近代的自我なしに思想の自由を発達させることは可能か。
スレ主 ヤンク 投稿日時:
異世界の設定を考えています。
もし、西洋文化のもたらされていない前近代的な地域(:=異世界)があったとして、その世界での人々の思想を考えたときに、無条件に我々の住む世界と同じ考え方や行動原理をしている訳ではないと思います。
ヌエル族が牛の尿で顔を洗う行為を一定数の日本人が「理解できない」と感じるように、異世界にも現代の日本人が「理解できない」文化があると考えます。
問題は、その文化の強制力が、近代的自我の概念がもたらされる以前には最大でどのくらいなのか、また、その世界をより「快適な」世界にするために、近代思想に代わる別の思想的変革、いわば「替わりの社会学」があるとしたらどのようなものか、ということです。
自分個人の勝手な考えですが、文化とは往々にして不自由で, 差別的で, 監視社会的であると思っています。
文化人類学的に母系社会があり得ても女権社会があり得ないことを考えれば、個人が文化という仕組みを(文化に対する反感が個人の感想だけにとどまることなく)集団として乗り越えるにはより強力な概念を手に入れる必要があり、それを手に入れるまでは人間が抗えない「何か」が人々にそうさせていると考えざるを得ません。
もし仮に異能の力をもって女性が社会的権力を持つような社会になったとしても、おそらくその「何か」はこんどは男性から権力を奪うかもしれないし、知的障碍者, 癩者, トランスセクシャルといった人々を、差別ないし「区別」するよう人間に仕組むかもしれません。
人類がその「何か」を乗り越えることができたのは思想の変革、すなわち近代的自我, 産業革命, 資本主義を経、さらには大きな物語から小さな物語への移行を経たためであると考えます。
しかしながら異世界という(特に条件がない限りは)全く西洋と無関係な世界に於いてそれほどまで我々の世界に似た思想が生まれるかどうかといえば疑問があります。
この問題を解決するには、
第一に、「異世界なのだから多少人間が暮らしにくくても仕方がないし、それ以上を望むのは傲慢だ」として諦めるか,
第二に、魔法や異能の関与を認め、そのようなものが存在する世界における混沌は予想できないものとして説明を放棄するか,
第三に、異世界に人間が存在することから我々の世界と異世界とが99%似ているとし、残りの1%が似ていないのは確率的に不自然だとして近代思想までもを人間に与えてしまうか,
第四に、ミームや情報の流れといった社会的要因に直接介入できるタイプの異能を登場させ、無理やり個人の力を強くするか,
第五に、異世界と我々の世界を交流させて近代思想をもたらすか,
第六に、近代思想に代わる「替わりの社会学」を考えるか
といったことが考えられます。
そして、自分としては第六の方法を採りたいところなので、a. 実際はどのような方法を採るのが「正しい」あるいは「創作として健全な」のか。b. 第六の方法を選んだとして、「替わりの社会学」がありえるとしたらどのようなものか。といったことが疑問に思われました。
a.の問題は一時的に保留にするとして、b.はどのようなものが考えられるでしょうか。教えてください。
なお、自分の想定している世界のスペックを載せておきます。
・「銃」は、存在していないか、広まっていない。
・西洋近代以前のあらゆる道具を使うことができる。
・西洋近代的な思想を持つ社会はその世界には現在にも過去にも存在しない。
・やむを得ずそうする時を除いて、文化は地球上のどの社会のそれからも借りない。
・ドラゴンクエストシリーズに登場する呪文のような用途/効果の「魔法」は存在する。それ以外の魔法は存在しないか、あまり知られていない。
これ以外の要素を後から加えるのは、避けたいですが可能です。また、第六の方法だけでは不可能であると判断される場合は、関与が最低限になるような経路でその他の方法を混ぜることも可能とします。
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