明が荒くなっても。
「いきなりパーティに首を宣告された」から始まりキャラの外見は書きません。
それと転生ものならすぐに「トラックにひかれて死にました」とかもっていきましょう。
短くインパクトのある文は引き込む力もあるのです。
自分らしい文体の返信 (No: 5)
投稿日時:
これは、そもそも前提がありますね。
あなたのいうことが正しいとして、あなたにはムチャクチャ才能があります。
だって、普通は文体というものは、長い時間をかけて自分の中で完成されていくものであって、はじめから存在しているようなものではありません。
一応私の印象では、心理描写の文体が個性的だったというより、単純に心理描写が上手い、ということなのかなと思いますが。
別に文体なんて、こだわる必要はありませんよ。こだわるというのは執拗に気にするということではなく、純粋に磨きをかけるという意味で遣っています。単純に美しい日本語で書けばいいだけの話です。
その上で文体について言いますと、たとえば
「文章の神様」
と持ち上げられていた志賀直哉の、同業者の褒めそやす様子なんかを読んでいると、
「ああ、志賀直哉が文章の神様と称えられていたのに、今の人が志賀直哉をほとんど知らないのは、志賀直哉自身が大した作家ではなかったからなんだな」
と思い知らされます。どうしても気になるなら、志賀直哉論、のようなものをどこかで手に入れてみてください。そんな物があるのかは知りませんが。
要するに、文体も文章も、変わっていきますからね。今の人は今の文体で書く、というだけで、過去の作家から文体を学ぼう、なんて思っても、何も役に立ちません。
ええと、どうしたらいいのかな。
文体の勉強ですか。要するに、普通の文章から逸脱した特徴っていうことですよね。
とにかく、わざと文体を作ろう、なんていうのは全くナンセンスですよ。
自然に書いて、どうしても変になるならそれは文体の範疇なので問題ありませんが。
気にするなってことです。一言で言うと。
自分らしい文体の返信 (No: 6)
投稿日時:
ううんと、ちょっと勘違いしている方が多いので、もう一度復習がてら繰り返しましょう。
まず、文体というのは
「普通に書くと表現できないものを巧妙に表現する」
あるいは
「工夫をこらした表現の妙」
ではありません。似通った部分もありますが、厳密には全く違います。
そうじゃないんです。文体というのは、
「どの人もあることを自然に表現しているのに、書き方が違う場合の、その差異に存在する個人の法則」
のことです。従って、ある人が何かを特殊な表現で、凝った書き方で書いているとしても、その人がそういう書き方しかしないのでもない限りは、それは語彙、イディオムに近いものです。文体の違いではありません。
従って、文体というのは絶対に、流れる水のようなものでなければならないですし、凝ったことを書くというのは、はじめから0点になるような行為です。
そうならないのは、その人が
「自然に書け、またいかようにでも書ける」
という能力を持っている場合だけです。
もし、ある場面を誰かが特殊な文体で書いたとしても、それは全然上手くも何ともない恥さらしな行為なので、そういうことは今考えていません。そういうものも文体ですが、そんなものは値打ちがありません。
だから、文体を気にする前に、まず分かりやすく書け、ってことですね。
お前は何様のつもりだ、と。質問者はまだ大丈夫な範疇ですが、回答者の中にはとんでもない人がいるので、彼らの回答を真に受けないでください。